GSワンダーランド3

●信心は人それぞれ。千差万別。億差兆別。太陽は山からも昇るし、海からも昇る。家からも昇る。勉学した信心である。
しかしみんなが同一になれる信心もある。ただひとつの信心がある。それは、何か。一切ではない信心があるのである。
人生の目的は、よくぞ人間として生まれたモノと思えること。万人の同じ共生の世界。海へと合流すれば。諾。
●聖書の奔流はドコにあるのだろうか。今も旧約聖書に続編がある。そして、法華経の本流はドコにあるのだろうか。宝島はドコだろう。まず、地図をさがすことだ。ヒントは「妙」ということだろうか。
●人生の成功の法則は
1. 誰と縁があるかではない。誰に好かれているか。
2. 正直であると言うことは、嘘をつかないこと。
3. 馬鹿とえらいの違いは何か。勉強ではない。裏切らないことである。
4. 成功の条件は一つだけである。上を尊敬すること。
5. 女子供は何故嘘をつくか。弱いからである。
6. 女には力はない。力は男のモノである。
7. 祖母は言った。男をマタイではいけない。
8. 祖母は言った。人が見ている。
9. 父は言った。予科練の教官でもあった、と。(網走では警察官だったと聞いたことがある。)
10. ある日父は言った。ここににほんとうをもってこい。(我が家に日本刀などありはしなかったのに。)
●何故人を殴ってはいけないか。人と思って神を殴れば死に神が来る。神は絶対に手を出さない。出さなくとも護られる約束である。仏子になればやはり護られる。
●長いものに巻かれるか一匹狼でいるのか。どちらでも良いと思う。結局は自己責任が原則だし、要は自分の意思の問題だから。前者の方が楽かというとそうでもない方も多い。後者の方が楽かというと結局自分が中心になって株を作るしかない。園芸である。あるいは演劇である。人生とは。動物園にはしたくないよね。
●裏を見せ、表を見せて元気です。
●かつて聞いたこと:水兵さんやかわいやのーまたねてなくのかやー。そして、なんじゃ?もんじゃ!
それから、ドコを見ているのか風の吹き。いつまでも、いい加減にしろよとなみだあめ。エンジンは今どこにあるのか、今も昔もここにある。ナポレオンは、なんて言ったっけ。「わが辞書に不可能はなし」。信じて見たい!今こそ。ですね。
●円の五心: 外心 内心 重心 垂心 傍心 
●スペースシャトルは何時初めて成功したっけ。昭和52年だったですよね。責任重いよね。
カストロは葉巻が好きだった。人工衛星からその葉巻の銘柄までわかっていたという。今どんな葉巻をすっているのか。私は知らない。
常にある。裏切り者達の責任の取り方が。と何処かに書いてあった。誰を裏切ったのか。調べはついた、と。
●産みの苦しみは母しか知らない、南山のKUREの港に日はのぼる、鯉のぼりの季節にあらねど。
父の子は、父の気持ちを顧みる。尊属殺規定が日本にまだある。削られても。削除されても。
●知ればすべてが赦される。知らずとも一切が赦される。WHY? BY WHOM? 'CAUSE!
●代々の関門関門越え来たるこのむもんカンほどの難もなし 初めての超えたるモノは無門関、これより始まるこの道成るか。
●われひとり恩知らず音知らずの鐘の声
●東京タワー建設の義、日銀本店建設の義、知らぬでもなかろう秋の風。
●何も知らぬ、あやまりかたも知らぬか知識人。何をしてきた財界人。かな。何を教えたのか教育人。教育など名乗らぬがよい。とか空耳か。

●21世紀に乾杯!何時の世も、時代は苦しんできました。そして時代はここまで辿り着きました。大切なのは、正直者の頭に神は宿る、と昔より言われてきたことでした。そして本来の幸せの実現の時を迎えたのです。これが新しい21世紀のドリーム。実現させたいですね。咲かせてみたいですね。本当の個人主義の時代です。それぞれの夢、自分の思いを実現し、幸せになれる時代の到来です。どんなことも、古来の智慧を含む人間の英知で解決してゆける時代です。人類はここまで進化したのですね。新しい時代を作ることができるのです。かぎりなく希望があって、それは日々を大切にし、よく考えて工夫することで、個々の幸せを手にすることができるという、そうした時代を迎えました。【2005/05/20】
●夢の実現は、的をよく見て射る、そして当てる。現実的に正鵠を射る。夢は現実に実現してはじめて意味がある。どのようにして実現するべきか。よく考える力を身につける。どのようにして考える力を身につけるか。少なくとも何事もマイナス思考しないこと。マイナス思考とは、何かにつけて、できないと思うこと。できるかできないか、やってみなければわからない。すでに試された人の方法論は過去の人の方法論でしかない。今必要とされているのは自分の方法論。自分のものというオリジナルでなければ新しい時代は乗り切れない。新しい時代はオリジナルの時代。それは個々の自分発見でもある。個々の幸せの実現のために、過去から脱却する。新しい時代に飛ぶために。道具でも制度でも、必要なものは作ればいい。要らないものは整理すればいい。整理には棄却或いは処分も含まれる。自然から見れば淘汰である。【2005/05/22】
●人生に たのしみ 多し しかれども 酒なしにして 何の たのしみ (牧水)
西条(東広島市)は酒都(しゅと)と呼ばれる。灘と並ぶお酒の里である。有名なのは「賀茂鶴」と「白牡丹」。呉にもいくつかレーベルがある。全国でグランプリを取ったことのある「雨後の月」、今、全国販売はされていない。地酒となっている。野呂山の軟水がいいという。「千福」も呉。もともと西条の杜氏は安芸津から入った。安芸津には「金泉(きんせん)」というお酒があった。今はない。バランスのとれてそれでいてしっかりとした素晴らしいお酒であった。音戸に「華鳩」がある。江田島には「古鷹」という古酒がある。吉浦には「水龍」という辛口のお酒がある。
●21世紀、私的宇宙生命論
21世紀は魂の時代である。あるいは心の時代と言われて久しい。さて、人類も進化した。地球も進化した。生命も進化している。魂のことがやっと庶民レベルで語ることができる時代が来た。それが21世紀の意味である。かつて、仏陀、キリスト、ソクラテス、孔子が語っていたことである。ところで、魚は水を出て生きることはできない。同じく、人は地球を出て棲むことはできない。かつて世界は地中海であった。今世界は地球である。現代世界の始まりは大航海時代と重商主義。ペリーが来て日本もその波に飲み込まれた。それは或る意味で洋流の変(楊柳の辺)と言える。しかし、日本の歴史は西洋より古い。始まりがあれば終わりがある。西洋の没落が唱えられたのは何時だったか。19世紀末の腐敗がここまで続いた。反省すべきは何か。本来清浄を教えるために仏は常々存在する。さて、閻魔帳はアカシックレコード。人間の或いは生命の犯した罪はすべて記帳されている。しかし反省すれば赦して貰える。人生はそうした過去を書き換えるためにある、とも言える。それが懺悔であり、修業である。宇宙の始まり或いはそれ以前からの生命の過程がある。生命は清浄を目指して旅をしている。鮭がやがて生まれ故郷を目指して清浄な上流へ遡上するように。地球にとって人類などどうでもいい。恐竜が滅んだように人類だって滅ぶ。何が大切か。魂である。人間は魂の仮体にすぎない。今地球のバランスを壊している生命体は只人間の意識と行為である。人間も岩石も物質としては同レベルである。還元すれば元素である。生命体としての未来は今で決まる。人類の未来は今の人類の意志と行為で決まる。それが因果である。で、どうするか。何が大切か。人間レベルの分際を認めることである。本体は魂と認識することである。そして神仏としか言いようのない存在に対する畏敬の念を取り戻すことである。祖先が子孫を守る。祖先を大切にすることである。何時までも無知でいても仕方ない、と知ることである。そして、これ(神仏との邂逅)こそ人類の夢であったその夢を実現することである。本当の生命体としての生きる意味をここに見いだすことである。宇宙は大自然であり、魂である。これが21世紀の三位一体である。護念する者は護念される。衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も、我がこの土は安穏なり、という仏の約束を事実として享受することである。それ以外はあらゆる文化現象が虚妄である。と。
●21世紀は魂の時代。地球も進化した。人類も進化して、地球の未来を真剣に考える時代を迎えた。地球の担い手として。地球の未来は私たちの今の意識と行為が決定する。真のグローバル化時代の到来。地球を考える。環境を考える。人間が考える。地球の未来に対する人類としての責任は何か、と。(もはや地球環境あるいは他者に対する犠牲の上に成り立つ個々の利益追求の時代は去りつつあるのかも知れない。新しい土壌を形成して、正しい競争社会のあり方を考える時なのかも知れない。社会の目的が人々の暮らしにあり、人間が構築していくものであるなら、どうにもならなくなった時に撰ぶべき手段は何か。平和。人類としてのリセットもある。人類も自らの未来に対する選択権を行使できるところまで進化した、大人になった、と胸を張れるようになったのだから。)
●強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きている価値はない。(フィリップ・マーロゥ) If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive
●寒い冬、あたたかいのがごちそうと、さりげなく言う君の、いくつもの季節を経りし故のこと。かつて日本はやさしさに向かって咲く花のようであった、と辻邦夫が書いていた。心の周波数が、やさしさで共鳴するとき、幸せな世界が、昼下がりの、のどかな、おだやかな、たおやかな、さざ波の上の光の子たちの、舞う水面にうつる、それはある日あの時のあの海に、青さと浜の、寄せる波音、そしてremembrance (That's happy days.)。
●仲良くすること、楽しくすること、幸せであること、すべて、気持ちの問題だった。昔の物語に書いてあったように。21世紀は、ハードからソフトへ、すべてが移行していく。正直さでいることで、神様からも、仏様からも、諸精霊様からも、心から祝福される時代でありますように。魂としてのDNAが進化して、清浄さの故の箱船に、みんな乗れるといい、と思う。きっと美しくなれるから。

