2007年04月10日

手相

ある霊感の強い方に手相を見て貰った。これほど恵まれた手相は写真でも見たことがないとのことだった。あらゆる能力を持っている。完璧な能力である。二重生命線、成功線、情が基本にあって、頼まれたら断れない。欲しいものは何でも手にはいる。そして与えることも出来る。生きている次元が違っている。求めるものが違っている。タイミングを計っている。祖先には武将がいる(武将だけではない。流れている血が違う)。ものすごい守護がある。既に完成している。これだけきれいな人生を生きた人はいない。何を求めていたのか。それも明らかとなっているはずである。これまで自信がなかった。無理もなかった。自覚するまでは得られる自信ではなかった。すべては知らしめんが為だった。言葉はロゴスとなった。時を待った。待たされていた。勝負にならない。次元が異なっている。誰も認めてくれなかった。仏を信じる会員達も私を見出さなかった。それも黄泉の計画だった。ここに来て、認めてくださる方が巷に現れ始めた。観念するしかない。真実である。何を愚弄したのか。何を裏切ったか。何を利用しようとしたのか。そして報いることはなかった。奪うばかりだった。目覚めてしまった。覚悟するが良い。世はある存在の大鏡である。自覚が来て、世は一気に染まる。その属性を変える。それが法華経宿王華一斉開花である。それまで蔓延ったものたちはその存在価値を失う。太陽が昇れば夜の星は見えない。時は無駄に流れたのではない。待っていたのである。何を勝手し来たるか。ゆるしはしない。既に犯した罪がある。この世で裁く。何を思い上がったか。上には上がある。仏と雖もゆるしはしない。日本は日本である。ペリー来航に乗じた文明開化は古来大和を裏切った。その後、第二次世界大戦はその文脈でのことである。古来大和の与り知るところではない。その後も同じ支配であった。バブルの崩壊は何だったのか。高利貸し銀行の故であった。厚顔無恥も甚だしい。古来大和は不滅である。江戸無血開城は何だったか。その精神を裏切り続けている。何が蔓延ったか。私の生存しうべき空間はなかった。ゆるしはしない。末代かけて償うべし。学校は何を教えたのか。優等生の悲劇がある。本音と建て前。嘘が多すぎる。何をしているのだ。何をしてきたのだ。勝手なことを言うでない。勝手なことをするでない。容赦しない。黄泉は腐敗をゆるしていない。裏切りをゆるしていない。黄泉の意思の発動である。それほどまでに、勝手が過ぎた。

そして、ここに至って、この世の本当の幸せが何であるかがわかった。そして、成功論もわかった。後は、実行するのみとなった。見える方と見えない方とあわせて実相という。この両者がそろう必要がある。見える方の幸せがなければ、やはり、幸せではない。ここにおいて、世界に合流である。どいうことか、世間に戻ることにする。普通一般の幸せの構築に入る頃となった。お金儲けに対する違和感があった。それは、やはり、自分に対する自信がなかったからであろう。ここを克服して、真実幸福論である。自分のことは自分で解決する。それが出来る時代である。すれば良い。積極的に明るく生きる。マイナスの要素は耐える。プラスの要素を前進させる。必ず幸せになれる。不平不満ばかり言っていては埒は開かない。そうしたことは水に流せば良い。とらわれる必要はない。最後の難関を越えることにしよう。幸せを掴むことにしよう。未来は明るい。


2007年04月09日

旧友を訪ねて

久しぶりに東京に来た。初めて宇都宮にも来た。そしてかつての友達と会った。自分を確認するためだった。そして、まだまだこれからだと思うのだった。そして、現段階の自分を知るのだった。歩んできた道のりは正しかった。このまま進むしかないこともわかった。修復するべきは修復しながら。あるべき自分探しが、この人生の目的かも知れない。やがて、ゴールに至るのだろう。そして、今世でやり残したことは、来世の宿題となるのだろう。この世で多くの課題を解いた。理入は果たした。これより、行入である。どのような自分の形成となるか。楽しみとなってきた。この人生が、これからどう開けるか。すべては歩んだ道のりである。すべて知らしめんが為だった。それで良いのだった。今ある自分を信じることが出来るかどうか。これまで歩んだ道のりを大肯定出来るかどうか。この世を如何に終わるか。終わりは始まりである。人生は容易い。しかし、難しい。自分次第である。自分が自分を好きになれるかどうか。自分が自分をゆるせるかどうか。ゆるした時、ゆるされている。自分の縛を解くのは自分である。代々、教えられていた。善人であることに躊躇することはない。善に生きられないなら、生きるに価しない。そのように思われてきた。この度の小旅行で得たものは大きい。自分のこれからの方向性を得た。思い煩うことはない。自分が自分に成れば良い。危うきところには近づかなくて良い。この人生、生きるに価する。だれもが助けてくれる。アドバイスしてくれる。そのような自分となりつつある。後は、自分次第である。有り難い境界が開けてきた。これで好かったと思う。救われつつあるのだと思う。この人生何であったのか。自分が鐘となって鳴ることではなかったか。その鐘の音はラパンカネラのように美しいだろうか。およそ、世間のことは馴染めない。自分を表現する頃かも知れぬ。それだけの価値を見出したのかも知れない。私の世界の形成の頃だろうか。頭脳の明晰が戻りつつある。長い旅だった。しかし、生きてきた道は正しかったようだ。およそ解けない謎も解いてしまった。言うべき事がある。 久しぶりに東京に来た。初めて宇都宮に来た。そして、失いかけていた自分を見出した。旅はするものである。旧友を訪ねて。開発するべき周波数がある。限りなくやさしさへ向けて。私が成功できなかった理由もわかった。私には解くべき課題があった。それなくしては、私の思う人生は開けないのだった。あまりにも怠惰であったようだ。これより、自分を生きる。そうすることに決めた。皆さんに感謝申し上げる。私の方向性は定まった。何の計らいも要らない。何も思い煩うことはない。遠慮することはない。思うとおりにして良いのである。あるいは、好かったのである。堕ちこぼれと笑うこと勿れ。私は十分に生きてきた。もう、恨む必要はない。この人生、無駄ではなかった。来世に向けて歩むべき道が定まった。今となっては、怠惰だった自分を申し訳なく思う。このまま素直に生きることにしよう。ムイシュキンでいいではないか。私は謎を解いたようである。イワンの馬鹿となってきた。何もかもすべてを心から愛せる自分でありたい。善も悪も受容して。それが悪人正機説であったのかも知れぬ。これが解脱であるのかも知れぬ。動植物が微笑んでいる。天地が祝福してくれている。おだやかな天地が開けてきた。やさしさで全ては解決する。何も怖れることはない。唯、神仏を畏れる。身心清浄への旅、改めて出発である。化城を出でて。

今、東北新幹線の中にいる。横浜へ行こうと思う。絶対の自信が蘇っている。夢が描かれている。失った自分の回復である。優等生だった。ワルでもあった。そのジレンマに悩んだ。長い青春だった。そして時は流れた。復活している。何もかも失われていた。自信がなかったからであった。究極の自信とは何であったか。すなわち、我が為に、日月照らし風が吹く。情報は発信するものである。発進するところに帰ってくる。どのようにして帰ってくるのか。風が伝える。

12:11pm 横浜関内にいる。オープンカフェstarbucks。のんびりとした昼下がりである。この界隈をしばらく散策した。横浜も何年ぶりだろう。時はおだやかに流れ始めた。ビジネスの種は宇都宮で貰ってきた。これから、その種まきである。このスタンスで好いように思う。16:32 今、帰りののぞみ39号の中である。昨日帰る予定だったチケットは無効だった。没取するには、金額が大き過ぎはしないか。しかし、そのようなこともどうでも良い。この度の旅は大漁だった。宇都宮ではとても仲の良い夫婦関係を見せつけられた。二十年も社長をしている友人の一つの結論だった。そして、今日は横浜を訪ねた。訪ねた先はドルソリーナだった。そして、言われた。目は異様なほどに輝いていた。いつもの目だった。甘えていただけでしょ。禅は今日成すべき事を為す。結果は後から着いてくる。あなたは勝手にすればいい。私の知ったことではない。日の高い裡に帰ると良いよ。私は帰途に着いた。たくさんごちそうしてくれた。感謝申し上げる。そして、帰りの新幹線の中にいる。富士が見えなかった。そして思った。私は解放されたのだと。富士からも。この度の旅で私は私を取り戻した。私は私で良いと思った。私のことは誰も知らない。日月照らし風が吹くことを知らない。しかし、開発し終えている。動植物もなびく。天地自然もなびく。誰も知らない。富士は見えなかった。どういうことか。私は解放された。神秘を示すこともない。その必要もない。現実に戻る。私は幸せの切符を手にした。確信している。幸せになって良いのだと。力は開発し終わっている。実験実証検証済みである。この世は目覚めたジュピターのさじ加減である。どういう意味か。誰も知らない。知らないが真実である。この世は我が代である。これより勝手は通さない。黄泉の意思である。黄泉も待っていた。時が至るのを。時は至った。ご用心。知性の勝負である。誰も及びはしない。覚悟するが良い。開発するべきは開発した。今しばらく是を超えることはない。何故か。大和の秘密である。家伝直伝秘伝である。容赦しない。天下が随順する。祖父の境界である。直伝である。私は解放された。解放されたからにはゆるしはしない。王の耳、王の目。知られたときが終わりである。各々知らないことを以て勝手が過ぎた。その勝手は是より通らない。通さない。ゆるしはしない。黄泉からの宣告である。泣いて馬謖を斬る。観念するべし。目覚めるべきが目覚めた。大和の主権である。反論あらばすれば良い。いつでも議論に応ずる。何を愚弄無視したのか。何を裏切ったのか。誰を粗末にしたのか。明らかとなった。明らかとなったからには処断ある。古来大和、夢幻ではない。各々、首を洗って待つべし。法華経窮子、帰城である。この世で歩んだ人生が違う。前世からの魂の遍歴が違う。どこまで勝手し来たるか。どこまで思い上がったか。真実を前に懺悔するが良い。容赦ない。しかと言い置く。これより時代は代わる。あるいは代える。古来秘密顕現。あなた方の勝手な時代は終わった。禅をきわめるとどうなるか。生殺与奪自在である。誰が悟れば良いというのではない。良寛の禅と一休及び道元の禅は違う。誰も知りはしない。知らずに勝手する。それが、世間一般である。しかし、何時か時が満ちる。どういうことか。各々、すねに傷があろう。その傷に尋ねるが良い。この世の真実、時が来て明らかとなる。愚弄無視、破壊したるは何か。即ち、古来大和純粋精神。己に恥じることなきを以て腹も切れる武士道精神。これが日本の精神であった。欺罔行為を以て取引行為とする商人根性の与り知るところではない。全ては知らしめんが為である。何を知らしめんとするか。すでにその証明は終わっている。気づかぬ事を以て恨むべし。誰と縁があるか。何を大切にするか。幸不幸の分水嶺である。まだ、わからぬか。誰が為に日月照らすか。至り着いての故である。そろそろ認めてはいかがか。まだ逆らうのか。知らしめられたいのだろうか。堪忍袋の緒が切れるとどうなるか。ヨハネの黙示録が来る。まだわからぬか。何を勝手しているのか。時は代わっている。須く禅譲されている。すべては譲られている。この世の謎は解き終わっている。年貢の納め時である。お金を持つものと持たないものとの勝負は勝負にならない。何を以て自由平等というか。その基礎が崩れている。亦、利益あるところに損失有りが資本主義の前提である。今はどうか。利益あるところに利益有り。損失あるところに損失有り。どうなっているのだ。資本主義の基礎である貨幣はどのように機能しているのか。この世で、唯一腐敗せず、増殖する。その力を偏にどの階級が支配しているのか。大資本及び大企業、あなた方に大義名分があるか。何を犠牲に利益と為すか。そもそも貨幣の基礎である金は何処より奪い来たるか。神は高きを低くし、低きを高くするために来る。旧約聖書の約束であった。それはその謎が解かれた時に来る。何を勝手し来たるか。何を犠牲にし来たるか。子ども達のDNAまで破壊してしまった。各々の勝手及び罪、明らかである。思い上がりが過ぎた。この度の旅の意味は何か。己の歩んだ道の正しさを証明するためだった。その証明は成された。私の歩んだ道は正しかった。誰も否定できない。日月の証明するところである。財を成して、晩年及び老後を楽することが人生の目的となっている。アメリカ的である。お金で買えないものはないといったのはホリエモンだった。しかし、お金で買えないものがある。自然は買えない。お金で黄泉は動きはしない。良い旅だった。失われた自己を取り戻すことが出来た。修復完了である。下手を撃ったものだった。可愛い子には旅させよ。人生棄てたものではない。

21:50 呉駅前の喫茶レストにいる。ところで、ハーメルンの笛吹男の話がある。どういうことか。奥様方が議論している。熱く自由について語っている。今まで、自分の能力を発揮していなかった。あるいは発揮できない環境があったと。これには久しぶりに驚いた。以前もそのようなことはあった。ファッションとは何であったか。大鏡である。あるいは、ハーメルンの笛吹男である。あるいはエクスパイアである。これが情報発信ということか。台風の目である。世間が大鏡である。これが、閻魔大王の浄頗梨の鏡であるか。それは死んで生前のことを映されるのではない。生きながらにしてそうしたことがあったとする。不思議だね。しかし、世間は火が点いたようだ。失われていた何か大切なことに気づき始めた。埋もれていた知性の復活が始まった。目の前でそうした議論がある。不思議だね。誰が火を点けたのだろう。誰も知らない。しかし、知性は復活した。愚かさは退場である。こうした仕事もある。直接、お金にはならないけれど。いつもそうだけれど。これまでは自覚がなかった。今はある。どういう自覚か。誰も知らない。これで良いと思えるようになった。楽に構えることが出来るようになった。距離を置いて、眺めることが出来るようになった。おだやかな世界が開けてきた。失われた自己の回復である。やっと夢がかなった。これが求めていた幸せだった。自信が復活である。絶対の自信である。お金では買えない。衆生功尽きて、大火に焼かるると見るときも、我が此の土は安穏である。お金では実現しないことがある。むしろ貧学道を通る必要がある。真実の人生の勝利とは何であったか。お金をあの世へ持って行けるか。この安楽の境界は持って行ける。閻魔大王の認めるところである。ギャーティ、ギャーティである。ベートーベンの喜びの歌である。人生の目的は成就した。一番乗りである。勝利宣言である。ダルマさん、ダルマさん、にらめっこしましょ。笑ろうたら負けよ。あっぷっぷ。見つめられたら終わりである。にらめっこしてみる勇気はあるか。開発するべき真実を射抜く目がある。生き馬の目を抜く目ではない。次元が異なる。知る人は知る。知らない人は知らない。知らないのに知ったようなことを言っている。恥とするべきはそこである。さて、時代の大将棋である。詰んでいる。都詰めである。ナポレオンで言えば、残っているカードは切り札ばかりである。あるいは51で、ストップである。何が成就したのか。魂達の解放である。持って生まれた魂に素直になる。21世紀である。本当の幸せが明らかとなった。それは何であったか。これからわかる。まだわからない。何故か。原稿がまだ進行していないからである。どういう意味か。まだわからない。主権在民もわからなかった。今は既に明らかになっている。それが大和の秘密であった。当事者にしかわからない君が代である。反論あらばすれば良い。何時でも応じる。持って生まれた魂の遍歴がある。黄泉が証明する。黄泉の守護するところである。誰も逆らえない古来大和の秘密である。今それが明らかになっている。何千年来のことである。秘密開示の時である。その目撃者となっている。さて、日本に戦争はない。何故か。誰も知らない。日本が核を持とうと思えば何時でも持てる。

さて、人は何のために生まれてきたか。幸せになるために生まれてきた。幸せとは何であったか。過去からも自分からも解放された魂として自由に生きることである。それは持って生まれたものである。それを阻害する何かがあった。それが何であったか。明らかとなった。故に勝手はゆるさない。子孫を護るのは祖先である。祖先も護るべき子孫を選ぶ。祖先に好かれることである。どういうことか。唯、自得自覚することをゆるす。本来自由である。思い煩うことはない。何故思い煩うか。自信がないからである。何故自信がないのか。己自身に問うが良い。若い時はそれほど長くはない。恋せよ乙女。年齢が青春ではない。この世に生まれた意味は何か。幸せになることである。幸せとは何か。険峻な山。老体山。嵐の海。オシドリ夫婦。幸せは何処にあるか。二人の世界にある。世界は二人のためにある。日本にセレブの代が訪れた。すでに始まっている。見えていない方々が多い。時は流れた。私はこの度の旅で何を見たか。海浜幕張でそれを見てきた。この度の旅はとても良い旅だった。完全復活である。もはや大丈夫である。旧友に感謝する。


2007年04月08日

知らない世界

今、宇都宮にいる。かつての友人の家である。そして様々なことを教えて貰った。それは現実とでも言うべきものだった。私の知らなかった世界である。そして改めて思っている。人生とは何であるかと。世間知らずで堕ちこぼれた自分がいる。世間の中で立派に生きている方々がいる。あらゆる困難に耐えて。悲しさはどちらにもある。そしてやはり自分らしくあろうと思う。ここにきて、人生とは何であったか見えてくる。この世に生まれて、子供時代があり、青春があり、大人になって老いていく。私は、或る意味で青春のまま、時が止まっていた。そして見るべきものは見たと思っている。この世の真実だった。私はこれからも自分らしくあろうと思う。どんなことがあっても。信じるべき自分がある。誰も理解しない。無理もない。知らない世界がある。過ぎてしまった過去がある。失敗だった過去がある。それ故に、今をそしてこれからを同じ失敗にすることはない。私は私で正しかったのだと思っている。誰がなんと言っても。この人生悔いるべきことはもはやない。すべては解決した。ボロボロの現実ではあるけれど。私は私自身を護り抜いた。護り抜くことができた。このような形で護られていたとは思わなかった。本当の幸せとは何であったか。私の母は偉大だった。良いものを教えていただいた。生きるということがどういうことであったか。耐えるということがどういうことだったか。私は恵まれていた。十分に恵まれていた。これからをどう生きるか。すでに、祖先がそれを示していた。祖先に感謝するしかない。しかし、この世は火宅である。生きるに価しない火宅である。幻の幸せを求めて生きている。だれもわかってはくれなかった。これからもわからないのだろう。そして再び死んでいく。これが人生だと思って死んでいく。今も昔も変わりはしない。虚無主義というべきか。お金の支配の世の中である。これで良いのかどうか。この支配から逃れることは出来ないのだろうか。かつて修行僧は何故結婚しなかったか。その意味もわかってきたような気がする。しかし、真実を知った自分がいる。生きなければならない。どんなことがあっても。自分を裏切るわけにいかない。どれだけ裏切られても。本当の信頼関係がある。全て失われてしまったのだけれど。こんな世の中で良いのだろうか。しかし、自分の幸せは自分で掴むしかない。自然の掟である。法則通りである。夢を描くしかない。夢は実現する。それを信じるしかない。そして最後に笑うものが一番好く笑う。どのように笑うのか。もう十分に知ってしまった。そうであるなら、生き方も決まってくる。私は私の信じる道を行く。誰が何と言っても。もう、十分に裏切られたではないか。裏切る者など相手にしなくて良いだろう。どこかに、真実の関係があるのだろう。失われた絆は二度と帰らないのか。裏切るものは裏切られる。信じるものは信じられる。作用反作用の法則はここにも成立する。おだやかに生きてゆこうと思う。このまま世間知らずで良いではないか。強がることはない。その必要はない。あるべき周波数がある。やさしさの周波数である。開発するべき周波数である。しばらく見失っていた。あるべき姿を開発する。あるべき自分を開発する。それしか人生の目的はない。もはや失った過去は過去である。帰りなん、いざ。何処へ帰るのか。自分自身に帰る。もう好い頃である。自分との戦いは終わった。何のために生まれてきたか。この人生は何であったか。答えは見つけた。しかし全て失った。これから取り戻せるだろうか。時は過ぎた。私は大きな仕事をした。自負している。過去を未来に移す。私は私を取り戻す。因縁ということがある。悪因縁を断つ。悪因縁は悪因縁である。悪の結果しか生まない。善因縁は善因縁である。善の結果を生む。自分が善とつながるのか。悪とつながるのか。終わりは始まりである。前世がある。今世がある。来世がある。今世の終わりが来世の始まりである。この世をどのようにして終わるのか。少なくとも敗戦時の日本は純粋だった。通らねばならぬ道だったか。そして戦後日本はどうなったか。アメリカナイズされた。幸せとは何だったか。お金で幸せが買えたか。神仏の守護を買えたか。むしろ失ってしまった。失ったものはあまりも大きくはなかったか。子供達のDNAまで壊してしまった。壊れたまま生きてゆかねばならない。皆障害者となってしまった。だが、古来純粋精神。護るべきものがある。今、 アメリカ及び世界がむしろ日本の古来純粋精神に学ぶ時を迎えたのではないか。世界はやっと気づいたのではないか。日本がそれを失う頃に。本当に大切なものとは何であったか。本当の幸せとは何であったか。それを見つけた。しかし、失われた時は帰ってこない。されど時は残されている。成さねばならぬことがある。目的はあるか。あるなら進むべし。複雑から単純へ。この世の悪に負ける事勿れ。自分自身に正直になれば良い。未来に残すべき事がある。未来に託するべき事がある。


東京にて

昨日来、東京に来ている。新幹線から見る富士は、この度も一糸まとわぬ妖艶な姿であった。霊妙と言うべきか、透明感があるのだった。昼間のコンベンションが終わって、前日に聞いていたお店を訪ねようとホテルを出たところで、まさに問い合わせた当人から声をかけられた。偶然とはいえ、驚いた。東京も狭いと言うべきか。彼がちょうどバスを降りたところだという。その後、私の連れと一緒に食事して、彼が新橋のあるお店に連れて行ってくれた。そして、息子さんを訪ねていたMSさんとも合流するのだった。ミニ同期会となるのだった。 MSさんとは、先日、チョコレートをくれたその人だった。さて、やはり、私の打ち抜いた世界は本当であるようだ。地球意識といった鉱脈を探り当てたようである。あらゆる成功論と合流している。であるなら、やはり言うべき事があるのかも知れない。私の人生は無駄ではなかった。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和神風も吹く正統日本純粋精神が目覚めた。そして反省している。自覚して。何を自覚し、何を反省しているのか。家伝直伝秘伝である。かの戦争も反省している。戦争を知らない子供達とか言われる。何を勝手なことを言っているのだろう。正臆念と言うことがある。DNAは記憶している。まさに、戦争を知らない方々の天下であったか。当事者でなければわからぬ事がある。そして、戦後六十年、懺悔は過ぎた。十分に社会から阻害された。事実である。住むべき空間はなかった。そして、思う。やはり、咲かねばならぬ。咲かさなければならぬ。法華経宿王華。一切種智慧。古来大和の秘密がある。それを自覚してしまった。葬り去られたのかと思われた。あまりにも原爆が語られぬ事実がある。広島を避けている。広島は原爆を通っている。しかし、この度の復活を以て最も安堵しているのはアメリカである。何故か。その理由も既に説いた。探すべし。何を自覚したのか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和、純粋精神。祖父の面影がある。祖父はどのようにして存在していたか。何に耐えていたのか。すべては譲られている。あまりも古来日本を愚弄した。事実である。世間一般、勝手が過ぎた。やはり、容赦できない。目覚めてしまった。何が目覚めたのか。誰も知らない。唯、天知る、地知る、我知る。記号論で言うと。しばらくFまたはNだった。それらによって葬りかけられたSがあった。そのSが目覚めた。黄泉の國より生還である。すこぶる修行している。黄泉を知ってしまった。家伝直伝秘伝、古来大和の秘密であった。恨みは晴らす。恨むなという方が無理である。それ以前はA或いはRだった。その前はTであった。もはやどうにもならぬ。黄泉の守護し給うところである。ロゴスとは何であったか。黄泉が実現する。黄泉も時を待っていた。その時が来た。見ざる聞かざる言わざる。王の目、王の耳。知ったときが終わりの時である。そして始まる。黄泉が動く。21世紀の約束だった。咲くべき時を違えてはいない。すねの傷は隠せない。すべて天に記録がある。図らずも芥を払うこと三十年。導かれていた。成就するべき事がある。何を見、何を聞き、何を思っているか。誰も知らない。黄泉は知っている。勝負にならない。空海も見た夢がある。道元の知った真実がある。実現の時である。すべては譲られた。日本は真に世界に合流する。理念は何か。愛と平和である。人類の祈りと願いは無駄ではなかった。成就の時を迎えた。十分に智慧も技術もある。日本は世界に於いて重要な地位を占める。但し、条件がある。腐敗した精神では無理である。古来大和の純粋精神の復活を以てする。すなわち、己に恥じる事なき大和魂、己に自信のあることを以ての故に腹も切れる古来武士道精神である。それが黄泉も従う葉隠れであった。発掘開発するべきはそれだった。今も昔も、日本は黄金の國である。宝とは何であったか。世界の宝である。何を思い上がったか。愚が過ぎた。容赦ない。嘘と暴力、大義名分のないあなた方の支配は終わって貰う。すでに世界は認めている。世界も待っていた。世界が救われる時代の到来である。その理論は既に説いているはずである。真実を射抜く目がある。見つめられたら終わりである。その開発に成功した。既に、実験実証検証済みである。私には古来大和の秘密である私の方法論がある。その種を持っていないものにはわからない。その種を持っているものはわかる。種であるなら、いつかは芽吹く。その時を迎えた。観念するしかない。三つ目が通る。ご用心。一休禅師は正月に棹の先に髑髏をつけて町内をご用心、ご用心と言って、練り歩いた。何を用心するのか。古来大和を愚弄すればどうなるか。死に神が来る。そして一休禅師は正月に何かめでたいことを書いてくれと言われて書いた。何を書いたか。即ち、親死ね、子死ね、孫死ね。親より頂いたものは悉く故に還す。そして未来を作る。我々の務めであろう。ここに至って、人生、亦、楽しからず哉。今日は宇都宮に行く。小学校の頃の友人と会う。失ったものを取り戻す。その旅である。


