春秋社刊、公田連太郎編著、『至道無難禅師集』p145

  • 「あしくきたなき物と生をかへゝゝゝゝしてきたなき故、ちくしやうなとになれは、うかふ事なし。故にたまゝゝ人の形をえまゐらせ候時佛になれと云事也。
  • 一.わか身ノ佛出候て萬事をいたす時、何事もおもふやうになる事、うたかひなし。
  • 一.わか身の佛を、身のねんさいゝゝけがせは、必はちうくる事、うたかひなし。身の佛は神と云、てんたうと云也。せかいの有かたき添事、わか心ひとつにとゝまる也。
  • わか心はてんよりあたへて、佛なり、神なり。必うたかふ事なかれ。
  • その佛をあらはさんため身のあくをさるを修行と云也。
  • 一.させんして如来にちからをつくし、たらにをくりて、身のあくをさるへし。身のとかなき時、心あらはるゝ也。うたかふ事なかれ。
  • 一.身のねんにひかれては、ちくしやうになる也。
  • 一.身の佛を見つけ、うやまひたうとみしてゐる時、身のとかすきとなし。外よりありかたくおもひかけぬよき事ある也。
  • (前世より、常々魂は、現実の醜さに辟易して、理想を求めて、代々、その身を変えてきた。畜生に堕ちれば、もはや浮かぶ瀬はない。人間であって、その間、佛となれる。佛を得れば、何事も、思うようになる。自分の中にあった佛となりたい願いを汚せば、必ず、天罰が下る。この過去からの願いであった魂が、佛であり、神であり、天道である。宇宙が人間に賦与していた秘密であり、心がここに至れば、この一つの真実によって、幸福の中に安住する。この佛を自分の中に見つけて、これを大切にすることで、過去からの因縁も解け、宇宙から守護され、自然から祝福される。そして、良いことばかりが起こり、幸福を実感して、生きてゆける。疑いがそれを拒んでいる。)[2005/12/15 4:41am 「走れ歌謡曲」を聴きながら]