●呉市中央公園にメタセコイヤがあります。メタセコイヤは中国原産裸子植物である。私の小学校の時の卒業記念樹でもある。
●音戸の瀬戸の音戸大橋と清盛塚。清盛がこの瀬戸を開いた。私は祖父に連れられてこの大橋の建設をよく見に行ったものだった。この瀬戸は流れが速い。スズキがよく釣れる。近くには海水浴場もあって、父とよく泳ぎに行った。国民宿舎音戸ロッジもある。この瀬戸を開く完成予定日に日が沈み始めた。清盛は扇で太陽を仰いだ。すると没しかけた日が再び昇ってきた。伝説である。清盛が宇宙とリンクしていたということだろうか。
●呉市野村先生の造ったヨット、アメリカ号は川原石港に停泊しています。このヨットは実物の1/2。世界ヨット大会が横浜であった時、各国のヨットから祝福されました。
●父が復員して持って帰ったモノは、ケンパスのパラシュートと海軍の毛布だった。そのパラシュートのヒモは絹であった。父がドコにいたのかもはや謎である。それらは、子供の頃に色々と姿を変え、消費した。
●呉を紹介するのに選びたいのが、吉田健一著『定本落日抄』の中にある「呉の町」という一文。「呉では人間竝に、といふのは、二十世紀の文明人竝にその日その日を暮らすことが出來るのを感じる」「併し呉の大通りを夕方、歩いてゐれば寂しくなることが出來る。この寂しさがパリでパリの詩人たちを育てたもの、…」
●呉市役所と呉市議会と呉市民ホール。ところで、練兵場というのがあった。呉の鎮守府ができるというので亀山神社が移転となった。そこに一本の椿の木があった。移動させようと掘る職人が何人も倒れた。そのままそこにおかれることになった。最近になって枯れた。今では、観音さんに彫られて、呉市入舟山記念館の中にいる。
●プライバシーの権利: the right to let me be alone(川島武宜)
●『何故生きる』(一万年堂出版)というのがある。RCCラジオでプレゼントもある。[2005/04/17]
●人生は思い通りの人生となる。思い通りとなるまで、あきらめず、思うことだ。これが信じるということである。何を信じるか。自分自身を信じる。かけがえのない人生である。一生が試合である。命を終えるまで戦い抜けばよい。どのように自分を構築するか、一生を掛けてのテーマである。人生そのものを作品とするのである。それが人生というものである、と思う。
●愛とは、唯一、パワーを得る手段である。人間は、愛なくしては何もできない。これは情熱であり、パッションである。休息はひとつの事を成就したときである。人間に於いて、その人のかけがえのない色を出す。どのような色となるか。陶芸に等しい。窯から出してみなければ解らぬ。これが人の器ということである。古いものも生かす。今を生きるために。何を以て人生の目的とするか。カンニングとかしていてはダメである。何故か。自分の実力にはならない。自分で作ったものは自分の所有である。土地は誰が創ったのか。
●やさしさとは何か。行住坐臥すべてにおいて、話し方も、指の扱いも、技術も何もかも。チカラがあるものがそのチカラを伝家の宝刀として温存している状態である。真剣とはやさしさと表裏である。これを知ってやさしさがわかる。
●「次第」とは惜しみなく譲る事と聞いているが、それを「第一義」と言うらしいが、それでは、「一義」とは何か。冠をはずし何もかもない状態で勝負して勝てるモノがいるか。勝てはしない。道元が空手にて帰還した理由がある。

●トルストイの『戦争と平和』は学生の頃、通学中の電車の中で、吊革につかまりながら読んだ。岩波文庫で何分冊であったろうか。はじめは面白くなかった。しかし第四巻あたりからガゼン面白くなった。いよいよナポレオンが登場した辺りからだった。クトゾフ元帥との戦いだった。しかし、勝負を決めたのは冬将軍だった。その中で、主人公に値する登場人物像は五百人出てくる。モームの『絆』という作品がそのテーマに於いて一ページが各作家の一冊に等しいに等しい。さて、『戦争と平和』主要主人公は二人である。アンドレィとニコライである。ここで思い出すのは、源氏の頭領であった頼朝が何故伊豆にいたかである。それはどうでもよいとして、ニコライであるが、彼はその告白に於いて、二度過ちを犯したという。どのような過ちであったのかもう覚えていない。ところで、判決文で重要な箇所は主文とか理由とかではない。事実と傍論である。傍論は最高裁判所の専権である。と、思う。さて、『戦争と平和』も第八巻になると、一ページ、一ページが惜しくて惜しくて、ゆっくりとページが終わらないで欲しいと思いながら、読み、読み終えたことを覚えている。今も、その余韻の中にあるかのように思われる。あたかも、ワーグナーを敬愛してやまなかったその弟子ブルックナーがその訃報を知って、第七番の中に静かな思いでコーダを書き加えたかのようなそのような余韻である。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』において、ラインの黄金を巡ってストーリーが始まり、第一夜において、地獄の黙示録となり、第二夜において、ジークフリートの葬送でクライマックスとなる。やがてワルハラ城も燃えて神々も契約を破ったが故に滅んでいく。そこに出てくるトネリコの木はすでに老子が書いていたのではなかったか。便利な木から切られ、山奥の曲がりくねった木は見向きもされない故にその生命を全うする、と。それはまた菩提樹ではなかったのか。レクイエムはどれを聴いてもよいものですね。

