2009年01月31日
【悲しいね】
いろいろな花がある。いろいろな樹木がある。それで良い。それぞれが十全に生きれば良い。それだけの事だった。迷いがある。不安がある。何時かそれらから逃れたいと思っていた。逃れることは出来るだろうか。その方法はあるのだろうか。ある。何時か誰もが至る。生命進化の傾向がある。何処へ行くのだろうね。何処へ帰るのだろう。何時か気づく。必ず、気づく。それが魂の遍歴だった。過去からのね。様々な様相がある。自分は自分である。自分は何だったのか。それが見つかると良いね。不安からの自由。憂鬱からの脱却。幾時代か、ありました。茶色い戦争もありました。中也だった。分を超えんとして超えることの出来ない人間の悲しみがある。小林秀雄だった。小林秀雄と中也の関係は微妙だった。泰子がいた。中也は悲しいね。彼の魂は今、何処で何をしているのだろうね。シャガールもそうだった。失恋があった。シューマンとクララ。ブラームスは当時、音楽協会の会長だった。男と女。男は何を求めているのだろうね。女は何を求めていたのだったか。やがて、それらも解る時が来る。その時、自分が何者だったのかを知るのだろうか。多様性をいっているタレントがいる。多様性の人だね。純粋を求める人もいる。古来日本、シャーマン国家。卑弥呼もそうだった。聖徳太子も空海もそうであったであろう。どちらが正しいのか。生き残れば良いというものではない。魂の遍歴である。野蛮の問題がある。やがて魂は何処へ帰るのか。この地上での目的は何だったのだろう。身心清浄、法眼浄。見えてくるモノがある。お笑いでは至れない。過去の罪を償うために生まれてきた。同じ人間の姿をしていても、それぞれの段階がある。宜しきに従う。これより明らかとなる。面白い時代となった。

2009年01月30日
【勉強及び努力の復権】
勉強とか努力を否定する成功理論がある。プラス思考こそ成功の鍵とし、それだけで良いとする。そうした方々が現在、唯一成功しているかのように見える。勉強とか努力は無駄だとする。それに対して学校ではゆとり的教育こそ教育であると、今もそれを実践している現場がある。これは教師の怠惰であることは確かであるが、此処ではこれ以上、言及しない。さて、努力を否定する成功理論がある。この考えが教育を破壊した。そしてスポーツ界に於いても、この理論に基づくイメージトレーニングで確かに優秀な結果となっている。果たしてそれが究極だったのだろうか。そうした成功者が本当に幸せであるのかどうか。彼らの理論は要領の良さとして、それはカンニングを含んでいた。そして彼らは成功者としての閥を成した。テレビ界及びタレントもそうである。それは愚かなお笑いバライエティとなって一世を風靡している。それでいいのだろうか。タレントとは己の恥を恥とも思わずに何でも出来る能力のようである。若者はそれに憧れる。それが人生の勝者と見える。そうだろうか。お金持ちもそうである。武士は食わねど高楊枝を知らない。あるいは否定する。それで良いのだろうか。それで本当に幸せであるか。不安はないか。憂いはないか。明日を信じることが出来るか。己を信じることが出来るか。勉強と努力は無駄と見える。確かに現世的成功から見るとそうである。しかし本当の幸せは何だったのだろう。思い通りになることではなかったか。それはどのようにして思い通りになるのだったか。本当の喜びは何処にあるのだったか。見える世界と見えない世界がある。見えない世界は魂の世界である。あるいは祖先の世界もそうである。いわば黄泉である。天である。見えない世界がある。見えない世界がむしろ見える世界を規定する。それを知らない。見えない世界に認められて、例えば日月照らし、風が吹く。その時、幸せである。本当の喜びである。そこへ至るには勉強と努力が必要である。無駄に見えて、それがなければ至れない。その間に学ぶべきものがある。それを自分のものとする。そして何時か至る。それが彼岸だった。空海もそれを伝えていた。聖徳太子はそれを実践した。四天王を使って政をしたというのがそれだったのではないだろうか。それに対して、勉強及び努力を否定してプラス思考のみで成功したとする。それでは至れない。それでは足りない。学校教育は勉強と努力を取り戻すべきである。プラス思考のみでは精神に至れない。その成功では足りない。その成功理論でどうなったのか。誰が幸せになったのか。自分のためにしていないか。そして社会はどうなったのか。格差社会となって不幸となった。その成功はねたまれる。あるいは恨まれる。それに対して、本当の成功がある。それは自分のためにするのでは至れない。そこに無駄があって良い。富士は何故美しいのか。裾野があるからである。裾野は美しさには無駄に見える。しかし裾野がなければ富士は美しくない。勉強及び努力の復権である。皆が幸せになるために。皆が幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。強い人は何故強いのか。弱い人を助けるためである。お金持ちは何故お金持ちなのか。貧しい人を助けるためである。考え方の転換を要する。あるいは取り戻す。かつて日本にはそれがあった。それ故に大義名分だった。大義名分のあるところ、神風も吹く。それが征夷大将軍の成立要件だった。本来日本にそれがあった。想い出す頃となった。何時見失われたのか。ペリー来航以降である。それ以来、これを否定した。そして世界に飲み込まれた。規制緩和で極まった。誰の利益のためだったのか。そして金融危機でそれらの利益も吹き飛んだ。反省の頃である。取り戻す頃である。想い出す頃である。帰りなんいざ。本来日本へ。本来日本は精神的にすばらしい國だった。自分のためにしない精神があった。本来日本は武士道の國である。欺罔を含む商人根性の國ではなかった。

【回復された自信】
すべては試練だったのだと思えた頃、彼に救いが来た。その救いとは何だったのか。喪失していた自信の回復だった。何故に失われたのかはもう問わない。回復した自信に感謝しよう。そして彼は彼で良いと思えた。その時、あらゆる不安と憂鬱から解放された。それも通らねばならなかったか。新しい時代を生きるためだったか。そのための試練だったのか。彼でなければ解けない謎があったという。それはあらゆる認証の外だった。子供の頃からそうだった。彼はそれを確かめなければならなかった。博士論文など書けない。世の認証を超えている。それは何か。本来日本は神国だった。卑弥呼の系譜は聖徳太子も空海もそうだった。その属性のない者には解らない。解らないことを以て否定した。あるいは愚弄した。それがテレビ界及びお笑い芸能界だった。あるいは無神論者たちだった。解らない者たちの勝手支配があった。それが明治以降及び戦後だった。彼らが否定したのは本来武士道だった。このようなことは誰も認めたくはないね。しかし事実であるという。天及び黄泉の認めるところであるという。彼は何を見たのだろう。それが真実だというのだろうか。わかんないね。諦めないでねと云っていた。何時か解ると云っていた。本来日本は大丈夫だと云っていた。浮かれた時代があった。戦後、履き違えた自由平等があった。本来日本を貶めた。敗戦の故だった。その中で彼の試練があった。彼は時代に取り残された。サザンなどに染まれなかった。そして何もかも失った。しかし道を探していた。失われていた道だった。それを見つけたのだろうか。それをつないだのだろうか。さて、何を以て悪というのだろうね。そして悪はどうなるのだろう。彼は敢えてそれについては言及しなかった。鬱病が流行っている。流行病である。何故であるか。フロイトとユングが原因である。彼らの理論が鬱病を流行らせた。世の精神科医は鬱病を根本的に治せはしない。治る方法はあるのだろうか。あると彼はいう。MARIAH CAREY の tune に HERO がある。その歌詞の一部に答えがある。引用させていただく。
"If you reach into your soul
And the sorrow that you know
Will melt away"

2009年01月28日
【これからだよ】
疲れたな。何が。何もかも。ばかばかしくなってきたよ。何をしていたんだろうね。人類としての罪が極まったかな。そうかも知れないね。 本気で供養を始めるかな。それしかないかもね。仏の宣言もあったことだしね。そのようだ。宇宙がそのように動く。信じられないね。みたいだな。でも、そうなんだよね。そうだ。みんな、知らないね。あぁ。知らずに、悪を重ねている。あぁ。それで、どうなるの。自分に返ってくる。どういうことなの。困ったことになる。どうすればいいの。解決はあるの。ある。何処に。探すしかない。知っているの。あぁ。いってよ。いえない。喜びって、何処にあるのだろうね。それも知ってるの。知ってる。教えてよ。此処では無理だ。確信はあるの。ある。どうして。見ているから。何を。もういい。疲れたな。何が。ばかばかしくなってきたよ。何をしていたんだろうね。悪を重ねてきたんだね。どうにもならなくなったね。救いはあるの。ある。何処に。探すしかない。人間である限り、限界がある。知らなかったんだ。知らずに勝手した。そしてどうなったの。困ったことになった。解決はあるの。ある。何処に。いえない。だけど、大丈夫だよ。彼はつぶやいた。何故。目覚めた。何が目覚めたの。日本の基だ。それって何。秘密だ。だけど、大丈夫だ。何もかも背負った。それだけのことだった。悪はもう要らない。知ったことではない。求める者はあるか。探すが良い。何時か見つかる。何が見つかるの。宇宙の愛だ。それに背いた。当然、報いはある。重荷は下ろしたよ。遅くはない。楽になることにしよう。楽及び楽の相を取り戻そう。戦いは終わったね。何と戦っていたのだったろう。自分とだった。随分と孤独な戦いだったね。もういいよ。相手にしなくて良い。自分次第だよ。何事も。わかったよね。仏はいるね。滅し給わずだね。一実の道があるね。確かにあるね。進むが良い。真っ直ぐに。何時か至れる。その道は見つかったね。長くて険しい道だった。やっと見つけたね。すべて投げやったよね。それで良い。よかったね。そしてよく見つけてくれたね。ありがとう。君が見つけた意味は大きい。誰も知らない。それで良いんだよ。皆、幸せになろうね。なっていいよね。経済も帰ってくるよ。罪を償って。もういいよ。もう、いいんだよ。楽になろうね。笑顔を取り戻せばいいね。それですべて調う。本当だったんだね。これからだよ。信じて良いよ。人生で最も大切なのは何だったか。明確なビジョンだった。自分は成りたい自分になるとナイチンゲールは云っている。何になりたいのだったか。それがビジョンだった。安易な金持ちか。それが幸せだったのか。お金持ちになってその空虚感を知る。本当の幸せとは何だったのか。真実真理を知ることだった。あるいは天下を取ることだった。かつて天下を取るということは権力だった。あるいは武力だった。今は金力であるか。しかしそれらでは獲られないものがあった。不安はのこる。心の平安はあるか。今世紀の天下取りは何だったか。本当の戦いは何と戦うのだったか。人間は明確なビジョンがあるとき、活動し始めるという。漠然とした夢は実現しないという。そうだろうか。実現した夢が究極の夢だったろうか。さらに奥がある。それは何だったのか。四聖は何するものぞ。本当の夢は何か。神仏の実在との邂逅もある。神仏の属性の開発もある。二十一世紀の夢である。日月照らし、風が吹く。それも実現する。本来日本は神国だった。アナクロニズムではない。伏流である。信じられないね。しかし、事実である。壮大な夢だろうか。具体的な夢だろうか。夢は実現する。お金持ちになることだけが夢ではない。人はパンのみにて生くるにあらず。人類は進化した。夢も進化する。すでにそれはあった。伝えられていた。身心清浄の夢がある。眼根懺悔の夢がある。忘れていたね。どうすれば至れるのか。探すが良い。それはある。見つけたの。あぁ。確かなの。あぁ。誰でも至れる。それが二十一世紀の約束だった。世界平和の基である。どうして。決定だ。誰が決めたの。仏だ。これからだね。どのようにして至るの。己との戦闘に勝って至る。孤独な戦いがある。すべて失う。換骨奪胎。そして至る。戦う価値はある。常に戦いはある。人生は戦いだ。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。仏も真実を語るのは四十余年を経てのことである。オバマ氏は第四十四代だね。何か変わるね。変わる。すでにアメリカは企業への公的資金注入があった。これはモンロー主義の転換であるね。ウィルソン提唱の国際連盟参加をも拒んだのがモンロー主義だった。既に何かが変わりつつある。核兵器放棄もあるかも知れない。人類は失敗している。航空機及びダイナマイトもそうだった。原爆も化学兵器もね。このままでは誰もが障害者となる。ウラン劣化爆弾もそうである。核融合はなくても、放射性物質は60%のこっている。それが自然になくなるには45億年を要する。その使用は人類に対する自然破壊の戦争犯罪であることは間違いない。戦争の名において何をしているのか。あまりにも罪が重い。盾にされた市民を殺戮する根拠は何処にもない。愛と平和こそ人類の祈りである。何時か成就する。日本は既に学んでいる。それがヒロシマの意味だった。人間は野蛮残酷である。それより脱する。生命進化傾向である。万物の霊長として。日本の基の決定である。背けはしない。黄泉が守護する。武士道及び祖先の意思である。大義名分、神風の吹く。自分のためにしない。民の幸せのためにする。本来日本の本懐である。復活である。天下取りは、黄泉を制する。爾の時、日月照らし、風が吹く。風を呼ぶ草薙剣。雷を呼ぶ金剛杵。それはある。どのようにして開発するのか。本来日本は神国である。属性を要する。自覚を要する。権力闘争の知るところではない。民主主義は権力の世襲化を予定していない。民主主義は衆愚化する。何をしても受け入れられない。その時、時である。かの大戦について赤紙ばかり問題にしている。16歳で志願した者もいた。特攻大和の引き上げキャンペーンが始まった。大和の主砲は一発で一箇大隊を吹き飛ばす。一発も撃たずに沈んだ。今更である。

