2009-04-30 11:01:11
本当の人生が始まる
テーマ:ハッピーライフ

何も難しくはなかったのでした。自分の過去を捨て去ることが出来るならね。そして本来の自分となるのでした。我が子のために美田を買わずといわれています。西郷隆盛もこの言葉が好きだったようです。それで良いのでした。あらゆる世襲制に弊害があるようです。いつの間にか市役所職員も世襲化していませんか。それをも乗り越えることができるといいですね。高利貸し的悪徳で財を成していなかったでしょうか。ラスコリーニコフを掬ったのは娼婦ソーニャでした。戦後まもなく、主のいない焼け跡に縄を張って奪った土地ではじめた方もいました。しかし奪えないモノがありました。六祖鉄鉢がそれでした。やがてこの代の所業も問われる時が来るのです。正直こそ財産でした。舌切り雀のお話もあります。あるがままの自分で良いのです。何もかも失って、身も心も裸となって、それから本当の人生が始まるのですね。そして自分自身が何者であったか気づくのでした。世界の中でどうあるべきだったのかを知るのでした。自分は自分で良かったと思う瞬間が来ます。必ず来ます。誰にも来るのです。そしてすべてを知るのでした。その時、万物の霊長として生まれて良かったと思うのです。この世に生きる幸せを実感するのです。あなたにも必ずその時が訪れます。その時、感謝を知るでしょう。禅の目的も、それ以上でもそれ以下でもなかったのでした。しばらく勘違いの愚かな文化が跋扈していましたね。それが人生だと思っていませんでしたか。それもある自覚が成就するまでのことだったのでした。ある自覚が成就する時を黄泉も待っていたのです。その自覚は黄泉によって大切に育まれ、導かれていました。そして、何時か時が来るのです。淘汰されます。そして本当の人生が始まるのでした。何時の代もそうだったのですね。そして自分を生きることが始まるのです。それまでが試練であり、青春でした。自分が生きることは表現することだったのでした。憲法でも保障されている表現の自由とは生きることでした。それは亦、幸福追求権のひとつでした。どのような花を咲かせるのだったのでしょうか。咲いてみなければわからないのです。自分の光を発するのです。それが表現だったのでした。ブログも表現だったのですね。カミオカンデも気づく頃となったのでしょうか。彼はいっていました。本来日本は滅し給わず。愚かな國ではない。野蛮でもない。嘘とバイオレンスを廃して新しい時代を開く。それは庶民の解放でした。庶民とは善良な市民のことでした。戦後日本精神骨抜き占領政策に乗じた方々の繁栄と支配は終わったのでしょうか。テレビ界はその権化だったのでしょうか。何時までも気づかれないわけではないのでした。本来日本は那辺にあったのでしょうか。明らかとなったようです。もはやこれまででしょうか。年貢の納め時となったのかも知れません。新しい時代ですね。本当の人生が始まるのです。何故でしょうか。ある自覚があったからでしょうか。そして確かな選択があったのでしょうか。すべては準備されていたのだったのでしょうか。彼のために。しかし正解を出すのは至難の業だったようです。それが戦後だったと彼はいっていました。それも成就したのでしょうか。失ったものは大きかったといいます。獲たものも大きいといいます。真実とは何だったのでしょうか。真実とは神仏の実在とその邂逅であり、日本は本来神国だったといいます。本当の幸せとは何だったのでしょうか。神仏の祝福と守護だったといいます。民のためにする時、大義名分となり、神風も吹くといいます。それが征夷大将軍の要件だったっていっていました。本来日本の本懐は、身心清浄及び正直を以てする大和魂だったのでした。本来日本の目指していたものがあります。失われて久しいのでしょうか。日本の誰もが求めていたものでした。しかしいつの間にか探すことさえ放棄していたのではなかったでしょうか。この代の人生では、それは夢かと思われました。しかし夢は実現するのです。思考は現実化します。新しい時代が開けました。確かな事実として。何度かチャンスがありました。しかし何時までも気づけない自分がありました。この度は天が祝福しています。黄泉も喜んでいます。知らない人には神秘であり奇跡であることが、知る人には事実です。そうした世界があるのでした。ワンダーランドですね。世界は待っていたのです。日本が何に気づき、何を選択するのか。時代の悪に染まらないために、特殊潜航も必要だったのでしょうか。苦節三十有余年の埋没を要したといいます。そして彼は見つけたのでした。それは何だったのでしょうか。本当の人生だったのでしょうか。本当の幸せだったのでしょうか。世界に合流の時を迎えたようです。彼はいいます。日本は大丈夫だよ。みんな、何をしていたのでしょうね。彼こそ彼だったのかも知れません。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密があるといいます。あるいは掟があるというのです。粗末にしてはならないものがあったのでした。貶めてはならないものがあったのです。思い違い勘違いが不幸の原因だったといいます。壊してはならない秩序があったのでした。下級精神にはわからなかったといいます。わからないことを以て否定していたのですね。しかしそれはあるのでした。 何時までも黄泉が黙っていないのです。黄泉とは祖先の総体でした。反省の頃となったようです。本来日本を取り戻すといいます。方向を間違っていたのなら、その地点まで引き返し、再び歩み始めればいいですね。見失っていた道標が見つかるでしょうね。そして本当の人生が始まるのです。彼は自覚しました。特異特殊特別不思議不可思議な人生があったといいます。自分でもとても信じられなかったようです。今となっては懐かしいとのこと。すべて事実となったのでした。故に容赦ならないものもあるといいます。どのようにして詫びるのでしょうか。あるいは償うのでしょうか。各々の問題だよって彼はいっていました。そして過去を償って、新しい人生が始まるのでした。その時、この代に於いて一切の不安から自由となり、恐怖と疑惑から解放されて、愛と平和の中で好ましい関係が始まり、無敵となった自分を知ることができるのでしょうか。過去から自由となって、本当の人生が始まるのでした。多くの悲しみを通って、喜びの世界が待っています。私たちは幸せになるために生まれて来たのです。試練はあります。過去を少し修正するためです。そして持って生まれた本来の自分となるのです。その意味を知った時、強きが故のやさしさを知るでしょう。愛し愛されて生きる日々の暮らしの喜びを知るでしょう。愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしないことでした。唯自己利益追求パラダイムは限界に至りました。相手のためにとしながら、自分計算していなかったでしょうか。嘘とバイオレンスが不幸の原因でした。君子危うきに近寄らず。朱に交われば赤くなる。多重人格が問題となっています。本来の自分はどのような人格を目指しているのでしょうね。自分はなりたい自分となるといわれています。新しい成功哲学も明らかとなっています。かつて王侯貴族に限られていた自由を庶民が手にする時代を迎えました。その時の要件は何だったのでしょうね。それが人柄あるいは人格でした。あるいはアンドリュー・カーネギー氏の説く心構えでした。それが成功のための要件だったのです。つまり、人格を好ましく完成して、世界に受け入れて頂くのでした。そして本当の人生が始まるのでした。はじめに言葉ありき、とはその意味だったのです。笑顔が当然となって、素直に生きてゆけるようになります。やがて見えない世界に受容祝福される時も来るでしょうね。良い時代となりました。良い時代としましょうね。みんなで幸せになりましょうね。


2009-04-29 13:31:14
正直者の時代
テーマ:自由

本当の自由とは何だったのでしょうか。

  1. いくら貧しく生まれても、一生貧しくある必要はない。
  2. 子供の頃に十分な教育が受けられなくても、一生教育が受けられないのではない。

 これがアメリカの祈りでもありました。何か失われた大切なものがありました。何故失われたのだったのか。その理由も明らかとなりました。そしていよいよ本当の幸せを誰もが享受できる時代が開けました。
 多くの苦難がありましたね。しかし

  1. どのような悲しみにもそれと同等かあるいはそれ以上の幸せの種が宿されています。 
  2. 一部の方々が幸せになっても本当の幸せではありません。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。
  3. 愛とは自分のためにしないことでした。しばらく野蛮と愚かさが跋扈しました。

 時代は無事代わりました。正直者の時代です。子供達の夢=未来は殺戮なくして平和を勝ちとることでした。日本国憲法は歴史的所産であり、人類の決意表明でした。
 中国の首脳はいいました。この問題(戦後処理)は次世代が解決する。そのためには解くべき謎もあったのでしょうか。そして爾の時が来たのでしょうか。確かな自覚と選択がありました。世界も待っていたのです。
 日本の知性の復活の頃です。代々の使命が果たされました。新しい時代です。日本国憲法プログラム規定成就の頃です。


2009-04-28 06:33:35
若者が時代を変える
テーマ:時代変革

20世紀の知性といわれた人にポール・ヴァレリィがいました。かつて小林秀雄氏も憧れた人です。ヴァレリィはいいました。「私は生きた。愛した。書いた」。人生とはそうしたものだったのです。知識がいくらあっても、それが智慧とならない限り、意味はありません。すべては生きるためにあるのでした。私たちは今、社会を形成して、その中で生きています。人間生活を営む上で知識は必要です。だから勉強一般を否定できません。人間の尊厳を失うことになります。社会には亦、社会契約があって、自由の一部を差し出して国家を形成しています。それが現代民主主義の大前提です。それなくしては野蛮であり、弱肉強食となります。つまり、善悪を無視した虚偽とバイオレンスの恣となります。それは人間あるいは人類の選択として拒否しているのです。そのあたりの人権的なことを知らずに、勝手している方々がいます。芸能人の中にもいます。法律を守るというのは人格表現です。何もかも自由ではありません。その辺りを公器としてのテレビ界は反省する頃です。そして本当に豊かで自由な社会を作っていかなくてはならない時となっているようです。ある本を読んでいると、明治維新は若者のパワーが幕藩体制という古い仕組みを壊し、新しい近代国家を作ったとありました。しかし今も昔も変わっていないといいます。つまり、かつての幕府が政府となっただけで、越後屋にあたるのが悪徳企業だといいます。何れにしても、今の世の中は明治維新に等しいという認識があります。歴史は常に、腐敗が極限に達して変革をもたらすのでしょうか。鎌倉幕府の成立も関ヶ原もそうであったのでしょうね。そしてこの度は静かに進行しています。その流れは確かなようですね。時代は限りなく進化します。生命としてどのような生き方をしていくのでしょうか。その進化傾向があります。それが時代の流れであり、時代を形成するのは、万物の霊長としての人間のこころです。こころで思ったことが実現するのです。強い信念となれば、勇気も当然となります。未来は常に未知です。しばらく巧妙な欺罔的利益追求の世の中でした。しかしこれでは幸せにはなれない。本当の幸せを求めて私たちは生まれています。過去に失敗があり、それを少しの修正をしながら、未知なる未来を拓いていくのです。何時の時代もそうでした。ショパンもリストも革命の人でした。かつてフランス革命はギロチンがありました。やがて市民革命も名誉革命となりました。日本に於いても江戸無血開城がありました。平和はヒロシマを通して学んだといえます。故に先進諸国家間での核兵器の選択は事実上ありません。それを使用すればどうなるか知ってしまったのです。水爆が4つあれば、日本は壊滅するほどであると聞いたことがあります。人類は限りなく愛と平和を求めています。それが人類の祈りです。流血なくして平和を勝ちとることが未来の夢です。それを実現する頃となったのでしょうね。何時までも越後屋の利益のために騙されることはないのです。自己利益追求である限り、弱肉強食であり、餌食とされていたのは正直な人間でした。それに乗じてテレビ界もありました。それがセレブですか。本当の幸せは何処にあるのでしょうか。周りが幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。愛とは自分のためにしないことでした。お互いに尽くし合えばいいのです。大企業の製品も信用できなくなった昨今です。エコ冷蔵庫も嘘でした。何処に智慧を使っていたのでしょうか。あまりにも欺罔的な利益追求の世の中となっていますね。公正取引委員会の出る幕が多くなっているようです。嘘とバイオレンスはゆるされません。人間社会の掟です。しかし野蛮な目をしている方々が多いですね。見える人は見えています。見えない人は見えない。何が見えていないのでしょうか。見える人が活躍する時代となったのでしょうね。そして明治維新は若い人たちによって推進されました。時代を変えることが出来るのは常に若い人のチカラです。そして時を要します。今、その時ですね。若いということは年齢だけではありません。時代をよりよきモノとすることを願う気持ちです。


2009-04-26 01:35:52
デフレの中でどう生きるか
テーマ:経済

斎藤一人さんの本を読んでいて、時代の流れについて、とても教えて頂きました。時代は人類史上これまでに経験したことのないデフレ状況となっています。デフレとは供給過剰で価格が下落し、不景気となってモノが売れないことですね。企業の生産は調整され、それ故、仕事がなくなって失業者が増加する。その悪循環となって、経済としては恐ろしい状況です。金融危機の問題はそれだけではなく、背後にもっと大きな時代の変革が秘められています。取り組むべきは何でしょうね。デフレからの脱却ではなく、デフレの中でどのようにして生き残るかということでしょうか。その意味で意識の変革を要します。大量生産大量画一化製品消費社会の限界でしょうか。これまで隠蔽されていた資本主義社会の問題点が露呈されたのでしょうか。大企業も危うい時代です。かつて恐竜が滅んだ頃に、既にネズミがいました。400年来あるいは二千年来の大きな時代の変革の波が押し寄せているのかも知れません。どう生き抜くかは、硫化水素の海から生まれ、猛毒の酸素を利用して生きることを選択した時からの生命進化の営みです。物質偏重主義の終焉かも知れないですね。精神と物質の新たなバランスの頃でしょうか。人間は二足歩行により考えることが出来るようになり、手で道具を作ることで発展しました。その手はゴッドハンドであり、指はゴールドフィンガーでした。どういうことだったのでしょうね。思い起こすべきはそれかも知れません。万物の霊長として神の七つのチカラが賦与されているともいわれます。物質偏重の時代としてしばらく忘れていた事実でしょうか。職人の時代の復権かも知れません。機械による生産には魂の仕事はありません。職人が手でモノを作る時、職人の魂の周波数が作品に伝搬します。その辺りに芸術としての秘密があります。作品に触れる時、何か感じる人間的やさしさとあたたかさがあります。それを手にすると、どこかほっとします。つまり癒されるのです。そこに芸術的価値があります。この辺りにヒントがあるのかも知れないですね。さて、斎藤一人さんが指摘するのは、これまでのマクロ経済理論では説明できなくなっているということです。つまり、時代はモノ余り、人余りの時代に入ったのです。かつてこのような状況になると戦争をしていました。それが最大の消費だったからですね。モノを壊すことで新たな生産となるのでしょうか。原爆を知ってそれも出来なくなりました。お金がないから不況になるのではなく、お金はあってもモノが売れなくなっています。どうしてお金があるのに売れないのか考えるべきです。モノ余りの時代に売れるのは何でしょうね。それぞれの個性が成熟し、その好みに合致すれば売れるのでしょうか。つまり、画一的大量生産製品そのものが魅力を失い、限界に至ったのでしょうか。可能性は常に無限です。これまでの考え方は悉く通用しません。新たな発想とその新たなシステムに完成度があり、それに時代のタイミングが合えば、投資家は投資します。お金はあるのです。かつてミシンの問題がありました。簡単な機械としてのミシンは後進国で安く生産され、日本のメーカーは競争力を失いました。それでマイコンを組み込んだ高度技術を要するミシンに転換を余儀なくされました。世界の工場は今、中国ですね。中国では人件費が限りなく低い。中国の人口十数億人がすべて中産階級化するまで100年はかかるだろうといわれています。それまで中国の競争力は衰えないのです。その間、デフレ現象はつづきます。デフレからの脱却ではなく、デフレの中でどう生きるべきかを考えるべきでしょうか。デフレとなってもお金はなくなりません。お金がある限り、お金儲けは出来ます。これまでのパラダイムが通用しなくなったのです。メーカー絶対優位の時代が終わったのでしょうか。同じレベルであれば安いモノを人間は選択します。日本には人件費の問題があって、単純労働レベルでは競争力を失いました。既に世界が一つであるとする時、自ずから生き残るために何が必要なのか考えるべき時代となりました。高度技術を要する機械を開発生産し、そのオペレーターを養成することが出来るのは高度先進国家ですね。その時、単純労働ではなく、頭脳労働となります。日本の生き残る道でしょうか。頭脳労働者にとっては限りなく明るい未来です。世の中は実力の時代となりました。その時、要件に人柄と心構えがあります。お金は使うべきモノです。時代は頭脳労働者に開かれたのでしょうか。その時、単純労働者をどのように保護するのか。それが政治及び行政の仕事でしょうか。頭脳労働者には限りなく自由と幸福な時代です。デフレを憂える必要はありません。デフレの中でどう生き抜くか。これが新しい課題です。思うとおりに生きて良いのです。法は守りましょうね。ところで彼はやはり凄かったですね。日本を取り戻すといっていました。恋は鯉だともいっていました。広島城は安芸鯉城。芸術と恋のふるさとだといっていました。花は何処へ。その花が咲いたともいっていました。どういうことでしょうね。わからないですね。彼に自覚が来るまでが試練だったそうです。そして何を自覚したのでしょうか。彼は今、この世の幸せを知ったといっていました。それが彼のいう大鏡だったのでしょうか。すべてに感謝だそうです。


