始終成壊

失われた青春があったという
何故だったのだろう
優柔不断 それとも 自信喪失
それも人生だった

この世に怖れるものなど何もない
不安もね だけどあるね
何故だろうね すべては縁
縁によって始終成壊する

諸法(すべての現象)はみな相対的な依存の関係によって成立するもので、この関係(因縁)を離れては、諸法は存在しない。このことを空という。因縁は、過去に原因があって、世代を超えて今、現象として現れる。その起因が縁=出逢いである。だから、その縁=出逢いの性質が大切だね。何と縁を持つのか。どのような縁を切るのか。自ら切れない。そして例えば愛は盲目という。やさしい言葉に騙される。騙されていても気づけずに、その関係を愛と思う。哀れだね。いい人とめぐり逢いたいね。その開結はある。平等とは誰もが同じ事をし、誰もが同じものを与えられる事ではない。それぞれ持って生まれたものが違う。悪性は焼き払い、善いものを生かす。必ず何か善いものを持って生まれている。それぞれがそれを十全に生かして生きてゆく。世界は平和となる。それを阻害するものは何か。嘘と暴力である。経済的な暴力もある。自分の事を優先するものは滅びる。これも生命進化の法則である。だけど、自らの力では出る事、難しいね。一切法空諸行無常念々起滅始終成壊。さらりと行こう。

有為 消滅……変化があること
無為 消滅……変化がないこと

四無所畏  

  1. 佛は諸法を知り
  2. 煩悩なく
  3. 煩悩が修行の障碍となることを知り
  4. 苦を離れる方法を知り  
  • →説法に際して畏れのないことをいう
  • 一切種智とはすべてを知る智そのもの

三界 生類の修行の程度によって世界を分けたもの

  1. 欲界 物質(肉体を含む)に依存し、欲心に束縛される。地獄界から天界の一部。
  2. 色界 四種の「禅」を修業する者の世界で、物質の束縛が僅かながら残る。
  3. 無色界 一切は「空」であるとの観法を修業する者の世界で、全く物質を離れた精神的存在である。
  • 禅とは沈思黙考の意

禅と三昧

  1. 心を一点に集中して散乱をふせぎ、欲を制すると同時に、この統一された心で、その理想とするところを沈思熟考して、精神的に実現する。これを行うには、身を浄めて、静かな処に端座し、呼吸を調整する。
  2. 禅定は三昧と同じで、定は禅の訳語である。初禅から四禅への四段階がある。三昧は三種の三昧を指し、諸法を空観し、不可見とし、願求しない。
  3. 三昧は結合の意であり、心を一点に集中して静め、理想とするところをありのままに知り見ること。禅と同じであるが、三昧は精神統一、禅は知見から名づけたもの。禅の働きが実現したところを三昧という。三昧には精神を集中する対象・目的によって色々の種類がある。