●私の高校の頃からのテーマは、就職でも進学でもなかった。『何か失われた大切なものを求めて』であった。それは、本来の価値ともいうべきものだった。そして、それこそ、森有正氏がその全集の続編か補遺かに書いてあったことだった。すなわち、それが『経験』ということであったのだ、と今にして思う。2005/09/26 15:50 NHK-FMを聴きながら。そして、今思い出すのは、『紫電改のタカ』という漫画である。情景は南の島での出撃の合間の風景であり、泣くときは一人一升瓶を置いての夜の浜辺である。

●挨拶とは何だろう。「おい」、「はい」。返事は大切だね。キャッチボールだね。その漢字の覚え方は、ムヤクタ。
●色について:金は慈悲。銀は平和と聞いたことがある。さらに、赤は博愛。白は清浄。黄は建設。黒は堅固。青は安全。と。しかし、赤は、止まれ。黄は注意。青は進めである。世を惑わす記号論など、何とかならないのだろうか。勝手も良いが、世を混乱させるのは勘弁願いたい。迷惑千万この上ない。と思うことがよくある。記号論などどうでもよいから、信号論でも論じては如何かと思うこと多である。 Simple is the best!. に決まっている。世を惑わして、所得しようなどと考えないことである、と思う。いい加減にして欲しい、と思う。時代の風向きは完璧に変わったように思われるのだから。点検!初動捜査にしても、無いに等しい。それで行政と言えるのかどうか。とても納得いかない。権利の上に眠るもの(時効理論)とは、今誰か。

●私の好きなエディタは、MIFESのMIWでした。パソコン通信時代の通信ソフトはマイトーク、大好きでした。最初に買ったワープロは、東芝Rupo初代機。次に、学習塾経営時代に使ったのが、ミノルタの業務用でした。とても良い機械でした。その後、購入したワープロは、やはりミノルタのワープロ。バレンシアオレンジの文字が良かったです。次にバレンシアオレンジに出会ったのは、初めて買った携帯、AUは京セラ製のバックカラーでした。さて、始めに買ったパソコンはPC-9821AS、大好きなマシンでした。その次もずっとNECが好きでしたが、DSV機に乗り遅れて、苦杯をなめましたね。その後、SONYのC1初代機。このキータッチはIBMのThinkPadを超えていたのかも知れません。ドライバはIBMでした。そして、やはりNECが好きで、それもMATEが好きでした。で、98はXa20Wが最期となりました。その後、GateWayもしばらく使いましたが、あまり好きになれなかったのは、スペックはよいけれど、規格が独特だったこと、つまり、パーツの汎用性がなかったことでした。そして電源冷却用の騒音は堪えられなかった。ガマンして使っていたというのが正直の処でした。その後、COMPACを使ったこともありましたが、とても良いできでした。しかし、ディスプレイがいい加減でした。それは、USBの辺りの実験機だったのでしょうか。消費者と一体となって開発したはずでしたが、消費者に還元されたのは今ネットでしょうか。今は、デスクトップはDELL_OPTIPLEX_GX240。今にして思えば、ソフトとして好きだったのは、一太郎5.0と花子でした。今に、むしろ、この頃の方が、各ソフトのその質とやさしさにおいて優れていた、と断言したい、です。

君が代は今宵苔むしローリング(ストーンズ)。千代に八千代にさざれ石のごとく。意思は何か。何がしたいのか。目的は何か。その為に何をしたらよいのか。準備万端。出発。(2005/10/01 14:17)

●ある頃、粋な男は宵越しの金を持たなかった。持たなくても日々のくらしが成立する文化があったのである。その後、粋な男もお金を蓄えなければならなくなった。昔、粋な男には上納があった。今誰がその上納を消費しているのか。どのような使い方をしているのか。だから、永井荷風ものたれ死にした。遺された通帳には莫大な預金があった。石田純一的生き方は日本の恥である。世界はあざけっているだけである。世界は軽薄を好まない。

●アオサギはさえずることを知らない。常に一声である。その声はギャー。

●お酒も色々と飲んだ。呉春とか。最近、焼酎がうまくなっている。身体にもよいのだろう。私は、焼酎を撰ぶときお店のマスターに任せる。美味しい焼酎が出てくる。

●テノールの完成。こころの清浄を得て、奏でる。私はハイバリトンだった。男声合唱の美しさ。狩人の歌。オペラの始まり。その源流は西部劇の騎兵隊へそのイメージは流れた。父は西部劇が好きだった。

●ハイネも革命的な人だった。リストも銃をとった一人だった。ミケランジェリも大脱走した一人だった。チャイコフスキーは人生に於いて選択を間違えた一人だった。エルトンジョンも。その才能は素晴らしかった。惜しいことである。しかし悪の根は今抜かねばならないときである。ソクラテスは毒杯を仰いだ。キリストは敢えて磔に甘んじた。次元が違っている。事実をどう解釈するか、解釈するものの資質が問われる。本来のイギリス的考え方。悪の華、咲いたときに刈る。それまでは自由にさせておく。鈴木大拙のものの見方。泥棒もいる。だから面白い。六祖慧能の鉢。天下の大将軍がそのチカラで奪おうとしても微動だにしない。ベートーベンのピアノソナタ。彼の人生そのものである。30番、31番、32番。喜びの世界へ到達した。彼の最期の作品は、弦楽四重奏曲(?)。苦悶の旋律が最初に流れる。しかし、その旋律は二度と出ない。ベートーベンの遺言である。乗り超えることはできる、と。

