アメリカンドリームの批判的考察

  • すでに、世界は一つであり、フィールドは世界となっている。その中で、闘っていくためには、世界の理念を知らなくてはならない。参考書としては、『富を手にする「ただひとつ」の法則』(フォレスト出版)とか、『マスターの教え』(飛鳥新社)がある。アメリカンドリームの秘密=成功の法則が書いてある。要約すれば、純粋な心で、神あるいは宇宙の力を味方にすることで、思うことが実現する。人間には、本来そうした磁力のような力があった。ということである。その為には、信じて、できるところから、ひとつひとつ、ミッションを果たす。そうすれば、次の段階に至る。そして、そこで亦ミッションがある。その連続であり、それが、成功への階梯である。さて、ここで、このチカラは、思うことにあるのだけれど、この思うことが純粋であれば、必ず、あるチカラを得て、夢は実現する。しかし、このパワーは心の中で秘密にしておく必要があるという点が、疑問に思われた。ここに、西洋的成功理論の限界もあるかなって。例えば、西洋の絵は塗りつぶす。東洋の絵は余白がある。また、禅においては、「我、汝にかくすなし」とか「露堂々」ということになっている。自然観が違う。西洋的成功理論は利己的であるとの批判を免れなくなる。そこで、「周りが幸せであればその中にいる自分も幸せである」ということを考える。秘密にしない方がいい。自分だけが幸せになっても、社会の幸せ度は、周りに規定されて低いままである。全体のボトムアップ。また、西洋成功理論は、「貧しいことは、この世の罪悪だ」という。すると、キリストの「貧しきものは幸いなり」に反する(キリストも東方である)。つまり、前者はキリストを十字架に架けた者たちの理論ということにならないだろうか。また、幸不幸の原因として、東洋に於ける因果を知らない。平面的な理論である。時の流れの垂直関係を見ていない。歴史的な観点が見られない。個人の内面のチカラをその淵源とすることはよいとして、個人の内面のチカラも宇宙の意思の中にあることには気づいていない。宇宙=世界の意思(ロゴス)があって、そこに認められる必要があるということに至っていない。頭脳エンジンの高回転があって、それが制御されている状態が、静かに考えることであるが、この点について、彼らの瞑想が曖昧である。DNAが日々の考えることと為すことで書き換えられているといった進化論を知らない。宇宙と連動している感覚がハッキリしない。宇宙とリンクすると、思考も宇宙に反射していることを実感する。しかし、その反射は、思う段階では逆さまである。表現して初めて実像となる。これが、表現することの効用であり、表現しなければ、迷うことになると思われる。勝者と敗者との関係しか論じていない。例えば、木々の光合成に当たるところは言っていても、腐葉土に当たるところは言っていない。蓮の花が咲くためには、泥が必要である。等々。結局、何が言いたいかというと、アメリカンドリーム理論の限界である。むしろ、大和魂としての、日本古来の方法論の観点から、成功理論を見直す必要があると思われた。品格。格調。(NHK-FM を聞きながら、2005/10/26 22:38)日本丸。出航だね。(既に私の生まれてきた使命は果たし、それだけの仕事もしたように思う。嫁さんを貰って隠居したい気分であるが、世間はまだ許してくれぬらしい。さて、どうするか。それが問題である。なんて。)