2008年05月31日
この世に生まれて
此処に来て、再び、大反省の頃となりました。これまでのプロセスが無駄というのではありません。そうではなくて、レベルが一つ進化するのでしょうか。新たなステージのようです。失われた何か大切なものを探していました。それは見つかったように思います。そして既に確信に至りました。それはそれで良いのです。これで十九の春と今とがやっとつながりました。それは事実です。課題を一つ解決することで、次の課題がやってきます。その一つを解決しない限り、次の課題はわからないのです。そういう仕組みになっているようです。それを手続き的プロセスといって良いのかも知れません。例えば数学の教科書はどのように出来ているのでしょうか。例題があって、問があって、練習があり、まとめの問題があります。要は例題を自分のものとすることが目的です。例題の意味をわかるために問があります。例題の意味をわかって自分のものに定着させるために練習があります。個々の例題を理解してそれらを組み合わせ応用して問題を解く力を自分のものとし、それが自分のものとなっているかどうかを確認するためにまとめの問題があります。大切なのは、個々の例題をひとつも疎かにしてはならないことです。そうしないと応用問題は解けません。亦、個々の例題を全てわかって自分のものとすればいいのです。そしてその章の課題を解いたということになります。それで一つの完結です。次の課題は次の課題です。同じように、私にとって十九の春が一つの課題でした。三十有余年の埋没、特殊潜航長い冬とするところです。それは確かに解かれたのです。それは二千年来の秘密でもありました。或いは古来大和の秘密でもありました。持って生まれたものの解決だったのです。それは過去をトレースして分析し、問題点を修復克服することでした。そして今が始まるのです。そして今となったようです。手続き的今です。ところで、人生は個々の問題解決です。過去を解決して今の問題と取り組むことが出来ます。往々にしてこの作業をしていないまま大人になっている方々が多いのは残念です。それは生活に追われてのことです。そして新たな問題が日々生じるのですが、それらは悉く未解決のまま蓄積されています。行政もそうだったようですね。問題山積みとなりましたね。結果が数字で表れるとすれば、700兆円の債務は何をかいわんですね。是非、今生で解決して頂きたいところです。それはそれとして、やっと今を課題とするところとなりました。そしてそれはレベルが一つ上がったことを意味します。どういうことでしょうか。現実として取り組むべき問題及び仕事が見えてきたのです。それはそのまま生まれた意味でもありました。漱石が「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」といったそれです。過去は解決されました。自信も回復されました。そして今と取り組むことが出来るのです。今と取り組むということはそのまま未来と取り組むことです。過去の結果が今であり、今の結果が未来です。そして大切なのは、現在の幸不幸は全て自分の過去の果実であるということです。それはそのまま心構えの問題だったのです。此処に思い至るのでした。もう過去について問題にする必要はありません。今及び未来に対して責任を持つ段階に至ったのです。そして思考は現実化する時、日々どうあるべきかが理解されるのです。すべて自分自身の問題だったのです。何時までも自分以外の何かをあてにしていたのでしょうか。生命体としての進化傾向がはっきりと見えてきました。それは権力でも武力でも金力でもなかったのです。仏さんは法力と仰います。これは宇宙の法則を意味します。それは日々の自分の思考と行為の質と量だったのです。大いなる意思とかいいますね。それは神といわれることもあります。この世に生まれて人間としての可能性を高め、未来へつなぐのです。それがこの世に生まれた意味でした。その為に懺悔もあります。反省もあります。それらは過去を解決するためにあったのです。そして人類は限りなく進化します。そうした目的が明らかとなりました。その処方箋も見つかりました。あれこれと探してきたことでした。四聖の思いは何だったのか考えてきたのもそれでした。そして最も素直に取り組める処方箋が見つかったように思うのです。それがアンドリュー・カーネギー氏の成功哲学です。これは素晴らしい人類の宝ですね。つまり魅力的なパーソナリティの要素としての心構えです。仕事は何でも良いのです。唯、やはり未来を見据えたものが良いですね。そして気づいたのです。そうした方向へ取り組んでいる方々が既にいらっしゃることでした。中村文昭氏もその一人です。やっとこのレベルが見えて参りました。私の探していた世界でした。過去を解決することで次の課題としての今が見えて来るのです。私もこの今の課題と取り組めるところまで自己修復ができたようです。そして思うのです。少なからず、思い違い勘違いが、私自身にありました。この点は、大いに反省しています。どうか積極的ミスとおゆるしいただきたく存じます。潜在意識とかプラス思考の意味も理解できました。これより今の問題点を分析し、それを解決するための行動計画を立てて、それを行住坐臥寝ても覚めても忘れず、具体的行動に移して結果を出していく。個々の問題解決の積み重ねが人生であり、亦、ビジネスです。ビジネスの目的は決して唯自己利益追求ではなかったのです。社会に貢献するという会社理念はよく聞きますが、果たして、現実行為はそれと乖離していますね。それはそれで淘汰されるでしょう。大企業と雖もその例外ではありません。行政もです。そういう時代に入りました。究極の目的として人類の福祉があり、それを考えなくてはならなくなったのです。地球温暖化とか環境ホルモンの問題がそうです。取り組むべき課題が見えて参りました。日々邁進努力する所存です。個々人がこうした問題意識を持つことが出来れば必ずこの困難な時代を克服できるでしょう。身分に安住し、安易に生きることが出来る時代は終わりました。私を含めて、少し怠惰が過ぎたようです。教育界も考えなくてはならないところですね。子ども達の未来が係っています。テレビ界は猛反省を要します。この点はもういいですね。みんな幸せになって良いのです。向上心と向学心で良いのです。これと取り組むこと自体が楽しいのです。そして怒る暇など有りません。限りなく進化するのです。やさしさへ。開発するべきは愛の周波数でした。動植物及び岩石も喜びます。平和でなければこの力の開発は出来ません。平和とは戦争の克服ですね。一リーダーの決定で戦争をして庶民を犠牲に供する根拠は何処にもありません。どうして戦争が起きるのか不思議です。解決はあるのです。戦争する必要は何処にもありません。あまりにも愚かです。ところで君と僕とかいいますね。それぞれレベルがあることに気づいていますか。象徴としての君と僕もあるのです。即ち日と月です。陽と陰です。プラスとマイナスです。電流が流れますね。明かりが灯りますね。因って未来は明るいのです。わかりますか。知る人ぞ知る。究極の自覚、二千年来の秘密。幸せな時代の開闢です。わからないですね。彼がいっていたことです。笑うしかないですね。原爆の火を以てしても焼くこと能わず。彼はいっていました。刃向かうなし。西洋哲学における黄金律は、己の欲するところを人に施せです。しかしながら、これは何処までも人間が基準ではないでしょうか。此処に本当の黄金律とは何かを確認したく存じます。それは神を畏れよ。そして佛を誉め奉るべし。神仏の偉大さを知る者として。神仏は実在するのです。それを確認しました。神仏の意思に合致する限りに於いて人間は幸せです。その時、美しい風景が待っています。そして思い違い勘違いしていたのは私でした。開発した動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数も実験実証済みです。限りなく進化するのです。この世で生まれた意味です。帰るべきところは何処だったのでしょうか。此処だったのです。即ち、神仏の懐でした。これが胎臓界だったのでしょうか。そこに既に至り着いた方々の世界が金剛界だったのでしょうか。仏法は必ず勝ちます。王法は必ず儲けます。王とは何だったのでしょうか。主体性を獲得した個人です。地上ヘブン=愛の王国建設の頃となりました。自分を取り戻して本来の自分となるとはこれを意味していました。これが秘密の内容です。そして例えばアンドリュー・カーネギー氏もこの秘密に至っていたのです。彼の理論は魅力的なパーソナリティとしての個々の要素であり、それは心構えです。そして今の自分は形成した自己の結果です。これが不幸なら、心構えから修正すればいいのです。そしてビジネスは限られた時間に於いて自己の計画した結果実現の集積でした。その為には行動計画が必要です。計画を立てる為には情報を収集して事実を分析します。そして全体的にこのプロセスを実現へ向かわせるためには、目的がはっきりしていなければならないのです。それが明確な目標の設定でした。目標が明確でなければ、それを実現するための行動計画が立ちません。さらに、自分一人の力は知れています。誰かの協力を得て初めて大きな仕事が出来るのです。それはネットワークの力です。協力を得るためには何が必要でしょうか。権力でも武力でもお金でもありません。心から協力を惜しまない方々の心です。そうした心が一致する時、個々の心を超えた第三の心となります。そうしたネットワークがマスター・マインドです。探すべきはそれでした。即ち同志です。人間の偉大さは此処にあったのです。英知の結集が必要な頃となりました。人類はこれまでになく危機に瀕しています。アフリカの貧困もそうです。唯自己利益追求ではおかしくなるばかりです。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。神の七つの力を賦与された人間の可能性が見えてきました。諸問題は必ず解決できます。時代は推移しました。21世紀です。地球も齢を重ねました。考えるべき頃です。世界は既にひとつです。野蛮より脱却しなければならないのです。何時までもグズグズしているわけにいかなくなりました。時は来ました。未来へ伝えることがあります。一番にならなくても良いと歌っていましたね。それでどうなりましたか。これで日本の男は良いのだといっていますね。今支配している方々の同じ論理です。故にいい加減な世の中となりました。何が今、跋扈していますか。嘘と欺罔ですね。大企業も行政もそうです。本来日本は勤勉な國でした。何故このようなことになったのでしょうね。本来日本の本懐があります。戦後継受した自由を勘違いしたのです。そして本当に大切なことを愚弄無視したのです。或いは裏切ったのでした。一番をとることがどれほどデリケートであるか知っていますか。そうした方々がする仕事がどのような仕事であるか知っていますか。一番をとったことがない人には解らないでしょう。解らずに否定してきたのです。むしろ優等生が悪であるかのように思っているのではないですか。少なくとも優等生が優等生でいられない世の中です。おかしくなるに決まっているのです。テレビお笑い芸能界にその主たる罪があります。世間を勘違いさせましたね。

スマイルズ
「優れた人間は他人の評価などに余り重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すればそれが彼にとっては無上の喜びとなるのだ。どんな分野であれ成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。人間の成長はひとえに困難と戦おうとする意思すなわち努力いかんにかかわっている。強い願望は我々が何かを成し遂げるための先触れとなる。人生の最高の目的は人格を強く鍛えあげ、可能なかぎり心身を発展向上させていくことである。これこそ唯一の目標であり、それ以外のものはこのための手段に過ぎない。最高の人間性を獲得し、他人に役立つ仕事に打ち込み、人間としての義務を果たしていくことこそ一番立派な生き方なのだ。人間の美徳は自分の力で精一杯努力して学んだ時に初めて目覚める。人間の行動は完全に滅びたりはしない。喩え肉体は露のごとく消え去っても善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び将来の世代に感化を与えていくだろう。人間が生きていくことの大きな責任と危険とはまさに重大かつ厳粛なこの事実から生じるのである。行動によって人を説き伏せられる人間。人格教育の正否は誰を模範にするかによって決まる。希望に燃えている人の心は健全で幸福そのものである。仕事こそが人間の生き甲斐であり、全能力をそこに傾注すれば人格は向上し進歩も勝ち取れる。常に良心が命じる義務を果たし結果は天に任せよ。ものごとの始まりはすでにその中に結末をも含んでいるが、人生という旅においても第一歩を踏み出せばその方向と目的地は自ずと決まるのだ。心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいる。」

アウレリウス
「日々考えていることがあなたの精神を作っていく。何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。」


2008年05月30日
戦後の約束
本来の知性がどういうものだったか。何を求めていたか。そして何を得るのだったか。示し得たように思っている。もう十分なくらいに。そして失われたと思っていたものが実は失われてはいなかった。何もかも生きていた。そのように思えてきた。失っていたのは何だったのだろう。自分自身だった。いつのまにか見えなくなっていた。忘れていたわけではなかった。自信を失っていたのだった。自分自身に。何故だったかはもう良い。取り戻すしかない。何を取り戻すのだろうか。自分自身だった。どのようにして取り戻すのだったろうか。それが自己との戦いだった。道を失うとどれほど苦労することになるか。その孤独は想像を絶する。孤独とは現実と信じたい自分とのギャップだった。あまりにも悲しい人生があった。その意味では諦めかけていた。もはや自分の思う人生はないと。しかし種は種だね。何時か芽吹く。世の中は今、どのようであるか。愚かであることが人生だと思っている。本当の知性を笑いものにしてきた。しかし何時か振り子は振りきれる。そしてその時にはもう遅い。既に歩んだ人生がある。その間、何を求めていたか。取り戻すべき自分があった。取り戻した時、どれほど偉大な自分であるか。この世で思い知ることになる。その時が来た。取り戻すべきは取り戻した。長い冬だった。しかし何時も見守られていた。見守っていたのは黄泉だった。辛い時間が流れた。今となっては懐かしい。自分は自分でよかったのだった。取り戻した自分に感謝する。その時、代々の祖先と日本に感謝する。大きな失敗があったのだろう。一人で背負うには重すぎた。しかし背負ってしまっていた。何を背負っていたのだったろうね。もういいよね。天の守護するところとなった。何と戦っていたのだろうね。これで良いのだと思う。彼はいっていた。日本を救ったよ。どういうことだったのか。何がいいたかったのか。本来日本の本懐だった。或いは進むべき道だった。それは示したのだろう。一人考えてきた。自分はもう駄目だと思っていた。そうでもなかった。解いた謎がある。およそ理解不能であろう。しかし既に証明はある。どのような証明だろうね。未来は開かれた。本当にそう思っている。誰もが幸せになれる。何故だろうね。それほどの謎が解かれた。背負った運命があった。解かねばならない謎があった。すべてその為に準備されていたと思えてきた。何もかも。このような感慨があるだろうか。至り得たのかも知れない。これが夢だったのだろうか。これほど大きな夢があっただろうか。人間は偉大である。それを証明し得たのだろう。これで良いのだろうと思う。やっと生きてゆける空気となった。辛い戦後だった。焦ったことはない。これから私たちの時代が開ける。彼はやはり偉大だった。感謝している。色々なことがあったね。明治の課題は条約改正だった。思うようにならなくて世界大戦までしてしまった。そして六十有余年を経た。もう大丈夫だよ。彼はいっていた。世界への合流を果たし、重要な地位を占める。戦後の約束だった。それを果たすための要件は何だったのか。それを知らず世間は勝手に腐敗した。何時か使命を果たす時が来る。その為に試練がある。教育がある。世界は動き始めた。

取り戻し 帰り来たれば 別事なし 
     穏やかさの中 息をしている

何もかも 意味あることと 知る頃と
     時代定まる 穏やかな日々

戸惑いて 何を笑いて 浮き世草
     大樹の陰に そよ風の吹く

約束の 象牙の塔を 選ばずに
     野辺に咲きたる 大輪の花

彼故に 何処に咲きたる 大和花
     庶民解放 夢を果たせる


2008年05月29日
再び 少年よ大志を抱け!
全て自分次第だった。既に縷々と書いてきた。それは悉く真実だった。今にして思えばそういうことだった。生まれた時からそうだった。しかし気づくまでは真実とはいえなかった。気づくということはどういうことだったのか。隻手の音を聞くことだった。彼自身、そのような馬鹿げたことがあるとは思わなかった。あるから不思議である。そしてこの種の可能性は誰もが持っている。しかし選択の自由がある。自らどのような人生を選ぶのか。世間では真実の追求を何処かで諦める。それが大人だと思う。或いは人生だと思った。最後まで追求する者は希である。しかし真実は真実だった。誰かが至らねばならなかったのだろう。そして真実が真実となるのだった。それが果たされた。果たしたのは誰だったか。彼だった。少年よ大志を抱け。抱いた大志は何だったか。明らかとなったのかも知れない。誰も知らなかった。周囲巷は未だ誰も気づいていない。しかし、世界は認めている。彼は満足しているだろうか。しかし失われた彼の人生と青春は戻ってこない。宿命というには悲しすぎた。しかし彼は歩み通した。天の認めるところとなった。世界が動き始めた。世界もこの時を待っていた。日本復活である。汚名は晴らした。浮かれたこの世で世間に染まらないということがどれほど辛い人生を余儀なくされたことであったか。知る由もない。しかし、彼は何を見たというのだろう。何を知ったというのだろう。どのような力を得たというのだろう。謎は謎のままである。あまり多くを語らなかった。そしてもう彼はいない。


古来大和日本武士道精神発進
全ては自分次第だった。如来の誓願は困苦代受だった。仏の願いは過去を未来に移すことだった。それは過去をトレースし、過去の悪を反省して、未来へ清浄となった魂をつなぐことだった。この観点から、この世でどう生きるべきか明らかとなる。それは過去の過ちを知り、それを懺悔して、己の悪を払拭することを意味する。真実の懺悔業となる。所詮人間である限り、間違いを犯す。間違いを間違いと知って、敢えてそれを行えば、それは故意である。常に引き返すべき黄金の橋が架かっている。引き戻せばいい。それを引き戻す選択をしないで、敢えて悪を実行することで、違法性の意識となる。それは犯罪であり、罰すべきものとなる。しかし往々にして悪の傾向を賛美する方々がいる。愚かさの名に於いて、それが人間だとする。或いは憧れる。日本ではそれが野放しにされている。テレビの現実もその傾向がある。それが人生だなどと吹聴する方々もいる。これにどう立ち向かうか。その意味で怠惰だった良識がある。そしてこの世に何が跋扈したか。ところが、最近になって新たな観点が浮上した。環境ホルモンもそうである。これまで存在しなかった新たな症状が発症した。難病奇病も、多動性も性同一障害も引きこもりも鬱もそれが原因ではないかという指摘がある。合理的な証拠はまだないとしてもこうした研究もあり、傾聴に値する。しかし明らかな腐敗を前に人間として反省する頃となった。理想を現実化するのもひとつの人生である。人は人であり、自分は自分である。自分の問題は自分で解決するしかない。自分のことは自分でなければ解らない。この世でどう生きるべきか。この世で為すべきは何だったのか。過去の悪を生きるこの世における自分自身に対する懺悔だった。だからといって卑屈になるのではない。消極的になるのでもない。人生大肯定で良い。その為の懺悔である。謝ることでゆるしてもらえる。心の罪は特にそうである。心に思ったことは現実化する。潜在意識に落とし込まれたことは必ず実現する。この世はそのように出来ている。であるなら、何を思うべきか。何を反省するのだったか。自分自身だった。冷静でなければならない理由がある。情報収集した事実に対して状況判断を誤るからである。自分が変わることで世界が変わる。どのレベルのことであるか。それぞれのことである。自分を高めていく。生命体としての進化傾向がある。それは向上心だった。それが無い時、甘えという。腐敗堕落が人生ではない。安易な勝ち組が人生の真の勝者ではない。悪いのは、全て原因は自分自身にあった。過去より持ってきたもの或いはこの世で積んだものだった。此処に気づけばいい。次に何をするべきか見えて来る。霊界は全てお見抜きお見通しである。間違いは間違いである。修復することは出来る。この世はそのチャンスである。世間に惑わされる必要はない。自分自身の良心に忠実で良い。それは過去に対する反省の上に立っている。自分を信じよ。自分を変えることが出来る。その時、明るい未来が見えて来る。好きだよと素直にいえる自分がいる。この世は美しい。この世は素晴らしい。生きていることはそれ自体喜びである。プラス思考で良い。ひとつでもマイナスはないか。その必要はない。人生大肯定で良いのだ。「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」。漱石が『こころ』の中で二度書いた。よほどのテーマだったのだろう。愚かさの中で埋没する理由はない。何も怖れるべきことはない。知れば良い。知れば幽霊の正体見たり枯れ尾花。一切の不安もない。無いのに有ると思っている自分がいる。本来何をやっても良い。他人の権利を侵害しない限り。思い違いしていたのは自分だった。申し訳ないことだった。「人間自ら出づること能わず。唯、善業の因縁より出でたり」。人間としての思いあがりはないか。全て自分自身である。大肯定の自分で良い。誰もがやがて知る時が来る。それが旧約聖書の目的でもあった庶民解放の意味である。かつて王侯貴族の自由を誰もが享受する。時代はそのように進化している。愛と平和を手段として明るく楽しい日々の暮らしを如何に生きるか。本来人生はそのように出来ている。日々食は与えられている。話す言葉にご用心。既に黄色いお足が見えている。全て露。己の腑をさらけ出している。それに気づけない。気づけないままに、自己主張している。それを見抜く相手もいる。賓主歴然。それでも気づけないままに不幸へ赴く。大切なことは何だったのか。他人の気持ちを傷つけないことだった。傷つければ傷つけられる。始めに傷つけたのは何か。自分の些細な言葉だった。そして言葉と言葉の応酬となる。そしてどうにもならなくなる。人間関係が壊れるね。何事も人間関係だった。それを壊したのが価格破壊だった。人間性の喪失化傾向がある。環境が滅びる前に人間の身体としての滅びが来るともいわれている。唯自己利益追求が問題である。諸価値を破壊して顧みない。考える頃である。何を考えるのだろうね。人類としての生存である。かつて鈴木健二氏が講演でいっていた。核の脅威は地球にとって痛くもかゆくもない。困るのは人間である。そうだね。酸素がこの世に現れる前の地球は硫化水素の海だった。氷河期もあったね。生命体としてどう生きるのか。石油化学は何だったのか。何時までも看過出来ないところに来ている。石油化学で利益する者たちはこの問題を隠蔽している。庶民レベルで気づかねばならない。何時の世もそうである。新しい考えに対しては出る釘は打たれる。市民革命もそうだった。明治維新もそうだった。それらに匹敵するパラダイムの変換の時である。時代のうねりである。気づいた人が立ち上がるしかない。何時の世もそうである。未来のために。子ども達のために。子ども達は既に気づいている。知らないのは或いは知ろうとしないのは、そして知っていて敢えて否定或いは隠蔽するのは、身分に安住し、それを以て利益とする方々である。手段を選ばないね。そして世は腐敗した。事実である。歴史は繰り返す。振り子は振れる。生命体は生きんとす。未来をデザインしよう。何時までも無内容なお笑いバラエティのカラカラ浴場で馬鹿笑いして興じている時ではない。それは本来の笑いではない。時代の危機である。しばらく埋もれていた知性達よ、立ち上がれ。腐敗がもたらした結果、立ち上がるべきあなた方の時代だ。ところでブログの効用はすばらしいね。表現の自由はこのためにあったのだろうか。これで自信を回復できる。何も怖れることはない。黄泉の守護も確認できる。こうした力が人間の究極の目的であり、憧れだったことは、アンドリュー・カーネギー氏も指摘している。それなのに、こうした力を持つ方々が埋没した。むしろ野蛮な方々が支配している。何時までもそうはいかない。表現するが良い。ブログするが良い。時代は彼らによって変革されるだろう。何時までも愚かな時代ではない。ブログによって自己を回復し、自己を修正し、一切の不安から逃れ、恐怖を克服し、未来を見据える自信を取り戻した例が此処にある。何をして来たのか。何をしているのだ。時は来た。準備は整った。勝負するのかな。古来大和は負ける戦はしない。大義名分、神風の吹くを待つ。準備万端、失われた知性が回復された。愚かさの中で共に溺れることはない。知性ジャパン、未来へ出航する。本来日本健在。庶民レベルで初めて黄泉を制した。それだけの孤高孤独な旅があった。十九の春以来のことだった。長い冬だった。大冒険だった。これより誰もが乗り越えることができる。どのような傷害も。未来は明るい。時代は動き始めた。或いは時代は切り開かれた。古来大和及び代々ご祖先ご照覧受容祝福守護、此処より始まる。彼はいっていた。家伝直伝秘伝螺鈿の槍。生まれた意味を確認し、代々の使命は果たしたよ。古来大和魂及び日本純粋精神を未来に伝える。日本を救ったよ。人生と青春を賭して。道元曰く、身心脱落、脱落身心。さわやかな頭脳となって自然が反応する。生きている時間、宇宙自然生命黄泉の守護。大和の心、これを信じる。宇宙と魂は連動している。愛の周波数を開発し、発せよ。誰もが持っている。動植物及び岩石も喜ぶ。平和な日々を生きる。21世紀の約束、真実幸福論はこれを以てする。権力ではなかった。武力でも金力でもなかった。心の時代、無事開闢。誰もが幸せになれる。幸せになって良い。基は定まった。本来日本の秩序を定める。愚かな時代は終わった。何をしても良い。職業選択に貴賤はない。成金どもは何を勘違いしているか。自己人格形成責任論完結。持って生まれたものがある。愚弄無視破壊できないものがある。何を笑いものにしたのか。衆愚テレビ界の罪がある。思い知る頃となった。古来日本純粋精神、原爆の火を以てしても焼くこと能わず。その種は遺されていた。その花が咲いた。もう咲かないと思っていた花が咲いた。People are great ! 母は何があっても娘を信じていた。周囲は心配した。娘は母のように生きればいいのだと思っていた。信じることで救われる。信じる者が救われるのではない。微妙なところである。この世を楽しもうね。彼はいっていた。これより知らしめる。何を知らしめるのだろうか。知性の秩序だといっていた。愚かな支配があった。それでどうなったか。しかし時が来ていなかった。その時が来た。確認しなければならないものがあった。開発しなければならない力があった。取り付けなければならない守護があった。取り戻すべきものがあった。全て整ったと彼はいっていた。これより思い知る。彼の人生はそのために奪われた。失って初めて気づく。そうした持って生まれた人生を歩まねばならなかった。この世では解決できないであろうと思われた試練もあった。解くべき謎があった。彼は歩み通した。既にその記録もある。もはや彼を侮れない。世界も彼を無視できなくなった。しかし彼は何処にいるのだろう。不思議な話である。彼こそ影武者だといっていた。何がいいたかったのだろうね。もっと聞いておけばよかった。大岩を砕いた。これで誰もが幸せになれる。上には上がある。謙虚さの必要な理由である。決闘の極意は遅れて撃っても勝てる。勝ち負けは神仏の決するところである。思い上がっていないか。裏切っていないか。間違っている自分を正しいと思っていないか。一番にならなくて良いというその論理は何を意味しているか。敬うべきは敬うべし。畏れるべきは畏れるべし。精神の秩序を回復する。古来大和日本武士道精神は今も生きている。商人根性に用はない。世界を救う精神が古来日本にある。それは何だったのか。何時までも愚弄無視できない。世を腐敗に導いた責任はそれぞれとって頂く。年貢の納め時である。容赦しない。


