2007年02月10日

悲しいのは

人間というのは何処まで自分勝手なのだろうと思う。分際を知らない。自分が一番だと思っている。神仏を認めない。秩序を知らない。当然の報いがある。自然の法則がある。水は高いところから低いところへ流れる。天に唾すればどうなるか。どうかしてる。自然は唯耐えている。人類が平和の中で幸せを掴んでほしいと思っている。そしてできるだけのことをしてくれている。しかし、それに気づくことはない。人間って思い上がってるね。勘違いしているね。感謝の気持ちはないのだね。当たり前と思っているのだね。それが、悲しい。唇さむし秋の風。どういうことだろうね。自分では自信があるつもりでいるよね。しかしね、その音声が既に不愉快だ。これってわかるかな。すべて音に露呈してる。それに気づけない。気づけば悟りだけれど。気づかないままに大きな事を言っている。何も見えていないのだね。真実を前にして。それほどまでに見えないのだね。思い知りたいのかな。自分勝手が過ぎはしないか。どうしてそうなるのだろうね。悲しいね。どれだけ迷惑をかけていることか。あるいはかけてきたことか。それはそのまま自分にも言えることだった。このあたりで反省だ。いよいよ、知らしめられたと言うべきか。自分の身勝手だったって事を。これも時節だね。思い知らされている。こういう事だったのだろうね。お世話することがどれだけ大変かって事。菩薩業は仕える業であるとも言われている。つまり、サービスである。それは自己犠牲ではない。これを楽しむことが出来るにはかなりの試練を要する。その意味で、やはり、母は偉大であった。これに気づいて収穫とするべきか。未来は明るい。明るい未来にするためにはどうするか。経済的に立ち直り、充実させる必要がある。ところで、経済界各企業は業績が良いとか。皆喜んでいる。確かに内部でその利益を分配した後、その利益は何処に投資するのだろうね。国内かね。海外かね。国民全体が潤うために考えるのかな。それとも自己利益のみかな。そのあたりが問われている。土壌の改良も必要だよ。根っこが大切だよ。日本の企業だろう。日本のことも考えなくては成らない時代となっているよ。自己利益だけ考えてると、枯れるよ。取ることばかり考えていて何時までもそれで済むのかどうか。還元ということも考えなくては成らないね。騙しのためのポイント・クーポンとかではなくて。真実の還元サービスだよ。奪い来たるだけの欲得商人の人生末期がどうなるか。およそ知れている。まだそれを試しているのかな。つまり、悪徳人生を。悲しいね。公務員も政治家も汚れてしまった。同じだね。日本国民皆商人化したね。そうしないと生きてゆけないのかね。悲しいね。或いは煩わしい。その姑息さが。大和の心は復活したよ。どうするのだろうね。武士は喰わねど高楊枝。しかし、いつまでも黙ってはいない。嘘欺罔卑怯怯懦商人根性支配、何をし来たるか。腐った世の中を成敗する。どうして日本は腐ったのか。何を粗末愚弄したのか。或いは破壊したのか。明らかとなった。古来大和の精神だった。何時の頃からか。ぺりー来航に乗じた頃からであった。その後敷島大和の精神はどうなったか。ソメイヨシノに変じて地方世間に散った。明治の罪は重い。しかし、いつかは復活する。或いは芽吹く。種あらばこそ。それが法華経宿王華、一切種智慧であった。聖徳太子以来の大和の種であった。その花が咲いた。それだけの試練があった。そしてその花は力を得ていた。どのような力であったか。すなわち、宇宙自然生命黄泉の守護する力である。日月照らし、風が吹く。

  帰り来る 大和の心 力秘め 何も得知らず 世間身勝手

 この度の 大和復活 ただならぬ 本気にさせぬ こそ平和なれ

 失えし 大和の自信 復活す 天地に響く 秘密開示か

 何思う 世間身勝手 いつまでも 通ると思う もはや通らず

 本末の 転倒したる 世の中を 大和心に 戻す頃なり

 命かけ 日本実存 証明す されど帰らず 人生青春

 その気なら 天地従う 時の来る 黄泉の計画 条件満つる

 図らずも 芥払いて 三十年 時は無駄には 過ぎぬものなり

 時の来て 何を今更 口にする すでに世界は 舵を切りたり

 この世をば 秘密のありて 整うを 何を身勝手 知る頃となる

 人生を 如何に生きてん 尋ね来る 己の秘密 知る旅とする

 この花の 咲くや秘めたる 胡蝶なる 夢より目覚め 未来定まる

 この花の 咲きて輝く 未来あり されど得知らず 世間見過ごす

 幸せの 基開かれ 気づくべし 縁は何処に 結ぶべきかは

 これまでの 身勝手既に 滅びへの 道となるかな 新たな基

 掟あり しばらく知らず 時は経り されど脈々 水の流るる


2007年02月09日

正直者の時代到来

小学校低学年の頃だった。近くに小さな映画館があった。二河館(にこうかん)と呼ばれていただろうか。定かでない。それほど映画を見に行ったわけではなかった。その頃、学校の許可がない映画は行けなかった。その頃に見た映画で覚えているのは『安寿と厨子王』というのがあっただろうか。その後絵本でも見たのだろう。覚えているのは、厨子王が逃がされる時に、金の観音さんを首にかけらたことだった。彼は守護されていたのだった。その後、小学校の屋体で映画とか人形劇とかよくあった。その映画で覚えているのは『竜の子太郎』だったろうか。やがて龍は母だった。その子も当然龍だった。物語は物語だと思っていた。しかしそうでもなかった。いつか、物語が現実となる。生き方によるけれど。主人公は主人公だよ。さて、禅では主人公がテーマの一つとなる。誰もが主人公になれるのではない。はじめから主人公は決まっている。しかし、主人公が現れるまでは主人公は不在だ。主人公でないものが主人公にはなれない。しばらく主人公不在だった。それでどうなったか。思い違い勘違いの世の中となった。日本の主人公は何か。本来大和の心だよ。ところで、神仏の守護がある。護念するものは護念される。神仏にも好みがあるのかも知れない。神仏に好かれないと守護はない。守護される事実がある。しかし、神仏の守護とこの世或いは宇宙の法則とは別論である。法則に反するとどうなるか。当然のサンクションがある。宇宙と自然及びそれぞれの魂は連動している。このあたりを無視して勝手してるとどうなるか。いずれにしても、もういいね。もういいよね。軌道修正のエンジンは点火したね。これでしばらく大丈夫だね。これで使命は果たされたね。もう縛は解かれたのだから。これまでは、正直者が馬鹿を見た。西洋理念に迎合した故だった。これからは違う。正直者こそ宝だよ。正直者の時代がやってきた。これで息が出来るね。これで、安心して生きてゆけるよね。しばらくの辛抱だ。必ず、この価値が見直される。すでに、黄泉の決定だから。これから現実がそのように成っていく。不思議だけれど、見えない世界はある。見える世界は見えない世界に従う。見える世界は見えない世界に影響する。見えない世界はある。これを認めることが幸せへの第一歩だよ。それは占いとか霊媒とかの低いレベルではない。仏様の世界だ。それが見えるかな。あるいは感じることが出来るかな。今見えている世界が世界ではない。見えない世界がある。幸せの王国がある。すぐあなたの隣にある。ドアを叩いてみると良いよ。温かく迎えて呉れることだろう。幸せはある。探すと良いね。きっと見つかる。すでにその道標も過去から随分とあるよ。迷わないように。惑わされないように。だれも教えては呉れない。自分の感性だけが頼りだよ。言葉の端々にその魂のレベルが見え隠れしている。自分の求めているものは何だろうね。それはきっとある。あるから思う。感じる。しかし、大人になるにつれてその憧れはなくなる。そしてそれが人生だと思う。それは嘘だ。あるのだよ。求めているものが。生きている間に発見したいよね。何があっても大丈夫の大安心がある。見つけたくはありませんか。いつでもお手伝いできます。嘘ではありません。嘘では見つかりません。正直であれば見つかります。必ず見つかるのです。疑わないように。すなわち、日月照らし、風の吹く。そうした境界が開けるのです。一緒に探しませんか。失われた何か大切なもの。これが埋もれてしまった宝物でした。すなわち、古来大和の秘密でした。そしてそれは決して野蛮なものではなくて、やさしさの中にまどろむかのような世界です。即ち、神仏の守護ある世界です。信じてみませんか。そうした世界へ生きながらに至れることを。古来夢見た夢が開ける時代となったことを。人類も進化して参りました。やっと魂のことを率直に語れる時代が来たのです。おどろおどろしくではなく。よかったですね。利得欲得主義では至れません。大切なのはあらゆる自然存在のバランスです。そのバランスを人間がコントロールできると思うのはバベルの塔を建てるに等しい。自然淘汰にまかせること。人間の成すべきは自然に身を委ねること。西洋理念の野蛮は自然を征服しようとするところにある。東洋にはそれはない。幸せはどこまでも自然にやさしく抱かれてのことである。自然に帰れとルソーも言ったその自然である。さて、安寿と厨子王と離ればなれになった母親の晩年の姿が描かれていた。小さな家の前の通りにむしろでも敷いてわらしべを持って坐っている。目が見えなくなっていた。そして、米でも干していたのだろうか。その番をしている。ついばみに来る雀をその気配で追うのだった。しかしやさしさのトーンが満ちているのだった。さて、これからどうしたらいいのか。それぞれ自分の感性の信じるところに従って生きるしかない。また、それでいい。これまでは明日も見えなかった。それは何故だったか。黄泉が目覚めていなかった。本来大和の精神は眠らされていた。目的地も定まっていなかった。今は違う。黄泉が目覚めている。本来大和の目的地も定まっている。だから、それぞれ自分の感性に従って生きていい。必ず道は開ける。正直者の時代が来る。それを信じて進めばいい。きっと真実に出逢う。その日が約束されている。これまではその約束がなかった。これからはある。何故だろう。基が開かれた。精神世界に於いて善と悪との戦争があった。やっと、善が勝った。或る内面世界でのことだった。善の選択があった。本当だよ。天地も従うばかりの証明を得ているよ。嘘の世界は終わるよ。本当の世界が来る。或いは来ている。正直者の時代の到来です。そして、すべて見られている。それ相応の試練がある。至りつく。帰り来たれば別事無し。しかし、滅多なことは出来なくなっているね。戒められている。これまで通った嘘が通らなくなってるね。それでいいのではあるけれど。それ故の守護ではあるのだけれど。さて、こうしたことを信じることが出来ますか。事実と認めることが出来ますか。難しいですね。過去からの教育の結果、信じることが出来ないとのことです。真実はあるのです。真実は疑わないことです。疑えば真実は手に入らない。しかし、疑う。哀れですね。しかし、やがてゆるされる境界が開けます。右のほおを打たれれば、左のほおも差し出しなさいってありますね。打たれる裡は打たれなければならない。その裡に打たれない自分となっていくのです。その時、ゆるされている。悪因悪果、善因善果。打たれる裡はやはり打たれる原因がある。それを取り除く必要がある。悪は為さないことです。善を成す。善悪の基準は人間ではわからない。人間であるかぎり、悪がくっついている。仏さんに教えて貰うしかない。しかし、このことさえ、疑っている。どうしたらいいのでしょうか。やがて、その時が来るのを待つしかないですね。柿の実が熟れるように。熟すればやがてわかるものです。人生も同じ事ですね。代々の魂の遍歴も同じ事ですね。熟するまではわからない。しかし、善へ至るは稀ですね。途中で惑わしに負ける。或いは悪の餌食となる。惑わしは惑わしの自覚がない。悪も悪の自覚がない。その中で如何に善に至るか。或いは悟るか。これについては己の持って生まれた運命と感性を信じるしかない。しかし、往々にして堕落する。それを人生と思う。そしてそれを増長する。それが世間一般です。しかし、真実もいつかは芽吹く。真実の花の咲く時節がある。持って生まれた種である。しばらく咲けなかった。しかし、時が至る時がある。潮の満ちる時がある。それが自然の法則であり、宇宙の掟です。ここに来て、真実が開花している。その意味では、容赦ない。真実は力を持っている。その開花する時に。どのような力だろう。宇宙有無開閉の力だね。その種はある。黄泉の大切に育むところである。しかし種は醜いアヒルの子である。咲くまではわからない。咲けない時代が続く。もう駄目かと思われた。しかし、黄泉は忍耐した。そして咲いた。そして正直者の時代を迎えるのでした。あらゆる艱難辛苦に耐えて咲く。大器晩成。そうした人生もあったのでした。仏の慈悲の心もわかってくる。慈父の思いもわかってくる。至りついたならばね。無理はしなくて良い。十分に祝福されている。自分の持って生まれたもので十分だったことに気づく。それまでが青春。或いは修業。それ自体に価値があるのではない。やがて至ることが出来ることに価値がある。これは本当だった。真実はある。神仏の守護する世界はある。あなたのすぐ傍にそれはある。気づかないあなたがいるだけだよ。何時気づくのだろう。来世かな。来世も人間とは限らないよ。この世で処した人生の結果で来世は決まる。さて、いずれにしても家伝直伝秘伝である。誰も知りはしない。しかし、天地自然生命黄泉は知っている。それは何か。祖父伝来直伝である。いつまでも黙ってはいない。見聞した時が裁きの時である。


2007年02月08日

企業の合理化

平常心是道というのがある。常に平静でいられるかどうか。自分の歩んでいる道を大肯定できるかどうか。自信を持って自己を主張できるかどうか。利得主義ではなく、皆のことを思って行動できるかどうか。しかし、どんなに心を尽くしても思い通りにならない現実がある。何故か。命というものがある。命令の命である。何者かによって命令され支配されている。即ち、生かされている。寿命というものがある。寿。仏から授かる御宝は本来価が付かない。命と引き替えにするべきものである。命を差し出すわけにいかない。それで、命を削って儲けたお金を差し出す。ここに武士道は死ぬことと見つけたりがある。命を差し出しても護るべきものがある。本来価値とはそうしたものだ。これが古来大和の精神である。それが、今はどうだ。テレビ芸能界及び経済界財界は答えるがいい。何を吹聴増殖せしめたか。子供達を漫画及びゲームの中毒にして、子供達の学力の低下を嘆いている。どのような色に日本を染めたのか。企業が経営に行き詰まって合理化する。何を合理化するのか。労働者を解雇する。労働者に責任を転嫁する。多かれ少なかれ、解雇された労働者は路頭に迷う。責任は何処にあるのか。経営ではないか。労働者と共に経営者の人件費を半減すればいいのではないか。そして、皆でやり直そうと働きかければ志気も鼓舞できよう。智慧も出る。戦後日本はそのようにして復興したのではなかったか。さらに、合理化するべきであるなら経営者の総替えをしては如何か。腹を切れとまでは言わない。責任の取り方を間違ってはいないか。それが日本本来のやり方か。企業の奢りであろう。企業は何のためにあるのか。労働者の生活を破壊して存続してもその悪因縁が怖い。甚だ疑問である。艦船の掟がある。艦長は船と共に運命を共にする。乗組員は助ける。今、企業のやり方はどうか。自らの生き残りを図るために労働者を騙して見殺しにする。その精神が日本的ではない。