●英語の勉強の要素:英語力。国語力。常識。

●2005/10/02 男と女について。本来子供は女が産む。男はその縁因子に過ぎない。因って、女はその子に対して永久責任がある。因って子育ては女の職分である。男の職分ではない。男の職分は女と子を養うことにある。本来の男と女の定義。男の子達が遊んでいる。遠くから女の子達は品定めしている。そして狙いをつける。恋の原点。女が男を撰ぶ。男が女を撰ぶのではない。因って女の意思に反する暴行は赦されない(略奪婚はすでに反省されている。反省とは間違えた同じ轍を踏まないことである。進化の条件)。為に男は自分を磨く。女も自分を磨く。共によき伴侶を得るためである。所詮夫婦は似たもの同士である。磁石のN極とS極がひきあうようなものである。但しここにバランスが要る。バランスが崩れていることが、例えば性格の不一致である。因って往々にして恋愛は盲目となりがちであるので、お見合い婚による方が家庭としては安全な選択となる。男は本来狩人である。因って女が男には力において決して勝てない。力は男の本分である。何もかもが男女平等ではない。進化としてかぎりなく平等へ向かう。しかし、男の遍歴と女の遍歴は歴史的に異なる。ここ数十年のあるいは数百年のことで追いつくことではない。だから、女は相撲の土俵に上がれない。男の真剣勝負の場である。因って神聖である。因って、本来、家系は女系である。子供は母親に依存する。専業主婦であることの理由。キャリアと子育てはまだ両立しない。子供の為にならない。社会全体で子供を育てる?私は真っ平ごめんである。自分の子供は自分で育てる。私の子供が他人のDNAのお世話になりたくはない。専業主婦で幸せな社会にすれば良いではないか。本来の女の喜びを知るだろう。男も仕事を真剣にするであろう。これが本来の形ではないかと思う。マウスの如く実験するなら別論である。社会経済論で見落としている部分である。とか思われる。正しいかどうか、私としても、実は、確信はまだない新しい(実は古い)理論である。議論する価値はあるとは思われる。女は子供を産むために生まれてきた。その伴侶を探す。因って女は強い男を探す。男の魅力は容貌など関係ない理由である。男は女の容貌を好む。因って女は装う。男が装っているのは主たる要素ではない。これが男に真の実力が要求される所以である。昔は暴力が力だったか?そうではない。暴力も属性のひとつに過ぎない。制御された本当に強い男は何時の世もやさしかった。男の実力の主たる要素とは何か。知性。統率力。とか思われる。道を間違えていたのなら、間違えた地点まで引き返し、再び歩み始めればよいとは思うのだけれど。ここに本当の幸せの形があり、レディファーストの真の理由がある、と私は思うのだが、間違っているだろうか。

●ダンス、ダンス、ダンス。rain, reign, rein.

●鯛はさかなの王様である。次は人間に生まれてくる約束であると言われている。

●『正統と異端』『歴史を見る眼』

●恋とは大人への登竜門である。ドコで落ちつくか。結婚はバラ色の人生の始まりである。

●人間のあわれさ。相手が弱く見えればつけ上がる。本当の実力を見せれば逃げていなくなる。今の社会は本末転倒している。本当に強いものたちが生きられない社会になってしまった。誰がしたのか。思い上がっているものたちの社会である。だから、正統な本当に強いものたちが生きることができる地平を切り開く必要がある。すべて既存の概念がもう限界であるから。壊れた社会など用はない。だからと言って拒んでいるわけではない。分を知ってあやまるならそれ以上は問わない。現代社会の構成者はアクセルを一杯に踏んだ状態で生きている。危なくて仕方ない。本来強くてチカラを温存し制御して生きている者たちがドコにいるのか知っているのだろうか。一般人たちはこうした意味を理解できるのであろうか。少しみせしめなくてはならない時を迎えた。それだけのことである。強い者たちはいつも手加減することを知っている。それがプロということである。

●挨拶とは、問いに対する答えである。一問一答である。国語の問題に於いて、正解は何か。1.常識であるのか。2.問うものが用意している内容であるのか。3.自分の考えであるのか。2.である。

●所有とは、はじめに発見し、或いは作り、自分のものとしたもののものである。青春時代に何を自分のものとするか。これで社会に出世して個々の実践に於いて、勝負する。しかし、本来、社会とは弱い者たちの制度である。本当に強いものたちはそのチカラを排除された制度である。ならば、その外で生きるしかないではないか。世の社会に於いてデタラメしていることを反省するべき時である。天下を誤魔化せるわけがない。肘は外には曲がらない。水は下から上へは流れない。リービッヒの最小律。衆愚制の論理。ここに樽があるとする。その容量は一番低い板によって決まる。例えば経済行為の名に於いて何をしているのか。社会に於いて上部構造と下部構造がある。これを無視している事実がある。言語道断。

●2005/10/02 夜警国家論。見回り。小さな政府の条件。巡回。警察は身分に安住している。否。基準を失っているのである。彼らは、警察官職務執行法の意味を失っている。その第七条は何か。可哀想ではある。公務執行妨害ではない。警察官職務執行法である。違警罪の概念を身につけては如何か。そうすれば、警察官としての自信を回復する。頑張るべし。さて、Recently、飲食店及び屋台を点検した。目的的或いは教育的飲み屋さん巡りである。ある立ち飲みやさんがあると聞いた。行ってみた。素人の店であった。灰皿は何処かと聞くと、客の一人がこれをどうぞと差し出してくれた。そして、スタッフが来ると、生ビールですかと催促した。利益の出る飲み物である。ハイ、と答えた。メニューを一部始終見た。特色はわかった。性格もわかった。そして、次にスタッフは言った。注文が決まったら、これにメモしてください。手抜きしてるなと思った。そして、スタッフに聞いた。マッチかライターか名刺はないですか。ちょっと待ってください。これで終わった。思わず、お愛想と言った。捨て台詞は客を待たさないほうがいいよだった(ビジネスとしての第一条件である挨拶がなかったからである)。突き出しあるはチャームの味を確かめることもなかった。誰がリーダーなのかもわからない新しい店だった。立ち飲みというシステムも店の立場からする客の効率的回転のために過ぎない。と思った。次にラーメン屋さんに入った。既に何度か通った店であった。味は良いなと思っていた。プロの店である。古い屋台の流れである。その息子に当たるスタッフが何か不機嫌である。態度に出ていた。食えなくなった。思わず言った。何が気に入らないのか。いつもこうです。それでは客は来ないよ。みんな来てくれています。大将が言った。客はいろいろある。思わず言った。お愛想。五百円です。五百円銀貨は持っていた。しかし、百円銀貨を一枚一枚、音を立てさせながら、カウンタに並べた。そして捨て台詞は、お客は色々ですね。間違えないように、だった。ラーメンを食べ損ねた。それから、屋台へ行った。わかいあんちゃんに言った。この前、私の前を拭かなかったでしょ。これは、知らなかったのだが、拭かないことがルールであるらしい。大将が厳しく教えてくれた。これについてはシャッポを脱いだ。しかし、胸の内におさまらないものがあった。ぶつぶつ独り言を言った。すると、若い兄ちゃんが「はっきり言ったらどうか」ときた。思わず、お愛想と言った。大将も若い兄ちゃんの肩を持った。超プロの屋台であった。しかし、自営業の屋台店主は治外法権のつもりでいる。そもそも、屋台のショバ代は七千円かそこらである。屋台のために、呉市は電気上水道及び駐車場としてどれだけの支出をしているのか。屋台の駐車場の確保だけで一億数千万円である。少し前は、屋台の前のお客の車を県警は容赦なく取り締まった。市より県の方が上であるからである。今は野放し状態である。何故か。国が赦しているからである。さらに、呉市が屋台を温存している根本理由は何か。ある人が通っていたからではなかったのか。思い違い勘違いとはこれである。法を知らないにも程があろう。と思った。今、屋台はとても風紀が悪いと思った。客ではない。店主の思いである。行政指導するべきかも知れない。客のためになってない。自分勝手に計算している。思い上がり勘違い。上にある法を知らなすぎる。と思った。何故安穏に営業できているのか。さじ加減は商工店主の計算ではない。とても不愉快であった。さらに、屋台のある場所は歩道の上であった。それを避けるために市はどのような線引きをしたのか。市よ、自分たちのした行政について、追跡的に点検しては如何か。誰のための行政であるのか。地方公務員法に規定がある。地方公務員の使用者は市民である。結局、私は折れて平穏に事は済ませた。しかし、何故正しい客が折れなければならないのか。それほど、一般商工店主は企業の社長と同じで偉いのか。特別商工店主ではあるまい。誰がこのような概念を始めたのか。あるいは見逃したのか。ある日、ある頃、交通課の課長が夜の暴走族を取り締まる陣頭指揮をしていた。そして、信号の下で言った。「わかってやってください。彼らも寂しいんです。」テレビドラマでもあるまいと思った。さらに、昼間のことである。歩行者がいるのに、優先的に道路を通過した。夜のお店を相手にする酒屋の業者だった。あるいはクラクションを鳴らす業者もいる。業者はそれほど強いのか。「業務上」の意味を知っているのか。また、夜のことであるが、軽自動車がバックを始めた。クラクションである。前照灯は点いていなかった。私が普通免許を取得したときだったろうか。あるいは更新のときであったろうか。講師は言った。イギリスでのことである。その被試験者はプロ並みのドライビング技術を持っていた。しかし、落第した。試験官は言った。君は横断歩道で止まらなかった。老婆が渡ろうとしていた。と。マナー。基準は謙虚さ。上を敬うこころ。頭は自分ではないという意識。本来の頭は別にある。これから高齢化社会である。第一線で仕事をしてきたトップクラスの方々が街に出る。そのためにどのように準備するべきなのか。最大の消費者層である先輩諸氏のためにどのように行政するのか。その方々の審査基準は当然高い。さらに、観光として立っていくなら世界から旅行者を迎える。世界水準の観光としての青写真は持っているのか。とか思った。最後に、歩いて夜の街を歩いて帰った。ゴミだらけだった。ゴミを落とすものが悪いのではない。清掃班の職務怠慢である。夜の街が汚れるなら、夜勤清掃班がいていい。しかし、唯一救いがあった。ストリートシンガーの路上コンサートである。思わず、しばらく、聴き惚れた。けだし、こうしたことも、自然淘汰に任すしかないのではある。