2009年01月25日
【新たなプライド】
強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている価値はない。フィリップ・マーロウだった。強さを失っていた。何故だろうね。自信を失っていたからだった。自信を失うということは何故だったのか。自分を疑っていた。優柔不断だった。自分を誤魔化していた。世間に迎合していた。そしてどうなったか。自分を自分で貶めた。どうしてそのようなことになったのか。八方美人だった。誰からも好かれたいと思っていた。その必要はなかった。詐欺師に対しても自分を譲っていた。意味のない暴力に屈した。その必要もなかった。自分は自分である。他者の評価は大切であるか。商人にはね。自己の良心に従えばいい。それで生きてゆけないなら、生きられなくて良い。それだけの自信を要する。それほどの自信があれば、誰もが認めてくれるだろう。自信の回復こそ急務であった。そして議論しよう。相手が認めないとする。相手にしなくて良い。相手は必ず何処かにいる。今の相手で満足できないなら、立ち去ればいい。次の相手が現れる。自分は何を求めていたのだったか。それ以外に目的はない。それだけの勉学はしたか。それだけの経験はあるか。詩は詩人を以て呈すべし。剣は剣客を以て呈すべし。美しいものは美しい。自分を磨くことだ。来世が待っている。愚かな現実に埋没する事なかれ。自分を見つけるまでが苦しい青春である。自分を見つけて新しいこの世の人生である。プライドを棄てよ。棄てるべきは古いプライドである。新たなプライドは護り通すべし。何を求めているのか。

2009年01月24日
【新たな時代へ】
時代は今、どういう状況であるか。ベルリンの壁崩壊の頃、バブルが崩壊して、その頃の日本は自信を失った。それもようやく回復したかと思ったら、この度の金融危機である。しばらくプラス思考こそが成功の法則かと思われた。それは一切の失敗をマイナスとして切り捨てた。故に、それを以て成功したかに見えた方々は、この度はどうにもならない。本来失敗は成功の母だった。失敗が失敗ではなく、試練と思えたとき、それは失敗ではない。山が高ければ、谷は深い。失敗を失敗と思う間は、まだ夜明けは遠いとしても、今必要なのは失敗を乗り越えたという事実である。思考とイメージと感情のプラスのみを成功脳とした方法論自体が崩壊した。彼らはしばらく立ち直れない。本質は何だったのか。それが真実真理だった。それは何か。これが問題である。古来伝えられていた禅にも易経にも答えはある。いよいよ、本物の時代である。それは失敗を通る。浮かれた成功理論に基づいての経営もしばらくの好景気の利益を社会に還元することなく肥大崩壊した。企業レベルのコスト主義及び自己利益追求主義の不毛が明らかとなった。実質が問われる。格好だけつけても、メッキは剥がれる。さて、真実真理とは何だったのか。一筋縄ではいかない。最も有能な個性が例えば三十有余年の呻吟を通る。あらゆる艱難を試練として受容克服凌駕する。それが古来大和の秘密である。その時に見えてくる世界がある。そうした時代となった。それも準備されていたのである。デタラメの振り子が振り切れた。さて真実真理とは何か。彼は云う。神仏の実在とその教えである。安易な成功理論はもはや通用しない。正統性の時代となった。職人的本物が希求されている。大企業に技術はない。技術は町工場の熟練だった。しかしそれをも企業のグローバリズム及び合理主義は破壊した。故に今、電化製品にも初期不良があまりにも多いのではないか。それで国際競争力を逆に失いつつあるのではないか。パーツの問題がある。さて、日本は本来どういう國だったのか。技術立国であって、商人国家ではない。そこより問わなければならない。やはり今後、商売理論では通用しないものがある。日本の誇るべき品質がある。安ければいいのではない。亦、世のセレブはご用心。草鞋銭は請求される。見えない世界がある。すべて記録されている。言い逃れはない。どのようにしてお金持ちになったか。脛に傷はあろう。嘘と暴力は何時か暴かれる。爾の時が来たのである。身心清浄及び正直こそ本来日本の価値である。『スター・ウォーズ』はそれを知っていた。偽物の文化は終わった。それはカンニング文化だった。そして勝手な閥を成した。故にテレビ界及び芸能界もご用心である。オピニオンリーダー諸氏の無責任がある。ホリエモン全盛の頃、彼こそ時代を変えると絶賛した。あれは何だったのか。その後の見解を聞いていない。何を思い上がり、何を粗末にしたか。本来日本、完全復活する。戦後は辛かったね。何が蔓延ったか。本末転倒。裁きの頃である。成敗の頃である。根本的に見直すべきものがある。彼は既に分析している。精査されるが良い。そこには古来大和の秘密もある。それは何だったか。知る人は知る。知らない人は、永遠に知り得ない。知らないことを以て否定した。あるいは愚弄した。裏切った。しかし事実である。本来日本は神国である。その属性のある者はしばらく眠らされていた。しかしそうもいかなくなった。受忍限度を超えた。愚か極まる勝手が過ぎた。本来日本を取り戻す。それだけのことである。日本は美しい。日本は日本である。泣いて馬謖を斬る。大義名分、神風の吹く。征夷大将軍の本懐である。頼朝は伊豆に流されていた。日本はヒロシマより平和を学んだ。21世紀の子供たちの夢は、世界が血を流さずに平和な暮らしを手にすることである。何を以て殺戮を手段とするか。何処にもその正当な根拠はない。戦争はどのようにして始まるか。リーダーの意思である。現代戦争は無意味である。何故に市民あるいは庶民を盾にするか。根拠は何処にもない。解決はある。方法はある。探すしかない。人類は進化している。英知も技術も蓄積されている。万物の霊長として、何時までも愚かではいられない。地球も齢を重ねた。峻厳なる山がある。穏やかな老体山がある。おだやかさへ向かう。皆の幸せへ向かう。生命の進化傾向である。この世の生は、過去からの魂の遍歴の一齣である。それが百代の過客だった。何をしているのか。何をしてきたのか。知性の復活である。21世紀である。美しい風景が待っている。好ましい人間関係が待っている。広重もそうだった。芭蕉もそうだった。野蛮より脱却する。本来日本の目指していたところである。しばらく忘れていた。想い出す頃となった。想い出せばいい。彼は有能だった。しかし埋没した。世間は認めようとしない。むしろわからないのである。彼の思索は既に天及び黄泉の受容祝福するところである。彼はそれを知っている。サインはある。証明もある。知らないのは世間である。それも仕方ない。子供の頃からそうだった。しかし彼自身それを知らなかった。しかし何時か時は来る。何時来るのだったか。それはわからない。しかし必ず来る。自覚する時である。それは諸仏の受容する時であるか。それが如来だったか。どうにもならない事実である。彼はそれを求めていたのだったのか。それはある。さて、どうするのだろうね。花は何処へ。宿命。秘密とは彼自身だった。信じられないね。どうでもいいね。歴代大和の秘密がある。既に彼は見つけている。何を見つけているのだろうね。そのまま進むが良い。新しい時代である。アメリカではオバマ氏が大統領となった。黒人初の大統領である。公民権が認められ四十余年。リンカーンの奴隷解放から何年経ったろう。リンカーンは十六代だった。オバマ氏は四十四代である。4*4=16。リンカーンの宣誓した聖書に宣誓したのも初めてだった。その時、一つの副詞の位置を間違えた。それで翌日改めて宣誓し直した。相手をむしろかばってのことだった。いい人だね。何処までも。アメリカは偉大である。アメリカの選択は正しかった。アメリカは必ず再生する。日本も。共に惑わない。経済界の空けた穴がある。埋めるしかない。それからである。


【道は必ず開ける】
何をしてきたんだろうって思う。何を求めていたんだろうね。それは見つかった。それは何だったか。真実真理だった。しかしその過程で何もかも失ってしまった。それも事実である。失うことで獲るものもある。これからどうしようって思っている。たちまち、何かをするにつけても経済が大切だ。それより始めるしかないね。夢はある。それは何だろう。此処まで辿り着いた。これから何をしたいのか。明確に見極める必要がある。諦めないことである。道は必ず開ける。求めたものは何だったか。見えない世界との交信がある。さらに進むべきであるか。長い旅路だった。テーマは何か。失われた何か大切なものを求めて。三十数年来のテーマである。前世からのテーマだったかも知れない。紆余曲折はあった。しかし見つけているよね。実現したいね。周囲の理解はない。表現するには不遜すぎる。いえばどうなるか。もどかしいね。しかし確信しているね。方法はある。浮かれていたね。それで幸せだろうか。本当の幸せって何だったのだろうね。もう少しの辛抱だ。最後のがんばりが必要となった。ゴールは近い。

2009年01月23日
【公僕】
あんたはやはりすごい。何のことだ。この度のオバマ氏の就任演説は聞いたよね。あぁ。二百万人集まったね。そうだな。次の日に、 ホワイトハウスの職員に対する心得を説いたね。あぁ。その中でポイントは何だったか覚えている?公僕だったな。それって、あんた、いっていなかった?何度かいったよ。もっとはやくあんたがいいはじめていたらよかったね。そうかな。あんたって、不思議だよ。何が。あんたのいうことは、何故かあたってる。子供の頃から。だけど、いつかだれも耳を傾けなくなった。何故だろうね。ラジオが右往左往したこともあるね。あんた、気づいていたの。あぁ。御前会議かも知れない。何をいってんだろうね。時々、ついてゆけないよ。 トラトラトラだ。またかよ。勝手に云えばいいよ。相手に出来ない。構わない。つらかったみたいだね。一人で何を背負っていたの。解決したのかな。たいへんだったね。だけど、あんただったんだよ。もう、いいよね。すべて水に流せるね。原爆も。天の岩戸が開かれたのかな。世間が明るくなった気がする。何をしたの。何を見つけたの。それを探していたんだね。世間に染まらなかったんだね。たいしたものだ。本当にそれをやったんだね。久方ぶりのことだね。あんたって奴は大馬鹿者だよ。そこまで、傷つくことはなかったろうに。しかしそうしないと見つけられないものもあるんだね。感謝しているよ。誰も知らない。だけど私は知っている。それでいいね。余生は幸せになるが良いよ。この世の務めは果たしたっていっていたね。そうかも知れないね。苦悩の人生だったね。優秀だったよね。だけど埋没の理由もあったのだね。ありがとう。日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

【幸福への近道 ~下僕として~太陽が輝く】
2008.10.06
仕事とは何だったのだろう。ビジネスとかいうね。ビジネスの目的は何だったのか。それが単なるお金儲けではなく、それを通してやがて自己確認或いは人格形成だったのは、西洋成功哲学を調べて確認した。お金儲けはむしろ遠回りとなるのかも知れない。その過程が、誰かを犠牲にしたり、生命及び環境としての自然を壊したりしていれば尚更だね。そして人格形成を通して何処へ至るのだったろう。自由だった。お金があるから自由なのではない。本当の自由とは無畏だった。それは一切の不安及び恐れのない事だった。それが幸せであり、解脱であり、涅槃であり、桃源郷であり、彼岸だった。それはある。死んでからでは遅い。意味がない。今この世である。それが仏の教えだった。そして無畏施は観音様だった。それはそれとして、お世話をするとはどういう事だったのか。それはサービスとかいわれる。どのような状態が、サービスなのか。仕える事だった。どのようにして仕えるのだろうね。下男下僕としてだった。それが本来のサービスであり、現代の仕事の姿となっている。そして、人より何か秀でているとして、それは何故だったのか。その力を何に使うのだったか。仕えるためにだった。つまり、出来る人は出来ない人のために。組織はピラミッドで、上に行くほど偉いと思われる。そうだろうか。それだけ、仕える事がある。人より能力があるという事が偉いということではなかった。この世の定めがあり、務めがある。各々生まれた使命がある。その人でなければ出来ない事がある。例えば、真実真理の探究が誰にも出来るというのではない。それは誰のためか。自分のためか。やがてはそうであろう。情けは人のためならずともいう。しかし当面は、人類のためだったりする。そしてそれを自覚するとはどういう事か。何を自覚するのか。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずであるか。さらに自覚は深まる。真実真理の下僕と自覚する。そして実現する。世のため、人のため、真実真理のためにするべき事がある。それが世の社長族は何事であるか。何を偉そぶっているのか。何故の社長であるか。働かざる者食うべからずは、百丈禅師のいった言葉だった。毛沢東ではない。それは掟でもあった。ところで、犬の身になってごらん。たいへんだよ。人間は知らない。亦、女性は大変だよ。今に、家事育児の責任がある。さらに社会的責任も負わされつつある。男性は知らない。この世で女色を貪っているね。来世はどうなるだろうね。女性は相対的に弱い。故に生きるためには嘘もある。それはそれで自然である。男性には本来嘘は無い。それが武士道であり、大和魂だった。故に尊敬されていた。しかし今、男性も嘘の世だね。日本男子はこれで良いといえますか、欽ちゃん。仏の世界が、一仏国土であるとする。それはどのような世界であるか。嘘のない世界である。故に本来日本は仏法を受容した。それが今、どうだろうね。政治も行政も財界も嘘が多すぎはしないか。この辺りで見直さないか。真実真理を。そして真実真理に仕える事も有っていい。故に、未来は明るい。さて、サービスである。それは施す事だね。ラスコリーニコフを救ったのは誰だったか。ロレンスの『死んだ男』を救ったのは誰だったのか。荒行が無意味である事を知った時の仏陀を救った乳粥もある。何を以て施すのか。究極は心の清浄だった。忘れているね。どうして忘れたのだろう。お金だね。お金が無くても生きてゆけるよ。本当だよ。小鳥に日々の食事は準備されている。彼の旅は何だったのだろうね。すべては準備されていた。何のためだったのだろうか。真実真理を知るためだった。真実真理とは何だったのだろう。神仏の実在であり、その教えだった。そして誰もがそれを享受出来る時代となる。それが今である。これほど世の中は荒んだ。故に、真実真理が見えて来る。反比例の法則は此処でも適用される。そして偉いから威張るのではなく、本当に偉ければ、頭を垂れる稲穂となる。それは偽善ではない。気づくからである。何に気づくのか。偉いという事はそれだけ仕えなければならない事があるという事である。下僕として。金持ちも本来しかりである。これが幸福への近道である。故に仏はいった。すべて命も財産も仏の方へ投げ入れよ。その意味がわかった気がする。謎は解かれた気がする。勘違いしていたね。良い時代にしよう。何か間違っていたんだ。幸せはあるよ。天の守護がある。本当だった。大転換期を迎えたのかも知れないね。わくわくするとはこれだったんだね。今年は栗が豊作らしいね。クリとは苦を離れる事だと何処かで聞いたよ。さて、ソドムの市ってあったね。ロトの妻だったろうか。塩になったね。何故だったのだろう。後ろを振り向いてはいけないといわれていた。なのに振り向いた。ソドムは悪徳の栄えだった。その滅びの時が来た、一人の勇者が導いた。この都市を出よう。罪とは都美と古典にはある。聖書に於いては都市はサタンと記述されていた。法華経に於いて空閑とあるは、荒野の事である。『青年は荒野を目指す』。既に目指して月の砂漠の旅をし、帰って来た者もいる。『十牛図』に於いては、このテキストが日本にある事を知ったのは、或る禅僧がヨーロッパで講演した時の事だった。そして、第八図は無或いは空であり、第九図で自然が喜び、美しい風景が待つ。第十図は何だったか。幸せな日常に帰ってくる。教えの原形である。それは日本にある。世界も待っている。日本が日本に目覚め、日本を取りもどす時を。そしてその時が来たのだろうか。それが薄紫の蝶の舞う意味だったか。http://gtwonderland.web.fc2.com/gts/column/pg44.html

