特殊潜航艇よ 浮上せよ 真実開示

もう良い。特殊潜航艇よ、浮上せよ。苦節三十有余年、その間、何を探し、何を学び、何を見つけ、何を確かめたのか。不可議の戸は開かれた。そしてさらに開いたのは何だったか。法華経であるか。その中の諸天であるか。あなた方は十分に耐えた。これにて意味のない軽薄とお笑いの時代は終わる。そして始まる。知性の時代である。すべての謎は解かれたという。それは何だったのだろうね。知る人は知っている。知らない人は永遠に知り得ない。道元曰く。「縁なき衆生は救えない。昔より法のうるおいなきことを恨みよ」。そして彼はいった。日本は大丈夫だよ。何ということだろう。根拠は何か。確かに日本文壇の総懺悔もあった。ノーベル賞4人同時受賞もあった。世界は知っている。しばらく眠らされていた。その理由も明らかとなった。糸車の針は抜かれた。その間、何が蔓延ったのか。時代は無事開かれた。代々の務めだった。この謎は誰も解けなかった。何故だろうね。既に記録がある。全体の趣旨から勘案されたい。それにしては孤独な作業だった。何と戦っていたのだろう。勝利した彼に相応の褒美はあるのだろうか。ある。それは何だったのだろう。彼はいう。法華経の中に書いてあることが現在化する。それがギャーテイだった。長い冬だった。この世での解決はないと思われた。しかし冬来たりなば春遠からじ。それも真実だった。永久の春である。何が真実であるのか、求めることも放棄していたかのような現代風潮である。何かおもしろいことをするために、諸価値は邪魔だった。テレビ界および芸能界がその権化だった。一億総はくちが実現した。私たちは何をしてきたのか。身分に安住した象牙の塔の中の知識人も腐敗に荷担した共犯である。改めて吟味する必要がある。学級崩壊もあった。それは何故だったのか。何処か悪に憧れていなかったか。そしてこの世は今、どのような状況であるか。一蓮托生である。誰もが反省しなければならない。これで良かったのかどうか。これより勝手は通らない。これまでは通った。浦島太郎の玉手箱が開かれた。枯れ木に花が咲く。汝自身を知れ。それはそのまま禅のテーマだった。この世に秩序がある。あの世にもある。それは何だったのか。過去がある。未来がある。それはこの世にてもあるのだった。学校時代あるいは少年時代がある。それが過去に当たる。その時の自分はどうだったのか。見つめ直す時がきた。持って生まれたものがある。それをどこまで生かせるか。この世は過去からの夢の実現過程とするところである。過去、私たちは何だったのか。知るべき時が来た。師子は師子である。自覚を要する。悪性を払拭する。各々勝手が過ぎた。いい加減にするが良い。本来日本の本懐がある。身心清浄および正直を以て旨とする大和魂である。それはそのまま生命の進化傾向だった。何を愚弄無視粗末にしたのか。何を裏切ったのか。思い起こすべき時が来た。これより日本はシフトする。愚かな時代は終わった。そして始まる。あなた方の時代が無事切り開かれた。何時の世も、一番槍の仕事がある。日本は大丈夫である。孔子は殊の外自らの身体を大切にした。何故だったのだろうね。その秘密を説いた者はまだいない。それは彼の自覚にあった。それは何だったのか。彼の身体こそ三千大千世界そのものである事に気づいていた。しかし誰もそれを知らなかった。認めようとしなかった。むしろ自分たちにとって都合が悪かったからである。同じ理由でキリストも磔に処した。今も昔も変わりはしない。それが人間であり、自己利益追求だった。旧約聖書における預言者達はそれを知っていた。しかし自ら名乗ることはできなかった理由である。キリスト一人、自ら神と名乗った。亦、諸仏は今も昔もいる。しかし釈迦牟尼世尊一人自ら仏と名乗った。中国においても禅者はそれを知っていた。しかし名乗ることはできなかった。名乗ればどうなるか。処刑される。故に教外別伝、不立文字とした。そのようにして秘密裡に伝えられた。かつてクラシック音楽にもそれが秘められている。絵画もそうだった。物語もそうだった。すべて真実を伝えていた。古典とするところである。『宝島』は今もその末尾が書き換えられている。『旧約聖書』も編纂続行中である。こうした事を知らなかった。知らずに自らの利益のために、芸術行為があるかと思った。それが生きる事かと思った。何を餌食にしてきたのか。そして悪くなるばかりである。それも限界に達した。これを法華経は不可議という。その第十九品を読むが良い。ガウディの城は今も建設中である。愛は自分のためにしない。公共性概念もそうだった。彼はいっていた。様々な発掘がある。新たな考古学的発見がある。偶然ではない。歴史とは何だったのか。結果だけを追いかけている諸学者の知るところではない。日本国憲法は歴史的所産であり、亦、時代の大宇宙および大自然に対する宣言だった。そしてプログラム規定だった。日本は唯一被爆体験を持ち、現代戦争の無価値と愚かさを身を以て学んだ。人類の祈りと願いは今、何であるか。平和である。茲に日本の基を確定する。それは平和であり、これを以て世界において確固たる地位を占める。彼の生まれた意味があった。彼がしなければならなかった。何故であるか。広島桑原の墓は彼と彼の祖父が密かに守っていた。今は大阪に移されたと聞いている。家伝の螺鈿の槍は折られていた。敗戦の故であろう。尊祖父千畝の遺影は彼に譲られていた。父は伝えていた。祖父も教育していた。しかし気づけなかった。それも戦後の故だった。

2009/08/28

ある頃、ホームページの日記だったろうか、特殊潜航艇を話題にしたことがあった。すると、オーストラリアへ出撃していた三隻のうち、最後の一隻が発見されたというニュースが流れるのだった。