幸福論

しあわせ。幸せ。仕合わせ(サービスし合うこと、働くことで、はたが楽になること)。師会わせ。仏縁? 師との縁! 師に認められるかどうか。 地上ヘブンの住人に認められるかどうか。 しあわせの条件。 周波数。 人間関係は同レベルで触発する(高校生の頃に言っていたこと、名古屋での会社の先輩は否定した)。

周りがしあわせであることで、その中の自分もしあわせである。

東風ふかば、・・・・・主あるから大丈夫。

呉市の花は椿です。樫の木は堅い。鍬の柄、そして、警棒。鉄道の枕木は栗の木でした。楠の根っこは、ニッケイだったかな?シナモン・コーヒー。ウィンナー・コーヒー。昔、呉には。「馬宿」という珈琲店がありました。左馬の大きな文字のある馬具とか、大きな涅槃像とかありました。そこで飲む珈琲は格別で、朝方、中通の店主が、開店前に集うのでした。砂糖をスプーン二杯入れてよく溶かします。それから珈琲の回転に合わせて、ミルクを静かに浮かべます。そして、そのまま、ミルクが流れに乗っているまま、飲むのです。このコクとまろやかさは絶品でした。まるで、儀式のように飲むのでした。呉市立港町小学校は、分校もある小学校でした。その校歌も良かったのですが、運動会の日に歌う歌もありました。呉私立両城中学校の校歌も群を抜いています。県立三津田高等学校の校歌はさほどでもありませんが、その三津田賛歌は素晴らしい。さて、港町小学校には築山がありました。そこにある楠の根っこの細い小さいものに、そこにある松の幹からしみ出している松ヤニを一方につけて、そこにある池に浮かべるのでした。すると、その頃もあった、ブリキのおもちゃの船のように進みます。むしろ、スイッ、スイッと進みます。その築山の辺りには、高射砲が二、三キ、オブジェとしてあるのでした。また、オブジェというと、六年の時ですが、授業中に、私たちだけが許可されて、石膏でライオンの座像も作ったことでした。そのオブジェ、しばらくは校庭の片隅にありました。校庭にあったジャングルジムは鉄のパイプで頑丈で、とてもバランスの良くて、カッコ良かった。校舎は入学するときに円形校舎ができました。しかし、その直前に火事があったのでした。それで方形校舎ができました。その後、方形校舎が増築されましたが、円形校舎と方形校舎は昔のままです。方形校舎の屋上には、気象観測の機材もありました。日時計とか。雨量計とか。また、円形校舎には屋体と呼ばれる、講堂兼体育館がありました。火事があった頃、教室が足りなくて、職員室は円形校舎の一階ホールでとても暗かった。そして、屋体もベニヤ板でパーテーションして、授業が行われていました。いわゆる学芸会は、音楽会で、本田先生のピアノがとても良かったのでした。オペレッタもしていました。ギリシア時代にも喜劇がありましたね。アリストファネス。私がめがねをかけたのは、小学校3年生のことでしたでしょうか。それまでも、目が悪かったらしく、そう言えば、それまでは、黒板は先生のノートだと思っていました。幼稚園の頃も目が悪かったらしいのですが、夕方の辺りの色の変化で帰宅していたようです。すでに、目の検査で、一番上の文字が見えなかったのでした。しかし、驚いたのは、高校生になって、コンタクトレンズをしたときでした。その頃覚えているのは、中学校の辺りの農道でしょうか、木々の葉っぱのクチクラの輝きに感動したときの事でした。

21世紀。虚像の時代から実像の時代へ。

〔NHK-AM ラジオ深夜便を聞きながら(めがねの歴史のお話) 2005/10/20 1:23am〕

ある日、祖父が、洗濯機を見て、言いました。自分もこの中に入って洗ってくれるといいなって内容のことを。

大和魂。清廉潔白。歴史。影武者。無! 表裏一体。 That’s 宇宙。 ウ。 ウ音便。 カ行変格活用! 英知の活用の時代へ。 目的・手段。 手続き(刑事訴訟法的)。 時代の整理。 羽ばたくために。 時代の卒業。 知性の復興。 職人的的時代。 ギルド。 マイスター・ジンガー(カラヤン) すべては人格の表現。 芸術的的文化の時代。 新しい時代のための制度・インフラの形成。 その中での自由・平等。 即、新しい時代の秩序。 インテリジェンス。 整理とは。 芸術とは。 人格とは。 日本の使命。 東方。 オリエント。 生命とは。 文化とは。 原型としてのやまと。 近くの原点としての浮世絵。 東海道五十三次。

〔NHK-AM ラジオ深夜便 ジャン・ピエール・ランパルのフルートを聞きながら モーツァルト ハープ 協奏曲 2005/10/20 2:25am〕

大和出版刊 山田恵諦著 『大愚のすすめ』? 『英知のすすめ』!