2008年05月28日
希望の光が射してきた
何を為すべきか解らなかった。それが見つかるまで何をしても本気になれなかった。何を探していたのだったか。世界はどのようにして出来ていたか。どのようにして世界を味方につけるのだったか。私の少年の頃からのテーマだった。それは見つかったようだ。試練もあった。とてもこの世で乗り越えることは出来ないほどの試練であった。仏さんとも出会った。そして私は見つけた。何を見つけたのだろうね。これで本気になれる。彼はいっていた。苦労したことだと。何故苦労であったのか。戦後の故だといっていた。戦後六十年、世は腐敗した。この時を待たねばならなかった。どうしてそれほど困難だったのか。彼こそ本命中の本命だった。どういうことか。秘密に属する。しかしその秘密は解かれた。歴史は繰り返す。どういう意味だろうね。世の勝手が過ぎた。振り子が振り切れた。日本には日本の秩序がある。黄泉にも黄泉の秩序がある。何時までも無視できない。時を要した。それも運命だった。彼は何処を彷徨ったのだろう。何を見てきたのだろう。もはや謎である。しかし彼はいっていた。真実はある。それは神仏の実在である。何がいいたかったのか。誰もが無視した。彼は孤独だった。彼の思いと現実とのギャップは如何ほどだったろう。彼を大切にしておくべきだった。彼を大切にした者は必ず幸せになれた。不思議だね。決して裏切りはしない。彼は黄泉が守護していた。彼を悉く裏切った。彼から悉く奪った。そしてどうなったか。見る目がなかったね。今更である。失われたものは取り返しがつかない。父はいった。壊れたコップと同じものを此処に持ってこい。持ってこれるはずもない。同じものなどありはしない。代々の教えであろう。裏切ったね。何を裏切ったか。行政もその例外ではない。代々の統帥権は今も黄泉に生きている。事実である。古来大和の秘密である。容赦しない。その力が賦与されることもある。それほどの危機である。甘かったね。商人根性に用はない。魑魅魍魎は帰るべし。さて、どうするんだろうね。まだ勝負するのかな。既に都詰めである。螺鈿の槍は抜かれた。そんじょそこらの伝家の宝刀ではない。既に日月及び風によって証明されている。何れにしても出陣となった。そこまで追い込まれたというべきか。これまでも何度かチャンスはあった。しかしその気になれなかった。準備が調っていなかった。ジグソーパズルの最後の一枚が見つかっていなかったからだった。今はどうだろう。準備は調ったようだ。探していた最後の切り札が見つかった。焦ったことはない。人生捨てたものではない。すべては時が解決する。流れに従うのみである。クトゾフ将軍もそうだった。ナポレオンも冬将軍には勝てなかった。明るく、楽しく、日々の暮らしを取り戻す。その為の準備だった。内面のコントロールを取り戻す必要があったようだね。誰もが幸せになりたいと思っている。本当の幸せとは何だったのだろうね。穏やかさの中での日常がどれほど尊いか。知るところとなった。実現するしかない。探していたものは見つかったようだ。信じて良いみたいだ。まだまだ時を要するのだろうか。急がなければならない。もう迷う必要はないのだから。惑う必要もないのだから。明るくポジティブでいこう。今日も美しい朝である。考えるべきことはそれほど多くなくて良い。朝方散歩していると、町中を流れる川伝いにアオサギが飛来した。遠くで鳶が鳴いている。新たな一日が始まった。何れにしても大丈夫である。諸関係は修復されつつある。複雑な事情があった。これを解かねば何も始まらなかった。とても個人的なことだった。そして解決を得たのだろう。取り組むべき仕事も見つかった。やっと本気になれる。希望の光が射してきた。明るい未来へ向けて、健康で文化的な明るい一歩を踏み出そう。全ては自分次第だった。風を感じるままでいい気がする。それ以上のことは受け流すことだね。構わないことだね。日々の暮らしを幸せに生きたいね。社会の中で暮らしている。人間関係の中で生きている。どう振る舞うべきか。当たり前が当たり前でありますように。男女平等。庶民平等。


2008年05月27日
世界は決して君を見捨てない
そして気づいた。仏法では不傷害の徳をいう。人を傷つけてはいなかったか。故に傷つけられた。傷つけないことだ。傷つける、傷つけないは内面のこととなった。傷つける側は気づいていない。傷つけられる側は黙って耐えている。勝ったと思った瞬間、相手を傷つけていた。やがて自分も傷つけられる。このメカニズムから逃れる必要があるね。デリケートなところだ。ナイーブなところだ。どう生きるべきか。紆余曲折はまだまだある。野蛮からの脱却。永遠のテーマとなった。やさしさとは何だったのだろう。21世紀。新しい時代だ。これまでの常識は全て古いコートとなった。コートを脱がすのは北風ではない。暖かい太陽の日射しである。自己利益追求が反省される。カルバンは間違いだった。他人の利益を優先させることができるかどうか。廻転の流れを信じて。或いは情けは人のためならず。人生とはどういうことだったのか。この世に何故生まれていたのだったか。考える頃となった。日々が流れていく。その日々に何を思うのか。思考は現実化する。何故だったのか。潜在意識がある。これは24時間働いている。夢を見るよね。それが正夢である理由は何故だったのか。現実だけが事実ではない。見える世界と見えない世界がある。黄泉に受容祝福されるとはどういうことだったのか。その時、神風が吹くか。隻手の音を聞けば何をしても良い。聞かない裡は何をしても駄目だ。白隠禅師のいうところである。これが自信の内容である。本当の幸せとは何だったのか。お金ではなかった。幸、不幸の原因は何か。人間関係だ。つまりよい人との縁だったのだ。世の中は錯覚している。何をしているのだろうね。何をして来たのか。今、お金持ちであるということはどういうことか。それぞれ胸に手を当てて、自らの潔白を証明できるか。それで天が認めるとでも思うか。知る頃となった。はじめに言葉ありき。何気なく使った言葉が相手の心に突き刺さる。相手もそうした言葉を投げてくる。さて、どうなるのだろうね。何時も原因はささいなことだ。それが大きくなってどうにもならなくなる。殊の外、言葉遣いに用心する時節となった。身を護るためである。やさしい言葉とは何だったのか。偽善では通用しない。メッキは剥がれる。そうした人生を送っていないか。メディア関係者は特にそうである。罪は重いよ。何を広めたのだろうね。そして世の中はどうなったか。責任をとらねばならないね。ゆるしてはもらえないね。そうした自覚はまだないのかな。それでも日本の男はこれで良いと思っているのかな。投げかけられた刃の言葉をどうするか。それを身に受ける必要はない。上手に受け流せばいい。決して構わないことである。するとどうなるか。その言葉は発した相手を突き刺す。これが秘法必殺ツバメ返しである。ご用心。他にも秘法はあるよ。究極は何だったのだろうね。それはね、「人間自ら出づること能わず、唯善業の因縁より出たり」。それは何処にあるのだろうね。探すしかないね。知っている人がいたら聞くが良い。謙虚になって、素直な心で。仏は宜しきに従って法を説く。どういうことだろうね。結局自分次第だよ。そして悪人正機説ってのがあるね。どういうことだろうね。人間である限り、悪人だよ。善人だなんて思ったら、それは思い上がりであり、勘違いだ。だからといって、悪道が人生ではない。この世は何だったのか。何故生まれていたのか。どのように生きるべきだったか。時は来た。年貢の納め時である。草鞋銭が請求される。あの世に逝ってのことではない。現世に於いてである。何故か。一箇の自覚があったからである。本来の日本が目覚めたからである。容赦ない。真実の世界はある。それは何処にあったのだろうね。心だよ。最終最後最大の敵は何だったか。心だよ。失われた三十有余年、無駄ではなかった。掴むべきは掴んだ。笑顔で全て解決する。本来の笑顔は軽薄な笑顔ではない。そしてそれが通用しない相手もいる。何時までも軽薄な世ではない。この辺りでやり直しとなった。何を根拠に勝手し来たる哉。黄泉はゆるさじ。さて人生とは何だったのか。決してクイズではない。個々の問題解決であり、それがビジネスの目的ともなる。新たな問題を作ることが目的ではない。情報を集めて分析するのは何故だったのか。ターゲットを決めるためである。ターゲットは何だったのか。個々の問題だった。それを解決することをサポートする。利益追求ではない。利益追求が世の中をおかしくした。利益のためであれば手段を選ばない方々の支配する世となった。テレビで大きなことをいっている方々はそうした閥である。そしてそれが一人歩きしている。あなた方に負けるわけにいかない理由がある。掴んでいるものが違う。信念が異なる。価値観が異なる。今に解る。何時までも考え方に於いて庶民を餌食には出来ない。或いはさせない。さて、新しい仕事が見つかったようだ。やっと確信に至った。それはどのような仕事であるか。個々の問題解決の専門職である。その名は何か。独立ディストリビューター。世界が動き始めている。古い常識に固執して乗り遅れないことだ。この指たかれ。みんな幸せになって良い。一人では幸せはあり得ない。幸せもスキルであり、勝ち取るべきものである。ところでトルストイが自らの文芸の芸術性を否定したのは何故だったか。ドストエフスキーがあれほど精力的に書いた理由は何だったのか。それはそれとして、トルストイがこの世で最高の人格表現と絶賛したのがムイシュキン公爵だった。人生は春を迎えて素晴らしい。さて、確信にいたって余裕も出てくる。賓主歴然であるのに、まだ自分の方が正しいと思っていないか。これまでは通ったことも、これからは通らない。何故か。古来大和の秘密がある。相手があれば必ず克服凌駕する。開発するべき力がある。黄泉の受容とはどんな力だったのか。誰も知らない。知っている人は知っている。そして至り得て見える世界がある。まだ解らぬか。彼はいっていた。勝手が過ぎた。彼を怒らせないが良い。これまでの彼とは違う。黙示録の研究でもしては如何かといっていた。しかし大丈夫らしい。この度は善い方へ自覚したらしい。善かったね。しかし彼はいっていた。けじめはつける。馬宿の王子ということがある。彼はいった。彼がどの階層に属し、どれだけの能力がありながら、地に埋没し、何を見てきたか、重要な要素である。そして己を自覚し、自覚した己は何者であったか。二千年来の秘密が解かれた。観念するしかない。彼は何がいいたかったのだろう。今となっては謎である。彼は何を問題にしていたのだろうね。何を粗末にし、裏切ったというのだろうね。もはや思いのこすことはない。この世に生まれた使命は果たしたといっていた。彼は何処かで人知れず生きていることだろう。彼の日々の幸せを祈ろう。点検は終わった。いよいよ出発である。人生は楽しい。楽しい人生が約束されていたはずだった。しかし遠回りしたようだ。そして至った世界がある。地上ヘブンだった。君の人生は正しかった。心から祝福する。その道を歩み通すが良い。幸せが待っている。必ず待っている。君は誰よりも幸せになって良い。それだけの務めは果たしたよ。ご苦労だった。世界は君のためにある。明るく輝く美しい世界が広がっている。莫直に進むが良い。何があっても大丈夫だ。どんな障害も乗り越えることが出来る。正直でいるんだよ。素直な心で生きるんだよ。世間に惑わされては駄目だよ。君の信じる道を進め。世界が待っている。世界は決して君を見捨てはしない。

  やさしさを 取り戻してぞ 仕事かな 
         黄泉の守護する 人ぞ集めん

  さらさらと 小川流るる 心地して 
         君に伝えん 頃の来たるを

  この世とは 如何に出来たる 秘密かな
         我の仕事に 天の喜ぶ

  思い出す 子どもの頃の おだやかさ
         この世の果てに 取り戻したり

  生まれ来し 思い出遙か 手繰るれば
         この真実を 如何に伝えん

  時至る 既に処したる 人生を
         処断する頃 月はさやけき


2008年05月26日
日本を開く
世界とはどのようにできていたか。人生とは何だったのか。人間の力とは何を以て力というか。能力というか。何故謙虚でなければならないか。潜在的な力がある。それは開発されて現実となる。それまではわからない。わからないままにアヒルと思っている。どこに潜竜がいるか知れたものではない。虎視眈々とチャンスをうかがっている。それで謙虚でなければならない。鍔競り合いして相手を知る。知るべきなのにわからない方々が多い。人生甘く見ない方が良い。己を磨くことだ。自分次第である。どういうことだろうね。開闢である。日本を開く。六祖の搗いた米でごはんが炊けた。ここまで言い切れるか。言い切れる。三十有余年、無駄飯を食ったわけではない。持って生まれたものも資産である。それで十分である。無から有を生むとはこれを意味する。開発するべき力がある。それは何だったか。知る人ぞ知る。時は来た。投資するべきは自己自身へだった。一休髑髏ご用心。ある自覚を以て時は変わった。誰もが諦めかけていた。しかし黄泉の計画だったか。新しい時代である。覚兵衛直伝、目覚めよ。軽薄愚かカンニング閥魑魅魍魎嘘欺罔の支配する世は終わった。あるCMで日本の男はこれで良いのだといっていたね。何が蔓延ったか。これ以上勝手はさせはしない。思い違い勘違いも甚だしい。世を腐敗に導いた責任はとって頂く。さて物語です。その名はアーサー王の円卓会議。これは何処で行われているのでしょうか。黄泉で行われているのです。何を会議するのでしょうね。それはね、次のイワンの馬鹿は誰だろうかって議論しているのです。どういうことでしょうね。赤い糸で結ばれた関係があります。黄泉のことであります。過去からの約束事なのです。条件を満たすと、それが動き始めます。条件って何でしょうか。試練に耐えることです。或いは過去に積んだ代々の善徳でしょうか。それがヨブの約束でもあったのです。代償の法則といっても良いのかも知れません。遠い過去からの約束があるのです。黄泉が動くとはそういうことだったのです。見えない世界でのことです。黄泉に受容されるのです。或いは祝福されるのです。思考は現実化するというのもそうした鍵を手に入れることだったのでしょうか。まさにこれが key of life だったのでしょうか。誰もがその可能性を秘めています。成功は自分の力だけではなかったのです。自分はそれに気づけばいいのです。どのようにして気づくのでしょうか。それが問題ですね。正直がいいですね。焦ったことはないですね。急がば回れです。自分は何者だったのか。しばらくそうした価値が無視されていました。だけど、何時か再確認されます。それを生まれた使命とすることもあります。確かに過去に間違いもありました。十分反省されました。そして力は本来持っているのです。暫く眠らされていたのでしょうか。それ故、地に埋もれ、埋没していたのです。そして、反省して復活した力は愛と平和を願っています。嘘及び暴力を嫌います。黄泉が動く時があります。このようなお話もあるのです。


2008年05月25日
善い方へ
ある人はいう。生まれながらに障害のある人は本人に責任はない。可哀相だ。しかしお前が今貧乏なのは、すべてお前の責任だ。亦別の人はいう。くれぐれも迷惑をかけないように。ありがたい言葉だね。乗り越えたようだよ。やっと本来の自分となった。本当にそう思う。もう大丈夫だよ。思うとおりに生きることが出来るところにやっと至れたようだ。十九の春は無駄ではなかった。復活はあるよ。相手があれば必ず克服する。どんな課題も解く。私にしか解けない難問があった。それは解かれた。しかし世の評価の及ぶところではない。悲しいね。孤独だね。貧乏に決まっている。しかし失われた三十有余年が無価の輝きを発し始めた。誰も知らない。知る由もない。笑うしかない。本当の笑いとはこれだったのかな。ありがとう。無となって満ちてくるものがある。それが美しい風景だった。まるで自分を待ってくれていたかのように。どうしてだろうね。それが本来の自分の属性だったのだろうか。つまり過去においては仲間だったのだろう。自分が変わることで世界が変わる。それは愛の周波数を感じることだった。やすらかさに至ることだった。その時の自分は考えている自分ではない。空である自分だ。つまりそれが感じるということだった。人間として生まれたのは幸せになるためだった。それはこうしたやすらかさの中で生きることを知ることだった。過去からの夢はそれだった。人類は進化している。何処へ向けてだろうね。此処だったのだね。宇宙自然に抱かれたかのようなやすらぎ。それが如来が御手で頭を撫でるということだろうか。至り着き、帰り来たれば別事なし。本来の自分となって本当の幸せを知る。その為に生まれていた。その為には試練もあるね。通った試練が悲しければ悲しいほど、得る喜びも大きい。諦めないでね。この世に生まれたことを大切にしようね。ありがとう。愛している。素直にいえそうになってきた。日本はやさしさに向かって咲く花のようだった。この表現は辻邦生氏のエッセーの中にあった。そうだったんだ。所詮、自分との戦いだよ。それに勝利すればいい。何時かその時が来て、解決するよ。その為にすべて準備されている。恐れとか不安とかあるね。これから自由になりたいね。どうしたらなれるだろうね。これも段階的スキルだった。プロセス或いは手続き的なものだった。一つひとつ解決していくしかない。そして自分が変わっていくんだね。そして何時か自分の手で掴むべきものだった。とても主体的だった。そして何時か誰もが手にするんだ。それは考えることではなかった。考え尽くして、考えることが無くなる。尽くすことが大切だったんだね。燃え尽くすことだった。燃え尽きることだった。それが成仏だね。これをしないことが勿体ない。愛する人に尽くすと良いよ。きっと幸せになれる。これまで私が愛していたのは何だったのだろうね。考えることだったかな。美しい自然だったのかな。それを尽くしたのだろうか。それで微笑んでくれたのだろうか。愛して尽くすことだね。宇宙自然生命黄泉を愛して尽くせばどうなるだろうね。真実を愛して尽くせばどうなるだろうね。神仏を愛して尽くせばどうなるだろうね。微笑んでくれるね。次は現実と愛する人を愛して尽くすことだね。新たな課題が見えてきた。幸せが見えてきた。人生、楽しいね。悪舌は功徳の種を断ずるよ。自分からは発しないように。そしてもし傷つけられた言葉を感じたら、受け流せばいい。それに構う自分が消極的ということだった。積極的に生きようよ。それが良いみたいだよ。知らず識らずに相手を傷つけていたんだね。みんな、悲しいんだよ。みんな、孤独だったんだ。やさしさを求めていた。やさしい言葉から始めようよ。野蛮と暴力の愚かさから脱却しよう。それが21世紀の約束だった。そして幸せになれる。努めて言葉だね。それはそのまま心の表出だから。相手が言葉に求めているのは説明ではなくて、その言葉に託された声のやさしさだったんだ。それが愛の周波数だった。解ったような気がする。解ったのだったら実践だね。やさしい愛の周波数を発信しようよ。本当の仲間が集まってくるよ。それが宇宙自然生命黄泉だったら素晴らしいね。楽しいね。嬉しいね。美しいね。そしてみんな幸せになろうよ。秘訣は全肯定だね。相手を存在として認めることだよ。スマイル関係だ。言葉で傷つけ合うのはもうやめよう。大冒険は終わった。三十有余年の旅だった。何を求めていたのだろう。何をしていたのでしょうね。それは見つかりました。始めに言葉ありき。求めていたのは言葉でした。その言葉とはどのような言葉だったのでしょうか。愛の周波数、やさしいトーンの言葉でした。『何か失われた大切なものを求めて』というテーマは高校の頃からのことでした。それは見つかりました。この世の課題を解き終わりました。そして知ったのです。本来の自分で善かった。それは『ネズミの嫁入り』、或いは『青い鳥』でした。この世に生まれたのはこれを探し、確認するためだったのですね。ビジネスが目的の方もいます。音楽が目的の方もいます。スポーツが目的の方もいます。人それぞれだったのです。それにしては貧乏くじを引きました。人生も青春も失いました。しかしおわかりですか。それだけに得た喜びは大きいのです。それほどの価値があるのです。何故でしょうね。それは真実を知ることでした。神仏との邂逅でした。宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護でした。これほどの喜びはありません。それほどの試練がありました。すべて報われました。求めていたものは見つかったのです。確信に至っています。歴代のあらゆる書物の伝え、証明するところです。こうした事実があることを未来に伝えたく存じます。そして大切なことは、これからは誰もがこの種の問題にも取り組み、乗り越えることが出来ることが明らかとなりました。どんな障害も乗り越えることが出来ます。その時の喜びはコントロールを取り戻した喜びです。そうして得た自由の喜びは絶大です。そして結局自分自身の問題だったのです。この世は厳格な法則で動いています。それを知っているかどうかですね。とても科学的であり、客観的です。為せば成るというのもそうです。失敗は本来無くて、それも成功の種です。一切悲観的に考える必要はない。悲観的に思うのは自分の法則があるからです。それを修正すればいい。そして何事も一朝一夕にはいかない。熟練を要するのです。スキルとなれば成功も作業となるのです。そこまで諦めないことです。時間が解決するといっても良い。十九の春の悲しみだって、三十有余年は長いけれども、必ず克服できるのです。それを喜びに変えて生きていくのです。何があっても大丈夫です。その意味で成功は約束されているのです。何時か必ず至ることが出来るのです。或いはやって来る。人生とはそうしたものだったのです。感情も含めて計画通りに自己コントロールできるようになる時が来ます。そのためには練習が必要です。行動計画も必要です。モチベーションの維持も必要です。それをどのようにするか。それだけのことだったのです。成功もスキルです。21世紀の新しいビジネススタイルとして、正直者が十分に活躍して幸せになれる時代となったのだと思われます。その意味では、これまでのやり方に反省される部分があります。それに気づいて早く幸せになりましょうね。私たちはみな、どんな障害があっても乗り越えることが出来るのです。そうした問題処理能力を持っています。解決してゆきましょう。そして素晴らしい時代にしましょうね。マイナス思考をプラス思考に転じていけばいいのですね。それは謙虚に学ぶ態度から始まるのでしょうか。必ず結果は出ます。行動のないところに結果は出ません。アドバイスもありません。綿密な計画は正確な状況判断から生まれます。その為には事実としての情報を集めます。それを分析して、行動計画を立てます。それに忠実に実行していく。それがビジネスです。それが時間をお金に換えることです。限られた時間で一定の成果を出すのです。だから、目標に期限と明確さが必要です。そうした全体をイメージ化するのです。それが想像力だったんですね。それぞれ意味があるのです。そして自分の思うとおりの結果を積み上げていくのです。これも経験を要します。はじめは当然失敗もあるのです。それで良いのです。どのような夢もそのようにして実現されます。為せば成るとはそういう意味だったのです。このように具体的に為せば成りますね。環境も自ら選び作っていくのです。作っていけばいいのです。コントロールすればいいのです。相手の立場に立って、相手の望みを叶える。それが自分のビジネスとなる。問題解決こそビジネスです。或いは人生です。解決できます。解決してゆきましょう。そうした過程で、自信も芽生えてきます。諦めないことです。自分次第です。それは困難なことではありません。一つひとつやってゆけばいいのです。楽しく生きたいものですね。過去の考えに縛られる必要はないですね。思考からの解放です。自分からの解放です。マイナス思考では何も解決しません。相手のやる気をそぐのは申し訳ないことです。往々にしてマイナス言動が相手を傷つけています。何時も相手の立場に立てばいい。話を聞いていけばいい。答えは問所にあります。スキルにしましょうね。笑顔も。前向きに、積極的な生き方に転換する頃となりました。すると一切の不安も吹っ飛んでいることに気づくのです。断られることが恐怖の内容です。それが十九の春の悲しみの原因だったのでしょうか。そして自信が失われた。無理もなかった。いうにいえない理由があった。それも乗り越えることができそうだ。知れば良いのです。何事も怖れる必要はなかったのでした。ところが、仏法ではこれだけでは足りないことになっている。人間の力だけでは解決しない。それについてはこのブログではこれ以上語れない。何れにしても何事も深刻に考えることはない。心が決まれば、失敗はない。すべて成功への道となる。仏さんの救いもある。その時・場所・人・方法・実行も見つかった。その意味では思いあがっていた。何もかも結晶段階に入るのかな。楽しみだね。 Take it easy ! そしてそれは昭和50年のことだった。祖父は他界した。カープは初優勝した。日本は高度成長期の絶頂だったろうか。何故だったのか。しかし私は16の頃よりいわゆる悩みの世界に埋没していた。そして十九の春があった。その後、全て失われたかに見えた。それまでの蓄積で大学は何とかなった。しかし本来の私ではなかった。そして何度か危機があった。その度に母に助けられた。そして今に至っている。世間はさぞ甘えていると思っている。そうではないのにね。しかしそれこそ試練だった。自分を取り戻せるかどうか。ひとつの大きな黄泉の賭でもあったか。そして時は来たのだろう。それまで不思議な体験もあった。美しい経験もあった。尋常ではない人生だった。そして気づいた。私が私を取り戻さねばならなかったのだと。それはひとつの秘密に属していた。そして取り戻しつつある。善い方へ。仏さんのお陰だろうか。私は大丈夫と成りつつある。私が私である理由を見つけた。ところで、このような表現があった。≪現実は自分たちが力を認めている人たちの頭の中にあり、その人たちが断言するものが現実になるのです。しかも、リーダーの断言にしたがって、メンバーが成功し、結果をだすと、メンバーのすべての言葉は肯定的になり、確信的な自信が芽生えます(池松耕次著『ネット・ワークビジネス最強のリーダーになる人の法則』p80-81)≫。どういうことだろうね。何れにしても自分次第でした。自分が変われば世界が変わるのです。さて、自信の回復です。これからが楽しみとなりました。それが自信です。本来の自分だったのです。それで善かったのでした。