【未来=子供達の夢】
2008.10.08
人間関係は大事だね。君子危うきに近寄らず。人非人という事がある。詐欺師にも出会った。悉く嘘だった。嘘の上に嘘を重ねる。信じた自分が馬鹿だった。亦、どうして労働基準法があるのかも理解した。本人は善人ぶっても、事実としてとんでもない事をしている社長がいる。これが人間社会だったのだろうか。その意味では人間というものを知らなかった。この世は善人の世ではない事にやっと気づいた。よほど因縁がきついか。見なければならなかったか。経験しなければ解らなかったか。或いは過去の自分の姿だったか。申し訳ない事だった。そして自分にもそれはあるのだと思った。或いはあったのだと思った。少なくともこの世でそれは出来なかった。随分と酷い目にあった。脱法行為が当然の人種達である。本来、相手にする必要はない。高い授業料だったね。人間を知るには時間もかかった。故に戒めもあったか。それを解くには何が必要だったか。修行だったのだろう。そしてそれが解かれた時、何を見るのだったのか。日月照らし、風が吹く。天及び黄泉の守護だった。神風も吹く。本来日本の本懐だった。それを見失っていた事が解った。何時の頃からだったか。原因は何か。彼にはお金だと思えた。それは西洋金銭合理主義に染まったからだと思われた。西洋思想は19世紀に没落していたという。それが理由だったのだろうか。そして救いを求めている。それは何処にあるか。本来日本は、武士は食わねど高楊枝もあった。お金に対する執着と正当化は何時の頃からか。それは商人階級の台頭だった。西洋に於いてはカルバン以降である。此処400年のパラダイムに過ぎない。日本に於いてはペリー来航以降だったか。明治の文明開化は西洋化だった。本来日本の価値観は無視された。或いは壊された。その思想に基づいて意味のない戦争もあった。市民が犠牲となった。その思想は根絶やしだった。無理もない。それが近代戦争だった。大義名分など無い。神風は吹かなかった。そうした思想の形成根本要因は何か。唯自己利益追求思想だった。それは市場原理を手段とした。市場原理は諸価値を壊して顧みない。やがて利益のためには、生命及び環境をも破壊した。原爆に終わらなかった。化学兵器も現れた。殺戮のためだった。それがベトナムに於いては枯れ葉剤だった。それを知っているが故に、フセインを怖れた。フセインはむしろその気はなかったか。威嚇だったか。それにしては限度を超えた。しかしフセインの告白ものこされている。さて、世界は今、恐慌になるかも知れないほどの懸念がある。ヨーロッパでもいくつかの銀行が倒産した。どうなるのだろうね。心配だね。不安だね。大丈夫だよ。かつて我々生命体の祖先は、硫化水素の海から現れた。常に試練はある。乗り越えてきた。痛みはあるよ。そして生き残る条件は何だったか。恐竜が滅ぶ頃に、既にネズミはいた。常に準備されている。そして既にそれに気づいた方々がいた。預言者達がそうだった。日本に於いてはシャーマンだった。そしてその要件は何か。身心清浄及び正直。これしかない。これがあって、眼(まなこ)ある人である。これなくんば、見えはしない。何故見えないか。欲得の故である。欲得の原因は何か。お金が目的であると思った事だった。しかしこの点は、現代西洋成功哲学を調べるとむしろ既に反省されている。お金が目的ではなかった。本来の目的はお金を通して自己確認或いは人格形成だった。そしてお金は必要である。亦、お金はなくなりはしない。その正しい扱い方が解ったのかも知れない。それは善良な市民の手には流れてこない。何処かで滞る。大岩がある。これを粉砕する必要があるのだろう。それをするためには何が必要か。知る事である。資本主義は民主主義を前提としている。新たなシステムを考える。資本主義で良い。民主主義で良い。資本主義は善良であるべきである。自己利益追求主義が問題である事を知る頃である。しかし、善良な市民を囲い込んで、自らの利益のために使用している。正当な対価の支払いはない。それはお金がある方が愚かであっても、価値ある人を評価せずお金の力で暴力的或いは欺罔を手段として支配しているからである。この辺りが問題点となって明らかとなった。神仏は実在するという事も前提である。彼らは自分の利益にならなければ、神仏をも信じない。何処までも利己主義である。神仏は誰に微笑むか。その要件は何か。神仏の守護はあるのか。ある。故にそれを知る人は殉教もある。さて、どうなるのだろうね。どうするのだろうね。このままでは、人間は皆、多かれ少なかれ、障害者となるだろう。それで良いのだろうか。人類の英知を結集する。そして解決する。既に十分な英知がある。技術もある。この度、日本から三人の物理学者がノーベル賞を受賞した。素粒子基礎理論に於いてである。日本はこの分野は弱いといわれていた。誰がいったか。弱かったわけではない。世界に於いて評価されていなかっただけである。そして三人が同時に頂くのは初めてである。とても象徴的であるね。どうして今、日本が評価されたのか。その根本原因がある。誰も知らない。しかしある。真実真理とは何だったのか。何時か知る事だろう。来世かも知れない。高い授業料を要する。彼は笑った。見えてきたらしい。仲間がたくさんいる。或る禅の本を読んでいると、そこら中、達磨だらけではないかとあった。彼はいった。生まれた使命は果たしたよ。どういう事だろうね。わからないね。人間関係は大事だね。君子危うきに近寄らず。朱に交われば赤くなる。人間関係は選ぼうね。期待しても無駄な関係がある。敵がいる。味方がいる。四面楚歌、助けを求める事も大切だよ。犬死にする事はない。生まれた使命を果たそうよ。それぞれ故あって生まれている。本来日本復活。世界を救う事が出来るかも知れない。本来日本は素晴らしいね。商売人根性では永遠に解らない。400年来或いは二千年来の謎が解かれている。 久遠実成の謎も解かれている。それが仏だった。新しい時代である。黎明である。或いは開闢である。美しい風景が待っている。やさしい暮らしが待っている。好ましい人間関係が待っている。未来は明るい。生命は進化する。宇宙自然生命黄泉は一体である。我々は魂としてその一部である。何時までも壊す方へ荷担している訳にはいかなくなった。未来が見えた。建設である。やさしい方へ。幸せの方へ。誰もが待っていた。誰もが願っていた。夢は実現する。思考は現実化する。現実化させようではないか。その時が来たようだ。 EL&Pには『庶民のファンファーレ』もあっただろうか。種は蒔かれている。芽を出す頃となった。庶民の解放である。それは旧約聖書に秘められていた目的だった。それは市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来ると彼はいった。その時である。そして既に民主主義である。それは市民革命を通って市民が獲得した。フランスでは血が流れた。名誉革命では血は流れなかった。日本に於いては江戸城無血解城があった。今、必要なのは何か。平和である。日本が平和を知ったのは敗戦だった。無益な血を流した。戦場となった国々には申し訳ない事だった。相手国にも申し訳ない事だった。自国にも申し訳ない事だった。そして近代戦争が庶民を犠牲にする無価値な方法である事を知った。平和主義憲法は歴史的な所産である。そして日本国憲法は戦争を放棄した。これは人類としての決断だった。殺戮の根拠は何であるか。正義論であるか。それが相対的であり、今となっては詭弁となった。世界は何処へ進むのか。誰もが平和に暮らし、己の生を全うできる方へである。それが平和であり、人類の祈りであり、願いである。それを夢として一笑に付してはならない。夢は実現する。ダビンチの夢は、その時代の集大成であり、悉く実現した。未来は何か。血を流さずに平和を手に入れる事である。それが子供達の夢である。気づく頃となった。何に気づくのか。お金も浄財になりたいと思っている。本来日本に帰ろうではないか。それは精神の秩序の復活である。行政が民法化してどうするのか。その辺りから見直そうではないか。テレビで馬鹿になる事が幸せであるなどと吹聴して、子供達にどのような教育があるというのか。すべては何が原因であるか。どのようにしたら、克服出来るのか。その辺りから、議論しようではないか。政権争いだけが政治ではないよ。もっと急務な問題がある。経済政策も社会政策も刑事政策もすべて解決する何かがあるのではないですか。それを議論するべき時ではないですか。本来日本はどうあるべきかについて議論しませんか。根本から考えないと解決はないほど、それほどの腐敗の時に来ています。この辺りで精算して、新しい日本に生まれ変わりませんか。そして世界の中の日本として出発しませんか。彼はいった。明治の仇をとる。戦後の仇をとる。それは彼にいわせておけばいいのです。それくらいはいわせておきましょう。しかし彼は良い仕事をしましたね。やはり彼は彼だった。すべては彼のために予定され、準備されていたのだろうか。悔しいね。あらゆる失敗を今となっては笑うしかない経験として結晶させたのだろうか。世間巷は知らない。しかしそうした仕事は代々の務めだという。鶴の恩返しだといっていた。それほどの教育を受けたらしい。感謝しているという。彼は埋没したかに見えた。誰からも顧みられない。しかしそれも亦、黄泉の守護を得るためだったのか。それを見つけなければならなかったのか。誰にも出来る事ではないね。やはり、彼は彼だった。子供の頃からね。忘れていたよ。ごめんね。だけど、彼は幸せも見つけたらしい。彼が穏やかである事の意味も自覚したらしい。彼はいった。富士は休火山である。死んではいない。日本は火の國である。彼を本気にさせない方が良い。ところで、ラジオ深夜便で面白い事をいっていた。文学及び芸術活動は何かという事だった。それは社会システムの中でどうしてもこぼれ落ちる人がいる。そうした人達にまなざしを向ける事だという。そういえば、そうだね。これは定義として使えるね。また、仕事でプロとして成功したいと思えば、悪口をいわない事が条件であるともいっていた。確かに、悪舌は功徳の種を断ずると法華経にもある。悪口は何故いうのだろうね。自分の立場を相対的に正当化するためだね。恐らくその必要はないのだろう。何故か。もっと大いなる目的があれば、相手にする必要はないといえる。そのような暇もないといえる。ところで悪口が何故いけないのか。相手の尊厳を傷つける。或いは感情的な対立の種となる。それは永遠に関係を壊してしまう。大いなる目的がある時、むしろそれは障害となる。ところで、その悪口が悪口の形であるとしても、事実であるとする。悪口が悪口として批判の対象となるのは、プライベイトな関係だね。公に於いては、名誉毀損の成立要件として、事実であるならゆるされる。尤も相手を専ら中傷誹謗するのはゆるされないだろう。さて例えば、現代テレビ界及び芸能界の風潮とか、社会的弊害となっているのではないかと思われる方々を批判するのはどうだろう。此処でも全体の趣旨という事がある。悪口と見えてもすべて悪口ではないといえる。大いなる目的があって、それで何かいう時、それは公憤であり、それは孔子も認めているのではないだろうか。知らずにいるのなら、知らせてあげる事も必要であろう。むしろ、それがその人を救うことになる事もあるだろう。何れにしてもそうしたデテールへの悲しみと配慮があって知性といえる。ペーソスといえるのかも知れない。知性が復活する。http://gtwonderland.web.fc2.com/gts/column/pg53.html