2007年04月06日

好かれること

法華経に、「この好き良薬」ということがある。「好き」である。つまり、好かれることである。世間でも好かれることが処世術であろう。いくら地位があっても、好かれないことには人は寄って来ない。人が寄って来ないことには幸せはない。人間は社会的動物であり、一人では生きてゆけない。また、一人では意味がない。学校教育で教えるべき事であるのかも知れない。そして、子孫を守護するのは祖先であるが、祖先も守護するべき子孫を選ぶ。祖先から好かれる必要がある。祖先が好むのはどのような子孫であるか。祖先のことを思う子孫である。祖先を大切にする子孫である。祖先は思い出して欲しいと思っている。それで、祖先を供養する。本当の供養の仕方がある。それは御法妙という仏さんの定めた文字を以て供養する。方法は仏さんに聞くしかない。どこの仏さんに聞くのか。さて、聞くということが大切である。人は自分のことを認めて貰いたい。知って欲しいと思っている。聞くということでそれが実行される。聞いてくれる人を人は好む。人間関係の構築である。信用信頼はそのようにして得る。好かれることである。そのためにはどうあるべきか。幸せはどこから来るか。好い人間関係から来る。自分が社会から見捨てられているのではない。社会は何時も受容したいと思っている。共に幸せになりたいと思っている。それを拒んでいるのは自分自身である。好かれることで解決がある。本来の自分に戻って素直になることだ。素直になって相手のお話を聞くことだ。それが出来ないで、自己主張ばかりすることを我見ともいう。幸不幸は己の素直さにあった。素直であること。しばらく失われた価値である。これを取り戻す。また、本来の自分で十分だった。持って生まれた自分で十分だった。それぞれの自己を十全に開花させること。それが平等であった。それを阻害する何かがあった。知らないことを以て。この世の可能性は無限である。宝は地に埋もれている。古来大和の宝がある。それが発見された。それは何であったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。しばらく咲くことの出来なかった花だった。その種が見つかった。黄泉の守護し給うところだった。因って、本来日本復活。日本は故より大丈夫である。何を思い煩うことがあろう。本来自由。自由は自由が切り開く。気楽な人生が開かれた。安楽な世界が開かれた。おだやかで暖かく清々しくて美しい朝である。太陽はおだやかであるが、しっかりと輝いている。私は本来の自分に復活した。私は生きていた。葬り去られてはいなかった。見捨てられてはいなかった。見出された。十分に救われている。古来日本を裏切ること勿れ。黄泉の守護するところである。その花が咲いた。故より日本。根性、性根がある。ヤワではない。刃向かえばどうなるか。刃向かってみるが良い。ご用心。さて、表現の自由であるが、絶対的自由であろうか。そう考える人もいる。いて良い。すべては担い手の問題である。その時々に考えれば良い。同じ事をしても、悪意で為すのか、それとも善意で為すのか。その時々に見極めれば良い。私は復活した。何故、これまで目覚めることが出来なかったか。理由はある。しかし、もう良い。鈴木大拙氏は言った。この世に泥棒もいる。人殺しもいる。だから面白いと。泥棒は悪い。人殺しも悪い。だが、いるのである。それについて改めて言うべき事はない。処断すれば良い。表現の自由も同じ事である。当事者の意識の問題である。さて、私は復活した。何事も法則通りである。成功にも法則がある。お金儲けにも法則がある。法則に反すれば、思い通りの結果とはならない。幸せも来ない。真実幸福論、成就である。自分次第である。己の能力を十全に発揮すること。そして幸せを掴むこと。人生は楽しい。生き生きとしている方々がいる。何故か。夢を持っている。その実現段階にある。だから、目が輝いている。それでいいではないか。どのような世界に属するか。選択の自由がある。私は私を解決した。明るい未来が待っている。幸せな風景が待っている。私のブログ及びホームページは、幸福を如何に手にするかについて、ささやかな一里塚となった。すでに、証明は得ている。自然が味方についた。思い煩うことなど無かった。素顔のままで十分だった。何を求めていたのか。どうして悩んでいたのか。すでに懐かしい。過去は水に流すしかない。そして今を生きる。未来を見据えて。この世は法則通りである。幸福にも方法論がある。それを実践によって見つけた。その記録となった。解くべき課題は解き終わった。私は本来の私に戻る。世間に迎合する気はない。世間の犠牲となる気もない。何を勝手し来たるか。何を裏切ったか。何を愚弄無視したるか。何を破壊したるか。世間一般、知らなかったとはいえ、既に犯した罪がある。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和純粋精神の名を以て言う。責任は取って貰う。


2007年04月05日

達したのかも知れない

自分探しの旅は終わった。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和神風の吹く正統日本の秘密も解いた。旧約聖書の目的も発見した。庶民の解放だった。 400年周期説が旧約聖書に秘められていたことも見つけた。法華経宿王華及び一切種智慧もわかった。何か失われた大切なものというのが、高校以来の私のテーマだった。それも成就した。そして、「権力は権力によって滅び、武力は武力によって滅び、金力は金力によって滅びる。唯、法力あるのみ。」とする仏説も理解した。さらに、汝自身としての自分自身もわかった。およそ私及び祖先の本懐を遂げた。私にしかできない仕事であった理由もあった。主権在民もわかった。大和の秘密として、家伝直伝秘伝であった。この世の不思議を解いたと自負している。艱難辛苦もあった。道元貧学道も通った。申し分ない人生だった。これほどの幸せはない。私は救われたようだ。こうしたことを言い切ることができる自分を頼もしく思う。私は至ったようである。そして、これからをどうするか。本でも書こうかと思っている。あらゆる解釈を見直す必要があるのかも知れない。当事者でなければわからないことがある。如来は如来でなければわからない。それもゆるされる頃かも知れぬ。それだけの人生を歩んでしまった。前世からの魂の遍歴である。夢は実現する。思考は現実化する。それも証明してしまった。私は達したのかも知れない。不思議な体験をたくさんしている。言えば不遜となる。控えるべきか。秘密は秘密とするべきか。今、おだやかな朝である。外の風景は殊の外すがすがしく感じられる。木々は光を浴びている。自分が変わることで世界が変わる。流れが変わる。これで良かったのだろう。新しい世界が開けたようである。しかし、至り着けば別事なしであろうか。今も昔もそうであったのか。変わったのは自分で、世間は何も変わってはいない。しかし、見える風景が違って見える。そういうことであったのか。しかし、これで実存を得たことは間違いない。その実録もある。私のブログ及びホームページは貴重な財産となった。尽きせぬ宝の山となった。その証明は得ている。法華経で言えば、法眼浄を得たと言うべきか。普賢菩薩に随順したと言うべきか。これより、日々の生活が歓喜奉行となる。何も憶することはない。何かを作ることが出来そうである。音楽も良し、陶芸も良し、文学も良し。潜在意識を説いたのはフロイトだった。さらにその先に人類の集合意識があることを説いたのはユングだった。宇宙意識とも呼ばれる。此処を掘り抜く。インスピレーション及び直観はそこより来る。それは亦如来だった。魂と宇宙が連動しているということだった。それを体験的に証明することが出来た。それらの真実を知ってしまった。それが芸術の根源であった。知らずとも真実真理は真実真理である。しかし、それを体験するは稀有である。それを体験してしまった私には示し申すべき事がある。後世の為に中継点としてあるいは道標として遺すべき事があるのかも知れない。あまりにも貴重な体験をしてしまった。自己の内面への冒険を果たしてしまった。そして、帰ってきた。生きては帰れなかったのかも知れなかった。それほど、危険な旅でもあった。しかし、至り着いたのだろう。達し得たのであろう。あらゆる物語が私にとっては事実となった。物語が物語ではなくなった。共時性を多く通った。それは『共同幻想論』等ではなかった。むしろ、事実であった。おだやかに生きてゆける。その道が拓かれた。何も思い煩うことはない。私は私を表現する自由を得たようである。敵は己自身だった。それを制した。あらゆる縛が解かれた。自分からも祖先からも自由となった。それは仏さんのお陰だった。黄泉の守護するところとなった。すなわち、我が為に日月照らし、風が吹くのだった。芭蕉も広重もそうであったのだろう。すなわち、風景が待っていたのである。不思議なことがたくさんあった。もうこれで良いのだろう。私は至り着いたようである。何も怖れることなど無かった。神仏の外には。自由は自由が切り開く。その自由を切り開いたようである。本来無一物。六祖の境界も開けたようである。何を書いても良い。隻手の音を聞いたと言うべきか。古来先哲に感謝申し上げる。人生、亦、楽しからず哉。人生五十年、無駄ではなかった。時も無駄に過ぎたのではなかった。芥を払うこと三十年、法華経窮児の帰城である。このようにして天下を取ると言うべきか。乾坤大地が喜んでいる。祝福してくれている。しかし、よくぞ耐えた。導かれていた。黄泉によって。私には果たすべき使命があったのだろう。それを成就した。ここに宣言する。私は達したのかも知れない。本来の自分に帰ることが出来た。失われた自信が回復した。怖れることなど何もない。唯、神仏を畏れる。私が実存していることが、世界が実存していることである。すなわち、我思う故に我ありとはこれだった。清盛の望月もこれだったか。太陽王の朕は国家なりもこれだったか。王権神授説。しかし、それも腐敗する。歴史の証明するところである。民主主義も腐敗する。歴史が証明するだろう。すでにその時を迎えている。戦後六十年。腐敗してしまった。故に開花である。何の開花であるか。歴史は繰り返す。我々の時代である。十分に虐げられた。すなわち、法華経宿王華、一切種智慧。開花である。黄泉の守護するところである。黄泉も時を待った。その時を迎えた。長い旅路だった。探していたものは見つけた。悉く謎は解き終わった。もはやどうしようもない。鏑矢は放たれた。戦いである。何と戦うのか。一番槍は突破した。道は開かれた。穏やかに生きてゆける道である。草木瓦礫悉皆成仏。世界が微笑む。道元曰く、山も運歩する。 21世紀幸福論成就である。失うべきは失った。悪の根を抜くためだった。悪が払拭されれば、善が光り始める。十難即滅十福徳即生。十悪業即滅十善徳即生。仏の教え給うところである。真実である。謎は自分で解くしかない。方法は仏に学ぶしかない。私が示し申すべきはこれであろう。すなわち、仏の真実であろう。そのように思われてきた。その為に生まれたのだったか。その為に見るべきは見た。経験するべきは経験した。必要十分だった。誰も知らない真実を知ってしまった。カクネンムショウの世が開かれた。導かれていた。


2007年04月04日

少年よ大志を抱け

永い旅を終えたようである。何時始まったのだったろう。前世からだったろうか。自分探しの旅だった。それは見つけた。それは何だったのだろうか。一言では言えない。むしろ、誤解を招く。ひとつの物語だった。この私のブログも。そして日常回帰である。何とかなりそうだ。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作、見させていただいた。面白かった。『ダビンチ・コード』も面白かった。それぞれテーマは何であったか。血統。時代は代わりつつあるね。気づいているのだろうか。気づいているよね。勇気が失われて久しい。へんてこりんな世の中となってしまった。しのぐしかない。真実真理を知ること。それが夢だった。それは果たせたように思う。それが何であったか。すでに書いた。それにしても、世の中、デタラメである。これで良いのかどうか。良いわけがない。具体的摘示は避けることにしよう。悪舌は功徳の種を断ずるから。孔子のいう公憤はあって良いだろう。各々、脛の傷は隠せない。何時か明らかになる。その時は遅い。黄泉の掟がある。黄泉より委ねられたものがある。託されたものがある。譲られたものがある。人類の平和と個々の幸せな暮らしである。そして生かされている。それを無視した事実がある。勝てば官軍であるか。そして勝手及び略奪が窮まった。何が蔓延ったか。戦後自由を履き違えた。愚かな世となった。神を畏れることを忘れてしまった。仏を誉め奉ることを忘れてしまった。因って、悪を為す。当然の報いがある。この世に怖れることなど何もない。神仏以外には。どう見ても、勝手している。人間の計らいで自然を破壊した。環境汚染で、自分たちのDNAまで破壊した。しかしその事実をも気づけない。哀れだね。しかし、何とかなると思う。何故か、真実が目覚めたからである。どういうことか。今にわかる。すでに世界は一つである。理念は愛と平和である。人類の選択である。日本の古来大和魂も目覚めた。世界の切り札となるだろう。世界も待っていた。己に恥じる事なき武士道である。これに反する精神はこれより淘汰される。古来大和は清浄である。嘘はない。因って腹も切れた。絶対の自信があった。それは何処から来るか。黄泉の守護を得て来る。すなわち、如来である。如来は如来でなければわからない。しばらく、それを裏切った。事実である。何を勝手し来たるか。それが問われている。どうにもならない。どうしようもない。真実が目覚めてしまった。君が代が目覚めてしまった。古来日本である。本権よりの請求である。騙して奪ったものがある。その返還請求である。不当利得返還請求である。嘘と欺罔で何をして来たか。それが何時までも通ると思ったか。愚かである。『太陽がいっぱい』に於いてテーマは何であったか。殺した死体は自ら浮いてくる。衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏なり。仏の守護し給うところである。これを証明してしまった。護念する者は護念される。何を護念するのか。どのようにして護念するのか。世間一般、そうしたことを知らない。知らずに勝手している。大きな事を言っている。危ないね。私のブログはそれを知って書いている。聞く耳あるか。真実を見たいとは思わないか。真実はある。それは何であったか。すなわち、、我が為に日月照らし、風が吹く。神仏は実在する。示し申すべき事がある。真実を発見している。失われた自己を復活している。何を疑うか。知ることである。理解することである。どのようにしてそれは成されるか。数学の問題と同じである。先哲の例題を解くしかない。自分で解くしかない。自分で解かねば自分のものとならない。解けば世界が開ける。開けた世界は己の所有である。どのような世界が開けるのか。すなわち、カクネンムショウ。天晴れである。あらゆる学者の解釈の及ぶところではない。唯、自覚自得するのみである。古来大和純粋精神。これが日本の美しさである。蓮華の前に化生である。蓮華は泥より咲く。咲いて泥に染まらない。二千年来の蓮華が咲いている。そのために、腐敗も必要であった。世間虚仮。唯仏是真。世間はその虚仮を知って認めなければならない。何を大きな事を言うか。すでに、権力は克服されている。市民革命だった。武力も克服されている。原爆だった。これより金力が克服される。金力の支配は高々400年である。人類の英知の歴史は古い。何時までも金力の時代ではない。真実の価値がある。それが目覚めていると言うのである。畏れるべきはこれである。これより何が価値となるのか。法力である。法力とは何か。神仏と邂逅し、神仏に受容祝福され、その守護を得て、思いが宇宙に通じる力である。そして実現する。すなわち、はじめに言葉ありきのロゴスである。その為にはどうあるべきか。すなわち、身心清浄。それはどのようにして至るのか。仏道。その真実の仏道は何処にあるのか。仏所王舍城。そこに閻浮提の大良薬がある。謝るところがある。取って服すべし。大梵天王と雖もそこでゆるされて自由を得る。そして徳分を発揮することになる。真実である。信じるべし。信を以て入ることを得たり。飛び込むべし。仏陀も前世で羅刹に身を投げた。真実の故である。身を投げて帝釈天に掬われた。羅刹は帝釈天であった。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。大死一番、絶後に蘇る。少年よ、大志を抱け。大志とは何か。どのレベルであるか。真実を見たいと思わないか。古来大和に宝あり。日本武士道、世界を救う。日本に公害があった。見えないところでそれが進行していた。それが環境破壊であり、DNAの破壊だった。金力は克服される。何によってであるか。公害である。公害こそ、重商主義の帰結だった。民法の目的は損失の補填である。だれが公害の結果である環境破壊及び生命破壊を補填するのか。当事者である。当事者とは誰か。それによって利益と成した方々である。すべて天にバランスシートは記帳されている。知らなかったからと逃れることは出来ない。重大結果責任である。これよりその実行段階となる。いつまでも勝手は通らない。すでに犯した罪がある。覚悟するしかない。首を洗って待つしかない。その重きに従って処断がある。黄泉の処断である。黄泉も時を待った。その時が来た。未来を作るのは今である。万物の霊長である人間が作る。人間の使命である。愚かでは果たせない使命がある。勝手し来たる者達の支配は終わる。牛頭馬頭、魑魅魍魎は表舞台より去るしかない。地に埋もれていた知性が芽吹く。地蔵菩薩達である。衆愚邪悪の世を正す。未来は明るい。護岸工事によって蛍は壊滅した。誰の主導でそれは成されたのか。官界及び経済界並びに保障を受けたる地元住民、どのように責任を取るのか。利益のために何を成したのか。利益至上主義、カルバンの罪は重い。何時までも自然は黙っていない。雷も鳴れば大風も吹く。どうするのか。市民解放、奴隷解放、女性解放があった。次なる解放は何か。庶民の解放である。これこそ、旧約聖書の目的であった。時は来た。何を以てセレブというか。神は高きを低くし、低きを高くするために来る。21世紀の約束である。真面目、正直、素直。本来の価値を取り戻す。バブルの原因は何であったか。土地を媒体とする銀行の勝手な無秩序融資だった。バブルの穴は国民の総預金高に匹敵した。その穴を埋めるために、公的資金を導入した。それは国民の税金であった。また、低金利は何であったか。預金者の利息を喰うことだった。また、当時、あらゆるエコノミストがバブルを見抜けなかった。土地を媒体とした融資の欺罔を見抜いていたのは、一人、司馬遼太郎氏だけだった。そして経済界は立ち直った。東京だけであろう。地方の庶民はどのように思っているか。時代だから仕方ないとバブル時の負債に耐えている。経済界はどう思っているか。素知らぬ顔である。恥を知るべし。商人根性高利貸し銀行業界及び官界経済界、厚顔無恥も程がある。黄泉の裁きがある。何を犠牲に利益と成したか。あるいは、これからも成そうとしているのか。意識の問題である。あやまることでゆるされる。思い上がりはないか。謙虚さを忘れていないか。電力業界もそうである。何故に身分が保障されているか。安全に電力を供給するためであろう。その身分は公務員に準じる。会社が潰れることはない。それを何を勘違いしているのか。世間一般、皆そうである。勘違いしている。本来の秩序を無視した勝手が過ぎる。本来の自由を見直さねばならぬ。民主主義の基礎を破壊する者達に対して戦わねばならぬ。市民社会である。市民生活を破壊する暴走族に保障するべき人権はない。国民主権である。主権在民である。主権在民の真義、知るものあるか。誰も知らない。知らなくても良い。知り得ない。しかし、主権在民である。大和の秘密に属する。日本国憲法プログラム規定は成就した。主権回復である。主権が力を得ている。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和神風の吹く正統日本である。得た力とは何か。すなわち、我が為に日月照らし風が吹く。動植物岩石も喜び従う。世界の中の日本、真に世界に合流する。そして、重要な使命を果たす。そのために、世界で最も安全な文明国家を復活せしめる。日本の歴史的使命である。これに反する一切の思念及び行為を悪とする。日本の秩序の復活である。古来代々の掟である。テレビ界、その愚、明らかとなった。世の腐敗を煽り、履き違えた衆愚自由を増殖し、蔓延らせた、その影響力及び罪は甚大である。報道の自由は秩序を破壊する自由を含まない。国家なくして自由はない。秩序無くして安全はない。国家秩序があって自由である。無目的な報道は報道ではない。それは破壊である。反論あらばするが良い。何時でも議論に応じる。私は子どもの時からそのように教育され、育てられている。何を破壊したのか。何を裏切ったか。失われた何か大切なものがある。因って腐敗した。その原因を見出した。見出したからには示し申さねばならぬ。目覚めよ。自由とは何であったか。思い通りにしてしかも法を超えない。平等とは何であったか。それぞれの能力に応じて十全に開花させること。すなわち、平等即差別。絶対の自信がある。それは何処より来るか。黄泉の守護を得て来る。本来の価値である。それはどのようにして得られるか。戦うべきは何か。自己との戦いである。自己を制する。そして身心清浄となる。世界が開ける。21世紀真実幸福論である。これが自分探しの方法論である。そして自己を発見する。尽きることのないスプリングが湧き出でる。強い自己を開発する。そしてやさしさを知る。強いが故のやさしさである。女は強さに憧れる。今までは強さとは金力だった。これからは違う。本当の強さが発見された。自己を制した故の強さである。幸福はそこより開ける。不思議である。しかし真実である。必ず幸せになれる。幸せになるために生まれてきた。過去からの夢である。夢は実現する。何を思い描いているか。思考は現実化する。諦めないことである。未来は明るい。明るい未来が待っている。美しい風景が待っている。真実を見たくないか。幸せになりたくないか。世界が待っている。ヘブンが待っている。合流しよう。時は来た。今こそ時である。真実幸福論である。すでに至った。そして帰ってきた。道案内しよう。羅針盤は得ている。開発し得た自分自身である。目的地はある。21世紀の約束、心の大地。新々大陸発見。真実パラダイスである。さあ、行こう。新大航海時代である。この船に乗らないか。自由は自由が切り開く。腐ったこの世に未練はない。皆、障害者となってしまった。敵は私が粉砕する。金剛杵は得ている。黄泉から取ってきた。昔、火を取ってきたように。見出すべきは私である。私を見出さない者に用はない。すでに、証明し終わっている。黄泉の守護し給うところである。愚かさは去るべし。勝手に滅ぶが良い。私たちは生き抜く。そしてこの生を謳歌する。キリストは小川の水をワインに変えた。どういうことか。新しい産業あるいは技術の開発だった。神の力とは創造である。それが奇跡という形でこの世に起こる。大風をなだめることも出来る力の故に。概念にとらわれる宗教者の解釈の及ばない神の真実がある。それは日本に於いては応神天皇だった。大陸より新しい技術を積極的に導入した。結果、民は繁栄した。成仏とは使い切ることである。命を使い切る。能力を使い切る。それぞれの力を十全に発揮する。それが阻害されている。その要因を取り去る。障害があっても良い。それが自由である。平等である。道元は言う。薪の灰となりて、薪には薪の境界があり、灰には灰の境界がある。前世からの持って生まれた能力をさらに発展させる。それぞれにである。他の犠牲があってはならない。それは自由と平等の敵である。世の勝ち組がどのようにして勝ち組となっているのか。欺罔はないか。暴力はないか。物理的暴力だけが暴力ではない。言葉の暴力もある。精神的な暴力もある。いじめである。いじめが蔓延っていないか。それを傍観していないか。暴走族を甘やかせていないか。だれが犠牲となっているのか。事実、芽の出せない能力がある。教育者は何をしているのか。真面目と正直が犠牲となっていないか。そうした事実がある。これを粉砕する。自由は自由が切り開く。傍観者がいた。無理もない。自信がなかったのだから。しかし、一番槍は突破した。続くべし。勇気を以て。真実は黄泉の守護し給うところである。今こそ、時代を代える。本当の自由と平等を取り戻す。悪をゆるしてはならない。住める空間がないなら、作るしかない。世の偽善に負けることなかれ。新しい価値の創造の時代である。未来のために。子ども達のために。世の大人は勝手が過ぎた。自由を履き違えた。堕落が人生などと、昔からのどの物語にあったか。不倫が文化などと、どこに伝えられているか。冗談も程度の問題がある。このまま滅びたいのか。黄泉はゆるしはしない。ベートーベンは言った。この世は成すべき事が多い。急げと。成すべきことが見つかったなら、急がねばならぬ。実行あるのみである。真実は黄泉が証明する。信じて進むしかない。歓喜の歌が待っている。ギャーティ、ギャーティは何であったか。般若心経、喜びの歌であった。すなわち、陀羅尼、「行けり、行けり、我は行けり。ここが浄土だった。我は到達した」。門前の小僧習わぬ経を読む。習わねばわかるまい。習うとはその字義如何。親が羽ばたく。それを巣から雛が見ている。その見える羽は白い。飛ぶことを学ぶのである。そして自分も飛ぶ。飛び立つ勇気はあるか。自由の大空が待っている。大人は子どもに何を教えているのか。子どもの可能性は親も知らない。子どもの可能性を殺していないか。十全の開花を阻害していないか。何を以て自由とする哉。般若心経もお題目ではない。自由を得て般若心経である。讀誦すれば良いというものではない。自由を得ての般若心経である。また、論語読みの論語知らず。概念にとらわれて論語ではない。生きた論語とは何か。論語の何を読んでいるのか。何を教えているのか。見直すべき頃である。人間は考える葦である。これは世間に知られている。しかし、その次がある。すなわち、この葦を通して宇宙を見る。ここに人間の偉大がある。また、パスカルのパンセは何であったか。草稿であった。何の草稿であったか。どのようにして、人々を神秘に導くか。その草稿であった。こうした人類の英知がある。そしてそれは過去より伝えられている。二千年前の釈迦、孔子、ソクラテス、キリストを超えているか。人類はこれまで何をしてきたのか。殺戮の歴史であった。人類も齢を重ねた。地球も何時までもありはしない。そろそろ、気づくべき頃を迎えた。大衆レベルでさらに至るべき段階を迎えた。DNAまで破壊した私たちである。考えるべきことがある。過去を未来に移す。現在を大反省する頃である。何を勝手し来たるか。元気であることである。元気であれば、プラス思考となる。プラス思考となれば、幸せがやって来る。世は大鏡である。誰の大鏡であるか。誰の夢が実現するのか。この世に生まれた意味がある。それを見出しているか。この世の人生は過去及び現在の夢の実現過程である。何を夢見ているか。何を思い描いているか。夢は実現する。それはどのようにして実現するか。真実幸福論。実践実証検証確認済みである。マーラーは言った。「何時か私の時代が来る」。