クラシック。クラシック自体がジャズ的だった。極上の楽しみ。それは、また、歴史の反映でもあった。記録。レコード。すでに。ま、いいか。預言。物語。その証明が歴史。やられた。さて、船出だね。21世紀の大航海時代の、はじまり。はじまり。誰が、宝島を発見するのかな。宝島はあるよ。まだ、未開拓のね。ヒントは、「心の地平線」、「地上現実ヘブン」、「ひとつの世界王国」。〔NHK-AM ラジオ深夜便 ビゼーのメヌエット ランパル 2005/10/20 2:50am〕ある日、父は言った。私が共産党が勝つと思えば共産党が勝つ。亦、言った。私もお前と同じだった。そして、お前は大丈夫だ。私の子だ。と。しかし、長い旅路だった。辛いと言えばこれほど辛いことはなかった。純粋維持。純粋とは何であったか。トルストイの「戦争と平和」のニコライは二度間違えた。何を以て間違えたというか。この問いに堪えるものはいない。契り。契りとは何か。処女を破ること。・・・雲龍。雲は龍に従う。dawn!黄泉の国からの生還。そして、復興。新しい時代の建設!菊と櫻。私の家には主たる柱が三本ある。黒檀は二階にあり、一階には、私の部屋には椰子の木、そして店には櫻である。しかし、何故かお金がない。するべき仕事がない。仕事をしても請求書が書けない。そうした現在社会の中にいる。今、鍛えるべきは筋肉ではない。体は既に骨格で決まっている。鍛えるべきは頭脳である。所詮、この世は汚れている。清濁併せのむ?だから、間違う。多少の汚れは仕方ない。少々、傷つくこともある。このいただいた船としての体での航海である。問題は、この体が、治癒すべき軽微な瑕疵であるかどうか。やがて、源泉にいたり、また、世間に戻ればよい。どこが己の源泉か。それが格の問題である。知るべし。罪は罪。処断される。この世での処断あらば、あの世での罪は軽い。しかし、あの世での処断は別論である。あの世はあの世で待っている。畏るべし。隠せはしない。その方の処断、容赦はない。夢と思うなこの世をば、全て現実処断有り。日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.もののふのやさしきこころ触れしかば、この道たれとともにあゆまむ。やさしさとは何か。本来強いのであるが、そのやさしさが制御された状態である。女のやさしさではない。本来男のやさしさである。自由とは、何をしても自由であるが、決して法を超えてはならない。この法は、法律と言うよりも、むしろ、自然の掟であり、ロゴスである。これを破ってきたのが、二十世紀であった。反省とは、二度と同じ間違いをしないことである。さらに、間違えても、引き返す、または、あやまれば、赦される。これが、自然の愛である。そして、真実である。真実は、現実であり、大切なのは、結果として表れたことである。これが、精神の自由に於いて、思想は罰せられないことであり、結果としての表現においては、責任を伴うということである。さらに、責任とは、お金で償えるものはお金で償い、そうでない場合は、それぞれ、生命、身体で償うということである。しかし、さらに大切なことは、精神の自由は絶対であり、たとえ、見かけ上は屈することがあっても、精神の優位は、常に保障されている。だから、一切の恐れなく、自信と勇気で、事に処すればよい。現実社会は、往々にして、悪法も法の世の中である。しかし、例えば、あの世で、必ず、精算がある。因って、正しきものは幸いである。この世の悪弊に負くるとも、あの世での優位は決定されている。悪は悪であり、処断される。以上。(2005/10/20 RCC 走れ歌謡曲を聞きながら 4:45am)[文藝春秋十一月号p92を垣間見つつ]