●2005/10/01 今日もよいことがたくさんたくさんありますように。そして新しい時代が早く実現して正しい人びとのしあわせが確実となりますように。幸せとは、たとえば正しい人に訪れます。新しい正義論でしょうか。働くとはハタが楽になることだと聞いたことがあります。幸せはドコかと縁があることです。それは、ドコでしょうか。お金がなくても正しい人は生きてゆけます。かつてキリストは言いました。貧しい人こそ幸いなりってね。さて、今日も元気です。なんとかなるさって風の声。為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人のNASAぬなりけりは本当です。新しい時代は正しい人の時代である。そして、いよいよ純粋な若者達の時代である。すべて準備は完了している。ように思われます。良い時代の夜明けのように思われます。こうした時代が訪れつつあることはとても喜ばしいことだと思われます。正しいこととは、自分に正直であることです。本当の自由の定義。私が中学の頃、緑のボールペンが現れました。その使い方を習ったのは、国語の先生、福間先生からだったでしょうか。よい先生でした。野球部の監督もしておられました。野球部員の条件は成績のよいことでした。私が教科書を読むと、声が良いということで、倍の得点を頂きました。思い出されることの一つです。「の一つ」と「一つの」との違いを教えてくださったのは筑間先生でした。順序。秩序。頑張った人にその才能に於いて正当な評価を。一部のグループのその既存グループというだけの利益独占ではなくて。正統な方々への。今、お金は、本来、その人の魂あるいは命を削った行為に対する対価である。新しい時代の金銭感覚。芸術。正しいこととは純粋であるということ。魂の対価としてのお金はどのように使ってもキレイです。正しくない人のお金は正しい人を通過することで浄化される。のではないかと思われます。今、正しい人のグループが若者達です。そのように思われますね。勿論、若いとは年齢の問題ではないですね。精神の問題です。すでに精神の自由を得た方々、あるいは、それに対する可能性を信じている方々がいるのです。諸芸術は時代の鏡です。諾。芸術的的行為論。目的的行為論。意思の正しさ。主観的。基準。結果は自ずから現れる。客観的。事実と意思の問題。調査。確定。処断。火裏蓮。精錬。純粋。嘘という不純物をどれだけ精錬するか。その方法は何か。努力。諦念しないこと。作品(works)。個人の時代。鉱脈は内面heart or soul。soulful 新しい時代。soulful or spiritual new age 開拓団!に乾杯。フロンティはいつもある。いつまでもある。これがfor ever ということ。安住しないこと。これが冒険の定義。前進あるのみ。今再びボブディランの進軍ラッパが鳴り始めているよ。私がよく聴いたロックバンドンの一つがELPでした。グレグレイクが好きだった。彼がある頃、酒浸りだった。仲間はただ見守るだけだった。エルビスプレスリーが好きだった。ハワイ講演はテレビで一部始終見た。そして、AirCheckで自分のテープを持っていた。そのテープはサスピシャスマインドでフェイズダウンした。これが好かった。今はもうない。聞きすぎたのかも知れない。さて、プレスリーのソングで一番好きなのは『マイボーイ』だった。父もこれを大音量でかけると驚いていたのを思い出す。デイビィブーンで好きだったひとつは『カリフォルニア』だった。リンダロンシュタットも好かった。坂本龍一がある日ビッグなアーティストに面会を求めた。相手にして貰えなかった。ゴルフでタイガーウッズが何故強いか。彼は、祖先の良いところを最高級に組み合わせ組み立てたからである。そして神業としての妙を得たからである。しかし(強調)源泉はロックンロールスピリットだね。自由に定義は要らない。自由は自由が作る。かぎりなく透明に近いブルーなんて過程に過ぎない。ドコを目指して開拓するか。掘るべき処はドコか。空海はその行脚に於いて何を探していたのか。彼もsome鉱脈を見つける天才の一人だったのだろうね。吉田健一氏は言っていた。天才は自分が天才であると知ってそれが何でもないことに気づく、と。諸作品はそれ自体その人の人生の後世のための一里塚に過ぎない。道標。信じた道を歩む。必ずゴールがある。若者達は良いね。夢がいっぱいある。既存のゴールを延長する。長いレースだね。人生って。最長不倒距離。現代版パラダイス。基準。標準。開拓。基準。標準。開拓。前進。出発。安住する人。新たな出発。開拓。基準。標準。世界。過程。作品。一休み。出航。航跡。サスライではない。目的的航海。風を読むのではない。時代の節目には風を呼ぶキャプテンが存在している。安全。必勝。信念とは嘘より危険な真実であるはニーチェ。信じるものは救われるはキリスト。はじめに言葉ありきはバイブル。言葉は紡ぐべきもの。蚕が糸を吐くように。呼吸。リズム。変拍子。通奏低音。刻む。刻印。stamp。いつのころだっただろうか。私は南沙織をよく聞いていた。シンシアだった。子供の頃、日曜日は必ず祖父と一緒だった。広島のデパートへ出かけたり、岩国とか宮島とか。岡山へも行った。徳山へも行った。下関へも行った。ときには、祖父の仕事のお伴もした。刑務所への慰問であった。動物園も水族館も行った。展覧会へも行った。父は最後まで現役機関士であった。最後の乗務は徳山岡山間のブルートレインだった。自由人だった。私の夢はパイロットだった。しかし目が悪かった。今パイロットになった気分ではある。夢はかなったのだろうか。あるいはトリとなったのだろうか。インターネット空間のね。そのように思われる今日です。インターネット空間に於いてトリとなるための方法序説。しかし私は本を書くことはない。そのような暇はない。キリストは言っていた。思い煩うことなかれ。食は与えられている、と。international_internet_World.

