必ず幸せになることができる

2013年03月23日

  • 禅のテキスト『無門漢』の中に「倩女離魂」がある。王宙が倩女と結婚しようと思って、倩女のお父さんのところへ挨拶に行った。すると、どうしても許してくれなかった。二人は小舟に乗ってその地を離れ、遠くで暮らしていた。歳月が流れて、やはりお父さんの許しを得たいと思った。再びお父さんに会って許しを請う。するとお父さんは、「何を言っているのだ。娘はあれからずっと奥で床についている」。その時、奥で伏せていた倩女が訪れた倩女の中に入った。
  • さてこれって、魂が離れていたんだね。許しを得て再び合体した。魂と肉体の関係である。人生は自分探しの旅だともいえる。それは、本来の自分を見つけることだった。様々な属性を持って生まれている。その中のどれが本当の自分だったのか。それを見つける。そしてそれになりきる。そうすれば、100%本来の自分となる。これが幸せの要件だった。そして魂も肉体も喜ぶ。結婚もそうでありたい。多様性の中で個性を発揮するというのも、その個性はこのようにして見つけた個性だった。自分は自分でいいのである。その自分になりきれば、自己実現する。その時、何者にも負けない自分となっている。他の者になろうと思わないことだ。自分を探し、それに徹するがいい。必ず幸せになることができる。そのように導かれているからである。何もかも見抜かれている。幸せになろうね。だれもが幸せになれるのです。それはあるのです。そのように私たちは生まれていたのでした。

2013年4月15日

  • 惑わされていたのである。誘惑である。何がはびこっていたのだったか。悪魔であるか。打ち克つしかない。それまでは、わからない。あらゆる誤謬がある。惑わされないことだ。羅針盤は己の良心である。納得するまで追求するしかない。何を追求するのだったか。真実だった。掴んだようである。自覚を要するとしたのは、鈴木大拙氏だった。


究めたり己自身の真実を過去より求め生まれていたる
  • 生きていてよかった。この人生は無意味かと思われた。それだけの理由があった。十九の春である。この世での解決はないと思われた。そうでもなかったようだ。時代が変遷して、その解決があると言われるようになっている。試練だったのか。それにしては酷な人生だった。無駄な努力がある。それはそれが無駄であることを知るために通らねばならない。