GSワンダーランド1

●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.
●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫(マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫(マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」の法則』p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。(ヤコブの手紙5-11)だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)≫すなわち、ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。


●高齢化社会の中で、インターネットを楽しみ、パソコン・ライフを実践することは、たとえば、かつて、新幹線ができたとき、新幹線に乗りたい、といった気持ちを大切にして、つまり、自分の気持ちに素直になることではないでしょうか。東京オリンピックがあったとき、カラーテレビで見たい、と思った頃の気持ちを。今、68歳の方も、まだ、あと10年は働ける社会が、始まっています。だから、パソコンとインターネットを精一杯楽しむことをしてみましょう。しかし、何事も、案内人がいると、楽で安全です。そこで、そのためのお手伝いができるなら、無上の喜びとするところです。また、図らずも、障害を持ってしまった方も、パソコンをして、インターネットをして、それぞれが、楽しく、やさしく、生きていける時代が始まりました。だから、みんなが、ほんとうの幸せを、もっと、楽しんでいい、と思われます。つまり、「周りが幸せになれば、その中にいる、自分も、必ず、幸せである」という法則が実践されると、これが、「わかちあうこと」であり、つまり、全体のレベルが上がることで、自分たちも、自然と楽な環境の中で生活してゆけるのです。一部の方だけが、利益を得る時代は、もう昨日までのことです。だから、呉市だったら呉市中央公園へ出かけると、樹木がたくさんあって、美しく、整備されていて、お散歩するには最高です。そこへ、パソコンを小脇に抱えて、あるいは、車椅子のひざの上において、出かけることも、きっと楽しいことです。木漏れ日浴びて、そよ風吹いて。そして、小鳥たちが舞い降りてきます。もう、高齢者の方も、障害をもっておられる方も、自分ごととして、インターネット社会へ、入っていける時です。その環境は整いました。しかし、情報は自分で管理する、と言っても、それは難しいことです。それは専門家に任せて、自分たちは、この安全で楽しい、そして最先端の技術であるインターネット空間を、思う存分享受し、豊かな、新しい暮らしを作り出していきましょう!インターネットは、私たち、庶民あるいは市民のものとなりました。【2004/11/20 Sat.】


そして、オンラインでライブのプレイにログオンできたなら、きっと楽しいことです。
(2005/09/27 16:47)
(奇跡のスーパーバンド、レジェンズをNHK−FMでミュージックプラザを聴きながら)
世界は、いつも、そして、これからも、永遠につながっていた。こころで。それを確信し、それと合流を果たすこと。
これが、人生のゴール。姿形は色々とあっても、最上流を目指せば、やがて故郷にたどり着ける。
途中で果たせなかった夢は後生に譲ることで、人生は、やはり生きる価値がある。
これが、生きるということ。さぁ、目指せ。ゴールを目指して走るがいい。やがて本当の桃源郷に至る。
それが、祖先の夢であったのだから。その時々の一里塚を見間違えないように、ね。
地図はないのだけれど、地図も自分で探し、自分で編集し、作り上げていくべきモノ。
自分だけの地図が頼りだよ。
あたなたの夢は何ですか。お手伝いできます。きっと。
諦めないこと。安易な妥協をしないこと。この約束を守るだけ。
世界はいつも諸手を挙げて、世界への挑戦者を待っているのです。

今、私は、グラムロック(エリック・クラプトン)のVoiceとリズムが懐かしい。

そして、世界は本来やさしいということ、いつも君たちの夢を叶えてあげたいと思っていること
を、どんなに悲しいときも、忘れないでいてね。

ソクラテスは言った。「汝自身を知れ」。「私は知らない事を知っている。」
これが無知の知です。それは、鈴木大拙氏の即非の論理。それは、西田幾太郎の純粋精神。
ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』もきっと獅子を自覚したその作品。しかし、少し病的であることは否めない。ただ、その獅子が山から里へ下りてくる情景は、まさに、R・シュトラウスの交響詩だね。結局、どこから入ってもいいのではないかな。例えば、獅子を自覚すればね。ニーチェの場合、『善悪の彼岸』を読んだ方がよいとは思うのだけれど。そして、サルトルの『嘔吐』を読んだり、ダリやムンクの作品を見るとき、さらに、フロイトとか読むときは要注意です。これだけを読んだりするのではなく、必ず、その対照を用意して比較的に読まないと危ういです。地図として、時代背景を地図とか歴史とかも一緒に考えないと、一人で歩めない世界です。これをするには争闘の覚悟がいるのです。これを以て研究とは言うのですが、我々庶民はその成果を享受することでハッピーですね。道を先導してくれる先人に対する感謝を忘れずにね。その精神が法を守るということです。その人の人格はいつも見られています。あなたの人格も。これが、大切だと思います。

今までは軽薄でも生きてこれました。これからは違う。「質」が問われるのです。この理由は秘密です。時代は変わる時節があります。センターの質が舞台が回るように変わるのです。例えば、父の時代から子の時代に変わるのです。次は孫の時代ですね。楽しみです。

表現の効用について。例えば、喧嘩したとしますね。喧嘩は口でするものですが、どうしても鬱憤がたまって、いてもたってもいられないって、なります。そうしたときどうするか。場合によって違います。大切なのはいつも相手を冷静に観察しながらその流れを楽しめばよいのではないですか。剣道にしても相撲にしても強いものが勝ちます。時々番狂わせもありますが。さて、剣の果たし合いでも、実は、構えたとき既に勝負は決まってる。そこで、自分が勝ってるか負けてるか見極めができるかどうかです。それが、状況判断。で、うまくまとめることができれば、勝っても負けても達人です。お互い同士の友情もその時に生まれます。これをもって格段の差です。ところが、実際に事を起こす方が今もいる。これが困ったこと。場合によっては指揮権発動もあります。で、何事も楽しむことができれば、吉。と思うのです。