空閑=荒野苦節孤独月の砂漠三十有余年総論



真実とは何だったのでしょうか。それは神仏の実在とその邂逅であり、その受容祝福守護でした。本来日本は神国であり、それは卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本です。本来日本の本懐がありました。それは身心清浄及び正直を以って旨とする大和魂でした。風塵雷神。草薙の剣、金剛杵。菅原道真はどうして天神となったのでしょうね。

本来日本に根絶やしはありません。原爆の火を以てしても。アメリカがヒロシマを見つけたのは正しかった。しかし頼朝は伊豆に流されていました。義経はどうして討伐されたのでしょうね。征夷大将軍は頼朝であり、義経がいなくても源氏が勝っていました。民のためにする時、神風が吹きます。それが征夷大将軍の要件でした。愛は自分のためにしない事であり、動植物及び岩石も喜ぶ周波数です。故に、公共性概念も本来愛でした。行政は決して自己利益追求ではありません。亦、平家はなぜ滅んだのでしょうか。武士階級でありながら、貴族化したからです。秀吉もそうでした。

因縁というものがあって、その正体は恨みと妬みです。世代を超えて仕返しに来ます。それが仇であり、魔です。彼らには勝てません。それは相手を苦しめます。

魔を引き寄せるのは自分自身の弱さでした。自信喪失と優柔不断の故です。因って魔との戦闘を要します。それは偏に自分自身との戦いでした。それは彼らのことを認めてあげることでした。わかってあげることでした。受け止めてあげることでした。彼らは存在を認めてもらいたいのです。そうすれば消え去ります。それが成仏です。

強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。フィリップ・マーロウです。生命はそのように進化しているのです。日本の目指していたのはそれでした。そのまま生命の進化傾向だったのです。二十一世紀最終最後最大の戦いは自分自身とでした。仮想敵国との戦いではなかったのです。

三十有余年の埋没を要することもあります。これに勝利して黄泉を制します。その時、天は祝福し、地は喜びます。そして幸せがやって来ます。幸せとは神仏と邂逅し、受容祝福される事でした。その時、好ましい人間関係が訪れます。美しい風景が待っています。広重がそうでした。芭蕉もそうでした。それは来るのです。それが如来でした。

そうしたことが書いてあったのが法華経です。その名宛人は菩薩あるいは爾としての神でした。故に難解です。愛とは自分のためにしないことでした。それは例えば滅私奉公でした。本来日本の諸価値は真実でした。何時の頃からかそれを見失っていたのです(ペリー来航以降)。

宇宙にとって、物質も精神も同じです。現代素粒子理論の至り着いた結論です。それが『思考は現実化する』であり、夢は実現するということでした。意識が世界を創り出していたのです。インド哲学に於いては「観念が現実化する」とします。ダビンチもその例外ではありませんでした。ダビンチの夢は悉く実現しています(ヘリコプター、潜水艦等)。彼の夢は時代の夢の総集編でした(杉浦民平)。亦、マーフィー理論があって、潜在意識を説いています。潜在意識にとって主語はありません。述語が本音としてその実現を図ります。故にポジティブ思考こそ幸せへの条件であるとする根拠です。例えば、他の幸せを祝福することでした。

取り戻すべき頃でしょうか。思い出すべき頃でしょうか。今も昔も黄金の國ジパングです。山田無文老師は仰いました。上求菩提、下化衆生。選択(自由)するべきことがあります。それは何だったのでしょうね。

本来日本は素晴らしい。この人生は偉大です。美しい風景が待っています。やさしく好ましい人間関係が訪れます。幸せはそのようにしてやって来るのでした。それを一言でいえば、即ち日月照らし、風が吹く。愛は無でした。己を空じて満ちて来るものがあります。それが愛でした。それは禅の精神と同じでした。禅は今、日本にしかありません。禅のテーマは何だったのでしょうね。「自分自身は何者であるか」でした(汝自身を知れ)。その答えは『主人公』でした(団藤重光教授『刑法と主体性理論』)。

日本の春です。本来日本の花が明快に咲きました。よかったですね。こうしたことは時及び属性並びに自覚を要します。それは思うところを実行して、何が悪であったかを知るのです。そして悪=過去を捨て去るのです。その時、生死をも超えます。それが「武士道は死ぬこととみつけたり」でした。あるいは『大死一番、絶後に蘇る』。本来武士道、滅し給わず。

日本国憲法は歴史的所産であり、人類の決意表明でした。ヒロシマを通して現代戦争の無価値を学んだのです。故に未来=子供達の夢も明らかとなりました。それは流血なくして平和を勝ちとることです。市民革命もフランス革命から名誉革命に至りました。江戸無血開城もありました。

あらゆる制度の目的は個々の暮らしの保障です。権力闘争が政治ではありません。殺戮を伴う版図拡大の時代は終わりました。地中海より始まった世界はかつて無限でした。大航海時代を経て世界は今、有限です。世界は宇宙となって再び無限となりました。