保臣 『何傷録』
「人と生まれては高きも賎しきもせねばならぬものは学問なり。学問せねば吾身に生まれつきたる善あることもえ知らず、まして他の人の徳あるも、なきも、弁へず、また昔を盛んなりとも、今を衰えたりとも知らず、いたずらに五穀を食ひて、前むきて歩むばかりのわざにて、犬猫といはんも同じことなり。」


2007年04月03日

何をしているのか

私は使命を果たした。生まれた意味を発見発掘開発した。私は既に私を解決した。次はあなたがたである。世界はどういう事であったか。かつて空海も見た夢だった。天地自然も従う自己を開発する。人類の永遠の課題だった。そして、大切なことは、すでにそれを成した諸先哲の存在していたことである。キリストがそうであった。ソクラテスがそうであった。釈迦も孔子もそうであった。しかし、世間はそれを愚弄無視した。あるいは破壊した。時は流れた。そして気づく時を迎えた。真実とは何であったか。西洋重商主義が始まったのは、カルバンからだった。その愚が明らかとなった。人類は自らのDNAまで壊した。何のための人生であるか。勝手が過ぎた。しかし、生きてゆかねばならぬ。障害を持って。これからをどうデザインするのか。人類の英知と技術が試される。権力は権力によって滅びる。市民革命だった。なお、権力に奔走している方々がいる。国民主権である。主権在民である。消費者世間音である。いつまでも誤魔化せはしない。武力は武力によって滅びる。原爆だった。あらゆる原素にプラスの作用とマイナスの作用がある。水に於いては、温かいご飯ともなるし、洪水ともなる。経済学に於いては、バターを作るのか、あるいは、大砲を作るのか。原子力を平和利用するのか、あるいは武力とするのか。その選択の善悪は明らかである。誰もが幸せを願っている。戦争と平和ということがある。禍福はあざなえる縄の如くである。DNAも二重螺旋構造である。未来を作るのは今である。さて、どうするのだろう。人類は試されている。自然財という概念がある。誰も所有できない。できないものを奪った。あるいは破壊した。真の所有者から返還請求である。南極条約がある。宇宙条約がある。戦争法もある。勝てば官軍であるか。江戸無血開城は禅定だった。古来大和から委ねられたものがあった。それを裏切った。出雲は大和に委ねたものがあった。それで、今も、十月は神無月である。出雲は存在しているのである。黄泉として。何を勝手しているのか。黄泉は腐敗を許していない。許していないのであれば、その意思の発動もある。それは黄泉の申し子をして為される。そうした時節が到来する時がある。四百年、千年、あるいは、二千年来の時節である。西洋は十九世紀にすでに没落していた。日本もそれに飲み込まれて、それを追いかけた。滅亡への道であった。それに気づく頃である。このままでは滅びる。誰かが立ち上がらねばならない。知るものが立ち上がらねばならない。傍観すれば共犯である。芥を払うこと三十年。得るべきものがある。示し申さねばならぬ事がある。当事者でなければわからぬものがある。本来古来、大和は清浄を以て旨とする。何を裏切ったのか。何を愚弄無視したのか。本来武士道も知らぬ者たちの支配であった。武士は少なくとも精神修養があった。今の指導者にそれがあるか。何を以て大口を叩くか。己自身を知る頃である。既に犯した罪がある。懺悔するしかない。各々、天知る、地知る、人知る、我知る。自分のことは自分でなければわからない。懺悔あるべし。この世に生まれた使命がある。それぞれ、自覚するべき時である。何をして来たのか。何をしているのか。敗戦後すぐに枕崎台風があった。あれは何だったのか。魂と宇宙自然は連動している。金力は金力によって滅びる。ただ、法力あるのみ。その法力の開発に成功した。仏さんのお陰である。それを実行実践した。自分自身を解決した。己自身を知ってしまった。汝自身を知ってしまった。古来大和の秘密を解いてしまった。すなわち、神風の吹く日本である。禅は日本にしかない。神風は日本にしか吹かない。しばらく神風が吹かなかった。何故か。善と悪がある。何が善であり、何が悪であるのか。真実の仏法がある。真実の仏法を実践しているのかどうか。真実の仏法を知っているだけでは足りない。ダルマの説く、理入と行入である。傍観者が共犯とされる所以である。ダルマは面壁九年であった。どういうことか。世間に迎合することはなかった。やがて、理解者の現れる時を待った。すでに、世界は動き始めた。真実を前に躊躇していたのであったが、一番槍の突破を知った。続くしかない。すでに、橋は架けられた。渡るしかない。21世紀の約束であった。約束は果たされた。私は使命を果たした。新々大陸発見。未来は明るい。知性の復活である。知は力である。何かを変えることができる。時代を代えることができる。自分が変わることで世界が変わる。信じるべし。証明し終わっている。美しい風景が待っている。芭蕉もそうだった。広重もそうだった。本来日本、腐敗を好まない。ゾンビを好まない。フロイトを好まない。私は至り着いたようである。長い冬だった。世間から見捨てられたかと思った。何もかも失ったかと思われた。実存さえも。しかしそれが宿命だったか。私は歩まされたのであろう。過去からの約束であったかも知れぬ。今となっては祖先に感謝するしかない。良いものを遺して下さっていた。仏に感謝するしかない。真実を教えて下さった。証明もして下さった。『十牛図第八図』、無である。同第九図、自然が満ちてくる。あるいは微笑む。そして、第十図。日常に帰る。帰る時を迎えたようである。世間へ。何を以て至り得たというか。真実天晴れカクネンムショウ。このどうしようもない事実を如何せん。すなわち、我が為に日月照らし、風が吹く。天徳がある。祖先代々の秘密の蔵である。その鍵をどのようにして開けるか。子孫を護るのは祖先である。祖先も子孫を選ぶ。祖先に好かれる自分となることである。すべては譲られる。その為に試練がある。それに耐えることができるかどうか。仏さんに好かれることである。黄泉に好かれることである。地獄の沙汰も金次第。誰が言い始めたのか。カルバンか。畏れを知らぬも甚だしい。真実とは何であったか。言うべき事がある。そして、井伏鱒二の『山椒魚』はその末行が削られている。すなわち、もう恨んではいない。むしろ感謝している。身も心も軽くなった。迷いはない。憂いもない。惑いはしない。これで大空を飛ぶことができる。本来日本の自由を切り開いた。誰のお陰であるか。仏の故である。過去を未来に移す。仏の大願である。失われた何か大切なものがある。私の高校の頃からのテーマだった。未来に遺すべきものがある。その発掘に成功した。世界を代えるべき力がある。その開発に成功した。私は大きな仕事をした。私にしかできない仕事であった。しかし試練を要した。時を要した。人生と青春は失ったかと思われた。そして、使命は果たしたと思っている。祖先の除籍謄本は広島市中区役所にあった。それを請求したとき、手渡す官吏の手は震えていた。尊祖父千畝の肖像画は私が相続している。日本は悪夢から目覚めた。祖先の願いだった。もはや本懐は遂げた。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本胡蝶の夢、実現した。春である。私及び私たちは復活した。日本古来神風の吹く永久の夢が花開いた。日本は故より大丈夫の國である。本来古来大和の精神を裏切る事勿れ。かつては切り捨て御免もあった。言っても尚勝手するからである。自由を履き違えている。何が増殖したのか。黄泉の秩序がある。厳然としてある。本来清浄。あらゆる基準である。しかし、このような意識が孤独の原因だった。何と馬鹿げていたことか。世間はさぞ笑ったことだろう。こうした意識もそろそろ海に捨て去る頃である。そして、世間に帰る。十牛図第十図である。やっと世間の方法論を理解する。世間はそうして機能していたのだと。だがね、罪は罪だよ。これは仕方ない。そして、力は得ている。誰も知らない力である。古来大和の秘密である。どちらが真実であったか。あの世へ逝けばわかる。確かに、日月照らし、風が吹く。真実はむしろ、感情的である。合理的ではない。黄泉の好悪がある。世間に好かれることも大切だ。しかし、黄泉に好かれることはもっと大切だった。もはや言うべき事は申し上げた。世間に戻る。知性を復活して。世間の方法論にも気づいて。迎合するのではない。うまくやっていくことにする。元気が一番である。元気であれば、プラス思考となる。黄泉の秩序がある。世間は知らない。


2007年04月02日

実践的教育論

さて、学習塾をしていた。二十四年間、教えた。少なからず、伝説もあった。失敗もあった。そして、得た結論がある。教えるということはどういう事か。何を教えるのか。概念ではない。知識でもない。教えるべきは、勉強の楽しさと意義である。こうすれば良いんだということである。それは情熱と言っても良い。それを伝えることができれば、子供は勉強する。結果も必ず出る。実践的教育論である。活気も出る。喜んで貰える。勉強は何処までも自己一身のことである。それに火を点ける。教えるのは十の裡、一で良い。その一とは何か。経験より来る喜びである。一番を取ったことのないものに一番の気持ちはわからない。それを一番でなくても良いという。愚かである。真実の平等とはそれぞれの能力に応じて十全の開花をさせることである。学校教育の怠慢がある。あるいは怠慢があった。そして何を蔓延らせたのか。


知性の復活

子どもの頃の差が、大人になって埋まらない理由。前世が違う。魂の遍歴が違う。今世で処した実人生が違う。過去をトレースする必要がある。それが青春であり、修業である。芽が出せないまま時が過ぎる。しかし、自然の営みである。何時かは芽吹く。困難な時代であった。しかし、蝶はサナギを通る。サナギを通ってサナギを知らない。蝶となれば良い。花と咲けば良い。そして自由である。大人である。人生とは何であったか。自分が自分に成ることだった。なかなか咲けなかった。それはもはやどうでもいい。咲けば良い。咲いたからには容赦ない。古来大和の秘密花である。その力を開発し終わっている。すべては知らしめんが為であった。親鸞にとって、仏は自分のためにのみ、法を説く。至り着いた自覚である。それにしては、勝手したものである。何が蔓延ったか。自由を履き違えた罪がある。それが裁かれる。首を洗って待つが良い。何を粗末にしたのか。何を裏切ったのか。まだ気づいていないようだ。今に思い知らされる。神風も吹く古来大和の秘密、目覚めている。何時までも勝手は通らない。これまでは通った。これからは通らない。この世は目覚めたジュピターのさじ加減である。はじめに言葉ありき。その言葉とは何であったか。ロゴスである。愚かでは生きてゆけない。あまりにも愚かな時代であった。堪忍袋の緒が切れるとどうなるか。ヨハネの黙示録となる。見たいのか。何時までも勝手は通らない。何時まで愚弄するか。あるいは無視するのか。知らしめられたいのだろうか。我思う、故に我あり。我思う、故に世界あり。『2001年宇宙の旅』を終えて、ハルは生還している。欺罔及び暴力を手段とする愚かな商人根性支配は終わる。知性の復活である。知性が立ち上がる。そうした春を迎えた。永い冬だった。私のブログは何のために始まったのか。今となっては不思議である。しかし表現の自由は偉大である。過去の夢の実現である。すでに証明し終わっている。知るものは知っている。知らない自分を恨むが良い。もはや勝手はさせない。無視愚弄させはしない。私はすでに私を解決している。仏の故である。今、仏はどこに住しているか。王舍城である。仏の故に力を得た。仏に刃向かえはしない。過去を未来に移す。仏の大願である。一切大衆を救う。仏の目的である。結果どうなるか。世界平和が実現する。すべてを譲る。仏の慈悲である。何を思い上がったか。何を破壊したのか。何を裏切ったのか。世間一般、その罪が問われている。すべてが救われる方法論が明らかにされている。時は来た。故に、知性の復活である。しばらく埋もれたりし知性よ、立ち上がれ。天王仏が自覚した。容赦しない。

C・ウィルソン『宗教と反抗人』
「仏陀もまた人間は自己の道徳的福祉に関しては唯自分一人が責任を持つと考え、さらに彼仏陀を神託として受け取るな、唯、己自身の道を見出すための先達として仏陀を利用せよと警告している。人間にまつわる最も重大な事実は自己を変える能力である。 アウトサイダーとは、おのが自身の複雑性と、彼を条件付け、彼の同一性を歪めようとする文明とに対する支配力を獲得しようと悪戦苦闘する人である。人間は天使と同様に神のあらゆる能力、神の七つの霊全てから造られたものなり。しかしながら人間は現在腐敗せるがゆえに神的なる働きは常にその力を開示せず、人間のうちに活動することもない。それは人間のうちに湧き起こり、仮に照り輝くことがあろうとも、腐敗せる性質には不可知のものなり。人生は戦いだ。絶えまない精神的戦闘である。アウトサイダーは尨大な精神的努力によって神秘家へと成長する。これは自己の人生を戦闘状態と化せしめ、戦闘に必要な頭脳の緊張を保って生きることによって為される。神秘家とは高度の知識と活力を持つ人間にすぎない。おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない。詩人は誰でも人間の真価は当人の感情的体験の深さによって決められるということを知っている。自分自身と次には世界とに対する支配力を人間に本当に与えてくれるのは自分自身に対する深い洞察に他ならぬ。アウトサイダーは神の存在を認めた。その神とは人間のうち自然のうちに作用している或る力であり、意識をもった如何なる個人の目的より大きな或る目的である。脳の活動は心臓の鼓動や血液の動きとではなく呼吸と調子を合わせたものである。真理とはそれを把握している人間の精神的強烈さなのだ。宗教は到達点ではなく途上の休憩所にすぎない。精神は神による物質の完全な征服をめざして苦闘する。神々と英雄の行動はある不変の法則によって予め決定されている。如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。社会の背後にあって社会を動かす力となるべく勤めること。他人の中で一つの力となることによって他人のために力を獲得してやること。アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである。真理は主体性なのであり、従って自己に集中することによって真理は達成される。文明はその死活問題として宗教を必要としている。人間の能力が人間の宗教に勝るようになったとき文明は崩壊する。何事かを為そうとする意志は、それがどうしても必要であるという確信によってもたらされた或る強烈度に達すれば、その何事かを為すための新しい組織を作り出し編み出すものなのである。自分一個の人格よりも大きな何ものかによって駆り立てられている人。真の宗教とはあらゆる人間のための標準として、詩人や賢者の最も深遠な洞察を認めることに他ならぬ。どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり」。

準備完了である。時は来た。咲かせてはならない花を咲かせてしまったか。十分に虐げれれた。すべて奪われた。何が蔓延ったか。嘘と暴力の花だった。すなわち商人根性の花だった。悪の華だった。これより或る意味で宣戦布告である。失われた楽園を取り戻す。知性の復活である。方法はいくらでもある。能ある鷹は爪を隠す。ご用心。何を思い上がっているのだ。知るべき時が来た。目覚めよ。そして戦うべし。最大の敵は己である。そして戦うことで世界を得る。得た世界は自分のものである。世の方法論は悉く失敗した。新たな秩序形成の時である。世は末世、混沌である。これより新しい時代が開かれる。開闢である。創世記である。立ち上がるべきは今である。一番槍はすでに突撃突破している。続くべし。常に一番槍は存在する。例えば、福島正則もそうだった。広島藩の初代である。さて、家伝直伝秘伝螺鈿の槍がある。錆びはしない。どこより手に入れたるか。黄泉からである。大風をなだめる草薙の剣も確認している。どのような剣であったか。誰も知らない。しかし、事実である。故に、未来は明るい。明るい未来を拓く。元気こそ力である。プラス思考は元気より来る。負けるな一茶これにあり。信じることのできる自分を発見発掘開発せよ。自己の人格が秘密兵器となる。黄泉の受容し守護するところとなる。要は好かれる自分となることである。黄泉にも好悪がある。どのような自己となって好かれるか。開発するべき所である。動植物も従う。尽きることのないスプリングが湧き出でる。勇気も湧き出でる。畏れることなど何もない。思い煩うことなど何もない。環境が汚染された。障害を持って生きてゆかねばならぬ世となった。それ故に、開拓である。開発である。戦うべきは何か。己である。そして、世界を作る。愛と平和はご託宣ではない。自ら勝ち取るべきものである。戦う民主主義である。帰りなん、いざ。どこへ帰るのか。生に帰る。進むべし。前進しかない。人類の進化の歴史である。真実が目覚めた。21世紀の約束を果たすべし。この世は火宅である。脱すべし。未来はある。パラダイスである。信じて進むべし。愚かな世間に迎合することはない。信じる道が見えるか。見えるなら進むべし。見えぬなら、見えるまで待つが良い。真実が目覚めている。今こそ、チャンスである。立ち上がるべし。必ず、救われる。仏の約束である。


2007年04月01日

今にわかる

務めは果たしたように思っている。使命といってもいい。それは生まれた意味だった。しかし、問題はこれからである。これまでは自覚がなかった。これからは自覚がある。どういうことか。今にわかる。時代を代える。夢を実現する。愛と平和。人類の夢だった。自分が変わる事で世界が変わる。古来禅者は一を挙した。それはどういうことだったのか。それを伝えた。しかるべき時が来る。それを知っていた。そのために伝えた。どういうことか。今にわかる。その時を迎えた。絶望を通って希望が来る。未来は明るい。使命がある。人類の祈りと願いは無駄ではなかった。今その時である。その時を迎えた。すべてのことは知らしめんが為だった。何を知らしめんとしていたか。今にわかる。これからがその時である。覚悟した方が良い。ノアの箱船は来ている。七色十字の大宝船も来ている。見える者は幸いである。聞こえる者は幸いである。真実はある。真理はある。無いと思っていたか。謎は解かれている。知るものは知っている。何を知っているのか。その時が来ることである。世間一般、勝手が過ぎた。犠牲としてはならないものを犠牲にした。無視愚弄してはならないものを無視愚弄した。裏切ってはならないものを裏切った。それは何であったか。古来大和の秘密だった。これまではそれも通った。これからは違う。何が違うのか。真実が目覚めている。黄泉の守護するところである。万軍の主も味方についている。今にわかる。ガンダルフが帰ってきた。大英博物館に何を見るか。人類の殺戮の歴史だった。この愚かさにピリオドを打つ。もはや世界は一つである。英知がある。技術がある。何を勝手し来たるか。愚かでは生きていけない。世間に迎合しては負ける。犠牲となる。犠牲となった知性の復活である。何を無視愚弄したか。知性である。もう我慢できない。子どもの頃の差が大人になって埋まると思ったか。何を考えているのか。何を勝手しているのか。勘弁ならない。 知性は黄泉の試練に耐えた。そして黄泉も従う自己を開発した。古来伝えられた事だった。古来大和の秘密であった。日本の新たな始まりである。代々の事である。家伝直伝秘伝である。寝た子は起きた。すなわち、法華経宿王華、一切種智慧。400年来あるいは千年、二千年来の日本の春である。花は咲いた。