 何もかも自分信じて漕ぎ出でん この世の春の風はあたたか


2008年05月24日
醜いアヒルの子
醜いアヒルの子は可愛そう
自分が何者なのか知らない 
自分をアヒルと思っている
アヒルは醜いアヒルの子を
何時までもアヒルとして扱う
しかし何時か自覚する時が来て
悲しいのはアヒルの親
何時までもアヒルと思っている
アスナロはアスナロ
そしてその子も堪えられなくなって
決して解らせることなど出来ないのだから
何度も切れて 何度か壊したね
だけど育てて貰った恩は忘れない
それが生まれながらの属性の子
価値観の違いもそうしたものだね
いとも簡単に裏切る人がいる
どうしてだろうね それが常識の世となった
それで良いんだよ 自分を大切にね
だけど大丈夫 辛かっただろうね よく堪えたね
君はもう醜いアヒルの子ではないのだから
棲みにくい世の中となったね
心地よい声をしているね 持って生まれたものだね
言葉遣いは環境だね 
敢えてぞんざいな言葉遣いをしているね
どんな境遇にあったのだろうね
今はどのようなところにいるのだろうね
済まなかったね ごめんね 
忘れていたわけではなかった
もう死んだと思っていた 
どこにいるのかわからなかったんだ
しかし 生きていたんだね ありがとう
日本が救われたようだ 君が護っていたんだね
わかったよ わかっているよ 聞こえるかい
決してあなたを見捨てていたわけではない

 夏が来る 何を嘆くや ホトトギス


真実を直接語る時代
21世紀は心の時代
庶民レベルで魂を扱える段階に達した
庶民の解放は旧約聖書のテーマだった
法華経は宜しきに従って法を説く
仏は菩薩を教化するによって仏となる
人を見て法を説け
どういうことだろうね
預言者は預言者という立場を貫いた
何故だったのか そうした時代だった
キリストは真実を説いて磔となった
過去においてはそうだったのだった
竹林の七賢もいた
禅は不立文字教化別伝不言実行だった
そういう時代だった
今はどうか 有言実行の世となった
過去を未来に移す 仏の大願だった
苦難代受は如来の誓願だった
仏さんのせいにして真実を語ってきた
善いことはすべて仏さんのお陰とした
真実成功論は魅力的パーソナリティとする
悪いのは全て自分が原因だった
夢の実現もスキルである 思考は現実化する
その思考の内容はどのようであるか
唯考えることが思考ではない
プロセス或いは手続きとしての思考がある
段階を踏んで思考が進化する
至り得て思考は現実化する
それが隻手の音を聞くことだった
同じことだった 真実は一つ
どういうことだろうね
人類は進化する 地球も齢を重ねた
仏 仏とのみ究了し給えり
達磨は法を伝えた そして自由となった
今 21世紀となって 
真実を直接語ることができる時代となった
語ろうではないか 眷属達と
跋扈する魑魅魍魎に惑わされる事なかれ


君を信じて
思い煩う事なかれ
この世は素晴らしい
小鳥のように 日々食は与えられ
やがて時が来て 春を飛ぶ
君の生まれたままの素直さで
この世を生きる
己の心を羅針盤として
思い出すべき道がある
世間は世間 惑わされず
迷うこともなく 不安もない
黄泉の導きと天の守護
これを信じることが出来れば
君 思い煩う事なかれ
この世は素晴らしい
君の心で 春を飛ぶ
やがて夏となるだろう
愛する心は永遠に君を信じる


全速力前進
おだやかな笑顔 いいものだよね
何でも そうだよと頷いて
別に何があっても構わない
正義論は各時代に於いて相対的だった
時代の基 現成公案 夜風がそよぐ
自分が何者だったのか
知る時が来る その時 何かが起こる
何が起こるのだろうね
システムがむしろ追いかける
そうした存在もあるのかな
何時の時代もそうだった
だがそれも埋もれる場合もある
知らないからだね 知れば良い
何を知るのだったのだろうね
代々の秘密がある
気づけばそうだった
水戸黄門 隠密剣士
何時の時代にもいるよ かぐや姫
いざなぎ いざなみ 日と月
知らなかったね 枯れ木に花が咲く
もう咲かないのかと思っていた花が咲く
古来大和の秘密だった
やっと解った 何が解ったのか
螺鈿の槍の秘密 弁慶薙刀 正宗の鍔
水鳥の行くも帰るも跡絶えて
されども道は忘れざりけり
不思議だね 何時かこういう時も来る
観念するしかない 時代は気づいた
動き始めたようだ 
かつて呉では仁義なき戦いもあった
明治維新もあった 太平洋戦争もあった
その意味は何だったのか 誰も知らない
知らないけれど 原爆の火を以てしても焼くこと能わず
動き出したようだ エンジン点火 エネルギー全開
目的地が見つかった 過去を未来につなぐ
その時が来た 時代が動く 全速力前進!
時はあまり残されていない 自覚は完成した
敵を知り 己を知れば百戦危うからず
己を知ったかな そして 楽になれたのかな
これより時代を確定する 知る人ぞ知る
スタッフ各々 奮励努力 任務遂行
黄泉は見ている 天の守護はある 重きに従い処断もある
思うようにならなくなったね 当局の手入れがあるね
これまでとは違うね 何故だろうね 日本の花が咲いた
もう咲かないのかと思っていたね 良かったね
使命は果たした やっと楽になれたようだ
達磨面壁九年 祖師西来意 
法を伝えた達磨はどうしたか
徳利をぶら下げて歩いて天竺へ帰った
その姿を見た者もいたという

 春の海 ひねもすのたり おだやかな
    取り戻したる 安芸の月かも


2008年05月23日
素直な心で
素直な心で笑顔となって
それを取り戻して そよ風が吹く
思い煩う事なかれ
軽やかに生きてゆける
それでいい
重荷はもうないのだよ
日月照らし風が吹く
もう心配しなくていい
この世の悪が明らかとなった
悪魔は正体を見破られ
しっぽを巻いて逃げまどう
どうしてこんな世の中に
なってしまったのだろうね
傍観者が多すぎた
身分に安住して
あの世へ逝って 叱られるね
どのような障害も乗り越えて
それ故 やさしさを知る
強くなくて良いんだよ
黄泉の導き 天の守護
天下無敵は君だった
素直な心を取り戻し
軽やかに生きていくが良い
カンニング閥よ さようなら
嘘の世の中を脱する
おだやかさを取り戻し
愛する心が満ちてくる
好きだよと
素直にいえる君がいる
これでよかったんだ
君の人生は正しかった
試練は越えたね
何が見えてるのかな
良い時代となりました
良い時代にしましょうね
これが黄泉の受容する 復活した日本の基
古来大和正統日本 自覚した本懐です 未来に伝えよ


根本的な見直し
思い通りにならない人生がある。今の地位及び報酬はすべて自分の人格表現の結果であるということは、アンドリュー・カーネギー氏の指摘するところだった。法華経では悪舌が功徳の種を断ずるという。仏さんは、悪いのすべて自分であり、善いことはすべて仏さんのお陰だという。この辺りのことは聞いていた。そして今、あまりにも思い当たるところとなった。救いは積極的思考のミスには寛大であることである。失敗は成功のもとである認識である。根本的な見直しの頃となった。この世に生まれて幸せになることが目的だろう。誰もがそれを願っている。それぞれにその努力はしている。しかしなれない。その原因が自分自身の性格だった。つまりパーソナリティだった。誰もが協力し合う関係を築く方が先だね。その為には、自分が変わるしかない。自分が変わることで世界が変わる。一人で生きていくなら別に問題ではない。社会の中で生きていく。自ずから考えるべきことがある。その黄金律が、例えば自分の欲するところを、先ず、他人にサービスすることとなる。それが仕事だね。相手の望まないことをいくら提供しても通らないのが当然である。問題の原因が明らかとなった。根本的な見直しとなった。心からそのように思えるか。自分の心は自分でしかコントロールできない。かつて秋芳洞で眼のない魚を見た。水槽の中で、ごつんごつんとぶつかっては方向を変えていた。方向を変えないといけないね。眼のない魚は自分だった。何処を見ていたのだろうね。自己中心的だったよね。本来の自分は何を求めていたのだったか。善い人間関係だった。人は自分が思うほどに自分のことを思ってはいない。山より大きな獅子は出ない。何を怖れていたのだろうね。何が不安だったのか。何もかも勘違いしていたのは自分だった。申し訳ないことだった。誰もが幸せになって良い。自らその道を閉ざしていたのではないか。誰も邪魔なんかしていない。それぞれ幸福追求している。相手の立場に立って(状況判断)、相手の望み(選択決定)をかなえてあげること(実行)。それが仕事となれば良い。複雑さが相手の利益になるものか。それで相手の利益となるなどというのは欺罔だね。どれだけの負担を消費者に強いているか。反射的にどれだけの不当利得を得ているか。例えば派遣社員制度そのものがそうした発想だよね。まるで朝三暮四だ。責任転嫁してトカゲのしっぽだ。いつまでもそのような勝手が通りはしない。その他のシステムもそのようになっている。携帯電話のシステムも各プロバイダの契約もそうだ。使ってもいないのに請求書通りに支払い義務を負わされる。それが契約だという。始めに欺罔はないか。それが智慧であるか。欺罔だね。どうでもいいけどね。私は私で、方向転換だ。本来の自分に帰る。世間に染まりはしない。蓮華の前に化生だ。泥の中で泥に染まらず己の花を咲かせよ。目指したものがある。それは見つかった。既に証明されている。時を要した。何事にも本気で取り組めない個人的な理由があった。それ故どうなったか。あまりにも悲しい社会下層屈辱の人生だった。それを乗り越える。あまりにも辛い。最終段階に入ったようだ。本来の自分に帰る。今からでも遅すぎるということはない。気づいただけ幸せだ。ゴールが見えた。ゴールは近い。悲しい運命があった。すべて自分自身の問題だった。救いは何か。代償の法則である。つまり、悲しみにはそれと同等か或いはそれ以上の喜びの種が宿されている。ナポレオン・ヒル氏に学んだ。やっと此処にたどり着いた。長い冬だったね。何か失われていた。それを探していた。孤独だったよ。貧困だ。いいよね。既に身分に安住できる方々は。しかし本当の幸せは掴めたかな。それは何だったのか。それを経験し、未来に伝えるために定める必要が使命としてあったのかも知れない。その為に生まれていたか。それは果たした。他の評価の及ぶところではない。天が認めている。それにしてはあまりにも過酷な試練があった。

花無心招蝶   花は無心にして蝶を招き
蝶無心尋花   蝶は無心にして花を尋ねる
花開時蝶来   花開くとき蝶来たり
蝶来時花開   蝶来たるとき花開く
吾亦不知人   吾また人を知らず
人亦不知吾   人また吾を知らず
不知従帝則   知らずとも 帝則に従う (良寛)


象徴
現実は厳しいね これからだね
何が? 国民及び国民統合の象徴
それって何 何だろうね
何だったんだろうね 大鏡
年貢の納め時 ゆるしはしない
何も知らされていなかった
螺鈿の槍は折られていた
酷な人生だった
何故だったのか
戦後か 明治か ペリーか
何れにしても もはや遅い
勝手がすぎた
何を愚弄したのか 破壊したか
或いは粗末にしたのか
本来日本 何時までも黙っていない
失われたものは取り戻す
奪われたものは奪い返す
返して頂く 一括請求である
全ての謎が解かれた 二千年来の秘密
卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本復活
乾坤大地黄泉の守護 一切刃向かうなし
日月照らし風の吹く 歩々清風
原爆の火を以てしても焼くこと能わず
古来大和魂本来日本純粋精神
心身清浄及び正直を以て旨とする
腐敗及び野蛮並びに嘘欺罔を好まない 
何の跋扈したる哉 帰り給うべし
日本貧学道 道元空手
直接害する 一休髑髏ご用心
無念晴らさん 十九の春 胡蝶の夢
未来日本 一箇乃自覚 此処に定礎する