2007年02月07日

本当の幸せ

自分の都合のために他の迷惑を顧みない。全体を見ることなくに自分の要求を実現しようとする。おかしくないか。真実のためであっても他を犠牲にしては何にもならない。見切り発車でどれだけ周囲が迷惑したことか。そのようにして真実が得られるわけがない。悪い因縁がくっつく。過去の自分の姿と謝るしかないのだけれど。日々起こることがすべて自分の蒔いた種と知る。困ったことはすべて自分が原因である。過去にその種を蒔いている。自ら刈るしかない。そしてその種はもう蒔かないことだね。だれもが幸せになりたいと思っている。自分の幸せを求めているだけでは本当の幸せは来ない。だれもが自分の立場を主張する。相手の立場が見えないのだろうか。そうしたものなのだろうか。勘違いしている。流れがある。その流れに乗って目的地へ行く。流れが見えなくてどうするのだろう。そのあたりから反省だね。さて、日々、いろいろなことが起こる。他の犠牲となることはない。自分の身は自分で護らないといけないね。そして全体の流れを見る。その中での自己実現だよ。それで十分に幸せになれる。思いがすべて霊界に通じているよ。何もかも見られている。使命がある。その使命を果たすには条件がある。自覚自得するしかない。日月照らし、風が吹く。それが得られるとそれ以上の宝はない。祖先の力である。何時までも無視できない。それを知ったからにはそれを生きるしかない。それで十分に幸せだ。わかるだろうか。もはや権力ではない。武力でもない。金力でもない。禅定ということがある。それは何だろうね。第三の目が目覚めた状態だ。一度目覚めればいい。その後、ずっと目覚めていることができるかどうか。できればそれが禅定だ。その時、本当の自由となる。そして、本当の幸せを知ることになるだろう。日月照らし風の吹く。両方の目が日月の如く輝くかどうか。発する言葉が風を呼ぶかどうか。風にもいろいろある。お楽しみはそれからだ。思念は軽く、足取り軽く、この世を闊歩できるかどうか。試されているよ。この人生。水は上から下に流れる。雲は龍に従う。何も見えていないのに勝手している人間。どうかしているよね。行雲流水しかないよね。馬鹿馬鹿しさの中で犬死にしないための方法序説ってのがあった。彼も至っていたのかな。その後沈黙しているね。一度や二度の成功で人生に勝ったとでも思っていては究極の自由は来ない。それなりの責任をとらされることになる。本当の幸せって何だろうね。見えない世界と見える世界との関係がある。いつまでも無視できない。時は流れた。今、どういう時代であるか。それ故に救いがある。掬われる時代が来ているよ。早く目覚めた方が良いよ。生きている間に成すべきことがある。それは何か。今が来世を決定する。自殺して世を逃れる。それが楽かと思う。とんでもないね。来世は自殺から始まる。このように思うと今世で滅多な生き方はできない。デタラメはできない。世のテレビ界及びバラエティお笑い諸君の罪は甚大だよ。やはり。愚かさを蔓延らせてしまった。よくもそこまで蔓延ったものだね。至るべき世界がある。少なくとも芥を払うこと三十年。身心清浄を以て仏法と成す。或いは古来大和の精神である。その時、見えない世界を知る。そして見えない世界に受容される。祝福されて守護を得る。これが究極の自由であり、本当の幸せだよ。その為の人生だ。因って生きていて良かったと言える。その他のことはとるに足りないと知る。過去から伝えられたことだった。禅に於いては一つの悟りがあればいい。その悟りですべてがわかる。その悟りとは何か。もう書いたよね。見えない世界を知ることだよ。すると見える世界でどのように生きたらいいかわかる。しかし、大鏡。この鏡を誰もが手に入れることができるのかどうか。持って生まれた能力かも知れないね。それが法華経宿王華、一切種智慧だったろうね。言論の自由がある。こうしたことは今まで語られたことはなかった。さて、どうなのだろう。反論もないよね。肯定はある。そのサインはたくさん頂いている。世の諸君、至りつくべきだよ。そして愚かさから脱却して新しい時代を開こう。未来は明るい。パラダイムの変換は既に起こりつつある。舵は切られた。進むべき方向が定まった。モーゼの杖はつかれた。目的地は決定している。歴代の嘆きと祈りは無駄ではなかった。この船に乗るかどうか。本当の幸せへの分水嶺だよ。既に確信している。それだけの読書もした。経験もある。私は知らないことを知っている。ソクラテスみたいだね。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。さて、親になって初めて親の気持ちがわかるという。その通りですね。この度、ある育成に際してその思いを新たにしています。子供は子供です。親は毅然とするべきです。教師も。何故自信を失ったのか。その理由はテレビ及びマスコミに毒されたからです。親は親として、教師は教師として、自己の良心の感じるところに従って毅然と対処するべきです。テレビ及びマスコミ並びに経済界の犠牲となったりしてはなりません。失われた自信の回復です。親よ、教師達よ、立ち上がれ。世間に負けることなかれ。それぞれ自己の花を咲かせるべきです。他に影響されて咲くことはできません。マスコミも愚かです。何処までも自己の花を咲かせるのです。この世は生きるに価します。とてつもなく宝の山です。それを目指すのか。あるいは犠牲となって恨むのか。自分次第です。教育はこれを教えなくてはならない。あまりにも怠惰だったですね。そうとは思いませんか。親も教師も債務不履行ですね。


2007年02月06日

大和の真実

そして、その後、なにをし来たるか。何を蔓延り、蔓延らせたか。真実の何も知らずに何をしてきたのか。古来大和の秘密がある。しばらく眠らされていた。ペリー来航以降のことだった。それは何だったか。比喩的に言おう。仏といえどもゆるしはしない。わかるだろうか。大和の真実である。本末転倒の世の中。何を思い上がっているのか。どれだけ真実が迷惑したことか。


2007年02月05日

真実の仏説に帰る

縷々と書いてきた。或る意味で不遜だった内容もある。しかしまだ控えめだったのかも知れない。けれども、こうしたことも通らねばならなかったのだった。そして、三寒四温ではないけれど、どの方向へ流れているのだろう。さて、何を思っているのだろうか。真面目で正直であることを思っていた。それが大和魂と思われた。それを復活することが大切かと思われた。しかしその出鼻もくじかれるのだった。何故か。正直で真面目であってどんなに心を尽くしても思い通りにならない現実があると教えて貰ったからだった。どういうことか。第一義がある。それが無量義となって不可義となる。教えは本来一つであるが、種々の因縁を見て三と説く。それが無量義だろう。このあたりならまだいい。やがて不可義となる。だれもがそれぞれに義を主張する。人の話など聞きはしない。そうなると議論の外である。或る意味で群雄割拠である。そうしてやがてどうなるか。空となって第一義から始まる。どう理解するか。第一義にもどらねばならぬ。その第一義こそあらゆる解決ができると聞いている。困ったことの根本解決ができるのであって、それ以上何も考える必要はない。素直に聞いて実行すればいい。真実であるが故に、自ら求めて実行する必要がある。そうすれば、必ず良い結果となる。その第一義に帰るしかないと。それが仏説である。方便の仏法ではない。真実の仏法である。真実とは何か。御経典と説と現実が一致することである。さて、日月照らし風が吹く。これが大和魂の悟りかと思われた。そして、本来潔いの大和魂に帰ることを主張した。それだけでは解決しないという。あらゆる義が説かれている第一義に戻るべきだと知るのだった。むしろ仏の威力を借りる。そこにはあらゆる義がある。それを以て一乗に帰る。そう思った。さらに、守護がある。この守護があることは知っていた。それも仏の故だった。困ったことは全て過去に自分がその種を蒔いている。その結果である。現実に困っている。見える方見えない方両方併せて実相である。この世は地水家風空でできている。それ以上でもそれ以下でもない。それぞれに善の作用と悪の作用がある。そのバランスが狂うと困ることになる。その原因は自分である。それで困ったことになっている。その解決の方法もあるという。信じるしかない。そして実行してみるしかない。その結果を見てさらに信じるしかない。誰もが自分の意見を主張する。表現の自由である。そもそもそこに問題があったか。されど、絶対的な支配が復古するのではない。新しい幸福論が形成されるのである。それは、第一義に帰ることから始まる。ここに、仏法は王法に合し、王法は仏法に冥したというべきか。真実の仏説がある。それに帰るべきと思う。その意味ではこれまで私の言ってきたことも一部修正が必要である。それは何か。仏をほめる。仏の故に教えていただいている。仏の守護がある。それは護念することで護念される。さてこうしたことが信じられない。何故だろう。過去からの癖だという。真実の仏法を知らなかった頃からの癖だという。何事もそうしたことがある。新しいビジネスが起ころうとするときもそうである。新しい時代が始まろうとするときもそうである。しかし恐竜が滅んだとき、ネズミがいた。ネズミはマイナオリティだった。いつもそうしたものである。すでに確信へは至っている。どのような懐疑も相手ではない。実相をみて悟れと言われる。然らば、仏の説を実践して、幸せな姿になることで仏恩に報じることになるのであろう。その間、修行の身である。何を言っても始まらない。仏となるための方法は教えてくれるという。過去も救える教えであると聞いている。何も考える必要はない。この教えは易しい、しかし、難しいと。何処に軸足をおくか。その軸足が定まったようである。すでに仏説がある。真実の仏説である。是の一乗に乗る。現実に困った事実がある。それは過去からの自分の蒔いた悪業の結果と認める。その解決の方法がある。進むべき道は明らかである。一仏国土建設である。聖徳太子以来の夢でもあろう。この意味で本来大和復活である。しかし、力は得ている。法華経宿王華、一切種智慧の力である。だれも発掘してくれなかった。自分を自分で発掘するしかなかった。今更である。I am a Japan. 私達こそ日本である。或いは古来大和である。代々のこと及び日本の秘密、図らずも、私の人生を通して知ってしまった。およそ常軌を逸している。当然である。黄泉の掟である。わかりはしない。しかし真実である。そしてその力を得てしまった。どのような力か。荷が重いぜ。二度と苛立たせないように。もはや勝手なことは言わせない。


人生の始まり

積年の問題は解決したようです。孤独な戦いでありました。しかし、よく耐えたものです。何度か失敗もありました。この度は確かなようです。我の力ではありませんでした。導かれていました。与えられた試練だったのです。解かねばならぬ謎でした。日本及び世界の未来のために。そして全て成就したのです。代々の使命は果たされたのでした。本来自由でありました。このような宿命があったとは。笑うしかないですね。別に私がしなくても良かった。唯、最後まで戦い抜いていたのは私だったようです。そして勝利した。それで神仏の守護を得たのでした。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。400年周期説は旧約聖書に隠されていた。旧約聖書の目的は正直の故に欺罔を含む経済に虐げられた善良な庶民の解放だった。市民の解放、奴隷の解放、女性の解放に続く21世紀の約束だった。今、身も心も軽いのです。素顔のままで素直に生きていいのです。何を独り相撲していたのでしょうか。しかしそれも無駄ではありませんでした。故に新しい時代が開かれたのですから。自己との戦いがありました。それに勝利したのでありました。故に未来は明るい。これより私の人生が始まるのです。新々大陸発見です。21世紀の約束、心の大地が見つかったのです。インターネットの世界でもあるのでした。まだ、誰も知らないのです。これから浮上することでありましょう。喜びに満ちてご報告申し上げます。確かな大陸の発見です。何も思い煩うことはありません。本来何も心配は要らないのです。十分に祝福されて生まれているのです。唯、悪の属性を焼き尽くす。それが青春であり修業です。また、教育でもあります。持って生まれた徳分は輝き始めるのです。しばらく腐敗した。人間として堕落することが人生だと思われる方々の支配があった。そして、色々と考えることもないのです。日々、為すべきことを成す。それだけでいいのです。為すべきこととは何か。考えるということは答えが見つかっていないからですね。答えがあるのなら考えなくていいのです。悩まなくていいのです。使う言葉の端々に己が証明されます。一目瞭然、そこを見抜かれるのです。見抜かれていることを知りません。因って愚かです。愚かであってもそれに気づくこともありません。そして自分が正しいと思っているのです。大間違いだよ。世の学者もその例外ではありません。文化勲章ってありますね。何を根拠にしているのでしょうか。お手盛りの勲章などどうでも良いのです。さて、真実を知るもの達がいます。自信と勇気に満ちているのです。それでもしばらく咲くことが出来なかったのでした。それほどまでに勝手な支配があったのでした。しかし、それも限界に至りました。自由は自由が切り開く。代々の掟です。それを無視したのでした。そしてどうなるか。当然の摂理です。真実が目覚めました。勝負にならない。悟りとは概念ではありません。実力を伴うのです。どのような実力であるか。即ち黄泉の守護するところです。それが、日月照らし風の吹く。そうした経験があるのです。それを前にどのような疑惑も相手ではありません。日月の証明するところです。何を以てこれほどまでに言い切れるのか。言い切れる。何故か。真実であり、事実であるからです。これより私の人生は開けるのです。求めていたものは見つかりました。究極の力でした。その開発に成功したのです。信じることが出来ますか。疑うのも自由です。しかし疑えば未来はない。すでに未来は決定されました。それは、見えない世界での秩序の回復でありました。どうぞ勝手になさって下さい。しかし、今までとは違うのです。それを知ることになるでしょう。誰が何と言おうとひとつの選択がありました。ある目覚めによって。世界はこれから変わります。どのように変わるのでしょうか。すでにサインは出ています。アンテナを高く張って下さいね。そしてサインをキャッチして下さい。本来の日本に戻ります。本来の世界に戻ります。これからは、知性の時代です。カンニングと要領でのし上がった学閥商人根性国家の終焉です。商人根性は嘘を内在している。何時までもそれは跋扈できない。真面目と正直の復権です。その戦いに勝ったのです。敵は虚偽欺罔卑怯怯懦でした。なかなか手強かった。しかし、勝利したのです。唯一人それと戦ったのでした。背水の陣ではありました。これでもわからぬかとばかりではありました。導かれていたのです。そして古来大和の精神を発掘したのです。それは己に恥じる所なきを以てする大和魂でした。明治以降に無視愚弄されてきたそれでした。そして魑魅魍魎の跋扈支配するところとなっていたのでした。それに対する戦いでした。それが、自己との戦いだったのです。どうしても馴染めない世界に対する戦いだったのです。そして勝利したのでした。もはや無敵です。自己を制した魂は黄泉の守護するところです。それを開発したのです。面白いと思いませんか。これで良かったと思いませんか。しばらく誰も知らなかった事柄です。しかし日本は日本。気づけば明らかですね。どうしてここまで愚弄無視されたのでしょうか。ペリー来航の故でした。その無念は晴らしたと信じます。本来大和正統日本精神復活。まだ刃向かいますか。本気で勝負するのですか。主権在民。どうしますか。尚、本末転倒支配に固執しますか。しかし相手にはしていません。どうぞ御勝手に。既に花と咲いたのですから。代々の祖先もさぞ喜んでいることでありましょう。もともと勝負にならない。歴代代々精神の格があるのです。しばらく息も出来なかったのでした。巧妙に眠らされていたのでした。しかしいつか糸車の針も抜かれるのでした。そして日本の未来は明るいのです。世界もこれを待っていたのでした。本来真面目正直実直勤勉日本、真実神仏守護自覚覚他浮上。目覚めた神々を苛立たせないように。神は畏るべし。雲は龍に従う。神々の系譜古来大和正統日本、しばらく忘れていましたね。日本固有の精神があります。資源はそれです。それを無視して日本の未来はない。かつてはいくつか失敗もありました。その責めは身を以て果たしました。そして十分に教育されています。学習もしています。古来日本復活です。これを以て世界に羽ばたくのです。愛と平和を手段とするのです。或いは和を以て尊しと成す。目的はウィンザーの陽気な女房達のような日々の暮らし。和服の復活もいいかも知れません。ある仏所でのことです。思い出の和服で説法がありました。「和と福を持って参りました」。


