地球はまだ、滅びはしない

2012年08月07日

2012年。世界は滅びると言われている。既にその兆候が現れているかのような猛暑であり、大津波もあった。人災としての福島第一原発の事故もあった。あまり表ざたにされない傾向がある。あまりにも恐怖であるからであろう。それに伴うパニックがむしろ恐ろしい。『2012年宇宙の旅』というのもあったろうか。その時、どうなるのであったか。太陽が二つになる。ジュピターに匹敵する巨大隕石が接近して、その圧力で地軸が傾き、地球が横転するとする説もある。この猛暑、まるで太陽が二つになったかのようである。人類が滅ぶとすれば、天災地災人災である。そうした傾向にある。これを以て不安をかこつべきではない。お金の力で自分たちだけが助かろうなどと思わないことである。大企業はその例外ではなかった。そうした思いが戦争の原点となる。あるいは、自分たちだけが他の惑星に逃れることができるのではないかなどと思う。そのために宇宙開発もしているのだろうか。一蓮托生だよ。滅ぶ時は全て滅びる。故に、根絶やしの思想は危険である。ホロコーストなど以ての外である。故に、恐竜はチラノザウルスが現れて滅んだ。私たちは愛と平和を願う哺乳類である。そして人間となった。弱肉強食では駄目だって気づいた。だれもが幸せになって本当の幸福である。故に、自由の一部をそれぞれ差し出して社会を形成している。絶対専制君主制が反省されて、その対抗手段としての法の支配である。法の名において独裁者を縛る。故に民主主義である。しかし、それをも巧妙に使って支配しようとしている輩がいるのだろうか。嘘とバイオレンスがそれだった。権力は市民革命によって既に克服されている。権力は自らのためではない。民のためにある。弱い立場の者たちを強い立場が守る。その時、強い立場の者も生存が約束されている。そして多様性の中で個々の花を咲かせるのである。自己実現が幸せの形だった。誰もが同じではない。みんな違っていて、それでいいというのが多様性の概念である。考えるべき時が来ている。自己利益追求が大間違いだった。何時の頃よりそれが正当化されたのだったか。400年来重商主義である。さて2012年、地球は滅びるとする。誰の説であるか。人口減少計画主導者たちの根絶やしの思想であるか。そうまでして自分たちだけが生き残りたいのであるか。生き残れると思っているのであるか。それが『死者の書』であるとでも思っているのであるか。宣言する。地球はまだ、滅びはしない。恐竜の化石が石油だった。どれだけの年月をかけてのエネルギーであるか。それをどれだけの年月でだれが消費したのであるか。それは何のためだったのか。やがて収束する。各各、報いがある。それだけのことである。地球は大丈夫である。民のためにする時、神風が吹く。何が民のためであるのであったか。考える頃となった。人間としての大反省の頃となったのである。日本は戦争を放棄している。憲法は歴史的所産である。それだけの代償を支払っている。時代は進化する。あるいはシフトする。どの方へであるか。傍観者は加担者あるいは共犯である。私たちは幸せになるために生れている。通らねばならない道がある。