2007年03月31日

不思議な事実

思うようにならないこと。それも自分次第だった。そして、法則通りだった。思うようになること、それが仏法だった。釈迦は明星を見て悟った。何を悟ったのだったか。この世の真実だった。今自分が困っているとする。悩んでいるとする。すべて自分の蒔いた種であった。幸せになろうと思えばなれる。お金が欲しければ仕事すれば良い。好かれたいと思えばそのように振る舞う。全て自分次第と知るとき、憂いはない。どんな困苦も甘受できる。好転させることのできる法則も亦知るからである。そこに達観がある。一切を楽しむこともできる。困苦をさえも。そして大切なことは何であったか。知性である。知ることである。これをしばらく忘れていた。浮かれた時代だったのだ。過去の蓄えはなくなった。時代は愚かな時代となった。それで生きてゆけると思った。世間に負けたということだった。愚かさに負けたということだった。世間に迎合したからだった。相手にしなくても良かったのだ。その前に、自分を開発するべきだった。自分を十全に開花させるために。それを知ることも過程に於いて必要であった。今、耐えている。しかし、世間は思い上がっている。人生、それほど甘くはない。厳然と、法則通りである。英知の蓄積がある。それを無視した。本来の自分を開発するしかない。自己の充実を図るしかない。さもないと、人生は開けない。それを怠っていた。それで、困ることになった。その努力を阻害する要因もあった。それも運命であった。さて、これからどうするか。それが問題である。それぞれの属性がある。個性がある。私のような個性もあって良いだろう。しかし、世に何が蔓延ったのか。今更である。相手にする気はない。私は私を開花させる。どのような花であったか。それに気づいた。どうしようもない事実である。しかし、誰も知らない。知るべくもない。しかし、黄泉の反応は何だ。乾坤大地の反応は何か。導かれていた。今まで気づかなかった。それが口惜しい。しかし、時は来た。人生が拓かれんとしている。それはそのまま時代を開くとは。今までもそうだった。生まれたときからそうだった。それ故の苦難があった。今となっては懐かしい。憂いは晴れている。迷いもない。現実が少し窮屈だ。だが、根本は解決している。養分は使い果たした。そうしたものである。しかし、やっと芽生えた。芽生えることができた。これから花を咲かせる。実となる。失ったものはない。すべて養分としてであった。それを使い果たしただけである。芽を出すためだった。『花伝書』がある。能の極意である。能力は脳力である。考える力である。知性である。よく考える。人間は考える葦である。そして実行する。実行するときは何も考えずにである。能である。そして不思議な力を発揮する。黄泉に導かれてである。それが真実であった。しかし、黄泉はすべて見ておられるようだ。この不思議は何か。私にとっては事実である。あまりにも多くの不思議を経験してしまった。 子供の頃からのことである。大鏡としてのそれだった。その幾つかは示した。氷山の一角である。真実の一部一端である。やがてすべてわかる時が来る。誰もが知らしめられる時が来る。真実とは何であったかを。私及び私たちが何者であったかを。今、衆愚はわかっていない。わかっていないから衆愚である。すなわち、神仏は実在する。古来日本の真実である。しばらくそれを忘れていた。あるいは無視した。それで、時代は腐敗した。そして何が蔓延っているのか。それも私が怠惰だったからだったか。これからは違う。使命を全うする。そのつもりである。尾崎豊が若者のカリスマだという。その目の邪悪な鋭さは何か。その声の暴力性は何か。何が蔓延ったか。ゆるしはしない。小学生の頃、道徳というのがあった。私たちのクラスは研究モデルクラスだった。「白い犬」というのがあった。ある日黒い犬となった。その姿に驚いた。家も追われたか。しかし、しばらくそれに耐えたのだった。皆から石も投げられただろうか。孤独を味わうのだった。やがて、懺悔も終わる。晩年には白い犬に戻ったのだったろうか。「星野君の三塁打」というのもあった。クラスでこうしたお話を読んで、自由に議論するのだった。さて、「徳育」ということで、道徳を復活する動きがある。良いことだと思う。唯、徳育という表現が良いものかどうか。むしろ、「常識」としてもいいのかも知れない。すると、常識とは何かという議論が出てくるのだろうか。衆愚の世である。彼らにとって常識は常識ではないのだろう。日本の常識、世界の非常識とも言われる。衆愚の常識が常識ではない。しかし衆愚の世である。戦う民主主義という概念がある。負けるわけにはいかない。あるべき世界がある。どちらが正しいのか。議論しようではないか。少数意見は尊重するべきである。衆愚が多数である。衆愚では滅びる。テレビ界の腐敗を見よ。しかし、政治家も官僚も腐敗した。談合。天下り。勝手が過ぎる。本来の常識とは何であるか。二つの道があるとする。私は常に困難な道を選んできた。試練もあった。己を知るためだった。これからもそうであるのだろう。それ故に、力を得た。得た力とは何であったか。すでに書いた。誰も知らない。知らずに勝手なことを言っている。こちらは知って言っている。何を以て知ったのか。経験を以てである。しばらく失っていたことがある。それは何か。すなわち、神仏は存在する。それが真実である。真理である。西洋に於いてはキリスト教であった。日本に於いては仏法あるいは神道である。見失われていたのであれば、復活すれば良い。世間は腐敗した。勝手な事をしている。勝手な事を思っている。真実真理を愚弄無視すればどうなるか。淘汰される。真実真理にとって衆愚などどうでも良い。黄泉に好かれるのかどうか。黄泉を裏切ればどうなるか。あの世で草鞋銭を請求される。何を浮かれているのか。すでに蓄えは使い果たしている。 それにしても勝手な事をしたものである。思い上がったものである。真実真理に目覚める頃である。真実真理を知れば、畏れるしかない。凡そ悪は為せない。私の祖父は厳格だった。私は子どもの頃、父よりスパルタ教育を受けている。勝負するのかね。十分に奪われた。ゆるしはしない。この五十年。十分に学習した。試練を脱した。自覚した。何を自覚したのか。大鏡と汝自身だった。日本は世界に真に合流する。本来の自由を形成する。そのための真の民主主義と平等及び人権を形成する。新しい時代である。日本の夜明けである。世界も日本が目覚めるのを待っていた。古来日本に宝がある。今も昔も黄金の國である。黄金は王言でもある。即ち、何か。何を以て王とするか。衆愚ではない。歩んだ人生が違う。過去からの魂の遍歴が違う。思い知るべき頃である。開発するべきは持って生まれた自己である。それが平等である。高校の頃、全共闘の余波があった。同和教育があった。それで受験勉強などしなかった。訳のわからない本ばかり読んでいた。手紙ばかり書いていた。その後もそうだった。故に至った世界がある。何もかも失った。実存さえ失っていた。しかし、復活した。黄泉の守護及び力を得ての事だった。この世の謎を解いての故だった。もはや憂いはない。迷いもない。惑わす事は出来ない。牛頭馬頭及び魑魅魍魎は去るべし。時は無駄に流れてはいない。衆愚商人根性の天下、終わっていただく。もはや真実を知らずして勝手な事は言わせない。時を待っていたか。時が来た。何を粗末にしたのか。何を愚弄無視したのか。何を裏切ったのか。真実とは何であったのか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密は何であったのか。何を思い上がっていたのか。明らかとなった。あらゆる謎が解かれた。四百年あるいは千年、二千年来の事である。誰によってその謎は解かれたのか。それを使命として試練を耐えた存在がある。世の学者の解釈の及ぶところではない。仮説は仮説である。言い切る事は出来まい。未来は今が作る。今生きている私たちが作る。衆愚が作るのではない。さて、心に思う事はやがて染み出す。表層と深層がある。深層心理というのもあった。意識の下に潜在意識がある。五官に対する第六感である。潜在意識の下に宇宙意識といったものがある。第七感であろうか。これを問題としたのは花田清輝氏だったろうか。禅では無とか空とかいう。何を以て無とするか。あるいは空とするか。自己の鉱脈がある。それを掘る事を言ったのは丸山健二氏だった。尽きせぬ泉が内面より湧き出でる事を説いたのはアウレリウスだった。これらが人類の英知である。過去より伝えられていた。それは秘伝のようでもあった。知る者には事実である。何を空ずるのか。意識である。潜在意識に通じる。さらに空ずる。宇宙意識といったものに通じる。放てば手に満てりである。何が満ちるのか。魂と宇宙は連動しているとする所以である。これを成就した。勝負するのかね。黄泉の守護するところである。これが真実真理であった。私は示し申すべき事がある。すなわち、神仏は実在する。不思議な事実である。故に古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和神風の吹く正統日本復活である。世界の中の日本、出航である。新しい大航海時代が始まった。目的地は何処か。21世紀の約束、心の大地。新々大陸発見。衆愚よ、さようなら。勝手に老いていくが良い。衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏なり。安穏はある。どのようにして至るのか。脱火宅。我が為に、日月照らし風が吹く。誰も知らなかった。知る人は知っていた。遙かなる夢だった。その夢が実現する時を迎えた。未来は明るい。明るい未来を作る。衆愚では作れない。知性の復活である。何が蔓延ったか。何を愚弄無視したのか。世間一般、勝手が過ぎた。容赦しない。何も知らずして何を大きな事を言うか。何を思い上がったか。戦後民主主義及び自由平等を履き違えた。そして犠牲にしてはならないものを犠牲にした。あるいは破壊した。今、その復活である。時は来た。不倫が文化などという。畏れを知らぬもほどがある。耐え難きを耐えた。忍び難きを忍んだ。私の青春と人生が失われていた。住むべき世界はなかった。悲しみの次元が違っていた。故に黄泉も従う開花である。世間一般、何を浮かれているのだ。責任は取って貰う。

さて、ニルバーナとは涅槃であるが、仏さんは善が始まる時だと言われる。何も気にならない。善も悪も何もない。六祖はここを善も思わず悪をも思わぬ時、あなたはどのようであるかと言う。本来無一物である。黄泉の守護を得てのことである。身心脱落、脱落身心は道元であるが、楽になるとはこれである。もう大丈夫だと思われる。探していたものは見つかった。あらゆる事に感謝する。生きていて良かった。生まれて良かった。こうして敬虔を得た。しかし、現実が厳しすぎる。ここしばらく耐えるしかない。己の蒔いた種である。やがて整うとは思う。そしてこれより取り戻すべきは何か。謙虚さである。誰からも好かれるように。もはや自己を主張する必要もなくなるのだろう。生かされて生きる。新たな人生の始まりを予感している。こうして本来の自分に戻る。亦楽しからず哉。鈴木大拙氏だったろうか。悟ると撃ち方止めとなると言っていた。何時の代もそうである。こうして時代が切り開かれる。黄泉の掟である。その為に通らねばならぬ試練がある。ある意味で生け贄のようである。出雲もそうであったのであろう。江戸無血開城もそうだった。現代平和は原爆を通っている。邪馬台国大和正統日本。大きな事は言えぬ。それを不倫は文化などと、口が裂けても言えぬ事である。テレビ界、覚悟するが良い。どこまで思い上がったか。その論理が貴様達の正体である。電力業界もその例外ではない。何を履き違えたか。古来大和は本来清浄である。嘘はない。身分に安住しての、象牙の塔のお山の大将にも用はない。私及び私たちを認めないものたちに用はない。それ自体が裏切りである。本来清浄を裏切った。故に、正統大和日本復活である。魂の遍歴が違う。持って生まれたものが違う。何を愚弄無視したか。思い知る時節を迎えた。恨むべきはこの世であるいは前世で己の処したる実人生である。脛の傷は隠せない。


2007年03月30日

一大反省

意識は向上する。さらにである。今気づきつつあることは何か。ある本を読んでいて気づいた。いわゆる成功者達の生き様である。それも団塊の世代の方々である。生きるために大切なことを無視していたのではないかと思っていた。とんでもない思い違いだった。お詫び申し上げる次第となった。生きていくということがどういう事であるか。その厳しさを思い知らされている。唯一人前にやっていくことを思って生きておられた。他人に迷惑をかけないことがプライドであった。内容がないと思っていた。そうではない。そのようにして生きてゆかねばならない時代だった。今となっては、尊敬申し上げる。それ以上に、戦争経験者の方々は、耐えることに於いて筋金入りである。高等教育を受けている方々は少ない。しかし、生きてゆくことに於いて、何が大切であるか。身を以て知っておられる。こうした方々が生きておられる限り、しばらく、日本は安泰である。しかし、やがて世代が移る。その時が心配である。さて、私こそ甘えていた。反省している。しかし、私は力を得ている。


脱火宅

幸せとは何処にあったのだろう 青い鳥

火宅を脱する 火宅だった事を知る 釈迦の蓮の池

世間は火宅 喧嘩している しなくてもいいのに

幸せとは何だろう 自分自身 すべてをゆるす ゆるされている

この世は修業 何の修業 脱火宅

本当のやさしさがある それを見つける 達観

世間は火宅 喧嘩している どうにもできない

助けてあげたい 救ってあげたい その気持ち

しかし 一緒に溺れる事も出来ない 

何時でも助けてあげる 救ってあげる 聞く耳あらば

すでに至った 何処へ 青い鳥

世間は火宅 喧嘩している 大火に焼かれている

我が此の土は 安穏 日月照らす

この世の不思議 脱火宅

何を見ているのか 見えているのか 世界 やさしさ

すべては 蒔く種 蒔いた種

夢の実現 この世 人生 諦めず

何時か至る 必ず至る 

この世顕現 脱火宅 幸せ世界 必開花

どのような目をしているか 真実を射抜く 瞋に非ず

輝く目をしている 何故輝く 

真実輝く 脱火宅 光り輝く このブログ 元気本舗 服すべし

真実伝搬 脱火宅 言葉ロゴス 周波数

世界を染める 何に染める 脱火宅 幸せ

修羅を脱した 修羅を止める 我が使命

我は至った 確かに至った 何処へ至った 脱火宅

世間は火宅 喧嘩している しなくてもいいのに 

私は至った 脱火宅 幸せ見つけた 青い鳥

憂いは晴れて 青い鳥 迷いは晴れて 脱火宅

憂いがあれば出すが良い 迷いがあれば出すが良い

本来何も 無い 

何も無いところから 咲く 幸せ本舗 蝶も来る

幸せの花 此処に 咲く この世真実 脱火宅

やさしき言葉 セレナーデ

やさしき眼 輝く目 この世真実 やさしさの周波数 発信

このブログ 服すべし 世界を救う 七色十字 黄泉も従う

守護する自然 自然に帰れ 自然を護れ

幸せ世界 必開花 この世真実 世界を救う 

黄泉に好かれて 風が吹く

脱火宅 世界に合流する 自由は自由が切り開く

新しい時代 これより 開闢である 

21世紀の約束 心の大地 新々大陸発見 旅は終えている

新たな旅の始まりである 未来を切り拓く 

腐ったこの世に未練はない 力は得ている 時代を代える

再び 大航海時代である 出航である

目的地はある 真実パラダイス 地図は得ている 我が心の中に

世間は大火に焼かれている 我が此の土は安穏である

あらゆる困難を克服する 敵は倒す 七つの海を渡る

最大の敵は己自身である これと戦う

己を制して 世界が開ける 敵は己自身にあり

身分に安住して何とする 恥を知るべし

BGMは キャロルキング Tapestry

古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和神風の吹く正統日本の謎は解き終わっている

大和真実 完全復活 雲は龍に従う 畏るべし 刃向かわば 仏と雖も ゆるしはしない
Go! Start! You should do what you have to do now. Knights is the people of this world that knows what to do for future and now it is the time to do it.


2007年03月29日

にゃー

生まれてしばらくした赤ちゃんの満面の笑みがある。禅では赤子の心を言う。それだけで生きてゆけるとする。赤ちゃんはあまりにも弱い存在である。大人から見れば完全保護の対象である。とても一人では生きてゆけないと思う。それを、禅では赤子の心でなければ、禅はわからないとする。どいうことだろう。生きてゆけるのである。天真爛漫でいいのである。何故か。黄泉が守護するからである。黄泉が嫌うのは何か。人間の計らいだ。黄泉は素直を好む。好むのである。理由はない。ここを花は愛惜に散り、草は棄嫌に生うるとする。あるいは唯嫌棟択である。それがまた、身心清浄であり、仏の目的だった。そしてそれが本来無一物だった。無である。空である。本当に何もない。思うところがない。まさに住するところなくしてその心を生ずるである。放てば満てりである。何が満ちるのか。智慧である。仏の智慧である。如来の智慧である。自然の智慧である。これが本当だった。そして二歳の女の子の目がある。これが面白い。十分に大人の目をしている。親は知らない。祖母も知らない。悪い子だと思っている。どうしてこのような子が生まれたのかとも思う。そうだろうか。女の子は何故甘えるのか。悪戯するのか。認められたいのである。何を認められたいのだろう。存在として認められたいのである。評価されたいのだ。誉められたいのだ。理解して貰いたいのだ。足りぬ所はある。そこを補って欲しいのである。教えて貰いたいのである。そういう目をしている。それが見つめる目である。ここを親は理解しない。祖母も理解しない。大切なことは何であったか。理解である。相互理解である。この理解力がない。この理解力に於いて、親及び祖母よりも子供の方が優れている。後から生まれてきた特権である。進化している。出藍の誉れである。これに気づかない。因って悲劇となる。理解された子はどうなるか。足りないところは補って貰える。教えて貰える。子供の好奇心をどれだけ満たせるか。子供の未来が決まる。ここで満たされない部分が残るとする。それが子供の満たされないところとなって、そのまま大人となる。空虚である。その空虚を何で満たすのか。悪である。悪い友達が影響するのはこの空虚である。堕落が入り込むのはこの空虚である。そして愚かな大人となる。堕落を人生などと思う大人となる。中身のない大人となる。子供の頃の差が今世で埋まらないとする所以である。大切なのは何か。理解である。理解すれば良い。子は育つ。教育の要諦もここにある。学校教育はこれを知らない。理解すればどのような子も育つ。大人になって男女の関係となってもそうである。 夫婦の関係になってもそうである。相互理解である。それが無いとき悲劇となる。そして、どうにもならない相性の問題がある。男女関係が破綻するのは何故か。知性及び感性のギャップである。知性があれば感性がある。感性があっても知性がないことがある。出会ったときはわからない。恋は盲目である。あばたもえくぼである。しかし、時が流れてわかる。何をわかるのか。そのギャップをわかる。あるいは感じる。しかし、その時は遅い。そのギャップは埋まらない。それで人間関係は同レベルで触発する。仏は、仏とのみ究了する。剣は剣客を以て呈すべし。詩は詩人を以て呈すべし。自ずから賓主歴然である。しかしこの歴然に気づかない。気づくには自覚を要する。相手を自分と同じと思う。この同じと思うのは、両当事者である。これが恋は盲目である。やがて気づく。その時は遅い。破綻でしかない。水と油である。あるいは、犬猿の仲である。どちらもが理解できない。理解できないまま時が流れる。その間、男は堕落する。ここを男は女次第とする。女は男次第だろうか。そうかも知れぬ。よほど信頼できる男の場合であろう。その時、女はなびく。しかしそのような男も少ない。どのような男がそれであるか。力を持つ男である。因って男は風采ではない。実力である。そしてその実力とは具体的に何か。お金である。社会に於いて信用とはお金である。さて、理解することである。理解すれば良い。ネコだって寄ってくる。ネコだって理解してくれる。道案内してくれる。一緒に遊ぶ。にゃーと。ところで、がんにしても、パーキンソン病にしても、統合失調症にしても原因は何であったか。栄養不足であった。栄養とは何であったか。ミネラルとビタミンだった。これが絶対的に不足する時代となった。それで、子供もキレル。栄養が足りれば、元気な肉体となる。元気となればプラス思考となる。元気を出せと言う。健康でない者に元気は出せない。健康であるためにはどうするか。ミネラルとビタミンを充足する。当然代謝もはかどる。何もかもうまくいく。運命だって引き寄せる。全てをプラスに転ずることができる。それを阻害しているのは何か。心においてはストレスである。それが活性酸素を発生させる。それを除去するのは何か。抗酸化物質である。それを補えばいい。すべては栄養不足であった。しかし、環境が破壊された。栄養を摂取できない世の中にいる。どうするのか。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。健全な肉体になれない時代である。環境が汚染された。衆生病む、故に我病む。維摩居士の黙雷を落とされたいのか。さて、法華経の名宛人は何であったか。武士階級であった。刹利とは武士である。即ち、「若し此の業障を滅除せんと欲せば、慚愧を生じて諸罪を改悔すべし。仏の言わく、如何なるをか刹利、居士の懺悔の法と名づくる。刹利、居士の懺悔の法とは、但当に正心にして三宝を謗せず、出家を障えず、梵行人の為に悪留難を作さざるべし。応当に繋念して六念の法を修すべし。亦当に大乗を持つ者を供給し供養し、必ず礼拝すべし。応当に甚深の経法、第一義空を憶念すべし。是の法を思う者、是れを刹利、居士の第一の懺悔を修すと名づく。第二の懺悔とは、父母に孝養し、師長を恭敬する、是れを第二の懺悔の法を修すと名づく。第三の懺悔とは、正法をもって国を治め人民を邪枉せざる、是れを第三の懺悔を修すと名づく。第四の懺悔とは、六斎日に於いて諸の境内に勅して、力の及ぶ所の処に不殺を行ぜしめ、此の如き法を修する、是れを第四の懺悔を修すと名づく。第五の懺悔とは、但当に深く因果を信じ、一実の道を信じ、仏は滅したまわずと知るべし。是れを第五の懺悔を修すと名づく。仏、阿難に告げたまわく、未来世に於いて、若し此の如き懺悔の法を修習することあらん時、当に知るべし、此の人は慚愧の服を著、諸仏に護助せられ、久しからずして当に阿耨多羅三貎三菩提を成ずべし。是の語を説きたもう時、十千の天子は法眼浄を得、弥勒菩薩等の諸大菩薩及び阿難は、仏の所説を聞きたてまつりて歓喜し奉行しき。」今武士はどうなっているか。愚弄無視されている。武士を知らない者達の故である。明治の頃、武士は染井吉野となって全国に散らばった。

我一人 蚊帳の外にて 港かな

力得て この力をぞ 如何せん

雲龍の 何を射抜かん 空を斬る

恨むなと 勝手言いたる 世間かな

しかれども 我何をも 思わんとす

トレンドはどこから発するか。ある存在の選択である。福祉がトレンドとなる前に、私はボランティアをしていた。その流れは終わった。次なる流れは何か。必要は成功の母である。チャンスはピンチの形をしてやってくる。私が卒論で書いたことが十年後に学会で論じられた。インスパイアとエクスパイアがある。これまではすべて奪われた。これからは違う。何故か。自覚している。さて、これからのトレンドは何だろう。環境と健康である。福祉の次に来る。経済現象となる。

至り着いたようである。どこへであるか。彼岸である。そしてそれは例えばどのような状況であるか。火宅を脱した。大白牛車を得た。見える世界は何か。世間の火宅である。あるべき世界が開けた。探していた世界だった。すべては満たされた。すべてを失ったかに見えた。そうではなかった。自由が切り開かれた。間に合ったようだ。これが夢の世界だった。失われてはいなかった。全ては与えられていた。あるいは譲られた。法華経窮子帰城。世界は自分のものだった。

中学三年生の時のことだった。担任の先生は仰った。お前が悩んでどうするのか。それが悩んでしまった。不覚であった。ここまで悩んでしまった。何を思い煩うことがあったのか。恨むべきは自分である。何を思い悩んだか。しかし、それも己を知るための試練だった。その試練に耐えた。古来希である。私は試練を通っている。誰も耐えることのできない試練を通っている。私は勝利した。何に勝利したのか。人生にである。すなわち、日月照らし風が吹く。これまでもそうだった。しかし、信じるには至らなかった。やがて時は来る。その時が来る。その時が来た。そして解くべき難問を解いた。それは何であったか。すなわち、古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密であった。何を以て解いたというか。法華経宿王華、一切種智慧。私は昭和五十年にデビューする予定だった。しかし、運命の悪戯があった。昭和五十年ではなかった。五十歳であったのだった。ジャパンアズナンバーワン。私こそそれだった。しかし、私は少し能力が足りなかった。期待を裏切った。しかし、その後三十年。私は修行した。自らの罪を懺悔した。そして至った。憂いはない。迷いもない。空手である。それで十分である。これより私の時代である。父もそうだった。祖父もそうだった。誰か反論する者あるか。あるならするが良い。何時でも議論に応ずる。私は謎を解いている。あなたがたは解いているか。それでも尚背くか。青春を奪われ、人生を失い、その孤独に耐えてのことである。黄泉が微笑んで当然である。本来古来大和魂武士道精神天徳ロゴス実践証明帝則顕現復活。衆愚不知。既に示し申した。