2009-04-26 01:09:19
生かされている
テーマ:本当の幸せ

大切なことって何だったのでしょうか。生かされているということだったのでしょうか。生かされているなら、生きることが出来ますね。聖書には思い煩う事なかれとあります。ソロモンの栄華も野に咲く一輪の草花の装いには及ばない。小鳥には日々の食事が与えられている。生きることが難しい日々でしょうか。何故でしょうね。不安の中にいませんか。あるいは何かを怖れていませんか。それとも疑いの中ですか。そうした状況を逃れることが出来ると良いですね。それは出来ないと思われますか。それが出来るとすると良いですね。それが出来る生き方もあるようです。それが本当の人生だったのかも知れません。どのようにしたらそれが出来るのでしょうか。生かされていることに気づくことでしょうか。大いなる目的があって、それに目覚めると、何もかも自由になるのでしょうか。著名な作家の中には何かに書かされていたと語っている方々が多いですね。彼はいっていました。真実は神仏の実在とその邂逅であり、その祝福守護だったと。それが大宇宙の法則であり、大自然の法則だったんだっていっていました。本来人間はそれを自覚して本当の人生が始まるんだって。しばらく無神論者が時代を支配しているように見えました。だけど、彼等もいわゆるツキというものをいいます。それ故に、無神論とはいえなかったのです。宗教とか神とか仏とかという概念が一人歩きしてそれらに縛られたくないだけだったのかも知れないですね。現代科学はかつて魂のレベルを語り始めています。この辺りに素直になって、不安も恐怖も疑惑もなくなり、そして自由となれるのでしょうか。生かされていることを知って、生きることが出来ますね。愛とは自分のためにしないことでした。動植物及び岩石までもすべてを愛し、慈しみ、育み、大切にして、この世は血塗れではない、やさしく好ましい人間関係があるということを知って、笑顔に満ちて、信じ信じられる日々の暮らしがあります。生かされていることを実感するのは、愛の周波数に同調することで始まるのでしょうか。その時、幸せですね。


2009-04-25 05:57:15
過去から自由となって
テーマ:本当の幸せ

おはようございます。只今、5:57am。外は雨が降っています。呉市広にあるジョイフルでミートスパゲティとドリンクバーで時を過ごしました。599円。そして本を読みながら考えていました。読んでいた本は斎藤一人さんのものでした。時代が変わったって思っていました。どのように変わったのかなって考えていました。あるいは探していました。斎藤一人さんの本はとても示唆に富むものがありました。人が時代を変えるのではないとありました。人が何を求めているか、それを先に見抜くから時代をリードしているように見えるだけだとありました。さて、大反省の頃となりました。何もかも思い違い、勘違いしていたのは自分だったのでした。この世は血塗れではないと書いていたのは吉田健一氏でした。この世に住むべきところがないなら、自分で作るしかないとも書いてありました。吉田健一著『思い出すままに』の中だったでしょうか。学生の頃にはこの本が何故かお守りのようになっていました。この本を読むと、何故かこころがおだやかに治まる不思議さがありました。ところで、禅のテーマに『応無所住而生其心』というのがありますね。まさに住するところなくして、そのこころを生ずる。すべてこころだったのです。もともとなにもないところからこころが生じます。そして行為となります。それによって結果となります。民法では効果意思とかいいます。もともと何もなかったのです。不安も畏れも懐疑も。こころは何処から来るのでしょうね。過去の経験からです。この世の経験だけではないですね。遺伝子的経験もあります。それが亦、因縁ということもあります。因縁とは何だったのでしょうか。過去の行為が原因となって自分に帰ってくるのでした。これも大宇宙の法則だったと仏さんから教えて貰いました。その本体は恨みであり、妬みだったのですね。それが仕返しに世代を超えてやってくる。人間レベルでは因縁には勝てない。それで魔が差すということもあるのでした。この解決が出来ると良いですね。過去から自由となって、この世の人生を新しく始めることが出来ます。人間である限り、自ら出づること能わずということになっているようです。仏さんの助けを借りるしかないようですね。かつて日本はそれを知っていました。何時の頃からか、見失われています。斎藤一人さんの本に、出世できない人は自分の本業以外のことに興味を奪われているとありました。自分の本業以外の勉強はする必要がないとありました。必要のない資格はとるべきではないともありました。此処から学校の勉強は社会に出ると役に立たないといわれるのでしょうか。それはそれで良いですね。しかしそれがすべてではないですね。どういうことでしょうね。人生に無駄はありません。無駄と見えて、それがなくては気づけないものがあります。何時か無駄と見えたことがすべて意味を持つ瞬間が来ます。無駄が多ければ多いほど、内容的には豊かです。富士は何故高く美しいのでしょうか。裾野があるからですね。裾野は無駄に見えます。しかし裾野がなければ富士ではないのです。学校の勉強が社会に出ると役に立たないなどともういわないで下さいね。出世だけが人生ではありません。この世に生まれた意味は何だったのでしょうね。過去の失敗を少し修正して幸せになるためでした。この世の人生は過去からの魂の遍歴の一齣です。前世があり、来世があります。これを知らないから、この世の人生を旅の恥はかき捨てとしていませんか。各種犯罪がそれです。凶悪な目をしていませんか。すべて姿に露われています。民事訴訟法ではこれを以て全体の趣旨とします。ファンは騙せても知性は騙せません。学校の勉強は無駄と見えます。故に価値があるのです。この辺りをわかって下さいね。斎藤一人さんの本は時代が変わったことについて、とても的確な示唆がありますね。本物の時代が終わり、本当の時代となったとありました。そして実力の時代となりました。その時、実力の要件は人柄です。それは亦、アンドリュー・カーネギー氏の説く心構えでした。法華経でいう是を以て貿易するべしとする是とはこれだったのですね。本来日本の目指していたものもこれでした。貿易立国日本は決してイエロー・モンキーではありませんでした。とりもどすべきものがあります。それは何だったのでしょうか。賓主歴然。見える人には見えています。故に謙虚さが必要です。安易なセレブ的成功論に乗じて衆愚を導き、故に繁栄していたテレビ界とお笑いが壊した本来日本の諸価値があります。大きな転換期が来たようです。過去を見直し、少しの修正をして、過去から自由となり、新しい日々を始めることにさせて頂きます。人生に無駄はありません。すべて感謝となる日が必ず来ます。あなたにも。


2009-04-24 02:15:43
ツキについて
テーマ:本当の幸せ

世の成功者は自分はツイてたとよくいいます。ツキはありますね。それは見えないところからのメッセージでしょうか。あるいはご褒美です。あなたの人生に対する祝福です。その時が来たら、素直に受け取ることができると良いですね。何時か迷いは晴れます。不安などなかったことに気づきます。本来無一物とは何だったのでしょうね。さて、ツキというのはすごいですね。絶対無比といえるほどのものがありますね。ないと思う人はないですね。あると思っている人は経験済みでしょうか。これを垣間見る人は多いけれど、これを永続的に自分のものにする人は希有でしょうか。何時かめぐり逢うといいですね。真実に。それは大いなるチカラとの遭遇でしょうか。必ずその日はやってきます。過去から自由となるその日が来ます。そして明るい未来を拓くのです。それが幸せだったのでしょうか。どんなに辛く悲しくても、その中にそれと同等かそれ以上の幸せと喜びの種が宿されています。それに気づくまでが試練です。あるいは青春です。諦めないでね。必ずその日はやって来ます。その為に鍛えるべきは自分のこころだったのです。嘘のないこころです。決して裏切ることのないこころです。相手のことを思っているようで、実は自分計算していませんか。愛とは自分のためにしないことでした。その時、相手も気づきます。今、気づかなくても、何時か気づきます。この世は素晴らしいと思える瞬間がきっと来ます。信じていようね。本来日本は愛の園、黄金の國、ジパング。今も昔も変わりません。本来真実日本は神国です。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本です。これより明らかとなります。これまでこうした真実を無視した方々の支配がありました。それが戦後だったのでしょうか。あるいは明治だったのでしょうか。本来日本の諸価値は不滅です。それは身心清浄及び正直を以てする大和魂でした。本来日本が目指していたものです。戦後、何故かそれをも壊しましたね。戦後日本精神骨抜き占領政策に乗じた方々の繁栄がありませんでしたか。野蛮と愚かさ、嘘とバイオレンス、履き違えた自由がありませんでしたか。そして何が蔓延ったのでしょうね。何が幸せだったのでしょうね。成金セレブですか。そしてどうにもならなくなっていませんか。本来貶めてはならないものがあったのです。傷つけてはならないものがありました。知らずに勝手したのでしょうか。アメリカの祈りもありました。何時までも黄泉=祖先の総体が黙っていないと彼はいっていました。古来大和に秘密の宝があります。その発掘と開拓が始まりました。資源として無限です。それは宇宙であり魂だったのでしょうか。良い時代となりました。何故でしょうね。何れにしても幸せの種がたくさん発見されることでしょうね。図らずも密かなる彼の埋没三十有余年がありました。探したものが見つかったのでしょうか。それが彼のこの世の仕事だったのかも知れません。失ったのものは大きかったといいます。子供の頃から特別特異な人生だったといいます。試練もありました。今となっては懐かしいとのこと。それ故に見つかったものがあるといいます。彼の自覚が必要だったのです。そして始まるのでした。そして今、それを確信しているといっていました。故に容赦ならないものもあるといいます。そして日本は大丈夫だよっていっていました。見えないところに認めて頂くことができるかどうか。その守護は半端ではないといっていました。不安や恐怖より自由になれるかどうか。一番槍はいたのです。感じる守護が半端であるなら、まだまだ修業の途中でしょうか。ツキはかつては神仏だったのでしょうか。してみれば、ツキを知っているということは、本来日本はやはり無神論者の國ではなかったのですね。みなさんの鮮やかな日々がこれから始まりますように。私たちは幸せになるために生まれてきました。本当の幸せって、何だったのでしょうか。明らかとなりました。本当の豊かさって何だったのでしょうね。お金だけではなかったのです。世の大富豪は、お金を通して何を実現しようとしていたのでしょうか。それも明らかとなりました。ところで、本来日本は何を以て幸せとしていたのでしょうか。あるいは豊かさとしていたのでしょうか。見つめ直すべき頃です。その意味でテレビ及び芸能界の懺悔があります。日本は大丈夫です。本来日本は滅し給わず。何故でしょうね。それも明らかとなりました。未来は明るいのです。人類の英知と技術が適量に達しました。幸せな未来へ発進の頃となりました。日本は日本です。本来日本を取り戻して愛と幸せの國を作りましょうね。花は何処へ。もう咲かないのかと思っていた花が咲きました。枯れ木に花が咲くように。本来日本知性の花です。愚かさと野蛮、嘘とバイオレンスを廃して咲く花です。それは道真の後の国風文化に等しいのでしょうか。戦後の平和の故でしょうか。本来日本に原爆の火を以てしても根絶やしはありません。南北朝、月は東へ西へ。今伊勢神宮、昔安芸宮島。頼朝は伊豆に流されていました。明治の頃には広島に大本営があり、呉は第二舩渠 でした。維新後国事に殉じた英霊招魂の碑 も見つかりました。私たちは何をしてきたのでしょうか。何をしていたのでしょうか。何時までも骨抜き占領政策に乗じて浮かれてはいられません。見つめ直すべき頃となりました。少しの修正をして過去より自由となって、みんなの幸せを開く頃となりました。ツキについて知る頃となりました。太陽暦と太陰暦のバランスの頃です。

瀬戸の海 今も昔も 同じ月 今宵静かに 幸せに酔う

【今日のニュース】
古代宇宙に謎のガス雲「ヒミコ」発見 日米欧研究チーム 2009年4月24日2時5分
 「約129億年前の古代宇宙に謎の巨大ガス雲を見つけたと、国立天文台を含む日米欧の研究チームが発表した。ビッグバン宇宙論によると、この時代には小さな天体しかないはずなのに、理論で説明できる10倍以上の大きさだった。実態がよくわからないことから「ヒミコ」と名づけたという。
 国立天文台などによると、すばる望遠鏡で観測した約200の銀河の距離を測定したところ、極めて遠くにあるのに、大きくて明るいガス雲があった。遠くにあるほど古い銀河で、宇宙ができて8億年しかたっていなかった。大きさは地球がある天の川銀河の半分ほどだった。
 研究チームの大内正己・米カーネギー研究所特別研究員は「初めは測定エラーと思った。これまでの理論では説明できず、正体は全く不明だ」と語った。 」


2009-04-20 06:44:18
西洋と東洋の合一=本当の幸せ
テーマ:本当の幸せ

真実って何だったのでしょうね。彼がいうには、神仏の実在とその邂逅らしいのです。そして本来、物質と精神は宇宙にとって同じだったというのです。それが現代素粒子理論で裏付けられていたといっていました。東洋は精神を重んじていました。西洋は物質主義で、その代表がお金でした。お金は何にでも形を変えることが出来ます。そしてお金を獲る手段が市場主義でした。日本もペリー来航以来、西洋化を急ぐことになりました。黒船はそれほどの脅威だったのです。逆らえない何かがあったのでしょうね。しかし西洋思想は十九世紀に自ら没落していたとしていました。どういうことだったのでしょうね。既に物質主義の限界に気づいていたというべきだったのでしょうか。そしてこの度の金融危機は百年に一度といわれています。その震源地はアメリカでした。プライムローンの崩壊は何を意味していたのでしょうか。どうして日本も空前の大規模な補正予算を組まなければならないのでしょうね。大消費を前提とする現代資本主義メカニズムに対してカンフルですね。カンフルは一時的なものです。根本解決ではありません。その間に、立て直すべきは立て直すというべきでしょう。あるいは創造でしょうか。第三の波は情報化でした。創造化こそ第四の波ともいわれています。世界の大消費地はアメリカでした。それを担っていたのはアメリカの大富豪ではなく、中産階級でした。プライムローンが問題だったのは、レパレッジ理論による金融工学の故の損失規模の巨大だけでなく、これから大消費を担うはずだった中産階級の芽を摘んだことにあります。最大の外貨準備を持つ中国も最大の貿易相手国はアメリカだったでしょうか。アメリカ市民にとって消費こそ人生でした。まさに物質主義の国でした。さて、東洋は清貧の思想などもあって、物質的享楽に対して否定的でした。むしろ欲望的に生きることは恥じるべきことであるという傾向があり、精神を重んじていました。ところが、敗戦を通して、精神主義では世界の中で生きてゆけないことが決定的かと思われたのでした。それで経済国家日本を建設したのだったでしょうか。しかし此処に来て、科学もかつて魂レベルだったことを語るに至っています。西洋は物質主義では本当の幸せになれないことに市民レベルで気づき始めたのです。経済的豊かさがなければ、その他の幸せも画餅と見えます。21世紀は物質的にも精神的にも豊かであることが幸せであることに気づいたのです。目指すべきは西洋と東洋の合一ともいえます。新しい時代となりました。しばらく物質偏重でした。反省するべきところは反省です。そして日本の精神的諸価値の見直しとなりました。だからといってアナクロニズムではないことは当然ですね。百年はかかるといわれた明治の文明開化がありました。百年に一度という金融危機の時代です。物質と精神の両方の豊かさがバランスがとれることで本当の幸せとなります。世界の中の日本として、大きな使命が見えてきましたね。それは知性の復活を伴います。ところであらゆる英知の伝えた成功論は何だったのでしょうか。どのような大富豪も一度や二度は挫折を通っています。そして何かに気づく瞬間が来て己を知るのでした。何を知るのでしたのでしょうか。生かされていたということです。それが神仏の実在とその邂逅であり、それを真実と知って、それを信じるに至るのでした。その時、地獄の中の自分を観ていたのです。それから復活したといえるのです。その時、本当の幸せへと歩み始めたのでした。誰もがそうだったのです。それが伝えられていた物語の世界でした。『復活』こそ本当の幸せへの道だったのです。達磨も面壁九年がありました。それは『十牛図』では第八図で、空であり、無でした。その意味も明らかとなりました。己を過去から自由とすることで、その時々に必要な智慧が入ってきます。そして個々の問題を解決していくことが出来るのです。それは冷静な分析及び判断と適切な処理があるからでした。その時、精神はとてもリラックスしています。己は宇宙と一体であり、亦万物は自然と一体であって、その中で守護されていたことを確信します。それが悟りだったのです。何を悟るのでしょうね。神仏の実在と邂逅であり、亦神仏の祝福守護だったのです。それが本当にこの世での経験となるのです。そしてこの世の本当の人生が始まるのでした。本当の幸せへの道が見えてくるのです。その時、何をしても亨ります。それが易学の意味するところでもありました。意味のない人生では空しいのです。孤独です。愚かさは空しいのです。意味のある人生があります。それはお笑いではなかったのです。気づくべき頃となりました。彼の自覚が確かにあったのでしょうか。そして彼はいうのです。大鏡だったと。何がいいたかったのでしょうね。彼の住むべき空間はこの世になかったといっていました。故に作るしかないのでしょうか。創造化の時代となったのでしょうか。それは西洋と東洋の諸価値を見直してバランスすることでしょうか。経済的豊かさと精神的豊かさを以て本当の幸せとなるのですね。西洋と東洋の合一です。かつて知行合一の陽明学もありました。その第一人者は佐藤一斎だったでしょうか。彼の描いていた夢が見えてきました。さて、『十牛図』第九図では、美しい自然が満ちてきます。第十図は日常回帰です。すなわち、意味のある暮らしでした。それは平和を前提とする愛のある暮らしでした。かつて王侯貴族に限られていた自由が庶民に開放されました。そして今、多くの英知と技術の蓄積があります。それを活用して未来を作る頃となりました。これまでの考え方では幸せになれなかったからです。一部の幸せは本当の幸せではありませんでした。不安と恐怖、疑惑がある間は幸せではありません。全体のボトムアップがあって、皆が幸せである時、その中の自分も必ず幸せです。見つかりましたね。ビジョン。資本主義で良いのです。少しの修正を要します。嘘とバイオレンスは御法度です。野蛮と愚かさから脱却してこの世の人生は始まるのでした。何をしても良いのです。何をしても亨ります。真実を知って、本当の人生が始まるのでした。謙虚さと畏敬の念を取り戻してやさしい関係が訪れます。知性は何時か真実に至ります。過去より伝えられていたことでした。目覚める頃です。知性の復活です。それぞれの立場があります。持って生まれたDNAが何時か動き始めます。いくつかの修正をした後で本当の人生が始まり、本当の自由を知って、本当の豊かさが訪れます。それは精神と物質とのそれぞれ良い面に於けるバランスでした。知性の春は遅れてやってきます。自覚を要するからです。そのために勉学と経験を通らねばならないからです。自覚が来た時には時代が変わります。それが代々の務めだったと彼はいっていました。覚悟を決める頃かも知れません。議論するべきは議論しましょう。建設的解決の方へ。議論を小さな権力闘争のための具としていませんでしたか。もはやそのような時代ではありません。経済では今、顧客満足度をいいますね。主権在民と国民主権の現代政治では国民満足度でしょうか。何か勘違いしていませんか。否定のための否定は議論ではありません。そろそろ気づいたようです。時代は代わりました。そして動き始めました。国民は観ています。しかしこれまで何もいえませんでしたね。時を待たねばならなかったのでしょうか。そして成熟した個人の時代となりました。時は満ちました。今までとこれからは違います。良い時代となりました。良い時代としましょうね。


