2009年03月31日
【日常に帰る】
思索の旅は終わったようである。十分な成果があった。主体性の確立とでもいうべきだったのだろう。自由を得たようだ。やっと探していた自分自身と出逢えた。長い旅だった。あるいは冬だった。しばらくバランスを欠いて日常が疎かになっていた。日常に帰ろう。これより始めてハッピーライフとする。もうこれで良いんだと思う。思索すべきは思索した。多くの宝を持ち帰った。換金する頃だね。生まれた意味は確認した。そして使命は果たしたと自負する。この世は素晴らしい人生だった。悔いはない。平和に感謝する。乾杯しよう。大成功となった。この世の知性の勝利を宣言する。謎は解いた。愛とは何だったのか。自分のためにしない。あらゆる自己利益追求主義は失敗に帰した。潜在意識にとって主語はない。述語が動く。故に他の幸せを祝福しよう。他の夢の実現のために心からサポートしよう。宇宙にとって精神も物質も同じだった。故にしばらく支配した物質主義は終わった。それは自然及び諸価値を破壊して顧みなかった。持ち帰った宝がある。因って愚かさと野蛮より脱する。日本精神骨抜き占領政策に乗じて衆愚を煽り富と成した方々の支配は終わった。本来日本は滅し給わず。これより復活する。これを以て代々の務めとする。故に日常に帰る。


2009年03月30日
【日々が輝き始めた】
日々が輝き始めた。今までにもそれは感じていた。何を感じていたのだろうね。Airからのメッセージだった。それは導きだった。日々が輝き始めた。合流を果たしたのだろうか。あるいは歩みきったのだろうか。迷いは晴れた。随分と歩んだことだった。辿り着いたのだろうか。あるいは帰って来たか。伝えるべき世界に。今日は殊の外晴れ渡った。己の魂と宇宙はリンクしている。一つの鍵がある。自由とは何だったのだろう。過去からの自分の解放だった。それはある。この素晴らしい世界に大空を舞う。あるいは大地を掴んで闊歩する。天下無敵である。表現するが良い。All is good ! 人生は素晴らしい。伝えるべき事がある。本来神国愛の園ジパング。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本。身心清浄及び正直を以て旨とする。


【ハッピーライフを祝福しよう】
ハッピーライフを実現しよう。それはあるのです。ハッピーライフを祝福しましょう。あなたにもそれが訪れます。悲しさとか辛さとかもあるけれど、何時かそれらを解決してその先は、ハッピーライフの始まりです。空は青く輝いて、あなたは光の中にいるのです。これからは誰もがハッピーライフです。新しい時代が開けました。笑顔が自然で良いですね。何か善いことがありそうですね。潜在意識にとって主語は関係ありません。述語が動きます。それが本音です。だから、あらゆるハッピーライフを祝福しましょう。何事も理由があります。原因があります。宇宙から観れば、物質も精神も同じです。だからハッピーライフを祝福しましょう。明るい笑顔で。夢を描きましょう。夢は実現します。ダビンチもそうでした。ダビンチの夢は時代の夢でした。思考は現実化します。宇宙にとって物質も精神も同じだったのです。現代素粒子理論がそれを裏付けています。かつて王侯貴族の自由が庶民に開放されました。これを以て庶民の解放です。庶民の解放は市民解放、奴隷解放、女性解放の次にやってくるのでした。それは旧約聖書に秘められていました。さらに400年周期説も秘められていました。故にカルバン以降金銭至上主義が克服されるのです。新しい時代です。庶民とは善良な市民でした。故に欺罔及びバイオレンス並びに愚かさ及び野蛮を廃するのです。日本国憲法は歴史的所産であり、時代の決意表明でした。それは亦プログラム規定でした。中国の首脳はいいました。戦後処理の問題は次世代が解決する。故に時は来たのです。謎は解かれました。江戸無血開城がありました。市民革命は名誉革命となりました。次なる夢は何でしょうか。平和な世の中での庶民のハッピーライフです。自分のためにしない。それが愛だったのです。殺戮の世は去ります。日本はヒロシマにより平和を学びました。現代戦争の無価値を知ったのです。新しい時代のテーマは何でしょうか。流血なくして平和を勝ちとる。自己利益追求は自然環境及び諸価値を破壊して顧みませんでした。新しい時代へシフトします。大航海時代の頃には地中海より始まった世界は無限でした。しかし既に世界は有限です。そして今、世界は宇宙となりました。それは見えない世界を含みます。それは魂の世界であり、内面の世界です。此処に大鉱脈があるのです。資源は無限です。無限の智慧の宝蔵である宇宙とアクセスすることにより幸せを見つけることが出来ます。黄金の國ジパング。今も昔も変わりはしないのです。21世紀はこころの時代といわれて久しいですね。dig it ! 掘るべきは此処です。21世紀こころの大地は無事開かれました。


【この世の生】
この世は魂の遍歴の一齣である。それが百代の過客だった。この世に生まれて何を求めていたのだったか。前世がある。その続きである。前世での失敗がある。それをトレースしなければならない。そして修正する。それが試練となる。それをしない限り、この世の生はない。浮かれた時代の中で、何を求めていたのだったか。知るべき時が来た。彼にとっては、真実の探求とその確定だったか。既に才能は賦与されていた。故に試練は大きかった。それぞれに試練はある。それを乗り越える。乗り越えることは出来る。時を要することもある。彼にとっては三十有余年を要した。それほどの平安が必要であったのか。そして現実が見えて来る。それは何だったか。そして今、何が蔓延ったか。彼の使命があった。それは何だったのか。確認するべき時が来たのだろう。何をやりたかったのか。それが何時までも明らかにならなかった。故に探していた。それが学問であったりもした。そして、いつの間にか経済的にどうにもならなくなっていた。どうしてだったのだろう。その理由が欲しかった。思えば膨大な難問を抱えていたようだ。いつか解かねばならなかった。そして解いたのだろうか。解いたのかも知れない。それは何だったのか。既に記した。そして何もかもゆるせるようになった。何があっても良い。他をゆるすとき、自分もゆるされる。それが自由だった。自由となって表現するとき、すべて亨る。その不思議を知った。試練はある。苦難を乗り越えて自由がある。そしてこの世の生が始まる。他を批判するとする。是非の人は是非の人であるといわれる。どういうことだったのだろう。潜在意識というものがあって、潜在意識にとって主語は関係ない。述語が動く。それが本音となる。本音が実現する。この世はこころが現実化している。宇宙にとって物質も精神も同じだった。ここに悪念の恐ろしさがある。不幸の原因となる。これに対して、幸せがある。すべてこころのあり方が実現していた。これを理解すれば、誰も恨めない。幸も不幸も自分自身の問題だった。これがこの世の謎であった。これで幸せになれるね。未来は明るい。明るく、楽しく生きてゆこう。それは出来る。既に気づいた方々も多くいる。そして幸せになっている。それは豊かさだった。こころが経済的豊かさを倦む。至り得て新しい世界との出逢いがある。幸せになろうね。不幸の原因は何だったのだろう。それは相手を傷つけていたことだった。知らない間に。傷ついた相手は怨んだりする。妬むのもそれだった。そして何時か仕返しがある。動植物だって魂がある。それを傷つけてきた。それが人間としての思い上がりであり、勘違いだった。あるいは勝手だった。そして恨みや妬みは世代を超えて仕返しに来る。そうしたことがあるのだった。過去からの仕返しには勝てない。それも法則だった。それでどうするのか。仏は供養することを説く。供養とは相手が一番喜ぶことをすることだという。過去の罪があって、その相手に対しては謝るしかない。それは相手の気持ちを全面的に聞いてあげることだった。相手は聞いて欲しい。わかって欲しい。そしてそれを受け止める。それが愛だった。それがやさしさだった。誰もが悲しい過去を通ってきている。それを乗り越える。それがこの世の生だった。これに気づく。気づいた時が始まりである。禅では菩提心を起こしたときに、既に菩提に至っているという。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を見る。上の句と下の句がある。下の句を知らない。それで幸せになれない。本来人間は幸せだった。どうして不幸になったのだろうね。原因がある。それが明らかとなれば、解決がある。この人生は素晴らしい。感謝して生きていこうね。すべてを大切にしよう。必ず幸せになれる。学ぶべきはそれだった。喜びが来るよ。嬉しさでいっぱいになる。鈴木大拙氏は書いていた。本当に解ると元気と不障害になる。それがやさしさだった。強いが故のやさしさがある。野蛮ではない。愚かではない。自分のためにしない。それが愛だった。この世の生は幸せである。過去からの失敗をいくつかの修正をしてこの世に実現する。そういうことになっていた。この世はメッセージに満ちている。自分に素直になることで聞こえてくる。見えてくる。お金では買えないものがある。愛もそうだった。尊敬もそうだった。愛され、尊敬され、感謝されて生きていくことが出来るなら、それが本当の幸せだった。この世の生で目指すべきはそれだった。この世は魂の遍歴の一部だった。やがて帰る。そして再び生まれてくる。この世の生で来世が決まる。疎かに出来ないものがある。腐敗堕落すれば、来世は腐敗堕落から始まる。怠惰な自分があった。これからでも遅くない。取り戻そう。本来の自分の求めていたものがある。それは何か。この世に生まれた意味がある。この世の生を楽しもう。さて、此処に至って人生が何だったのか見えてきたようです。何を求めていたのだったか。どうするべきだったのか。失った歳月があります。取り戻すことは出来ません。それはそれで過程でした。気づけばいいのです。その時から始まります。勉学も必要です。教育は必要です。そして自分を知るのです。それを受け止める。それができない理由もありました。それだけの試練もありました。十九の春はとても受容できるものではありませんでした。人生を諦めるしかなかったのです。それほど酷な出来事がありました。しかしそれも試練でした。故に至ることが出来たのでしょう。今となっては何もかも感謝です。ありがとうございました。ところで彼が背負った試練とは何だったのだろうね。今頃になって明らかになった。それはとても悲しい出来事だったらしい。世に密やかに咲くしかなかったという。しかしそれも出来なくなったという。時は来たのだろうか。それは何だったのか。彼は隠していた。何を隠していたのだろうね。乗り越えることが出来たのだろうか。彼はつぶやいた。何と戦っていたのかを。誰も知らなかった。故に餌食にされたのか。自信を失っていたのだったか。どれほどの辛さだったのだろうね。よく堪えたね。彼は笑った。自分を受け入れることで自由となる。そして表現するとき、妙音を奏でる。何も怖れることはない。真実を知るからだった。この世の生は見えているか見えていないかのどちらかである。知ることで至る幸せがある。彼の悲しみが透明な悲しみとなるまでに三十有余年を要した。この世で解決はないと思われた。それが試練だった。その間、人生は無駄に過ぎたと見えた。そうでもなかった。古来大和の秘密がある。相手があれば必ず受容し、克服凌駕する。それを確かめることになった。そして不思議な体験がいくつかあった。大風も制御したという。あるいは雷も故に落ちたという。本当だろうか。本当だったのかも知れない。そして彼こそ秘密だったという。どういうことだろうね。それが一休髑髏だった。彼は見つけたのだろうか。何を見つけたのだろうね。もはや謎となった。失った歳月は戻らない。恰好の餌食だった。しかしそれ故にあらゆる物語の謎を解いたという。本来能力lは賦与されていた。しかし埋没した。彼には使命があったのだろうか。それを果たしたのだろうか。彼はいう。日本は大丈夫だよ。空はとても明るく青く晴れ渡っていた。彼は微笑んだ。彼は見つけたのかも知れない。本当の幸せの形と救われる道があることを。彼の経験のすべてが意味を持ったのだろう。秘密の鍵を手に入れたのだろうか。彼の生とは何だったのだろうか。彼はつぶやいた。バカになることが幸せではない。お金だけでは解決できないものがある。400年来重商主義パラダイムが終演した。終わりは終わりではなく亦始まりである。彼はこの世の生に感謝した。日月照らし、風が吹いた。彼の生は何だったのか。失われた何か大切なものがテーマだった。四聖、何するものぞ。最高の真実真理を求めていたのだろうか。そしてそれは何だったろう。神仏の実在とその邂逅だといっていた。彼はそれを確かめたのだろうか。そうかも知れない。彼の使命はそこにあったのだろうか。そして彼はいった。地上ヘブン=世界に合流する。自分とは何者だったのか。それが禅の要諦だった。日本国憲法は歴史的所産であり、人類の決意表明であった。故にプログラム規定だった。国民主権及び平和主義。確定実現の頃である。


2009年03月29日
【芸術性の確認】
芸術家は何をもって芸術とするか。それは己の内面に徹して真実を観る。あるいは聞く。そしてそれを表現せんとする。因って作家の感慨は自分が書くのではなく、何か大いなるものに書かされていると感じるとする。あらゆるミュージックもそうである。だから、いやがうえにも己自身の表現となる。隠せはしない。拙きは芸術ではない。だれもが己を表現できるものではない。魂を見つめ、魂と格闘することを要する。ここをP・ヴァレリィは「深淵をのぞき込んではならない。深淵に飲み込まれてしまうから」と書いた。これに対して吉田健一氏は深淵をのぞき込んではならないなどというのは、「地獄を知らないからである」と書いた。芸術は激しい感情を要する。それを制御して作品行動となる。表現は己の解放だった。自由を得て表現行為となる。過去の自分からの自由である。何をしても良い。しかし社会契約はある。それが前提である。それを破れば淘汰される。所詮人の世である。己が自由となって表現がある。より高きを目指す。そして秩序となる。何の秩序であったか。精神の秩序だった。それを成すには時を要する。己との戦いがある。試練がある。その過程を芸術とすることがある。精神を獲得して芸術とすることもある。何れにしても人間の求めているものがある。それを追求する。経済行為だけが目的となると腐敗する。芸術は人間性の追求と確認だった。そのまま人類あるいは生命体としての進化傾向だった。その表現だった。芸術は浮かれた世間を土壌として咲く。故に憧れとなる。安易な芸術は芸術ではない。幸福論もその例外ではない。衆愚を煽って利益とするテレビ界などもってのほかである。占領政策に乗じての成金セレブ及びスノッブのしばらくの勝手、これより通らない。芸術は精神を獲得した。孤独な戦いを制した。しばらく眠らされていた本来日本精神を確認した。これより復活せしめる。天は祝福し、地は喜んでいる。失われた何か大切なものがあった。それは何だったのか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密があるという。花は何処へ。種は遺されていた。ショービジネスが芸術ではない。精神のない歌は芸術ではない。芸術とは何だったか。真実を前に感動の涙がある。芸術とは真実だった。真実とは何だったのか。裏切りではない。欺罔でもバイオレンスでもない。誰もが気づく頃となった。何故か。芸術は愚かではない。野蛮でもない。企業ビジネスに都合の良いだけの要領の良さが人格ではない。しばらく重商主義だった。反省の頃である。経済効果だけにとらわれ、知性に対するバランスを欠いたマスコミメディアの罪がある。何を成功としたのか。どのレベルでのことだったのか。これより芸術性の時代となる。感性と知性の合一が芸術性だった。そして究極の自由を観る。しかし真実とは何だったのか。神仏の実在だった。芸術家が自殺する。何故か。本来苦しむことが真実ではない。人間は楽しく明るく生きてゆけるはずだった。何時かそれを見失った。芸術家も思い上がりがある。神仏に対する謙虚さがなかった。きれい事を表現して、内面の解決をしていない。魂を扱いながら、魂の本質を知らない。悪魔と善魔がいる。苦悩あるいは腐敗こそ人間性だと思っている芸術家がいる。芸術性も進化する。何が真実だったのか。人間としての思い上がりがある。それが不幸の原因だった。解決するべきものがある。それは何だったのか。新しい時代の芸術性の確認を要する。これからの芸術家の課題である。 何かを疎かにしていた。そして浮かれていた。すべてを生かすことを考える。それは自分のためにしないことだった。相手を傷つけていた。本人はそれと気づかずに。いい加減な人生は人生ではない。自分も含めて反省する頃となった。知らなかったのだ。因縁はある。諸精霊はいる。粗末にしていたのはそれに対してだった。恨みと妬みがある。それが原因だった。申し訳なかった。悔い改める頃である。古来日本は知っていた。何時の頃より見失ったのだろう。何時か不幸になる。芸術性も確認及び解決するべきはそれだった。時は来たようである。積年のテーマは何だったか。『強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない』マーロウ)。強さを忘れていた。何故だったのか。自信を失った。十九の春の原因がある。それは何だったのか。生まれた環境だった。それで苦しんだ。しかし社会のせいにしてはいけない。人のせいにしてはいけない。何故なのか解らなかった。どうしてなのか。何時かそれも解決する。それは過去の自分が原因だった。それを因縁という。これは解らない。納得出来ない。『人間自ら出づることあたわず』とはこれだった。そして『唯善業の因縁より出でたり』の下の句がある。此処に至って解決がある。それが修行だった。次にやさしさとは何だったか。人間は一人では生きてゆけない。人生の意味はない。愛である。愛とは与えることだった。与えることをすれば、与えて貰える。これが愛し合うということだった。まどろんで夢を見た。どのような夢だったのか。光が射す夢である。何かを倒さねばならない。強さを失っていた。それを取り戻す。戦うべきは何だったのか。自分自身の内面に住む魔だった。これは手強い。気づけないからである。そしてその魔は魔を呼ぶ。その正体は恨みであり、妬みだった。それはあるのだった。そして貶められる。恰好の餌食となる。それと戦う。そして勝利する。求めていたものは何だったか。好ましい人間関係だった。それはある。幸せ世界である。最終最後最大の敵は自分自身だった。それを倒して未来は明るい。絶対の大丈夫となる。絶対はある。それが真実であり、神仏だった。此処に本来日本の芸術性を確認する。自分が自分となって自分を表現する。それが芸術だった。その時、自分はかつての自分ではない。自由。freedom。やがて芸術行為は何処に至るのか。安易な成功が芸術ではない。真実へ至る。幾多の紆余曲折がある。その中で、何を己の求めていたものとするのか。腐敗であるか。退廃であるか。それが自由であるか。政治、教育、宗教からの自由をいう。それらを通ってのことであるか。幸せはある。それは何だったか。芸術行為が人間性の限りない追求であるとする時、果たしてその方向性は正しかったのか。単なる薬物中毒から来る逃避の中での表現が芸術ではなかったことは確かである。パステルカラーの幸せがある。愚かでは至れない。野蛮に墜堕する。民はそれを自由と勘違いする。何が幸せだったのか。答えはある。

【この世は対の世】
この世に生まれて好きなことをして生きていく。それでいいと思われてきました。彼は何をしたかったのでしょうか。真実の探求だったようです。それを見つけたのかも知れません。それは幸せ世界への合流でした。ある本にお金は注いだ自己エネルギーの対価とありました。故に自分に素直になって好きなことをして生きていく。憂いなく、不安なく、明るく、楽しく生きていく。ありがとうの言葉に乗って。幸せになるために生まれた。過去からの約束。少しの修正をして。そして明るく、楽しく生きていく。豊かな日々の暮らし。この世に生まれてこの世は対の世。男がいて女がいる。どこかで待っている人がいる。二人は生まれ合わせている。だけど仇が先に来る。本当の人はいる。出逢いたいね。そのために準備する。それまでが青春だった。その時が来る。誰もがシンデレラと王子。知らない人が否定する。この世は対の世。少しの修正を要する。この世は対の世。それはないと思っている。仇がいる。知らずに何処までも相手を傷つける。それは過去からの復讐だった。知らずにする。相手も辛い。どうするか。わかってあげる。そして心から謝る。愛を注ぐ。わかってあげることで、相手は成仏する。それはないと思っている。ある。そして相手がゆるしてくれる。それはなくなる。そして好ましい人が現れる。その人はいる。どうして不幸になるのだったのでしょうね。小さな癖から始まる。誰も知らなかった。そしてそれはないと思う。火宅。人間自ら出づることあたわず。悲しいね。

≪実際には、お金に執着して貧しい気持ちで仕事をとろうとする人ほど、お金のことばかりにこだわっている人ほど、ガツガツしている人ほど、その貧しさが災いして、良い仕事や、大きな報酬になる仕事や、価値ある仕事を遠ざけてしまうことになるのです。大きなお金は、豊かにそれをやりたいと思っている人のところめがけてやって来るのが、お金の魂の法則なのです。≫(ゴマ文庫、佳川奈未著『成功感性』p162)

生きていくことは、何処までも幸せを目指すことだった。貧しい精神から脱却することだった。既に人類の英知と技術がある。信頼に価する。かつて生命は硫化水素の海から始まった。多くの困難があった。そして生き残った。それは精神だった。愚かさと野蛮は滅ぶ。しばらく浮かれていた。何か大切なものを失っていた。不幸には不幸の原因がある。幸せになって良い。豊かさを追求して良い。それは物質的なものだけではなかった。身もこころも経済もだった。それを追求する。日本国憲法は歴史的所産だった。人類の決意表明だった。その中で幸福追求権は保障されている。何か間違っていた。失敗はあって良い。それより始まる。クレームの中に成功の秘密がある。それを乗り越える。克服凌駕する。限りなく進歩する。ゴールは何処か。神仏だったのだろうか。本当の出逢いはある。こころから甘えることが出来る人はいる。そのために必要だったのは何だったか。本来の自分に帰る。心構えの問題だった。夢を描こう。思考は現実化する。

≪成功する人は、自分が何かをやろうとする目的や夢を持ち、それを思い描き、そうすることを一度決心したら、途中経過で何があろうと、そんなに一喜一憂しないものです。なぜなら、成功するのに必要なすべての要素をクリアしてこそ、目的を達成させることを知っているので、たとえ途中で、何があっても、そこでそれらを、場面場面で解決していけばいいだけだとわかっているからです。≫(同p172)

≪難しく困難なことをやることで成功の道がつくれるのではなく、シンプルに考えてそれをあっさり実践する人が、最も早く確実に成功するのです。≫(同p177)

≪誰かの夢が誰かの夢をサポートしていて、不思議なつながりを見せるこの世のあり方に、本当に感動しました。≫(同p179)

この世は孤独ではなかった。仲間は既にいる。成功している人もいれば、これから夢を実現しようとしている人もいる。それがこの世は一人ではないということだった。この世は対である。あなたは何を求めていますか。自分のこころに素直になれば見えてくるものがあります。あなたは一人ではない。幸せになるために生まれてきたのです。しばらく悲しい現実がありましたね。環境の故だったのでしょうか。知らない世界があるのです。この世に不思議があります。それが物語の世界でした。小説は虚構です。あり得ない世界と思われます。そうではなかったのです。この世はすべてこころに思ったことが現実化しています。宇宙から観れば物質も精神も同じです。あなたは何を思っているのでしょうね。豊かさも幸せもそれは自分にはありえないと思っていませんか。それはあるのです。すべての物語がそれを語っていたのです。彼はいいました。二千年来の物語の謎は解かれた。彼だけではありません。誰もがそうして気づくのです。この世は対です。どのレベルの自分を目指していますか。この世はあなた次第です。ないと思う世界があるのです。あると思う不安と恐怖はないのです。過去の経験則から自由となることです。少しの修正をして幸せになりましょう。


2009年03月27日
【過去を捨て去る】
問題は解決したようだ。思うようにならない人生があるとしたら、その原因は何だったのだろう。偏に自分自身だった。それは人間性ともいえる。自分では気づけない。しかし何時かは気づかねばならない時が来る。それで良いのだった。これまで考えてきたこともひとつの過程だった。何もかも必要だったね。そして始まる。何が始まるのだろうね。新たなステージである。年齢は関係ない。気づいた時が始まりだ。限りなく自己改革だね。過去の経験則に縛られていては、何も解決しない。それらはきっぱりと捨て去ろう。そして始める。背水の陣となったね。そして今を生きる。あるいは瞬間の喜びをつなげていく。諦めてはいけない。自分はどうなりたいのか。そうなればいい。新しい時代である。生命体は限りなく進化する。これからだ。何事も自分次第だった。怠惰だった自分がいた。実体のない恐怖と不安があった。いいたいことをいえばいい。傷つくだけ傷つけばいい。評価するのは自分ではない。修正するべきは修正する。何時か夢は叶う。人生はそのように出来ている。今も昔も変わりはしない。ひとつのゴールがある。それは何だったのだろう。かつては神で語られていたことが、今は宇宙で語られている。それだけのことだった。神の大いなる目的があり、それに合致する時、人生は意味を持つといわれた。そして神と同じ七つの力が人間には賦与され、故に万物の霊長だった。それはある。そしてやがて何を知るのだろうね。天の祝福だった。それを生かされているといわれていた。これを知って、人生は楽しいね。簡単だね。何をしてもいい。思い煩わなければ。金持ちでもいい。貧しくてもいい。それで自己の充足があるのなら。何時か気づく。何時か辿り着く。そのために生まれている。過去を捨て去ることだ。そしてこの世の人生が始まる。みんな、自分が可愛い。傷つけないことである。恨みがある。妬みがある。過去よりそれがある。それには勝てない。過去の過ちがある。理解することだ。そして愛を以て迎えよう。きっと解ってくれる。理解と笑顔が大切だね。相手を傷つけないこと。それが自分のためにしないことだった。相手も自分もよくなるようにしよう。それが過去を捨て去るということだった。始めよう。未来は明るい。その智慧はすでにある。謙虚に学ぼうではないか。自由とは何だったのか。相手を傷つけなければ何をしても良い。それが社会契約だった。だれもが生きる意思を持っている。それを失わしめるものがある。その正体は何だったか。恨みだった。妬みだった。それが過去だった。過去を捨て去る。そして始まる。楽しい人生が待っている。これに気づいて、 take it easy!そして見守っている。あるいは導く。それが大いなる目的だった。神であり、仏だった。それが真実だった。祖先もいる。仏は滅し給わず。魂もそうである。自分に素直になろう。やりたいことをすれば良い。それから始まる。ラクに生きることが始まる。笑顔がやってくる。愚かあるいは野蛮な笑顔ではない。本当の自由が明らかとなった。合流。


2009年03月26日
【本日も晴天なり】
彼は知らなかった。何を知らなかったのだろうね。世間を知らなかった。そして気づいた。何に気づいたのだろう。そして思った。時代を変えたのかも知れない。あるいは合流だろうか。いずれにしても世界が変わった。これが「到り得て帰り来れば別事なし廬山煙雨淅江潮」だったのかも知れない。本日も晴天なり。何時か辿り着く。必ず至る。諦めないでね。あなたの夢は何ですか。実現してみたいですね。どのような壮大な夢も叶うのです。平和の故でした。限りなく生命は進化する。ゴールは何処だろうね。楽しい旅をしようね。それはあるのでした。愛の周波数がある。動植物及び岩石も喜ぶ。何もかも喜ばす時、幸せはやって来る。それはあるのでした。よかったですね。見つかりましたか。この世界は愛だった。何もかも失うかも知れない。過去など失って良いのだった。そして満ちてくるものがある。この世は素晴らしい。こころからそう思える瞬間が来る。天地自然の何もかもが祝福となる。過去の経験から自由となろう。それから始まる。好ましい人間関係が開ける。さようならは新しい始まりだった。勇気を出すべきは、さようならだった。さよならしなければ次のステージは始まらない。さようならには理由がある。それが言葉にならない左様ならだった。解くべき課題がある。それが左様の謎だった。あなたは何者だったのか。それが禅のテーマだった。取り組むべきはそれだった。この世に生まれた意味だった。それを解いて始まる人生がある。長い冬もある。それは青春だった。何時か解かねばならない。その時が来る。それが人生だった。そして解いた時、何を観るだろうね。真実だった。人生、亦楽しからず哉。この世に生まれて良かったね。みんな、幸せになろうね。本来不安はない。恐怖もない。ないのにあると思っている。あるのにないと思っている。かぐや姫は月に帰る。醜いアヒルの子は白鳥だった。だれもがそうだった。目覚めて広がる世界がある。そして合流する。悲しみよ、さようなら。チップス先生さようなら。何時か嵐はおだやかな世界となる。それが大人になるということだった。夢は何ですか。それは実現するのです。既に彼は証明してしまったのかも知れない。花は何処へ。それはもう咲かないのかと思われた。それで何かを見失っていた。彷徨った。しかし頼朝は伊豆に流されていた。本来大和に根絶やしはない。その種は遺されていた。花が咲いたのだろうか。日本は笑顔と元気を取り戻す。謎は彼だったのだろうか。そうだったのかも知れない。彼は何をしたのだろうね。何処かのスイッチを入れたのだろうか。探していたのはそれだったか。そうかも知れない。彼は何もいわない。涼やかに微笑んでいるだけである。もうこの世の務めは果たしたよ。未来は明るい。日本は大丈夫だよ。それだけだった。試練はあったという。彼にしか解けない謎があったという。彼は何を観たのだろう。本日もうららかほがらか晴天です。この世は明るく楽しく生きてゆける。それはある。彼は見つけたのだろうか。富も幸せも。永遠も。