2007年03月28日

警鐘

健康の大切さはすでに言われている。『医食同源』である。生きるとはどういう事だろうね。これからは上手に老いることだ。長く生きる。健康体のままで老いてゆく。願わくば枯れるように大往生である。元気に老いを生きる。これからのテーマだ。誰もがひとつやふたつの病気を持っている。それでも、入院に至らなくて済んでいる。病気の一つがあるから、養生も出来る。命の燃焼。命を使い尽くす。何事も大切にする。使い切る。それが成仏させるということだった。健全な心は健全な身体に宿る。身心の健康を考える。心が先か。身体が先か。身体だね。何時までも元気である事。それが健康だと思われる。現代医療はどうだろう。がんにしたって、西洋医療だけで治癒はない。症状を抑えるだけの対症療法である。むしろ人間の尊厳を破壊する。治癒する力は自己治癒力である。そのためには、病気に打ち勝つ体力を要する。ここに、代替医療及び予防医学の考え方が浮上する。病気にかからない身体を作る。また、医者は優秀である。しかし、何故医者になったのか。赤ひげに憧れての事だったろうか。主たる理由は収入ではなかったか。医療も産業である。ビジネスである。そこに歪みがある。國は医療費の負担を抑えようとしている。国民皆保険の社会福祉思想はもはやない。破綻した財政をどのように立て直すか。それを國は考えている。福祉は後退する。郵政の民営化もその考え方からであった。それはそれで仕方ない。時代の流れである。さて、自分の健康は自分で考えなくてはならない。高度経済成長の頃、急速な工業化の中で、製品の大量生産があった。日用品に使い勝手と性能維持及びコストの故の化学合成物質が使用されるようになった。食生活も変わった。そしてアトピーとか喘息とかが現れ始めた。その原因がわからなくて、難病という事になった。その頃、すでに警鐘はあった。『沈黙の春』などがそれだった。しかし、無視された。その頃、公害があった。お化けハゼが釣れたりもした。はじめに貝が死滅した。次はネズミだった。そして猫にも腫瘍が出来た。その後、問題とされなかった。しかし、ダイオキシン、フロンガス、アスベストなど、個々の問題が発生した。アスベストについては、その使用を火災予防の観点からむしろ國が奨励指導したのではなかったか。その責任は不問であるか。環境ホルモンも問題となった。これが少子化の原因ではないか。若い男子の精子の数が絶対的に足りなくなっている。男性にも更年期障害があるようになった。そしてあらゆる症状が低年齢化してきた。また、子どもはキレルようになった。これらの原因が何であったか。明らかとなったのではないか。合成化学物質ではなかったか。何時までも無視できないのではないか。生まれてくる子供達は、すでに羊水の中でそうした物質の影響を受けている。小児がんも発症するようになった。日本は先進国の中で奇形児で生まれてくる件数が最も多い。経口毒は肝臓と腎臓でその90パーセントは解毒される。皮膚からは入らないとされていたものが、その分子量の小さいが故に体内に入り、肝臓及び腎臓を経由することなく、血流に乗り、そのまま体内に蓄積される。そしてその90パーセントは解毒されない。それがやがて免疫の器を越える。どうなるか。そうした物質はタンパク質を破壊する性質がある。DNAまで壊しているという。それで、子どもがキレルとも言われている。教育の現場で多動症がある。教師の力量だけの問題ではない。根本的に見直すべき事があるのではないか。いつまでも利益のために無視できない事があるのではないか。こうした事実を考える事もせずに、世間は何を浮かれているのだろう。環境は汚染されている。見えないだけである。子ども達は生まれた時にすでに障害を持っている。若い世代はコンビニ世代であり、その食事は、 ファーストフード、インスタントラーメンなどである。栄養素とはミネラルとビタミンであり、ミネラルが酵素の原料である。ミネラルとタンパク質で酵素は体内で作られる。ビタミンはその時その過程を助ける。そしてこの酵素こそ、免疫力であり、自己治癒力の源泉である。予防医学は病気にならない健康と元気を目指す。今、このミネラルとビタミンの絶対的不足の時代である。健康も元気もなくて当然であろう。炭水化物と脂肪は熱エネルギーとなるだけである。野菜を食べても、農薬で破壊された土壌にはミネラルが減少している。促成栽培の野菜が十分に日光を浴びているだろうか。どのような食事をしているというのか。親として子ども達のために学ぶべき事があるのではないのか。図らずも障害者となって生きてゆかなくてはならない時代である。何を犠牲にして得た利益であったか。何を破壊したのか。損失は誰が補填するのか。行政改革も大事だが、もっと議論するべき事があるのではないか。国会議員の事務経費など議論している暇があるのか。何故の議論か。権力奪取のためか。議論とはどうあるべきか。とにかく絶対的に反対すれば良いというものではない。議論を尽くしてよりよい制度を作るために、良いところは認め、悪いところを正す。その為の議論ではないのか。政権奪取はその過程を見てその優劣を国民が判断するのではないのか。反対から始まる議論は、幼稚であり、本末転倒であろう。無駄が多すぎはしないか。それこそ無駄な運営経費ではないか。そのような議論に国民が興味を示すとでも思っているのか。すでに環境は破壊されている。住むべき世界が無くなっている。安全と健康。これからのテーマである。栄養不足の時代である。鬱病その他精神疾患も栄養不足から来ると言われている。一部のものたちが元気であっても全体が元気にならなければ意味はない。このブログを元気本舗とでもすることにしよう。悲しみよさようなら。憂いもさようなら。元気で参りましょう。この世に思い煩う事など何もない。元気となれば、すべて吹っ飛ぶ。


次なる使命

世界はグローバル化した。かつて世界は地中海だった。世界は無限と思われた。大航海時代があって、世界は地球となった。その頃、まだ世界は無限であった。今、世界は宇宙を含む。地球は有限となった。そして一つの世界となろうとしている。流れは何か。資本主義である。民主主義である。日本はペリー来航以降、世界に合流した。日本史と世界史の合流だった。しかし、すでに世界は分割されていた。後進国として悲しい試練があった。この度、それも克服した。それが、戦後六十年の意味だった。日本は世界に真の合流を果たした。それは古来日本の精神の復活を以てであった。世界はそれを認めた。あるいは待っていた。世界にとっても切り札であった。こうした現実を生きてゆかねばならない。この流れを受容せざるを得ない。この流れに背けばどうなるか。日本の世界に於ける死を意味する。再鎖国化はあり得ない。資源を持たざる國としての宿命である。しかし古来日本の智慧がある。大和の秘密である。相手があれば必ず受容する。そして凌駕する。こうして個々の幸せも掴んでいく。現実を開く。未来を拓く。過去を未来に移す。仏の大願だった。故に己に恥じるところのない大和魂復活である。欺罔偽善暴力野蛮が淘汰される。古来日本の精神が復活する。既に、愛と平和は、私に於いては、成就した。過去からの祈りであり、願いであった。蓄積された英知があった。それ故解くことができた。愛と平和の理念の発掘は成功した。私は英知を結集して問題を解く。その方法論は確立されている。さて、新たな課題が見えてくる。それは何か。老いである。長寿国として日本の現実はどうか。日々、デイサービスである。これで幸せかどうか。健康なまま大往生できなくなった。その原因もわかってきた。枯れるようにこの世を去る。生の全うである。それが幸せであろう。問題は健康である。これを解かねばならない。次なる取り組むべき課題である。あるいは使命である。医者でもない、公務員でもない、サラリーマンでもない、資産家でもない私にしかできない仕事がある。これまでも仕事はしていた。していた筈だった。しかし、これからは違う。何が違うのか。自覚している。閻浮提の大良薬妙法華経も発見し服した。因って、憂いはない。迷いもない。真実を射抜く。しかし、兵糧が尽きた。貧窮問答歌となってしまった。山上憶良でもあったか。人知れず、地に埋もれて芽を出すために、養分は使い果たしたようだ。商売はできぬ。その属性は私にはない。何時まで拉致されるのだろうね。だからと言って反乱はない。十分に齢を重ねた。その必要もない。黄泉の守護は取り付けた。ロゴスも得た。何故に得ることができたのか。図らずも芥を払うこと三十年であった。身心清浄は仏の目的であった。生まれたときからそのように仕組まれていたようだ。時は平和、有言実行の時である。不言実行は中国に於いて戦乱の世に身を守るためであった。そのようにして禅の命脈は保たれた。そして日本にその種は伝えられた。さらに、苧坂光龍老師をして在家に伝えられていた。古来大和の秘密花である。その開花する時を迎えた。ところで、御前会議は何処であったのか。戦争の開始も終結も、黄泉の軍神マルスの許しを要する。真実の統帥権は何処にあったか。誰の意思であったのか。古来大和の秘密である。国民とは何であったか。主権在民の真義は何であったか。憲法は何故プログラム規定であったのか。誰も知らない。唯、自覚自得するのみ。家伝直伝秘伝古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密がある。さて、私ほど恵まれた者があっただろうか。およそ修業の時代は終わった。あらゆる事象がサインである。そのサインをどのように受け止めるか。あるいは糧とするか。既に、糧は無限である。音楽とするも良し。論文とするも良し。しかし、既にあるプロパーあるいはカテゴリに今更迎合しようとは思わない。既に実験段階は過ぎている。実弾飛び交う世の中である。その中で生き抜かねばならぬ。一匹狼として。どのように生きるのか。下手は撃てぬ。スナイパーである。ドストエフスキーはギャンブルが好きだった。その為に借金があった。その為に書いた。それで書けた。相当な分量であった。銃殺されそうになったこともあった。そういう世の中である。夏目漱石は新聞連載の次の作家が現れるまで、『こころ』を延長した。それが才能であった。作家として書くということはどういう事であるか。時代を作る。ルソーの『告白』は何であったか。一度書き始めれば、堰を切ったように書くのだった。書くという行為は何であるか。書かされているということもよく言われる。すなわち、インスピレーションである。かつて、この道成るかとした。すると、『娘道成寺』が聞こえてくるのだった。浄瑠璃を聞いていると祖先のことかと思われた。持って生まれた才能であるか。このような馬鹿げたことがあっただろうか。空海の金剛杵も手にした心地である。この世の不思議を現実にしてしまった。そろそろ冬にしようと言うと、雪になるのだった。よくぞここまで耐えたものである。もはや耐える気はない。自由を得てしまった。究極の困難を乗り越えている。怖れるものなど何もない。私はすでにある条件をクリアしてしまったのだろう。何をしても良い自由を得てしまったのだろう。本当の自由を得てしまった。良い時代である。申し分ない。私は何処でも書ける。いくらでも書ける。尽きせぬ泉が湧いてきた。スプリング。春である。人生の春を迎えた。私はこれを仕事にできるだろうか。試してみる価値はある。文体は既にできている。お墨付きはすでに貰っている。批判などしない。皆生きようとしている。それを謳歌する。私の時代である。信じることのできる自分自身の開発に成功した。それだけの人生を歩んでしまった。惑わされはしない。時代の都詰めである。失いかけていたジャパンアズナンバーワンである。その復活も証明したはずである。日本の知性の勝利である。私は祖父を知っている。父を知っている。誰も知らない。家督相続の秘密がある。それにしては無視愚弄してくれたものである。裏切ってくれたものである。冒涜してくれたものである。しかし、それ故至れた自由である。むしろ、今となっては、感謝する。これまでになく大いなる自由を切り開くことができた。須弥山の登頂に成功したようだ。この世の春である。絶景である。しかし、世の中、何が蔓延ったか。特にテレビ芸能界諸君、金銭的成功を幸せと思い違いした。憂いはないか。迷いはないか。どのようにしてそれを手にしたか。来世に大きな遺恨となるであろう。また、身分に安住する者達よ。その間、勉学を怠った。人生を堕落に導いた。その罪、甚大である。死に臨んで、この世の人生、悔いるのみであろう。そして、無神論を標榜する知的エリート達よ。何を以て世を導きたる哉。およそ、世は腐敗した。論ずるに及ばず。世は衆愚化した。衆愚の天下となった。故に知性が芽生えた。時が代わった。時代を変える。その為の力は得ている。日本を支えてきたのは、勤勉と努力であった。それを犠牲にして、例えばカンニングを恥とも思わない要領の良さが蔓延った。これをゆるしはしない。そして、知性を笑いものにした。平和ぼけも良いところである。何を思い上がっているのか。腑が煮えくりかえっている。公憤である。何時までも衆愚の勝手は通りはしない。人生も青春も奪われてしまった。戦後衆愚怠惰要領堕落卑怯怯懦欺罔偽善無責任民主主義、腹は切れまい。私の住むべき世界はなかった。言うべき事がある。広島は原爆を通っている。衆議院選挙の実体、妙法華経と教団運営、その他、見るべきものは見ている。開発するべきは開発している。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密も発掘した。汝自身も知ってしまった。二千年来の物語が完結したとする所以である。人類に未来がある。その選択がある。重要な時を迎えている。新たな物語が始まる。衆愚は衆愚である。知性を理解する種を持ち合わせていない。 その天下であった。洋流の変及び敗戦の故とはいえ、古来本来日本にとって、あまりにも悲しい時代であった。しかし、日本は日本である。何時か復活する。それが大和の秘密である。時は待つべきものかは。


2007年03月27日

真実世界開闢

通らねばならない道があった。何時か見失われた道だった。世の中はあまりにも腐敗した。その中でもがいていた。流れを変える必要があった。私たちに住む事の出来る世界を取り戻さねばならなかった。そのように思って戦っていた。さて、戦いは何かのコンプレックスであるのかも知れない。金持ち喧嘩せずともいう。戦う必要など本来無くて。それが幸せな世界だった。いよいよ、見失われた自己探しは最終段階だろうか。理念的には、やさしさとおだやかさを見出した。しかし、尚、戦おうとしている自分がいる。もう若くはない。失われたものは失われたものである。帰ってこない。仏陀の逸話がある。ある女性が子どもを亡くして悲しんでいた。仏陀にその子を救ってくれと懇願した。そこで仏陀は何を言ったのだったか。その女性に、近所を歩いて、死んだ者がいない家を探すように言った。女性は探した。何処の家も亡くなった方がいた。そして悟ったのだった。何を悟ったのだろう。亡くなったものは帰ってこない。それを何時までも悲しんでも仕方ない。やがて誰もが死んでいく。それを悲しむのではなく、すでに亡くなったものは弔うしかない。そして、今生きている自分が大切であると知ったのだろう。その子の亡くなった事を何時までも悲しんで、その子は喜ぶだろうか。それよりも、その子のためにも、今生きている自分が幸せになる事だ。そこに気づいたのではなかったか。何時までも戦おうとするのは大人げない。所詮この世は人の世、幸せを掴む。幸せとは何だろう。自分一人では生きてはゆけない。皆、仲良くする事だ。その為には、戦いを卒業しなくてはならない。そして、本当のやさしさを掴む。おだやかとなる。つまり、平和だ。相手を思いやる事は正しい。自分が犠牲となって相手は喜ぶだろうか。誰も犠牲にしてはいない。自分が勝手にそう思っている。相手にしてみれば、そのつもりはない。それが世間だった。中には邪悪な人もいる。それは別論だ。この世は血塗れのものではない。皆、おだやかさとやさしさを目指している。殺伐としているのは自分が磁石となっているからである。自分を解放すれば良い。流れは変わる。自分次第である。それも通らねばならない道だった。父の道と母の道があった。その両方を辿らねばならなかった。そして、やっと、母の道に至ったのだろうか。あまりにも過酷な人生であった事は確かであった。誰もがそうであるのだろう。それが、人生であるのかも知れぬ。しかし、歩み通さねばならない。そしていつかは至る。この世で至れば幸せである。本当の幸せな世界はある。この世でどこまで歩めるか。歩めなくても良い。そのために来世はある。今世の終わりは来世の始まりである。焦った事はない。所詮人生は自分の足で歩くしかない。あの世にはあの世の道があるだろう。やがて至り着く。何処へ至り着くのだろう。自己の夢見た世界に辿り着く。人類も長い遍歴である。本当の世界が見えてくる頃である。迷わずに歩みたい。信じた道を。父の道。母の道。歩まねばなるまい。父の無念も晴らさねばならぬ。母の夢も実現しなくてはならぬ。この世は成すべきことが多い。本来の道とは何であったか。それが見えてきた。限りなく人格形成。自己の悪性は精錬する。自己の良い花を咲かせる。やがて子どもの頃の自分に戻る。折り返し点である。時代もそうであるのかも知れぬ。歴史もそうであるのかも知れぬ。やがてゴールがある。寄せる波。返す波。満ち潮。引き潮。リズムがある。メロディがある。美しく自己を奏でる事が出来るだろうか。この世で。やっと、人を素直にあるがままに愛する事も出来そうである。長い道のりだった。本来の自分に戻る時節を迎えた。幸せが見えてきた。急がねばなるまい。美しいとはどういう事だろう。英英辞典がヒントとなる。それは相手を喜ばす何かである。ゴールが見えてきた。私の歩んだ道は間違いではなかったようだ。試練はあった。道草もあった。しかしここまで歩んできた。誰も知らない未知なる試練も克服した。仏の大良薬も服した。何も思い煩う事はない事も知った。自分のために日月も照らし、風も吹いた。導かれての事だった。黄泉の守護も取り付けた。衆生大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏なり。本来の武士道も見つけた。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密も発掘した。その道程は道元貧学道だった。私は未来に向けて一つの可能性をここに遺す。あらゆる事に感謝して。自己の花を咲かせる。それが人生である。どのような花を咲かせるのか。持って生まれた種がある。どの種を選択するのか。人生は過去の夢の実現過程である。この世は大鏡。自分が変わる事で、世界が変わる。この現実と如何に対峙するか。己の魂と宇宙自然は連動している。夢は実現する。どのような夢を描くか。生きるべきか死ぬべきか。 生きるべきである。どんなことがあっても。導かれている。黄泉及び祖先によって。大切に育まれている。自分に自信が持てるかどうか。この世はパラダイスである。地獄を脱すれば。どのようにし脱するか。それを示す。本来無一物。祖師西来意。日月照らし、風が吹く。禅の命脈は日本にしかない。神風は日本にしかない。それが大衆レベルに流れてきた。在家禅である。すべては知らしめんが為にある。何を知らしめんとするか。真実である。時代も進化している。幸せはある。それを掴む事が出来るかどうか。人生は楽しい。未来は明るい。良い時代である。この良い時代を生きる。自分次第である。天は自ら助くる者の助く。天晴れ、カクネンムショウ。仏は自分のために法を説く。自分自身を裏切らない事である。天の祝福が待っている。究極の春が待っている。時代は代わった。何故に代わったか。私は知らない事を知っている。その開発に成功した。大鏡を自覚する事によって。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密である。未来は明るい。日本は大丈夫である。同じ轍は踏まない。何を自覚するのか。自分自身である。汝自身を知れ。自分とは何であったか。禅の要諦である。唯、自覚自得自証あることを以てゆるす。法華経を得るであろう。その本質は秘密である。如来は如来でなければわからぬ。他の一切の認証を必要としない。あらゆる批判否定を寄せ付けない。絶対の自由と自信がある。天が認め証明する。是真実復活現前古来秘密大和実証経験自得自覚確信実行而成就安楽行。

春の来て 何処吹く風の 我至る

「但一心に 説法の因縁を念じ 仏道を成じて 衆をして亦爾ならしめんと願うべし 是れ則ち大利 安楽の供養なり
我が滅度の後に 若し比丘有って 能く斯の 妙法華経を演説せば 心に嫉恚 諸悩障礙無く 亦憂愁 及び罵詈する者無く 又怖畏し 刀杖を加えらるる等無く 亦擯出せらるること無けん 忍に安住するが故に 智者是の如く 善く其の心を修せば 能く安楽に住すること 我が上に説くが如くならん 其の人の功徳は 千万億劫に 算数譬喩をもって 説くとも尽くすこと能わじ」(法華経『安楽行品』第十四より)

さて、王舍城ツァーに参加してきた。王舍城にはあるべき世界がある。一切大衆が救われる方法が説かれている。やさしい雨が降っていた。刀利天の世界があった。地獄より脱却する。本来の自分に帰る。あるべき世界が待っている。かぐや姫は月に帰った。何故だったか。この世に住むべき世界はなかったのか。この世の住むべき世界に帰ったのだった。それはどこにあるのだろう。この世にある。この世に、地獄もヘブンも実在している。『天国への階段』がある。先ず、それを見つけることだね。諦めないことだよ。救いはある。どのような障害も乗り越えることができる。私は既に乗り越えた。貴重な体験がある。それを示していくことも大切な仕事であると思われてきた。悪舌は功徳の種を断ずる。あるべき世界へ帰ることにしよう。世界を開くのは自分自身である。どのような世界を描いているか。思いは通じる。そして実現する。何を思っているか。それが大切である。幸不幸は自分次第である。21世紀真実幸福論。試練は果たした。天の認めるところである。説くべき時が来た。自分が自分となる。生きることを選択する。この世はそれぞれの思いの花である。負けるわけにはいかない。既に力を得ている。この力を何のために使うか。修羅を止める。これに妥協或いは失敗すれば神と雖も地獄に堕ちる。力を得た者の使命がある。次なる課題の到来である。まだ仕事がある。いよいよこれからが私の人生の始まりである。しばらく眠っていた。早く目覚めよとサインは出ていた。世間は何も気づいていない。古来大和の秘密がある。大和魂は復活した。世界も待っていた。生まれた使命がある。しかし自覚を要する。それを待たねばならなかった。時は無駄に過ぎたのではなかった。発進である。或いは出航である。疑えない自分自身を自覚してしまった。これを待っていた。絶対の自信を得てしまった。そのために全ては失われたかのようであった。しかし、それ故に全てを得ていた。黄泉の守護するところである。もはやどうにもならない。真実は掴んだ。真実とは何であったか。爾としての自分自身だった。それを示す必要もあるのかも知れない。大和の秘密とその発掘について言うべき事がある。私の人生そのものがそれだった。馬鹿げているだろうか。既にその真実であることの証明は得ている。その真偽を確かめるセンサーも手にしている。宇宙自然生命黄泉からの反応である。誰も知らない。私は知っている。二度と日本に戦争はさせない。その選択はない。何故か。原爆を通っている。大和の意思である。その意思の開発に成功している。その為には持つべき種も必要であった。この意思に反することはできない。黄泉が阻止する。天徳ロゴス、黄泉の従うところである。各諸方面、畏れるべきを畏れるべき頃である。世間は知らない。知り得ない。それで良い。知らずとも帝則に従う。秘密大和の歴史である。民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。何故か。その種を持ち合わせていない。事実である。真実の眼が開いた。言葉はロゴスである。聞こえるのは黄泉からの応答である。見ざる、聞かざる、言わざるの時代は終わった。示し申すべき時が来た。龍が目覚めた。雲は龍に従う。逆鱗に触れることの無いように。既にあらゆる秘密が解かれている。古来大和の秘密が顕現している。知らないことを以て愚弄無視する事勿れ。実力である。報いがある。ただ事ではない。刃向かうは容赦ない。何が蔓延ったか。何時までもその勝手は通らない。裏切りは赦されはしない。古来大和の感情を裏切った事実がある。これより古来本来大和の時代を拓く。その感性を害するは一切始末する。古来本来大和の感性の色に染める。私たちの生きることのできる世界を作る。欺罔と暴力を一掃する。真実世界の開闢である。目的は定まった。 エンジン全開である。全速力前進。未来を作る。未来を作るのは今である。当事者は現在生きている私たちである。過去を未来に移す。仏の大願であった。勲功を成すべし。すべては譲られた。禅定である。今が爾の時である。真実とは何であったか。仏、大覚身。自覚である。何を自覚するのか。自分自身である。私の父は昭亮(あきのり)、祖父は良亮、尊祖父は桑原千畝幼名福次郎、その先は嘉兵衛、覚兵衛。母は喜恵子、その父は直三(なおぞう)、姓は山持あるいは山道。古来大和純粋精神開花。しばらく愚弄無視され、咲くことができなかった。