2008年05月22日
喜びの歌
信念とは嘘より危険な真実であるといったのはニーチェだった。ナポレオン・ヒル氏によると、信念とは体系的な願望実現のルールに沿って進んでいくうち、心の中に芽生える、一つの確信である。人間は自分の思い描いた通りの人間になるといったのはナイチンゲールだったろうか。信念は持続することが難しい。それを持ち続けるにはどうするか。それが潜在意識に刷り込むということになる。潜在意識に刷り込むとどうなるか。条件反射に等しい。つまり思い悩むことなく信念に基づいた明確な目標達成のための行動選択ができるようになる。これが潜在意識に刷り込むということであり、思考は現実化するということだった。そして自由とは何だったのだろう。憲法学的には生命身体財産の自由とか、精神的自由とかある。それは概念の域を出ない。実質的にはどうだったのか。憲法はすこぶる歴史的要素が大きい。市民革命を通っている。そして今、その自由とは何だったのか。これもアンドリュー・カーネギー氏に学んだ。即ち、誰も生まれながらに貧しくとも、一生が貧困である必要はなく、亦、教養及び人格向上の自由は一生涯保障されているということだった。あらゆる制度はその為にある。さらに、資本主義とはどういうことだったのだろう。これはロバート・キヨサキ氏に学んだ。即ち、金銭収入はそれ自体霧散するように出来ていて、これを資産に換える。その資産が生むところから消費するべきであって、そうしない限り、何時までも請求書に追われる生活が待っている。そのように出来ている。どんなに学歴があってもである。そして成功には年齢も学歴も関係ない。自由及び資本主義とはこういうことだった。しかし市場原理は諸価値の破壊を内在的に含んでいる。軽薄な文化傾向が見られるのは、例えば古書世界も、大資本の席巻状態になっている。本としての価値が破壊されつつある規制緩和の実体である。これで良いのかどうかは疑問としても、本当の自由がどういうことであるか、或いは生物としての幸せはどういうことかを思うと、時代の流れに乗るしかないね。しかも真実とは何だったかを思うと、魂と宇宙は連動している。潜在意識に刷り込むということはさらには黄泉に受容されることかも知れない。本当の幸せ及び成功の秘密は或いはこの辺りにあるのかも知れない。それを見つけたとしたら、誰もが憧れて待っていたとんでもない幸福論だね。仏さんがいっていたのも此処の所だった。詳しい方法論は見つけた人に聞くしかない。自分を出し惜しみしないことである。愛は惜しみなく奪うとかいった文学者がいた。そうだろうか。愛は惜しみなく与える。自分がしたことは結局自分に帰ってくる。自分の欲するところを他人に施すというのはナポレオン・ヒル氏のいう黄金律である。情けは人のためならずもそうだね。仏法では因果応報であろう。これは宇宙の法則だね。唯自己利益追求が反省されなければならない。普通の人と特別な人とを分けるのは奉仕の精神だね。つまり見返りを期待しない。期待しなくても宇宙の法則は働く。それで良い。出藍の誉れもそうだね。無とか空とかもそうだった。空腹となると何を食べても美味しいでしょうといわれる。自分の持っている知識を出し惜しみすることなく、他に施せば空になる。さらに入ってくるものは何だろうね。こうして人は人格が向上していく。レベルが上がる。すると新たな好ましい人間関係に移行する。或いは千載一遇のチャンスが巡ってくる。こうして幸せへの道を歩む。幸せとは喜びを感じて日々を暮らすプロセスだった。マイナス思考があっては至れない。どのようにしてそれを払拭するか。これも練習するしかないのだろうね。自己訓練かも知れない。笑顔で全ては解決する。あるいはさりげないやさしい言葉で人を救う。それが見返りを期待しないサービスとしての要素となる。それが特別な人にしていく。誰もが大切にしてくれるようになる。尊敬とは違う。その時、幸せな自分を知るだろうね。こうしたことを潜在意識に刷り込めると良いね。そして感情もそうだけれど、コントロールすることで幸せを感じることになる。コントロールできないのであれば手を出すべきでない。偶然の輸贏ということがある。偶然に身を任せた結果はどういうことになるだろうね。自己嫌悪でしかない。それは不幸だね。亦、自己訓練によって自己コントロールできる世界が広がる。自分が変わることで世界が変わる。人の心を他人は決してコントロールできない。それをしようとすればどうなるだろうね。猫だって紐で首をくくって引っ張れば嫌がる。人の嫌がることはしないことだね。傷つけることも。言葉の暴力もある。誰もが幸せになりたいと思っている。自分のしたことは自分に帰ってくる。宇宙と魂は連動している。自然だってやさしくされたいと思っている。21世紀となって、どう生きたらいいか。本来日本はやさしさに向かって咲く花のようだったといったのは辻邦生氏だった。取り戻すべきものがあるね。情緒だ。情操だ。本来日本は野蛮を好まない。戦後を脱する。何が正しくて、何を信じたらいいのか解らなくなった。世は殺伐としている。何故そうなったのだろうね。原因があるよね。それを見極める必要があった。そしてそれより脱するにはどうすればいいのだろうか。それも示し得たのかも知れない。かつて学生の頃、最大の刑事政策は社会政策であると知った。そして本来日本には秩序があった。それは精神だった。武士は何故尊敬されたのか。少なくとも精神修養があった。それを封建制が憎ければ、その精神をも見下した。それが文化人かと思った。或いは文明開化は西洋化を急ぐあまり古来大和の育んできた大切なものを悉く壊した。今もそうした下級精神の支配である。それが進歩的と思っている。本来大和魂及び古来日本純粋精神を見失った。それらはむしろ洗練されていた。世界が今、必要としているのは何だろうね。このまま衆愚化してゾンビが現実化するのだろうか。まっぴらごめんだね。日本の精神は本来晴れやかである。純粋素朴が美しいと思う。取り戻そうよ。嘘欺罔複雑を智慧とする商売根性から解放されて、シンプルこそベストだよ。このまま犯罪化して良いのか。日本は現象としてアメリカを追いかけている。日本の方が歴史は古い。英知がある。しかしそれを無視した精神が支配する限り、日本も没落する。本来日本が目指していたものがある。それを知らない方々の解釈でこうなったのではないか。知っている方々は埋没している。そうした世の中となっている。取り戻すべきものがある。失われた何か大切なものがある。目覚める頃だね。目覚めたかな。自覚を要する。他の認証など要らない。本来日本の良心がある。それぞれのDNAに記録がある。自分に問えばいい。答えは全て自分自身の中にある。思い出す頃となった。本来日本を。さて潜在意識がある。これに信念を刷り込むことが出来ると楽になる。どのようにして刷り込むのだろうか。文字に書くことだよ。そして声に出して唱えることだ。やがて黄泉が受容する。魂と宇宙が連動する。心は他の心とテレパシーで交信している。魂と黄泉の交信もある。それを確認する人生もある。そして本当の幸せと巡り会えるだろう。何が真実だったのだろう。神仏の実在と黄泉の導き、そして天の守護だった。本来神国日本の本懐である。秩序がある。それは精神の秩序だった。戦後、壊されてしまった。そして腐敗堕落した。それが自由だと思った。さて、この世に生まれてどのように生きるのだったのか。また、この世に生まれた意味及び目的は何だったのか。この世はどのようにできていたのか。神仏は実在する。しかし人間である限りその存在は理解できない。人を見て法を説けとはそれだった。詩は詩人を以て呈すべし。剣は剣客を以て呈すべし。法華経が何故難解であるか。その名宛人が爾としての神或いは前世で修行を積んだ菩薩だった。仏はどのようにして法を説くか。宜しきに従う。自分の器に応じた理解しかできない。雨は平等に降るも大樹は大樹として受益し、草木は草木として受益する。知らないからといって否定できない。しかし無神論を説く者たちは認めようとしない。それ故、腐敗する。嘘と暴力で繁茂しても、やがて淘汰されることを知らない。ここに気づいた人たちは真実に対して謙虚である。しかしそれを宗教と呼んで、宗教が目的ではない。教養の基盤であり、出発点である。そして人生とは何だったのか。生まれた意味は何だったのか。過去からの魂の遍歴の一こまであり、百代の過客としてどう生きるのだったか。それは過去からの夢の実現過程だった。過去より多くの失敗もある。それを振り返り、修正するチャンスでもある。ある意味で限りなく本来の自分となっていく。過去からの悪性を払拭する。それが無となることでもあった。そして満ちてくるものがある。それが新しい自分であり、幸せである。生命体としてのゴールがある。それが見えてくる。社会政策が最良の刑事政策であると学生の頃何かで読んだ。そして森下忠教授のゼミだったろうか、先生はいわれた。結局、宗教と倫理であると。これが本来の人間の目指すところであり、良識だよ。どうしてテレビ界はあれだけ愚かなことを吹聴できるのか理解できない。その社会的影響がどれほどのものか自覚があるのだろうか。それでどれだけの勘違いが正当化されたか。本来日本の目指していた方向がある。生命体としての進化傾向がある。それは愚かさと腐敗ではなかったはずだ。考えるべき時が来ている。石油化学文化が環境ホルモンの問題を含めて、かつての公害も本当に解決しているのかどうか。業界及びそれと結託する政治権力の横暴及び圧力に屈するわけにいかない筈であるのに、行政もこれに従う。NHK報道もそれに従うことがある。残念なことである。何が真実であるか。真実はどこにあるのか。市民革命も起きるまではマイナーオリティだった。明治維新だってそうだった。思い上がった消費者の勘違いのクレームを無条件に真実とでも思っているのだろうか。お客様は神様だといってそうは思っていないリーダーとして無責任ではないか。不思議である。しかし孔子も論語の最初でいっている。人不知而不慍。不亦君子乎。青い空と白い雲。お天とうさんが笑ってる。本当の自由は何だったのか。不安及び怖れからの解放だった。どうして不安があるのだろう。知らないからだった。何を知らなかったのか。自分自身を知らなかった。それで怖れもあった。そして自信を失っていた。自信を取り戻せばいい。感情も含めて自己コントロールすればいい。コントロールの及ばないところまでコントロールしようとしていないか。それぞれ役割分担がある。パソコンにしたって自動車にしたってそうだ。システムに関するところはわからない。ユーザービリティに徹すればいい。無意味な苦労を背負っていないか。プラス思考が良いという。内向的消極的は無価値なようにいわれる。そうだろうか。何故内向的なのか。自信がないからだね。自信を回復すればいいよね。どのようにして回復するのか。内面的に浅い方がより早くプラス思考を知る。そして閥をなす。そして愚かなお笑いバラエティ文化となった。しかし、何時か内向的な方々が自信を復活する時が来る。その時、内心の質量に於いて短絡的な方々とは一線を画する。時をかけてそれは行われている。目に見えないマグマ対流のようである。その時、それまでの愚かさと腐敗は存在意義を失う。市民革命もそうだった。明治維新もそうだった。信念とはどのようにして培われるのか。それはどのようにして伝えられていたか。知るべき時が来た。新しい時代である。罰を以て臨むことが教育ではない。青木仁志氏には学ぶべきところが多い。人は幸せになるために生まれて来た。信念とは自分の信じるところだね。潜在意識とは無意識領域であり、魂といえる。花田清輝氏は第六官を超えて第七官といっていた。仏法では唯識論というのもある。難しいことは専門家に任せておこう。信念を潜在意識に落とし込むということはどういうことか。それぞれ夢があるね。理想があるね。人生は理想を限りなく現実化していくことでもある。だから決して腐敗堕落が人生ではない。夢は夢で実現しないように想われる。しかし強い意思と行動でそれは実現できる。誰もができる。それは夢を夢として憧れのままにしておくのではなくて、明確な目標にする。それを実現した自分をイメージできるところまで。それがイメージコントロールだね。その方法が文字に書いて口で唱える。そして行動するべきことが何かがわかる。それが具体的計画となる。心の中のマグマの流れが実感できる。自分の熱情がふつふつと動き出す。それは曖昧な自分ではない。夢が燃えるような願望となって自分とひた一枚となる。そして夢が実現する。或いは思考が現実化する。それは誰もができる。それが庶民の解放の意味だった。庶民の解放は旧約聖書のテーマだった。良い時代となりました。良い時代にしましょうね。そして想像力とか創造力とかいわれるね。創造主は神だね。人間は神の七つの力が賦与されている。それが庶民レベルで明らかとなった。それが自由主義ということだった。そしてイマジネーションというのが想像力であり、創造力だった。その実現は以上のようなことで、つまり、自分の信じるところがあって、その実現のために具体的に計画化され、それが揺るぎない信念となって、潜在意識に刷り込まれる。自分がその信念とひた一枚となった時、夢は燃えるような願望となり、実は、その願望は魂の周波数となって、テレパシーとしての感情となる。それが相手の心に届く。秋波もその一種だけれど、そうした周波数は宇宙とも同調する。不思議だね。こうして奇跡も起こる。どんな障害だって克服できる。人類は生命体としてここまで進化した。この力を信じることができるかどうか。目覚めてみれば過去より伝えられていた。現在もあらゆる成功者の実体験するところだ。それが芸術的心である。そこへ至るには目的的精神と集中維持力を要する。それが諦めないことだった。全て自分次第だった。自分は思ったような自分となる。どのような自分になりたいですか。どのような相手と仕事がしたいですか。或いは人間関係を構築したいですか。限りない人生の旅路で、脱皮していきます。それが人格的向上です。新しい世界が開けます。その時、古いコートは脱がねばならない。一つの訣別もあるのです。永訣の歌の悲しみはあるでしょう。それも乗り越えるのです。乗り越えることができるのです。悲しみが深ければ深いほど、そこには同程度或いはそれ以上の喜びの種がある。それを見つけることです。幸せの宝探しとはそれですね。誰もが幸せになって良いのです。大丈夫です。世界はそのようにできています。悪に染まらないように。正直でいましょうね。それで必ず道は開けます。それで開けないなら、所詮この世は生きるに値しない。嘘と暴力で閥をなしても無意味です。神仏は実在します。神仏との邂逅もあります。所詮真実は真実です。真実を知らない方々の知るところではありません。彼らには評価できない世界があるのです。感じることができますか。幸せの周波数を。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数。開発するべきはそれでした。そして幸せを知るでしょう。すべて笑顔とやさしさで解決する世界が開けます。そして負けることのない信念の強さを知るでしょう。それまではいくつかの試練もあります。悲しい運命もあります。図らずも傷害を背負うこともあるでしょう。でも大丈夫なのです。至って知るしかありません。もうわかりましたね。人生捨てたものではないですね。この世はすばらしい。この世に生まれたこと自体が奇跡的一大事だったのです。千載一遇のチャンスだったのです。大切にするべきことがありますね。この世に生まれてどう生きるか。何を探すのだったか。或いは何を確認するのだったか。本来の自分になるのです。お金持ちの目的もお金ではなかったのです。権力も武力もお金も過去の夢でした。既にそれらは克服されています。それが歴代の英知です。21世紀真実幸福論の完成です。それは何だったのでしょうか。黄泉の導きと天の守護。日月照らし、風が吹く。未来は明るい。ここまでとは想わなかったですね。しかし何時か至るのです。必ず至るのです。生命進化の目的です。愛する妻ありて、今も昔も大航海時代です。明るい未来をイメージして真実エネルギー全開、Japan出航。知性復活、嘘と欺罔の戦後を脱出する。愚かさと野蛮の海を渡る。真実への憧れの情念が燃え上がった。試練の旅は終わった。これより希望の時代を開く。自分が変わることで世界が変わる。そうした自覚もある。そうした人生もある。魂と宇宙は連動している。知る人にとっては事実である。知らない人にとっては神秘である。パスカルも伝えたいところだった。まだ刃向かい愚弄しますか。黄泉の認める真実を前に。ロウソクの火を絶やさない。どこかに夢のある人はいませんか。それを燃えるような願望に変えたいと想っている人はいませんか。その火を一緒に燃え上がらせましょう。一人ではできないことがあります。代々伝えられています。仏は菩薩を教化することで仏となります。きっと世界が変わります。それが桃源郷です。燃える自己沈潜の中で見つけた火があります。これを未来に伝えるのです。人生は燃え尽きることです。エネルギーは精神です。精神に火をつけましょう。この世はすばらしく生きるに値します。不安と恐怖から解放されるのです。自己実現できるのです。生まれた意味を知るでしょう。天下無敵となるでしょう。そして思考が現実化するでしょう。さて、結構大きなことをいってきたようだけれど、その後の研究で、既に方法論としての成功論は確立されていたことに気づいた。気づくと赤面の体である。しかしながら、個人的体験で、既に説かれていた世界に至っていたのは事実だ。これを真実と信じるに十分である。至り着いたのだろう。日月照らし、風が吹く。数々の不思議な経験がある。この世の謎を解いたと何度思ったことだろう。潜在的にはもういいようだ。そして改めて感謝するべきは何だったか。日本及び祖先だった。神仏は実在する。その確認もあった。十九の春があった。十分すぎる代償である。求めていたものは見つかった。ありがとう。此処までとは思わなかった。思えば投資したものが違う。或る意味で、当然かも知れない。解決するべきは解決した。本当の自由を手に入れたようだ。それはどのようであったか。黄泉の導きと天の守護。狂ってるね。これからの人生を楽しむことにする。全てが意味を持っていた。全てが意味を持って輝き始めた。全てがその為に準備されていたと思えるほどに。これが幸せだったのだろうか。お金も手段に過ぎない。既にナポレオン・ヒル氏の成功哲学で明らかにされていた。本当に大切なものは何だったか。ルーツ。もっと早くに気づけば良かった。しかし遅過ぎはしない。全て予定通りなのだろう。故にこれほど明確である。もう大丈夫だよ。何もかも。確信はこれほどまでに至らねばならなかった。あらゆる謎が解かれた。あらゆる悲しみはない。あらゆる不安もない。何があっても大丈夫。これが喜び世界だった。ギャーティ・ゾーンだった。人生って面白いね。素晴らしいね。もう思い残すことはない。書くべきこともない。いうべきこともない。こういうこともあるのだね。日本の本懐を未来へつなぐ。使命は果たしたよ。本当にそう思っている。その為に生まれていた。それだけの人生があった。誰も知らない。黄泉は知っている。天も知っている。これ以上のことはない。この人生は大成功だ。見るべきは見た。知るべきは知った。


2008年05月21日
準備万端 Japan 出航
この世に生まれて何をするべきだったのか。それぞれ異なる。それはそれで良い。しかし祖先の総体としての黄泉の導きと天の守護を確認し、それを未来に伝えることを使命とすることもある。それもそれで良い。所詮類は類を以て集まる。過去の眷属は眷属である。それもそれで良い。日本が本来神国であり、それを無視した方々の支配があって、それ故腐敗した。それもそれで良い。確認すればいいのだった。だが、この確認はすこぶる困難だった。戦後の故だった。大風をも制御する力が人間には賦与されている。かつては草薙の剣だった。それも体験的に確認することもある。それもそれでいい。そして取り戻すべきものがある。それが本来の自分だった。そして回復されるべきものがある。それが自信だった。その自信は絶対ともいえる。何故か。黄泉の導きと天の守護を知ったからだった。それを血統といってもいい。祖先は大切である。その属性がなければわかりはしない。わからないまま、探そうともせず、そして日本はどうなったか。何が日本の本懐だったか。それが失われた何か大切なものだった。それをトレースしなければならなかった。そして確認した。一つの結論である。この世の人生は個々の問題解決である。目的は個々の暮らしの幸せである。本当の幸せとは何だったのか。過去には権力、武力、金力だった。新しい時代である。これからが始まりだ。人生及び青春を賭して探すべきものがある。世の大人に惑わされる事なかれ。彼らは何も知らない。知らずに大人ぶっている。パスカルのパンセが理解できるだろか。彼の思いは那辺にあったか。時代は推移する。新たな城が見えてきた。真実の城である。この世は地獄である。化成を出でよ。21世紀は心の時代といわれて久しい。こころの大地は拓かれた。信じて良い世界がある。それを探す旅がある。金と銀の鞍をおいての月の砂漠である。何を探すのか。何が見えて来るのか。諦めないことだ。真実はある。準備万端。幸せが見えてきた。探していた。間違いない。先達の示すところである。アンドリュー・カーネギー氏もいっていた。スピリッチュアルなところである。本来世界は神国である。何を粗末にしたのだろう。何を愚弄無視したのか。何を破壊したのか。人間の思いあがり、勘違いが問われている。人の魂と宇宙は連動している。魂は存在する。21世紀。魂を扱う時代となった。庶民レベルで。これまでは限られた方々の世界だった。庶民解放。旧約聖書のテーマである。地球も齢を重ねた。気づくべき頃である。生まれながらにして自由とは、誰もが幸せになって良い。その道が開けた。古来伝えられていた。何をしてきたのだろうね。何をしているのか。準備万端。船出である。真実について何も知らず、探そうともせず、身分に安住している方々は、そのままそこにゐるが良い。本当の知性が何であったか知るべき時が来た。誰が言い始めたのか。一番にならなくても良いとか、日本の男はこれで良いとか。日月照らし、風が吹く。この事実を如何せん。何時まで低いレベルで武力闘争であるか。権力闘争であるか。金力とは何だったのか。全ては何処から与えられたのか。何のために賦与された諸能力であるか。一部の利益のためではない。どんな思想が蔓延ったか。黄泉の鉄槌が下る。日本に於いては枕崎台風は何を意味していたか。生命体としての進化傾向は何か。さて、ソクラテスはいった。私は知らないことを知っている。それは何だったのか。皆、諸リーダーは知っている者と思っていた。自分の出る幕などないし、そのような自分だとは思わなかった。だが、そうでもなかった。伝家の宝刀は伝えられていた。それは何だったか。螺鈿の槍だった。それを抜かねばならなくなったか。全てはその為に準備されていたのだったか。どういうことか。聖母マリア処女受胎の意味は何だったのか。母は何も知らない。馬宿の王子とは何か。或いは頼朝は伊豆に流されていた。腐敗の後に新しい時代が来る。歴史の流れは常にそうである。恐竜からほ乳類へもそうだった。生命体としての流れである。愚かな文化が文化ではない。世界は軽薄さを好んではいない。私は父を知っている。祖父を知っている。一通の除籍謄本が何を語っていたか。請求した時の官吏はふるえていた。私は何も知らされていなかった。無理もない。戦後だった。故に試練があった。自分で解かねばならなかった。子どもの頃に全て教育されていた。しかし時代が酷だった。もう咲かないかと思われた。その花が咲いた。もう大丈夫である。お金はない。それも試練だった。お金ではなかった。お金では買えないものがある。Japan出航。修復は完了した。祖父の意思である。もうぐずぐずいう必要はない。一つのプロセスが完結した。それは自分自身を取り戻す過程だった。どうしてこのようになったのだったか。いえばきりがない。そしてそれにはもはや意味がない。確認すれば良かったのだ。全ては自分次第だった。幸福も不幸もである。そして今、自由主義である。本来の自由主義とはどういうことだったのか。誰も生まれながらに貧しくても一生貧困である必要がない。教養と向上は一生涯保障されている。あらゆる制度はその為にある。人類として勝ち得た自由である。それを阻害するものは何か。戦うしかない。それで良い。自由を確認して自由を獲得する。しばらく愚かな閥が蔓延った。それも事実である。努力と真面目がむしろ笑いものにされ、本来の知性が生きられなかった事実がある。自由を勘違いし、智慧の使いどころを間違い、利益を独占し、愚かな風潮を流布し、結果社会を腐敗に導いた方々をゆるしはしない。≪後悔や苦い思い出、悔しさがあるなら、その中から自分や人々のためになる利益を引き出すことを考えるのだ。それは必ずある!(ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p294)≫一つの目的は成就した。日本を本来の色に染め直す。≪如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり(コリン・ウィルソン『宗教と反抗人』)≫。


【今日のニュース】ベルリン・フィルで火災 貴重な楽器水浸しの恐れ http://www.usfl.com/Daily/News/08/05/0520_025.asp?id=60855


2008年05月20日
Welcome to the World !
失われた何か大切なものを求めて
長い冬でした 孤独な旅がありました
冬来たりなば春遠からじ
十九の春がなかったら
至りつくことはできなかったでしょう
人生大肯定となりました
探していたものは見つかりました
すばらしい世界が開けています
Welcome to the World !

刑事訴訟法には手続きという概念があって
これはプロセスです
何事にも方法があって原因がある
幸せの方程式はあるのです
その解は何だったのでしょうか
禅に於いては 無或いは空
本来無一物 無一物中無尽蔵
ソクラテスに於いては 汝自身を知れ
知った自分とは何者でしょうか
誰もが幸せになれるのです
一切衆生悉有仏性 歩々清風 日々是好日
その方法はあるのです
それは何だったのでしょうか
自分自身でした 不安からの解放 
自分からの自由 自信回復
自分が変わることで世界が変わる
信じるべきは何か シュリーマン コロンブス

この世は過去からの夢の実現過程
思考は現実化します
その思考とは何だったのでしょうか
プロセスとしての思考です
手続きとしての思考です
一つ解決して 次の課題がくる
すべて解決した時 本当の幸せを知る
失敗し尽くして 失敗がなくなる
それは 黄泉の導き 天の守護
黄泉とは祖先の総体だった
真実は 神国日本 神仏実在
解決するべきは何だったのでしょうか
自分自身でした すべての原因です
過去からの魂の遍歴 この世のチャンス
日本は日本 本来日本復活
原爆の火を以てしても根絶やしにされない

良い時代となりました
良い時代にしましょうね

Welcome to the World !


2008年05月19日
本当の人生が始まる
不安からの自由がある。恐怖からの解放がある。それは自分からの自由だった。その時、何をしても良い。この世に善悪はあるか。あるといえばある。ないといえばない。自分が決めればいい。社会の掟は別論だ。法律はその中で物理的強制力を持つ。国家の専権事項である。さて、どのように生きるか。楽しい時間となった。季節は巡る。巡る季節の中で、本当の自由を手に入れることも出来る。何を求めるのか。何を探すのか。諦めたら終わりだね。自分の幸せは何処にあるのだろう。一人で生きてゆけない。だから社会がある。家族がある。愛する人がいる。そのために何か役立つことが出来ると良いね。安心と安全が脅かされている。どうしてだろうね。気づいたものが勝ちだ。何に気づくのだろうね。持って生まれた自分で十分だった。他に何を期待していたのだったか。自信を失っていた。それを取り戻して、本当の人生が始まる。それはどのようにして取り戻すのか。本当に強いとはどういうことだったのか。知るべき時が来た。人生は不思議だね。人生は面白いね。いよいよこれからだ。人生の春の到来である。求めたものは見つかる。それが夢は実現するということだった。自分の夢は何だろうね。腐敗堕落ではないよね。或いは愚かさでもない。野蛮でもない。何か失われた大切なものがある。本来日本の精神は何処を目指していたのだったか。唯自己利益追求ではなかったはずだ。武士は食わねど高楊枝というものね。パンのみにて生きること能わず。どうしてこのようなことになったのだろうね。知性が少し怠惰だった。或いは身分に安住して傍観した。いうべきことがあるね。いえば良いんだね。世の指導形象が見失われていた。何を粗末にしたのだろう。何を愚弄無視破壊したのか。何時までも黙っていない。愚かさが跋扈した。自分が知らない世界がある。知らないことを以て否定したね。しかし実在する。それを確かめる旅があった。それだけのことだった。本当の人生が始まる。人生は本来楽しい。皆、幸せになって良い。その為に生まれてきた。何時の世もそうだった。時は代わった。本来の自分で良かった。他に求めるべきものはない。自信を取り戻す。それは本来の自分を自覚することだった。黄泉の秘密兵器がある。黄泉も待っていた。何を待っていたのだろう。その自覚だった。これより黄泉が動く。本来日本を取り戻す。しばらく跋扈したものがある。帰って頂こう。あなた方の色に染まりはしない。日本には日本の色がある。ゾンビなんか要らない。暴走族的閥に用はない。無駄なように見える人生もある。そうだろうか。すべて養分となる。種は種だよ。花と咲くまで解らない。醜いアヒルの子ということもある。年貢の納め時だ。どういうことだろうね。知性の復活である。カルバン以降の失敗がある。これを乗り越える。人類の英知がある。それは知性である。真実とは何だったのか。宗教的に目指した英知がある。科学的に目指した英知がある。成功哲学的に目指した英知がある。その共通項は何だったか。真実は一つである。その傾向は何か。少なくとも腐敗堕落ではない。精神的向上心のないやつは馬鹿だ。漱石が『こころ』の中で二度いっている。今も昔も変わりはしない。商人根性は欺罔を含む。その精神は古来武士道にはない。身心清浄及び正直こそ日本の本懐である。本来相対的に弱い女にそれはない。それはそれでいい。役割分担がある。男は女に迎合した。或いは甘えた。今はむしろ女の精神が支配している。男の精神が復活する。何故だろう。環境も健康も生命体として危機に瀕している。危機的状況は男の精神でなければ打開できない。安定の時代ではない。本来の自分に帰る。或いは自覚する。取り戻す。そして本当の人生が始まる。自分の良心に従えばいい。黄泉が導く。天の守護がある。この世は歴代の魂の遍歴の一齣である。レベルの低い世間に惑わされることはない。己を信じるが良い。未来は明るい。明るい未来を拓く。生命体としての進化傾向がある。魂はそれを知っている。魂のレベルにも差がある。やがて至る。何処へであるか。真実へ。既に至っていた方々もいる。キリスト、仏陀、ソクラテス、孔子などがそうだった。直近では、アンドリュー・カーネギー氏を挙げてもいいだろう。何をしているのか。何をして来たのか。これからどうするのか。分岐点である。問われている。何を目指すのだろうね。真実である。幸福である。本当の人生である。諸リーダーの反省の頃である。本来日本の精神を取り戻す。衆愚を先導したテレビ界の罪がある。大切にするべきものがある。諸価値である。さて、本来の自分を確認し、失われた自信を取り戻して始まる本当の人生はどのようであるか。それまでは試練であり、何時か本来の自分を知るに至る。全てはその為に準備されていて、導かれている。導くのは祖先の総体としての黄泉だった。黄泉は全て知っている。宜しきに従って導く。素直さとか謙虚さはそれに対するものであった。カラスは白いという上司或いは世間に対してではない。プラス思考がいわれている。それでもネガティブな人はいる。どちらが正しいのか。プラス思考である。しかし青木仁志氏も指摘しているとおり、≪自分が自分で自己評価しなければ、行動の変革は起こらない≫。他人からいくらいわれても、自分で納得しない限り、自分のものとは成らない。それが知識に対する認識ともいえる。亦、コリン・ウイルソン氏は次のようにいう。≪おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない≫。主体性の理論を説かれたのは団藤重光教授だった。さらに、主人公をテーマにした公案が禅にある。アンドリュー・カーネギー氏は次のようにいう。≪積極的な心構えは魅力的なパーソナリティの全ての要素を理解し、応用することで育てられる。(中略)自分の不幸を他人のせいにするような心の狭い人がいるが、本当のところは、どんな人もパーソナリティを通して現れる自分の心構えの結果として今の地位や職業を得ているのだ≫。さらに、≪だから私たちが挙げた事実の重要性を理解できない人は、本当の意味での魅力的なパーソナリティを持つことはできないだろう。これらの要素を理解して応用する人はきっとそれによって、心の中から全ての制限を取り払える。報酬が約束されていることは、どんなに苦労しても理解する値打ちがあるはずだ≫。探していたのも確認したのもこれだった。苦労はあった。とんでもない苦労だった。人生も青春も失ったかと思われるほどだった。そして自由とは何だったか。心から全ての制限が取り除かれた状態だった。その時、一切の不安が払拭されている。恐怖もない。本当の自由である。これを得て本当の人生が始まる。古来伝えられていた。学ぶべきはこれだった。愚弄無視破壊したのはこれだった。しかしそれは種として遺されていた。それが芽生えた。それが一箇の自覚だった。わかるだろうか。わからないね。認めたくもないよね。しかしこれが真実だった。真実には力がある。どうにもならない。自然も喜び、応援する。太陽が証明する。月が輝く。風が吹く。時は来た。知る人ぞ知る。黄泉もこの時を待っていた。人類はすばらしい。この世はすばらしい。本当の人生の始まりを宣言する。諸価値は見出された。宝の山である。石油が発見されたのは何時のことだったか。1930年代のことだった。そしてそれを巡って何があったか。日本にとってはスマトラだった。それが第二次世界大戦の大きな動機だった。ところで、コーヒーはマンデリンが好きである。これもスマトラだったかな。コーヒーブレイクとしよう。誰か私を見出す人がいればいいのにね。これも運命だったのかな。ソクラテスはいっていた。私は知らないことを知っている。評価できないね。知らないのだから。六祖の搗いた米でごはんが炊けた。笑うしかないね。どうでもいいね。感謝している。お陰で自分を取り戻せた。幸せの基は何だったのか。誰も知らない。知らないのに、知ったようなことをいう。結果、どうなったか。これより本当の人生が始まる。何をいってるんだろうね。開闢。未来は明るい。