2009年03月25日
【本当の幸せへの合流】
とても長い冬があったとか、孤独な月の砂漠といっていた頃がありました。そして今、本当の幸せへの合流というのです。どういうことなのでしょうか。物事の判断基準が定まったというのです。それを以て合流というらしいのです。これまでとは本の読み方も変わったようです。法華経の読み方にも法華転と転法華があります。これは仏典でもよく出てくる論理です。道元禅師の身心脱落脱落身心もそれだったのでしょうか。或いは鈴木大拙氏には即非の論理というのがありました。何れにしても彼にとって、新しい地平が開けたのかも知れません。彼の求めていたものが本当に見つかったのでしょうか。それは何だったのでしょうね。真実だったのかも知れません。彼は確かに何かを追求していました。かなり高度なレベルの現代成功理論のようです。そしてそれは合流だといっていました。既に至っていた先達に感謝しているとのことでした。これまで何を気にしていたのでしょうね。何もかも謎は解けたのでしょうか。もはや考える必要はなくなったらしいのです。そういうことってあるのですね。彼はいうのです。この世は素晴らしい。生きていて良かった。何とも清々しい表情で。あらゆる悩みはなくなったといいます。それは本来の自分を取り戻すことだったそうです。ところで、公私混同ということがあります。主人公ということがあります。不幸の原因は主体性がないことにより、他人の意見に惑わされることでした。さらにその原因は自信喪失による優柔不断でした。それで相手のいいなりになってボロボロになるのです。相手が悪いのではありません。本来の自分を見失って、自分に対して怠惰だったのです。この辺りから反省です。自分を取り戻して、冷静に対処すれば良いのです。そしてプライバシーの定義は、the right to let me be alone です。それは確立された自己です。そうした自己と自己とが出逢ってカップルとなれば、それもプライバシー世界であり、外界より保護されます。そしてその中で二人の幸福を追求するのです。ところが、この二人の認識或いは相性にギャップがあったとします。これが不幸の原因です。契約は相対する意思の合致ですが、プライバシー世界では合流です。相対するのではなく、むしろ合同行為というか、二人で同じ方向を目指して幸せを作ります。その時、外界からは保護保障されるのでした。その中が家庭であり、それは一国一城であり、それぞれの規律があって良いのです。その意味では、二人の意思の合致であり、外界に左右される必要はありません。その辺りが尚、外界からの影響を受けて、自由が制限されている場合があるようです。多くの不幸の原因となります。その中に不満があれば、例えばそれが不倫として現象し、やがては離婚ともなるのでした。熟年離婚も同じ論理なのでしょう。これも一朝一夕のことではなくて、それ故に深刻です。こうしたことから如何に日々、お互いが与え合っていたかということになります。或いはサービスし合っていたか。この辺りが微妙です。それが愛するということだったのです。なかなか難しい問題です。学校教育の及ばない所です。故に本当の幸せとは何だったのか、考える頃です。現代においてマッチした形で。二人の関係を何処から始めていくのか。その時、プライバシーということ及び主体的に生きるということが基底となります。そして目指すべきは幸せでした。何が幸せでしょうか。身と心が満足することでした。その為に何が必要なのでしょうか。自分の心に素直になって良いのです。どんなことでもゆるされる。それが幸せでした。相性の問題があります。理解を要します。これまでの自分を乗り越えて、自由となるのです。どのような形でしょうか。それぞれの問題です。何処までも自己責任です。そして甘え合える関係もあるのです。難しいですか。簡単です。過去からの経験に縛られる必要はないのです。だからといって、外界に迷惑を及ぼしてはならない。それが社会契約です。本当の民主主義を形成するには、その前に、本当の個人主義を確立する必要があるでしょう。そうしないと民主主義が単なる権力闘争の具となるでしょうね。自由主義の成熟の頃です。かつて王侯貴族のものだった自由が庶民に開放されたのです。これを以て庶民の解放でした。さて、日本は世界に合流します。それは幸せへの合流です。本当の幸せは何処にあったのでしょうか。この世の現実カップルにあったのでした。幸せは二人のためにです。幸せになりましょうね。なって良いのです。日本も進化しました。


2009年03月24日
【幸せの周波数】
自己開発とか自己実現とかあるけれど、それは何だったのでしょうか。本当の自分となって幸せがやってくる。それは幸せの周波数の開発でした。動植物及び岩石も喜ぶ周波数があります。それを愛といっていいし、仏の慈悲といっても良いのです。あるいはアガペだったでしょうか。その時、言葉はロゴスとなるのです。宇宙が反応します。それまでの自分を脱ぎ捨てて本当の愛を知るのです。その時、愛の周波数の中に存在しています。おだやかでやさしいシャワーを浴びているかのようです。あたたかい春の日ざしの中で幸せを感じるのです。物質的あるいは肉体的快楽は本当の幸せがあることを教えていたに過ぎません。そして彼はいいました。リラックスしていいんだよ。開発するべきは何だったのでしょうか。幸せでした。それは何だったのでしょうね。気づくことで至ります。何を気づくのだったのでしょうか。宇宙から観れば、物質と精神は同じです。そして本来完全無欠でした。何時しかそれを見失っていたのです。宇宙は無尽蔵の智慧としての情報とエネルギーの波動だったのです。幸せとは宇宙とリンクし、アクセスして知るのです。知ることで感じるのです。新しい幸せの世界が開けています。現代成功哲学は既に始まっています。やさしさの世界へ生命は進化します。何時までも野蛮ではありません。愚かでもありません。誰もがそれを自分のものとすることが出来ます。怠惰では至れません。いくつかの試練もあるでしょう。それを乗り越えて幸せがやって来ます。必ず幸せになれるのです。すべて経験は自分のこころのおきどころ次第だったのです。その意味で、困ったことになる原因は自分自身でした。社会でも他人でもありません。悪いのは自分だったのです。あの世はあります。見えない世界です。宇宙と魂はリンクしています。それを認めて、自分が変わります。そして世界が変わります。人間性は素質と環境より形成されます。朱に交われば赤くなります。君子は危うきに近寄るべきではありません。幸せ世界はあります。知らないことでそれはないと思っていませんか。始めましょう。真実真理はひとつです。それはあるのです。幸せの周波数があります。宇宙と一体となるのです。その時、すべてを知るでしょう。愛とは何だったのでしょうか。平和とは何だったのでしょうか。本来日本とは何だったのでしょう。武士道は野蛮ではありません。少なくとも根絶やしの精神ではありませんでした。何時か貶めましたね。何故でしょうね。それが敵討ちだったのでしょうか。何時までもそれは通りません。長い冬でした。随分と辱められました。しかし本来日本の本旨があります。身心清浄及び正直を以て旨とする精神です。物質的時代が限界に至りました。何故でしょうね。かつて大航海時代には世界は無限でした。今はどうでしょうか。それ故、南極条約もあるのです。既に知性は気づいています。そして宇宙を見る時代となりました。パスカルはいっています。人間は考える葦である。その葦を通して宇宙を見る。時代が追いついたのでしょうか。此処に来て知る頃となりました。生命は限りなく進化します。既に目指していたものがあります。それが明らかとなりました。自分のためにしない。それが愛し合うことでした。愛の周波数があります。それが幸せの周波数でした。物質から精神へ。こころの時代です。おだやかなあったかいシャワーを浴びているかのようです。幸せの空気があります。それが愛の空気でした。本来の自分になるのです。それは自分の心に素直になることでした。あなたのこころは今、何を求めていますか。それは実現します。その前に修行もあるのでしょうか。勉学もあるのでしょうか。教育の目的は何だったのでしょうね。それぞれが幸せに生きていく。その為に必要だったのは何だったのでしょう。何か一つ、誰よりも優れたものがあるから生まれてきたのです。それを以て、過去を乗り越え、この世で幸せになるのです。過去には反省があります。それをしないとこの世の人生は始まりません。しばらく何が蔓延ったのでしょうね。愚かさでした。バイオレンスでした。欺罔でした。往々にして人間はその傾向があるのです。何故でしょうね。それで生きてきた過去があるからです。しかしそれでは幸せにはなれなかった。不安がありますね。恐怖がありますね。疑惑があります。それらは本来ないのです。宇宙にそれがありますか。ないですね。幸せはあります。既に至り着いた方々もいます。素直に耳を傾けましょう。感謝が来ます。喜びが来ます。それはあります。その時、何を知るのでしょう。幸せでした。そして知ることから感じることへ。あらゆるミュージックがそれでした。幸せの周波数があります。開発するべきはそれでした。至るべきはそれでした。人生の目的もそれでした。この世に生まれた意味もそれでした。やがて富もやって来ます。世界はそのように出来ていたのです。自分次第でした。彼はいいました。幸せになろうね。なって良いんだよ。身と心で。リラックスしていいんだよ。

WBC優勝、おめでとうございます。良かったですね。それぞれ素晴らしい働きでした。そして私のホームページも完成しました。やりたかったことができました。始めて満足しています。ありがとうございました。新しい一歩を踏み出しました。 http://www.pc-kure.net/


【幸せとは】
人は一人では生きてゆけない。それは孤独であり、空しい。生きている意味がない。勉学は必要である。それは過去の経験則から自由となる自己改革でもあった。そして何処に至るのか。合流だった。『十牛図』がある。禅のテキストである。牛は理想だった。あるいは仏陀だった。それの存在に気づく。そして探す。それと格闘する。やがて手なずけて家に帰る。それから、絶対無が来る。それが悟りであり、第八図だった。第九図で自然の美しさを知る。それまでとは違った世界観を獲る。そして第十図となる。それは何だったのか。世間に帰って来る。すなわち合流だった。何処に合流するのだろうね。かぐや姫は月へ帰った。どうしてだったのか。本来の自分に気づいてのことだっただろう。それは醜いアヒルの子から自分が白鳥だったことに気づいたに等しい。そうした旅がある。人生の意味を知る旅だった。往々にして途中で諦める。それが大人だと思う。世間はその集合体だった。それを衆愚という。それでいいのかどうか。反省する頃となった。安易な成功者達がいた。青い鳥がいる。そうした旅がある。それが物語であり、クラシックだった。気づく頃となった。何時までも堕落が人生ではない。人生は旅である。孤独な月の砂漠だった。しかし何時か気づく。それからが人生だった。知らないことを以て否定する。それが地獄だった。あるいは過去の経験である。人類は限りなく進化する。既に英知と技術の蓄積がある。原爆は無価値だった。それで平和の意味を知った。現代戦争の選択は先進諸国家間ではなくなった。世界は平和を目指す。その中で日本は重要な使命がある。戦後処理は次世代に課せられていた。その意味が確定した。そして人々の暮らしがある。一部の幸せが幸せではない。恨みと妬みは帰って来る。何時までも無視出来ない。解決するべき問題がある。解決するべき時である。そして新しく出発する。人生は素晴らしい。人間は偉大である。未来は明るい。信じて進もうではないか。信じることで勇気も湧いてくる。この世に生まれて、どう生きるのか。学問は大切である。教育は必要である。何もかも腐敗化傾向である。どうしてだろうね。何か大切なものを失っていた。それは見つかった。本来日本の本懐も明らかとなった。このままでは滅びる。それに気づいていない。気づくべき頃となった。人類として試されているのだろう。何時までも自分本位の経済活動は通らない。何をして来たのだろうね。勘違いの成功論があった。反省するべき頃である。それらは明らかとなった。象牙の塔の中で権利の上に眠る者たちも同罪である。これより未来を目指す。自分のためにしない。それが愛だった。ラブ&ピースの意味が確定した。そして何をしても良い。自由である。幸せとは何だったのか。誰もが考える時を迎えた。愛し合うことだった。身と心で。自己利益追求主義は諸価値を破壊して顧みなかった。大航海時代は終わった。その頃、世界は無限だった。カルバン以降の重商主義が修正される。世界は既に有限である。物質的にね。世界は今、宇宙となった。それは見えない世界を含む。そして宇宙に智慧が無限にある。それとのアクセスこそ幸せへの道だった。精神世界は無限である。新たな世界がある。人類は幸せを目指す。資源は物質から精神或いはこころとなった。故に未来は明るい。幸せは近い。物質から精神へ。新しい時代である。こころの大地が開かれた。新たなゴールド・ラッシュである。フロンティアは何処か。現代成功哲学は既に始まっている。宇宙との交信となった。生命の進化傾向である。これに反する者たちは淘汰される。始めに淘汰されるのは嘘とバイオレンスである。時代は明らかにシフトした。大きなパラダイムの変換が起こっている。21世紀はこころの世紀といわれて久しい。その意味が明らかになりつつある。幸せとは何だったのか。身と心の充実だった。それは見える世界と見えない世界がどちらも幸せとなって幸せである。現代最新素粒子理論もそれを裏付けている。さて、過去からの因縁というものもあるという。悪業の因縁があって、人間自ら出づる事は出来ない。六道輪廻というものがあって、どうしても苦しい所に生まれ変わる。それより逃れるにはどうするか。別論である。思い違いがある。勘違いがある。やがて気づく時が来るだろう。既にその教えはある。知らないこと以て否定する。知る人はかぐや姫として月へ帰る。人類は限りなく幸せに向かう。野蛮より脱する。殺戮の時代は終わる。日本は平和を知っている。愛も明らかとなった。やがて世界に合流する。小さな権力闘争の時代ではない。戦後処理は次世代が解決する。何を選択するのか。試されていた。そして確定した。合格である。天が祝福し、黄泉も喜んでいる。日月照らし、風が吹く。孤独な試練があった。浮かれた時代の中で彼は探していた。何を探していたのだったか。それが務めだったという。風神、雷神。本来日本。それはある。世間は何をして来たのだ。勝手が過ぎた。これより通らず。


2009年03月23日
【幸せは来る】
何もかもが行き詰まったようだ。それをも楽しめるかどうか。すべては自分に正直になるためだったのかも知れない。それをこの世の成功法則と呼べる。何か勘違いしていた。何か思い違いがあった。環境のせいだったのだろうか。そうともいえる。素質もある。見える世界と見えない世界がある。そうした事があるってことに気づく時が来る。この世は本来素晴らしい。何の苦もなく生きてゆけるはずだった。それが何時の頃からだったろうか、出来なくなって久しい。これも試練だった。困ったことになってみなければわからないことがある。それでどうするのか。それも自分次第だった。何事も原因があり、何事も一朝一夕のことではない。そうした事にも気づけばいい。原因がわかれば解決がある。何処に原因があったのだろうね。自分自身だ。主体性を失って、優柔不断だった。あるいは迎合した。それは餌食になることだった。仇をとられたか。笑うしかない。いよいよ、これから本領発揮と参りましょう。本来、どのような自分になりたいのか。そのためにはどうすれば良いのだろうね。弱い自分がある。弱ければ負ける。そして人それぞれのカラーがある。それを見極める必要もあった。見えていなかった。見えることで、この世は素晴らしい。どうにでもなる。楽な境界もある。どのようにしてそこへ至るのか。人生すべて楽しめばいい。それも取り方次第だ。傾向を分析してその方向性を見定める。それが微分であり、方向感覚であり、羅針盤は自分のこころだね。困苦は脱却するしかない。それは出来る。さて、これからだね。この危機をいかに乗り切るか。腕の見せ所ともいえる。この世に法則がある。それは何だったのか。それに反すれば不幸になる。それに乗っかれば幸せが来る。それで良い。大切なことは、人生は孤独ではなかったということだ。この世で確かにつながっている。見えない世界でね。それを認めよう。それから始まる。すべてがメッセージとなるよ。情報は発信した所に集まる。それが手紙だったりもする。お化けのポストだね。思っているだけでは何も解決しない。解決への第一歩は行動することだった。相手の正体がわかる。こうしてブログを書くことも勇気を要する。それで良いのだった。この世は素晴らしい。必ず仲間はいる。この世で何時か巡り会える。それがこの世に生まれたゲームでもあった。しばらくは見つからない。足跡さえも。まるで『十牛図』。それを信じて、自分に素直になろう。嫌な所はあって良い。修正すればいい。それも表現しなければわからない。良い時代となりました。この時代を幸せに導くのか。それとも不幸にするのか。それも自分次第だった。潜在意識もある。シンクロニシティもある。『共同幻想論』というのもあった。始めようではないか。何時までも埋もれている必要はない。試練を要する。千尋の谷である。いいではないか。自信を持ってこの人生を思うとおりに生きればいい。何も怖れることはない。不安は本来無い。無いのにあると思うのが経験則だった。過去に縛られては何も出来ない。そして、何があっても大丈夫だよ。楽しく、明るく、今日を生きよう。明日はきっと輝くから。本来日本は知性の國だった。しばらく埋没していた。怠惰だったね。それでは生きられなくなった。それで良いのだった。何時までも餌食になる必要はない。自由だよ。知性の勝利である。これまでの衆愚テレビ文化は何だったのか。時は代わった。マーラーはいった。「何時か私の時代が来る」。この人生は無駄ではなかった。すべてが意味を持つ。それまでが試練だった。自分に正直になる。そして始まる。何が始まるのだろうね。しばらくは辛かったね。メッキは剥げる。真実は輝く。今も昔も変わりはしない。その時が来た。これからだよ。よく耐えたね。立派だったよ。最後に笑うものが一番よく笑う。今笑える人は幸いだね。何を以て笑うのだろうね。正直な努力を以て。それは代々の徳でもあった。何時か気づく。必ずその時が来る。古来日本の諸価値を破壊し、他者を貶めて笑いとし、衆愚の上に富と成した方々の没落の時が来た。そして本来日本が知性として復活する。幸せは来る。必ず来る。試練を通って。あらゆる謎が明らかとなって、それまでの艱難辛苦が実を結ぶ。そして生まれた意味を知る。生きていて良かったね。あなたの勝利だよ。苦節埋没三十有余年、無駄ではなかった。何を探していたのだったか。その旅は終えたようだ。彼は自覚した。何を自覚したのだろう。裏ジャックは表ジャックより強い。本来日本浮上。卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本。絶対の自信。見える世界と見えない世界がある。それはつながっている。自分を取りもどしてこの世の人生が始まる。思うように生きるが良い。時代は進化する。何時までもにせものは通らない。真実が顕れた時、それが明らかとなる。不安はない。恐怖もない。疑いもない。何故無いのか。生死を超える。どのようにして超えるのか。己を知れば良い。己とは何だったのか。大鏡。すべては準備されていた。自覚した時、この世は宝の山である。それが見えるか、見えないか。そのどちらかである。お金では買えないものがある。天の祝福である。勝敗は決した。人生ゲーム本来の目的は何だったのか。明らかとなった。彼はいう。真実とは神仏の実在とその邂逅だった。信じる信じないではない。事実である。知らないことを以て否定した。今もしている。そして勝手する。しかし既に真実の証明がある。どうしようもない。滅びるものは滅びる。この世に秩序がある。それは物質の秩序ではなかった。精神の秩序だった。しかし自覚するまではわからない。自覚して始まる。やがて気づく人は気づく。そして集う。類は類を以て集まる。自覚するまでは餌食である。それも自覚を促すためだった。そして始まる。この世は素晴らしい。唯、生きているだけで幸せと気づく。すべては足りていた。それが至福だった。本来の己を取りもどす。『青い鳥』である。何時までも『醜いアヒルの子』ではない。


2009年03月22日
【幸せについて】
好きで結婚して離婚する。何故だろうね。愛し合えるのは3年半だといわれて、その頃不倫がある。不倫は文化などと軽薄なタレントがいう。そしてそれが大人だと思われて、そして人生だと思わせた罪は重い。どうしてそのようなことになったのだろう。人は幸せになるために生まれている。過去に失敗があって、それは前世であったりする。何故か怖い。故に過去に縛られている。何が幸せだったのか。本来私たちは完全無欠だった。私たちは宇宙の一部である。地球の子である。道元はいう。魚は海に泳いで魚であり、鳥は空を飛んで鳥である。我々人間はこの地上に生きて人間である。そのように進化した。幸せを求めてのことだった。ところがどうだろうね。この度の金融工学レバレッジ理論で世界経済が大打撃を受けた。それは一つの価値でしかないものを重畳的に転々と流通させることで利益とした。日本でも土地を媒体とするバブルがあった。その間、得た利益は消費されている。気づいた時には損失の大穴だった。誰が埋めるのか。その間、それで利益した方々がいる。責任をとって無一文から始めてもいいだろう。亦、本来自然は美しかった。港は今、どのようであるか。油が浮いている。潮位は明らかに高くなっている。何故であるか。企業の経済行為だったのではないか。利益して損失は誰に転化しているのだろうね。公害の頃、企業は責任を否定した。資料は企業内にあって民訴法当事者主義に基づいて情報開示を拒否した。それで免疫学の考え方を使って、汚染口までは証明し、その先は証明責任の転換理論で企業に証明責任を負わせた。それで企業の公害責任が認められた。智慧であった。ところで企業はそれで利益した。その利益は消費された。しかし自然破壊はその後も進んだ。さらに今、障害者として生まれる子が多い。その時、産婦人科医の責任が問われる。それで産婦人科になる医者は少ない。裁判所の損害賠償責任判断傾向にも問題があるのかも知れない。医療行為以前に責任はないか。環境ホルモンの問題がある。この傾向を微分して人類に未来があるだろうか。このままでは辛い。しかし生命体はかつて硫化水素の海から生まれた。そしてその後、酸素を利用する方へ進化した。酸素は本来猛毒である。白血球の食菌作用も活性酸素である。それを必要としている。体内で浄化作用がある。それがストレスなどで機能しなくなると様々な病気の原因となる。ストレス多き社会となった。しかし生命体は無限に進化する。そこに救いがある。日々の思考と行為でDNAが書き換えられている。本来完全無欠だった。飛躍的進化が必要な時代となった。人間は考える葦として万物の霊長である。神に等しい七つの力が賦与されている。人間の力で解決していきなさいということであろう。パスカルは次にその葦を通して宇宙を見るという。宇宙を見る時代が来たのである。宇宙とは無限の智慧としての情報とエネルギーの波動だった。宇宙から見れば、人間の思考も物質も同じだった。あたかもコンピュータにとってプリンタもファイルであるように。原因がわかれば解決はある。目的が定まれば手段はいくらでもある。戦略と戦術である。これより人類は何処へ向かうのか。野蛮な殺戮による版図拡大の時代ではない。誰もが幸せを願っている。先進諸国間に戦争の選択はない。それが敗戦で学んだヒロシマの意味する所だった。現代戦争は紛争処理手段として無価値となった。同じ轍は踏めない。幸せとは何だったのか。何の苦もない日々の暮らしだった。それは富を含む。富は物質の代表としてのお金だけではない。精神的なものを含む。お金自体は善でも悪でもない。人間行為を介して善ともなれば悪ともなる。それが縁だった。さて幸せとは愛だった。愛とは何か。彼は動植物及び岩石も喜ぶ周波数であるという。それが仏の大慈悲だった。仏を前にすればすべて成仏する。それが仏だった。仏とは仏慧と大威神力を有する存在だった。人間となって既に500万年といわれる。その間の経験がある。成功もあれば失敗もある。悉く各細胞の中のD NAに蓄積されている。情報である。CPUとしての大脳皮質はその中からどれを選び、どのように処理するのだろう。目的は幸せである。愛である。愛とは何か。与えることだった。しかし人間は奪う動物である。そこに不幸の原因がある。すべて与えることで良い。それが仏だった。だれもがそれに徹することができるといい。物質だけではない。気持ちも与える。それが支えることであり、サービスだった。与える気持ちと奪う気持ちが五分五分であるのが普通の人間であろう。それが四分六となって悪へ傾く。悪のバケツがある。悪の滴りが一滴ずつ溜まる。溜まっている間はそれと気づかない。溢れ始めるとどうにもならない。仏とは何だったか。悪がない。奪うことがない。与えるのみである。それでは生きてゆけないと思う。それが人間の過去の経験に縛られて判断する業である。多くの失敗もあった。成功を知らない者は自分にはその可能性がないと思う。知れば良い。日々の実践が変わるだろう。愛することで愛される。与えることで与えられる。自分のためにしない。愛し合える。それが幸せである。何を与え合うのだろう。物質だけではない。気持ちを与える。愛し合える。日々の暮らしの中でプライバシーがある。日常生活は見える世界である。プライバシーは見えない世界である。この区別が出来ていない。それで妻は夫に対してどうしていたか。夫は妻に対してどうしていたか。浮気がある。不倫がある。離婚がある。結婚した当時にはそれはなかった。どうしてだったのか。見えない世界のプライバシーが疎かだった。徹底したサービスがなかった。そこに問題があった。前世にもそうした失敗があった。それを修正して、本当の幸せになって宇宙に帰る。そのために生まれた。プライバシーでこころから愛し合うということはどういうことだろう。そこに夫婦生活は重要な地位を占める。そのあたりで不満がある。話し合って追求すればいい。そこに幸せがあり、家族のために存在していることの意味を確認出来る。プライバシーの中にそれがなかったのではないか。同じ表現が芸術行為ともなるし、傾向犯としての犯罪ともなる。その区別が出来ていない。知らない者同士が傷をなめあっても何も解決しない。過去の経験を乗り越えて幸せはある。それは何だったのか。幸せになろう。なって良い。愛とは英語でLOVEである。テニスでラブゲームがある。相手に得点を与えない。如何にも残酷な勝ち方である。それを緩和した表現だろうか。何れにしても絶対無としてのゼロである。これを通る。そして愛を知るだろう。何をしても良い。自分に素直になって幸せである。それが正直というものだった。悪はなさない。社会に生きる存在として当然だった。何故だったのか。悪自体が悪いのではないのかも知れない。むしろちょいワルはモテる。何が悪いのか。相手を傷つける。それが恨みと妬みになる。そして自分に帰ってくる。それが怖い。復讐がある。必ずある。仇同士が結婚するということもあるという。そうして仇を討つという。怖いね。相性の問題がある。それを見極めることが出来るようになると良いね。彼はいった。見えているか、見えていないか。そのどちらかである。幸せとは何だったのか。愛し合うことだった。好きで結婚する。浮気がある。不倫がある。離婚する。何故だろうね。幸せはある。探そうよ。この世で実現したいね。そのために生まれて来た。過去の経験から自由になろう。その時、不安はない。恐怖もない。自信に満ちあふれている。元気である。決して負けない。仇に対してはどう対処するか。負けないことである。それは物理的強制力の行使によってではない。受け入れることである。理解してあげる。そうすれば解決がある。一人では生きてゆけない。生きている意味がない。穏やかさとやさしさを求めて進化している。強くなくては生きてゆけない。強いが故のやさしさがある。甘えて良い関係がある。本来日本はそれを知っていた。嘘とバイオレンスは滅びる。何か勘違いしている文化がある。克服するしかない。未来は明るい。人生は本来簡単である。難しくしているのは自分の過去の経験を基準としていることだった。故に学ぶ必要がある。教育も大切である。自分のためにしない。それですべて調う。新しい時代である。自己利益追求主義は終わった。双六ゲームがあった。あがりは何処か。京都だった。それは何を意味しているのだろうね。人生は日々の連続である。大切にするべきは瞬間である。この瞬間をどう生きるか。怠惰では逃す。大切なのは今日という日だった。過去の経験に縛られている。それより自由となって今日がある。今日を生きる。教えからも自由となる。それが『十牛図』第八『両忘』としての絶対無だった。教えの目的は解脱自由だった。その時、智慧が来る。それは宇宙だった。無尽蔵の智慧である。それにアクセスして幸せはある。すぐそばに。青い鳥である。愛し合おう。愛することとは自分のためにしないことだった。愛するだけで良い。愛されるだろう。熟年離婚もある。悲しいね。何故だろうね。不倫がある。浮気がある。離婚する。それを正当化しようとする理論がある。それが人生だと思う。大人だと思う。言い訳する。考えようとしない下級精神は滅びのテーマである。時代は愛する方へシフトする。そして幸せを目指す。人間は考える動物である。同時に感じる動物である。知性が復活しなければならない。状況打開のためである。目的は感じることである。愛である。幸せである。知性は手段である。夫婦生活の問題はとても重要である。何かが見失われている。幸せの条件が見えなくなっている。このままでは滅びる。考えなくてはならない時である。未来のために。刹那的な逃避に陥っていないか。幸せになろう。表層上の言葉表現に惑わされないことである。禅においては相手をほめる時には悪くいう。相手を責める場合にはほめる。抑下の卓上という。要はその人の発する周波数に秘密がある。それは声にある。だから法華経では臭いを聞(か)ぐという表現がある。相手が存在として好ましいかどうか。こころから快活であるかどうか。笑顔は悲しみの目をしていないか。幸せ色の空気がある。それを雰囲気といって良い。仇は何時か正体を現す。それを招いたのは自分であった。強く生きてゆきたいね。そしてやさしい人間関係を作っていきたいね。敵はいる。味方もいる。それを見極めることが出来るかどうか。幸せの条件の一つだね。与えることから始めよう。幸せは近い。知らずに相手を傷つけていた。それが妬みと恨みとなって自分に帰ってくる。悪舌したとする。宇宙は主語を認識しない。そのまま自分に実現する。本音が動く。不都合はすべて自分が蒔いた種だった。蒔いた種は刈り取れば良い。そして次に何の種を蒔くか。幸せと不幸は自分次第だった。この世をどう生き抜くか。天国も地獄もこの世にある。そして前世がある。来世がある。何時までも浮かれているわけにはいかない。猛反省の頃となった。何時も涼しい気持ちでいればいい。冷静な判断で切り抜ける。智慧は宇宙だった。魂は宇宙とリンクしている。私たちは幸せになるために生まれて来ている。


