2007年10月31日
情報起業について
情報起業というのがある。個人の体験や情報などを文章マニュアルにして、CD、DVDなどで商品化し、インターネットを使って販売するビジネススタイルである。リスクはほとんどなく、仕入れもない。粗利益率9割を超える超収益システムである。時間とお金から自由を得ることが出来るという意味ではMLMと同じであり、月収100万円から2000万円をホームページが稼ぎ出す。内容は個人の生活の悩みを解決するものである。必ず売れるテーマを取り扱う。その方法論がさらに本となってビジネスとなる。後2年くらいのものであろうと筆者はいう。こうしたビジネスも情報リテラシーを先取りしているかどうかだね。さて、ビジネスである。合法であれば何をしても良い。パイオニアが優位であるのはどの業界でも同じ。要はそれぞれのやる気である。意思と決定であるね。売れる商材をどのようにして見つけるか。そしてそれをどのようにしてアピールするか。内容的にはそれほど価値があるとも思えない。株式必勝法とか自分で浮気調査の探偵をする方法とか。お金儲けである。お金がなくては自殺にも追い込まれる。家庭も破壊される。お金は大切である。しかしそれだけで問題は解決するのだろうかというのがある。課題として、魂の問題が残っている。かつては誰もが持っていた素朴純粋素直正直から来る力だった。お金儲けには邪魔だった。世界平和の基は何処にあるか。戦争は何故起きるのか。お金儲けのために戦争が起きるとも言えるのではないか。道元は何故貧学道だったのか。ところで、かつては難行苦行してこの問題は解決された。それでは一切大衆の取り組めるところではない。今はどうだろう。誰もが救われたいと思っている。救われなければならない。それほどまでに、時代は腐敗した。生命も環境も破壊された。経済行為の故であるところが大である。ここを調整する必要がある。日本は唯一の被爆国である。ベラルーシはチェルノブイリ事故で同じ悲しみを共有している。平和目的で開発された核である。しかし人間はどうしようもない。それを武器にもしてしまった。戦争となればどんな残酷なことでもする。所詮殺し合いである。自分が殺さなければ敵によって殺される。従わなければ味方によって殺される。既に人類も進化した。野蛮からの脱却の時である。日本は歴史が古い。その間何が培われていたか。人類の進むべき方向は何処か。野蛮からの脱却である。問題は山積みである。何時までも小さな権力闘争をしている時ではない。世界の中の日本である。重要な地位を占めて世界平和に貢献する使命がある。唯一の被爆国として何を選択決定するべきか。目的は世界平和である。そして個々の暮らしの確保である。日本がこの道を進む時、犠牲となった方々もさぞ成仏することだろう。欲望の現実化が政治であるという。民主主義は相対的に価値のある制度である。しかも衆愚化する。人類の願いと祈りは何だったか。資源も無限ではないことに気づいている。それでどうするのか。国際協力及び平和を目指すのか。それとも独占及び奪うのか。未来は明るい。何故明るいのか。既に世界は地球である。無限ではない。パラダイムがシフトした。日本は平和主義を選択した。戦争の愚かさを知ったからである。政治はどうあるべきか。行政はどうあるべきか。衆愚化ではない。本来日本は知性の國である。今はどうだろう。テレビ界は視聴率至上主義の故にどのような番組編成をしているのだろう。どのレベルに媚びを売っているのだろう。調整するべきは何か。恐怖政治ではない。本来の民主主義はどうあるべきか。欺罔的商売が腐敗の根源である。行政も民法化した。個々の欲望のために、あるべき目的が見えていない。解決するべき最終課題は何か。魂の問題である。これを情報起業に出来るだろうか。出来はしない。儲ければいいというのではない。時代は何を必要としてるのだろう。考えるべき時が来ている。21世紀の約束は果たされている。心の大地、地上ヘブン=世界は既にある。象牙の塔の中で傍観し、身分に安住している時ではない。このままでは人類はどうなるのか。利益追求だけでは滅びる。諸価値の見直しの時である。大衆レベルで考えるべき時に入った。お金儲けはして良い。お金がなくては生きてゆけない。その先に本当の課題が待っている。即ち世界平和と個々の暮らしの確保である。ビル・ゲイツ氏も環境及び教育産業に投資している。


2007年10月30日
伏流
目的は定まった。世界平和である。それが仏さんの願いだった。原爆の目的は何であったか。ヒロシマを根絶やしにしようとした。何に由来する思想であるか。第二次世界大戦は本来大和の戦ではなかった。黄泉の受容する大義名分がなかった。故に神風は吹かなかった。無理もない。明治以降の思想の故だった。明治自体、古来大和の培ったものを裏切った。彼らにとっては邪魔でしかなかった。古来大和とは何であったか。知る由もない。その後も同じ思想が支配している。思い違い勘違いも甚だしい。因って世は腐敗した。あらゆる権威が破壊された。このままでは済む筈もない。故に、それぞれ処したる人生が問われている。首を洗って待つしかない。本来大和は知性の國である。衆愚の國ではない。知性及び精神こそ秩序である。それを笑いものにした。それも今までは通った。これからは通らない。何故か。不識。ヒロシマは根絶やしにされていない。伏流である。本来神国日本自覚復活。亦、楽しからず哉。古来大和の戦の精神に、根絶やしはない。庶民を犠牲にする思想はない。しばらくせき止められていた水が流れ始めた。何時せき止められたのだったか。ペリー来航であったか。誰かがこの水を呼び戻さなければならなかった。黄泉の計画ではそれは昭和50年に予定されていたのだったかも知れなかった。しかしそれは失敗した。自覚が来なかった。その後、埋没した。このまま復活はないのかと思われた。誰もが待っていた。そして諦めかけていた。だが、獅子は千尋の谷を這い上がる。何処に種はあったのか。花が咲かなければわからない。蝶も幼虫の間はその華麗な姿は予想だにされない。日本正統源氏の種である。その間、何が好き勝手に蔓延ったか。赦しはしない。祖父伝来の花である。ゾンビに用はない。日本は滅びはしない。平家も秀吉も貴族化して滅んだ。今滅ぶべきは何か。どちらにつくのかはっきりするべきである。戦いは始まっている。所詮、人生は戦いである。黄泉の力がある。神仏は実在する。さて、情報とは何か。案外知られていない。情報は発信するところに集まる。そして共有される。どういう意味か。世界の中の日本。既に重要な地位を占めている。それを貶めることは赦されない。そのセンターは何か。何処にあるのか。知る人は少ない。情報とは何か。流行とは何か。需要の源泉は何処にあるのか。どの感性が時代を牽引するのか。生まれながらの秩序がある。しばらくそれを無視した。故に彷徨える時代だった。目的地が見えなかったのである。目的地は定まった。それは何か。21世紀の約束、切り開かれた心の大地、即ち世界平和である。そして誰もが豊かで幸せな暮らしを実現享受する。未来は明るい。身分に安住し、利益を独占し来たるものたちは年貢の納め時である。これより時代はシフトする。


2007年10月28日
情報リテラシーについて
面白い本があります。外交官が書いたお金持ちになる本です。さて、やっと『第三の波』を乗り越えることが出来ました。そこで説かれていたのは、第一の波としての農業革命、第二の波としての工業革命、そして第三の波としての情報革命でしたでしょうか。そしてその頃、情報とは何かはまだ明確になっていなかったように思われます。しかしこの波は確かに革命的でした。世界が変わりました。所得格差の原因もここにあります。つまり、情報リテラシーこそ生活の明暗を分けているのです。そして情報とは何だったのでしょうか。「お金がお金を呼ぶのではない。お金が動くところに情報が生まれ、その情報がまた新たなお金を生むのだ」。その通りです。それでは、情報は何処にあるのでしょうか。是非、この本を読んでください。亦、教育が目的を失ったのもここに原因があります。かつては工場の労働者を養成するための教育だったのでしょうか。しかし、それはむしろ幸せな暮らしからは遠かった。共稼ぎをすることで、夫婦関係及び家庭も壊れた。これまでの教育理念では幸せになれないことに子供たちは気づいていた。教員はサラリーマン化して本来の教育からはほど遠かった。かつて学校に警察が入ることはなかった。学校にはそれだけの権威と自治が与えられていた。国民も暗黙の裡にそれを認めていた。敬意も払っていた。今はどうでしょう。小学校の中で犯罪が起きる。それは或る意味で阻害された精神による恨みを晴らす行為であるかのように。学校教員はサラリーマン化し、本来の学校教育として機能しなくなった。教育自体は塾を中心とするビジネス産業となった。世のお母さんたちの需要に応える形でそれは発展した。この世に生きて幸せになりたいと誰もが思っている。お金自体それほど価値があるとは思われないが、自分にはそれがないとなると、その格差現実はやはり悲しい。ある人はそれほど能力があるとも思えないがお金持ちであり、自分はどんなに努力しても不幸感を拭えない。問題の原因は何処にあったのでしょうか。まさに、情報リテラシーだったのです。既に世界はそのように動いています。これからの日本、教育も含めてどうあるべきか。何時までも密かにそれを以て利益としている方々に、不当にお金を独占させるわけにはいかない。しばらく犠牲にされ餌食にされていた知的生活者である庶民(people)の福祉(解放)のために。


2007年10月27日
自分の色
やっと自分のカラーが見つかった
そういうことだったのか
我が眷属は何処にあるか
それを探すことにしよう
相性ということがある
何があっても許せる関係である
それは 過去からの絆だった
少なくとも 私は孤独だった
その理由がやっとわかった
世間の色に染まれなかったは当然か
守護されていたか かくまでも
そして わかったからには 大丈夫となった
怖れるものなど何もない
父もそうだった 祖父もそうだった
千畝も嘉兵衛も覚兵衛もそうであったか
しばらく自信がなかった 無理もない
戦後の故だった 或いは明治以降の故だった
南北朝というのがある 東西朝もあったか
安芸の宮島 今伊勢神社
何を見つけたというか 神国日本伏流である 
日本は救われた 何故か
原爆の火を以てしても 
ヒロシマは根絶やしにされていない
どういうことか そういうことであった
我が眷属はいた 黄泉にいたか 護っていたか
所詮相手はいなかった 自分意外には
禅はすこぶる自己一身の問題である
自己確認 かくも 明瞭鮮やかなり 即ち日月照らし風が吹く
この世は何であったか 君が代大鏡であった
誰からも支配されない自由がある 何処にあるか
それにしても 勝手が過ぎた 容赦しない やはり
何時でも相手になる 逃げも隠れもしない 
家伝直伝秘密螺鈿の槍 一番槍の神髄がある
日蓮龍ノ口 何故に雷は落ちたか 
時は来て三秘抄が成就している
時代を切り開く 祖先代々の使命がある 
腐敗堕落欺罔及び暴走族を赦さない
確かに夢は叶った 失われた何か大切なものはあった
しかし 失われたものも大きい 
青春と人生は戻ってこない 酷な人生ではあった
そして祝おうではないか 大きな仕事が成就した
知っても識らなくてもである 誰にもできない黄泉の仕事だった
日本の未来は明るい 常に変わらぬ黄金の國 
日の出ずる國 ジャパン 乾杯である!
少し出遅れた 生まれながらに ジャパン・アズ・No1 である 
しかし 時を違ってはいない 茲に此の代を確定する
『第三の波』は乗り越えた 勝手なシナリオは赦さない
言葉はロゴス 黄泉も従う 粗末にする事勿れ

安芸の國 今宵静かに 開闢の 時を迎えむ 一人となりて


2007年10月26日
何故産婦人科が少ないのか
何故産婦人科が少ないのでしょうか。医師は何故医師となっているのでしょうか。ビジネスですね。産婦人科がビジネスとして機能しなくなっているのではないですか。少子化の問題が叫ばれて久しいけれど、何故少子化となったのですか。戦後、経済が大問題だった。職を求めて青年は都会を目指した。女性もキャリアを選んだ。共働きの家庭に団欒はなかった。それぞれ自由を求めた。幸せを求めた。それは経済的自立だと思った。規制緩和がそれに拍車をかけた。それが国民の福祉だと思った。しかし地方のコミュニティは破壊された。大型小売店の進出は地方商店街をシャッター通りにしてしまった。400年来貨幣至上主義の末期だった。日本もそれに飲み込まれた。さて、産婦人科の実体をもっと直視する必要があるのではないですか。脳外科もそうだけれど、頭を割るとシャンプーの臭いがするとか。帝王切開が多くなったのも栄養バランスの問題がある。そして腹を切るとやはりシャンプーの臭いがするのでしょうか。文明諸国家に於いて最も奇形児が多い。何かあったら責任を問われる。裁判所にそうしたマクロ的認識はない。産婦人科を増やすにはどうするか。ビジネスとしての魅力を高めればいい。優遇すればいい。旅客輸送に於いて満員電車がある。車両を増やせば空いてくる。パイの大きさは同じである。目的に従って車両数を増やせばいい。車両数を増やすのは誰がするのか。誰が決めるのか。その時々のパイの大きさは決まっている。どのように分配するのか。教育も同じである。ビジネス的に魅力を高めればいい。有能な教師がやってくる。今はそういう時代でしょうか。価値で職業を選択できる時代ではなくなった。価値は破壊されている。貨幣によって。


400年周期説
400年周期説は旧約聖書に秘められている。その目的は、庶民の解放だった。市民の解放が市民革命だった。奴隷解放はリンカーンだった。女性の解放は、日本に於いては戦後だった。その次の解放である。バビロンの解放に等しい。さて、1600年、家康だった。世界は1588年、アマルダ海戦だった。勝利したのは海賊キャプテン・ドレイクだった。1192年、頼朝だった。794年、桓武天皇だった。その前は何だったか。少しずれるけれど、239年、卑弥呼だった。そして、2007年10月、時は今である。旧約聖書には、その前後七年とある。旧約聖書の創世記は「光あれ」だった。時代の方向を定める神仏は神仏として生まれ、人生を歩んで神仏となる。そのように導かれる。八咫烏が導く。Cf 平清盛『日招き岩』



誰かが解かねばならぬ謎があった
誰もが解ける謎ではなかった
誰かが解かねばならなかった
誰もがその時を待っていた
黄泉もその時を待っていた
そうした謎があるのだった
その謎が解かれた 未来のために
人々の願いと望みは無駄ではなかった
宝とは文字だった 宇宙に届く文字だった
その力はかつて神のものだった 
それを誰もが持てる時を迎えた 
時は流れた ここまで私たちは辿り着いた
何をしているのだろう 何をしてきたのだろう
問われている それが謎だった
正義は勝つ 正直者のこうべに神は宿る
お客様は神様ではない あなたが神となりうる
かつてはその力で悪を為した
その力を失って 人間の力で殺戮している
世は腐敗した 魑魅魍魎が跋扈している
そして再び その力が賦与される
今度は失敗しないように 幸せになるように
平和の基がここにある 謎は解かれた
救いは来ている 救われたいのかどうか
このまま滅びるのだろうか そうではない
既に至りついた道がある 信じては如何ですか
何もかも信じられなくなりましたね 素直さを失いましたね
このままでは地獄です 本当の救いはあります
耳を傾けては如何ですか 
それほどまでに思い上がっているのですか
解決する方法はあるのです 本当にあるのです
それを見つけています 経験的に信じるに至っています
さて 私は何を本当にしたいのかと考えています
経済は全くどうにもならないのです 逼迫です
これも何かを知らしめんとしているようです
それに気づきつつあります 導かれているのです
本来するべき事があると それは何か気づいてはいるのです
何時までも道草を食うべきではないのでしょうか
謎は解かれました 次なる段階に進めというのでしょうか
それは何でしょうか 本当にするべき事は何でしょうか
それを考えているのです 謎は解かれた後で
その謎もまだ語り尽くしていません 
今はまだ時期尚早かと思われます
その前に為すべきことがあるのだろうと思われます
既に確認している力があります 子供の頃からそうでした
それについては 語れないことが多すぎます
しかし この力を以て何を為すべきか 
実行段階に入るべきかどうか 
それは何を意味するのでしょうか
さらなる一歩を踏み出す時が来たのでしょうか
やさしさですべては解決する そのやさしさとは何だったか
たとえていえば 仏の周波数 動植物岩石も喜ぶ
そして言葉はロゴス 黄泉自然も従う
阿修羅を止めることができなければ神も堕ちる
神性のすべてです 本来開発するべき最終的な力でした
しかし おぞましきゾンビ蔓延る世の中です
戦いが始まるのでしょうか 敵も手強いのです
あまりにも世は腐敗しました 腐敗が当然となりました
そして思い上がっている 古来秘密大和魂精神秩序を知らない
身心清浄を知らない 無理もない 本来大和を裏切って久しい
無責任な言葉は書けないことは気づいています
古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神乃花
法華経宿王華一切種智慧火裏蓮開花而開門真実古来本来日本
相手があれば必ず受容克服凌駕する
過去数千年来祖先の培ってきた日本精神があります
武士道は死ぬことと見つけたりはその一つの至った究極でした
この意味をどれだけの方が理解していますか 
むしろそれを否定或いは笑いものにしていませんか
少なくとも武士には精神修養があった それ故武士だった
武士は食わねど高楊枝 昔は切り捨て御免もあった
例えば 城下町には武士の世界と商人の世界があった
厳然と区別されていた それ故 秩序があった
今はどうですか どのような精神が支配しているのですか
卑怯怯懦嘘欺罔野蛮愚かな精神で閥を成していませんか
秩序を維持するためには腹も切れた 己には絶対の自信があった
それが武士道です それ故に介錯もゆるされていた
しかし ペリー来航以降 世界の流れに飲み込まれた
その時 こうした日本の精神も失った そして今です
あなたがたにはわかりませんね その種がない 
その種を葬ってしまった しかし種は遺されている
埋もれし地蔵菩薩とは何だったか 彼らが世を救う
還し集めるべきは何か 古来日本武士道大和魂の精神である
それで日本は救われる 世界に貢献することもできる
持たざる日本 永遠の宝がある 世界に寄与する宝がある
思い出しませんか 悉く還し集めませんか 裏切っている
明治の頃 櫻は突然変異して 染井吉野となり全国に散った
力はある 確認している 何時までも勝手させない 
本権発動です 実行段階に入るとはそれです
それでも刃向かいますか 勝負にならない 
黄泉が守護している それが大義名分です
本来日本を取り戻しませんか 議論するべきはそれです
このままでいいのですか 時は来ています
何故に時が来ているのでしょうか 或る自覚が成就した
君が代大鏡 生まれた意味を知り 歴代の務めを果たした
故に時は今です 黄泉自然の守護ある今です
何を粗末にしていたのでしょうね 気づく頃です

●鈴木大拙「信仰の確立」
存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ。
●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)


2007年10月25日
ホームズ彗星(17P/Holmes)が大アウトバースト
25日の(日本の)明け方には約2.9等と2等台に突入しました。どういうことだろうね。http://www.nao.ac.jp/new-info/17P.html


