こころの平和

今日も元気です。法華経に『賢聖』という言葉があります。憧れとは何だったのでしょうね。神仏の守護ではなかったでしょうか。

それはあります。正直者の頭に神は宿ります。

永遠への進化。目指すべきは何だったのでしょうか。こころの平和だったのです。本来日本はそれを知っていました。しばらく失われていました。取り戻すべき頃です。下級精神によって壊されていました。

これからの夢は何でしょうね。殺戮なくして平和を勝ちとることですね。アメリカはモンロー主義の國でした。その転換があったようです。キッシンジャー氏をはじめとする英知の結集がありました。核兵器のない世界にする。オバマ氏の選択です。新しいアメリカの祈りとなりました。

実現したいですね。世界の中の日本として。原爆のターゲットをヒロシマにしたのは正しかったと彼はいいます。候補地には京都も奈良もありました。

しかし頼朝は伊豆に流されていました。それが本来日本の秘密だったのでしょうか。本来日本に根絶やしの思想は通用しません。

怨まないことです。妬まないことです。相手の存在を傷つけないことです。貶めないことです。認めることです。受容祝福することです。あなたの求めていることを先に相手に施すことです。必ずあなたは豊かになります。そして幸せはあなたのところにやって来ます。

愛とは自分のためにしないことでした。公共性も自分のためにしないことでした。故に行政法には特別権力関係理論もありました。

誰の利益のためだったのか知らないですが、規制緩和で自ら壊しましたね。

愛とは動植物及び岩石も喜ぶ周波数でした。開発するべきはそれでした。発掘するべきもそれでした。

何時しか自己利益追求こそ価値かと思われました。それは自然に反していたのです。気づく頃となりました。そして時代は進化します。

本来日本は自然の中で、自然と共に生きて幸せであることを知っていました。自然を征服するなどという概念はありませんでした。

本来日本の種は遺されていました。それは野蛮ではありません。愚かでもありません。幾多の試練に耐えてその花が咲くのです。季節は巡ります。時代も巡ります。

既に二十一世紀です。二千年来の物語が完結しました。誰もがこころの平和へ向かいます。それが約束だったかのように。こころの大地が開かれました。

十九の春。それは昭和50年でした。その頃に咲くはずでした。しかし時は熟していなかったのでしょうか。彼の試練がありました。

彼は導かれていました。泳ぎ切ったのでしょうか。それを解決したのは時でした。時こそ天であり、神でした。そして見事に咲きました。古来大和大輪の花として。

日本は今も昔も黄金の國です。現存文明文化諸国家の中で最も歴史古き國です。そして本来神國でした。祖先に恥じないように生きましょうね。日月照らし、今日も元気です。