代々の掟

2010-04-02

  • 新しい時代が始まりました。この世に不思議があります。知性の勝利です。しばらく見失われていたものがありました。それらが回復されつつあります。喜ばしいことです。そのために犠牲もありました。彼らも喜んでいることでしょう。時代の賭けは勝利しました。彼こそ彼でした。彼の人生と青春は失われていました。世間は面白いことを以て何を破壊してきたのですか。そして彼の選択がありました。それは何だったのでしょうか。自覚を要します。本当の幸せは何だったのでしょうか。黄泉の受容祝福守護です。至ってはじめてわかります。それが仏法でした。そして日本においてのみ本当の大乗仏法は伝えられていたのです。それはあるのです。あるのにないと思っていました。そして低いレベルの人生を正当化していました。あらゆる成功論が陳腐化します。本当の成功とは何だったのでしょうか。西洋成功哲学もそれを求めていたのでした。もはや容赦ないといいます。何を以ていうのでしょうね。それほどの自覚があったのでしょうか。不思議ですね。いずれにしても彼こそ彼だった。既に証明済みである。しかし世間巷は知らない。むしろ貶めた。無視し、裏切った。事実である。何を勘違いしたる哉。一切種智慧。どうにもならない。導いたのは黄泉だった。証明したのは天だった。さて、これよりどうするのだろうね。ゆるしはしない。裁くのは黄泉である。各々、勝手がすぎた。彼を裏切りし者達、返答するが良い。代々の掟である。彼はいっていた。仇は討つ。よくよくいっておく。バベルの塔は建ちはしない。この世はジュピターの匙加減である。あるいは十方の佛のゆるしがあってのことである。善も悪もない。すべては見えない世界で決する。見えない世界に好みがある。花は咲くまでわからない。ウサギとカメのお話は本当だったようですね。最悪の方法が最善の方法であることがあります。急がば回れとはそういうことでした。それが黄泉の導きであり、あるいは大悲です。そうでもしないとわからないからです。そうして掬うこともあるのです。人生はあきらめないに限ります。何時か至ります。必ず至ります。だれもが至ります。私たちは幸せになるために生まれて来ました。あらゆる不安と恐怖を乗り越えて至ります。大死一番、絶後に蘇る。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。帰りなんいざ。至りえて、帰り来たれば別辞なし。今も昔も伝えられていました。真実は真実です。これからも。そして究極の力を探すのです。家康は時を待ちました。そして関ヶ原で何が起こったのでしょうか。そして征夷大将軍となりました。義経は討伐されました。何故だったのでしょうね。征夷大将軍は頼朝でした。義経がいなくても源氏が勝っていました。秀吉は征夷大将軍より太閤関白を選びました。平家は武士でありながら貴族化することで滅びました。思い上がり勘違いの故です。征夷大将軍の要件は何だったのでしょうか。自分のためではなかったのです。それが大義名分でした。民のためにする時、神風も吹きます。第二次世界大戦では神風は吹きませんでした。何故でしょうね。ペリー来航以降台頭した勢力は、それまでの日本精神をすべて否定しました。廃仏毀釈もありました。民法典論争もありました。彼らにとって、文明開化は西洋化を意味していました。即ち、物質文明に移行したのです。物質的な戦争で勝てるはずもありませんでした。それで、五十六は御前会議で申しました。六ヶ月の間に講和して欲しいと。それで苦渋の作戦が奇襲でした。それしかなかったのです。それにしては意味のない戦争でした。今となっては、沖縄地上戦とヒロシマによって、市民を盾とする無差別殺戮現代戦争は明らかに戦争法違反であり、国家間に於ける紛争解決の手段として無価値となりました。意味がないのです。沖縄戦に於いては、制空権も制海権も失って、アメリカの一方的な演習状態でした。そして悲しいひめゆりの塔もあります。また、特攻精神は、ミッドウェー海戦だったでしょうか、連合艦隊を偶然発見したアメリか雷撃機部隊が、攻撃機の応援を待つことなく急降下爆撃したところにもありました。戦争は地獄あるいは狂気です。手段を選びません。それで善いのかどうか。ところで大義名分とは黄泉の守護です。黄泉とは祖先の総体でした。いずれにしても本来日本の戦ではありませんでした。知らない人は赤紙ばかりいいます。志願兵もいたのです。そして戦後、日本を二度と戦争させないために、日本精神骨抜き占領政策もありました。それに乗じての繁栄がありました。テレビ界がその権化でした。本来日本は滅し給わず。