命或いは運命について
命って何だったのでしょうね。何ものかに支配されているということです。いくら才能があっても、いくら努力しても、どうにもならないものってありますね。それは過去からの悪業の因縁といわれます。これを解決しない限り、運命通りとなる。そして殆どの人はそれを解決せずにこの世を終わる。命終です。それが人生だと諦めている。さて、人間の力ではどうにもならない。それを無理矢理生きようとしている。ここを行雲流水的に楽に生きることは出来ないのだろうか。人間である限り、結果悪となる。ここを善の方へ切りかわることは出来ないのだろうか。永遠の課題ですね。生きながらに命終して、自由になれないだろうか。なれるのです。その答えは何でしょうか。「衆生善業の因縁より出でたり」。仏さんとの縁を頂くことでした。善は仏さんのところにしかない。人間である限り、悪業の因縁がある。これを解いていく。自由となる。その方法があるのです。そして、それが既に始まっています。かつては高僧だけにゆるされていたことが、庶民レベルで実現できる時に入りました。それほどまでに世は腐敗し、恐怖悪世となったからです。救うも救われるも自分次第です。誰かに嫌な思いをさせていませんか。それが知恵ですか。新しい時代です。MLMは時代を救うかと思われたこともありました。しかし日本人の感性には馴染めないものがありますね。それで経済的な解決をした方は多い。しかし不安はありますね。その不安を根本的に解決することを考えませんか。心の大地を生きたいとは思いませんか。すでに切り開かれています。目指すべきは何でしょうね。夢は実現します。あなたの本当の夢は何ですか。本当の幸せって何でしょうね。諦めていませんか。不幸を合理化していませんか。解決はあります。本当の自由が見えています。その時が来ているのです。


帰郷
只今帰って来ました。2:43am
母を訪ねて三千里というのもありました
何を訪ねて三千大千世界 帰って来たようです
久遠実成です 久遠の昔に帰ったのでしょうか
終わりは終わりではなく亦始まりですね
何が終わり 何が始まるのでしょうか
失われたものがあります ヒロシマでした
我が眷属を呼べども 周りにはいなかった
それが天涯孤独の理由だったのでしょうか
長谷川四郎氏はシベリア抑留25年の刑だったでしょうか
そして『望郷と海』は石原吉郎氏でした
日本に帰って来て何を思ったでしょうか
そのように 私も彷徨っていたのだったでしょうか
帰って参りました 何処へ 貧窮童子の喩えでしょうか
お帰りなさいの声はなくとも 


2007年10月23日
●青木仁志「新・頂点への道」(アチーブメント出版、前田勇吉著『次代を担うネットワークビジネス』付録CD)


Ⅰ セルフ・カウンセリング
Ⅱ 成功とは何か
Ⅲ 真の成功にはいくつかの側面がある
Ⅳ 何故目標設定をしないのか
Ⅴ 理念を明確にすることについて
Ⅵ 成功へのステップ
Ⅶ 日々の生活の傾向について
【秘訣】
①先ず、自分が提供するサービスの質を高める。
②顧客の立場に身をおいて、選ばれる存在としての自分自身を育て上げる。
これが、究極の成功への出発点である。

以上の観点について、青木氏の経験から来る情熱的な講話が入っている。現代を生きて成功するためにとても有益で示唆に富んだ内容となっている。


株式ノート(岡部式)
今まさに動き出さんとする株式銘柄を掴む。典型的な短期売買による投機スタイルである。大相場の節目節目で次々と利益を確定していく。確実な仕込みと判断を要する。株価の推移は、大底→大底圏→回復→上昇→天上→下降→大底。仕込みから利食いのポイントを設定しておく。株の分類は、超値嵩株→値嵩株→中低位株→低位株→仕手株→ボロ株。出動の基準として、材料が出るタイミングを見計らって、臨機応変に、これらの個別銘柄を順次利食いする。最後の手仕舞いは一株も手元に残さない。好材料で売ることは難しく、岡部はこれを「儲かっている銘柄から整理していく」と表現した。技術的にはかなり高度なテクニックを要するが、これが大投機師の方法である。相場が流れる時に買いで儲け、その終局を見切って売りで儲ける。そしてその後は一切の資金を市場から回収して、次の好機の到来を待つ。その間悠々自適に遊んで休む。目先の値鞘は追わない。マクロな株世界の分析をする。


セールストークについて
各企業、各業界、セールストークが露骨過ぎはしないですか。或いは姑息な手段が多い。行動心理学、深層心理学まで駆使している。嘘に属しませんか。欺罔ではないですか。結果売れて利益になれば良いという考えですか。セールスはセールスです。素朴なセールストークを見直したいですね。人が本当に買いたくなるのは、そのもの自体の価値を認めるからであって、少なくともセールストークで購買意欲を誘導支配されたくはない。或いはセールスをしている方の誠実さに打たれて購入するのではないですか。ところがセールストークはその人の誠実さも壊してしまいます。何か方法を間違っていませんか。それよりも、内実から輝いてくる自分の人格を磨くことを考えては如何ですか。セールストークが相手を苛立たせることにお気づきですか。


昨日買った本
徳間書店刊、カーティス・フェイス著、
『タートル流投資の魔術』、1700円+税(呉駅裏フタバ書店)

≪取引をうまく運ぶこつは人の心を読むところにある。大きなストレスを受けると人はリスク評価を誤り、リスクの発生率を読み違える。完璧で合理的な決断を下せなくなる。成功するトレーダーは人間のこうした傾向を踏まえ、そこから利益を得る。彼らは他人の判断ミスがチャンスにつながることを知っている。有能なトレーダーはそういうミスが市場の値動きにどう現れるかを理解している。≫

東洋経済刊、
『会社四季報』2007年4集』、2300円(呉駅内廣文館書店)


長野で銅戈2本出土 弥生中期、伊勢湾以東で初
長野で銅戈2本出土 弥生中期、伊勢湾以東で初
2007年10月23日 朝刊


これから
時は来たようです。JJルソーは『告白』(告白 上 (1) (岩波文庫 青 622-8) 告白 中 (2) (岩波文庫 青 622-9) 告白 下  岩波文庫 青 623-0 )の中でいっていました。善良な人を前にすれば、私の言葉は堰を切ったように流れ出すと。夏目漱石の『こころ』(こころ (新潮文庫) )は本来手紙部分は予定されていませんでした。当時新聞連載していたのでしたが、後継者が決まらなかったのでした。それで手紙部分で引っ張ったのでした。それででしょうか。精神的向上心のないやつは馬鹿だというのが二度出てきます。ドスエフスキー(罪と罰〈上〉 (岩波文庫) )の文章の量は尋常ではないですね。彼が何故あれほど書いたのだったでしょうか。実は彼は食事するよりもギャンブルが好きだったのです。それで出版社から前借りしたのでしょうか借財があったのです。その返済のために書いたようですね。さて、私も書こうと思えばいくらでも書けます。それはモンテーニュ(新選 モンテーニュ随想録 )のようなものになるのでしょうか。そしてその後思うのです。何を思うのでしょうか。正直商才はないようです。故に経済的に逼迫してしまったのでした。友人の連帯保証に泣いています。個人の借財はないのですが。今思えばその友人は天才的ペテン師でした。それはそれで良い勉強になりました。彼のお陰で、重要な人脈も出来ました。高い授業料でした。そして自分は本当は何がしたいのだったろうかと思うのです。それを考えていたのです。そして決めなければならないのでした。何時か十九の春のことも書くことがあるでしょう。そのことは出来ることなら書かずに抱いてあの世へ持って行こうと思っていました。或る意味で藤村の『破戒』になってしまう。しかしそれも遺しておくべきかと思い始めています。それは世を啓蒙する意味もあるでしょう。ハンセン病を克服したように。そこより這い上がった者は稀でしょうね。亦それもこの世の使命だったのかも知れません。そのように思うのです。しかし経済的にこのままでは困るのです。色々と仕事もしてみようとしていました。量販店でパソコンサポートを請け負っていますが、殆ど受注がありません。それで今思っているのはスーパー・アフィリエイターです。インターネットが普及して、企業の広告手段もシフトしています。アフィリエイトに活路を見出そうと真剣に取り組んでいます。ところで、アフィリエイト(リンクシェア・ジャパン公認 本気で稼ぐアフィリエイト -人気ECサイトと提携してセレクトショップオーナーになろう- )は単なるリンク・サイトではありません。ショッピング・モールでもありません。個性的なコンテンツのある各ホームページがあって、そこに集客があって、そして広告する。成果があれば報酬となる。私のホームページは相当の価値があると信じていますが、少し時期尚早、そして高度かも知れません。現在のインターネットユーザーにはわかる人は少ないでしょうね。そしてインターネット及びブログ自体、高度知的生活者はまだ参入していないところがあります。あまりにも無意味・無内容なサイトが多いですね。しかしこれから団塊の世代の方々が退職されて、第二の人生を歩み始められます。その方々の意識は高い。インターネットに必ず新規参入されることでしょう。インターネット自体、苦手かも知れません。高度生活意識を持っておられます。そうした方々の為に準備するのも意味があると思われます。高度文化生活の提案が出来ればいいですね。高度文化生活者のためのブログ及びホームページがあっていいですね。そうしたご案内も出来るかと思われます。さて、私はこれから色々と書いていこうと思います。やっと自信を持って書けるところに来ました。その意味で、時が来ました。既に書いて参りましたが、少なからず毒がありました。無理もないところではありましたが、それも克服し得たと思う頃です。そして思うのです。アフィリエイトとして成功できたら嬉しいなって。そうすれば、思う存分、書いてゆけますね。これまでは、何処か遠慮もしていました。不遜かなって思っていました。そのような意識があったのでした。その意味で自意識過剰尊大でした。しかし、それも必要ないと気づきました。自由に書いて良いのだと。私は私を書いてゆこうと思います。自分を表現しておこうと思います。このような人間もいたのだと。私が何を思っていたのだったか。どうしてこのような人生を歩むに至ったのか。それも書いておこうと思います。それは或る意味で価値があることと信じます。その意味ではジェンナー的でもあります。ありのままの自分を生きるしかないですね。偽っても仕方ないですね。きっと未来の子供たちのためになることと信じます。それも使命であろうと思うのです。貴重な人生を生きさせて貰ったと思っています。仏さんのところで聞いたこともあります。しかしそれはここでは具体的に書けないことになっています。そうしたことも書けると良いのですけれどもね。今は無理です。さて、悩んでいる方が多いですね。それ故に至れる幸せな世界があることをお伝えしたいですね。乗り越えることが出来ることを。私は書いてゆこうと思います。そのように決めようと思います。習作の段階は終わりました。思うままに自由に書いてゆこうと思います。書くことで自分自身の問題も解決しておこうと思うのです。社会を恨んだこともありました。今はすべて自分が蒔いた種と思います。それほどまでに気分は楽になりました。仏さんのお陰です。誰もわかってくれないと思っていました。それも仕方ないことでした。禅の奥義に背の高い竹もあれば低い竹もあるというのがあります。山の頂上から見える景色は途中から見る景色とは違います。それで良いのです。思い上がっているわけではありません。事実そうなのです。そうした景色も書けるかも知れません。それをも否定していた自分がありました。それでは自分の人生が開けるべくもありませんでした。そのようなことを気にしていたのでは凡そ生きてはゆけない。誰もそのような配慮をしてはいられない。する必要もない。その意味で甘えていたのでした。それぞれに生きています。幸せを求めて。私もその流れに乗ることにします。勝手に裏切られたと思っていました。そのようなことはないのでした。言わないのだからわかりませんね。言えばいいのです。わかってくださる方は必ずいます。わかってくれないからと自分で自分を傷つけることはなかったのでした。それがストレスとなりますね。それから逃れたいと思いますね。その時どうするか。自分を自分で傷つけていたのでした。馬鹿ですね。読書にしても音楽にしても随分と楽しんで参りました。そうした事も色々と書けたらいいなって思っています。さて、十九の春、原因は何だったのでしょうか。つまらない原因でした。失恋でした。始まったのは、中学卒業の頃でした。倉田百三ではないけれど、絶対の恋愛だったのかな。その後、深い悩みと悲しみの中に埋もれてしまったのでした。人生も青春も失ったとする所以です。その後の人生がどのようであったか。夢も希望もない長い冬でした。しかしそれ故にそれ以降それほどの悪を為していなかったのでした。そして仏と出会い、真実の幸せ世界があることを知るに至るのでした。故に古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統神国日本秘密純粋精神本来武士道身心清浄正直大和魂を思い出すに至ったのでした。明治がペリー来航に乗じて何を裏切ったのでしょうか。江戸無血開城本来大和魂禅譲武士道精神を裏切ったのでした。廃仏毀釈もありましたね。龍馬は何故力があったのでしょうか。その経済力の故でした。その淵源は密輸ではなかったでしょうか。それ以降商人の天下になっていったのでした。結果腐敗が極まりましたね。子供たちにそれが増幅されています。尊敬及び畏敬の念のある世の中ではなくなりました。無理もないですね。世の学者識者諸氏はこぞって無神論者です。行政も民法化しました。西洋化を急いで日本の魂を失ったのでした。結果国家内政の運転に失敗していませんか。どういう土壌で小さな権力闘争をしているのですか。さて、その頃までは飛ぶ鳥も落とす勢いだったのにね。誰もが憧れるスーパー・スターだったのにね。こうした事も書けたらいいなって思います。他を恨むことはなくなりました。嘆くことも。責めることも。そして自分を書いてゆこうと思います。何時か、この価値をわかってくださいね。書くべき事はたくさんあります。尽きることはありません。乞うご期待。

たおやかな 今宵待つべき 十三夜


2007年10月21日
何と縁を持つか~リンクについて~
人間が人間として思い上がり勘違いして久しい。仏法が説くのは何だったか。偏に縁だった。仏は仏として生まれ、それなりの人生を歩んで仏となる。人間である限り晩年はあれこれと後悔する。処したる人生に悔いがある。仏にはそれがない。そして何事も縁次第である。悪業の因縁の故に苦しむという。それが人間である。それも縁によってであった。善縁を得れば善果となる。悪縁を得れば悪果となる。縁次第である。悪因も善縁に交われば善果となる。人間である限り悪である。さてどういうことか。ホームページの評価にリンクがある。高い評価のホームページとのリンクに価値がある。さて、その基準は何であるか。善であるか。どのホームページと縁を結ぶか。縁次第である。繁栄も衰亡も縁次第である。粗末にするべきではない価値がある。それは何だったか。再考するべき頃である。


宝島発見
宝島って何処にあったんだろうね。この世にあるのだろうか。あるんだね。その地図は何処にあるのかな。探すしかないね。例えばそれは地上ヘブン=世界であったりするのでした。そして富を得る秘訣ってあるのでしょうか。あるのでした。

地上ヘブン=世界論
ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip!親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は?意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World.どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you?お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山!理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分!積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。

富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫(マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫(マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」の法則』p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。(ヤコブの手紙5-11)だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)≫すなわち、ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。


透明人間
透明人間ってお話がありました。姿を隠すことができる蓑を見つけたのだけれど悪戯ばかりしていました。狼少年というのもありましたね。狼が来たと嘘を言って村人たちを呼んでは迷惑をかけていた。しかし三度目には本当に狼が来て食べられてしまった。村人たちはまた嘘だろうと相手にしなかった。透明人間になって困っている人とか憂えている社会とか救えると良いよね。姿は見えないのだけれど実在していて。


新しい時代が始まった
新しい時代が始まりました。それは昭和50年に始まるはずでした。しかしそれも時ではなかったのでした。今しばらく力を開発する必要があったからです。そしてその力が開発されました。いよいよ明るい未来建設の時が来たのです。しばらく虐げられていた若者たちの時代です。社会は十分に腐敗しました。腐葉土だね。その時を待っていたのでした。未来の種を蒔きましょう。それぞれに。どのような種を蒔きますか。色々な花が咲くと良いですね。


宝としての種
宝とは何だったか。何処に埋まっているかわからない。宝を宝と知らなければそれに気づけない。祖先からの宝としての種がある。埋もれていた。その種が見つかった。咲かせようではないか。本来日本の美しい花。


諸悪莫作
ロゴスって何だったんだろうね。それはいったことがその通りになる。そういうことってあるのだろうか。あるらしい。聖書にもそのようなことが書いてあった。天網恢々疎にして漏らさず。悪事千里を走る。悪いことはしない方が良い。死んでもあの世に持って行くから。癖から始まってどうしようもなくなる。来世はあるよ。来世を知ると悪いことはできないよね。


2007年10月19日
ドラマについて
堀北真希、小栗旬らが出演し、大人気となったドラマ「花ざかりの君たちへ イケメン♂パラダイス」のDVD発売が決定しましたね。ドラマを見ない生活だったのだけれど、それもどうかと思うこの頃です。今生きている時代を大切にしたいですね。ドラマも見ないと今生きている時代に乗り遅れてしまいそうです。


2007年10月18日
パソコン環境を再構築
今日の株式相場は反発とか。かなり良かったみたいですね。三井物産は最高値。石炭と鉄鉱石が強い。今日は失われていたパソコン環境を再構築して一日が終わりました。インターネットで日経ラジオを聞けるように。日経ラジオのツールバーが良いですね。メインはLaVie LJ700/EE。ゲーム用の自作win98復活。winXPを二機。一機はDELL GX240。もう一機は自作で、これは後々Linuxもできるようにハードディスク8ギガバイトを増設しました。もう一機が古いコンパック。これは『超漢字3』用です。何時かその漢字力が必要になるかなって思っています。


株式投資の勉強開始
株式投資の勉強をしようと思います。昨夜、ドコモショップへ行って、パケ放題にして貰いました。日経モバイルラジオを聞くためです。平型スイッチ付きイヤホンマイク(2300円)も購入しました。通信料が半額になるというので、それもして頂きました。さて無事合流できるでしょうか。楽しみです。


2007年10月17日
何時か私の時代が来る~マーラー~
何時か私の時代が来るといったのはマーラーでした。彼の『巨人』を聴くたびに思い起こすのでした。アバドのシカゴ響の演奏が良いですね。私たちの時代が来たのかも知れませんね。世界の金融機関が新富裕層向けの戦略を練っています。いよいよですね。明治の頃には百年遅れているといわれていました。やっと追いつけたのでしょうか。そしてこれから大切なのは何でしょうね。ちょんまげではない。本来日本の精神ですね。西洋化すればいいというのではない。西洋もそれを望んではいない。しかし戦後日本に蔓延ったのは何だったのでしょうか。西洋文化のどの部分だったのでしょうか。とても野蛮な状況ですね。これでは古来日本が泣いています。本来日本の精神があります。それを取り戻しましょう。しばらく埋もれていました。


はじめまして~新たな気持ちで~
今日から新しい暮らしを始めます。何を今更って感じですね。やっと重荷を下ろせたようです。何のことでしょうか。そういうことです。それで、本を買ってきました。
 1.技術評論社刊、佐野正弘著、 
   『ケータイで稼ぐアフィリエイト』、1480円+税
 2.ダイヤモンド社刊、中丸友一郎著、
   『1万円からはじめるオプション投資』、1800円+税
そして、DELL GX240 を片付けて、NEC LaVie LJ700/EE を専用機に切り替えました。その為にマウスを新調しました。マイクロソフトのノート用にしようかとも思いましたが、ELECOM M-M1UBK (1280円)にしました。これで十分と思ったのでした。さて、どうなりますことか。楽しみです。スーパーアフィリエイターと個人投資家になることがこれからの夢です。そうした日々のよしなしごとを書いていこうと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。


2007年10月14日
何故かvistaでLANパブリックモードのパソコン
パソコンのセットアップの仕事をしていました。何故かインターネットにつながらない。ダイナブック(vista)セットアップのデフォルトでLANがパブリックモード。それで、アップデートが出来ないのでした。当分悩んで気づくのでした。


