平成24(2012)年2月29日水曜日 晴れ

あなただったのですね それは本当だったのですね ありがとう そしてあなたは帰って来ました 測り知れない力を開発して それは権力ではなかった 武力でも金力でもなかった そしてあなたは言います 日本は大丈夫だよ 未来は明るい その確信は何処から来るのでしょうか あなたは何を観たのでしょうね 私たちは信じていました そして待っていました 何時か必ずあなたは帰って来る 失われていた本来日本の命脈をつないだのはあなたです あらゆる試練がありました 知らない方々からの辱めも随分とありましたね 今もありますね しかしもうどうでもいいですね 私たちは知っています あなただったのです もはやどうにもならない事実です 始まっていますね あなたはそれを確認しています これからです よろしくお願いします

大死一番絶後に蘇る

2012-03-05

ストレス社会となって救いはあるのだろうか ある 観音菩薩の功徳は無畏施だった 本来無一物 何もないところから何が生れるか 善であるか 悪であるか 人間である限り悪である 善は仏さんのところにしかない 大死一番絶後に蘇る 一度人間として死ななければならない そして何を以て蘇るのか それからである そして己の力を試すが善い その時 証明はあるか ある 日月照らし風が吹く 私たちは自然の一部である 時代は決した 魂と宇宙は連動している 21世紀は心の時代と言われて久しい 自分が怖かった いつか乗り越える 未来は明るい
 

謙虚さを要する

2012-03-05

此処に至って思い巡らすと 挫折は挫折で意味がある 人間である限り間違う 間違って取り返しがつかなくなるよりも挫折する方が安全であるのかもしれなかった 統合力としての集中力が破綻すれば何も結果を得られない それも経験するしかなかった しかし本来の己を発揮できないこと以て浴びることになる恥辱は測り知れない 此処ではっきり言っておかねばならない 本来の集中力とはどのレベルでのことだったか 風神雷神だった 故に 現在の状況を以てその人を揶揄しないことである さらに 一休髑髏ご用心 謙虚さを要する 思い上がらぬことである
 

今回は大丈夫です

2012-03-04

始まっているね 何が始まっているのだろうね 誰も知らない そういうことだった 彼は言う 今回は大丈夫です 彼は知らなかった しかし そして この時が待たれていた 今回は失敗するわけにいかなかった 彼の完成が期されていた 導いていたのは見えない世界だった 彼は言う 勝手が過ぎたね ここまでだよ 随分と待った 三十有余年 彼の人生と青春は失われていた しかしそれが試練だった 試練を超えて何を観るのだったか 超えた者のみが知る 法華経に曰く 全て自分の中で起きる 申し訳ないことだった かたじけないことだった もはや勝敗は決した 彼は見つけた 何を見つけたのだろうね 真実だった 何を通しての真実であるか 仏法だった 仏の願いは何か 一切大衆が救われる その時が来たのだね 親鸞曰く 仏は唯 自分ひとりのために法を説く そういうことだった 一人いれば善い それを探していた その一人が彼だったのだろうか 子供のころよりあまりにも不思議な人生がある それが怖かった それが真実だった 真実とは何だったのか 仏と仏とのみ知る その時が来た この度は仏が動く 未来は明るい 彼は仏法に合した 仏法は彼に冥した それほどのことがあった 誰も知らない かつてあらゆる仏が菩提樹の前で修行した 時は流れて例えば禅は在家禅となった そして今 大衆のための菩提樹がある 彼はそれを知っていた しかしその前で謝ることができないでいた この度 謝ることをしたらしい 何を以て謝ったのだろうか 梵天帝釈も踏み給うべき戒壇である 天中天 彼は天の代表として謝った 彼こそ彼だった どうにもならない 誰も知らない 知らずに奪った 神のものは神の手に シーザーのものはシーザーの手に あなた方は奪った そしてどうにもならなくなった 六祖鉄鉢 奪えはしない 是より明らかとなる 既に始まっている あなた方の勝手があった 知らないことを以て 天とは何だっだのか 神だった 時を要する 属性を要する 自覚を要する すべて彼の自覚が待たれていた
 

シュリーマンのように

2012-03-02

この世に生れて何をするのだったのか 真実真理を見極める それはある 諦めないことである シュリーマンのように 仏の宣言で宇宙が動く 一箇の自覚で時代が変革される あるいは画される そのような人生がある 知る人は知る 知らない人は知らない 知らないことを以て否定する あるいは勝手する これまでは通った これより通らない 日面仏 月面仏 日月照らし風が吹く 御前会議召集せよ
 

サービスとしての教育

2012-03-02

サービスとしての学校教育を考えるべきであり、教育は強制では決してない。自らの力で生きていくことができるための教育である。サービスであるなら、子どもたちのニーズに応じなければならない。現代教育方法では目的が遂行できないのであれば、方法を変える必要があるだろう。ADHDの存在も明らかとなっている。教育のユニバーサルデザインも明らかとなっている。子どもたちのニーズを満たすことができていないなら、それは教育の失敗である。集団的教育になじまない子に対しては個別指導に徹する必要もあるのではないだろうか。現代のニーズを知らず、それを子どもたちの責任とするのは普通教育の放棄である。学校教育界は認識の根本的変革を必要としている。何故教師となっているのか。何故教師であるのか。何故身分が保障されているのであるか。100%組織率を以て身分及び地位を貪りすぎていた時代もあった。大反省を要する。意識改革は一人いれば変わる。