●私は、中学の頃、軟式テニスをしていた。呉市では二本シードだった。しかし、優勝しようと思えばできていたと思う。何故か。呉市の一本シードの前衛は小学校の頃、一緒に遊んでいた仲間の一人だった。八十島直基くんの仲間だった。だから、勝つ気持ちになれなかったのは、本当のことである。安芸郡の一本は破っている。しかし、広島市の一本と二本には勝てなかった(中3で負けたのはこの三敗だけだった(その後、思い出した。この二本に負けたのは中2の時だった。因って中3時代は二敗である。この頃の成績は、勝率にすればどれだけであったろうか。)後の個人戦は何故か雨で流れた)。県体育大会でのことだった。呉市チームは優勝候補のひとつだった。しかし、一回戦で敗退であった。一本が出て4−0、二本が出て4−0だった。後が続かなかった。思うに、予選の組み合わせが悪かった。本当に強いチームが勝ち残れないものだった。つまり、いてくれたらというチーム(谷・金木)を僕たちが破っていた。団体戦に出るのに、弱いチームを作ってどうするのかとその頃思った。その後、テニスは止めた。

●小学校の頃、剣道をした。防具は借りた。冬のかかり稽古のことだった。先生は県警の窪園七段だったろうか。身動き一つしない。竹刀は太かった。何度か面をうった。くるりと向きを変えるだけである。思わず面が入った。ホシがでた。試合では三位だった。何故か一本とった。判定は下がり小手。初めて聞いた技だった。咄嗟のことだった。賞品はセーラーの格好良いボールペンだった。しばらく使わずにおいておいた。使わないまま何処かへ行ってしまった。剣道はこれで止めた。剣道の極意。気剣体の一致。ここに姿として美がある。

●今日、15:00頃電話がありました。用件は澄んだのですが、相手はとうとう名乗らなかった。名乗ること。信用の条件。

●ところで、キャノンのシャラポワの立て看板って好いですね。手ぶれはゆるさない浜崎あゆみさんのパナソニックのも好いですね。呉にも来てくれました。その声は、その練習中に広行きJR電車の中で聞かせて貰いました。そのコンサートの大道具のスタッフの一人が友人の一人です。

●最も効率的なダイエット法は頭脳を使うことです。つまり、常にハイビートで考え、ローな制御された答えを出すこと。

●solution : problems soleved by man's skills (単語は口と手で覚えると良いよ。つまり書いて声を出すと良いよ。)

●今も昔もこれからも、常に足りている。足りないものは何か。勇気。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。重さとは何か。質量とは何か。試練。密度。純粋。何を精錬するのか。精神である。精神一刀。切れぬものはない。精密は日本のお家芸である。

●Think it!

●私は漫画が嫌いだった。そのデッサン力とインパクトが好きではなかった。しかし好きだった漫画家はいた。ちばてつやとか松本零士とかハギオモトとか。手塚治虫は好きではなかった。

●作るべきは自分のネットワークである。大切なのはドコに繋がっているか。源泉をドコに求めるか。水も流れ始めれば自ずから流れはできる。結果は後から着いて来る。そのための勉強だよ。そして定職を得る。頑張ろうね。

●パソコンは道具の一つに過ぎない。よく切れるナイフに等しい。

●水清くして魚棲まず?今まではね。これからは、水清くなくんば人住めず。

●呉で今のところ私が一番美味しいと思っているラーメンは、『まごころ』。

●私はビートルズよりもローリングストーンズの方が好きだった。今もsoである。思い出すソングがある。確か『夜のカゲロウ』だった。泉谷しげる。

●地球が資源であるとして、一切無駄はない。すべてをリライブの時代である。真実のみが生き残る。クラシックとなる。これがフォトンベルトの意味でもあろうか。始まったのだ!生命大歓喜の大祝祭の21世紀。
Have a nice Day!_OK!

●昨日不愉快だったのは、ある電化製品量販店パソコンコーナーでの出来事でした。「『知子の情報』はありますか。」「ないです。」「あると思うんですが。検索して貰えませんか。」「ウチのシステムではそういうことはできません。」「できるかどうかして貰えませんか。」「しばらくお待ちください。」「お待たせいたしました。3件ヒットしました。」次に、ミニSDを買おうと思って商品カードをレジへ持って行った。内部書類でも処理していたのか中腰の営業の方に声をかけた。すると、「お待ちください。」「亦今度にします。」すぐに対応していただけるムードではなかった。どうなってんだろうと思った。

●2005/09/30_2 さて、議論の仕方ですが、はじめに論点を明らかにして、協調ムードで始めるのはよいことです。師は弟子に対して、さぁかかっておいでと受けます。そして、議論のゴールを伏線します。次のリーダーとして託せるかどうか、真剣勝負の始まりです。弟子は、わかりませんと切り返します。これでもう勝負は終わりです。つまり、議論が成立しなかったのです。さて、国の仕事は何か。国の仕事は国の仕事であり、地方の仕事は地方の仕事です。機関委任事務は国の仕事です。小さい政府大きい政府の問題は政府組織の規模の問題ではない。その事務をドコが担当するかです。民間にできることは民間に委譲するという意味は何か。民間がその事務を委任されて処理できる能力を持っているということが前提です。だから、民間に委譲するなら、民間として準備が要る。つまり行政法學的勉強が必要であるということなのです。そして、次のリーダたるべきもの師の鉗鎚を経なければならない。譲るとはそういうことなのです。だから、例えば民主党が政権を握りたいならこの国家組織の約束を理解しなければなりませんね。今はどうか知りませんが、例えば保護司は非常勤国家公務員でした。そしてみなし公務員という概念もありました。また、私が学生の頃、行政法の民法化が議論されていました。今、その場で、何が議論されているのか。それから、筑間先生の下で勉強していた頃、ある高裁長官の講演で、憲法の学生が質問をしました。すると、長官はおっしゃいました。学説のレベルでよく議論して、裁判所として採用できるような形にして、提案して欲しい、と。そうすれば、裁判所として喜ばしい、と。実務。現場。執行。子供の遊びではない。議論の前提。水は高きより低きへ流れる。全体としてのレベルアップ。進化。勉学。先輩は後世のために惜しみなく譲る。これが、譲るということではないでしょうか。言葉の使い方。礼儀。弁論の全趣旨。議論の内容である。個々の論点が議論ではない。所詮人生は冒険航海である。巻き舌では誰も聞くに堪えない。気迫。音声。立場。YouSee!日々訓練。人たるものどうあるべきか。強さが制御されたということ。それがピアニッシモ。弦楽の調和。透明な緊張感。自然体。自己を確立し、自己を奏でる。努力と才能。環境と素質。フォルテは自由。自由であって、法を超えない。達人。完成。手抜きはないか。いい加減はないか。嘘はないか。
点検。真剣勝負は捨て身でなければ勝てない。簡素。しなやか。名人。準備。立ち合いの美しさが勝負を決める。これが本来の大和魂であり、武士道であり、海軍魂であると思うのです。私の家族のものは誰も私に言って聞かせることがなかった。しかしいつも見守ってくださっていた。常に選択肢を自分で撰ぶことをさせられてきた。痛い目にもあった。これが経験させるということであり、真の伝家の教育であった。何度失敗をしたことか。自分のチカラではどうにもならないこともあった。いつも助けられた。何とかここまで生きてきた。スパルタ教育の原型である。事があると私はいつも身を引いた。相手の生活を壊したくはなかったからである。これがクラシックのチカラを持つ精神である。と思う。歴史の勉強の仕方。年代記の柱を立てる。その間隙を埋めていく。演繹的証明法。自由。国家なくして自由はない。国家論。民族論ではない。新ベルサイユ体制。思い上がり、勘違いの再構成論ではない。(まるでモンテーニュみたいになっている。)後ろは振り返らない。問うこともしない。前進である。ゆっくりと。しかし確実に。はじめが肝心である。