2009-04-19 07:53:40
表現=芸術的時代
テーマ:ブログ

美しい絵があります。こころに響くミュージックがあります。文学は魂を扱いますね。あらゆる芸術は何だったのでしょうか。人間としての表現だったのですね。それぞれが自分を表現するのです。それが人間として生きることだったのではなかったでしょうか。美しい絵があります。こころに響くミュージックがあります。そこに何を観るのでしょうか。何を聞くのだったのでしょうか。絵でしょうか。ミュージックだったでしょうか。その人の人間性ですね。人生ですね。絵を通して見るのです。ミュージックを通して聞くのでした。あらゆる人が自分を表現する時代となりました。臆することなく、自由に。好ましい自分となって生きていくのです。人生は素晴らしいですね。楽しいですね。良い時代となりました。ブログの活用も良いですね。芸術的時代です。芸術も庶民に開かれました。同じ表現があったとします。ある人がすれば芸術となります。ある人がすれば傾向犯となります。判断基準は何でしょうか。全体の趣旨でした。これを以て基準が客観的に明らかでないという議論があります。人間的行為です。それで良いのでした。良いものは良いですね。美しいものは美しい。もはや自分のためにする欺罔的複雑な手段で以てする自己利益追求の時代ではありません。個人の時代となりました。経済的にも企業と個人が対等に競争する時代です。庶民は解放されました。個性を表現して生きていく芸術的時代となった故の事でしょうか。内容のないものは淘汰されます。これまでの繁栄の基礎が崩れました。意味のない愚かさでは生きてゆけなくなりました。取引行為である限り、多少の欺罔を当然に含んでいる商人根性によって失われて久しい努力と真面目こそ本来日本の属性です。取り戻すべき頃となりました。社会の問題は冷静な知性ですべて解決できます。本来人間は万物の霊長としての属性が賦与されていました。それを無視した社会がありました。故に腐敗は限界に至ったのでしょうか。何故だったのでしょうね。知性に対する尊敬と神仏に対する畏敬の念のない方々の支配横暴がしばらくあったのでしょうか。バカになることが幸せだなんて、人間性に対する冒涜ですね。学校教育が社会に出て役に立たない社会を作ったのは誰ですか。誰が言い始めたのですか。議論する用意はあります。取り戻すべきものがあります。新たな知性の秩序です。学問上、民主主義は衆愚化するといわれています。民主主義の内在的限界です。社会を衆愚化に導いていたことを知らなかったテレビ界の影響があまりにも大きかったのではないでしょうか。自由の一部を差し出しての社会契約があります。表現の自由を勘違いしていませんでしたか。報道の自由は別論です。テレビ界が報道ではありません。反省の頃です。


2009-04-19 07:49:51
本来無=日々を楽しむ
テーマ:ブログ

本来無だったのですね。何を以て無というのでしょうか。あらゆる実存も思念も無だったのです。善も悪もありはしなかったのでした。しかし人間として社会生活を営んでいます。その時、善も悪もあるのですね。正義は常に相対的です。それが人間社会です。その時々に何を選択するのでしょうね。大切なのはそれでした。失敗もして良いんです。修正すればいい。しかし社会には色々な人がいます。人を餌食とする人もいます。惑わされないように生きていきたいですね。故に知性を要します。勉学も大切です。学校は教えるべきところです。各教員自覚を新たにし、ビジネスと化した塾の理念とは一線を画するべき時です。学校教育の目的は何だったのでしょうか。それぞれ力強く生きていくことでした。知識の伝達は当然です。宝石のように輝く自分となって生きていく。それが自ら恒星として輝くスターでした。スターはあるべき人格の生き方としてのお手本です。お笑い芸能とそれに染まってしまったテレビ界に今、それがありますか。何をおもしろがっているのですか。どのレベルの人間性を標準化して日本に流布したのですか。さて、何時も無であればいいですね。その時、無限の智慧が入ってくるから。そして時々の問題を解決していくのです。そのための智慧ですね。解決すれば亦、無となるのです。波は満ちて引き、亦満ちます。それでいいですね。日々を軽やかに楽しむことが出来るから。 そして笑顔が当然となるのでした。やさしいトーンでお話ししましょうね。愚かさと野蛮からの脱出です。私たちは此処まで進化してきました。求めていたものは何だったのでしょうか。世界は今、愛と平和を手段とする日々の暮らしを求めています。


2009-04-16 03:30:52
本当の大人へ
テーマ:本当の幸せ

見直すべき頃となったのでしょうか。孤独めいて、独りよがりだったことを。知らずに誰かを傷つけていたのではなかったでしょうか。あるいは貶めていたのでした。それで、それはそのまま自分に帰ってきていた。そうしたものだったのです。マーフィ理論で見つけた、潜在意識に主語はないということはとても画期的でした。まるで目から鱗が落ちるとはこれでした。それで他の幸せを祝福するのだったのですね。以前からこれは疑問でした。どうしてもそう思えない自分がありました。それが問題だったのです。そして大切なことは、こころからそう思えるかどうか。細胞のすべてがそう思えるかどうかだったんです。そして悪舌もしたことでした。それは自分にゆとりがなかったからですね。金持ち喧嘩せずともいわれます。清貧ぶって粋がっていた。自分の気持ちに素直になれなくて、巧妙に責任転嫁していた。これでは幸せになれないのが当然です。誰もが鬱陶しい。反省するべきところです。そして今、これまでのような感覚が消えつつあるのです。すべてよしとして良いのではないかとばかりに。それに自分が惑わされる必要はなかったのでした。これが自分では気づけない。これに気づくことが出来れば、すべて解決します。背負うべきは背負う。断るべきは断ればいい。誰にも彼にも好かれたい自分があったのでしょうか。世の鬱も非行も原因は親の前で良い子ぶることだったのかも知れませんね。鬱になる必要はない。非行に走る必要もなかった。それはそれでそれしかない自分の存在証明だったのかも知れません。それにしては失うべきものが大きすぎますね。何れにしても、色々な人がいるのです。その中で、自分はどうあるのか。それが問題でした。自分に素直になればいい。修正するべきは修正すればいい。自殺なんてする必要ないですよ。特にお金のことで。世の中は資本主義です。資本家にならなければお金の自由はない。だけど、お金を持っていることで弊害もあるのです。お金があるが故に、不安から逃れることが出来ないのかも知れません。本当の幸せとは何だったのでしょうか。本当の自由とは何だったのでしょうか。本当の豊かさとは何だったのでしょうか。貧しい時代がありました。贅沢こそ人生と思われたバブルの時代もありました。時代は今、倹約の時代となりました。時代の空気を見極めて生きてゆけばいい。変わるものと変わらないものがあります。そうした諸価値を問い直す頃かも知れません。人と比べていたから、そうしたことが見えなくなっていたのではないでしょうか。実力主義の時代となりました。その意味では、素直で明るい人と勉強する人の時代です。それが正直の要件でしょうね。真面目が見直されます。人の世です。如何に社会の中で豊に幸せに暮らすかが大切ですね。世に疎まれても仕方ない。自分の好むところに従って生きればいい。その時、鬱も非行も自殺もないですね。そして行動して失敗すればいい。自転車だってはじめは転んで乗れるようになれますね。怖れることはないのです。失敗ははじめから織り込み済みです。むしろ失敗を怖れていたことを笑い飛ばしましょう。そして失敗をも楽しめば良いんです。知性の勝利とかいっていました。それも今はおかしくて。そうしたことをいうこと自体が大人ではなかったのです。いよいよこれで卒業でしょうか。いわゆるバカになれる気がして参りました。それは自信に裏付けられたバカですね。わかりますか。わかりますね。これで自由です。何も気にならなくなりつつあります。それが大人だったのでした。気づいたのでしょうか。もう大丈夫ですね。任せて貰って良いのかも知れません。これから何をするのでしょうね。自由に生きていく。本当の幸せを求めて。多くの学習がありました。見直す頃となりました。本来日本、強かですね。意味のある人生を歩んでいくのです。会社は利益を出さなければ意味はないですね。人間は社会の役に立たなければ意味はないですね。真実が那辺にあるとしても、それがみんなの幸せのためでなければ意味はないですね。誰もが幸せになれるように、自分も存在している。それが大人でした。知らずに誰かを傷つけていたのかも知れません。あるいは貶めていたのでした。それがそのまま恨みとも妬みともなって自分に帰ってきて、そしてさらにそれを怨む。何とも愚かな循環でした。気づく頃となりました。既に見つけた真実の見直しの頃でしょうか。そしてそれを如何に役立ててゆくかが大切です。世の中には掬う人と掬われる人がいるのでした。無駄飯は食っていないといえる自分になりたいですね。これからです。他をゆるすことで自分もゆるされている。その時、ゆるしゆるされる関係があります。プライバシーは保障されています。本当の自由は何だったのでしょうか。本当の幸せとは何処にあるのでしょうか。本当の豊かさとはどのように生きることだったのでしょうね。見直すべき頃となりました。そして本当の大人となるのです。そして世界に合流です。


2009-04-14 11:41:02
その時君は
テーマ:本当の幸せ

何時か幸せがやってくる 遠い星から
時には椰子の実ひとつとして 流れ着いたね

その時君は 何を観るだろう
何を聞くのだろう

古より同じ月を観ていたんだ
その月を観るだろう 英知として

そして同じ波の音を聞くだろう

その時君は この世のすべてを知るのだろうね
決して裏切ることのない絶対の愛とやさしさ

求めていたのはそれだった

ラジオで得度者が妙薬はないから諸行無常という
何をいってるんだろうね 知らないのだね

妙薬はあるよ 探しませんか 人と共に
そして幸せになりましょう

誰もが幸せになることが出来る
何時か幸せがやってくる 

試練を通って 使命を果たして
そしてすべてを知るだろう 

その時君は魂だった
そしてつぶやく 生まれて良かった


2009-04-14 02:28:32
彼の使命って何だろう
テーマ:本当の幸せ

彼はいっていました。確かに使命は果たしたんだって。少し遅れた観はあるけれど、果たしたことを以ておゆるし願いたいといっていました。それは何だったのでしょうね。一言でいえば自覚だったらしいのです。とても恐怖を伴うものだったらしいよ。しかし何時かその時は来るのだったといっていました。世界も待っていたんだって。何をいってるんでしょうね。政策の骨太というのは、骨抜きの対義語でしょうか。花は何処へ。世界が探していました。アーサー王円卓会議の最後の切り札として。もう咲かないと思われていたその花が咲いたらしいのです。咲くまではどこにいるのか誰もわからなかったのでした。カミオカンデはかすかな情報を得ていたのでしょうか。そして咲いて驚きましたね。まさかだったですね。世界は気づいたのです。そして動き始めました。彷徨える混迷より抜ける時を迎えたのでしょうか。新しい時代が始まったのでしょうか。もう、いいですね。そして今、新たなこの世の経験に基づく個別具体的使命が何であったか気づいたようです。それをこの世で果たすために生まれていたのかと思っているようです。それも彼にしかできないことなのかも知れませんね。それは何でしょうか。これから明らかになるといっていました。それはいわゆるセレブ的成功論ではなかったことは確かであるようです。彼は今、とても貧乏しています。筑間教授は、君は大金持ちではないかといってくれたのでしたけれど。その意味も今頃になってわかったらしいのです。申し訳ないことでした。忝ないことでした。しかし戦後は彼を惑わすに十分だったのでした。仇をとられたのだったのでしょうか。もうそれもいいですね。そして成功論は理論的には既に処理済みだといっていました。その前に処理するべきことがあるらしいのです。彼の使命って何でしょうね。学校教育は社会に出ると役に立たないといわれます。何故だったのでしょうか。いろいろと知っているが故に判断力と決断力がないからでした。大人とは何を以ていうのだったのでしょうか。判断力と決断力だったのです。そして自ら由とするのです。失敗は怖れなくて良いのでした。修正すればいいのです。そのために人間は社会を作っているのでした。彼が気づけなかったのはそれだったのです。故に優柔不断となり、自信を喪失していたのです。世間に見捨てられたかと思っていたようです。しかし彼が判断力と決断力を取り戻したらどうなるのでしょうね。それが必要な時を迎えたのでしょうか。彼は独立独歩で歩んできました。それで今、どの閥にも属していないのです。利益分配の輪の外でした。そしてその間、開発発見したものがあるといいます。妙薬はあるといいます。見つけてきたらしいのです。それでいうのでしょうか。もはや勝手は通らない。世の大人は明らかに失敗していますね。何故でしょうね。過去からの解決するべきことがありました。今まではその解決方法はわからなかったのです。そしてこの世で処した人生があります。そのツケもたまってしまったのです。それを謙虚に認めるべき時が来たのでしょうか。父のものは父に返し、母のものは母に返して始まります。何が始まるのでしょうね。大利根浮き世の三都物語かも知れないですね。和歌山仕込みらしいですよ。ところで、田端義男『十九の春』は昭和50年だったのですね。その頃は気づきませんでした。早く、気づけば良かったですね。彼は大鏡とかいっていたけれど、長唄とか浄瑠璃とかで泣いたこともあるらしいのです。月の砂漠だったともいっていました。今となっては笑い話らしいです。これからですね。人生は。彼の夢は何だったのでしょうね。黄泉を制して何かあるといいます。それは何だったのでしょうね。やはり、彼は彼でした。彼こそ彼でした。人生すべて、感謝となったといいます。これより恩返しでしょうか。それが彼の使命かも知れないですね。十分に導かれ、教育されたといいます。自ら学問もあったようです。今、3:43am。NHKラジオ深夜便を聞きながら書いていました。そういえば、呉市には『入り船山記念館』があります。しばらく行っていないですね。その辺りに椿の木がありました。呉の大祭りをするところである亀山神社はそこにあったといわれています。鎮守府をおくために移転となりました。その椿も移そうとしたのですが、何故か動かないのです。七人の犠牲者が出て、そのままそこにおかれることになったといわれます。神樹として祀られたのでした。少し前にその椿は枯れました。その木で作られた観音菩薩さんが『入り船山記念館』の中にあります。それで呉市の花は椿でしょうか。ちなみに呉市の木は樫の木だったでしょうか。樫の木は森の主です。亦、呉市中央公園には『シンジュの木』が『華魂碑』の裏にあります。以前は真っ黒でトゲトゲでした。今は枝も落ちて刺はなくなり、なめらかな肌をさらしています。彼が気づいた頃には既に枯れていました。さて、再び季節は巡ってきたようです。彼の祖父良亮の没した昭和50年来のことでしょうか。この度は大丈夫だよと彼はいっています。さて、ゆるす時、ゆるされる。潜在意識にとって主語はない。だから、相手をゆるす時、自分がゆるされています。ゆるしゆるされる関係があるのです。それが愛の形でしょうか。何故ゆるすことができるのだったのでしょうか。相手は知らないからですね。知らずに傷つけていたのです。そして傷ついていました。知らずに貶めています。だから自分も貶められていました。幸せはサポートし合うことですね。それが本当の give & take だったのでしょうか。その時、take it easy でした。ラクな人生が待っています。誰にも待っています。必ず待っています。美しい風景と好ましい人間関係が待っています。この道を信じて進みましょうね。何時かあなたも妙薬に出逢うことが出来ますように。今、5:16am。外は雨。あたかも嵯峨野に降るかのような瀟々としてやさしくおだやかで静かな絹のように長い雨脚の雨音はせせらぎのようです。彼の選択は確定しました。やさしくおだやかに生きていく。野蛮はさようなら。おろかさもさようなら。社会はこれよりその方へおだやかにシフトするのですね。

