都知事の不祥事


2013年11月23日

  • この度、現職都知事の不祥事が明らかとなった。選挙資金調達に関するものだった。氏の言い逃れが通るだろうか。氏がまだ評論家であった頃、佐高 信氏が強烈に批判していたことが思い出される。やはり、その程度の人だったのだね。氏を推した前都知事のレベルも自ずからわかるよね。はっきり言い置く。本来日本の名を以て、太陽族及び暴走族的傾向に用はない。何を勘違いし来たる哉。何に乗じてのことだったのか。戦後日本精神骨抜き占領政策があった。それは失敗に帰した。本来日本は滅し給わず。原爆の火を以てしても。明治以降の勘違いがあった。明治は譲ったのである。しかし譲られた彼らにその自覚がなかった。本来日本が培っていた諸価値は悉く邪魔だった。そしてどうなったのであるか。その帰結は何だったか。第二次世界大戦だった。そしてその後、同じ考えの支配である。大間違いである。いつまでも黙っていない。いずれにしても東京にカジノ等、作らせはしない。時代は決している。明るい方へ。愛と自由の方へ。幸せの要件は権力ではなかったのである。

この日この時


2013年11月23日

  • あこがれし夢の実現めぐり逢ひこの日きたりておどろき給ふ
  • いつの日かついぞいたらむ時のくるすべて真実伝えられ居り
  • これよりは信じて生きむ真実の愛と夢とのコラボの日々を
  • 固定せる周波数なるは愛なりと遙か輝く自由の星に
  • 長い冬彷徨いさがす真実のいつか見つけて安堵ぞ日々来

存在としての不思議


2013年11月22日

  • 追求していたことがあった。それは何だったのだろうか。それは高校の頃より、始まっていた。少なくとも、友人の何人かは知っている。何を知っているのだろうね。彼の存在としての不思議である。どういうことだろうね。いつか、書くことになるのかも知れないね。彼にもその都度、彼女がいた。親密な彼女たちは気づいていた。何に気づいていたのだったろうか。彼の存在としての不思議である。勘違いしていたね。何が真実だったのだろうね。確信している者はあるか。あれば、ともに語らむ。本来日本、滅し給わず。原爆の火を以てしても。いつまでもいい加減な時代ではない。タケシ、タモリ、サンマ等、お笑い芸能界を葬る。そなたの罪は甚大である。彼の発掘したものがある。それは何だったのだろうか。既に記した全体の趣旨より勘案することができる。要約して言えば、本来神国卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本、家伝直伝秘伝螺鈿の槍。それは伝えられていた。だれも知らないところで。そして彼は言う。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。何を言っているのだろうね。わからないね。彼は言う。黄泉の受容は取り付けた。生まれた使命を果たした。断言する。あなた方の支配は終わった。巧妙だったね。だけど、見抜かれた。未来が確定された。彼の故に。残念だったね。幸せは何処に。それを確定する人生がある。代々の約束あるいは務めとして。時を要する。属性を要する。最後の要件は自覚だった。既に処したる人生及び経験事実が異なる。彼は導かれていた。戦後はことのほか困難だった。いつまでも気づけない彼がいた。


世界は待っている


2013年11月21日

  • 世の中は今、世のため人のためという意識はなくなって、自分さえ良ければいいと思う人々の時代となっている。それで自然を破壊し、他を犠牲にしても顧みることなく、幸せになるためには利益追求しかないと思っている。そして子どもたちはどうなっているだろうか。子どもの領分も市場化されて餌食となっているのではないだろうか。なにもかもが限界に至っているのではないだろうか。世界は待っている。新しい時代のパラダイムを。愛と自由の実現こそ人類の夢だった。そのための制度としての民主主義だった。しかし、それをも巧妙に利用しての支配があるのではないだろうか。そろそろ気づく頃である。時代は豊かになっている。例えば、学校の勉強ができなくてもだれもが楽に易易と暮らしを営むことができる。犯罪等を犯せばそれは別論である。他に迷惑をかけない限り、自由である。ルソーの社会契約論は、それぞれ自由の一部を差し出して社会或いは国家を形成しているということだった。私たちは社会人としてその社会契約を結んでいる。そして制度として民主主義を採用した。権力による支配は市民革命で克服されている。日本は戦後それを継受した。そして結実させた。世界において今、最も自由であり平等である国は日本である。考える頃だよ。だれもが幸せになるためにどうあるべきか。一番考えなくてはならないのは政治家だろうね。そして政治主導となればいい。そうした大志を抱いて政治家になったはずだよね。自己利益追求が反省されなければならない。世界はイエロー・モンキーを好まない。そしてだれもが幸せとなる制度を構築するのである。時代は進化している。それが今、実現可能となっている。特に日本がそうである。戦後学んだ諸理念が結実し、経済的に全体として豊かになっているからである。それが戦後日本に託されていた重大な使命だった。その約束は果たされたのである。こうした時代を実現するために必要だったのが平和であった。日本は現代戦争の無価値を身を以て学んでいる。発信するべきは何だったのか。日本に蓄積されている歴代の偉大な精神の所産である英知と技術を以て描く未来はどのようであるか。それを世界に提示するのである。日本は世界に貢献しうる。自然に恵まれている日本の代々の文化の中にそれはある。代々培われてきた日本の精神に世界は憧れている。今も昔もこれからも。明治以降、19世紀に既に没落していた西洋精神にかぶれ、悲しい戦争までしてしまったのに、今もそれにしがみついている経済界は大反省を要する。破壊は文化ではない。新しい時代である。日本は何を考えるべきだったのか。明らかとなっているのではないだろうか。いつまでもおもしろければそれでいいのだろうか。お笑い及び現代テレビ界は無価値である。それで子どもたちは惑わされ、彼らの日々は悲鳴となっている。世界は軽薄を好まない。世界は待っている。

ますます弁ずる


2013年11月21日

  • 見える世界と見えない世界があって、見える世界のものは使えば減るし、いつかなくなる。見えない世界のものは使えば使うほどますます弁するで、よりいいものになる。因って、身命を惜しますである。喜んで人々のために使いたくなる。それがまた情けは人のためならずで自分のためにもなるのだった。すべてが喜びとなる。これが忘れられていた。ほとんど開発されていない。知らないからそれはないと思う。あるのだった。