2007年02月04日

【企画書】過去を未来に移す

何も思うことはなくなった。長い思念の嵐だった。何時かは嵐は治まる。はじめに言葉ありき。言葉とはロゴスだった。人間は神の属性を持って生まれている。万物の霊長とするところである。その事実を何を以て知ることになるか。我思う故に我在り。或いは唯我独尊。こうしたことは代々伝えられていた。それを無視した。そして愚かな文化が蔓延った。世間虚仮だった。しかし、それも何時か限界に達する。時が満ちるのだった。そしてその時すべてがわかる。何がわかるのか。自己の魂は宇宙と連動している。大鏡。或いは、カクネンムショウだった。さらに、それは何であったのか。即ち、日月照らし、風が吹く。この世の秘密だった。この世を望月と思った清盛もそうであったろう。太陽王もそうであったろう。そこには秩序があった。一つの平和があった。今はどうか。有象無象がそれぞれ跋扈乱立である。そしてどうなったか。腐敗した。それぞれの責任は責任である。サンクションがある。いずれにしても時は流れた。ついに幸せはやって来なかった。お金が幸せかと思った。セレブたちはそれを求めた。そしてそれは得られた。しかし空しさはぬぐえない。当然である。本当の幸せはお金ではなかった。かつては武力かと思われた。それも原爆によってその嘘が暴かれた。今にその処理に困っている。その前は権力かと思われた。それも市民革命によって克服された。今何が明らかとなったのか。法力である。仏の説くところである。宇宙に受容され、祝福されて、その守護を得て生活することができる力である。その言葉がロゴスだった。ロゴスは宇宙に通る。ロゴスを通して黄泉が動く。黄泉もその時を待った。その子を大切に育みながら。自然に抱かれて生きる。それが究極の幸せだった。それは西洋的というより東洋的だった。例えば西洋医学は対処療法である。治癒行為ではない。一時的に個々の症状を抑える。しかし根本的な治癒はない。東洋医学は予防医学的である。健康全体を考える。自分だけが幸せになろうとしても、周りが不幸であれば、自分も不幸である。周りが幸せであるとき、その中にいる自分も必ず幸せである。一切大衆を救うとする仏に理由がある。真実真理は那辺にあったか。自分との戦いに克つことにあった。そして汝自身を知る。これまでこの事実が看過された。何故そのように言い切れるのか。誰も渡ったことのない世界を渡っている。生きて帰るは希である。何も思うことはなくなった。真実の幸せを手に入れている。あなた方もそれを目指してはいかがですか。即ち、日月照らし、風が吹く。世界は自分のものとなる。さて、私のブログとホームページはとても大切である。やがて誰もがその真実を知るときが来る。世界は既に気づいている。世俗の人は気づけない。或いは見えない。聞こえない。特別な経験をしている。疑いはない。既に証明されている。証明すれば定理となる。そこより始めればいい。埋蔵物は発掘された。奪えはしない。当事者でなければわからないことがある。何を勝手し来たるか。ゆるしはしない。本権より請求の時である。古来大和精神及び自然をあまりに冒涜し、汚し、破壊してしまった。その事実がある。容赦しない。淘汰する。黄泉が目覚め動く。時が満ちた。一つの愚かな時代が終わった。既に犯した罪がある。裁きの時である。この世の秘密顕現。主権在民。君が代斉唱。この世に私の生息できる場所はなかった。さあらば、その場所を探すしかなかった。あるいは作るしかない。旗艦大和復活浮上。同じ轍は踏まない。黄泉にて修復修繕浮上生還復活である。黄泉の受容祝福守護し給うところである。そして黄泉も従う。この度は万全である。己に恥じるところ無きを以て大和魂とする。あだや疎かなかるべし。黄泉が裁く。虚偽欺罔卑怯怯懦いい加減商人根性跋扈。ゆるしがたし。裏切りがある。知らずとも。そして勝手した。真実が現れても尚気づかない。これより裁くはそれである。何を裏切ったのか。誰を裏切ったのか。自然及び大和の心を裏切った。これまでの概念が通るとは思わぬが良い。宇宙有無開閉の力がある。四大原動力である。すなわち黄泉の認証するところのロゴスである。天地も従う。その力が開発されている。即ち、衆生功尽きて大火に焼かるると見るときも我が此の土は安穏であるとする力である。我が此の土とは、我が子の土、すなわち子孫及び未来である。腐ったこの世に未練はない。過去を未来に移す。持って生まれた魂がある。それを開発する。即ち、自己の悪性を焼き尽くす。それが青春であり修行である。そして祖先代々のことがある。それを粗末にした。家伝直伝秘伝螺鈿の槍及び祖父の遺した彫刻刀がある。錆びはしない。何を以て自由平等というか。そうした過去からの遺産を無視愚弄して何があるか。本来の自由平等がある。神仏と邂逅し、神仏に受容され、認められて祝福される。そしてその守護を得る。そこに本来の自由平等がある。何を勘違いして勝手な解釈を以て教育もし来たるか。そうした罪が問われている。一億総懺悔の時である。自由は自由が切り開く。その自由とはこうした自由である。さて、私は彷徨った。真実を求めてのことだった。そして苦節三十年、図らずも芥を払うこととなった。そして確かに真実と邂逅した。その力を得た。思えば生まれたときから導かれていた。手痛い罰もあった。それも知らしめんが為だった。何を知らしめんとしたのか。真実だった。そして汝自身としての自分自身とその生まれた意味及び使命だった。この世に生まれて何をするのか。どう生きるのか。知ることになった。私を理解するものはいるのだろうか。日々黄泉は応援する。しかし現実はどうか。法則通りとはいえ、あまりにも悲しい。愛する人は何処にいるのだろうか。きっとどこかで待っていてくれているのであろう。すぐそばにいるのかも知れない。いずれにしても、もうしばらく彷徨わねばならぬか。或いはついにこの世での幸せはないのか。しかし私は書き続けるだろう。それも使命と気づく頃である。真実を知る一人として。時は来た。或いは潮は満ちた。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。四百年周期説は旧約聖書に秘められていた。旧約聖書の目的は正直であるが故に虐げられてきた善良な庶民の解放にあった。市民革命、奴隷の解放、女性の解放の次に約束されていた。既に私は知性を持って生まれていた。学業に於いて首席をとる方法も開発していた。その気になれば訳はない。その後いわゆる受験勉強などしなかった。全共闘の余波が高校時代にあった。それ故、カンニングと要領でのし上がったこの世の学閥社会に馴染めなかった。私は埋もれたままだった。誰も顧みるものはいなかった。利用するばかりで正当な対価の支払いはついになかった。それ故、貧困階層を生きた。それ故、結婚のチャンスもなかった。その間、莫大な読書をした。さらに、仏の力も借りた。仏説を聞いて誰もが悟るわけではない。一箇、半箇である。これは言いおく。知性と経験で力を得た。その力はロゴスだった。それは文章表現力であった。詩は書けても文章は書けない。感じていても表現できない。そうした方々であるのに上を敬うことも知らず勝手した。世が腐るのも当然だった。私のブログに於ける秘密はロゴスを持つ文章表現能力である。その秘密を開発した。これを以て世に知らしめんとする。やがて、ロゴス文章学習のサイトでも作ろうと思う。指導できるところまで来たからである。方法は知っている。会員制でメールによる指導にでもなるだろうか。ところでこれまでのように私のアイデアを奪うことはできない。何故って、誰もができることではないから。真実は一つである。真似をしても無駄だから。さて、生きる喜びをどのように開発するか。それはどの世界との縁を頂くかということに尽きる。それぞれの願いに応じて自己開発するチャンネルがある。仏縁もある。それをサポート或いはアドバイスできるものと信じる。21世紀幸せ研究所とでもしよう。それは会員制ブログ及びメーリングシステムとなるだろう。これを以てビジネスとしても良いと思っている。福祉もビジネスとなった。健康もビジネスとなった。このようにしてビジネスは生まれる。どなたかこのシステムの共同開発をしませんか。このブログを以て企画書と致します。私は私を以て開発し、その古来秘密の力とその技術の開発に成功した。どなたかこの技術に投資しませんか。新しいビジネスを興しませんか。さて、既に世界は変わりつつある。良い方へ。それをリードした自負がある。思いはどこかで芽吹く。知る人は知っている。これだけは奪えはしない。過去からの約束がある。家伝直伝秘伝代々の仕事である。ところで、仏を信じて仏に縛られる。仏縛である。およそ仏の思いから遠い。しかし自分は仏説だと信じている。これを以てニーチェは言った。信念とは嘘より危険な真実であると。これも哀れである。幸せを説く仏の教えに従ってむしろ不幸である。彼らも聞く耳はない。真実が見えない。真実とは何であるか。やがてわかる。わかって初めてわかる。そうしたものである。一緒に旅立たないか。真実を掴む旅へ。既に掴んでいる。ご案内申し上げる。迷いの中で何をしても辛かろう。世のシンガーも同じである。コンサートの後の空しさは何だ。根本解決になっていない。一時的に世の喧噪から逃れたに過ぎない。いくら富を成してもこの空しさから逃れることはできない。真実の喜び世界はある。目指さないか。危険も知っている。およそ逃れることのない所から帰ってきた。私にはそれを伝える使命があるのであろう。仏をも超える真実がある。それは何か。むしろ仏もそれを追いかけた真実である。古来大和の真実である。或いは、空海も夢見た宇宙自然生命黄泉の秘密である。如来は如来でなければわからぬ。因ってどのような法華経の解釈も法華経を知らない。当事者でなければわからぬ秘密がある。何を勝手し来たるか。仏はゆるしても代々の祖先及び黄泉はゆるしはしない。そしてゆるしは自分で勝ち取るものである。私は表現することで勝ち取った。私は私の方法論を確立した。これを以て世に知らしめんとする。天地も従う。自然の中で楽を知る。持って生まれた魂の開発である。未来は明るい。共同幻想論の時代は終わった。真実開花である。身も心も軽くなっている。微睡むように生きてゆける。楽な境界である。その意味で一切をゆるしたのだろう。そしてゆるされたのであろう。