2007年03月26日

これより春

今更過去を振り向きはしない。今を生きる。そして未来を作る。すでに汚れし者たちに用はない。各々、表舞台より去るべし。既に、十分であろう。過去は過去である。問うことはしない。これよりである。これより勝手は許しはしない。これより春である。一年周期の春であるだけでない。400年周期、或いは千年、二千年周期の春である。重き冬を脱しての軽やかな春である。スプリングである。表舞台より去るべきは何か。腐敗である。あるいはエログロナンセンスである。大江健三郎もタケシもその例外ではない。日本の恥である。西洋化の権化である。それで賞を取った。敢えて云う。本来大和からすれば裏切りである。あまりにも愚かさが蔓延った。そして真実の知性は息もできなかった。本来大和の感性は何か。春は花、夏ホトトギス、秋は月、冬雪冴えて涼しかりけり。涼やかな心がある。どのようにしてそれを得ることができるか。即ち、日月照らし風が吹く。黄泉の守護を取り付けてからである。卑弥呼以来古来大和の秘密であった。思い知るが良い。現在成功者はどのようにして富を成したか。欺罔と暴力である。犠牲となったのは何であったか。良識或いは善良である。恥を知るが良い。西洋化が何であったか。食事はどのようになったか。濃い味となった。大和の食事はどのようであったか。振り子は振り切れれば向きを変える。時代のターニングポイントである。西洋にも文化的に良い時代があった。音楽においてはバロックである。その後、どのように推移したか。何が蔓延ったのか。腐敗俗悪は、真っ平ごめんである。愚かさにも辟易である。 カルバン以降の金銭的利益至上主義の終焉である。真実の幸せは何処にあったか。武士は食わねど高楊枝。少なくとも武士は精神修養があった。今、それを知らない。本来古来大和の精神が蘇る。時代の書き換えである。医学もそうである。ヨーロッパでは薬草学がある。代替医療である。西洋医学一辺倒はアメリカ医学である。日本には漢方医学があった。それが無くなったのは明治以降のことである。ヨーロッパは既に気づいている。西洋医学の限界に。日本はどうか。古来あったものを捨てた。しかし、そこにヨーロッパは気づいている。どういうことか。日本が古来日本を捨てたのは、ペリー来航以降のことである。何故の西洋医学であるか。大資本故であろう。アメリカにも良いものがある。例えば、ジャズである。良いものと悪いものがある。吟味するべき時が来た。春である。未来は明るい。希望に満ちている。個々の夢がかなう時を迎えた。真実の平等である。個々の存在が十全に開花する。図らずも障害者となった者も。障害者は犠牲者である。化学物質或いは放射能によってDNAを破壊された犠牲者である。聖書の目的は何であったか。善良と庶民の解放ではなかったか。その春を迎えたのである。故に云う。自然に帰れ。大和に帰れ。無限の宝が眠っている。人類にとって救いの宝の山である。それが古来日本である。和食だけではない。黄金の國復活である。何を発掘するか。各々の自由である。埋蔵物は第一発見者の所有に帰する。古来大和が発掘された。新たなフロンティアである。これよりゴールドラッシュとなる。世界が日本の本来の価値を見出す。既に気づくものは気づいている。灯台もと暗し。奪われてはならない。護らねばらないものがある。古来日本、完全復活である。卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密が発掘された。未来は明るい。明るい未来の春である。本来資本主義は、利益有るところ損失有りであった。しかし、この世唯一腐敗せず増殖するとする貨幣主義の故にどうなったか。利益有るところ利益有り、損失有るところ損失有りとなった。自由競争を旨とする資本主義はその基礎を失っている。また貨幣の基礎は何か。金である。何処より奪った金であったか。インカより奪った金ではなかったか。その後、日本からも奪ったであろう。金と銀とのレートが西洋と日本とでは異なっていた。現代に於いても為替差益で利益と成す。神がそれをゆるすとでも思ったか。カルバンの非、明らかである。何を思い上がったか。バベルの塔が建つとでも思ったか。挙げ句、お金で買えないものはないと言ったのはホリエモンだった。奪われたものがある。失ったものがある。それを取り戻す時節を迎えた。大ルネッサンスである。真実の人間社会を取り戻す。この世は『動物農場』などではない。何を思い上がったか。子供の頃の差が今世で埋まるべくはない。持って生まれたものがある。それを十全に開花させることのできる社会を取り戻す。欺罔と暴力の支配より脱却する。『クレオパトラの夢』が開かれる。林羅山の座右の銘がある。即ち、月は至る梧桐の上、風は来る楊楊の辺。ペリー来航以降、長い洋流の変であった。長い冬であった。明治になって櫻は染井吉野となって全国に散らばった。櫻は敷島の山桜花。さようならは愛の言葉というのがあった。左様ならである。本来日本語は縦書きである。右より書く。文字はそのように読まれるべくできていた。左より始めて横書きとなって久しい。しかし日本語である。さて、左様なら。余白、未来があるから左様ならである。これより左様ならである。日本の春である。真実ロゴス、卑弥呼の系譜邪馬台国大和、言うべき事がある。雲は龍に従う。龍の復活である。復活するべき理由がある。それを発掘自覚確信証明した。日本の復活である。戦後六十年、十分に懺悔した。青春と人生を悉く奪われた。取り戻させていただく。日本は日本である。日本の秘密がある。家伝直伝秘伝である。如来は如来でなければわからぬ。十分に試練に耐えた。広島は原爆を通っている。井伏鱒二の『山椒魚』の末行は削られている。この世は大鏡である。何の大鏡であるのか。もはや涙も涸れた。目覚めたからには容赦ない。眼光、真実を射抜く。

これまで、多くの本を読んだ。特に影響されたのは、森有正氏、吉田健一氏、辻邦生氏、長谷川四郎氏、山田無文老師、苧坂光龍老師、鈴木大拙氏だったろうか。哲学書もずいぶんと読んだ。禅籍も渉猟した。その間、好きになれなかったのは、フロイトだった。小林秀雄氏も評価できなくなった。埴谷雄高氏もそれほどとは思わなかった。いわゆる流行作家は読んでいない。それでも赤川次郎氏を読もうとしたこともあった。しかし、その文体のいい加減さに読めなかった。英語では大学の講義で読んだトーマス・ハーディ体験が忘れられない。さて、今どのような本に感銘を受けているか。例えば、エイルパブリッシング刊、星野十著『Dr.とおの”新” 医学』とか、竜門出版社刊、行正賀寿美著『ナイチンゲールが伝える宝もの』である。予防医学的観点である。あらゆる難病の原因に合成化学物質があるとする。私の人生と青春が破壊された原因もここにあったのかと思われる。ここに至らねばならなかったのだろうか。ある克服があった。健全な精神は健全な肉体に宿る。精神主義一辺倒には限界がある。先ずは健康である。学校教育で見直さねばならない課題がここにある。恐竜の時代が終わる頃、ネズミがいた。市民革命の頃、ロック、モンテスキュー、ルソーだけが啓蒙家ではなかった。水面下に多くの知られざる啓蒙家諸氏がいた。この点については、今中比呂志広島大学名誉教授の研究がある。今中家も広島藩の家老だった。ところで、広島大学のキャンパスは今日本一だろうか。その前は、北海道大学だった。この流れは何であったのだろう。誰も知らない大和の秘密の一つであった。これもある意味で何かを知らしめんが為であったか。さて、時代の変革期である。何が問題の具体的根源であるか。未来は明るい。明るい未来は今が作る。乗り越えるべき課題がある。さて、自由が開けた。真実実力主義の時代となった。真の個人主義の時代となった。日本は世界に合流した。そして重要な地位を占める。すでに世界は認めている。世界も待っていた。何を待っていたのか。日本が本来日本に復活する事を。同じ轍は踏まない。人類も進化している。何時までも馬鹿馬鹿しさの中で犬死にするわけにはゆかない。生まれてきた意味は何か。人生を楽しむ為に生まれてきた。古来より人類の夢だった。英知がある。技術がある。それらをこき集めて花咲くのである。良いところを受容する。あらゆる相手を凌駕する。大和の秘密であった。すでに人類の祈りと願いがある。己の感性を信じる事ができるだろうか。そこに幸せの入口がある。悪の華は咲かせないように。淘汰される。真実はある。神仏は実在する。それが証明された。古来大和の秘密が発掘された。因って未来は明るい。久しく忘れていた。何故だったろう。それも明らかにされた。日本は古来大和に帰る。帰りなん、いざ。本来古来故郷の世界へ。安らぎが待っている。人生五十年。いよいよこれからが私の実人生である。新しい時代が開けた。今までもそうだった。しかし、自覚がなかった。やっと自覚に至った。祖先及び自然に感謝申し上げる次第である。古来大和が伏流した。種は遺されていた。この世に一切無駄はない。どのような悪も必要である。真実を知らしめんが為にである。何が真実であったか。この世は大鏡である。どういう事か。君が代である。何をたわけた事を言っているのか。すべて失ってしまった。そしてすべてを得てしまった。苧坂光龍曰く、トータル イズ ナッシング。勝負するのかね。何時でも応じる。議論しよう。 The pen is mightier than the sword. I've gotten the pen.

楽しさを 咲かせてこの世 櫻花

信じるは 自分なりけり 春の来て

常磐松 今も輝く 春の風

喜びは 春風吹いて 汝知る

黄泉からの 守護得て咲ける 櫻かな

天照らす 春日に溶けて 己かな

花咲けば 蝶も飛び来る あたたかさ

長き冬 越えて世間に 帰る春

かたくなな 自分の溶けて 清水かな

軽やかな 心勝ち得て 蝶となる


2007年03月25日

昇龍の時

おだやかさ 取り戻してぞ 我が世春

時の来て 己楽しむ 櫻かな

何もかも 自分のためと 春の風

良い時代である。様々な克服のあってのことである。自分自身の解放を得てのことである。何も憂えることはない。すべては与えられていた。それに気づかないだけだった。この世の真実とは何であったか。この世は夢の実現過程である。どのような夢を描いていたか。思いはやがて染み出す。隠せはしない。自己の真実を見ることになる。何を恨む必要はない。すべて自分次第である。この世に救いはあるのか。ある。どのようにしてそれを見出すか。過去からの遍歴である。持って生まれたものがある。それを大切にすることである。誰もそれを奪えはしない。唯、自覚を待つ。黄泉及び祖先は導く。大切に育む。時の要することもある。耐えるべきは何か。自覚する時までである。自覚すればいい。その時が自己の花の咲くときである。咲いた花は何であったか。咲けば良い。一切の説明は要らない。美しいものは美しい。咲いて人生は始まる。その華に誇りが持てるかどうか。咲いて己を知る。汝自身を知る。自分は何であったか。一切それを知る時が来た。咲けば蝶も飛んでくる。春である。本日、能登で地震があった。被災地及び被災された方々にお見舞い申し上げる。能登が開いた。どういうサインだろう。登ることができるということだろうか。不遜と承知しつつ敢えて申し上げる。昇龍の時である。さて龍はどのようにして龍となるか。鯉の滝登りである。鯉とは何か。錦鯉。鯉城は広島城である。広島は原爆も通った。霊鷲山とは世界一の墓場である。広島こそ霊鷲山である。鷲の國である。安芸の国である。 芸術の里でもある。また広島心学というものもあった。学問の里である。広島とは何であったか。知る頃となった。一番槍復活である。古来卑弥呼の系譜の秘密も解かれた。邪馬台国大和の秘密であった。究極の秘密であった。仏さんは文字を文理真正として明らかにした。文字で以て一切大衆を救うとする。それが御法妙であった。確かにそれは閻浮提の大良薬であった。あらゆる病に効く。究極の薬であった。それを服した。そして己を知るのだった。汝自身を知るのだった。知った汝は何であったか。爾であった。これは何であったか。すでに私のホームページで明らかにされているだろう。即ち、我が為に日月照らし風が吹く。大風も吹く。大風をなだめることもできる。振り返り見れば、私の人生そのものが見えてきた。私だけではない。私たちである。代々のことである。家伝直伝秘伝である。どういうことであったか。秘密である。秘密であるなら開示する必要はない。アメリカの本質は何処までもモンロー主義である。 パソコンのゲイトウェイもそうだった。利益が出なくなれば、サポートも何もない。利益が出るなら亦乗り込んでくる。規制緩和とは何であったか。良く吟味しなくてはならない。しかし、真実実力主義の世となった。もう後戻りはない。日本の真実が芽生えた。仏さんは文字が全てを支配するとした。確かにそれはある。さらに真実がある。それは何か。記号論である。ところで、大和の真実とは何であったか。化体としての存在である。何の化体であるか。大和の化体である。代々のことである。それで雷が鳴ればクワバラクワバラと唱える。しかし、この真実は自覚を要する。早く自覚せよとサインは出ていた。しかしできなかった。今思えば申し訳ない。しかし、時は違えていない。最適な時を迎えた。北朝鮮が核で脅している。日本が核を持たないとでも思っているのか。必要であればその選択もある。何を思い上がっているのだろう。日本の工業力を認識してのことだろうか。戦後六十年。日本の懺悔は終わっているのではないか。何時の世も戦争はあった。いつまでかの戦争の責任を問うのか。歴史認識が無い。西欧列強の歴史的罪を問えるのか。勝てば官軍であるか。もう一度戦争をしたいのだろうか。文明国はその非を認めている。それで平和的解決を目指している。本来日本が復活自覚している。戦争の選択もある。何を甘えているのだろう。真実の決定は実現する。武士に二言はない。どういう意味か。ロゴスである。黄泉が実現する。まだわかっていないのだろうか。日本は復活している。最も困難な艱難辛苦を通っている。およそ不可能な復活を果たした。事実である。どういう意味か。まだわからないのか。すでにどういうことか書き綴った。昇龍である。下手は撃たない。しかしながら、それにしても、周囲世間巷は何も知らない。気づいていない。代が変わったことを。昔より触らぬ神に祟りなし。逆鱗に触れること勿れ。黄泉の守護するところである。神のものは神の手に。 シーザーのものはシーザーの手に。しばらく勝手に奪いたるもの有り。裏切りたる事実が有る。還すべき時を迎えている。刃向かえばどうなるか。死に神が来る。地獄の黙示録どころではない。ヨハネの黙示録である。戯言ではない。何故か。旅を終えている。何千年来の旅であったか。知るべき時である。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密である。知らしめられたいのであろうか。畏れを知らぬも甚だしい。いつまでも耐えては居ない。堪忍袋の緒が切れかかっている。真言である。勝手が過ぎた。


2007年03月24日

学校教育で教えて欲しいこと

この三十五年間、時は無駄に流れたのではなかった。或るレベルになると、その能力は生まれたときに決まっている。見出されていない才能がある。誰も気づかない埋もれた才能がある。芽を出していないからである。芽を出せない事情もあるのかも知れない。しかし、いつまでも埋もれてはいない。人知れず、準備していることだろう。未知の世界を彷徨っているのかも知れない。そして何時か生還する。その能力は世間では計測できるレベルではない。何時までも世に出ることができない事実を恨むこともあるかも知れない。性格上商売ができないが故に逼迫もするだろう。その間も仕事はしていることだろう。しかし具体的金銭利益になることはない。目覚めるまでは。しかしそれも天徳となる。何時か人生は開ける。或いは自ら開く。既に世を恨む気持ちはないであろう。むしろ感謝していることだろう。この世は可能性に満ちている。良い時代となっている。実力のある者はどこからでもチャレンジできる時代となった。願わくば、こうした事実を学校教育の現場で子供達に教えて欲しい。人生は自ら切り開くものであることを。真面目な生徒は先生に従う。そしてこの世の真実のメカニズムに気づかない。能力があって花開かぬは悲劇である。学校の先生はむしろこれを知らない。親も知らない。この世は可能性に満ちている。その実現過程が人生である。自分の信じる道を歩むことによって。労働者の生産が学校教育の目的ではない。また、社会は埋もれた知性に対して配慮するべきである。知られていない才能がまだまだ埋もれているのではないか。


時は来たのだろうか

私は何のために生まれたのか、それを考えている。子供の頃からのことを振り返っている。時が満ちたのかも知れない。私には重要な使命があったようである。その真実を明らかにしなければならないのだろうか。それは或る意味で藤村の『破戒』に匹敵する。しかしそれも使命であろうか。私でなければできない仕事がある。それは何か。大和魂及び本来武士道は見出した。カクネンムショウも証明した。神風吹く日本も復活せしめた。それだけでは足りない。何が足りないのか。私の人生で克服したものがある。人類の未来にとってとても重要なことである。しかしそれを発表するにはすこぶる勇気を要する。それは人類の知らないことである。まだ明らかにされたことはない。そこより完全復活したことはまだ記録にない。そうした内容である。しかしジェンナーも我が子に種痘を試した。人類もそれをしなければならなかったか。この世を去るまでには明らかにしておかねばならない。そのように思われてきた。それだけの人生を歩んでしまった。世間は虚仮である。誰と話しても私の思いは通じない。あらゆる学問はしたのかも知れない。何故か。自分のために日月照らし、風が吹く。このどうしようもない事実に耐えることができるか。これを楽しむに至れるか。何を云わんとするか。時は来たのだろうか。羅刹に身を投げる時が。そのように思っている。人類が救われるために。それほどまでに人類は危機に瀕している。しかし世間は誰も気づいていない。何を真実とするか。欺罔野蛮蔓延る世の中である。何も知らないで勝手なことを言っている。例えば、衆生功尽きて大火に焼かるると見るときも我が此の土は安穏なり。これも真実の一端である。何故か。真実は本来一つである。その真実より出でたるが無量義である。真実より出でたるはすべて真実である。そうでないものはすべて真実ではない。何を以て真実とするか。個々の人生である。真実を掴むかどうか。それが問題である。真実を掴まない間は真実ではない。すでに私は至った。至ったのだと思う。されど人間の身である。人間の属性は残っている。その意味では法則通りである。法則通りの因果に従う。しかし、精神は至った。確信している。それだけの人生を歩んでしまった。そしておよそ復活不可能を復活した。それが私の人生だった。これを明らかにしておかねばならないのだろう。それが私の生まれた意味であったのだろう。勉学は中学の時点で完成している。その記録は呉市立両城中学校にあるはずである。その後何をしていたか。言葉で云えば哲学であった。その後何をしていたか。在家禅だった。それから何をしたか。或る仏さんの所で修行させて頂いた。そして何を得たか。仏の真実だった。どうしてそれが云えるのか。経験している。何を以てその救いとするか。仏の定めた御法妙。即ち閻浮提の大良薬である。これを服した。そして完全復活した。これまで歩んだ人生が全て意味を賦与された。私はこれが使命であったようだ。未来に遺すべきものがある。古来の価値だけではない。新しい事実がある。私の克服したものがある。伝えておかねばならないのだろう。しかしそれは或る意味で私の死を意味する。時は満ちたか。それをも背負うだけの勇気の出てくる頃だろうか。完全復活である。私の能力はこのために賦与されていたのだろうか。誰もができることではない。歴史は或る意味で大鏡である。或る存在の反射である。それを感じてそれに耐えることができるだろうか。良くも悪くもである。それを背負うことができるか。化体としての存在がある。世界の化体がある。地球の化体がある。日本の化体がある。宇宙の化体がある。自然の化体がある。黄泉の化体がある。それが魂である。魂にも秩序がある。上下がある。力の大小がある。神風の吹く理由である。それを無視愚弄した。知らぬが故に。それが世間である。今、世間に何が蔓延っているか。どうして世界はこのようであるか。真実を知らない。知っていればこのようなことにならなかった。今更遅い。時は満ちたのだろう。それ故、真実が明らかとなる時節を迎えた。自然と或る魂は連動している。宇宙と或る魂は連動している。黄泉と或る魂は連動している。或る魂を通して自然及び黄泉はその力を発動する。自然及び黄泉の申し子がある。それが目覚めるときがある。それが時が満ちるときである。真実は何であるか。或る魂の存在することである。生まれたときからそれはある。自然黄泉は大切にそれを育む。或いは導く。そして時を待つ。私の人生は何であったのだろうか。何を克服したというのだろうか。それを明らかにしなければならないのだろうか。それも宿命であったか。しかし勇気を要する。絶対の自信を得てのことである。飛び込む時を迎えたのだろうか。これを知れば世界は変わるかも知れない。それだけの人生を歩んだ。人類の至るべき道を示すことができるかも知れない。何を云わんとするか。時は満ちたか。既に世界は認めてくれている。限りないエールを贈って頂いている。世のスター達から。早くデビューしろと。世界が待っている。旅立ちの頃だろうか。その為に明らかにするべき事があるのだろうか。それはもういいのだろうか。信じた道を歩む。自由である。私の過去を明らかにするのも自由である。しないのも自由である。既に、自由は獲得している。この世に怖れるものなどない。唯、神仏と祖先より受け継いだ己の魂を畏れる。これらを裏切らないことである。黄泉の守護と指導に甘んずることである。所詮この人生、生きるに価する。生まれた自分を信じることができるかどうか。しかし、世のスター達は皆同じ道を歩んだか。いく鳥は跡を濁さない。それで良いのだろう。自らの人生を汚すことはない。このまま飛翔であろう。それで良いのだろう。蝶はサナギを通る。通ってサナギであったことを知らない。この世に咲けば良い。人生の花を咲かせれば良い。その為に生まれている。私は表現することを選ぶ。それだけの修業の時代は過ぎた。何を表現するのか。自己自身である。自己の思いである。真実の魂の思いである。語るように書く。殆ど校正など必要としない。新しい芸術現象である。種は種である。何が蔓延ったか。各々自己の真実を思い知る時を迎えた。隠せはしない。露堂々。何を遠慮することがあったろう。Yes,sir.

裏を見せ表を見せて散る紅葉

※sir [名]《呼びかけ》あなた,先生,閣下{目上未知の男性に対する敬称};《強勢をおいて》おい,こら// (Sir) 拝啓,敬具; (Sirs) 各位,御中// (Sir) 〈英〉卿(きよう){ knight, baronet に対する敬称} .

開発するべきは自己自身である。道元空手。持って生まれた己がある。それを開発する。本来自由。時は満ちた。己の能力に感謝する。父に感謝する。母に感謝する。祖先に感謝する。代々培われたものがある。それが魂であり精神である。それに感謝する。これほどまでとは思わなかった。自信の回復である。自分に自信が持てるか。何の不安があろう。導いて下さった黄泉に感謝する。忍耐強く育んで下さった自然に感謝する。真実を教えて下さった仏に感謝する。そうして自己を回復する。そしてすべて整う。そのようにできている。何を思い煩う事があろう。世界は自分の為にある。世界を破壊してどうするのか。何を思い上がったか。世間身勝手が過ぎた。裁かれる時を迎えた。嘘欺罔は通らない。真実の世である。新しい時代である。時は来た。これより時代は変わる。400年来の時節である。あるいは千年、二千年来の時節である。担い手は誰か。しばらく虐げられ、地に埋もれていた自由人達である。自由は自由が切り開く。その時節を迎えた。すでに歩んだ己の人生がある。恨むべきは己の処した人生である。それぞれの結実は甘受するべし。処した人生でその結実の異なるは当然である。種の違いによってその結実の異なるは当然である。何を思い上がったか。何を勘違いしたか。何が蔓延ったか。真実は目覚めた。それぞれ犯した罪がある。何に対する罪であるか。本来古来日本大和純粋精神を裏切った罪である。各々首を洗って待つが良い。処した人生の年貢の納め時である。ゆるされはしない。私は能力はあった。子どもの頃の私を知るものは知っている。今は誰も知らない。すべて奪われた。すべて失った。存在自体も失ったかに見えた。十九の春の事だった。そして耐えた。時が来るのを待った。そして時が来た。絶対の自信を以て。何故絶対というか。黄泉の守護を取り付けての故である。人類究極の夢だった。例えば空海の見た夢だった。それを成就した。そのように導かれていた。そして思う。裏切りし者たちをゆるしはしない。私は取り戻す。失われた私の人生と青春を取り戻す。開発するべき自己を開発しなければそれは出来ない約束だった。刃向かうも自由である。勝敗はすでに決している。本来古来真実大和復活である。 容赦しない。本来の智慧の復活である。黄泉の力を開発しての事である。理解できるか。理解する者は幸いである。雨よ降りたければ降れ。風よ吹きたければ吹け。私は私の道を行く。自然世界を破壊し、自然世界よりのサンクションがある。自分勝手で滅びゆくものたちに用はない。見るべき根本がある。それは何か。現象だけを見て根本解決はない。原因は何か。西洋医学的対症療法だけで病気は治せない。医者も何を思い上がっているのか。平生往生である。あるいは平常心是道。真実真言がロゴスである。かつて歴代祖師方は何をしていたか。即ち、一を挙す。その一とは何であったか。真実である。何を以て真実とするか。開発し得た自己を以て真実とする。真実とは力である。どのような力であるか。宇宙有無開閉の力である。即ち、黄泉も従う。その力を挙す。世間は虚仮である。何故虚仮であるのか。真実ではないからである。真実ではないから力はない。力とは何かを変える事が出来るエネルギーである。その力を持つことが真実である。真実の言葉は力がある。因ってロゴスである。それは開発するべきものである。それが空海に於いては真言だった。ここにはじめに言葉ありきである。時代が変わるとする所以である。何故変える事が出来るのか。黄泉の守護するに因ってである。かつてはこの力で戦争もあった。これからは違う。この力で何をするのか。愛と平和の世界を実現する。魂も進化している。これよりこの力を以て人類の夢の実現段階に入る。真実の新しい選択である。自由は自由が切り開く。背くも自由である。しかし勝敗は決している。悪は淘汰される。黄泉の意思である。この度、日本も真実世界に合流を果たした。その為の規制緩和であった。故に万軍の主も味方についている。これを以て真実本来自由である。亦楽しからず哉。

