夢の実現過程

平成25年1月18日

  • この地上において真実の幸せとは何だったのだろうか。だれもがそれを求めている。しかし何をしても迷妄の中に沈み、彷徨っている。神はいるのだろうか。その言葉は聞こえない。姿が見えない。神は死んだとニーチェは言った。また、ワルハラ城も焼け落ちた。神はいつもあなたの背後に隠れている。どのようにすれば神は姿を現すのだったか。神はいる。昼夜神を求めて祈り、すべてを神にささげた時、神は姿を現すだろうか。どれほど祈ればいいのだろう。孤独の中で泣き叫ぶがごとく唯神を求めて、この世のすべてが無意味と思えるまでだった。人間的なものが純真な愛の炎で焼き尽くされて清浄となる。その時、神が姿を現す。大死一番とはそれだったのである。物質的な幸せは迷いだった。迷いはサタンの仕業である。神はサタンを一撃で滅ぼすことも出来る。しかし、それぞれがサタンと戦うことを選んだ。そして神を知る。知って愛し始める。その愛が真実となった時、神は姿を現す。サタンを倒すとは、この世のものに対する執着を捨てることだった。あなたの神に対する愛が真実であると神が受け入れたとき、神はあなたの心の宮に宿る。神は待っていたのである。あなたの心が成熟する時を。それは雌の小鳥が雄の小鳥を選ぶに等しい。いつか神とあなたは一つになる。人間の愛はいつか消える。神の愛は永遠である。不滅である。神との合一こそ、この世に生まれた意味だった。それはゲームだった。このゲームに勝利することが出来るだろうか。神は試している。それが試練だった。どんな試練も乗り越えるためにある。そして至るのである。どこに至るのであったか。神に至るのだった。神と合流し、神があなたの心に宿り、神はあなたを通して言葉となり、光となる。言葉は光だった。世界があなたを見捨てても、神はあなたを見捨てない。求めるべきはそれだった。そして神はあなたにすべてを与える。あなたに必要なもののすべてを知っている。神に無関心な者に対して、姿を現すことはない。人間として地上に生まれた目的は、唯、神を知ることだった。それ以外に理由はない。神を知って、神との邂逅がある。そして神の与える至福の中で、永遠の愛を知る。あなたは不滅だったのである。それは、永遠の安らぎだった。これが法華経に言う「願います」だった。真剣に求めることで、神は必ず姿を現してくださる。そして永遠の幸せを与えてくださる。これが真実だった。すべては愛だった。すべて光だった。言葉は光だった。すべてこの世のものは幻影だった。神こそ唯一の真実だった。神は仏だった。すなわち、世間虚仮、唯仏是真。それに気づいて、すべてが真実となる。不思議だね。そうだったのだよ。すべてが喜びとなる。神こそすべてだった(大海)。私たちはその一部だった(波)。知ることだよ。理解することだ。そして真実を求める旅が始まる。始まった時、ゴールがある。神との邂逅がゴールだった。これが生まれた意味だった。私たちは幸せになるために生まれている。それは実現する。神と一つとなって、神はあなたを通して語り始める。信じるべきはこれである。これが過去からの夢の実現過程だった。