【地震情報】
発生時刻 4月14日 1時59分
震源地 千葉県東方沖
位置 緯度 北緯35.7度
経度 東経140.8度
震央 マグニチュード M4.3
深さ 約50km


2009-04-13 16:49:53
ホームページの修正をしていました
テーマ:ブログ

今日はホームページの修正をしていました。
http://www.pc-kure.net/
これから出掛けます。 16:50
広島方面です。


2009-04-12 14:34:55
目指すべきブログ
テーマ:ブログ

開発するべきものは何だったのでしょうか。核兵器ではありませんでした。大陸間弾道ミサイルでもありません。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数です。それが仏の大慈悲だったともいえます。 この世に情報があふれています。その中で何を選ぶのでしょうか。選んだ情報の色にあなたは染まります。世界は何を求めていたのでしょうか。愛であり、平和であり、幸せであり、豊かさです。それがフリーダムでした。一部の方々は実現しています。これから誰もがそれを目指します。庶民の解放の時代です。 しかし世間には野蛮が跋扈しています。自分に必要な情報と必要でない情報があります。どのような自分になりたいのでしょうか。自分を見つめることからはじめましょう。周りに今、幸せがないとします。それで信じることが出来ませんね。幸せはあるのです。ないのにあると思っているのが野蛮で、あるのにないと思っているのが幸せです。そして世界は待っていました。合流の時です。戦うべきは何とだったのでしょう。仮想敵国とではありません。自分自身とでした。そして少しの修正で良いのです。悪性を払うのです。それは過去を捨て去ることでした。そして自由となるのです。私たちは此処まで進化しています。再びバイオレンスに墜ちることはないのです。 言葉を集めましょう。仏も勧めています。仏典の中から好きな言葉を選んで花束を作っては如何でしょうか。訪れるだけで明るく、楽しく、清々しく、幸せな気分にしてくれる空気のブログあるいはホームページを作りたいと思っています。リラックスして、素直になって。明るく、楽しく。自由と豊かさを求めて。


2009-04-12 02:20:36
ビューティフル
テーマ:本当の幸せ

本来無一物ということがあります。どういうことだったのでしょうね。本来無一物です。これではわからない。でも、本来無一物です。どういうことでしょうね。かぐや姫が月に帰りました。何故月に帰ったのでしょうか。月に帰ったかぐや姫に聞くしかありません。

ありがたし日本となりし春の月

どういうことだったのでしょうか。これはわかりませんでした。感じてはいました。しかしわかるはずもなかったのです。そして何時か時が来ます。時計仕掛けだったのでしょうか。どうでも良いですね。もはやどうにもならないのです。秘密は解かれました。自由です。何時か悪性を去るのです。そしてわかります。すべてわかります。春の月です。それが本来無一物でした。わかりませんね。もうやめましょう。感謝するしかないのです。人生に乾杯となりました。すべて自分次第でした。すべてです。幸せも、不幸せも。だれかが書いていました。自分は成りたい自分に成ると。間に合ったのでしょうか。それにしてはボロボロとなってしまいました。修復ですね。迷いはないのです。不安もありません。疑いもなくなりました。どうも夢ではないようです。このようなことがあったなんて。不思議です。驚きです。今宵も雲一つない月が輝いています。4日目ですね。何があったのでしょうか。達磨はいいました。不識。知ったことではないと。それで良いみたいです。自由の定義です。日本は平和を学びました。そして選択したのです。世界は待っていました。重要な使命があります。それは何でしょうね。そろそろわかる頃となりました。持って生まれた花があります。どのような花を咲かせますか。いくつか修正を必要としていたようです。それが青春でした。父のものは父に返し、母のものは母に返して咲くのでした。己の花を咲かせるのです。それがこの世の使命でした。

悪舌を抜きて咲きたる櫻かな

彼は何処で何をしていたのでしょうか。この世の旅は終えたようです。この度は何を持ち帰ったのでしょうね。新しい時代となりました。ご苦労様でした。そしてお疲れ様でした。天も地も喜んでいます。『瓢鯰図』というのがありますね。笑顔でのらりくらりでしょうか。どういうことでしょうね。本来無一物。本来善も悪もなくて、縁を以て始終成壊するというところでしょうか。人間である限り、悪だと聞いたことがあります。そして本来は善だった。鈴木大拙氏は元気と不傷害をいっていたでしょうか。それがのらりくらりの生き方かも知れません。『のたり松太郎』という漫画もありました。『のらくろ』もそれだったのでしょうか。この辺りがお笑いの原点だったのかな。それならそれで良いですね。要はおだやかにやさしく生きてゆけるなら、幸せです。その時、ゆるしゆるされる関係が成立しています。そこに愛があるからでしょうか。何れにしてもこの世は素晴らしい。生きるに価します。beautifulを英英辞典でみると、喜ばす何かとあります。あるいは嬉しくさせる何かです。相手が喜ぶことをすることで、自分も喜ぶことになります。他の幸せを祝福することで私たちも幸せになれます。それはあります。私たちは幸せになるために生まれてきました。そして幸せを実現した人もいます。学ぶべきは学び、自分のものとしていくことで、幸せになることが出来るのですね。目指すべきはそれだったのでしょうか。只今、5:30am。昨夜はある方々に招待されて、カラオケに行きました。誕生日のお祝いをして頂きました。その後、徹夜してしまいました。仮眠することにします。

只今、10:20am。目覚めました。今日の活動開始です。

世界は待っています。そして惜しみなくエールを贈ります。新たな愛の伝道者に対して。それがスターです。輝くのです。輝けばいいのです。何時か人格の宝石として。そして何をしても良い。すべて亨ります。中国四千年の人間統計学であった易学の伝えたのもそれでした。それが人生理論の原型でした。それが四聖何するものぞであったのでしょうね。学ぶべきは学び、時が来て、すべてが意味を持つ瞬間がやってきます。パスカルに於いてはそれが『メモリアル』でした。あらゆる成功は同じメカニズムです。そして次の成功者のためにサポートしています。あるいは方法論を伝えているのでした。私たちは何故生まれたのでしょうね。幸せになるためでした。幸せは近いのです。少しの修正を要します。野蛮を脱して成功はあります。自分では正しいと思っても、相手が聞いてくれないことがあるものです。何故でしょうか。相手の魂が承知しないからです。言葉は義だけではありません。しかし義です。亦ロゴスです。こうした論理が鈴木大拙氏のいう即非の論理かも知れません。確かに幸せはあります。ないと思っている自分があるだけです。人はひとりでは生きてゆけません。意味がありません。みんなの幸せを願う時、大義名分があります。その時、神風も吹きます。大義名分こそ征夷大将軍の要件でした。そして戦もありました。それは何処までも民のためにという目的がありました。それが天下泰平でした。それを知らない方々がいろいろと解釈しています。そしてどのようなイメージが出来たのでしょうか。本来日本はどのような國だったのでしょうね。現代戦争は市民を盾にしてだれのためにしているのでしょうね。不思議があります。不思議は知る人には事実でした。知らない人には不思議です。今日も穏やかに晴れています。明日の午後から崩れると天気予報はいっていました。

見える人 何もいわずに 春の月
やさしさに そよ風の吹く 櫻咲く
一点の 雲なき春の 続きたり

自分を信じることが出来ますか。その時、愛を知るでしょう。それは自分のためにしないことでした。勇気も当然となります。惑わされることはありません。迷いも不安も疑惑もありません。それはあるのです。それが歴代の人類の英知の結論だったのです。そしてこの世は素晴らしい。人生はビューティフルとなるのでした。

今、4:16pm。これから出掛けます。外の空気を吸いにいきます。


2009-04-11 15:40:13
流れに乗ろう
テーマ:ブログ

それは何度かありました。彼に時代のフォーカスです。既にノミネートされていたのでしょうか。常にサインはあるのです。それがチャンスでした。再び彼が必要な時が来たのでしょうか。これまではその波に乗りきれないままでした。自信がなかったからでしょうか。何時までも優柔不断でした。この度は何とかこの波に乗りたいですね。何度か失敗もありました。これからもあるのかも知れません。しかし気にならなくなりました。このトレンドに乗りましょう。彼に春が来たのでしょうか。この度は確かなようです。それはこれまでにもありました。この度は大丈夫のようです。何のことなの?交信だよ。やっとこころが裸になれたのかも知れないね。そしてこの世の人生はそれでいいと気づいてしまったらしい。持って生まれたもので十分だった。それを鍛えて、それを使って生きていく。それで生きてゆける。あれこれと思う必要はない。淡々とあるいは粛々と問題を処理していく。それが素直さを取り戻すということだったのですね。日々楽しくなったね。充実だね。 このブログ(アメブロ)は面白そうだね。此処に来て、よかったね。 みんなで楽しもうね。この世は素晴らしい。本当だったんだね。 一度限りのこの世の人生と思って良いね。来世は来世の風が吹くね。今が未来を作っている。今を楽しんでしくはなし。何時か至るよ。誰もが至る。 必ず至る。この世に生まれて良かった。自分次第だよ。一歩踏み出せば良いんだね。吉田健一氏はいいました。この世は血塗れの世では決してない。この世は喜び世界だった。感謝の世界だった。愛と平和の世界だった。自分からはじめようね。それが一隅を照らすということだったんだね。試練はあるよ。そして既に教えはあるのでした。世界は待っているのです。そして新たなチャレンジャーに対してエールを贈っています。合流すべき世界があります。愛と平和の世界です。気づいたところからはじめよう。緊張していては判断を誤り、失敗もあります。常に冷静に観察して、リラックスしていいんだよ。そして力を発揮する。要は日々の問題解決の積み重ねでした。幸せは来るのです。必ず来ます。あなたのところにも。勇気は一歩を踏み出すことでした。江戸への道も一歩からだったのです。 悪舌は功徳の種を断じます。流れに乗りましょう。合流です。みんなで幸せの世界へ。 自分のためにしない。それが愛でした。その時、フリーダムです。あるいは団藤重光著『主体性の理論』でした。イメージっていいますね。それはリキまずに考えることでした。幸せになろうね。大いなるチカラに祝福守護されて。言葉は言葉であって、言葉ではない。亦、言葉である。どういうことでしょうね。知る人は知っています。知らない人は知らない。風神雷神。草薙の剣、金剛杵。本来日本、滅し給わず。失われた諸価値があります。日本は日本です。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。やさしくなっていいんだよ。正鵠を射る。的はずれの言葉の矢は己の魂を射抜きます。古来大和の秘密があります。謙虚さと畏敬の念を失って久しいですね。真実は神仏の実在とその邂逅でした。思い出すべき頃となりました。誰もが幸せを願っています。それは何だったのでしょうね。それは壊すことではなく、作ることでした。


2009-04-11 06:19:48
方法論の確立
テーマ:本当の幸せ

時代はシフトしました。明らかですね。銀行の護送船団方式はなくなりました。何故だったのでしょうね。企業に就職しても終身雇用などもはやありません。年功序列など以ての外です。何故だったのでしょうか。成果主義と実力主義の世の中となりました。時代は後戻りしません。医者の優越もなくなりました。何故だったのでしょうか。裁判も裁判員制度となりました。何故でしょうね。公務員も腐敗しました。彼の求めているものではなかったからでしょうか。生きている意味は何だったのでしょうね。生まれた意味は何だったのでしょうか。何のためあるいは誰のために働くのだったのでしょうか。生命体は何処を目指しているのだったのでしょうか。彼が求めていたものはそれだったのでしょうか。尾崎清彦氏が帰ってきました。ハワイから。ヒロシマでコンサートが予定されています。「また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは話したくない」。そのわけがわかったのでしょうか。神の七つの力を賦与された万物の霊長として、その力を自覚することによって自分のものとなった個々人の本領発揮の時代となりました。何故でしょうね。彼の探していたものがそれだったからでしょうか。そうかも知れません。知らなかったですね。しかしそうであったようです。本来日本を取り戻すことが彼の願いだったのですね。それを探していたのでしょうか。彼とおつきあいした人は感じていました。しかしそこまでとは思っていませんでした。そして今、彼は帰ってきたのです。何が必要だったのでしょうか。未来即ち個人主義自由社会を生き抜くために。それが自覚の内容であり、方法論の確立だったのでした。難しいのは自覚です。何を自覚するのだったのでしょうか。これが明確にならない限り、この世の人生は始まらないのでした。それぞれの問題であり、既にそれを果たした方々に学ぶしかないのです。そして次に大切なのが方法論の確立でした。これは既に成功した方々に学ぶと同時に、何処までも本来の自分を見つめて出てくるオリジナリティを要するのでした。個別具体性を要するという意味です。そしてその本質は普遍的です。自覚があって、それがあるのでした。時代のテーマは何だったのでしょうね。愛と平和でした。その意味を確定する必要がありました。それは亦、そのままビートルズのテーマでした。そしてビートルズに『レット・イット・ビー!』があります。これは世界ではそれほど売れませんでした。日本ではよく売れました。日本人の心の琴線によほど触れたのでしょうね。ヨーコ・オノの影響大とするところでしょうか。この曲はビートルズのインド旅行の後で生まれました。インドでラジニーシに逢ってからのことでした。ラジニーシは自らオショウ・ラジニーシと名乗りました。その実践には少々戸惑うところがありました。。フリー・セックスが瞑想だったからです。資金源として麻薬シンジケートの疑惑もあったようです。事実かどうかは判然としないのですが、そのような記述に触れたことがありました。しかし、真実の一端ではあったのでしょうね。ビートルズは彼と出逢って何かに目覚め、『レット・イット・ビー』が生まれた事実は否めません。さて、自由個人主義の時代となりました。それはよちよち歩きから始まり、青春の嵐を通って成熟しました。日本に於いて。そしてこの時代を切り開き、生き抜く精神は何だったのかが明らかとなる頃を迎えたのです。いろいろと思索がありました。それは新しい時代を生きるために必要な方法論を確立するためだったのでした。そして今、それを明らかにする時が来たのでしょうか。ラジニーシの実践に戸惑うとしても、その精神には学ぶべきところがあるようです。時代は進化しました。自由とは思うとおりにすることだったのです。かつて自由は王侯貴族に限られていました。今は資本家のものでしょうか。それを庶民が手にする時が来たのですね。それは旧約聖書に秘められていた、市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る庶民の解放だったと彼はいいます。良い時代となりました。先日、若いお父さんが小さな娘さんと海浜でスケートボードをして遊んでいました。「良い時代になったね」と話しかけると、輝く目と笑顔で「そうですね」と応えてくれました。コミュニケーション成立でした。さて、この時代を如何に生きていくのでしょうか。このブログのテーマです。その時の方法論は何だったのでしょうか。生きる目的は自由です。それが本当の幸せだったのです。例えば、小鳥のように日々歌うのも良いですね。ジプシー的生き方でしょうか。これに憧れる知識者は多いのです。放浪ですね。放浪で生きることが出来るなら、それも自由であり、幸せです。しかし私たちは社会の中で生きています。その中で如何に生きるのでしょうか。やはりビートルズの歌うラブ&ピースが良いですね。その至り着いた精神は『レット・イット・ビー』だったのでした。「ある日マリア様が現れていいました。そのままでいいのです。そのままで」。それは素顔のままに生きることだったのでしょうか。素直に生きるということだったのでしょうか。その時、例えば文章の巧拙は問題ではないのです。私たちは過去の経験則に縛られていたのです。それは資本家にとって都合の良い勤勉な労働者としてであり、学校教育の理念もそれより出来ていました。それに反発するかのように、登校拒否があり、鬱があったのです。そしてそれらは弱者あるいは敗者として処理されていました。そうだったのでしょうか。むしろ彼らの方が純粋であり、素直だったのではないでしょうか。勝利の女神は何を基準に微笑むのでしょうね。正直者の頭に神は宿るといわれます。ある時、ある大臣がいいました。正直者が馬鹿を見るようではいけない。正直者が馬鹿を見ていたということを認めたのでした。そのような制度だったのです。これが反省されるのでしょうね。しばらく繁栄したのは、日本人を二度と戦争させないための日本精神骨抜き占領政策に乗じた方々でした。しかしその勝手が過ぎたようです。社会理念は悉く腐敗しました。公務員も多くの失態を重ねました。そうした社会の中で、学校教育は子供達に何を教えて良いのかわからなくなりました。時代は今、混沌としています。故に大チャンスとなりました。明治維新に等しいのです。あるいは関ヶ原であり、源平合戦の頃に等しいのです。あるいはフランス革命です。どういう事でしょうか。時代は新たな秩序を必要としているのです。その生成過程にあります。既に制度を悪用して繁栄した方々は没落しかないでしょうね。まだ制度に汚れていない方々がいます。彼等が新たな次世代を担う知性です。市場主義パラダイムは自己利益優先の故に諸価値を破壊して顧みませんでした。諸価値とは本来日本が目指していたものでした。新しい精神はこの諸価値を実現することを理念とします。その時、自由と幸せが目的です。方法論としては自分に素直になることです。古い道徳ではタブーであったことがこれからは自由となるのでしょうね。しかしながら、新しい社会契約があるのです。それは個々の幸せの実現を阻害しないことです。例えば鬱の原因となるバイオレンスを排除するのです。それは殺戮を含みます。見えてきました。新しい人生哲学です。時代は個人自由主義となりました。企業も個人も同等に競争することが出来る時代です。その時、大資本の大資本としての制度的優位性を排除する必要があるかも知れません。大量買い付けにより、価格破壊し、小売業を悉く喰ったですね。しかしそれは自らの首を絞めたのです。大量消費の導いた低価格競争は自らの利益システムをも破壊しました。恐竜だったのです。その巨体を維持できるかどうか、これからが正念場です。企業も潰れて良い社会にしたのは企業自身だったのです。その多くの智慧はどこまでも自己利益追求でありながら、如何にも消費者のためと標榜した欺瞞的なところがあったのではないでしょうか。。故に今、苦しんでいますね。これからは正直者が活躍する時代となりました。もはや価格競争ではないでしょうね。諸価値の復活です。それが商品価値となるのです。姑息な手段は通用しない。そして人間性が問われるのです。その人から買いたいと思わせる何かです。本来の信用です。しばらく信用とは偏に支払い能力でした。故に仮登記担保と譲渡担保によるまる取りもあったのでしょうか。まさに利益しか考えないイエロー・モンキーが跋扈していました。そうした時代は終わったのです。本当の幸せを目指す頃となりました。故に欺罔は通らないのです。バイオレンスは以ての外です。アメリカにも上級階層があります。そのメルクマールは何だったのでしょうか。話し方でした。野蛮は通りません。時代は進化しています。既に野蛮の時代は過ぎたのです。故にこの度は革命的に推移しないのです。何処までも穏やかに take off ですね。そして新しいあるべき人格を確定する必要があります。それがそのままこの時代を生き抜く方法論となるのです。それは何だったのでしょうか。素直さです。強きが故のやさしさです。そして時代は芸術的となります。自分を表現していくのです。それが商品ともなります。あらゆるスターがそうです。基本は心構えの確立した知性です。そして感じる人生を実現するのです。感じるとは何を感じることだったのでしょうか。幸せです。一切の苦がない。不安がない。憂いがない。疑惑がない。それがラクだったのです。良い時代が来ました。ありのままの自分で良いのです。裸のこころで良いのです。方法論が確立される頃となりました。法華経に「これをもって貿易するべし」とするこれとはこれだったのです。 故に未だ制度的に汚れていない若者達の時代です。彼らは虐げられていました。故に幸いです。若者達の中に、既にバイオレンスとかで汚れた方々はそれを修正してからです。目指すべきは何でしょうか。本当の幸せです。それがフリーダムでした。そしてどのように生きていくのでしょうか。人格を形成して、好きなように生きればいいのです。思うとおりに生きればいいのです。世界も待っていました。世界に合流です。過去の経験より自由となって。しかし新たな秩序があります。国民主権の観点からする社会契約として。 知性の自由の花は遅れて咲くのでした。秘密を解いたのは彼だったのでしょうか。定かではありません。彼は我慢強かったことは確かです。