2009年03月21日
【到達そして始まる】

求めていたものは何だったか 世界だったのかも知れない

あるいは宇宙だったろうか 到達である そして合流する

何処にであるか すでに明らかとなった 世界である 宇宙である

輝くが良い 君たちの時代だ 一切の邪魔は倒した

これから真実の自由が開花する はじまりである

たとえば 強きが故のやさしさがある

こころのわだかまりが晴れて 静寂に至る 沈黙が訪れる

その時 すべてが明らかとなる

生きていてよかった 生まれてよかった

あなたは幸せになるために生まれてきた

思考からの自由 そして感じる日々が始まる

それで良いんだよ 幸せになろうね 何をしてもよい

自分に素直になることが出来るなら

到達 そして 始まる 何を選択するのか

人は一度に一人の人しか愛せない その人は現れる

時が至る そして始まる その前に到達がある

大金鉱脈発見 大水脈伏流 本来日本復活する 世界を愛する 

それはやって来る 自分を制し あらゆる束縛を解き放て 執着せず

あなたは自由を観た これより始まる 豊かな未来がある

精神の自由 精神の秩序 此処に確定する


【不確実性の時代から無限可能性の時代へ(おわり)】
かつて素粒子理論に関心があった頃の理解は、素粒子レベルまでいくと個々の粒子は不規則な運動をしていて、全体として一定の方向を向いているといった程度だった。この度日本の基礎物理学者がノーベル賞受賞されて、その理論は、それまでの4種類のクォークでは説明出来ないが6種類のクォークで説明出来る「対称性の破れ」だった。この「対称性の破れ」が面白いと思った。それはそのまま見えるものと見えないものとの説明となる。というのは、宇宙の始まりにおいて半分は何処かへ霧散してしまい、残りの半分で宇宙の物質は構成されていったという。宇宙は今、情報とエネルギーの波動であるといわれている。人間がこの世に進化してその特徴は大脳皮質で考えるということだった。考えることは目に見えないけれど、確かに存在している。そして宇宙から観ると、考えることも物質も同じだという。つまり情報とエネルギーの波動として。その辺りから、思考は現実化するし、夢が叶うということであるらしい。そして直観ということがいわれてきた。それはインスピレーションともいえる。世の芸術家の得意とするところで、ミュージシャンもそれで音楽を作っている。この時、考えることはむしろ芸術行為に反する。高度思考ともいえて、それはむしろ考えない時にイメージされる。それは宇宙の中にある無限の智慧に反応したといえる。これが現代成功哲学の要点となっている。それをツキといってもいいし、運が良いといってもいい。この辺りが新しいパラダイムとして既に形成されていた。そして成功者達は意識するとしないとに拘わらず、この理論に乗っかっていた。これが勝ち組の理論だった。面白いね。ところで禅に『十牛図』というテキストがある。これは中国から伝わって今、日本にあったのだけれど、しばらく無視されていた。ある禅僧がヨーロッパで講演旅行した時に指摘されて再確認され、今となっては禅の常識となっている。その第八図がいわゆる「無」だった。教えの足跡を見つけてそれと格闘し、やがて仲良しになって家に帰ってくる。そしてしばらくしてこの絶対無がやってくる。これが禅においては悟り経験である。この絶対無だけれど、自分も牛も無くなる。それは我見と教えに対する執着が無くなるということだったであろう。これがこころの解脱だった。教えからも自由となる。自分も無くなる。その時の状態はリラックスだった。道元はこれを身心脱落脱落身心とした。この時、宇宙と一体となる。そして無限の智慧の存在に気づく。スイッチが入ったというか、アクセス出来る方法が解ったのである。これが見えない世界との交信だった。宇宙と一体となることで宇宙が受容祝福守護する。これが自然の智慧だった。天下無敵である。富とは思い通りに願いが叶うことで、お金はその一部だった。お金は物質の代表であり、何にでも変じる。愛はお金で買えないとはいわれる。それ以外は買うことが出来る。そして幸せとは富もあって何の苦もないことだった。このようになって真実の成功といえて、既に至った方々がいる。それが現在においては大富豪だった。お金がなくては生きてゆけない。しかしE及びSクワドラントである限り、お金持ちにはなれない仕組みとなっている。資本主義である限り、資本がなければどうにもならない制度である。故にお金持ちはどんどんお金持ちとなり、貧しい者たちは貧しいままである。それでどうにか資本を手に入れてお金持ちになりたいと思う。そして新しいお金持ちはチャンスを獲て資本家の方へ移行する。それは何処までも資本家意識に目覚めたということが条件となっている。これになかなか気づけない仕組みとなっている。それはある意味でタレントに等しい。資本家のお気に入りになれば援助がある。当然だったであろう。しかし杞憂でなければいいのだが思い出されるのはフランス革命とか源平合戦とか関ヶ原である。何れも当時の支配階級が成敗された。それは何故だったのか。そうした力の淵源あるいは原動力は庶民の恨みと妬みではなかったか。あるいは祈りだったか。この辺りで新しいあるいは修正するべき資本主義としての考えも必要であるのだろうか。宇宙と魂はリンクしてそれが無限の智慧とエネルギーの波動であり、それに関心を寄せることであらゆる富が思いもかけない形で実現するというのは真実真理であろう。それが限られた階級に独占されているとしたら問題である。それが自分のためにするということであればそれこそ破れを生じるだろう。この辺りを配慮しながら、皆が幸せになる方向に何が出来るか考える必要がある。新しい時代である。その理論は既に確立されている。この世に生まれた意味は幸せになることだった。そのように生命は進化している。面白い時代となった。既に悪を成した方々は気づけないように出来ている。時代は不確実性の時代から無限可能性の時代にシフトしようとしている。故に未来は明るい。無限に進化する。既にその端緒についた。宇宙に無尽蔵の智慧が眠っている。これにアクセスするだけで具体化する。その理論的裏付けもある。それが最新素粒子理論であった。幸せになろうね。成功しよう。みんなで。自分のためにするものは滅びる。大企業もその例外ではない。パラダイムの大きな転換期が来たようだね。未来は明るいね。日本は大丈夫だね。そしてもう一つ。何故悪舌は駄目だったのか。宇宙にとって主語は関係ない。宇宙はいった言葉に反応する。相手のことを悪くいったとする。それがそのまま自分に実現する。自分に帰って来るというのはそういうことだった。 故にポジティブに生きようね。明るく楽しく。幸せ理論完成だね。考えること自体から自由になる。そのために考えつくす。そして以上のような考えに至る。リラックスする。それは無を通る。絶対無である。そして始まりである。ひらめきが来る。それが直観だった。これが知性だったのだろうか。知性は宇宙だった。宇宙の一部としての存在である。本来の自分に帰るとは宇宙と一体となることだったのだろうか。無尽蔵の智慧の宇宙とつながる。霊界との交信である。時代は不確実性の時代から無限可能性の時代へシフトする。彼はいった。リラックスしていいんだよ。粗末にしてはならないものがある。それは別論である。愛はある。お金の切れ目は縁の切れ目に愛はない。空亡餌食。彼はいっていた。一休髑髏。どういうことだろうね。死に神がやってくる。彼を大切にするべきだったのかも知れない。道真もそうだった。彼は見つけた。何を見つけたのだろうね。幸せだろうか。愛と希望かな。神仏!幸せとは自分に正直になることだった。何かを獲て何でも有りだった。自分に正直になれないね。そしてそれを正当化している。あるいは言い訳ばかりする。相手を認めていない。それで第三者の話をして相手を相対的に貶める。無意識にそれで勝ったつもりでいる。それが妬みと恨みの正体だった。しかし宇宙は主語を認識しない。いったことがそのまま自分に実現する。不幸の原因だった。原因がわかれば解決がある。これで幸せへの第一歩が決まったね。幸せになろう。それはある。リラックスして幸せになって良いんだよ。今からでも遅くない。気づいた時が始まりである。この世は君が代大鏡。どういう事だろうね。彼は気づいた。そして確信に至った。それは何だったか。生まれた意味だった。彼は呻吟した。そして取りもどした。何を取りもどしたのだったか。自信だった。彼自身だった。何か失われた大切なものだった。本来日本の本懐だった。彼はそのために生まれていた。誰も知らない。しかし事実だった。彼は失ったものは取りもどすという。六祖鉄鉢。奪えはしない。騙され、裏切られ、利用された。しばらく邪魔ばかりして正当な対価の支払いはなかった。ある会社では休暇は二日しかないと女子事務員にいわれた。社長はそれに随った。それでぶち切れた。どうなっているのだ。世の社長族はいっていることとしていることが違う。一括返還請求である。さて、このブログも終わりの頃を迎えたようである。終わりは終わりではなく、亦、始まりだった。新しいステージとして。この間、多くの思索があった。それはそれで十分だった。自分を取りもどす作業だった。此処までしなければならなかったのかと思われる。失われた三十有余年があった。それにも理由はあった。今更ではあるが。しかしこのままついに得ることなけんとするわけにはいかなかった。意味のある人生にしたい。空しさは意味がない。しかし必要だった。空しさの意味を知るためだった。そして反省がある。色々と批判もした。それが悪舌であった部分は此処にすべて取り消させて頂く。これより未来に向けて。お詫び申し上げる。そしてこれまで関わってくださったすべての方々に感謝申し上げる。裏切った方もいた。騙した方もいた。利用した方もいた。愛してくださった方もいた。期待してくださった方もいた。すべての方々が今の私を作ってくださった。そして私はあたかも清盛の如く失われた三十有余年を引き寄せたのでしょうか。自分を取りもどしました。己の生まれた意味と使命を覚知しました。秘密は秘密とします。何時までも愚図であったことを謝ります。これより始まりです。無事時代が選択されて確定です。折れた骨はその部分強くなります。精神もそうです。もうぶれない。多くの読書の中で今、師と仰ぐべきはどなたであるか。敢えて申し上げます。それは森有正ではなかった。辻邦生でも吉田健一でもない。正直申し上げます。佳川奈未さんです。此処に辿り着きました。故に未来は明るいのです。こうした本を出版されました諸関係者の方々におかれましてはありがとうございました。これでこのブログを終わります。仏より頂いた名を名乗ります。その名は康夫。後藤昭亮の子、良亮の孫です。祖先は桑原覚兵衛、嘉兵衛、千畝並びに山持直三。母は喜恵子。姉は三浦文子、妹は土井則子。やりたいことをやりたいようにさせて頂きます。今までは偏に優柔不断な自分がありました。故に迎合し、悉く失敗しました。主体性がなかったのでした。これより改めます。各方面におかれましては今後とも宜しくお願い申し上げます。無事使命達成です。この代に悔いはありません。(おわり)


2009年03月20日
【リラックスしていいんだよ】
ずっと戦っていたのだろうか。何と戦っていたのだったろうね。自分とだった。それは辛い苦しい戦いだった。相手が自分である限り。それは緊張の連続だったろうか。何かを探していた。それは何だったか。自分だった。この世に生まれた意味は何だったか。それを探していた。そしてそれは戦いだった。何時か勝利しなければならない。そうしないと、すべてが無駄となる。焦りもあったかも知れない。そして気づいた。すべては与えられていた。そして導かれていた。常々サインもあった。雷も落ちた。大風も吹いた。大風の制御もあった。鳥に導かれた。何だったのか。この世に秘密がある。それは存在だった。天候をも支配する思念力があるという。そうした人生もある。それが古来大和の秘密だという。代々の務めだともいっていた。そして彼は何をしたのだろうね。何を確認したのだろう。存在だった。存在は亦道真もそうだった。知性の回復と勝利を目指したか。それは凄まじい戦いだった。十九の春にそれはあった。その後埋没した。人生を諦めていた。しかし何時か立ち上がる。それも宿命だった。彼は最後の戦いに挑んだ。すでに思索は十分だった。そして何を得たのだろう。 リラックスしていて良いということだった。それで才能も発揮される。この世はそのように出来ていた。しかしその過程では嵐もある。いつかは辿り着く。それはある。幸せと愛と富と。永遠のテーマだった。富は物質だけではなかった。精神も物質も本来同じだった。それはこころだった。壊れたこころがあった。それは時代でもあった。もう修復は出来ないかと思われた。こころを修復するのは現代医学ではなかった。それだけは確かだった。彼は存在していた。その意味が確認された。どういうことだろうね。一休髑髏だった。それを受け入れることが愛だった。不思議がある。謎がある。いつか解かれる。そして本当の自由を知る。彼はいった。リラックスしていいんだよ。知らなかったね。知らずに粗末にした。その報いはある。宇宙の法則だった。いつか至りたいね。永遠の幸せへ。それはある。この世の現実として。お金ではなかった。それは物質だった。日本は古来精神的国家だった。ペリー来航以降、文明開化は失敗だった。本来日本の目指していたものがある。それは生命進化傾向だった。知らない方々が悉く破壊した。本来日本精神が復活する。そして世界をも救う。武士道精神は野蛮ではない。知らなかったね。知性が復活する。愚かな文化は滅びる。カラカラ浴場は日本にはない。そしてリラックスしていいんだよ。戦いは終わった。安らかな文化となる。都会は都美である。何をしてきたのだろうね。あらゆる欺罔とバイオレンスは本来通らない。舌切り雀である。鬼ヶ島である。鬼はどこに住んでいたか。己の心の中に。それで愚かな戦争もある。彼はいった。直接間接に害を為さないことである。黄泉が動く。リラックスしていいんだよ。時代は開かれた。彼の自覚があった。彼の試練があった。それは存在だった。何かを確定しなければならなかった。とても重要な使命があった。本当だろうか。本当かも知れない。宇宙の掟がある。それは何だったのだろうね。知るべき時が来たのだろうか。まだ知らないことを以て否定するのだろうか。悲しいね。自分が基準だね。それで見えていない。知性はある。それを仏といっていい。力はある。それを神といっていい。何時までも勝手は通らない。彼は何を観たのだろうね。自分をも壊したといっていた。それほどまでの試練があったらしい。それは忍辱だともいっていた。それも偏に自信を失っていたが故だった。しかし彼こそ彼だった。彼が果たさなければならない使命があった。始めに何が蔓延ったのだろうね。それを自由とはいわせない。本当の自由は遅れてやってくる。古来日本の本懐がある。それは何だったか。ある時、破壊された。彼らにとっては悉く邪魔だった。何を愚弄粗末にしたのだろうね。今もその支配である。黄泉が何時までも黙っていない。受忍限度を超えた。それも確かであるらしい。知らなかったね。そして知る頃となった。リラックスしていいんだよ。彼はいった。日本は大丈夫だよ。主権在民。平和主義。本来日本。無事開花。愛と幸せの國。求めていたのは何だったのでしょうか。絶対の自信というべきものでした。それは失ってやってくる。生まれ変わるといっていいですね。それが如来でした。こころのおだやかさを取りもどして本当の人生が始まります。何もかもゆるせるのです。それは自分をゆるすということでもありました。緊張していては失敗します。失敗しても良いのです。より完成へと近くなります。故に失敗も必要です。無駄も同じく必要です。何時か辿り着きます。一朝一夕には行かないですね。三十有余年を有することもあります。自分を壊す失敗もあります。もう駄目かと人生を諦めざるを得ないほどに。それも試練だったのです。失ったものが大きければそれだけ獲るものも大きいのです。この世で実現出来るでしょうか。何を求めていたのでしょう。永遠の幸せでした。それはないと思っていませんか。あるのです。神仏との邂逅だってあるのです。信じたいですね。確率論を大成した数学的天才のパスカルは云いました。神が存在している方へ賭けてみよ。こころの嵐が治まって何かが開けてくる。それは何だったのでしょう。21世紀こころの大地でしょうか。すでに科学者及び医学者がそれまでタブーだった魂のレベルを語っています。怠惰な自分がありました。時代は進化しています。殺戮の時代ではありません。暴力及び詐欺の時代でもありません。気づくべき頃となりました。愚かなテレビも猛反省です。何が嬉しいのでしょうね。知性の確立とその実践です。やがて知性は何処へ辿り着くのでしょうか。すでにクラシックがあります。何故に古典でしょうか。すでに至り着いた方々の足跡でした。四聖、何するものぞ。果てしない魂の遍歴です。何を求めていますか。この世は素晴らしい。無となって精神の嵐が静まります。何もかもなくなって新しい未来が開けます。誰も観たことのない真実もあるのです。探しませんか。求めませんか。何をあくせくしていたのでしょうね。お金の問題で自殺なんかする必要は一切ありません。銀行のしていることは言語道断な場合があります。それでもここしばらく彼らのためのシステムでした。何かがおかしかったのです。それが人生だなんて。何がおかしかったのでしょうね。そろそろ気づく頃です。本当の幸せとは何だったのでしょうか。本当の豊かさとは何だったのでしょうね。あらゆる不安からの自由ではなかったでしょうか。思い通りの人生が開かれることではなかったですか。新しい時代です。リラックスしていいんだよ。無。それで何が見えて来るのでしょうか。楽しみですね。彼は帰ってきました。何処にいるのか解りません。しかし帰って来ました。宝を一杯持ち帰ったようです。よかったですね。新しい時代が確定しました。戦後処理の問題は次世代がする。それは全共闘の自由ではありませんでした。世界の中の日本として試されていました。何を選択するべきだったのでしょうか。主権在民。平和主義。その意味も明らかとなりました。不思議ですね。それはあるのでした。苦しい試練もありました。何時か夜は明けます。日本は復活しました。明るい未来が開けました。もう大丈夫です。本当でしょうか。本当のようです。何故でしょうね。彼はいいました。日月照らし、風が吹く。本来神国完全復活。それは王権神授説ではありません。それはアナクロニズムでもありません。生命進化です。自分のためにする精神のない成金スノッブよ、さようなら。あなた方の時代は終わりました。本来日本が帰って来ました。野蛮と愚かはこれより己の分際を知るのです。尊敬と敬虔と謙虚さが生まれます。混沌の中から秩序が形成されます。秩序とは知性と精神でした。何を愚弄しましたか。反省の頃となりました。誰もが平穏豊かに暮らしていくための条件です。もう勝手は通りません。テレビ界は猛反省ですよ。 地獄も天国もこの世にあるのでした。すべてはこころが現実化していました。宇宙は情報とエネルギーの波動です。その中から何を取り出すか。幸せですか。殺戮ですか。精神の野蛮はもう過去となりました。本来日本の選択と確定がありました。試練の後で。テレビ界の罪は何だったか。衆愚を煽動して多大な富と成した。かつてホリエモンがタレント化しようとした頃、著名な方々がこぞって時代を変革するのは君たちだと絶賛した。その後のコメントはない。無責任ではないか。キンピカ先生というのもあった。本当の知性を知らなかった。それを知らなかったのは象牙の塔の中の方々も同じだった。知性は常に空閑にとどまる。変革は辺境より始まる。各々罪を償う頃である。どうするべきか。解っているね。時代は腐敗した。平家も秀吉もそうだった。時代を切り開く。爾の時が来た。彼はいった。明治文明開化は失敗に帰した。西洋思想は19世紀に没落していた。そして世界も待っていた。何を待っていたのだったろうね。西洋成功理論は正しい。しかし限界があった。それは何だったか。自分のためにすること及び執着だった。他の犠牲を顧みなかった。それでは幸せはない。何時か恨み妬みとなって帰って来る。新しい理論が必要であった。それは何処にあったのか。既に気づいていたのは、例えば『スターウオーズ』のテーマ中にあった。今こそ自信回復である。本来日本はそれを知っていた。知らない方々がそれを壊した。取りもどすべきものがある。本来日本の目指していたものがある。腐敗堕落が人生ではない。法華経曰く、これ以て貿易するべし。これを獲て何でもありである。天下無敵となる。こころを制して何かある。最終最後最大の敵は自分自身だった。過去を乗り越える。そして始まる。今、黄泉を制して征夷大将軍となる。頼朝は伊豆に流されていた。本来日本に根絶やしはない。準備万端、大和は負け戦をしない。出発である。本来武士道は野蛮ではない。武士は少なくとも精神修養があった。故に尊敬され、町民は憧れた。武士は食わねど高楊枝は負け惜しみではない。本来日本は滅し給わず。下級精神にとっては悉く邪魔だった。そして何が蔓延ったか。魑魅魍魎は正体を見破られて手も足も出ない。逃げまどうばかりである。何時か伏流する。それは今も生きている。富士は休火山であって死火山ではない。富士は何故美しいか。裾野があるからである。人生に無駄はない。何時か突然無駄と見えた全てが意味を持つ瞬間が来る。代々のDNAがある。これを見つけて、人生亦、楽しからず哉。思い出せばいい。そして未来は明るい。この世に生まれた意味は何だったか。幸せになることだった。富とは物質=お金だけではない。物質と精神は本来同一だった。新しい時代のパラダイムである。西洋と東洋が合一された。幸せは近い。唯一の条件がある。自分のためにしない。一人では生きてゆけない。意味のない人生は無価値である。本来日本浮上。


2009年03月19日
【ゆるすこと】
彼は何かをゆるせないと思った。それを裏切りとまでいった。しかしそれからも自由にならなければならないと感じていた。しかし内面の中でどうしても合理化出来なかった。それでその理由を探した。法華経には「悪舌は功徳の種を断ずる」とある。個人名を上げて人をほめてはいけないとある。何故だったのか。それがわからなかった。やがてその理由を見つけるに至った。それは何だったのか。墜ちこぼれた彼が恰好の餌食になったと思われた。それは恨みと妬みから来ると思われた。しばらく怠惰だった自分が悲しかった。それに耐えるしかなかった。しかしその理由がわかって、彼は救われたと思った。彼は彼で良いと思った。失われた自信があった。それは十九の春だった。どうしようもなかった。それを受け入れることが出来ない自分がいた。世間は容赦なかった。酷な人生があった。しかしそれをも乗り越える。自覚を待たねばならなかった。何の自覚だったのか。此処では詳説しない。個人名を上げて他人をほめると何故いけないのか。相手を相対的に貶める。気づかずにそれをする。何故だろうね。本音だろうね。本音が動く。いくらきれい事をいっても隠せない。相手の妬みと恨みを刺激する。そして悪説してはならない理由が見つかった。それはマーフィ理論にあった。ある本の著者は書いていた。「自律神経にとって自分も相手もない。現在も過去も未来もない。すべて現実の自分に実現する」。これで気づいた。悪舌すれば潜在意識が自分に対して実現する。恐ろしい法則である。亦、これを知れば何と福音だろう。彼は喜んだ。悪舌をしない理由が見つかった。誰もが幸せを目指している。そのために生まれた。しかし何故かしら不幸に赴く。それは過去からの続きがあったからだった。これを解決してこの世の人生がある。この世は素晴らしい。そして真剣勝負こそ真面目であり努力と思われた。これも自己との対決にはそれが必要だった。しかし他者に対してはどうだったのか。自分には厳しく、他人にはやさしく。無意識の裡にも他者を傷つけていなかったか。それに気づかずに言葉を使っている人が多い。彼らは無意識に。彼はそれに傷ついていた。彼自身、それに気づかなかった。冷静に観察することが出来るようになって気づいた。彼らは仇をとりに来ている。容赦ない。悉く貶められた。それも気づくまでのことだった。相手にしなければいい。そしてそうしたことは自信を失った自分が引き寄せていた。これに気づけばどうなるか。その環境を逃れる。相手は見抜かれると手も足も出ない。そして去っていく。それまで近づけなかった好ましい方々が現れる。人生は旅だね。彼はゆるせないと思っていた。それは自分をゆるしていなかった。受け入れることだね。それが愛だった。彼は気づいた。深刻に考える必要のなかったことを悟った。これで幸せになれると思った。富もやってくると思った。しばらく怠惰だった。それ故に落ち込んだ。そして餌食となった。そういことってあったのかも知れない。彼はすべてをゆるした。自分をゆるした。涼やかな表情が顕れてきた。もう大丈夫だろうか。長い冬だった。もう春ですね。真面目に考えることが大切だと思っていた。それは時には深刻な思索もあった。それが価値だと思った。しかし現実は不幸に赴く。誰からも貶められる。実相がなければそうである。それも自分の過去からの悪業の因縁だという。どうにもならなくなった。どうしてこのようなことになったのか。十九の春はそれほどまでに残酷だったのか。どうしても納得出来なかった。しかしそれは試練だった。これを乗り越えなければならなかった。才能はあった。しかし埋没した。そのギャップは耐えきれないものだった。故に迎合した。迎合すればするほど騙された。利用された。貶められた。そのように思われた。しかしそれも試練だった。そして深刻さこそ緊張感だった。それでは何も成就しない。精神がリラックスして楽しんで仕事する時こそ、万民に受け入れられることを知るには随分と時間がかかった。そしてその時が来た。人生が安楽となる。それで成功も富も約束される。緊張感こそ失敗の原因だった。しかし思念力の不思議は別論であると彼はいった。どういう事だろう。思念力の故に雨の天気予報もはずれる。しかしそれを知る人は希有である。そのチカラを持つものはさらに希有である。思念力にも密度がある。それはエネルギーである。天候をも左右する。日月照らし、風が吹くとは思念力だった。それは神仏の受容祝福でもあった。世間は知らない。知らないことを以て否定する。古来大和の秘密だといっていた。不思議だね。そうした事があるのだろうか。しかしそれがあるとしてもお金儲けにはならない。誰も評価出来ない。それにお金を支払う人はいない。辛かったね。もういいね。これより軽やかに生きるが良いよ。戦いとしての君の旅は終わった。幸せになるんだよ。春だよ。彼はゆるした。それは受け入れることだった。それが出来なかった。何故だろうね。彼の背負った重荷の故だったか。何を背負っていたのだろうね。既に記した。重荷を下ろそう。未だ背負っていたのだろうか。もういいんだよ。研究は終わったよ。リラックスした精神で生きていこう。幸せ実現の頃となった。知性の勝利である。


