クロージング



これまでずいぶんと、難しいことを考えていました。しかしそれはとても孤独でした。誰もわかってくれないと思っていました。難しいことをいってわかってくれないなんて当然でした。わかりやすくいえばよかったのです。だけど、余裕がなかったのでした。

要は個々の問題解決だったのです。その為の智慧でした。問題を起こすような智慧はかえって使わない方が良いのでした。原因がわかれば解決があります。事実を分析して原因を見極める。そのためにあらゆる学問があったといえます。

いつの間にか智慧も悪用されていたのでしょうか。自己利益追求のために。それが金融工学だったのかも知れません。ノーベル賞受者がそれを実践してしばらく利益を上げました。しかしその会社は倒産しました。それでも各金融機関はその理論を使って利益としました。工学である限りそれまでとは規模が違います。とうとう大穴を空けてしまいました。その損失は測り知れなくて、はじめて兆を超えて京に至ったともいわれています。

お金は天下の回りものです。その流れに乗らないことには自分の懐には入ってきませんね。経済が滞っています。何処に流れを塞いでいる大岩があるのでしょうね。それを探し出して破砕しましょう。再び水の如くお金が流れはじめます。

利益あるところに損失ありが資本主義の原点です。いつの間にか利益あるところに利益ありとなっています。何処かに欺罔があるからですね。経済行為そのものが正直を前提としていることを思い出しましょう。例えば各社のカードがありますね。消費者金融の欺罔的契約として機能していて、これもおかしい。ポイントがおかしい。複雑すぎて流れが見えない。それが智慧ですか。消費者のためですか。欺罔でしょう。それで自ら利益しているでしょう。そうした自分のためにする智慧はもう通らなくなるでしょうね。消費者も学習しています。

本来の流れを取り戻せばいいのです。あらゆる制度が見直されるのかも知れません。資本家のために傾きすぎていたのではないですか。欺罔的利益を追求するのではなく、正々堂々と経済競争すればいいのです。規制すべきは規制して。無制限の自由なんてありません。野蛮と暴力が勝利します。大資本が必ず勝ちます。ルールは必要です。国民主権の観点からする社会契約として。制度そのものがあまりにも欺罔的ではなかったですか。労働者である限り、請求書に追われる人生となるのです。労働者である限り、資本家にはなれません。政治も世襲化されたように資本家は既に世襲的です。そしてその弊害が看過できなくなったのではないですか。敢えていえば、それ(自己利益追求主義経済行為)が地球温暖化の問題の意味するところではないですか。

学校教育もその例外ではありませんでした。教師はサラリーマン化し、むしろ情熱的な教師は教師間では敬遠されます。有能な労働者を供給するための教育でした。子供達はそれを感じていたのです。それで登校拒否もあるし、引きこもりもありました。ニートもそうかも知れません。子供達の鬱はいじめの問題だけではなかったのです。何故でしょうね。そこに人間性無視の理念が社会的にあったのではないでしょうか。

派遣切りもその例外ではなかったですね。まるで奴隷ですね。企業も潰れていい。そういう時代になっていませんか。取り戻すべきあるいは目指すべきは何でしょうね。やはり愛ですね。平和です。こころです。諸価値を破壊して顧みなかった自己利益追求及び市場主義が社会理念の腐敗を招きました。精神を失ってあまりにも物質主義に偏重し、人間社会のあるべき姿としてのバランスを欠いていたのです。それを反省する頃となったのでしょうか。そして本当の暮らしと個々の幸せを追求する時代が開けるのでしょうね。

日本も成長しました。何時までも、何時の間にか世襲的となった利益独占の為の制度はゆるされなくなったのでしょうね。この度の金融危機は制度疲労でしょうか。あるいは構造的脱線であるのかも知れません。フランス革命も明治維新も関ヶ原も源平合戦も実はこうした同じメカニズムで起きていたことを思い出す頃であるのかも知れませんね。彼はいいました。彼がどの階層に属し、何を考え、何を実験し、何を開発検証し、何を確認決定し、何を自覚したか、とても重大な要素であり、それは天の守護と祝福を以て既に明白となった。400年来重商主義パラダイムが終演した。クロージングである。これより新しい時代を始める。その時が来た。『第三の波』が実行段階に入った。 既に始まっている。日本の時代である。この波に乗れるかどうか。風は何処から吹いてくるのか。世の風見鶏たちは高きところから見えているだろうか。