2009-04-11 02:02:10
鬱の存在証明
テーマ:本当の幸せ

幸せはあります。それを知らない方々はないと思っています。幸せは何処にあるのでしょうか。家庭の団らんでした。それは家庭の空気だったのです。いつも緊張していませんか。それは攻撃態勢ですね。その時、どのような周波数でしょう。愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしない。それは動植物及び岩石も喜ぶ周波数でした。その空気が家庭にありますか。家庭の中でバイオレンスがあるとします。それが子供にとってトラウマとなるのでした。児童ポルノもそうです。こころの傷は癒えません。必ず鬱をもたらします。親として、大人としての大きな罪ですね。こころの傷を癒すのは愛でした。あらゆる深層心理学がその原因を究明しています。精神科の薬では癒えません。症状を抑えるだけです。それはそれで良いのです。症状が抑えられている間に原因を明らかにして、それと対峙するのです。その時、どのような感情があるのでしょうか。恨みですか。悲しみですか。子供にとってお母さんはとても大切です。お母さんが不幸だとしますね。それは子供にとって悲しみです。そして自分が鬱に陥ったとします。お母さんを幸せにしたくても出来ない自分があります。むしろ自分が生きていることがお母さんをさらに悲しませているように思われたとします。その時、自分の存在根拠を失って、例えば飛び込むのです。その時、それは飛び込むことでしか自分の存在を示せない悲しさがあります。社会はそれを理解していませんね。そしてますます疎外感を感じる。マイナスの悪循環に陥るのです。掬われたいと思っています。薬も飲んでいれば、治りたいと思っている。だけど現実があまりにも悲しい。そうした方々もいるのです。自分はちっとも悪くないと思われる。どうしてこのようなことになったのか。それがわからない。原因があるのです。その時、自分は悪くない。だけど自分が悪いと思う。存在自体を否定してしまう。悲しいですね。どのようにしたら良いのでしょうか。愛です。幸せです。それはあるのです。しかし自分とは無関係と思う。それはないと思う。あるのにないと思い、ないのにあると思っている。さて、どうしますか。その時、表層の言葉は通じません。何故でしょうね。人間的是非ではないのです。そうしたトラウマは動物的本能分野を壊しているのです。生きていくこと自体が出来なくなる所以です。求めているのは何でしょうね。愛です。それは存在自体を受け止めて欲しいのです。この辺りを精神科医は理解していますか。本能の壊れた方は時間がかかります。しかしいつか修復されるのです。いつでしょうね。本当の魂に触れた時です。あまりにも殺伐とした世の中です。その犠牲者です。掬うしかないですね。しかし社会は何処か冷たい。自分とは関係ないと思っている。明日は我が身であることを知らない。そして勝手に浮かれている。此処がテレビ界の罪でした。宇宙は一体同根です。幸せはあるのです。それを知らない。それでないと思う。可哀相ですね。哀れですね。だけど殺戮もしている。このままでは人類としての存続も危うくなっています。幸せはあります。愛はあります。知らない方々が勝手していたのです。救いはあるのです。何処にあるのでしょうか。 身心脱落です。脱落身心です。その時、リラックスしています。鬱の子がいますね。鬱は彼らの精一杯の存在証明だったのです。学校教育も見直すべきところです。何の為の教育だったのでしょうね。誰もが力強く生きていく為でした。今宵も雲一つない中天の月が輝いています。三日間、雲がない。これは青天の霹靂でしょうか。久遠にはあったかも知れない。稀にみる一円玉の高気圧です。何故でしょうね。時代は確かに開かれたのでしょうか。 天気予報にそうした指摘はないですね。彼は耐えたのでしょうか。耐えて耐えて耐え抜いたのでしょうね。そして嵐を呼ぶことを放棄したのでしょうか。そうした種もあるのです。古来大和の秘密です。 知らなかったですね。知らずに勝手しましたね。それも通らなくなりました。何故でしょうね。彼は何かを成就したのでしょうか。彼はいいました。日本は大丈夫だよ。代々の務めでした。これが本来日本です。復活の頃でしょうか。 彼は彼でした。彼こそ彼でした。何を自覚したのでしょうね。これほどの謎を解くのはやはり彼でした。粗末にするべきではないものがありました。何が蔓延ったのでしょうね。生命体としての進化傾向があったのです。本来日本の目指していた精神がありました。これまでは通っても、これからは通りません。


2009-04-10 13:36:50
穏やかに take off
テーマ:本当の幸せ

時は894年、遣唐使の廃止を建白したのは菅原道真でした。彼は右大臣であり、左大臣は藤原時平でした。彼には権門としての閥はありませんでした。孤立無援だったでしょうね。道真は遣唐使として派遣されようとしていました。しかし既に唐には学ぶべきものはなく、國は滅びつつありました。彼はそれを知っていたのです。その後、彼は太宰府に赴任します。京都を離れる悲しみは歌にのこされています。

  東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ

そして彼を偲んで彼の愛した梅の木が太宰府まで飛んできたといわれています。それが「飛び梅」でした。彼は何かを怨んだのでしょうか。彼が没した頃、京都では連日の嵐となり、雷が落ちました。それで道真は天神として天満宮に祀られたのでした。その後、日本に国風文化の花が咲くのでした。第二次世界大戦は後進新興諸国家からする列強帝国主義に対する植民地再分割請求とする観点もあるかもしれません。しかしあまりにも悲しい結果が待っていました。航空機が爆撃機として登場したのは第一次世界大戦でした。その時、各国はもう戦争をしてはならないと国際連盟を作りました。しかし提唱者であったのはウィルソン大統領でありながら、議会の反対でアメリカ合衆国の参加は見送られました。もともとモンロー主義の國です。他国には口を出さないから、自分の國にも口を出さないでくれということでした。それが彼らの幸せのための自由の掟だったのです。亦、国際連盟は物理的強制力としての軍隊を持っていませんでした。それで具体的に機能しなかったのでしょうか。日本もリットン調査団の勧告で脱退し、あまりにも悲しい歴史を刻むことになりました。それは原爆で終わりました。原爆開発と投下の過程には様々な証言があります。アメリカが先に開発しなければ、ナチスがしていたかも知れないとか、原爆の使用を急いだのは対ソ連対策だったとか。投下ターゲットリストには京都もありました。何れにしても原爆の開発とその使用により、現代戦争の無価値を人類として学ぶことになりました。もはやそれは戦争ではないのです。戦争には戦争法があり、主権行使の正当な一部でした。しかし現代戦争は市民を盾とするあまりにも残酷であり、それは殺戮です。従来戦争には決闘一騎打ちに準ずる名誉と大義名分がありました。現代戦争にはその痕跡はありません。本来の戦争概念を逸脱し、あまりにも野蛮に堕しました。先進諸国間においてはもはや核の選択肢はありません。何処までも抑止力です。使用すれば核の連鎖がどうなるか、知っているからです。日本はかの大戦を通して平和を学びました。それはそのまま人類の祈りでした。同時に民主主義、自由、平等、基本的人権並びに女性の解放を獲ました。しばらくよちよち歩きからはじめて、青春の嵐もありました。そしてそれらの本当の意味を知る頃となりました。市民革命に始まる世界への合流の頃となりました。限りなく自由を求めている世界へ。本当の幸せを求めている世界へ。そして世界も待っていました。日本が何を学び、何を選択し、何を提供してくれるのか。既に世界は知っていました。本来日本の価値を。知らなかったのはしばらく浮かれていた方々でした。『スター・ウォーズ』のテーマもありました。それはそのままモーツァルトの『魔笛』だったのかもしれません。時は来ました。はじまりです。いつの世もこうして新しい時代が開かれます。明治維新もそうでした。この度は穏やかに take off ですね。アメリカの祈りも理解して。資本主義で良いんです。少しの修正をして、皆の幸せな暮らしのために、愛と平和をテーマとする、新しい時代を切り開く頃です。今まで見えていなかった何かが見えてきました。華やかな成功論を説くのは良い。その陰で鬱に悲しんでいる子達がいるのです。すべて原因があります。それを解決すればいいのです。もともとは善も悪もないのです。ないのにあると思っている自分がある。それは何故でしょうね。そうしたことも明らかとなっています。かつて詩人に耳を傾ける政治家はいませんでした。科学は今、かつての魂のレベルを語りはじめています。こころの大地こそ、二十一世紀の無限の喜びの大地です。それは切り開かれました。人生も青春もすべてを失い、それでも諦めることなく探し続けた彼の使命です。失ったものがあるとします。必ず取り戻せます。諦めないでね。そして通らねばならない道があります。それを探すことからはじめましょう。代償の法則があります。どんな悲しみも、それと同等かあるいはそれ以上の喜びの種を宿しています。この世のことはこの世で解決します。解決して自由です。本当の人生が始まります。本当の幸せが訪れます。それまでが試練です。あるいは青春です。だれもがそうして幸せに辿り着きます。途中には敵もいます。敵を敵と見抜くことも技術です。どちらの世界を優先するのでしょうね。同じ水槽にタガメとメダカを入れて平等ですか。此処に自由と平等を履き違えたあるいは知らない学校教育の欺瞞あるいは怠惰がありました。道元曰く、花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。罪を憎んで人を憎まずは別論です。何を蔓延らせたのでしょうね。明らかに一つの時代が終わろうとしています。それは大航海時代の終わりであり、400年重商主義パラダイムの終焉です。終わりは終わりではなく、亦始まりです。恐竜はチラノザウルスが現れる頃に滅びました。そしてその頃、既にネズミがいたのです。生命は硫化水素の海から生まれ、酸素を必要とする世界に進化しました。酸素は猛毒であり、体内には尚、活性酸素があります。それが白血球の食菌作用として機能していますが、時に用法を誤ってガンの原因となります。そのようにして生命は進化しています。まだまだ夢の途中ですね。この世は魂の過去からの遍歴でした。幸せになりましょうね。人類はこれを目指していたのです。目的を再認識して歩み直すのです。日本の男はこれでいいですね。さて、情報は発信したところに集まります。それがブログの楽しみですね。亦、コロンブスの卵があります。鶏が先か。卵が先か。どちらでもいいのです。インターネットが普及して個人レベルでの情報発信が可能となりました。第三の波です。各企業も一個人のレベルで模索する時代となったのでしょうか。故に可能性は無限となりました。これまで埋もれていた各知性のコラボレーションが可能となったのです。目的は明確ですか。目的に対して手段があります。目的が明確に定まれば手段はいくらでもありますね。実現させたいですね。愛と平和の園、日本。見えてきましたね。夢は実現します。思考は現実化します。その理由も明らかとなりました。宇宙にとって精神も物質も同じでした。潜在意識にとって主語がない。述語が本音として動きます。だから他の幸せを祝福しましょうね。そして感謝です。祝福と感謝の連鎖あるいはキャッチボールです。それが幸せ世界でした。はじまりです。はじまりました。誰もが待ち望み、憧れ求めていた新しい需要を喚起できたらいいですね。それは諸価値の破壊ではなく、実現です。


2009-04-10 03:53:50

テーマ:本当の幸せ

ある鬱の子が飛び込んだ。随分と流されてもう助からないと思った。覚悟した。そして消防に助けられた。どうしてこんなことをしたんだろうって思った。寒かっただろうね。禅では日々是好日とかいう。だけどそれはあり得ないと思われる。そのような時代となっている。このようなことがかつてあったのだったろうか。それを克服することは出来るのだろうか。彼はいった。出来る。彼は克服したからであるらしい。彼の内に秘めた何かがある。時代を掬わねばならない。 いつまでも浮かれてはいられなくなったようだ。地に埋もれた知性が目覚める。 英知の蓄積がある。それが宇宙であり、魂だった。不思議な時代が訪れつつある。彼はいった。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。 何を根拠にいうのだろうね。 代々の務めを果たすという。これまでとこれからは違う。何故だろうね。自覚を要する。その時が来たのだろうか。 何を観たのだろうね。何を確認したのだろうか。詳細は明らかでない。 彼はいう。勝手が過ぎた。彼も知らなかった何かがあるという。それがサムシング・グレートだったのだろうか。よくわからない。しかし彼は何かを確信しているらしい。真実とは神仏の実在とその邂逅であり、日本は卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本で本来神国であるという。何だかアナクロニズムだね。そうでもないらしい。しばらく見失われていた。そして人間の勘違いと思い上がりがあったという。それが限界に達したのだろうか。掬いはあるのだろうか。彼はあるという。 既に開発実験検証確認決定済みであるという。本当だろうか。本当だったら良いね。 その間、彼はすべてを失ったらしい。そして何が残ったのだろうね。樽のワッカかな。わかんないね。 しかし論証も済んでいるという。天が祝福し、地も喜んでいる。本当だろうか。今宵も中天の月が輝いている。一点の雲もない。何てことだ。偶然に過ぎないと世間は思う。彼はいう。同じ轍は踏めない。人類は万物の霊長として生命体進化傾向に対して自己責任を負う。選択するべき時が近い。既に始まっているのかも知れない。殺戮の時代は終わった。自覚がシフトした。故の試練があった。誰も知らなかった。彼は孤独にひとり乗り越えた。それが使命だったのだろうか。未来を拓く。過去を捨て去る。そして自由となる。それは素直さへの回帰だった。黄泉の導きがあった。それは果たしたという。 丙丁童子来求火。火の性の子が火を求めてやってきた。はじめはわかっていなかった。お前がそれだった。鬱の子に対して頑張るという言葉はタブーとなっている。敢えていう。鬱の子よ、頑張れ!彼の目は動かなかった。輝いていた。鬱の子は彼の目を見た。そして頷いた。言葉は言葉であって言葉でない。亦、言葉である。何をいってるの? 知る人は知る。知らない人は知らない。本当の幸せとは何だったのか。天の祝福と、黄泉の守護だった。持って生まれた属性がある。櫻もあれば梅もある。 彼は自覚した。彼は彷徨った。彼は帰ってきた。 世間一般、何をし来たる哉。彼の住むべき空間はなかった。吉田健一氏はいった。ないのであれば作るしかない。 頂を究める。何処から登っても良い。歴代の英知がある。同じ月を観ていたことだろう。 三十有余年の孤独に耐え、自由の身となって観る一点の雲もない天中天満月である。