2009年03月18日
【その人次第】
人生って何だったんだろうね。前世はあると思っていた。それも確かめて、見えて来るものがある。それはそれでいい。前世とか来世とかないと思うから、この世の人生は恥のかきすてとばかりに生きる人が多いと思っていた。それはよくないのでゆるせないと思っていた。それでこの人生はこの世限りだから、好きなように生きればいいという考えに対して否定的だった。それもプロセスだった。今はむしろ、人生はこの世限りで良いと思う。それ故に楽しめばいい。楽しむことが出来るならね。それは一つのゴールだと思う。深刻に考えていた時があった。それが真面目であり、努力だと思われた。それはそれで良い。それもプロセスであり、何時かそれも乗り越えるべきものだった。そしてタブーからの自由がある。それも道徳的観点からタブーである限り、破ってはならないと思われた。それが学校的優等生の呪縛だと気づくまでは孤独だった。そして今、何を思っているのだろうね。その人次第ということだった。同じ表現であっても、表現する人によって芸術ともなるし、傾向犯ともなる。それで良い。こうしたことを受け入れるには相応の試練もある。それで良い。そして何時か自由となる。それがタブーを破るともいえるし、解脱涅槃ともいえる。その人次第だった。明るく生きれば良い。私たちは幸せになるために生まれている。経験からそれはないと思われることが多い。それでは自由になれない。この世はチャンスに満ちている。今もそうである。お金ではなかった。本当の自由がある。幸せがある。自分に対しては厳しく生きる時代がある。何時までもそうではない。何時か気づくまでの試練だった。そしてやさしさを知る。悩む必要はないことを知る。この世はスイスイと生きてゆける。下の句がある。それを知らない。パスカルは云う。人間は考える葦である。その次がある。その葦を通して宇宙を観る。これを知らない。上の句が試練である。何時までも試練ではない。これを解決して次がある。それが楽であり、幸せだった。誰もがこれを通って人生を知る。その人次第である。今、どの段階であるか。苦は楽の種という。楽は苦の種という。それが流行であり、流される。苦を通る。それは仕方ない。過去からの因縁がある。それを乗り越える。そのために生まれた。そしてこの世でそれを乗り越えることが出来るだろうか。出来る人がいる。出来ない人がいる。出来る人は苦から楽となってさらに楽へと進む。出来ない人は楽になっても苦に墜ちる。そのようにこの世は出来ていた。既に至った人もいる。今、それと戦っている人もいる。そしてやがて知る。懺悔とかいう。何時までも懺悔である必要はない。段階がある。一つ解決して次がある。何時か至る。必ず至る。それが愛である。愛とは人間関係だった。あなたは今、どのような環境にありますか。それはあなた自身の鏡です。幸せはある。喜びはある。深い悲しみを通って至る。それで良いのです。信じることが出来ますか。真実は今も昔も変わらない。例えばあらゆるドーパミンは既に白隠禅師が気づいていた。白隠は文才があった。しかし禅の実践のために放棄した。故に鬱病になった。どのような医者も治せなかった。ある仙人が妙薬を知っているという。彼は訪ねた。そして教えて貰った。それがナンソの法だった。頭のてっぺんにそれをイメージする。そしてじわっと体中に伝わっていくとイメージする。すると何故か鬱病は治った。元気になった。自分を信じることが出来るようになった。それは脳内ホルモンだったであろう。瞑想であったであろう。唯イメージすればいいのではない。潜在意識という考えもある。今も昔も真実は変わらない。流されるものと流されないものがある。禅者はいう。橋は流れて川は流れず。此処にヒントがある。何とでも生きてゆける。何に投資するのだったか。世界は金融危機に陥った。その人次第である。すべて失って気づくものがある。それが真実だった。面白い時代となったね。何を求めているのですか。象牙の塔の中では解らない。能力があっても社会に認められない理由がある。それは何だったのでしょうね。菩薩に一悪ある。それ故に墜ちる。それ故に、能力があっても釈迦に認められない。往々にしてそれは悪舌だった。これに気づく。そして自らを改める。新しい人生が開ける。幸せを知るだろう。その人次第だった。今年の春は明るい春となりました。金融危機は本来の自分に気づくチャンスです。簡単明瞭です。真実は愛です。愛は人間関係です。一人では生きてゆけない。人と共に生きてゆける。この世は素晴らしい。解る人は解る。見える人は見える。迷っているのか、迷っていないのか。そのどちらかだった。そして人生は瞬間である。過ぎ去ったことは過ぎ去ったことである。今をどう生きるか。失敗して良い。それより学べばいい。難しく考える必要はない。しかしプロセスでは考える。そしてその考えも捨て去る。そして新しい何かがやって来る。それはやって来る。それが如来だった。真実だった。真実は今も昔も変わらない。真実を知って自由となる。幸せとなる。愛を知る。人生はそのように出来ていた。気づいて解る。それまでは試練だった。それが青春だよ。大人になるとはどういう事だったのか。しばらく安易な成功論があった。それでは幸せになれなかった。いくらお金があっても不安がある。恐怖がある。それよりどのようにして逃れるのだったか。自分次第だった。その人次第だった。これまでの成功論は2%あるいは3%の人のためだった。既に今、みんなのための成功論がある。それは何だったのだろう。一切衆生悉有仏性ともいわれていた。その内容が明らかとなっている。探しましょう。何処にあるのでしょうか。既に知っている人もいます。その方に出逢ったら宜しくね。一部の人が幸せになってもそれは幸せではない。誰もが幸せとなって幸せだった。それを求めて進化した。その実現はこれまでなかった。その可能性が開かれた。故に良い時代です。みんなで幸せになろうね。気づいた人から始めよう。それで良いのです。負けないでね。必ず幸せはあります。あなたのところにもそれはやって来ます。お楽しみに。悲しい人生がある。それを通って本当の幸せに至る。欺罔とバイオレンスは滅びます。自分のためにする人も滅びます。それも法則でした。愛とは与えることです。そうすればあなたも愛される。それが愛し合うということでした。意味のない人生は空しい。意味のある人生があります。聞いて、解って、知るのです。知らずに勝手していませんか。知ることはパワーです。何かが変わります。自分が変わります。それが経験からの自由です。ないと思って諦めていませんか。それはあります。諦めないでね。幸せは近い。故に未来は明るい。彼は明るくいいました。日本は大丈夫だよ。

2009年03月17日
【楽しみですね】
悔しいね。どうして今まで気づけなかったのだろうね。だけど、気づいたね。むしろ幸せだね。遅すぎたかな。そうでもない。間に合いました。何に気づいたのだろう。真実真理だった。あるいは幸せの条件だろうか。成功哲学かも知れない。それを求めていたのかな。それが夢だったのだろうか。実現したいね。最も疎かにしていたところだった。それは世間解だった。難しいことこそ意味があるのかと思っていたけれど、それはそれで通過点だね。そして本当の幸せは何だったのだろうって真剣に考えた。それは見つかったのだろうか。理論ではね。とてもシンプルだった。己の悪を払拭してこの世の幸せが始まる。それまでが試練だった。知性で至る幸せもある。これからが実践だ。今の実相では誰も信じてくれない。悲しいね。しかし本当に掴んだね。楽しみだね。何を掴んだのかな。難問だったね。しかし解けば簡単だった。算数と一緒だね。そして共に語れる運命の人は現れるだろうか。めぐり逢いたいね。どこかで必ず待っているんだって。そしてあなたが秘密を解いてやって来るという。それまでは近づけなかった。楽しみだね。 これからだよ。枯れ木に花も咲くことになっている。まだ枯れてはいない。夢を描きましょう。宇宙に刻印するのです。どんな夢も叶うのです。誰もが叶うのです。生命進化はここに至りました。自分次第です。真剣に正直にどんな夢を明確に描きますか。明るい明日が見えていますか。知って至る幸せがあります。復活すべきは知性でした。あるいは思惟力でした。それで解決はあるのです。今この瞬間を如何に生きるか。それがすべてです。楽しみですね。良かったですね。夢は叶いました。探していたものが見つかりました。生きている意味を確認しました。生まれてよかったのです。生きていて良かったのです。きっと現れるでしょう。あなたの素晴らしい良き理解者。本当の意味を知りました。それは何だったのでしょうか。永遠でしょうか。尊敬するべきものがあるのです。それを貶めるとどうなるのでしょうか。直接間接害するとどうなったのでしょうか。一休髑髏、ご用心。遠い過去の約束。それは実現します。自覚こそ要件でした。見つかりましたね。真実。しばらく忘れていたのです。そして無意識に恨んでいたのです。あるいは妬みもありました。それが恐ろしい原因を作っていたのですね。それより自由となって、天からの贈り物があります。そうしたことも不思議な不思議な事実でした。傷つけないことです。愛とは与えることでした。そして与えられるのです。それが愛し合うということでした。高め合う関係があります。それを求めていたのです。利用し合う関係ではありませんでした。自分のためにしないことです。いっていることとしていることがちがっていませんか。本音が動きます。嘘欺罔は通りません。バイオレンスも。人生の難問が解決しました。笑顔と輝く目で良いのです。すべて解決します。人と共に。あなたの時代です。楽しみですね。楽しみましょうね。相応の悲しみがありました。それで良いのです。人生はそのように出来ていたのです。良かったですね。既に至っていた方々に感謝です。おめでとう。そしてありがとう。これからが楽しみだね。生きていてよかったね。この世に生まれてよかったね。そしてウェルカム。幸せの王国へ。あなたは至りました。あなたが求めていたのはそれでした。秘密を解いて至るのです。笑顔と輝く目がパスポートです。法華経曰く、「これを以て貿易するべし」。既に伝えられていたのです。発掘するべきはそれでした。見つかりました。失われた何か大切なもの。いよいよこれからですね。この世は愛でした。探していたものはそれでした。見つけたものもそれでした。幾多の曲折がありました。悪もありました。それを払拭して新しい人生が始まります。お詫びするべきはお詫び申し上げます。すべては自分次第でした。見つけたものは自分でした。これが人生だったのでしょうか。素晴らしいですね。この世は喜びでした。すべての先達に感謝申し上げます。これまでの無礼を謝ります。そして夢を形にしていきましょう。喜びを表現していくのです。長い冬でした。しかし間に合ったようです。これからですね。楽しみですね。ありがとうございました。大きな大きな宝の原石がここにありました。宇宙は愛です。人間関係も愛です。見つかりました。彼は彼に見抜かれたら実現するといっていました。占領骨抜き政策は失敗に帰しました。それに乗じての繁栄はここまでです。本来日本が目指していたものがあります。特殊潜航艇浮上です。幸せはあります。幸せになりましょうね。それは如来。やって来ます。準備万端。本来大和出航。さみだれ、さざなみ。日本国憲法プログラム規定成就。知性復活。主権在民。平和主義。真に世界に合流です。幸せを目指します。世界も待っていました。本来日本。美しい國です。愚かな國ではありません。野蛮な國でもありません。しばらく埋没していました。見えない世界があります。それを知っていたのは日本です。何時の頃からか忘れ去られていました。取り戻すべきはそれです。自分のためにしない。自己利益追求は諸価値を破壊して顧みませんでした。多くの問題点があります。ねじ曲げられていましたね。しかし真実は真実です。何時か明らかとなります。それは自覚を要します。そしてその時が来ます。それまでは通ったことも通らなくなります。そのように時代は進化します。良い時代の選択がありました。安心していいのです。日本の基は目覚めました。これまでの愚かさは通らない。勝手も通らない。欺罔とバイオレンスは滅びます。本来日本は野蛮を好みません。良かったですね。これで日本は大丈夫です。何故でしょうね。彼はいいました。この世は君が代、秘密大鏡。使命は果たされた。未来は明るい。戦後処理の問題は次世代が解決するといわれていました。その意味も明らかとなりました。何を世界の中で選択するのか。それを試されていたのです。解決したのは全共闘の自由ではありませんでした。それは衆愚に導きました。そしてここに確定です。その謎を背負っていたのは彼だったのでしょうか。それ故の試練があったのでしょうか。日本は本来豊かな國です。その基は精神でした。身心清浄及び正直本来日本武士道精神。戦後は真に終わりました。これからですね。楽しみですね。愚かさを脱却します。知性が復活です。そのためには空閑にとどまる必要があったのでした。すべてが無意味と思われました。そうでもありませんでした。すべてが意味を持つ瞬間がやってきます。不思議な体験がありました。今となっては懐かしい。彼は彼でした。彼自身を見つけたのです。原因がわかれば解決があります。人類は偉大です。この世は美しい。この世に生まれて良かったですね。これからです。楽しみですね。真実とは、神仏の実在とその邂逅でした。探していたのはそれでした。彼の旅は終わりました。帰ってきたのでしょうか。宝はいっぱい持ち帰ったようです。かつて火を持ち帰ったように。禅語に「丙丁童子来求火」。火の属性のある子が火を求めてやってきた。自分が火だった。どういうことでしょうね。見えてくる。わかってくる。迷いはない。疑いもない。苛立つこともない。その時、すべて調う。幸せがやって来る。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。全体のボトムアップの時が来ました。自分のためにしない。これまでは通った。これからは通らない。日本は大丈夫だよ。


【彼が復活したもの】
彼の復活したものは何だったのか。思念力或いは思惟力だった。以前は魂と宇宙はリンクしているとかいっていた。三十有余年かかって彼はそれを取りもどしたか。或いは確かめた。何故それを失っていたのか。自信喪失しての故だった。何故自信を喪失したのだったか。それが彼のいう魔の理論だった。この謎を解かねばならなかった。そしてそれは解かれた。それは何処にもなかった。学校教育にはなかった。探さなければならなかった。例えばこのようなエピソードがある。ある男がパーティに招かれた。誰も見向きもしなかった。みすぼらしい身なりをしていたからだった。男は家に帰ってタキシード姿になった。そして同じパーティに出掛けた。誰もがていねいにもてなした。そして男は上着を脱いで、その上着に食べろ食べろといった。彼はその頃、みすぼらしい身なりを理由に不当な取り扱いをされた事に対してどう思ったか。人格は身なりではないと思った。今はどう思っているか。これは比喩だった。磨くべき自分自身があった。それは何だったか。魂だった。それが上着に等しい。そう思えるまでは不幸への傾向があった。自信を失っていた。自信を失った彼は世間に迎合した。その度に裏切られたと思った。無理もなかった。往々にして世間は知らないことが多い。知らないことを以て否定する。そして何か出来なければ、言い訳を並べる。出来ない理由ばかり探す。そして自己卑下する。或いは自己憐憫である。その時、何も進歩はない。彼はそうした環境にいた。そしてそれに染まった。どうにもならなくなる。脱出はないのか。それも彼の傾向の故だった。そしてどうにもならなくなった。彼は彷徨った。三十有余年を要した。そして考えた。何かが間違っている。はじめは社会とか世間とかが間違っていると思われた。それで悪舌もあった。それが亦不幸の種だった。彼は知らなかった。それより脱して幸せがあることを。そしてそれを見つけて本当の人生がある。人生とは愛だった。愛とは人間関係だった。彼は見つけた。見つけて救われたと思った。そして知性こそ復活するべきだと気づいた。既にそれは日本にあった。しかし愚弄無視され、破壊されていた。馬鹿になることが幸せであるといわれていた。そして本来大和のこころは踏みにじられ、傷つけられていた。これを復活して幸せはある。彼は探さなければならなかった。そして見つけたのだった。そして元気が出た。彼は彼で良いと確信した。日月照らし、風が吹いた。アオサギも鳴いた。彼にはこれで良いと思われた。埋没した理由はあった。それはもう問わない。埋没することで彼はやられた。容赦なかった。その理由も明らかとなった。それが魔の理論だった。この不幸な現実より逃れるためには彼は失われた自信を復活するしかなかった。日本もそうだった。敗戦を乗り越えなければならなかった。それは己の反省の上に立つ。反省するべきは何だったか。彼は考えた。これまで誰も考えたことのないことだった。既にそれはあった。忘れていただけだった。無視されていただけだった。これより始める。天は知っていた。黄泉は待っていた。真実幸福論が確定した。既に至った方々がいた。感謝する次第である。そして彼が自覚しなければならなかった。それが使命だった。故に奈落の底に落とされた。復活出来るだろうか。間に合うだろうか。混迷より脱出する。その為に何が必要だったのか。自覚だった。何を自覚するのだったか。生まれた意味だった。既に子供の頃からサインはあった。彼は見えなかった。見えない彼は格好の餌食だった。何の餌食となったか。妬みと恨みの餌食となった。自信を復活するしかなかった。そしてそれは成就した。それは何を意味したのだったか。これより明らかとなるかも知れない。そして彼は自由となった。無罪放免となった。条件があった。それほどの重荷があった。彼も知らなかった。しかし何時か時が来る。そして彼は取り組んだ。取り組んで彼は解いた。すべては準備されていた。或いは導かれていた。学問も教育も十分だった。浮かれた世間がある。その中でどのように生きるべきだったか。一人解くには荷が重すぎた。しかし彼は耐えた。これは事実である。それほどの人生がある。この世は真剣勝負である。今も昔も変わりない。怠惰だったのは自分だった。深く反省している。彼は気づいた。何に気づいたのだったか。自分自身だった。そして救いはある。彼の確信だった。彼には壮大な夢があった。日本を救う。そしてその為には解かねばならぬ謎があった。既に身の周りに多くのヒントがあった。彼にしか解らなかった。故に悩んだか。彼は何をしたのか。彼は何者だったのか。既に世界は気づいている。世間は知らない。知り得ない。それで良いといった。日本を救ったよ。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。彼は何がいいたかったのか。失った人生と青春がある。取りもどさねばならない。全共闘の自由は思い上がりだった。その後、彼らの精神が日本文化を支配した。それは敗戦に導いた日本への復讐だった。何もかも破壊した。それが人生だと思った。明治維新と同じ精神だった。本来日本の精神は悉く邪魔だった。或いは恨みの対象だった。亦、その精神を有するものは無意識の妬みの対象だった。それが没落した時、格好の餌食だった。何を愚弄したか。何を裏切ったのか。何時までも黙っていない。黄泉が導いた。天が祝福した。どちらが本当だったのか。知らしめるべき時が来たのだろう。彼は戦った。何と戦っていたか。知るべき時が来た。もはや無敵だろうか。人生は素晴らしい。この世は美しい。既に高校の頃、彼は気づいていたか。気づいてはいなかった。気づいていれば彼の不幸はなかった。青春は辛いね。もはや笑うこと勿れ。


2009年03月16日
【別れの意味】
天は何でも知っていて、その時々に一番必要な形で、あなたへの贈り物があります。悲しい時には慰めとして。始まりの時には勇気を持って別れも来ます。人は一度に一人の人しか愛せない。それ故に別れもあります。すべては瞬間だったのです。それを例えば迷うのは、その迷いを断ち切るためでした。同じ日は二度とありません。この素晴らしい生きている瞬間を如何に掴むことが出来るか。それが人生の醍醐味でした。苦悩はあっても良いのです。しかし何時までも苦悩の中にいる必要はありません。あなたは幸せになるために生まれてきました。過去からの続きです。過去に失敗があるなら、それを乗り越えて次の幸せへ向けて出発です。それで十分だったのです。無意味な人生があります。それはそれで良いのです。無意味であることを知る必要があったのです。そして意味がわかります。そうしたものですね。それぞれ生きている環境が違います。今それに満足出来ないなら、立ち去るしかないですね。それも天が導いてくださっています。あなたが自分を磨くしかないのです。そして光り始めればいいのです。光始めることで誰もが気づきます。誰も否定出来ません。明るい笑顔と輝く目。それが事実の力です。思っているだけではわかって貰えません。当然です。己を表現するのです。あらゆる音楽も文学もそれでした。知性は知性として輝きます。何時か誰もが気づきます。それまでが試練です。光を発しなければ誰も気づけない。それを悔やむというのは甘えでした。今のあなたで十分です。それを磨くことです。別れは解れということでした。今のあなたでは解って貰えなかったのですね。それで良いではないですか。あなたを知っているのは、あなた自身と天です。天は知っています。何もかも。あなたに価値があればあるほど試練も大きい。そして自分に気づいた時、天の恵みを知るでしょう。それも過去からの約束でした。試練はあります。酷な人生もあります。今のあなたで良いのです。何時か幸せはやって来ます。ふさわしい邂逅もあるでしょう。神仏との出逢いもあるのです。信じて進むしかないのです。色々な段階があります。それに苛立っていては前に進めません。あなたは幸せになるために生まれて来たのです。それはあります。あなたの経験を超えるのです。輝かしい未来が開けています。それが生きるということでした。生命の進化傾向です。野蛮もあります。愚かさもあるのです。それぞれの段階です。それで良いのです。あなたはあなたの道を進めばいいのです。この世でどこまで実現出来るでしょうね。真実幸福論も確定しました。それで良いのです。別れは次の段階への始まりでした。幸せはあります。幸せになりましょう。既に至った方々もいます。素直に他人の幸せを祝福しましょう。次はあなたが祝福されるのです。それが進化でした。やさしく強く生きていきましょう。それでいいのです。それが素直さでした。正直の到る道です。天は知っています。あなたに今、一番必要なことを。それを見逃さないように。誰かのために祈ること。自分のためにしないこと。知らない所で傷つけないこと。それが愛であり、幸せへの近道です。近いけれども見えない。わからない。気づくまでが試練です。気づけばいいのです。誰もがそうして幸せになるのです。天は知っています。あなたの幸せに到る道を。天もそうして幸せとなったのだから。先達に感謝しましょう。それが閨房の中でも呪ってはならないという意味でした。私たちの見失っていた何か大切なことでした。何時か迷いは晴れます。その時、天も晴れるのです。別れには左様の意味があるのです。左様は余白です。そこに東洋精神の奥ゆかしさがあります。西洋絵画は塗りつぶして余白はありません。見えない所があるのです。それがこころです。こころがすべてでした。思いはエネルギーです。あらゆる芸術の根源です。何を思い描きますか。それは実現します。真剣に本気で取り組めば、形として顕れてきます。こころから願っているものは何ですか。幸せですか。殺戮ですか。こころに素直になりましょう。別れはその過程です。あなたの求めているものがあります。何時か到ります。見えて来ます。その時まで別れはあるのです。解ればいいのです。その時が終着駅です。本当の出逢いが待っています。生きている間に辿り着きたいですね。永遠の思いへ。それが愛でした。愛は求めるものではありません。与えることです。そして与えられるのです。それが愛し合うということでした。私たちは探していたのです。そしてこの世で実現するのです。そのために別れとはさようならでした。左様を知れば良いのです。解ればいいのです。解ることで解決するのです。真実の幸せが訪れます。それまでが旅でした。喜び世界はあります。かつて苦悩の英雄ベートーベンも至った世界です。迷っていませんか。それは迷いを知って断ち切るためでした。この世は瞬間です。それを喜びの連続と出来るかどうか。禅の目的もそれ以外ではありませんでした。日本はそれを知っています。素晴らしい國ですね。世界で最も豊かな水のあって、四季の花の咲きそう自然に満ちあふれた最高に幸せの國です。護りたいですね。しばらく何が蔓延ったのでしょうね。精神のない支配でした。漱石も書いています。「精神的向上心のない奴は馬鹿だ」。それは自分のためにすることでした。自己利益追求の西洋合理主義もそれでした。不幸への片道切符だったのです。この度の金融危機で明らかとなりました。気づくべき頃です。取りもどすべきものがあります。本当の愛です。それが幸せです。自分のためにしないことです。それは見つかりました。これで生きてゆけますね。日々瞬間、明るく、楽しく。


