2008年09月29日
【やさしさの世界へ】
この世にすべてよしとする世界があるとします。それが神であったり、仏であったりしたとします。神仏は、唯、あなたを救いたいばかりだとします。神仏はその方法がある事を知っているとします。神仏も自らそれを探し、見つけ、あたため、確かめ、そして自分のものとしたとします。そうした救いがあるとします。さて、チャンスはむこうからやって来るといわれます。それが如来という事だったのでしょうか。如とはチャンスでしょうか。それはそれとして、チャンスは目に見えないといわれます。文字は見えます。音声は見えませんね。見えないものは感じるしかないのです。それは後光が射しているかも知れません。或いはオーラを発しているのでしょうか。見えない人にとっては見えません。見える人には見えるのです。不思議な事象も、知らない人には神秘です。知る人には事実でした。真実はあるのです。知っても識らなくても。それは神仏の実在でした。神仏との邂逅もあるのでしょうか。見た事がない人は信じられません。そしてそれはないと思うのです。それが常識だと思うのです。神仏がいるという事が非常識だと思うのでしょうか。しかし信じられる人には、神仏の実在が当然です。常識です。この辺りが価値観の相違です。それで良いのです。それぞれ正しいのです。常識と非常識は表裏一体でした。信じる事と信じない事も。もとは一つでありながら、二つの世界があるのです。それで良いのです。問題はどちらが幸せへたどり着けるかです。現実はどうですか。たいへんですね。不安がいっぱいありますね。不安のない世界があると思いますか。きっと素晴らしいでしょうね。幸せとはそれでしょうか。あると思いますか。ないと思いますか。神仏はあるといっています。信じる事から始めませんか。神仏への道を。第一歩を踏み出せば良いのです。それは神仏が歩んだ道です。その道は、誰でも必ず幸せへ至る道だと思いませんか。その道がもしあるとするなら、歩んでみたいと思いませんか。少しの勇気で良いのです。一歩踏み出せば良いのです。かつては、飛び込むとか、大死一番とかいわれていました。これでは飛び込めませんね。おそるおそるで良いのです。きっとやさしくサポートしてくれます。神仏も進化しています。やさしさの方へ。やさしく導いてくれる事でしょう。そして誰もがこの道を歩める時が来ました。しばらく忘れていたのだけれど。それは本来日本の道だったのでしょうか。時代は動き始めたのかも知れません。支配のためのいくつかの戦争とか殺戮もありました。人類はそれらの無価値に気づきました。市民革命を通って民主主義を獲得しました。やがてそれは名誉革命ともなりました。血を流さずに民主主義は手にはいるようになりました。第二次世界大戦で日本は平和を知りました。そして血を流さずに平和も手に入るのです。それが生命進化です。愛と平和こそ価値である事を知りました。それは確信に至ったのです。既に民主主義です。無益な戦いもありました。そしてお互いをより深く理解し、知り尽くし、より深い友好関係を結ぶ事もあるのです。それも生命進化でありました。次なる進化は何でしょうか。血を流すことなく平和を獲得する事ですね。此処に人類の英知があるのです。それに気づく頃ともなりました。それも人類進化でありました。既にゴールした方もいたのです。それが神仏だったと思いませんか。そして神仏は、こうしたらいいんだよと教えてくれているのではないでしょうか。この道で、みんなやさしくなれると思いませんか。愛とは何だったのでしょうか。それは神仏の思いだったのではないでしょうか。知行合一という事がありました。王仏瞑合という事もありました。この度は神仏一致、或いは結婚かも知れません。それは西洋と東洋との合流でしょうか。はじめは太極があって、二つに分かれました。男と女もそうですね。何時かめぐり逢って一体となるのです。それがこの世だったのです。好かったですね。そして世界が一つとなるのです。その時灯りが点るのでしょうか。その時、幸せを知るのです。一人では幸せはありません。二つが一つとなって喜びがあるのです。もともと一つだったのです。故郷へ帰るのです。二つが一つとなって新しい命が生まれます。西洋と東洋が一つになって新しい世界が始まるのです。それで良いのです。それはやさしくありたいですね。幸せでありたいですね。誰もが願っていた事でした。それも実現するのでしょうか。夢は実現します。ダビンチの夢もすべて実現しました。ダビンチの夢はその時代の夢の集大成でした。私たちは今、何を思いますか。思考は現実化するのです。それはアンドリュー・カーネギー氏によってはじまり、ナポレオン・ヒル氏によってまとめられました。西洋成功哲学の目的も、お金は手段に過ぎません。目的は人格形成にありました。それがビジネスの目的だったのです。それも知る頃となりました。支配のために、殺戮をして版図拡大する時代は終わりました。それは生命進化の目的から無価値と決定されました。唯自己利益追求重商主義も反省されつつあります。自分だけ良ければいいという考えに基づいていたからです。カルバンの利息は神の意志に合致するという教えも、目的は別にあった事でしょう。しかし私たち人間は、何時かそれを自己利益追求にすり替え、それで良いとし、さらに神の見えざる手が働くとしました。神の見えざる手は働いていないですね。何故でしょうか。それは善良な市民が前提だったのです。日本に於いては神風が吹かないのと同じです。神風は大義名分がある時に吹きます。大義名分とは黄泉の受容祝福守護といえるのではないでしょうか。それがなかったのです。黄泉とは祖先の総体といえるのではないでしょうか。最大多数の最大幸福といっていた西洋思想が、何時かアメリカンドリームとなりました。それは宝くじに等しいのです。宝くじの期待値はいくらでしょうか。20円くらいでしょうか。後の80円は何処へ行くのでしょうね。あらゆる商行為がギャンブル化していませんか。その風潮が如何にも正しいかのように吹聴するのがテレビ界でした。東京にカジノという議論もありますね。何か勘違いしていませんか。誰もが幸せになることを考えませんか。一部の階層が利益を独占していませんか。それは革命の温床となりすね。それは避けなければならない。故に江戸無血開城もありました。かつて武士階級には少なくとも精神修養がありました。それで町民は尊敬もし、憧れもしていたのでした。政治も行政も今、庶民からの尊敬を失いましたね。権力行使の基礎が危うくなっていますね。どうしたらいいのでしょうね。議論するべきところです。商行為そのものが欺罔を含んでいます。本来日本はどのような國だったのでしょうか。身心清浄及び正直を以て旨とする大和魂を重んずる國でした。いつの間にかそれを忘れています。本来あったのです。思い出しませんか。神仏は幸せはあるといいます。誰もが幸せに至ることが出来るといいます。歩みませんか。この道を。本来日本が目指した道です。道草を食っていただけですね。神仏へ至る道があるのです。それは幸せへの道です。神仏もこの道を歩んで至ったのです。そしてそれはあるんだよと教えるのです。信じませんか。素直になりませんか。そして歩み出しませんか。少しの勇気で良いのです。一歩踏み出せば良いのです。それが江戸への道も一歩からでした。道が道ですから、必ず至る事が出来ます。神仏はいます。日月照らし、風が吹く世界があります。美しい風景が待っています。美しい人たちが待っています。やさしい関係で暮らしてゆけます。それはあるのです。何処にあるのでしょう。自分にあるのです。最終最後最大の敵は自分です。それに打ち克ってそれはあるのです。それが天下を取るという事でもありました。その時、黄泉が微笑みます。天が祝福します。それはあるのです。それが真実幸福論でした。信じてみませんか。そして歩み出しませんか。誰もが歩める事となりました。それが二十一世紀の約束でした。二十一世紀は心の時代といわれて久しいのです。それは見つかりました。心の大地です。それが切り開かれたのです。モーゼの杖が突かれたに等しいのです。バビロン解放に匹敵します。旧約聖書の目的は何だったのでしょうか。庶民の解放でした。それは市民解放、奴隷解放、女性解放の次にやって来るのです。その時が来ました。庶民とは善良な市民です。悪意の第三者などではありません。信じてみませんか。既に歩んだ人がいるのです。それはあります。そして美しい人たちが待っています。幸せ世界はあるのです。喜びはあるのです。やがて苦悩の英雄ベートーベンも至った世界です。すべてにやさしくなれるのです。すべて大切に出来るのです。そのままのあなたで良いのです。そこから始めればいいのです。始めませんか。幸せの方へ。すべて良しとする世界があるのです。それが神であったり、仏であったりするのです。既に神仏の歩んだ道があるのです。それが庶民のために発見され、開かれました。神仏は知っているのです。幸せへの道を。そしてこうしたらいいんだよと教えるのです。やさしい人々が待っています。やさしくなりたいですね。やさしくなれるのです。それが二十一世紀でした。歩み出しませんか。少しの勇気で良いのです。一歩を踏み出せば良いのです。誰でも必ず至り着く事が出来ます。そういう時代となりました。平和の故ですね。平和は護らねばならないですね。それには知性を要するのかも知れません。賢くなりませんか。みんな賢くなれるのです。その道は開かれました。今の貴方で良いのです。幸せは約束されました。言葉もやさしくなるのです。あなたもやさしくなるのです。すべては言葉だったのです。言葉は文字でした。文字は音声でした。文字は知性です。音声は感性です。知性と感性の合流です。西洋は知性でしょうか。東洋は感性でしょうか。西洋と東洋の合流です。世界は一つとなるのです。過去は反省し、或いは修正するのです。そして新しい始まりです。良い時代となりました。この世に生まれて良かったですね。世界もやさしくなるのです。青い空と白い雲。パステルカラーの世界です。明るい心です。あたたかな心です。それが未来だったのでしょうか。この道で良いのです。この道で良いですね。二十一世紀となりました。それは開かれたのです。天も地も喜んでいます。幸せ世界はあるのです。喜び世界はあるのです。それはやって来ました。やって来たのです。この世界は素晴らしい。美しい。神仏への道はあるのです。歩み出しませんか。やさしさの世界へ。

【はじまり(エピローグ)】
2008年09月29日 00時46分41秒
親亀こければ、みなこける。それも真実だった。どういう事だったのか。結果は子孫に現れる。そしてそれを差別とはいえない。さて、重要な事実に気づく頃となったのかも知れない。この世の真実がこれから、結実する。それは何だったのか。思い知る頃となった。世の中を見るに、純粋正統な精神の持ち主はお金持ちになっていない。お金持ちは悉く、何をしてお金持ちとなったか。明らかとなった。始めに欺罔がある。殆どである。そして彼をその方法論に染める事は出来なかった。彼が自ら選んでの事ではなかった。導かれての事だった。それが何を意味するか。戦後焼け跡に勝手に綱を張って土地を奪った者たちがいた。或いは海軍工廠の鉄くずを奪って始めた者たちもいた。その他、色々である。そうして富を得た方々が何時までも成功家ぶるわけにはいかない。秩序はある。それは何だったのか。彼は自覚した。それが全てだった。今より始まる。何が始まるのだろうね。これまで思いあがった方々がある。彼を直接貶めない事である。どうにもならない前世がある。過去がある。その差は埋まらない。一休髑髏ご用心は真実である。あなた方の知らない世界がある。その守護がある。その要件は何か。自覚。常に導かれている。もうこれで良いと思えるようになった。それが自信の回復だった。何を求めていたのだろうね。理想だったのかも知れない。そしてそれは見えてきた。それは何だったのか。誰もがやさしく生きてゆける。そうした世界がある。自分次第だった。何もかも。何時か黄泉が微笑む。それがゴールだった。或いは、彼岸だった。それを見つけたのであれば、そこに住むが良い。そこが青山である。長谷川四郎氏の『よく似た人』という小説があった。『知恵の悲しみ』というのもあった。石原吉郎氏は詩人だった。『満月をしも』という詩集があった。何よりも『望郷と海』というエッセイ集は強烈だった。シベリア抑留の事が書いてあった。それらを知らずに生きている方々が多い。そして勝手している。まるでカニのように。平和が何であるか知らない。浮かれている。テレビ界がそうである。或るコマーシャルのように日本男子はこれでいいのだとはとてもいえない。何を思いあがっているのだろう。明日戦争になってもおかしくない。戦争を知らない子供達と歌っていて、それを阻止出来るだろうか。疑問である。憲法が歴史的所産であり、対外的に何を意味しているか。その中に平和主義がある。その意味さえ知らない。そして自由だけを主張する。おかしいよ。おかしいとも思わない。何が蔓延ったのだろうね。男らしい男がいなくなりつつある。日本男子は骨抜きにされたのか。それが占領政策だったのか。テレビは芸能界の支配となった。嘔吐である。その愚かさに。あまりにも知性を失った。本来日本はそのような国ではなかった。取りもどしたいね。それがやさしさではない。お笑いとギャグの何処が面白いのだろうね。彼にはわからない。あまりにも幼稚ではないか。本当にそれで良いのか。探さないか。本当の幸せを。真実を。何時か誰もが至るとしても。今がその時だよ。それはある。ないと思っていないか。諦めていないか。本当のやさしさとは何だろうね。強いが故のやさしさがある。女性はそれを待っている。目を輝かせて語り合える相手を待っている。知らない男性が多い。それで仕方なく、素直で従順であればいいと思っている。それだけでは足りない。何時か飽きてしまう。そして破綻する。意味があるのだよ。全てに。知性を愚弄した。お金儲けが全てとなった。何かがおかしい。テレビ界がおかしい。芸能界がおかしい。あなた方は未来を壊している。そうした事実がある。気づいていない。本当の知性を知らない。知性を直接悲しませない事である。それを知らない。見える世界しか見えない。知性は何処に至るのか。どのような力を持ちうるか。知性無くして黄泉の守護はない。黄泉が愛するのは知性だった。畏れを知らない。本来日本は知性の國だった。それは神国だった。知らなかったね。だがそうだった。改めて始まりである。前世があって、未来がある。認めないか。認めたくないね。何故だろうね。過去からの蓄積がある。先人達の知恵がある。それを大切にしないか。その方が楽ではないか。何もかも壊したね。そして文化はとても低いレベルで規定された。伝統を壊した。甚大な罪である。大切にするべき過去がある。過去無くして今はない。今を正して未来がある。そして彼の旅はおわった。それは何だったのか。既に記した。彼は使命を果たした。そして彼からの脱却の頃である。彼は見つけた。それは何だったのか。喜びだった。幸せだった。或いは言葉だった。新たなはじまりである。


【第二次世界大戦の歴史的位ちづけ】
2008年09月28日 08時15分14秒
何も思い煩う事はなかったんだ。それが馬鹿になる事だった。だから、馬鹿になればいい。しかしそれは思い煩う事がないという意味だった。馬鹿になる事がそのまま、精神の堕落とか、低いレベルに規定する事ではない。やはり精神的向上心が無くては滅びる。どうして思い煩うのだろうね。それが原罪だった。誰もがその遺伝子を持っている。これを乗り越える必要があった。そして輝く事が出来る。それがスターだった。つまり、自由を得た方々である。故にだれもが憧れる。しかし今、その質が問われている。何故だろうね。自由を始めに見つけた方々があまりにも内容がない。その文化が席巻し、その色に染まった。これは新たな困った事となった。しかし誰が悪いのでもない。彼らも知らなかった。往々にして真実は時間がかかる。芽が出るにもね。それは自覚を要する。自分と戦って、自分の悪を払拭しなければならない。大方の人はそれは無理だと思う。諦める。むしろ腐敗堕落でよいとする。それは自分が基準だったからだ。そうした事は出来ないと思う。そうだろうか。知らないだけだった。既に武士階級には精神修養があった。そうでなければ、腹は切れない。そして武士階級の自信喪失があった。それが明治だった。しかし価値は価値である。最後に勝つのはそれである。何故だろうね。その辺りの証明があった。それが日月照らし、風が吹くだった。私たちは日本人としてその属性を持っている。思い出そうよ。かつてはそれで失敗したのかも知れない。それならそれを修正すればいい。本来日本のそうした純粋精神こそ、世界を救える。世界も待っていた。そうしたことを探していた。誰もこれほど明確には出来なかった。出来ているなら、もっと早くに時代は変わっていた。彼の仕事が既にある。精査すると良いよ。きっと救いの道が見つかるよ。誰もが憧れていた道があるよ。やっと時代は彼を認め、動き始めた。しかし以前からそれを待っていた。遅れていたのは彼の自覚だった。無理もない。およそ信じられない。間に合った。21世紀の約束だった。彼は発掘し、確かめ、決めなければならなかった。それは何だったのか。愛と平和を手段としての幸せな暮らしを誰もが楽しむ世界だった。それは見つかった。未来は明るい。日本は戦争を放棄している。それは憲法で宣言している。それで良い。戦争はさせない。平和憲法は歴史的所産である。これを得るためにどれだけの代償があったか。疎かに出来ない事実がある。その上での平和である。浮かれてばかりはいられないよね。知性が無くては護れないよ。日本は市民革命に血を流していないから、民主主義がわからないという。何を馬鹿な事をいっているのか。平和を勝ち取るためにどれだけの血が流れたか。それが第二次世界大戦の歴史的位ちづけである。その価値は市民革命を通り、市民革命以上である。市民革命はフランスから始まり、イギリスに於いては名誉革命となった。平和は第二次世界大戦から始まり、やがて血を流さずに世界の潮流となる。彼はそれを発見した。失われた何か大切なものを求めての不思議な三十有余年の旅があった。その結果である。未来は明るい。ところで、あれだけの功績のあった義経が何故討伐されたのだろうね。疑問だよね。それは頼朝の意思に反したからだった。頼朝は知っていた。何を知っていたのだろうね。世の歴史学者はそれを知らない。それで勝手な解釈である。自分たちにとって都合の良い解釈である。世の中は今、どのような支配であるか。お金による商行為の支配である。彼らにとって都合の良い仕組みである。何時までもそれは通らない。何故か。商行為は欺罔を含む。それが一人歩きした。悉く商行為化した。行政も政治もであるか。騙されたよ。見事にね。明治以降にね。すっかり奪われてしまった。本来日本までも。本来日本とは何だったのか。身心清浄及び正直を以て旨とする大和魂である。その時、天及び黄泉が守護する。それ故それぞれの時代を生き抜いた。相手があれば必ず受容克服凌駕する。常に修正しながら、今に現存文明文化諸国家に於いて最も古い歴史がある。修正の頃となった。静かなる革命かも知れない。或いは維新である。さて、本来日本大和魂は商行為にとっては都合が悪かった。それでそれらを悉く無視した。粗末に扱った。むしろ愚弄した。その権化がテレビ界であると彼はいう。自らの色に親たちをたぶらかし、子供たちの教育を破壊した事に気づいていない。彼はいう。奪われたものは取り戻す。本来日本を取り返す。その為には失われた力を発掘しなければならなかった。明治以降に奪われた力である。それがあったが故に日本は古来存続した。日本はそれを価値として育んでいた。それ故、江戸無血開城もあった。それがどうであるか。勝手が過ぎた。何もかも商行為化した。さて頼朝は何を自覚していたか。自分が征夷大将軍であることを自覚していた。しばらく征夷大将軍が出ていない。それ故、腐敗した。卑怯怯懦脱法行為商人根性の与り知るところではない。その意味では龍馬もその例外ではない。現代支配階層は龍馬に憧れる。何故だろうね。同じ種であるからだ。何を以て征夷大将軍とするか。天及び黄泉の受容祝福守護である。天は神である。黄泉とは何か。祖先の総体である。真実とは何だったか。神仏の実在だった。頼朝はそれを知っていた。故に征夷大将軍だった。知らなかったよね。分からなかったよね。無理もない。その属性がなかった。彼は自覚した。何を自覚したのか。既に人生と青春は失った。命を失っていたか。故に怖いものなどない。もはや失うべきものはない。そして天及び黄泉の受容祝福守護を確認した。その為には試練もあった。謎を解かねばならなかった。時を要した。刃向かえはしない。静かなる黄泉が動く。知らなかったね。勝手したよね。商行為を以て。それが智慧だと思ったね。それは自己利益追求重商主義だった。騙されたよ。全て失った。取り戻す。或いは修正する。支配は常に克服される。そして新しい時代となる。日本は自信を取り戻した。良い時代となる。未来は定まった。過去より伝えられていた。暫く忘れていた。それだけの事だった。彼に笑顔が戻ってきた。これより彼の人生が始まる。青春も。生きている限り、青春である。幸せはある。その要件は定まった。神仏来臨御照覧の今である。安心して良い。諸価値の復活である。何を勉学するのか。実生活の中で。研究するべきは何だったか。答えは全て、己自身の中にある。生命進化の途中である。過去がある。前世がある。それらを見つめ直し、大地を闊歩せよ。或いは大空を滑空である。その道は開かれた。日本に生まれて善かったね。日本の過去は解決した。彼は失われた彼を探した。それは見つかった。それはそのまま本来日本の発見となった。そしてひとつの結論を得た。日本を救ったのかも知れない。どうでもいいね。そろそろ現実に帰ろう。もうこれでやっと帰れるね。ありがとう。