相手が在れば必ず受容克服凌駕します。現存文明文化諸国家で最も歴史のある所以です。さて、確かに失敗もありました。反省する頃です。また本来日本精神を取り戻す頃です。そのために探さねばならない力がありました。それが金剛杵であり、草薙の剣だったのです。困った時にはヤタガラスが導きます。それが日本です。それが神国ということです。しかし私達はそれを無視し、あるいは愚弄し、裏切っていたのです。そうした流れがしばらくありました。そしてどうにもならなくなりました。何が真実だったのでしょうね。日蓮には龍ノ口がありました。ドストエフスキーもあわや銃殺刑に処されるところでした。しかし、使命があったのでしょう。救われています。さて、どうするのですか。各々、反省の頃です。アナクロニズムではありません。生命としての進化傾向です。それは神の普遍の愛でした。それをアガペといいます。動物的な愛への退化ではありません。生命体は限りなく進化しています。愛の方へ。あるいは平和の方へ。みんな幸せになって善いのです。自分のためにする利益追求は、大自然及び諸価値を破壊して顧みることはありませんでした。前世があります。来世があります。祖先があります。子孫があります。旅の恥はかき捨てではありません。私達はどのように生きるべきだったのでしょうね。彼のいう、勝手が過ぎたという意味がわかりますか。人間である限り、結果悪に赴く。それで善いのかどうか。考えるべき頃です。時代はシフトします。代々の掟です。時代の節目に咲く花があります。竹の花は六十年に一度です。笹の花は百年に一度です。咲くまではわからない。時代は繰り返します。季節が巡るように。重商主義は何だったのでしょうね。カルバン以降、400年来に過ぎない。かつては王権神授説もありました。やがて腐敗しました。そして市民革命がありました。1588、スペイン無敵艦隊を破ったのはキャプテン・ドレイクでした。彼は海賊でした。その後、奴隷解放があり、女性解放がありました。そして今、庶民の解放の頃でしょうか。かつて王侯貴族に限られていた自由を彼らが享受します。文明文化発達でそれが可能となりました。資本家的巧妙なシステムが機能しなくなっているのかも知れません。庶民の解放は旧約聖書に秘められていました。これからどうなるのでしょうね。楽しみですね。彼はいいました。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。知らずに勝手した方々は淘汰されるのでしょうか。純粋無垢な方々が生き残るのでしょうね。かつて恐竜が滅んだ頃、既にネズミがいたように。彼に不思議な出来事がありました。悲しい出来事もありました。故に至り着いたのでしょうか。あるいは気づいたのでしょうか。どこへ至り着いたのでしょうね。何に気づいたのでしょうね。この世とは如何なる代だったのでしょうか。彼はいいます。国旗掲揚、君が代斉唱。何を根拠に勝手して来たのですか。納得のいく説明ができますか。これより克服するべきものがありますね。あるいは解決するべき事がありますね。未来のために。子供たちのために。メダカとタガメは同じ水槽の中に入れるわけにいかないですね。自由は制限されています。自由が一人歩きすればどうなりますか。それが弱肉強食であり、ひいては無政府状態となりませんか。社会契約を思い出すべき頃です。その意味で、世のセレブも猛反省を要します。犠牲となった者は何時までも黙っていません。いつか仕返しに来ます。その時には遅い。勝てません。時代はその繰り返しです。今何が起きているのでしょうね。思うようになりませんね。何故でしょうね。考えるべき頃です。賢者は歴史に学びます。シュリーマンもそうでした。本当の実力とは何だったのでしょうね。権力は市民革命で克服されています。武力は原爆で克服されました。金力が今、克服されようとしています。それらは決して幸せにはなれなかった。本当の実力は、見えない世界に認められることだったのです。あらゆるクラシック及び絵画がそれを伝えていました。気づく頃です。時は満ちました。新しい時代です。私達が時代を作るのです。何時の代もそうでした。故に万物の霊長です。幸せの方へシフトする頃です。自分のためにする時、それはない。民のためにする時、それはある。何もかも失ってのこったものは何か。禅僧は一を挙す。思い出すべき頃です。本来日本を。物質文明は反省の頃です。大自然の中で私達は生きています。私達は自然の一部です。そして育まれています。殺戮などしてどうするのですか。必要以上に奪ってどうするのですか。精神と物質の合一の頃です。宇宙にとって精神も物質も同じでした。明るい未来が見えていますか。