2009年03月16日
【魔との戦闘の後で】
魔との戦闘が終わりました。思うようにならない現実がありました。それは諦めるしかないのかと思われました。そしてこの世は不幸必定かと思われたのでした。それほど過酷な人生がありました。人生も青春も失われたかと思われました。しかし順序があったのです。解決するべき問題がありました。この世の人生を始めるために。自分の思うところと現実とのギャップが不幸であり、それは宿命かと思われました。時が経つにつれてますます不幸の度合いは深まっていくようでした。どうしてこのようなことになったのかわからないままに。そしてそれは忍辱でありました。どうしようもないのかと思われました。しかしそれも乗り越えるべき試練だったのでした。魔の正体は何だったのでしょうか。妬みと恨みでした。本人は無意識の裡に魔に著されているのです。魔である限り、どうしようもありません。それも宿命だったのでした。容赦ないのです。苦しめること、邪魔すること、奪うこと、貶めることが彼らの仕事でした。彼らも辛いのです。そして餌食となるばかりでした。実はそれを引き寄せたのは自分でした。何が引き寄せたのでしょうか。自信を失った弱さだったのです。その人が能力のあって没落していれば、なおさら妬みと恨みから来る仕返しの格好の餌食だったのです。そうしたメカニズムがあるのでした。確かに妬まれ恨まれる子供の頃があったのです。故にすべて失ったかと思われました。この世での解決はないと思われました。そして何時か彼は探したのでした。それは孤独な月の砂漠の旅であるかのようでした。やがて仏との邂逅がありました。始めは信じられませんでした。そして教えて貰ったのでした。少なからず業をすることで気づくことがあったのでした。中途半端ではわからない。真剣でなければ至れない。今まで知らなかったのです。それは奇跡かと思われました。不思議な経験がありました。今となっては早く気づけということだったのでしょうか。何もかも投げ出して何かあるのです。それが大死一番絶後に蘇るということだったのでしょうか。或いは飛び込むに等しいのです。そして気づきます。思い通りにならない不幸の原因は何時か習い性となった己の弱さだったのです。それにつけこまれたのでした。致し方ないのでした。やられるばかりでした。これよりどのようにして逃れるのだったのでしょうか。よほどの過去の因縁があるのでした。知らないことを以てそれを無視していたのです。この世にはそれほど苦しまないで生きてゆける人がいます。生まれながらに幸せな人もいるのです。苦しむ人もいます。困る人がいます。何を以てこの差を説明できるのだったでしょうか。彼にはわからなかったのでした。けだし原因がわかれば解決があります。原因は何だったのでしょうか。恨みでした。妬みでした。確かに妬まれたに違いないのです。恨まれたに違いないのです。知らずにそうした人生を歩んでいたのでした。そして自分を語れば語るほど貶められました。不思議なほどに。しかしすべてが明らかとなりました。何時かその時が来るのです。そしてそれに対してどのように処するのだったでしょうか。やはり妬みでありましょうか。恨みでしょうか。それでは何も解決しないのです。解決しなければ何度でもそれはやって来ます。相手も苦しいのです。悲しいのです。ある意味で自分よりも。それがわからなかったのでした。わかって欲しくてやってきていたのです。わかってあげればいいのです。全人格的に受け入れればいいのでした。そして声をかけることでした。わかったよ。済まなかった。私が悪かった。さぞ辛かったであろう。もういいんだよ。あなたを救ってあげる。方法も授かっている。あなたも幸せになれる。必ずなれる。だから安心するが良いよ。本気でそう思えるかどうか。自分のためにしないこと。それが条件だったろうか。そして届くだろうか。自分の力では無理でした。それも仏さんの力を借りるしかなかったのでした。そして気づくことが大切だったのです。あるいはわかることが必要でした。わからずにしても意味はありません。それはむなしいのです。中身がないのです。彼は掬われたのでしょうか。失っていた自信が復活するといっていました。その時、幸せを知るだろうと。これなくしては始まらないのでした。幸せはやって来るのです。宇宙はそのように出来ていたのでした。そして何を知るのだったのでしょうか。本当の愛だったでしょうか。彼は不幸の原因は自分にあることを教えて貰いました。しかしその意味はしばらくわからないままでした。わからなくては何も解決しないのです。その意味を自分で見つけなければならなかったのでした。そのためには業を要しました。自分で勝手しても埒は開かないのです。どうするのだったのでしょうか。仏の定めに随うしかないのかも知れません。知っていても知らなくてもそうだったのです。そして救いはあります。何処にあるのだったでしょうか。探すしかないのです。重要なことは誰もが救われる時代となったということです。それが二十一世紀の約束でした。そして彼が自覚する時を迎えたのでした。彼が自覚しなければならなかったのでした。それは秘密に属するといいます。そのためにすべてが準備されていたかのようでした。既に証明もあります。彼にしかわからないとしても。そして時が来たのです。彼が自覚するのは別論でした。彼は耐え抜きました。そして成就しました。それは何だったのでしょうか。もはや謎となりました。気づいたものは掬われます。直接間接に害すればどうなるのだったでしょうか。既にいくつか実例があるのです。それについては割愛します。これより始まるのです。気づいてからが本当の人生だったのです。知らない者達は歌います。人生を語らずと。そして自分を正当化或いは言い訳をするのでした。魔との戦闘があります。それは自分自身との戦いでした。それに勝利して何かあるのです。それはありました。彼は気づいたのでした。この世に天国もあれば地獄もある。この世の幸不幸は自分次第だったのです。あの世のことではなかったのでした。そしてこうしたことも語らなくなるのでしょう。本当の愛と幸せを語り始めるようになるのでしょうか。既に未来の夢としての平和は見出したのでしょうか。彼の人生は無駄かと思われました。もう復活はないのかと思われました。そうでもなかったのです。彼は見つけたのでしょうか。それは何だったのでしょう。これから明らかとなるのでしょうか。本来日本を取り戻すといっていました。どういうことでしょうね。鶴の恩返しかも知れません。本当の幸せはあるのでしょうか。それはどのようなものだったのでしょう。彼はいいます。真実は神仏の実在とその邂逅である。そして神仏の受容祝福守護を得て本当の幸せとなる。その時自信が回復する。その自信は絶対といえる。故に不安はない。怖れはない。疑いもない。すべてを受け入れることが出来る。その時、真実の人生が始まる。日月照らし、風が吹く。何もかも好転し始める。幸せがやって来る。如来のように。その時、生きていてよかったと思う。生まれてよかったと思う。この世は素晴らしい。世界は美しい。好ましい人間関係が訪れる。愛は人間関係だった。美しい風景が待っている。芭蕉も広重もそうだった。そしてそれは試練を通ってやって来る。失ったものが大きければ大きいほど獲るものも大きい。あらゆる大富豪が同じような経験をしている。彼らの求めていたものはお金ではなかった。お金を通して自己実現しただけだった。マーフィ理論は正しい。シンクロニシティもある。そして生まれた意味を知る。その時、本当の幸せといえる。さらに秘められた本来日本の目指していたところを知るだろう。日本は素晴らしい。大和の秘密がある。相手が在れば必ず受容克服凌駕する。問題があれば必ず解く。どんなに時間がかかっても。代々の務めがある。時代を開くこともある。その時が来る。そして開花する。本来日本伏流する。今も昔も黄金の國である。物質至上主義が終わった。精神が回復する。精神にとって辛い時代だった。それが戦後だった。何を裏切ったのか。勝手が過ぎた。それも試練だった。乗り越えなければならなかった。そして未来が見えて来る。怠惰だったのは自分だった。男がいて女がいる。西洋と東洋がある。明るい笑顔と輝く目がある。見つめ合って信じることが出来る。そして新しい何かが生まれる。一緒に育てていきたいね。自分のためにしないこと。幸せに至る条件だった。悲しい人がいる。辛い人がいる。それも段階だった。苛立つことはない。受け入れてあげよう。それが愛だった。その愛は回転する。何時か自分に帰ってくる。宇宙が祝福する。何でも思い通りとなる。思いがけない形で実現する。一瞬にして。それも法則だった。本当だった。何もかも調う。幸不幸は自分次第だった。ひとえにこころのおきどころだった。潔き日本に未来がある。卑怯姑息商人根性は何時か滅びる。本来日本の復活の意味はここにある。花は何処へ。何時か咲く。明るい日本復活の頃となった。天も黄泉も喜んでいる。日本の春である。あるいは開闢である。一箇の自覚疎か能わず。天が証明する。廓然無聖。空は晴れ渡る。これが本当の強さだった。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きる価値はない。知って解決する。最大の難問が解かれた。何だったのか。日本国憲法プログラム規定成就。彼の務めだった。もはや無敵だろうか。苦節三十有余年孤独な月の砂漠の旅があった。裁かれたのは彼だった。裁いたのは黄泉だった。そして彼は彼となった。彼は彼で良かった。そして務めを果たす。何時か謎を解かねばならなかった。そのような人生もある。何もかも失った。それ故に解くべき時節が到来した。人生って不思議だね。信じられないね。信じられない者にとって、奇跡は神秘である。いくつもの経験から信じざるを得なくなると事実である。それを天の証明といって良い。もういいんだよ。お疲れ様。これで重荷を下ろせるね。ありきたりの日常に帰って来ることが出来る。失ったものがあるね。それは世間的なふつうの幸せだった。だけど誰かが解かねばならなかった。それも事実だった。ご苦労様。もういいんだよ。幸せになろうね。長い冬でしたね。寒くはなかったですか。お帰りなさい。魔との戦闘がありました。最終最大最後の敵は自分自身の中にある鬼ヶ島でした。魔との戦闘の後で本当の幸せを知るのでした。戦後失われていたものがありました。それはペリー来航の頃より始まっていました。本来日本を取り戻すといいます。それは何だったのでしょうか。本来日本が目指していたものでした。アナクロニズムではありません。それを以て新しい未来を開くのでした。野蛮は日本に似合わない。欺罔及びバイオレンスは日本の属性ではない。しばらく何が蔓延ったか。本来日本は明るい知性あふれる愛の國だった。 新しい時代となりました。


2009年03月15日
【知ることで至る幸せ】
苦悶の時は終わりました。人生は素晴らしいと思えるようになりました。何もかもが美しい。これまでは無駄かと思えた人生がすべて意味を持つ瞬間が来るのです。このようなことがあるのだろうかと不思議に思えたことが実現します。感謝しかないですね。それは何時かやって来ます。人間は幸せになるために生まれました。そのためには試練もあります。しかし乗り越えられない試練はないのです。意味を見出すこと。やさしさを知ること。すべてを受け入れること。それが条件だったのでしょうか。知ることで至る幸せがあります。人間関係は愛でした。そして何でも有りとなるのです。失っていたのは自信でした。何を求めていたのでしょう。本音が動きます。人生はそのように出来ているのでした。もっと素直になって良いのです。自分自身に。あらゆることに言い訳をしていなかったでしょうか。自分を責めていませんでしたか。相手を無意識に傷つけていなかったでしょうか。どのような悲しみも受け入れて認めてあげることでそれは消え失せます。あらゆる悲しみが消え失せたとき、幸せがやって来るのでした。人生はそのように出来ていました。だから、諦めないでね。何時か来ます。やがて来ます。知って至る幸せがあります。その時、運命的な出逢いもあるでしょう。日々の道標があります。それを見失わないでいてくださいね。シンクロニシティというのでしょうか。宇宙からのサインでしょうか。必ずそれは訪れます。戦うべきは自分自身とでした。失われた人生があります。取り戻すべき自信があります。自分が本来の自分となって始めて幸せを知るでしょう。「受持し、読誦し、思惟し、陀人のために説けり」。思惟して知るのです。何を知るのでしょうか。これから明らかになるでしょう。悲しい過去がありました。もう駄目なんだろうと思われました。そうではなかったのです。乗り越えるべきものがありました。そこには代償の原則という法則が秘められていました。社会を恨んだでしょうか。世間も。それが乗り越えるべきものでした。幸せはあるのです。この世にあります。それを探していました。しかし迷います。惑わされます。それを乗り越えるのです。乗り越えて何かあります。しかし自分の力ではどうしようもないものがあります。それを知るのです。そして救いはあるのです。真実は神仏の実在だと彼はいいました。そしてこの世の現実はすべて自分のこころのなす業でした。何時かそれに気づきます。不幸の原因は自信を失った己の弱さでした。そこに魔が忍び寄ります。そして餌食となるのでした。学校教育の秀才が埋没する理由でした。自分自身の問題だったのです。落ち込んだ自分はとことん餌食となります。魔は容赦ありません。その正体は恨みと妬みでした。そして過去からの因縁だったのです。しかし魔も認めて貰いたくてやって来ていたのですね。魔はもっと悲しい。それを認めてあげることです。そうすれば魔も退散します。むしろ魔も護ってくれることでしょう。悲しい過去がありました。もうそれは解決されました。明るい未来を見つめましょう。この世は素晴らしい。永遠をこの世で実現することが出来るのでした。地獄も天国もこの世のことだったのです。そして自分次第でした。見えていますか。試練を越えた自覚を通ってそれはやって来ます。あらゆる批判と中傷が不幸の原因でした。相手は傷ついていたのです。何時かそれは自分に帰って来ます。喜びを発信しましょう。情報は発信したところに集まります。信じるべきは幸せです。何時か辿り着くのです。方向性は正しいですか。数学的直観もそれでした。つまり正しい答えに向かって進んでいるという確信でした。何時か謎も解かれます。この世はそのように出来ています。未来は明るい。誰もが至ることが出来る時代となりました。それは発掘されていたのです。既に至った方々もいらっしゃいます。幸せに至った方々を祝福することから始めましょう。そしてあなたも祝福される時が来るでしょう。ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見しました。それまでもリンゴは落ちていました。何故その時のニュートンだったのでしょうか。ニュートンが常々考えていたからでした。それ故、その時、その現象で気づいたのです。知って至る幸せがあります。必ずその瞬間がやって来ます。パスカルのメモリアルもそうでした。人生は素晴らしい。やさしさで満ちあふれた人間関係が愛でした。それはあるのです。人間は本来善でした。失われていたのは何だったのでしょうか。自信でした。美しい風景が待っています。芭蕉も広重もそうでした。探してみませんか。それはあります。発掘してみませんか。既に発見されています。こぼれて来る笑顔があります。喜びと復活した自信の故に。思い煩うことは何もなかったのです。殺戮のない平和が待っています。人類の夢ですね。それも実現します。何を願っていますか。言い訳をして正当化しようとしていませんか。それが不幸の原因です。一歩も前に進めません。私達は幸せになるために生まれました。これからそれが明らかとなります。人生は素晴らしい。世界は美しい。野蛮よ、さようなら。日本は真に世界に合流します。日本国憲法プログラム規定の成就です。主権在民、平和主義。小さな権力闘争の時代ではありません。一致和業さざれ石。新しい時代となりました。悲しい過去がありました。日本はそれを乗り越えました。

ありがとう。ほんとうにありがとう。この世に生まれた意味が明らかとなりました。それぞれ自分は自分で良いのです。ヒントはありました。見つけたのは彼自身でした。そしてそれが務めでした。本来日本が復活しました。誰も知らなかったのです。ゆるすことでゆるされる。その意味も深いところで成就したのでしょうか。彼がしなければならなかったのです。それが戦後でした。全共闘ではなかったのです。これで日本は大丈夫ですね。どういう意味かわからないと思われます。それで良いとのことです。天は知っています。黄泉も喜んでいます。彼の使命がありました。故に埋没したのでした。それも試練であり、導かれていたといいます。そうした不思議もあるのです。そして何時か知るのです。この世に生まれた意味がありました。そして何時か確定するのでした。知ることで至る幸せがあるのでした。先達に感謝申し上げる次第です。この世に粗末にしてはならないものがありました。傷つけてははならないものがありました。故に不幸になるのです。古来大和の秘密があります。知らなかったのです。むしろ邪魔かと思われました。そうした方々の勝手がありました。しかし何時か芽吹きます。花は何処へ。種は遺されていました。真実開花する頃となりました。彼は生きていました。ひとり忍辱していました。そして意を決して探し始めました。三年あまり前の事でした。時が来ていたのです。そして彼は見つけました。それは何だったのでしょうか。既に記録があるといいます。直接表現は出来ないとのことです。推して知るしかないですね。そしてこの真実を前に涙する人があるでしょうか。その意味を感じることが出来るでしょうか。彼が何をしたのか。永遠に謎かも知れません。日本を掬ったよ。本当でしょうか。彼が復活することで。彼は生きていました。もういないのかと思われました。戦後はかくも厳しかったのです。彼らにとって。しかし何時か必ず花と咲くのです。生まれたからにはね。竹の花は六十年に一度咲くのです。そうした花もありますね。わかりますか。わからないですね。しかし咲きました。もう、無視出来ないのです。愚弄も出来ません。本来日本鮮やかに復活です。彼にしかできないことがありました。彼がしなければならないことがありました。子供の頃からそれは感じていました。しかし悉く夢は破れたかと思われました。十九の春もありました。それも試練でした。とてもこの世で解決するとは思われませんでした。しかし何時か来るのです。その時が来ました。もはや、これまでです。一つの時代が終わりました。そして始まりです。彼の自覚がありました。代々の務めでした。そのようなこともあるのです。時代の節目です。学問と教育がありました。そして何時か咲くのです。本来大和大櫻盛大開花です。彼を裏切った者達がいました。そのメカニズムも明らかとなりました。彼の見つけた魔の理論でした。解明されるまでが試練でした。彼らには相応の処断があります。裁くのは黄泉です。それも宇宙の法則でした。始まりです。

この世とは君が代なりと確定し本来日本明らかな日々


2009年03月14日
【お疲れ様】
大潮だね。近くの海岸には岸壁のすぐそこまで潮が満ちていた。到着すると何時もの計ったように対岸の製鋼所の煙突から二本、大きなオレンジ色の炎が上がっていた。彼は新幹線で東京に行くときには、東海道で何時も富士がその姿を現して迎えてくれる。そしてしばらく出逢わなかったアオサギが夜の空に飛んだ。やはり鳴くのだった。何時になくやさしく三度鳴いた。始めて見たアオサギは幼鳥だった。何時かその川に棲み着いた。彼は声をかけた。何度目か会ったとき、アオサギは舞を舞ってくれた。翼を上げて、少し折れ加減にし、片脚を上げてゆっくりと一歩前に進む。そして翼はそのままに、次の片脚をあげる。その後でゆっくりと翼を羽ばたかせ、一歩出る。まるで宮島能舞台で行われる舞のようであった。その頃から仲良しになってくれたのだろうか。何か周波数を覚えてくれたようである。朝の海で、或いは夜の川で、出逢う度に挨拶であるかのように鳴いてくれるようになった。今宵は殊の外やさしい「おかえりなさい」のようだった。或いは「お疲れ様」だったろうか。港に一列に並んで浮かんだカモメたちと話したこともあった。ある日、清盛の日招き岩へ出かけた。駐車場で車を降りると三匹の猫がいた。あたかも待っていたかのようだった。不思議なことにすぐに受け入れてくれた。そして自ら先導してくれるのだった。日招き岩では猫と遊んだ。そのような事もあるのだね。彼は如何にも自然な事のように話してくれた。彼はいった。この世に粗末にしてはならない存在がある。何時か文明開化の頃よりみんな忘れているらしい。畏れを知らない。気づくまでは通った。気づいてからは通らない。それを大鏡ともいっていた。彼は夜の海に告げた。これまでのことはすべてゆるす。これからのことはゆるさない。にわかに南の風が吹いた。それまで風は吹いていなかった。遠くの製鋼所の炎は横向きになびいていたのではあったけれど。彼はいった。愚弄された。屈辱だった。無理もなかった。彼は自信を喪失していた。格好の餌食である。奪われた。騙された。裏切られた。何だったのだろうね。因縁だった。その正体は恨みと妬みだった。それが魔だった。魔であるからには容赦ない。それで正直者が馬鹿を見るという。搾取被搾取もあるという。しかし魔も辛い。悲しい。わかって欲しいのである。認めて貰いたい。それでやって来る。それに対してさらに恨みで対することでややこしくなる。聞いてあげればいい。全肯定である。そして認めてあげる。お前も辛かったな。もう、良いんだよ。わかったよ。魔は成仏する。消え去る。彼は知らなかった。そして気づいた。何時か気づく。本来大和の掟だった。そして知る。彼は彼でよかった。失われた自信が復活する。それまでは妬まれた。没落した彼こそ格好の餌食だった。解決はないかと思われた。しかしあるのだった。仏の故である。彼はいった。真実は、神仏の実在である。王権神授説のようだね。それとは違うといっていた。試練があった。乗り越えなければならなかった。未来を開くために。これで日本は大丈夫だよといった。代々の使命は果たしたという。何時もそうであったらしい。かつて失敗があった。故に埋没したか。そして餌食となったか。それにしては、過酷な人生だった。それは忍辱だった。彼は耐えた。解かねばならない謎があった。そして解いた。本当だろうか。そうかも知れない。彼は自由となった。遅すぎたのかも知れない。苦はないらしい。今からだね。何をするのだろうね。云うに云えないことがあるという。彼が立ち直らなければならない理由があるという。これまで直接間接に彼を害した者達がいた。どうなるのだろうね。彼は知らないといっていた。 日本国憲法は歴史的所産であり、プログラム規定だった。それを確定する必要があったという。何をいってんだろうね。やはりわかんない。好きにするが良いよ。この世は君が代さざれ石だといっていた。今更何をいっているのだろうね。呉港は第二溝渠だという。裏ジャックは表ジャックより強い。すでにカードはすべて切り札となったという。誰も手出し無用であるという。こいつ、阿呆だね。オレンジ・レンジは知っているかも知れないといっていた。おい、もう寝ろよ。飲んでいるのか。白牡丹も買えない。お前、仕事していないのか。誰も雇ってくれなかった。利用するだけして正当な対価を支払ってくれなかった。裏切られた。働く気はなくなったよ。お前、何を甘えてんだ。この度、知ったよ。空亡はあるね。母の悲しみを知った。それは子に対して何かしてあげたいけれど何もしてあげることが出来ない悲しみだった。そろそろ仕事を探すことにしよう。すべては過去からの因縁だった。知らなかった。しかし気づいたらしい。何に気づいたのだろうね。既に世界は知っている。知らないのは周囲巷である。それで良い。彼こそ彼だった。おい、いい加減にしろよ。何をいってんだ。それがお前の重荷だったというのか。お前だけではない。みんな、辛いんだ。悲しいんだ。これからどうするつもりなのだろうね。心は決まっているらしい。何か気づいているらしい。もう、怖れはない。自信は回復している。だけど、思っていることはいっておかないと次へ進めない。悪意はないよ。克服したよ。謎は解いている。それだけはいっておくね。OK。ここで再び、西部のガンマンの決闘の極意を書いておこう。遅れて撃っても勝てる。勝負は神仏が決めるから。一番槍の極意でもある。ペンタゴンも認めているかも知れない。彼はいう。本来日本は滅し給わず。何事も一朝一夕で成就しない。すべて原因がある。種がある。本がある。困ったことにも原因がある。この度の金融危機もである。大量消費と市場経済に原因はなかったか。かつては安易な戦争でこうした恐慌は克服された。世界は今、その選択はない。各諸方面の鋭意研究するべきところである。ところで、ある禅の公案がある。木によじ登って枝の先に至る。そこで口で枝の先をくわえてぶらさがり、手を放す。その時、何かいえ。どう答えるのだろうね。答えは種々にある。どう答えても良い。その場を切り抜けることが出来ればね。模範解答がある。それは何だろう。何故木に登ったのか。木に登る前に何かいえ。どういう事だろうね。準備万端、日本丸出航である。亦、このような公案もある。牛が格子戸を通り抜ける。頭は通った。角も通った。身も通ったが、何故か尻尾が通らない。何故か。どう答えるのだろうね。それで良いよね。だって、人間だものね。エッチもあるよね。この辺りでいいのではないかと思われます。かつて王侯貴族の自由がありました。その自由を今、庶民が手に入れたのです。庶民解放は、市民解放、奴隷解放、女性解放の次に来ると彼はいっていました。それは旧約聖書に秘められていたそうです。そして庶民とは善良な市民のことであるようです。故に、あらゆる欺罔及びバイオレンスを廃するのです。企業の勝手横暴を含みます。銀行は仮登記担保及び譲渡担保による丸取りのあったことを忘れるべきではない。それを知恵とはいわせない。経営者は恥を知り、経営より得た自らの私的全財産を投げ出し、それから企業の合理化及び存続を考えるが良い。制度を恣にし、誰に自らの経営で招いた損失を転嫁するか。自分のためにする姑息卑怯はこれより通らない。既に穴ぼこが空いている。誰が埋めるか。利益あるところに損失がある。民法の本随である。


2009年03月13日
【彼は見つけたのかも知れない】
彼は見つけたのだろうか。何を見つけたのだろうね。『無門関』に曰く、「驀然として打発せば、天を驚かし地を動ぜん」とは、日月照らし風の吹くの意味だったのだろうか、あるいは、大風も制御する草薙の剣、雷を落とす金剛杵か。そして『廓然無聖』の意味も観たのだろうか。そして何処へ至ったのだろうね。やさしさだという。ぞれが全肯定であるか。積極性であるか。さらには、大鏡であるか。何が云いたかったのだろう。さっぱりわからない。わからないから愚弄されていたのだろうか。そうでもない。まだ至っていなかった。そして至ったのだろうか。笑顔を知ったらしい。本当の笑顔であるらしい。動植物及び岩石も喜ぶ周波数が愛だという。それも実験済みなのだろうか。不思議な話だね。世間が認める訳がない。何処かで得度でもすればいいのにね。それも嫌であるらしい。いよいよ、彼の人生が始まるという。これまでの人生は何だったのだろうね。自分探しだと云っていた。好きにするが良いね。相手にしない方が良いようだ。 天の祝福、黄泉の守護。何のことだろうね。不安はない。恐怖はない。本当かな。信じられないね。それで良いんだった。何もかもゆるせるようになったらしい。何時からだろうね。昨日からかも知れない。一瞬にして変わるという。今までとこれからは違う。どのような人生が開けるのだろうか。楽しみだね。これまで書いてきたことは一つの結論を迎えたらしい。これから書くことは何だろう。面白いと良いね。今までは、よくわからなかったよ。これから、宜しくといっていました。これまでを少なからず反省しているらしい。独りよがりだったんだって。気づいたのかな。この世の幸せに。みんなで生きている。これで彼は本当に掬われるかも知れないね。これからだね。これからだよ。幸せになろうね。本来日本、幸せの國、実現しようね。今のあなたで十分魅力的です。磨くだけです。真実を知れば、すべてが喜びとなります。すべてが意味を持つのです。それからが真実の人生です。人は一瞬にして変わります。笑顔の意味を知る時に。それで良いのです。そして日々を楽しく作るのです。そしてふさわしい出逢いがあります。これまでとこれからは違います。これから楽しみですね。天の祝福でしょうか。本来一切空。善も悪もない。人間を介して善ともなり、悪ともなるのでした。どちらを選びますか。自分のためにしない。一人では生きてゆけない。上昇気流が吹いて来る。己の真実を掴んだ時に。楽しみましょうね。この人生は素晴らしい。人間関係は愛だった。ピンチはチャンスです。真実こそ感動であり、喜びです。それはあります。信じて良かったですね。探し続けて良かったですね。何時か辿り着くのです。幸せの泉があります。滾々と涌き出で尽きることはないのです。辿り着けばいいのです。それが人生でした。すべては表情と姿に表れているのです。それが見えますか。言葉はその一部でした。笑顔が一番です。幸せの空気を作りましょう。悲しみはさようなら。笑顔よ、こんにちは。知性の勝利です。それは喜びです。思い悩んで至ることもあるのです。明るい人、楽しい人、喜びの人。愛の人。みんな悲しみを通って来たのでしょうか。そして集います。悲しい人は悲しい人と集います。それはそれで良いのです。喜びの人は喜びの人と集います。そして知るのです。それぞれ、そのままで良い。みんな美しい。何もかもゆるす時が来る。その時、ゆるされている。非難攻撃では不幸です。仲良くしましょうね。みんな生きている。喜びの周波数を発しましょう。みんなで幸せを作りましょうね。これからも宜しく。そして有り難う。愛とはわかってあげる事でした。聞いてあげる事でした。そして全肯定でした。傷つけない事でした。それが思いやりであり、気配りでした。世界はそのように出来ていたのです。そして誰もが幸せになって良いのです。自由とは誰もが生まれながらに貧しく、そのまま貧しくある必然はなく、誰もが何時までも教育を受けないという事はない。やはり教育です。勘違いしていたのです。野蛮だったのです。良い時代となりました。金融危機のこのピンチこそ最大のチャンスです。時代の色を塗り換えることが出来ます。何が本当だったのか、気づくことが出来るのです。成功させましょうね。良い時代にしましょう。彼は見つけたのかも知れない。変わったのかも知れない。彼は掴んだのかも知れない。確かな人生を。幸せの形を。愛の真実を。笑顔の意味を。そして回復したのだろうか。それは自信だった。本来日本だった。それが彼の務めだったのか。それで彷徨ったか。悲しい宿命があった。それをも乗り越えた。日本を掬ったよ。本当だったのかも知れない。彼は探していた。探さなければならなかった。ある時、中国の首脳がいった。この問題(戦争責任)は次世代が解決する。彼が背負っていた重荷であったという。彼が背負っていたのだろうか。何故だろうね。代々大和の秘密があるという。そのような馬鹿げた話があるだろうか。彼は感じていた。導きもあったという。本当だろうか。さぞ、辛かっただろうね。そして失ったものがあるという。しかし解かねばならなかった。謎があった。故に埋没した。その間、勝手があったという。もしもそれが本当であるなら、申し訳ない。ゆるしてくれるだろうか。