【もはや謎である】
2008年09月28日 02時23分39秒
彼は何者だったのだろうね。彼の子供の頃を知っている人は気づいているのかも知れない。しかし今、彼は何の資格もない。名誉も地位も財産もない。それも試練だった。それよりももっと素晴らしいものがあると知る為だった。それが即ち、未来を拓く事だった。彼の夢は何だったのか。成就したのかも知れない。世間は知らないとしても。敢えていえば、光源氏といっても過言ではない。感性のある者は気づいている。それが『死んだ男』に対する少女だった。それも証明された。彼は日本を救ったのかも知れない。モーゼが杖を突いた。それに匹敵しているのかも知れない。時代を救ったかな。彼はそう思っているのかも知れない。しかし、これからだよ。勝ち戦ではあるとしても。トランプの51があるね。ストップがかかった。ナポレオンがあるね。彼のカードは全て切り札となった。他の持ち札は全て、意味を無くした。そこまでいって良いのか。良い。彼の自覚とは何だったのか。もはや謎である。秘密は彼にあった。気づく者はあるだろうか。周囲は知らない。それで良いのである。未来は明るい。明るい未来の建設である。刃向かえはしない。黄泉が討伐する。勘違いしたね。思いあがった。彼の右に出る者はいない。但し、自覚を要する。本気になればの事である。彼を直接或いは物理的に悲しませない事を祈る。もはやいうべき事はない。謎は解かれた。彼はいっていた。無視したね。愚弄した。裏切った。しかしそれ故に至った。感謝している。何処へ至ったのか。もはや謎である。これまでは感じてはいても確信はなかった。今はどうか。勝手は通らない。時は代わった。精査あるべし。時代は総動員で彼の自覚を促した。しかしそれは彼を目覚めさせる事は出来なかった。それほどまでに状況は厳しかった。彼はもう駄目かと思われた。しかしそうはいかない。彼は彼だった。自ら救うしかなかった。そして救った。馬鹿げているね。馬鹿げている。あり得ないね。しかし事実である。誰も知らない。信じられない。しかしそれは有った。あらゆる事象は何のためにあったのか。彼はいう。唯、彼の自覚のためだった。やっと成就したというのだろうか。それにしては酷な人生だった。一人背負わすには荷が重すぎたよ。お陰で人生と青春は失った。世の中はいい気なものだ。誰のお陰であるか。彼の本音である。まだ刃向かうか。既に自覚した。容赦しない。本気ではないけれど。そしてやっとわかったという。何がわかったのだろうね。人間には色々な種類がいるって事らしい。それでどうするんだろうね。もうするべき事はしたといっていた。どういう事だろうね。わからない。それで良いらしい。未来は拓かれた。幸せ世界はある。何も怖じることはない。本来何もない。自分次第だ。夢も希望も。未来も。憧れも。ゴールはある。彼は自信を回復した。彼は彼だったね。彼でいてくれて好かったね。彼が護っていたものは何だったのだろうね。祖父を見ていた。父を見ていた。良いところも、悪いところも。そして良いところが結晶した。それは何だったのだろう。本来日本古来大和純粋精神の目指していたものだった。その証明は果たした。証明されたのであれば、定理として使えるよね。間違いない。彼は確信した。彼はその謎を解くためのあらゆる属性を持っていた。それだけの事だった。それ故の試練はあった。それも当然だったか。そして再び彼は謎となった。物語に瞑した。そして微笑んだ。


【知らなかったね】
2008年09月27日 02時13分51秒
思い通りにならないね。どうしてだろうね。願いが届かないね。何故だろう。考えてみたことがありますか。例えば、お客様は神様であるという。本当にそう思っているのかどうか。本当にそう思っているのだったら、何時か願いが届く。だけど、多くの人はそうではない。お客様の中に神様がいるかも知れない。その神様を喜ばせることが出来たら良い。神様はいる。何処にいるかはわからない。神様を悲しませるとどうなるか。恐ろしいことだね。こうしたことを知らない。全て自分の利益のためにしている。それでどうにもならなくなった。観点を変える必要があるね。神仏は実在する。此処から始めないか。知らなかったね。神仏を喜ばせることだ。時は代わった。神仏が目覚めた。願いが通る時節を迎えた。神仏にも好みがある。勝手する人間の願いは通らない。自然は生命である。環境である。宇宙と自然生命黄泉は一体である。それを破壊した。受忍限度を超えた。金融工学とは何だったのか。それでノーベル賞を貰った学者もいた。初期の段階でノーベル賞を貰った者たちの投資会社は失敗していた。それに学ぶことはなかった。人間の思い上がりである。限界である。実体のない債権を転々と流通させた。その都度、利益となった。それが智慧だと思った。商行為そのものが欺罔だった。そこに気づくべき頃である。何時か破綻する。そして彼らにとって最大の消費は何か。戦争だった。このメカニズムも明らかとなった。勝手はゆるさない。何を犠牲にしているか。それでは幸せにはならない。幸せはある。自分も相手もみんなが善くなることを考える。そういう時代となった。神仏を大切にすることである。知らなかったね。昔より伝えられている。あらゆる制度の目的は何だったのか。自らの利益ではない。制度を利用して、私腹を肥やすとは何事であるか。此処より裁きが始まる。勝手が過ぎた。神仏が目覚めた。彼の人生及び青春は何だったのか。大鏡といっていた。それから逃れたいと思った。しかしそれが宿命だった。彼はそれを受容した。すると世界が違って見えてきた。彼にとって今、彼の人生は何であるか。古鏡となったのだろうか。彼の使命がある。それは果たしたという。それは何だったのか。本来の日本を復活する。それが伝統である。因襲ではない。勘違いしないことである。民主主義は正しい選択である。それで良い。しかし修正は常に必要である。この意味、わかるだろうか。誰もが可能性を秘めて生まれている。それは高度可能性をも実現できなければならない。テレビ界を見るが良い。あまりにも衆愚である。衆愚の世である。これを正す必要がある。そして未来を拓く。全体のボトムアップのためには牽引する人間が必要である時がある。明治維新がそうだった。家康も頼朝もそうだった。家康は時を待った。頼朝は伊豆に流されていた。本来大和の伝統がある。種がある。何時か芽吹く。今、その時である。この世とは何だったのか。君が代だった。君とは誰か。それが秘密だった。そして準備は調った。いよいよである。現代日本語と古語がある。漢音があって呉音がある。現代日本語の基礎は誰が作ったか。今に、漱石と鴎外である。小林秀雄は最後に本居宣長に至った。そしてやっと推敲することなく自由に書けるようになった。彼の晩年の姿の写真は何故か寂しい。何故だろうね。彼もいっている。己の分際を超えようとして超えることが出来ない自覚と悲しみだった。それは何だったのか。持って生まれたものだった。彼をして自由に思うがままに文章となったのはその頃だった。誰も自分が基準である。それは何を意味しているか。己を超える世界は見えない。そしてそれを否定する。しかしそれはある。それを認めざるを得なくなった。思い知る頃となった。しかし救いはある。ゆるしはある。それは己の分際を認めることである。そして己を超える世界があることを認めることである。それが謙虚さである。そして敬虔さもそれより起きる。思い上がったね。知らなかったね。そして勝手した。何時までもそれは通らない。行きはよいよい、帰りは怖い。物語は真実を伝えていた。歩み直そう。真実へ。救いはある。己の罪を認めることである。そして始まる。裏切っていたね。認めないか。認めることでやり直せる。この世は何だったのか。君が代だった。君とは誰だったのか。彼はいっていた。裏ジャックは表ジャックより強い。しかしそれを自覚すればするほどその力の行使はない。各々の問題である。誰もが幸せを求めている。本当の幸せとは何だったか。小林秀雄は戦中に何を書いていたか。巧妙に蓑に隠れた。そして上京した中也を裏切って泰子を奪った。理由はどうあれ、事実は事実である。それで晩年の姿があまりにも悲しい。魂の秩序がある。あの世はこの世で決まる。人生行路、愉快ではないか。戦艦大和は沈んではいない。精神は生きている。大和は一発も主砲を撃たなかった。子供の頃にバスの運転士から運転の極意を聞いた。それは五官を以て運転する。風が吹く。寒い朝である。通信手段は必要だね。本来大和、復活である。修復は完了した。戻ってきた。大丈夫となった。母港より出航である。恋は鯉。錦鯉。広島城は鯉城である。別れは何故あるか。分かれということである。分かれば解る。別れることはない。結ばれる。解決である。何を解るのか。それぞれの階梯がある。さようならとは何だったのか。左様である。右書きすれば、左様は余白である。即ち書けない理由である。それは何か。推察するしかない。それが国語である。或いは情である。事情である。即情緒。解ればいい。別れはない。悲しみはない。幸せとなる。結ばれる。解結である。何を解るのか。それが分からないね。それが哀れだった。それを憐憫するのが佛だった。方法はある。素直に耳を傾けないか。自然及び知性は真実真理を知っている。彼の本音がある。衆愚レベルで多数決であるか。それは何の集合であるか。自己利益の集合である。それがおかしいと思っている集合があるとする。むしろそちらに大義名分があるとする。どうなるか。シビリアンコントロールは堅持しなくてはならない。もっといっておこう。もう一度、戦争をしたいのか。クーデターは常にある。蜂の一刺しである。準備は調った。住むべき世界がないなら、自分で作るしかない。吉田健一氏が書いていた。それぞれの色がある。世界は自分だけの色ではない。赤橙黄緑青藍紫。見えない色もある。赤外線。紫外線。太陽の光は全ての色を含む。全ての色が十全にその色を発揮する。それが平等平和世界である。そして自由がある。護るべきものがある。一部の階層の利益独占があるとする。闇瞑となる。古来大和正統日本天照大神健在。今日も良い天気である。 何かのコマーシャルのように、これでいいのだというならそれまでである。しかし現代状況を微分してその傾向がこれで良いのかどうか。それを積分してどうなるか。本来日本の本懐は別になかったのか。ないのであるなら方法はない。しかしある。それは何だったのか。それに対する正当な評価がなかった。無理もない。その属性のない方々による評価であるから、評価基準がない。彼を本気にさせない方が良いという意味がわかっていないね。本来日本の秘密がある。それは何だったのか。それを探す旅があった。三十有余年を要した。代償は彼の人生と青春だった。彼をして何を探さしめたか。それは何だったのか。既に記した。彼が本気になれば刃向かえはしない。既に発見発掘実験検証確認済みである。彼こそ秘密だったという。そうした力学がある。殆どの人は知らない。知らずに勝手した。しかしその力の行使はないという。各々の問題であるという。さて、どのようにしてこの難局を切り開くか。面白くなったね。さて、彼は玉手箱を開いたのかな。何が出てくるか。誰もが開けるわけではない。それはとても怖い事である。しかし、何時か開かなければならない。それまでが青春だった。或いは幼虫だった。開いて彼は驚いた。自分とは何者だったのか。これほどまでとは思わなかったという。そしてそれで良いと思った。自由を得た。不安は吹っ飛んだ。


【一休は解らない】
2008年09月26日 10時47分52秒
彼は既に確かなものを感じている。それは確信に至ったのだろうか。絶対の自信というわけにはいかないが、必ず方途は見出す事が出来るといったところである。これまでにもそれはあった。しかし何処か自分を信じ切っていなかった。今も、絶対の自信とはいえない。それでいいと思えるようになった。それで十分だったと。何を求めていたのだろうね。時は無駄に流れたかに見える。そうでもないようだ。これからだよ。何をしても良い。何もしなくても良い。およそこの世の真実と出逢った。それで十分である。世間は知らない。知らない事を以て否定する。それはあまりにも哀れな姿である事を知らない。少なくとも、彼は方向を見出した。それが未来だと確信する。歩み出そう。未来へ。彼は導かれていた。失敗すれば、痛い目にもあった。当然である。それが法則である。しかし彼は彼だった。彼が取り組めば他の追随を許さないところがある。必ず凌駕する。それが前世創世潜在能力である。知らなかったね。そして勝手した。愚弄した。無視した。裏切った。そして世間は結果しか見えない。見えないものがある事を知らない。評価出来ない。むしろ愚弄する。黙って耐えている事を知らない。彼が感情的になるとどうなるか。これまでは自分を壊してきた。これからはそうはいかない。そっくりお返しとなる。どういう事だろうね。そうしたエネルギーがある。それがオーラともなる。彼は一休髑髏ご用心といっていた。それは経験的事実に基づく。どういうことか。黄泉の守護である。彼を直接或いは物理的に悲しませるとどうなるか。黄泉が動く。或いは死に神が来る。本当だろうか。彼は本当だといっていた。いわせておくしかないね。さて、何故彼はこれまで何もしなかったのだろう。結果が怖かったのだろうか。およそ世間は間違っている。この度は何を得たのだろう。黄泉だろうか。それが天下を取る事だといっていた。信長は京都を目指した。それが象徴だった。しかし達成出来なかった。何故だろうね。野蛮だった。真実真理とは何だったのか。神仏の実在だった。如来は如来でなければ解らない。だから法華経は解らない。あらゆる注釈書及び解説書が本当のところは解っていない。何故だろうね。その属性を持って生まれていない。一休は解らない。良寛は解っても。道元も解らない。そこまでいい切るか。今となってはね。一切種智慧だよ。それで良いのか。良い。時は熟した。彼の夢は何だったのだろう。真実真理との邂逅だったのだろうか。或いは天下取りだったのか。その為に解くべき謎があった。その謎を解くとこの世は何だったのか。いえば不遜と思われた。いってもいいのだろうか。まだわからない。いう必要はない。何故か。所詮秘密である。今も昔も。そしていう。真実を前にもはや勝手は通らない。知る者はあるか。あるならゆるせる。知らないというなら今少し解らせる必要があるのかも知れない。いずれにしても年貢の納め時となった。何を勘違いしたか。カンニング或いは暴力で世に出て閥を成し、勝手し来たる者たちを一掃する。かつて武士の世があった。それは土地を媒体とする農民支配であるとして批判されている。武士階級はむしろ貧しかった。しかし尊敬された。憧れもあった。何故か。少なくとも武士には精神修養があった。その点に対する評価はない。何故だろうね。その属性がないから解らないのである。それが学者レベルの罪となった。そして今、何の力が支配しているか。お金の力である。権力さえも支配している。そして世の中はどうなったのか。いうまでもない。本来日本の精神は那辺にあったのか。彼の発掘したところである。彼が何をいっているかわかってきただろうか。本来日本は不滅である。黄泉が守護する。ここに落ち着くべきである。結晶といっていい。こうした事をいうには力が必要だった。その力を探した。それが彼の旅だった。そしてその力は見つけているという。確認もしている。それは何か。それが秘密である。それにしてもなめたことをしてくれたものだと彼はいっていた。だけど彼はもう恨んではいない。むしろそれ故に気づいた。感謝している。彼は彼自身に気づき、彼自身を取りもどした。そして彼はいった。日本を救ったよ。勿論、いわれのない生まれによる差別は無価値である。問題は今の現実で良いのかどうか。この現実はどのような階層が作ったのか。この傾向がこのまま続くとどうなるか。民主主義は衆愚化するおそれがある。衆愚化したのではないか。このままで良いのか。何処か間違っていないか。これでいいのだというのならそれまでである。知った事ではない。あまりにもお金の支配がある。それでいいのかどうか。何時からそうなったのか。本来日本の本懐がそれであるか。お金で幸せが買えるか。本当の幸せはある。彼はそれを見つけた。彼も何時までも此処にはいない。やがて彼も旅立つ事だろう。幸せの方へ。或いは月に帰る。それは嘘のない平和な世界である。それが未来である。何時か誰もが至る。或いは気づく。自覚する。唯、彼はそれがある事をこうして見つけた。実録となった。それだけの事である。真実は自ら求めなければ得られない。お金は手段である。目的ではない。本当の目的は何だったのか。既に記した。皆の幸せを祈っている。幸せは各々の問題である。己の過去を解決して知るしかない。では、お元気で。