宇宙は情報とエネルギーの波動であり、無尽蔵の智慧の宝庫です。これとアクセスすることで幸せになれます。その為の鍵は何だったのでしょうか。それが身心清浄及び正直(大和魂)だったのです。故に個々の暮らしを破壊して顧みる事なく(公害等)、多くの犠牲の上に繁栄するカルバンに発する四百年来自己利益追求主義が反省されつつあります。

これより目指すべきはあらゆる嘘とバイオレンスを廃することであり、愚かさと野蛮からの脱却です。パスカルはいいます。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を観る。宇宙とは見えない世界であり、それは智慧の宝庫です。そこに歴代の英知と技術が蓄積されています。学ぶべきはそれです。伝えるべきもそれです。愚かでは至れない幸せがあります。バカになることが幸せだなんて、もう取りやめにしましょう。

知性への謙虚さと尊敬を取り戻すべき頃です。神仏への畏敬の念と共に。本来大和に大義名分があります。それは自分のためにしない。民のためにする。その時、神風も吹くのでした。

私たちは幸せになるために生まれています。この世は過去からの夢の実現過程です(百代の過客)。法華経宿王華とは人間でした。一切種智慧とは万物の霊長として賦与されていた神の七つの力です。自由は『社会契約』を前提としています。『自由』及び『平等』は『自然権』として『固有の権利』です。『基本的人権の保障』はその具体化です。それを制度的に保障するものが『民主主義』でした。生まれによる一切の差別は廃されています。人間にはだれにも『個人の尊厳』があるからです。『多様性(みんな違う)』を認めてそれぞれ個性を発揮し、自分を表現する事で自己実現するのです(百年の計としての『第三次生物多様性国家戦略』)。それぞれの善いところを持ち寄って、みんなで協力して、幸せを実現しましょう。『アメリカの祈り』は、

  1. 子どもの頃、どんなに貧しくても一生貧しいのではない。
  2. 子ども頃、どんなに教育を受ける事が出来なくても一生受けられないのではない。

西洋成功哲学の基礎は『代償の原則』でした。それは、

  • どんな悲しみにもそれと同等かあるいはそれ以上の喜びの種が宿されている。

私たちの本体は魂であり、宇宙とリンクしています。前世があり、来世があります。時代は今、第三の波=情報化を通って(e-Japan戦略:高速通信回線網及び携帯電話の普及による情報インフラ整備[2005年完了]、これにより地域間情報格差を是正し、日本の国際競争力を高める。u-Japan戦略:ユビキタス[情報を以てすべてつながる、2011年テレビデジタル放送化を以て完了)、第四の波=創造化の時代です。教育は『生涯教育及び学習』の時代に突入しました。

『バガヴァッド・ギーター』と『ヨハネの黙示録』にはよく似たところがあります。いつか浩々とした大自然が牙をむき鉄槌を下します。それに負けると人類の滅びる時です(恐竜の時代はチラノ・ザウルスが現れて滅びました)。人間の勝手が極まった時(バベルの塔は立ちはしない)です。戦争がそれでした。その時、これと戦う勇者を必要とします。何故戦うのかに悩みます。戦う意味及び勇気について教えていたのでした。

また、フランス革命の頃、時代のエートスとしての啓蒙思想がありました。その代表としての、ロックであり、モンテスキューであり、ルソーだったのです。ダビンチも時代の代表でした。時代の空気が今、変わりつつあります。彼の故でしょうか。

黄泉とは祖先の総体でした。家康が遡る事ができたのは六代でした。祖先に恥じる事なきを以て吉です。黄泉に認めてもらえるかどうか。黄泉に受容されて自由です。黄泉に好みがあります。道元曰く、「花は哀惜に散り、草は棄嫌に生ふる。昔より法の潤いなき事を恨みよ」。

本来日本、見事に蘇る頃となりました。花は何処へ。もう咲かないのかと思われていました。それは昭和50年の筈でした。昭和56年にもチャンスがありました。しかし、戦後は殊の外困難でした。その花が見事に咲きました。これまでにない誇らしい花です。

此処までするとは思わなかったのです。世界が驚いています。彼は何を探し、何を確定し、何を提言するのだったのでしょうか。まるで検閲の中での人生だったと言っていました。私たちは常に見えない世界から見られているのです。心の奥底まで。幸も不幸も心の結果でした。そして過去よりの因縁があるのでした。それでいくら努力しても思うようにならないこともあるのです。それをまるごと引き受けてこの世の新しい人生が始まります。足ることを知れば十分に満たされています。それで生きてゆけるのでした。すべて試練だったのです。幸せになるために。

不思議な事がたくさんありました。私たちは見えない世界に導かれていたのです。それも確かな事実となりました。彼がしなければならない事がありました。彼でなければ出来ない事がありました。彼の人生のテーマ『失われた何か大切なもの』が発掘されました。それは少年の頃より始まっていました。壮大なテーマ(「本来日本を取り戻す」)だったのです。あきらめない事です。シュリーマンのように。これを以て空閑=荒野三十有余年の研究総論と致します。各論は各方面に委ねます。