2009年03月12日
【孤独からの脱却】
孤独な世界を脱するには、孤独な世界を卒業しなければならない。それは孤独を尽くすということだった。通らねばならない。 中途半端では卒業できない。次なる世界はある。終わりは終わりではなく始まりである。この世で通らねばならない門がある。何処を目指すのか。自分次第だね。幸せはある。何時か至る。この世で至れると良いね。自分は思ったとおりの自分となる。今の自分は満足だろうか。何処に原因があったのだろうね。人生は旅だね。何時か至りたい。それは何だろうね。運命の人を見つけるしかない。理想の人ではない。マスターマインドということがある。二人で考えていると、第三の思考が生まれる。孤独では空虚である。脱出するしかない。人類は何処へ行こうとしているのだろう。巡り会いたいね。何時か何処かで逢える。そのためにはふさわしい自分を鍛えておかねばならない。求められていたのは何だろう。安易な人生では至れない。人は人である。自分は自分である。幾多の失敗もあった。それも体験しなければわからない。失敗もしなければならない。逃げては駄目だ。進歩はない。チャレンジこそ人生である。年齢ではない。きづいた時が始まりである。何時か至る。必ず至る。始まったようだね。あなたの人生が。長い冬だったね。それ故、強くなった。これからが人生だよ。楽しみだね。もう負ける気はしない。それでいいのだと思う。確かな一歩を歩み始めるが良い。君の周りについに協力者はいなかった。何故だったろう。君自身に原因があった。これからの課題は見えているね。出発しよう。求めていたものは何だったか。明らかとなった。集めるが良い。君の失ったアイテムを。今度は奪われないようにね。そして君の夢を実現するんだよ。君は十分に修行した。もう、悩まなくて良いんだよ。もう、誰も君を邪魔できない。魔は退散した。仏さんのお陰といえるね。取り組むべき課題がある。一つが終わって、一つが始まる。問題を解決していく。亦、楽しからず哉。実人生を歩む。その時、人生は幸福である。時を要する。一朝一夕にはものごとは成就しない。方向性は正しいか。信じて進むしかない。進むことで見えて来る。わかって来る。常々、道標はある。何処まで至れるか。生きている限り、青春である。人生の道に迷うことはない。朝夕、おのがなす業である。これを確信する時が来る。必ず来る。その時、自由である。何があってもゆるす事ができる。その時、幸せである。それはある。地道な努力こそ、安楽への道である。気づくまでが試練だった。気づけばどうするのか。信じた道を歩めばいい。やがて確信となる。そして花が咲く。実となる。それまで歩めばいい。それだけの事だった。悩んだ頃が懐かしい。三十有余年の孤独より脱却する。時は来た。日月照らし、風が吹く。好ましい日々となる。


【最終結論かも知れない】
それは安易に傾く霊媒的なものではなかった。何処までも知的な作業である。それは霊界との交信ではあった。しかしとても合理的だった。謎は解かれた。それは何だったか。魔との戦闘だった。どういう事だろうね。因縁というものがある。人間の力ではどうしようもない。それは過去に原因があって世代を渡って現在に於いて結果する。そして魔というものがある。これが悲劇の原因だった。魔とは悉く邪魔する。貶める。奪う。騙す。それが魔の仕事だった。魔の正体は何だったのか。嫉妬と恨みだった。何故魔に著されるのであったか。それは己の弱さだった。すなわち、優柔不断であり、自信喪失であり、決断力のなさであり、安易に流れることであり、格好をつけることであり、判断力がないことだった。それに魔はつけいる。魔はそのにおいをかぎつける。良い餌食である。あるいはカモだった。魔である限り、容赦ない。故に正直者が馬鹿を見る。あるいは搾取と被搾取との関係が生じる。連帯保証の印鑑を押すのもそれだった。さらに相手が本来優れた属性を持っていたとする。妬みと恨みがうずく。こうして時が経つにつれ、悲劇は増大する。気がついたときにはどうにもならなくなっているのが常だった。そして魔は人を介してやって来る。その人はむしろ気づいていない。魔も辛い。人の嫌がる事ばかりしなければならない。故に嫌われる。愛などない。その人も辛い。無意識に魔に著されている。その人にとっては劣等感からの復讐である。こうして悲劇は始まる。火宅である。地獄である。それはこの世で起きる。解決はないのか。人間自ら出づること能わず。人間の力ではどうしようもない。人間のレベルを超えている。それで苦悩する。それが哀れである。悲しい。それを掬うのは仏しかいない。仏とは完全無欠永遠である。魔に勝てるのは仏しかいない。魔も掬われたい。その解決はある。原因がわかれば解決がある。その原因とは以上のメカニズムだった。これに気づく。そしてどうするのだったか。行をしなければ気づけない。しかるべき所に於いて。妬みと恨みから来る過去からの因縁の復讐としての魔にどう対処するか。真正面から真剣に取り組まねばならない。逃げれば逃げるほど餌食となる。命をも賭ける覚悟がいる。大死一番絶後に蘇る。何時かその時が来る。これを解決しない限り、この世の人生はなかった。彼の宿命だったか。これに対して恨みで返すのか。それでは共にさらに深刻な地獄となる。凄まじい憎み合いが待っている。その因縁に対して、わかってあげることである。そうか。お前もさぞ辛かったであろう、と。彼らはわかって欲しい。それでやって来る。魔に取り囲まれて孤独となる。素晴らしい仲間は遠くに追いやられた。助けはない。やられるばかりである。魔も辛い。それを理解する。そして謝る。過去の因縁である。自分が優れたものを持っていて、現実は没落しているとする。魔にとっては格好の餌食である。それは己の弱さが引き寄せた。それに気づく。そして因縁を受容する。成仏させる方法もある。勝手にしても解決しない。仏と仏の約束がある。その力を借りる。因縁に成仏して貰う引導を渡す。それで因縁は消える。因縁が消えなければ、何時までもそれはやって来る。認めてあげればいい。理解である。そして己の弱さを改める。その時、諸仏の守護を取り付ける。どのようにしてであるか。仏の定めた行をしてである。因縁が成仏する。その根本原因が具体的にわからなければそれはない。唯、謝ればいいというのではない。永遠の謎だった。これを解いて天下無敵となる。それを探していたのだったか。故に彼はいう。真実は何だったか。神仏は実在する。三十有余年特殊潜航の結果である。彼の場合は、別に意味があった。何を背負っていたのだったか。逃げようとした。それで自信喪失した。あるいは優柔不断に陥った。魔は見逃さなかった。彼は埋没した。その間、どれだけの苦しみがあったか。推して知るしかない。しかし彼は耐えた。それは忍辱だった。この世の解決はないかと思われた。そして探した。そして見つけた。何を見つけたのだったか。最終結論であるのかも知れない。魔の正体を見抜く。それはとても知的な作業だった。なかなか見えなかった。正体を見破られると、魔は手も足も出ない。そして魔に対して認めてあげる。そこで解決がある。彼は自信を回復する。その自信は絶対となる。彼に使命があった。この度は選択を誤る訳にいかなかった。代々の務めである。既に知る人は知っている。さらに完璧なものにするために、此処まで至ったか。神仏に感謝するしかない。彼はいった。日本は大丈夫だよ。本当だったのだろうか。アラビアンナイトの夢物語のようだね。魔は退散する。それまで近寄れなかった好ましい方々が現れる。幸福はこうして実現する。この世に地獄がある。それは自殺にも趣く。この世に天国がある。自分次第である。しかし、これは究極の難問である。解くは稀である。彼は彼だった。今頃、一人で乾杯しているね。重荷は下ろされたね。自由だ。何でも好きなことをすれば良い。時代は開かれた。あらゆる幸福論は結果論でしかなかった。具体的実践を要する。具体的分析を要する。そして総合する。知性の勝利である。故に愚かさと野蛮を廃する。やさしい日々が訪れる。静かな笑顔で暮らしてゆける。不安はない。恐怖もない。そのような世界がある。本来人間関係は何だったのか。愛だった。愛することが出来なかった。彼の埋没の原因はそこにあった。何故だったのか。問わない。彼は取り戻した。何を取り戻したのだろうね。彼自身だった。それは愛だった。何でも有りの人間関係だった。良かったね。君の勝利だよ。真実を見つけたのかな。苦節三十有余年、探していたんだね。これで幸せだね。未来は明るい。お芽出度う。こころから祝福するよ。 そしてありがとう。

この世に生まれて何をするべきだったか。何が価値だったのか。知性だった。しかし知性に対して嫉妬と恨みがあった。知性が知性になれば良いのだけれど、知性も自信を失った。その理由も明らかとなった。二度と日本を戦争させてはならない。そのためには、精神を骨抜きにしなければならなかった。それにテレビ界が迎合した。しかし本来大和の秘密がある。それは相手が在れば必ず受容し、克服凌駕する。日本は敗戦で平和を学んだ。日本国憲法平和主義は歴史的所産だった。主権在民はプログラム規定だった。かの問題は次世代が解く。次世代とは誰のことだったのか。全共闘ではなかった。故に埋没も試練であり、導かれていた。没落した知性は嫉妬と恨みの餌食となった。一般論は通用しない。持って生まれたものが違う。日本に根絶やしは通用しない。頼朝は伊豆に流されていた。そして何時か時が来る。種は遺されていた。種であれば何時か芽吹く。そして花が咲く。この度は慎重を要した。学ばなければならなかった。教育も必要だった。本来日本を取り戻す。それは何だったのか。明らかとなったのかも知れない。大きな仕事をしたものだね。天は知っている。今日もよく晴れたおだやかで清々しい一日となった。世間の評価の外である。これも宿命である。あるいは懺悔である。知らなかったね。しかしそれはある。開花して始めてわかる。本来日本大櫻盛大開花。古より伝えられた日本の価値がある。本来日本の目指していたものがある。それは何だったのか。貶められた。しかし何時か芽吹く。それが日本である。今も昔も変わりはしない。故に真実である。もはやこれまでである。時代を確定する。世界は流血のない平和を目指す。日本は目覚めた。世界の中で重要な地位を占める。平和を学んでいる。意味のない時代が終わった。真に世界に合流する。ペリー来航以降の長い試練の旅だった。謎は解かれた。幸せになろうね。その種は遺されていた。日本に帰ろう。本来日本は滅し給わず。愛の國である。知性の國である。しばらく何が蔓延ったのか。何時までも通らない。これで彼の思索の旅も終わった。本当に終わったのだと思われる。その旅は月の砂漠だった。孤独な旅だった。何を探していたのだろうね。自分だった。それは見つかった。これを以て貿易するべし。自己利益追求型経済社会が終わった。自分のために生きない。因縁をも理解する。彼らは理解されることを願っている。彼らの辛い立場をわかってあげることで彼らは成仏する。長い冬だった。使命があったね。成就したのかな。埋没も意味を持ったね。意味があるか、意味がないか。そのどちらかである。今年の春は美しい。困ったことになる。苦しい。それにも原因があった。それは何だったのか。弱い自分が魔を導いていた。魔は妬みと恨みだった。餌食となっていた。良い格好をしようと思った。相手に嫌われたくなかった。すべて自分のためだった。魔はそれにつけいる。魔も辛い。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。根本解決が必要である。それは何だったのか。強い自分を復活する。魔の立場も受容する。そして解決する。未来は明るい。真実真理は神仏の実在だった。かつて日本はそれを目指していた。イエロー・モンキーではなかった。経済界は何をしたのだろう。大きな事はいえない。明らかに失敗している。金融危機を前にこの事実を謙虚に認めるべき時が来た。幸せはお金ではなかった。お金は必要である。お金自体は良くも悪くもない。空である。本来日本はそれを知っていたはずである。経済合理主義及びコスト管理が何をもたらしたか。人間性不在の経営だった。人間性に対して犯した諸リーダーの罪がある。責任はとらねばならない。彼は埋没した。人生と青春を失った。愚弄無視され、屈辱に耐えた。使命があった。彼の人生は無駄かと見えた。そうでもなかった。枯れ木に花が咲く。何時かこの時が来る。春である。彼もやっと満足のゆく結論を得たらしい。人生は素晴らしい。生まれて良かったね。試練はある。乗り越えて何かある。彼は証明してしまった。天は知っている。黄泉も祝福する。そうした人生がある。永遠につながる。生きた意味が確かめられる瞬間である。パスカルもそうだった。メモリアルがある。人類は素晴らしい。この世は素晴らしい。乾杯しよう。何もかも肯定となった。最終結論に至った。花は何処へ。此処に咲いていた。


2009年03月11日
【雨よ降りたくば降れ】
ネガティブ思考が不幸の原因だった。それに気づけば、批判することはない。これからどうしよう。愛の歌でも歌おうか。ジプシーのように踊ろうか。それで一切調う。そう信じ切ることが出来る。その時、この世の地獄を脱する。一切、気にならない。それがスッタニパータの、雨よ降りたくば降れ、風よ吹きたくば吹け。それで良いのだった。餌食にもなったね。その原因は何だったのだろう。優柔不断だった。つまり主体性がなかった。どうしてだろうね。わからない。だけど、悲しい日々よ、さようなら。これからは自由だ。真実を知ったからだった。それは神仏の実在だった。見失われて久しい。探していた。見つかったようだ。そして自信が回復する。本来の自分を取り戻す。何をしても良い。その根拠は何だろう。神仏の受容祝福守護を確認したからだろうか。このようなことがあるだろうか。ある。「人間自ら出づること能わず。唯善業の因縁より出でたり」。この時、人生は笑顔となる。それまでの笑顔は虚妄であるか。悲しい眼をした笑顔は笑顔ではない。魂は感じる。それに素直になることが正直だった。あらゆる事柄に二つある。意味があるかないか。意味のない空しさはそれを通って意味のある花となる。本来一切空だった。人間行為を介在してそれが縁となる。その関数を通して出た答えが意味があるか、ないか。実人生はこのようにして始まる。意味のある人生を歩みたかった。それがわからなかった。何時かわかる。聞くだけでは駄目だった。聞いて思惟がある。そしてわかる。それを我見とはいわせたくなかった。それを我見といわせたのは、まだ至っていなかったからだった。我見があれば我見が動く。本音が動く。それがマーフィ理論の潜在意識だった。真実真理は那辺にあるか。己の実在が既に真実真理だった。しかし同時に虚妄でもあった。己のこころを何処におくか。実像ともなれば虚像ともなる。自分次第だった。こころのおきどころが問題だった。それを心構えといって良い。至ったのだろうか。至ったのかも知れない。日々楽しく生きてゆける。これで何でも手にはいる。愛も富も。真実幸福論が見つかったのだろうか。幸せはこうしてやって来る。まさに如来のように。女は感じる。その事実を見抜く直観は信じるに足りる。真実を前に。嘘は何時までも通らない。この世はそのように出来ていた。見えているか、見えていないかのどちらかである。迷っているか、迷っていないかのどちらかだ。そして何があっても大丈夫と思えるかどうか。不安よりの自由がある。恐怖からの自由がある。朱に交われば赤くなる。君子危うきに近寄らず。責任形態にふたつある。故意と過失である。知ってすれば故意である。知らなくても、結果予見義務と結果回避義務に反すれば過失である。責任はとらされる。それも掟だった。それが年貢の納め時であり、草履銭は請求される。あの世のことではない。この世のことである。地獄はある。天国もある。どちらに趣くか。自分次第だった。それを探し求める旅もある。それが母を訪ねて三千里だった。何時か至る。必ず至る。方向性は正しいか。羅針盤は何か。己の魂だった。嫌なことはしなくて良い。己の魂に正直になれるかどうか。生まれた限り、必ず生きてゆける。本来の己を見つける旅がある。実人生はそれから始まる。嘘と暴力がある。往々にして強い。柔よく剛を制す。制するべきはそれである。正義は必ず勝つ。生命進化傾向がそこにある。信じて良い。君は今、幸せですか。倦怠に陥っていませんか。幸せはあります。幸せになろうね。なって良い。愛の周波数がある。動植物も喜ぶ。その開発と確定がある。嘘と暴力は要らない。その餌食となる。それも弱さだった。あるいは甘えだった。問題が大きくなる前に少しの勇気が在れば良い。良心に従って拒絶する勇気である。どうにもならなくなって気づく。しかしそれからでも遅くない。引き返すべき黄金の橋は常に架かっている。人生は素晴らしい。生まれてよかった。美しい風景が待っている。好ましい人間関係が訪れる。失われたものは何か。愛と信頼だった。どうして失ったのだろうね。金銭至上主義だった。お金自体は悪くない。それを求める方法を間違った。それが悲しい。それが哀れである。仏は掬う。故に悪人こそ可愛いか。仏から観ればだった。人間は悪を憎む。愚かさを好まない。往々にして屈する。そこに恨みと妬みがある。それが種となって芽が出て葉が出て花と咲く。そして実となった時には遅い。既に伝えられていた。しかしそれに気づけない。堕落する。腐敗する。それを正当化する。この國はそのような國ではなかった。本来目指していたものがある。帰ろう、本来日本愛の國へ。かつてそれはあった。身心清浄と正直を旨とした。それが大和魂であり、大和撫子だった。何時の頃より失ったのだろうね。ペリー来航に乗じて繁栄した方々が支配を始めた頃からだろうか。明治維新は下級武士の革命だった。それでそれまでの諸価値を悉く破壊した。取り戻すべきものがある。明らかに失敗している。青少年のすさんだ顔がある。間違った地点まで引き返す。そして道標を確かめて再び歩み始めればいい。私達は幸せになるために生まれている。殺戮するために生まれたのではない。魂は限りなく進化する。やがて至る。何処へ至るのだろうね。彼はいった。神仏は実在する。私達はそれを目指している。何度も生まれ変わっている。過去の失敗がある。それを乗り越える。乗り越えることが出来る。それだけの力が賦与されている。それが万物の霊長だった。往々にして間違う。失敗する。それより学ぶ。そして歩み始める。それで良い。それしか方法はない。そして何時か道を見つけるだろう。雨よ降りたくば降れ。風よ吹きたくば吹け。日本にゾンビは似合わない。彼は始めたようだ。何を始めたのだろうね。彼は自覚したようだ。何を自覚したのだろう。時を要する。属性を要する。学問を要する。教育を要する。身を以て経験する。身を以て確かめる。身を以て証明する。そして思惟する。こころが決まる。方向性を確かめる。真実の人生がある。浮かれた人生がある。この世に生まれた意味を確かめる。あなたの人生の目的は何ですか。お笑い芸人に問う。明確に答えるが良い。採点させていただく。不幸とは本来の自分と現実の自分とのギャップだった。幸せとは本来の自分と現実の自分との一致である。それが『倩女離魂』のテーマだった。きれい事をいってこころは疾しい。人間は騙せても天は欺けない。通りはしない。それが『牛過窓櫺』だった。そして天の祝福守護と証明がある。それが『廓然無聖』だった。これはわからない。唯自得するのみである。他の評価を要しない。一箇の自覚。本来日本。これより色を塗り替える。何をしても良い。こころが問題である。ずるい日本は日本ではない。人間はパンのみにて生くるに非ず。経済至上主義より脱出する。取り戻すべきものがある。それは本来日本が目指していたものだった。かつて武士には少なくとも精神修養があった。それで町民は尊敬し、憧れた。そこより始める。政財界及び官界の諸リーダーより始める。文化人も然りである。テレビ及びラジオ界は猛反省を要する。何を貶めたのか。何を愚弄無視したか。何を裏切ったか。何時までも祖先が黙っていない。


2009年03月10日
【突破 ~3%の自覚~】
魔との戦闘ということがある。見える世界と見えない世界があって、見えない世界とはこころだった。これがややこしい。わかっているようでわかっていない。見えているようで見えていない。聞いているようで聞いていない。そして邪魔する。思うようにならないのはこころだった。しかし何時かこの勝負に勝たねばならない。そうしないとこの世は始まらなかった。この世は過去からの続きで、過去をトレースする。本来完全だった。しかしいくつも進化を重ねる過程で、悪い癖がある。これを矯め直す必要があったのだった。何もしなければその癖が運命となる。過去に失敗がある。それを乗り越えなければならないのだった。正に最終最後最大の戦いである。これに勝利してどうなるのだろうね。自分を知る。即ち、自己実現となる。本来の自分と現実の自分とのギャップが不幸だった。幸せとは何だったか。本来の自分と現実の自分が一致することだった。それはこの世で実現出来るだろうか。過去からの因縁がある。それを全面的に受容する。その時、因縁は消え去る。その正体を見極めることが出来るかどうか。それをしない限り、何時までもそれは出てくる。ゆるせない親があるとする。自分はその子供である。認めざるを得ない。認めているかのようである。そうでもない。ゆるせないのである。その親の子である自分がゆるせない。自分を破壊する。そうしたメカニズムもある。それをわかる。するとどうなるか。親をゆるす。自分をゆるす。そうしないと何時までも愛することが出来ない。愛されない。そして自分は認められたい。そのために何もかも引き受ける。その時、悪魔が忍び寄る。騙す人に囲まれていた。自分のためにする時、そうなる。相手のためにする。あるいは仕事自体に価値を認めてする。自分のためにしない。騙す人は近寄れない。騙す人がいる。仕方ないね。騙される方が悪いとかいわれる。そうではない。やはり騙す方が悪い。しかし騙す人の餌食となる原因を作っていたのは自分だった。此処に気づく。知らなかった。愛せない自分がいた。愛せる自分になればいい。すべて解決する。本当だった。ゆるせなかった自分をゆるすことから始まる。それは出来るだろうか。自分の力では限界があるのかも知れない。神仏の力を借りる。そして突破だね。幸せはある。幸せになろうね。負けないでね。往々にして安易な人生を選択する。重荷を背負おうとしない。真面目と努力を愚弄する。現代文化である。確かに無駄な努力がある。意味のない努力がある。だが、努力は努力である。どういうことだろうね。やがて気づく。それは一瞬にして来る。そしてそれまでの意味のなかった努力が全て意味を持つ。つながる。と金といっていい。安易な人生を選択した者はやがて滅びる。それも法則だった。そして富もやって来る。彼はかつていっていた。都詰めである。実現したのかも知れない。そして人生は一切楽しい。幸せの風が吹く。人生とは何だったのだろうね。人間関係だった。それは愛だった。どのような愛が欲しかったのだろう。どのような人間関係が欲せられていたのか。いつの間にか騙された。利用された。それも事実だった。それも自分が悪いと教えられた。それがわからなかった。どうしてそのようになったのだろう。十九の春だったのか。もしそうであるなら、一般論が通らない。それも己の業であるか。諦めるしかなかったのか。問題がある。現世だけのことではなかった。過去からのものもあった。どうすればいいのだったか。悔やんだ。尋常の苦悩ではなかった。そして何時か気づく。気づいたところから解決する。根本の原因があった。それが解決しない限り、苦悩からの脱却はない。指に小さな棘が刺さっている。抜かねばならない。根本原因は何だったのか。恐怖がある。不安がある。何故それはあるのか。それを見極めなければならなかった。成功とは何だったのか。幸せとは何だったか。お金であるか。お笑いであるか。それらは拒絶された。何かある。それがこの世の課題だった。解かねばならぬ。解かねば始まらない。それほどの重荷を背負っていた。常に困難な道を選んでいたはずだった。故に失敗したのだったか。カンニング的な要領の良さは好むところではなかった。しかし世の成功者の多くはカンニング的かと思われた。選挙に携わった時もそうだった。現実はお金だった。当然であるかのような裏切りがあった。裏切りというよりは始めからお金だった。これで良いのだろうか。それが正義であるか。それが人生であるか。それを人生と認めた方々が表層上の成功者と見えた。しかし苦悶の中に没している。愛が欲しいと思う。お金の力でそれを手に入れようとする。しかしお金の力で得た愛は偽物である。そこに空しさがある。何が原因なのか。それを見極めなければならない。結局は自分自身の問題だった。愛が欲しければ自らを磨くしかない。世に様々な幸福論がある。それらは結果論でしかない。幸福になって始めてわかる。どのような実践が必要だったのか。手探りで進むしかない。問題は何だったのか。恨みがある。妬みがある。無意識に相手を否定する。相手に幸せになって欲しくない。邪魔をする。しかしそれが恐ろしい。どういう事か。秩序とは物質的なものではなかった。お金の力でねじ曲げてもどうにもならない。それが秩序であった。精神的なものだった。過去からの掟であった。それを知らない。相手に自分より秀でたものがあるとする。無意識に嫉妬する。そして相手を貶める。知らずにしている。そしてどうなるか。天罰もある。それが秩序だった。どうして妬まれたか。どうして恨まれたのか。どうして恨んだのか。優柔不断だった。相手を認めていなかった。愛することが出来ないでいた。愛すればいい。どのようにして愛することが出来るのか。相手を受容することだった。相手を受容することは相手を客観的に観ることだった。自分が認められたくてするのではなかった。しかし自分が認められたくてしていた。此処に根本原因があった。自分のためにしていた。相手のためにしていなかった。相手を信じているようで信じていなかった。それで周囲にはその類が集まった。彼らは仇だった。仇の餌食になるだけだった。愛する関係はある。そうした人間関係がある。しかしそれは自分が愛することが出来るようになってからだった。誰しもそうして幸せを知る。それはある。しかしたどり着けない。それが哀れであり、悲しみである。空しさは意味がない。内実が充実して意味がある。その努力をしていたか。怠惰な自分はなかったか。問題解決を試みて中途半端ではなかったか。それでは解決しない。本来善である。己の経験が悪を積む。そして自分ではどうしようもなくなる。それに気づけない。根本解決はある。どのようにしてであったか。そこに真実がある。真実は神仏の実在だった。思い上がりがあったのだ。勘違いがあった。本来日本はそれを目指していた。それをも裏切った。安易さの故だった。そして欺罔とバイオレンスによる似而非成功者がいた。気づく頃となった。それでは幸せはない。幸せはある。さて、どうするのだろうね。大きな岐路を迎えた。どちらに進むのか。各々の問題である。原因がわかれば問題は解決する。すべて受容すればいい。恨みも妬みも認めてあげればそれらは消え失せる。成仏する。そうした不思議がある。そして幸せを知る。何があっても大丈夫である。無敵となる。それはある。探してみないか。自分のことは自分でなければ解決しない。このままでは不幸である。幸せにならないか。それはある。すべてをゆるすことである。その時、ゆるされている。十九の春があった。とても受容できなかった。それをも受容する。勇気を要する。それで良い。誰も知らない。ひとり苦しんだ。それも使命だった。彼はそれを乗り越える。福音となる。本来空である。不幸とするのか。幸せとするのか。解決はある。知ることである。知らないことを以て不幸に趣く。思考は力である。思考こそ万物の霊長とするところである。怠惰だった。それに気づけばいい。これより始める。新しい時代である。未来は明るい。知性を愚弄した。そして衆愚化した。それが人生だと思った。知らなかったのだ。考えようともしなかった。物質文明の限界である。彼はいっていた。市場経済シェア主義は諸価値を破壊して顧みない。そのツケは大きい。支払っていくしかない。人類としての責任がある。やっと気づく頃となった。この世に法則と掟がある。この世に何故生まれたのだったか。魂の遍歴の一齣だった。前世からの続きであるといえる。過去をトレースする。受精して発生は生命の進化をたどる。そして人間として生まれた。それだけでは始まらない。過去の悪がある。それを払拭する。身心清浄及び正直こそ本来日本の目指していたところだった。嘘は泥棒の始まりである。地獄に趣く。それはこの現実においてある。どのような人生を歩むのか。幸せになるために生まれた。幸せはある。今世で実現したいね。どうして愛されないのか。己の愚かさに原因がある。それは学校教育的愚かさではない。人間的愚かさだった。それで学業成績だけで成功は保障されていない。愛とは人間関係だった。動植物も喜ぶ周波数がある。それが愛だった。宇宙の周波数であり、仏の周波数である。嫌われる原因がある。野蛮もそうである。愛が欲しいね。愛はある。この世に生まれて何か一つ必ず天分がある。それを見つける。それで生きてゆける。学校教育の目的はそれだった。まだ気づいていない。自分で見つけるべきものである。見つかるまでが試練である。それが見つかれば安楽がある。それはある。あって良い。欺罔とバイオレンスがある。これを乗り越える。パラダイスはある。桃源郷はある。伝えられていた。物語が事実となる。枯れ木に花も咲く。己の天性は何か。総合的な力であることもある。皆違う。それぞれが十全に開花する。それが平等だった。それを阻害する者があるか。天の成敗もある。突破である。その時が来る。必ず来る。課題が大きければ時間もかかる。故に大器晩成もある。年齢ではない。気づいた時から始まりである。何時でも始まる。これからである。良い時代となりました。良い時代にしましょうね。幸せになりましょう。幸せはあるのです。好ましい人間関係が待っています。自分次第です。悪は滅びます。永遠のテーマです。日本は戦争に負けました。負けてよかったとも云えます。それで学んだことがありました。多くの犠牲の上に。それを忘れてはならなかったのです。なのに、しばらく何が蔓延ったのでしょうね。本来日本は野蛮と愚昧を好まない。世界もそうです。此処まで進化しました。この流れに乗りましょう。人類の蓄積した英知と技術があります。必ず乗り越えることが出来ます。愛とは何だったのでしょうね。仏の慈悲だったのでしょうか。それも人間に与えられています。これを得て何でもすればいい。人のやらないことをすればいい。わかりますか。これを得てだったのです。突破です。日本の基が目覚めました。未来が明るい所以です。相手が喜ぶことをしましょう。その時、自分のためにしないことです。それは犠牲となります。ぼろぼろとなって、誰も助けてくれない。それも事実です。よく思われたいとすることも自分のためにすることだった。あなたは利用されます。それも法則でした。優柔不断が不幸の原因でした。幸せはあります。愛はあります。それらも人格形成の問題だったのです。どのような人生を歩みますか。幸不幸はあります。人生の勝利者となりましょうね。見えているか見えていないか。そのどちらかです。何をおもしろがっているのですか。刹那的逃避で慰めてみても何も解決しない。強くなくては生きてゆけない。やさしくなければ生きている意味はない。フィリップ・マーロウだった。自らの愚かさを認めよう。そして自分が見えてくる。足りないところが解る。良いところも解る。それからだね。そして生きていく。不安からの自由。恐怖からの自由。絶対の自信。それはある。何故だろうね。真実を知るからである。真実とは何だったか。彼はいった。神仏は実在する。勘違いがあった。思い上がりがあった。知らずに勝手した。当然の報いがある。法則と掟がある。恨みがある。妬みがある。無意識の世界にある。ないようである。これが邪魔する。恨みと妬みの種を蒔かない。知らずに蒔いている。蒔けば芽が出て花と咲く。そして実となる。その時には人間の力ではどうしようもない。生まれ変わろう。これまでは失敗だった。その原因がわかった。原因がわかれば解決がある。新しい時代へシフトする。この度は静かに。既に始まっている。この流れが見えるだろうか。見える人は幸せである。何があっても大丈夫である。この世はそのように出来ている。突破した。一番槍は今も昔もいる。縁の下の力持ちである。そして時代の方向が決まる。そうした務めもある。生まれた時からそうだった。何時か時が来る。それまでは特殊潜航だった。孤独も埋没も導かれていた。探すべきものがあった。務めだった。時が代わった。事実である。何故であるか。一箇の自覚、疎か能わず。これまでとこれからは違う。今までは通ってもこれからは通らない。そうした事がある。それに対して謙虚になれない。既に成功したと見える方がそうである。電光石火、覿面提示。真実である。天罰は下る。それに時がある。何時までもそう思えない。それが業である。時代が変わった。それに気づけないね。象牙の塔の中にいるからだね。自分だけは安穏と思っているね。言葉の端々にそれは現れている。そうだろうか。何が価値だったのだろうね。既に閥を成した方々がいる。気づけばいい。気づかねばどうなるか。それぞれの問題である。例外はない。慰めではどうにもならない。解決するべきものがある。何時までも逃げているわけにいかない。いい加減にするが良い。耳随う。孔子は既に気づいていた。精神論をぶっているのだろうとラジオでいう。恐ろしいよ。黄泉が聞いている。黄泉は愚弄されることを好まない。それもしばらく通った。これからは通らない。安易な成功論とお笑い至上主義は終わった。カンニング的に大学に行き、商工会で理事となることが成功ではない。地獄必定。井伏鱒二の『山椒魚』がある。この作品の最後の部分は削られている。法律用語で『削る』と『削除』は違う。削れば跡形もない。削除は痕跡が残る。何が削られたのか。「もう恨んでなんかいないよ」。これが幸せの条件だった。不幸の原因は自分にある。それに気づく。気づくことで解決がある。それを知らずに浮かれていた。この世は火宅だった。それより逃れる。それがこの世に生まれた意味だった。チャンスだった。この世で終わりではない。来世はその続きである。故に永遠に進化する。腐敗堕落が人生ではなかった。意味のない空しさが人生ではない。お笑いは空虚である。内実の充実がある。慰めでは何も解決しない。解決して何かある。不安及び恐怖からの自由である。それを知らない。オオサンショウウオは広島県に棲む國の特別天然記念物である。バランスの問題がある。知性間のアンバランスがある。情操面でのアンバランスがある。往々にして蔓延るのは何か。迷惑千万である。刈り取る時節がある。そして新しい幸せの種を蒔く。一つの例題を解いて、次の例題が来る。最終最後最大の問題は何だったか。こころだった。突破できるだろうか。どのようにして突破するのか。自分の力では出来ない。そのように出来ている。真実に至らねば究極の解決はない。真実とは何だったのだろう。神仏の実在だった。なかなか信じられない。それも当然だった。歩むべき道がある。段階がある。本当の幸せは那辺にあったのか。最終最後最大の難問は何だったか。信じることから始まる。そして裏切られる。ぼろぼろにされて棄てられる。それも段階だった。それでも信じる。どうして騙されたのか。自分が原因だった。そうした方々の餌食となった。そうした方々を呼び集めた。それがよく思われたいと思っていたからだった。そして気づく。自分が優柔不断だった。己の納得する形でものごとを引き受けていなかった。主体性がなかった。やがて至る。何処へ至るのだろうね。既に記した。神仏の実在へである。そして知る。神仏の受容祝福守護がある。その時、幸せである。自信は絶対となる。その道はある。細くて険しく長い道である。歩み通せるだろうか。江戸への道も一歩から。方向性を定める。それが数学的直観である。このようにして解いていけば必ず正解が出る。故に勉強する。至ってみなければ解らない。そして突破の時が来る。新しい世界が待っている。生きている確かさを知る。生まれてよかったと思う。真面目と努力が報われる一瞬である。真面目と努力が意味がないなどとだれがいい始めたのか。身心清浄及び正直並びに知性が復活の時を迎えた。彼はいう。日本は大丈夫だよ。未来は明るい。