●2005/09/30  かつて、末は博士か大臣かと言われた時代もありました。今はどうでしょうか。私たちが学生の頃、最も有能な方々は、民間へ。そして、それぞれの分野で、活躍されたことでした。戦争の頃はどなたが活躍されたことでしょうか。それぞれ、時々に於いて、精一杯考えてのことでしたね。さて、いずれにしても、失敗もいくつかありました。『選択の自由』ということが言われて、やっと、その意味が実現しようとしているのでしょうか。つまり、小さな政府です。まさに、ひとつの時代の選択がなされようとしているようです。世界がこれから進むべき道で、日本も、名誉ある地位を占めたいものです。機関車のように、牽引して欲しいものです。それほど、日本は素晴らしい知性の国ですから。それが、何故、ここまで逼迫していたのか。思えば、日本の知識人の方々も申し訳なく思っておられることでしょう。何かが間違っていた。その何かに気づくに十分な頃となりました。化石燃料からの脱却が必要な時代です。環境を汚染したことは経済至上主義の結果であるのかも知れません。世界全体が、ブレーキングでしょうか。かつて、第一次世界大戦の時、その反省として、国際連盟ができました。提唱者は、ウイルソン大統領でした。しかし、アメリカでは、他国に対して干渉しないから他国からも干渉されたくない、といういわば鎖国的モンロー主義ということもあって、それ故に、アメリカの参加はありませんでした。さらに、国際紛争に対する、物理的強制力としての国際連盟軍もありませんでした。それで、第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできなかったのです。今、国際連合がありますが、この機能はどうでしょうか。世界の平和と、その中で、人が生まれてきた本来の意味あるいは目的を成就すること、つまり、くらしということを、真剣に考える時代です。このくらしということが、ひとつの特権として、限られた方々にのみあるわけではないと思われます。このくらしということを言っていたのは、吉田健一氏ですが、まさに、もっともっと、多くの人びとが手にするべき時代です。これが、進化の道筋だと思われるのです。だから、すでにそのレベルに至っている方々が、むしろ、自分たちだけのものとすることなく、多くの人々に還元する意識の喚起の時代だと思われるのです。最大の刑事政策は、社会政策だと論じられていますが、何故か、すでにくらしを得ていた方々は、そこに安住していたのではなかったでしょうか。そして、或る意味で、まだくらしということに手の届かない方々に対して、蔑視もあったでしょうか。新しい差別でしたね。それで勝ち組などと思うのは間違いであると思うのです。だから、ここで考えるべきは、後者の暮らしを前者の水準までできるだけ引き上げるという考え方だろうと思われます。前者の考え方の意識転換です。これで、アクセルを踏めば、きっと、平和の中で多くの人々の幸せな世界が訪れると思うのです。これが、現代版最大多数の最大幸福への道ではなかろうか、と。目的が定まれば、チカラの合力を如何に形成するかですね。ソクラテスではないですが、その方法論は対話でしょうか。これが唯一平和的な方法論だと思われます。それは単なる議論でもなく、会議は踊るでもなくて。正しいと確信している方が、むしろ教育的配慮を以て、耕す或いは引き出すという意識で、いわば子供を育てる気持ちで、忍耐強く。飴とむちとか右手にコーランを左手には剣をという方法論ではなくて。ここで思い出されるのは、中国の首脳が、悲しい第二次世界大戦については、次の世代に任せるしかないと言っておられたことです。まさに、その時が今であるのかも知れません。人として生まれてきた以上、くらしがある。人権とかはその手段である。アンダンテカンタービレ。地に足をつけるという感触は確かにある。台地を掴んで歩く。

●鳥の世界も人の世界も同じです。これは、ファーブル昆虫記のテーマでもありました。社会ということ。秩序ということ。その中でそれぞれの生命活動があるということ。新しい整理は、樹状構造の如く、全てに於いてやさしさを理念とした階層構造を秩序として確定することにあるのかも知れません。それが、順序でもあろうと思われます。人びとのくらしを担保するために。七色の外に紫外線もあり、赤外線もある。それが、神仏の世界ではなかったでしょうか。七色も赤橙黄緑青藍紫と並び方は決まっています。これが自然の法則でもあります。世界秩序も自然の法則へ収斂して初めて安定するのでしょうか。人工衛星が軌道を得て軌跡を得るように。それは帆船が航跡を描くように。いわば、空間図形に於いて直線としての最短距離として。そこへ向けてのこれまでの哀しい戦いの歴史であったのでしょうか。

●門前の小僧経を読み、とか、論語読みの論語知らずとか。何事も卒業がある。そして次の旅が始まる。経を読んで經を卒業する。論語を読んで読み終えて何かを掴んで自分の薬として所有する。出発。次の駅へ。東海道五十三次。

●本来の自分への回帰。自信。余裕。リラックス。スピーク・ナチュラル。作ること。楽しむこと。マニュファクチュアリング。フリーハンド。喜び。

●孔子の理想は周王国の復興だった。これは、まさに
「周りが楽になれば自分も楽である」という王国だったのだろうか。だから、すでにハイレベルの方々は自分の王国を持っている。これが、男のロマン。自分のワールド。よい意味での個人主義。それを担保する自由民主主義体制。夢の実現。王国としての個人の確立。孔子は三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知った。今、寿命は長い。今からでも十分間に合う。賢者を援用する。先輩を師とする。訓導。至福。

●ビッグバンド。秋吉敏子さんの足跡。ピアノ。米軍基地。

●青の時代。白の時代。ユトリロ。酒。ゆとり。明るさ。かろやかに。形容動詞。形。すがた。容器。美しさ。喜。

●なぐさめ。慰安。慰霊。祈り。願い。やさしさ。

●才能。好きこそものの上手なれ。好きなことを生かす。趣味。

●捉え方。半分しかない。半分も遺っている。

●タッチ。制御(コントロール)。こころの周波数。他者を思ってする行為。やさしさ。融合。ジャムJAZZセッション。

禅譲

●神は人智を越えているという。人は自分より格上の人を評価できない。ここにゆとりの生まれる所以がある。これが間合いでもある。距離感。

●リーダーシップは旗艦にて、1588アルマダ海戦破りしは、キャプテンドレイク。リンカーン大統領16代。21世紀の約束はこころの大地を開くにこれありて。資源は地球で無限です。

●2005/09/29
はじめに買ったミニバイクは、スズキ『蘭』だった。安全なバイクだった。
その後、ずっとホンダ『タクト』に乗っている。
いつも憧れていたのは、KAWASAKIのバイクだった。
はじめに乗った自動車は、どこかの軽だった。カーブが怖かった。
愛車は、マツダのMS8の最高級車だった。しかし、ある人に預けたら、廃車にされた。
今は、お金がないので買えない。
私は軽など乗らない。あのタイヤでは怖すぎる。
タイヤは、やはりブリジストンだろうね。
中学の頃、F1が好きだった。F1の魅力はその瞬発力にある。つまり、加速とブレーキング。あるF1ドライバがご褒美にF40をもらった。で、感想はと聞かれると、遅いね、だった。ルマンでは一度ロータリーエンジンが優勝した。一度で十分だった。データはとれた。しかし、その直線に今シュケイン或いはクランクがあるのは何故だろう。車がそのコースを超えた。その性能に於いて。新しいサーキットが日本にできるといいね。テニスでは、ウィンブルドンをよく見ていた。その頃、ルーチェロータリーが出た。とてもカッコよかった。