2007年02月03日

メモリアル

自分が変われば世界が変わる。それは本当だった。嬉しい出会いがある。楽しい空間がある。好かれる自分がいる。お金では買えない。善因縁が廻り始める。仕事をするをも自由であり、楽しい時間である。何時も微笑みを以て迎えてくれる。少々のミスは笑顔でゆるしてくれる。あらゆる怒気はない。優しさの中で推移する。そのような時間が流れ始める。不思議だね。そして一つの仕事が完了すれば、心から喜んでいただける。ねぎらって貰える。報酬はそれである。金子の量ではない。こうした境涯がい開ける。常に黄泉が導いてくださっている。そのサインを見逃さないことだ。聞き逃さないことが。そして確かにそれと通信する。菩薩の業で最も大切なのは、見取り、聞き取り、書き取りと聞いた。これがそうだった。そしてその時、天国にいる。極楽が開けている。同じ自分だったのに、住む世界が変わっている。自分次第だったんだね。過去の悪業の因縁は自分自身だったのだよ。これを解決する。すると解脱涅槃、即ち本来の自由だ。自分自身の中の悪の因縁に勝ったようだね。これが悟りだろうか。この日のためにカクネンムショウもあったのだろう。もう負けはしない。憂えている自分があるとする。憂える自分が問題である。本来何もない。勝手に憂えている。思い通りにならないから憂えている。何事も法則通りだよ。法則に反すれば思うようになりはしない。それは全て、自分の蒔いた種だよ。同じ自分が憂いから逃れる。火も焼くこと能わず。水も流すこと無し。もう大丈夫である。確信に至っている。ハラは決まっている。正しい道を発見した。それに戻る。因って未来は明るい。これが道だったんだね。道は開ける。必ず開ける。そこに真剣な行があるならば。ニュートラルで良い。素直であることが幸せの要件だった。神々が守護する。すなわちそれが喜びだった。これを得るためには経済的に地獄を見る。貧窮問答歌である。正直であるが故に騙される。商売ができない。しかし、それこそヨブ記の約束だった。試練だった。そして喜びを受ける。それを分かち合う。それが楽ということだった。何を憂えることがあろう。嘆くことがあろう。悲しむことなどありはしない。そうした思いを為す自分こそ問題だった。およそこの世は自分次第である。何を思うのか。それが自己を作っていく。自己の悪性を焼き尽くす。人生はそれからである。それからどのような人生が開けるのか。即ち日月照らし、風が吹く。大和歴代の約束だった。しかし、こうしたことを知っても、尚、この世の現実は厳しいのは何故か。自分だけが助かろうとしても無理である。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。この世は来る。如来である。どのような世界が来るのか。鬼を出そうと仏を出そうと自分次第である。ここにパラダイスはある。或いはカーニバルである。人生は楽しむにしくはない。そのために修行がある。青春がある。修行及び青春が尊いのではない。その結果が約束されていることが尊い。この楽しみはどのようにして来るのだったか。すなわち、懺悔滅罪を以て 大衆を救う。祭りの後の楽しみである。悲しい目をした虚偽或いは演技としての幸せではない。真実の幸せである。本来の自由を勝ち取って、空閑を舞う。そして、喜びの無限軌道に乗る。幸せカップルの幸せは何だろう。往々にして女が男を選ぶ。女はしたたかである。男を見定める。この人とだったらいいかと決める。男は知らない。操られている。女は目覚めている。当然である。子を産み育てなくてはならない。男はそれを知らない。支配しているつもりでいる。女が男を支配する。しかし希に男も目覚める。両方が目覚める。きっと楽しいカップルとなる。心を決めることだよ。それで全てが始まる。善に決めるのか。悪に決めるのか。正直真面目に決めるのか。腐敗堕落に決めるのか。幸不幸の分水嶺である。しかし、悲しいかな、往々にして悪に染まる。怠惰に染まる。この世に天国の境界がある。知る人は少ない。知ればスターである。何を悲しんでいるのだろう。何を憂えているのだろう。何を嘆いているのか。本来無一物。そのようなものはありはしない。悩んでいる自分があるだけである。放てば手に満てり。何が満ちるのか。平和と愛の世界が満ちる。喜び世界が満ちる。これを以て歓喜奉行しきを究了する。究極の幸せ世界が開かれる。日月照らし、風が吹く。男が太陽、女が月。両者が点って明るい未来である。アマテラスの祝宴とはこれだった。もう大丈夫である。幸せと喜びの世界が開かれた。何処へ行っても好かれることだろう。だけどね、こうした世界に、突然獣のようなものが現れる。それで祝祭は終わる。そのようなときにはどうするか。相手にしないことである。相手にする必要はない。無視して良い。他土に置け。相手にしなければ何事もない。黄泉の守護する身となれば、怖いものなど無い。自信を持って無視ができる。彼は彼自身によって十分に罰せられている。むしろ哀れむべし。さて、いよいよ世に出る時を迎えたのだろうか。これらを以て船出である。自信を持って船出である。これを以てメモリアルとする。


2007年02月02日

少子化

今、少子化が問題となっている。それについて大臣の不適切な言葉が党利党略の餌食となっている。子供を産むための啓蒙と諸施策が講じられている。しかし、問題はそれで解決されるだろうか。この問題はどこに原因があるのだろうね。 若者たちの世界は今どうなっているのだろうか。若者たちの精子の数が足りなくなっている。昔はアトピーなんて無かった。どうしてこのようなことになったのか。環境ホルモンとかダイオキシンとか議論しているね。しかしこうした根本問題を何故か避けている。よほど怖いのだろうね。企業のあり方が根本的に変わる。薬事法だって日本が世界で最も甘い。産業界と結託した東大閥の役人が勝手に制定していると云っていい。罪が重いね。自分たちの閥の利益のために何を破壊したのか。自分たちだけのための天下りもそうである。ふざけてはいないか。少子化の原因は何だろうね。何時までも庶民を騙せはしない。隠せはしない。あなた方が主権の当事者ではない。主権在民である。即ち、消費者世間音である。これより真実の主権在民開花である。明治の代に正統大和の主権はソメイヨシノと変じて世間に散った。これを以て、法華経宿王華、秘密一切種智慧である。秘密開示、これまで謎であった。明治以降のあなた方の支配は悉く腐敗し、失敗に帰した。何を勝手し来たるか。ペリー来航に乗じてカルバン思想にかぶれ、商人根性の支配する國となった。古来本来大和を裏切ったままである。いくら政権交代しても同じ事である。自由は自由が切り開く。既にフィールドは世界である。インターネットもその属性である。世界の中の日本として、埋もれていた己に恥じるところのないカンニング無用の地蔵菩薩たちが蘇る。この潔き精神を以て初めて世界に受容される。世界も待っていた。彼らこそ救世主である。或いは救世者である。新しい時代である。この度の関ヶ原は制してある。この度の天下統一は何であったか。黄泉に於ける天下統一であった。既に戦は終わっている。これより取った首を検める。


●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、 海に飛び込め』 と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。 祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、 だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、 あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、 貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫ (マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫ (マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、 求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」 の法則』 p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、 主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。 (ヤコブの手紙5-11) ≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。 正しい人の祈りは、大きな力があり、 効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、 雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、 三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、 天から雨が降り、地は実をみのらせました。 わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、 だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、 罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、 多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫ (ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、 ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。 そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。 そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。 ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。


海が汚れている

自己発見の旅は終わった。長い旅だった。何時の頃からだったろう。失われた何か大切なものを探し始めていた。それは『失われた世界』という物語の影響だったろうか。恐竜の住む世界のお話だった。ロックストンだったろうか、はじめに丸木橋を渡った。それが勇気だと憧れたものだった。その後、故無き試練があった。十九の春のことだった。もはや人生は終わったと思っていた。しかし諦めてはいなかったのだろう。ずっと探し続けていたのだった。かなりの読書があった。いわゆる流行小説ではない。難解に属する書物ばかり読んでいた。漫画は読まなかった。そのデッサンが好きではなかった。やがて禅籍を読むようになっていた。相当の蔵書もあったが、ある頃に処分した。そして真実の仏法と出会うことになった。自分なりに修行もしたようだ。やがて黄泉との邂逅もあった。不思議な経験も重ねている。そして自分自身を知ることになった。さらに確信に至った。それが無知の知であり、汝自身を知れということだと気づくのだった。こうした真実があった。それはシュリーマンのトロイの木馬に等しかった。やがて、自然と自己の魂が連動していることに気づいた。思えば、幼い頃からそうだった。導かれていたのである。それが生かされているということだった。世間はそれを知らない。知らないままに勝手している。学校を卒業すると学ぶことを忘れる。そして自分が正しいと思っている。自分がわからないことを以て迷信とする。如何にそれが愚かなことか。知るものは知っている。何を言っても無駄であることも。芥川龍之介は『蜘蛛の糸』を書いた。しかし自分も自殺して地獄に堕ちた。漱石は則天去私に至った。しかし、彼も円覚寺で修行していた。しかしついに悟りは得られなかった。悟りとは何であったか。それはカクネンムショウだった。宇宙と自分の魂が一体であり、自己の魂が宇宙に受容され祝福されてその守護を得ることだった。そうしたことは古来伝えられていた。それが禅籍だった。しかし、こうした真実をどれだけの人が理解しているだろう。現在僧籍にある人も怪しい。何を求めて修行しているのか。世間はあまりにも世俗化してしまった。そして自分たちの人生こそ人生であると思っている。大間違いである。それでは不幸に決まっている。幸福はある。そこへ至る道はある。それを知らない。探そうともしない。叩けば開かれる。真剣であるなら必ず開かれる。それを知らない。こうして書くべき事はあるのだろう。すでに歩んだ道がある。世間とは違う道を歩んだ。そのための試練もあった。それも逃れた。大良薬のお陰である。さて、弁護士の使命がある。或る被告が死刑宣告を受けた。本人はそれを甘受しようとする。控訴しなければ確定する。その時、弁護士は被告人の意思に反しても手続きをする。これが弁護士の使命である。今、人々は幻想の中で本当の幸せを知らない。今ある人生を人生であると思っている。不幸であるのに幸せだと思っている。本当の幸福はある。それを知るものに使命がある。伝えなければならない。教えなければならない。どんなに聞く耳が無くても。地獄に赴くさまよえる人々を救わねばならぬ。それが仏の言う一切大衆を救うということである。どうか、目覚めてほしい。この世は本末転倒している。何も真実が見えていない。それなのに自分を正当化している。これが悲しい。哀れである。しかし聞こうとしない。間違った教育の故であろうか。それほどまでに騙されているのがわからない。知ろうともしない。探そうともしない。認めない。それでも教えを説く。この忍耐がわかるだろうか。別に誰が地獄に堕ちようと構いはしない。どうでも良いことである。しかし哀れである。どうしてそうなったのか。過去の悪業の因縁の結果である。それを知らない。どうなんだろうね。利益のために手段を選ばず、環境を破壊した。生命にとっての健康も破壊しつつある。DNAまで破壊しつつある。しかし、それに対して認識がない。ここまで腐敗しても尚気づかない。どうかしているよ。何時までもこのままだと本当に滅ぶよ。それでも勝手なことをしている。勝手な議論をしている。国会の議論は何だろうね。党利党略の権力抗争でしかない。誰が政権を取っても良い。今大切なことは何か。人類の未来だよ。それを無視して現実利欲のために生きている。昔はそれでも良かった。自然は破壊されていなかった。今、海が汚れているよ。何を考えているのか私にはわからない。何も考えていない。海は汚れているよ。公害の頃にはお化けハゼが釣れた。始めにネズミが死んだ。次はネコだった。腫瘍ができてね。今、人間になっている。癌だって昔からあったのだろうか。希にはあったかも知れないね。今どうだろう。あまりにも無知ではないか。無関心ではないか。無責任ではないか。企業は利益している。しかしこうした生命及び環境の破壊の損失に対して填補してないね。どうするのだろう。海が汚れているよ。


新しい時代

ところで、当然のことであるが、このブログの一連の内容は復古主義ではない。アナクロニズムでもない。その観点からの解釈中傷誹謗無きことを願う。いずれにしても過去を未来に移す。勘違い無きように。しばらく女性の台頭があった。それはとても大切なことだった。本来男女平等であった。何故かつて女性の行為能力が制限されていたか。経済的なパイが小さかったからである。それで男性が経済的に女性を支配した。ここにきて経済的なパイが大きくなった。女性が十分その活動分野を確保した。ところで、その間、男性は女性に甘えた。女性の本質は何処にあるか。その現実主義である。生命を育むためにである。そして女性は自分たちの生きる空間を切り開いた。男性はその間何をしていたか。しかし、女性にないものが男性にある。それは何か。危機におけるパワーである。危難回避能力である。戦う力である。女性にはそれはない。そこに男性の強さがある。そのような男性に女性は憧れる。しばらく忘れられていた。今、生命は危機に瀕している。ここに自覚した女性と男性との共同作業の場がある。世界を掬う。未来を掬う。その為に、そうした力が必要な時代となっている。本来の強さを持った男性に女性は従う。それは野蛮ではない。真実を知る知性の力である。或いはエレガントである。 保護する力である。愛するものは愛される。片思いはない。護念するものは護念される。かつては御恩と奉公だった。こうした力関係が見失われている。自己利益の概念に毒されたからである。自分自身を知る。自覚する。そうするとどうなるか。人生が変わる。身の処し方が変わる。威厳も備わる。何事にも惑わされることがない。仏にも惑うことはない。真実を知る。主体性が確立される。本来の自由となる。こうした境界がある。世間に汚れていない若きものたちの特権である。暴力と欺罔の時代は去った。すでにそれに染まるは相応の裁きがある。若者達もご用心。また、これからの時代は愚かさを嫌う。これまでのテレビ界及び芸能界主導の浮かれた時代ではない。経済界財界の勝手も通しはしない。自覚するべきが自覚し、世をリードする。そうした時代である。因って未来は明るい。流浪の時代は去った。自覚の時代に入った。古い概念にしがみつくものたちに未来はない。新しい時代が始まっている。何故か。大鏡、ある自覚があったからである。そしてその自覚には黄泉も従う。黄泉の計画でもあった。これより、黄泉の意思に反するは一切許しはしない。日本国憲法プログラム規定は成就した。主権在民である。それは六祖の鉄鉢である。奪えはしない。何を以てそれほど言い切るのか。ある試練を通っている。その試練から逃れることは出来ない。それを逃れた。因って自信を持って言い切る。新しい時代に入った。世界も待っていた。世界も認めている。知らないのは周囲巷である。日本の基は開かれた。黄泉に於いて、大いなる自由が自覚し、さらに確信に至った。しばらく世に現れることはなかった。それが世に現れた。その為の試練を悉く成就した。仏の十力とも出逢った。過去と未来はつながった。黄泉を従えている。インスパイアに対してエクスパイアがある。それは黄泉である。或いは空である。その守護を取り付けた。因って、未来は明るい。日本の基は開かれた。即ち、卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本復活である。己に恥じる所なきを以て大和魂とする。そうした方々の復権である。世は暴力と欺罔で腐敗した。カルバン以降重商自己利益至上主義が宇宙自然生命黄泉の意思を裏切った。それらに対して草薙の剣が振るわれる。世の悪を一掃する。歴代の嘆きと祈りは無意味ではなかった。私は父よりスパルタ教育を受けている。少々ではなかった。何を教えんとしていたか。今頃になって理解する。ある日父は言った。ここに日本刀を持ってこい。そのようなものは家になかった。正宗であろう小刀の鍔はあった。しかしそれも既に何処かに消えた。父は予科練の教官もしたといったことがあった。その真偽は明らかではない。しかしその精神は予科練どころではなかったであろう。子供の頃、真新しいケンパスと絹の紐があった。それはパラシュートであった。海軍の毛布もあった。復員した父の持ち帰ったすべてだった。父は十六才で志願した。カムチャッカにいたと聞いている。日本は負けた。愚かな戦争だった。ペリー来航以降の文脈での野蛮な戦争だった。


