ストーリー

2010年07月11日

  • 物語はハッピーエンドで終わります。何時か必ず、二人は辿り着くのです。二人って誰と誰だったのでしょうね。その間、試練は地獄でした。どのようにして辿り着くのだったのでしょうか。最終最後最大の敵は自分自身だったのです。この戦いなくしては至れません。見えません。聞こえません。そして至りついた時、見える景色は何だったのでしょうか。殺伐とした荒野が、私たちの故郷でした。再び荒野に帰るのでしょうか。すべては夢だったのです。垣間見たものが真実でした。やがて辿り着きます。そして見えて来るのです。聞こえて来るのです。私たちは魂だったのです。幻影の鎧が身でした。何を護ろうとしていたのでしょうか。この人生は何だったのでしょうか。誰もが探しています。誰もが彷徨っています。何時か解かねばならない謎があるのでした。「帰りなむいざ」。「至り着き、帰り来たりて、別辞なし」。日月照らす、港かな。これで良かったのです。いふべきものは何もないのでした。誰もが探していたのです。それがハッピーエンドでした。般若心経のギャーティのように。「行けり、行けり、我は行けり。辿り着いた此処が西方浄土だった」のです。家康の旗頭の文字も、「厭離穢土」でした。探しに行きませんか。確かめてみませんか。ご案内申し上げます。静かに自分と向き合って見るといいのです。私たちははるかな過去から旅をしています。この世に生まれて、何を確かめるべきだったのでしょうね。それぞれ目的を持って生まれています。その目的はそれぞれ、異なります。それが多様性ということでした。私たちは過去からの夢の実現過程にあります。そのためには、過去をトレースして乗り越えなければならないのでした。それから始まるのです。この間、煉獄です。まるで火中の栗を拾うかのようです。それで良いのです。この道しかないのです。自分に負けるとどうなるのでしょうね。自分に勝つとどうなるのでしょうか。彼のホームページを見ると、そのヒントがあります。生まれて来て良かったですね。すばらしい世界が開けています。いつの世もそうでした。私たちは幸せになるために生まれて来ました。それが人生の目的でした。うそとバイオレンスより自由となって、それが見えて来ます。チャレンジするべきはそれでした。常にチャンスがあります。それに気づけるかどうかだったのです。自分を制して、自然に受容された時、あなたは全てを知るのです。それはあります。四聖が伝えていたのもそれでした。あらゆる哲学者が目指したのもそれでした。この世の幸せって何だったのでしょうか。自分をそのまま表現することができることだったのです。それが自己実現でした。内面から輝いて、蝶も飛んで来るのです。さわやかな風が慰めてくれるでしょう。それが愛でした。恋愛感情は仮の愛だったのです。真実の愛って何だったのでしょうね。それをパスカルはアガペと呼んでいます。私たちはこの世で何をするべきだったのでしょうか。明らかになりました。それは権力ではありません。武力でもありません。金力でもありませんでした。祖先の総体に認められることだったのです。すべては、見えない世界で決します。それがアーサー王の円卓会議だったのです。観念が現実化します。