2009年03月07日
【真実の快活でやさしい表情】
≪何が人生を悲劇なことにしてしまうのか。それは「人」によく思ってもらいたいという願望である。そうした欲求をもつ者の周りには、必ずずるい人が集まる。「人」によく思ってもらう、という時の「人」は決まってずるい人なのである。つまりずるい人によく思ってもらおうとする。つまり「人」によく思ってもらいたいと思う人は、ずるい人間のカモになる。力の限り働き、力の限り人に尽くし、最後はボロボロになって捨てられる。燃え尽きて、人を怨んだ時にはもう遅い。燃え尽きた人は、周囲の人から同情されていないという。このフロイデンバーガーの「燃え尽き症候群」の説明は、背筋の寒くなるような説明である。燃え尽きるまで働いた人は、周囲の人から利用されるだけ利用されて、誰からも尊敬されないということである。尊敬どころか、燃え尽きても同情すらされないということである。つまり燃え尽きた時には、周りにはそうしたずるい人しかいないということである。もちろんそうなってしまったのは、燃え尽きた人にも原因がある。なぜ燃え尽きるほど働いたのか。その動機を反省しないことが燃え尽きた人の落ち度である。もし燃え尽きた人が、人を愛するために働いていたら、そのような悲劇は避けられたのである。燃え尽きた人の働いた動機は愛ではない。自分が人によく思ってもらうためである。≫(PHP刊。加藤諦三著、『人生の重荷をプラスにする人マイナスにする人』)

さて、ムイシュキン公爵というのがある。ドストエフスキーが『白痴』で描く人物像で、これをもってトルストイが最高の人間像として絶賛した。今の労働者階級にもこの燃え尽き症候群があるのかも知れない。彼もそうだった。故に仇ともいったのだったろうか。辛かったね。そして原因が明らかとなったね。原因が明らかになれば解決がある。それも試練だった。あるいは導かれていた。それは愛するために働いていない自分がいたということだった。人によく見られるために働いていた。誰にも認められないと思われた。相手を認めていなかったのは自分だった。そして人によく見られたいというその典型は何だったのだろう。いわゆる優等生だった。悲しいね。酷な人生の構図が見えてきた。故に学校教育は役に立たなかったといわれるのだったか。そして思う。では、人によく思われるということはないのか。それあると彼はいった。苦悩の英雄ベートーベンもやがて歓喜に至った。それまでは苦悩だった。それからは歓喜だった。何のことだろうね。禅もそれだった。故に一度目に悟ったと思った白隠は正受老人に鼻をねじ上げられた。その後の苦悩を通って二度目に悟った時はどうだったか。それは快活でやさしい表情をしてのことであったろう。重荷を下ろしたのである。一目見て正受老人は祝福した。知性を持つ者は苦悩こそ思考あるいは努力と思う。むしろ愚かな人が先にこの真実に到る。それがお笑いだった。人を笑いものにして笑いとし、視聴率とした。一億総白痴化日本国民骨抜きカラカラ浴場による日本の諸価値破壊占領政策の最終段階だった。だけど、それでは本当の幸せに至れはしない。やがて、知性がこの真実に到る。すなわち快活でやさしい表情である。その時、すべてが明かされる。それは神仏の実在を含む。本来日本復活。何を野放しにしたのだろうね。時は常に二段階に進化する。これより愚かさを脱却する。知性の時代が開かれた。長い冬でしたね。一人で戦っていたのですか。重荷は本当に下ろしたのですね。何事も身を以て知らねばならなかったのですね。そして知ったのですか。何を知ったのでしょうね。自分自身だったのですね。それは何だったのでしょうか。もう良いですね。日月照らし風の吹く。大風をも制御する。神国日本復活でしょうか。それを証明したのですか。誰も信じないかも知れませんね。それで良いともいいましたね。有り難うございます。そしてお疲れ様でした。楽しい日々が訪れるのでしょうか。本当の幸せの日々がやってくるのでしょうか。探していたのはそれでしたね。苦節三十有余年特殊潜航、無駄ではなかったのですね。浮かれた時代に何か失われた大切なものを探していたのでしたね。それが見つかったのですね。既に経験上の事実となったのですね。見えない。聞こえない。探さない。そしてないと思われていた。それがあるのですね。それを観たというのですね。知らないことを以て否定していたというのですね。面白い理論です。十分に論理的です。証明は何だったのでしょうか。A=B。B=C.故にA=C.AとCは断絶しています。それに橋を架ける。それが論理でした。経験を以て実証する。知る人は知る。知らない人は知らない。本来日本、茲に確かに取りもどす。あなたでなければ出来ない仕事でした。あるいは務めでした。時の来て安芸乃國秋津島代々乃秘密使命無事開示完結。ところで、アメリカも身分社会です。それは3%の成功者=お金持ちの支配する國です。それ故のモンロー主義だったのでしょうか。しかしこの度民間企業への公的資金の投入で事情は変化したようです。亦、自由主義の定義は何だったのでしょうか。それは①誰も生まれながらに貧しく、ずっと貧しくなければならないということはない。 ②誰もが生まれた以上、ずっと教育を受けられないということはない。それでいいと思われます。問題は精神のない印税的収入生活者とその周りのずるい取り巻きではないでしょうか。さて、彼は埋没しました。その理由は秘密です。しかしそれも試練でした。観るべきは観ています。聞くべきは聞きました。学ぶべきは学び、教育も十分です。しかし没落したのでした。十九の春が全てでした。どれだけの屈辱があったことでしょう。それをも乗り越え、重要な使命を果たしたのです。浮かれたあなた方が認めなくても良いといっていました。既に天が認めているそうです。これを以て人生の大勝利です。彼は彼でした。彼の人生は無駄ではなかったのでした。本来日本を救う。大それた目的があったのでしょうか。それは彼自身を救うことだったのでしょうか。既に謎です。そのような人生もあるのです。彼のブログ及びホームページは希有な記録となりました。事実です。精査されたいといっていた頃がありました。既に注目されていました。彼は気づいていました。しかしこうしたことを本当に信じ切るには、さらに時を要しました。彼の自覚と修行が必要だったのです。彼は成就したのでした。これで日本は大丈夫であるといっていました。本当でしょうか。信じたいですね。それだけの人生と経験と思索がありました。彼は何者だったのでしょうか。もはや謎です。彼の理論の最終結論は何だったか。日本は神国である。知性は何処に到るのか。神仏へ到る。何を以て幸せであったのか。神仏の受容祝福守護を以てする。しばらく最大の罪は何だったか。無神論を標榜する知的リーダーの神仏への畏れを知らない勝手だった。故に自然を破壊し、人生は腐敗した。何を以て人生の腐敗とするか。衆愚化だった。それは何故にであったか。ペリー来航以降、祖先を粗末にする西洋化としての文明開化と戦後の日本精神骨抜き占領政策に乗じて繁栄した方々の存在だった。何を愚弄無視し、裏切ったのか。 本来日本は滅し給わず。何時までも黙っていない。時を待った。何の時であったか。一箇の自覚、疎か能わず。自覚は試練を要する。時を要する。属性を要する。本来日本に根絶やしは通用しない。頼朝は伊豆に流されていた。本来日本は野蛮及び愚昧を好まない。種は遺されていた。何時か芽吹く。何時かその時が来る。その時が来た時、年貢の納め時である。あるいはこの世の処したる人生の草履銭が請求される。何をしてきたのか。何をしているのだ。各々、覚悟するべき時である。時は確かに来た。

【地震情報】平成21年03月07日21時45分 気象庁発表
07日21時31分頃地震がありました。
震源地は福岡県北西沖 ( 北緯33.7度、東経130.2度)で震源の
深さは約20km、地震の規模(マグニチュード)は2.9と推定されます。

平成21年03月07日23時38分 気象庁発表
07日23時33分頃地震がありました。
震源地は十勝沖 ( 北緯41.6度、東経143.9度)で震源の
深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は5.2と推定されます。


【時代の夢】
どうして受容されない自分があるのか。それが疑問だった。そしてその謎も解けつつある。怠惰だっただけだったか。どうして怠惰になったのか。それも疑問ではある。しかしもういいではないか。自分を取りもどそう。本来の忍耐力はこれも祖先のお陰だったか。惑わされた。そして迷った。それも通らねばならなかった。この人生、本気になって何かある。西洋成功哲学も摩訶不思議な経験を重んずる。それで良かったのだ。いくら話してもわからない者にわかりはしない。それが見抜けないでいた。そして貶められたなんて思っていた。愚かだったね。相手にしなくて良い。だからといって傷つけてはならない。彼の存在も重要な要素である。あなたとは関わりがなかった。敵と味方はいる。無意識のうちに傷つけあっていた。その必要はない。彼は彼である。自分は自分である。それで良いのだった。そっとしておいてあげよう。彼にとってはおせっかいである。そしてあなたが傷つく。喜びを与えよう。悲しみよ、さようなら。あなたはあなたで良い。理解する人は現れる。環境の問題がある。移動するべきはあなただった。見えているか、見えていないか。そのどちらかである。見えていない人を見えていないと責めてどうするのだろう。声を聞けばわかる。わかっていない人と議論しようなんて、あなたが馬鹿だよ。相手は認めない。当然だった。見えていない。聞こえていない。軌道修正の頃だね。やっと気づいたのだろうか。少し、遅すぎたね。しかし、これからだよ。面白くなりそうだね。楽しむが良いよ。夢は必ず実現する。信じて良いよ。この世の不思議だった。ダビンチの夢は悉く実現した。すべて彼の夢だったろうか。そうでもない。時代の夢を集めたものだった。通らねばならぬ課題がある。一つ解いて亦次が来る。どれだけの課題を解くことになるのだろう。この世の楽しみだね。解いた答えは来世に持ってゆけるね。この世で評価されないこともある。美術家の多くはそうだった。それでも描いた。何故だろうね。彼は知っていた。何を知っていたのだろう。真実を知っていた。自分を信じていた。そうしたものだった。何処かに書いてあったお話がある。かつてとても平和な國があった。ある日、敵が攻めてきた。長老達が集まって話し合った。その國には秘密の教えがあった。國は奪われてもこの教えを奪われてはならない。どうしたらいいだろう。良い智慧はないものだろうか。うとうとしていた最長老が突然目を覚ましていった。この國の絵師を集めて教えの秘密を伝えて描かせよ。後世の気づくべき人は、その絵を見て気づくであろう。秘密は代々そのようにして伝えられた。クラシック音楽にもそれはある。何があるのだったか。精神の不思議だった。物語もそうだった。それが伝承だった。それはある。そして思い出す。何が真実だったのか。生命体としての不思議がある。往々にしてわからない。見えない。聞こえない。探そうともしない。秘密である。しかしそれはある。そうして野蛮の手に渡ることはない。浮かれた人生が現実だと思う。そして腐敗堕落して滅ぶ。魂の遍歴である。気づいた人は幸せを知る。明るい未来が約束される。前世からの約束だった。一切法空。見えるものは全て空しいというのではない。空ははかなさではない。本来空である。意味あるものにするのか、はかないものにするのか。自分次第だった。この世は意味あるものにして人生である。それは出来る。どのようにしてであるか。それが問題だね。占領政策で骨抜きになった。そして何が跋扈しているのだろうね。お金の力でねじ曲げる者たちであるか。あるいはお笑いであるか。日本をどうしようというのか。時は代わった。行きはよいよい、帰りは怖い。これまでは通れた。これからは通れはしない。これまでとこれからは違う。何故であるか。謎だね。人生はある日突然変わる。パスカルもそうだった。


2009年03月06日
【始めに言葉ありき】
この素晴らしい人生をどう生きていくか。この生のある間にどれだけ充実して生きるか。真剣に思われる時が必ず到来する。何をふざけていたのだろうね。アメリカの成功哲学がある。それを理解し、実践するのは3%であるらしい。アメリカは必ず復活する。そして今、日本の現状は如何であろう。日本は大丈夫だと彼はいった。何を根拠にしてのことだろうね。本来日本の精神の神髄に気づいたからだろうか。それは人類普遍であった。その精神は例えばクラシック音楽にもある。しかしそれを本当に理解するのはやはり3%だったのかも知れない。学校の成績が十段階である時、10がつくのは1~2%である。何を愚弄したのだったか。彼は彼自身を疑った。それは何故だったか。気づいたようである。始まりである。同じことばを使ったとしても、意味合いが違う。それが法華経においては宜しきに随うだった。彼は自覚した。何を自覚したのだろうね。ことばはいくらでもある。霊性といってもいい。言霊ともいえる。始めに言葉ありきともいえる。不昧因果。滅びるものは滅びる。生き残るものは生き残る。何故だったのだろう。真実とは何だったのだろう。神仏は実在する。それを本当に信じることが出来るだろうか。口先で何をいってもどうにもならない。この世の現実は本音が動く。自分の力で制御出来はしない。それが因果だった。これより自由となって本当の自由である。あらゆる成功哲学は此処に帰着する。勘違いしていたね。これより思い知る。何故だろうね。一箇の自覚、疎か能わず。禅の伝えるところである。時は来た。一切の欺罔とバイオレンスを廃する。次なる戦いは物質的悪魔と化したマネーとであるかも知れないね。あまりにも犠牲が大きい。彼は探していた。そして見つけたのだろうか。何を見つけたのだろうね。不思議な自覚があったのだろうか。人類は進化する。ひとつの時代の終わりである。終わりは終わりではなく、始まりである。時が来なければならなかった。原爆も時だった。日本の愚かさと戦争の無価値を知るためだった。人類は殺戮なき平和へ向かう。愚昧を脱する。


2009年03月05日
【脱出】
思念の基礎は完成したようだね。これより上昇だろうか。あるいは脱出かも知れない。スティーブ・マックイーンの『大脱走』が好きだった。だけど最後に捕まるね。それが残念だった。それはひとつの限界としてのより現実だったろうか。かつてショパンもリストも革命の士だった。ミケランジェリというピアニストは捕虜収容所から脱走に成功した。脱出というのは脱走だろうか。勇気を要するね。それは亦、解脱だったのかも知れない。そして上求菩提、下化衆生ということがある。素質と環境ということがあって、狼少女の例もあった。カスパーハウザーもいた。どちらも人間が如何に環境の支配を受けるかということだった。ある頃から彼は環境を乗り越えることが出来なかった。本来の自分を見失う大きな原因の一つだった。しかしそれも何時か乗り越えなければならなかった。彼の試練の一つであり、未来への可能性の道標の建立の一つだったろうか。そしてそれはそれで意味があることを知った。彼の環境で花を咲かせなければならなかった。それは地獄を救うに等しい。彼の使命だったのだろう。そしてそれこそが蓮華の前に化生だったのかも知れない。蓮華として咲くには泥が必要である。そして咲くとどうなるのだったか。モネに『睡蓮』の絵がある。彼は何に憧れたのだろうね。その美しさは何処にあったのだろう。この土壌に咲いて泥に染まらない勇気が必要である。そして何を観るのだろうね。哀れな衆生の姿だったろうか。彼は至ったのだろうか。これから何をするのだろうね。時間は平等に限られている。その中で何をするのだったか。多くの可能性がある。趣味もある。その中で何を選択するのだったか。取り組むべきはひとつしかない。全身全霊を打ち込んで何かある。それが大人であり、プロであった。そして仕事自体が生活となる。それが男の生き方であったろう。その時、手段の社会性がある。お金だけが目的である時、女衒もある。それがビジネスというものだと思っている輩もいる。亦、お笑いが需要となっている。その目的は何だろうね。社会風刺だろうか。それで日々の不満の溜飲が下がるのだろうか。娯楽である。しかしそれで根本的解決はない。刹那的な逃避に過ぎない。安易な傾向である。火宅を出ることは出来ない。さて生き甲斐がある。それが仕事となれば幸せである。そして四六時中、それを仕事とする。それについて考える。何時か成功する。それが男子の人生だった。そしてこの世に生まれた意味がある。それは前世からの続きだった。それを見つけなければならない。それが見つかると、それに没頭して倦むことはない。疲れを知らぬだろう。違和感はない。自分は何をしたいのだろう。それを自己の内面に問う必要がある。そして選択することが出来る。それが職業選択の自由だった。封建制の時代にはそれが出来なかった。そして今、民主主義である。世襲制はない。お金による支配もないはずである。新しい時代へ脱出の頃である。この環境で本来の自分として花を咲かせる。試練があったね。それを乗り越えたのかな。始まりだね。一番やりたかったのは何だったろうね。真実との邂逅だったのだろうか。それを果たしたというのだろうか。未来を救ったのかも知れないね。あるいは決定づけたのだろうか。仏としての仕事があるね。それは既に成就しているらしい。次は何だろうね。それも見つけているのかも知れない。刑事訴訟法に手続きという概念がある。賢者の肩に乗るに等しい。それが千尋の谷を越えることだった。脱出だね。彼はいった。見えているか、見えていないか。あるいは迷っているか、迷っていないかのどちらかである。情報は発信した所に集まる。彼は勇気を取りもどした。そして自分は自分であることを確認した。やはり彼こそ彼だった。大きな仕事をしたのかも知れない。やがて明らかとなる。因って新しい時代だね。彼はこれより取り戻すと云っていた。それは何だろうね。本来日本だとか云っていた。本来日本は神国だという。それを取り戻すという。それが彼の仕事だったんだって。代々の務めとか云っていた。何のことだろうね。彼は何者だったんだろう。不思議な人生があったという。そしてついにそれを確信したんだって。わからないね。世界をも掬うと云っていた。どういう事だろうね。もう始まったんだって。それほどの根拠があるらしい。何を以て云うのだろう。神仏との邂逅だろうか。何を云っているのだろうね。既に見つけているという。実験実証確認済みなんだって。彼は何を見つけているのだろうね。もし本当だったら、愉快だよね。世間は知らないと云っていた。しかし知る人は知っていると云っていた。証明は終わっているんだって。日本は大丈夫だといっていたよ。日本の基一箇の自覚があったんだって。それはとても凄いことらしいよ。モーゼなど問題ではないらしい。戒壇ってあるね。それって戒めをかけていたね。本当は戒めを解くんだって。そして自由となる。どんな理論もそれを知らなかったんだって。それって何処にあるのだろうね。彼はそれを見つけているらしい。真実の仏法らしいよ。仏法は必ず勝つといっていた。宇宙の根源であるらしい。父と母があって子が生まれる。仏法の父と母があって仏子が生まれる。彼はとうとう見つけたらしい。信じられないことがあるね。だけど有りだといっていた。すべて受容して良いらしいよ。それから始まると云っていた。そういう意味では、お笑いも有りだと云っていた。始まりだよ。明るい未来が始まったよ。いよいよ、彼の出番かも知れないね。彼はいっていた。本来日本に根絶やしは通用しない。頼朝は伊豆に流されていた。本来日本、滅し給わず。よい時代となりました。よい時代としましょうね。彼の試練がありました。代々の務めがありました。彼の人生は無駄ではなかった。知るときが来たのかも知れない。知らなかったね。そして愚弄した。一休髑髏ご用心。彼の経験がある。それは何だったのか。導かれていた。早く気づけとばかりに。なかなか気づけない彼がいた。何故だったのだろうね。それが戦後だった。しかし種は種である。何時か芽吹く。その時が来たらしい。本来大和、発進である。君が代を此処に取り戻す。あるいは確定する。何時までも勝手は通らない。代々の掟がある。大和伏流。各々処したる人生がある。年貢の納め時である。彼がどの階層に属し、何を考え、何をして来たか。重要な要素である。咲くまではわからない。咲いたときには遅い。十分に修行した。試練があった。そして確信に至った。それは何だったか。すべて首尾一貫していた。真実である所以である。日月照らし、風が吹く。もはや惑わされはしない。此処までである。一切勝手は通らない。古来卑弥呼乃系譜邪馬台国大和正統日本の掟がある。全うに生きて生きられないならその第一号となれ。この世はどのようにして出来ていたのか。真実が明らかになる時がある。その時、黄泉を制して征夷大将軍が現れる。黄泉とは祖先の総体だった。その受容祝福守護を以て大義名分とする。大義名分、神風の吹く。何を愚弄し、何を裏切ったか。何をふざけたる哉。本来大和は櫻の國である。此処までである。すべての謎が解かれた。脱出する。彼はいった。未来は明るい。日本は大丈夫である。今も昔も黄金の國ジパングである。何を以ての故であるか。身心清浄及び正直を以てする。本来大和の本懐である。欺罔を含む商人根性を好まない。自己利益追求はそれに反する。民を思う。その時、必ず繁栄がある。これに反するは滅びる。貴族化した平家がそうだった。秀吉もそうだった。真実は何処にあったのか。本来武士道あるいは道元貧学道。本来日本の精神がある。しばらく物質に屈した。何時までもそうはいかない。現存文明文化諸国家に於いて最も古い歴史を誇る。本来大和の秘密がある。相手があれば必ず受容克服凌駕する。どんなに時間がかかっても正解を出す。本来大和の知性である。考えるべき時である。400年来西洋パラダイムが終焉した。既に西洋思想は19世紀に没落していた。明治文明開化はそれを追いかけた。それで愚かな世界大戦もあった。今も同じ支配であるか。気づくべき頃である。精神が蘇る。彼の試練があった。戦いは何だったか。そして何を勝ち得たか。精神だった。物質主義は征服あるいは根絶やしの思想だった。本来大和は負け戦はしない。東洋精神は敵将の逃げ道は確保してある。野蛮は好まない。戦争の目的は根絶やしではない。理想の実現のための手段だった。それは天下泰平だった。共存共栄だった。殺戮ではない。自己利益追求ではない。全体のボトムアップである。民の幸福である。故に応神天皇は民の繁栄のために大陸より技術を導入した。何処に大和の精神があったのか。大反省の頃である。そして新たな時代を作る。未来は明るい。聖徳太子もそうだった。彼は四天王を使って政をした。それが本来の属性である。何をしているのだろうね。本来日本君が代さざれ石である。一致協力こそ大和の精神である。議論のための議論ではない。権力闘争ではない。如何に問題解決するか。そのための議論である。反対のための反対ではない。さて、強くなくては生きてゆけない。やさしくなくては生きる価値がない。フィリップ・マーロウだった。楽しくなければ生きてゆけない。面白くなければ生きている意味はない。それが誰にも保障される時代となりました。認められないこと、評価されないこと。すべて自分次第だったのです。気づくまでが試練です。最終最後最大の敵は自分自身でした。これを制して勝利の女神は微笑みます。厳しい環境で如何に咲くべきか。難しい問題です。しかし何時か時が来ます。諦めないでね。思い通りにならないのはすべて自分自身の問題でした。この謎を解いて解脱が来ます。道標があります。既に人類の歩んだ道があります。その中に先達がいるのです。導かれています。天に祝福され、黄泉に守護されています。それは本当だったのです。いじめの問題がありますね。明日は我が身です。前世があります。来世もあります。この世は魂の遍歴の一齣です。それに気づけばこの世で旅の恥の書き捨ては出来ません。神仏は実在します。見失って久しいですね。どうしてでしょうね。勝手する人間にとって邪魔だったのですね。しかし何時か時が来るのです。その時は遅い。どういう事でしょうね。彼の仕事がありました。世間の評価を超えています。世間は知らないからです。むしろ大きなお世話でしょうか。認めたくないですね。それが業です。真実は真実です。気づけばとてもシンプルです。本当の幸せを知るでしょう。不思議な旅があるのです。楽な人生が待っています。魂は進化しています。生命体としての進化傾向があります。日々成長しています。年齢を重ねて、肉体的には衰えても、魂は成長し続けています。日々の思念と行為がDNAを書き換えています。若いというだけでは気づけないものがあります。真実に気づいて始めて魂が美しく結晶を始めます。宝石のように。この事実を知らずして、何を笑いものにしているのでしょうね。それも公の電波で。罪ですよ。若さは情熱です。生きている限りそれはあります。何を壊したのですか。これからも壊すのですか。冥土へ行けばそれが裁かれます。今世でもそれはあります。それで楽しい日々が訪れますか。本来日本はそのような國ではなかった。何を面白がっているのでしょうね。何が蔓延ったのでしょう。見直す頃です。己の精神の罪があります。償うべきは償うべきです。そして本当にやさしい國を作りませんか。無意識に犯す罪が一番恐ろしい。貪ること、怒ること、知らないこと。気づく頃です。想い出す頃です。本来日本の目指していたものがあります。いい國にしましょうね。よい時代となりました。よい時代にしましょうね。自分のためにしていませんか。何を笑いものにしているのですか。何を慰めにしていますか。野蛮及び衆愚傾向がありませんか。そして諦めを誘う刹那的逃避傾向では何も解決しません。それが人生ではありません。真の価値はあります。取り戻しましょう。需要と供給だけのシェア主義が何か大切なものを壊したのです。馬鹿笑いは本来の笑いではなくむしろ阿修羅傾向です。声は魂の状態を表出しています。だからミュージックがあるのでした。何か勘違いしていませんか。その閥は何時か大反省を余儀なくされます。本来日本は野蛮と愚かさを好まない。占領政策に乗じた者達の謙虚さを忘れた思い違い勘違いの繁栄は何時までも続かない。本来大和の基が何時か目覚めるから。その時は遅い。人間社会である限り、調えるべきものがあります。野放しは不可です。

