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神の泣き所

2009-11-28

神の泣き所があるんだって。それは神への無条件の愛なんだって。 その時、神は現れざるを得ないとか。ところで彼は何かの開発に成功したのでしょうか。自力で。それは何だったのでしょうね。彼は今、それを確かめているようです。何かを始めるのかも知れませんね。本当の喜びと本当の笑顔を取り戻すために。それが幸せだったなんて。既に彼の記録が証明として何処かにあるといいます。天はすべて知っていたといいます。試練があります。乗り越えて至る確かな世界があるといっていました。 世界は待っていたそうです。 それはある自覚で完成するそうです。それって何でしょうね。気になりますね。 いずれにしても真実真理は一つだといいます。

それは喜びであり、至福です。それが宗教でした。それなのに、宗教的理由で対立したり、殺戮を試みたりするのは何故ですか。それは本当の宗教ではないと彼はいいきりました。そして至り着いてわかることがあるそうです。それまではわからないのだそうです。それでそれはないと思います。しかし、それはあるそうです。今も昔もそしてこれからも。それって何でしょうね。未来は明るい、と彼はいいました。

愛とは神でした。それは周波数でした。想念があります。それも周波数でした。喜びの周波数があります。誰もが至ります。何時か至ります。必ず至ります。妄念もあります。その時、私達は遠回りします。しかし何時か知る日が来ます。何を知るのでしょうか。知る人は知っています。無より有が生まれます。すべて見えないところで決します。想念がやがて現実に染み出してきます。何を思いますか。愛ですか。神ですか。あなたもいつか至ります。だから、諦めないでくださいね。何時か時は至ります。その時、共に語りましょうね。美酒を交わして。おだやかに笑顔で生きてゆける日々が必ず訪れます。それが暮らしでした。あらゆる制度、あらゆるビジネスはそのためにありました。私達は過去からの夢の実現過程にいます。出会えると良いですね。あなたの夢の実現に。愛は一瞬にして宇宙を駆けめぐります。それが「夢は枯れ野を駆けめぐる」ということでした。神の泣き所。それはあります。

彼はいいました。恋は鯉。安芸の宮島七里七浦(しちりななうら)。広島藩は鯉城。呉に情島。くれないに染むるうららかなりし瀬戸の島々。きらめく海に大和生還。彼は帰ってきました。たくさんおみやげがあるそうです。彼こそ彼でした。誰も知らなかったのだそうです。それで何もかもうまくいかなくなりました。明治と戦後は仇だといっていました。最終最後最大の敵は自分でした。誰もが知る頃となりました。

  いよいよに本来日本取り戻す時の来たれる霧笛鳴り居り

  本当の笑顔何処にありぬべし微笑み返すこれぞ笑顔ぞ

  ゆかしけり声ぞウグイスほととぎす迦陵頻迦の楽園来る