【未来への扉が開かれて】
2008年09月25日 05時47分35秒
昭和56年に最後の五羽が捕獲されて、日本固有のトキは日本の自然界から姿を消した。その後、中国から取り寄せて120羽まで育てた。そして今日、そのうちの十羽が自然界に放たれる。その為の訓練はした。それは自分でエサを獲ることだった。トキが日本の自然界に帰ってくるのは、27年ぶりの事である。秋篠宮ご夫妻をお迎えして式典が執り行われる。エサの取り方というと、それを教えてくれたのはアオサギだったというのは、五木寛之氏の本にあった。亦、横須賀に今日、原子力空母ジョージ・ワシントンが入港する。アメリカが自国以外に空母の母港とするのは、横須賀だけである。もはやキティ・ホークではない。次に配備されるのは、リンカーンとされたが、その後、ジョージ・ワシントンとなった。市民の反対運動もあるらしい。何時の世もそうであるのかも知れない。東大安田講堂及び浅間山荘事件もそうだった。惑わされない事である。今日はとても象徴的な日であるらしい。彼は昨夜、或る所で御役を志願したという。既に八年、いよいよ彼の心は決まったのだろうか。彼が本気になれば何かが動く。この度は本気なのだろうか。チャンスは常にある。それをチャンスとするかどうかは本人の準備状態で決まる。ニュートンのリンゴである。彼は1956年生まれであり、二浪して大学に入り、昭和56年に大学を卒業して、一度は就職もあった。しかし埋没を余儀なくされた。その頃、日本は動き出そうとしていた。彼にはトキではなかったか。彼の苦節三十有余年がある。その間、彼は数々の試練を経た。長い冬を耐えた。何故であったか。或る力を確認するためだった。それは何だったのか。本来大和の秘密の力だった。誰も知らない。それで良いという。彼は自覚した。黄泉も待っていた。日本は復活した。触らぬ神に祟りなし。地震雷火事親父。随分と愚弄したね。本来日本は眠っていただけである。本来日本とはどのような國だったのか。それを確かめる必要があった。武士道は死ぬ事と見つけたり。誰のために死ぬのか。自分のためではない。世のため人のためである。おかしな欺罔風潮を正すべき頃である。公務員からだね。さて、一仏成仏悉皆成仏。一人が悟れば六代が救われる。この度フランスで小澤征爾氏が或る正会員に選ばれた。日本では丹下健三氏も選ばれている。何故建築家だったのだろうね。本来日本の秘密がある。どうでも良いか。『海辺のカフカ』というのもあった。日本文壇が総懺悔した頃だった。それらは何を意味していたか。彼は感じていた。しかし確信はなかった。今はどうであるか。『僕にまかせてください』というクラフトの歌がある。グレープの歌だった。バーナンキ議長がアメリカの経済動向が大幅に減速するという見通しを示した。さて、このメッセージを正確に受け止める事が出来るだろうか。バトンタッチであるか。日本の使命がある。それは何か。知る者はあるか。世界は既に悲鳴を上げている。自然が警告を発している。人類の英知の腕の見せ所となった。既に世界は一つである。世界の中の日本である。明治以降、日本は条約改正をはじめとして、世界への合流が夢だった。夢は成就する。その時が来たのだろうか。智慧を結集して、世界を未来へ一歩進めるべき時である。今、そういう時である。浮かれている時ではない。さて、事実認定があれば、責任はある。理由はどうにでもなる。卑怯怯懦言い逃れ商人根性に用はない。彼は見捨てられた。事実である。そして日本はどうなったか。思い知る頃となった。そして彼は自ら自分を探し、救わねばならなかった。それも事実である。さて、どうするのだろうね。まだ、勝負するのだろうか。それにしては、彼は辛い現実である。彼を本気にさせない方が良い。今更である。もう彼にその気はない。この世は自己確認だったか。何れにしても彼は使命を果たした。その自覚は何だったのか。そして見つけたもの及び確認証明したものは何だったのか。既に記した。とんでもないものを発掘してしまった。そしてそれは日本人として誰もが待ちこがれていたものだった。世界も驚いている。そして世界は動き始める。新しい時代である。こうして時代は推移する。もう咲かないのかと思われた。その花が咲いた。悉く真実の花である。刃向かえはしない。誰も探そうともしなかった。そして勝手した。裏切った。愚弄無視した。試練もあった。それも乗り越えた。本当の戦後が終わった。良い時代となる。これが歴史というものである。『歴史を見る眼』という本がある。『正統と異端』という本がある。彼の小学校には校歌とは別に体育歌だったろうかそれがあった。「歴史に輝く校庭に、平和の光を…」。彼の高校には讃歌があった。「あぁ、青春の杯に、常磐の松の影映し、過ぎし幾多の春秋が、遺せるかものはし高き、○○○が丘に蝶も舞う」。彼の人生は何だったのか。彼の青春は何だったのか。すこぶる難問となった。彼が野呂山で或る事を確認したのは49歳の時だった。さて、どうするのだろうね。彼の中学校の校歌はちょっとした逸品である。もはや認めざるを得ない。何を認めざるを得ないのか。各々の問題である。彼の旅は終わった。何を求めていたのか。何を見たのか。何を聞いたのか。何を発見したのだろうね。未来への扉が開かれたのかも知れない。周囲巷は知らない。彼から笑みがこぼれた。風が吹いて、日の光は輝きを増した。そしていった。みんな、何をしているの。浦島太郎が玉手箱を開けた。


【本来の秩序の回復】
2008年09月24日 02時51分14秒
ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見した。それまでも常にリンゴは落ちていた。しかしニュートンが気づくまで誰も気づかなかった。何故だろうね。それが問題意識があるかないかだった。ニュートンは何時も考えていた。時が熟した。その時、リンゴが落ちた。そして気づいた。そして彼はいった。自分が何か秀でているとしたら、それは巨人の肩に乗ってモノを見ることを知っていたことだろう。既に歴代の人類の英知がある。勉学するべきところだね。巨人とはそれだった。マーラーもいっていた。何時か私の時代が来る。その交響曲第一番は『巨人』であり、第二番は『復活』だった。そしてマーラーには第九番の呪縛があった。ベートーベンが第九番で終わっていたからだった。それで『大地の歌』がある。確かに第十番は完成しなかった。学問の世界でもそうである。過去からの理論に何か一つでも自分のオリジナルを付け加えることが出来たなら、それが学者の本望とするところである。クラシック音楽を聴いていると、例えばベートーベン第一番及び第二番はまるでモーツアルトである。モーツアルトにはハイドンセットがある。ブルックナーの第三番はワーグナーの響きが聞こえてくる。そうしたものだ。代々の歴史がある。それを秩序といっていい。それを壊して自由などと思うのはとても勘違いしている。再構成などというと学問の世界では破門である。本来大和の秩序がある。それを壊したのはペリー来航以降だった。そして日本はどうなったのか。本来大和は神国である。シャーマンの國である。神風も吹く。何時か忘れてしまった。それで無意味な戦争もあった。神風は吹かなかった。大反省を余儀なくされている。だからといって時代錯誤するのではない。既に世界の中の日本である。本来日本はやさしさへ向かって咲く花のようだったと書いたのは辻邦生氏だった。そろそろ思い出す頃である。テレビ界は思い違いしている。まだ解らないのだろうか。衆愚に迎合してどうするのだろう。あまりにも下品ではないか。テレビは公器である。例えば東大医学部の先生とか弁護士がテレビでタレント化している。ホリエモンもタレント化しようとした瞬間、逮捕された。お笑いで世界が救えると思っているのか。人間の本質がお笑いであるか。『ちょっとピンぼけ』というのがあった。キャパは妻を愛し貫いた。ジャーナリズムの本懐がそこにある。何か勘違いしていないか。お笑いに興じているその姿があまりにも悲しい。人生は愛とペーソスであるのは歴代の真実である。キリストをも磔にした。カラカラ浴場では滅ぶ。何を追いかけているのか。西洋思想は19世紀に没落していた。本来日本に救いがある。それは何だったのか。身心清浄及び正直を以て旨とする大和魂である。西洋も待っている。自信は回復した。出発である。未来を目指す。西洋にもアメリカにも良識はある。本来日本にも。愚かさと野蛮からの脱却。


【安楽への道】
2008年09月23日 03時44分59秒
疲れているようだ。一人で戦うには荷が重すぎたか。戦いは終わった。何と戦っていたのだろうね。失ったものは大きい。得たものも大きい。もう良いんだと思う。雨よ、降りたければ降れ。何もかも出来はしない。本当に自分がやりたい事をやればいい。それが見つかったというのであれば。それが真実だというのであれば。怖れるものなど本来無一物。安らかになろう。なれる。もうこれで良いのだと思う。うとうとしていたらしい。申し訳ない。現実を疎かにしていたのかも知れない。ゆっくりと休養する事にしよう。それからだ。これからいよいよ、真剣勝負となるのだろう。やっと本気になれる時節を迎えた。気づけば一人ではなかった。真実を前に。それはもはや戦いではない。戦いは終わった。勝利。安楽への道である。何があっても大丈夫である。それが主体性の確立だった。取りもどすべきは代々本来の自分である。それは何だったのか。見つけたのか。見つけたのであればそれより始まる。Heaven helps those who help themselves. 真実は他力本願ではない。失敗もある。それより学ぶ。自分を信じよ。孤独な月の砂漠の旅も何時か終わる。そして待っている人がいる。きっと。帰るべきは何処か。現実である。日常である。生きている。彼は解決したという。何を解決したのだろう。過去だろうか。最後の戦いは熾烈だった。実録となった。やはり彼は彼だった。天は喜んでいる。仏も喜んでいる事だろう。自然が証明している。この度は黄泉を制したという。そして愛とは何だったのか。それを探していたのかも知れない。それを見つけたのだろうか。或いは確かめたのか。その在処を。アガペともいう。慈悲ともいう。明確に結晶する。曖昧模糊とした愛は愛ではない。明確な愛。人は皆それを求めている。野蛮な愛は愛ではない。愚かな愛も愛ではない。彼は日々、随分と戦った。今日は一日ゆっくりするという。それは穏やかな海を渡るかのように。祖先の供養でもしようか。祖先は代々、常にいる。今日はお彼岸の中日である。粗末にしてはならないものがある。祖先がそうである。真面目も努力もそうである。黄泉に逝けば解る。前世はある。さて、人生至る所に青山有り。恒星は恒星であり、惑星ではない。太陽系に太陽は二つ要らない。己の人生もそうである。何時か主体性を確立すれば、自立する頃である。何を以て自立するか。各々の問題である。仏法も筏に過ぎない。渡るための手段であって、目的ではない。目的は何か。自分のやりたい事は何か。こうして書く事であるか。それならそれで良い。信じた道を進めばいい。やがて至る。そこが青山である。即ち、武士道は死ぬ事と見つけたり。属性のない者にその真意は解らない。むしろ愚弄する。そしてどうなったのか。反省を余儀なくされている。身心清浄及び正直本来日本を取り戻す頃だろうか。彼は仕事はしたという。生まれた使命は果たした。彼でなければ出来ない仕事があった。それにしては逼迫したね。これが第八図『空無』かも知れないね。次に第九図では自然が芽生え、還ってくる。キリストも磔の後、復活した。達磨も面壁九年の後、天竺へ帰ったのだろう。第十図は何か。幸せ日常、現実回帰。安楽への道。見つけたのかな。その道を。一切の憂いも不安もない道がある。焦った事はない。彼は疲れている。三十有余年の戦いの故だろうか。どれだけの試練をくぐったか。そして何を得たのだったのか。佛を得たのだった。世間は馬鹿な笑いが幸せなどと浮かれている。山田無文老師はいっている。一を聞いて十を知るようでなければ禅を授けても仕方ない。さらに仰る。聖諦第一義はわかっても廓然無聖はわからない。彼の得た結論は何だったのか。天照らすが廓然無聖だった。どういうことか。開発された己の魂と宇宙自然生命黄泉は連動している。或いは一体である。その時、日月照らし、風が吹く。その言葉はロゴスとなって現実化する。それを証明したという。これ以上求めるべきものはない。真実は神仏だった。それはあたかも宝石のような結晶だった。ラジオによると、この世で成功するかどうかは、条件が三つあるという。一つは持って生まれた才能或いは能力であり、誰もが必ず何かそれをもって生まれている。次にその才能を育む努力と真面目である。そしてその才能を生かすチャンスである。才能とチャンスは神が与えてくれる。努力と真面目は自分である。時が来てこれらが反応する。しかし世の中はこうした本来の生き方を阻害するものがある。それが暴力と欺罔だった。むしろそれで閥を成した方々が成功しているかのようである。何時までもそれは通らない。恐竜は滅びる。やさしい時代が来る。彼の得た結論である。それが生命進化の目的だった。本来日本はそれを求めていた。しかし何時か野蛮な時代となった。愚かな時代となった。それは敗戦の故でもあった。全共闘と団塊の世代の思想がそれに拍車をかけた。諸価値が破壊されて、世の中は秩序を失った。そして何が蔓延ったのか。それも仕方ないことだった。それほどの犠牲者でもあった。その意味ですこぶる歴史的なものである。誰が悪いのでもない。知性は埋没しなければならなかった。その芽を出すためには準備が必要だった。それは秘密を解く作業だった。もうこれで良いね。十分だね。そろそろ気づく頃となった。本来日本に帰ろう。そして明るい未来を建設しようではないか。或る国立大学にノンセクトの学生自治組織法学部ゼミナール連絡会議を全会一致で作ったのは彼だった。半年かかった。今も彼の構想通りに機能していると聞く。さて教えとは何だったのか。過去も未来も現在も本当に救われる真実の教えも出ている。それで良い。しかしそれは概念としての言葉ではない。真実を生きるその姿である。先ずやって見せである。率先垂範である。それが教育の本来の姿である。それがどうであるか。日々、テレビは何を子供達に見せているのか。この辺りから見直さないか。先ず取り戻すべきは子供達の教育である。自分の子供さえよければいいという世の母親の考えを正さねばなるまい。それも生きるためには仕方ないとするのが女性の生命そのものとしての傾向である。故に女は業が深い。現実的である。嘘が多い。それで良いのである。それを認めて考えるべき事がある。わかるだろうか。女性蔑視ではない。男尊女卑ではない。全体の趣旨から勘案していただきたい。女性は認めざるを得ないだろう。知らないのは男性である。女性は男性に何を求めているか。お笑いではない。愚かさでもない。賢さである。本当の強さである。今それがない。このままではいけない。女性は女性として幸せであり、男性は男性として幸せである。テレビ界は何を面白がっているのか。人間の尊厳を冒涜していないか。あなた方の色にこれ以上日本を染めさせるわけにはいかない。堕落腐敗が人生ではない。さて、そろそろ口をつぐむ頃となった。自分を取り戻す作業だった。その目的は達した。その間、あまりにも現実を無視していた。それで母を始めとして諸方面に迷惑をかけた。これを以て甘えといわれても仕方ない。このようなことは青春の間に解決しておくべきだった。誰もがそうしていたことだろう。しかし持って生まれたものがあまりにも複雑だった。もうこれで良い。やっと現実に帰れる。自信が回復した。戯言の羅列だったのかも知れない。結構面白かった。有難う。さて、僕の前に道はない。僕の後に道は出来る。こうして道が出来る。道路公団の作る道が道ではない。安楽への道。ところで彼は坂本龍馬をも評価していない。龍馬の経済的基礎は密輸だったのではないか。それで勝てば官軍とはいわせない。本来大和に負け戦はない。勝負は構えた時に決まっている。準備としての稽古は十分であるか。