2009-04-09 13:48:28
ペタがきて、嬉しい!
テーマ:ブログ

ペタが来ました。とても嬉しい!ありがとうございました。
ところで、ペタをベタと表記して返信してしまいました。
此処にお詫びし、訂正させて頂きます。ごめんなさい。


2009-04-09 12:42:41
クロージング
テーマ:本当の幸せ

これまでずいぶんと、難しいことを考えていました。しかしそれはとても孤独でした。誰もわかってくれないと思っていました。難しいことをいってわかってくれないなんて当然でした。わかりやすくいえばよかったのです。だけど、余裕がなかったのでした。要は個々の問題解決だったのです。その為の智慧でした。問題を起こすような智慧はかえって使わない方が良いのでした。原因がわかれば解決があります。事実を分析して原因を見極める。そのためにあらゆる学問があったといえます。いつの間にか智慧も悪用されていたのでしょうか。自己利益追求のために。それが金融工学だったのかも知れません。ノーベル賞受者がそれを実践してしばらく利益を上げました。しかしその会社は倒産しました。それでも各金融機関はその理論を使って利益としました。工学である限りそれまでとは規模が違います。とうとう大穴を空けてしまいました。その損失は測り知れなくて、はじめて兆を超えて京に至ったともいわれています。お金は天下の回りものです。その流れに乗らないことには自分の懐には入ってきませんね。経済が滞っています。何処に流れを塞いでいる大岩があるのでしょうね。それを探し出して破砕しましょう。再び水の如くお金が流れはじめます。利益あるところに損失ありが資本主義の原点です。いつの間にか利益あるところに利益ありとなっています。何処かに欺罔があるからですね。経済行為そのものが正直を前提としていることを思い出しましょう。例えば各社のカードがありますね。消費者金融の欺罔的契約として機能していて、これもおかしい。ポイントがおかしい。複雑すぎて流れが見えない。それが智慧ですか。消費者のためですか。欺罔でしょう。それで自ら利益しているでしょう。そうした自分のためにする智慧はもう通らなくなるでしょうね。消費者も学習しています。本来の流れを取り戻せばいいのです。あらゆる制度が見直されるのかも知れません。資本家のために傾きすぎていたのではないですか。欺罔的利益を追求するのではなく、正々堂々と経済競争すればいいのです。規制すべきは規制して。無制限の自由なんてありません。野蛮と暴力が勝利します。大資本が必ず勝ちます。ルールは必要です。国民主権の観点からする社会契約として。制度そのものがあまりにも欺罔的ではなかったですか。労働者である限り、請求書に追われる人生となるのです。労働者である限り、資本家にはなれません。政治も世襲化されたように資本家は既に世襲的です。そしてその弊害が看過できなくなったのではないですか。敢えていえば、それ(自己利益追求主義経済行為)が地球温暖化の問題の意味するところではないですか。学校教育もその例外ではありませんでした。教師はサラリーマン化し、むしろ情熱的な教師は教師間では敬遠されます。有能な労働者を供給するための教育でした。子供達はそれを感じていたのです。それで登校拒否もあるし、引きこもりもありました。ニートもそうかも知れません。子供達の鬱はいじめの問題だけではなかったのです。何故でしょうね。そこに人間性無視の理念が社会的にあったのではないでしょうか。派遣切りもその例外ではなかったですね。まるで奴隷ですね。企業も潰れていい。そういう時代になっていませんか。取り戻すべきあるいは目指すべきは何でしょうね。やはり愛ですね。平和です。こころです。諸価値を破壊して顧みなかった自己利益追求及び市場主義が社会理念の腐敗を招きました。精神を失ってあまりにも物質主義に偏重し、人間社会のあるべき姿としてのバランスを欠いていたのです。それを反省する頃となったのでしょうか。そして本当の暮らしと個々の幸せを追求する時代が開けるのでしょうね。日本も成長しました。何時までも、何時の間にか世襲的となった利益独占の為の制度はゆるされなくなったのでしょうね。この度の金融危機は制度疲労でしょうか。あるいは構造的脱線であるのかも知れません。フランス革命も明治維新も関ヶ原も源平合戦も実はこうした同じメカニズムで起きていたことを思い出す頃であるのかも知れませんね。彼はいいました。彼がどの階層に属し、何を考え、何を実験し、何を開発検証し、何を確認決定し、何を自覚したか、とても重大な要素であり、それは天の守護と祝福を以て既に明白となった。400年来重商主義パラダイムが終演した。クロージングである。これより新しい時代を始める。その時が来た。『第三の波』が実行段階に入った。 既に始まっている。日本の時代である。この波に乗れるかどうか。風は何処から吹いてくるのか。世の風見鶏たちは高きところから見えているだろうか。


2009-04-09 10:48:37
十分に進化しました
テーマ:本当の幸せ

何も怖れるべきことはないのでした。鉄棒は「ともえ」と「蹴あがり」ができればいいのです。それは技術でした。コツがあります。教えるべきはそれであり、教育の目的はすべて代々の技術の伝授だったのです。国語の解釈力も技術でした。コミュニケーション技術です。次のうち、正解はどれでしょうか。1.客観的真実 2.問題作成者が用意した内容 3.自分が正しいと思うことを主張すること。勿論、2.ですね。社会の中で生きていくための処世術です。それが人格を形成するのでした。心構えの確立した知性こそ力です。そこに勇気があり、信念があり、愛があります。世界平和を創ることができるのです。失敗はして良いですね。それより学ぶ。治癒すべき軽微な瑕疵は問わない。学校教育が怠惰ではなかったでしょうか。社会は欺罔に満ちています。惑わされないことですね。すべての人に気に入って貰う必要はないのでした。そこに魔が忍び寄るからです。魔を引き寄せていたのは自分の弱さだったのでした。過去からの敵がいます。しかし聖書には「左の頬をもさしだせ」とありますね。どういうことだったのでしょうか。敵は過去からやって来ます。彼らを認めてあげましょう。受け止めてあげましょう。彼らはそれを望んでいるのです。根絶やしでは何も解決しません。問題を未来へ先送りするだけです。過去より自由となるのです。本来の自分となってこの世の人生は幸せとなります。それで良いのでした。受忍限度を超えた犯罪は罰する。社会契約として。人間社会です。人間は万物の霊長です。目覚めるべき時が来たのでしょうか。思い出すべき頃となりました。十分に進化しました。庶民レベルで自由を勝ちとるのです。それが21世紀でした。かつて自由は王侯貴族に限られていました。今は資本家に限られているのでしょうか。制度自体が疲労しているのかもしれません。庶民解放の頃となりました。それは自由の獲得です。それは個々の自分が自分となって成立するのです。それを阻害する要因は何でしょうか。自分のためにする欺罔はないですか。見直すべきはそれです。主権在民、国民主権。日本国憲法は歴史的所産であり、目指すべき人類の決意表明でした。それは亦、プログラム規定でした。実現の頃となったのですね。何故でしょうか。 そのようなことはもう、どうでも良いのでしょう。要は現実問題解決です。その為に智慧があります。自己利益追求のためにする智慧は悉く無価値となりました。いつまでもそのために智慧を使うべきではないのでしょうね。各企業も猛反省の頃です。生き残りの条件がシフトしたのです。それは何でしょうか。愛と平和ですね。愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしない。本来日本はそれを知っていたのです。それを目指していました。取り戻せばいいですね。思い出せばいいのです。私たちのDNAにそれはあります。DNAこそ智慧の無限の宝庫でした。代々の英知と技術が蓄積されています。学ぶべきはそれだったのです。技術立国日本。イエロー・モンキーの國ではありません。何を思いあがっていたのでしょうね。何を勘違いしていたのでしょうか。欺罔を廃する。バイオレンスを廃する。あるべき秩序があります。古来日本に掟があります。貶めてはならないものがあったのです。それは精神でした。武士道精神に結実していたものです。武士には少なくとも精神修養がありました。身心清浄並びに正直を以て旨としていました。知らない者たちが貶めたのです。それが文化だと思ったのでした。日本骨抜き占領政策は終わりました。失敗に帰しました。しばらくそれに乗じた方々が繁栄しました。しかしそのメカニズムが明らかとなりました。彼が探していたのはそれでした。それが解明されました。天の祝福するところとなっています。地も喜んでいます。ベートーベンはいいました。「この世は成すべきことが多い。急げ」! 彼は自覚しました。何を自覚したのでしょうか。彼は彼でよかった。彼こそ彼だった。未来を拓く。そうした人生もある。使命がある。務めがある。代々のことだった。古来大和の秘密だった。いつまでも黄泉が黙っていない。この世は素晴らしい。生きるに価する。すべてに感謝である。その時が来る。必ず来る。誰にも来る。 それぞれに熱く生きていく。幸せを求めて。


2009-04-09 03:35:48
ハッピーライフのはじまり
テーマ:本当の幸せ

昨日は三日早い誕生日祝いをして貰いました。花束をふたつ頂きました。空は雲一点もない春が終日までありました。夜には満月と見ゆる明るい月が皓々と中天に輝いていました。勿論雲は一つもありませんでした。空は晴れ渡っていました。夜の小さな砂浜で、海はあまりにも穏やかでした。寄するさざ波の音がとても懐かしく思われました。此処で実験だよとある呪文を唱えました。するとそれまで感じられなかった風を感じました。しばらくすると、新たな風が吹いてくるのでした。波音が明確にするのです。波と話すこともあるんだよ。人間も波も風も同じだよ。風は空体、即ち魂かも知れないね。呪文を唱えると応えてくれるのだろうか。そういうこともあるのかも知れない。声を聞いて、そこにいたのかと集まってきて挨拶しているのかも知れない。何かあったらいつでも助けるよとばかりに。あるところで美しい景色の中、満開の櫻で花見をさせて貰いました。櫻を俯瞰すると面白いですね。一つひとつの花ではなく、ひとまとまりの花の房が一つの花に見えて、それらが集まり見事な花でした。祝ってくれたのは、若いカップルでした。二年後に結婚するからと、結婚式場を見学するのを同行させて頂きました。広島港の突端にあるホテルでした。チャペルから宴会場まで案内して頂き、その説明はとても快く、幸せ気分いっぱいでした。なんだかハッピーなことが日々実現しつつあります。ハッピーライフの始まりです。笑みがこぼれてくるのです。何の心配もないのです。ないのにあると思う自分がありますね。それを捨て去れば満ちてくるものがあります。それが幸せでした。始まりですね。 すべてにありがとう。ありがとうは秘密の言葉でした。何故でしょうね。潜在意識にとって主語はありません。ありがとうは自分に対しても機能します。ポジティブ思考でいいのです。幸せになりましょうね。それは見出されました。人生楽しく生きてゆけるのです。それを拒んでいたのは自分自身でした。それより自由となるのです。それは出来るのでした。彼は何を乗り越えたのでしょうか。 そして何を獲たのでしょうか。自分を乗り越えて、自由を獲たのでしょうか。自由こそ、幸せでした。 何をも怖れることはないのです。それはなかったのです。ないのにあると思っていた自分があったのです。それを乗り越えるのです。それが心構えの確立でした。あるいはあるべき人柄です。それは本来の自分自身に気づくことだったのです。それは持って生まれた自分自身でした。それを見つけて、この世の人生でした。その時、何を表現しても良いのです。それがこの世で生きるということでした。幸せになりましょうね。それは見つかりました。ところで、ある休憩所で食事をみんなでしました。頂いたのは特製カツ丼です。そして日付は4月8日。お釈迦様ご生誕の日です。今日は特別な日だからと、甘茶を頂きました。そして時代は気づいたのでしょうか。しばらく忘れ去られていた彼の存在に。彼は生きていたのです。失っていた自信を取り戻したのでしょうか。この世では解決できないであろうと思われた試練に耐えたらしいのです。そしてあらゆる謎を解いたといいます。それは何だったのでしょうね。もはや新たな謎となったのでしょうか。知る人は知っているといいます。もう咲かないのかと思われた櫻の花が咲きました。日本の花でした。誰もが喜んでいます。日本が喜んでいます。 彼は探していました。何を探していたのでしょうか。それは見つかったといっていました。そしていうのです。日本は大丈夫だよ。日本はやはり日本でした。彼はやはり彼でした。かつて彼を害した方々は悔いているのでしょうか。そうかも知れませんね。古来大和の秘密があります。掟があったのです。自覚するまでは明らかとならないものがありました。それが試練でした。彼は見事に耐えました。そして咲いたのです。今年の春こそ本当のようです。事実となりました。それは昭和50年あるいは56年の春の予定でした。しかし時の悪戯がありました。 彼はいいます。これからとこれまでは違う。明快明白。ある意味で容赦しない。

素直さを取り戻して也櫻咲く


2009-04-08 05:29:52
いつか喜びの宝石として
テーマ:本当の幸せ

迷いも不安もあるね。みんなそうだった。それで強くなれる。必ずなれる。だけど、それぞれ受忍限度ってあるのだろうね。だから、ムリはしないことだよ。こころが壊れると辛い。修復には長い時を要する。ストレスの時代となりました。これを如何に生き抜くか。それが問題だよね。これからだよ。あまりにも情報が多すぎて、その多くは自分に必要ではなかった。みんな生きるためにいろいろといってる。惑わされないでね。自分に必要なものだけを取り入れることが出来ると良いね。いつかそれも出来るようになるよ。いつも笑顔でいることが出来ると良いね。それも出来るようになる。誰もが悲しい。相手を傷つけていないかな。貶めていないかな。受け止めてあげようね。認めてあげよう。その人のすべてを。待っていたんだよ。君のこころが素直になって、君の日々が明るく楽しい日々に変わる時を。これまでとは違う日々が始まるよ。それは来る。いつか必ず来る。その時からが幸せだね。小さな喜びからはじめよう。大きな喜びとなるまで。いつかこの世でこの人生が喜びの宝石として結晶できると良いね。その為に生まれてきたんだね。試練はあるよ。それで良いんだよ。だけど、ムリはしないでね。リラックスしていいんだよ。緊張していては、判断を誤るし、力も出ない。力を抜いて、よく観察しよう。そしてよく考えて正しく判断しようね。人生は時々の問題解決の積み重ねだった。数学の例題を理解していくに等しい。そのためには問いもあるし、練習問題もある。疎かにしていては駄目だよ。中途半端でも自分のものにならない。それらがこの世を処していくアイテムとなる。騙されないように。餌食とならないように。弱い自分が恰好のターゲットとなるね。強さはバイオレンスではない。こころを鍛えるんだ。そしてやさしくなれる。やさしさとは、相手のすべてを受け止めることが出来る力だった。そしていつか必ずすべてが喜びとなる。それが人生だった。明るく楽しく生きてゆこうね。それも技術として学び取ることだったのだね。自分を信じることが出来ますか。惑わされないでね。いつかあなたはあなた自身と出会うでしょう。その時、この世のすべてを知るだろうね。


2009-04-08 00:02:45
これまでずいぶんと
テーマ:本当の幸せ

これまでずいぶんと難しいことを考えていました。それも通らねばならなかったのですね。すでにあらゆる英知が伝えていたことがありました。どれかひとつでよかったのです。大学の卒論の時、一般論を書いてしまいました。時の教授のご指導は、個別具体的なテーマに絞って書くようにとのことでした。就職の時は、広島ですればラクであったのに、大阪に出てさせてもらいました。ずいぶんとそれも企業からみると迷惑なことでした。その後、一身上の都合でそれらも無駄になったかと見えました。そして埋没すること三十有余年、社会に見捨てられ、人生から見放されたかと思われました。その間、色々な見聞をさせていただきました。自分の人生はこの世では無駄かと見えました。そうでもないですね。何時か浮上する時が来るようです。人生って不思議です。諦めないことです。その間、勉学もさせていただきました。教育もされました。何時かすべてが意味を持つのです。そのような人生もあるのですね。今となっては感謝です。すべてに。 悲しみはペーソス。あまりにも孤独な人生がありました。それも何時か乗り越えることが出来るのでした。それも伝えられていました。日々、小さな良いことを思っていることで、何時か大きな幸せがやってくるのです。それは何故だったのでしょうね。宝石が結晶するのに等しかったのでしょうか。人間もそのようになれるのでしょう。それがあるべきスターの姿ですね。探していたものは何だったのでしょうか。愛と平和の純粋精神だったのでしょうか。時代のエートスといったものがあります。エートスをいったのは、マックス・ウェーバーでした。フランス革命の頃には啓蒙思想家がいましたね。ルソーとかモンテスキューとかロックとか。彼らだけが啓蒙家ではありませんでした。時代のエートスがあったのです。その頃、多くの啓蒙家の方々がいました。その代表として、ルソーとかモンテスキューとかロックだったのでした。ダビンチの頃もそうでした。多くの発明家がいたのです。ダビンチの夢は悉く実現しています。彼がすべて考えたのではなかったでしょうね。むしろ時代の代表として総集編だったのですね。そうしたものです。時代のエートスは今、何でしょうか。明らかに時代は動いています。100年に一度の金融危機です。オバマ大統領がイスラムに対してメッセージをトルコで贈りましたね。そしてその足で予告なしにイラクを訪問しました。時代の鼓動を感じますか。それこそワクワクしますね。いい時代にしましょうね。まだ金銭的に汚れていない若者達の時代です。空前のチャンスとなりました。時代の動きにアンテナを立てて、宇宙からの導きをキャッチしましょうね。若者はしばらく虐げられていました。自由の定義は何だったのでしょうか。貧しく生まれて、何時までも貧しくある必要はない。子供の頃に教育が十分に受けられなかったとしても、何時までも教育を受けないということはないということだったようです。わかりますか。学んでこそ自由があります。すでに歴代の英知と技術があります。それを学ぶことで幸せになれます。それなくしては何時までも埋没です。何時か必ず幸せになれるのです。それが自由ということでした。アメリカより学ぶべきはそれだったのですね。世界は歴史です。フランス革命で市民が自由を得ました。しかしそれは資本家のみの自由だったのです。テレビのニュースを見て驚きました。世界の各国の代表者が会議に出席しています。その姿はどうだったのでしょうか。ワイシャツが殆どブルーですね。何を意味しているのでしょうか。世界は変わりつつあります。庶民の解放の時が来たのでしょうか。


