善悪の基準

  • この世に善と悪がある。時代は末法となって、恐怖悪世となった。あるいは不可議である。議論しても空しい。意味がない。意味がないとは何も変わらないし、何も生まれない。つまり、善悪の基準がなくなり、本能のままであることが自由であると錯覚した。それが人間性だと思う。むしろ人間としては精神的に退化であり、文化生活の崩壊であろうか。確かに行き過ぎたmustあるいはshouldは不幸であろう。衆愚化とは、そうした現象だった。人間性とは精神的なものあるいは文化的なものを求めていたのではないだろうか。しかしそれは経済的な自由を前提としていた。庶民の幸せは何処にあるのだろうね。善に生きるのは窮屈である。悪に生きれば無政府状態となる。それが野蛮である。どうすればいいのだろう。ある本を読んでいた。そこに面白い表現があった。善も悪もどちらも受容することが良いらしい。だからといって、悪に染まるのでもない。微妙だね。それが実現できると良いのだけれど、それが至難の業だよね。善と悪の基準が明らかとなると良いのだけれど、それがわからないね。それを知っている方がいるとすると、それが仏であるらしい。そして仏はいるのだろうか。見たことがないね。それで信じられない。信じられない人には証明が必要であるね。その証明があると良いね。彼はあるという。神仏は実在するといっていた。証明するしかないのだろうか。証明すれば定理となる。誰もがそれを使えるね。それが技術かも知れない。ところで数奇ということがある。例えば、掃除夫がいるとするね。運命の悪戯で今、その身にあるとする。しかしその人がむしろ前世に於いては遙かに位が高く、精神的にも能力的にも優れたものを持っていたとする。しかし今、掃除夫である。ある著名な先生がいるとする。本来ならそうした先生よりも遙かに能力があるとする。ワックスをかけていた。その先生と事務員が平気で乾いていないのに歩き回す。彼らはそれを当然と思っているらしい。この辺りが恐ろしい。その掃除夫は神の属性を持っているかも知れない。彼の逆鱗に触れるとどうなるか。大自然はどちらに味方するのだろうね。あるいは黄泉が動く。それを知らない。面白いね。自覚するまでは不幸である。自覚するとそれさえも楽しんでいる。人間の上に神がいる。前世がちがう。幸せとは神仏の実在を認めることかも知れないよ。それが秩序だったのではないだろうか。大宇宙があって天があってそして人間である。何か思い上がっていたね。あるいはそれが勘違いだった。面白いね。楽しむにしくはなし。そうした楽しみ方が出来るようになると幸せかも知れないね。あるいはそれが喜びだった。刃向かえはしない。それを知らなかった。それを知ることが善悪の基準かも知れない。私達は幸せになるために生まれている。同じ人間の姿をしていても、いろいろいるね。思い上がっている。自分より上は見えない。畏れを知らない。謙虚さを失っている。何時か痛い目に遭うね。真実を知らないね。それで学者ぶっている。カミヲカンデは何を探しているのだろうね。神仏の周波数だろうか。この世に不思議がある。アオサギが挨拶する。大風をも制御する。雷が落ちる。大宇宙の秩序がある。大自然の法則がある。魂と宇宙は連動している。黄泉の守護がある。その守護のない人間として勘違いがある。秩序に反すればどうなるか。不幸になる。それを知らない。知らずに自分は偉いと思う。掃除夫よりも。本当のところは何も見えていない。真実を知るために掃除夫に身をやつしている存在もいる。可愛そうだね。神は笑うしかない。未来は決した。本来日本は神国である。それをしばらく見失った。そして勘違いしている。何時か知るべき時が来る。怖いよ。その時は遅い。いえないこともある。それは何か。一休はお正月に竿の先に髑髏をつけて、「ご用心、ご用心」と町内を練り歩いた。何をいいたかったのか。何に用心せよといっていたのだったか。この世に秩序がある。それは大宇宙があって天があって人間である。水は高いところから低いところに流れる。黄泉の守護がある。この中にあって幸せである。大自然がある。古来大和の掟がある。それはむしろ精神的なものだった。そのように進化している。物質崇拝は自然及び生命並びに諸価値を破壊して顧みなかった。どうなるか。死に神が来る。それも本当だった。そのような経験もある。何を勘違いしたか。何を思い上がったか。何を粗末にし、何を裏切ったか。自分のためにする利益追求を以て価値とした経済界の罪はあまりにも重い。勘違いの学者も然りである。恨みがある。妬みがある。やがてそれは自分に帰ってくる。その時は勝てない。思い知る頃となったのだろうか。故に真実も明らかとなるのだろうか。真実と何だったのか。彼はいう。神仏は実在する。その家系がある。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の血流がある。征夷大将軍の要件は何だったのか。民のためにする。その時、神風も吹く。それも明らかとなった。滅私奉公。則天去私。身心清浄及び正直。愚かさとバイオレンスの海を渡る。具体的に罪を償う。あやまっただけではゆるされない。刑罰の本質がある。お金で解決するべきものはお金で償う。身体の自由あるいは生命を以て償うべき罪もある。その時を迎えたのだろうか。何を以てであるか。ある一箇の自覚を以ての故であるか。知らなかったね。しかし時が来る。そうした旅もある。そして本来日本が伏流する。あるいは取り戻す。勘違いを正す。その時を迎えた。もはや勝手は通らない。黄泉の受忍限度を超えた。証明済みである。知っても識らなくとも、真実は真実である。各々、観念するしかない。そしてどう生きるのか。懺悔するべきは懺悔あるべし。それは己が空けた穴は己が埋めるしかない。言い訳と責任転嫁はこれより通らない。事実は事実である。知らなかったね。みんな幸せになって良い。なれる。彼は何を見つけたのだろうね。そして何をしたのだろう。時代は動き始めた。彼こそ彼だった。『コトーを待ちながら』というのもあった。『ジャパンアズナンバーワン』というのもあった。故なきことではない。遅すぎたのだろうか。そうでもない。時代は熟した。この代は何だったのか。君が代だった。原爆の火を以てしても根絶やしはなかった。本来日本の秘密である。頼朝は伊豆に流されていた。そしてその種は遺されていた。何時か芽吹く。花と咲く。その時を迎えたのだろうか。本来であれば昭和50年に咲くはずだった。しかし戦後は殊の外困難だった。カンニング閥が跋扈した。それをも乗り越えたか。六代の謎がある。祖先を誇れるか。勝敗はそれによって決まる。ペンタゴンも認めた決闘の極意がある。遅れて撃っても勝てる。勝敗は神仏が決する。不思議がある。学者はそれを知らない。科学の限界である。家康と雖も六代より先はわからない。世間のあらゆる家系図は江戸時代の贋作である。記録は何処にあるのか。探すが良い。彼にはあらゆる記録が既にあるという。この世の記録もあるという。何を勘違いしたのか。畏れを知るべき時が来た。その謎が解かれた。そして彼はいう。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。新たな選択があった。時は無事代わった。世界は待っていた。世界は知っている。そして祝福している。
壇ノ浦(その後、護衛艦鞍馬の事故があった)