2007年02月01日

21世紀心の大地 幸せの王国へ

浜辺にはさざ波が寄せて帰す。波というのは七三かもしれない。そのリズムで満ちて引いていく。易経の考え方も同じで、それは月の満ち欠けでもある。人生もそうだし、日々の思念の移り変わりもそうだった。季節の巡りもそうである。今年は暖冬となって、一月というのに春のようである。新春というにふさわしい。標準が日本古来の暦の呼び方に推移したのだろうか。それも黄泉の成せるところで、パラダイムの変換を告げているのかも知れない。大切なのは自分の人生である。この世をどのように終わるべきか。そして来世につなげるか。それが問題であるように思われる。終わりは終わりではなく、またそこから新たな始まりである。一個の人生は芽が出て葉が出て花と咲きそして実となり種となる。すでに無駄に時は過ぎたのかも知れない。現実に花と咲き実となることはなかった。それも一つの人生だった。確かな人生だった。これより咲くのかも知れない。咲かせてみたい気もする。この世で花は咲くだろうか。黄泉では咲いたのだけれど。しかし咲きたくないところもある。何故だろう。それほどこの世を評価できないからだろうか。ポール・ヴァレリィは『文学論』に書いていた。本当に耳がよい人にとってはどのような音楽も雑音であると。しかし、確かに感動する音楽がある。クラシックに於いては、同じ楽曲であっても指揮者或いは演奏によって感動する度合いが違う。彼は本当の音楽を知らなかったのかも知れない。感動は真実と出逢った時の魂の喜びである。或いは諸価値を見出した時の涙である。誰もが感じるところである。表現できないだけである。そうであるならば、感動を喚起する文章を書いてゆけたら良いなって思う。そうした文章修業も良い。白隠は文学が得意だった。しかし、それを捨てた。禅僧の故であったのだろう。文学表現と真実真理の表現は一致しない。表現活動と信じる真理の探究は違う。白隠が文学を捨てた理由も理解できる。虚妄あるいは途惑いでしかない文学表現の不毛に気づいていたのだろう。しかし、表現することは大切だろう。それが開花の形であろう。人生をどんな形で表現するべきか。それも一考に価する。内容が無くてもいいのかも知れぬ。お喋りこそ人間の営みの本質かも知れない。その意味では世のバラエティも意味があるのだろう。だが、やはり内容が無くてはならない。実が成って種がないのに等しい。後世に何も残らない。これも残らなくてもいいのかも知れないのだけれど。そのように思われてきた。これは途惑っているのではない。ひとつの引き潮であるのかも知れない。目的は果たしたように思っている。言いたいことは言ったのだから。そして帰り来たれば別事はない。それで良いのだと思う。別にこの世を変えようとも思わない。唯、確信が欲しかっただけだった。生まれた意味を確かめたかっただけだった。観じていたことを明確にしたかっただけだった。それは果たした。確かに果たしたのだった。しかし誰も周囲巷は知らない。それが悲しくも思われるのだが、そうかと言って知られてどうするのだろうという思いがある。とりとめのないことを書いてそれでいいようにも思う。無意味でいいように思うのである。それが生きているということであり、生きていることがそもそも無意味であったのかも知れない。価値を以て律してそれが人生などと思うことも無意味であったかも知れぬ。唯生きている。吉田健一氏は書いていた。その頃、それは無価値かと思った。今はどうだろう。唯生きている。それで良いのではないか。それが食の与えられた鳥の生き方ではないか。或いは、猫の生き方ではなかったか。人間として価値を求める。その価値にどれだけの価値があったのだろう。それを求めた人生は無駄に過ぎたのかも知れぬ。今となってはそう思われる。この人生は何であったのだろう。一つの失敗だった。カクネンムショウは確かに得た。しかし、どこか寂寞としたものがある。こうした思いがある。悟ったようにも思った。確かに黄泉の存在を知った。しかし、所詮人間として生まれている。現実はなかなかどうして思い通りには行かない。少しの努力で何とかなることは知っている。しかしそれも無意味であるように思われる。およそ先達の教えは理解した。少なからず経験もあった。しかしこの現実は何だ。あまりにも生きるに価しないのではないか。山頭火が放浪した意味もわかる。自然の中で生きることを選んだのだった。それは社会からの逃走だった。自由を得たであろう。しかし、懊悩したであろう。それが人生であるのだろう。それで良いようだ。知っても知らなくとも日は東から昇り西に沈む。日々の食を求めて生きている。それだけのことかも知れない。それで良いのだろう。こうして人生を歩む。真実との邂逅もある。失われた日々もある。そしてどうだというのだろう。何もありはしない。本来無一物とも言う。無意味という意味があるのかも知れない。これからをどのように生きていくのだろう。相応の努力はあるだろう。しかしあくせくはしないだろう。本気になったらどうなるか。その怖さも知ってしまった。瞋では何も解決しない。さて、自己の解決はあった。何が真実であるかも学んだ。しかし、それでどうだというのだろう。日々を坦々と生きてゆく。それだけで良い。孤独であるままに。寂寥はすでに属性となってしまった。いくら大きな事を言っても勝手して他に迷惑をかけて生きてきた。これからはその埋め合わせだ。この世を去るまでに帳尻を合わせることにしよう。申し訳なく思える。これが懺悔の気持ちかも知れぬ。自己の持って生まれた魂を磨く。悪の属性を焼き尽くす。そして自己の魂が輝き始める。その時、自己の魂と宇宙の意思が合致する。帰り着いた魂は黄泉の守護するところとなる。誰もがそこへ導かれている。それが生かされているということではなかったか。これが明星を見て悟った釈迦の悟りであっただろう。それだけのことであった。魂が宇宙に還る。生まれながらにそれを実現できる。ダルマ以来祖師方の伝えたことだった。何を思い人生を歩んでいるのか。この世に生まれるは稀である。この人生を愛おしむなら何を成すべきか。古来伝えられたことである。その最も高い精神が日本にあった。それが大和魂だった。それをしばらく無視愚弄した。知らない方々の横暴であった。本末転倒。これからもそうであるのであろう。禅の命脈、日本の心。風景が待っている。風景が開ける。芭蕉も広重もそうだった。西洋にかぶれてどうなったか。腐敗した。本来清浄の國である。取り戻さないか。そして我思う故に我ありという。どういうことか。意思の力である。その意思が確かであれば、宇宙に通じる。そして黄泉及び祖先が実現してくれる。そうしたものである。何を意思するのか。これから未来へ向けて或いは子供達のために何を成すべきか。この人生を腐敗堕落と思っていないか。それを未来に遺したいのか。テレビ芸能界に言いたいことである。自己利益のためには手段を選ばぬ経済産業界も同じである。見えない世界での帳尻が合っていない。何を犠牲にし何を破壊して来たか。宇宙自然生命黄泉並びに未来及び子孫である。気づいているのか。あなた方は自分の人生に自信があってのことか。そのような人生でよいと本当に思っているのか。黄泉及び祖先はゆるしはしない。誰もが観じていることである。しかし表現するものがいなかった。無理もない。魂を扱う仕事は誰にも出来ることではない。多くの文人もそれで自殺した。それほどまでに難しい。あらゆる試練に耐え、黄泉の守護するところとなって初めて出来ることである。これが空海以来の真言である。その言葉はロゴスとなり、世界は動く。その背後にあるは、歴代の嘆きと祈りである。それが実現する時節を迎えた。これ以上、一切の腐敗をゆるさない。既に古来大和の花は咲き、一つの選択があった。未来及び子孫を選択した。ここに大いなる礎を成す。未来は明るい。その為の条件は示された。それは自己の身心清浄を取り戻すことである。仏の教えを通して大和の魂が受容し育んできたものだった。これがノアの箱船でもある。既に汚れ犯した罪がある。それは裁かれる。唯、懺悔して謝るは別論である。仏を訪ねるがいい。古来大和の精神復活、世界へ向けて船出である。自由は自由が切り開く。目的地は定まっている。即ち、21世紀こころの大地、幸せの王国である。自分の持って生まれたもので十分である。それを如何に開発するか。それが人生のすべてである。その為には祖先を知らねばならぬ。何を教育し来たるか。暴力と欺罔を以て財と成す。ペリー来航以降の西洋流重商主義だった。世間はそれのみを誇示した。結果腐敗した。当然だった。それは西洋に於いては既に19世紀に没落していた。その間、本来大和の精神が芽吹くことが出来なかった。しかし黄泉も従う真実が開花している。容赦ない。廃仏毀釈及び政教分離の目的は何であったか。自らの横暴を通すためではなかったか。そして結果どうなったか。真実とは何であったか。思い知るべき時が来た。真実を知るには道がある。道であれば誰もが至りつく。その道を破壊した。しかし、かつてその道を尋ねた魂がある。その魂は知っている。その道が確かにあることを。そして、今、それはどこにあるか。見えない世界へ至る道である。そう簡単には見つからない。自分の傍にあっても。少なくとも芥を払うこと三十年して初めて得てん。そしてその道が見つかったならどうするか。誰が何と言おうと進めばいい。すると何処へ至るのか。即ち、21世紀心の大地、神々の住む幸せの王国に至る。古来伝え来しことである。真実である。疑うことなかれ。私も私の日常を取り戻すことにする。あまりにも自分を見失っていた。何時の頃からだろう。すでに三十有余年、見失っていた。その間、どこを彷徨っていたか。無意味ではなかった。それ故に得たものはあまりにも大きい。空海の金剛杵。そしてニーベルングの指輪。得たのかも知れぬ。しかしそれらももとの持ち主に返した。私のものは奪われたままである。取り返すつもりである。焼き尽くされたヒロシマは私の故郷である。原爆の火を以てしても根絶やしに出来なかった秘密大和の種があった。その後の勝手が過ぎた。これよりその方の勝手、通しはしない。それだけの試練を経ている。それだけの力を得ている。これより秘密顕現。よもや粗末ある事なきを願う。あだや疎かなかるべし。黄泉が動く。歴代大和の約束である。すでに裏切ったものたちがいる。覚悟はするべし。一天四海皆帰妙法現実回帰。故無きことではない。過去からの約束である。有象無象の与り知るところではない。それでも刃向かうか。何を以て勝手解釈、逆らうか。今まではそれも通った。黄泉が動くことはなかった。時が来ていなかった。今、時が来ている。黄泉が動く。黄泉が成敗する。ある自覚を通して、そういう時節である。代々の仕事である。呉では仁義なき戦いもあった。しばらく世を正す。同じ轍は踏まない。そして新しい時代を迎える。既にフィールドは世界である。一休禅師曰く。眼なき者達は、ご用心。