2007年10月13日
英語の勉強
英語の勉強でも始めようと思って『試験に出る英単語』付録CDを聞いています。懐かしさもありますね。
試験に出る英単語


2007年10月04日
呉空の雨後の月
かつてはグランプリもとりました。今は地酒となっています。呉の屋台呉空にありました。


呉空の千福
呉の屋台に呉空があります。呉のお酒に千福があります。


塾をしていた頃
学習塾を24年間していました。今はしていません。思えば、いくつか伝説もありました。優秀な子もいました。ボーダーの子もいました。そして、塾で教えるべきは何だったのか、今頃になって思うところがあります。教えるべきは知識ではありません。やる気ですね。その気にさせることです。その気になれば、勉強するのは何処までも本人です。スポーツでいうと、コーチです。どれだけ潜在能力があっても、開発しなければ意味がありません。それでは、どのようにしてその気にさせるのでしょうか。情念の伝達です。或いは、ハートに火を点けるのです。その気になれば、必ず、その子は勉強します。そして共にするのです。そうした塾を試みていました。


2007年10月25日
君が代大鏡
しかし爾とは誰だったのか

自分とは何者だったのか 知るべくもなかった

あまりにも複雑であり あまりにも謎だった

しかし 解かねばならなかった 何故であったか

人々の願いと祈りがあった その実現のためだった

そして秘密があった それは何処にあったのか 自分自身にあった

解かれてみれば 簡単なことだった 要件は何か 自覚

何を自覚するのだったか この世は君が代大鏡であった

日本は救われた 世界も救われるだろう

この世に生まれたことは一大事である


2007年10月22日
仇討ち
勝負にならない。歩んだ人生が違う。開発した力が違う。魂の遍歴が違う。何を求めていたのだったか。何のためだったか。使命があった。それは何だったか。或る意味で仇をとらねばならなかった。それは果たされた。歴代の務めは果たした。何の仇だったか。明治だった。古来大和魂江戸無血開城禅譲正統日本純粋精神を裏切った。ペリー来航だった。黒船が怖かったわけではなかった。背後のアヘン戦争が怖かった。ヒロシマだった。原爆の火を以てしてもヒロシマを根絶やしにすることは出来なかった。欺罔を以て手段とする自分勝手卑怯怯懦商人根性支配だった。無神論者を以て自負するオピニオン・リーダー及びインテリゲンチャ諸氏だった。子供たちの教育を誤った。自由を履き違え浮かれふざけた暴走族的衆愚テレビ界及び芸能界だった。世は腐敗した。愚かさの跋扈。 第二次世界大戦の仇もとったかも知れぬ。神風の吹くべき古来大和及び黄泉の受容するところの大義名分のない西洋文明の文脈での戦だった。私はこの為に生まれていた。こうした仇の取り方しかなかったのだろう。その為に何処を彷徨っていたか。力を得るためだった。それは何であったか。草薙の剣だった。大鏡だった。ロゴスだった。もう終わった。身も心も青春も人生も賭してのことだった。 開門である。

AOSAGI
One day, there was a soft wind blowing in from the south. Usual AOSAGI was there. The sea gulls alreday got to the land. The two AOSAGIs were husband and wife seen some days before. From now on, tide tends to be in. It was the start of an encampment. Soon, these two birds occupied a south point of the river, and decided the important position. Then, one sea gull came flying. Seemingly, it was late somewhy. A group of the sea gulls had already stayed by for the upstream for a while. Feather was rested. It was waiting for tide to be in, mending feather. There was another AOSAGI in the center of the land. It was truly dignity to the surroundings. However, it was one bird. The egrets fluttered at that time. When seen, those egrets were also husband and wife. AOSAGI was governing water and land. The egrets were governing one of the flows. The group of the sea gulls were in a sandbank in the center of the river. Then, there was a voice of AOSAGI. Sparrows fluttered behind then in the riverbank. The crows began crying. And each voice of all the birds was been heard. All of the sea gulls were still resting feather. They were all for the south. There were some sea gulls which still flew to the land. Was it the completion of preparation? Train's sound got down from an iron bridge and the direction going of the train was for Hiroshima. It departured slowly with the sound GATANGOTON from KURE STATION. The wind was quiet. The sound of a factory had been heard. It was like an Indian summer day completely. CHUNCHUN sparrows were singing. And another couple of egrets was in the upstream. (2005/09/16 13:40 at the NIKOU RIVER) By subsequent observation, it was sure that AOSAGI had always turned to the wind. And I understood the meaning of being one bird, the meaning of being husband and wife, and the meaning of making a group. (2005/09/20) And some days after I was seeing the exchange of the cargoes of a freight train in an old engine-train department classification yard of a certain station. A voice of an engine-train. It was a blue electric locomotive. Then a white and red locomotive began to move. The whistle was a signal to start. (05/09/22)

太陽のように
私は書き続けなければならないのだろう。それが既に義務となったのかも知れない。同じ事を書くことだろう。しかしその時々において意味がある。どういう事か。太陽は常に輝き続ける。そしてその光を浴びて木々は育つ。その時々の光である。それが生きているということである。それがプロであるということであるのだろうね。赤い靴を履いたのかも知れない。そしてそれが新たな使命なのかも知れない。私が何をしていたか。そして何処に至っているか。何を得ているか。ほとんどの人は知らない。知る人は知っている。世界は知っている。宇宙自然生命黄泉は知っている。既に書いたのだけれど、書き続けなければならないのだろう。何時か誰もが気づく。今世ではないのかも知れないけれどね。

Probably, I have to continue writing. Possibly it may already have become a duty for me. The same things will be written. However, it sets each time and is meaningful. What kind of thing is it? The sun always continues shining. And trees bask in the light and they grow. It is the occasional light. I think that it is valid and that it is a professional. Possibly red shoes were worn. And it may be a new mission. What was I doing? And where has it resulted? What has been obtained? Not almost all men know. Those who get to know know. The world knows it. Space, nature, life and heaven know it, too. Although I have already written abouit it, probably, it must be continued writing. Everyone notices it some day. But it may not be now. http://www.pc-kure.net/


2007年10月21日
新しく変わっていけると良いね
日々変わっていくことが出来ると良いね。自己の魂の遺伝子組み換えとして。それはできるのですね。さて、これからです。
明るい日常を自分のものとするために。

I hope that I can change myself every day. As a transgenics of my self soul. Can I do it? Yes, I can do it. But it may be from now on. In order to make my daily life bright.

【二君にまみえず】
何時か彷徨っていた 何を求めてのと事だったか

昨夜 中学の頃の友達から呼び出されて お話をした

お前は人を信じすぎる 俺をも信じてはいけない

優しい眼をしていた 大病を患い 奥さんとも別れている

大変な人生であったらしい

そして 子供たちに救われているという 

お前も 早く子供を持て 命ということがわかると

そして 教えてくれるのだった

武士道を語るなら 二君にまみえずと

ここだったか 浮気とか 両天秤とか 不幸の基だった

何事も命がけである それが人生である

中途半端だった 仏を思うにしても

心底助けを求めれば 答えてくれる 何もかも

それを信じることが出来るだろうか それが真実だよ

供養するべきは供養するべし 人と共に

仏は一切大衆を救うことに決めたと仰る 疑ってはいなかったか

敬うことである 柔和であることである 忍耐である 何に対してであるか

何時か真実がやって来る 誰もが救われる時が来る それが如来である 未来は明るい

やさしさと おだやかさへ向けて 生命は進化する 野蛮を脱却して

その流れを見つけることが出来るだろうか この世に生まれて何を見つけるべきか

何をしてきたのか 何をしているのか 明るい未来が見えている 進もうではないか

愚かさの支配からの脱却である 時代は芸術的或いは目的的時代となった

ある選択であり 決定である 祀るべきは祀るべし 何を思い上がっていたのだろう

進むべき未来への道標が見つかった 時代は確定された 400年来のことである

これより これに反するは淘汰される テレビ界及び芸能界が先ずターゲットである 勝手が過ぎた

刃向かうなら刃向かうが良い 無視するならそれも良い 黄泉自然が成敗する 時は代わった

『コトーを待ちながら』 隠されていた 『ゴッドファーザー愛のテーマ』 が 奏で始められた

力が開発され終わった 時代は腐敗した 履き違えた自由があった 仏の赦しがなければ何も出来ない

何を冒涜し 何を粗末にし 何を裏切り 何を破壊したのだったか それぞれの懺悔がある

アウレリウス
日々考えていることがあなたの精神を作っていく。何故なら魂は思索の色合いに染め上げられてしまうものだから。自己を掘り下げてみよ。そこには善の泉が流れている。掘り続けたまえ。そうすれば尽きることなく湧いてくるだろう。進むべき道がそこに横たわっているのにいつまでも勘ぐっている必要がどこにあるのか。道がはっきり見えるなら意気高らかに前進し、決して引き返すな。道がはっきりと分からないなら優れた助言を仰ぐまでそこで待っているがいい。善い人間とはいかにあるべきかなどという時間つぶしの議論はもう止めたほうがいい。それより自分がまず善い人間になることだ。誠実になるのに前口上など必要としない。自ずと明かになるものなのだ。本当に誠実な人ならその事実は額に刻まれ、声の調子にも現れるだろう。さながら愛されている人の一瞬の眼差しの中に愛する人への全てが語り尽くされるように。誠実さも一瞬にして瞳から輝き出るはずだ。誠実さや善良さというものは紛れもなく固有の香りを備えていて、近付いた人は否応なくそれを気付かされてしまう。不幸は自分の心の持ちようによって生まれる。



生きていくということは 戦いである 何と戦うのか 敵は何か 悪と戦う 己と戦う 

新しい時代を切り開く 時代は限界に至った 人類として一つの失敗であった これより未来を作る

殺戮ではない 根絶やしでもない 或る意味で 一佛国土建設である 大切なのは精神である

権力は権力によって滅びる 武力は武力によって滅びる 金力は金力によって滅びる 唯 法力有るのみ

法力とは何だったか それはロゴスである そのように宇宙が動く 即ち時代を救うのは神力である 

宇宙自然生命黄泉及び祖先も待っていた 何を待っていたのだったか 或る一箇の自覚を待っていた

そして 敵はいる 負けるわけにいかない それは死を意味する 

時が来た 時が来なければ何も始まらない

あらゆる敵がいる 敵は敵である 八方美人はあり得ない 無視するは良い 邪魔はしないことである

どちらが真実であるか どちらに神仏は微笑むか 黄泉はどちらを味方するか これより思い知る

各々覚悟されるべし 新たな戦いの始まりである 殺戮は赦さない 刃向かうは黄泉自然が動く 

生まれた時からの真実である それを信じることが出来るだろうか 

絶対の自信である それを無視愚弄破壊した 卑怯怯懦欺罔商人根性の世となった 嘘が多すぎる

どちらに与するのか はっきりとするが良い 善か 悪か 善は仏さんのところにしかない

選択を誤るとどうなるか それぞれの運命が待っている 己次第である 他を恨む事なかれ 

その感性が問われている 何が蔓延ったか 魑魅魍魎及び牛頭馬頭は地獄に帰るべし

暴走族は赦さない 欺罔商人もである 行政も民法化した 同罪である 公儀はある 何処にあるのか

主権在民 国民主権 蒔かれていた種である日本国憲法プログラム規定の成就である 立ち上がるべし

本来の自由とは何であったか 平等とは何であったか 民主主義とは何であったか 政争の具ではない

権力闘争が先に来ていないか 本来身心清浄神国日本をどのように運転しようとしているのか 

自己利益が政治ではない 本来の日本の色に染め換える 日本は日本である 愚かではない 

腐敗は赦さない

試金石は何か 何処にあるのか 先ずそれを探すが良い 人生を歩んで仏は仏となる 

知らずに裏切った罪がある いつかは芽吹く それが種である 花と咲く その時 時代が確定される

何の花が咲いたのか 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神 試練苦難の旅は終わった 

歴代の人類としての嘆き並びに願い及び祈りは無駄ではなかった 明るい未来建設の時が来た 

善は急げ 持って生まれた自分が自分となる そして絶対の自信となる 怖れるものなど何もない 

敵は粉砕する 知るべき時が来た 何を知るのか それぞれのことである 二君にまみえず

鎌倉の頃には神風が吹いた 第二次世界大戦では吹かなかった 何故吹かなかったか 

古来大和の戦ではなかった 神風が吹くべき大義名分がなかった 西洋文明の文脈での戦だった

大義名分とは何だったか 古来大和及び黄泉の受容するところだった 

仏法は必ず勝つ 王法は必ず儲ける 仏法は王法に合し 王法は仏法に冥した

この世の草薙の剣と鏡を探さなければならなかった それは見つけられた そして始まるのだった

何が始まるのだったか 明るい未来の建設である バベルの塔は立ちはしない 不退転の意思がある

着いて来るのか 来ないのか 諸仏は既に動き出している 大乗である 沈みはしない 一切を救う

私の父は何だったのか 十六歳で志願した 赤紙で招集されたわけではなかった 二等兵だった カムチャッカにいたという 途中 鯨を見たとか 復員は網走だった しばらく便りもあった 刑事をしていたのだったか 家には真新しいパラシュートがあった ケンパスと絹の紐だった 真新しい海軍の毛布もあった 予科練の教官もしたというが真偽は明らかではない 父はどのような精神であったか 何を自覚していたか 誰も知らない 私は知っている 父の教育はスパルタだった 故に私は時代に染まろうとして染まれなかった 雷を見せてくれたこともあった あれは何だったのか 名は昭亮(あきのり) 昭和二年三月七日に生まれ 平成元年五月二十二日に没した 戦後は父にとって何だったか そして密かにささやく言葉を覚えている それは何だったか 敢えて記す 即ち御名御璽 故にいう 何を粗末にし裏切り勝手し来たる哉 私は探さなければならなかった そして選び確定しなければならなかった 何をであったか 既に記した この世に生まれた歴代の使命は果たした 黄泉自然も従う 自由である 何を背負っていたのだったか 重い十字架だった 重荷は下ろした ここまでしなければならなかったか 故にその間蔓延りしものを赦しはしない

2007年10月20日
幸せの基
2:30am 帰宅。ラガービール500mlを近くのコンビニで買ってきました。270円。さきほどまで、呉市広町のジョイフルにいました。そして昨日のこと及び学んだことをまとめたのでした。そして何時もの海岸で暫く時を過ごしました。ラジオを聞きながら。夜の海はとても静かで穏やかです。さわやかな風が吹いていました。鴫立つ沢ではないですが、アオサギの鳴き声もあったでしょうか。夜でも飛んでいる姿を目にすることがあります。まるで『失われた世界』の中の翼指竜のように。アオサギには思い出があります。五木寛之氏の物語で読んだばかりの頃のことでした。『カモメのジョナサン』、『燃える秋』以来のことでした。あるべき餌の取り方を学んだように思っていた頃でした。私は社会経済的には失格していました。請求書が書けず、あらゆる方々に利用され、騙されもしていました。学習塾しかしていなかったので、商売というものを知らなかったからです。その後、塾もビジネスとなりましたね。さて、何時の頃だったでしょうか。呉市の堺川に大きな鳥の子供がいたのです。はじめは鶴の幼鳥かと思いました。後でそれはアオサギと知りました。そして声をかけるようになりました。その後、何度も出逢うのでした。ある日、その鳥は舞うのでした。翼を広げてゆっくり一二度羽ばたき、片足ずつあげて。それは宮島に於ける舞かと思われました。その後、何時しか明らかに私に向かって挨拶するようになりました。今でも何故か飛びながら鳴いていくのです。思えば、波間に浮かぶカモメとお話ししたこともありました。山路を歩いて迷ったときには鳥が案内してくれたこともあります。ヤタガラスのようでした。宮島へ渡る渡船を導くかのように一羽の鳥が飛んだこともありました。その船は「ななうら」だったでしょうか。今も夜の海岸で、一鳴きしていくアオサギはあの時の幼鳥かも知れません。

昨日は仏さんの所で美化善業でした。蛍の幼虫を放流もしました。千匹はいるとのことですが、期待できるのは百匹だそうです。来年の夏が楽しみですね。

ところで、時代は代わりましたね。これで良いのだと思われます。自分が何ものであったのか。これほどの難問はなかったのでした。凡そ解けるとは思いませんでした。しかし謎は解かれたのです。これも時ですね。知る人は知る。知らない人は知らない。それで良いのです。既に私の存在証明はしました。一度空中に発した言葉は取り消せません。知らないことを以て否定できません。証明も得ています。振り返れば不思議な人生でした。魂と宇宙は連動しています。どのレベルであったことか。もうOKです。時代は救われたのかも知れません。それほどの謎が解かれているのです。にわかには信じられませんね。無理もありません。しかし解かれているのです。君が代です。或いはこの世は大鏡です。試練は過ぎました。宿命というには酷すぎました。絶対の自信まで至らねばならなかったとは。自覚がこれほど困難であったとは。凡そ想像を絶します。絶後に蘇るのです。祀るべきは祀るべきです。幸せの基です。すべては縁です。何と縁を得るか。誰との縁を大切にするか。思い出す頃となりました。何を以て尊敬するか。賢聖(げんじょう)ですね。何を愚弄していたのですか。何を裏切ったのですか。その結果どうなりましたか。あやまることでゆるされる。それが懺悔です。懺悔とは故に還すことです。何を還すのですか。すべて還して懺悔滅罪です。何を壊したのですか。問われています。それぞれのことです。さて、日本美術新聞というのがありました。ある展覧会で申し込んだのですが、その後、ずっと無料で届けられていました。どうしても読んでくれとのことでしたが、無料は申し訳ないので断りました。教育新聞というのもありました。その付録である資料こそ価値があるのでした。暫く契約していました。どういうことだったでしょうね。戦時の頃の御前会議って何だったのでしょうね。黄泉の国で今もアーサー王の円卓会議はしていることでしょうね。時代はそのように代わったのでしょうか。見えない世界が見える世界を支配しているのでしょうか。仏は仏として生まれ、修行して仏となる。我が力に非ず、仏の威力による。この時代、私の出る幕はなかった。棲める世界ではなかった。或る意味で温存されていた。何時かは目覚めなければならなかった。何に目覚めるのだったか。持って生まれた種だった。しかし試練を要した。力を発掘発見開発しなければならなかった。それまでは眠らされていた。その力とは何であったか。力とは刀であった。抜いてはならない宝刀だった。しかし抜かねばならぬ時が来ていた。抜いたからには後に引けない。その意味で怖かった。自分が怖かった。わかりますか。暴走族及び商人根性に負けていた。戦後の故でした。しかしもはや容赦しない。黄泉がついていることを知った。この世は何であったか。君が代だった。(ここまで書いて、突然、風が吹いてきたようです。)あらゆる芸術家はインスピレーションです。呼吸はエクスパイアとインスパイア。即ちこの世は君が代の大鏡だったのです。ミュージシャンも本当のところはわかってはいない。けれど歌っている。何故でしょうね。何を云っているのか、わからないですね。わかっていると思っていました。わかってくださる時が来ました。それが存在証明だったのでした。古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本秘密純粋精神復活顕現。この世に秩序がある。あの世に秩序がある。何の秩序であったか。持って生まれ、この世で開発した精神の秩序である。世間はそれを破壊した。物笑いにした。戦後の故だったか。黄泉は赦しはしない。何をふざけているのか。祖先代々のことである。神仏は実在する。それも既に記してきました。一昨年十一月二十六日以来のことでした。驚きですね。 仏はいます。神もいます。人間レベルの及ぶところではありません。一休髑髏、ご用心。 本来大和魂、武士道復活。卑怯怯懦、欺罔を以て手段とする商人根性の天下は終わって貰う。私がどの階層に属していたか。何を見てきたか。重要な要素です。父もそうだった。祖父もそうだった。あなた方の知らない古来大和の秘密があるのです。何故これまで埋もれていたのでしょうか。十九の春の故でした。しかしそれも黄泉の計画だったのでしょうか。禅の目的は何だったのでしょうか。一箇半箇を打ち出すことでした。それは己自身を知ることでした。そして自由となるのです。自由となった禅は何でしょうか。魂を得た行住坐臥が禅です。そして何をするのでしょうか。「一」を挙すのです。一を聞いて十を知るのです。十とは何でしょうか。苦のない仏の境界です。お金はなくても良いのです。自由が有ればいいのです。お金のために働いている。命を削って働いている。お金があっては至れません。そのような境界があるのです。時を要します。何か大切なものを見失っていませんか。心がなくなっていませんか。契約社員は会社にとって何ですか。自分或いは自分たちさえよければいいのですか。