●さて、バイクでも、車でも、かなりの怖い目をしている。
そして、今思うのは、車の運転で一番大切なのは、アンチタイヤロックだ。
つまり、ブレーキングだ。次の段階を考えてのブレーキングだ。
F1が好きだった。セナはいつか大事故をするとプロストは言っていた。
私は、プロストの走りが好きだった。
彼は、ボディがまだ柔らかい頃からのF1選手だった。怖さを知っていた。
だから、彼は常にゴールを描いて走っていた。プロフェッサーの走りであった。
勝つことを確信した走りというものがある。これがプロの走りである。

●サッカー中田選手の才能ははじめに見たときに、間違いないと思った。
野球井口選手もそうだった。才能とはこういうものかと思った。身体の動きが違っていた。二人は、まるでしなやかでバネのようだった。フットワークとしてのステップが違っていた。
さて、中田選手の愛用のパソコンは、ソニーC1初代機だった。彼が動くとき、日本が動く。彼はその意味で、日本の象徴の一つ。ますます、期待している。彼が出ると楽しみ百倍である。しかし、フォローするスタッフが足りないことが多い。彼はやはり、司令塔である。と、思った。そして、象徴ということの意味について習ったのは、刑事政策森下忠教授からではなかったろうか。と、思い出される。
ところで、野球松井選手は努力の人。ドコまで努力で大きくなるか、楽しみです。そのためには、先輩達の惜しみないエクスパイアが彼にはある。彼はもうそれを吸収している。だから、彼は、彼自身の世界で模索し、結果を出している。素晴らしいことであると思う。これが、スポーツマン精神である。と、思う。

●寿司屋さんの極意はその酢にある。代々種としての酢を種として使う。おでんのダシも同じである。酢の作り方、ダシの作り方。秘伝である。全てなくしても遺るもの。それが代々の酢であり、ダシである。これが伝家の宝刀である。大和魂(日本精神・にほんのこころのふるさと)もその例外ではない。YouSeeit! YouFindit! SoFound! 天高き秋。少し空気は冴えてきた。今日の上着は何にしようか。と思えるくらい、周囲の空気が澄んできた。諾。自分の環境は自分で作るということを吉田健一が何処かで書いていた。空気も自分が澄めば澄む事もあるのかも知れない。これをもって、住めば都ということなのだろう。果報は寝て待つしかないのかも。為せば成り、為すべき事を為して、天命を待つべきものと。そして大森ソウゲンの本の何処かに書いてあった。全うに生きて、死ぬようなことがあれば、その第一号になれってね。
今、あらゆる周波数が『やさしさ』といふことで解決する。と思う。
各企業はそのネットをアダプタで純正を目指している。新しい時代のゲームの始まり。接続(森下教授は接着)。切迫ではない。切り替え。ポイント。10月から、呉線では新しい列車が走る。文章の極意。そこにその場面(シーン)でふさわしい言葉は一つしかない。撰ぶこと。言葉を選択する技術。OK!全てよしとする瞬間を得たとき、はじめて人は安堵し、ほっとする。芸術の極意である。楽。楽焼きの創始者は私の祖父である。子供の頃、祖父と一緒に私も祖父の楽焼きを手伝った。燃料は松の割木だった。温度は2000度くらいであったろうか。あるいは、3000度であったろうか。忘れてしまった。家に小さな窯があった。祖父の手作りだった。祖父から習ったひとつに鋸の引き方がある。ピンからキリまでではない。もっとである。
総論賛成、各論反対の時代は終わった。各論の始まり。一般論ではなく、個別具体論の始まり。
大学受験の頃、社会を二科目選択しなければならなかった。私は世界史と日本史を選択したことだった。その頃、印象的だった言葉は、王の目、王の耳だった。小学校の算数の頃から、私は好んで時々の難問集ばかり解いていた。今、時代の難問は何か。そのリトマス試験紙はドコにあるのだろうか。mcg. MKG. 単位の定義は何か。さらにその基準は何か。公理、定義、定理。気圧は何故ヘクトパスカルか。今、ニュートンの時代ではない。アインシュタインは言った。私の理論は仮説に過ぎない、と。いつか私を超える理論の時代が来る、と。その理論はドコにあるのか。誰が見つけるのか。楽しみはこれからである。これが、世紀ということであるのかな、と思った。新しい宝探しの始まり。だれが、どの宝を手にするのか。すでに、地図はある。新しい地図探しから始まる。さて、私は何を探そうか。勇気百倍、お楽しみ千倍。アプリーシエイトという単語から始めることも良いことかも知れない。キリストは言った。はじめに言葉ありき、と。既に、フィールドは世界である。夢は夢幻であった。今夢は無限に実現する。世界はみんなにエールを贈っている。勇者よ立て、と。そして戦いなさい、って。各勝利の瞬間の喜びこそ、人生の醍醐味、と。どの分野もリセットされている。そして、すでに勝利者の世界がある。それがワンダフルな世界!四方八方は過去。六法はルール(法)。四方で戦う。四方は固めてある、法隆寺。自由のフィールドが完成している。今、十方の時代。夢が実現する時代。十方の神々が微笑んでいる。さぁ、お出でなさいって。総括。

●先日面白い光景を見ました。犬の散歩です。主人が犬を抱きかかえていました。犬が病気かなと思いました。そうではないのです。海岸沿いの花壇の煉瓦の上に座るとその人はやさしくその犬を地におろしました。すると、その犬は元気なのです。似たお話があります。ロバとのお話です。ある人がロバに乗って旅をしていました。すると、声が聞こえてくるのです。まぁ、ロバが可哀想ねって。それで、その人はロバを背負って歩いていました。すると、また声が聞こえてくるのです。あの人、おかしいねって。それで、その人はロバから降りて、一緒に歩くのでした。解決。

●2005/09/28
強くなければ生きていけないですね。
芽も出せない。
しかし、この強いということ、いろいろです。
何を以て、どのディメンジョンに於いて強いと言えるか。
まず、この問いからして簡単ではないですね。
自分は本来何者か。今まではこの問いから始めないといけなかった。
今は違う。
だって、すでに国際化社会です。
みんな幸せになっていいのです。
そのためには、・・・・・・。

ドライビングの楽しみは、静かにエンジン音の音に身を委ね、風を感じることである。インテリアがジャガーのような木調であればこれ以上言うことはない。

敷島、ヒロシマ、霧島。私の作ったプラボデルは戦艦「霧島」と巡洋艦「鳥海」でした。そのフォルムが好きでした。お風呂に浮かべて遊んだモノでした。連合艦隊に於いて「霧島」はその位置は二番目だったでしょうか。

何時までもわからぬならとばすかポラリスをとばせはしない。

戦艦大和について。大和は沈んだ。一発も撃たずに沈んだ。大和の最後にふさわしかった。凡そ特効攻撃であった。ドコで果ててもそこが大和の青山であったのだ。立派な青山なのだ。しかし、大和の精神は滅んではいなかった。今も生きている。