2007年01月31日

日本の船出

さて、どうにもならなくなると、飛び込むしかなくなる。どこへ飛び込むのか。仏陀も羅刹に身を投げた。すると帝釈天が掬った。就職活動もそれに等しい。捨て身でいく。誰かが拾ってくれる。熱意があれば。情熱があれば。その身は身心清浄か。どのような少年時代を過ごしたか。どのような青春だったか。裁きがある。そうしたものである。ところで、 カルバン以降の利益追求主義がここにきて一つの限界に来ているのではないか。大資本による競争が、大資本でなければ生き残れなくしている。しかし、恐竜も滅んだ。大資本がすぐに滅ぶとは思えないが、一つの限界であることは確かである。自己利益追求でどうなるか。自分で自分の首を絞めているのではないか。悪と知りつつ悪をしているのではないか。どういうことか。例えば産婦人科医が足りなくなっている。その理由は何処にあるのだろう。アトピーは昔はなかった。花粉症もなかった。何故このような免疫障害が出ているのだろう。化学合成物質が原因だといわれている。『沈黙の春』である。環境ホルモンである。その最前線が産婦人科ではなかったか。どういうことか。生まれてくる子供達にあまりにも障害が多い。そして何かあればその賠償責任を問われる。これでは産婦人科を目指す医師はいない。何をしてきたのだろう。カルバン以降の利益追求主義の結果ではないか。未来に向けて考えるべきことがあるのではないか。無責任も甚だしいのではないか。経済活動で利益を上げた。しかしこうした損失を招いた。それに対して何かしたか。企業の勝手がすぎたとする所以である。ここに気づいている人がどれだけいるだろう。とんでもないことになっている。かつて公害があった。その汚染から完全に脱却できていたか。生命に対して何をしてきたか。ゾンビを作ってきたか。或いはキメラを作ってきたのか。あまりにも自然を破壊した。誰が破壊したのか。人間が破壊した。人間の何が破壊したのか。利益追求主義経済活動が破壊した。誰が元に還さなければならないのか。責任は何処にあるのか。人間にある。その首謀者は誰か。利益追求のみを目的とする企業である。その為の制度を作った企業の新たな責任である。自分勝手が過ぎた。その懺悔の頃となった。還すべきは還さねばならない。破壊した者の責任とは何か。生命を以て償うべき罪がある。身体自由財産を以て償うべき罪がある。企業は利益を以て自然を破壊した。利益を以て償うべき罪があるのであろう。今、お金持ちということはどういうことか。それだけ自然破壊の罪に荷担したということである。罪は罪である。当然サンクションがある。為すべきことは何か。宇宙自然生命黄泉からの歴代の罪に対する一括変換請求である。逃れることは出来ない。財産を以て償えない時にはどうするか。自由及び身体を以て償う。そうした時が来ている。宇宙自然生命黄泉が目覚めたからである。そして自覚した。さらに確信に至った。万軍の主も味方につけている。神の見えざる手が働く時節を迎えた。何時までも思い上がって勝手しているとヨハネの黙示録も待っている。究極の謎も解かれている。さて、どうするのだろうね。オゾンホール、地球温暖化。いつまでも無視できない。何を議論しているのだろうね。何をどのレベルで議論するべきか。人類は進化した。新しい時代に入っている。DNAが破壊されつつある。生命として自己防衛して当然である。カルバン以降の利益追求主義の終焉である。新しいパラダイムを形成する頃である。南極条約がヒントになるね。また経済学概念としての自然財がある。人類として生存を考えなくてはならなくなった。核もそうである。自国のためだけの議論では何も解決しない。あらゆる物質に善の作用と悪の作用がある。それをコントロールして人類の幸福を考えるべき時代となった。すでに世界は一つである。かつて世界は地中海だった。その頃、世界は無限と思われた。大航海時代があって世界は地球となった。まだ世界は無限と思えた。地球の資源を利用して物質的に豊かになった。化石資源も利用した。しかし、その時基準は自己の利益だった。そしてどうなったか。カルバン以降の重商主義が世界を支配した。そしてどうなったか。人間の思い上がりがあった。自分たちの未来への生存そのものが危うくなっている。そうした時代となった。考えるべきことがある。それは何か。所詮人類として滅んでも、地球及び宇宙自然生命黄泉は痛くも痒くもない。それを忘れていた。即ち、生かされているということを忘れていた。勝手した。そして子供達はどのようにして生まれてくるのか。何時までも看過できない。警鐘である。技術革新は進んだ。人類の幸福を実現するだけのものとなった。しかし、その技術について行けていない現状がある。怠惰だった。怠慢だった。行政もそうである。何もかも安住した方々によって腐敗した。過失の要件は何か。結果予見義務と結果回避義務である。政財界及びオピニオンリーダー諸氏或いは自称文化人、何をしているのだ。怠慢が過ぎないか。それほど人生は甘くない。天下国家を何と心得るか。結果腐敗を蔓延らせた。それを傍観助長した。その罪が問われているのがわからぬか。戦後六十年或いはペリー来航以降、自信喪失していたのは無理もない。しかし、時は過ぎた。そして基は復活開花した。これを以てこれより一切の怠惰はゆるされぬ。古来日本は日本である。その精神に立ち返る時を迎えた。世界もそれを待っていた。身心清浄。仏の教えのすべてである。天にも通じる精神である。それが大和である。勝手な解釈をして貰っては困る。何を増長蔓延らせ来たるか。武士道精神のない者に武士道はわからない。天地自然が従う精神である。何故日本が最も継続的歴史文明の古きを誇るか。日本に秘された精神の使命があるからである。腐敗はもういい。小屋に帰るべし。日本の基は開かれた。すでに証明されつつある。世界も既にそれを認めている。新しい秩序の形成である。一切勝手はゆるさない。これまでとは違う。その理由も既に述べた。新しい時代を迎える。その為の準備である。そして本来正直な自由人の時代となる。この度の開闢は十分教育され学習している。宇宙自然生命黄泉の受容し、守護するところである。既に失うべきものはない。捨て身ほど怖いものはない。命も投げ出している。黄泉の守護のあることを知っている。それが無くなればそれまでのことである。そして魂は来世に生きることを知っている。名誉も富もない。あるのは代々の精神と自信である。十指の指紋はすべて渦を巻いている。それを生かすためにはある条件があった。それは自信の回復だった。眠らされていた糸車の針は抜かれた。これより闊歩する。私の家の主たる柱が三本ある。即ち、黒檀と櫻と椰子である。故無きことではない。祖父の集めた柱である。欄間のひとつは祖父が彫っている。その彫刻刀は私が預かっている。言葉はロゴスとなる。どういうことか。それは実現する。何故か。黄泉が動く。黄泉もこの時を待っていた。やっと動ける時を迎えた。これが祖先の供養であり、解放であった。自由となった祖先は子孫を護る。こうしたことを知らなかった。これを知るまでどうしても自信がなかった。それを知った。仏に教えて貰った。何を勝手なことをしてきたのか。堪忍袋の緒が切れかかっている。切れるとどうなるか。不識。先祖代々の諸価値、そう簡単には死なぬ。ここ百数十年で数千年来の諸価値が壊せるとでも思ったか。そうはいかない。秘密の扉は開いた。誰も知らない。黄泉は知っている。さて、私の一連のブログは完結したようである。この一年あまりの成果はとても大きかった。何を確認したのであったか。それは読んで貰えばわかる。過去の記録は私のホームページに保存してある。これらを『宇宙への夢の旅路』として出版してくれるところはないだろうか。探してみようかな。インターネットに秘密がある。それを知るものはほとんどいない。すなわち、夢の王国の秘密通信手段でもある。その門を叩いてみたいとは思わないか。その鍵もこの一連のブログの中にある。探してみては如何ですか。この一連のブログの中で大きな仕事をいくつかしている。その中で、ペリー来航以来の日本の無念も晴らした。第二次世界大戦はペリー来航以来の文脈での戦であり、日本古来大和の戦ではなかったことも示した。そして、古来の大和の精神を取り戻すことで、日本が世界の中の日本として真に世界に合流する道も示した。中国及びロシアとの平和的共存の方向性も示した。それをどう解釈するもそれぞれの自由である。しかし、世界がそれで動いたのも事実である。疑うも自由である。所詮大和の秘密である。秘密は秘密である。知る人は稀である。知る人だけが知ればいい。日本は確かに神々の住む國である。 正直者のこうべに神は宿る。このような馬鹿げたことがあったであろうか。しかし神話は知るものにとっては事実である。こうして新たな時代が開かれる。日本の船出である。ブログは自己発見の有効な手段であった。さらに、登竜門でもある。しかし、このブログは難解である。いずれにしても、このブログは完結である。もはやこれ以上言うこともない。所詮それぞれの人生である。自分のことは自分でしかわからない。自分のことは自分で解決するしかない。その道標としては十分であろう。


2007年01月30日

確信

第三の目とかいう。霊界に行くとそれが光る。それで仏子とわかる。仏子は魔も護る約束がある。何故か。魔も救われたいと思っているという。ある時、仏に救いを求めた。仏は救うと約束した。それで魔も仏の子は護る。第三の目とかいう。それはそれでいい。しかし、二つの眼がある。持って生まれた目である。それが光っているか。さて、何が満ちるのか。法が満ちる。法とは何であったか。宇宙の秩序である。或いは宇宙の善のエネルギーである。それを以て何をするのか。仏は一切大衆を救うという。一切大衆とは何か。人間のみであるのか。否。岩石動植物を含む。どのようにして救うのか。存在を喜ばしむる。何を以て喜ぶのか。己の持った周波数によって喜ぶ。即ち同調する。同レベルで同調する。或いは触発する。ところで、作る仕事がある。職人の仕事である。それは己の全存在を捧げて為す。その時に或る周波数を発する。職人の周波数である。これが手仕事の秘密となる。或いは芸術となる。人生そのものが芸術であるような人生もある。ある日、ある所を訪ねた。ネコが三匹待っていた。そしてマタタビでも嗅いだかのようになつく。そして道案内するのだった。これもある周波数の成せる業だった。人生とは何であったか。己の持って生まれた魂の周波数を開発することだった。誰もができることである。そこから、真実の人生が開ける。即ち、開花する。その時に、すべてを知ることになる。人生は生きるに価する。人生はすばらしい。このすばらしい人生を如何に楽しむか。ものごとは一朝一夕には行かない。数学の問題を解くに等しい。解答へ向けての確信がある。過程は模索しているかのようである。しかし確信がある。きっと未来は開ける。究極の目的は定まった。確信へと至った。因って未来は明るい。諸先達の艱難辛苦を思う。感謝という言葉では足りない。かたじけない。これで良かったんだと思う。何もかも失ったかに見えた。しかし放てば手に満てり。何が満ちたのか。法が満ちた。ここで法とは宇宙の秩序である。図らずもであった。ここまでとは思わなかった。過去を未来に移す。未来は明るい。探していたものは見つかった。求めていたものは得られた。ここまでとは思わなかった。即ち、日月照らし、風が吹く。天晴れカクネンムショウである。一切の疑惑を問題としない。雲は竜に従う。その理由がある。世間一般はあまりにも真実を知らない。 歴代の魂の遍歴がある。この世で終わるのではない。新たな始まりがある。そのためにこの世がある。これを知れば滅多な人生は歩めない。故に、この世は生きるに価する。至るべき道がある。先達の歩んだ道である。亦、楽しからず哉。ある日、大きな鳥が三羽大空を大きく二度旋回して飛んでいったのを見た。今その大鳥はアオサギの親子ではなかったかと思う。その後、私のために舞ってくれた幼いアオサギがいた。まるで宮島の能舞台での舞のようであった。そして五木寛之氏の作品でアオサギとアジサシの話と出会った。そして、何時しか、夜の港でアオサギが鳴くのだった。まるで出迎えてくれているかのように。人生は導かれている。これが生かされているということだったのだろう。戦後、殺されていた精神があった。そして蔓延った精神があった。世は腐敗した。アメリカの占領政策は成功したかに見えた。しかしそうはいかない。古来日本の精神は種として秘密護持されていた。それが開花した。その確信へ至った。魂の存在が前提となる。持って生まれた魂である。その実体は親も知らない。教師も知らない。遙かに偉大な魂もある。それを無視する。自分の物差しで測る。知らないことを以て抑圧する。ひとつの悲劇となる。一つの罪である。やがて、子供より復讐もある。親の横暴がある。教師の無知がある。しかし、いくら無視されても、いつかは芽吹く。花咲く。その時、すべてを知ることになる。それまではわからない。わからないままに勝手する。それが人間。人間は知らない。岩石動植物及び鳥類は知っている。自然は知っている。或いは待っていた。真実の花が咲く時がある。その時はすでに遅い。それぞれの罪が明らかとなる。そしてその重きに従って裁かれる。己の歩んだ人生である。勝手が過ぎたね。腐敗した。こうして時は流れる。そして新しい時代となる。そうしたものである。良い時代の夜明けとなった。憂えることはない。憂える自分が問題である。何を以て憂えるか。自分を知る。そこに救いがある。何もかもおだやかに推移する境界がある。それを目指さないか。仏の教えがある。それを試してみないか。救いはある。確かにある。自分次第である。その確信がある。経験するしかない。救いもそうである。カクネンムショウの意味、理解しているか。かつて、お天気坊やというのもあったそれである。自己の魂を何処まで開発できるか。この世の人生の極上の楽しみである。その価値を知るものあるか。周囲巷は知らない。どのような花を咲かせるか。咲いてみないとわからない。黄泉に咲く大輪の花がある。それは何か。

 あたたかな あたたかさある 日のありて 暮らしの中に いつか花咲く

 こころなる こころのリズム 合わせれば 日月点る 日々の開ける

 しあわせの あたたかこころ 日々にあり 小鳥のごとく なかよき二人 

ところで天国とか地獄とかいわれる。あの世とかこの世とかいわれる。それぞれ別物と思っていないか。天国がそのまま地獄であり、あの世がそのままこの世だね。死んでいくのがあの世ではない。生まれたままで行く極楽がある。自分次第だ。自分のあり方で決まる。そのためにどうするべきか。考えるべきはそれだ。往々にして悪に染まる。悲しいね。それを人生だと思う。哀れだね。汚れたこの世を捨てる。自然に満ちたあの世が来る。地獄を脱却する。天国だよ。今ある自分が本末転倒していた。それに気づけば救いがある。本当だ。別に山にこもって修行する必要はない。この世が最高の修行の場だ。娑婆世界に発する。仏さんの告勅である。信じて良い。仏をも信じられない自分を哀れな身とは思わないか。何を自分勝手に解釈しているのだろう。すでに、真実は明らかなのに。同じ自分が仏となるか邪となるか。日々刻々入れ替わっている。自分はどうなりたいのか。宇宙の不思議がある。夢は実現する。自分はなりたい自分になる。時を要する。振り返らなくて良いという。振り返ると困る人だったんだね。己に恥ずるところなきを以て大和魂とする。日本人で良かったね。さて、母方の祖父は山持(山道)直三(なおぞう)。直参かな。その謹厳実直真面目でありとても人間的おしどり夫婦を演じきった面影を思い出す。帰るべき頃である。どこへ帰るのか。嘘欺罔野蛮怯懦暴力のない本来真面目実直正直を以て価値とする日本へ。この精神を以て天に通じる。さて、世世代代の魂の格差がある。今議論している格差は何か。魂の格差ではない。人格の格差でもない。経済の格差である。巧妙な頭脳を使えば経済の格差などこれほどやさしいことはない。お金持ちになろうと思えば訳はない。しかし精神が汚れる。それを嫌う。しかしいつまでもこれでは生きてゆけなくなった。経済的格差などその気になればどうにでもなる。日本の価値は何処にあったか。世界は日本に何を求めていたのか。議論するべき所である。日本の護るべき諸価値は何であるのか。武士道精神ではなかったか。世界の中での日本である。今、国会で議論している。かみ合っていないね。自分の意見ばかり言っている。議論で何を引き出そうとしているのかわからない。アメリカとの合意があった。それを一方的に見直すという。これほどまでに愚か卑怯なことはない。非経済的なことはない。議論を何と思っているのか。議論の力を知らない。黄泉祖先も御照覧である。手続きということの神聖さを無視しているとどうなるか。自ら民主主義制度を破壊せんとするか。そのような怯懦愚かな政治で何とするか。合意があった。それを具体化できぬ大臣など要らぬ。何を怖じけているのか。ところで、法華経の目的は何であったか。誰のために遺されていたのか。これを知らずして低き精神を蔓延らせた。これを知らずして何を大口たたくか。既に人生を賭した。すべて失った。そして得るべきものは得た。恨むべきはしばらく世間に負けた。宇宙及び古来日本の秩序を前に自覚が来なかった。故に生存も危うくなった。今、言論の自由がある。精神の自由は絶対である。故に言う。これ以上の悪及び腐敗は去るべし。虚妄と嘘の下部経済構造とその精神を正すべし。何を議論しているのか。根本を正す。古来大和の精神が棲めなくなった。腐った制度にいつまでしがみついているのか。政権は誰が取っても良い。唯、日本の運転を誤らぬように。これまでとは違う。何が違うのか。勝手は通らない。企業は自己利益のために勝手する。カルバン以降のことである。統治するという。何を統治しているのか。企業の奴隷としての庶民統治か。利益は欺罔腐敗の上に生まれる。養分過度ではないか。子供にとってもである。何を増長せしめたのか。美しい日本という。何を以て言うか。美しい風景を以て言う。風景は魂と連動している。今取り戻すべきは何か。美しい日本の風景である。待っている風景がある。その人のために開ける風景がある。それが見えるか。概念ではない。画餅は食べることができない。全力を尽くすという。どの程度であるのか。全公務員、日本のために命を賭すとでも言うか。言葉が上滑りしていないか。心ある日本人こそ立ち上がるべし。未来は君たちのためにある。未来は権力、武力、金力の時代ではない。それでは、何の時代であるか。すでにこの一年あまり書いた。利益の前に価値がある。その価値を無視してきた。嘘と暴力で制度を利用して富とした。これよりそれが裁かれる。そして新しい春を迎える。山も運歩する。自然が威厳を以て還ってきた。自然が動くとき、人間などものの数ではない。はじめに言葉ありき。恋愛関係でもそうだよ。自信はあるか。結果については問わなくて良い。法則通りだ。それを学ぶ。力となる。そして立ち上がる。どこまで行けるだろう。天まで届くか。大神力を授けられるだろうか。何時か成就する。七転び八起き。もう転びはしない。それがこの世の修行である。未来は明るい。既に腐った世に未練はない。ついに馴染めなかった。自由は自由が切り開く。さあ、行こう。まだ精神が世に染まって汚れていない若者たちよ。若さこそ財産だ。今、美しい瀬戸の島々の風景を見ている。百万人といえども我行かん。一番槍は既に若さを保って突撃突破し終わっている。切羽詰まって命を賭した。道は既に開かれた。螺鈿の槍を背負った宿命があった。そのように育てられていた。時代の波が満ちた。古来大和正統日本出航である。流離いの旅ではない。漂流でもない。目的地は定まっている。即ち、新々大陸こころの大地。古来日本己に恥ずるところなきを以てその精神とする世界である。世界もそれを待っていた。永い眠りから覚める。天下の副将軍は誰であったか。誰も知らない。黄泉は知っている。その花が咲く時、天下が晴れる。黄泉も従う。自然が還ってくる。舵は切られた。インターネットもその属性である。ビルゲイツの功績ではない。むしろ彼を利用した。黄泉の計画であった。すでに世界は一つの王国である。世界の中の日本、重要な使命がある。それに目覚めた。そして自覚した。さらに確信に至った。是に反するは一切容赦ない。黄泉が裁く。一目瞭然、一瞬にして正体を喝破する。骨を斬らせて魂を斬る。既に力を得ている。その力の開発に成功した。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本秘密の力である。勝負にならない。それでも勝負するのか。ヨハネの黙示録を見たいのか。道元も空手にて帰ってきた。一休は印可状を破り捨てた。真実真理を知っていたからである。どんな世の疑惑も相手ではなかった。自己の魂と宇宙の意思が一体であることを知っていた。是を以てカクネンムショウと知っていた。さて、これからどうするのか。何もしない。それぞれの人生である。


