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どんな障害を持ったとしても必ず乗り越えることが出来ます。あらゆる悲しみはその中に、それと同等或いはそれ以上の喜びの種を必ず宿しています(代償の法則)。日々を喜びに変えて。青い空と白い雲。日月照らし、風が吹く。

未来=子供達の夢

  • 【2008/10/08】人間関係は大事だね。君子危うきに近寄らず。人非人という事がある。詐欺師にも出会った。悉く嘘だった。嘘の上に嘘を重ねる。信じた自分が馬鹿だった。亦、どうして労働基準法があるのかも理解した。本人は善人ぶっても、事実としてとんでもない事をしている社長がいる。これが人間社会だったのだろうか。その意味では人間というものを知らなかった。この世は善人の世ではない事にやっと気づいた。よほど因縁がきついか。見なければならなかったか。経験しなければ解らなかったか。或いは過去の自分の姿だったか。申し訳ない事だった。そして自分にもそれはあるのだと思った。或いはあったのだと思った。少なくともこの世でそれは出来なかった。随分と酷い目にあった。脱法行為が当然の人種達である。本来、相手にする必要はない。高い授業料だったね。人間を知るには時間もかかった。故に戒めもあったか。それを解くには何が必要だったか。修行だったのだろう。そしてそれが解かれた時、何を見るのだったのか。日月照らし、風が吹く。天及び黄泉の守護だった。神風も吹く。本来日本の本懐だった。それを見失っていた事が解った。何時の頃からだったか。原因は何か。彼にはお金だと思えた。それは西洋金銭合理主義に染まったからだと思われた。西洋思想は19世紀に没落していたという。それが理由だったのだろうか。そして救いを求めている。それは何処にあるか。本来日本は、武士は食わねど高楊枝もあった。お金に対する執着と正当化は何時の頃からか。それは商人階級の台頭だった。西洋に於いてはカルバン以降である。此処400年のパラダイムに過ぎない。日本に於いてはペリー来航以降だったか。明治の文明開化は西洋化だった。本来日本の価値観は無視された。或いは壊された。その思想に基づいて意味のない戦争もあった。市民が犠牲となった。その思想は根絶やしだった。無理もない。それが近代戦争だった。大義名分など無い。神風は吹かなかった。そうした思想の形成根本要因は何か。唯自己利益追求思想だった。それは市場原理を手段とした。市場原理は諸価値を壊して顧みない。やがて利益のためには、生命及び環境をも破壊した。原爆に終わらなかった。化学兵器も現れた。殺戮のためだった。それがベトナムに於いては枯れ葉剤だった。それを知っているが故に、フセインを怖れた。フセインはむしろその気はなかったか。威嚇だったか。それにしては限度を超えた。しかしフセインの告白ものこされている。さて、世界は今、恐慌になるかも知れないほどの懸念がある。ヨーロッパでもいくつかの銀行が倒産した。どうなるのだろうね。心配だね。不安だね。大丈夫だよ。かつて我々生命体の祖先は、硫化水素の海から現れた。常に試練はある。乗り越えてきた。痛みはあるよ。そして生き残る条件は何だったか。恐竜が滅ぶ頃に、既にネズミはいた。常に準備されている。そして既にそれに気づいた方々がいた。預言者達がそうだった。日本に於いてはシャーマンだった。そしてその要件は何か。身心清浄及び正直。これしかない。これがあって、眼(まなこ)ある人である。これなくんば、見えはしない。何故見えないか。欲得の故である。欲得の原因は何か。お金が目的であると思った事だった。しかしこの点は、現代西洋成功哲学を調べるとむしろ既に反省されている。お金が目的ではなかった。本来の目的はお金を通して自己確認或いは人格形成だった。そしてお金は必要である。亦、お金はなくなりはしない。その正しい扱い方が解ったのかも知れない。それは善良な市民の手には流れてこない。何処かで滞る。大岩がある。これを粉砕する必要があるのだろう。それをするためには何が必要か。知る事である。資本主義は民主主義を前提としている。新たなシステムを考える。資本主義で良い。民主主義で良い。資本主義は善良であるべきである。自己利益追求主義が問題である事を知る頃である。しかし、善良な市民を囲い込んで、自らの利益のために使用している。正当な対価の支払いはない。それはお金がある方が愚かであっても、価値ある人を評価せずお金の力で暴力的或いは欺罔を手段として支配しているからである。この辺りが問題点となって明らかとなった。神仏は実在するという事も前提である。彼らは自分の利益にならなければ、神仏をも信じない。何処までも利己主義である。神仏は誰に微笑むか。その要件は何か。神仏の守護はあるのか。ある。故にそれを知る人は殉教もある。さて、どうなるのだろうね。どうするのだろうね。このままでは、人間は皆、多かれ少なかれ、障害者となるだろう。それで良いのだろうか。人類の英知を結集する。そして解決する。既に十分な英知がある。技術もある。この度、日本から三人の物理学者がノーベル賞を受賞した。素粒子基礎理論に於いてである。日本はこの分野は弱いといわれていた。誰がいったか。弱かったわけではない。世界に於いて評価されていなかっただけである。そして三人が同時に頂くのは初めてである。とても象徴的であるね。どうして今、日本が評価されたのか。その根本原因がある。誰も知らない。しかしある。真実真理とは何だったのか。何時か知る事だろう。来世かも知れない。高い授業料を要する。彼は笑った。見えてきたらしい。仲間がたくさんいる。或る禅の本を読んでいると、そこら中、達磨だらけではないかとあった。彼はいった。生まれた使命は果たしたよ。どういう事だろうね。わからないね。人間関係は大事だね。君子危うきに近寄らず。朱に交われば赤くなる。人間関係は選ぼうね。期待しても無駄な関係がある。