2009年01月22日
【プライドを棄てる頃】
さて、生きていくことがどういう事だったか。もうあれこれ云うのはやめよう。それよりも、今をどうするか。馬鹿になることが幸せであるという。そうなのかも知れない。プライドを棄てることが現代を生き抜く条件らしい。楽になれるという。そうみたいだね。やっと辿り着いたのかな。現代に。長い冬だったね。何もかも失ったね。プライドもないね。それで良いみたいだ。重荷を下ろしたんだよ。楽になれるね。自分のためにしないこと。相手が何を喜ぶか。良い音を出そうね。誰もがハッピーになれるように。何かを奪っていた。それが解ったのかな。悪舌は功徳の種を断ずる。これからだね。これを以て貿易するべしと法華経にもある。これとは何だったのだろうね。皆の幸せの空気だね。喜びだね。微笑みだね。コートを脱がせるのは寒い北風ではない。暖かな陽光だ。明るく生きてゆこう。それで良い。何もかも調うよ。それも伝えられていた。しかしなかなか解らないものだね。解ったとしても身に付かない。これからだよ。未来は明るい。今の君で十分だ。これで自分を発揮できるね。余裕の未来だよ。春になれば、好きなテニスでもするが良いよ。ラケットはまだ残っていたね。

梅が咲いたよ 櫻も咲くね

困ったときには助けて貰うことも大切だよ。次はあなたが助けてあげればいい。この世に解決できない課題はない。必ず方法はある。それを探すんだ。そして自分では解けないように思えても、解ける人はいるし、解答がある場合が多い。それを謙虚に認めることも必要だよ。答えを知っている人はいるし、その解決方法を知っている人もいる。問題を一人で抱え込まないこと。いじめもそうだよ。暴力とか嘘は悪いに決まっている。怖れるべきものは何もない。誰かに相談する勇気こそ大切だよ。それにしても企業って何だったんだろうね。神武景気を超える好景気とか云っていたけれど、利益をプールして還元することはなかった。そして海外へ進出したのだったろうか。それらの利益を抱えたまま、この度のサブプライムローンを端緒とする金融危機で吹っ飛んでしまった。そして平然と正社員の希望退職を募っている。やはり所詮信用できないね。自己利益追求のエゴイズムにはそろそろ鈴をつけないといけないのかも知れないね。所詮取引行為は多少の欺罔を含む。一人歩きしたときが怖い。しかし善良でいようね。最後には勝つに決まっているのだから。信じていいよ。

【同じ轍は踏めない】
ジョン・コルトレーンというジャズテナーサックス奏者がいた。マイルス・デービスと並ぶ巨人といえるかも知れない。三枚組のレコードアルバム『ジャパン』がある。その内容は驚くに値する。これでコンサートだろうか。あるいはアルバムであろうか。演奏は、絶叫である。今聞いて、まともに評価できるかどうか。その頃、時代は狂気だった。ピンクフロイドなどもそうだった。その淵源は何だったのか。 ベトナム戦争だった。戦争は狂気である。まともな神経では戦えない。コルトレーンは神になりたいと思っていた。それで日本が好きだった。その演奏は神がかりだった。神は神でも狐だったかも知れない。そのような時代を通っている。そしてそれは狂気だったと気づいている。それをも無視した方々が支配している。あるいはそれをも知らない方々である。同じ轍は踏めない。踏まさない。真実真理を求めての旅がある。一つの謎を解いたという。それは何だったのか。権力ではない。武力でもない。金力でもない。何故政治不信となったか。そろそろ反省の頃である。世襲化が問題である。なにをやっても受け入れてはもらえない。政治の世襲化及び行政の世襲化は制度上予定されていなかったのではないか。天下りも渡りもそうである。公務とは何だったのか。議論はそこから始めなければならないだろう。今のままでは、何を論じても、庶民は誰も納得しない。信頼の基礎を失ったのである。選挙制度の見直しも必要であるのかも知れない。衆議院選挙では3億は必要であるといわれている。8億使った弔い選挙もあったという。本当だろうか。それで勝ったと喜んでいる。その後もその子孫が引き継いでいる。制度を愚弄していないか。某県知事に伴う腐敗もいつの間にか有耶無耶となった。ジャーナリズムは機能していないね。そうした政財界の状況である。それで清き一票を呼びかけている。民は知らしむべからずであるか。顔の相が悪くなるのも当然だね。お金儲けは難しくないという業界もある。ピンサロとパチンコである。おかしくないか。無理もない。警察幹部も癒着していた。庶民は仕事はなく路頭に迷い、飯も食えない。天は知っている。黄泉も見ている。何時までも勝手は通らない。自然現象も連動する。その時は、遅い。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。人の上に天がある。一休髑髏ご用心は事実である。知らなかったね。天の祝福及び黄泉の守護がある。疎かに出来ない。腐敗堕落が人生と思ったか。テレビ界及びラジオ界並びに芸能界はそれを謳歌しているかのようである。本来日本を冒涜したのではないか。あまりにも粗末にしたのではないか。何時までも祖先が黙っていない。それも当然である。日本は日本である。あなた方の思っているような國では本来なかった。あなた方はそれをむしろ愚弄した。そして年貢の納め時となった。それだけのことである。本来日本は大丈夫である。護り通されたものがある。いつか芽吹く。それが今である。知らなかったね。知ろうが知るまいが、日本は日本である。根絶やしに出来はしない。滅びはしない。残念だったね。大和魂とは何か。身心清浄及び正直を以てする。故に武士道は死ぬことと見つけたり。卑怯怯懦嘘欺罔自己利益追求商人根性の知るところではない。

2009年01月21日
【アメリカンドリームの批判的考察】
すでに、世界は一つであり、フィールドは世界となっている。その中で、闘っていくためには、世界の理念を知らなくてはならない。参考書としては、『富を手にする「ただひとつ」の法則』(フォレスト出版)とか、『マスターの教え』(飛鳥新社)がある。 アメリカンドリームの秘密=成功の法則が書いてある。要約すれば、純粋な心で、神あるいは宇宙の力を味方にすることで、思うことが実現する。人間には、本来そうした磁力のような力があった。ということである。その為には、信じて、できるところから、ひとつひとつ、ミッションを果たす。そうすれば、次の段階に至る。そして、そこで亦ミッションがある。その連続であり、それが、成功への階梯である。さて、ここで、このチカラは、思うことにあるのだけれど、この思うことが純粋であれば、必ず、あるチカラを得て、夢は実現する。しかし、このパワーは心の中で秘密にしておく必要があるという点が、疑問に思われた。ここに、西洋的成功理論の限界もあるかなって。例えば、西洋の絵は塗りつぶす。東洋の絵は余白がある。また、禅においては、「我、汝にかくすなし」とか「露堂々」ということになっている。自然観が違う。西洋的成功理論は利己的であるとの批判を免れなくなる。そこで、「周りが幸せであればその中にいる自分も幸せである」ということを考える。秘密にしない方がいい。自分だけが幸せになっても、社会の幸せ度は、周りに規定されて低いままである。全体のボトムアップ。また、西洋成功理論は、「貧しいことは、この世の罪悪だ」という。すると、キリストの「貧しきものは幸いなり」に反する(キリストも東方である)。つまり、前者はキリストを十字架に架けた者たちの理論ということにならないだろうか。また、幸不幸の原因として、東洋に於ける因果を知らない。平面的な理論である。時の流れの垂直関係を見ていない。歴史的な観点が見られない。個人の内面のチカラをその淵源とすることはよいとして、個人の内面のチカラも宇宙の意思の中にあることには気づいていない。宇宙=世界の意思(ロゴス)があって、そこに認められる必要があるということに至っていない。頭脳エンジンの高回転があって、それが制御されている状態が、静かに考えることであるが、この点について、彼らの瞑想が曖昧である。 DNAが日々の考えることと為すことで書き換えられているといった進化論を知らない。宇宙と連動している感覚がハッキリしない。宇宙とリンクすると、思考も宇宙に反射していることを実感する。しかし、その反射は、思う段階では逆さまである。表現して初めて実像となる。これが、表現することの効用であり、表現しなければ、迷うことになると思われる。勝者と敗者との関係しか論じていない。例えば、木々の光合成に当たるところは言っていても、腐葉土に当たるところは言っていない。蓮の花が咲くためには、泥が必要である。等々。結局、何が言いたいかというと、アメリカンドリーム理論の限界である。むしろ、大和魂としての、日本古来の方法論の観点から、成功理論を見直す必要があると思われた。品格。格調。(NHK-FM を聞きながら、2005/10/26 22:38)日本丸。出航だね。(既に私の生まれてきた使命は果たし、それだけの仕事もしたように思う。嫁さんを貰って隠居したい気分であるが、世間はまだ許してくれぬらしい。さて、どうするか。それが問題である。なんて。)http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/americandreamhihan.html

【本来日本の進むべき道】
アメリカ四十四代大統領の就任演説があった。十六代大統領リンカーンが宣誓した聖書に宣誓したのも歴代初だった。アメリカの祈りという歌もある。アメリカは自由と平等と幸福追求の國であることの確認があった。強くなければならないという確認もあった。喪失した自信の回復が急務であるともあった。日本はかの大戦で多くを学んだ。それは何だったのか。政財界諸リーダーの反省確認するべきところである。モンテスキューの法の精神がある。権力は腐敗する。六十年経って、政治も世襲化されている。国民政治不信の原因ではないか。謙虚に認めては如何か。さて、すでにキティー・ホークではない。横須賀にはリンカーンが来るのかと思われた。ジョージ・ワシントンだった。何を意味しているのか。日本はアメリカに学んだ。アメリカの祈りは日本に届いている。本来日本の自信は回復した。ジャパン・アズ・NO1の頃より進化した形で。本来日本はどういう國であったか。それも明らかとなった。カルバン以降の重商主義も反省である。その根拠も明らかとなった。新しい時代である。希望にあふれている。本来日本、どの道を進むのか。それも明らかとなった。そうではないか。まだ、疑うか。自由とは何だったか。お笑いの愚か野蛮ではない。何をしても良いのであるが、法を超えない。既に、孔子の見つけていたところだった。遵法精神は人格の表現である。平等とは何か。おしなべての平等ではない。機会の平等でも足りない。男女機会均等でもない。それぞれ持って生まれたものがある。それぞれ十全に開花して生きてゆく。それが平等ではなかったか。戦後全共闘しばらく自由と平等を履き違えた。カンニングで世に出て閥を成し、勝手した方々がいる。それがセレブかと思われた。現代セレブが六代さかのぼって、どれほどの者か。家康も六代しかさかのぼれない。古来大和の目指したものがある。猫と話せる者は多い。鷹と話せる者もいるだろう。太陽と話せる者がいるか。天照大神とう神がいた。今もいる。物語は事実の伝承だった。世界の中の日本である。重要な使命がある。純粋精神がある。それを知らない方々の支配があった。むしろ貶めた。どうなるか。風神雷神。単なる自然現象として説明できないものがある。魂と宇宙自然は連動している。デタラメがあった。何故であるか。本来大和を裏切った。知る頃である。日本は日本である。本来日本は神国である。知らなかったね。探しもしなかった。それほどまでに勝手愚弄した。埋没していた。眠らされていただけである。今は試練を超え目覚めている。反省の頃となった。事実は事実である。さて、どうするのか。新しい時代である。前世はある。今世は前世からの魂の遍歴である。過去をトレースする。それが青春である。試練もある。超えなければならない。そして自分を確認する。それより今世の人生である。複雑な場合がある。故に時を要する。不安はないか。憂いはないか。そこより議論を始めよう。あまりにも愚かだった。それも仕方ない。目覚めていなかった。基準がなかった。今はどうか。はっきりと自覚している。何時でも議論に応じる。何をしているのか。何をしてきたのか。本来日本、発信である。裏ジャックは、表ジャックより強い。何時までも欺けない。導かれていた。この人生は何だったのか。誰も知らないことがある。しかし伝えられていた。サインはあった。今となってはすべて実である。それは何だったのか。勝負するのか。まだ愚弄するのか。黄泉は知っている。何もかも。何を奪ったか。すべて天に記録がある。まだ解らぬか。鉄槌は下る。その時である。黄泉も待っていた。何を待っていたのか。一箇の自覚を待っていた。それは何だったか。面目坊艶姿。爾の時が来た。容赦しない。年貢の納め時である。天神。何もかも奪ったと思ったか。そうでもない。神のものは神の手にある。シーザーのものはシーザーの手にある。この世はジュビターのさじ加減である。知らなかったね。それは天に保存され、何時か実現の時を待っていた。何もかもそのために準備されていた。祝福。本当の幸せとは何だったのか。自分だけ利益して、結果世の中はどうなったか。宇宙の法則がある。それは伝えられていた。それを信じなかったのは科学だった。金融工学もノーベル賞理論から始まった。その嘘が明らかとなった。大きな穴が空いた。どうするのだろうね。世界はまだ殺戮を手段とするリーダーたちが支配しようとする。生命進化としてそれが何時までゆるされるのか。人間行為と天変地異は連動している。それも確かである。その逆はないか。人間行為が宇宙に受容されるとき、本当の幸せが来るのではないか。穏やかな日々の暮らしが保障されるのではないか。大自然に育まれて。そのようなことはないと思っている。それがテレビ界であり、お笑いであった。何を笑いものにしていたのか。反動はある。既に衆愚に導いた罪がある。今更、遅い。救いはないのか。ある。それは何か。真剣に探すしかない。大反省の頃となった。時は来たようだ。乗り越える。