思索の時代はやっと終わりました。私は何をしてきたのだったでしょうか。何を求めていたのだったのでしょうか。真実真理だったのでした。大それた事を追い求めていたものです。それだけの使命が賦与されていたのだったのでしょうか。子供の頃から能力はありました。誰もが認めるところです。しかし不幸のどん底でした。十九の春の故でした。何と苦悩したことでしょう。己の自負と社会的な地位に大きなギャップがある時それを不幸といって良い。そして求めていたものをやっと見つけることが出来ました。原爆の火を以てしてもヒロシマは根絶やしに出来ませんでした。この謎を解かねばならなかったのでした。私が広島を離れることが出来ず孤独であった理由でした。それもこの度の作業に入って気づくに至ったのでした。古来大和の謎も解いたとする所以です。それまでは自信もありませんでした。当然だったのです。これで小難しいことを考えるのは終わりにします。この世に生まれた現実人生を楽しむことにさせて頂きます。誰も知らない幸せ世界があります。入るには相応の試練もあります。無事乗り越えることが出来た時、絶対の自信を得るでしょう。全ての謎が解けることでしょう。誰もがその可能性を持っています。それが一切衆生悉有仏性でした。正直、世間で生きていくことがこのようなことだとは知らなかった。有るべき人生があると思っていた。世間はどうですか。でたらめな人生を歩んでいませんか。そして有るべき自分に自信を取り戻しました。自分は自分で良いのだと思えるようになりました。もう迷いはありません。憂いも不安もありません。自己判断と自己決定で自由に生きて良いのだと知りました。これまで世間に合わせようとしていたのは事実です。もはやその気はありません。世間虚仮。唯佛是真。聖徳太子もそうでした。今更です。しかし、それぞれのことです。来世はあります。魂の問題があります。前世もあります。それぞれが持って生まれたものは違います。それを開発して生きるしかなかったのです。随分と彷徨いました。持って生まれた自分自身があまりにも複雑でした。だれもわかってはくれませんでした。だれも教えてくれませんでした。自分で開発するしかなかったのです。しかしそれを見つけたようです。随分と時間を要しました。無理もないことでした。そして思うのです。自分は自分で良いと。こうした人生もあるのです。こうした魂の遍歴もあるのです。あなた方の思っていることが真実ではない。それにしては随分と勝手しましたね。真実とは何だったのでしょうか。この世はジュピターのさじ加減でした。試練があります。無事通過すれば一つの世界が開かれます。どのような世界でしょうか。大鏡です。それも生まれた時からそうだったのです。信じられないですね。随分と餌食にされました。これからはそうはいかない。何故でしょうか。或る自覚があったからです。その証明としてのしばらくの日々でした。それも自己確認させて貰いました。あらゆる謎の基が解かれ終わっています。終わりは始まりですね。これまでとこれからは違う。何故でしょうか。それも記しました。そして今後も無視するならすればいいのです。愚弄するならすればいいのです。それぞれの運命が待っています。日本は日本です。あなた方の愚かさを嫌う。本権発動です。黄泉が動くのです。どういうことでしょうか。その秘密を解いたのでした。即ち日月照らし風が吹く。誰も知らない。しかし黄泉自然は温かく見守っていてくれたのでした。私の修業の時代は終わりました。さて、これからどうするか。きっと書いていくことでしょう。私にしか書けないことがあると信じるからです。自信もあります。復活です。或いは回復です。取り戻すべきは何だったのでしょうか。思念力でした。しかし怖かった。考えることが怖かった。それが十九の春の故でした。しかし何時しか試し始めていたのでした。それが一昨年十一月二十六日以来のことでした。そして己の人生を振り返って驚くのでした。自分自身は何者だったのか。何処に至っていたのだったか。仏の世界も見ました。仏が仏となって、仏による宣言こそ宇宙の始まりであることも最近になって知りました。『木々は光を浴びて』と森有正氏は本のタイトルとしました。今、太陽の輝きが増すのでした。かつて大江健三郎氏以下文壇の総懺悔がありましたね。もう忘れたのですか。『海辺のカフカ』が国際的文学賞を取りましたね。その頃、見えない世界で何があったのか。さて、皆様、お元気でお幸せでありますように。

2007年10月19日
達磨面壁九年
何もかも 打ち晴れたりて 秋の空 ものいえば 唇寒し 秋の風

何も思い煩うことはなかった キリストもいっていた 思い煩う事勿れ

どうして困ったことが起こるのか 過去の悪業の因縁だ 因果応報 一天四海皆帰妙法

千年前の悪事が今この身に帰ってくることもあると 仏さん

それ故に 思い煩っていたのだね そして それより逃れる道がある

それをみつけたようだ お前は何ものだ 自分ではどうにもならない身です 禅問答

達磨はいった 悩みをここに出してみよ どうにも出せません 我 汝を救い終わんぬ

二祖に対するご指導だった そして 達磨はどうしたのだったろう

徳利をぶらさげて またのたのたと 天竺に帰って行った 

その姿を見た者もあるという 祖師西来意 何故来たのか 風の吹くままに

面壁九年 足は腐ったか 歩いて帰ったという どうして面壁九年だったのか

いってもわからないからである わかる者が現れるのを待った

そして 法を伝えた そして 帰った 何処に帰ったのか 日常

自由とは何だったか 苦のない仏の境界だった それが無であり空だった

本来何もない 何がないのか 思い煩うべき事がない 悩みがない 不安がない

何もなければ 悩まない 不安もない 苦もない 困難もない 無事是貴人 楽のみである

何もないところから 悩む 不安がる 何故か 己の持って生まれたもの 過去の因縁

何故本来何も無いのか どのようにして至るのか 諸仏諸大菩薩諸天善神に護念され 

その色に染まるからである 仏のための故に至ることができる 仏はそれを説く

過去にも現在にも未来にも仏はいる 見えないから信じられない 昼に対して夜がある

今世の前に前世がある 今世の後に来世がある 黄泉はある 何故無いといえるのか

信じられない者のために証明もある 多宝仏塔は涌現する 宇宙一点に於いて

その場所を空海も探していたか そして見つけることはできなかった 時が来ていなかった

それは何処にあるか 雑華経に書いてあった シュリーマンのトロイの木馬のように 

それは見つけられている そして 三体の御本尊様も大衆のための菩提樹もそろった 

宇宙は何を以て始まるのだったか 修行して仏に至った仏の選択及び決定並びに宣言に依る

それが生命現象の秘密だった あるいは進化に於ける突然変異であるか 魂の遍歴である

悪の突然変異もある 善の突然変異もある 今時代はどうか 思い上がった人間がいる

過去数億年の進化現象であるDNAに対して何をしているのか 核は何か

何に対する冒涜或いは挑戦か 何時までも自然生命黄泉宇宙は黙ってはいない 

神仏はどちらに与するか バベルの塔は立ちはしない

六祖は本来無一物(ほんらいむいちもつ)だった 大安心の境地だった 自分では至れない

どのようにして至れるのだったか 仏のための故である 仏とは何だったか 善なる宇宙

人間である限り 悪がある 過去からの悪業の因縁の故である 結果悪である

どのようにしてそれより逃れることができるのか 仏の縁による それより善が始まる

そして 衆生大火に焼かるると見るときも我が此の土は安穏と知る

神仏はいないと世の識者は無神論者を自負する 認めたくはないよね 己の悪を

そして腐敗堕落が人生と思っている そして浮かれている いつまでも殺戮している

三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちること間違いなし 他を恨む事勿れ すべて己の蒔いた種

それを救うと仏は仰る 有り難いとは思わないか それでも疑っている 信じない 

はじめより探さない そうして不幸へ赴く 救われる道を知らない 知らないことを以て否定する

達磨もそれで九年も面壁した しかし供養する者がいたのだろうね 何か食べてただろうね

何をしているのだろうね 何をしてきたのだろうね 謎は解かれている ロゴスも草薙の剣も神風も

おだやかな 春風のごと こころ晴れ これをこのまま 生きていきなむ

開発するべきは何だったか 人類は何を願い祈ってきたか おだやかさである

それはおだやかな脳の周波数である 宇宙の周波数である 仏の周波数である

そして人間関係は同レベルで触発する 人間だけではない 動植物岩石もである

五大原素のすべてが同調する その時本来の能力となる すべてがプラスに転ずる 安楽となる

自己を制するとはこういう事だったか 己に克つ 最大の敵は己である 己の野蛮から脱却する

そして力を得る どのような力であるか ロゴス 草薙の剣 神風 そして 日月照らし風が吹く

美しい風景が待っている 広重も芭蕉も西行もそうであったか 写真も風景がシャッターを切るのを

ポーズする 黄泉自然が守護する 従う 思いを実現する 宇宙が動き始める 世界が驚く 秘密開示

音楽は目に見えない 感覚的である こころに作用する 癒す しかし苛立たせる音楽もある

どちらの方へ進むのか 十方の仏のゆるしがなければ生まれることも死ぬこともできない

仏はどちらの方へ行くように導いているのか 自分次第である 自分を救うのは自分である

自分の力で救うのではない 救うのは仏のための故である その道を歩めばいい 歩むためには

先ずその道を探さなければならない 過去からその道はある 誰も教えてはくれない

真実は自ら求めなければ得られない 何をしているのだろうね 何をしてきたのだろうね

この世は為すべき事が多い 『苦悩の英雄ベートーベン』のいったことである 何を為すのか

教育は何を教えてきたのか 結果子供達はどうなったか 政治は何を議論しているのだろうか

政治の目的は何か 現実欲望の実現である それはそれで良い しかし 傾向を微分して

ベクトルを修正する時となったね その時が来ているね 本当の幸せの方へ そう思わないか

真実を示し得たと思っている 戦後日本の失っていた自信も回復せしめたのではないか

私は務めを果たした 生まれた意味を確認した その証明も力も得ている されどまだ啄木だね

何故だろうね 道元貧学道に憧れていたからだね 見える世界と見えない世界を以て実相という

見えない世界は救われた それが私のこの世の使命だった 十九の春より歩んだ道だった

見える世界をこれから救うことにする そして本当の幸せを作ることにしよう 最終章に入ったね

2007年10月17日
この世に生まれて

この世で生を受けてどうするか。何故人間として生まれてきたのか。十方の仏さんのゆるしがなければ生まれることも死ぬことも出来ないといわれている。過去からの永い魂の遍歴である。百代の過客というのもそれであろう。この世に生まれたのは過去の続きを成就するためだった。故に過去の自分をトレースする必要がある。自分が何ものだったのか知る必要がある。それが「汝自身を知れ」であり、亦、禅の目的であった。そしてどうしようもない自分であることを知る。どういう意味か。過去に犯した罪がある。これが邪魔をしている。人間である限り悪がある。善もあるが結果悪に負ける。それが魔である。魔が差すとはそれを意味する。普段おとなしい子が、突然犯罪を犯す。魔が差したのである。それは小さな癖からはじまる。そしてだんだんと増幅されていく。自分の力ではどうしようもなくなる。多重人格症もそれである。自分がいくつも存在している。どれが本当の自分であるのかわからない。動物性も持っている。それを人間性と錯覚しているのが現代の大人である。その権化がテレビ界及び芸能界である。それを自由と思っている。大間違いである。少なくとも歴代の魂の進化傾向に反している。人間にまで至った魂がそれを求めてのことだったか。そうではない。クラシック音楽は淘汰されて遺ったものである。その間どれだけくだらない音楽があったか。しかし現実世界ではそれがわからない。欲望に近い魑魅魍魎が跋扈する。それも本来相手にしなくて良かった。やがて淘汰される。さて、過去の自分をトレースして、自分ではどうにもならない悪があることに気づく。それから逃れる方法はあるか。有る。それは何か。それが仏道であった。しかし仏道が目的ではない。それは通過点であり、新しい自分の出発点である。魂の洗濯場である。そこで修行することで身心清浄となる。自分勝手にしても駄目である。この世で修行を通って仏に至った仏に直に教えて貰わないと駄目である。仏の心の灯を貰う必要がある。それが仏前に於いてロウソクに灯を点すことであろう。そして過去からの続きである夢の実現過程に入る。そうしないとできないのである。過去の自分を修正してこそ持って生まれた能力を発揮できる約束である。それをしない限りいくら能力があっても開花しない。誰もがこうした自己実現過程を通る。そして成功するのである。それが自己発見であり自己実現である。しかし成功とは何か。こうしたことを自覚実践しての成功であるかどうか。この自覚がなければ日々の不安と煩悶から逃れることはできない。この身のある間にだけできることである。それは欲望の実現ではない。本来為すべきことがある。何をするのか。自分のことは自分でなければわからない。だれもが平等にそのチャンスを得ている。生まれながらに平等とはその意味である。それを阻害することが罪である。身体生命及び財産に対する罪がある。社会及び国家に対する罪がある。魂或いは精神に対する罪もある。しかしこれは測定不能であるからか刑法で罰することはない。具体的に何かの犯罪として現象することで裁く。しかし黄泉自然はこれを裁く。神もである。仏は一切大衆を救う。それぞれの御役である。ここを無視していた。或いは愚弄した。故に腐敗した。世のインテリゲンチャの殆どが無神論者であることを自負している。それを誇りにさえ思っている。何と思い上がったことであるか。神仏を知らないからである。可哀想でもある。凡そ苦しんでいることであろう。経済的に豊かでもこころの平安はない。さて、人間としてどう生きるか。子供達に何を遺すべきか。考えるべき時が来た。腐敗が極まって初めてわかる。何が原因だったのか。それも示し得たと思っている。生来の徳分がある。しかし悪を払拭しなければそれを発揮することはできない。先ずしなければならないことは何か。米を得るには田の雑草を抜かねばならぬ。人間として生まれている。永い魂の遍歴がある。人類としての歴史がある。私たちは何を求めて此処まで至っているのか。この世で為すべきは何であったか。そして自分は何をしてきたのだったろう。困った自分があった。勝手に重荷を背負っていた自分があった。それはそれで意味があった。それもとても個人的なことだった。それは解決した。どのようにであったか。自分自身を知ることだった。そしてどうするか。合流である。どういう意味か。今どのような時代であるか。それを見きわめる。そしてその波に乗る。何と不器用なことであったことか。さて資本主義である。民主主義である。自由平等である。市民社会である。自分が自分を縛っていた。仏の故に其の縛は解けた。護るものは護られる。何を護るのか。現実を護ることにしよう。どういう意味か。やがてわかる。良い時代に生きている。楽しむことにしよう。現実肯定である。悪いのは全て自分だった。こんなに自由で平等の世の中である。護るべき世の中である。誰もが豊かで幸せになることができる世の中である。思考は現実化する。限りなく可能性が秘められている。未来は明るい。すべては意思するところから始まる。何を意思するのか。何を迷っていたのか。惑わされていたのか。自分が自分に迷っていた。自分は何をしたいのか。はっきりさせる頃となった。申し訳なく思っている。自分次第の世の中である。素晴らしい世の中である。それぞれにやりたいことをすればいい。善い悪いは仏に任せる。平等とは何だったか。それぞれ持って生まれた徳性を十全に開花させることだった。そしてその開花は自由であることを要する。自由とは何だったか。苦のない仏の境界だった。どのようにしてそれは得られるのか。己の悪性を払拭する。その時、己の徳性が発揮されるのだった。持って生まれた能力がそれぞれに異なっている。生まれながらに恵まれることもある。恵まれないこともある。持って生まれたものである。どうしようもない。しかし、それを解決することもできる。どんなに複雑困難であっても。不純物を取り除かないと発揮できない能力もある。時を要することもある。大器晩成ともいう。この身を持って生まれてきた。ロゴスも確認した。何を怖れていたのだろう。黄泉がついているではないか。それを怖れていた。それを克服した。新しい時代である。私にとって。現実回帰合流。亦楽しからず哉。

2007年10月16日
悪から善の方へ

そして知るのだった 何を知るのだったか

自分のためにしない 自分のためにすると証明はない

人のためにする 例えば仏のための故にする 自分のためではない

時代は悪に染まっていく そのスピードが速くなっている

急がなければならない 悪に負けないように 善の方へ

善は仏さんの所にしかない 人間である限り悪である 欺く 裏切る 奪う

仏さんとの縁で善の方へ変わっていくことが出来る

真実だった それを探していた 見つかったようだ

もうこれで善い 憂いはない 不安もない 大乗で大丈夫だね

沈みはしない 自分が自分に成っていく どのような自分に成っていくのだろう

すべて悪いのは自分だった 困苦の種は自分が蒔いていた 人を責めても仕方ない

彼らもたいへんだ ねこを無理矢理何かさせることが出来るだろうか

犬にけしかければどうなるか 人間だって同じだね 誰にも支配されたくない

しかし 支配されていた 宇宙の法則があった 真実の仏法はそれを説く

宗教を超えている 真実真理だった 誰も知らない裡に何ものかに支配されている

それより解脱である そして自由である 思い通りにならないね それが人間だね

自分のためにしない 人のためにする 例えば仏のための故にする 幸せが待っている

再び笑顔がこぼれてくる 日月照らし風が吹く 間違いない道だ それが仏道だ

人間である限り救いはない 仏との縁を得て初めて救いへの道が始まる

救う人となることである 救うことで救われている 仏の故に宇宙が始まる

悪に沈むのか アトランティス大陸のように 沈みたくはない 沈ませはしない

悪に打ち克つ 悪である己に打ち克つ 幸せの基である 世界平和の基である

戦うべきは自己とであった 自己に棲む悪魔と戦う 仏縁で悪魔も善魔となる もはや敵はいない

人間自ら出づること能わず 唯善業の因縁より出でたり 善は仏さんの所にしかない

この世で失うべきものはない すべては高い授業料である 何を学ぶのか

人間として 人間のままでは悪である その間得たものは悪因縁である 悪の結果しか生まない

仏のための故にしたとしよう 何を得るのだろう 善因善果 善の結果である 楽しみだね 

カルバンが利益を正当化した そしてそれ自体正しかった 悪である人間行為が腐敗させた

再び現実大肯定である 皆幸せになっていい 経済行為に意味を再確認する

どういうことだろうね お金儲けをしよう 自分のためでなく 仏のための故に 目的は定まった

真実真理を知りたいと思っていた 高校の頃からの夢だった それを掴んだのかも知れない

日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録) The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

