2009.10.10(土) 思うこと

  • 彼の願いは天に届いたのでしょうか。今度こそ。そのような気がしているようです。宇宙と魂は連動している。此処までとは思わなかったようです。そのための試練がありました。悲しい悲しい物語がありました。それをも乗り越えたのでしょうか。やはり彼こそ彼でした。よかったですね。彼は本当の笑顔を取り戻したのです。彼はいいました。日本は大丈夫だよ。本当にごめんね。悪かったのは自分だった。それを知るまでの悲しみがありました。そしてありがとう。これからですね。
  • 世界は知っていました。黄泉も待っていました。いつか彼は気づく。 and will do something great. 何に気づくのだったのでしょうね。そして始まるのでした。この世には命を賭けて何か成就します。それが夢の実現でした。努力とか勇気は当然でした。そして本来の自分となる。これこそが無為自然の王道だったのです。
  • 新しい時代です。あなた方の時代です。世界は待っています。常に新しいチャレンジャーを。私達は夢を実現するために生まれました。準備は調いました。失われた諸価値があります。取り戻す頃です。浮かれた時代は去りました。愛は自分のためにしない。公共性概念もそうでした。一部の方々が幸せであっても、本当の幸せではない。あらゆるバイオレンスと欺罔はもはや通りません。これまでの方法論は一切通用しません。私達みんなの時代です。新しい時代を創っていく時です。先達に敬意を払いながら。参加しませんか。既に始まっています。輝く未来が待っています。未来を創るのは私達です。私達は此処まで進化しました。
  • 不思議ですね。それはあるのです。信じてみませんか。そして取り組んでみましょう。所詮未知なる世界です。あらゆる謎があります。常に見えない世界から見られています。見えない世界は見える世界にもあります。見えない世界に認めてもらうことです。その時、流れを呼び込むでしょう。救いも来るのです。見えない世界に認めてもらうことですべてが決します。この世は血ぬれの世の中ではないと吉田健一氏も書いていました。始めませんか。おもしろいですよ。所詮人生はゲームです。生まれる前から始まっていたのです。時には失敗もあります。それで良いのです。新しいルールが見えてきました。見えていますか。聞こえていますか。情報は発信したところに集まります。情報は富を生まなければ意味はありません。情報に流されて餌食とならないように。主体性の確立こそ基礎です。
  • 何事も愛を込めてしましょうね。愛とは動植物及び岩石も喜ぶ周波数です。それは開発を要します。そして鍛えるのです。それはあなたのリズムです。文章もリズムです。それはむしろ本能に属します。文章の開発こそこれからのテーマでしょうか。あなたの文章を聴かせてください。世界はそれを待っています。新しい時代です。みんなで幸せになりましょう。低いレベルで目立つことがそれではありません。世界は宇宙を含みます。高いレベルで受容されましょう。あなたの未来は必ず開けます。それは本当です。これまで埋もれていた方々の時代です。低いレベルは克服されました。本来日本の秘密があります。それははじめは負けたかと見えます。しかし必ず受容克服凌駕します。本来日本復活の頃です。気づいていますか。あらゆるところに今、日の丸が旗めいています。彼も喜んでいます。確かな未来への径が見つかりました。世界も待っていました。時々の道しるべがあります。見えますか。即ち、君子危うきに近寄らず。朱に交われば赤くなる。
  • 新しい始まりとなりました。新しい成功法則が明らかになったのです。それは本来日本の目指していたモノであり、世界が待っていたモノでした。既にそれに気づいた方々がいて、成功者となっています。しかし彼らといえども完璧ではありません。何故でしょうね。常に私達は進化しています。足りないところがあるからですね。この世に生まれて、私達は過去の失敗を払拭するのです。その時、突然見えてきます。見えている人には見えています。見えていない人は見えていません。この世の最高の宝はやはり知性だったのです。それに気づく頃となりました。しばらく愚かな時代がありました。そうではなかったのです。彼らはそれを以て支配していたのです。それが見破られました。磨いて磨いて磨き抜いて、光り始めるのです。その時、あなたはもう大丈夫です。自信を失いましたね。それにも理由があるのです。それに気づくまでが試練です。原因がわかれば解決があります。そしてあなたは知るでしょう。無敵となったあなたを。そして人生が始まります。あなたの持っているモノが大きければ大きいほど、試練も大きい。それも当然でした。そして努力は必ず報われます。それも当然だったのです。始まりです。