2009年01月19日
【間に合うだろうか】
それにしても、なかなか気づけなかった。気づいてしまえば、すべて説明がつく。しかし敢えていわない。いえば不遜である。そのような話があるらしい。法華経も何冊かぼろぼろにして、既に7冊目だという。さすがにわかったらしい。読み方があるという。しかしそれも語れないという。それほどの事があるらしい。しかし振り返り見れば、彼自身の人生そのものが冗談めいている。そのような馬鹿な話があるのだったろうか。何も聞いていなかった。しかし今となっては、そうだったという。何もかも、それに気づかしめんがために準備されていたかのようだったという。それとは何だったのか。それもそれとしかいいようがないらしい。仏法は王法に合し、王法は仏法に瞑したという。それで良いらしい。仏法で語らせばいいと気づいたか。何に気づいたのだろうね。花は何処へ。彼は重要な花だったか。世間は知らない。知らずとも帝則に従うとは良寛だった。さて、どうするのだろうね。彼は取り戻すつもりらしい。どのようにしてだろうね。間に合うだろうか。まだまだ勘違いの邪見があるらしい。所詮結果は出ない。それでも気づくことなく、自分たちを主張している。むしろ邪魔をする。そろそろ気づかせるべき頃かも知れないね。調べはついているはずだ。どうにもならない理由も既に明らかとなっている事だろう。代々の秘密があるという。それにしても大きな仕事をしたね。大きすぎて見えないね。確かな事実だ。しかし誰も知らない。知らないから評価出来ない。それはないと思っている。自分にないからだ。しかしある。何の事だろうね。持っているものは何時か出てくる。良い事も悪い事も。どのようにして成功したのだったか。何故埋没しているのだったか。それらも明らかとなる。人生甘くない。人生面白い。人生素直。人生誤魔化せない。不落人生。不昧人生。ところで、泣いた赤鬼というのがあったれど、本当に泣いたのは青鬼だったろうね。もう泣かないといっていた。黄泉の導き、黄泉の守護。究極の幸せとは何だったか。どのようにして至るのか。浮かれていては見つからない。今あなたの状態が全てだよ。不安はありませんか。焦りはありませんか。憂いはありませんか。そのようなものがない所へいってみたいと思いませんか。それはある。だけど、すべて失うよ。何もかも。それから始まる確かな人生がある。野蛮を脱する。チャンスだよ。腐敗堕落が人生ではない。西洋化が近代化ではない。馬鹿になる事が幸せではない。お金持ちがセレブではない。大間違いだったんだよ。間違った方へ導いた諸リーダーは退散するしかない。日本はヒロシマから平和を学んだ。世界はアウシュビッツから何を学んだのだろうね。この度のイスラエルの過剰防衛的戦闘は疑問だね。何を攻撃したのだろうね。盾とされた丸腰市民をターゲットとしての殺戮は正義として一切説得力がない。武器対等の原則及び戦争法はあるよ。誰もが幸せを求めている。幸せになろうよ。なっていい。歴史的な流れがある。西洋列強金本位制の基礎はインカより奪った金だった。日本に於いても粗悪なメキシコ銀と金との交換があった。レートが違っていたからね。商売とはそうしたものだった。その辺りから見直す必要があるのかも知れない。何時までも誤魔化せない。かつてアメリカはアメリカ大陸に於いてインディアンを無視一掃した。その論理も通らなくなっているのではないか。パレスチナを無視一掃出来るだろうか。アラブとの戦いは十字軍以来である。2001.9.11が始まりだろうか。その前を無視出来るだろうか。話し合いする頃だよ。十分に資料はある。分析も出来ている。方法はある。共存共栄だ。根絶やしではない。それでは殺戮の連鎖から逃れる事は出来ない。誰もが十全に生きていく。その時、バランスがとれている。それが大自然ではないか。平和ではないか。自己利益追求でおかしくなった。カルバン以来の事だった。反省するべきはそれではないか。奪う事より始まっている。与える事から始めないか。方向の転換が必要なのではないか。人類の大転換期が来ているのではないだろうか。このままでは、滅びるよ。一度も皆が幸せに生きている瞬間を見ないままに。一部の利益追求は何処かにひずみがある。それが死の棘となる。そうした事が見えてきたのではないだろうか。それが万物の霊長としての人類進化だったのだろうか。既に英知はある。技術もある。十分に進化している。進化していないのは心だったね。心が全ての結果の原因だ。始めようよ。殺戮のない誰もが幸せに暮らしてゆける明るい未来へ向けての建設を。

2009年01月18日
【知らないことを知っている】
何もかも失った。それも事実である。しかし彼には文章が残った。その修行をしていたのかも知れない。そして至ったようだ。何かを掴んでいる。これまではまだバランスを欠いていた。とても危なかしくて見ていられない内容もあった。そのあたりも反省の頃だろうか。文章作成を生業としてよいのかも知れない。そう、思うようになったらしい。世のため、人のために。未来のため、幸せのために。少なからず、研究もしている。良いものが生まれてくるかも知れない。誰も知らないことを知っているのかも知れない。しかし書くべきは書いた。もはや何もない。そして満足している。すばらしい人生だった。来世が楽しみである。今世はもう間に合わない。不幸といえば不幸だった。それも試練だった。あるいは使命だったのかもlしれない。何を見たのか。何を知ったのか。謎のままが良いだろう。誰も評価できなかったね。もうこれで終わりにしよう。この世の務めは果たしたように思われる。なかなか面白い人生だった。『山椒魚』の末尾は削られている。それにしても、知らなかった。知ってしまえば、すべて説明がつく。しかし誰にも理解不能である。それが達磨かも知れない。何れにしてもそのような謎があったとはね。古来日本、甚だ強かである。そして日本は大丈夫だね。未来は明るい。誰ぞ、言い切れる哉。しばらく見失われていた諸価値がある。ペリー来航以降のことだった。その後日本はそれに飲み込まれ、本来の価値をむしろ愚弄無視破壊粗末にし、裏切った。今のテレビ界などその権化である。それで何時までもそれが通るのかどうか。通るというなら、通すが良い。今更である。何時までも、祖先が黙っていない。何時か、芽吹く。いい加減な人生が人生だなどと思わぬがいい。草鞋銭は請求される。支払うべきは支払うべし。本当の実力といったものがある。それは何だったのか。誰も彼も皆同じではない。自分になければ相手にもないと思う。そして無視する。愚弄する。粗末にし、裏切る。菅原道真は太宰府に流されて憤死した。その後、京都に何があったか。本当の力とは何だったのか。見えない世界に通じるチカラだったのだろうか。それが古来大和の秘密であったのか。その開発と確認もあったのだろうか。であるとすれば、あらゆる科学が陳腐化するね。勝手がすぎたんだって。どうして欲しいのだろうね。ハッキリとするが良いよ。通るか通らぬか。本来の知性とは何だったのか。反省の頃となったようだ。思い知る。

2009年01月16日
【風邪が治らない】
風邪は治ったかい。いいや、まだまだ。たいへんだね。たいへんだ。長いね。長い。おそらく栄養不足もある。そして身体が芯から冷えた。そうだったの。それで探求は終わったの。終わった。よかったね。P・ヴァレリーだったかな、20世紀最大の知性といわれた。文学論の中では、本当に耳が良いものにとってはあらゆる音楽が雑音だという。また、深淵というものがあってそれを覗き込んではならない。飲み込まれてしまうからだそうだ。しかし吉田健一氏はいう。深淵などというのはまだ地獄を知らないからだと。また、天才は自分が天才と知ってそれが何でもないことに気づくとしたのも吉田健一氏だった。さらに、自分の住む空間がなければ作り出すしかないとも云っていた。今どのような状況であるのだろうね。何が蔓延り、天下を取っているのか。意味のない軽薄であるか。お笑いであるか。はっきりしてきた。ところで、私は生きた、愛した、書いたといったのはP・ヴァレリーだった。よかったね。読んでくれる人がいて。真実は真実である。流行ではない。朽ちはしない。埋もれていたとしても。救出を待っているのかも知れないね。もう、間に合わないのかな。疲れたね。ばかばかしくなってきた。風邪が治らない。彼の三十有余年がある。それは思索の時代だった。その蓄積がある。それは何だったのか。何時までも無視できなくなるのかも知れない。あまりにも愚かだったのではないか。あまりにも知らなかったのではないか。厳然としてある真実真理に対して。それと取り組んだ者があるか。あるというなら、議論しよう。明日のために。未来のために。人間の秘密は思索だけにあるのではない。処したる人生そのものにある。露。汚れていてはお話にならない。風邪が治らないね。よほど身を酷使したのだったろうか。みんな、本当に今のままでいいと思っているのだろうか。テレビCMでは欽ちゃんがやっていたね。日本の男はこれで良いのだ。本当にそう思っているの?だったら、仕方ない。もっと謙虚になりませんか。子供の頃、勉強がわからなかったね。今、何でもわかっているつもりでいる。そうかな。大間違いだよ。何にもわかっていない。それでもわかっているというのだろうか。だったら、それも仕方ない。だけどね、子供たちの未来は護ろうね。殺戮のない世界で生きてゆけるように。平和について、具体的に考えたことがありますか。ヒロシマを片付けていますか。神国日本は代々の経験的事実でした。理論的な思索の集積がありますか。何をしてきたのですか。何をしているのですか。風邪が治らない。

2009年01月15日
【孤独の慰め】
結局、見えているかどうかですね。わかっているかどうかでした。わかってもらえないもどかしさがありました。下手な野心家が何もかも破壊しつつあるように見えます。それも気にならなくなるのでしょう。それも当然であると思われてきました。孤独ではあります。それにも慣れたのでしょうか。慰めは何でしょうか。惑わされる必要はないですね。自分は自分で良い。日月照らし、風が吹く。それで十分です。この世に秘密があります。それを知って、大切にすると良いのです。必ず幸せになれます。これに反して、それを粗末に扱うとどうなるのでしょうか。恐ろしいことになるのでしょうか。そうした秘密があるのです。古来大和の秘密もそれでした。宇宙の法則もそれでした。それを知って、大切にすればいいのです。それだけのことだったのでした。知らなかったですね。探そうともしなかったですね。そして勝手したのでした。そして結果どうなりましたか。よかれと思ってよい結果となりましたか。当然の報いが来ますね。私達はやはり生かされているのでしょうか。法則があるのでしょうか。それを知ればいい。そして大切にすればいい。それが愛だったでしょうか。他を生かすこと。育むこと。殺戮ではないですよね。さて、慰めは見つかったのでしょうか。それは何だったのでしょうか。自分のためにしないこと。その結果を楽しむことにいたしましょう。西洋合理主義唯自己利益追求は完全に失敗に帰しました。新しい時代の基準が必要となりましたね。もう見つかりましたか。それでは、今宵静かに、孤独の慰めを楽しむことにいたしましょう。大自然を感じながら。生きています。生かされています。よかったですね。心配はないですね。憂いもないですね。それが無事是貴人だったのでしょうか。思い煩うことなく、すらすらと生きてゆけることが出来たなら、スマートですね。そうした人生も何時か自分のモノに出来るのでしょうか。それが人生のゴールでしょうか。お金ではなかったのです。あくせくと苦しむ時代がしばらくありました。それが青春だったのでしょうか。自分のためにしないこと。愛欲のためにしないこと。西洋利己主義は随分と苦しい時代でしたね。それより脱却しませんか。そして自然と共にに生きることを選択しませんか。本来日本はそれを知っていたのではないですか。想い出す頃ですね。想い出せばいいですね。故郷を。都会の汚れた文化では気づけません。子供たちの教育を破壊したお笑いなど、もってのほかです。さて、これからだね。辿り着いたのかな。そうかも知れない。日月照らし、風が吹く。それこそ、最後のロマンだね。本当にそれはあったんだね。これが日本だね。賢さがどういう事だったのか、証明したね。各々、覚悟に時節となったね。周囲巷も今に気づくかな。気づけないだろうね。木鶏は驚いているだろうね。もう何も云わなくて良いよ。その必要はない。此処に至ってのそれが不言実行だね。よくがんばった。よく耐えた。これまでは過程だったんだ。悟るまでの行がある。悟ってからの行がある。達磨西来。面壁九年。法を二祖に譲って天竺に帰った。徳利をぶらさげて。その姿を見た者もあるという。云う必要はない。相手がそれで傷つくならば。黙って好きなことをすればいい。天は知っている。黄泉も知っている。そうした秘密がある。古来大和の秘密であるという。孤独の慰めとはそれだったのかな。十分すぎるね。相手が納得するのは、義ではない。内容ではない。その姿である。あるいはその音声である。それを見つけたんだね。天下無敵だね。お芽出度う。そして有り難う。本来大和大義名分征夷大将軍、神風の吹く。裏切らないことだ。直接間接に悲しませないことだ。何が起きるかわからない。流れは変わった。ある選択があった。日本は大丈夫だという。誰も知らない。だけどその仕事があったという。代々の秘密らしい。そういうことはあるという。使命は果たしたという。