秋桜の 幸せ運ぶ 朝の風


【日本の知性の復活】
2008年09月22日 02時03分36秒
彼は救われたのかも知れない。或いは救ったのかも知れない。胡蝶の夢であるか。そうしたことももはやどうでも良い。そう思われてくる。驚きというものがあるならば、それを見る事が出来るなら、何時死んでも良いといったテーマは、『武蔵野夫人』だったろうか。驚きとは何だったのか。宇宙自然生命黄泉と己の魂が一体であるとしたらどうするか。己の言辞が世界に影響しているとしたらどうするか。それは驚きであろう。そして子どもの頃からそれを感じていたとしたらどうするか。それは恐怖である。それから逃れたいと思って当然である。それを認め、むしろ楽しむに至るには何が必要であったか。さて、人は如何に生きるべきか。それを小説にする事を夢見ていたのは司馬遼太郎氏だったろうか。かつて世界文学には教養小説もあった。『魔の山』などがそれだった。モームの『人間の絆』には驚いた。文庫本だったが、その一ページのテーマが日本の小説に於いては一冊の本になっていると思われた。当時『燃える秋』を読んでいてそう思った。内容の割には売文だと思った。小説は今、娯楽となった。或る本好きな若者と語っていて驚いた。その若者は小説を読む時、意味内容には無頓着であるという。その言葉の海に漂っているらしい。それはまるで時間的現実逃避だった。意味のない小説など読む気もしなかった。文体が呼吸と合わなければ読めなかった。井上陽水は自らいっていた。自分の歌の歌詞には意味の脈絡はない。イメージを断片的に並べるだけだ。それで歌になるといっていた。陽水は魅力的である。しかしその無意味さは何を意味しているのだろうね。彼は最近、或る事に気づいた。彼は高校生の頃、いわゆる学校の勉強は放棄した。その後、精神の嵐もあった。それで国立大学に合格するとは、主治医も驚いていた。彼の基礎学力は既に中学の時に完成していた。他の追随を許すものではなかった。それはそれとして、気づいた事とは何だったのか。彼が学業を放棄した理由だった。当時、彼の高校では全共闘の余波が来ていた。部落研の活動が激しかった。或る先生が吊し上げられて、全校集会が二度あった。その様な雰囲気の中で、学業に専念する者はエゴだと思えた。それで彼は読書と手紙に専念した。今自由に書けるのだとしたら、その頃に基礎は出来ていたのだろうか。そして今、思う。何を思うのだろうね。彼の思う事はある意味で重要である。結構それで世界が動く。書いたりすれば、明らかに、世界に反映するかに思える。彼にはそれも疎ましかった。どうでも良いといった方が好かった。むしろそうした事が煩わしかった。何時もそうした事から逃れたいと思っていた。今となっては楽しむ余裕も出来た。間違う事もある。それで良いと思えるようになった。そうした彼の感性だった。だが彼は埋没した。今もそうである。故に自由を得た。老子の曲がりくねった役立たずの老木であるか。或いはトネリコの木であるか。どうでも良いけれど。さて今、お笑いにしても、ちょいワル親父にしても、或いは暴力、欺罔、それらが本来の秩序を破壊していると思われた。著名な歌手が、公の電波で平気で国境はないという。それが自由主義ではない。民主国家でもない。言論の自由というが、自由及び民主主義の秩序を破壊する方向での自由が果たしてあるのだろうか。それも公の電波で。彼には疑問だった。それで秩序が壊された。無価値なテレビ界が衆生を惑わしている。諸価値を破壊した。子供の教育を壊した。そうした事実に気づいてもいない。それも無理はないと思われた。戦後の故だった。それは敗戦の反動だったのだ。つまり全共闘或いは団塊の世代の思想だった。無理もない。それほどの犠牲者だった。何もかも否定した。諸価値までも。それはそれで良い。だけど、本来の日本の価値はある。知らない事を以て否定出来ない。しかし否定した。それがテレビ界及びお笑い芸能界だった。そうした事も明らかとなった。明らかとなったからにはどうするか。日本を立て直す頃となった。行政の中にも真摯な方々はいるだろう。一部は腐敗している。十把一絡げに批判は出来ない。眠れる知性に期待する。本来日本を知っている方々だ。彼らに期待しよう。戦後の体制が限界に達したのではないか。六十年も経てば、権力は腐敗する。本来日本を見つめ直し、新たな秩序を作る頃となった。その時、日本の知性の復活がある。学校教育を否定する思想は全共闘或いは団塊の世代である。見直さないか。本来の価値を。何もかも否定したね。或いは壊した。結構良いものがあるよ。本来日本に。ところで、公務員に告げる。もはやあなた方も真剣勝負となった。何時までも身分に安住出来ない。勉学研究するべし。少し酔ってきたようだ。近くのコンビニで白牡丹を二つ買って飲んでいる。360円。何故白牡丹であるか。思い出す人がいる。名前はみゆき。どうでも良いね。彼が涙するとどうなるか。彼はいう。嵐もある。雷鳴もある。本当だろうか。勝敗は決した。さて、森有正氏の著作に『木々は光を浴びて』というのがある。光を感じていたのだろう。今日はとても天気が良い。秋というよりも春の空である。光は輝いている。ところで天照大神という方がいた。今もいるのかも知れない。何を以て天照大神だったのだろうね。廓然無聖だったのだろうね。それは有る。神は高きを低くし、低きを高くするために来ると聖書の何処かに書いてあった。どういうことだろうね。人間である限り罪を犯す。お金持ちであるということは、それだけで罪が重いのかも知れないね。下手な算数及び欺罔を智慧としていないか。どのようにしてお金を儲けたのだろうね。全体のボトムアップが出来るほど時代は進化している。日銀は今日も一兆円規模のお金を市場に注入した。外資系企業に対する貸し渋り対策であるらしい。中国政府は日本重視の姿勢を確認した。両国の外貨準備で世界の金融を見守る。何れにしてもこの度の事件を恐慌にしてはいけない。日銀の対処を前に銀行は自らの無力を認識するべきだろうか。国家は大切だよ。国境がないなんていえない。国家なくして自由はない。主権国家として戦争だってあり得る。それを対外的に憲法で放棄していることを宣言している。さて知る人は知っている。見える人は見える。知らない人は知らない。見えない人は見えない。知らないし、見えないのに、否定する。何故だろうね。自分が基準だからだね。自分にとっては常識であっても、他の人にとっては非常識だってことはある。井の中の蛙とか、お山の大将というのはそれだったのか。正しいと思って間違った事をする。人間は間違う。間違った結果となる。当然である。自分がその原因を作っているのに、責任をとろうとしない。むしろ人を責める。転嫁する。真実の教えはある。何処にあるのだろうね。今まではなかった。それで罪を重ねるだけだった。仏はそれを哀れに思われた。これまでは助かる方法が解らなかった。誰も知らなかった。それでそのようなものはないと断言する。どんどん悪くなるばかりである。それでも頑なに耳を貸そうとしない。しかし何処かに必ず待っている人がいる。真実を前に素直な人を探すしかない。ソクラテスはいった。私は知らない事を知っている。無知の知だった。


【やさしいレイン】
2008年09月21日 10時25分01秒
ハートに火を点けてということがある。宮島には弘法大師の御堂があって、過去からロウソクの火が絶えることなく点いている。それが伝えるという事だった。何を伝えているのだろうね。しばらく忘れていたね。本来日本。西洋化しようとしたのは何時の頃だったのだろう。ペリー来航に伴う明治からだね。西洋は日本を知らない。伝えるべき事があるよね。日本の方が古い。何時までも絶えることなく……という歌もある。火つけ上手の貴方でも……という歌もある。さて、天は自ら助くる者を助く。自分は自分で救わないと救われない。だけど救うのは自分ではなくて。例えば、仏さんが前世で教えのために羅刹に身を投げた時、救ったのは帝釈天だった。羅刹が帝釈天だった。何もかも失う必要があるのかも知れない。それが無となる事だったのか。そして自然が還って来る。美しい風景が待っていて、自然の中で生かされている事を知る。その時、本当の幸せだった。それはラブゲームに等しくて。絶対無を通ってのやさしさがある。それに気づけと、雷も鳴る。場合によっては墜ちる。内面に激しいものがあるよね。無理もない。私たちはマグマだったのかも知れない。やがて穏やかさを求めている。それが涅槃だったのか。死んで至る。それは西方浄土の教えだね。この世ではこの苦しみを耐えるしかない。しかしね、即身成仏もある。それを求めて代々修行もあった。さて、21世紀。時代は進化したよ。そのままでやさしさに結晶も出来る時代となった。誰でも。探してみないか。穏やかでいい。全ては自己一身の問題だった。自分が変わる事で世界が変わる。本当だよ。やさしくなれる。これからの彼の目標が定まった。何だろうね。やさしさとおだやかさへの結晶。彼もまだまだ激しいものがある。失敗もあるよ。経済的には未だに困っている。それも意味があった。彼が代々どの階層に属していたか。彼も知るところとなったらしい。そして彼は自覚した。時代を開く。そのための勉学もあった。天も喜んでいる。彼が彼だった。それで良いのだと思った。そして激しい雷雨があって、彼は雷雨と約束したらしい。何を約束したのだろうね。想像出来るかな。雨はやさしい九月の雨となった。


【台風一過】
2008年09月20日 07時37分35秒
みなさま、おはようございます。今朝も素晴らしい朝を迎えました。台風一過というべきでしょうか。この度の台風もとても象徴的でした。気づく人はあるでしょうか。久方ぶりの秋の空です。さて、呪縛はそれぞれ解かねばならない。どのようにして解くのか。方法はある。算数或いは数学と同じだよ。漸化式は二次方程式で解く事が出来る。易学も微分する事が出来る。その研究もある。究極の救いは知性の開発だった。それはやがて神仏を知るだろう。それが真実真理だった。知らなかったね。思いあがったね。それでどうにもならなくなった。真実に気づけば、およそ悪は為せない。テレビ界の最も見失っているところだった。あなたがたがスタンダードではない。日本国民は辟易している。これから罪(都美)滅ぼしだね。それぞれ何時か目覚める。それが大人となる事だった。腐敗堕落がそれではありませんでした。真面目で良い。それだけで、十分です。過去は過去で解決するべきものがあります。そして晴れて潔白自由となるのです。美しい一日となりました。全て健やかでありますように。証明は終わった。何の証明だろうね。本来日本復興!『ビーナス誕生』という絵画があった。何を意味していたのだろうね。彼こそ彼だった。彼こそ秘密だった。とても信じられない。しかし真実である。誰も知らなかった。でもそうだった。生きる事のモデルとして、タケシとかアラーキーを彼は認めていない。彼らを持ち上げて業界は何を勝手したか。本来日本の恥である。これより思い知るだろう。此処迄である。さて、アール・ナイチンゲールはいった。人は成りたい自分に成る。ところで彼は大鏡とかいっていた。どういう事だろうね。裸のつきあいという事がある。それだった。裸になれないよね。心を裸に出来るかな。しかし心の奥底まで全て見られているとしたらどうだろう。彼の場合はそれがあたかも大鏡であるかのようであったとしたら。この詳細については割愛するけれど、それほどまでに導かれていたのだったろうか。実はそれは守護だった。しかし彼はそれに気づけず、むしろそれから逃れたいと思っていた。逃れる事など出来なかった。何故その様な事があったのか。今となって思えば、彼は何時か謎を解かねばならなかった。それまで導かれなければならなかった。育まなければならなかった。彼ならそれに堪えるだろう。随分と酷な話ではあるね。そしてそれで良いと思うようになったのは随分と後になっての事だった。その時全てが解決し、謎は解かれたのではあったけれど。馬鹿馬鹿しいね。大鏡に映った彼の姿は何だったのか。それ故に優等生であろうとしたのか。それを壊そうとした。壊せばどうなるか。奈落の底に墜ちる。それも示さねばならなかったか。そして彼がありのままで良いと思うに至るにはさらに時を要したのだった。これが秘密の一端だった。彼が今、彼は彼で良いとする所以である。そのままで良いのである。或いは好かった。それが解らなかった。この世では間に合わないかと思われた。そして時は来た。それほどまでに時代は切迫した。あまりにも腐敗した。故に彼は自覚を促されたか。碎啄同機だったのか。時代はこうして推移する。それが歴史だった。既に知る人は知っている。これほどまでとは思わなかったかも知れないね。21世紀の約束は果たしたんだって。天の岩戸でも開いたのかな。やはり勉学が大切だよ。勉学しないで成功したとしてもあまりそれを吹聴しない方がいい。秩序を壊す事に荷担する事はとても怖ろしい事だよ。この世では成功に見えても、あの世でどうなるか。どうでも良いけれど。例えば漫画が芸術とはとても思えない。文化を壊している部分もある。あなた方の色に染めるわけにはいかないと彼はいっていた。彼は何をいいたいのだろう。漫画の次に来るものがあるのかも知れない。何を問題にしているのだろうね。彼はいっていた。漫画を凝視出来ない。何故だろう。デッサンがでたらめだ。赤川次郎の文体が読めないように。さて何が自信と誇りだろうね。どちらが滅ぶのだろうね。ローマは何故滅んだのだろうね。どうして平家は没落したのか。秀吉もである。今しばらく戦う必要があるのかも知れない。知ったような事をいっているけれど、漫画はお金になったかも知れないけれど、外貨も稼ぐかも知れないけれど、経験的に天を動かした事があっていっているのかな。疑問だね。出版社のパーティでは漫画家が主賓で文学者は末席である。何かがおかしいよね。さて、これからどうなるのだろうね。面白くなりそうだね。何れにしても変革するべき時が来ている。新たに知るべき事がある。いずれ解る。その時には遅い人もいる。何れにしても真実はある。知らない事を以て否定出来ない。どうでもいいか。火宅。いずれにしても、負け犬の遠吠えだ。面壁九年。何がいいたいのか。勉学を否定するのはよくない。仮にそれで成功したとしても。そしてそれは団塊の世代或いは全共闘の理論だった。その理論で迷惑を被った知性もある。故に苦労したよ。故にいう。あなた方の理論が絶対ではない。勉学を必要とする知性もある。いいたいのはこれである。世の中が腐敗している。それを尻目に成功して喜んでいられるだろうか。考え直す事がある。それは何か。傾向。


【思い出す頃】
2008年09月19日 08時44分01秒
いかがお過ごしですか。日々楽しい瞬間がありますか。この世界が喜びだったと思えるでしょうか。そうした世界があることを信じることが出来ますか。すべては心のあり方でした。同じ事象が違って見えてきます。過去から伝えられいたことがあります。それは本当でした。自分に素直になることで見えてきます。喜びも悲しみもすべて自分次第だったのです。衣食にあくせくしていませんか。小鳥に食は与えられていると聖書にあります。信じてみませんか。先ずそこから始めませんか。何時か失ったものがあります。それは信じる心でした。行政も何もかも欺罔の世の中となっています。それが当然であるかのようなテレビ界があります。愚かな笑いが蔓延っていますね。それが本来の人間の姿だったのでしょうか。いつの間にかどうにもならなくなっています。カンニングが当然であるかのような世の中です。馬鹿になることが幸せだなんて思っています。それを吹聴したのがテレビ界でした。ある有名野球選手が如何にも誇らしげにインタビューでカンニングを正当化していました。それが智慧ですか。やがてどうなるのでしょうね。幸せにはなれない。お金はあっても。考えるべき頃です。何を考えますか。幸せですか。要領の良さですか。帰りませんか。本来日本へ。それはどのような国だったのでしょうか。だれか神国日本をまともに語れますか。知らなかったですね。無理もない。それが戦後でした。しかし思い出す頃です。それは確認証明されました。感じてはいますね。思い出す頃です。ところで彼は何者だったのでしょうね。広島藩最後の切り札でした。時代に乗り遅れたかのようでした。そうでもなかったのです。今となっては最先端かも知れません。時の流れは螺旋のように渦巻く二本のDNA構造モデルに等しいのかも知れません。本来日本、愚弄無視出来ないものがあります。粗末に出来ないものがあります。裏切っていました。本来武士道敵討ち。時は来ました。何を根絶やしにしようとしたのでしょうね。そうはいかない。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。千代の富士はある日突然ウルフとなった。イチローもである。しかしそもそもその種を属性として持っていた。それが開花した。本来日本の種がある。悉く証明された。日本は自信を取りもどす。日本は日本で良かった。雑草ではなかった。ある日父はいった。日本刀を此処に持ってこい。そのようなものはなかった。今となっては持ってこれるね。目に見えない日本刀を。失われた正宗の鍔と螺鈿の鞘を以て。天下を取るとはどういう事だったのか。義経は何故討伐されたのか。頼朝が征夷大将軍だった。何を以て征夷大将軍とするか。大義名分である。それは何だったのか。黄泉の受容祝福守護だった。その時、神風も吹く。天下を取るとは精神修養を通って黄泉を制する事だった。現代日本の失っている真実である。本来日本の本懐、思い出す頃となった。何を浮かれているのか。何を思いあがったか。そして日本はどうなったのか。商人根性の知るところではないとする所以である。取りもどすべきものがある。さて、東洋の本質は精神的文化であり、西洋の本質は物質的文化であるといわれる。或いは農耕文化と狩猟文化との対比もある。西洋化する事が文明開化と思われた。その限界が見えてきたのではないか。それもカルバンに発する重商主義であり、絶対の選択肢ではない。ルソーも自然に帰れといった。自然を征服するというのが、西洋の考えである。日本は自然と共に生きて幸せである事を知っている。未来に於ける可能性は何処にあるのか。本来日本を見つめ直そうではないか。既にそれはある。愚かでは解決出来ないものがある。テレビ界よ、目覚めよ。日本は素晴らしい國である。取りもどそうではないか。本来日本を。そして未来は明るい。本当の幸せはお金ではない。いくらお金があっても不安がある。不安のない生活が出来ればどんなに幸せだろうね。必要なものが必要な時に必要なだけ有ればいい。経済行為の名で何を貪っているのだろうね。何処かでバランスが崩れる。嘘と暴力が地獄への片道切符だよ。何時か滅びる。自然の掟があるのだよ。究極の幸せは生かされて生きる事だった。それはどういう事だったのだろうね。既に日本は知っている。明るい未来が見えてきた。ところで、仏法に於いて三毒とは、貪・瞋・痴だった。それは貪る事、怒る事、知らない事。貪るのは唯自己利益追求市場至上主義だった。利益のためには手段を選ばず、他人の痛みも平気であり、諸価値を破壊して顧みなかった。怒るとは頑なであり、それがストレスの原因ともなり、自己免疫低下の原因でもあった。およそ愛と平和からの乖離だった。知らないとは何を知らないのだろうね。それは真実真理を知らない。神仏を知らない。知らない事を以てそれを否定する。そして勝手する。これらの三毒が一体となって不幸へ赴く。これらの何処からでもいい。反省する頃となったね。そして素直さを取りもどそう。それで正直に生きる事が出来る。その時、黄泉が微笑むよ。本当の幸せを知るだろう。さて彼が探していたものは何だったのだろうね。それは草薙の剣であり、八咫鏡だった。それは見つかったのかな。しかし八尺瓊勾玉が見つからなかったみたいだね。それで今も苦労している。さて、道元禅師によると、身心脱落、脱落身心という。その意味も明らかとなるのだろうか。それが頑固さからの解放であり、真実の前の素直さだった。或いは誠実である。そして信を以て入ることを得たり。大事畢了かも知れないね。公案はひとつ通れば全て通るという。苧坂光龍老師は在家禅となった。白隠禅師は隻手の音を聞けば良いという。これらの禅は今、日本にしかない。それも至道無難禅師から正受老人、そして白隠禅師という一本の命脈を通っての事だった。これが真実の真実である所以である。それは生きている。知らなかったね。探そうともしなかったでしょ。本来日本、伝えるべき事があるね。彼に穏やかな笑顔が戻ってきた。何があっても不安はない。日本は大丈夫を取りもどしたね。まだ汚れていない方々は幸いだね。思い出す頃となった。謎は解かれた。仏さんの故だった。かつて日本はシャーマンの國だった。農耕民族として雨は恵みである。それで法華経も新しき蕾を雨らすと表現している。西洋に於いては、レイン、レイン、レイン。敢えてスペルは表記しない。彼が涙するとどうなるか。彼の悲しみは天に届くのだろうか。彼を本気にさせない方がいいという。その気ももはやないらしい。萩尾もとのコミックに『ポーの一族』或いは『11人いる』があった。あの頃の漫画は好かったね。物語があったね。彼の周囲は、彼に出来る事は自分も出来ると思うらしい。前世がある。来世がある。持って生まれたものがある。歩んだ人生がある。受けた教育がある。勘違いの所以である。しかし彼には資格がない。故に支払いがない。それで良いと思えるようになったという。彼ほどの仕事をした者はいない。およそ世の評価の外だった。しかし黄泉は知っている。天が知っている。やっと彼もそれに気づいた。そして全てをゆるせる。それから、彼は思い知るのだった。見える世界と見えない世界で実相である。客観的にあまりにも悲しい彼の現実がある。それは認めざるを得ない。確かに見えない世界は見た。彼の秘密も理解した。しかしあまりにも悲しい現実である。それも身から出た錆であるか。それならそれで良い。今更である。この世は何だったのか。恨むべきは自分であるか。十九の春は何だったのか。能力はあった。しかし生かせなかった。一切お金にならなかった。一番勘違いしていたのは彼だったか。世間をゆるしはしない。さて、思い出す頃となった。就職活動は大阪でした。広島ですれば楽勝であった。そして就職はしたものの十九の春の余波があった。その後、筑間先生と出会った。広島高裁長官及び広島高検検事長の講演も聴く事が出来た。しかし何時までも気づけない彼がいた。法学部ゼミナール連絡会議を作ったのは彼だった。思えば当時広島大学の教授陣は素晴らしかった。卒業後、そのキャンパスは日本一となった。何故だったのか。主治医に見殺しにされた観もある。それで今に、この不幸な現実も試練であるか。それならそれで良い。長いモラトリアムは終わった。誰も知らなかったね。彼は生きている。己の能力と現実とのギャップが不幸である。それでも彼が悪いのか。世間は何をしてお金儲けをしているのか。世間一般、愚かゆるされざるを知る頃となった。