敵がいる。味方がいる。四面楚歌、助けを求める事も大切だよ。犬死にする事はない。生まれた使命を果たそうよ。それぞれ故あって生まれている。本来日本復活。世界を救う事が出来るかも知れない。本来日本は素晴らしいね。商売人根性では永遠に解らない。400年来或いは二千年来の謎が解かれている。 久遠実成の謎も解かれている。それが仏だった。新しい時代である。黎明である。或いは開闢である。美しい風景が待っている。やさしい暮らしが待っている。好ましい人間関係が待っている。未来は明るい。生命は進化する。宇宙自然生命黄泉は一体である。我々は魂としてその一部である。何時までも壊す方へ荷担している訳にはいかなくなった。未来が見えた。建設である。やさしい方へ。幸せの方へ。誰もが待っていた。誰もが願っていた。夢は実現する。思考は現実化する。現実化させようではないか。その時が来たようだ。 EL&Pには『庶民のファンファーレ』もあっただろうか。種は蒔かれている。芽を出す頃となった。庶民の解放である。それは旧約聖書に秘められていた目的だった。それは市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来ると彼はいった。その時である。そして既に民主主義である。それは市民革命を通って市民が獲得した。フランスでは血が流れた。名誉革命では血は流れなかった。日本に於いては江戸城無血解城があった。今、必要なのは何か。平和である。日本が平和を知ったのは敗戦だった。無益な血を流した。戦場となった国々には申し訳ない事だった。相手国にも申し訳ない事だった。自国にも申し訳ない事だった。そして近代戦争が庶民を犠牲にする無価値な方法である事を知った。平和主義憲法は歴史的な所産である。そして日本国憲法は戦争を放棄した。これは人類としての決断だった。殺戮の根拠は何であるか。正義論であるか。それが相対的であり、今となっては詭弁となった。世界は何処へ進むのか。誰もが平和に暮らし、己の生を全うできる方へである。それが平和であり、人類の祈りであり、願いである。それを夢として一笑に付してはならない。夢は実現する。ダビンチの夢は、その時代の集大成であり、悉く実現した。未来は何か。血を流さずに平和を手に入れる事である。それが子供達の夢である。気づく頃となった。何に気づくのか。お金も浄財になりたいと思っている。本来日本に帰ろうではないか。それは精神の秩序の復活である。行政が民法化してどうするのか。その辺りから見直そうではないか。テレビで馬鹿になる事が幸せであるなどと吹聴して、子供達にどのような教育があるというのか。すべては何が原因であるか。どのようにしたら、克服出来るのか。その辺りから、議論しようではないか。政権争いだけが政治ではないよ。もっと急務な問題がある。経済政策も社会政策も刑事政策もすべて解決する何かがあるのではないですか。それを議論するべき時ではないですか。本来日本はどうあるべきかについて議論しませんか。根本から考えないと解決はないほど、それほどの腐敗の時に来ています。この辺りで精算して、新しい日本に生まれ変わりませんか。そして世界の中の日本として出発しませんか。彼はいった。明治の仇をとる。戦後の仇をとる。それは彼にいわせておけばいいのです。それくらいはいわせておきましょう。しかし彼は良い仕事をしましたね。やはり彼は彼だった。すべては彼のために予定され、準備されていたのだろうか。悔しいね。あらゆる失敗を今となっては笑うしかない経験として結晶させたのだろうか。世間巷は知らない。しかしそうした仕事は代々の務めだという。鶴の恩返しだといっていた。それほどの教育を受けたらしい。感謝しているという。彼は埋没したかに見えた。誰からも顧みられない。しかしそれも亦、黄泉の守護を得るためだったのか。それを見つけなければならなかったのか。誰にも出来る事ではないね。やはり、彼は彼だった。子供の頃からね。忘れていたよ。ごめんね。だけど、彼は幸せも見つけたらしい。彼が穏やかである事の意味も自覚したらしい。彼はいった。富士は休火山である。死んではいない。日本は火の國である。彼を本気にさせない方が良い。ところで、ラジオ深夜便で面白い事をいっていた。文学及び芸術活動は何かという事だった。それは社会システムの中でどうしてもこぼれ落ちる人がいる。そうした人達にまなざしを向ける事だという。そういえば、そうだね。これは定義として使えるね。また、仕事でプロとして成功したいと思えば、悪口をいわない事が条件であるともいっていた。確かに、悪舌は功徳の種を断ずると法華経にもある。悪口は何故いうのだろうね。自分の立場を相対的に正当化するためだね。恐らくその必要はないのだろう。何故か。もっと大いなる目的があれば、相手にする必要はないといえる。そのような暇もないといえる。ところで悪口が何故いけないのか。相手の尊厳を傷つける。或いは感情的な対立の種となる。それは永遠に関係を壊してしまう。大いなる目的がある時、むしろそれは障害となる。ところで、その悪口が悪口の形であるとしても、事実であるとする。悪口が悪口として批判の対象となるのは、プライベイトな関係だね。公に於いては、名誉毀損の成立要件として、事実であるならゆるされる。尤も相手を専ら中傷誹謗するのはゆるされないだろう。さて例えば、現代テレビ界及び芸能界の風潮とか、社会的弊害となっているのではないかと思われる方々を批判するのはどうだろう。此処でも全体の趣旨という事がある。悪口と見えてもすべて悪口ではないといえる。大いなる目的があって、それで何かいう時、それは公憤であり、それは孔子も認めているのではないだろうか。知らずにいるのなら、知らせてあげる事も必要であろう。むしろ、それがその人を救うことになる事もあるだろう。何れにしてもそうしたデテールへの悲しみと配慮があって知性といえる。ペーソスといえるのかも知れない。知性が復活する。