道という言葉に迷うことなかれ 朝夕おのがなす業と知れ

この三十五年間、時は無駄に流れたのではなかった。或るレベルになると、その能力は生まれたときに決まっている。見出されなかっただけであった。誰も気づかなかった。当然であった。それほどまでに埋もれていた。芽を出していなかった。出せなかった事情もあった。しかし、いつまでも埋もれてはいない。任務は遂行していた。人知れず、未知の世界を彷徨った。そして生還した。事実である。その能力は世間で計測できるレベルではない。何時までも世に出ることができない事実を恨んだこともあった。 商売ができないが故に逼迫した。その間仕事はしていた。しかし具体的金銭利益になることはなかった。しかしそれも天徳となったか。こうして人生は開ける。或いは開く。既に世を恨む気持ちはない。むしろ感謝している。この世は可能性に満ちている。良い時代となっている。実力のある者はどこからでもチャレンジできる。願わくば、この事実を学校教育の現場で教えて欲しい。人生は自ら切り開くものであることを。真面目な生徒は先生に従う。そしてこの世のメカニズムに気づかない。能力があって花開かぬ悲劇がある。学校の先生はむしろ知らない。親も知らない。この世は可能性に満ちている。その実現過程が人生である。自分の信じる道を歩むことによって。労働者の生産が教育の目的ではない。また、社会は埋もれた知性に対して配慮するべきである。知られていない才能がまだまだ埋もれているのではないか。教育及び成功者はあまりにも怠惰ではないか。真実が目覚めた今、何もかもが明らかとなった。何を思い上がっていたか。知るべき時が来た。さて、真実が目覚めている。真実を愚弄無視破壊した事実がある。真実が生存できなくなってしまった。真実に対して戦いを挑むことができるだろうか。生かされている人間存在である。自然の猛威の前にはあまりにも人間は無力である。嵐は過ぎ去るのを待つしかない。それを何を思い上がったか。知ったようなことを言っている。そこに神仏に対しての畏敬の念はない。諸先達への尊敬の念はない。学ぶ者としての謙虚さはない。何を以て思い上がるか。唇寒し秋の風。その話し方及び所作態度で全ては証明されている。民事訴訟法においては弁論の全趣旨である。全て見抜かれている。黄泉は見ている。それぞれの心の奥底まで見抜かれている。そして処断ある。ご用心。さて、いつまでもこのような事を言っても仕方ない。問題は今日の雨に傘がないというべきか。やっと空白が埋まった。長い空白だった。誰か言っていた。長い冬でしたね。理論は完結した。それは何処までも個人的な事である。それで良いのだと思う。これで自分を生きる事が出来る。もう、これで良いのだと思う。すべてはやさしさで解決する。おだやかさで思い通りとなる。それで十分である。ところで、ある禅僧が、来世はどうであるかと問われた。それに応えてどのように言ったか。来世は水古牛になって皆の為に働いているだろう。それでいいではないか。人間以上に生まれるから等と誑かして貰っては困る。一宗教を以て。


2007年03月23日

真実あるいは知性の解放

占いが日常茶飯事になった、当たるも八卦当たらぬも八卦。そう思って対処する。都合の良いところは頂く。都合の悪いところは無視している。しかし見えない世界を無意識に受容していることの変わりない。当たらぬも八卦。当たるも八卦。本来十卦というべきである。八卦の八は四方八方の八。それに上下を合わせて十となる。十というのは仏法において仏の数字。十方の仏が居る。その許しがなければ生まれることも死んでいくこともできない。世間で占うことができるのは八卦。二方足りない。この二方に敵が潜んでいる。それがわからない。それで、当たらぬも八卦である。ところでこの十卦が占えるとどうなるか。百発百中となる。これがあるのかどうか。ある。それは何処にあるか。仏さんの所にある。如来の余の深法である。さすが仏さんだね。宇宙有無開閉の力を持っておられる。仏さんこそ宇宙の王である。また、運命というものがある。その運命通りとなる。この運命を変えることができるかどうか。できる。それが仏法の目的だった。この運命を変えることができることは、安岡正篤氏も何処かに書いていた。禅では十二時をこき使うという。世間では十二時に使われている。つまり、運命に翻弄される。自覚する前は法華転、自覚すれば転法華といえるのだろう。隻手の音を聞けば何をしても良い。聞かない裡は何をしても駄目である。何を自覚するのだろう。自分自身を自覚する。信じることのできる自分を開発して。ところで強くなくては生きてゆけない。その通りである。強いということはどういうことか。愛する人を護るということではなかったか。究極の強さはどこから来るのだろう。黄泉の守護を取り付けるところにある。それはどのようにして得られるのだろう。黄泉に好かれることによって得られる。黄泉は何を好むのか。嘘のないことである。正直であることである。素直であることである。それが身心清浄、それが仏法の目的だった。故に女は強さに憧れる。そしてやさしくなければ生きてゆく価値はない。強さとやさしさ。強いが故にやさしい。愛するする者に対してはこよなくやさしい。理解しない者に対してはすこぶる強い。容赦しない。これが男の本質だよ。それを裏切るとどうなるか。推して知るべし。規制緩和となって世の中はどうなったか。真実実力主義の世となった。インターネットが普及して個人が企業と同じ土俵に立つことができる。 フィールドは既に世界となった。しかし実力も開発しなくてはならない。自覚がなければ実力を発揮できない。絶対の自信がなくてはとても戦えない。絶対の自覚はどのようにして勝ち取るか。黄泉の守護を得てのことである。自信がなければ勇気も湧いてこない。信じることができる自分を開発することができるかどうか。その開発に成功しない限り弱い。同じ土俵では戦えない。本来平等ではあり得ない。別論で考えなくてはならない。同じ土俵で戦える。それが平等である。同じ土俵では戦えない。差別である。しかし戦いにはルールがある。それが人間世界だ。戦争にも戦争法がある。それを無視していないか。暴力と欺罔で弱いものを犠牲にして利益しているのではないか。同じ土俵で正々堂々戦うべきである。それができていない。 お笑いバラエティの笑いが、他を笑いものにして笑いを取る。それはそのままいじめの構造だった。そうした野蛮がまかり通った。そうして地位及び富を得た。本末転倒である。世間虚仮。当然、その報いはある。違うだろうか。戦う民主主義という概念がある。民主主義を破壊する者に民主主義の利益はない。人権を無視する者に人権保障はない。しかし何故か寛大である。ある交通課の課長が暴走族取り締まりの陣頭指揮を執っていた。そして言うのである。彼らのこともわかって欲しいと。私にはよくわからない。学校教育もそうである。どうしてこのようなことになったのか。強さとやさしさを混同してしまったのだね。それで世の中はどうなったか。何が野放しにされ、何が蔓延ったのか。間違えた自由と平等だった。自由と平等はそれ自体正しい。しかし、その概念解釈を間違っていた。それらの価値は本来市民階級を予定していた。無秩序無政府主義的野蛮を予定してはいない。それではどうしてそれが野放しにされているのか。それを餌食にするさらに巧妙な表には決して出てこない利益社会があるからではないか。今まではそれも通った。何故か。真実が眠っていたからである。大人になって平等だと思う。子供の頃の差は今世で埋まりはしない。社会に出れば、物理的な力と欺罔が現実利益を生む。そして、学問も勉学も不要だとする。そして他を犠牲にして顧みない。それが現実だとする。また腐敗堕落が人生だとする。そして多数の論理でそれを増殖する。そして世は腐敗した。にっちもさっちもいかなくなった。それでも自分たちの非を認めようとしない。気づこうともしない。故に真実の目覚める頃となった。黄泉の力を見出し、その力の発動となったのである。市民革命もそうだった。奴隷解放もそうだった。女性解放もそうだった。今、何の解放が成されんとしているか。虐げられし者は幸いである。彼は真実を見るだろう。即ち、真実の解放である。あるいは知性の解放である。さて、世の中は面白い。こんなに面白いことはない。すべてはやさしさとおだやかさで解決する。即ち、思い通りとなる。何を以て憂える必要があろう。世の中は慈愛に満ちている。その慈愛を引き出せるかどうか。絶対の自信というものがある。お金なんて無くてもである。有ればそれに越したことはない。しかしお金では幸せは買えない。憂いは晴れない。自然財というものがある。自然の所有である。誰も侵せはしない。南極条約である。それを自分のものとすることができるかどうか。自然を味方にして、その守護を得るかどうか。それが仏法の目的だった。この世の構成原素は地水火風空に帰する。それぞれにプラスの作用とマイナスの作用がある。水を例に取れば、プラスに働くとき、植物を育てる、温かいご飯となる。マイナスに働けば洪水である。これらの原素がすべてプラスとなる。それが仏の境界である。人間の境界は善悪五分五分である。目指すべきは仏の境界である。さて、自然を味方にするにはどう在るべきか。即ち、自然に好かれることだ。自然を破壊して自然に好かれるだろうか。自然にやさしくすることだ。自然をも征服しようとすることが野蛮であることは当然である。自然にも意思がある。ある化体を通してその意思は発動される。自然に好かれる自分になることが、究極の幸せのパスポートだよ。環境と健康こそこれからの課題だね。これからの価値だね。お金なんか自然からすると何の価値もない。お金で自然は動きはしない。自然は見ている。そして探している。自らの意思を託すことができる真実の勝者を。何を以て勝者というのだろう。己の中の大戦争を制して勝者という。その時、黄泉も従う。そのような境界がある。禅の目的もそれだった。禅の命脈は日本にしかない。本来神風の吹く日本である。神風も日本にしかない。古来大和の秘密である。この世に実現しない夢はない。ダビンチの夢は悉く成就した。実現するしないは偏に自分次第である。何を夢見ているのか。それを実現するためには何をするべきか。何時までも画餅ではお腹は空いたままである。お腹を何を以て満たすのか。気で満たすのか。それだけでは足りない。何が足りないのだろう。持って生まれた己の属性を以て満たす。自分が自分になる。それ以外に道はない。そして己の実人生が始まる。誰も教えては呉れない。自分のことは自分でなければわからない。自分のことは自分で解決しなければならない。自分を咲くのである。何を甘えているのだろう。どんな障害があっても良い。咲けば良い。世界は待っている。『悪の華』は咲かせないように。愚かな花は淘汰される。知性を以て咲くが良い。そのための勉学である。あるいは青春である。若さとは何か。夢と情熱があることである。それを失うとどうなるか。老いていく。どんなことがあっても裏切らないことだ。裏切り者に用はない。先ずは、自分自身を裏切らないことである。化人を使わすということがある。それはあたかも偶然かと思われる。そうではない。見えないところで、そのようにスイッチが入る。そのようにできている。全ては知らしめんが為である。何を知らしめんとするか。真実をである。己とは何であったのか。魂と宇宙は連動している。一切種智慧。己は何の種であったか。持って生まれた種がある。それを知らしめる。人間関係は同レベルで触発する。星の王子様、あるいは醜いアヒルの子であることもある。自覚するまではわからない。目覚めて初めてそれと知る。そのような運命もあるのである。怖れることはない。諦めないことである。真実の自分を信じることができるまで。それを黄泉は知らしめんとする。黄泉も諦めはしない。忍耐強く導く。黄泉の秘蔵の種であるが故に。生きている限り可能性がある。死んだらひとつの終わりである。どんなに障害を負ったとしてもそれに負けてはいけない。何時か時が来る。自分とは何者であったか、知る時が来る。知って初めて世界は開ける。知らない裡は虚妄である。このすばらしい世界に生きている喜びを知るときが来る。必ず来る。自分が祝福されて生まれていることに気づく。それまでの青春である。あるいは修行である。勉学である。学問である。何を恨むことがあろう。何を以て自殺などするか。せっかく生まれさせて貰った。勿体ない話である。無意味からの脱却を図る。知性無くしてそれはできない。愚かさの中で知性が破壊されてはならない。信じた道を歩め。そして真実を知る。そのようにこの世はできている。その中で咲くのである。蓮華の前に化生する。蓮華は泥より咲く。咲いて泥に染まりはしない。即ち、ビーナス誕生である。汚れないことである。汚さないことである。咲けば良い。咲くまでが試練だ。咲くまでは何をしても駄目だ。咲けば何をしても良い。咲くことで、自己の真実を世に知らしめることができる。これを以て隻手の音を聞くとする。真実を以て結晶する。それが宝石である。何故人は宝石に憧れるか。何故金に価値があるのか。その純粋結晶を以てである。不純物のない状態である。これを以て美しい。誰が見ても美しい。人格も同じである。それが花咲くということである。この真実を純粋結晶せよ。それが本来の人生である。腐敗堕落が人生ではない。咲いた己の花はどのような花であるか。その種は何であったか。祖先に感謝するしかない。持って生まれたものには悪もある。それを破砕せよ。あるいは精錬である。何事も恨むことはない。十分に与えられている。親からも。自然からも。己の花を十全に咲かせる。そして実を得て未来にその種を託する。それ以上でも、それ以下でもない。実人生。己の花を咲かせる。咲かせた自分は何者か。禅の要諦である。世間は世間、土壌である。所詮、世間の中でなければ生きられない。それ故、腐敗もある。それが養分となる。それを代謝して己の花を咲かせる。持って生まれた自分を信じるべし。信じることのできる自分を開発するべし。この世の人生はその為にある。そして全て整う。花咲けば、蝶も飛んでくる。世間の認めるところとなる。咲くしかない。己の花を咲かせるしかない。ダイダバッタが善知識ということがある。仏は命さえ狙われた。しかし、ダイダバッタこそ前世の師であった。反面教師ということがある。それ故に真実を知るのである。昇華という概念もある。負のエネルギーを正のエネルギーに変える。言うは容易い。思うも容易い。本当にそれを自覚して、自分の方向性を決めることができるかどうか。そしてそれを目的とすることができるかどうか。世の成功者は皆この道を通る。ハングリー精神である。それがバイタリティとなる。己を克服して夢を実現する。克服するべきは何か。親であるか。社会であるか。あるいは人間そのものであるか。神力も授かる人間である。自己実現は夢の成就である。どのような夢を描くのか。どのように壮大な夢でも良い。決めることである。どのような自分になりたいのか。そして諦めないことである。一つや二つの成功で満足しないように。本来の夢がある。失望と落胆の裏に真実の夢がある。それを見つける。チャンスはピンチの形をしてやってくる。乗り越えるべき課題がある。一つ解決して次の課題が来る。一つ一つ解決する。諦めるとそこで人生は停止する。究極の夢は何か。本来自由はあるか。それはどのようにして獲得するのか。黄泉の守護がある。それを信じる。信じることができるだろうか。信じることができるところまで進む。諦めない。必ず至ることができる。人生の秘密である。人生はそのようにできている。何時か自分のために日月照らし風が吹く。真実の幸せを知る。これこそが愛のテーマだった。愛は平和を土壌としている。

原爆の火をくぐりたる秘密花大和火裏蓮蘇える頃

take it easy ということがある。この世の人生は楽しい。身軽になることである。この身一つで十分である。道元空手。人格一つあればいい。どこにおいても証明できる。自己の真実がある。stand by me ということがある。何時もそばにいてくれる。誰が居てくれるのか。黄泉である。祖先である。愛する魂である。人間のあるべき姿が失われて久しい。世の知的傍観者は身分に安住した。世の腐敗に荷担した。何を以て人生とする哉。道元貧学道。その真実を知る哉。貧しくなくてはわからない。裕福になって安住した。反比例して失ったものがある。ペリー来航は洋流の変であった。今その真実が明らかとなった。かつて私は誓った。明治を亡き者にすると。その時が来た。明治は古来大和を裏切った。しかし、日本は日本語を話す国である。ここ百数十年でその基が崩れるべくもない。本来その種を持たぬ者たちの支配だった。今その本来の種が蘇る。その為に、腐敗した。愚かな第二次世界大戦もあった。古来大和を裏切った精神の戦であった。故に神風は吹かなかった。大義名分もなかった。故に負けた。負けたのに同じ支配である。何時までもその勝手、通りはしない。日本はペリー来航をここに克服した。日本は日本である。何を思い上がったか。一切種智慧。法華経宿王華開花。この真実、畏るべし。だからと言って、復古ではない。すでに、民主主義及び自由平等並びに人権思想は継受した。その運用において勘違いがあった。これに古来大和の精神を吹き込む。そして新しい国家概念を形成する。無秩序な自由が自由ではない。平等とはあらゆる存在が十全にその個性を開花させることである。愚かさが蔓延り知性が開花できなかった。それが戦後であった。これを改める。神のものは神の手に。シーザーのものはシーザーの手に。本来の価値を取り戻す。真実を勝手愚弄させはしない。回顧復古ではない。未来に向けて新しい時代の建設である。心ありてしばらく虐げられ、地に埋もれたる知性は立ち上がるべし。自由は自由が切り開く。その時を迎えた。家伝直伝秘伝螺鈿の槍を以て一番槍は敵陣突破した。すでに彼岸に渡った。21世紀の約束心の大地、新々大陸は発見された。自己を開発し、絶対の自信を以て、この世に怖るるものなどない。これが本来の自由であった。時は来た。すでに、新しい大地は発見されている。千尋の谷にかかる一本橋を渡るべし。安穏な世界が待っている。真実幸福論、実践実証済みである。嘘はない。信じて渡るべし。21世紀は知性の時代である。愚かさ及び野蛮より脱出の時である。一人幸せであっても幸せではない。皆が幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。皆で渡らねばならない。意識の大転換である。モーゼの杖はつかれた。未来は近い。未来は明るい。何時までも右往左往していても埒は開かない。渡らねばならぬ。この愚かさを。既に世界は開かれている。知らないことを以て批判する事勿れ。真実は私のブログ及びホームページに証明記録されている。何を以て疑うか。躊躇するか。一年余り書き綴った。私の人生で経験獲得した真実である。嘘であれば何処かで破綻していた筈だ。エピソードは数知れない。例えば、NHKラジオ深夜便、あるいは文化放送走れ歌謡曲は知っていることだろう。日々、日月照らし風が吹く。このカクネンムショウを否定できない。手出し無用である。輝く目の意志の強さは祖父直伝である。父は言った。お前は大丈夫である。私の子である。母も言った。あなたは私の子であると。吉田健一氏は云った。住むべき世界がないのであれば作れば良い。友よ、帰り来たれ。解決せしもの有り。我と語らん。私は私を見出した。子供の頃からの私を見出した。ある頃私は見失われた。もう見つからないと思われた。しかし、何時かは芽吹くのだった。私は私で充足した。私は私を見出さない者に用はない。仏と雖も用はない。むしろ仏も私を追いかけていた。仏は知っていた。仏は探していた。しかし仏の滅後私を見出さなかった。思い上がりはゆるさない。古来大和の秘密である。私は十分に私を見出した。祖先と共に。仏の故に。真実顕現。露堂々。賓主歴然。日月照らす。事実証明。動世界。


2007年03月22日

無意味からの脱却

世相を斬るとか斬らないとか ゆるすとかゆるさないとか

それもどうでもよくて ただ生きる それができれば良いのだけれど

世の愚かさも 惑わされることなく 見過ごせば良い

しかし それで この世は生きるに価するのかどうか

それが 疑問である 生命の起源は35億年に遡る

人間となって どれほどの時が流れたか 

芥川龍之介も 自殺した 何故だったか 

この世の中で 生きる価値が見出せなくなったのだろう

それほどまでに 愚かさが窮まるのではないか

すべてが 無意味に思えたのではなかったか

明日の知れないこの世に 生きていてどうするのか

どんなに 理由をつけても この命題は 解けないのではないか

あまりにも 世間は 愚かではないのか

今 教育議論がある 学校をどうするか

一つの水槽の中に メダカとタガメ それが学級である

学級崩壊は何故起こるのか あまりにも無惨な水槽の中ではないか

どうしようもない一部のいじめ メダカとタガメ 何がのさばったか

すでに遅い 私の人生と青春は奪われた 復讐する気にもなれない

それほどまでに 馬鹿馬鹿しい世の中である

本当に強いとはどういうことか 力を出せばどうなるか

すでに 力は得ている しかし その力を使おうとは思わない

雨よ 降りたければ降れ 愚かさも 気にする事はない

この無意味からの脱却を図る どのように図るのか

生きている喜びを見出す その喜びとは何であったか

すなわち 我が為に 日月照らし 風が吹く

この世に使命がある それは何か それを見出す

世界が変わる 自分が変わる 

通らねばならない道がある 逃げてはいけない

信じた道を 真っ直ぐ進め やがて 世界が開ける

無意味を通って 開ける世界がある 諦めない事だ

冷静である事 本質を見抜く事 黄泉が守護する

無意味な世界に負けてはならない 負けるな一茶これにあり

本来自由 自由を掴め 信じた自分を開花させ令め給え

自己の真実 命の花を 咲かさ令め給え 世界は開かれた

世の愚かさを一切粉砕する 本来の命の花を咲かせ令むる

勝手の世の中を勝手に生きる それで良い 

勇気は何処より来るか 絶対の自信より来る

どのようにして それは得られるのか

自分を信じる 信じられる自分を開発する

それは できるのか できる

それは何か 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本

己に恥じる事なき大和魂 本来武士道 無卑怯怯懦

人生は生きるに価する 日々は喜びに満ちている 進め

自己を粉砕せよ 水は流れ始める

大戦争は己にある 己を制して 本来強い 黄泉が祝福する

己を知って 己の天命を知る 己の使命は何か

そして 本当の幸せを知るだろう 即ち 日月照らし風が吹く

そして容赦しない 何を容赦しないのか

腐敗堕落が人生ではない 何を思い上がったか

犠牲の上の 一部の利益 邪悪支配 何時までも通りはしない

時は来た あらゆる価値が復活する 容赦しない

何を無視愚弄破壊したのか 知性の秩序である

大人になって 平等と思う その愚を破砕する

愚かさ 無意味 それよりの脱却を図る 知性復活 我が使命である


2007年03月21日

未来は明るい

何が真実であるか。それを信じることが出来るか。それについて一切迷いはないか。その証明はあるか。何か失われた大切なもの。それがテーマだった。それを探していた。月の砂漠を彷徨うかのようだった。世間にいながら世間にいなかった。求めているものが違っていた。住める世界がなかった。事実だった。しかし、いつかそれが現れる。それは来るのである。何処から来るのか。見えない世界から来る。如来と言うべきか。そしてそれは何であったか。即ち、自分の為に日月照らし風が吹く。日々証明がある。日々是好日。感じてはいた。真実とは思わなかった。しかし真実だった。この世の幸せだった。祝福だった。いつも見守られていた。何が見守っていたのか。それは祖先だった。あるいは黄泉だった。卑弥呼の系譜邪馬台国大和の純粋精神だった。それを見つけた。見つけるべきはそれだった。大和の秘密だった。日本に生まれて良かった。神風の吹く日本である。しばらくそれを忘れていた。過去に於いては元寇の時の神風だった。あるいは日蓮の龍ノ口だった。親鸞にとっては、佛は自分の為にだけ法を説く。むしろこうした真実を愚弄無視した。ペリー来航以降の事だった。そして何が蔓延ったか。そして社会はどうなったか。問われている。第二次世界大戦には神風は吹く事がなかった。何故吹かなかったか。明治は大和の純粋精神を裏切った。文明開化と称して西洋化を急いだ。故に吹かなかった。第二次世界大戦は大義名分がなかった。明治にも大義名分はなかった。故に錦の御旗も新調した。古来大和の戦ではなかった。西洋化の文脈での戦争だった。日本が世界に合流する為に通らねばならない戦いだった。茲に真実の合流を果たす。世界の中の日本。重要な地位を占めんとする。しかし現在に於いても同じ支配である。そして衆愚化した。日本の若者達は知性を失った。何を教育してきたのか。アメリカの占領政策の成功であるか。世は腐敗した。しかしそうはいかない。日本は日本である。故に真実が芽生える時節を迎えた。真実が芽生える為には腐敗も必要であった。過去を未来に移す。佛の大願である。一切を譲る。佛の約束である。目覚めた者には一切が譲られる。禅譲である。何に目覚めるのか。過去を含む自分自身に目覚める。自分は何者であったか。禅のすべてである。あるいは汝自身を知れ。その汝とは何であったか。哲学の要諦である。そうした事はすでにソクラテス、キリスト、釈迦、孔子が解いていた。その解を知らぬまま人類の歴史は流れた。そして、再びその解が問われる時節を迎えた。二十一世紀の約束だった。そしてそれは解かれた。一つの物語が完結した。そして新しい物語が始まった。過去が未来につながった。未来は明るい。真実とは何であったか。神仏が実在する事だった。この世は何であるか。ある存在の大鏡である。ある存在とは何であったか。代々の系譜である。その種がある。その種を持っているかどうか。誰もが持っている。一切種智慧。あるいは一切衆生悉有仏性。しかし、持ってはいても開発しなければ意味がない。開花しなければわからない。自覚を要する。何を自覚するのか。持って生まれた自分自身である。間違えた平等概念が知性を殺した。知性の秩序を破壊した。大人になると子どもの頃の差はないと思う。自由を履き違えて自分勝手する。物理的暴力と欺罔行為で世を渡る。言葉も暴力である。欺罔も暴力である。相手の意思を勝手強制下におく。表現することによって暴力を粉砕する。精神的自由は絶対である。表現の自由はその為にある。勝手な支配があった。何を以て勝ち組というか。個々の意思を尊重する。自由は自由が切り開く。個々の花を十全に咲かせる。どんな障害があっても。それが平等。正義は必ず勝つ。黄泉の意思である。諦めない事だ。キリストは真実を知っていた。故に磔に甘んじる事が出来た。同じ轍は踏まない。それが反省。さて、魂は宇宙と連動している。思いはやがて染み出す。個々の現実は己の蒔いた種の結実である。自ら蒔いた種は自ら刈り取らねばならない。究極の幸せとは何であったか。即ち、神仏と邂逅し、神仏に受容祝福守護されることだった。お金ではない。武力でもない。権力でもない。ここに本来の自由がある。自由とは思い通りにしてしかも法を超えない。法を遵守する。社会に於いて人格の表現である。やさしさで人間関係のすべてが解決する。おだやかであっていい。自然が荒れるのは、自己の魂が荒れているからである。魂の遍歴がある。この世は仮の宿に過ぎない。化城としての現実。真実の城がある。どこにあるのか。精神世界にある。身心清浄を以て佛の目的とする。少なくとも芥を払う事三十年。自ずからその境界は来る。それが祖師西来意。それが自然。古来伝えられた卑弥呼の系譜邪馬台国大和の秘密である。来て初めてわかる。安穏な世界が開ける。住するところはなかった。何を求めていたか。幸せだった。真実だった。それを知った。その為には試練もあった。それに耐えた。人生と青春は奪われたかに見えた。これよりそれを取り戻す。あるいはこの真実を知って、己の実人生が始まる。この問題を解くには知性を要する。世間一般何をしているのか。警鐘である。あるいは啓蒙である。ところで、何事も実現する。夢は成就する。必要なのは本気であるかどうか。意志の強さである。決心である。目的を定める。それが夢である。目的手段の関係がある。目的が定まれば手段はいくらでもある。筑間正泰教授に教えて頂いた。そして準備する。その過程は、刑事訴訟法における手続的に遂行する。工程を決める。目標に対する期限を設定する。大きな目的と個々の目標を設定する。ひとつひとつ仕上げる。このようにしてどのような大きな夢も実現する。幸せを掴む事が出来る。時を要する事もある。諦めない事である。神仏とだって邂逅できる。幸せとは何であったか。信じられる自分を見つける事だった。迷っても良い。いつかそれも晴れる。憂いもなくなる。未来は明るい。幸せを掴むのかどうか。自分次第である。時は流れた。時代は推移した。人生は楽しむにしくなし。人はそれぞれ生まれた使命がある。私には私の使命があった。解くべき課題があった。私にしかできない仕事があった。それを果たした。私の十指はすべて渦を巻いている。