2009-04-07 23:20:17
はじまり
テーマ:ブログ

これからはじまるんだなって思っています。新しい生活。生まれ変わって。思えば此処に来なければならなかった。それは幸せへの扉を開くことだった。探していたものは見つかったように思います。それは自分だったのでした。自由となって表現する時、それですべてよしとなるのです。思い煩っていたのでしょうか。そうかもしれません。過去を捨て去る。それは難しいことです。何故でしょうね。ゆるせない何かがあるからですね。それをもゆるすと、何故か自分もゆるされている。そのような不思議なことが事実だったのですね。あらゆる幸福論と成功論のいっていたことはそれだったのでしょうか。自分がゆるされて、自由となる。それが過去を捨て去ることでした。そして自分が自分となって、ゆるされている。その時、とても素直な自分であることに気づきます。これからですね。何かが始まるのだと思われます。必ず、求めていたものはこれから実現するのです。それが人生でした。生まれてよかったですね。共にこの世を楽しむことが出来ると良いですね。時代は進化しました。


2009-04-07 20:32:53
はじめまして
テーマ:ブログ

はじめまして。「おしゃれなブログ」で検索して第一ヒットしたのがアメログでした。心機一転、生まれ変わったつもりで、此処に決めました。自由となって表現できると良いですね。素直になれたら、いいですね。これより、ヨロシクお願い申し上げます。


2009年04月07日
【あらためて、はじめまして。】
あらためて、はじめまして。長く孤独な旅をしていました。そして帰って来ました。これより、よろしくお願い申し上げます。辛い日々は去りました。生まれ変わって、何時も明るく、楽しく、朗らかに参ります。軽やかにスタートです。もう、難しい世界はさようならです。素直さを取り戻して。これよりステージが変わります。次のブログはhttp://ameblo.jp/happyfreedom/で展開されます。


【人類の夢】
人生は素晴らしい。生きるに価する。どのような試練も乗り越える。必ず。それが本来大和の秘密だった。苦難はその為にある。艱難辛苦もその為にある。山がある。登るしかない。頂に至って見る光景は何だったのだろう。彼は至り着いたのだろうか。苦節三十有余年を引き戻したか。この世は素晴らしい。春である。人生の春である。少し遅すぎたのか。遠回りをしたのだろうか。そうかも知れない。知性の春は遅れてやって来る。その時、感謝があふれる。何もかもが喜ばしい。有り難う。そして申し訳なかったという。何時までも気づけなかった。亦、忝ない。生きている意味を確認させて貰った。生まれた意味も。彼が彼だった。何度もチャンスはあった。これほどまでとは思わなかった。そして気づいた。何に気づいたのだったろう。導かれていた。生きているだけで良かった。住みにくい世の中となっていた。何故だったのか。彼が自覚しなければならなかった。取り戻すべきは取り戻す。進めるべきは進める。それは何だろう。これより明らかとなるという。彼はいった。もはや勝手は通らない。務めは果たした。謎は解かれた。マーラーはいった。何時か私の時代が来る。知らずして直接間接害した方々がいる。一休髑髏ご用心。この世に掟がある。秩序がある。勝手は通らない。それを自由とはいわせない。彼は自覚した。そしてそれは事実だった。 それは帰還だった。あるいは合流である。出発の頃となった。新しい時代である。歴代まれに見る無事禅譲となったか。何をしてきたのだ。何をしてきたのか。それぞれの人生である。重きによって処断ある。 原爆もそうだった。その時、枕崎台風もあった。仕方ないね。そうしたものである。しかし古来大和は滅し給わず。天津神國津神の國である。オロチの國ではない。何が蔓延ったのか。知らなかったね。探さなかった。知らないことを以て否定した。これまでである。発見発掘実験確認検証済みである。何のことだろうね。風神雷神。草薙の剣。金剛杵。それはある。何を壊したか。罪には罰がある。償っていただく。そして始まる。人生の春である。何もかもゆるせなかった。その理由がわからなかった。それも明らかとなった。随分と勝手してくれたね。どのレベルのことだったのか。代々の天徳がある。何を愚弄無視破壊し、粗末にしたか。そして裏切ったか。クラシックの精神が何時までも黙っていない。宇宙にとって物質も精神も同じだった。宇宙は無尽蔵の智慧の宝庫だった。これとアクセスして創造がある。潜在意識にとって主語はない。故に自分のためにしない。それが愛だった。時代はシフトする。レベルアップである。それはボトムアップでもある。時は来た。時は違っていない。不安はない。怖れもない。疑惑もない。悪夢及び迷信より脱する。それらを利用して民の衆愚を煽り利益とした方々は滅ぶ。明晰な知性の時代が開かれた。世界は待っていた。輝かしい日本の復活である。本来日本は愚かではない。野蛮ではない。どのレベルの支配があったのか。精神が復活する。身心清浄並びに正直を以て旨とする大和魂である。それが武士道として結実していた。本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本、皆のためにする愛の園だった。征夷大将軍の要件は大義名分、神風も吹く。取り戻すべきはそれである。進めるべきもそれである。欺罔を当然に含む自己利益追求重商主義の時代は終わった。戦後処理は次世代がする。平和の意味も確認した。輝く日本の春となった。世界に羽ばたく。世界も待っていた。日本が何を反省し、何を選択するのであったかを。小さな権力闘争の時代ではなかった。各々覚悟するべきである。横須賀はキティホークからリンカーンとなる予定だったが、ジョージ・ワシントンとなっている。何時までも子供ではない。何時までも醜いアヒルの子ではない。本来日本が目覚めた。世界に寄与する重要な使命がある。時代は今、何を求めているのか。愛と平和である。本来日本に愛がある。ヒロシマを通って平和も学んだ。愚かでは生きてゆけない時代となった。浮かれた時代は終わった。日本を二度と戦争させないための占領政策を乗り越える。本来日本はカラカラ浴場に染まりはしなかった。戦後の波に乗じて民を衆愚に煽動したテレビ界は猛反省を余儀なくされている。知性が復活する。人生の春である。日本の春である。未来は明るい。彼はいった。日本は大丈夫だよ。リラックスして良いんだよ。やさしくなっていい。今の君で十分に素敵だね。素直さを取り戻したんだね。何が見えているのかな。何が聞こえる?歴代の英知はすべて同じ月を観たんだよ。四聖何するものぞといっていたね。目指していたのは何だったのだろうね。愛と平和を条件とする自由だったんだね。アメリカの祈りもそれだったんだ。人類の夢も。彼こそ彼だった。彼は乗り越えなければならなかった。探さなければならなかった。見つけなければならなかった。そして検証し、確定しなければならなかった。そのような人生もある。そのような使命もある。彼はその為に生まれていたか。それ故の試練であったか。そして何を確定するのだったのだろうか。それは、取り戻すべき本来日本と人類の夢だったのだろうか。そうかも知れない。そしてそれは果たしたという。時代を開く。大それた夢を描いたものである。『何か失われた大切なもの』。彼のテーマだった。それも成就するのだろうか。時代は進化した。そして始まったのかも知れない。新しい時代である。パラダイムの大変換である。『第三の波』は昭和56年のことだった。第一の波は農業革命だった。これにより定住生活と余暇を獲た。そして頭脳と手を使って道具を作り始めた。第二の波は産業革命だった。これにより、人類は飛躍的な物質的文明を築いた。しかし宇宙は物質だけではなかった。精神的な価値があまりにも貶められた物質偏重主義となった。物質の代表はお金であり、お金万能かと思われた。その間、自然及び生命並びに諸価値が破壊されて顧みられなかった。それが市場主義だった。それが限界に至った。その間、世界は大航海時代を経て、有限となった。失ったものがある。精神的価値であり、それの究極は神仏だった。それはないのかと思われた。ニーチェは神は死んだといった。西洋思想は自ら十九世紀に没落したとしていた。それは何だったのか。明らかとなった。しかし日本もペリー来航以降、西洋化こそ文明開化と思ってそれを追いかけた。それまでの日本の目指していた諸価値は壊された。今もその延長である。しかし地球が悲鳴をあげている。生命体としての存続が危うくなっている。そして世界は宇宙を語り始めた。現代素粒子理論は科学の立場で宇宙を語り始めた。宇宙は情報とエネルギーの波動であるとする。それは智慧の宝庫だった。万物の霊長としてそれにアクセスすることで創造性となる。それは生命体の英知が目に見えない形で保存されていた。それがアカシックレコードだった。情報はすべて天に蓄えられていた。生命体の遺産であり、財産だった。そしてそれこそ魂だった。文学は魂を扱う。しかしいつの間にかメディアはすべて商業主義に陥った。価値レベルは限りなく衆愚化した。そして限界に至った。気づくべき頃になったのである。浮かれた時代は終わった。気づけなかったね。当然だった。空閑は荒野だった。象牙の塔の中で小さな生活の安穏を人生と思っていてはわかりはしない。愛は無だった。愛は自分のためにしない。利己主義を無として見えて来る。それまでは見えない。歴代の英知はそれを伝えていた。此処に明らかとなった。それが自由だった。彼は見つけたのだろうか。伝えるべきはものがあるという。それは何だったのだろう。苦節三十有余年は無駄ではなかった。彼は探し続けた。何時かすべてがつながる。そうした人生がある。それを以て幸せとしていい。目指すべきはお金だけではなかった。お金は大切に扱うべきものであることは別論として。失われたものがある。人類の夢として確定するべきものがある。知る人は知っている。世界も待っていた。何時か彼は何かを見つけるだろう。彼は学んだ。教育も万全だった。務めは果たしたという。鶴の恩返しであるか。しかし此処までとは誰も思わなかった。彼の勝利である。天が祝福し、地が喜んでいる。彼は何者だったのか。彼は生きた。悩んだ。乗り越えた。世間周囲巷は知らない。評価できない。当然だね。春だね。春だよ。


2009年04月06日
【時代は適量に達する】
長い旅をしていたようです。孤独な旅でした。それが何故だったのかもやっとわかったようです。明治及び戦後の意味を確かめなければならなかったのでした。とても個人的な理由がありました。いろいろと経験する必要があったのです。「経験」については、森有正全集『補巻』にあったものです。そして何時か適量に達するのでした。それが大人となることであり、己を確立することだったのです。過去を辿らねばならないのです。『ルーツ』というのが出た頃、それに気づくべきだったのでしょうか。そして過去を乗り越えるのです。それは過去を捨てるに等しい。そして本来の自分となって、自由になるのでした。世界はどのように出来ていたのでしょうか。既に歴代の英知の説くところでした。経験則というものがあります。あるいは大自然の法則です。私たち人間も生命の一部であり、宇宙の中だったのです。それがそのまま魂でした。それが謎でした。宇宙にとって物質も精神も同じでした。此処に至って、代々の最終結論に至ったのかも知れません。それは何だったのでしょうね。此処では割愛させていただきます。既に記した全体の趣旨から勘案していただけると幸いです。さて、人生とは何だったのでしょうか。自分が自分の花を咲かせるしかないのです。それ以上でもそれ以下でもないのでした。自分自身と現実とのギャップが不幸だったのです。何故そのようなことになるのでしょうか。それが試練だったのです。私たちは導かれています。過去に失敗がありました。これを修正する必要があったのです。そして生まれ変わり、それからが本当の人生だったのでした。そして幸せはあります。幸せになるために生まれているのです。今度はうまくやるんだよと。自分の精神がこの世を創っていました。やはり人間は万物の霊長でした。神の七つの力を賦与されているといわれています。私たちには未来を創る重要な使命があるのです。これより始まります。既に始まっているのかも知れません。時代は適量に達しました。楽しみですね。みんなで幸せになりましょうね。彼はいいました。日本は大丈夫だよ。本来日本を取り戻す。そして世界に合流する。その資格をやっと得たのかも知れません。世界は待っていました。日本が何を反省し、何を選択するのか。そして今、認られているのです。知る人は知っています。原因がわかれば解決があり、それを探さねばならなかったのでした。何処にもそれはありませんでした。彷徨うしかありませんでした。しかし青い鳥です。既にそれは己の魂の中にあったのでした。彼はその為に生まれていたのでしょうか。子供の頃より特別な人生を歩んでいたといいます。彼は見つけたのでしょうか。何を見つけたのだしょうね。伝えるべきことがあるといいます。この世で幸せはある。腐敗堕落が人生ではない。気づくまでが試練であり、旅であり、青春だった。気づけばこの世の春である。幸せがやってくる。如来が御手で頭を撫でる。何に気づくのでしょうか。人生には喜びも悲しみもあります。それが人間だったのでした。悲しみの理由は何だったのでしょうか。知らない間に相手を傷つけていたのです。あるいは貶めていたのでした。それが恨みとも妬みともなります。何時か仕返しに来るのです。その時は勝てません。どうすると良いのでしょうか。日々のことでした。道歌があります。

道という言葉に迷うことなかれ 朝夕己がなす業と知れ

何時も笑顔で生きていきましょう。小さな幸せから始めましょう。何時か必ず大きな喜びとなります。人間は悲しいですね。みんなそうだったのです。だからこそ、笑顔で生きてゆくのです。すべて有りです。受け止めてあげましょう。認めてあげましょう。彼らはそれを望んでいるのでした。存在を傷つけていたのです。あらゆる障害者は明日の我が身です。しばらく幸せのための条件として信じていた自己利益追求主義が自然環境を破壊し、生命をも危険にさらし、諸価値を壊していました。それとは知らずに。その淵源は何処にあったのでしょうか。カルバン以降の重商主義だったのかも知れません。日本もペリー来航でその波に飲み込まれました。そして無意味な戦争までしてしまったのでした。本来日本の本懐はそうではなかったのです。しばらく見失われていました。日本は大義を重んじます。それは自分のためにしないことでした。それはそのまま愛の定義だったのです。本来日本は知っていたのです。そしてそれを目指していました。みんなのためにする。身心清浄及び正直こそ宇宙の智慧の宝蔵を開く鍵でした。彼が見つけたのはそれだったのかも知れない。中原中也の詩に『汚れちまった悲しみに』というのもありました。さぁ、始めましょう。本来日本の花が鮮やかに咲きました。この度の花は歴代まれに見る殊の外美しい大櫻となりました。春がとてもあたたかく感じられます。みんな幸せになりましょうね。その道が開かれました。庶民の解放です。

素直さをとりもどして也櫻咲く

春ですね。新しい出逢いの季節です。ところで、頑張りすぎることは良くないっていわれています。何故でしょうか。燃え尽き症候群ってのがあるからです。ムリすることはないですね。リラックスすることでものごとを冷静に判断できて正しく対処することができます。自分の思い通りにならないってことがありますね。それでいいのです。その時は傷つくかも知れないけれど、そこから学べばいいのです。次のチャンスに生かしましょう。ムリしていると怖いのは、自分では修復できなくなることがあるからです。旨く人生を生きていきましょうね。何時かすらすらと。小さな失敗はむしろ喜んですると良いですよ。その度に強くなります。必ず大丈夫な自分となります。この世の人生は素晴らしい。私たちは幸せになるために生まれました。