  • 「法律上当然」という概念があります。数学には公理があって、これはもともと証明する必要がありません。定義もそうです。定理は一度誰かが証明すれば誰もが使って良いのです。証明はこれらを使ってするのです。しかしこれだけではできません。何が必要なのでしょうか。常識です。英語の勉強もそうです。英語に強くなろうと思えば何が必要でしょうか。英文法ですか。英文解釈力ですか。その前に国語力と常識が必要だったのです。これらの総体としての英語力でした。かつて英文法をマスターしていた方がいて、その方はいとも簡単に司法試験に合格しました。ところでこうした常識ですが、それが勘違いされていました。これにはレベルの問題がありました。低いレベルの常識が常識となっていました。それが自己利益追求だったのです。そしていつのまにかそれが一人歩きしてこれほど時代を苦しめることになりました。既に上流階級と思っていた方々にもその影響が出始めました。それも当然だったのです。故にギロチンもありました。教育の本当の目的は何だったのでしょう。それはいつかこの時が来るので、その時のために、本当の知性を育てることだったのです。何もかもうまくいかなくなりましたね。その理由が何だったかわかる方はいますか。何かを粗末にしていたのです。大きな忘れ物がありました。勘違いしていたのです。本当の笑顔はどこから来るのでしょうね。演技のお笑いではありません。それは自信から来ます。何を以て自信とするのだったのでしょうか。それは偏に見えない世界に認めてもらうことからだったのです。真実も知ればいいのです。始まりました。本来日本は知っていました。そして大切にしてきました。そして幸せであることを知っていました。
  • 自分に目覚めるということがどういう事だったのでしょうか。まるで世界が変わります。たとえばここに一枚のクラシックのCDがあるとします。それは以前からあったモノです。それを今、聴いたとします。それまでは聞こえなかった微妙な音に気づくことでしょう。それを悟りといっていいのです。それは誰にも訪れます。必ず訪れます。その時、生きている意味を知るでしょう。そして自分は幸せだと思うでしょう。何も臆することはなかったのです。あるとすれば、それは道半ばです。諦めないでくださいね。喜びにも悲しみも理由があります。それを探すのです。何事にも理由があることを知るのです。そしてそれを認めることができると、素直になれます。その時、知っている人を訪ねましょう。知っている人はとても寛大です。きっとやさしく教えてくれるでしょう。拒んでいたのは自分だったのです。既に至った方々がいます。彼らも通った径があるのです。その意味で謙虚さが要るのです。知っている人に認めてもらうのです。その人も認められたから今があるのです。そして持って生まれたモノがあるのです。必ず誰にもあるのです。それを見つけてあげることが教育の目的でした。誰もが幸せになるために生まれてきました。それを阻害しているのは何ですか。そして大切なことは、世の中には触れてはならない逆鱗があります。それは過去からの約束であることもあるのでした。
  • 何に対しても後悔して愚痴を並べている方々がいます。悲しい人の典型です。過去は過去で反省し、未来への糧にすればいいのです。そこに遺恨を遺さないことです。ますます悲しみが増幅します。伴侶がぼけたり、精神に異常を来たしたりするのは悲しい現実から逃れるためである場合もあります。逃避といえば逃避ですが、あまりにも悲しい現象です。何か現実に問題があるのです。その原因を究明して改善しない限り、その人は治癒しません。対処療法的な薬の投与は何処までも一時的であるべきです。その意味で、世の多くの精神科医は怠惰ではないですか。根本的に方法論を間違っていませんか。それともビジネスですか。
  • それは裁判所にもいえるのかも知れません。経済界ではクレームをもビジネスとして利用しています。それが智慧だと思っています。クレーマーは今、モンスターとなりました。教育界においても。それを助長したのが判例だったのかも知れないのです。かつて教育界に対しては親の子に対する懲罰権の包括的委譲という概念がありました。医療過誤の問題があります。これに対して当時、日本一の名医に的中率を聞いた方がいました。67%だったでしょうか。それで何かあったとします。これまでの損害賠償請求に対してどのような対処をしたのでしょうね。弁護士にも問題があります。訴訟に勝てばいいというのではありません。目的は紛争解決と秩序維持です。そしてこれほど勘違いの世の中となっています。何が問題だったのでしょうね。常識のレベルだったのかも知れません。しかし此処で大切なのは糾弾ではありません。これからをどうするかです。間違いを間違いと認めて、新たな選択をすればいいのではないでしょうか。教師は自信を失いました。医師は手当てということを忘れ、データだけを頼りに医療行為をしています。故にいつまでも執刀ができない状況もあります。何かがあったら怖いのです。このあたりの見直しが必要な頃ではないでしょうか。教師に対しても医師に対しても積極的ミスには寛大であるべきです。しかし脱法行為的な意思に基づく場合は厳罰に処して良いのではないでしょうか。いずれにしてもおかしな世の中となりました。取り戻すべき秩序があります。本来の人権は誰のためだったのでしょうか。モンスターのためではなかったはずです。どちらに荷担しますか。そしてその根本原因はテレビ界のレベルだったとは思いませんか。経済界はそれを利用した。内容を無視した視聴率だけが指標だったからです。これも誰が悪いのではありません。そうした時代だったのです。一蓮托生です。故に結果を含む明るい具体的な未来を描きましょう。子供達のために。彼のいいたかったことはこうしたことだったのでした。混迷混乱した今こそ、時代改革のチャンスです。良い方へ。