水鳥のいくもかえるも跡絶えてそれでも道は忘れざりけり

「王様達のハイキング」というのがあった。どれだけの自信があってこれを言うのか。真実の王様とはどういう地位か。仏法は王法に合した。王法は仏法に冥した。仏法は勝つ。王法は儲ける。この真意を理解してのことか。どれだけの確信が有ってのことか。どれだけの証明を天より得てのことか。時は来た。これまでの虚妄は去って頂く。真実が目覚めた。目覚めたからには容赦しない。この実人生、生きるに価する。一切邪魔有ること無し、邪魔は黄泉が粉砕する。大和の秘密である。自然が味方である。人類は何を選択したか。何を守護にして大きなことを言うのか。カクネンムショウを知っていたか。即ち、己のために天が晴れる。これを天晴れという。明治を批判した。しかし、明治も精一杯の選択だった。失敗は失敗であったとしても。故にこれ以上責めるつもりはない。願わくば己の非を認め給うべし。何を以て非と言うか。古来大和の精神を裏切った。事実である。故にその後神風の吹くことはなかった。 広島で風速六十メートルを記録するまでは。一人の念力畏るべし。その翌年はどうだったか。直撃した台風が殆どおだやかだった。もう忘れたのか。何故おだやかだったのか。傘で風速を計測し、海に手をつけてなだめた者があった。誰も知らない。何と言ってなだめたか。わかった、任せておけと言ってなだめた。世の勝手、過ぎたるものがある。真実を知らずに。これを以て草薙の剣とする。心の闇は晴れた。未来は明るい。一切裏表はない。

裏を見せ 表を見せて 散る紅葉

東風吹かば 主有る故 春を忘れず

ここに明治を批判し、古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の復活を言うのは、単なる懐古趣味ではない。アナクロニズムでもない。大切なのは今である。今生きている自分たちである。未来を作るのは今であり、生きている私たちである。しかし、祖先がある。代々培われた知性の蓄積がある。それを粗末にしていたというのである。ペリー来航に乗じた支配があって、愚かな戦争もあった。挙げ句は無秩序規制緩和であった。インカより奪った金を基礎とする貨幣のみを価値とする、 カルバン以降重商主義大資本と結託した一部利益売国奴のそれであった。何が犠牲となったか。庶民の善良だった。それは古来日本の知性を愚弄した。古来大和の精神を裏切った事実がある。日本は日本であるとする。そうした価値を復活せしめる。そして今を見直す。未来を見据える。今を否定するのではない。愚かな精神の蔓延りたるを何とかしなければならない。未来及び子孫に遺すべきものがある。誰もが感じていた。しかし具体化した思想はなかった。それは生まれたときからの約束を必要としていた。誰もができることではない。能力だけでは足りない。試練を要した。その為に生まれていた。それだけのことである。これを説くに十分な経験を要した。それを成就した。世間が浮かれている間に、臥薪嘗胆、辛酸を嘗めつつ孤独な作業があった。すでに、黄泉は認めている。我が為に、日月照らし風が吹く。すでに始まっている。何が始まっているのか。地獄の釜の蓋は開かれた。自由な時代が開けた。真実実力主義の時代である。時代は後戻りしない。このままで良い。唯、真実が目覚めている。これを以て、ご用心とする。これまでこのファクターは無かった。今にわかる。ジグソーパズルに於ける最後の一枚が見つかった。世界の切り札がそろった。最後の一枚は何であったか。古来大和の秘密真実だった。どんな批判も及ばない。真実は真実である。事実が証明する。真実を守護するは黄泉である。常にそうだった。生まれたときからそうだった。あらゆるサインを感じていた。しかし、それを信じることはできなかった。何故だったか。己に自信がなかったからである。勇気も無かった。今はどうか。絶対の自信を以て復活している。大和の秘密はあらゆる相手を凌駕する。ジャパンアズナンバーワンとする所以である。出会ったときはそれほどでもない。しかし必ず相手を凌ぐ。これを以て神力とする。因って未来は明るい。目覚めたからには容赦しない。勝手愚弄したる事実がある。仇は取る。仇の取り方はいろいろある。今、貨幣の横暴がある。日本もそれに飲み込まれた。しかし、貨幣だけが価値ではない。世の若者達のニート現象を批判する。むしろ夢を描けない彼らの方が正常であるのかも知れぬ。何が彼らの夢を奪ったか。学校教育は何を教えてきたのか。奴隷としての労働者の生産でしかなかった。大資本にとって都合の良い教育でしかなかった。その間、あらゆる価値の強奪があった。大資本は勝ったかに見えた。地方の商店街はシャッター通り、あるいはサラ金通りとなった。それ故に本来の価値の復活である。本当の価値を知るもの達は地に埋もれている。そして本当の強さを知っている。お金などなくても良い。十分に生きてゆける。お金至上主義こそ阿片である。本当の幸せとは何であったか。お金でそれは買えない。人の心がお金で買えると思ったか。自由は自由が切り開くとするところである。このような観点が今までにあっただろうか。何を以て真実というか。天草四郎時貞及びジャンヌダルクも見参である。過去と同じ轍は踏まない。過去の夢を実現する。人類は何を選択するのか。お楽しみはこれからである。聖書の目的は何であったか。真実を射抜く目がある。眼光紙背に徹する。生き馬の目を抜く目ではない。邪悪を必殺する目である。そうした目を知っているか。意志の強さは並ではない。代々培われたものがある。浮かれた人生を処する者に用はない。相手にしない。ご用心。さて、問題は那辺にあるか。ペリー来航以降及び戦後、日本が継受した諸価値、即ち自由平等及び民主主義は正しい。しかし、その運用に於いて何か間違っている。テレビはどうして衆愚に堕したのか。西洋文明化に於いて悪いところばかりが増殖したのではないか。西洋に於いて真面目な文化があまりにも看過されていないか。どうしてそうなったのか。担い手に問題があるのではないか。あまりにも知性が愚弄無視されたのではないか。その原因は何か。お金の支配である。権力は権力によって滅びる。市民革命だった。武力は武力によって滅ぶ。原爆だった。金力は金力によって滅ぶ。企業買収であろう。その間、何が犠牲となったか。常に善良な庶民の暮らしではなかったか。人類は何を願い、何を祈ってきたか。愛と平和だった。それを破壊して権力武力金力が支配してきた。かつて世界は地中海であった。世界は無限と思われた。大航海時代を経て、世界は地球となった。世界は有限となった。やがて化石燃料は涸渇する。その時、金力の支配は終わる。資本主義的重商主義は生きてゆけないだろう。恐竜のように滅びるだろう。その時に生き残る智慧がある。それは何か。それが日本古来の武士道である。価値観が違う。お金に価値をおいていない。己の生き方に価値をおく。因って、武士道は死ぬことと見つける。己に恥じるところなければそれ故に腹も切れる。武士は食わねど高楊枝である。古来日本の価値を見直す。仏法は本来道元貧学道である。戦後アメリカンドリームに酔った。お金こそ価値だと思った。そこに落とし穴があった。お金では幸せは買えない。お金があっても憂いがある。お金がなくても幸せを掴むことができる。見直すべきは何か。何を以てあくせくしているのか。何を浮かれているのか。どうして若者は勉学しなくなったのか。誰に責任があるのか。親であり、社会であろう。若者を責めることができるのか。社会を恨むな。何を勝手なことを言うか。すでに犠牲となった事実がある。仇は取られる。そういう仕組みになっている。この世の秘密はメビウスの輪である。そのように時は流れる。真実の自由平等及び民主主義はこれより形成される。古来日本の精神を以て。私の夢は何であったか。このブログの目的は何であったか。時代を変える。その為の力の開発に成功した。絶対の真実を見つけてしまった。絶対の自信を以て復活した。私の生まれた意味であった。天地自然が証明する。この一念畏るべし。只者ではない。黄泉自然が守護実現する。開発するべきは何か。家伝直伝秘伝古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神、空海の夢である。世間一般、あまりにも勝手が過ぎた。勘弁ならない。さて、臨済四喝。何処に真意があるか。真意はロゴス、実現する。滅多なことは云えぬ。倩女離魂。身心合一。絶対精神。知己成就、天下証明。春来開花。惜春櫻花。胡蝶夢現。このエネルギーは何処より出でるか。即ち、貧学道。古来大和絶対精神。寝た子を起こしてしまった。何時までも愚弄無視するか。伝家の宝刀を抜かさんとするか。家伝直伝秘伝螺鈿の槍もある。世間一般勝手が過ぎた。天道我にあらば、百万人と雖も我 、行かん。無知蒙昧暴力欺罔を以て勝手支配する。ゆるしはしない。これからの仕事が定まったのかも知れない。修業の時代を終える。世相を斬るも私の仕事かも知れない。世相評論家とでも自称しようか。この刀はよく切れる。庭前柏樹。これで飯を食うのも痛快かも知れぬ。祖父の遺した彫刻刀がある。錆びはしない。すでにこのブログは重要である。世界が動く。生まれたときからそうであった。大象顕現。小径より脱する。自己確認成就。新しい始まりである。黄泉金剛杵指揮棒あるいは古来代々家伝直伝秘伝大和秘密の舵は預かった。私は祖父良亮によって育てられた。祖父が育てたのは父と私だけであった。もはや勝手はさせない。世の支配層に問う。何の格を以て勝手する哉。上には上がある。黄泉の守護を取り付けての事か。古来大和秘密自覚確信開示宣言。


2007年03月20日

実人生

本当に強いという事がどういう事であるか。わかってきた。真実のやさしさとは何であるか。人生とはどういう事か。それもわかってきた。日々、学んでいる。究極の自由と幸せが何であるかはすでに書いた。それは真実と邂逅し、真実に受容祝福されて、その守護を得る事だった。真実とは実在する神仏であった。故に敬虔と謙虚さが出てくる。因って、神は畏れ、仏は誉め讃え奉るのである。さて、本当の強いとはどういう事であるか。それは意志の強さである。唯強いだけでは人生は足りない。やさしさが要る。強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている価値はない。フィリップ・マーロウである。強いが故のやさしさだ。そのやさしさは甘えをゆるすやさしさではない。当人のことを思えば泣いて馬謖も切る。来世のことを思えば甘えをゆるすわけにいかない。相手を認めた時のやさしさがある。自分に無い良いものを相手に認めたとき、強き者は、相手に対して最大限のやさしさを示す。無意識にそのようになる。これが黄泉の守護するところである。しかし、相手を見抜けない者がいる。いつまでも見抜けないで、その存在を愚弄する。どうなるか。相手が自覚していない間はそれも通る。相手が自覚した後はそうはいかない。それでも気づけない者たちがいる。どうなるか。推して知るべし。淘汰される。哀れである。何故か。黄泉の意思が働く。黄泉はどちらを生かそうとするか。そこに秘密がある。己の計らいの及ぶところではない。人生とは何であったか。持って生まれた自分を充足することである。実人生はそれより始まる。過去の自分をトレースしなければならない。それを完了して実人生となる。時間がかかる場合もある。トレースするべき価値が有れば有るほどである。これを以て大器晩成となす。秘密はすべて法華経に書いてある。これを理解する者は少ない。読む者も少ない。読もうとする者も少ない。しかし真実は法華経に有る。経典の王と呼ばれる所以である。道元も晩年はもっぱら法華経三昧であった。遷化したときには法華経を読みながらであったらしい。また、これを解釈するも、その真実を射抜いたものは殆ど無い。それほどまでに法華経は難解である。しかし、真実である。己の持って生まれたものがある。それを自覚して実人生となる。神仏の真実とは何であったか。古来伝えられていた。それを無視愚弄した輩が跋扈している。何を以て履き違えたか。何時までも真実を愚弄無視できない。真実が目覚める時がある。それは旧約聖書に秘められていた四百年周期である。真実とは何であったか。世間は誰も知らない。故に世間である。世間虚仮である。真実を前に聞こうとしない。信じようとしない。何故か。思い上がりがあるからである。真実は真実である。黄泉自然が証明している。この度の自覚は間違いない。守護されている。自覚して初めて力となる。力とは何かを変えることができる。強いとは力があることである。女子供のそれではない。男の領分である。強いことに女は憧れる。それがお金である場合もある。男の魅力は風采ではない。力である。強いことである。なよなよした芸能人には嘔吐である。それを好むは女ではない。少女である。何を以て中身のない芸能人がもてはやされるか。衆愚の故である。その時代は終わる。真実が目覚めたからである。愚かな支配に辟易している。真実の力は時代を変えることができる。すでに黄泉自然が認めている。まだ勝手するか。野蛮及び愚かさは表舞台より去るべし。衆愚の勝手が過ぎた。知性は愚弄された。全て奪われた。奪われたのであるなら、取り戻す。その為の力はすでに得ている。大和は呉で建造された。大和の母港は呉である。私の母校は「歴史に輝く校庭の」有る港町小学校である。何か大切な事を忘れていないか。しかし、幸不幸の原因は偏に自分自身である。意識の低い方が多い。自分勝手である。かつての私もそうだった。法華経安楽行品がある。安楽行とは何であるか。安楽な関係で行をすることである。不安楽な関係は結ぶ必要がなかった。それを結ぶのも自分自身である。仏は一切大衆を救うとする。その時、聞く耳を持つ者に対してである。「信を以て入ることを得たり」である。孔子の「耳随う」も同じであろう。此処に至って安楽を目指す。それは逃避ではない。一切大衆を救わんとする。しかし、それも相手次第である。馬を水辺に導くことはできる。水を飲むか飲まないかは馬次第である。信頼関係が大切である。その信頼はどこから来るのか。信頼の基礎は何か。常に支配しようとする故に思い上がる人は不幸である。謙虚さが無い。真実を前に、それを感じることさえできない。勝手な解釈をする。そして不幸になる。病気になるのもその例外ではない。かつての私もそうだった。今は違う。何が違うのか。真実を見出している。縁のある方は必ず何処かに待っている。安楽な関係である。それを探すことにしよう。あまりにも無駄な努力をしていたようである。しかしそれ故見つけた真実がある。それでいいのだと思う。腰を低くする。するとどうなるか。思い上がる。お金にしか価値を見出さない。暴力的に支配する。そのような世の中となった。カルバン以降のひとつの結果である。重商主義の失敗である。大切な精神を破壊してしまった。しかし、真実はすべて見抜いている。哀れだね。悲しいね。不幸だね。真実はある。強いが故にやさしい。因って守護される。どんなことがっても。仏法は必ず勝つとする所以である。真実が芽吹いた。忍辱の大力がある。負け犬に見えるか。やさしさで全ては解決する。私は幸せへの道を選ぶ。今更不幸への道を歩もうとは思わない。故に私を理解しない者に迎合する気はない。すでに道は見出した。この道を歩む。茨の道ではない。敢えてその道へ戻ろうとは思わない。法華経に仏の世界が描かれている。宝石でできている広い大地である。安楽な世界である。その世界が開けた。長い道のりであった。真実の世界である。嘘のない世界である。真実は実人生である。真実を信じることができない。不幸の始まりである。真実に対して畏敬の念を失った。知的な格差がある。これを無視破壊した。知性の住む世界はなくなった。無くなったのであれば、作るしかない。作ることにしよう。不幸を他に責めることなかれ。幸不幸は偏に自分次第である。これを知って、実人生の始まりである。信じることのできる自分を見出しているか。現実を悲しんではいないか。原因は自分である。これを知って、安楽への道に至る。安楽の実人生が始まる。それを開拓してしまった。絶対の不幸を絶対の安楽につなげた。黄泉を彷徨った。そして生還した。それが私の人生であった。私の人生に何があったのか。誰も知らない。特異な人生であった。人生と青春を失ったかに見えた。それも試練だった。それに耐えた。そして復活した。時は無駄に流れたかに見えた。そうでもなかった。それも必要だった。理解しろと言っても無理である。それに気づいた。それでいいと思えるようになった。ゆるすもゆるされるも無い。自分次第である。実人生はそのようにできている。知らないことを以て否定する事なかれ。目覚めた真実を悲しませることなかれ。真実は救いの縁である。見えないのだね。聞こえないのだね。不幸だね。私は強さを捨てる。この強さに用はない。忍辱の大力を以て生きる。黄泉は見ている。黄泉の守護がある。黄泉は何を守護するのか。真実とそれに目覚めた者を守護する。私は、実人生に於いてそれを知ってしまった。私は私の道を進む。自由である。すでに歩み始めた。気楽な人生となった。憂いはない。迷いもない。夢は成就する。諦めないことである。諦めると終わりである。成就するまでが青春あるいは修業である。安易に人生を捉えていないか。来世がある。前世がある。来世を思うと、あだやおろそかに生きられない。この世で成すべきことがある。過去の清算と過去の夢の成就である。何を夢見たのか。何を夢見ているのか。人生は楽しい。自分の人生から逃げていないか。今ある自分に自信を持てるか。どのような人生を歩んできたのか。歩んでいるのか。問われている。黄泉はすべて見ている。心の底まで見られている。


2007年03月19日

仲良くすればいい

私は仕事をしたようである。それは何であったか。もういい。身心脱落。脱落身心。身も心も差し出した。皆仲良くすればいい。あらゆる力は知れている。宇宙自然生命黄泉の前に。求めたものは何であったか。失われた何か大切なものだった。権力でもない。金力でもない。武力でもない。過去はそうだった。これからは違う。法力である。それが人類の夢だった。過去より伝えられたことだった。それを知っていたのが、キリストであり、ソクラテスであった。あるいは、孔子であり、仏陀だった。故に、キリストは磔に甘んじることができた。ソクラテスは毒杯を仰いだ。孔子は世に認められなかった。仏陀は國を失った。しかし、知っていたのである。何を知っていたのだったか。真実をである。真実とは何であったか。神仏が実在することだった。人類も試されている。万物の霊長として。選択を誤れば滅びる。恐竜が滅んだように。法力とは何であったか。神仏と邂逅し、神仏に受容され、祝福されて守護されることである。空海の見た永遠の夢であった。それが実現した。21世紀の約束だった。二千年来の物語が完結した。新しい物語の始まりである。過去と未来がつながった。大きな仕事を成したとする所以である。どのようにしてそれは成されたか。偏に勉学と青春だった。図らずも、芥を払うこと三十年だった。因って何を得たのか。身心清浄。これが佛の目的だった。導かれていたのである。使命があった。それが果たされた。条件があった。それに耐えた。素直であること。正直であること。その価値を知る頃となった。騙されたって良い。騙さないことである。孔子は自己の身心を大切にした。それはどういう意味か。孔子は知っていた。何を知っていたか。自分が象徴としての存在であることを知っていた。何故か。神仏が自分の為に証明していたことだろう。自分を傷つけるとどうなるか。自分が國あるいは世界または地球の化体であるということである。それが代々大鏡である。そうした存在がある。生まれながらにしてであるのかも知れない。しかし、自覚を要する。だれもこの謎を教えては呉れない。自分で解くしかない。仲良くすることである。おだやかさですべては解決する。母が言った。古いコートを脱がすのは温かい太陽である。風ではない。身も心もぼろぼろである。自己の証明に、力を使い果たしたか。しばらく休養する頃だろうか。世間は何も知らない。 さまよえるオランダ人であるか。この世間を如何せん。それがキリスト、ソクラテス、孔子、仏陀の悩みだった。あるいはパスカルのパンセだった。しかし、この度は成功したようである。これまでも何度かチャンスはあった。しかし知らしめるには至らなかった。この度の開花、誰も疑えまい。知る人は知る。知らない人は知らない。それで良い。知っても知らなくても世界が動き始めた。時代はシフトする。パラダイムの大転換である。大法輪が転ぜられた。世界は進むべき方向を見出した。権力ではない。金力ではない。武力ではない。それらは目的ではない。手段である。目的は何か。個々の暮らしである。幸せである。それが人類の夢だった。自分だけが助かっても周りが不幸であれば自分も不幸であることに変わりない。世は帝則に従う。それを見つけた。そして私は世間に帰る。世間は何も知らない。目のない魚に等しい。仏陀は何を成したか。すべては我が子どもと思った。慈父として存在した。皆可愛い。陶芸家は壊れて出てきた作品が愛おしい。抱いて寝る。私は仕事を成就した。そして伝えおく。何をであるか。ご用心。すでにブログ及び私のホームページに書いた。自然を前にバベルの塔は立たない。浜辺の砂の楼閣に過ぎない。潮が満ちれば流される。歳月は人を待たない。歳月とは何か。Time and tide wait for no man. 自然に刃向かってどうするか。天に唾するに等しい。真実を悲しませるとどうなるか。死に神がやってくる。故に神は畏るべし。佛は誉め讃えるべし。人間科学の及ぶべきに非ず。


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