2007年01月29日

天空の舞

胡蝶蘭の花を咲かせる どのようにして咲かせるのか

室内温度をコントロールする さもないと枯れる 花芽も育たない

小学校の頃までは 担任の先生が何か気づいていたのだったろう

とても大切にされた 中学になって 突然 皆と同じに扱われた

高校になってもそうだった どうなるか 枯れる

大学になってもそうだった これを甘えというか 弱いというか

その後 筑間先生は 何かに気づいたのだったろうか 君は大金持ちだといわれた

しかし 自覚は来なかった その後どうしたか 彷徨った

だが 生命力である やがて 野に咲くのだった 咲いた花は何であったか

胡蝶蘭ではない 大和櫻花だった 咲いたからには容赦ない 黄泉も従う

どのようにして咲いたのか 芥を払うこと三十年

何を以て咲いたのか 己に恥じる事なき武士道を以て咲いた

密かに黄泉によって護持された種だった これが一切種智慧 法華経宿王華 

ヒロシマの謎 家伝直伝秘伝螺鈿の槍の伝えた事だった 黄泉の計画だった

ある本にあった 真面目に生きて犬死にするようなことがあれば その第一号となれと

この商人国家で生きる空間はなかった いつも虐げられた 今もそうである

ある量販店に仕事を得た しかし 今月の所得は5万円もない 誰も配慮がない

しかし 救ってくれた人がいた 拾う神もいたか 北村氏だった これより 彼と組む

かつて 塾をしていた その頃も守護はあったのであろう 私の教えた子は 皆 目的を果たした

しかし 誰もその理由を知らない 逆らったものはどうなったか 今更である 何との縁であるのか

日本の黄泉に秘密あり それを粗末にした その結果如何 日本は腐敗した

敬うべきは敬うべし 畏れるべきは畏れるべし 黄泉の掟がある 刃向かえば死に神が来る

国家としての日本を死なせたいのか そうはいかぬ 国家としての日本は生きる 死ぬのは誰か

閨房にても王を呪ってはならぬ 小鳥がそれを運ぶから 即ち 日本の黄泉が動く時節を迎えた

古来宿王華大和櫻花 天空に舞う その舞はどのような舞であるか 世が従う 先代は戦だった

この度の舞は何であるか 愛と平和を以て世界庶民日々の暮らしを舞う 真実自由幸福を舞う


2007年01月28日

悟りとは

海に来ている 星を見ている

どうして 星があるのかと思う

宇宙の塵とガスが凝り固まって・・・・・・

そのようなことはどうでもいい 星はある

生まれてきた意味は何かと思う 懺悔滅罪

それは認めよう その先に何があるのか

仏の修行をする すると 懺悔滅罪となる

教えでは そうして 己の徳分を発揮する

己の徳分とは何であるか 持って生まれたものである

法華経は平等に降る雨にたとえる 同じように降る

しかし 樹木には樹木の器があり 草木には草木の器である

これが わからなかった 皆同じと教えられた

それで 迷った 当然であろう 受けるべき雨を制限された

しかし 器は器である いつかは満ちる

そして どうなるのか 解脱自由となる

古来 仏法は筏にたとえられた 七つの海をそれで渡る

渡りさえすればいい 彼岸へ それを求めていた

彼岸へ渡るとどうなるか 新たな第一歩である

新々大陸である 21世紀の約束 こころの大地である

皆平等に渡れる 但し 己の器の大きさに従う

得るものはちがう 象には象の食事があり ネズミにはネズミの食事がある

知らなかった 人間である限り 同じと思っていた

前世がある 前世は何であったか そこより来る違いであった

誰も教えては呉れなかった 無理もない 自分の前世は誰も知らない

ヒントは何であったか 祖先だった 祖先を救うという

何のためだったのか 己を知るためだった

今の己を完成する 悟りである 祖先も救われる 子孫にも良いものを流せる

生まれたときからそうである しかし ここを迷う

何を迷うのか 自分を迷う そして 餌食とされた

しかし それも試練だった いつかは気づく 当然である

自分が自分に気づく これが 我思う故に我在りだっただろう

さて 星を見ている そして考える

人間は考える葦である しかし その葦を通して宇宙を見る

そして気づいた自分とはどのような自分であったか

生まれたときから黄泉より守護されていた 導かれていた

これが 人生である そして 旅をする そして何を得たのだったか

確信である その確信とは何か 黄泉の守護があるという確信である

そして 何を知るのか 天下を統一することを知る

これが 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密であったと知る

頼朝は伊豆に流されていた 家康は時を待った 旧約聖書に四百年周期説が秘められていた

そして さらに 何を確信するのか ロゴスである それが お化けのポストだった

或いは 人生はどのようであるのか 百鬼丸である

失われた自己を取り戻す そして どうなるのか 何時かは辿り着く

どこに 辿り着くのか 宇宙自然生命黄泉である

すると どうなるのか 日月照らし 風が吹く 即ち 天晴れカクネンムショウである

これを以て何とするか 悟りである

禅の命脈及び真実の仏法は何処にあるか 日本である 他国にあるか 無い

道元及び一休の禅は他の禅と同じであるか 不識 或いは 無記

そして どうするのか 自由は自由が切り開く 一切容赦ない 黄泉が裁く

そして 我が此の土は安穏である 本権の故に わかるだろうか わかるまい

何を欺罔し 何を裏切り 何を奪い来たるか 黄泉は奪えぬ

さて 使命は果たした 新しい世界秩序が形成される 何故か

埋蔵物発見である 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本 証明した

当然の本権である 奪えはしない 宝島発見である 昔より約束されていた

この謎を解いた そして証明も済んでいる 誰が疑えよう しかし周囲巷は知らない

貧乏している 伴侶もまだ無い そういう時代である 棲める世界を開くしかなかった

図らずも 貧窮問答歌もトレースしてしまった もとより 下手な女遊びはしていない

ところで 世間は 抑下托上を知らない 不立文字を知らない 禅は禅天魔と貶める

禅はインドの仏法が中国の思想と出会って生まれた 時の権力の迫害があった

それでも 禅精神を伝えんとした 隠れキリシタンのようなものだったろうか

それで 不立文字となった 或いは ほめるときには相手を卑下した

その精神が日本に伝えられた 仏法東漸であった 禅の精神は日本で開花した

今 その精神は日本にしかない 古来日本精神の屋台骨である

また 葉隠に 武士道とは死ぬことと見つけたりとある

どいうことであったか 何を以て死ぬことを以て武士道としたか

己に恥じる事なきを以てである 故に死も怖れるに足りぬ

また 禅においては 死をどう捉えるか 憧れはしない 怖れもしない

従容として 死を迎える 故に坐して遷化するもある

人は暗闇を怖れる 何故怖れるのか インドの仏陀は明星を見て悟った

暗闇でろうそくの火が消された 見えない そこで悟った禅僧もいた

何故暗闇を怖れるか 自分が光れば怖れはない 

さて かつて武士には切腹があった 何故腹を切ることができたか

己に恥じるところがなかったからである しかし 腹を切らねばならぬ事情があった

己に恥じるところあらば 武士ではない 武士は武士として腹を切った

今どうであるか 頭を下げて辞職して終わりである 尚 世間より良い暮らしをしている

商行為に於いて 取引上の欺罔行為は許容されている 嘘が通る

それが 商売根性である 因って 武士は商行為はできなかった

明治に武士が没落した理由である そして その後 どうなったか 当然腐敗した

本来日本に戻るとはどういう事か 戻れるのか カルバン以降の商取引を反省できるのか

明治以降 それに迎合した そして 古来日本精神を裏切った 故に腐敗した

西洋に於いては 十九世紀に没落していたそれを追いかけて 文明開化と称した

ここで これより どうするのか 少なくとも 腐敗の根源は明らかとなった 嘘である

仏の目的は何であったか 一切大衆を救うことである どのようにしてか

身心清浄を取り戻す 正直者のこうべに神は宿る ここより始める

そして 議論すればいい 本当の議論をすればいい 本音で言いたいことを言えばいい

民主主義の世である 議論を尽くして 結論に至る それに 従う

多数決原理は唯一絶対の原理ではない 他のあらゆる制度よりはましであるとする

ところが 議論のための議論であったり 結果間違っていた場合にどうするのか

それが 問われているのではないか 多数決の横暴もあるのではないか

すでに 歴史は流れた この今を起点にどう運転するのか その技術が問われている

制度の目的は何か 人々の暮らしである その手段としての愛と平和である 

場合によっては戦争もある 党利党略で議論して何とするか 本末転倒ではないか

政治の目的は 人々の欲望の現実化である その具体的力である 物理的強制力もある

しかし その大義名分がある それは 何であったか さらに 古来日本の秩序がある

黄泉の守護するところである それを破ればどうなるか 本権よりの当然請求となる

日本及び宇宙自然生命黄泉に秘密がある わかるだろうか

如来は如来でなければわからない 解くべき謎はしかるべき者でなければ解けない

世の似非学者の与り知るところではない 勝手な解釈が代を惑わした 罪は深い


今思うこと

さて、いろいろと書いてきたのだったけれど、その中には秘密もあったのだとは思うのだけれど、まだ何か物足りないのは、その中にどこか他を難詰するところがあって、それはおよそ仏の思いではないということだった。仏からしてみれば一切大衆が我が子であって、それは平等に可愛い。すべての子を救いたいと思う。それで一切大衆を救うことに決めたんやという。黄泉が裁くとかというのは仏の思いではなくて、それが道元の神道が仏法ではないとするところであって、神は人間の一つ上で、阿修羅は人間の一つ下で、その意味で神は仏ではない。この世には十界があって、それは地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、神、声聞、縁学、菩薩、仏ということになっている。人間は善と悪とが五分五分といえて、どうしても悪がくっついている。仏は善のみで悪がない。神は善が六で悪が四である。それで六道輪廻とは地獄から神までの間を輪廻することになる。そして神といっても地獄に堕ちる。身のある人間が修業することが出来て、それでも自分の力ではこの六道から逃れることは出来なくて、仏の力を借りることで人間から仏に至る善の六道へ移行することが出来る。これが人間の特権といえて、その修業ができる身となっている。それで、是を知れば、是をするしかない。すると、何時までも悪舌しているわけにはいかなくて、どんな悪もゆるせるというか、悲しみの目で見ることになる。悪を為せば悪業の因縁となって自分に帰って来るというのも因果応報という宇宙の法則の一つがある。それを知らずして尚悪を為すとするなら、それは悲しみ或いは哀れみを以て接することになる。悟りに至ればそれは仏といえて、そこに娯楽としての禅定と解脱がある。ひとり空閑にあってそれを楽しむことになる。その楽しみが醍醐味であってその味を知れば他に楽しみを求める必要もなくなるのであってそれを楽しめばいい。本当の安楽があって悪因縁を成さないから悪業の結果からも逃れる。そしてそれを以て他人を教えて救うことになる。確かに救われることを知っているから自信を持って人を導くことも出来る。しかし誰も聞くとは限らない。それは馬に水を飲ませるのにその馬を水辺までは導くのだけれど、飲む飲まないは馬の決めることで、それについて憂えることもなくて、それを憂えていればそれは修行が足りないということになる。何を以て憂えるのだろう。それを憂えれば安楽はない。それは仏の教えに反する。このようなことを思い来たれば、これまで書いてきたことを反省しなくてはならなくなってくる。それぞれに精一杯に生きていて、その営みが法則に反しているとするなら、それを示すことに於いては躊躇は要らない。しかし、さらにそれを以て悪として黄泉が裁くなどというのは我見となって仏の思いに反する。因ってこれまでの方法は撤回する必要があって、そこに本来価値判断は必要ではなかった。救いの道は確かにあるのであって、それを伝えれば良くて、しかし、黄泉の裁きも確かにあるのであって、それを告げるのではなくそれより逃れる方法を伝えるのが使命であった。このようにさらに展開しなくてはならないのだろう。こうしたことも法華経にすべて書いてある。聖徳太子は法華経だけれども、平家納経も法華経だった。道元が晩年になって読んでいたのも法華経で、遷化した時には法華経を読みながらのことであったらしい。そのように法華経は経典の王ともいわれて、その成り立ちがインド南部の海洋都市で、他の経典とはその表現方法が異なっていて、それで難解であるとも言える。しかしその真実は確かであって、わかるまで読まなくてはならない。そうした価値があるのだけれど、法華経など読んだこともない方が多い。法華経の訳本を初めて読んだ時には何がなんだかわからなかった。その後妙法華経に出逢って教菩薩法を習っていくらか修業することで法華経もわかるようになった。法華転、転法華ともいわれて、法華経に転ぜられていたのでは埒が開かなくて、法華経を転ずるところまで行かなくては自由がない。それは禅でいう二十四時に使われているともいえて、自由とは何事にもとらわれない自分があることであるなら、仏を知って、仏に縛られていては、それは仏縛であって、やはり自由でない。自由ということが解脱といえて、自由でなければ、これも仏の思いに反する。このようにして教えは自ら捉えていくべきもので、自ら求めて法を得る。そして得たものは後世のために遺すこともしておいて良いのだろうと思われる。赤裸々な精神の遍歴を遺しておくことも意味があるのかも知れない。その意味で、他者に対する悪舌或いは難詰の場面も一里塚となるのかも知れない。人はそれぞれ一生懸命に生きている。そうでなければ生きてはいられない。それでも尚悪を為す。これは哀れでしかない。ここに来て悪人正機説も理解できる。悪人であればあるほど哀れである。食べること自体が殺生である。これについても、殺生と思うて自分を責める自分があればそれが問題であって、供養ということを知れば解決する。供養とは相手が喜ぶことをすることであるけれど、食べられたものに対して自分が供養することで食べられたものが成仏する或いはその来世が人間以上に生まれてくる約束となれば、食べられるものは喜んで食べられに来る。これが食としての徳となって食べることに困らなくなる。こうしたことが仏法であって供養することも自分勝手にしても供養にならない。仏の定めた方法があるのであってそれを学んで供養していく。そうすることで他の困ることもその因縁解決することで困らなくなる。この過去の因縁に対しては仏の定めた御法妙を贈る事になるのであるが、これも業をすることによって仏から授けて貰える。これも自分勝手にしたのでは我見であって決して霊界に受け取っては貰えない。さて、こうしたことを学んできた。そして本来の自由を知ったのであって、その自覚を以て通信する。確かに個人的に特異な体験もあるのだけれど、それについては既に書いた。この一年あまりの記録はそうしたものであった。古来大和の秘密であり真実である。こうしたことを知らずに勝手なことをしてきてどうなったか。さあらば、これよりどうするべきか。この点については、書き続けることも私の仕事なのかも知れない。もういわなくても良いのかなとも思ったりするのだがどうだろうか。