2009年01月14日
【これからだね】
もう、いいよね。不平不満はなくなった。解る方々はいる。解らない方々もいる。それでいいね。本当の幸せはある。実現していくしかない。解らない人はいる。相手にしなくて良いのだろう。相手にしすぎたのだったのかも知れない。所詮、愛を育む大自然の法則がある。未来は明るい。信じた者には。何を信じるのだろうね。それが問題だった。始まったようだ。新しい時代である。かつてもそれはあったのかも知れない。しかし一部の限られた方々のものだった。四聖などそうだろうか。そして時は流れた。人類も進化した。地球もね。そして誰もが本当の幸せに気づき始める。それは何だったのだろう。これからだね。通らねばならなかった。そして間違いだったことを知る。何が間違いだったのか。原因がわかる。修復すればいい。それが出来るのも人間だった。知ってしまった。何を知ったのだろうね。汝自身を知れ。本来自分は何だったのか。本来の自分を生きる。それが幸せだった。何を求めていたのだったか。惑わされたね。それも試練だった。それでいいんだよ。それからだよ。過去からの続きだった。過去世はある。前世はある。それを認めないと、モーツアルトは説明できない。そうしたものをあまりにも無視愚弄した。それがテレビ界及びお笑いだった。それも無理はない。民主主義は衆愚化する。政治学の常識だった。これからだよ。問題点は明らかとなった。彼の分析の集積もいくつかある。あらためてビジョンを描こう。明るい未来へ。誰もが幸せを求めている。それはある。彼は彼だった。子供の頃から。誰もが忘れていた。知らなかったね。見えるモノしか信じられないからだね。彼の試練があった。それは何だったのだろう。自覚だったといっていた。信じられないチカラもある。不思議もある。神秘もある。しかしそれを知る者にとっては事実である。あまりにも勝手が過ぎた。そうみたいだね。 さて、どうするのだろうね。例えば、衆議院の三分の二の再可決がある。そもそもこれは例えば与党独裁の具としての制度だったのだろうか。疑問だね。それほど国家的重要案件である場合に、超党派的な決断をするときのためだったのではなかったか。つまり与党に三分の二が独占される状況は予定していなかったのではないか。立法者の意思を聞いてみたいね。どうでも良いね。所詮彼には発言の資格がない。誰も聞こうとしない。周囲巷は愚弄している。この度彼は風邪をひいた。寒波の夜、4時間も路頭に立っていた。何をしていたのだろうね。交通整理だった。部屋の中でぬくぬくしていては解らない。そして彼は云っていた。笑うしかないね。何もかも。獲物を捕らえて満足な方々の姿がある。何が獲物だったのだろうね。それでその人の本質が解る。真実真理は何だったのか。それを獲た方は少ない。この世は面白い。真実真理を知って、面白い。進化する。探していたものは見つかった。何か失われた大切なものがテーマだった。それは何だったのか。探求を要する。知性を要する。自分にないモノは評価できない。探そうともしない。解ったつもりでいる。本当に解っているのかどうか。解ってしまえば楽である。焦ったことはない。この世は何があっても大丈夫となる。未来は明るい。それは何か。それは秘すべきモノで、此処に書けないのが残念だね。直接お話しすることは出来る。そろそろ始める頃だろう。何を始めるのだろうね。彼に聞くしかない。真実の仏法は何か。

2009年01月12日
【換骨奪胎】
静けさを 取り戻したり 冬の月 気づけば我に 責めはあるらん
何もかも 失い知るは 我が罪と 此処に初めて 気づく遅しか
さもなくて これより始じむ 人生を 我が身尽くして 何時か至らん
悪いのはすべて自分だった。そう思えるようになった。これで良いのだと思う。これより始まるのだと思う。困ったことになった。何故だったのか。過去からの自分がある。代々の家がある。何をしてきたのだろうね。反省だね。そして始まる。きっと始まる。悪かった。本当に悪かった。悪いのは自分だった。生まれ変わるしかない。換骨奪胎だね。彼は彼自身でよかった。それも事実だった。惑わされたことだった。自信がなかったんだね。優柔不断だった。無理もない。それが戦後だった。彼の属性は悉く無価値とされた。しかし彼は彼だった。それは何だったのか。彼は取り戻さなければならなかった。そうした戦いも放棄されていた。80%で生きればいいと指導されていた。馬鹿になることが幸せだとしていた。日本男子はこれで良いとCMされていた。そうでもなかった。流行は流行である。それにしてはテレビの影響が大きすぎた。大反省である。それを言論の自由とは云わせない。報道の自由でもない。表現の自由でもない。諸価値を破壊する方向での自由は一切ない。諸価値はある。それは何であったのか。見直しだね。その意味でやはりお笑い芸能界の罪が重い。何を愚弄してのことだったのか。代々のご祖先の総体としての黄泉はご立腹である。どのようにして詫びるのか。答えを出す頃だ。

2009年01月11日
【乗り越えるしかない】
挫折はある。それから立ち直れるかどうか。本来の自分があるとする。それを取り戻せるかどうか。親の責任がある。子はそれを克服出来るだろうか。すべてはそれからである。そして始まる。何を克服するのか。何を取り戻すのか。過酷な試練もある。乗り越えるしかない。自分は自分である。持って生まれたパワーを信じることが出来るだろうか。それからあなたの人生が始まる。一度自分を死なねばならない。サナギのように。そして始まる。あなたの人生が。必ず乗り越える事が出来る。神仏はそれを知っている。かつて神仏もそうだった。負けない事だ。自分の運命なんかに。明るい未来はある。開こうではないか。万物の霊長として。笑顔で生きてゆける。笑顔で道は開ける。お笑いではない。愚かさではない。知性だった。知性が笑顔だった。笑顔で乗り越えることが出来る。がんばってね。何時か、その笑顔を取り戻そう。あなたには笑顔がよく似合う。子供の頃の笑顔で良い。素直さで良い。信じることが出来るだろうか。子供の頃の自分を。取り戻せるだろうか。疑いのない笑顔を。あまりにも失ったモノがある。日本は日本である。それは何か。本来日本健在。今日も明るく楽しく生きてゆけるだろうか。お金はなくても。それが試練だよ。どれだけお金があっても、不安がある。疑惑がある。それは幸せではない。幸せは何処にあるのだろうね。やはり家族の団欒だろうか。マッチ売りの少女は悲しいね。幸せはある。自分を取り戻す。必ず豊かになれる。自然現象と人間行為は連動している。祝福されているだろうか。それはある。幸せになろうね。なれる。どのようにしてだろう。それを見つけるための人生だったのかも知れない。幸せって、何だったのだろうね。少なくとも、いじめではない。お金はあった方が良い。それも取り戻せる。本来の自分を取り戻す。それがすべてだった。乗り越えることは出来る。自分を知る。それまでの旅がある。乗り越えるしかない。乗り越えることは出来る。きっとそれは本当だった。自分を信じることが出来るだろうか。自分を愛することが出来るだろうか。自分を取り戻してこその人生がある。自分を愛せない者は他人を愛せない。教育もどこか愛がなかった。信じられない何かがあった。取り戻そうではないか。何もかも。何かを失っている。それは何か。西洋合理主義は失敗した。野蛮より脱却しよう。それは出来る。日本は知性の國だ。原爆より何かを学んだ。それは何だったのか。もういいね。明るく、楽しく、生きてゆこう。それしかない。自分のためにしない。それが幸せ=祝福の条件だったのかも知れない。自己利益追求が不幸=殺戮への道だったのかも知れない。何もかも、反省を余儀なくされている。乗り越えるしかない。明るい未来へ。

2009年01月09日
【感謝】
いずら。いずら。何処だ。何処だ。まさかそれが自分だったなんて、誰も気づけはしない。しかし気づく時が来る。あるいは気づかねばならない時が来る。何処にも彼の師匠はいなかった。彼は探した。あるいは期待した。そして何時までも待っていた。それは来なかった。来る由もない。彼がそれだったか。もう、よいみたいだ。十分であろう。まだ、不足があるか。彼は祖父を知っている。父を知っている。ほかに何が必要であったか。彼こそそれだった。何だったのか。茶番劇は終わって貰う。ご苦労だった。そして、始めよう。彼は着任した。疑いは微塵もない。すでに証明としての記録も山となった。誰が刃向かえよう。黄泉及び天の認めるところである。無事、時は代わった。良い時代となった。良い選択だった。此処まで探さねばならなかったか。いくら感謝してもし切れない。出発進行!これより始める。彼こそそれだった。それは何だったのか。やがてわかる。宣言の頃となった。何をであるか。此処に本来日本を建立する。さて、皆様。もう本当に大丈夫です。自信を回復しました。もはやぶれません。ありがとうございました。無事、自分を取り戻すことが出来ました。多くの実りがありました。お気づきの事と存じます。彼に利益を。彼を裏切らないように。どういう事だろうね。彼より奪った。彼を愚弄した。粗末にした。裏切った。そしてどうなったか。代々の掟、改めて定むる。彼は自ら請求書が書けない。その血は流れていない。しかし万能である。父もそうだった。祖父もそうだった。誰も知らない。彼も知らなかった。日本は日本である。使命成就日本奪還。彼は云った。彼を本気にさせない方が良い。どういう事か。風速六十メートルは偶然ではない。既にチカラ=powerは確認済みである。勝負にならない。しかし勘違いした方々が支配しようとする。彼は笑って見護る。それぞれ御役がある。名乗りを上げたなら、任務果たすべし。世話役は、下男下女として仕えるべし。公僕及び代議士もその例外ではない。勘違い及び勝手はこれより通らない。世の自称セレブに云う。どのようにしてセレブとなったか。黄泉は知っている。誤魔化せはしない。芸能界諸氏、解っているね。十一升の餅を搗いたとする。丸める役と扇ぐ役がある。餅はやがて餅肌となる。美しい。女性のように。大切なことは何か。餅に何を籠めるのか。魂である。扇ぐ役がある。魂を注ぐ。勘違いして扇いでいないか。魂を欠いて扇いでいないか。そして魂のない間違った扇ぎ方を流布していないか。馬鹿も休み休みに云うが良い。真実は真実である。運命は運命である。哀しいね。この世に秘密がある。解くは稀である。時及び属性を要する。彼に不思議な人生がある。そして最後の敵は何だったか。自分自身だった。これは手強い。これを倒さねばならない。時を要する。気づけないことが多い。そして気づく。すべての原因は自分だった。自分が自分を裏切っていたと。あやまるべきはそれだった。そしてゆるされる。感謝が来る。生かされていた。何もかも困ったことになった。人生も青春も失った。それも導きだった。不安はない。憂いもない。疑惑もない。信じることが出来る。何を信じるのか。自分である。祖先である。神仏である。それはある。それが真実真理だった。ありがとうございました。何時までも気づけない自分がありました。申し訳ありません。復活です。開発確認したモノは何だったか。思念力だった。それが明確な意識であり、ビジョンだった。それが亦、大義名分であり、その時、神風も吹く。雷も呼ぶ。風神雷神だった。あるいは草薙あるいは金剛杵だった。それが本来日本の本懐だった。あるいは征夷大将軍の成立要件だった。自分のためにしない。それが条件である。西洋合理主義に染まって、自己利益追求こそ幸福追求かと思われた。西洋成功哲学はそうではなかった。お金を通して自己実現あるいは自己確認していたに過ぎなかった。思い違いがあった。勘違いがあった。人類は此処まで進化した。腐敗堕落が生命進化ではない。限りなく何処を目指すのか。上求菩提、下化衆生。女性もそうである。しかし女性は業が深い。それも無理はない。種の保存が優先するからである。しかし女性も待っている。何を待っているのか。真実の男を待っている。失われて久しい。取り戻す頃である。商人根性を大反省する。本来日本に価値がある。英知がある。それも証明するところとなった。何を以てであるか。彼の図らずものセックスレスである。それも導かれていた。人間の本来マグマとしてのパワー及びエネルギーを知るためだった。それは何だったか。日本はどういう國だったのか。神国だった。それも確認証明済みである。何を勘違いしたる哉。芸能界及びテレビ界の罪は重い。大衆をあまりにも衆愚に導きすぎた。動物的な本能をあまりにも吹聴正当化しすぎた。人間はパンのみにて生くるにあらず。すこぶる精神的存在である。大反省する頃である。祖先の総体としての黄泉の意思である。本来日本が培っていたモノがある。忘れていた。想い出せばいい。そして未来は明るい。生命体は硫化水素の海から生まれた。かつて酸素は猛毒だった。試練はある。どんな障害も乗り越えることが出来る。人類は生命体として万物の霊長である。限りなく、自分たちのチカラで未来を開く。幸せへと進む。此処より始める。何をしても良い。自由である。次なる課題は何か。血を流すことなく、世界が平和を手にする。殺戮はどのような正義を以てしても正当化できない。この野蛮より脱する。権力の目的は何か。庶民の暮らしである。愛と平和が条件である。それぞれの花を十全に開花してこの人生を楽しむ。そのために、それを探して何度も生まれ変わっている。何を思い違いしたのか。あるいは勘違いしたのか。今からでも遅くない。軌道を修正する。原爆は根絶やしだった。それも乗り越えた。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。源の種は遺されていた。何時か芽吹く。それが今である。本来日本、感謝に値する。これからだよ。人生は楽しい。生まれてよかったね。本当の幸せはあるよ。彼の人生は偉大となった。知る人は知っている。周囲巷は知らない。それで良いと思えるようになった。そうしたものである。しかし彼の人生がある。彼の見つけたモノがある。彼の開発確認したモノがある。それは何か。六祖鉄鉢。奪えはしない。これより明らかとなる。彼こそそれだった。何を探していたのか。何を見つけたのか。黄泉及び天は認めている。二つの道があるとする。彼は必ず困難な道を選んだ。その結果である。すでに歩み通したか。勝負にならない。真実真理。それは何だったか。もはや勝敗は決した。刃向かうか。刃向かってみるが良い。知性の勝利である。何をし来たる哉。何をしているのか。戦後あるいは明治以降に乗じて浮かれたリーダー諸氏、猛反省の頃である。本来日本、何時までも黙っていない。日本は日本である。勝負は決した。成金スノッブセレブに用はない。愚かな安っぽいお笑いにも用はない。本来日本は知性の國である。これ以上愚弄させはしない。彼の失われた三十有余年がある。無駄ではなかった。選択としては、ヨハネの黙示録もあった。地獄の黙示録もあった。その可能性は回避された。そして云う。未来は明るい。何があったのか。何を見つけたのか。謎は謎である。花は何処へ。それを探していた。そして見つけた。それは何処にあったのか。彼を救わねばならぬ。彼は救われた。救ったのは誰だったか。仏だった。そのための準備があった。時を要する。種がある。芽が出て、葉が出て、花と咲き、実となる。実となって種を知る。真実もそうである。種がある。必ず実となる。知らなかったね。現実にそれがなかったからだね。そして現実となった。信じざるを得ないね。それでも信じられないね。認めようとしないね。どうしてだろうね。そしてどうなるか。天に向かって唾するに等しい。元服した彼を本気にさせないことだ。それだけはいっておくね。過去があって今があり、未来がある。そしてそれぞれ生まれた意味がある。御役がある。自分の役でないことをしても間違う。そうしたものである。勘違いはないか。思い上がりはないか。間違っていないか。総点検となった。代々持って生まれたモノ及びすでに処したる人生がある。