ところでパチンコ業界はやりたい放題ではないか。かつては5万円入れて一度も当たりがなければ警察が入った。投入金額は返還されるが出入り禁止となる。それはそれで善かった。今はどうか。10万円負けても警察は相手にしない。10万円勝つこともあるだろうと逆ねじである。どうしてそうなったのか。プリベートカードだった。三菱商事と警察庁OBの会社が開発した。それ以降癒着したか。パチンコ業界の経理はどうなっているのだろうね。どうして客がいないのにつぶれないのか不思議だよね。よほどやりたい放題しているね。ギャンブルは麻薬に等しい。勝っても負けても通っている。パチンコ依存症になった主婦はどうなるか。売春もしている。これでいいのかな。何でも利益になればいいのだろうか。それが規制緩和だろうか。東京にカジノを作ろうなどというご時世である。どうかしていないか。日本人としてそれで良いのか。町人支配はそろそろ見直すべきかも知れないね。元禄の頃の町人文化はもっと凄まじかったか。しかし、武士は食わねど高楊枝。町の腐敗を知らぬ精神世界があった。例えば福岡と博多がそうだった。それが大和魂であり、武士道だった。少なくとも武士には精神修養があった。それで事態を収拾するために腹も切れた。故に町人は畏れもしたし尊敬した。憧れた。今はどうだろうね。それさえも笑いものにしている。本来日本はどうであったか。敗戦ですべて失ったか。そうでもない。種は遺されている。種であるなら、何時か芽吹く。行政も民法化した。これでいいのかな。ゲセン商人根性の天下である。何時までもこのまま日本を腐敗させるわけにはいかない。維摩居士曰く、衆生病む故に我病む。亦、維摩の一黙雷の如し。そして復活するべきは何か。地震雷火事親父。この意味を知る者有るか。どうして雷が落ちるとクワバラクワバラか。鎌倉の頃には何故神風が吹いたのか。太平洋戦争では何故吹かなかったか。大義名分がなかった。何を愚弄無視破壊し、組末にして裏切ってきたのか。知るべき時が来たのかも知れない。西郷隆盛の実像は誰も知らない。世に流布している肖像画は彼のものではない。神国日本扶桑古来大和に秘密がある。祖師西来意。生来意自覚成就。時が来て、秘密は解かれ、その閂が開けられている。黄泉自然が動く。年貢の納め時である。知らぬとはいえ、各々勝手が過ぎた。観念するしかない。それぞれこの世で処した人生である。犯した罪がある。首を洗って待つしかない。救われる方法はないのか。有る。それは何処にあるのか。真剣に探すが善い。真実は求めなければ得られない。日本は日本である。原爆の火を以てしてもヒロシマは根絶やしに出来なかった。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。旧約聖書の目的は庶民の解放だった。庶民とは暫く犠牲餌食に供された善良な庶民であった。昔より正直者のこうべに神は宿る。さて、どうするのか。「光あれ」は『創世記』の神だった。未来は明るい。何故か。仏の選択決定である。宇宙がその方へ動く。既に動き始めている。力のある言葉はロゴスである。力とは何か。作用して変えることが出来る何かだ。仏の周波数がある。動植物岩石も喜ぶ。開発するべきは何であったか。古来の宝は何であったか。宝の山が見えている。迦陵頻迦の声がする蓬莱山である。

2007年10月15日
現実回帰

何も怖れることはなかった 自分は自分で良かった

世間に染まる必要はなかった それに染まろうとした 染まれない自分がいた

それでいいのだった 得天に帆を揚げる 何が己の最も得意とする属性だったか

勉学だった しかし 何時の頃からかそれを怠った 過去からの続きだったのに

そして ウサギとカメになっていた 随分と居眠りしたようだ 無理もなかったのだが

それが十九の春だった すべては津波の如く押し流された 青春も人生も夢も

此の世で身に付いたことは 来世に持って行く 何を持って行くのか 善か 悪か

あまりにも中身のない人生を送っていないか カンニングで世に出て閥を成していないか 

真剣勝負でなければ何事も成就しない 真剣ではなかった 自信もなかった

そして 再び 自分に帰る 此の世で何を為すべきか 何を来世に持って行くのか

この視点が欠けていた 申し訳ないことだった 戦後その教育はなかったとしても

しかし 図らずも導かれていたのだったか 此の世で何を見つけたか 既に書いた

ロゴスは本当だった 黄泉が動く 気づけば生まれた時からそうだった 

善因善果 悪因悪果 思えば不思議な人生だった すべてをつまびらかにはしない

その必要もない 秘密は秘密で善い 古来大和の秘密もである

何時か誰もが至る その意味で平等である 一足先に歩んだか 未来へ

未来は明るい 何をふざけているのだろう 何を浮かれているのか それを自由と思ったか

此の世の草鞋銭は請求される 年貢の納め時が来る この世もあの世も変わりはしない

人生にゴールはないのか 魂の遍歴にゴールはないのか ある それは何か 仏性

学問を馬鹿にしたね 真面目を笑いものにしたね 地獄へ赴くがいい

しかし仏は一切大衆を救う 自己のためにしないことである 一切大衆のためにする

故に守護もある 事は成就する 真実は大衆のためにする 方便は自分のためにする

善良を餌食にしたね 犠牲は何時までも黙ってはいない 何時か仕返しに来る

それが因果応報であり 宇宙の法則だった テレビ界も財界も何時までも笑ってはいられない

既に犯した罪がある 何事も種がある 根絶やしには出来ない ヒロシマもである 古来大和も

ゆるして貰う必要がある どのようにしてであるか 仏のための故に

仏は大衆のためにする 仏のためにすれば大衆のためにしたことになる ここだ

悲しむ必要もない 悲しい涙も何時か涸れる 喜びの涙が遺るだろう

それでいいのである 明るい未来へ向けて歩み出そう 既に始まっている

明るい未来の建設である 誰もが楽しく幸せに豊かな暮らしが出来る時の方へ

ラジオの放送内容が変わった どの色にであるか 誰も知らない 知る人は知っている

諦めないことである 真実であれば何時か必ず実現する 一点を打つ 点が線となり やがて形となる

靴屋は夜毎に仕事する 朝になって立派な靴が並んでいる 鶴は自分の羽を織って恩返しである

さて 永い冬は終わったようです 人生の春ですね 何と永い冬だったことでしょう

就職した頃のある方から 永い冬は寒くはなかったですか その時以来の春でしょうか

現実回帰となったようです 宇宙からハルの帰還でしょうか 本当に長い孤独な旅は終わったようです


2007年10月14日
自由へ

諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教

人間である限り悪の結果となる 自分の力では逃れることが出来ない

唯 善業の因縁より出ることができる 善は仏さんの所にしかない

仏さんのことをさせて貰うことによって 懺悔となる 身心清浄となる

諸仏教の認めるところである 是より外に逃れる方法はない

私たちは彷徨っていた 地図を失っていた

誰かがその地図を見つけなければならなかった

何時の頃に失ったのだったか 明治維新だった

ペリー来航の故だった その後 それに乗じた天下だった

黒船が怖かったわけではない 背後にあるアヘン戦争が怖かった

彼らに何が邪魔だったか 古来大和の精神だった

その時 何を粗末にしたか 何を破壊したか 代々培われた精神だった

そして文明開化と称して 廃仏毀釈もあった 江戸無血開城も裏切った 

それで 第二次世界大戦もあった 大義名分のない戦いだった

それは後進国家による帝国主義列強に対する植民地再分割請求だった

さらに 戦後 それに拍車をかけた 得た自由を履き違えた

無神論者でなければ インテリゲンチャではない閥を作った

そしてどうなったか 腐敗が極まった 故に時が来た

孤独な旅だった 当然である 住める世界ではなかった

染井吉野は明治の突然変異だった 姿を変えて全国に散った

その花は四月に咲くのだった そして 何時か思い出すようにと

古来大和の精神は生きている 神仏は実在する 何時か復活する

その種は遺されていた 黄泉の守護し給うところだった

原爆の火をしてもヒロシマは根絶やしにされなかった

頼朝は伊豆に流されていた 家康は時を待った

400年周期説は旧約聖書に秘められていた 

その目的は 庶民の解放だった 庶民とは善良だった

商人根性は悲しい 自己利益のみを追求する 手段は欺罔だった

仏の願いは何だったか 一切大衆を救うことだった

此の世に生まれて何をしているのか テレビ及び芸能界は総懺悔である

それを自由と思ったか 自由とは何だったか 苦のない仏の境界だった

何をしているのだ 何をしてきたのだ 進むべき道を間違えていないか

古来日本は現存文明文化諸国家の中で最も古い 生きる英知が秘められている

エジプト及びローマの末裔はいない インドアーリア人もそうである 

ヨーロッパはゲルマン民族の大移動後のことである 

資本主義の基礎である金はインカから奪った それより金力による支配が始まった

中国は王朝が入れ替わっている 今頃になって孔子精神が復活しつつある

何に染まったか ゾンビ文化であるか 本来日本にゾンビは馴染まない

何処で道標を失ったのか 引き返せば善い そして 出発である

未来は明るい 明るい未来の建設である 誰もが幸せになって善い世界へ

神仏は実在する 人間が煉獄の火を通って神仏となる その種と自覚を要する

法華経宿王華一切種智慧 如来は如来でなければわからない

法華経とは何時か来る如来への地図だった 如来とは文字だった

即ち ロゴスだった そして証明がある 即ち 我が為に日月照らし風が吹く

美しい風景が待っている 広重も芭蕉もそうだった 見える世界が違う

すべての謎が解かれた 二千年来の物語が完結した 新しい始まりである

次に謎を解くのは誰か 代々の君が代 神国日本に秘密がある 神々を悲しませないことである

古来戦が絶えない 強き者がその力で従えていこうとする 今もそうである

戦法は集団重装歩兵から空爆及び原爆を通ってテロとなった 凡そ出口が見えない

ベトナム戦争ではゲリラだった アメリカが屈したのはジャーナリズムによる世論形成の故だった

その前には フランスのレジスタンスもあった アラブによるテロもその性質を帯びている

勿論 海賊行為は犯罪であり別論である 主権或いは人権に基づく抵抗権の発動ではない

明治の頃には西洋列強の帝国主義的植民地支配があった それも市場利益支配のためだった

その手法を踏襲して 日本も世界に挑んだ 勿論その手法では勝てなかった

しかし 日本の精神は 玉砕或いは散華だった それ故無条件降伏した それで救われた

今 金力による支配であるか 既に本来の資本主義とはいえなくなっている

こうした弱肉強食支配が何時まで続くのか それが生命としての進化の方向か

であるなら ますます 時代は悪くなる 既に どうにもならなくなっている

ここに気づくべきではないか ここより逃れる方法はないのか ある それは何か

平和主義及び戦争放棄は原爆を通っての一つの未来へ向けての選択である 堅持するべきか

誰もが仲良く幸せに暮らす その敵は容赦しない それが社会契約である

それなのに 今日もタクシーが勝手な運転をしていた 小さな違法もその精神が善くない

遵法精神は社会契約を結んだ市民としての当然の義務である テレビ界も暴走族である

どのようにして世界平和を実現するのか 権力、武力、金力では無理である

既に歴史が証明している 何を以て実現するか それが問題である

国際文化交流を以てする それを仏さんの所で聞いてきた 先ず相互理解だ

そして それぞれの良いところを持ち寄って 誰もが豊かに幸せになる

本当の幸せって何だろうね 好き人間関係 その為に必要な事って何だろうね

一切のもののお供養であるといっても にわかには わからないね

しかし それにしても 世の中はどうなっているのだ こういう事とは知らなかった

いい加減な仕事をして 人が知らなければ騙して 素知らぬ振りである

相手が弱いと見れば何処までもつけあがる 勝手し放題である

何時までもそれが通ると思ったか そうはいかない 何故か

仏法は必ず勝つ 王法は必ず儲けるという 仏法を得ての故か 王としての故か

何を勝手しているのだ 仏法は王法に冥し 王法は仏法と合した どういう意味か

わからないね わかる訳がない それ故にいう 何をし来たるか 象牙の塔の中で

これより容赦しない どうしても自覚できないものがあった 自信もなかった

しかし 父を知っている 祖父を知っている 何を知っているというか

武士道は死ぬこととみつけたり 決闘は後から撃っても勝てる 何故か

勝敗は神仏の決するところであるからである 既に人生も青春もない 今更である

勝負するのかしないのか はっきりするがいい 勝手が過ぎたといっている

何を思い上がったか どれほどの実力有っての勝手であるか 答えるが善い

おぃ 羅刹か 大丈夫か よほど空腹と見える よほど裏切られたか 黄泉がついている

今も昔もだ そうであったであろう それでいいではないか 月が笑ってるぜ

これより時代が代わる ご苦労だった よくぞここまで至ってくれた たいへんだったな

お前は十分に使命を果たした 大きな仕事をした お前にしかできない仕事だったのだ 

済まなかったな もういい もう重荷を下ろすが善い 自由だ

さて いくら能力があっても幸せになれない 何故か

昔 仏様の平和で豊かで幸せな時代があった

こころない人間が 自分たちの都合で それを壊した

それで いくら能力があっても それが発揮できなくなった

自分でしたことが自分に帰ってくる それが 悪業の因縁である

それをそのままにしていた そして 増幅された どうしようもなくなった

自分の力ではどうしようもない どうすればいいのか 仏様の教えと 仏さんのものを

故に還す それしかない それが 善業の因縁より出でたり 懺悔である

そして その教えを世の人々に伝える それでその人が必ず救われる その時 徳業となる

善は仏さんの所にしかない 真実と方便がある 真実は証明がある 方便にはない

それは 何処にあるのか ここではいえない 縁があれば出会える

そして 安楽が待っている 絵空事ではない そういうことが現実となった 時が来たからである

何故か 仏の故である 私が孤独な月の砂漠を彷徨って見つけた宝である

ところで ついさきほど 地震がありました

平成19年10月14日23時44分 気象庁地震火山部 発表
14日23時38分頃地震がありました。
震源地は島根県東部 ( 北緯35.4°、東経133.2°)で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は3.8と推定されます。
各地の震度は次の通りです。
なお、*印は気象庁以外の震度観測点についての情報です。

鳥取県 震度3 境港市東本町
震度2 米子市博労町 米子市東町* 日吉津村日吉津*
震度1 米子市淀江町* 境港市上道町* 大山町国信*
日南町生山* 鳥取日野町根雨* 鳥取南部町法勝寺*
鳥取南部町天萬*
島根県 震度3 松江市美保関町下宇部尾*
震度2 松江市美保関支所* 松江市八雲町西岩坂* 松江市八束町波入*
安来市安来町* 安来市伯太町東母里* 安来市島田町*
東出雲町揖屋町*
震度1 松江市西津田 松江市西川津町* 松江市末次町*
松江市島根町加賀* 松江市宍道町昭和* 安来市広瀬町広瀬祖父谷丁*
安来市広瀬町広瀬* 雲南市加茂町加茂中*
岡山県 震度1 真庭市美甘*

この地震による津波の心配はありません。


2007年10月13日
それならそれでいい

そして 時は過ぎた 知らぬままにだった

何時か気づくのだった 何に気づくのだったか

此の世の不思議だった 或いは不可思議だった

誰も知らないままに 何処へ赴いていたのだったか

それに気づく時が来るのだった そして それは確信に

私たちは何故此の世に生まれたのだったか

永い魂の遍歴の一部だった 此の世で何をするか

私たちは何をしてきたのか 何をしているのか

せっかく此の世に生まれてきた その意味を

知らないなんて 勿体ない話だね

それでも 誰もが これで良いと思っている

そうだろうか 此の世は地獄である 

それで良いと思っている そしてそれが自由だと

悲しいね 寂しいね 哀れだね それでいいのだね

それならそれでいい だけど 天国はある

それは神々の世界といえる 神々はいるよ 

自覚することで神となる すでに神であったことを知る

生まれながらに それを知らない 無理もないね 種がない

コルト・レーンは何を求めていたか 神のような存在だった

宇宙とは何だったか 自然とは何だったか 

生命とは何だったか 黄泉とは何だったか 

真実とは何だったか 何も知らずに此の世を去るか

愚かだね その愚かさを知らぬが故に 畏れを知らない 

そして勝手する 何時までも通りはしない 上には上がある

此の世に生まれて何をしているのだ 時は進んだ 時は待ってくれない

此の世で何を見つけるか 代々培った精神がある それは何か

今の己に満足か 知足致知 何を知るのか ふざけるのもいい加減にする頃である

テレビ界及び芸能界並びに財界経済界 ただでは済まぬ 勝手が過ぎた

C・ウィルソン「宗教と反抗人」
仏陀もまた人間は自己の道徳的福祉に関しては唯自分一人が責任を持つと考え、さらに彼仏陀を神託として受け取るな、唯、己自身の道を見出すための先達として仏陀を利用せよと警告している。
人間にまつわる最も重大な事実は自己を変える能力である。アウトサイダーとは、おのが自身の複雑性と、彼を条件付け、彼の同一性を歪めようとする文明とに対する支配力を獲得しようと悪戦苦闘する人である。
人間は天使と同様に神のあらゆる能力、神の七つの霊全てから造られたものなり。しかしながら人間は現在腐敗せるがゆえに神的なる働きは常にその力を開示せず、人間のうちに活動することもない。それは人間のうちに湧き起こり、仮に照り輝くことがあろうとも、腐敗せる性質には不可知のものなり。
人生は戦いだ。絶えまない精神的戦闘である。
アウトサイダーは尨大な精神的努力によって神秘家へと成長する。これは自己の人生を戦闘状態と化せしめ、戦闘に必要な頭脳の緊張を保って生きることによって為される。神秘家とは高度の知識と活力を持つ人間にすぎない。
おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない。
詩人は誰でも人間の真価は当人の感情的体験の深さによって決められるということを知っている。自分自身と次には世界とに対する支配力を人間に本当に与えてくれるのは自分自身に対する深い洞察に他ならぬ。
アウトサイダーは神の存在を認めた。その神とは人間のうち自然のうちに作用している或る力であり、意識をもった如何なる個人の目的より大きな或る目的である。
脳の活動は心臓の鼓動や血液の動きとではなく呼吸と調子を合わせたものである。
真理とはそれを把握している人間の精神的強烈さなのだ。
宗教は到達点ではなく途上の休憩所にすぎない。
精神は神による物質の完全な征服をめざして苦闘する。
神々と英雄の行動はある不変の法則によって予め決定されている。
如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。社会の背後にあって社会を動かす力となるべく勤めること。他人の中で一つの力となることによって他人のために力を獲得してやること。
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである。
真理は主体性なのであり、従って自己に集中することによって真理は達成される。
文明はその死活問題として宗教を必要としている。人間の能力が人間の宗教に勝るようになったとき文明は崩壊する。
何事かを為そうとする意志は、それがどうしても必要であるという確信によってもたらされた或る強烈度に達すれば、その何事かを為すための新しい組織を作り出し編み出すものなのである。
自分一個の人格よりも大きな何ものかによって駆り立てられている人。
真の宗教とはあらゆる人間のための標準として、詩人や賢者の最も深遠な洞察を認めることに他ならぬ。
どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。
人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。
全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり。