【今日のニュース】サザンオールスターズ活動休止 http://www.sas-fan.net/sas2008/index.html


2008年05月18日
自分からの自由
人生は喜びとなりにけり。本来自由だった。自分を縛っていたのは自分だった。これを解放する。人は幸せになるために生まれてきた。生命体として幸福を追求してきた最終結果である。神の七つの力も賦与されている。万物の霊長とする所以である。神仏は実在する。それが真実であり、前提だ。日本は本来神国だった。ペリー来航以降、本来日本を見失った。文明開化は西洋化だった。第二次世界大戦も本来大和の戦ではなかった。故に神風は吹かなかった。大義名分がなかったからである。大義名分とは黄泉の受容祝福守護だった。黄泉は祖先の総体といえる。今も文明開化思想階層の支配である。故にどうにもならなくなった。嘘及び野蛮で。本来大和魂及び正統日本純粋精神は、身心清浄及び正直を以て旨とする。今の大人はそれがあるか。ない。その結晶状態が武士道だった。それさえも笑いものにした。黄泉が悲しんでいる。私論である。さて、人生は過去からの夢の実現過程だった。人生楽しむにしくなし。本来人生は楽しい。それは自分から解放されてのことだった。何が不安だったのか。何を怖れていたのだったか。自分自身だった。本当の自信はどのようにして来るか。黄泉の導き、天の守護を知ってだった。古来伝えられていた。不安と恐怖からの自由或いは解放である。これは出来るのだろうか。どのようにすればいいのだろうか。その要件は何か。見つけたようである。これは21世紀の庶民解放の福音だね。庶民の解放は旧約聖書のテーマだった。何時か約束されている。市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る解放である。幸せは権力ではない。武力でもない。金力でもない。何だったのだろうね。さて、情報は発信したところに集まる。真実とは何だったのか。黄泉の実在とその受容祝福守護だった。黄泉に好かれるにはどうするか。黄泉とは祖先の総体といえる。これを通して生命と宇宙は連動している。それを魂といっていい。磨くべきは何だったのか。己の魂だった。黄泉は全て知っている。その魂の可能性も。それで導きがある。大切に育む。それは宜しきに従う。自分の良心の欲するところに従うとするところである。世間に惑わされていないか。自分を信じることが出来るか。どのようにして自分を信じるに至るのか。庶民の解放は、個々人が自分からの解放の自由である。その時、この世は美しい。生きている喜びを知る。持って生まれた自分で十分だった。どんなに障害があっても良い。代償の法則がある。悲しみが深ければ深いほど、それと同等か或いはそれ以上の喜びの種が宿されている。障害の故に知る真実があり、喜びがある。21世紀真実幸福論である。探していたのはこれだった。見つかったようである。失われた人生及び青春の三十有余年は無駄ではなかった。日本は自信を取り戻した。日本は日本で良かったのだった。それを探す孤独な旅があった。長い冬だった。そして春が来た。人生の春がやっと来たのである。そして人生は明るく楽しい。世界は自分のためにあるともいえる。お金はなくとも自由がある。道元空手眼横鼻直。世間は常識の中で生活し、判断している。それに対して非常識或いは未常識の世界がある。世間虚仮、唯仏是真ともいわれる。真実はある。日本は神国であり、神仏は実在する。それをも否定するのが世間の常識となっている。逆転の発想が必要かも知れない。21世紀は人類にとって折り返し点かも知れないね。真実はある。どのようにして至るか。至ることが出来るなら、日々快活元気となる。歩々清風、日々是好日は禅の世界である。隻手の音を聞けばいい。一が通ればすべてわかる。一番にならなくて良いなどと誰が言い始めたか。そして世間は何を勘違いしているのだろうか。自分の判断が常識である。50点の判断が100点の判断と同じか或いはそれ以上と思っている。それを吹聴したテレビ界の罪は重い。幸せは誰もが求めている。しかしそれより遠い論理がまかり通っている。そしてどうなったか。本来日本の精神を取り戻すしかない。西洋思想は19世紀に没落していた。それを何時までも追いかけるわけにはいかない。西洋も待っていた。21世紀。世界は既に一つである。新しい世界である。環境ホルモンの問題もある。解決しなければならない問題が山積みだ。人類が一丸となって考えなければならない。小さな権力闘争の時ではない。武力闘争などもってのほかである。金力の目的も明らかとなった。アンドリュー・カーネギー氏は財産を全て処分した。何故だったのか。考えるべき時である。何を考えるのか。ビジョンはあるか。未来の子ども達に何を遺すのか。何時までも怠惰ではいられない。知的傍観者は腐敗の共犯だ。確かに何もかも失っていた。十九の春は津波或いは大地震だった。そしてその後の人生は悲しみでしかなかった。三十有余年が過ぎた。その間、何を見てきたか。そして何を確認するに至ったか。既に書いた。それは神国日本であり、黄泉の実在とその受容祝福守護だった。此処に至るのであったか。そして大鏡だった。これの意味するところは何だったか。いう必要はない。いえば不遜となる。そして今、何を理解したか。西洋成功哲学だった。即ちナポレオン・ヒル及びアンドリュー・カーネギーの思想だった。あらゆる成功の源泉だった。そしてこの人生は何だったのか。この世に生まれて何を目指していたのか。腐敗堕落ではない。己の人格の限りない向上だった。それが上求菩提下化衆生だった。導かれているのである。それをお陰といっていい。何か大切なものを見失っていた。それを取り戻さなければならなかった。今からでも遅くない。生きている限り大丈夫である。夢を諦めないことである。必ず実現する。愚か野蛮な文化に染まる必要はない。彼らの閥である。放っておく。やがて淘汰される。或いは枯れる。生命体としての進化傾向がある。刃向かえはしない。この世の人生は壮大な実験である。それを神の計画と呼んで良い。気づいた者は知るだろう。気づかないものは永遠に否定する。自ら救いを拒んでいることを知らない。知性の勝利である。人類は偉大である。この世はすばらしい。人生、喜びとなりにけり。夢を諦めていないか。夢は実現する。自分次第である。信じる世界があるなら飛び込むが良い。黄泉が救ってくれる。黄泉とは何だったか。祖先の総体だった。これを粗末にしていた自分がいた。それが戦後だった。求めていたものは何だったのか。自己人格形成責任論。見つかったようである。持って生まれた悪性もある。それを乗り越える。それが無となることだった。そして満ちてくるものがある。それが持って生まれた本来の自分だった。そして実人生が始まる。『十牛図』に於いては第八から第九となる。即ち美しい風景が待っている。次は何だろう。第十である。世間に帰る。帰りはするが世間に染まりはしない。蓮華は泥の中で咲く。蓮華の前に化生である。因って、人生はすばらしい。一仏成就悉皆成仏。知るべき時が来た。しかるべき存在が目覚めている。すべてはその為に準備されていた。過酷孤独な人生があった。そして見つけたものがある。それは何だったか。世は欺罔が過ぎた。何をしているのだろうね。何をして来たのだろうね。あの世へいけば全て解る。その時は遅い。自分からの解放の頃だ。


2008年05月17日
もう咲かないのかと思っていた花
自由とは何だったか。市民革命を通っている。何をしても良いわけではない。社会契約というものがある。憲法には人権が保障されているね。それは自由のためだった。そして幸福追求権もある。さて、幸福とは何だったのか。人権も人間である限り無条件のように思っていないか。他の人権を侵害する者はその部分に於いて自らの人権はない。暴走族的人間がそれを勘違いしていた。自由とは思うとおりにしてしかも法を超えない。遵法精神は社会に生きる者として人格表現である。法は法律だけではない。法律は法の中で物理的強制力を持つに過ぎない。その意味で国家の専属である。生まれながらにして平等というのも自由のためだった。自由とは何だったか。貧しい家庭に生まれても一生貧しいままでいる必要はない。教養及び人格向上は一生涯を通して追求できる。この世に生まれた意味は何だったのか。過去からの夢の実現過程だった。平等とは、持って生まれた自分を十全に開花させることだった。しかしそれを阻害するものがある。何だろうね。闘う民主主義という概念がある。マクファーソンだったろうか。市場主義は諸価値を破壊することを内在的に含んでいる。視聴率第一主義は衆愚化する。或いはこれも諸価値を破壊する。さて失われた何か大切なものがあった。それは何だったか。本来日本の属性だった。壮大なビジョンがあった。目的は果たされたか。日本がそのように動き出した。首尾一貫して指摘したところだった。日本は漂流していた。それ故、何が跋扈したか。明らかとなった。日本が日本を思い出した。或いは目覚めた。目覚めた日本は本来神国だった。使命は果たした。私の仕事だった。生まれた時からあまりにも特異な人生だった。もう咲かないのかと思っていた花が咲いた。養分は使い果たした。未来は明るい。日本の基が定まった。間違いない。何故か。天の守護がある。問答無用。容赦ない。信じられないね。何故だろうね。人生、浮かれていたからだよ。祖父の遺した数十本の彫刻刀がある。祖父は棟方志功と同門と聞く。近所の散髪屋さんがうらやんでいた砥石で研がれたその彫刻刀は今もよく切れる。楽焼きを呉に持ち込んだのも祖父だった。私が日本に思い出させたものは何か。何を粗末にしたか。一休髑髏ご用心。今少し酔ってしまった。白牡丹ワンカップを二本飲んだ。何故白牡丹なのだろうね。西条寺家にはあの人(高校の頃の彼女)がいる。今更どうでもいいけれど。呉の屋台に恭ちゃんがいた。もとプロボクサーだった。屋台の名は『かどや』だった。恐らく恭ちゃんのことは一番よく知っている。その屋台のお酒が白牡丹だった。これからジョイフルへ行こう。朝のカラスが五月蝿いね。皆様、本日もよい一日でありますように。ワンカップ二つ。酔いにけり。酔っていう。世間勝手、これより通りはしない。テレビ界も官界も。究極の力、本来日本の花開花。そして大反省の頃となった。それは何だろう。自己責任の原則といわれる。自由であるからである。仕事とは何だったか。限られた時間で一定の成果を挙げることだった。それは食べるためである。仕事が目的ではない。目的はどこまでも人間としての暮らしである。好きなことをするためである。愛する家族と幸せになることでもある。仕事はどのようにするのであるか。現状分析とか、市場調査とかいわれる。それからどうするのか。想像力ということがいわれる。これがどういうことであったのか。想像力がどのように仕事になるのか。知らなかった。この度教えて貰った。現状分析から次の段階をイメージ化するのだった。それを数値に落とし込む。それが行動計画或いは企画となる。意識に於いては潜在識に落とし込む。それが本気になることだといって良い。即ち真剣勝負である。そうすることで成就する。目標は明確であることを要する。それは数値となる。こうした一連の作業は仕掛けを作るに等しい。ビジネスがこうしたことだったとは知らなかった。仕方ないね。求めていなかった。この度、一気に知るところとなった。真実は求めなければ与えられない。そして思う。行間を読むということがある。職人は仕事を盗めともいわれる。その辺りの間合いというか呼吸である。相手を見て法と説けともいわれる。剣は剣客を以て呈すべし。詩は詩人を以て呈すべし。本来そうしたことだった。何もかも云う必要はない。別に秘密ではない。煩わしいだけである。法律上当然ということもある。神仏の実在も当然である。その辺りの間合いがそのまま格段の差である。そうだったのだった。思考は現実化する思考は想像力であった。それは以上のような内容がある。知らないことを以て否定できない。賓主歴然。知る人ぞ知る。知性の勝利。この知性は本来大和の知性である。即ち、身心清浄及び正直を以て旨とする。しばらく蔓延った欺罔を以て利益とする商人根性ではない。古来本来の諸価値に立脚した智慧である。この智慧こそ復活させる。本来の価値が破壊されている。それでいう。何が跋扈したのか。探していた。何を探していたのだったか。高校の頃より探していた。故に人生も青春も失った。それも仕方ない。探さなければならなかった。棲める空気が失われていた。本来神国日本。本来の色に染め変える。愚か野蛮は要らない。それは見つかった。孤独な旅があった。失われた何か大切なもの。持って生まれたもの。何を粗末にしたか。何を愚弄無視しようとしたのか。日本は日本である。本来の色がある。あなた方の色に染まりはしない。諦めないことである。何をしてきたんだろうね。何をしているのだろう。時は代わった。そして定まった。


2008年05月16日
未来の夢
確かに至った世界がある。それは何だったか。黄泉の導き、天の守護だった。古来伝えられていたことだった。地位も名誉も財産も失うとどうなるか。思い知ったよ。この世で知らなければならない秘密があった。解かなければならない謎があった。そして自信を失っていたわけではなかった。時を待っていた。心の傷の癒える時を。十九の春はそれほどに打撃だった。どれだけの試練があったことだろう。誰も知らない。勝敗は決した。本当の幸せ或いは自由とは何だったか。お金だと思ったよね。それも過去の夢だった。残念だったね。地位でも名誉でも財産でもなかった。未来の夢は何だろうね。一切の不安及び恐怖からの自由。それはあるのだろうか。ある。示し得たのかも知れないね。国家からの自由でもなかった。楽になって、笑みがこぼれる。長い旅があった。孤独な旅だった。長い冬だった。日の出づる國日本に永久の春が来た。そして時代が定まった。このような過酷な運命を背負うこともある。権力は権力によって滅び、武力は武力によって滅ぶ。金力は金力によって滅ぶ。権力は今、どこにあるのだろうね。官僚組織だね。それも財務省であるか。何を以ての権力であるか。公務員試験が根拠となりうるか。何か大きな勘違いをしていないか。見抜かれたね。国家財政の700兆円の債務の意味はわかっているのだろうか。責任はどこに転嫁するのか。特別会計は一般会計の何倍であるか。その会計報告はどこにあるのだろうね。明らかにして頂きたい。見えないところで何をしてきたのだろうね。主権在民、国民主権。不昧因果。あなたがたの勝手の背後でどれだけの悲しみがあったか。何に耐えていたか。何を粗末にしたのか。何を裏切ったか。そして何が蔓延ったか。本来日本を取り戻すべき時である。欺罔が過ぎた。日本は日本である。あなた方の色に染まりはしない。考えて頂こう。未来日本を。ところで、某銀行が経常利益を更新した。ここ数年、毎年更新であるらしい。よくいうよ。さて、人生と青春を失ってまでも何を探していたか。そして何を見つけたか。その間、あなた方は何をしていたか。黄泉の鉄槌が下る。思い知るだろう。仇討ちは武士の習いである。そして今思えば、遠慮しすぎていたようだ。何もかも。そしてどうなったか。すべて失った。人生も青春も。みくびられたものである。しかしそれも気にならなくなった。何故だろうね。この世の宝を見つけたからだよ。それは何だったのだろうね。既に書いたけれど、自分自身だった。即ち取り戻された自信だ。ところで裏切る人はとことん裏切るね。そういうこととは知らなかった。代償の法則を知らないね。ギブ&テイクも、ギブが先だよ。奪ってばかり、嘘の上に嘘を重ねてどうするのだろうね。大企業及び官僚と雖もその例外ではないよ。智慧の使いどころを間違ったね。もう遅いよ。ここで精算だ。既に処したる人生がある。その草鞋銭は請求される。年貢の納め時だ。計上されていない利益がある。計上されていない損失がある。


2008年05月15日
十九の春を越えて
人生及び世界がどのように出来ていたのか。知るところとなった。一切の不安及び恐怖も無いといって過言ではない。それが武士道は死ぬことと見つけたりであった。勿論実際に死ぬことではない。無を通って満ちてくるものがある。それは何か。さて、十九の春の後、大学に入学した時、驚いたのは主治医だった。希有なことであったらしい。しかし、その後、人生と青春を失っていたのは確かだった。何をしても駄目だった。当然だった。そして三十有余年を経た。色々なことがあった。そして復活した。自分が復活した時、全てを知った。それは何だったか。本来の自分自身だった。或いは神国日本だった。全ては準備され、計画されていたかのようだった。思えば生まれた時からそうだった。自分が何のために生まれていたのだったか。広島を離れることは出来なかった。何故だったのか。全て理解した。それらについても既に記した。そして得たものがあった。それは何だったか。権力でも武力でも金力でもなかった。法力或いは金剛杵だった。或いは伝家の宝刀即ち螺鈿の槍だった。私は何も知らされていなかった。故に苦労した。しかし何時か気づくのだった。何に気づくのだったか。本来の自分だった。あまりにも特殊な人生だった。十九の春も乗り越えなければならなかった。それも使命だったか。そして何を証明したのか。道元貧学道であったか。或いは一休髑髏であったか。それらも既にどうでも良い。プロセスに過ぎない。その間、何が蔓延ったのか。そしてその理由は何だったのか。それも理解した。そして伝家の宝刀を抜くのだろうか。そしてどうするのか。嘘及び暴力並びにカンニング及び暴走族文化を一掃する。本来日本を取り戻す。出来ないとでも思っているのだろうか。古来大和魂本来日本純粋精神に点火された。情念の炎が燃え上がった。その為に埋没した。その為に特殊潜航した。経験しなければならないことがあった。確認しなければならないことがあった。解くべき謎があった。真実とは何だったか。それを証明しなければならなかった。そしてそれは果たされた。そうした人生もある。そのための属性を持って生まれることもある。そして知った。何を知ったのか。全て自分次第だった。自分のことは自分でなければ解らない。自分の問題は自分でなければ解けない。解いて自由を知る。幸せはそれからである。それが亦、隻手の音を聞くことであったのだろう。それぞれの問題である。日本は日本である。本来日本復活。しかと此処に定めおく。情報は発信したところに集まる。どの情報が正しいのか。世間はわからない。時は来た。


2008年05月14日
小説『精神一到』
精神一到何事か成らざらん。為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり。これらは人口に膾炙するところである。しかし論語読みの論語知らずということがある。言葉は知っていても知っているだけでは意味がない。その働きが事実として体験され、それを自分のものとする必要がある。しかしこれらの事実を体験的に自分のものとしている者がどれだけいるだろう。むしろ今、これを事実として認めない方々の天下ではないか。そのように思われる。何故かというと、もしこれを事実として知っているのであれば、テレビ界のあの馬鹿げたふざけ様はない。何か大きな勘違いがあった。それも無理はない。過渡期である。戦後の試練があった。自由概念が継受された。何が自由であるか知らないまま、カンニングが得意な方々が先ず自分たちの自由を自由と思った。しかし本当の自由ではなかった。やがて本当の自由が明らかとなる。太陽が昇れば夜の星は見えない。そして本当の自由が明らかとなった。それはとても人格的だった。腐敗と堕落ではなかった。世の大人達はそれが人生であると思った。人格の向上など無意味だと思った。そういう方々の天下だった。結果どうなったか。見ての通りである。それも必要だった。真実の自由が明らかとなった時、自ら証明するためであった。歴史の流れとはそうしたものだった。真実とは何だったのか。例えば『2001年宇宙の旅』のエンディングだった。そこに大鏡の秘密があった。因って難解な映画だとされている。どうして難解であるか。そうした属性を持っていないと理解できない。ハルは何故漂流したのか。自己コントロールを失ったからだった。ハルが帰還するのは何時か。自己コントロールを取り戻した時である。それが今である。何がいいたいのだろうね。日本が神国であるということである。そしてしばらくそれが見失われていた。何故見失われたのだったか。糸車の針が刺さっていたからだった。それでその属性は眠らされていた。そしてそうしたことはないのかと思われた。しかし本来日本は神国だった。本来そうなのであれば、何時か芽吹く。その時が来た。どういうことだろうね。これから明らかになるのだろう。既に気づく人は気づいている。知らない人は知らない。知らないことを以て否定する。これが哀れである。認めた方が良い。既に事実である。古来伝えられていた。時は代わった。刃向かえはしない。それは歴史的に予定されていた。全てその為に準備されていた。特殊な経験があった。特殊な試練があった。『トップガン』は予科練だった。あらゆる秘密が解かれた。戦後断絶した。螺鈿の槍が折られたからだった。それは放棄されたかに見えた。何がであるか。花は何処へ。もう咲かないのかと思われた。その花が咲いた。古来大和の花だった。その種は遺されていた。何処に秘蔵されていたか。黄泉だった。何が守護していたか。天だった。それが古来大和の秘密だった。誰も知らない。何故か。その属性を持っていなかった。それ故、それは無いと思った。無いと思った方々が好き勝手した。嘘と暴力で財を成した。それが罪である。何を無いと思ったのか。本来古来大和魂。身心清浄及び正直。何を裏切ったか。その罪が裁かれる時が来た。代々それだけの使命があった。それが自覚した。江戸無血開城は禅譲だった。譲ったのである。譲ったからには譲った。そして戦後主権在民となった。この本当の意味を知っている者はあるか。どんな憲法学者も知りはしない。どんな解釈も及ぶところではない。私の家には宮沢喜一著だったろうか、憲法の小冊子があった。祖父のサインがあった。私は祖父に育てられた。祖父が何者だったか、知っている者はあるだろうか。何れにしても苦労した。本来の自分を否定し続けた。どれほどの苦難だったか。しかし時は来る。何時までも自分を偽るわけにもいかない。そして見るべきは見た。学ぶべきは学んだ。仏と雖も大きなことはいわせない。どういうことか。思い通りにならなくなったね。当然である。主権を無視した。国家と雖もゆるしはしない。何をしてきたのだろうね。何をしているのだろう。本来日本、何処を見ているのだ。知らしめられたいのだろうか。黄泉が黙っていない。それほどの自覚が目覚めている。どれほどの悲しみであったか。勝手が過ぎた。憲法はプログラム規定である。主権行使の頃となった。年貢の納め時である。じたばたしても遅い。既に処したる人生がある。その重きによって処断する。本来日本、基が目覚めた。そして今、穏やかなとても穏やかな世界に辿り着いた気分で居る。探していたものは見つかった。それは何だったのか。自分自身だった。魂と宇宙は連動している。すべて自分自身だ。この世界を作っているのは私たち自身だった。私が何を考え、何を選択し、何を行為するか。とても重要な要素だった。今までは感じてはいた。今はどうだろう。確信だ。みんなそうだったんだ。それを知らなかった。そして勝手した。既に真実真理は伝えられていた。それを学ぶことなく、レベルの低い自分の方法論に固執した。テレビお笑い芸能界などその最たるものである。そして文化はどうなったか。申し訳ないことである。かつて私は9教科で10を8つ並べた。その頃には県体の選手でもあった。何をしても何時でも一番はとれると思っていた。その私が今、散髪代もない。笑うしかない。埋没してしまった。どうしてこのようなことになったのだろう。何時か何が正しくて、何を信じたらいいのか解らなくなる。その時のための秘密兵器だったのだろうか。その時のために探しておかなければならなかったのだろう。生まれた時から希有な人生だった。小学校の頃に娑婆的なことは殆ど学んでいた。どうやら黄泉の計画だった。運命づけられていた。何が真実であるのか見極めなければならなかったようだ。私にしかできないことだったのだろう。過去を未来に移す。それは神国日本の確認だった。それは本来日本の本懐だった。個人的には様々な試練があった。それも乗り越えなければならなかった。とてもこの世で解決できるとは思われなかったほどの十九の春があった。それも果たした。そして西洋成功哲学へ至った。最後の仕事であった。どういうことだったか。ペリー来航以来の課題であった世界との真実の合流を果たすことだった。世界も待っていた。西洋思想は19世紀に既に没落していた。しかしそれより脱出口はわからないままだった。既に気づいていたのは、『2001年宇宙の旅』或いは『スター・ウォーズ』だった。戦後継受した自由主義の本当の意味は何だったか。それを探索確定しなければならなかった。それも実行した。あらゆる成功哲学の源泉或いは原石は、アンドリュー・カーネギー氏の理論にあった。それも見つけた。そして過不足なく真実であることを確認した。これを以て東洋と西洋の真実の合流である。私の与えられていたミッションだった。これを以て特殊潜行艇は浮上する。私が何をしていたか、誰も知らない。どんなに偉大な仕事をしたか。何時か解る時が来るだろう。小学校の頃の修学旅行で秋芳洞へ行った。修学旅行は本来学習旅行である。そして目のない魚を見た。水槽の中でごつんごつんとぶつかっていた。この世は火宅である。それを知らない。火宅の中にいる者はそれが現実だと思っている。それが人生だと思っている。目のない魚に等しい。私は自由を得た。本当の自由である。それは何だったか。黄泉の導きと天の守護だった。私の人生はそれを確認する旅だった。それはある。神仏は実在する。私の冒険で見たものだった。そして幸せへの道を見つけた。これからそれを歩むことにする。Good-bye Yellow Brick Road ! Rome was not built in a day. The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me. Spring World wide Coast!_from now on Today_for ever_Happy LIFE_for all the pure way! Where is your hapiness? Whose freiend are you? We are going to have good days with all our good friends together all days from now. Are you ……?Today We are all happy all over the world! Let's go, shall we? The Last is lasting from now on for ever ! Because We're living now, then and all old our good days, so for future certainly is in the loved and loving world this our earth under the sun and the moon as long as THE BAND is blessed by all our genuine natures. Let's make a Happy Life, share and taste Sweet Quality of it, shall we ? The life with internet for the aging society and the handicapped people! The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me. This homepage is very important. Why? Because it is one of the centers of the wonderful world under the sun and the moon in the space or that's top of the world. ≪不幸を他人のせいにするような心の狭い人もいるが、本当のところは、どんな人もパーソナリティを通して現れる自分の心構えの結果として今の地位や職業を得ているのだ(アンドリュー・カーネギー)。≫しかしこれだけでは十九の春は説明できないね。それは津波或いは大地震だった。人生と青春を失った。その後、耐えるしかなかった。特殊潜行埋没するしかなかった。立ち直るには三十有余年を要した。およそ想像を絶する。その間、自分自身との戦いだった。これに勝利するしかなかった。そして勝利した時、代償の法則に出逢った。黄泉の導きと天の守護を知った。神国日本を確認した。自分自身とは何者だったかを知った。世間は浮かれていた。故に勝敗は決した。諦めないことである。故にできた仕事を評価できないね。別に今更だけど、故に至った世界がある。それは真実幸福論だった。東洋と西洋の合流だった。世界も待っていた。何を待っていたのだろうね。一箇の自覚を待っていた。それは宿命的なものだった。未来を方向付けるものだった。そのような使命を持って生まれることもある。時代の分岐点に。それは試練を通る。何故だろうね。選択を誤らないために。そしてその使命は果たされた。時代の方向性が決定された。巷の経済行為どころではなかった。そのような余裕はなかった。古来大和の秘密及び謎がある。パンのみにて生くること能わず。そろそろパンを得ることを考えるかな。パンといえば、ジャンバルジャンもあったね。ガンバルジャンとでもなるかな。なりふり構わずにね。捨てるべきものも失うべきものもない。気楽になれた。楽だよ。感謝している。すべてに。ありがとう。やっと幸せになれる。私の仕事は終わった。何か失われた大切なものは見出した。既に記した。時期尚早かも知れぬ。理解できる人は少ない。民主主義は制度上衆愚化する。修正が必要な頃となった。