2009年01月08日
【難問解決】
人生の難問は片付いた。それは何だったのだろうね。それについては語る必要はないようだ。何れにしても鬼に金棒である。あるいは『無門関』第一則「関将軍の大刀を奪い得て手に入るが如く」である。それは難問だった。何故であるか。自分を知るということはどういう事だったか。何もかも失った。故に得た。知る人ぞ知る。それは何だったか。古来大和の秘密だった。冗談だよね。そうだ。これより始まる。何が。本来日本。彼は云った。勝手が過ぎた。容赦しない。花は何処へ。個々に咲く。父は云った。予科練の教官もした。事の真偽は不明である。しかしその意味がやっとわかった。ある日、父は云った。此処ににほんとうをもってこい。そのようなものはなかった。今なら持ってこれる。何を持ってくるのか。一メートルの竹尺で良い。父は16歳で志願した。赤紙などに用はない。赴任地はカムチャッカだった。復員は網走だったか。刑事でもしていたらしい。ある日父は云った。お前は大丈夫だ。私の子だ。それにしては気づけなかった。何故であるか。それが戦後だった。何を勘違いしたる哉。日本は今も昔も日本である。愚弄したね。粗末にした。何時までもそうはいかない。本来日本はどういう國か。神国だった。その秘密が解かれた。時を要した。仏法は王法に合し、王法は仏法に瞑した。関将軍の大刀とは何か。あるいは草薙、あるいは金剛杵。女衒商人根性に用はない。彼は守護されていた。あるいは導かれた。何時か成就するまで。すべては準備されていた。あるいはあらゆる事象がサインだった。思念すれば太陽が輝く。そのようなことがあるのだったか。それが大義名分であるか。あるいは廓然無聖であるか。彼は何を見たのか。あるいは何を得たのか。確認したか。そしてすべてを受容した。それは何か。謎である。彼は彼を取り戻した。彼を直接間接に害するとどうなるか。知ったことではない。 「信念とは嘘より危険な真実である」。ニーチェである。何を以て信念とするか。それで人生が決まる。「神は死んだ」。これもニーチェだった。ワーグナーの『神々の黄昏』ではワルハラ城が焼け落ちた。何故か。神々と雖も契約を破ったからだった。さて、神は死んでいない。勝手に死んだと思ったら大間違いである。眠らされていただけである。その糸車の針は抜かれた。あるいは『死の棘』は抜け落ちた。何を以て神というか。身心清浄及び正直である。それが亦、大和魂だった。自分の為にしない時、大義名分となる。すなわち神風も吹く。あるいはそれが征夷大将軍の本懐だった。しばらく自己利益追求こそ価値かと思われた。それも間違いとやっとわかった。企業は大転換を迫られる。脱却するには相応の苦痛を伴う。カルバン以降の西洋利己主義に染まってしまった。本来日本にそれはなかった。新しい時代である。400年来のパラダイムが限界に至った。新しい時代を切り開くのは誰か。まだ汚れていない方々である。嘘と暴力の支配があった。何時までもそれは通らない。殺戮の世は去る。だれもが平和の中で愛に満ちた暮らしを目指す。愛とは何か。動植物も喜ぶ宇宙の周波数である。存在するだけで良い。それがミュージックの本質でもある。何を犠牲にしてのセレブであるか。それで幸せであるか。不安はないか。疑惑はないか。処したる人生がある。属性を要する。時を要する。今から始まる。本当の幸せはある。それは何だったか。日月照らし、風が吹く。安っぽいお笑いの時代は終わった。天晴れ、日本晴れである。今井美樹さんは歌っている。「やっと辿り着いた。永遠のやさしさに続く道」。これより知性が輝く。ルックスではない。知性である。心である。知性が心である。心が輝き始める。処したる人生の結果として。思い知る時が来た。21世紀は知性及び精神=魂の時代である。すなわち目的的時代あるいは芸術的時代である。人類は此処まで進化した。あらゆるものの力点がハードからソフトへシフトする。物質文明を此処に脱出する。愚かなカンニング文化よ、さようなら。自分らしく生きる。それがトレンドとなる。グランドデザインは完成した。孤独な旅があった。何かを探していた。四聖、何するモノぞ。失われた何か大切なモノがある。壊したね。無視愚弄した。裏切った。しかし種は遺されていた。何時か芽吹く。今がその時である。立ち上がるが良い。勇気を持って。自信は回復された。代々の一番槍は今も健在である。此処という時に勝負する。電光石火、覿面提示。虚空を斬る。道は開かれた。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。黄泉の守護も取り付けた。祝福しているよ。善良な庶民、君たちの時代だ。既に汚れてしまった方々は静かに表舞台より退散するが良い。何をしてきたのか。何をしているのか。何を勘違いしたる哉。愚かさは隠せない。露。唇寒し、秋の風。黄色いお足が見えている。何時までも嘘・暴力は通らない。神は畏るべし。仏は誉め奉るべし。この意味がわかるだろうか。神仏は実在する。知らなかっただけである。神は畏るれば良い。仏は誉め奉ればいい。必ず守護してくださる。絶対不壊の実在である。これを貶めるとどうなるか。一休髑髏に聞いてみるが良い。あまりにも愚かだった。何を愚かというか。真実真理を知らない。探しもしなかった。そして勝手した。何時か困ったことになる。それが摂理だった。どうすればいいのか。賢聖に聞くが良い。地位及び身分に安住し、象牙の塔の中で惰眠を貪る方々に云う。困った人を傍観するか。自分とは無関係と思うか。明日は我が身である。自分の行ったことは自分に帰ってくる。情けは人のためならず。因果応報は宇宙の真理である。平和を目指す。思考は現実化する。試練はある。女の目的は生命の維持すなわち種の保存である。男の目的は何か。男は女ではない。テレビ界は何をしているのだ。ラジオ界も最近そうした風潮となった。愚かさへの傾向と迎合である。本来日本の目指したモノがある。それを笑いものにするか。そしてどうなったのか。考える頃である。この進化傾向で良いのか。良いというなら仕方ない。民主主義は衆愚化する。内的限界である。しかし、怖いよ。何かが目覚めている。時は代わった。黄泉も待っていた。ご照覧である。持って生まれたモノがある。前世からの続きである。知性の追求は、その過程に於いて不幸と見える。それでフリーセックスであるか。不倫であるか。馬鹿になることが幸せであるか。何を吹聴流布増殖したる哉。腐敗堕落が人生であるか。今まではそれが幸せかと思われた。勘違いだった。思い上がりがあった。そして間違った。テレビ界及び芸能界並びにリーダー諸氏、責任はとっていただく。勝敗は決した。天の認めるところである。賓主歴然。各々自ら吐露し懺悔するが良い。赦される道は遺されている。

2009年01月07日
【生まれてよかった】
失われた自分を取り戻す作業は完結した。本来の自分が何だったのか、改めて気づくことができた。それは過酷ではあった。しかし今となっては、懐かしい。しかしその余韻を楽しむ余裕はないようだ。彷徨った三十有余年は貴重だった。その間、学ぶべきは学び、見るべきは見た。そして失われた現実を取り戻さなければならない。このままでは負け犬のまま終わってしまう。それは祖先に対して申し訳ない。何故このような事になったのかは解った。それに対する救いはないのだろうか。ある。それも見つけた。それは何だったのか。此処では語れない。しかしそれはある。既に経験事実である。そして思う。生まれてよかった。すべてに感謝できる。あらゆる試練に対して。本当にそう思う。思念の究極が何をもたらすか。知る人ぞ知る。何時か至る。太陽が輝く。時は来た。それがあたかも清盛の日招きだったのかも知れない。風神草薙。雷神金剛杵。古い悲しみは何もかも終わった。香風来たって古き花を散らし、新しき蕾を雨らす。その時を迎えた。本来日本を取り戻す。そのために戦った。そして勝利した。長い冬だった。時を要した。この世の約束は果たした。責任もとった。代々の務めである。すべて受容した。そして克服した。何の責任だったのだろうね。天は知っている。寒くはなかったよ。誰も理解しなかった。悉く、貶めた。貶めてはならない者を貶めた。無理もない。彼らは知らなかったのだ。知る由もない。そして勝手した。そしてどうにもならなくなった。それが時だった。彼は云った。彼を直接間接に悲しませないことだ。裏切った者たちがどうなるか。裏切ってみるが良い。彼を大切に思った方々はどうなるか。その人に聞くが良い。それが真実だった。どうにもならない。古来大和の秘密がある。祖先の守護、確かな事実である。日月照らし、風が吹く。当然試練はある。それも導かれている。気づくまでが試練だった。気づけば桃源郷である。魂の遍歴がある。過去があって、現在があり、未来がある。知らなかったね。粗末にしたね。裏切った。裏切ってはならない者を裏切った。そしてどうにもならなくなった。おわかりだろうか。時はこうしてやって来る。祝福もこうしてやって来る。すなわち、日月照らし、風が吹く。何もかも失った。あるいは奪われた。それが無だった。そして知る。何を知るのだろうね。生かされていることだった。そして気づくのだった。何故困ったことになったのだろうね。それはね、すべて自分が悪かった。困ることの原因はすべて自分だった。ほかの誰でもない。環境でもない。社会でもない。誰もが幸せになるために生まれている。それを壊したのはすべて自分だった。優柔不断がそうだった。明確な意識がなかった。自信がなかった。それがすべてだった。だったら、自信を持てばいい。明確な意識を獲得すればいい。優柔不断を脱すればいい。世界はそのように出来ている。環境とか社会とか、作ればいい。それが万物の霊長としての課題だった。その意味で怠惰だった。申し訳ないことだね。大戦までしてしまった。反省の頃だ。誰もが幸せに成って良い。心の問題だよ。機械が作ったモノには心がこもっていない。職人の作ったモノには魂の周波数が宿る。それが魅力となる。どのような心で作ったらいいのだろうね。愛だね。それは相手のことを思うことだよ。相手が喜び、満たされることを思うことだった。すべての成功の秘密は、自分のためにしないということだった。簡単だったんだ。自己利益追求が不幸の原因だった。しばらく日本もそれに染まったね。それで、どうにもならなくなった。人間は自分に関心を持ってくれる人を愛する、とD・カーネギー氏の本にも書いてあった。法則通りだね。やさしくなれるね。ところで、人間は哀しいね。どういうことだろう。いくら正当化しても、人生途上の悪及び過去から持ってきた悪から抜け出せない。犯した罪は償わなければならない。