2007年10月12日
本当の幸せ

さて、十日、十一日と仏さんの所で行をさせて貰いました。そして気づいたのです。この人生って何だったんだろうって。人間として生まれて、善いところも悪いところもある。接する相手は自分の鏡。こちらの状態がそっくり返ってくる。よほど悪いものがあったようです。それで悉く壊してしまっていた。自分自身さえも。その修復の頃です。そして世界が変わるのです。自分が変わることで見える景色も違ってくる。そして何時か夢に見た世界が訪れるのです。周りはすべて笑顔に満ちて豊かであり、明るく楽しく幸せな日々を暮らしている。あたかも春の暖かさの中で蝶が舞うように。そうした境界も開けるのです。そうした世界を垣間見ています。その可能性も。その方法も教えて貰いました。するしかないですね。実現するしかないですね。所詮人間、他の犠牲の上で生きている。そのゆるしを得る方法もある。実践するしかないですね。これしか救われる方法はないのです。確信するところです。此の世で為すべきことが多い。ベートーベンのいったことでした。『喜びの歌』が歌えるその日まで。仏とは何だったのでしょうね。自由だったのです。私の求めた道は虚妄ではなかった。此の世に実現可能な世界だった。実現したいですね。自分が変わることで世界が変わる。権力でも武力でも金力でもない。唯法力のみと。仏の故の神力です。宝の蔵は見つけています。宝の中の宝も見つけています。そして仏はすべて譲ると仰っています。汝取って服すべしと。一人では取れないのです。仲間を集めることに致しましょう。自分が変わることで仲間も変わってくるのです。此の世で自分は変わることが出来るのです。どうしようもない悪から善の方へ。しかし、自分の力ではどうにもならないのです。そういったものがあります。いくら直そうとしても、痛い目に遭うことはわかっていてもつい魔が差す。そういうことは有るのです。そしてここから逃れる道が一つだけ有るのです。それが「善業の因縁より出でたり」。善は仏さんの所にしかない。自分の力ではどうしようもないものがあって、どうしても悪を為し、罪を犯す。それが人間です。それを哀れに思われて仏さんが救いの道を遺していて下さった。歩むしかないですね。親鸞は仏は唯自分一人のために法を説くと言いました。悪人正機説もこの意味で理解できますね。人間である限り、罪を犯す。それを責めるのは簡単です。しかしそれで何が解決するのでしょうね。悪から善へ変わるしかない。どこまでも自己一身の問題だったのです。そうしたことに気づきました。人生も青春も失ったかに見えた私の人生は無駄ではなかったと安堵するところです。ここに一つの確信があります。お伝えしたいところです。誰もが幸せになって良い。ところで、禅の奥義に、ある人がそれを尋ねて、それに対して、その人を竹藪に連れて行き、背の高い竹もあれば、低い竹もあると告げたというのがあります。わかりますか。それから、やはり禅で、自分は何者かという問いがあって、それに対して、どうにもならないものですというのがありました。これは、どうにもならない悪いところがあるということですね。直そうとするのですがどうしても直せない自分がある。此処に気づくことが始まりですね。自分でどうしようもないところを救ってくれるのが仏です。そして信が始まる。自分の利益を追求する限り、此処に気づけない。どうしても自分の思い通りにしようとする。人間関係は壊れる。事態は収拾できなくなる。どんどん不幸へ進んでしまう。自分のことは一番後だったのです。先ず人の利益を考える。それは廻向する。どうしようもない自分と気づけば、仏に帰依する。それが南無ですね。そして懺悔の意味を知る。自分が壊してきている。知らずとも。それで、それを修復していく。それは仏の教えに従ってする。そこに我見を挟まない。我見である限り失敗する。それで失敗してきた。自分ではどうしようもないのだから。やがて修復されていく。そして人のためにするのだから、徳となる。天徳も積める。何時しか安楽となっている。豊かになっている。幸せになっている。人を救うことも出来るようになる。こうしたことに気づくことが始まりだったのです。此処に気づけない限り何も変わらない。そして善い方へ変わっていくのです。そうしたことだったのですね。仏は有り難いですね。それを粗末にしてきた。廃仏毀釈って何だったのでしょうね。さて、性善説と性悪説があります。永遠の謎のように思われていました。どちらが正しいのかわからないのでした。そして思うのです。人間である限り、どちらも正しい。そのままでは性悪説です。性悪であることを自覚して、仏の教えに従って現実に修行することで、何時か性善へ至るのです。至り着けば仏ですね。その時、自由です。即身成仏はあるのです。生きて仏を知ることが出来るのです。これ以上の夢はないですね。何時もわくわくしていることが成功の条件のようにいわれます。しかし、お金を儲けただけでは、あらゆる不安の払拭はありません。本当の幸せではありません。そろそろ気づく頃です。本当の幸せって何でしょうね。見える風景が違ってきます。集まる仲間も変わってきます。人生各駅停車。ひとつひとつ解決していくしかないですね。こうした旅も楽しいものです。生きていると実感できます。自分が変わっていく。どちらへであるか。性善であるか。性悪であるか。どちらの道を選択しますか。それでも無神論を説きますか。そして恐ろしい事実があります。どうして悪を為してはならないか。亦、どうして此の世の中がここまで殺伐としてきたのか。「一切の邪見生死に壊敗せられず」ということです。これはあの人は焼かねば直らないとかいいますが、焼いても直らないということです。自分の持っている性分は死んでもあの世に持って行くのです。生きている間がそれを修正できるチャンスです。世のリーダ諸氏及び学者並びに教育者諸氏、そして世の大人達に告げます。どう生きるべきか、真剣に考える時です。時代はあまりに腐敗しました。何故でしょうね。腐敗の根本に対する認識及び処方がなかったのです。そのままにしてきたのです。そして腐敗が増幅した。テレビ界及び芸能界は猛反省するべきです。何を面白がっているのですか。国民をどちらの方向へ導いているのですか。それが自由とでも思っているのですか。自分がどのような自分であるか、自分が一番よく知っていますね。政治家もその例外ではありません。このままで良いのですか。やさしさですべては解決する。そのやさしさは、善い方へ変わった結果です。その時、動植物岩石も喜ぶ周波数を帯びている。それがbeingです。仏性です。諸天善神です。神仏はいます。何時の世も。あなた方が知らないだけです。根絶やしには出来ません。原爆の火を以てしてもその種は黄泉及び三世十方の諸仏の守護するところでした。何を一喜一憂しているのでしょうね。永遠の幸せって何でしょうか。本当の幸せはあるのです。善の方へ切りかわればいいのです。唯、自分の力ではどうしても切りかわれない。仏さんに助けて貰うしかない。方法は教えてくれます。守護もあります。それだけでは何も解決しない。実行実現するのは自分です。日々の思考と行動です。そして何時か花と咲き実となる。どのような実がなっているでしょうね。お楽しみはこれからです。これから世界が変わります。何故でしょうね。或る自覚があったからです。日本の基が変わります。それは或る意味で日本国憲法プログラム規定成就です。誰彼悟ればいいというのでもありません。一箇ということがあるのです。不思議ですね。古来大和代々の秘密です。その種があったのです。暫く眠らされていた。それが自覚したのです。今にわかります。何時かわかります。眠れる森の美女です。糸車の針は抜かれました。或いはビーナス誕生です。それが仏の宣言でもあるのでした。創世記の光あれです。それより新しい宇宙の時計が刻み始めるのです。ゴールは見えています。それが生命現象の秘密でもあります。時代は新しく選択され、プログラムされました。新しい時代の始まりです。既に始まっているのです。見えますか。聞こえますか。私たちは秋芳洞に棲む目のない魚に等しい。真実に対して。風の音にぞ驚かれぬるです。すべてはサインです。幸せへの道標です。自分が変わることで世界が変わる。見える世界が変わってくる。聞こえる音に意味がある。その時その時の知恵が生まれる。それが生きているということだった。大自然の恵みの中で幸せに豊かに生きてゆけるのです。それを利益の故に壊していた。知らずにね。しかし経済界財界の罪は罪ですね。修復ですね。未来は明るい。明るい未来の建設です。時代は切り開かれました。目的が定まりました。モーゼの杖はつかれたのです。彷徨える時代は終わりました。躊躇傍観している暇はありません。あまりにも腐敗しています。いざ、進まん。自覚している方々も多く出てきておられます。合い言葉としてのサインは美しい目の輝きです。同じ輝きでも狡猾な輝きではありません。ご用心。 ところで悪事千里を走るといわれます。不思議ですね。いつか嘘はバレル。どんなに上手に嘘をついても。『太陽がいっぱい』のテーマもそうだった。天網恢々疎にして漏らさず。始めから正直が良いよね。正直者のこうべに神は宿る。神力って何だろうね。人間の力の及ぶところではない。だけど自覚を要する。神も騙される。しかし後が怖いよ。黄泉自然が動く。触らぬ神に祟りなし。ところで小学校低学年のことだった。学級花壇を作ることになって、植木鉢、バケツ、移植小手等、それぞれ持ってくるようにということだった。私は無理してすべてそろえようとしていた。一人一つで善かったのだった。勉学に勤しんでいた時もそうだった。すべての学科に十をそろえようとしていた。何れにしても完璧主義者だったか。そうして悩みもすべて背負ったのだったか。何の因縁だろうね。何を背負っていたのだろうね。何を担いでいたのだったか。そして何時しか壮大な夢を描いていたのだったのかな。それは何だったか。仏法だったのかも知れない。或いは哲学だったのだろうか。それ故であるか、人生も青春も壊していた。しかし思う。それも何ものかに支配されていた運命だったと。そしてそうした重荷を下ろす時が来たようだ。身軽になって良いと思うようになってきた。自由である。あらゆる事を背負おうとした。自分にわかることは人にもわかるだろうと思っていた。そうでもないようだね。その間、騙されもした。利用もされた。自分からは請求書を書けなかった。そして経済的に逼迫もした。それでやっと、自信と自由を回復するのだった。本当の気楽さがわかってきた。相手にしなくて良いものを相手にしていたようだ。これから、本当の幸せを目指そうと思う。それで善かったはずだった。その能力も賦与されていたはずだった。随分と回り道したようだ。道草ではなかった。成仏にも色々ある。無知の成仏もある。仏さんの言われることをそのまますれば成仏できる人もある。禅の悟りもある。禅は自ら仏法の大学府とする。レベルは高い。唯、禅天魔となる虞があるのは、民主主義が衆愚化するに等しい。そして、禅も在家禅となったか。苧坂光龍老師の流れがそれである。一を聞いて十を知る者でなければ禅はわからぬといったのは山田無文老師だった。難病奇病が多い。生まれながらの障害もある。何が拍車をかけたか。利益追求ではなかったか。何億年もかけて進化した遺伝子を壊している。環境も破壊した。今に戦争及び殺戮を繰り返す。人間がどれほどのものか。人間の真理に対する無知及び思い上がりはどうしようもない。一切の邪見生死に壊敗せられず。唯、善業の因縁より出でたり。もう良い。エルトン・ジョンのgood-bye yellow brick road が懐かしい。この曲を以て彼はアメリカを去って母国に帰った。キキ・ディとの恋もあったか。彼は王立音楽院卒だった。花の色、うつりにけりな青春の、あさき夢見し、酔いもせず。 Take it easy, do it yourself. しかし、カクネンムショウって何だろうね。日月照らし風が吹く。体験して知るしかない。本当の幸せって何だろうね。本当の救いって何だろうね。大学受験の頃には『定本種田山頭火句集』を小脇に抱えて彷徨っていた。そしてここまで彷徨った。何を求めていたのだったか。お金でも恋でもなかった。名誉でも地位でもなかった。それらは過去に既に通り過ぎていたのだったのだろう。何を求めて生まれていたか。私の歩んだ道だった。そして新しい時を迎えた。歴代の約束もあったのか。常に孤独なパイオニアであったのか。完走したのかも知れない。卑怯怯懦で浮かれた時代に馴染めなかった。青春のまま最終ランナーだったのかも知れないね。


2007年10月11日
仏道

人生は螺旋階段のようなものだね

それぞれの段階で それぞれ見えるものは異なる

今 何を見ているか 何が見えているか 何を感じているか

仏と出会って 直接何かを感じる それが正見である それ以外は邪見

過去より 人生を織りなしてきた どのような結果を見ているか

人生は綾なすペルシア絨毯のようなものだとしたのは 五木寛之『燃える秋』だった

恋をする それを繰り返してきた 人生はカニが餌を食べているに等しい テレビ界がそうである

それを繰り返してきた 空しいね 此の世のことはあの世へ行っても変わりはしない

そして再び此の世に帰ってくる その時 亦同じ自分であるか それで満足か

私たちは進化している 魂として どのような自分に成りたいのだろう

或いは 成りたかったのだろう 人間として生まれている 何を為すべきか

腐敗堕落が人生と思っている 諦めている 違う 此の世で何を為すべきか

世間虚仮 唯物是真は 聖徳太子だった

皆 幸せを求めている 本来の幸せって 何だったのだろう

それぞれに罪を重ねている 生きること自体が罪でもある

命を食して生きてゆかねばならない 誰かを犠牲にして生きている

そして 時代は此処まで辿り着いた 真実とは何だったか

変わるものと変わらないものがある 真実は変わらない

私たちは何を求めて来たのか 戦いがある 戦いがあった

本来制するべきは何だったか 自分自身だった

救いとは何だったか 概念ではない 空論でもない 画餅でもない

この世で現実に救われる道はないのか 有る

それは何か 偏に仏道だった

衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏なり

それが現実化するかどうか 時代の流れは今どのようであるか

仏の真実が顕されて久しい 宇宙は仏の宣言でその方向が決まる

黄泉自然も従う力がある 仏は何を宣言していたか

私たちは人間である限り間違う 間違う私たちがどのように生きるか

それを教えとして遺して下さっていた それを実践するしかない

此の世の中にはどうにもならないものがある 因縁である

それより逃れることは出来ないのか 自分の力では出来ない

その方法はないのか 有る それは何か 偏に仏の威力だった

善因善果 悪因悪果 気づいているだろうか 

かつては日々の行いの結果が出るのに時間がかかっていた

今はどうか 結果が出るのが早い 仏は急いでおられる

このままでは ますます此の世は地獄となる 腐敗は極まった

早く きれいになりなさいと その為にはどうするか

仏の説かれた道がある 一歩も出てはならない この道しかない

その道を遺しておいて下さったのだ それが仏道だった

知るべき時が来ている これより他に道はない 

この道をはずしては証明はない 

昨日は双十節だった 空王仏の時代に 二人の仏が出逢った

そして決めたのだった これから 仏として大衆を救っていこうと

大衆を救うとはどういう事だったか 此の世の地獄から逃れる事だった

その始まりの日である 仏としての出発の日だった

どのような自分に成りたいのか 或いは成りたかったのか 決める時である

本当の笑顔はどこから来るか 真実の教えに出逢ったところから来る それは何か

人生は真剣勝負である そうでなければ何事も成就しない

自分は何をしたいのか 何をしたかったのか 此の世に生まれて

経済行為だけが目的であるか 寂しい人生だね それでは苦しむばかりである

一切大衆を救うと仏は仰る これ以上の人生の目的はない そして

それこそが救われる道だった どの道を進むのか 大きな岐路である

日本としてもである 未来は明るい その為の条件は何か すでに仏道は開かれている

ついて来るのか来ないのか ついて行くのか行かないのか 私たちは問われている

真実の救いはある それは何か 仏道だった 仏に嘘はない

歴代の魂が探していた道だった 空海もそうだった 道元も一休もそうだった

そして見つからないままだった しかし 時は流れた 或いは時が満ちた

時は今である その教えがあった 何処にあったか 探さないか

どのような夢も実現できる力を秘めている 成りたい自分になれる教えである

救うのは仏ではない 仏は教える 導く 助ける 実行するのは何処までも自分である

思考は現実化する それは意思である 決定である 何を決定するのか 自分はどう成りたいか

このままでは滅びる この世の腐敗傾向は既にその先を示している 何をしているのだ

何を浮かれているのか 何をしてきたのか あらゆる経済界財界指導層及びテレビ界の罪がある

何を愚弄無視破壊し 粗末にし 裏切り 勝手し来たる哉 そして此の世はどうなったか

責任はとって貰う 何時までも素知らぬふりをさせはしない 卑怯にも程がある

しかし所詮自己責任である 仏は困りはしない 困るのは私たち人間である

自然の一部としての我々であろう バイオなど信じているのか ここ数十年に何をしてきたのだ

核融合がどれほどのことか 自然を敵にして勝てると思ったか 自然を征服できるか

何を思い上がったか その報復の時を迎えている 我々は何を選択するべきか

持って生まれたものがある それを開花させる そして実となる それを来世に持って行く

何を持って行くのか 此の世で何を見つけるか 此の世は過去を修正するチャンスである

そうであるのに 経済界財界及びテレビ界は何をしているのだ 何をしてきたのだ 何を破壊したのだ

何れにしても 明るい未来が見えている 誰もが幸せになれる お金ではない 

明るい未来の建設をするのは私たちである 腐った世の中に未練はない 腐った大人に用はない

枯れ木に花を咲かせる 自分以外の花は咲きはしない 何を思い上がったか 何が蔓延ったか

容赦しない 時代は淘汰される 各々の人生である 他を恨む事勿れ 持って生まれた己の花が咲く

人生とは螺旋階段のようである 或いは宝島であるか 誰もが宝と信じた何かを探している

ある人にとっては成功 またある人にとってはお金 地位 名誉 政財界財界は利益だった

故に それぞれ責めるべくもないのかも知れぬ それぞれ一生懸命だった 結果失敗としても

そして本当の宝は何であったか 蓬莱山は何処にあったか 悪銭ではどうにもなりはしない

その宝の山を見つけている それは何だったか 一人ではとれない とって服せない

その宝はどのようにして見つけることが出来るのか 即ち身心清浄正直 未来に伝えるべき宝である

それは知性である 感性である そして仏の威力である 何を此の世で見つけるか 人生は楽しい

しかし それをそれとして認識するに至るにどれだけの試練を要するか どれだけの知性を要するか

代々の遍歴の結果でもある 持って生まれたものとはそれである 感謝するしかない

因って世を恨む必要はない 宝は取り放題となった 此の世はこれからである 諦めないことである

地図はある その地図を何処に発見するか 世間の欺罔に負けないことだ 強く生きることだ

その強さとは何であったか 嘘と暴力は滅びる 人生は戦いである 何と戦うのか 何を護るのか

来世はある 来世は此の世で決まる どう生きるか テレビ芸能界など相手にしないことだ

公衆の面前で何をしているのだ 小屋に帰っては如何か 衆目の前で何を開陳しているのだ

世間及び善良な子供達を惑わすにも程がある 結果 何が思い上がり蔓延ったか

世間は何を以て利益としているのだ 地獄行きは決まっている 

お世話をすることである 何のお世話をするのか 宇宙自然生命黄泉及び祖先のお世話もある

自己利益だけ追求するが良い ラスコリーニコフが笑っている 世の中 何を彷徨っているのだ

何か失われた大切なものがある それは何か 利益追求で何を見失ったのか

身分に安住して 何を惚けているのだ 此の世に生まれた意味は何だったのか

私はそれを見つけている 私のテーマだった そして 満足している 現実はそぐはなかった

それも試練だった しかし確かなものを見出した これを以て勝利とする 

心の大地は切り開かれた そうした人生を生きた 試練はあった 黄泉との契約は果たした

子供の頃から私の人生とは何だったのか 自分のことは自分でしかわからない

私の人生を仕上げる頃となった 私は何をしたいのか 或いはしたかったのか

これまでの旅は無駄ではなかった 私は見つけている 確信している それは何か

もはや容赦しない ヒロシマは原爆の火を以てしても滅んではいない 古来大和の精神もである

しかし 何もかも失った 安易な道ではない 歩み通すことである そして安楽がある

そして 神を悲しませないことである 代々神はいる 神を悲しませるとどうなるか 


2007年10月10日
世界の中の日本

世界の中の日本である。世界の中で重要な地位を占めんとする。鎖国はよくない。世界の流れに乗らなければならない。そして使命がある。それを自覚する。古来日本の価値がある。それを以て世界平和に寄与することが出来る。世界の中で重要な地位を占めることが出来る。反省するべきは反省する。反省とは同じ轍を踏まないことである。そして個々の暮らしの豊かさと幸せを求めていく。その為に障害があれば、戦う必要がある。どういうことか。既にアラブとの戦いの中にある。これは過去からの十字軍の因縁であるか。現実は現実である。どのように対処するべきであるか。根絶やしにしようとする考えが良くない。原爆の目的もそうだった。しかしヒロシマは滅びはしない。アラブはアラブで存在して良い。何故アラブがこれほどまでにテロ化したか。根本原因は何か。メジャーによる石油支配ではなかったか。国際平和のためにアラブの実存を認める。そして共存する。積極的に攻めてくるなら容赦しない。対立の原因は何であるか。それを見きわめて処方すればいい。アラブも納得するはずである。世界を民主化することとアラブを根絶やしにする考えは次元が異なる。後者はむしろホロコースト的ではないか。世界各国平和共存の中で、自由な経済活動をして、国際文化交流し、皆が豊かで幸せであれば良いのではないか。そのように思われる。侵略は良くない。お互いに。こうしたビジョンのもとに、世界平和を目的として、時限立法的に必要であるのなら、インド洋での燃料補給も意味がある。問題は何か。和を以て尊しと成す。その為に考え工夫するべき事がある。


