堪忍

2012年10月07日

ならぬ堪忍、するが堪忍。
 

獅子吼

2012年10月07日

獅子吼、百雑脳裂百雑砕。獅子はウサギを追う時も全身全霊を傾ける。
 

在家禅

2012年10月07日

禅は既に在家禅となっている。苧坂光龍老師の系譜である。
 

カルトの要件

2012年10月07日

教えは正しい。しかし、スタッフが運用を誤るということがある。スタッフのレベルの限界である。カルトの要件は何だったのか。個人の多大な自由及びエネルギー並びに時間及び金銭を要求することだった。高橋和巳の小説に、『邪宗門』がある。
 

摩尼珠即如意珠

2012年10月07日

摩尼珠は如意珠ともいわれる。それは特別な何かではない。人間が純粋無垢になった時、光り始める。誰もが平等に、本来それを持って生まれている。しかし煩悩妄想五欲三毒が邪魔して気づけない。自覚覚他自得獲得するまでわからない。
 

衆生本来仏なり

2012年10月07日

天眼通とか、天耳通とか、そうした通力は本来、すべての人が持っている。しかし仏法は、そうした通力というものを特別に尊重しない。むしろ、日々生きていること自体が尊い。手で文字を書く、食事をすることが出来る、美しい自然を見る、心地よい風を感じる、小鳥のさえずりが聞こえる、そうしたことが奇跡に等しい。それを本当にすばらしいと思えるかどうかだった。また、こうした日常を大切に出来るようになると、釈迦や仏祖と手に手を取ってこの世を渡ることができるのである。本来人間はそうした存在であり、衆生本来仏だったのである。目先の利益に追われて、それがわからない。自然及び環境並びに生命を犠牲にし、破壊して私たちは自己利益を追求し、時代は今、どうなったのだろうか。計上されていない利益と損失がある。人類として反省するべき時である。人類が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。私たちは本来幸せになるために生まれている。