2009年01月05日
【終止符】
いうにいえないことがあった。それが彼にとっての戦後だった。それにしても酷な現実があった。彼は自分を壊しもした。人生も青春も失った。それも事実だった。彼を理解する者はついに周囲に現れなかった。まるで、『死んだ男』だった。恨み辛みはあった。それも確かだった。しかし何時か時が来る。それはどういう時だったか。開花あるいは宣揚の時であるか。何を宣揚するのだろう。歴史に輝く校庭であるか。そしてその時が始まった。三年あまり前、11月26日のことだった。彼は意を決して、ブログを書き始めた。既に記録となった。知る人は知っている。その都度、サインはあった。サインは人為的かと思われた。やがてそうではないことに気づいた。そして彼は気づいた。それは何だったのだろう。廓然無聖だった。山田無文老師の云う、聖諦第一義はわかってもこの廓然無聖はわからぬというそれだった。そして老師は云う。一を聞いて十を知るような輩でなければ、禅は授けられない。すべての謎は解かれた。それは何だったのか。思えば彼rの人生は不思議な人生だった。希有なる経験が多々あった。それに耐えかねた頃もあった。それらも今となっては、導きあるいは試練と気づいている。何を知らしめんとしていたのだったか。本来大和の秘密だった。それは彼自身だった。汝自身を知れということだった。そのためにあらゆる事が準備されていたかのようだった。彼しか居なかったのかも知れない。はじめから決まっていたかのようだった。乗り越えた今こそ、気づくのだった。確かに導かれていた。導いていたのは何だったか。ほかの選択もあったかも知れなかった。しかし彼は、ありうる最高の選択をしたのだった。それは何だったのか。仏さんだった。それはいる。彼の至り着いたのはそれだった。あるいは辿り着いた。そして彼は救われていた。何を以てであるか。祝福を以てだった。そして自分が何者だったかもわかった。彼がわかったと云うからには、本当であろう。子供の頃には十を並べていた。しかし時を要した。三十有余年は失われたかに見えた。そうではなかった。すべてが輝き始めた。そういう事だったのである。仏さんを知ってしまった。仏さんの思いもわかってしまった。仏さんのチカラも確認していた。それは何だったのか。云う必要はない。むしろ此処に秘密である。それも理由がある。これを以て無記である。何故であるか。記せば必ず疑惑を生ずる。しかし真実である。日々それは証明の中である。自覚自得するしかない。それを知らないことが不幸だったとも云える。彼はそれを探していた。誰もが彼に近づき、利用しようとした。そして彼は利用され、奪われた。しかし彼を直接間接に悲しませた者たちはどうなったか。それを彼は一休髑髏ご用心とした。彼は常に守護されていたかのようだ。それに気づけない彼が居た。気づくまでが試練だった。彼は云った。二千年来の物語は完結した。新しい物語が始まった。既に始まっている。新しい時代である。彼は何を見たのか。そして何を得たのだろう。彼は云う。美しい風景が待っている。やさしい人間関係が訪れる。そして日月照らし、風が吹く。黄泉も待っていたのだ。この時が来る。それは昭和50年かと思われた。そうでもなかった。まだ時は来ていなかった。その後も彼は埋没した。特殊潜航だとも云った。彼がそれを記した時、オーストラリア沖では、トラトラトラで出撃してわからなくなっていた三隻目の特殊潜航艇がみつかった。その過程には精神の嵐もあった。十九の春だった。それはこの世での解決はないかと思われた。それほどの試練を潜った。それも運命だった。彼は乗り越えなければならなかった。それが使命だった。誰もが乗り越えることが出来るためだった。そして時は来た。彼は乗り越えたのか。導かれたのか。そして何を見たのだったか。何を確認したのか。既に記録がある。それは冗談のように見える。そうでもなかった。すべて事実だった。思えば、父もそうだったか。彼に雷を見せたのは父だった。彼に風を教えたのも父だった。祖父もそうであったろう。ある日父はいった。自分もお前と同じだった。なんと酷な運命であるか。呪わずにはおれない。しかし彼はそれもしなかった。試みたことはあった。その時何があったか。何を知ったか。草薙の剣だったか。やがて金剛杵の謎を解くことにもなった。それは空海だった。それは雷を呼ぶ。すなわちシャーマニズムだった。本来日本の本懐である。卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本だった。馬鹿げているね。しかし経験事実だった。ありえないね。風速六十メートルは偶然ではなかった。彼が両足踵骨骨折して手術の時、近くの送水管が破裂した。病院も断水となった。その中での手術だった。彼の危機を知らしめた。誰も気づかなかった。どうでもいいね。そのほかにも不思議な体験があった。やがて気づくためだった。何に気づくのか。爾としての彼だった。天は神だった。本来日本は神国だった。失われて久しい。ペリー来航以降のことだった。そこで途絶えた。それまで培っていたものがあった。大和魂であり、大和撫子だった。それは何か。身心清浄及び正直を以て旨とする本来日本純粋精神だった。それは武士道として結実していた。故に武士道は死ぬことと見つけたりであり、武士は食わねど高楊枝だった。事態収拾のためにはハラも切れた。自分に自信はあったからである。故に武士の情けとしての介錯もあった。しかし西洋に飲み込まれた。明治も西洋化こそ文明開化と思った。その文脈で愚かな大戦までした。大義名分はなかった。故に神風は吹かなかった。そして戦場となった國々、相手国、自国に多大な犠牲を払った。申し訳ないことだった。近代戦争の無益不毛を学んだ。原爆は根絶やしの思想だった。殺戮でしかなかった。そして平和を知った。民主主義と自由平等を得た。女性解放もあった。基本的人権も学んだ。そして平和主義憲法はプログラムだった。それは政府の努力目標ではない。歴史的選択及び決定だった。そして今、日本の使命がある。それは何か。世界が血を流さずに平和を手にすることである。その理念もある。何処にあるのか。探すしかない。彼は戦っていた。何と戦っていたのだろう。仮想敵国とではなかった。最終最後最大の敵と戦っていた。それは自分自身だった。やがて最終決戦が来る。古来大和は負け戦はしない。彼も勝利しなければならなかった。準備万端、その時が来た。そして自分自身を倒した。それは勇気を要する。八岐大蛇は退治された。そして新しい時代を開いたか。最終最後最大の敵は自分だった。これから誰もがそれをしなければならないのだろうか。その必要はない。彼が既に倒した。それを受容すればいいという。何をいっているのだろうね。しかし彼は気づいているようだ。何に気づいているのだろう。それも秘密だという。知る人は知っているという。さて、彼は証明してしまった。何を証明したのだろう。神国日本であるか。大義名分、神風の吹く。征夷大将軍の成立要件である。何故義経は討伐されたのか。征夷大将軍は頼朝だった。義経がいなくても、源氏が勝っていた。最終最後最大の敵は自分自身だった。これを倒して何があったのか。祝福だった。如来が御手で頭を撫でた。それもあるのだった。もう、いいね。がんばったね。未来が救われたのかも知れない。彼はいった。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。これで終止符だね。戦後及び明治は仇だと云った。そうだったのかも知れない。しかし、今となってはそれも消え失せた。彼は云った。本来日本を取り戻す。この道、成就するであろうか。この表現はかつてもあった。すると浄瑠璃で娘道成寺だったろうか、NHK-FMから流れるのだった。月の砂漠もそうだった。ウィンザーの陽気な女房たちもそうだった。不思議な人生があった。彼と恋人関係にあった彼女たちは気づいていたのだったろうか。彼は気づいていなかった。過程だった。その後、かつての彼女は云った。長い冬でしたね。寒くはなかったですか。亦、もう一人のかつての彼女は云った。それで、自殺なんて考えなかったの。彼女たちは凡人だと云った。彼も自分は凡人だと思っていた。そこに不幸があったのだったか。今となってはどうでも良い。それが戦後だった。そしてどうなったか。思い違い・勘違いがあった。浮かれた世間があった。そしてどうしようもなくなった。自分たちのしてきたことが、意味不明となった。制御できなくなった。無理もない。間違っていた。彼は云う。本来日本に帰ろう。新しい時代となった。無事継受。本来日本。秘密とは何だったのか。その属性のない者には永遠にわからないのかも知れない。それにしては勝手が過ぎた。その属性のある者たちは待っていた。何時か私の時代が来る、とはマーラーだった。彼は今、不安も恐怖もない。本当であるらしい。自信を回復したという。時が来なければわからなかった。あるいは待たねばならなかった。その時が来た。それだけの事である。彼は発露した。胸の奥にあるわだかまりだった。故に解けて消え失せた。『山椒魚』の末尾は削られている。それは何だったか。もう、恨んでなんかいないよ。幸せはある。永遠はある。それは試練を通る。悲しみを尽くして喜びが満ちてくる。ベートーベンもそうだった。探していたのはそれだった。彼は見つけたのか。もはや謎である。何もかも祝福されたのか。十九の春も。終止符である。そして今日を以て始まる。過去・未来亦は見、亦は供養し、亦は歓喜せ令む。彼は云っていた。愚弄無視破壊し、裏切った。そして粗末にした。それでどうにもならなくなった。何を云いたかったのだろうね。それは天に通じたようである。それが彼の成就だった。そして彼の不平不満は吹き飛んだ。もはや何もない。その必要もない。世界は開かれた。未来へ。彼の仕事だったのか。あるいは使命だったのか。宿命であるか。法華経の名宛人は爾としての神あるいは菩薩だった。故にその属性のない方々のあらゆる解釈が足りない。それにしては厳しい現実である。そうしたものである。どんな富豪もそれは最後に至る。それまではあらゆる苦難がある。彼の夢は実現した。既に取り戻したと云う。何を取り戻したのだろうね。彼自身だった。彼は云った。諦めないでね。夢は叶う。ビジョンを描こうね。自分に負けないでね。明確な意識こそすべてだよ。持って生まれた自分を信じることだ。子孫を護るのは祖先である。しばらく何が蔓延ったのか。それも時代だった。やがてわかる時が来る。その時は遅い。そして始まる。新しい時代である。楽しもうね。それで良い。未来は開かれた。彼は約束を果たした。彼は云う。刃向かってみるが良い。黄泉が成敗する。天地天命自然守護絶対不壊。高校時代の友達は云った。彼は原爆だ。決着。

空海も見た原風景 西の高野山 呉市野呂山頂より

2009年01月04日
【謎】
謎は解かれた。それは何だったのか。云えば不遜であるという。云う必要はないだろう。しかしそれはある。事実だった。そして彼は自覚した。何を自覚したのだろうね。云うに云えない。そうした秘密がある。生まれた時からそうだった。そのような馬鹿げたことがあるだろうか。ある。それは何だろうね。そして彼はそれを引き受けたらしい。どういうことだろう。日本は大丈夫だよと云っていた。古来大和の秘密があるらしい。知る人は知っているという。おそらく諸仏も知っているだろうとのことだった。しかし彼の現実は厳しいらしい。その理由も気づいているという。これからどうするのだろうね。それも構わないといっていた。彼には彼の信じる道があるらしい。本来日本を取り戻すという。既に始まっているという。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずは福沢諭吉だった。それで皆おしなべて平等かと思われた。そう思った方々が支配した。彼らは本来の諸価値を知らなかった。人の上に天があることを知らない方々だった。そしてどうなったか。見ての通りである。本来日本はどういう國だったのか。神國だった。しばらく無神論者の支配する國だった。テレビ界及び芸能界がそれだった。そして殺伐とした國となってしまった。取り戻すべきは何か。鎮守の森に秩序がある。樫の木が支配する。その下に灌木があって、草花がある。動物もいて、鳥もいる。微生物もいる。生命体はどのように進化したのだったか。忘れていたモノがある。これほど腐敗したからにはその理由がある。それは何だったのか。どうして秩序を失ったのか。馬鹿になることが幸せであるという。学校の勉強は社会に出て役に立たないという。誰が言い始めたか。今後一切、いわせない。ちょいワルなどと、勝手が過ぎた。カンニングで世に出て閥を成した。腐敗の責任はとっていただく。本来大和が何時までも黙っていない。彼は繰り返し云っていた。さて、仏法は王法に合し、王法は仏法に瞑した。この真意、ほとんどの方は知り得ない。彼が本気で思念すればどうなるか。太陽が輝く。彼が涙すればどうなるか。雨が慰む。

2009年01月03日
【胡蝶の夢】
仏法では三悪を云う。貪ること、怒ること、そして知らないこと。分を超えんとして超えることが出来ない悲しみに気づいたのは、小林秀雄氏も晩年になってからだった。大江健三郎氏以下日本文壇の総懺悔も確かにあった。そして例えば2003年、 今井美樹さんは確かに安らぎの世界に至っていた。真実真理とは何だったのか。知る時が来る。そのために必要だったのが、愛と平和だった。そして豊かな暮らしがある。それはお金ではなかった。古来日本はそれを知っていた。私達は戦後、何をしてきたのだろう。そして何をしているのだろう。過去がある。それは良い意味でもある。それを一切壊してしまった。これから再建だね。テレビ界及び芸能界が壊したモノがある。思い違い、勘違いがある。大反省の頃となった。本来日本はどういう國だったか。神国だった。神は死んだといったのはニーチェだった。確かに殺したね。それが明治だった。だけど種は遺されていた。何時か芽吹く。頼朝は伊豆に流されていた。探していたのはそれだった。

2009年01月01日
【あけましておめでとうございます】
本年もどうぞよろしくお願いいたします。皆様にとって、実り多き、明るい日々の、すばらしい一年でありますように。身心清浄と正直を旨とする本来日本を取り戻して、一部の利益のためではなく、それぞれの皆の幸せを実現しましょう。それが公平というモノですね。カンニングと嘘、そして暴力からの脱却です。本来の自分と現実とのギャップが不幸です。それを看過していたのは何だったのでしょうね。嘘と暴力、そしてデタラメでした。見聞によれば、国政選挙の実体も皆さんの知らないところで、その例外ではありません。これを徹底的に払拭して、誰もが納得し、満足できる一年にしましょうね。大切にするべきモノを大切にしましょうね。くれぐれも笑いものにしないように。怖いですよ。何かが目覚めています。それでは改めて、よい一年となりますように。しましょうね。

【子供たちへ 石井桃子 行年101歳】
子供の時代を十分に楽しんでください 大人になって 老人になってからも あなたを支えてくれるのは 子供の時代のあなただから

信を以て入ることが出来る。しかし信じられませんね。何故でしょうね。現実にそれがないからですね。それはないのでしょうか。あれば信じることが出来ます。それはあります。ないのにあると思い、あるのにないと思っていませんか。本来不安はありません。それは過去の不安です。フロイトもユングも過去の病です。そうしたものはありません。空のように。私達は幸せへ向けて旅しているのです。過去から未来へ。永遠というモノはあります。それが愛であり、希望です。それを失わないでね。アンネもそれで生き抜くことが出来ました。夜の霧も何時か晴れます。そして辿り着くのです。その時、わかります。諦めないでね。たとえば、今井美樹の微笑みは真実に至っていますね。ミュージックを通って。それが人生の醍醐味ですね。それが道元にとっては現成公案でした。