2007年10月09日
導かれていた

限りない可能性を秘めて生まれていた

しかし 十九の春は あまりにも酷だった 

それは津波の如く すべての夢を押し流した

その後 細々と生きればよいと思っていた

しかし それもできなくなっていた 導かれていたのである

何処へであるか 今思えば すべて 道標 だった

私は 私を諦めない 咲かせるべき花がある 内実より輝く

この世は過去からの魂の遍歴の一こまであることに気づくに至った

この世に生まれた意味は何であったか 過去からの夢の実現過程だった

その為には 過去からの罪をあやまらねばならなかった

時代はどのようであったか 世間はどのようであったか

それに 染まるわけにはいかない 自分が自分となる

世の中は 何を切望しているか 知性の復活だった

賢聖(げんじょう)ということだった そうではなかったか

真実の教えを探していた あらゆる書物を渉猟した

そして 真実とは何だったか 世の中を救う力は何だったか

知るに至ったのだった 無駄に歳を重ねたわけではなかった

私は導かれていた ここに至らねばならなかった そして至った

真実とは文字だった それは文理真正の文字だった 仏の宣言の故だった

それが宇宙の始まりの秘密だったのだ 即ち 日月照らし風が吹く 黄泉も従う

これが亦ロゴスだった 誰も知らなかった しかし既に伝えられていた

世の中を救うのは 仏の故の神力である

至るべきは 此処 だった それは 喜びの歌 だった

学者レベルの仮説及び概念の相対的遊びではない 存在及び真実としての絶対的自覚認識がある

既に開発した力がある 既に垣間見た世界がある それは何か

草薙の剣 大安心の極楽世界 或いは天国 地球ヘブン=魂の王国 

21世紀の約束心の大地は切り開かれたのである 孤独月の砂漠の旅は終わった 帰還合流である

それは代々伝えられていた絶対音楽としてのクラシック世界の奏でる音の世界でもあった

昨日の朝 NHK-FMではベートーベンの『第九』をしていた

今までになく 明るくて軽やかな演奏だった 時代は進化している どの方へであるか

NHK-FMも廃止しようなどという大臣がいた どのような感性をしてのことだろう

この世は魂の遍歴の一こまである 代々培われてきたものがある 悉く壊したね

何を裏切ったのか 何を粗末にしたのか 尚刃向かうか 

この世は宝島であるか それぞれ何を宝と思ったか お金だった

それも仮の宝に過ぎない 本当の宝とは何だったか

文字だった 祖先だった 人だった 開発するべき力だった

その力は持って生まれたもの 気づくまでは埋もれてる

気づいた時 はじまる 光あれ は 『創世記』の神だった

この世の秘密 宇宙の始まり 仏が仏となって宣言する そして始まる

それが第一義 やがて人がそれを利用する 知らずとも

そして 何時しか 悪となる それが人の定めだった 人間の限界だった

小林秀雄もいっている 分を超えんとして越えることが出来ずと

神もいる 仏もいる それを知らないことを以て否定した そして勝手した

正法 誰もが素直に信じていた 像法 伽藍と仏像で信じることが出来た

今は末法 誰も信じられなくなった そして 何が真実であるかわからない

そして 勝手する 悪くなるばかり 恐怖悪世となった かつてアトピーはなかった

それでも 何とかしようとしている 何とかなると思っている

どうにもなりはしない どうにもならないところに来ている 方法はないのか

有る それは何だろう 終わりは始まり 第一義にもどる それが仏だった

私たちは 一つの終わりを迎えたことを認識しなければならない

そして 新しい始まりの建設である 未来は明るい その未来へ

何故 明るいのか 宇宙の始まりがあった その方法がある それは何か

この世に生まれた意味は何だったのか 何を探すべきだったか 何を開発するべきか

法華経宿王華一切種智慧 仏の周波数がある 自覚して始まる高度思念力である

新たな戦いである 敵は己自身の中に棲む悪魔である それに勝利してどうなるか

王 髻を解いて 与えるべきものがある それは何か 即ち 日月照らし風が吹く

理論はわかった これからである 真剣勝負である 行じなくてはならないものがある

新たな始まりである 真実の城は見えている 進むしかない これからである

世の中 実弾が飛び交っている 負けないように 犬死にしないように 

世間は浮かれている 一休髑髏である ご用心 時は代わった その理由がわかるだろうか

世間は虚仮である 地獄である 火宅である 恐ろしい世の中である 善良が餌食犠牲となった

故に 選択するべきは何か 唯仏のための故であるか 私は私を確定する

人間である限り 限界がある それを知らなかった 仏の威力を知らなかった

これより換骨奪胎である 本来求めるべき花は何だったか 花は何処へ行っていたのか

私は甘えていたようだ 何を期待していたのだろう 凡そ不毛であった 

確定すべきはコギトエルゴスム 高度思念力を以て このまま埋もれているわけにはいかない

独座大雄峰 存在することで意味がある 即ち being  それが代々の使命であるか 

祖父もそうだった 父もそうだった 自由とは何か 何者にも支配されない 寿である

制度も後からついてくる 「僕の前に道はない 僕の後に道は出来る おぉ神よ 自然よ」

水戸黄門とは何だったのか 大日本史編纂 古事記以来であるか 水戸を一歩も出てはいない

呉市の歴史の記録がある それは何を意味していたのか その意味を誰も知りはしない

私はそこに何を見たか すべての謎は解かれ終わっている 疑うか わからぬからであろう

云えないことがある 云う必要もない 故に秘密である 黄泉及び祖先との約束がある

自分が自分となる 咲かすべきは己の花である 埋もれていた それも黄泉の計画であったか

古来日本の精神が失われつつある それは強きが故のやさしさである 即古来武士道大和魂

商人根性の与り知るところではない これで良いのか 何が蔓延ったのだ ゆるしはしない

本来獅子吼 脳裂百雑砕 申し訳ないが 古来大和神国日本の秘密がある 各々勝手が過ぎた

眠れる獅子たちの目覚める頃を迎えた 戦後六十年 眠らされていた 維新以降のことである

覚悟するべきは覚悟するべし 商人根性の天下は終わって貰う 嘘が多すぎる

明日は 十月十日 双十節である 昔 ソウの國で エトク菩薩とレイトク菩薩が出逢った

そして約束した 菩薩道を成就した これより仏道を歩もう 多宝仏様と釈迦牟尼仏様だった

釈迦牟尼仏世尊は教えを説く 多宝仏世尊はその教えが真実であることを証明する 涌現する


2007年10月08日
自信と自由の回復

「汝自身を知れ」はソクラテスだった。それは亦禅の目的だった。知った自分自身とは何だったのか。秘密に属する。古来大和の秘密である。昨日の朝、NHK-FMで能をしていた。応神天皇とケイテイに関するものだった。あれは何だったのか。白露とは何か。どうでもいい。問題は自覚だった。何を自覚するのか。何故ここまで彷徨ったか。何を期待していたのか。水は高いところから低いところに流れる。しかし誰も私をわかってくれなかった。自分で自分を開発するしかなかった。何処にもお手本はなかった。仏を知るまでは。それ故、煩悶した。自分自身がわからなかった。自信もなかった。それ故、本気になれなかった。何をするにも真剣にはなれなかった。この世は欺罔及び暴走族社会だった。当然、困苦の底に沈んだ。そしてそれも試練だった。自分自身を知るためのね。人生と青春は失われていた。無理もない。十九の春に何があったか。それを乗り越えなければならなかったとは。試練というには酷であった。すべては因縁であるという。何の因果であるか。しかし、それ故に得た力がある。それは何だったか。ロゴスであった。文理真正であった。この世を救うのは権力でも金力でも武力でもない。それらは既に克服された。或いは克服されつつある。権力は市民革命によって。国会議員と雖も特別職公務員に過ぎない。公務員の使用者は国民である。即ち主権在民、国民主権。武力は原爆によって。即ち戦争放棄或いは平和主義。金力はどうか。その基礎は何か。貨幣である。貨幣が人間を支配し始めたのは何時の頃からか。昔は公地公民もあった。そして金力支配は何を以て手段とするか。資本主義社会は取引社会である。取引は多少の欺罔行為を容認する。それが利益の源泉である。しかし、取引関係は本来対等者間でのことである。市民階級同士のものだった。それが今はどうか。かつては特別権力関係にあった行政も民法化した。労働法で護られていた関係に於いて商法が浸食している。それが契約社員であったりする。何たる欺罔であるか。これらを知恵と思ったか。笑うしかない。本来資本主義は利益有るところに損失有りであった。今はどうか。利益有るところに利益有り、損失有るところに損失有る。それが格差社会を招来した。それをこのまま二十年間発展し続けなければならないというか。この傾向が続いてどうなるのか。欺罔関係はますます増幅するだろう。格差はますます大きくなるであろう。それで秩序はますます破壊され、商人的小人が勝手し放題するであろう。それで良いのだろうか。疑問である。本来日本に武士道或いは大和魂がある。小人根性の与り知るところではない。身心清浄正直を以て旨とする。それを裏切り続けた天下である。何時までも黄泉祖先及び神は黙ってはいない。絶対の自信というものがある。仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧である。絶対の自由というものもある。祖先代々の培い受け継いだ力である。これまではそれもわからなかった。しかしその謎が解かれた。因って、時が代わった。開発された力は力である。その開発過程は既に記録にある。自信と自由の回復である。これよりこの力を以て真剣勝負の時代である。仏の大願は一切大衆を救う。それが世界平和の基となる。金力ではどうにもならぬ力である。秩序とは何か。人間の上に神がいる。神が天である。それを愚弄無視した。そして勝手した。年貢の納め時となった。神とは何か。昔より正直者のこうべに神は宿る。