【三笠フーズ問題と行政行為】
2008年09月18日 00時44分10秒
「また、三笠フーズが2003年度以降、政府から購入した汚染米のうち622トンが食用として出回り、大半が消費されたことが農水省の調査で分かった。購入した汚染米1408トンのうち半数近くの44%に当たる。農薬メタミドホスの汚染米の流通先では、計310社の製造・販売業者に流れ、給食用などのほか、外食産業用に使われたことも判明、消費者に大きな不安をさらに与えることになりそうだ。農水省などによると、三笠フーズの汚染米の内訳は、殺虫剤メタミドホス米の流通先が364社。カビ毒アフラトキシン米は5社。殺虫剤アセタミプリド米は12社。また、三笠フーズ以外で政府から事故米を購入していたでんぷん製造業「島田化学工業」(新潟県長岡市)が不正転売していたことも公表。これで不正転売していた業者は計4社に上った。」
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200809170047a.nwc

食品衛生法によると、展示しただけで責任を問われ、しかも無過失責任である。それほどまでに、食品の衛生は重大である。この度の三笠フーズ問題はゆゆしきことといえる。ところでその原因が行政行為にある。理由はどうあれ、こうした事故米を流通に乗せるとどうなるか、行政の判断が甘すぎた。この事故米は数十社を転々としたらしい。その間、それぞれの流通業者が利益している。何とも合点のいかないところである。商魂たくましいとしかいえない。大方は被害者を装うであろう。しかし専門業者としてその実体を知らないといえるのだろうか疑問である。何れにしても、そもそも行政の世間知らずが問題だと母はいっていた。そうであるのかも知れない。社会保険庁の問題もそうであるが、道路公団にしても、あまりにも行政意識が低いのではないだろうか。サラリーマン教師とかいわれた事があるが、今の行政をサラリーマンといえば、サラリーマンが憤慨するだろう。むしろ幼稚ではないか。無理もない。大学を出てすぐに公務員である。世間の荒波を知る由もない。身分は保障されている。そして退職後の身分の保障もある。それが天下りだった。それで天下り先の業界とか企業に対しては規制が甘い。市役所レベルでは行政の世襲化が一般化しているが、国家レベルでは統治行為が私物化されたか。勘違いも甚だしいが、生きる事、たくましい限りである。しかしそれも通らなくなる。何故だろうね。どうしてこれまでは通ったのだろうね。モラトリアムだったのかな。それも長い猶予だった。それでそれはもうないと思っていたね。そうはいかない。何をいっているのだろうね。この度は殊の外難産だった。それは戦後の故だった。しかし無事開花した。何が開花したのか。彼はいった。謹んでご報告申し上げる。思えば不思議な人生だった。今となっては不思議ではない。当然と思われる。彼は力を確認済みである。どのような力であるか。属性のない者は解らない。知る人は知る。爾の力である。彼を本気にさせない方がいい。黄泉が動く。そうした力である。古来大和沙門の力である。何を思い違いしたか。何を思いあがり、勝手したか。問われる時節を迎えた。どのようにしてその力は開発されるのか。正直。時は実体のない経済行為に浮かれることなく、埋没身心清浄勉学苦節三十有余年を要する。この度、一証券会社の破綻に伴い、世界で39兆8千億円のお金が市場に注入された。どれだけの穴があいたのか。或いはあけたのか。それで埋まるのか。勝手が過ぎよう。誰が犠牲になるのか。何時までもそうした欺罔は通らないと知る頃である。さて、森には秩序がある。主は樫の木であるか。そして種々の樹木があって、灌木がある。その下に、草花がある。雑草魂といわれる。雑草でなければならないと思われた。雑草の時代であるか。呉の市木は樫の木であり、市花は椿である。どうでもいいね。そして、日本は大丈夫なんだって。やっと主権が目覚めた。しばらく眠っていたようだ。ウサギみたいだね。やさしさを取りもどして主権が目覚めたのだね。追いつけるかな。

やさしさを 目覚めて光る 安芸の月

時代は進化している。権力は克服されている。それが市民革命を通った民主主義だった。武力も克服された。現代戦争が無意味である事は、原爆の証明するところである。犠牲になるのは誰か。殺戮或いは根絶やしの思想では、何も解決しない。それも通らねばならなかった。ヒロシマはその火をくぐっている。今何が克服されつつあるのか。お金の支配である。お金が無くても幸せな暮らしはある。彼は代々何を使命としていたのだろうね。火中の栗を拾うのか。火裏蓮であるか。或いは安芸の七浦であるか。使命は達したか。日本を救ったのか。自信を取りもどさしめたか。それにしてはこの度は失ったものが大きかった。故に得たものがあるというか。これからだね。ご苦労様。感謝していいよね。でもそれを失っているね。思い違い勘違いがある。何処からその償いは始まるべきか。テレビ界だね。随分と刃向かったよね。まだ勝負するのかな。本来日本、或いは大和魂、大義名分も含めて証明済みである。やってみせ、いってきかせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。そろそろ動く頃だよ。本来日本へ。彼は彷徨った。何もかも失ったかと見えた。もうこの世では彼の花は咲かないと思われた。誰もがそう思っていた。もう諦めていた。しかしそうでもなかった。彼は何かを探していた。それは何か失われた大切なものだった。それを探した。その旅は既に十六歳の頃より始まっていた。月の砂漠かと思われた。金と銀とのくらをおいて。或いは厨子王かと思われた。首には金の観音様がかけられていたか。山が高ければ谷は深い。千尋の谷を這い上がらねばならぬ。それが定めだった。或いは掟だった。達磨に行入と理入がある。どちらも完全でなければ至れない。知性を要する。能力を要する。彼にはそれらも賦与されていた。彼にはミッションがあった。それは何だったのか。彼でなければ証明出来ない事があった。故に彼は導かれた。常々最高の教育が授けられた。彼は大切に育まれた。黄泉の計画だったのだろうか。謎を解かねばならなかった。何の謎だったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の謎だった。それは解いたという。そして彼は至ったのだろうか。何処へ至ったのだろうね。月の世界かも知れないね。彼は探していた。そして見つけた。何を見つけたのだろう。彼自身だった。彼は彼でよいとやっと思った。そしてその時、全てが解決した。彼は今、喜びの中にある。それが金剛界及び胎蔵界だったのかも知れない。黄泉の受容祝福守護と力の確認だった。それが本来日本だった。これが桃源郷だったのか。或いは彼岸だったのか。そして持って生まれ、確認した力は何だったのか。彼自身それを認める事が怖かった。それほどの力だった。しかし、それで良いのだった。彼の人生は何だったのだろうね。過去を未来に移す。仏の大願である。挑むは稀である。成就する事も。しかし周囲は気づかない。それで良い。誰も見出せなかった。それは無理でもなかった。解るわけがない。その属性を持ち合わせていない。そして勝手愚弄し、粗末にした。裏切った。そして時が来た。自ら咲くしかなかった。咲けばいい。それだけの事だった。ここまでしなければならなかったか。ご苦労だった。もういいよ。後は任せておけ。お前の使命は達した。お前が最も気づいているよね。本来日本が喜んでいる。よくやった。


【やっと息が出来るね】
回復するべきものがある。知性の秩序である。それを壊したのはテレビだった。そして何が蔓延ったか。馬鹿なお笑いだった。謙虚さと畏敬の念を失った。これを取りもどさなければならない。何故その様な事が起こったのか。その原因が彼にとってはペリー来航と敗戦だった。日本は根絶やしにされようとした。それが原爆であり、占領政策だった。支配したのは商人根性だった。それは利益のためには手段を選ばない。あらゆる価値が破壊された。その流れに日本は飲み込まれた。そして腐敗した。腐敗も必要だった。その時、蓮の花が咲く。一つの時代が終わる。新しい時代が始まる。失われたものを取りもどして。それは何だったのか。本来日本だった。やはり日本は素晴らしい。各時代を生き抜いた。本来大和の秘密がある。それは何か。あらゆる課題を解決する事が出来る。相手があれば必ず受容克服凌駕する。本来日本復活である。彼は探していた。何を探していたか。それは自己確認だった。これでやっと息が出来るね。彼はいっていた。勝敗は構えた時に決まっている。本来大和、負け戦はしない。それが知性であると。準備万端。出発である。未来は明るい。未知なる道、未来を開く。黄泉は全て知っている。黄泉に好かれる事だよ。黄泉に嫌われたらお終いだ。人間としての思い上がりがあった。何時までもそれは通らない。科学法則は正しい。しかし全てが解明されているわけではない。それを知る時が来たのだろうか。世界の中の日本である。宇宙の中の生命である。宇宙自然生命黄泉は一体である。それを法身といっていい。応身もある。報身もある。知らなかったね。そして勝手した。そしてどうなったか。反省の頃である。何を反省するのだろうね。唯自己利益追求主義市場経済だろうか。相手を傷つけてきた。痛みを知る頃となった。そして愛と平和こそ人類の願いである。そろそろ実現したいね。人類がこの世に生まれ出てどれくらいの時が経ったのだろう。人類として本来の幸せを実現したいね。愚かではない。野蛮でもない。人間はどうあるべきか。その為の戦いもあるのだろうか。黄泉は知っている。それに応える事が出来るだろうか。その時、幸せを知る。それが報身だった。自分は自分で良い。あらゆる制度の目的は何だったのか。庶民の暮らしであり、一部富裕階層の利益ではない。商人は商売に徹すればいい。政治は別である。見つめ直すべき事がある。新しい時代が来たようだ。アメリカではこれまでの概念の覇者だった大手証券会社が破綻した。これはとても象徴的だね。これまでのやり方では生き残れない。それは400年来の重商主義の終焉だろうか。証券会社は何も作り出していなかった。しかし経済的に膨張した。その実体はバブルだった。欺罔とはいわないが、現象としては実体がなかった。お金が利益を生むには限界がある。それを超えた。そして破綻した。それは裏で行われていた信用取引が問題だった。それが金融の智慧かと思った。大間違いだったね。市場原理は唯自己利益追求である。それは誰かを犠牲にして成り立つ。或いは相手を傷つける。市場原理には諸価値を破壊して顧みない傲慢さがある。こうした性格がある。取引行為には多少の欺罔がゆるされている。これがちょいワル親父の考え方を正当化する。しかし世界は本来その様には出来ていなかった。やがて淘汰される。そして何時の時代にもノアの箱船はある。正直こそそれだった。しかしいつの間にか社会はカンニングで世に出た方々の閥となった。何時か破綻するに決まっている。それが彼のいう年貢の納め時だった。或いはこの世の草鞋銭は請求されるという事だった。その時が来たのだろうか。基準を変えなければならない。或いはものさしを決めなければならない。それは自分も良ければ相手も良いという基準である。それはあるのだろうか。有ると彼はいう。既にそれを見つけているらしい。恐竜が滅ぶ頃には既にネズミがいた。時代はその様に推移する。古い概念は棄てなければならない。法華経にも古き花を散らし、新しい蕾を雨らすとあるのはそれである。経済学上自然財という概念がある。これは取引の対象とならない。さほど利益を生まないからである。しかし自然財こそ人類の財産である。環境破壊はその財産を蝕んだ。誰が蝕んだのか。高度利益社会だった。損失を与えたのなら償う。当然である。しかしまだそれを認めようとしていない方々がいる。故に支配の根拠を失った。新しい時代である。見えるだろうか。アトピーがある。原因は既に明らかである。罪を認めては如何か。此処より始めるしかない。此処より始めればいい。400年来重商主義の終焉であるか。パラダイムが大きく音を立てて転換する。舞台が変わる。やっと息が出来る時代となる。南極条約の精神を想起するべきである。武力で一国支配出来る時代ではない。準備は調った。時代は進化する。誰もが幸せを感じる事が出来る新しい時代が始まる。誰もが生かされている。食べ物は全て命である。失われた敬虔さがある。取りもどすべきはそれである。テレビ界の罪は重い。自然及び環境並びに生命及び諸価値破壊の実行犯或いは加担者である。罪は償うべし。どのようにして償うのだろうね。各々の問題である。民法の考え方の基本は、此処に損失がある時、誰がそれを補填するかである。善悪の価値判断による責任追及ではない。補填するべきは誰か。明らかである。それを以て現実利益と為した方々だ。銀行的勝手な詭弁横暴はもはや通らない。さて、究極の幸せとは何だったのか。不安のない生活だった。それはあるのだろうか。有ると彼はいっていた。どのようにして至るのだろうね。方法は探すしかないらしい。


【ロハスについて】
2008年09月17日 05時54分17秒
日本では、バブルの崩壊でお金に対する価値観が変わった。スローライフも登場した。新しい価値観を求めていた。そこにロハスである。ロハスとは、健康からみた環境を考えることを格好いいと思い、こだわりを持って生きるライフスタイルである。エコロジーとは違う。スローとも違う。今の生活の何処からでも入ることが出来る。どんな人でも始めることが出来る。故に広く普及浸透する。その中には東洋思想が流れている。身体の内側から美しくなろうとする。ヨガもそうである。体に良いものを食べることもそうである。本来日本の生活文化はすべてロハス的だったといえる。どれをとっても自然とつながっていた。【和[wa(bi)】 自然、歴史、未来と調和していくこと【美(sa)bi】 美しい街に暮らしたり、美しいモノに触れることで、人間の精神も美しくなるということ 【怪kai】 快適なライフスタイルと夢を与えること【間kan】 人間関係の間の取り方や、心地よい空間作りを行うこと【活katsu】 活力があって活性化され、様々な行動を起こすということしかし、ロハスウォッシュ商品には要注意である。本当はロハスではないが、ロハスと銘打ってロハス的とみせかける。その対策は、自分の感性を養う。本物に触れる。美しいモノを見たり、触れたり、食する。全て試す必要はない。原価地に触れることでわかる。スモール・セルフというのがある。今いる場所だけの自分で良いと思う人たちである。ビッグ・セルフというのがある。未来や世界につながっていくライフスタイルをおくる人たちである。どちらが格好いいだろうね。生活の全てをロハスにする必要はない。無理はしなくて良い。生活の中で「ひとこだわり」を持つ。何か自分で出来ること、小さなことから始めようという意識が大切である。「最高のエゴイストは最高のエコイスト」である。自分のためにすることが、地球環境及び未来につながる。このロハスの考えは今後とも続くだろう。今生きている私たちのニーズを満たしつつ、未来の世代の可能性を壊さない。サステナブルである。日本の文化遺伝子、ライフスタイルの中には、未来のロハス文化の種子として、世界に贈与すべき貴重なソフトウェアが多くある。多元的なモノを共存させるというのが、日本特有の文化スタイルである。生命科学や複雑系の研究からも、「多様性の共生」ということが、サスティナブルなシステムの条件だとわかってきた。自然界には本来、善玉も悪玉もない。それらのバランスが取れている状態が健康な状態である。誤りを許容し、多様性を保持していく。それが自然の英知である。硬直化したエコ・ファシズムは危うい。健康脅迫も危うい。寛容とやわらかい強さを備えた未来の地球文化を発信提案していく。大量生産、大量消費の考え方は、もう美しくない。地球が汚れて、それが全部自分たちに帰ってくる。 ロハスとは懐かしい未来なんだ。未来派は、1907年にミラノから始まった20世紀最初の芸術運動だった。それは力と速度の20世紀を予言した。今、それからちょうど100年を経て、21世紀の新しいビジョンを示す時に来ている。六本木ヒルズの周辺に小川が流れていて、メダカが泳いでいる。そういった風景が21世紀の『懐かしい未来』の姿かも知れない。ロハスとは、もともとライフスタイルズという複数形だった。多様性を含んでいる。様々なライフスタイルがあって良い。1997年。アフリカのシエラレオネの軍事クーデターで、虐殺と手足切断が続発した。40万人以上が避難した。以上、当該ホームページの要約である。Cf http://www.lohasclub.jp/


【女性は強い】
2008年09月17日 00時00分03秒
奴隷解放があった。女性解放があった。その前に市民の解放があった。かつてはバビロンの解放があった。そして今、庶民の解放である。それは旧約聖書に秘められていた。その時が来たのだろうか。そして黙示録はヨハネではなかった。残酷な未来ではない。これを克服する。明るい未来が約束されている。夢を描こう。ジャズの方法は既にクラシックにある。それに気づく人がどれだけいるだろうか。お笑い及びテレビ関係者は知っているのだろうか。男尊女卑の時代があった。女性の行為能力はない明治だった。日本に於いて女性解放は戦後だった。民主主義は市民革命の所産だった。それは権力の克服だった。しかし今に公務員は勘違いしている。日本国憲法は歴史的所産である。その規定の多くはプログラム規定だった。その成就の頃だろうか。つまり花咲く頃である。憲法を根拠に主権を行使する時、どの國もそれを阻害出来ない。憲法の憲法たる所以である。それさえも知らない方々が勝手な事をいっている。さて、女の子が遠くで男の子達を見つめている。誰をターゲットにするか。女性は生命そのものである。故に感性である。男性は知性である。物理的力もある。それで女性を支配してきた。しかし生命としての人間として本当に強いのはどちらだったか。女性だった。女性は知っている。何を知っているか。花の命は短い事を知っている。男性は知らない。何を知らないのだろうね。女性に支配されている事を知らない。それで良いのである。女性の方が強い。或いは偉い。子どもの頃に精神年齢は二歳は違うだろうか。相手を選ぶのは常に女性である。選ばれた時、何があってもいい。そうでなければストーカーとなる。ハンカチ一枚の問題ではない。相性の問題がある。どうしようもない。彼に微笑みが帰って来た。かつての彼が帰って来た。長い冬だった。だけど、何時か春は来るよ。誰だって来る。人生を諦めては駄目だよ。本来の自分を取りもどす。それだけの事だった。それまでは試練だね。それからはパラダイスだね。人生、捨てたものではない。持って生まれたものがある。それは何だったのか。咲いてみなければ解らない。自分では感じているよね。それを大切にしようね。世の中は欺罔と暴力に満ちている。或いは堕落こそ大人になる事だと思う人たちがいる。それが現実だと思っている。悲しい人たちだね。幸せはある。幸せになろうね。さて、女性は強い。或いは偉い。女性は知っている。何を知っているのだろうね。生命としての進化ということを知っている。美しく生きたいね。美しく生きようね。それが愛だったのかも知れなくて。それがロマンだったのかも知れなくて。今の君で十分だった。今の君を大切にね。未来は明るい。女性は全て知っている。或いは感じている。男性はむしろ知らない。