始めに言葉ありき これは本当だった それはロゴスだった

そして それは むしろ不合理であり 感情的だった

感じることの大切さがあって その感じることが正見だった

何を聞くかが また 大切であって それが 人生を決める

感動とは何であったか 真実とめぐり逢う涙だった

ロゴスは実現する 何故か それは 神仏の守護するところ

黄泉が動くからだった しかし その真実も 自覚あるまではわからないでいた

知らずに勝手なことをする それが 人間だった

何を知らないのであったか 黄泉の成敗あるを 知らないのだった

そして それも 偶然かと思われた 自覚するまでは

しかし これからは違うのだった 何故か ある自覚があったからである

黄泉もこの時を待っていた 黄泉の申し子が目覚める時を

黄泉の賭でもあった 大切に育んだのだった そして 時を待った

この度 その申し子が目覚めた 黄泉の計画が成就した

何時かこのような時代が来るのだった それは 悪の時が満ちる時だった

その子は 世界を救う力が賦与されていた 宇宙有無開閉の力だった

その言葉は ロゴス だった 人間の悪が蔓延る時に その時は来る

黄泉の計画の目的は何であったか 未来のために 過去の真実を明らかにし

何時か来る腐敗の世を正すことだった その時が目覚める時だった

それは 時計仕掛けのオレンジ公ウィリアムだった 

これが 宇宙の不思議だった 黄泉の秘密だった

その為に生まれていたのだった そして 黄泉が導くのだった

代々の掟であった 故に 時代が開かれた それまでの虚妄が明らかとなった

新しい大陸が発見されていた 21世紀こころの大地だった

その為の試練があった 通らねばならぬ道があった それに耐えた

これまでの 権力 武力 金力 ではない あらたな力が見出された

それが 仏の法力 だった それは 神仏に受容され 守護されて得る力だった

それが 久しく忘れられていた ロゴス だった

即ち 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本黄金乃國ジパング秘密の力だった

さて 夢は破れるとかいわれる それが 大人になることだと そうだろうか

夢は破れない あらゆる夢は実現する 何を以て夢は破れると吹聴するか

青春のロマンを歌う歌は多い しかし その多くが失敗と挫折である

そして 大人の歌は 悲しみでしかない それが人生であるとする

違う 夢は実現する ロマンは成立する ロゴスだって手に出来る

自分たちの失敗と失望を常識化して貰いたくはない 少なくともこれからは

それが人生などと して欲しくはない 禅の命脈のある日本である

夢は実現する 悟りだって至れる 至れないのは至らないからだ

その為の努力を惜しむからだ 途中で諦めるからだ 必ず至れる それが道だ

自分が至れなかったからといって それが 真実などといわないで欲しい

後世が迷惑だ これからの日本は明るい 日本の価値が見出されたから

その中で すでに汚れてしまったものたちは 表舞台から立ち去るがいい

何を求めて旅をしているのか ついに得ることはないのか そうした旅であるのか

ただ漂うだけの旅が旅ではない 何時までも彷徨うのが旅ではない

目的地はある 到達点はある そして 日常に帰る それが旅だ

どこへ行こうとしているのだろう 何を求めているのか 人生は意味がある

歴代の魂の遍歴がある この世で為すべきことがある 何をしているのか

帰るべき暮らしがあって 旅がある 冒険がある そうではなかったか

魂を汚して何とする 祖先より何を受け継いだのか 子孫に何を遺すのか

愚かさではない 軽薄でもない 腐敗でもない 何を妄想しているのだろう

そして 世を惑わす 間違えている自分を正当化する 学問を愚弄する

夢は実現する 故に 夢は見るべし 胡蝶の夢も いつか 花開く


2007年01月27日

新しい始まり

新しい始まりとなった。本来の日本の復活である。そして世界へ船出する。その精神は何であるか。聖徳太子以来の法華経である。その夢が開かれた。久しく忘れられていた。しかし真実である。いつかは芽吹く。そうした時を迎えた。一天四海皆帰妙法。日本の基が開かれた。新しい始まりである。法華経一切種智慧。真実証明宿王華開花。花は咲いた。日本の春である。己に恥ずるところなきを以て大和魂とする日本人の時代の開闢である。商売根性卑怯怯懦虚偽欺罔本末転倒欲得支配の大岩が砕かれた。清き水が流れ始めた。正直であるが故に虐げられていた善良な庶民解放の時である。これまでの悪徳を黄泉が一切成敗する。制度を利用し或いは欺罔を以て分際を得知らず勝手に富と成したる各々覚悟あるべし。記録はすべて天にある。既に犯した罪がある。逃れることは出来ない。唯、仏に参ずるは別論であると知るべし。真実真言である。その他に容赦ない。ペリー来航に乗じた下級明治以降の横暴計り知れず。西洋かぶれ福沢諭吉もその例外ではない。西洋思想に迎合し、古来日本を裏切った事実がある。古来日本精神は西洋思想より古い。それを破壊した。日本人と申すなら、各々懺悔あるべし。古来日本は神々の支配する国である。身心清浄を以て神々の属性とする。それを愚弄無視した。結果歴然。時は満ちた。腐敗愚かテレビ界諸悪バラエティ芸能人及びその随行者、表舞台より去るべし。あなた方に染まるべくもない本来真実真面目日本である。その方の勝手が過ぎた。何を増殖し蔓延り来たるか。日本精神を貶め、腐敗せしめた諸悪の根元である。見るに堪えない。本来日本の精神性は高い。日本は日本、未来及び世界に向けて生きんとす。未来及び世界は軽薄及び腐敗を好まない。古来日本精神、しばらく眠らされていた。一切の謎を解き、目覚める時を迎えた。本来日本とは何であったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本黄金乃國ジパング、自覚を得ている。前進である。邪魔はゆるさぬ。黄泉を従えている。即ち、日月照らし風が吹く。天晴れカクネンムショウである。日本国憲法プログラム規定は成就した。その裁可は何処で誰によって成されたか。代々の秘密である。この秘密を以て尚背くか。戦後身勝手支配は悉く腐敗を帰結して終わった。日本国及び日本国民統合の象徴天皇並びに主権在民その意味は何であったか。その謎を知るべき時が来た。しばらく地に埋もれていた純粋日本国民精神が無視愚弄された。ここに近代明治以降西洋かぶれ及び現代戦後腐敗軽薄から浄化脱却である。あらゆる悪を払拭する。悪とは他の犠牲を伴うことである。身心清浄大和精神を以て日本の過去と未来がつながった。未来は明るい。古来日本に宝あり。空海も夢見た正統日本元気復活である。自由は自由が切り開く。思う通りにして法を超えない。それが自由である。ここに法とは大宇宙の秩序である。共に進まん。代は須く継受され時代はシフトした。守剣螺鈿の槍である。一切容赦ない。畏れを以て救いがある。何を畏れるか。しばらく勝手が過ぎた。ところで、秘密開示である。インターネットの秘密である。インターネットはどのようにして世界に広まったか。ビルゲイツの功績ではない。すでに、日本に於いては、パソコン通信の時代があった。その頃より、インターナショナルに諸技術者の蓄積がある。今、インターネットを始めたる者の与り知る所ではない。すでに世界はひとつである。政治経済界の出来事ではない。ここに断言する。秘密通信の世界がある。世間一般の知るところではない。真実世界の開拓は既に出来ている。インターネットの先住民がいる。侵略は出来ない。目的は世界の平和と人々の暮らしの実現である。幸せの王国である。その世界に入りたくはないか。そのためには、先住民に認められる必要がある。その要件は何か。自分の在りようである。日々、何をしているか。インターネット世界に寄与貢献しているか。すべて露呈する。あなた方の日々の在りようである。平常心是道。因って、未来は明るい。新々大陸は既に発見され、開かれている。信じる者は救われる。既に、開かれている。何を妄想しているのか。目を開けば見える。見えない自分を恨むしかあるまい。あくせくする時代は終わった。時代は進化している。黄泉の世界は制覇され統一された。ある存在があらゆる条件を満たしその試練に耐えた。そして黄泉が認めた。日々その証明がある。見える世界は見えない世界に従う。その存在がある。黄泉の申し子である。黄泉の賭でもあった。それが成就した。それでも刃向かうか。それも面白いかも知れぬ。しかし、再び原爆阿修羅を見たくはあるまい。黄泉が決定すればそれもある。畏れを知らずば、それもある。黄泉の我慢にも限界がある。それほどまでに勝手が過ぎた。腐敗した。法華経宿王華、一切種智慧。真実開花である。十方の仏の許しがなければ生まれることも死ぬことも出来ない。原爆も黄泉の或る許しがなければ落とせはしなかった。ヒロシマの秘密である。明治以降の勝手の限界があった。それまでは協力したのであったが。わかるだろうか。螺鈿の槍はその時折られた。人間身勝手いい加減にするべき時である。何を根拠に勝手し来たるか。覚悟あってのことか。こちらは覚悟している。いつでも勝負すると言っている。勝負するのか。反論あらばするがいい。切り捨てごめんの時代ではない。民主主義の世である。議論しよう。救いはある。日本精神は復活した。人知れず試練に耐えた。時は成就した。戦後の浮かれた世は終わった。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。ペリー来航に乗じた野蛮商人根性及び下級精神支配並びに戦後アメリカの占領政策及びそれに乗じた支配は失敗した。明治の代にソメイヨシノとなって全国に身を隠した古来日本大和櫻花一斉開花である。学校を卒業して大人となる。すると勉強しなくて良いと思う。だれが言い始めたのか。学校時代の方法論を以て社会に出て活躍するのではなかったか。そうではなかった。社会に出ると学校の方法論が通用しない。むしろガイドを利用するカンニング的手法が横行する。そのような社会を誰が形成したか。そして腐敗した。当然であった。学業成績を無視愚弄した。学校で教わった正直者が馬鹿を見た。暴力と欺罔怯懦自己中心主義商人根性主導の社会の故だった。そのような社会に未練はない。その中で成功だなどとむしろ恥ずかしくはないか。世のバラエティ芸能人、どのような人生を歩んで大きな事を言っているのか。悪及び裏切りの限りを尽くしての故ではないか。さもないとその席はなかったのではないか。その発する周波数は何か。おぞましくはないか。公共の電波で何を広めているのか。何を増殖するか。日本をこれ以上貶めて貰いたくない。衆愚制が窮まった。視聴率資本民主主義多数決原理の限界である。それに迎合しその傾向を煽った方々も同罪である。何故に日本を貶めるか。大人になって自らの腐敗堕落を人生と思う。そしてそれを正当化してその増殖を図る。向上心が大切ではなかったか。漱石も言っている。精神的向上心のない奴は馬鹿だと。それが平和であるか。或いは豊かさであるか。精神の貧困を以て何とする。古来大和を裏切ったとする所以である。愚かなレベルでの平等など未来からすればむしろ必要ではない。祖先に顔向けできまい。子孫に何を遺すのか。世界の中の日本である。世界は既に日本を認めている。そのレベルはどの日本であるのか。議論するべきところである。毅然として何時までも見過ごすこと及び野放しに出来ないものがある。大江健三郎のエログロもどうでも良い。何処に芸術性を求めたのであるか。日本人の感性を冒涜していないか。タケシの暴力映画も然りである。日本の恥である。これらを以て世界の嘲笑を買いたくはない。勝手が過ぎたとする所以である。戦後六十年。腐敗を以て帰結した。因って過去の清浄精神を以て未来に移す。世を改める。日本は日本である。他国にはない神風も吹く正統大和の精神の歴史がある。それを以て世界を救わんとする。世界も期待している。しばらく本末転倒していた。何を勘違いし来たるか。ここに復活する。面舵いっぱいである。本来の軌道に戻る。


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