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どんな障害を持ったとしても必ず乗り越えることが出来ます。あらゆる悲しみはその中に、それと同等或いはそれ以上の喜びの種を必ず宿しています(代償の法則)。日々を喜びに変えて。青い空と白い雲。日月照らし、風が吹く。

幸福への近道 ~下僕として~

  • 【2008/10/06】仕事とは何だったのだろう。ビジネスとかいうね。ビジネスの目的は何だったのか。それが単なるお金儲けではなく、それを通してやがて自己確認或いは人格形成だったのは、西洋成功哲学を調べて確認した。お金儲けはむしろ遠回りとなるのかも知れない。その過程が、誰かを犠牲にしたり、生命及び環境としての自然を壊したりしていれば尚更だね。そして人格形成を通して何処へ至るのだったろう。自由だった。お金があるから自由なのではない。本当の自由とは無畏だった。それは一切の不安及び恐れのない事だった。それが幸せであり、解脱であり、涅槃であり、桃源郷であり、彼岸だった。それはある。死んでからでは遅い。意味がない。今この世である。それが仏の教えだった。そして無畏施は観音様だった。それはそれとして、お世話をするとはどういう事だったのか。それはサービスとかいわれる。どのような状態が、サービスなのか。仕える事だった。どのようにして仕えるのだろうね。下男下僕としてだった。それが本来のサービスであり、現代の仕事の姿となっている。そして、人より何か秀でているとして、それは何故だったのか。その力を何に使うのだったか。仕えるためにだった。つまり、出来る人は出来ない人のために。組織はピラミッドで、上に行くほど偉いと思われる。そうだろうか。それだけ、仕える事がある。人より能力があるという事が偉いということではなかった。この世の定めがあり、務めがある。各々生まれた使命がある。その人でなければ出来ない事がある。例えば、真実真理の探究が誰にも出来るというのではない。それは誰のためか。自分のためか。やがてはそうであろう。情けは人のためならずともいう。しかし当面は、人類のためだったりする。そしてそれを自覚するとはどういう事か。何を自覚するのか。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずであるか。さらに自覚は深まる。真実真理の下僕と自覚する。そして実現する。世のため、人のため、真実真理のためにするべき事がある。それが世の社長族は何事であるか。何を偉そぶっているのか。何故の社長であるか。働かざる者食うべからずは、百丈禅師のいった言葉だった。毛沢東ではない。それは掟でもあった。ところで、犬の身になってごらん。たいへんだよ。人間は知らない。亦、女性は大変だよ。今に、家事育児の責任がある。さらに社会的責任も負わされつつある。男性は知らない。この世で女色を貪っているね。来世はどうなるだろうね。女性は相対的に弱い。故に生きるためには嘘もある。それはそれで自然である。男性には本来嘘は無い。それが武士道であり、大和魂だった。故に尊敬されていた。しかし今、男性も嘘の世だね。日本男子はこれで良いといえますか、欽ちゃん。仏の世界が、一仏国土であるとする。それはどのような世界であるか。嘘のない世界である。故に本来日本は仏法を受容した。それが今、どうだろうね。政治も行政も財界も嘘が多すぎはしないか。この辺りで見直さないか。真実真理を。そして真実真理に仕える事も有っていい。故に、未来は明るい。さて、サービスである。それは施す事だね。ラスコリーニコフを救ったのは誰だったか。ロレンスの『死んだ男』を救ったのは誰だったのか。荒行が無意味である事を知った時の仏陀を救った乳粥もある。何を以て施すのか。究極は心の清浄だった。忘れているね。どうして忘れたのだろう。お金だね。お金が無くても生きてゆけるよ。本当だよ。小鳥に日々の食事は準備されている。彼の旅は何だったのだろうね。すべては準備されていた。何のためだったのだろうか。真実真理を知るためだった。真実真理とは何だったのだろう。神仏の実在であり、その教えだった。そして誰もがそれを享受出来る時代となる。それが今である。これほど世の中は荒んだ。故に、真実真理が見えて来る。反比例の法則は此処でも適用される。そして偉いから威張るのではなく、本当に偉ければ、頭を垂れる稲穂となる。それは偽善ではない。気づくからである。何に気づくのか。偉いという事はそれだけ仕えなければならない事があるという事である。下僕として。金持ちも本来しかりである。これが幸福への近道である。故に仏はいった。すべて命も財産も仏の方へ投げ入れよ。その意味がわかった気がする。謎は解かれた気がする。勘違いしていたね。良い時代にしよう。何か間違っていたんだ。幸せはあるよ。天の守護がある。本当だった。大転換期を迎えたのかも知れないね。わくわくするとはこれだったんだね。今年は栗が豊作らしいね。クリとは苦を離れる事だと何処かで聞いたよ。さて、ソドムの市ってあったね。ロトの妻だったろうか。塩になったね。何故だったのだろう。後ろを振り向いてはいけないといわれていた。なのに振り向いた。ソドムは悪徳の栄えだった。その滅びの時が来た、一人の勇者が導いた。この都市を出よう。罪とは都美と古典にはある。聖書に於いては都市はサタンと記述されていた。法華経に於いて空閑とあるは、荒野の事である。『青年は荒野を目指す』。既に目指して月の砂漠の旅をし、帰って来た者もいる。『十牛図』に於いては、このテキストが日本にある事を知ったのは、或る禅僧がヨーロッパで講演した時の事だった。そして、第八図は無或いは空であり、第九図で自然が喜び、美しい風景が待つ。第十図は何だったか。幸せな日常に帰ってくる。教えの原形である。それは日本にある。世界も待っている。日本が日本に目覚め、日本を取りもどす時を。そしてその時が来たのだろうか。それが薄紫の蝶の舞う意味だったか。
  • 【地震情報】米地質調査所(USGS)によると、中央アジアのキルギスで、5日午後9時50分(日本時間6日午前零時50分)ごろ、マグニチュード(M)6・3の地震があった。 震源は同国南部の主要都市オシの南東約145キロという。震源の深さは35キロ。被害などの詳細は不明。(共同)