【間に合うと良いね】
2008年09月16日 21時54分15秒
彼はいっていた。探していたものは見つかった。それは何だったんだろうね。日月照らし、風が吹くとか、大鏡とか。或いは美しい風景が待っていて、広重も芭蕉もそうだったとか。そしてそれは本来の自分に帰る事だった。どうして自信を失っていたのだろうね。どうして優柔不断だったのか。そのあたりが解決したらしい。自分が自分を疑っていたのだね。どうしてだろうね。彼は彼でよかったのに。そして誰よりも彼の判断は子どもの頃から常に正しかった。それを疑っていた。何故だろうね。その原因を見つける必要があった。そしてそれを見つけたという。それは何だったのか。ペリー来航と原爆だった。彼にとってはね。それで全て説明がついた。その向こうに見えたのは本来日本だった。本来武士道だった。或いは日本純粋精神であり、本来日本の目指していたものであり、さらに生命体としての進化傾向だった。彼は何を探していたのだろうね。何を考えていたのだろう。何処を彷徨ったのだろうね。彷徨えるオランダ人というのもあるし、オレンジ公ウィリアムもいた。彼にはそれも意味があるらしい。そしてそれは何処までも彼の問題だった。そして彼は彼を取りもどした。だけど悲しいのは、周囲は理解してくれない。その理由も解ったという。誰もが評価の基準は自分自身だった。どういう事だろうね。自分の属性にないものは評価出来ない。自分にないものは相手にもないと思うらしい。彼の場合はどうだったか。彼にある属性を否定していた。それは辛い事だった。そして今、彼は彼で良いと思う。彼のゴールは見つけたらしい。今からそれを目指すんだって。間に合うと良いね。彼の勉学があった。およそ訳のわからない本ばかり読んでいた。そしてこの頃では、例えば仏さんのところで聞く話が、既に彼の考えていた事と一致しているらしい。表現は異なるとしても。或いは、ラジオで特集されている内容が、大鏡であったりするんだって。何をいってるんだろうね。流行の源泉があるといっていた。何がいいたいんだろう。これまでは自覚がなかった。故に辛かった。今はもう全ていいんだって。お芽出度い奴だね。何をしても良いんだって。それが自由だったんだ。迷惑さえ掛けなければね。誰もが幸せになれるんだって。世界は素晴らしいね。生きている事は喜びだね。生まれて良かったね。生まれた事を感謝出来るね。この世にパラダイスはあるのだね。それは本当だったんだね。既に伝えられていた。世界は宝の山だね。見える人には。嘘経済と殺戮権力では何も解決しないね。流した涙があるね。叫んだ事もある。雷も落ちたよね。暴雨風もあった。暴雨風の制御もあった。何だったんだろうね。何を待っていたのだろうね。何を促していたのか。自覚だった。間に合うと良いね。彼はいっていた。この世の務めは果たしたんだって。


【ユーモアの精神について】
2008年09月15日 01時00分27秒
ユーモアって何だろうね。ヒューマンと関係がありそうだから、人間的なものだね。何を以て人間的というのだろう。それがお笑いでないのは、ユーモアというのはどうしようもない時の唯一の解決策であるからだ。つまり何でもかんでも笑いにしようとするお笑いはユーモアではない。ユーモアはペーソスとセットだ。つまり人間のどうしようもない悲しみを知って初めてユーモアとなる。刑法に於いて思想は罰しない。それが行為となって現実化した時、初めてその意識にまで遡って罰する根拠となる。それ以前は問題にしない。さて、どうしようもない時ってあるよね。それをいってしまったら、終わりって時だね。その時にユーモアが登場する。どんなミスがあってもそれがミスである限り、ユーモアで切り抜ける。要は具体的困苦の結果が回避出来ればいいのである。その為には予見する必要がある。結果が予見出来ていて、それを避ける可能性がある時、仮にミスがあってもそれはユーモアにしてしまう。笑いにストレスの解消効果があるとかで、何でもかんでも笑いにして、それが芸となって、国民総お笑いとなっていないか。それで良いのかどうか。勘違いがあるのではないか。本来の人間性を冒涜していないか。その様に思える。さてペーソスは悲しみだね。その悲しみが悲しみである限り悲しい。しかし例えばキリストの悲しみは何だったのか。正しい人を磔にしてそれが原罪となった。正しい人を悲しませるとどうなるか。菅原道真が天満宮として祀られた理由を思い出せば良い。道真が太宰府に流されて、そして失意のままに憤死した時、京都は落雷の嵐となった。どういう事か。それが彼のいう黄泉の守護だった。キリストの悲しみを思うとそれは怖ろしいが、キリストは彼らのために祈った。どのように祈ったのだったか。主よ、彼らをゆるしてください。彼らは知らないのです。何を知らないというのだろうか。そして得ていた力は何だったのか。彼を直接悲しませない事である。黄泉が動く。再び彼はその力を知る事があったのだろうか。それは何だったのか。そしてその悲しみが変じてやがてその力となる。その力とはどのようなものだったのか。文献を調べれば、何処かにその記述はあるだろう。世間は知らない。知らずに勝手する。それは怖ろしい事である。しかし臨済禅師の四喝がある。同じ喝であっても違う。何が違うのか。その本気度が違う。彼が本気に悲しむとどうなるか。その悲しみは現実的虐待による。何を以て虐待というか。その人を正統に扱えない事を以ていう。今の世の中はお金が支配している。さて、お金が本当の価値の基準であるのかどうか。お金も名誉も地位もない事で、その人の魂の真実を測れるか。思いあがり或いは勘違いがそこにある。あなた方は知らない。しかし黄泉は全て知っている。その悲しみが真実であり、それが報われる時が必ず来る。どういうことか。彼を直接悲しませない事である。それは客観的事実である必要があるとしても。彼は改めてその真実を思い知る事となったのか。そしてそれが自分自身であり、それで良いと思えるようになった。ご用心としかいいようがない。彼を直接悲しませない事である。何が起きるかわからない。いよいよ彼は力を確信したのか。それが自覚の内容だったのだろうか。彼はこれからどう生きるのだろうね。求めていたものは見つかったという。究極の力はそれだったという。知らなかったね。権力でも武力でも金力でもなかった。それらはむしろ地獄行きの片道切符だった。そして何を知ったのだろう。それが愛だった。彼は喜んでいる。やっと見つかったのだろうか。愛する事は難しいという。その通りだね。それはユーモアを解する心だった。その基盤は悲しみだった。彼はどれほど悲しんだ事か。その悲しみが深ければ深いほど、それが変じて喜びとなる喜びは甚大である。これが古来大和の秘密だったともいっていた。何を粗末にしたのだろうね。愚かは何を裏切ったのか。バケツに悪の滴りが一滴また一滴と溜まる。そしてそのバケツが悪で一杯となる。その時が年貢の納め時である。その時を迎えたのだろうか。故に救いもある。原因がわかって解決がある。或いは力を確信するに至る。そしてその力とは何だったのか。そういう時代に入った。ご用心。諦めない事である。探す事である。何時か至る。必ず至る。そして知るだろう。何を知るのか。それが愛であり、喜びだった。それが幸せだった。誰も知らない。無理もない。探そうともせずに浮かれていた。その結果が報いとなって帰ってくる時節である。そこに樹木がある。何の樹木であるか。花と咲いて初めてわかる。悲しいね。咲いた花は何だったのか。醜いアヒルの子というお話もある。世間は知らない。何故か。基準がない。故に利益にならない。世間は認めない。ところで礼儀作法とかいう。それは自己卑下ではない。八方美人ではない。本来秩序がある。それを破壊した。礼儀作法とは自分と同等かそれ以上に対するものである。ところが利益のためにお客様は神となった。そして神となったお客は思いあがった。神ではあり得なかった。そして彼らは蔓延った。どうにもならなくなった。利益の故に。

【地震情報】平成20年09月15日01時10分 気象庁地震火山部 発表
15日01時05分頃地震がありました。
震源地は岩手県内陸南部 ( 北緯38.9°、東経141.0°)で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は4.1と推定されます。

彼の人生は報われた。何もかも失ったかと見えた。実は無駄ではなかった。どういう事か。彼は誰からも受け入れられるようになった。本来の彼に戻りつつある。それが本来の彼だった。何時か帰る。きっと帰る。それが人生だった。何処に帰るのか。思い知る頃となった。何事も事が成就するには時を要する。タイミングだけではない。発想だけでもない。仕掛けだけではない。育つには時間がかかる。何を育てたか。浮かれていた方々は諦め、来世に帰するしかない。勉学は必要である。思索も必要である。浮かれた人生に何が実となるか。残念だったね。勝負は決した。知性の勝利である。真実真理とは何だったか。知ると頃となった。彼の家系は男爵である。公爵では駄目だ。男爵こそ価値がある。クーベルタン男爵はいった。参加する事に意義がある。芋でも食べるか。彼は心に決したものがあるらしい。彼こそ秘密だった。それが本来日本の本懐だった。彼も知らなかった。しかし古来大和の秘密である。誰も知らない。知り得ない。そして彼は彼自身を生きる。何事にも惑わされはしない。そしてそれこそが本来日本を取りもどし、日本を救う。世界を救う。あり得ないね。しかしそうだたった。愚かでは至れない。唯自己利益追求は最も愚かな行為である。滅私奉公、幸せへの道。裏切り者は赦しはしない。商人根性の支配を脱する。本来大和、滅し能わず。赦しはしない。時は来たのである。観念するしかない。これが歴史である。本来武士道、敵討ち。物語は繰り返し話される。同じ事を何度語っても良いのである。彼の見てきたものがある。聞いてきた事がある。それが物語となる。『東方見聞録』もそうだった。そして時代は思考は現実化するところまで来た。誰もが求めるのは幸福である。それはお金かと思われた。それがセレブであるかと思われた。諸悪の根元は貧乏かと思われた。故に働いた。しかし本当の幸せは得られない。大きな所得は労働ではなかった。やはり智慧だった。つまり、タイミングと発想と仕掛けだった。しかしそれは欺罔を含む。商行為の限界だった。いくらお金があっても満たされない。不安から逃れる事が出来ない。やがてそれからの自由を求める。人類は進化する。自分のした事は自分に帰って来る。自分のいった事は自分に帰ってくる。人を責めると自分が責められる。本来無一物。何も有りはしない。何もないところから何かが生まれる。それは何か。種は全て自分が蒔いている。悪いのは全て自分である。よい事は全て仏さんのお陰であると聞いた。その意味がわかる時が来る。だからユーモアの精神だよ。単なるお笑いではなかった。目的が違う。しかしいわゆるお笑いも通らねばこの価値は見い出せなかった。喜び世界はある。楽しい日々が待っている。ベートーベンが至ったのはハンマークラービアを通っての事だった。悪舌は功徳の種を断ずる。功徳とは何だったのか。仏の守護だった。今までのお笑いは何だったのか。人を貶めた。自分を卑下した。そしてそれを皆で笑った。あまりにもレベルが低かった。知れば良い。進化する。本当の喜びへ。馬鹿になる事が幸せではあり得ない。何時か悲しみの淵に沈む。特殊潜行邸は浮上する。上求菩提、下化衆生。理想を現実化する事が政治の定義となる時が来る。何をして来たのか。何をしているのだ。過去からの魂の遍歴である。既に宝石として結晶した魂もある。それがクラシックだった。道標はある。何時か見失っていた。取りもどすべきはそれである。それが人類の遺産である。諸価値を壊した。諸価値を復興する。彼は回り道をしたのかも知れない。或いは道草だったか。しかし彼は探していた。それは何だったのか。失われた何か大切なものがある。彼の直観だった。彼はそれを求めて彷徨った。そして何時か至る。或いは帰る。法華経窮児。探していたものは見つかったという。この世で何をするべきだったのか。生まれた意味は何だったのか。例えば卑近な例がある。状況が混雑していて、タクシードライバーが一般ドライバーに注意する。問題はものの言い方を知らない。相手を苛立たせる。それならそれで良い。タクシーが日々違法駐車及び違法停車する実体は何か。彼らが一般ドライバーに何がいえるのか。そうであるなら、範を示して貰おう。一切の違法駐車及び停車を排除せよ。思い違いの例である。タクシー会社の事故処理(保険関係)にも大問題がある。何を思いあがったか。何を奪ったか。全て譲ったかに見える。しかし譲れないものがある。かつては公地公民もあった。此処六十年或いは百数十年で数千年来の日本が覆ると思ったか。冗談ではない。眠っていただけだ。或いは眠らされていた。糸車の針は抜かれた。本来日本が目覚めた。もはや勝手は通らない。呪は解かれた。黄泉もこの時を待っていた。何を持っていたか。もう良い。時は来た。彼は戦っていた。そして戦い抜いた。何と戦っていたか。孤軍奮闘だった。そして勝利したという。日本を救ったよといっていた。その為には力を要した。その力を取りもどさねばならなかった。その為には全てを失わなければならなかった。成金スノッブの知るところではない。彼には何が聞こえるのだろうか。隻手の音であるか。一陣の風が吹く。ところで公務員倫理規定の意味は何か。何故利害関係者との飲食を禁止しているのか。物事を決する地位にある者が近づいてはいけない者がある。意思決定は合理性ではない。情がからむとややこしくなる。その人とのコミュニケーションを図るには食事を共にすればいい。一夜を共にすればさらに深まる。君子危うきに近寄らず。事実は何事かを物語る。言い訳は通らない。事実認定があれば、理由はどうにでもなる。罪にはいろいろある。償わなければならない。お金で償うべきはお金で償う。身体の自由で償うべきは身体の自由で償う。生命を以て償うべき罪もある。さて、魂に対する罪或いは真実及び自然並びに価値に対する罪は何を以て償うか。四百年市場経済及び唯自己利益追求の罪がある。何を以て償うのか。はっきりとさせるべき時が来た。理由は何であるか。be-cause。原因がある。結果が出て原因が何であったかが解る。対処すればいい。花と咲く。咲いて初めてその花が何だったかを知る。秘密の花が咲いた。その花は何か。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本真実大山櫻。執行部に今、融通の効かない方が多い。明らかに現実と仕組みのギャップがある。古い概念をねじ曲げて自らの利益の為にする事が融通ではない。新しい仕組みを考えればいい。その為に頭脳がある。あまりにも愚かな方々が支配している。問題の解決がない。足りないものがあるなら、作ればいい。時代は混沌としている。チャンスだ。


【愛は世界を救う】
2008年09月13日 00時04分16秒
至り着いたようだね。ギャーティだね。これで良いんだと思う。もうこれ以上はないってね。思えば長い冬だった。冬来たりなば春遠からじ。必ず春は来る。堪える勇気を持とう。自殺なんかしては駄目だよ。この世は生きるに価する。せっかく生まれてきたんだもの。幸せはあるよ。本当だよ。知らないだけだ。知れば良い。幸せだってそうだった。本当の幸せって何だったのだろうね。語り合う事が出来ると良いね。決して世のお笑いではない。それだけはいっておくね。失ったものが大きければ、それだけ得るものも大きい。人生って好く出来ている。本来の自分に帰ろう。それだけでいい。しかめっ面して、目くじら立てて何をいっても始まらない。自分が変わる事で世界が変わる。どのように変わるのだろうね。変わってみなければ解らない。今までの価値観を棄てる必要があるのかも知れないね。それが禅に於いては無だった。そしてある意味で死ぬ必要がある。本当に死ぬのではないよ。これまでの自分を捨て去るという意味だね。そして大死一番、絶後に蘇る。本当だったんだね。仏の方に何もかも投げ入れるのも良い。中途半端では駄目だね。ラブゲームだ。つまり、ゼロゲームだった。そして愛を知るのだね。愛とは無を通る。無とは自分自身からの解放だったんだ。するとどうなるか。自然に生かされている事を知る。自由だね。解脱だね。そよ風が爽やかだ。日月照らし、風が吹く。見えない世界が見えて来る。そしてそれが幸せだったんだね。それは黄泉の受容祝福守護だった。お金ではないよ。お金で不安を払拭出来るかな。世のお金持ちに聞いてみると良い。故に道元は空手で帰朝し、その教えは貧学道だった。キリストに於いては貧しき者は幸いなり。やがて神を見るだろう。好かったね。これらは真実だった。それを確認する旅もある。何処を旅するのだろうね。世界旅行とか観光旅行とか或いは留学とかで世に出ても、たどり着けないものがある。新しい時代の可能性が開けたね。古来伝えられていた。日本数千年来の秘密がある。誰もが幸せになれる。その秘訣は日本にあるのだった。神仏との邂逅だってある。信じて良いよ。信をもって入る事を得たりという真実を。何の心配も要らない世界がある。勇気と自信が当然の世界がある。恐るるものなど無いよ。それが本来大和魂であり、武士道だった。故に腹も切れる。世の大方の解釈はそれを知らない。本来日本復活。愛とやさしさと笑顔で全て解決する新しい世界を開く。愚かでは至れない。この世は大鏡。全てがサインとなる。それが生かされているという事だった。その時、幸せだね。宇宙自然生命黄泉との合流だ。自己確認及び自己開発のゴールだった。全ては過程だよ。何時か必ず至る。今世で至れなくても、その為に来世がある。代々の事だったんだね。愛は世界を救う。喜び世界はある。世界は素晴らしい。苦悩の英雄ベートーベンもやがて至った。愛とは何だったのか。動植物及び岩石も喜ぶオーラ或いは仏性だった。愛の道ってあるね。シルクロードのように。その終着駅は何処だったのだろうね。月の砂漠の孤独の中で、何時か至る。必ず至る。愛は無を通って。何もかも失う。そして至る。信じて良いよ。この道を。必ず至る。至って初めて知る知性の旅だとしても。ところで呉線は当時日本で蒸気機関車が走っている三線のひとつだった。C62-02スワローエンジェルも走っていた。牽引していたのは、A寝台広島発呉線経由東京行き急行安芸号だった。彼が好きだったのはC59だった。C59は日本に三台しか残っていなかった。その全てが呉線を走っていた。1000分の1の勾配を真っ白な蒸気と白煙を上げて走る勇壮な姿を何時も見ていた。彼が中学生だった頃、呉線は電化された。その試運転ではD51とEF58の二重連が走っていた。それもサインだった。さて呉は90、或いは5だね。つまり漢字では呉音もある。どうでもいけれど。いよいよ復興だ。さて、彼は何者だったのか。何を自覚したというのだろうか。彼が彼だった事に気づいて一番驚いているのは彼だった。そしてやっとそれで良いと思えるようになった。彼はいっていた。何を根拠に勝手し来たる哉。彼は何をいいたいのだろう。わかんないね。