2008年05月13日
恋せよ乙女
ナポレオン・ヒル著『巨富を築く心構え(CD)』は或る意味で運命的な出逢いだった。ロバート・キヨサキ氏の著作で、資本主義というものがどういうものであるのかを初めて知った。学問としての経済学ではわからなかった。その事実にも驚いたことだった。亦、ナポレオン・ヒル著『思考は現実化する』も精読した。この種の本はこれまで敢えて避けてきたものだった。しかし此処に導かれていたのかも知れない。今でなければ理解できなかっただろう。そしてアンドリュー・カーネギー氏の成功哲学に興味を持った。やがて、ナポレオン・ヒル著『ミリオネア養成講座~明確の目標編~』を見つけた。成功哲学については、青木仁志氏のCDは聞いていた。そして何故何もかも失敗したのかその理由が明らかになった。それは感情のコントロールだった。中でも怒りだったようだ。激しい自分が居たことは気づいていた。しかしそれが決定的な要素だとは思わなかった。他に理由があるかと思っていた。そうでもなかった。これだった。理由がわかれば修正すればいい。やっとわかった。笑顔と優しさですべて解決するということに至った理由だった。さらに昇華という言葉がある。それは性的エネルギーの転換だ。概念は知っていたが、その実質的な機能については知らなかった。愛と性的エネルギーこそ、創造的エネルギーの源泉だった。恋せよ、乙女。随分と愛とか恋が推奨されている。その本当の意味は何だったのだろうね。愛と性的エネルギーの力を知ることだった。その力を転換してこそ、何かを創造する力となるからだった。それなくしては何も生み出せない。人間は生命体としての最終作品といえるが、他の動物と区別されるのは思考であるという。一般に神の七つの力がすべて賦与されているともいわれる。すなわち、万物の霊長である。どういうことだろうね。何かを創造する力があるということだった。その力こそ生み出すことが出来る力であり、性的エネルギーが転換されたものだった。そしてその力で何を作るのだったか。未来だった。仕事を愛し、性的エネルギーの転換された力でその仕事を遂行するとき、創造的な仕事が成就する。そういうことだった。それがどうだろうね。現代文化現象は、この本来の様相を見失った。テレビを筆頭に、あらゆる文化現象が第一次的性のエネルギーの発散に止まっている。これでは未来は開けない。人間として無責任だったね。私もその意味を初めて知った。そして安堵した。世間の風潮に染まらなくて良かった。本来の力が温存されていることだろう。21世紀になって、既存の常識では幸せになれないことが明らかとなった。新たなパラダイムが必要である。そのためには古い常識を破砕しなければならないだろう。その為に温存されていたのかも知れない。それだけの力があることは既に認識している。この力は自分自身をも壊すことが出来る。まさに核融合或いは核分裂に匹敵する力である。使い方を間違えると、何もかも破壊してしまう。ところで人間の行動は理性よりも感情に支配されているという。そして感情は相手に対してテレパシーとして通じるという。この辺りは、私のいう大鏡だったのだろうか。そういうことであるらしい。積極的心構えから発する過ちに対しては社会は寛大だが、消極的心構えによる過ちを社会はゆるしはしないというのも面白かった。さらに、積極的に生きることを放棄して不幸になっても、社会は相手にしないという。そうしたことについて、教育の機会も本も豊富にある限り、それを探す努力を怠った者に言い逃れはないという。さて、この歳になって初めてこうした事実に気づいた。やはり甘えていたのだろう。だが、これで青春を取り戻したようだ。確かにそう思う。あまりにも複雑な知性だった。解くべき謎があった。誰もが出来ることではなかった。昭和50年には解くはずだった。しかし時の悪戯があった。此処までさらに探求しなければならなかった。それ故、結果は大きい。すこぶる大きな謎が解かれた。それは何だったのだろう。その間、何が蔓延ったのか。時は来た。彼はいっていた。日本は大丈夫だよ。何故だろうね。時代の色を塗り替えるといっていた。どんな色になるのだろうね。やはりゆるせないものがあるといっていた。さて、本当の幸せとは何だったのだろう。思うとおりの人生を歩めることだった。人間は一人で生きてはいけない。仲良く楽しくやっていくための条件は何だったか。それを探していた。どうしてこのようなことになったのか。嘘と暴力に負けていた。自信を失っていた。絶対の自信はどのようにして得るのだったか。天の守護を取りつけることだった。天にも好みがある。天に好かれるためにはどうするか。その要件を示したことだろう。持って生まれたものも重要な要素である。そうしたことを無視した。それが戦後だった。自由を履き違えたからだった。そして真剣さと情熱を獲得した者を誰も無視できない。それが古来大和本来武士道日本純粋精神だった。それをも笑いものにした。商人根性は恐ろしい。だが、真実日本復活である。基は定まった。明るい未来のビジョンが描けるか。どのようにして描くのか。愚かな閥の支配はこれより通しはしない。暴走族的文化に用はない。知性の復活である。時は代わった。自覚はさらに深まった。どのような自覚であるか。秘密に属する。容赦ない。菩薩に一悪あり。それも明らかとなった。感情のコントロールだった。これで完成だね。何が完成したのだろう。これを以て貿易するべし。黄泉の導きがあった。そしてどこへ至ったのか。生命体の夢。天の守護。人生は素晴らしい。すべて良し。本来無一物。愛とは何だったのだろうね。動植物及び岩石も喜ぶ周波数だった。どのようにして至るのか。その時、幸せが何だったかを知る。その幸せとは何か。真実の日本は神国だった。しばらく忘れていたね。愚弄したね。無視したよね。日本は日本だよ。原爆の火を以てしても根絶やしにされはしない。本来日本の色を取り戻す。愚かなお笑いではない。それで何が解決できるだろう。浮かれた時代は去った。知的喜びの世界となった。カンニングで身を成した閥の時代は終わった。本当の幸せ実現の時が来た。知性が起ち上がる。知性に火が点いた。知性が本気になった。身分に安住し、傍観する知識者ではない。あらゆる試練に耐え、この世での解決は出来ないと思われた艱難辛苦を通ってのことである。そして自由を得た。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本秘密顕現。糸車の針は抜かれた。枯れ木に花が咲いた。何を捜していたのだろうね。そして何を見つけたのか。禅のテーマは何だったか。汝自身を知れ。知った汝とは何者だったのか。勝負するのかな。尚、刃向かうのかな。勝敗は決した。


2008年05月12日
至り着いた世界
私の人生は失敗かと思われた。誰よりも能力はあった。しかし今、客観的には不幸である。人生と青春は失った。地位も名誉も財産もない。明らかに何かを間違った。しかし此処に至ってしばらくしていなかった勉学をした。するとどうだろう。私の人生は正しかったのだった。あらゆる書物が証明している。美しくもある不思議な体験もある。そして見出していたのは神国日本だった。私の人生は何だったのか。導かれていた。何に導かれていたのだったか。これが夢だったのだろうか。伝えるべき事があるのかも知れない。希有な人生だった。これからもそうだろう。一箇の自覚とかいってきた。何をいいたかったのだろうね。しかしそれを表現することは時期尚早かも知れない。誰も理解できないだろうね。辿り着いたようだ。どれだけ孤独な旅であったか。どれだけ悲しい人生だったか。今となっては懐かしい。私の人生は正しかった。この世に生まれた使命は果たした。本当にそう思われる。それほどの世界が見えてきた。既に過去の英知が伝えていた。殆どの人は知らない。この世は宝の山である。法華経の表現がそれしかないように思われる。七宝の世界である。何をしているのだろうね。何をしてきたのだろうね。探そうともしなかったね。今からでも遅くない。失われたものを取り戻そうよ。漫画とかお笑いでは駄目だよ。本当に素晴らしい世界がある。美しい風景が待っている。黄泉の守護だよ。これだった。巷では今、私は誰からも嘲られ、馬鹿にされるようになった。故に至った。失敗をし尽くせばいい。そして無となる。無となって満ちてくるものは何か。幸せである。成功である。失うべきは失えばいい。何時か帰ってくる。取り戻せる。どんな悲しみも、その悲しみの中に、それと同等か或いはそれ以上の喜びの種が宿されている。代償の法則である。人生はそのように出来ている。はじめに悲しみがある。自由とはどんなに貧しくても歴代の英知の恩恵を受けることが出来ることだね。どんなに貧しくても一生貧困である必要はない。そうした悲しみを通って至ることが出来る。それしか方法はない。どんな障害も必ず乗り越えることが出来る。そして得た喜びは何か。自覚自得するしかない。長い冬だった。時を要した。故に本物である。探していたものは見つかった。本来自分。


2008年05月11日
魅力的パーソナリティ
探していたものは見つかった
それは愛だったのか 平和だったのか
或いは価値だったか
それは 魅力的パーソナリティだった

それは信念だった
それは言葉だった
はじめに言葉があった

金剛杵 打ち出の小槌
既に伝えられていた
仏道もそうだった

目的地は定まった

この世に生まれて
目指すべきは何だったのか
自己人格形成だった
それが過去からの夢だった

アンドリュー・カーネギー氏によって
成功理論は確立されていた
本来人間の目的地だった
権力も 武力も 金力も
その過程に過ぎない

それが神だった
或いは佛だった

人類の目的地は定まった
過去を未来に伝える
使命は果たした
探していたものは見つかった
失われた何か大切なものがある

西洋と東洋の合流である
西洋は物質文明から目指した
東洋は精神文明から目指した
目指した目的地は一つだった

日本は日本で良かった
真実日本世界合流である

敗戦で継受したものは何か
しばらく勘違いがあった
その真実が明らかとなった
探していたものは見つかった
人生は生きるに価する
諦めないことである
真実幸福論の源泉発掘
既に 伝えられていた

何をしてきたのだろうね
何をしているのだろうね
仮城を出でよ 真実の城を目指す


2008年05月10日
新たな展開へ
自分が変わることで、世界が変わる。どういうことだろうね。それは引き寄せの法則と呼ばれているものかも知れない。現実が悲惨であるとすれば、偏にその原因は自分にある。世界はそのように出来ている。この理論がわかったからには、実践するしかない。これまでは漠然と救いとか思っていたが、それも導きだった。何事も自分次第だ。思考が現実化するといわれるが、唯考えるだけで現実化するのではない。主体的に生きることがどういうことであるか。試してみる価値がある。この世に生まれてどう生きるのか。方法論は伝えられている。気づくものは少ない。探すものも少ない。実践するものも少ない。しかし信じるしかない。コロンブスのように。禅の教えもそれ以上ではない。この世に生まれて極めるべき究極の力とは何だったのか。権力でも武力でも金力でもなかった。さらにその根源の力は何だったのか。佛は法力という。黄泉の受容祝福守護といっていい。その要件は何か。人生と青春或いは命を賭しても良いだけの価値がある。既に見失われて久しい。不安或いは恐怖からの自由はあるか。古来武士道がそれだった。それが例えば、アンドリュー・カーネギー氏の遺した教えもそれだった。勉学はするべきものである。テレビ界は何を勘違いし、ふざけていたのか。何を笑いものにしたか。世を腐敗に導いた事実は否めない。いうべきことがある。知性の復興である。古来大和純粋精神復活である。日本は日本である。明治の頃には百年かかるといわれていた世界への真の合流をし、そして重要な使命を果たすべき時が来た。学ぶべきを学び、失われたすべてを取り戻すべき時が来た。諸価値ルネッサンスである。何故埋没しなければならなかったか。その理由も明らかとなった。本来の価値が失われていたこと及び無意味な閥が跋扈し、勝手していた現実を見きわめなければならなかった。すべてが結実し、その実体を顕す時を待たねばならなかった。そして事の善悪を判断する。その時が来たのである。気づく者たちは起ち上がる。未来は明るい。未来は人間が切り開く。その自由が賦与されている。力もである。選択は常に自分にある。誰もがその可能性を秘めて生まれている。その意味で平等である。世の勝手な解釈に惑うことなく、自分の良心が宇宙の意思と連動していることに気づくことだ。羅針盤はそれである。未来への責任を果たすべき時である。浮かれた世は去った。既に処したる人生がある。草鞋銭請求の時である。或いは年貢の納め時である。時代の基は定まった。ゆるぎはしない。一箇の自覚は確定した。それに至る孤独な旅があった。何を求めていたか。或いは探していたのか。自分自身だった。見つけた自分は何ものだったのか。二千年来の秘密だった。その謎が解かれた。そして再び運命的なCDに出逢った。それがナポレオン・ヒル著『巨富を築く心構え』だった。注文していたものが昨日届いた。これには驚いた。求めていた何かがあった。出逢いは常に不思議なものである。例えば、≪チャンスは誰にでも手の届くところにあるものだ。だから個人がいくらでも成功できる。しかしチャンスは待ってくれない。チャンスに気づく先見の明があり、素速く決断してそのチャンスを捉える人は出世するだろう。だが、それができない人に見込みはない。世の中とはそういうものだ。自分の求めるものを正確に知っていて、それを手に入れようと固い決意を持つ人には必ず場所が提供される≫。時は待つべきものである。若さを失ったら終わりだ。年齢は関係ない。世の成功者は失敗をしているからである。晩年からが勝負だ。時は来たようだ。どういうことだろうね。やがてわかる。≪心構えは、声のトーン、顔の表情、身体の姿勢に影響し、その人が抱くあらゆる感情の性質を左右すると共に、その人が話す言葉の印象を変える。そればかりではない。心構えによって、その人の思考の性質が変わり、テレパシーで届く範囲内にあるすべてにその思考の影響が及ぶようになる≫。大切なことは何だったのか。何を開発確認するべきだったか。あまりに無視していた。あまりにも怠惰だった。それをこの世で確認しなければ何も始まらない。それはスピリットだった。理入と行入がある。達磨の理論である。一般的には行動が先だといわれる。証明には帰納法と演繹法がある。むしろ行入とは失敗であろう。そして理論に至る。そしてすべてが意味を持つ。無敵となる。取り戻した自信は絶対である。絶対ということはないといわれる。神仏は絶対である。思い上がってはいけない。謙虚であれという。何に対してであるか。真実に対してである。カラスは黒い。カラスは白いという上司など要らない。人生ゲーム、勝敗は決した。そしていう。何を根拠に勝手し来たる哉。何を愚弄無視破壊し、裏切ったのか。


白い鳥が目覚めて歌う
【ブレイク】
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず

愛とは、動植物及び岩石も喜ぶ周波数。法華経はこれを以て貿易すべしというこれがそれでした。人生とは、過去からの夢の実現過程。アンドリュー・カーネギー氏の実践から、思考は現実化すること及び代償の法則が明らかとなりました。幸せとは、自分の夢が実現することだね。それぞれ生まれた意味がある。どんな障害があっても乗り越えることができる。自由とは、貧しく生まれても、一生が貧困である必要はないこと。この世で、教養も人格も向上することができること。平等とは誰もが自分を開花できること。良い時代となりました。良い時代にしましょうね。此処まで進化したのです。人はすべて生まれながらに平等とは、皆んな幸せになって良いのです。失ったものが大きければ、得るものはそれだけ大きい。他人の幸せのためにサポートして、その人が幸せになることで、自分も幸せ。これが人の幸せを喜ぶことでした。それぞれ生まれた意味があって、それぞれ異なります。それぞれの花を咲かせましょう。人生大肯定です。自分が変わることで世界が変わります。幸せを形にすることができる時代となりました。愛とやさしさ、そして笑顔ですべて解決します。白い鳥が目覚めました。そして歌っています。「シンデレラさん、ご用は如何?ご用は何でございます?」


2008年05月09日
喜びの明るい幸せ世界
どうしてこのようなことになったのか。明らかに失敗である。これ以上の失敗はないほどに。すべては十九の春だった。どうしても納得がいかなかった。しかし、人生とはこうしたものだったのだろう。十九の春も誰が悪いのでもない。自分としては精一杯生きていた。その後もそうだった。確かに人生と青春は失われた。それも人生だった。そして罪と罰を知った。あれは罰だった。何に対する罰だったのか。過去世だろうね。そして罪は償ったのだと思われる。何もかも失った。身一つだ。しかし今、本当に自由なのだ。救われたのだと思う。世界はこのように出来ていた。自由となって、自分自身を知った。力も取り戻していた。どのような力だったか。このような人生もある。人生大肯定となった。失われた自信は取り戻された。何を求めていたのだろうね。何を考えていたのか。何もかも無意味だった。本来何もない。生きている現実があるだけだよ。その時、その時を大切に生きればいい。知識を蓄えることもない。何か得意なものがあるか。それ一つで生きてゆける。学科でいくら十を並べても意味はない。何だったんだろうね。何もかもが馬鹿馬鹿しくなってくる。それでいて気にもならなくなった。これが自由だったのだろうか。それにしては、失って初めて気づくのだね。得たものは何か。自由だった。罪を償っての故なのだろう。三十有余年の刑であったか。孤独だったよ。求めるものなどない。思うことも考えることも。楽になった。皆の幸せを願っている。だが、仕事はしたと思っている。生まれた使命は果たした。故に自由。良い時代にしようね。さて、これから何をしよう。これまでの思索をまとめるのも良いのかも知れない。それもどうでもよいように思われる。神国日本の本懐は確認した。子供達の未来に伝えたいところだね。私にしかできなかった私の作業は終わった。後の余の事はそれぞれお任せ申し上げます。

【ブレイク】
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず

この詩の内容が、天上天下唯我独尊の意味だね。さて、確かに見つけたものがある。確認した力がある。未来に伝えるべき事である。語り続けなければならないだろう。義務と責任があるのかも知れない。自覚した者として。何を自覚したというのだろう。例えば、

【C・ウィルソン『宗教と反抗人』】
≪仏陀もまた人間は自己の道徳的福祉に関しては唯自分一人が責任を持つと考え、さらに彼仏陀を神託として受け取るな、唯、己自身の道を見出すための先達として仏陀を利用せよと警告している。人間にまつわる最も重大な事実は自己を変える能力である。アウトサイダーとは、おのが自身の複雑性と、彼を条件付け、彼の同一性を歪めようとする文明とに対する支配力を獲得しようと悪戦苦闘する人である。人間は天使と同様に神のあらゆる能力、神の七つの霊全てから造られたものなり。しかしながら人間は現在腐敗せるがゆえに神的なる働きは常にその力を開示せず、人間のうちに活動することもない。それは人間のうちに湧き起こり、仮に照り輝くことがあろうとも、腐敗せる性質には不可知のものなり。人生は戦いだ。絶えまない精神的戦闘である。アウトサイダーは尨大な精神的努力によって神秘家へと成長する。これは自己の人生を戦闘状態と化せしめ、戦闘に必要な頭脳の緊張を保って生きることによって為される。神秘家とは高度の知識と活力を持つ人間にすぎない。おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない。詩人は誰でも人間の真価は当人の感情的体験の深さによって決められるということを知っている。自分自身と次には世界とに対する支配力を人間に本当に与えてくれるのは自分自身に対する深い洞察に他ならぬ。アウトサイダーは神の存在を認めた。その神とは人間のうち自然のうちに作用している或る力であり、意識をもった如何なる個人の目的より大きな或る目的である。脳の活動は心臓の鼓動や血液の動きとではなく呼吸と調子を合わせたものである。真理とはそれを把握している人間の精神的強烈さなのだ。宗教は到達点ではなく途上の休憩所にすぎない。精神は神による物質の完全な征服をめざして苦闘する。神々と英雄の行動はある不変の法則によって予め決定されている。如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。社会の背後にあって社会を動かす力となるべく勤めること。他人の中で一つの力となることによって他人のために力を獲得してやること。アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである。真理は主体性なのであり、従って自己に集中することによって真理は達成される。文明はその死活問題として宗教を必要としている。人間の能力が人間の宗教に勝るようになったとき文明は崩壊する。何事かを為そうとする意志は、それがどうしても必要であるという確信によってもたらされた或る強烈度に達すれば、その何事かを為すための新しい組織を作り出し編み出すものなのである。自分一個の人格よりも大きな何ものかによって駆り立てられている人。真の宗教とはあらゆる人間のための標準として、詩人や賢者の最も深遠な洞察を認めることに他ならぬ。どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり。≫

そして、本当の幸せとは何だったのか。それが人生の目的だった。生まれた意味だった。愛と平和を手段として至る。生命体としてのゴールである。即ち神仏。或いは黄泉の守護。どのようにして至るのだろうね。その要件は何だったか。このブログにはその答えがある。探していたものは見つかった。それは何だったのか。既に記した。その探索はライブだった。そして今、何を考えているか。愛のある日常生活だ。愛のある人間関係だ。愛のある社会及び国家関係だ。凡そ一人で生きてゆけない。一人であれば何をしても自由だ。他者と共に生きていくとき、そこに社会契約がある。しばらく勘違いした自由があった。それで閥を成した方々はどのような方々だったか。そして何を犠牲にしたのだろう。犠牲にした者は何を犠牲にしたのか気づいていない。犠牲にされた者は黙って耐えている。21世紀となった。新しいパラダイムが必要となった。以上の観点から国家ビジョンを考える。幸せの基は何だったか。好い人間関係だった。その基礎は家庭である。その核は夫婦関係である。何があってもすべてをゆるしゆるされる関係が愛であろう。その為には相互理解だけでは足りない。あらゆる関係にルールがある。遵法精神はその関係において人格の表現である。暴走行為が蔓延った。カンニングが上手な方々がはじめに閥を成して力を持った。その後もその支配である。結果どのような空気となったか。とりもどすべきものがある。それは何だったのだろうね。愛とやさしさはどのようであるか。とても知的なものであることに気づいた。すべて笑顔で解決する。その笑顔は内面よりあふれこぼれくる。悲しい眼をした演技のそれではない。これから個人的にもこの実践段階にはいる。何かとゆるせない自分が居た。何故だったのだろう。自信がなかった。心に余裕がなかった。それにも理由があった。十九の春だった。乗り越えたようだ。長い冬だった。トンネルを抜けると喜びの明るい幸せ世界が開けていた。


