子どもたちに愛を

2010年10月28日

  • 子どもたちが荒れています。既に学級崩壊を経験しています。これからも何時崩壊してもおかしくないのです。何故そのようなことになったのでしょうか。それは教師と子どもたちのコミュニケーションが成立していないからです。従来の方法では、何も解決しないのです。あらゆる問題行動及び不登校は、子どもたちが学校生活に適応できない状態にあるSOSだったのです。彼らは本能的に、何か間違っていると訴えているのです。そして救いを待っています。
  • 時代も家庭もいとも容易く変わりました。しかし旧態依然として変わっていないのが学校であるという指摘があります。既に不登校になってしまった子供達に対する方法は、従前の教育理念で励ませばますます状態を悪化させます。各教師は日々の形式的諸事務に追われて、こうしたことをゆっくり考えることができない学校現場です。
  • 本来子どもたちは、環境が整っていれば、すくすく育つはずでした。ところが、高度経済成長で物質的な豊かさこそ幸せだと思った私たちは、子どもたちに対する教育について真剣に考えることもなく、自らの利益を追及していました。不倫などがそうだったのです。そして子どもたちは、健全に発達するプロセスのどこかで、犠牲となりました。
  • つまり、幼い頃に、何があっても全面的に受容されるという愛に包まれた経験を失っているのです。それで今、彼らが求めているものはそれではないでしょうか。善いとか悪いとかではないのです。善くても悪くても、ありのままの自分を認めてもらうという経験がないのです。どんなことがあっても見放されることはないという親の子に対する絶対の愛を知らないのです。それは子どもたちが健全に育つための要件でした。
  • 愛された経験のない人は愛することができません。それ故に子どもたちは今、自尊感情が育成されていないのです。取り戻すべきはそれです。それを経験しない限り、自分を大切にすることができません。故に、他者を大切にできないのでした。彼らは知らないのです。知らないのであれば、それを教えるべきです。家庭でそれを失っていたのであれば、学校で補完するべきです。これを知らない子どもたちを叱ることは彼らにとって意味がありません。当然わかるだろうと思っていませんか。彼らは知らないで、教えて欲しいと思っています。彼らはそれを待っています。彼らに今、必要なのは全面的な受容です。それが愛でした。やさしさでした。子どもたちは、親のエゴを含む環境の被害者だったのです。子どもたちこそ未来です。救うべきは子どもたちです。私たちは幸せになるために生れています。