【解くは稀である】
2008年09月11日 21時53分29秒
宇宙が生まれて、何処へ行くのだろうね。日本が生まれて何処へ行くのか。人が生まれて、何処へ帰るのだったか。その謎は何だったのだろうね。彼は自覚した。何を自覚したのだったろうか。彼の人生がそのまま宇宙であり、日本だったのか。そしてやがて日本は世界に合流する。いくつかの試練があった。それも乗り越えた。彼はいった。もう大丈夫だよ。未来は明るい。いろいろな障害があるね。アトピーもあるね。此処より始めるしかない。生命は限りなく進化する。何処へ行くのか。何処へ帰るのか。彼は大きな仕事をしたようだ。現代日本語は漱石と鴎外が作ったともいわれる。彼は何を作ったのだろうか。未来かも知れない。それが彼のミッションだったのだろうか。確かに生まれた時から不思議な人生だった。とても信じられない。しかし父はいった。お前は大丈夫だ。私の子だ。私もお前と同じだった。これが代々の家督相続だよ。それは土地財産ではなかった。精神だった。何の精神だったのだろうね。古来大和の精神である。埋もれていた。埋もれざるを得なかった。明治或いは戦後の故だった。その謎を解かねばならなかった。それは解かれた。それだけの能力は賦与されていた。黄泉の賭でもあった。もはや疑えない。天が証明する。彼はいった。もう日本は大丈夫だよ。彼は何をいっているのか。その属性のない者に解りはしない。時は無事代わった。新しい時代である。日本の秘密がある。解くは稀である。もはやこれ以上の謎はない。世界も驚いている。彼は使命を果たした。これからはあなた方の番である。彼はいった。祝祭日には国旗を掲げよ。日本は素晴らしい國である。しかし埋没していた。今世にはびこっている者たちの知らない本来日本がある。秘密の扉は開かれた。


【夢を語ろう】
2008年09月10日 08時52分27秒
夢は実現する。思考は現実化する。時は来たようだね。夢を語ろう。古来伝わっていた物語も夢だった。レオナルド・ダビンチの描いたものも夢だったのだろうか。悉く実現した。人間存在は本来万物の霊長だった。何を夢見るのだろうね。権力による殺戮だろうか。サミュエルソンの経済学の教科書には大砲を作るのかそれともバターを作るのかという選択がある。戦争は常にリーダーの意思決定で始まる。殺戮がゆるされる根拠は何処にあるのだろうね。正義論だろうか。誰か合理的にその根拠を示せるだろうか。権力は既に克服されている。それが市民革命であり、民主主義の選択ではなかったのか。さて、何を夢見るのだろうね。夢は実現する。浦島太郎だってあり得る。桃太郎も金太郎もね。舌切り雀もそうだよ。花咲爺も実話となる。ないと思っていないだろうか。それが価値観となっていないか。頑なになっていないか。夢は実現する。価値観の転換だね。或いはものさしを変える。新しい基準を見つけてみないか。クワドラントの移行だね。例えば仕事観の転換がある。今のままではあり得ない事が観点を変えるとあり得る。それが禅に於いては犬に仏性が有るかどうかという問になる。ある時はあり、ある時はない。どちらも真実だった。その人にはね。ないという人にはない。あるという人にはある。それで良いのだった。だからお互い相手を責めることはない。ところで幸せはあるのだろうか。これもある。どこにあるのだろうね。さがすしかないね。21世紀となった。時代も進化する。生命も進化する。人類も進化している。何時までも古い概念に縛られている必要はない。新しい考え方があって良い。誰もが幸せになれる新しい時代となった。或いはしよう。時は来た。夢を語ろう。夢は実現する。何を夢見ますか。幸せですか。悲しみですか。どんな人も幸せになりたいね。だけどなれない。何故だろうね。その解決はあるのだろうか。ある。どのようにすればいいのだろうね。さがすしかないね。さがせばいいね。何時か見つかる。諦めない事だ。信じる事が出来るだろうか。信じて確信に至れるだろうか。シュリーマンのように。自分次第だね。夢を語ろう。夢は実現する。本当だった。天の守護だってある。神仏との邂逅もある。自分を知る事もある。その時、幸せを知る。本当だった。過去から伝えられていた。夢を語ろう。夢は実現する。すべては思いから発する。幸せになりたいね。幸せになろうね。常に遅いという事はない。何時か確信に至る。その時が始まりだった。愚かさと野蛮より脱する。暴力と欺罔の時代は去る。新しい時代となりました。確信に至れるでしょうか。何を確信しますか。未来は明るい。笑顔と優しさを取りもどして。すべてを大切にすればいい。大切にする事できっと大切にして貰えるだろう。何時かその時が来る。何を粗末にしたのだろうね。何を裏切ったのか。生命或いは自然を裏切ったのだろうか。それが市場原理或いは唯自己利益追求だったのか。重商主義の帰結だったのか。利益のためには手段を選ばない。日本はそのような国家ではなかった。商人の支配を脱する。何時までも勝手は通らない。何故だろうね。祖先の総体である黄泉が通さない。受忍限度を超えた。愚かなテレビ界もそろそろ年貢の納め時だよ。本来日本に帰ろう。日本は自然咲き沿い神々の統べるべき美しい國である。何時か神々も自信を失っていた。ペリー来航は黒船が怖かったわけではない。背後のアヘン戦争が怖かった。つまり帝国主義による植民地支配が怖かった。第二次世界大戦は何だったのか。後発新興国による植民地の再分割請求だったのか。それは西洋合理主義に立脚する。日本もそれに飲み込まれた。日本の戦争責任は何処までか。はっきりとさせる必要がある。どこまで遡るのか。ペリー来航は何だったのか。その市場開拓の強引さは侵略にも等しい。野蛮だね。勝てば官軍であるか。大義名分はあるか。その時、神風も吹く。本来日本である。戦争は放棄している。その意味は何だったのか。時代の選択である。何時まで浮かれているのか。目覚めよ。君たちの時代だ。悪魔との戦闘は何度かあった。それは亦自分との戦いだった。直近では昭和五十六年だったのかも知れない。その頃、政治はどのように動こうとしていたか思い出すが良い。有事立法だった。それは流れた。何故だったのか解るか。解りはしない。敢えていう。戦争は放棄している。それで良いのである。黄泉の意思である。現代戦争は無意味である。誰が犠牲になるか考えるが良い。彼は何と戦ったのか。黄泉とだった。黄泉は制した。愛と平和による庶民の解放は決定した。商人によるお金の支配は終わる。あらゆる欺罔は無価値であり、ポイントなど智慧とはいわせない。むしろ不当利得である。後の余の事は任せると彼はいった。日本は自信を持って主権を行使する。大航海時代には地球は無限だった。今地球は有限である。資源はやがて枯渇する。新たな資源として情報がある。何を以て情報というか。無価値な情報は情報ではない。富を生む情報が情報である。それは何処にあるのだろうか。何時までも大航海時代のパラダイムではやがて滅びる。テロとの戦いとかいう。確かにそれはある。その解決方法は根絶やししかないのだろうか。かつて日本は何故負け戦をしたのか。追い込まれたのではなかったか。そしてどうなったか。確かに民主国家となった。それしか方法はなかったのだろうか。列強の傲慢はなかったか。愛と平和に基づく解決策はないのか。かつてはメジャーによる原油支配があった。ベトナム戦争を解決したのはジャーナリズムによる世論の形成だった。武力行使による解決しかないのか。列強の経済システムしか方法論はないのか。あまりにも犠牲が大き過ぎはしないか。解決策はある。時代は進化している。世界的環境の問題がある。公害対策は日本が最も得意とするところである。日本こそ新しい提案が出来る國である。原因は明らかとなっている。方法はいくらでもある。どれを選択するのか。根絶やしであるか。殺戮であるか。殺戮は殺戮をもって報いがある。そろそろ考えるべき時ではないか。人類として大きな分岐点にある。滅亡が見えている。子ども達のアトピーは何が原因か。何故ガンによる死亡率がここまで上昇したのか。ベトナムの枯れ葉剤は何だったのか。ダイオキシンの環境ホルモンは何を意味しているのか。権力による版図拡大の前に解決するべき事がある。アラブとの戦いという。十字軍のつもりであるか。彼らの生存が保障されるなら、彼らもやぶさかではない筈である。そうした観点からの先進国家は西洋にはない。東洋としての日本は唯一の提案が出来る國ではないのか。西洋重商主義パラダイムが既に限界に来ているのではないか。一部の方の利益のために仕組みが出来ているのではないか。武力は武力によって滅びる。滅びの連鎖である。あまりにも障害者が多い。生命体としての人類の危機である。この傾向を微分してその傾向は何処を向いているのか。人類としての英知と技術を世界的に総動員してこのベクトルを修正する必要があるのではないか。ビジョンは此処にある。日本の使命は何か。日本が世界史に於いて合流する意味は何か。そうした認識を迫られている。欲望の実現が政治の定義である時代は終わった。自国の国益のための政治の時代ではない。世界の中の日本である。既に世界は一つである。文化的には国境はない。自分たちの利益のために族議員とか派閥主義は政治として時代遅れではないか。テロ及びアラブをどのように認識しているのか。だれの考えが基準であるか。彼らも人間である。罪を憎んで人を憎まずは刑法の常識である。人間理解に於いて再認識しないか。十年百年の計(グランドデザイン)を立てないか。時代は混沌としている。チャンスである。夢を語ろう。世界は待っている。そして歓迎してくれるだろう。それは何か。此処まで各時代を生き抜いてきた歴史ある日本の知性である。世界も日本も愚かではない。


【見える人には見える】
2008年09月06日 09時00分33秒
見える人には見える。解る人には解る。それが価値だね。世の中に宝石があるね。金もある。これらの価値は誰だって認めている。人間だってそうだね。心だって、魂だってそうだね。宝石とか金はどのようにして宝石とか金になるのだろうね。地下に埋もれて何万年或いは億万年かけて結晶した。それが実際に地球にあるよね。だから人間にもいるよね。そうした人になれるよね。だけど稀だったんだ。地蔵菩薩の意味するところだね。例えば仏さんがそれだね。それは実在する。見てきた人もいたんだ。過去から伝えられている。だけどにわかには信じられないね。救いは誰もがその可能性を持っているという事だよ。それが一切衆生悉有仏性。素直になると良いよ。真実に対して。疑うね。真実さえも。宝石は疑えないね。美しいね。宝石も原石となるとどうだろう。誰にも見えるだろうか。見える人には見える。見えない人には見えない。解る人には解る。解らない人には解らない。一つの常識が別の世界では常識ではなくて。発想の転換が要るね。知性には知性の発想がある。そして楽になれる。本当だよ。聞く耳を持っては如何かな。孔子もいっていた。耳随う。この世は美しい。世界は素晴らしい。本当だったんだ。自分が変われば世界が変わる。日々あくせくすることもなくて。小鳥に食は与えられている。定住生活は蓄える事から始まった。余暇が出来て、独立歩行で解放された手と頭脳を使って、ものを作るようになった。やがてそれが流通し始めた。さて、蓄えは何のためだったのか。不安に備えての事だった。しかし不安は程度を知らない。それで貪るように蓄えた。しかし不安からの自由はなかったね。いくらお金があっても、不安から解放されていないよね。当然だね。お金を儲ける過程がさらに不安をかこっている。本当の幸せって何だったのかな。男子は女子に好かれたいね。それはマスクかな。お金かな。本当に好かれようと思うなら、宝石になる事だね。何の宝石が良いのかな。法華経には賢聖というのがある。一番の憧れって何だったのかな。お笑いではないね。野蛮でも愚かでもない。暴力でも嘘でもない。暴走族なんかじゃない。ちょいワル親父でもない。やはり知性だった。お金の力でお医者さんになる事ではないよ。何時かしっぺ返しがある。持って生まれたもので十分だよ。職業に貴賤はない。大切なのは、不安からの自由だった。それは宝石と結晶する事で解決する。色々な色の宝石があるね。皆、美しいね。それで好かったんだ。若者達は気づいている。大人は知らない。新しい芽は出ているよ。育てようね。さて、縷々と書いてきた。目的は達した。およそ誰も理解不能かも知れない。これ以上書いても無意味かも知れない。今まで書いてきた事も反古に思えてきた。何もかも過程だった。筏は渡りきれば用はない。不思善不思悪。善もない。悪もない。ないところから不可議となった。一より始めるしかないね。新しい一を。全ての記録を削除しようかとも思った。記録ももはや要らない。仕事は終わったから。HPは削除して。しかしのこしておく事にした。これまでのその他のブログもね。何れにしても、もうこれで自分探し或いは自己確認のために書くのは終わりにしようと思う。もうこれでいい。長い旅だった。これで世間に帰って来る事が出来る。このブログも整理した。記事の多くは削除した。せっかく書いたのに惜しい気もするが、自己の内実より出たものは何時でも書ける。このような人生を歩み、このような事を考えていた人間もいた。何を見つけ、何を確認したのだったか。本来大和の精神だった。もういい。これで自由になれる。解放される。考える事からもね。もういいだろう。答えは出した。証明も得ている。十分である。時代は進化していく。限りなく。いうにいえない事がある。どうにもならない。しかし酷な人生だった。


【お金からの自由】
2008年09月05日 00時00分41秒
BGMは今、クリュイタンス、パリ音楽院、『幻想交響曲』、東京公演ライブ。これは人類の遺産だね。この時代の背景は何だったのか。ルソーとかだけが、啓蒙思想家ではなくて。時代の空気がそうだった。それはレオナルド・ダビンチもそうだった。彼はその時代の集大成だった。何時の世もそうだった。それが流行である。何を流行らせるのか。誰が流行らすのか。誰の感性が基準となるのか。デザイナー及びプロデューサーの責任は重い。テレビ界及びお笑い芸能界にいう。本来日本の好む感性がある。色がある。愚かではない。野蛮ではない。理由はどうあれ、これより日本をあなた方の色に染めさせはしない。さて、平等とは何だったのだろうね。偽善的均一ではなかった。或いは低いレベルで規定する事でもない。それぞれがそれぞれの持って生まれた能力に応じてその花を十全に開花させる事だった。それを阻害している事実がなかったか。それは嘘であり、暴走族的なものではなかったか。そうした方々の支配があったのではないか。それは平等ではない。公平というのはそれぞれの努力に応じての事だね。そうした事が何処かで歪曲されていた。お金の力でね。お金持ちが優秀な労働力を買う事自体がおかしい。そして買われた人は永遠にお金持ちになれない。そういう仕組みが欺罔的だよね。発想の転換をする事でクワドラントを移行する事は出来るとしても。教育はこうした事を知らずに、唯、優秀な労働者を作った。子ども達はその欺罔性に気づいているのだよ。大人は知らない。そして従来の競争こそ現実であり、それしかないと思っている。資本主義は資本から生まれる余剰を消費するべきであって、資本そのものを消費するサラリーマンには請求書に追われる明日しかない。それをオミットして本来知的に劣るお金持ちの知的階級に対する支配があった。知性は知的であるが故に何時までも気づけない。それでその仕組みに早くに気づいた者たちが、馬鹿である方が幸せだとした。確かに事実はそうであった。しかし此処に気づけば知性による維新があっておかしくないよね。穏やかに知的に。その時が来たようだ。何を以てセレブというか。何を以て勝ち組と称するか。お金である。既に権力は克服されている。それが市民革命だった。現代戦争の無価値は原爆によって証明された。今何が問題であるか。お金だよ。お金では買えないものがある。それをあまりにも無視していた。テレビ界がその権化である。何時までも看過出来ない。これより為すべきは何か。お金からの自由である。情報化社会となって、お金がなくても、本来最も高価な情報は安価となった。これを以てお金から自由となる。幸せはお金では買えない。最大の富は何だったのか。知性であり、人格である。そして幸せになれる。本来日本の目指していた精神がある。ペリー来航以降失ってしまった。あまりにも商人根性の支配する國となった。西洋思想は既に19世紀に没落していた。しかし日本は四杯の蒸気船におびえて本来日本を裏切り西洋化した。本来日本の方が歴史は古い。西洋も待っている。何を待っているのか。何処かに記した。本来日本に帰る頃だ。

ところで面白いものを見た。ふと気づくと、窓の網戸にヤモリがいる。体長11センチメートルくらいだろうか。微動だにしない。その10センチメートル前方に一匹の羽虫がいた。3センチメートルくらいである。これも微動だにしない。真剣勝負である。静寂は15分かそれ以上だった。どちらが先に動くのか。それで勝負が決まる。一瞬それは起こった。ヤモリの体がぐにゃりと横にしなった。そして飛びかかった。羽虫は飛び立った。勝負有り。羽虫の勝ちである。ヤモリがは虫類としての限界だろうか。飛びかかるためには反動を使う。体をしならせる。その一瞬が無駄である。そのまま飛びかかればいいのだろう。それが出来ない。時を逸した。は虫類は進化しなければならなかった。敢えて静観した。秩序だと思った。