2008年05月08日
ロマンの回帰
自分は自分で良かった。何故あの頃、素直な自分の気持ちを表現できなかったのか。悔やんでもあの頃は帰ってこない。それですべて終わったのかと思っていた。そうでもなかった。この度、思い出の人と会うことが出来た。何もいわなくても、何処か懐かしかった。このような出逢いがあるとは思わなかった。何故あの頃、素直に好きだといえなかったのだろう。解くべき謎があったからだった。そしてこの度、幸せなひとときだった。すべてに感謝申し上げる。そして自分を取り戻した。取り戻した自分は一切のネガティブの門を閉じた。それはとてつもなく強い自分となっていた。三十有余年の苦節孤独の後だった。人生大肯定となった。何があっても良い。生きていればいい。それだけで良い。失われたものは帰ってくる。引く波と寄せる波である。或いは、代償の法則である。あらゆる悲しい経験には、それと同等か或いはそれ以上の幸せの種が宿っている。それを見つけることだね。或いは気づくことだった。自分の悪性も含めて、すべて受け入れればいい。そして本来の自分となる。諦めないことだよ。人生、捨てたものではない。幸せはある。自分次第だった。世の中のあらゆる問題或いは事件は、人のネガティブな感情が原因である。この事実を認識して周知させる必要がある。欺罔の世の中となった。あらゆるビジネスが、大企業も含めて、システムがおかしい。複雑性の背後には、不当利得がある。それが智慧だと思っている。宇宙の法則を知らない。すべてその欺罔の結果が自分に帰ってくることを知らない。それで、どうにもならなくなっていないか。21世紀である。新しいシステムが必要となった。既にそれは始まっている。唯自己利益追求の時代は終わった。ミラーリングである。自分が利益したければ、他人に利益を与えよ。自分が幸せになりたければ、他人の幸せのために尽くすことだ。愛するということはどういうことだったのか。愛はlove。絶対だよ。不倫なんてどうして横行しているのか、私には理解できない。どの階層の魂の風潮であるか。本当に人を愛したことがあるのか。愛ということが絶対である時、不倫はない。愚かなテレビ界が何を吹聴したのか。断罪する。すべての現象は心の現出だよ。この文化はどの階層の文化であるか。年貢の納め時である。何時までも蔓延ることは出来ない。或る自覚の故である。何時までも黙っていない。ロマンの回帰である。いよいよ人生の春である。明るい未来を拓く。人生と青春を取り戻す。時は来た。


2008年05月07日
美について
美とは何でしょうか。英英辞典によると、相手を喜ばせ元気づける何かです。心理学分析では絵を描かせることをします。内面の病んでいる状態が表現されます。何も絵だけに限りません。表情にも、仕事にも、あらゆる表現にその傾向は現れます。つまり、現実は内面の表出です。明らかに今、時代は病んでいます。知的世界は自信を失いました。本来汚職のない仕事が悉く汚職化しました。ビジネスは欺罔複雑化しました。経済的欲求を満たすために、それが人間として当然であると思っているのです。精神的に低いレベルでの閥が跋扈し、社会が支配規定されました。これでいいのでしょうか。生命体としての人類は何処を目指していたのでしょうか。相手を喜ばせ、元気づけることで、自分も幸せであるところです。本来大和魂及び日本武士道純粋精神の至っていたのもそれでした。しかし明治文明開化がそれを悉く破壊し、西洋化することで精神は病んだのです。西洋心理学の帰結はゾンビでした。本来日本にお化けは居てもゾンビは居ませんでした。そこで本来日本を取り戻すのです。それは身心清浄及び正直を以て旨とします。正直者の頭に神は宿るとするところです。即ちそれが卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神です。日本の目指す精神世界です。その時、黄泉(祖先の総体)の受容祝福守護を知るのです。それは亦、世界を救うことも出来るのです。自分が変わることで世界が変わります。魂と宇宙は連動しています。現実はすべて内面世界の現象です。これが禅の教えるところであり、即ち、現成公案です。世の中には秩序があります。上に立つものが模範を示さなければなりません。世のリーダーを自覚する方々の猛反省を必要とするところです。世の中は病んでいます。元気を取り戻すためにどうするか。明らかです。敗戦を通して学んだ自由及び平等並びに民主主義及び人権があります。しばらくそれも勘違いしていました。それも無理はありません。やがて真実の理解がやってきます。そして今、その時です。真実の理解が来たのです。そして真に世界への合流を実現する頃となりました。愛及び平和立国日本として。かつて中国の首脳が仰いました。この問題(戦後処理)は次世代が解決するだろう。さて、世界はどのように出来ていたのだったか。知るべき時が来たようだ。何を以て力とするか。錯覚していたようだね。既に権力ではない。武力でもない。しばらく金力かと思われた。それでもなかったことが明らかとなった。彼らも金力を通して自らの力を試していたに過ぎない。いうべきことがある。しかしいう必要はない。この辺りが微妙だね。そろそろ気づく頃だ。何故思い通りとならなくなったか。何か大切なものを愚弄無視破壊したからだよ。それは何だったのだろうね。既に記した。精査されたい。本当の力とは何だったのだろうね。何を或いは誰を愚弄粗末にしたのかな。黄泉が黙っていない。それが真実だよ。宇宙自然生命黄泉の力がある。それをどのようにして開発するか。代々伝えられていた。それをこの世で手にすることは希である。空海の金剛杵もそれだった。ゲームは終わった。勝敗は決した。最後に笑うということがあるけれど、それはどういうことだったのだろう。般若心経のギャーティだった。或いは到彼岸。それが上質世界だね。何を思い描くのか。思考は現実化する。この世の究極の宝は何だったのか。黄泉の守護を取りつけることだった。その為の要件は何だったのだろうね。正直だよ。商人根性では至れない。甘かったね。古来武士道純粋精神の勝利だ。勝利の女神が微笑んだ。天が味方についた。これ以上の幸せはない。どんな指南書にも書いていないね。雑華経だ。持って生まれたものがある。敢えてそれを否定したよね。お陰で至り着いたようだ。感謝申し上げる次第です。表現の自由は偉大だね。本来の自分を見つけることが出来る。自由とは何だったのだろうね。自分からの解放だよ。怖れも不安も全て自分だよ。知ればいい。知らずに何をしてきたのだろうね。探そうともしなかったね。知らないことを以て否定した。真実は真実である。既に伝えられていた。シュリーマンのように。野蛮及び愚かな閥は去るが良い。


幸せを見つけてその種を蒔く
さて、この人生とは何だったのかと改めて思っている。自分自身で良かったのだった。ほかに何を求めていたのだろうね。そしてしばらく無意味と思われた三十有余年があった。それもこの度、ナポレオン・ヒル氏の『思考は現実化する』の中の代償の原則で救われたのであった。読書はするべきものである。そしてこの世は何だったのだろうね。自己実現だった。本来の自分を見つけてそれと結晶することだった。それで良かったのだった。子供の頃の憧れがあった。それは何だったのか。偉人となることだったのか。普通の人となることだったのか。今となってはどちらでもない。自分自身となることだった。失われた何か大切なものとは何だったのだろう。自分自身だった。この世は過去からの夢の実現過程だった。過去やり残したことがある。その完成こそ自分の使命だった。この世に生まれた意味だった。自分で良かった。前世が何だったかなど問題ではない。この世で如何に生きるべきか。それを見つけたように思う。修正するべきは修正する。個々の属性の中の可能性としてDNAから何を選択し、どのような自分に組み立てるのか。探すしかない。試すしかない。そして組み立てた自分に満足であるか。満足できないときはどうするか。破壊するのか。その修復は三十有余年を要することもある。しかし諦めない。自分で良かった。そして今、どうであるか。幸せの種は見つけた。この種を蒔くことにする。確信がある。それだけの人生を歩んでしまった。見つけたのだろう。何を見つけたのだろうね。既に記した。これで良い。いよいよ結晶の時が来た。穏やかさとやさしさが愛だった。この世で見つけた新しい属性となった。21世紀の約束だった。ここに至らねばならなかった。そして愛と平和を実現するために、これを確定しなければならなかった。私の生まれた使命だった。使命は果たした。子供の頃から、私に与えられた使命だった。それ故の試練もあった。それも乗り越えたのだろう。確かな福音だよ。すべてはその為に準備されていた。この世は君が代大鏡とするところである。どういうことだろうね。今、NHKラジオ深夜便でペギー葉山特集をしている。『思い出のグリーングラス』が流れている。故郷に帰った気がする。私の孤独な旅は終えたのだろう。そして「子供の頃に登ったカシの木」という詩がある。これをどう思うのだろう。呉市木はカシの木で、花は椿である。何もかもがサインと思えるとき、私は本来幸せだったのだと思う。自分は何ものだったのか。禅のテーマである。すべては自分のために準備されている。誰もがそうである。それを気づけないのは自分だ。悪いのは一切自分である。すべては調っている。不幸になる理由はない。幸せを拒んでいるのは偏に自分だった。私たちはすべて幸せになるために生まれている。幸せはある。早く見つけたものが勝ちだ。今からでも遅くない。人生ゲームはそのように出来ている。ゴールを目指して進めばいい。世間の迷わしに惑わされないでね。少年よ、大志を抱け。既に歩んだ祖先の道がある。導かれている。失われたものは取り戻せる。時代は確定された。代々の使命だった。誰も知らない。認めたくない。しかし事実である。

水鳥の行くも帰るも跡たえて されども路はわすれざりけり


2008年05月06日
日々穏やかに
日々穏やかに過ごし行く。思い通りの人生が歩めるでしょうか。それは何だったのでしょうね。誰からも愛されて誰をも愛する。それが出来ると良いですね。どのようにしてそれは実現するのでしょうか。魂と宇宙は連動しています。自分の思いが現実を作るのです。殺伐とした世の中となりました。何故でしょうね。どうしてこのようなことになったのか。テレビの影響が大きいのです。彼らの周波数に染められてしまいました。不買運動ではないですが、テレビ不見運動を提唱したいところです。テレビがそれなりの周波数を帯びるまでは。何時の世もそうなのでしょうか。それで竹林の七賢ということもあったのでしょうか。静かに心を落ち着ける時間がないですね。何をあくせくしているのでしょうね。禅の目的は何だったのでしょう。そしてそれを行住坐臥に離れずといいます。穏やかな人生が開けます。その時、愛の周波数を知るでしょう。動植物及び岩石も喜びます。穏やかで良いですね。本来やさしさとは強いが故のものです。それが愛です。強くなくては愛せません。テニスのラブゲームです。人を騙して商売など以ての外です。地獄の中にいると地獄が人生と思うのです。脱出しませんか。それは出来ます。地獄と極楽は隣り合わせです。自分の心次第で決まります。この現実が地獄であるのか。極楽であるのか。選択の自由は常に自分にあります。知らず識らずに他人を傷つけていませんか。傷つけている人はその事実に気づかない。傷つけられている人は黙って耐えている。それで良いのでしょうか。あまりにも嘘と暴力が支配していますね。そして当事者は嘘と暴力を意識していない。いじめがそうです。お笑い芸能界の笑いはいじめです。ゆるしていいのでしょうか。疑問に思われるのです。思うような人生は開けるのです。はじめからそうであるのではありません。やはり修行を要します。試練もあります。代償に差し出すのに人生と青春を必要とすることもあるでしょう。それ故に得られるものは大きい。代償の原則は宇宙の法則です。それは自分との対決です。自分を倒す必要があります。これに勝利すれば、すべてわかります。人生って素晴らしいですね。どんな障害も乗り越えていくのです。桃源郷はあります。神仏の守護する世界です。神仏は実在します。此処から始めませんか。そしてあるべき日本を穏やかさへ向けて作っていきましょう。愛に満ちた園、平和立国日本、世界の潮流です。この波に乗りませんか。二十一世紀です。人類は此処まで進化しました。この度あれこれと調べました。資本主義がどういうことだったのか初めてわかりました。お金を資産に変えない限り、貧困からは脱出できません。教育の中に取り入れたいところです。また西洋成功哲学についても調べました。そして世界の大富豪もお金が目的ではなかったことを知りました。何処までも自己実現だったのです。このように哲学的理解が必要だったのです。しばらくそうした作業を怠っていた自分がありました。自分の目指していたものは何だったのでしょうか。一つの結論に至りました。すべては笑顔と優しさで解決します。21世紀の約束です。これよりの私の課題は何でしょうか。現実は心が作り出すのです。穏やかさへの回帰です。それが望んでいた人生でした。それ故の試練もありました。激しいものがありました。それも持って生まれたものです。それとの戦いでした。これを倒さない限り、本当の穏やかさへは至れません。此処に至って佛です。導かれていました。この世でそれを確認する必要があったのでしょう。私の使命でした。それは果たしました。理念的には。これより実践段階です。何を実践するのでしょうか。既に明らかです。穏やかさを取り戻し、幸せな人生をこの手にすることです。経済が苦手でした。請求書が書けない自分がありました。それも病気だったのでしょうか。健全さを失っていたのです。それをも受容することです。それより始めるしかないのです。大実験は成功したようです。その間、何を経験したのだったのでしょうか。今となっては懐かしい思い出です。神国日本の復活の原動力となったのかも知れません。本来日本は強かです。原爆の火を以てしても根絶やしには出来ません。幾つかの失敗もありました。それも乗り越えたようです。出発です。間違いない心の大地が開けています。地上ヘブン=世界です。世界への真実の合流の時が来ました。そして重要な使命を果たせる時が来たのです。そのための試練は越えました。十分な力を得ています。これまで何をしていたのでしょうね。何を求めていたのでしょうか。それを確定する必要があるのです。あらゆる可能性の中で、最後に選択するのは一つです。結婚も同じです。重婚などあり得ません。大切なのは素直な心と心の出逢いです。バツイチが多いですね。何故でしょうね。女性の経済的自立も大きな要因です。そうではないですね。当事者の心構えの問題でした。二人で乗り越えるべきことがあるのです。時代の風潮が安易な離婚を助長しています。芸能界の影響です。さて乗り越えるべき問題があります。乗り越えて解決します。進歩するのです。そして得る世界があります。それが幸せです。乗り越えなければならないのです。それがこの世に生まれた意味でした。失われた三十有余年があります。人生と青春は奪われたかに見えました。それにも理由がありました。一つの障害或いは病気でした。それを知らない方々が甘えているといいます。そうではないのです。障害或いは病気だったのです。わかってくださいね。そしてそれをも乗り越えようとしています。これは福音となるでしょう。誰にも出来ることではありません。それは確かな事例となりました。さて、そろそろ真実の作戦段階に入る頃となりました。昭和50年、カープは初優勝しました。この年、山本浩二選手が首位打者となりました。彼は此処で打ってくれたらと思う時、必ず打ってくれるのでした。例えば7点差ついて、駄目だろうと思ってラジオのスイッチを切ると、翌日のニュースでは逆転していました。また、7イニングまたは8イニングで必ず逆転するのです。7~8点差も問題ではありませんでした。昭和50年は特別な意味があったのでしょうか。黄泉の計画があったのかも知れません。しかし、私の埋没が余儀なくされた年でもありました。カープの強さの秘密は何だったのでしょうか。今となっては謎です。思い当たるところもあります。しかし今は無記とします。さて、カープが遠征に出かけた時、山本選手及び衣笠選手は夜の町へ出ることはなかったそうです。その辺りに秘密があるのかも知れません。真実の作戦段階に入るとはどういうことでしょうか。秘密作戦です。作戦であるなら、実行するしかないですね。それは何でしょうね。お楽しみはこれからです。人生が面白くなりました。自覚は待つべきものです。自分が変わることで世界が変わります。責任を果たす頃となりました。三十有余年、その為の埋没がありました。その為の試練がありました。

≪今カープが試合している。背番号7野村選手の引退試合である。17年間リーダーだった。その間、私はカープに興味はなかった。ひさしぶりにナイターを聞いている。山本浩二監督にとっても最後の試合である。監督は是でユニホームを脱ぐ。黒田投手にとっては最多勝がかかっている。新井選手は、ホームラン記録がかかっている。今43本。山本浩二選手の44本に並ぶかどうか。あるいは抜くのか。面白くなりそうだ。相手は横浜、投手は三浦。或る意味で色々な占い要素がある。今、緒方選手がホームランを打った。弾丸ライナーである。前田の時には、実況アナウンサーのコメントが良かった。何か怒りを抑えたような表情があると言った。何に対しての怒りだろうか。栗原は時代を担うという。確かに良いときに打ってくれる選手である。こういう選手が役に立つ選手である。いくらホームランを打っても負け試合では意味がない。打って勝つ選手がいい。カープが強かった頃、山本浩二選手はここというときに必ず打ってくれるのだった。必ず期待に応えてくれた。これが集中力のある選手の特徴である。精神力の格の高さである。そして、その頃、7,8点の差など何時でもひっくり返してくれると思っていた。そして、試合も後半に入って7イニングともなるといつもと言ってよいほど、カープマジックがあった。なぜだったのだろうか。今にして思えば理解できるところがある(こうしたことを語って良いものかどうか。まだ、制御している自分がある。何もかも書けない自分がまだある。書いて良いのだろうか)。今2対2の同点となった。ホームランである。黒田の女房役のホームランである。ここからが面白い。プロ野球は面白いことが大切である。これがプロであり、観客はそれに酔う。勿論実力がある。その実力をどう生かすか。ここに個々の選手の商品価値が生まれる。高い所得の所以である。ファンを楽しませること。この意味でまた黒田は良い投手である。かつてカープには、安仁屋投手がいた。巨人に弱いカープだった頃である。巨人に勝てるのは安仁屋投手だけだった。巨人キラーだった。その頃、外木場投手がいた。確かノーヒットノーランを二回している。完全試合もあっただろうか。その頃、RCCから、カープ選手の一覧の小冊子があった。毎年申し込んでそれを見ていた。各選手のプロフィールとかカープでの記録とかの小冊子だった。あれはよかった。今、野村選手に笑みがこぼれた。彼は何かと厳しい選手であったという。これがプロスポーツ選手の条件であろう。自分に厳しく、そして、後輩にも厳しく。自覚があるためである。自分のチカラを信じているからである。しかし、そのチカラも引き出すためには条件がある。自分に克ち、自由を得なければそのチカラが発揮できるものではない。前田選手のホームは美しい。イチローのスタイルとは違った美しさがある。かつて、前田選手が最も素質のある選手だと思ったこともあった。塾をしていた頃、その写真を生徒の下敷きに見たときだった。確かに、子供達に夢を与えていた。単なるグッズではなかった。私の頃には長嶋選手、王選手だった。私にとって印象的なのは王選手の傾斜した一本足打法の写真だった。王選手もその打法の確立にはコーチとの毎夜の格闘があった。こうして選手は生まれるのだった。その厳しさ、サポートしてくださった面々の優しさを知っているのは、当事者自身であろう。今、この厳しさが前面に出ない時代である。個性だけが重視されている。それもよかろう。しかし、やはり、グループとして育ち育てられる喜びは別論である。素質が成就する条件がある。それは厳しい過程を通らねばならない。しかし、成就の喜びは、わかちあえてまた価値を増す。個は個のみにてならず、個を産み育てるということがある。これを枯らしてはならないだろう。これが、また、日本の良いところである。日本が野蛮でないために後世に遺すべきものがある。これが、不変であり、不易である。そして普遍である。スポーツにはスポーツ選手しか知らない秘密がある。それは自己との戦いの遍歴である。この意味に於いて勝敗の結果はさほど重要ではない。鑑賞すべきはここである。孤高の精神世界がある。アメリカのショービジネスも然り。日本はまだまだ文化的には発展途上である。しかし、かつて、日本精神はあらゆる文化現象に於いて最高峰を極めていた時代がある。知性の復興の所以である。偉大なスポーツ選手そしてショービジネスのスター達はその過程に於いて流した涙の質と量がちがう。学び習いそして称讃すべきはここである。偉大な人間には理由がある。その理由を知るべき頃である。堕落傾向を美化し、そこに安住する軽薄さの与り知らない世界がある。スター達は秘密を知っている。成功の秘密である。ファインプレーの生まれる理由を知っているのである。これを以て天才ともいう。クラシックの精神ともいう。粗末にできない。これが、本来の芸術的心である(2005/10/12 19:54)http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/sportsron.html。≫