2009年04月05日
【空閑=荒野三十有余年の研究報告総論】
真実とは何だったのでしょうか。それは神仏の実在とその邂逅であり、その受容祝福守護でした。本来日本は神国であり、それは卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本です。本来日本の本懐がありました。それは身心清浄及び正直を以って旨とする大和魂でした。風塵雷神。草薙の剣、金剛杵。菅原道真はどうして天神となったのでしょうね。本来日本に根絶やしはありません。原爆の火を以てしても。頼朝は伊豆に流されていました。義経はどうして討伐されたのでしょうね。征夷大将軍は頼朝であり、義経がいなくても源氏が勝っていました。亦、平家はなぜ滅んだのでしょうか。武士階級でありながら、貴族化したからです。秀吉もそうでした。因縁というものがあって、その正体は恨みと妬みです。世代を超えて仕返しに来ます。それが仇であり、魔です。彼らには勝てません。それは相手を苦しめます。魔を引き寄せるのは自分自身の弱さでした。自信喪失と優柔不断の故です。因って魔との戦闘を要します。それは偏に自分自身との戦いでした。それは彼らのことを認めてあげることでした。わかってあげることでした。受け止めてあげることでした。彼らは存在を認めてもらいたいのです。そうすれば消え去ります。それが成仏です。強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。フィリップ・マーロウです。生命はそのように進化しているのです。日本の目指していたのはそれでした。そのまま生命の進化傾向だったのです。二十一世紀最終最後最後の戦いは自分自身とでした。仮想敵国との戦いではなかったのです。三十有余年の埋没を要することもあります。これに勝利して黄泉を制します。その時、天は祝福し、地は喜びます。そして幸せがやって来ます。それは来るのです。それが如来でした。そうしたことが書いてあったのが法華経です。その名宛人は菩薩あるいは爾としての神でした。故に難解です。愛とは自分のためにしないことでした。それは例えば滅私奉公でした。本来日本の諸価値は真実でした。何時の頃からかそれを見失っていたのです。宇宙にとって、物質も精神も同じです。現代素粒子理論の至り着いた結論です。それが思考は現実化するであり、夢は実現するということでした。意識が世界を創り出していたのです。ダビンチもその例外ではありませんでした。ダビンチの夢は悉く実現しています。彼の夢は時代の夢の総集編でした。亦、マーフィー理論があって、潜在意識を説いています。潜在意識にとって主語はありません。述語が本音としてその実現を図ります。故にポジティブ思考こそ幸せへの条件であるとする根拠です。それは例えば、他の幸せを祝福することでした。取り戻すべき頃でしょうか。思い出すべき頃でしょうか。今も昔も黄金の國ジパングです。山田無文老師は仰いました。上求菩提、下化衆生。選択するべきことがあります。それは何だったのでしょうね。本来日本は素晴らしい。この人生は偉大です。美しい風景が待っています。やさしく好ましい人間関係が訪れます。幸せはそのようにしてやって来るのでした。それを一言でいえば、即ち日月照らし、風が吹く。愛は無でした。己を空じて満ちてくるものがあります。それが愛でした。それは禅の精神と同じでした。禅は今、日本にしかありません。禅のテーマは何だったのでしょうね。自分自身は何者であるかでした。その答えは主人公でした。日本の春です。本来日本の花が明快に咲きました。よかったですね。こうしたことは自覚を要します。それは実行して、何が悪であったかを知るのです。そして過去を捨て去る。その時、生死をも超えます。それが武士道は死ぬこととみつけたりでした。本来武士道、滅し給わず。日本国憲法は歴史的所産であり、人類の決意表明でした。ヒロシマを通して現代戦争の無価値を学んだのです。故に未来=子供達の夢も明らかとなりました。それは流血なくして平和を勝ちとることです。市民革命もフランス革命から名誉革命に至りました。江戸無血開城もありました。あらゆる制度の目的は個々の暮らしの保障です。権力闘争ではありません。殺戮を伴う版図拡大の時代は終わりました。地中海より始まった世界はかつて無限でした。大航海時代を経て世界は今、有限です。世界は宇宙となって再び無限となりました。宇宙は情報とエネルギーの波動であり、無尽蔵の智慧の宝庫です。これとアクセスすることで幸せになれます。その為の鍵は何だったのでしょうか。それが身心清浄及び正直だったのです。故に個々の暮らしを破壊する自己利益追求主義が反省されつつあります。それはあらゆる嘘とバイオレンスを廃することであり、愚かさと野蛮からの脱却です。パスカルはいいます。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を観る。既に歴代の英知と技術があります。学ぶべきはそれです。愚かでは至れない幸せがあります。バカになることが幸せだなんて、もう取りやめにしましょう。知性への謙虚さと尊敬を取り戻すべき頃です。神仏への畏敬の念と共に。本来大和に大義名分があります。それは自分のためにしない。民のためにする。その時、神風も吹くのでした。これを以て空閑=荒野三十有余年の研究報告総論と致します。各論は各方面に委ねます。

【地震情報】
この地震による津波の心配はありません。
発生時刻 4月5日 17時0分
震源地 日高支庁東部
位置 緯度 北緯42.3度
経度 東経143度
震央 マグニチュード M4.7
深さ 約60km


【申し訳ないことだった】
申し訳ないことだった。この世の生を無駄にするところだった。何のことだろうね。私たち人間は何をしてきたのだろうね。何時か気づかねばならなかった。何に気づくのだったのだろう。私たちは懺悔の身だった。壊したものがある。もとに還さねばならない。かつて幸せな時があった。この世に生まれた意味は何だったのだろう。私たちは何度も生まれ変わっている。生命体として進化してきた。進化したのだろうか。壊したのだろうか。私たちは何をしてきたのだろうね。とりもどさなければならないものがある。それが幸せだった。こころは何処から来たのだろうね。宇宙からだね。申し訳ないことだった。何時か気づかねばならない。その時が来たようだ。私たちは懺悔の身だった。幸せはある。何処にあるのだろうね。それを探していたよね。幸せになりたいね。豊かな生活がしたいね。愛されたいね。どうすればよかったんだろうね。本当の幸せとは何だったのだろう。本当の豊かさって何だったのかな。愛されることってどういうことだったんだろうね。見つかったのかな。そうかも知れない。すべてはこころだった。拒んでいたのは自分だった。世界は幸せに満ちている。豊かな恵みでいっぱいだ。だれもが愛の手をさしのべていた。それが見えない自分がいただけなんだ。時は無駄に流れたかのようだ。そうでもない。気づくまでが青春だよ。世の中は刹那的であり、退廃的だね。それが人生だと思っている。怠惰だったんだ。真面目に考えようよ。幸せはあるよ。豊かだよ。そして愛に満ちている。やさしさで育まれている。どうしてこんなに殺伐とした世の中となったんだろうね。それはね、本当の愛を知らなかったからだね。本当の幸せを知らなかった。テレビもラジオも間違っていたんだ。何を放送していたんだろうね。愚かさだった。それでみんな迷ったね。それも仕方ない。彼らも食べるためだったんだ。そして気づく頃が来たんだね。未来を作るのは私たち自身だよ。そして私たち自身の本体はこころだった。それは幸せを知っていた。愛を知っていた。だけど、惑わされていたんだよ。これから始まるよ。新しい時代だよ。良い時代にしようね。本当の幸せが見つかったんだ。本当の愛もわかったね。これから変わるよ。何もかも。私たちは怠惰だったんだ。それだけのことだった。野蛮とバイオレンスが支配しているね。愚かさが跋扈している。それも此処までだよ。申し訳ないことだった。私たちが怠惰だった。住みにくい世の中だね。世の中を変えよう。みんなの力で。これからだよ。始まりだよ。結果を含むビジョンだよ!


2009年04月04日
【これからだね】
さあ、始めよう。新しい時代へ合流しよう。幸せは近い。その道が見つかりました。これからだよ。これからだね。すべてをゆるして。そしてゆるされる。それが自由となる秘訣だった。そして表現しよう。迷信と悪夢から逃れるんだ。本当の自分が見えるかな。あなたがあなたになる。それからだよ。何時か、必ず成就する。自分を信じて良いんだよ。内に秘めた思いがあるね。吐露しよう。そして過去を捨て去ろう。尊大な精神がある。精神の自由は絶対だから。何も怖れなくて良いんだよ。そして生まれ変わる。それからだよ。知らない間に傷つけていたね。ごめんね。あなたを貶めていた。それで苦しんだ。原因がわかれば解決がある。改めればいい。そうして人類は進化してきたのだから。わかってもらいたいね。みとめてもらいたいよね。受け止めることが出来るだろうか。幸せになろうね。幸せは近い。これからだよ。これからだね。始まりだよ。傷は何時か癒える。こころの傷だって癒える。諦めないでね。自分を見つめて大きくなれる。パスカルはいったよ。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を観る。地中海から始まった世界はかつて無限だった。大航海時代を経て世界は今、有限です。そして世界は宇宙となって、再び無限となりました。宇宙は愛だった。かつては神仏と呼ばれました。あるいは大自然でした。これとアクセスして幸せになれるのです。愛とは何だったのでしょうか。自分のためにしないことでした。宇宙にとって、精神も物質も同じです。現代素粒子理論の至った結論です。とりもどすべきものがあります。それは精神でした。しばらく見失われていました。思い出す頃となりましたね。身心清浄及び正直を目指していた本来日本。そして潜在意識にとって主語はありません。述語が動きます。それが本音だったのです。だから人の幸せを祝福しましょう。あなたも祝福されるから。ポジティブに生きることが幸せへの道でした。小さな悲しみも大きな苦しみもさようなら。小さな喜びを見つけて日々暮らします。何時か必ず大かな喜びがやってきます。それをメンターと呼ぶことがあります。かつてはサンタさんでした。次はあなたが幸せになるのです。あなたは導かれています。幸せの方へ。素直さを取り戻して、幸せはあります。誰もが幸せになれます。そういう時代となりました。かつて王侯貴族に限られた自由があなたのものとなりました。一部の方々のものだった成功哲学が庶民に開かれました。あなたは自由です。そして成功できるのです。時代は進化しました。市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来る庶民の解放です。世界はそのように出来ていました。庶民とは善良な市民です。だから嘘と暴力を廃するのです。そして愚かさと野蛮から脱却です。知性と感性の時代です。どちらも大切です。そして幸せになるのです。豊になるのです。宇宙に受容祝福されて。大宇宙の中で。それは愛でした。平和でした。この世は生きるに価します。人生は素晴らしい。本当にそう思える瞬間がやってきます。必ずやってきます。パスカルに於いては『メモリアル』でした。すべてに感謝して生きてゆける日々が訪れます。美しい光景が待っています。好ましい人間関係が訪れます。そのようにして幸せはやってきます。大切にしましょうね。何もかも。あなたの気持ちも。過去から自由になりましょう。悲しい過去がありました。捨て去ればいいのです。そしてこころが無となって空となる。それが自由です。そして満ちてくる何かがあります。something else です。それが幸せでした。既に至った方々がいます。彼らを祝福しましょうね。幸せになりましょうね。これからだね。これからだよ。宇宙は情報とエネルギーの波動です。それが知性と愛でした。これと同調して幸せはやってきます。それは来るのです。緊張していましたね。戦っていたのですね。何時か勝利します。必ず勝てるのです。何と戦っていたのでしょうか。自分自身とでした。最終最後最大の敵は自分自身でした。戦いは今、仮想敵国とではなかったのです。そしてゆるすことができるのです。おだやかさがもどってきます。嵐は三日と続きません。しかし三十有余年を要することもあります。だけど、何時か必ず勝利はやってきます。だから、諦めないでね。幸せはあります。やさしくなっていいのです。おだやかでいいのです。重荷は何時か下ろしましょう。あなたは自由です。幸せになるために生まれてきました。少しの修正をすることで幸せになれます。見えている人がいます。見えない人がいます。誰もが何時か至ります。その瞬間がやってきます。幸せになろうね。豊になろうね。これからだね。これからだよ。良い時代となりました。


2009年04月02日
【ポジティブ思考でいこう】
ポジティブ思考でいこう。思いが世界を変える。日本が世界を変える。何故だろうね。日本はヒロシマから現代戦争の無価値を学んで平和を知っている。古来目指していた価値としての自分のためにしない愛を知っている。みんなで助け合いながら暮らしていこうね。小さな良いことを思って実行していると、ある日突然メンターがやってくるよ。本当だよ。サンタさんかも知れないね。現代量子力学の至り着いた結論でもある。人間の意識が宇宙と連動してこの世は出来ている。思いが世界を変える。実現したいね。日本人として目指していたそれが生命進化傾向だった。幸せになろうね。既に始まっているよ。嘘と暴力は一切通らない。この度昭和50年以来の不況となった。彼はいっていた。彼に昭和50年に何があったのだろうね。いよいよ本来日本の始まりとなったのかな。戦後処理は次世代がする。どういう意味だったのだろう。全共闘的自由は間違っていた。代々の務めがあるという。自覚は難しいものだけれど、この度は大丈夫だといっていた。引き受けたのかな。準備万端らしい。何を見つけたのだろうね。何があったのだろうね。無事禅譲。本来日本、一人ではないらしい。

自由となって生きてゆける。自由とならない間は、何をやっても駄目だ。不安はない。疑いもない。その時、自由である。それが禅だった。本来日本にそれはある。禅は今、日本にしかない。菩薩道もあるという。


2009年04月01日
【これを以て春】
何もかもが大丈夫となって、ユーモアとなるね。ペーソスは悲しみだけれど、それはある。それをも受け入れてユーモアとなるね。これで良いんだと思う。何もかもゆるせる気持ちが芽生えたようだ。これを以て春だね。何時か必ず春は来る。どんなに辛く悲しい日々が流れても。よかったね。取り戻せるよ。何もかも。春が来れば。


【welcome !】
この世には上の句と下の句がある。往々にして気づけない。それぞれの解釈の方法論がある。自ら気づかない限り、見抜けないものがある。それが禅においては牛過窓櫺だった。この世は空しいと思う人がいる。この世はバラ色だと思う人がいる。一人は空しい。所詮人の世であり、男がいて女がいる。昼があって夜がある。何事も両極がある。プラスとマイナスで灯りが点る。故に明るい。太陽と月である。己の言葉に風が吹く。わかる必要があった。要は自覚しているのかどうか。何を自覚するのだろうね。それが問題だった。自ら解かねばわからない。教えるだけでは駄目である。そしてわかる。何をわかるのだろうね。一方的な批判は中傷誹謗だった。建設的な批判がある。それが孔子においては公憤だった。故にこれまでの批判をお詫び申し上げる。若気の至りとおゆるし願いたい。これからはどう生きるのか。建設的に生きる。その為に害するものは廃する。やはり人間は万物の霊長だった。自覚して霊長となる。それで良い。この世の中はそのように出来ていた。自覚して明るい。故に宮島にある御堂のロウソクの灯は絶えたことがない。伝えられていた。今も昔も変わりはしない。何が変わらなかったのだろうね。何事も王道がある。愛蔵版がある。その価値に気づくかどうか。人生の醍醐味である。気づいたんだね。良かったね。お芽出度う。そして welcome ! 見えているのか見えていないのか。気づきがあれば、住めば都である。人間至る所に青山あり。それが独坐大雄峰だった。あるいは世雄(セイオウ)だった。これでこの世を明るく楽しく朗らかポジティブに生きてゆけるね。一仏成道観見法界、草木国土悉皆成仏。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を観る。王には王の道がある。何時までも醜いアヒルの子ではない。あるいは、かぐや姫は月に帰る。キリストも聖徳太子も馬宿の王子だった。わかるだろうか。わかる人がいる。わからない人がいる。それで良いのだった。気づけなかったね。長い冬だった。春は来たようだ。枯れ木に花を咲かせる話もある。そして一切衆生悉有仏性。ここに掬いがある。諸悪莫作、衆善奉行。莫妄想!空しさは無意味である。空は青い。


【笑うしかないね】
いくつの門を通ったことだろう。どの門でもよかったのだった。多くの門を通った。しかし何故か他の門を探した。愚かだった。ひとつの門でよかったのだ。一つの門を通過すればよかった。それがチャンスだった。しかし多くの門を通った。それぞれ垣間見ただけだった。文学も通った。法学も通った。宗教も通った。麻雀も通っていた。政治も通った。確かに通った。しかし気づけなかった。そうしたものだったのだろうか。故に無門というか。不遇であればチャンスである。それに気づけないでいた。しかし気づいたのだろうか。気づいたらしい。この世の経験則がある。英知である。学ぶべきはそれだった。物語も智慧の宝庫だった。何をしてきたのだろうね。多くの書籍を渉猟した。成功哲学も制覇したようだ。笑うしかない。この世は如何に簡単であったことか。優等生というのはやっかいだね。オール10など迷いのもとだった。しかし究極の真実とは何だったか。これを知る者は少ない。やはりすべての門を制覇して至るのであろう。代々の務めもある。古来大和の秘密もある。風神雷神。草薙の剣。金剛杵。そう簡単にはわからない。廓然無聖に至ってはどうにもならない。生まれながらの導きもある。さて、どうするのだろうね。準備万端となった。自由である。どの門からでも良い。目指すべきは頂上である。どの道でも良い。やがて至る。その時、合流である。同じ光景を観ている。これを以て成功といって良い。自己の確立といって良い。勝負にならない理由がある。愛とは何だったか。自分のためにしない。潜在意識にとって主語はない。述語が動く。宇宙にとって精神も物質も同じだった。昔神仏が今宇宙である。宇宙は無尽蔵の智慧の宝庫である。それはそのままDNAであり、魂である。これにアクセスすることで無限の可能性がある。すなわち創造性だった。コンピュータにとってプリンタもファイルである。これを以て現代哲学の究極の総論とする。各論は各方面に任せる。何時まで無門というか。わかりにくいね。十門ということも出来る。笑うしかないね。彼はいった。日本は大丈夫だよ。謎は解かれた。