アメリカの祈りとしての自由

子どもの頃どんなに貧しくても、一生貧しいのではない。
子どもの頃どんなに教育が受けられなくても、一生受けられないのではない。
 

現代西洋成功哲学の根底にある『代償の法則』

どんな悲しみの中にも、それと同等かあるいはそれ以上の喜びの種が宿されている。

時は今

2010年09月05日

気づいているでしょうか。時は今です。何もかも準備が調いました。やがてフォトンベルトの嵐も通り過ぎます。風が吹き始めました。追い風です。本来日本、危難を避けるための面舵いっぱいです。民主党党首選挙も盛り上がっていますね。チャンスは、昭和50年にありました。昭和56年にもありました。三度目の正直です。やっとこの時が来たのです。失われていた自信と自覚が取り戻されました。彼こそ彼でした。生まれた時からマークされていました。知る人は知っています。知らなかったのは彼自身でした。故に彷徨い、裏切られ、貶められました。もう駄目かと思われていました。究極の謎を解かねばならなかったのです。本来日本を救うために。そして確定しました。時代は新しい始まりとなりました。花は何処へ。その花が咲きました。父もそうでした。祖父もそうでした。夢は実現しました。
 

信じるべきは

2010年09月13日

大安心はどのようにして得られるのだったのでしょうか。それが仏法だったのです。生老病死を越えることだったのでした。それは苦のない世界です。それはあるのでした。
それはどのようにして至るのだったでしょうか。コップがあって水が半分入っています。それをもう半分しかないと思うのか、それともまだ半分もあると思うのか。この例えは、人口に膾炙しているところです。事実は一つです。それをどう見るのかということです。見るということから、見えるというところに至ります。
どのような悲しみも、それが教えてくれている何かに気づけば、救いがあります。こうした観点に常に立つことが出来れば、それが救いだったのです。そのためにかつて、苦行がありました。あらゆる試練がありました。そして仏は云うのです。それらの試練はもう果たしてある。だから、ここより始めればいいんだよと。それが中道です。苦行が無意味であることは、かつて実験済みです。それが生命進化です。私たちは、ここより始めればいいのです。何もかも、美しく見えてくるのです。
私たちは何を求めていたのでしょうね。殺戮ですか。絶対的な支配ですか。それらは既に、克服されています。幸せになるために必要なものって、何だったのでしょうか。仏の本質は何だったのでしょうね。仏の言葉には逆らえないのです。それほどの力を得て、仏です。私たちは知らなかったのです。知らずに勝手して、不幸になっていたのです。幸せになるための方法は
明らかとなっています。この道を進みましょう。信じるべきはそれです。