2007年10月07日
それでいい

明るく楽しく 生きていく それでいい 

人のことは人のこと 自分のことは自分のこと

人のことを気にしていても何も解決しない

自分との戦いだ どこまでも

すべて 己の持ったものだった

汚い心だと 汚いところへしか行けやしない

本来の自分は何だったのか そこにもどる

明るく楽しく 生きればいい それでいい

自分の世界が帰ってくる 汚れた世界など要らない

2007年10月06日
【地上ヘブン=魂の王国】
人生限りなく面白い 何故だろうね

思い通りにならない理由 それもわかった

過去からの悪業の因縁だ 思い知るしかない

それを解消して はじめて 自由だ

しかし そうしたことを 忘れて

そして 皆 今日も罪を重ねている 不善を思う

こころが 大切と 改めて知る

世を救うのは 権力でも武力でも金力でもない

法力でもない 仏の故の神力だ つまり救世者だった

この神力をどのようにして開発するか

その種はあるか ある

どこにあるのか 善の種

善は仏さんのところにしかない

世の中に 変わるものと 変わらないものがある

真実とは何か 今も昔も変わりはしない

子供達よ すくすく伸びよ 世の腐った大人に惑わされる事勿れ

君たちの未来は明るい 真実はある

諸行無常 縁によって変化する 善因善果 悪因悪果 縁がすべて

善とは仏だよ 仏との縁結び 仏の守護 

信じてみないか 思い出さないか

この世は楽しい この世は美しい この世は驚きだ

どれだけ人生を楽しむか 生まれてきて良かったね 未来は明るい

何故だろうね 一箇が自覚成就した 生まれた意味を確認した 

生まれた使命が果たされた その種は何だったか 咲いた花は何か

すなわち 日月照らし風が吹く 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本

自然咲きそう 大和魂 本来武士道 しばらく根絶やしにされようとした

商人根性よ さようなら 明るい未来が拓かれた

禅の目的は 一箇半箇を打ち出す 自分自身は何者であったかを知る

誰彼目覚めればいいというのではない 基が目覚めなければならぬ

基とは何だったか それは何処に隠されていたか 

頼朝は伊豆に流されていた 家康は時を待った そして征夷大将軍となった

この度の関ヶ原は何処であったか 黄泉であった 黄泉を制したのは誰か

何が平定されたのか そして何が開かれたのか 明るい未来である

400年周期説は旧約聖書に秘められていた 

その目的はこれまで餌食犠牲に供された善良な庶民の解放だった

セレブは庶民をどう思っていたか 囲うべき羊と思ったか

真実の獅子は何処にいたか 

原爆の目的は何であったか 何を根絶やしにしようとしたか

その火を以てしても焼くこと能わざるヒロシマは不死鳥復活である 

その種は黄泉の守護するところだった 黄泉も時を待った 

時が始まりである 時は来る 宇宙の始まりだった

そしてその時が来た 明るい未来が選択決定された

しかし 条件がある その条件とは何か どのようにして自由を得るか

一箇の人生が証明している 仏の守護はある 証明は何か 

すなわち 日月照らし風が吹く 草薙の剣 この世は君が代大鏡である

勝負するのかしないのか 何が蔓延ったのだ 腐った世を正す その為に生まれた魂もある

子供の頃からそうだった しかし自覚が来なかった 自信もなかった

しかし何時か時は来る 絶対の自信が目覚める時である 

仏に瞑しての故か ここまで彷徨わねばならなかったか それほど時代は酷であったか

私は父を知っている 祖父を知っている 故にいうべきことがある 

本来武士道大和魂復活 身心清浄正直を持って旨とする 強きが故のやさしさがある 

日本は本来日本である 卑怯怯懦姑息商人根性唯自己利益追求主義者の日本ではない

此処に本来古来未来の基準を確定する これより各々身勝手は通らない 

この世で処したあらゆる罪が裁かれる この基準に反するが罪である 記録は天にある

この世に秩序がある 黄泉に秩序がある 戦後六十年 何を裏切ったか 何を粗末にしたか

何を履き違えたか 古来本来日本 黄泉祖先の守護するところである

大乗とは何であったか 七色十字の大宝船というのもある 

正受老人は無底船だった 沈みはしない

真実とは何であったか 方便に対する 方便は嘘である 嘘は中身がない 因って惡である

方便には結果がない 真実には結果がある 何の結果があるのか 救いの結果がある

因ってビジネス坊主の与り知るところではない 嘘は嘘である 真実のあることを示すのみである

真実の仏法は何か 自分のことは自分でなければわからない 自分のことは自分が解決する

その為に生まれてきた 方法は仏が教えてくれる それを忘れて何をしているのだろう

仏が救うのではない 自分が自分を救うのである それを知らない 知らないことを以て否定する

無神論者などと愚かなことを自負している この世に生まれた意味はないね

そして 腐敗こそ人生と思っている 愚かにも程がある それを吹聴する さらに罪を重ねる

平和とか愛とかいっても不毛だね 個々の暮らしが幸せである時 その総体が平和だ 

その時が愛の園である すべてはやさしさで解決する 仏の周波数である 

動植物岩石も喜ぶ それを手にするための修行である 歴代の目的であった

しかし世間はあまりに野蛮である それが人生だと思っている

未来は平和に定まった 時代は目的的時代となった 或いは芸術的時代である

人生もそう定まった 一箇の人生がそれを歩みきった そして確定した

基に於いて真実の大乗が発見発掘自覚された 地獄より脱出した

明るい未来が始まった 知っても識らなくてもである 誰もがこの道を歩む 真実の城を目指す

歴代の魂の遍歴である 長きにわたって培い受け継がれたものがある 復興である

苦悩の英雄ベートーベンは何処に至ったか ピアノソナタ第30~32番ではなかったか

それは喜びの歌だった 般若心経の呪ギャーティもそうだった

過去より真実は伝えられている 思い出さないか 愚かでは渡れない橋が架かっている

自由はフォルテシモ 思うとおりにして しかも法を超えない それは孔子も既に見つけていた

やさしさはピアニシモ 強きが故にやさしい 強き精神の制御された微音である

何が故の人生であるか 使命がある 生きる目的がある

この世に生まれて何を見つけるのか あの世へ何を土産にするのか 百代の過客である

ベートーベン曰く 急げ この世は為すべきことが多い

クラシック音楽の系譜はジャズに似ている 代々のモチーフを自分のものとして発展した

ベートーベンもそうだった ハイドンからモーツアルトを通って 第三番『英雄』で自覚した

その間 どれだけの恋をしたことだろうね なかったわけじゃない 精神的だったかも知れない

そして ハンマークラービアを通ってピアノソナタ第30~32番に至った

最後の作品には 始まりの頃に ふと 弦楽器の悲しい旋律がある しかし 二度とそれは出てこない

さて 思考は現実化する コギトエルゴスムである 言葉はロゴスである

ものごとの成就は偏に見えない世界の守護である しかし 見えない世界に認められる必要がある

どのようにすればいいのか 亦 仏は何故に仏であるか そして生まれながらの魂がある

前世からの続きである 愚かさの中でその使命を達するは難しい 唯自覚を要する

その自覚は如何にして成されるか 時の満つるを以て成される 導かれている

己の持って生まれた花である 自分以外の花を咲かせることはできない 自分以外の花が咲くのではない

しかし 持って生まれた種にも色々ある どの花を咲かせるのか 通るべき試練がある

咲くまではわからぬ 咲けばわかる 諦めないことだ 世間一般 知らぬとはいえ 何を愚弄し来たる哉

コノハナサクヤヒメ 咲いたからには容赦しない これより春である 失われた人生を取り戻す

黄泉の掟がある 黄泉の申し子がある 悲しませないことである 何が起こるか知れない

持って生まれたものがある 何を勘違いしたのだろうね 

これまではその勝手も通った 行きはよいよい 帰りは怖い さてどういうことになるか 

来世で 或いは 黄泉で たっぷりと埋め合わせ それぞれの歩める人生 そういうことだった

それぞれ犯した罪がある 救われる方法はないのだろうか ある それは何か 

世の中を救うということはどういうことか それぞれがそれぞれの罪を償う 自分が自分を救う

その方法は仏に聞く そして世界平和である 世界平和のために戦争であるか 本末転倒

故に 日本国憲法は戦争を放棄している アメリカがさせたのではない 自らその愚かさを知って放棄した

日本国憲法はプログラム規定である その成就である 憲法は法律というよりも歴史そのものである 

ところで とみに 女帝天皇説の議論がなくなった 何故であるか その理由を知る者はあるか

この世に秘密がある 神秘である その秘密が解かれた 此処に 時代を確定するためだった 

新しい代が始まった それはどのような代であるか 今にわかる 黄泉自然が動く 天が守護する

昔より バベルの塔は立ちはしない 何を思い上がったか 生命及び環境破壊 補填はしていただく

今 BGMはピンク・フロイドの『原始心母』です 名曲ですね 私の青春でした

『エコーズ』には涙したことでした そのサブタイトルは「おせっかい」だったでしょうか

21世紀とは何だったのでしょうね 二千年来のすべての物語の謎が解かれました そして始まりです

次は誰がその謎を解くのでしょうか 新たなストーリーが流れ始めました ホイッスルは吹かれました

ゲームの開始です 永い魂の遍歴です ゴールはあります すぐそばに 幸せの青い鳥です

何時もエールを贈り 諸手を挙げて待っているのです こちらに来なさいって

地上ヘブン=魂の王国です

問題は 選択です それぞれの要素に色々なものがある そのどれを組み合わせるか

しかし 不思議と悪の結果を招来する それが人間の業です つまり前世からの悪業の因縁です

それは 悪癖 から始まり やがて 制御不能になる 台風のようなものです 

それが人間であることを知るべきです そして それが出てきてからでは遅い

それを哀れに思われたのが仏です そして逃れる方法はないのでしょうか

あるのです それが一実の道としての仏道でした しかし仏法であればどれでも良いというのでもない

仏法にも権実があるのです つまり 方便と真実です 真実の仏法は何処にあるのでしょうか

それが 亦 縁です 縁があれば出会えます それを探すべきです 救いはあります

仏は常にいます 姿を現すことは希です しかしいるのです それは信じるしかないのです

何時かこういう時代が来る 仏は知っていたのです 故に救いの道が必要であると

仏は何を遺していたか 真剣に考えなくてはならない時が来たようです 

人間の考えでは限界があるのです 私たちは結果失敗しています 此処を乗り越えるしかないのです

具体的に乗り越えるべき課題は何でしょうか 嘘と暴力です そして 皆 幸せになって良いのです

コートを脱がせるのは 寒い北風ではありません あたたかい太陽です

仏はどのようにして仏になるか 私たちはそれを愚弄無視してきました 或いは破壊もしたのでした

思い出すべき頃です 私たちは何故人間として生まれてきたのか 野蛮化するためではなかった

私たちは 限りなく やさしくなっていく 幸せになっていく それを阻むのが罪です

戦うべきは何とであったのでしょうか 自己に棲む悪でした 悪魔も善魔となればいいのです

世界平和はマクロからではない ミクロからだったのです 開発するべきは己の仏性でした

仏性とは何でしょうか 知性に裏付けられ その意味を知った上での 仏の周波数です

それは 動植物岩石も喜び反応する 何故か人間だけが知らない 欲望の故でしょうか

似非占いの知らないところです ビジネス坊主の知らないところです 古来大和の秘密です

あらゆる学者の解釈も問題です テレビドラマなどの歴史解釈など噴飯です 

その種を持たない解釈は 真実ではないのです それで世間はどうなったでしょうか

暴力的な事件が多くなりました 何故ですか テレビ及びゲーム並びに映画の影響ではないですか

世の大人達が あらゆる尊敬の念を失った 無理もないですね 尊敬に値する人がいない

亦 自分たちの都合のために そうした概念を壊してしまった 新聞・ラジオ界もその例外ではない

それが自由平等と思い違いした 戦後に継受したばかりの幼稚な自由平等であったのでした

西洋文明諸国家は その実体は 今に 階層社会です 日本はそれを壊した 

そして 何が蔓延ったのか 結果どうなったか 社会は無政府状態に近い 警察も自覚がない

秩序を壊し 秩序を知らない 警察官職務執行法第七条の精神を知らない 或いは愚弄している

相撲界の集団リンチ 保険業界の保険料未払い欺罔システム 政界の金銭的腐敗 

何が原因でしょうね お金です お金がすべてとなっているからです 

400年来 カルバンに発する西洋重商主義思想の罪です そのために戦争もしてきた

そして子供達はそれが増幅された状態です これからどうなるのでしょうね 正念場ですね


2007年10月05日
そういうことだった

そういうことだったのか どういうことだ

そういうことだった 馬鹿げているね

私たちが日々何を考え 刻々何をしているか

昔よりそうだったか 何がであるか

そういうことだ どういうことだ

大鏡だ わからないね

しかし そういうことだった

禅の要諦は 一箇で良い それが自由だ

目覚めるは希である 目覚めたからには容赦ない 黄泉が動く

知らずとはいえ 勝手が過ぎたね

あなたがたには その種がなかった

主人公! なかなか 手強い

この世は何だったのか 君が代だった

誰が為の君が代だったのだったか 不識 鐘が鳴る

今からでも遅くはない この代の春である 百花繚乱狂い咲く

今更遅い 首を洗って待つが良い これにて千秋楽 時は来にけり 21世紀自覚開闢である

2007年10月04日
ソクラテスについて

汝自身を知れとはどういうことだったのだろう。私は知らないことを知っているともいっていた。ソクラテスの弟子はプラトンだった。その弟子はアリストテレスだった。アリストテレスはアレクサンダー大王の家庭教師だった。しかし彼は毒杯を仰いだ。対話的手法による教育が青少年をたぶらかしたという理由だった。それはキリストの磔に等しかったか。同じ毒杯でも、チャイコフスキーのそれとは違う。バイロンも毒杯を仰ぐべきだったかも知れない。人と生まれてどう生きるべきか。世間一般、考えたことがあるのだろうか。あるのだろうね。しかし、わからなかったのだね。昔より正直者のこうべに神は宿る。それが汝自身を知れということに対する自覚だよ。汚れてしまった悲しみはというのもあった。汚れてしまったね。遅いね。だから、わからないよね。子供たちに罪はない。人生は素質と環境でその方向が決まる。腐敗堕落が人生ではない。戦後のあなた方は猛反省を要する。子供たちに確かな道標を贈りたい。私の試練とその苦悩は私一人で良い。しかし、すべてそれぞれのことである。私たちは幸せになるために生まれてきている。その為には条件があった。過去に犯した罪がある。その清算をすることだった。その罪が大きければ、それだけ時を要する。しかし、諦めないことだ。何時かその時が来る。必ず来る。汝自身を知る時が来る。知った汝自身とは何だったか。例えば、仏さんの言葉がわかるようになる。その人その人のことである。自分は何者だったのか。それを知ることが禅の目的でもあった。一箇半箇としての自覚であることもある。亦、楽しからず哉。この人生は素晴らしい。即ち、日月照らし、風も吹く。その時、初めて、父母及び祖先への感謝の時が来る。何か失われた大切なものとはこれだった。前世はある。来世もある。思い出さないか。何時まで身勝手しているのだろうね。怖ろしいことだよ。地獄から逃れることが出来ないよ。皆、地獄で良いといっている。本当だろうか。

ところで、

爾の時に世尊、是の偈を説き已って、 弥勒菩薩に告げたまわく、我今此の大衆に於て汝等に宣告す。阿逸多、是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祇にして地より涌出せる、汝等昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を得已って、 是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して道の意を発さしめたり。此の諸の菩薩は皆是の娑婆世界の下此の界の虚空の中に於て住せり。
 諸の経典に於て読誦通利し思惟分別し正憶念せり。阿逸多、 是の諸の善男子等は衆に在って多く所説あることを楽わず。常に静かなる処を楽い勤行精進して未だ曾て休息せず。亦人天に依止して住せず。常に深智を楽って障碍あることなし。亦常に諸仏の法を楽い、一心に精進して無上慧を求む。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
  阿逸汝当に知るべし 是の諸の大菩薩は
  無数劫より来 仏の智慧を修習せり
  悉く是れ我が所化として 大道心を発さしめたり
  此れ等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり
  常に頭陀の事を行じて 静かなる処を志楽し
  大衆の・閙を捨てて 所説多きことを楽わず
  是の如き諸子等は 我が道法を学習して
  昼夜に常に精進す 仏道を求むるをもっての故に
  娑婆世界の 下法の空中に在って住す
  志念力堅固にして 常に智慧を勤求し
  種々の妙法を説いて 其の心畏るる所なし
  我伽耶城 菩提樹下に於て坐して
  最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ
  爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ
  今皆不退に住せり 悉く当に成仏を得べし
  我今実語を説く 汝等一心に信ぜよ
  我久遠より来 是れ等の衆を教化せり
    (平楽寺書店版 『訓読妙法蓮華経并開結』 p266)

何れにしても、一箇が自覚した。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神本来大和魂武士道の原爆の火を以てしても焼くこと能わざる種である。身心清浄正直を以て旨とする。その開花である。あらゆる試練と艱難を通って無事開花である。その力も得ている。何の力か。不識。正鵠を射抜く矢は既に新羅を超えた。黄泉が動く。あらゆる記録は天にある。全ての欺罔を廃する。天網恢々疎にして漏らさず。本来大和復活。神力の研究が成就した。力は得ている。仏の故である。関。もはやその種なき勝手は通らぬ。通さない。此処に生まれた使命を果たす。子供の頃からそうだった。これより時代を確定する。何を裏切ったか。何を粗末にしたのか。何を悲しませたか。各々懺悔あるべし。懺悔とは仏の前に己が罪を発露し、壊したものを具体的にもとに還すことである。刑法の目的もその例である。身体自由財産を以て償うべきは身体自由財産を以て償うべし。生命を以て償うべき罪は生命を以て償うべし。経済界及び財界の罪は如何。計上されていない損失及び利益がある。何を犠牲にして利益と成したる哉。唯自己利益追求の為に欺罔勝手が過ぎた。記録はすべて天にある。何を破壊したのか。自然であろう。生命及び環境であろう。聖書に曰く、神は高きを低くし、低きを高くするために来る。旧約聖書の目的は何だったか。善良な庶民の解放だった。あらゆる政治の目的もここに定まる。世界は一部利益階層のためにあるのではない。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せである。仏の大願は一切大衆を救う。生きとし生けるものである。21世紀の約束、心の大地が開かれた。これが選択である。因って未来は明るい。明るい未来の建設である。

2007年10月03日
修行としての読書

読書はするべきもの。過去からの人類の英知或いはエートスを学ぶ。そして考える。その間、闇夜であるのかも知れない。しかし、何時か夜は明ける。その時、世界が変わる。神仏との邂逅もある。或いはその守護を知る。時間がかかることもある。しかし、必ず朝は来る。本懐を遂げる時が来る。そして開発された言葉がロゴスであることを知る。それは仏の周波数である。即ち、黄泉が動く。日月照らし、風が吹く。天候をも変えることが出来る力である。その記述例は旧約聖書にもある。読書はするべきもの。その読書は柔な読書ではない。流行小説や漫画なんかではない。壮絶な戦いである。自己に棲む魔との戦闘である。十九の春に何があったか。それを克服したものは希である。長い戦いだった。芥を払うこと三十有余年。大勝利である。世界で初かも知れない。無より有を生ずる。宇宙の始まりだった。仏の第一義だった。そして新しい時代が開ける。あなた方は何も知らない。しかし、真実は真実である。時代はこのようにして開ける。ある自覚を以て開ける。それは選択である。大岩が破砕された。水が流れ始めた。未来は明るい。世間一般、誰も知らない。人生と青春を賭して、修行としての読書があった。古来本来日本精神復活。大きな使命が果たされた。一箇の生まれた意味が成就した。世の中を救うのは、権力でも金力でも武力でもない。法力でもない。神力である。救世者である。それは文字を以てする。文字は如来である。如来の神力である。それは仏から授かる。何処に仏はいるのか。仏の住所は何処か。探すべし。そこに宝がある。宝は文字である。或いは人である。文字が仏である。その文字は何処にあるのか。佛所とは何処か。読書はするべきものである。何を読むのか。何を修行するのか。一里塚としてここに記す。神仏はいる。前世はある。来世もある。誰がないと言い始めたのか。出てくるが良い。勝負しよう。来世があると知る時、今生の生き方が決まる。悪は為せない。何が蔓延ったか。畜生か。阿修羅か。或いは欺罔を手段として唯自己利益追求卑怯怯懦商人根性であるか。何が自覚したのか。神力である。或いは大和魂である。第二次世界大戦中のそれではない。武士道である。身心清浄正直を以て旨とする。持って生まれた種がある。しばらく根絶やしにされようとしていた。そうはいかない。原爆の火を以てしても。フェニックスである。復活である。読書はするべきものである。何時か目覚める。開花する。文字より発する音に誘導力がある。そこに仏の周波数がある。コギトエルゴスム。思考は現実化する。何を思うのか。音楽が人を和ませる。しかしそれも化城にすぎない。真実の城があることを示している。真実の城とは何か。真実の文字は何処にあるのか。それは何処から発するか。神力とは何か。仏は何をのこしたのだったか。如来の神力だった。それを証明する方法だった。地上初めてのことである。あまりにも安易な時代だった。それも試練だった。答えを出さねばならない。誰がその問題と取り組んだか。あなた方ではない。あなた方は時代に浮かれた。そして腐敗した。腐敗堕落が人生ではない。テレビタレントは何をしているのか。それがどれだけ迷惑であるか。誰もが辟易している。しかし傍観した。消極的に荷担した。共犯である。読書はするべきものである。何を読むのか。真剣に生きる時代となった。それで人生は開ける。カンニングで世に出て閥を成した天下であった。その時代は終わった。終わりは始まりである。新しい時代が始まっている。愚かな時代は終わった。知性が目覚め自覚したからである。ところで、私の青春の音楽は大塚博堂だった。ある方とコンサートへも出かけた。その後、ある方が大塚博堂は生きていると紹介してくれた。選挙の専門家であるともいって紹介した。私は信じた。そしてサインをして貰うようにと促されたので、大切なレコードとCDをその人に渡した。その後、紹介した方もその人も唯自己利益のために私を利用し、騙し、裏切り続けた。レコードもCDも帰ってこなかった。その方の父は弁護士であると聞いていた。素直に信じた。しかし、一昨日、その父は教師であったことを知った。ある方に裏を取って貰った。しばらく、そのような人生だった。そのような世の中であるとは知らなかった。 ペテン師がいることを知らなかった。そして知ってしまった。何を知ったのだったか。何を自覚したのだったか。容赦しない。SB社もBS社もその例外ではない。直接犠牲に供した。黄泉が黙ってはいない。真実である。あらゆる現代社会卑怯怯懦唯自己利益追求商人根性欺罔的システムを赦しはしない。それが知恵だと思ったか。現代社会経済界財界支配システムの欺罔を問う。何を以て利益とするか。何時までも犠牲にされた生命環境自然も黙っていない。ヒロシマも沖縄も出雲も黙っていない。これより白日の下にさらされる。そして明るい未来の建設である。この度、何を発見したか。それは何の確認であったか。一つの研究があった。高校以来のテーマに、「失われた何か大切なもの」があった。それを探して彷徨った。月の砂漠でもあった。そして何時か仏の子となっていた。魔も守る約束がある。そこで、六年間教えて貰った。行もさせて頂いた。そして、知ったのだった。何を知ったのか。秘密に属する。此処に開示する必要はない。持って生まれた法華経宿王華一切種智慧、或いは、原爆の火を以てしても根絶やしに出来なかった欺罔を手段とする商人根性の与り知らない身心清浄正直を以て旨とする卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神武士道大和魂即ち代々培い受け継がれた家伝直伝秘伝君が代とだけいっておこう。あだやおろそかにする事なかれ。黄泉及び祖先が守護している。悲しませないことである。天が動く。直接お話しすることは出来る。此処では無理である。何れにしても、知ってしまった。私の人生のテーマは完結した。二千年来の物語の完結でもある。全ての謎が解かれ終わった。新しい始まりである。何を始めるか。自由である。 持って生まれた力が違う。それだけはいっておく。開発発見自覚されたこうした力は本気にさせないことである。どういう意味か。誰も知らない。逆鱗にだけは触れないことである。何が起こるかわからない。そして知らずとも帝則に従うといったのは良寛だった。インスパイアとエクスパイァがある。どういうことか。誰も知らない。寄せる波と引く波である。いざなぎといざなみである。あなた方の勝手な唯利益社会の時代は終わった。上位の概念が目覚めた。それだけのことである。救うべきは何か。犠牲に供されてきた善良な庶民である。大衆である。一部利益階層ではない。時代はシフトする。何故か。私がこれまでどの階層にいたか。どういう人生を歩んだか。何を見てきたか。重要な要素である。私は父を知っている。祖父を知っている。故にいう。 新しい時代の基を確定する。不比等以来かも知れぬ。その草稿はしたためられ蓄積されている。精査されるが良い。既にそれらは宝となった。仏の故である。宝は取り放題である。人類の英知及び願いと祈りは無駄ではなかった。暴走族的世界の終わりである。良識と知性の復活である。政の目的は何か。個々の暮らしである。その手段としての愛と平和である。目的的時代となった。或いは芸術的時代となった。野蛮と欺罔及び暴力は去らねばならぬ。愚かさもである。何を愚弄したか。何を裏切ったか。容赦しない。歴代の勤めを此処に果たす。私が生まれた意味だった。子供の時からそうだった。何もかも違っていた。試練も通っている。誰彼耐えうる試練ではない。勝負するのかしないのか。そこから話を始めよう。何時でも相手になる。

2007年10月02日
笑顔こぼれて

さて、笑顔の季節が来たようです。笑顔がこぼれてくるのです。

何故でしょうね。仏の故でしょうか。大安心です。善かったですね。

この笑顔、生まれながらの人がいる。

この笑顔、魔との戦闘の結果である勝利のこともある。

いずれにしても、笑顔だね。タレントの笑顔ではない。

身心清浄正直を以て大和魂とする。あるいは武士道である。

その種を持たない人たちの天下だった。それが戦後だった。

裁きの時だね。首を洗って待つしかないね。既に罪である。

あやまることで赦される道もあるという。何処にあるのかな。

探すと良いよ。宝だよ。無より有を生ずる。それが仏の第一義だね。

さて、さて、皆様、歩々清風の時節です。爽やかな風が吹きますか。

己の故に。それが幸せ最前線だね。お金ではない。君たち、何をしているの。

神は創造の後一休みして微笑んだ。これで良し。七日目のことだった。

時代の区切りがある。400年周期説は旧約聖書に秘められていた。

その前後7年を要するともあった。2007年。完結かな。

時代の方向性が定まりました。誰の故でしょうね。

仏様の故だね。歴史とはこうしたものです。君が代の目覚めです。

それで時代の流れが変わるのでした。代々の約束でした。