後のことは


2013年11月01日


  • もう、言うべきことは言ったと思う。本来日本の本懐から始めて神国日本の意義を明らかにしたつもりである。そして現時点における歴史的な意味を明らかにし、未来への方向性を定めたつもりである。これは誰にでもできることではなかった。彼がしなければならなかったなんて。まさかだよね。信じがたい。しかし、そうだったようだ。そのために生まれていた。今にして思えば子供の頃から、証明に足りる諸能力と不思議な経験事項が十分にある。いつか自覚しなければならなかった。彼こそ彼だった。認めざるを得ない。それだけの試練を通っている。彼のこの世での仕事は終わった。生まれた使命を果たし終えた。そのような人生もあったのか。後のことは任せたよ、と彼は言った。努力する人は努力するがいい。苦しむ人は苦しめばいい。努力し抜いて、苦しみ抜いてやがていつかだれもが必ず至る道がある。独裁は滅びる。独善もである。そしていつか自分を楽しむことができる時節がやって来る。それはやって来るのだった。これを以て如来とする。彼の父は昭亮(あきのり)、16歳で志願し、赴任地はカムチャッカ、復員は網走。祖父は良亮、尊祖父は千畝、尊尊祖父は嘉兵衞、尊尊尊祖父は覺兵衞。広島市中区区役所に眠っていた一通の除籍謄本で明らかになった。それまでわからなかった。ほとんど何も聞かされていなかった。眠らされていた。家には海軍の新品の毛布と落下傘があった。落下傘はケンパスでできていた。紐はリリアンの絹の組紐だった。また戦前には家の鴨居に螺鈿の槍と長刀がかけられていたと聞いている。尊祖父千畝の肖像画と大和絵の扁額もあった。前者は油絵だった。後者は琴の弦のようなもので布状に織られたものがキャンパスとなっていて、その上に二羽の雀と菊の花、そして桜の幹・枝・葉が描かれており、裏には金箔が施されている。どちらも無銘である。




自由及び平等の種

2013年11月01日


  • 自由及び平等といった人間の諸権利がある。さて、生まれながらに平等であるとする。個人の尊厳がその根拠となっている。ところで本当の淵源は何処にあったのだろうか。平等の本源は何か。それは、人間には万物の霊長として神の七つの力がだれにも賦与されていたということだった。これに気づけない。そのようなことはないと思っている。しかし、そうだった。そして人類に生命体としての未来を創造することが託されていた。それが実現する頃となったのだった。それが21世紀の約束だった。そのように時は流れ、生命体としての進化傾向となっている。そのために、市民革命を通っている。悲しいかの戦争も通らねばならなかった。戦争の無価値を知るためだった。そして人間の諸権利は日本に伝えられた。日本は戦争に負けて初めてそれを学んだのである。それは根付いた。そして開花結実する。その花を咲かせることが日本の使命だった。それは償いとしてでもあった。そして咲いたのである。種を得る。その種を世界に蒔く。それが世界に発信するということだった。それは自由及び平等の種である。日本はすばらしい。ここに秘密がある。仏法伝来もそうだった。愚かな時代も必要だった。土壌として。蓮華の前に化生するために。世界は待っていた。


どうしようもない

2013年11月01日


  • 汝自身を知れ。何を知るのだったのか。自分とは何者であるかが禅のテーマであり、祖師西来意だった。ダビンチ・コードも解かれている。人間は何故偉大だったのか。神の七つの力が賦与されている。だれにでもある。しかしそれがわからない。むしろそれはないと思う。あるいは、思わされている。何故だったのか。それがだれにもわかると都合が悪いからだった。そして支配されていた。それは自縛自網だった。自分だったのである。すべて。自由になろうよ。それって何だったのだろうか。祖先と同じ月を見ることだった。何を意味しているのだろうか。自分って何者だったのだろうか。知る人は知る。知らない人は知らない。それでいい。そしていつか自分を楽しむことができるようになる。その時、すべて明らかになる。何が明らかになるのだったろうか。言えば背く。言わなくていい。見る人が見ればわかる。どうしようもない。教外別伝、不立文字。電光石火、覿面提示。永久の季節外れのウグイスが啼いた後で顔洗う。