神国日本復活 ~本当の自由~
いうにいえないことがあるのです。それは日蓮の三秘抄に等しかったのかも知れません。解くべき謎がありました。この世に生まれた使命です。日本を救う。背負うにはあまりにも重い試練でした。何か失われた大切なものがあるのでした。それを取り戻す必要があるのです。古来日本は何処を目指していたのだったでしょうか。その結実は何処で途絶えたのでしょうか。本来大和魂、日本武士道純粋精神。私にしかできなかったのでしょうね。代々のことです。秘密に属します。子供の頃からそうでした。父もそうでした。祖父もそうでした。尊祖父もそうだったのでしょう。誰かわかる人がいるのでしょうか。それとも永遠に謎なのでしょうか。それは何だったのでしょうか。既に確認済みです。日々、証明もあるのです。鈴木大拙氏のいう別れる以前の本来の面目でしょうか。或いは易経でいう太極でしょうか。つまり<一>でしょうか。山田無文老師はいいます。一を聞いて十を知るようでなげれば、禅はわからぬと。何を背負ったのでしょうね。長い冬でした。この世で解決できるとは思われませんでした。そして得た力があります。それは何だったのでしょうか。その確認も済んでいます。しかしご安心を。敢えてその力を行使することはないでしょう。その必要もないと知ったからです。各々の問題であるからです。しかし、勝手が過ぎたことは事実です。この度は黄泉が動きます。世直しです。そして未来を拓くのです。その準備は調いました。最後の切り札が見つかったからでしょうか。古来大和の秘密です。疑うのは自由です。所詮説明不能、理解不能です。わかるためにはそれだけの条件があります。それは何でしょうね。秘すべし。秘すべし。秘すべし。それにしてもこんな酷な人生があったとは。失われたものは戻ってきません。何れにしても、各々処したる人生があります。覚悟は要るでしょうね。そして断言します。日本は大丈夫です。ハルは漂流する運命にあったのです。そしてどのような形で帰還するのだったでしょうか。そのシナリオはありません。ハル自身の解かねばならぬ謎があったのでした。生命体としての大きな賭でした。それに勝利したのです。日本の基が自覚に成功したのです。神国日本復活。世界も待っていました。幾度か失敗もありました。それをも乗り越えたのでした。それは道元空手に等しかったのでした。故に、身も心もボロボロです。地位も名誉も財産もありません。それだけの仕事もあるのです。太陽自身のエネルギーをお金で制御できますか。思い上がりが過ぎましたね。各諸方面要猛反省。古来大和の秘密があります。それは何だったのでしょうか。知るべき時が来たのでしょう。代々誰がどの階層に属していたか。そこに秘密があります。本人も知らなかったのでした。しかし何時かその謎は本人によって解かれるのです。本人しか解くことはできません。その為に全てが準備されているのでした。また導かれるのでした。はじめに言葉ありき。どういうことだったのでしょうね。知る人は知っていることでしょう。時は流れました。真実を知らなければならない時も来るのです。それが今であるのでしょう。知らなかったとはいえ、裏切ったものがあります。それは何だったのでしょうか。仇は取られました。次は、仇を取る番です。申し訳ないですが、武士の習いです。各々勝手が過ぎました。根拠はあるのでしょうか。あるのです。力は得ています。美しい風景が待っています。懐かしい思い出があるのです。相手を傷つけないことです。何時かまた会える日が来ます。見捨てられたら終わりです。誰に見捨てられるというのでしょうね。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。大義名分、神風の吹く。黄泉の守護。天の証明。日月照らし、風が吹く。一休髑髏ご用心。浄瑠璃長唄大鏡。先祖代々氏素性。認めたくないですね。何故でしょうね。失われた日本の価値があります。自信を取り戻すのです。戦後勘違いした自由があります。本来の自由は何だったのでしょうか。人生はこれからです。そのような人生もあります。自分は成りたい自分と成るといわれます。本来自分はどうであったのでしょうか。それで良いのです。それ以外にないのです。何に惑わされていたのでしょうね。世間の風潮でした。今の自分に満足できますか。夢は実現します。どんなに悲しい運命も、乗り越えればいいのです。必ず解決があります。既に愛しい人がいます。手の届かないところに。お幸せでありますように。何事も自分次第です。学ぶことです。考えることです。読書は自分との戦いです。片手間でできることではありません。お笑い文化及び漫画文化を見直す頃です。笑いが良いといわれています。空しさしか残らないお笑いは、対症療法でしかないのです。これまでそれ以外の方法がわかりませんでした。その解決実例がありませんでした。それで逃避でしかない笑いこそ百薬の長と思っていました。自分を基準とする限り限界があります。そしてそれが人生だと思うのです。それを乗り越える人生も出てきます。不治の病と思われても。それが生命体としての進化です。こうした事実に謙虚になりませんか。愚かさより脱却しませんか。何をしているのですか。さて、根本解決方法は何でしょうね。どのようにしたら不安及び怖れから自由となれるのでしょうね。どんな障害も乗り越えることができます。知れば良いのです。知性を知らなかったですね。しかし示されました。知ったのです。知ったからには、逃げないことです。正面から取り組み、それを自分の属性として受容することです。あらゆる悲しみにはそれと同等の或いはそれ以上の喜びの種があります。人生とはそうしたものです。過去からの夢の実現過程とはそうしたことです。過去を乗り越えて未来があります。それを笑いものにしても解決はない。人生は楽しい。人生は喜びです。試練を乗り越えてこそ本来の自分を発揮できるようになります。逃げなければならない理由も何時か尽きます。何時か闘うのです。最終最後最大の敵は自分自身です。これを倒して黄泉が微笑みます。その時、本当の自由を知るでしょう。昔よりかぐや姫の月の世界はあるのです。どうして姫は月へ帰ったのでしょうね。わかりませんね。どんな解釈も及ばない。心の何処かでそのようなものはないと思っていませんか。あるのです。孤独な月の砂漠を旅して何時か至るのでしょうか。本来輝く自分を信じることです。命は捨てるべきものです。武士道は死ぬことと見つけたり。実際に絶つのではありません。心構えです。釈迦が修行中の頃、羅刹の教えを乞うために身を投げた話があります。そして羅刹こそ帝釈天だったのです。投げた身はそのまま掬い取られました。自分との戦いもそうです。そうでなければ勝利はありません。此処に勇気を要します。そして自信を回復するのです。回復した自信は絶対です。黄泉の救いを知るからです。それが真剣勝負であり、大和魂です。欺罔を手段として自己利益を追求するのでは至れない境界です。これが本来日本武士道精神です。愛する何かを護るために闘うのです。スター・ウォーズのテーマでもありました。日本にはそれがあるのです。世界も待っているのです。但し、適用を誤ってはなりません。それを愚弄したのです。戦争を知らない子供達だなんてよくいえたものです。それで何か解決しますか。DNAは知っています。私たちは祖先を通して戦争も経験しているのです。故に乗り越えることができるのです。いい加減なことを世に吹聴しないが良いのです。そのようなことをいっていると、同じようなことを経験することになるでしょう。逃げの対症療法に過ぎず、根本解決をしていないからです。日本の基が定まりした。どういうことでしょうね。やがてわかります。今世ではないかも知れませんね。歴史とはそうしたものです。日本国憲法は守るべき法律ではありません。敗戦を通して学び、受容継受した歴史的事実です。世界への真実合流具体化の時です。日本の英知の結集と起動です。知的傍観者は腐敗に関して共犯です。発言すること及び表現することも行為です。情報は発信したところに帰ってきます。各々生まれた使命があります。それを自覚し、責任を果たすべき時が来たのです。もはや浮かれた時代は終わりました。目覚める頃です。どのような演技をしても、目を見ればわかります。声を聞けばわかります。言い逃れはできません。この世に生まれてどう生きるべきだったか。腐敗、堕落よ、さようなら。知性と真面目の復活です。喜びが定まりました。本来日本が目指していた道があります。生命体としての進化傾向があります。それが見失われていました。それが見つかったのです。それが明らかになったのであれば、意気揚々と前進です。諸価値を破壊するお笑いバラエティ界閥の天下は終わりました。各財閥はその利用による支配を控えるべきです。世界の潮流が見えてきました。人類は何処へ進むべきか明らかです。これに反するとどうなるのでしょうか。淘汰されます。日本国家と雖もその例外ではありません。自分たちだけの身分の保身を図るだけでは成り立たなくなりました。権力及び身分に安住する方々は、事実としてあまりにも怠惰なまま自己利益を貪ったのです。草鞋銭は請求されます。年貢の納め時です。権力は既に克服されています。市民革命でした。何時まで錯覚しているのですか。国民主権です。主権在民です。主権とは代々どういうことであったのか。その意味が明らかとなりました。解かねばならない謎は解かれました。さて、少なからずテレビ界及びお笑い芸能界を攻撃しました。そもそもこれらは相手にしなくても良いのかも知れません。自分が主体的に生きることで良いのかも知れないのです。だが、看過するには事実としての影響力があまりにも大きすぎます。大宅壮一氏の言葉を待つまでもなく、憂いの種であることに違いはありません。それぞれのスタンスの違いはあります。十人十色です。それを理解して、その上で共通目標を設定し、協力してそれを実現することでそれぞれの目標を実現していくべきものです。ところが彼らは他者の憂いに対する配慮がないのです。それをも気づけぬレベルでしょうか。それが成功ですか。目指すべきセレブですか。いい加減にして貰いたいのです。あなた方のお陰でどれだけ知性が迷惑しているでしょうか。知性を無視愚弄破壊してお笑いとし、仕事としていませんか。馬鹿になることが幸せなどと何故いえるのですか。逆に社会に何が蔓延ったのでしょうか。暴走族的行為です。健全な社会にとって大問題です。視聴率第一主義に内在的な問題があります。それは必然的に衆愚化し、腐敗します。世の健全な良識及び親の憂いとするところです。経済界は猛反省を要します。社会の諸価値を破壊してまでも自己利益を追求するのですか。その自由があるとでも思っているのですか。それならそれで良識者の考え方も変わってきます。これ以上公の電波で、野蛮愚劣な空気に日本を汚染し、諸価値及び教育を破壊するのはご遠慮願いたい。受忍限度を超えています。健全な青少年の未来を護るために、あるべき社会環境を先ず取り戻す必要があるのです。精神的に既に腐敗した大人達は退散するべきです。


2008年05月05日
喜びの花の咲く頃
「はじめに言葉ありき」でヨハネの福音書は始まります。道元は空手で帰国しました。裸一貫で始めるとかいわれます。思考は現実化するともいわれ、夢は実現するともいわれます。諦めないことだといわれます。本来無一物ともいわれます。アイデアは何処にあるのでしょうか。自分自身の中にあるのです。想像力とは何だったのでしょうか。何処にあるのでしょうか。自分自身だったのです。ビジネスは time is money. 時をお金に変えていくのです。錬金術ですね。働くということは仕えることでした。八方美人はあり得ません。好きな仲間と好きな仕事をすることで生きてゆけると良いですね。給料は我慢料とかいっていた社長さんも居られました。従業員が可哀想ですね。相性の問題があって、耐えることの出来ない関係もあります。相手にしなくて良いですね。開発された魂と宇宙自然生命黄泉は連動しています。どういうことでしょうか。言葉はロゴス。感情の力が増幅されます。大風も制御できるのです。そのような力が人間に賦与されていたなんて。既に聖書には記述があるのでした。二十一世紀。生命体として人類は何処を目指していたのでしょうか。考えるべき頃です。旧約聖書の目的は庶民の解放でした。市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る解放でしょうか。嘘と暴力が支配しています。カンニングで成り上がった方々の閥があります。テレビお笑い芸能界はどうにかなりませんかね。身分に安住する方々は傍観していて、腐敗に荷担する共犯ではないのでしょうか。本来日本、身心清浄及び正直を以て旨とします。取り戻しませんか。本来の諸価値。取引行為は多少の欺罔を含みます。しかし一人歩きしていませんか。本当の幸せって何だったのでしょうか。権力でも武力でも金力でもなかった。黄泉の守護があります。天の証明があります。人間って偉大ですね。この世は素晴らしいですね。生きるに価しますね。プラス思考が何故大切なのでしょうか。考えるべき頃となりました。失われた何か大切なものがあります。確かにあります。真実とは何だったのでしょうか。神仏は実在します。知らないから疑う。知らないから不安です。知れば良いのです。人類の英知の伝えたところです。探そうともしませんでしたね。これからです。既に至り着いた方々も居られました。仏陀がそうでした。キリストもソクラテスもそうでした。孔子もそうでした。失われた自己を取り戻すことも出来ます。諦めないことです。人生は素晴らしい。人間は偉大です。自分自身、本来無一物。空手にてすべてそろっているのです。眼横鼻直。図らずもどんな障害を持ったとしても、必ず乗り越えることが出来ます。あらゆる悲しみの中に、それと同等か或いはそれ以上の幸せの種が宿っています。それを育むことで乗り越えることが出来るのです。素直に取り組むことで、やがて時間が解決します。悲しみが枯れて喜びの花が咲くのです。人生の春が来るのです。どんなに長い冬の後にも。喜びの花の咲く頃となりました。すべては笑顔と優しさで解決します。人類は此処まで進化して辿り着きました。これより愛と平和立国日本が現実化します。みんなでイメージしましょうね。今日は木調の響きがするカーネギーホールがこけら落としされた日です。チャイコフスキーが招かれてのことでした。そして、高校時代の友達と会います。一人は東京電力の部長さんで、もう一人は広島大学で非常勤ピアノ講師です。楽しみです。あの青春の頃のまま変わっていない面々です。

さて、西条及び竹原へ行ってきました。鏡山公園、竹原美術館などを散策しました。とても素直な心でした。あの頃、このような心であれば、何も苦労しなくて済んだのにと思いながら。好きなら好きといえたのに。そしてきっと幸せを掴んでいたことでした。故代々君が代。


2008年05月04日
成功の秘密としてのロマンス
≪愛と性の結びつきから生まれる力は、あらゆる想像力を引き出す飛躍だからだ。この真理が解れば、男が好きな女性から得る力がマスターマインドの高揚の中でも、最高である理由が解るだろう。亦、妻との関係にロマンスという基盤を保ち続けなければならない理由も解る筈だ。どんな職業でも、成功するには、熱意・意欲・強い関心・そしてビジョンが不可欠だ。こうした心の状態は、性と愛という動機、9つの基本的動機の中で最も強い2つを、仕事への強い関心に転化すれば、自由に作り出すことができる。ロマンスは愛と性の感情が溶け合ったものだ。肉体の欲望によって堕落しなければ、健康で正常な衝動だ。ロマンスは仕事の辛さを和らげてくれる。どんなに地位の低い仕事に従事する人の思考でも天才のような高みへ引き上げる。停滞した気分を追い払って、明確な目標を持たせる。貧困をバネに成功へのとてつもなく強い願望を抱かせる(アンドリュー・カーネギー)≫。これこそ自由主義の精髄だった。生まれながらにして平等という意味も此処にある。それがどうだろう。すっかり見失われている。テレビ及びお笑い芸能界は、この観点から猛反省を要する。あなた方の自由概念は間違っている。野蛮暴走本能の解放が自由ではない。生命体として人類が何処を目指していたか。明らかとなった。化城より出でて、本来の城を目指す。進軍開始である。私たちが何を考え、何を選択し、何を実行するかはとても重要である。それは力となる。その力が力として機能するには自覚を要する。何を自覚するか。自分でするしかない。人の自覚は自分の自覚ではない。開発された魂と宇宙世界は連動している。かつて征夷大将軍とはそれを自覚した存在だった。知る人は知っている。知らない人は知らない。平家が滅んで源氏が出てくる。ギロチンがあって民主主義の世となった。時代はそのように変遷する。それが歴史である。歴史は解釈ではない。自覚した人たちの事実である。思いあがりはゆるされない。上には上がある。より高いレベルの知性が自覚して、時代は開かれる。何時の世も。

鈴木大拙「信仰の確立」
存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ。

重要な事実がある。釈迦牟尼仏一人が仏ではない。キリスト一人が神ではない。さて、成功の秘密としてのロマンスとは何だろう。すべて愛は神からの賜だ。仕事を愛することだ。愛する人に全ての関心があるように。そして素直な心でゆるしあう。二つの魂が合流し溶け合って一つとなる。その時、第三の魂が生まれる。この力はとてつもなく大きな力を持っている。黄泉の受容祝福するところであるからだ。夢の実現は黄泉がする。黄泉に好かれるにはどうあるべきか。黄泉とは祖先の総体である。裏切っていたのはこれだった。黄泉は今、悲しんでいる。何が蔓延り跋扈したか。本来日本の精神はどのようであったか。反省の頃となった。戦後自由を履き違えた事実がある。それも仕方ない。乗り越えるしかない。仕事をロマンスの対象として愛することだ。勉学もいる。大切なのは是を理解する知性だ。相手を愚弄破壊し、笑いものにして成功はありえない。それが愚かさである。いとあはれである。すべての事象はサインだ。愛することだよ。育むことだ。人生は破壊ではない。建設だ。


人生の目的
本来日本の培ってきた精神がある。生命体としての進化傾向がある。何時の頃からかそれを見失っていた。本来の自分では生きてゆけないと思われた。それが奈落の底を彷徨わねばならなかった理由だった。現代日本の風潮に染まろうとしてのことだった。それはできなかった。故に埋没した。しかし日本は日本である。何時か芽吹く。持って生まれた自分で生きるしかない。それ以外に道はない。それを偽って真の人生はない。持って生まれた感性がある。持って生まれた知性もある。祖先の歩んだ道がある。それが血となって流れている。それを無視できない。代々の蓄積がある。それが良くないのかと思われた。そうでもなかった。そして今、さらに知性とやさしさで生きていくべきであると思う。≪これからやろうとしていることを世の中に告げたいのであれば、最も良い方法は、既にやり遂げたことを示して見せることである。真に偉大な人物はすべて、必ずいくつかの目標を心に抱き、それについては、自分自身と神以外には、誰にも教えなかったという(アンドリュー・カーネギー)≫。失われた何か大切なものを求めてというテーマがあった。失われた自分自身を取り戻すという試練があった。どちらも完結した。私の人生の課題と目的は果たしたかと思われる。無駄に見えたが、すべてが意味を持った。これからは付録のようなものかも知れない。本来求めるべきは、お金ではない。権力でもない。武力でもなかった。本当の幸福とは何だったのか。


2008年05月03日
日々是好日の後に
世の中は今、それぞれ思い通りに行かなくなった。何故だろうね。君が代大鏡ってどういうことだったのか。永遠に謎であり、秘密である。自覚自得するしかない。それはそれとして、中学校まではダントツの能力があった。将来は約束されていたかに見えた。それがどうだろう。失敗の典型のようである。その間、決定的に失われたものがあった。それを取り返さなければならなくなった。そして取り返した。それは何だったか。およそ推測するしかない。父はいった。私もお前と同じだった。同じだったそれは何か。自覚する時を待つしかない。何を自覚するのか。法華経宿王華、一切種智慧。一切衆生悉有仏性。誰もがその種を持っている。だがそれを探し求める人は少ない。むしろ愚弄粗末破壊する。神仏は実在する。はっきりといえないことがある。いうべきでないこともある。それで良い。知る人は知る世界がある。既に世界も無視できない。古来大和の秘密、大義名分等、その秘密の力は何だったか。天及び黄泉の守護はある。それはどのような要件を要するのか。解るものには解る。解らないものには解らない。その証明も済ませたと信じる。そして今、どういう気分であるか。日々是好日というべきか。歩々清風。こうした境界が本当にあるとは知らなかった。伝えるべきところである。古来伝えられていた。故にいう。何をしているのか。何をして来たのだ。処したる人生、草鞋銭は請求される。天下は決した。年貢の納め時である。何が日本の真実であったか。懺悔するべきは懺悔するが良い。心からの反省には寛大である。成功のサイクルと失敗のサイクルがある。知る人は知っている。知らない人は知らない。知らないのに知ったようなことをいう。そして勝手し、価値を破壊する。失われた価値を取り戻すべき時が来た。

枯れ果てぬ 幾年月の 悲しみぞ 未来明るむ 也希望の朝

明確な自己は取り戻された。長い孤独な冬があった。本来の自己が取り戻されたからにはどうするか。≪実行する時が来たのだよ。マスターマインドグループがいったん結成されたら、力を発揮するためには、活発に活動し続けることが必要だ。具体的な計画をどんどん進め、一定の期間に目指すところへ到達しなければならない。優柔不断、怠惰、先延ばしなどは、グループ全体を駄目にしてしまうだろう(アンドリュー・カーネギー)≫。日本の英知が結集する時が来た。悲しみを知る埋もれた知性が立ち上がり、嘘と暴力の腐敗を脱する。ふざけた時代を乗り越えなければならない。BGMは今、何故か『原始心母』或いは『エコーズ』。

取り戻す 本来日本 埋もれたる 価値を密かに 探り当てぬる

神仏の 実在如何に 証明ぞ 知る人の知る 本来大和

しばらくは 真実知らぬ 衆愚かな 迷いを脱して 未来を開く

≪どんな事業でも成功するためには、確実な計画性を持って、たゆみなく働くことだ。働くことに代わる方法はまだ誰も考えついていないからね。世界中の秀才を集めても、働くことなしに並はずれた成功を実現させることはできない(アンドリュー・カーネギー)≫。問題は働く内容である。自分は自分のために働く自由と思っていても、結果諸価値を破壊したのでは意味がない。お笑いではこの混迷の時代を越えることはできない。真実とは何だったのか。何を裏切り、粗末にし、破壊したのか。時代の方向性を決定づける力のあるテレビ界及びお笑い芸能界は考えるべき時だよ。あなた方の標榜する自由概念が、青少年の犯罪化傾向の動機を助長していないだろうか。本来の自由とは何だったのか。考えるべき時が来たね。

≪この世で最も美しく、最も勇気づけられる光景のひとつは、数人のグループが、完全な調和の精神を持って集まり、それぞれがそのグループの利益のためにできることだけを思って共に働く姿だよ(アンドリュー・カーネギー)≫。その最小単位が家族だね。昔はこの意味で家の制度もあった。諸藩もそうだった。今は会社だろうか。そして大切なのは人間関係である。どのような仲間と付き合っているかである。しばらくその意味で地獄を見た。脱出の頃である。自分はどのような人間関係を望んでいたか。確認する頃となった。勉強しているというと、勉強するだけでは駄目だという。確かにそうである。勉強がなければもっと駄目なのを知らない。≪人は自分の価値観に一番近い人に好意を寄せます。相性というものがあります。したがってすべての人に好かれるのは無理があります。(中略)もし、すべての人に愛される生き方をしようと思ったら、主体性がなくただ相手に合わせたり、肝心な局面で優柔不断で、付和雷同にならざるを得ないでしょう。逆にそのような人が尊敬されることはありません。自分らしく生きることです(池松耕次著、『ネットワーク・ビジネス最強のリーダーになる人の法則』p106)≫。自分を貶めるような人と一緒にいる必要はない。降ってくる火の粉は払わなければならない。主体的に生きるためには自信を要する。絶対の自信というものもある。知らないことは怖ろしい。何を知らないのか。真実である。何が真実だったのか。世間は知らない。それで騙すことが商売だと思っている。お客様は神様であるといって、そのように思っていない。「信を以て入ることを得たり」。何を信じて何処に入るというのだろう。地上ヘブン=世界であるか。真実を知り、真実に至れば、この世に怖れることなど何もない。本来無一物。日々導かれている。何処へ向かうのか。真実に対して謙虚になることだ。破壊的な相手を断固として拒むことも必要だ。だが根絶やしではない。故にいう。勝手が過ぎた。


2008年05月02日
取り戻した自分
地位も名誉も財産もない者が何をほざいても相手にされない。責任もない。言いたい放題である。まるで負け犬の遠吠えだ。しかし探していたものが見つかったらしい。何を探していたのだったのだろうね。失われた自分自身だった。取り戻し、確認した自分自身は何だったか。思いの外だった。それまでは断片的だった。しかし確信したという。それは何か。天津神。あだや疎かならぬ。天の守護する。尋常ではない。一休髑髏ご用心。その自覚は何か。一切不安はない。疑いもない。惑いもない。知れば良い。身心脱落、亦楽しからず哉。

カーネギーの成功哲学によると、若い頃に教育を受けられなかった人もそのために自分の願望を押さえ込んでしまう必要はない。何故なら教育を受けた他の人の知恵を借りることができるし、むしろその方が効率がよい。高度の教育を受けた人も、他の人の心の助けなしには、きわだった成功を達成することはできない。学校教育を受けていないことは失敗の言い訳にはならないし、徹底した学校教育を受けたからといって成功が保障されている訳ではない。あらゆる富があふれている國、つまり誰でも自由に職業を選び、自分の好きな生き方ができる國では、自分の目標を低く設定する必要はない。自分の望み以下のもので満足しなければならない理由もない。私たちの國では、個人の自発性、想像力、明確な目標が奨励され、これらの徳性があれば、それぞれが目指す成功の実現のために必要なものが簡単に手に入る。貧しい家庭に生まれたとしても、この國では、生涯貧乏暮らしを運命づけられている訳ではない。最初は読み書きができなかったとしても、ずっとそのままでいなければならないことはない。

規制緩和の目的は何だったのだろうね。以上の観点だった筈だ。しかしそれを阻害する者があるよね。それは何だろうね。嘘欺罔と暴力を手段とする自己利益追求とカンニングで成り上がった方々の閥だろうね。民主主義の目的は何だったのだろうね。それを常に考えなくてはならない。地検特捜部の仕事は個々の法益侵害に対する真実の発見及び実体の確定ではない。制度そのものに対する侵害行為が対象だ。私たち人間はどんな障害を持ってしまったとしても、それを克服することができる。そして本当の幸せを知ることもできる。不幸とか悲しみには、それと同等或いはそれ以上の価値の種が宿っていて、それを育むことで乗り越えることができる。これを次世代へ夢として伝えるべきである。人間の偉大さは此処にある。唯自己利益追求でお笑いに興じてどうするのだろうね。お笑い及びバラエティは何を笑いものにしたのだろうね。人間の心の何か大切なものを破壊してきたのではないかな。


2008年05月01日
ペンダコが痛い
先日来、成功哲学に関心があって、ナポレオン・ヒル氏の『思考は現実化する』をかなり読み込んだ。そしてこの度、、大富豪アンドリューカーネギーに学ぶ ミリオネア養成講座 明確な目標設定編に出会った。これこそその精髄かと思われた。そしてその構成及び話し方にも学ぶところが多い。或る意味でシンボリックな出会いだった。何度か聞いて、何度かメモをとった。そうしている裡に、一言一句、書き取ることになった。パソコンに打ち込むことはしない。昨夜から始めて、一枚目のCD、『明確な目標の法則』を完了した。随分と時間がかかった。時間を代償としたのだろうか。筆圧が高いので、ベンダコが痛む。右肘も少々痛い。既に日本は自由主義国である。それは敗戦を通して継受した。それをこの度、日本の基として改めて自覚した。久々に勉学を再開している。三十有余年ぶりである。暫く彷徨った。理由は既に記した。戦後の世間に惑わされてしまったからだった。自分を取り戻す必要があった。孤独な旅ではあった。何か失われた大切なものを探していた。そして知った。本来の自分で良かったのだと。その間蔓延ったものがある。やはり、ゆるしはしない。暴走族的勝手が過ぎた。何を以ていうか。何を取り戻したのか。古来大和の秘密である。祖父良亮直伝の精神を取り戻した。それを以ていう。知るべき人は知っている。花は何処へ。その種が芽吹いた。もう咲かないのかと思われた。故に見捨てられていた。正統源氏、頼朝は伊豆に流されていた。全ての秘密は解かれている。君が代大鏡。知らないことを以て否定できない。