時代は豊かな時代となった。しかし自殺する方が年に33,000人いる。主に働き盛りの壮年である。お金を理由に自殺など無意味である。一部の方が利益を独占し、それをドリームとテレビ界で煽り、現実は如何なものか。バブルの頃に寿司屋に行けば、どれだけの請求があった事か。今はどうか。同じ一万円の価値が相対的に上がっている。しかし銀行の債務は旧態依然として同じレートで取り立てる。勝手だね。一方的だね。例文規定という事もある。事情変更の原則もある。かつては徳政令とか棄捐令もあった。誰のための政治であるか。全体のボトムアップが図れるほど豊になっているのではないか。ところがこの度の史上最高の好景気の利益は何処に消えたのか。とうとう労働者に還元されなかった。労働形態は今、どのようであるか。何時までもこうした勝手は通らない。大義名分がない。考えるべき時に来ている。十分に技術はある。豊になっている。あまりにも利益の独占がまかり通った。それは古いパラダイムに立脚している。お金がなくても豊かな生活は出来る。その為には富の配分を考えなくてはならない。新しいパラダイムに立脚して。そのパラダイムを形成する必要がある。既にそのヒントはある。総裁選挙が準備されている。派閥の拘束がなくなりつつあるのは良い事である。さらに考えるべき事がある。それは何か。その時に来ている。チャンスだね。どのようなビジョンを打ち出すのか。国民は期待している。裏切らない事だ。政治は自分たちの私利私欲のためにあるのではない。かつて政治家は井戸塀だった。少なくとも武士には精神修養があった。それで尊敬もされた。お金で汚ければ誰も信頼しない。尊敬もない。公務員の使用者は国民であり、何処までも公僕である。勘違いしていなかったか。あまりにもお金の支配があった。その淵源も明らかとなった。西洋重商主義だった。しかし市場原理は諸価値を破壊して顧みない。精神の秩序も破壊した。そして困苦の世となった。お金持ちは自分で自分の首を絞めている事を知らない。お金儲けは過程である。或いは手段である。最終目的は何だったのか。アンドリュー・カーネギー氏も全ての富を還元した。テレビ界はお金持ちの利益のためにしか動けない。そこに欺罔がある。公務員は身分に安住して現実が見えていない。唇寒し秋の風。政治家は違う。身分の保障はない。お金の力でそれを実現していてもである。政治家の本質は今、風見鶏である。風は今、何処から吹いているのか。何が明らかとなりつつあるのか。見極める必要があるね。時代は代わる。歴史は繰り返す。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。日本に於いては、関ヶ原、鎌倉幕府、平安遷都と遡る。世界史はかつて地中海だった。大航海時代を経て世界は地球となった。世界は今、宇宙である。地球も齢を重ねた。人類も進化する。生命体としての進化傾向もある。本来の目的地がある。日本は明治になって世界に合流した。仮の合流だった。これより真実の合流を目指す。世界は愚かではない。野蛮ではない。世界は待っている。日本の本質は何か。それが目覚める事を期待している。世界を救う事も出来る。何故か。現存文明文化諸国家で最も古い歴史がある。つまり生き抜いてきた。それは何故だったのか。何故日本は日本であるのか。考える必要がある。多くの人は知らない。探そうともしなかった。お金が価値だと思っている。お金の支配はここ400年である。土地による農民の封建支配は克服された。お金による支配も克服される。日本は本来神国だった。シャーマンの國だった。神仏は実在する。その本質を知る者は少ない。しかしそれが真実であり、救いはそこにある。どういう事か。知る人は知っている。それで良い。日本は日本で良い。あの戦争は西洋合理主義に基づく。故に大義名分はなかった。神風は吹かなかった。それで十分に証明されている。本来日本、神風の吹く。『無門関』に面白い話がある。犬に仏性があるか否か。ある時は有るといい、亦ある時は無いという。どちらも真実である。これがわからない。どうして有るというのか。どうして無いのであるか。物差しが違う。基準が異なる。それがクワドラントだった。さて、カマスの話もある。野生である。人間は動物である。しかし文化的な動物である。野蛮を好まない。愚かではない。ビデオデッキは数少ない日本の発明品であるが、その普及はどのようであったか。はじめはカマスだった。何時までもカマスの時代ではない。本来日本が目覚める。それは何か。武士道は死ぬ事と見つけたり。これを言い切る事が出来るか。その意味に確信はあるか。本来日本は存在している。カマスではない。さて、テレビ界及び商人支配は何時までも続きはしない。本来日本はそれを好まない。年貢の納め時となった。身分に安住する者たちは全て精神的に怠惰だった。不安及び恐れから逃れる事が出来るか。その時、自信となり、勇気となる。勝負は決した。本来日本を復興する。大義名分とは何だったか。世の経営者レベルの理解は、多くの人がそれを認めればそれが大義名分であるという。違う。大義名分とは黄泉の受容祝福守護である。黄泉とは祖先の総体である。前提として黄泉はある。祖先もある。愚かな支配だった。故に腐敗した。大義名分を以て神風は吹く。過去から伝えられている。あり得ないと思うね。それがあなた方の限界だ。人生とは何だったのか。自由とは何だろう。個人主義の時代だよね。それが自由だった。誰も貴方の自由を阻害してはいない。勝手している人はいるけれども。それも何時か凌駕される。何時までもそのままではない。それが進化だった。新たな芽は出ている。時間の問題となった。全ては夢より始まる。それが無だった。そしてその夢は仮定である。それを証明すればいい。証明が出来れば現実に実現する。このメカニズムが思考は現実化するということだった。知性を要する所以である。この世は人生も成功も夢実現も自己実現も自己確認も数学的だった。お金儲けもね。しかしお金儲けだけが目的となった。手段を選ばない方々が勝手した。何時までもそれは通らない。何故だろうね。それを彼は証明したのかも知れないね。孤独な旅の中で、何を見聞してきたか。誰も知らない。ソクラテスはいう。私は知らない事を知っている。新しい時代が開かれた。彼の夢だったのか。その証明が済んだのだろうか。今日も天気が好いね。発想の転換が大切だった。価値観が違えば当然相性は悪い。書き換えればいいね。その為には力を要する。究極の力は何だったのだろうね。仏法は必ず勝つ。それだったのか。負け戦はしない事である。勝負は構えた時に決まっている。本来大和の戦である。何を以て自信とするか。黄泉の受容祝福。黄泉は全て見ている。ご用心。本来日本とはそういう國だった。何を裏切ったのか。何を粗末にしたか。反省の頃である。同じ轍は踏まない。感じる事は出来るよね。それより始める。そして知性に至る。あらゆる欺罔を廃する。暴力は以ての外である。そして新たな始まりとなる。時は代わった。

さて、2008/9/13-14 広島の宮島の対面に海の見える杜美術館というのがあって、その主催で無料コンサートがあるね。http://www.mfes.jp/


【胡蝶の夢】
2008年09月04日 00時00分05秒
さて、長い旅だった。旅は終わった。もう、あれこれいわなくて良いようだ。やれやれ、ご苦労様でした。お疲れ様でした。ここまでしなければならなかったなんて。今思うと、馬鹿馬鹿しいね。これで楽になれるね。もう、良いみたいだ。解決したのかな。それにしては、失ったね。全て。それで、良いんだね。これからが始まりだよ。エビの脱皮だね。そして、もう大丈夫だよ。愛の世紀の始まりだね。本当だったんだね。良かったね。何が?胡蝶の夢!やっと目覚めたね。もう駄目かと思っていたよ。未来は、明るいね。ありがとう。可能性が開けた。無限大だ。真実はある。それは何だったのか。見つかったんだね。これで誰もが享受出来るね。新しい時代だね。子どもの頃からそうだったね。誰も知らないね。ご苦労様。よく、見つけてくれた。よく、堪えてくれた。これからを、随分と楽しむが良い。自由だよ。日は亦昇る。楽な笑顔となったね。もう何も考えなくて良いんだよ。どうやら終着駅だ。喜び世界って有るね。歩み通したのだね。長かったね。よくやったよ。重荷を下ろしたのだね。何を背負っていたの。重かっただろうね。至ったのかな。ギャーティだね。もう十分だよ。証明も済んだ。これからをお幸せに。君の時代だ。さすがだったね。申し分ないよ。君のミッションは終わった。後の余の事は任せるが良いよ。時代は開けたね。そしてとうとう見つけたんだね。それが空だよ。それが富だった。最高の宝はそれだった。世間の成功者も知らない宝がある。お前は見つけたようだね。それが世界だよ。お前の周りは誰も気づいていない。当然だ。歩んだ道が違う。持って生まれたものも違う。たいへんだったな。お前はお前で良かったんだ。何にでも成れたはずだった。しかし何もかも失った。それが真実だ。お前の信じる道を進むが良い。天が守護する。それがこの世の宝だったんだ。富だったのだ。黄泉も祝福している。よく此処まで辿り着いたものだ。それで良い。福音となった。勘違い、思い違いしている者たちが哀れと見えるか。憐憫の情或いは慈悲がわかったかな。お前の探していたものはそれだった。歩んだ道は正しかった。それで良いよ。胡蝶の夢だ。笑っているのか。泣いているのか。空がまぶしい。風はさわやかだ。本当の知性の勝利だ。今日の空は雲がほとんどない。日本晴れである。山田無文老師はいわれる。聖諦第一義はわかる。しかし、廓然無聖はそう簡単にはわからない。そして、一を聞いて十を知るようでなければ禅はわからない。埋没していた日本の知性が目覚めた。よかったね。これで生きていけるね。しかも自信を持って。これが本当の自信だった。これが幸せだった。いよいよ見つかったね。君の探していたもの。合流だね。何処に合流するのかな。クワドラントの話がある。労働者と自営業者そして経営者・投資家である。さて、それぞれ物差しが違う。労働者は労働及び時間給が基準である。自営業者は売上げ。経営者・投資家は何だろうね。それが問題だ。前者は後者を理解出来ない。何故だろうね。基準が違う。物差しが違う。そしてそれはあり得ないと思う。知らない事を以て否定する。彼もそうだった。それでもがいた。わかって貰えないもどかしさがあった。それで良いのだと気づくまでに、此処までの旅があった。それは無駄かと思われた。気づけばいいのだった。世界が変わる。それで良いのだった。そして知性を以て此処に至るは稀である。およそ次元が異なる。彼は達したようだね。誰も彼を知らない。それほどまでに、彼は至ったようだ。知っているのは天及び黄泉である。レベルが異なる。故に苦しんだね。わからなかったね。それも試練だった。どんな悲しみもそれと同等か或いはそれ以上の喜びの種がある。西洋成功哲学の神髄だった。お金儲けはその過程に過ぎない。この世に生まれて最終目的は何だったか。持って生まれた人格の完成とさらに進化だった。よかったね。お前の勝利だ。誰もそれほどの人生を歩んではいない。全教科に十を並べるほどの集中力はそれほどありはしない。惑わされたか。それほどの真実である。カンニング的に世に出て閥を成した愚かな者など相手ではない。馬鹿になる事が幸せであるなどというグループの世だった。彼らの勝手があった。欺罔を手段として利益と成して平気な者たちの世である。全うに生きて犬死にするような事があれば、お前がその第一号になれ。北一輝氏の言葉である。三十年来の旅があった。いうにいえぬ試練もあった。そして埋没し、人生と青春を失った。犬死にかと思われた。そうでもなかった。それを証明する事になったね。もう十分だよ。浮かれた世間をよく泳ぎ切ったね。これからが楽しみだね。この海を渡り切った者はそう多くない。でもいるよ。合流だね。お芽出度う。さきほど、ローソンに出掛けて、とても美しい人とすれ違った。これまでに見た事もないくらいの人だった。流れが変わりつつあるのかも知れないね。さて、彼の見つけた愛とは何だったのか。あいうえおの愛であり、始まりだった。イロハニホヘトに於いては色である。色とは法であり、見える世界即ち現実だった。それで花の色は…となり、色即是空である。さて愛とは、動植物及び岩石も喜ぶ宇宙的周波数だった。それを仏の慈悲といっていい。海よりも深く、山よりも高い心である。愛は見えない。しかし実在する。神仏も実在する。知らないから否定する。そして勝手する。それが困苦の原因である事を知らない。大宇宙に掟がある。科学的法則はその一部である。認められていないが、認めたくないのであろうが、厳然として、六道輪廻及び因果応報である。宇宙の構成要素がある。周期表は明らかとなっている。それらのバランスが大切だった。誰かが貪れば、誰かが困る。ここしばらくのパラダイムだった。それで勝ち組とか負け組とかいう事になる。それも克服される時が来た。21世紀である。基準が変わる。それは何か。誰も犠牲になることなく、誰もが平等に幸せを感じる。それはある。知らないからあり得ないと思う。それは何だろうね。既にその芽は出ている。殺戮など以ての外である。よかったね。誰もが幸せになれる。その道はある。その方法はある。新しい時代だ。それが胡蝶の夢だった。彼は探した。そして見つけた。どれほどの苦難が有った事か。世間は知らない。それで良いと思えるようになったという。

喜びは 浮世絵のごと 開かれて 空晴れ渡り 笑みはゆるやか


【トンネルを抜けると】
2008年09月02日 04時05分25秒
季節は、夜になると、コオロギが鳴いている。秋の気配である。日中はまだまだ暑いのだけれど。さて、いつもの白牡丹を傾けながら、『走れ歌謡曲』を聴いている。演歌は良いよね。一人ではあるのだけれど、お酒を楽しんでいる。やっと、楽しめるようになったのか。長い旅があった。或いはトンネルだった。トンネルを抜けると春だった。この度は確実に抜け出たようだ。何もかも失った。しかし全てを得たのかも知れない。トータル・イズ・ナッシング。人生は、よくできているね。欠けて満ちる月である。自分を取りもどした。ほぼ完璧である。折れた骨は強くなる。不安はない。自信はある。どうするんだろうね。周囲巷は誰も知らない。知る人は知っている。それでいいね。G8下院議長会議が広島である。福田首相は辞任した。これからどうなるのだろうね。楽しみではあるね。未来は明るい。ある社長が三十歳の頃にいわれたそうである。お前は既に他の誰よりも知識はある。これからは、直観力を養え(そのまま、頂きます)。かつてテニスをしていた。高校合格が決まった日の夕方、その高校のテニス部のキャプテンと中学校の先輩が訪ねてきて、一緒にやらないかと誘ってくださった。迷っていた彼は、断ってしまった。そのまましていれば、インターハイは夢ではなかった。それほどまでにしていた。残念だったね。何を迷ったか。何を探さなければならなかったのか。何を失ったのか。その頃から、過酷な人生が始まったか。思えば三十有余年、孤独に戦い続けていた。ご苦労だったね。そして見つけたものがあるという。よかったね。十九の春は津波だった。何もかも失った。その後、就職してもその余波はあった。常にそれにおびえていた。人生も青春も失った所以である。堪えるしかない。およそ想像を絶する。その間、筑間教授からの伝授もあった。それどころではなかった。そしてさらに逼迫した。そして書き始めたのだった。表現の自由は素晴らしい。その後、何を見つける事になったのか。導かれていたとしかいえない。不思議な体験は数多である。そしてその間、無駄ではなかった。全てが意味を持った。そして全てを知った。二千年来の謎を解かねばならなかった。日本を救ったとまで思われた。彼のミッションだった。馬鹿馬鹿しい話だね。何を見つけたか。既に何処かに記した。証明も済んでいる。もはやどうにもならない。時は来た。


【もう大丈夫だよ】
2008年09月01日 00時04分26秒
この世の中はどのように出来ていたのか。今も昔も変わらないのだろう。浮かれた世間と、真摯に時代を見つめる方々とがいたのだろう。そして秘密の通信或いは交信がある。ノアの箱船は何時の世もある。浮かれた方々は淘汰される。真摯な方々が未来を作る。何時の世もそうである。何もかもその意味では何時も足りていたのかも知れない。父は知っていたのだろう。祖父もね。彼は知らなかった。戦後はそれほどの試練だった。故に苦労した。苦労などしなくても良かったのかも知れない。やがて何時か合流するはずだった。だが何時までも孤立無縁だった。それもプログラムだったのかも知れない。何がプログラムされていたのか。世の腐敗だった。戦後の必然だった。それより逃れるためには何が必要だったのか。密命だったのか。しかしそれも彼には告げられていなかった。何と酷な人生だった事か。しかし時は来た。気づいてみれば、彼は帰郷していた。まるで窮児の帰城である。しかし世の中はどうなっているのだろう。浮かれている。惑わされない事だ。浦島太郎は驚いたに違いない。そして浦島太郎は亦花咲爺でもあったか。枯れ木に花を咲かせる時節となったか。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。何もかもそれでいいのである。そのように思われてきた。誰もが幸せになりたいね。なれるよ。もう大丈夫だよ。彼は不思議な経験をしている。それは何だったのか。いえない事が多いね。いう必要もない。芽出たいね。彼は自覚を全うした。もう大丈夫だよ。黄泉は待った。そして大切に育んだ。何を待ったのか。彼の自覚だった。彼こそ秘密だった。秘密は秘密である。彼は自覚して驚いた。この世は何だったのか。大鏡。何がいいたいのだろうね。彼にしか解らない事がある。それを表現する必要もない。黄泉は待った。そして大切に育んだ。もう大丈夫だよ。時が来た。新しい代である。もう来ないのかと思われていた。もう死んだのかと思われていた。もう咲かないと思われた。この花は咲くだろうか。咲いた。知る人はいるだろうか。彼が彼自身とその力を知る時が来た。既に生まれた時からそうであったその力を。そして彼は思っている。何を思っているのだろうね。感謝と同時に申し訳なかったと思っている。これほどの黄泉或いは祖先並びに神仏を裏切っていたのは自分だった。戦後の風潮と教育の故ではあったとしても。それを反省している。そして穏やかで楽な人生をこれで歩めると思っている。彼こそ秘密だった。それを解かねばならなかった。そして解いた。解いたのは彼の力ではなかった。導いたのは黄泉だった。そして知るのだった。神仏はこの世に実在する。前世はある。来世もある。認めたくないね。何故だろうね。宇宙自然生命黄泉。全てが慰めとなり、穏やかで健やかでありますように。もう大丈夫だよ。

It is wonderful to be in this world on the earth under the sun and the moon in the space. What happened to me? This world is beautiful. I found it. Why? Because we are let to be alive. It is the truth. Now it is the 21st century. There is a promise of the 21st century. I found it. That's love and peace. People's wish is going to appear.

鈴木大拙「信仰の確立」
「存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ。」