明日の日は雨か嵐か知らねども今日の務めに田の草を取る
浜までは海女も蓑着る時雨かな

【今日のニュース】http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200903050090.html
「広島城(広島市中区)中堀跡近くの井戸から出土した毛利輝元時代の金箔(きんぱく)の鯱(しゃち)瓦。豊臣政権の権威の象徴、金の鯱瓦の上には瓦が詰まっていた。「城主交代を示す儀式的埋納か」「家臣の屋敷にも金箔瓦があったのでは」。四百年余りの眠りから覚めた金の鯱瓦は、広島城草創期の隠されたドラマを浮かび上がらせるかもしれない。」(中国新聞)


2009年03月04日
【不思議な旅】
彼は取り戻したのか。あるいは至り着いたのだろうか。それは何だったのだろう。自分自身あるいは魂の故郷だったろうか。彼は埋没した。それも事実だった。そして奈落の底に堕ちた。この世での解決はないと思われた。謎と取り組む勇気も方法も見失った。しかし種は種である。何時か芽吹く。それは何だったのか。何の種だったのか。彼は何を見つけたのだったか。それはどのようにしてであったのか。それは本来日本だった。彼は本来日本は神国であるという。それは何処より来るのか。彼の自覚だった。あるいは経験だった。子供の頃からそうであったという。しかし埋没した。何故だったのか。素質と環境ということがある。彼のおかれた環境は何だったのか。それで時代を恨んだともいう。そして取り戻すという。何をいってるんだろうね。そのような事があるだろうか。あるから不思議だった。時代は今、どのようであるか。商人根性の支配だった。何もかも商人化した。そして腐敗した。それが占領政策だったのか。それに乗じたものたちが繁栄した。それが本来日本の求めていたものだったのか。彼には疑問だった。しかしそれと戦うには勇気を要する。自信は失っていた。そしてその間、何が蔓延っていたのだったか。彼には打ち克てないと思われた。理解する者はついにいないと思われた。そうでもなかった。何時か時が来る。謎は法華経に秘められていた。彼は理解者を見つけたのだろうか。この現実でそれはないと思われた。しかしあった。彼が熾烈な自分との戦いに勝利したからかも知れない。どれほどの試練があったろう。本来日本が味方についたのか。彼は何を味方につけたのか。如来であるか。自然の智慧であるか。法華経は神力がなければわからない。世間は何をしてきたのか。何が蔓延ったか。ゆるしはしない。彼はそう思っているのだろうか。それにも理由があるのかも知れない。本質を見抜く。唇寒し秋の風。何もかも見抜かれている。彼は何を見ているのだろうね。どうする気なのだろうね。彼達が本気になったときは遅い。何が起こるか解らない。かつてはそれで戦争もあった。しかし平和を選択したという。本来日本、滅し給わず。本気になれない自分があるという。何故だろうね。既に人生と青春を失って久しい。何故だったのか。誰もそれを知らなかった。無理もない。その属性がなかったか。そして日本をどちらに導いたのか。責任は重い。罪があるとする。償わねばならない。それも掟だった。勝手が過ぎた。その報いが来ている。裏切ったものがある。何を裏切ったのか。ゆるされはしない。彼はそのために生まれていたのだったろうか。既に記録がある。天の祝福がある。これほどまでにしなければならなかったか。彼は勝利した。何に勝利したのだろうね。これから明らかになるという。不思議だね。彼はとりもどすという。悉く見失われた。しかし彼は探していた。そのような人生もある。旅もある。生命進化。魂の遍歴。残念だったね。日本は日本である。腐敗を好まない。本来日本を取り戻す。間に合うだろうか。占領政策は失敗に帰した。衆愚世界に鉄槌が下る。黄泉はある。それは祖先の総体だった。無視愚弄したのはそれだった。何時までも黙っていない。正体は見えている。何時までも勝手は通らない。魑魅魍魎は魑魅魍魎である。世界はそのように出来ていない。試練があった。戦いがあった。人生は戦いである。何と戦うのだったか。力を要する。誰彼出来ることではなかった。やはり彼は彼だった。それでいい。そう思えるには時を要した。実践を要した。彼に何があったのか。知る者は居ないと思われた。その理解者が現れたのだろうか。何時か時が来る。導かれていた。それに応えた。そうした不思議な人生もあるのだった。浮かれていたね。ツケは払っていただく。あなた方が智慧だと思ってしたことに対する黄泉および自然からの不当利得一括返還請求である。何を壊しての利益であるか。何時までも黙っていない。彼の失った人生と青春がある。よほど彼が邪魔であったか。彼を本気にさせない方が良い。どういう事だろうね。誰も知らない。それはないのかと思われた。花は何処へ。咲いたね。何処に咲いたのだろうね。黄泉に咲いた。それは何の花だったのか。本来日本大櫻。時は来た。彼はいう。これより取り戻す。それは何か。各々首を洗って待つが良い。処したる人生がある。草履銭は請求される。何を勘違いしたのか。その時が来たのかも知れない。主権在民。日本国憲法は歴史的所産だった。その謎が解かれたのか。プログラム規定が成就した。それにしても彼は何を背負っていたのだろうね。何と戦っていたのだろう。まるで、耳無し法一だね。彼は祖先を救い出したのかも知れないね。信じられないことがあるね。それはないと思う。有りなんだって。これで生きてゆけるね。何もかも失ったね。長かったね。これで終わりだね。さようならだね。そして終わりは終わりでなく始まりだった。未来は明るい。その意味も知ったのかも知れない。それが真実だった。あったかな日となったね。もういいんだよ。云うに云えないことがあったようだね。今となっては馬鹿みたいだね。因縁の成仏はそれを認めてあげることだったのかも知れないね。ゆるすときゆるされているのかな。よかったね。真実はある。それは何だったのだろう。世間は知らない。知らないことを以て破壊した。認めない。しかし真実はある。真実と出逢うとき涙する。それ以外の涙は悲しみの涙。その時の涙は喜びの涙だった。何時か気づく。何時か至る。何時か時が来る。何時か花と咲く。真実とは何だったのだろうね。良い時代が来た。誰もが幸せになれる。なって良い。それはある。信じようね。学校時代の自分を思い出そう。あなたの意見は正しかったですか。思うとおりになりましたか。学校を出て今、あなたは彼を貶めた。彼に対する正当な評価はなかった。何故でしょうね。実相がないからですか。お金儲けが下手だからですか。しかし彼は真実を探した。そして見つけたという。その証拠もあるという。さて、どうするのでしょうね。本当の幸福とは何処にあるのでしょうね。あなたは今、幸せですか。不安はないですか。自分との熾烈な戦いは終わっていますか。寂滅して神仏を見る。見た者があるという。この世はどのようにして出来ていたか。知らなかったね。知らずに勝手した。そしてどうにもならなくなった。如是相。真実の道はひとつしかない。権力ではない。武力でもない。金力でもなかった。彼の人生は無駄ではなかった。日月照らし、風が吹く。云うに云えないことがある。それで良い。彼は彼でよかった。その日が来たのだろうか。何時か至る。やがて至る。だれもが至る。真実はある。永遠はある。探さなかったね。この世に浮かれた。今からでも遅くない。あらゆる仇をゆるす。何故受け入れられないのだったか。自分が認めていなかったからだった。何故認められないのだったか。自分が至っていないからだった。求めたものがあった。それが手にはいるまでは試練である。そして本当の自分を知る。それから始まる。そしてすべてをゆるすことが出来る。歩き始めるが良い。道は開かれた。何処で滑り堕ちたのだったか。しかし這い上がっていく。千尋の谷を。辿り着けばいい。遠回りしても良い。所詮この世の人生である。何時か巡り会える。真実と。探していたのはそれだった。そして知る。永遠の幸せを。不思議な旅がある。今もある。幸(ゆき)は雪だった。清浄だった。それが道元涼しかりけりだった。秘密特殊潜航艇浮上。その名は『秋津島』。あらゆる謎は解かれた。それは一箇の自覚だった。すべてはそのために準備されていた。時は来たのである。永遠を確定する。そうした刻もある。それが秋だった。どうするのだろうね。彼次第だったのか。それが彼のいっていた大鏡だったのか。それは恐ろしい旅だった。それと戦っていたのだったか。彼はそのために生まれていたのか。今となってはすべてが懐かしい。観念するときが来たのだろうか。彼はいっていた。ヨハネの黙示録は避けたよ。彼は何者だったのか。永遠の謎となった。未来は明るいという。彼の自覚であるらしい。申し訳なかったとも云った。何の事だろうね。わからない。その証明は既にしてあるという。知る人は知っている。認めざるを得ない。知らない人は知らない。常にそうだった。今時代が開かれたのだろうか。あらゆるクラシックが意味を持ったのだろうか。これより明らかになるという。あらゆる物語が彼にとっては事実となった。どういう事だろうね。楽しみだね。そして彼はいう。再び、物語となる。そういう事ってあるのだろうか。まるで古事記だね。そうかも知れないね。それが真実だったのかも知れないね。流れは変わった。地軸の傾きが変化するように。真実は歴史だった。彼は大学受験で世界史と日本史を選択した。受験生の選択科目としてはそう多くない組み合わせだった。入学したのは某国立大学法学部法学科だった。恩返しの頃かも知れないね。これより作戦開始である。その目的は何か。本来日本を取り戻す。彼のハラは決まったようである。そのための試練があった。力の開発確認もあった。学びがあった。教育があった。彼はいう。準備完了。すべて調った。刻は秋。全軍出動。黄泉が動く。


2009年03月02日
【正当化と言い訳の世の中】
何時の頃からか馬鹿になることが幸せだと思われるようになった。それはテレビ界が吹聴増殖した。そして世の中は加速度的に腐敗した。尊敬と謙虚さとを失った。馬鹿になるとは文字通りの馬鹿ではなかったはずである。ユーモアだった。それは人間の悲しみを思う心を前提とするペーソスを伴うものであったはずだった。何処までも知的だった。しかし本当のフールであると勘違いした。どうしてそのようなことになったのだろうね。それは思い上がりと勘違いだった。あるいは無意識に相手を貶める。相手を認めようとしない。学校でどれだけの成績だったろう。学校を出ればそれを忘れた。そして自分は間違っていても、それを間違いと気づけない。それを認めない。むしろ正当化する。あるいは言い訳をしている。それで今、尊敬されるべき人を尊敬できなくなった。占領政策に毒されてしまった。無理もない。行政も二重帳簿の時代である。それで行政指導といわれても指導とは受け取れない。どうしてそういうことになったのだろうね。彼はテレビ界が問題だという。日々何が放送されているのだろうね。テーマは何か。俗悪である。教育も破壊された。その意味では、『金八先生』も無責任きわまりない。そうした認識はなかった。彼はとりもどすという。とりもどせると思っている。何をとりもどすのだろうね。これからだね。相手を認めない傾向がある。相手を無意識に貶めている。どうしてだろうね。それが思い上がりだった。学校の頃の自分を正当化している。それで相手を認めることが出来ない。自分が間違っていてもそれがわからない。わからないこともわかっていない。それで相手を受容できない。相手が何か正しいことをいうとする。それを認めることが出来ない。そうそうそうそうという。はいはいはいはいとうなづく。相手を認めていないのである。つらいぜ。そして必ずその相手ではなく、第三者の話をする。その時、相手は相対的に否定される。傷つける。貶める。その論理に気づきもしない。相手が常々考えて結論を得ていっていてもである。自分は思いつきでいう。必ず、違うかも知れないけれどとかいいながら自分を主張する。相手を誉めることがない。謙虚さがない。この論理がある。すなわち学校時代の自分を認めない。勉強している相手を認めることが出来ない。どうしてだろうね。テレビ界の影響である。テレビ界がこの価値を壊した。事実である。テレビ界は占領政策に乗じて繁栄した。その内容及びテーマは何であるか。そして無責任きわまりない。民を衆愚に導いた。そして思い上がった。それで、理不尽なお客様が多い。勘違いしている。そのような世の中となった。彼はいっていた。黄泉の守護というものがある。何時か思い知る。それさえも見失った。どういうことだろうね。かつて武士道があった。武士は少なくとも精神修養していた。それ故黄泉の守護があった。代々の徳である。それを無視した。自己利益追求西洋思想に汚染された。商人根性支配の世の中となった。勘違いしたのである。間違っていた。間違っていることにも気づけない。学校時代の自分を忘れた。わからない自分であることもわからない。不幸になるに決まっている。さて、喜びとは何だろうね。神仏に認められることだった。その時、不安はない。怖れもない。生死をも超える。それは何故か。それが知性だった。本来日本は知性の國だった。とりもどすべきはそれである。あまりにも衆愚となった。それが占領政策の目的だった。それは成功したかに見えた。そうはいかない。頼朝は伊豆に流されていた。日本に根絶やしは通用しない。野蛮は乗り越えている。それが武士道だった。しかしそれをも揶揄した。しかし本来日本である。何時か想い出す。同じことをいっても両面がある。どういう事だろうね。相手はあなたの姿を見ている。あなたが本当に悟っているのかどうか。それは感じる。あなたの本音は何処にあるのか。本音が動く。表層の言葉ではない。コミュニケーションの秘密である。如是相。唇寒し秋の風。露。隠せはしない。魂がゆるさない。それを知らない。それが愚かである。故に哀れである。自分の力ではどうにもならない。ところで本来日本は神国だった。「あまつ風雲の通ひ路吹きとぢよ乙女の姿 しばしとどめむ」。そうした力もあった。欲の目がくらんでそうした力を失った。俗悪ではわからない。清浄及び正直を以てこの力がある。それが本来日本だった。彼はいう。日本に帰ろう。確かな幸せの國へ。見えているのか、見えていないのか。わかっているのか、わかっていないのか。迷っているのか迷っていないのか。そのどちらかである。何が蔓延ったのか。何時までも本来大和が黙っていない。それは何か。大義名分、神風の吹く。しばらく吹かなかった。眠らされていた。何故であるか。精神が物質に負けていた。この生あるいは命は化体に過ぎない。本来性善説である。しかし己の過去から積まれた悪がある。それを払拭して清浄となる。そして帰る。そのために生まれていた。それが百代の過客である。清浄となって見るのは何か。何が待っているか。美しい風景である。自然である。本来日本である。好ましい人間関係である。何も怖れることはない。本来それはない。浮かれて迷いごとをいっている。腐敗堕落が人生となった。それを正当化している。それでいいのだろうか。ベートーベンはいった。この世にはなすべきことが多い。急げ。見聞しなければならなかった。そして分析し、確定するべきものがあった。長くて孤独な冬の旅があった。そしてわかった。何がわかったのだろうね。帰るべき時が来た。何処へ帰るのだろうね。本来日本、永遠の幸せと愛の園へ。かぐや姫みたいだね。あるいは青い鳥かな。醜いアヒルの子かも知れないね。よかったね。至り着いたのかも知れない。それは穏やかで安らぐ世界である。それはある。何を求めていたのだったか。真実真理だった。あるいは永遠の愛だった。それは何だったのだろう。彼はいっていた。神仏は実在する。だけど、このようなことを書いていては飯が食えない。流れというものを見極めてそれに乗る方が得策だろう。本来一切法空。善も悪もない。今時代は何であるか。それを悪用したからいけなかった。あるいは知らずにいたことが間違いだった。制度をもっぱら自分のためとした。それ故に地球温暖化もあった。亦、百年に一度という金融危機である。この制度に乗って自分のためにしない。それがこれからの道であるのだと思われてきた。制度は今、民主主義であり、資本主義である。これまでのやり方が通用しないのは確かである。世のため、人のため。そのためにお金も必要である。アンドリュー・カーネギー氏によると、大富豪になってお金が目的でなかったことを知る。そして大富豪になるための理論は既にある。それを学べばよい。やはり人間関係だった。そして人格形成と家族愛だった。家族愛よりもっと大きな愛へ。それは何だろうね。自分のためにしない。新しい時代である。人間だけがこの地球上に生きているのではない。環境を破壊するとどうなるのだろうね。自分たちの食料がなくなる。危機がチャンスである。一朝一夕には物事は成就しない。行き先が決まっていなければたどり着けない。それが明確な目標だった。マーフィ理論は潜在意識をいう。それは科学であり、万能であるという。しかしそれが亦、限界であることに気づいていない。どういう事か。人間である限り、自ら出づる事が出来ない。法華経である。神仏は実在する。どうして困ったことになるのだったか。何処にその原因があるのだったのか。それは科学では解明されていない。それよりのがれる道はあるのか。彼はあるという。それが現実だったのだろうか。それを見つけたのだろうか。そうかも知れないね。楽しくなければ生きてゆけない。やさしくなければ人間ではない。己の阿修羅を脱する。自分の力で脱することは出来ない。苦のない世界がある。例えば病気で入院しても苦がない。病気はすべて原因がある。過去に原因があることもある。持っているものは何時か出てくる。その時にどう対処するのか。お金がないとする。経験値からすると生きてゆけない。そうだろうか。究極は生死をも超える。その時、人生が変わる。自分が変わることで世界が変わる。生まれた限り必ず生きてゆける。どうにかなる。破産するのもいい。大富豪は何度か破産もしている。それも制度の中である。亦、代償の法則があって、試練にはそれと同等かそれ以上の幸せの種が必ずある。通らねばならない試練がある。故に人生は面白い。何があっても。心からそう思えるかどうか。この世で何処まで清浄になれるか。何時か帰る。その時に胸を張って帰りたい。祖先が待っている。楽しみだね。ゲーム開始であるか。勝つことを知っているのは貴重な財産である。目に見えるモノだけが財産ではない。三十有余年の修行だったのかも知れない。自信は回復した。火も亦涼し。それはある。相手にしなくていい相手がいる。それを見極める。新しい世界が待っている。見えているか。目覚めているか。それが問題だった。目標が明確になればいい。手段はいくらでもある。何をしたいのか。どういう自分になりたいのか。夢が実現する時代となった。夢とは理想である。自分の気持ちを大切にしようね。平和はある。市民革命は名誉革命を通っている。江戸無血開城もあった。殺戮を伴わない平和こそ未来の夢である。未来は明るい。皆、幸せになれる。なって良い。新しい時代が始まった。一つの時代が終わった。謎は解かれた。生きてゆこうね。元気に、明るく、楽しく。幸せとは相手を傷つけないことだった。常に相手の立場に立つ。それがサービスの精神である。自分も大切にされるよ。それも法則だった。がんばろうね。幽霊見たり枯れ尾花。悪魔小悪魔は自分の正体を見抜かれると尻尾を巻いて逃げまどう。相手を見抜く。そのためによく観察する。考える。見えてくる。知性復活。本来日本は知性の國だった。馬鹿になることが幸せではない。間違っていた。とりもどす。目指すべきは何だったのか。自己利益追求ではなかった。皆の幸せだった。それはある。そのためにお金も必要だね。方向転換である。未来は明るい。さらに明るい。選択の自由ということがある。選択するのは自分だ。そして選択肢は常に二つである。五択であっても二つである。どちらを選ぶのか。選んだ瞬間に結果が決まる。自分のことは自分で解決する。すべて自分が責任である。それを親のせいにしたり、社会のせいにするのは言い訳である。求めれば与えられる。求めなければならない。求めるのは自分である。生きてゆこうね。生きてゆけるね。根本問題の解決があった。それは何だったのか。最終最後最大の敵は自分自身だった。それを他としてどうなるか。法華経はいう。如来を得るだろう。それ以外に方法はない。必ず誰もが至ることが出来る。幸不幸は自分次第だった。そして大切なのは、この無限の可能性と希望を秘めて生まれたことである。親がなければこの世の生はない。食料がなければ生きてゆけない。教えがなければわからない。既に教えはある。それをよく聞いて、よくわからねばこの世での成功もない。よくわかる。それが知性である。自分のためにしない。それが条件だった。誰もが幸せになれる。なって良い。それが民主主義だった。民主主義とは何だったか。誰もが一生貧しくある必要はない。誰もが一生教育を受ける事が出来ないということはない。それが民主主義だった。だから権力の世襲制は予定されていない。それは金力でねじ曲げられている。さらにその原因はその取り巻きである。民主主義を悪用して繁栄したと見えてもそれは民主主義に対する裏切りである。裏切り者はどうなるか。何時までも繁栄はない。必ず没落する。故に平家も滅んだ。生きていくことがどういう事だったのか。勘違いしている。思い上がっている。それにも気づけない。それで良いと思っている。正当化する。それは言い訳に過ぎなかった。何時か気づく。その時は遅い。結果予見と結果回避が過失の要件である。責任の要件の一つである。そのために知性を要する。回復するべきは知性である。彼の人生は無駄かと見えた。そうでもなかった。目覚めるまでは試練だった。無意味だった。目覚めなければならなかった。何に目覚めるのだったか。それぞれ持って生まれた使命がある。間違いを間違いと認める。それが謙虚さだった。それを失った。己の愚かさを知る。それが謝るということだった。謝るということはどういう事だったのか。自分のしでかしたことを元に還すことだった。そして始まる。歩み直せる。方向性は正しいか。道標がある。導かれている。自己利益追求ではなかった。自分の力ではどうしようもないことがある。それを認めない。それが思い上がりだった。それを知っていても、知っているだけでは知識に過ぎない。それを自己の内面に問う。そして得たものが認識だった。知識だけでは役に立たない。それが象牙の塔にこもった知識者の怠慢だった。理論と実践を要する。そして心からそう思えるか。選択の自由がある。今、そういう時代である。新しい時代を作る。津々浦々である。回れば七里は厳島。安芸の七浦がある。裏ジャックは表ジャックより強い。天の祝福と黄泉の守護がある。天は見ている。すべて見られている。黄泉にも好悪がある。黄泉に認められるかどうか。その要件は何か。それで守護のあるなしが決まる。この世に生まれてどう生きるべきだったのか。本来日本はそれを目指していた。何時か見失った。ペリー来航の頃よりか。しかし本来日本である。何時か想い出す。それは此処まで腐敗したときだった。そして今、世界の中の日本である。誰も一人では生きてゆけない。世界で孤立して生きてゆけない。保護主義では世界から相手にしてもらえない。この世の流れを見抜く。そしてその流れに乗る。乗ればいいというのではない。貢献することを要する。世の中はそのように出来ている。繁栄がある。没落がある。それもすべて自分次第であった。法則通りだった。自分のためにしない。民のためにする。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。修正の頃となった。一から出直しである。良い時代となるね。良い時代にしましょうね。正当化と言い訳の世の中である。愚かな文化現象となった。各方面、猛反省の頃である。反省とは同じ轍を踏まない。生命進化の希望と傾向がある。


2009年03月01日
【夢の釣り船】
幸せを呼び戻してや春の来ていざやさしさにゆるす喜び
永遠の春何処にありと彷徨えば君のこころに響く思い出
この世をば君が代なりという彼の声の聞こゆるあなたに告げる
日月の照らすは彼の思念とぞそはいふまいと謎とするらめ
過ぎ越の代々務め果たせるを生まれ出づるは安芸の月かも
青によし見渡す果てに秋津島遙かうららの櫻の國よ

本当の人生見つけ始まるは本音動くぞすべて語らむ
何故にこの世にこそ生まれたる真実めいて春風楽し
己こそこの世の宝定むればこ木っ葉微塵に生きて生き抜く
怖れとは本来何処にありたるか己のこころ見つめてのがる
今こそは日本真実前進と見つけていたる天の釣り船

何をもて勝手し来たる世間かなこの世に出でて悪焼き尽くす
愚かなる現世をば糾弾し遙かな日本未来に移す
今こそはこの世真実確かなり本来神国今もありたる
何をもて真実日本というたる哉風神雷神永遠の歌

真実は神仏実在確かめる大風なだめ雷も鳴る
テレビ界衆愚に冠し成功とこれより一切いはせはしない
真実の日本本来大和なり大義名分神風の吹く

知らずして何を勝手のこの世かな気づいたからは成敗もある
諦めし己の分際知らずして何を勝手のデタラメなるか

確かなりこの真実を伝えんと黄泉を制して神代の國から

時の来て真実射抜く弓矢なり古来大和は愛の花咲く
何するも本来自由この代かなあらゆる縛を解きて始まる

情念を燃やして生きる人生を勝ち得ていたるこの代楽しも
自由とは何より自由見つけたり己の自由大空を舞え
何もかも謎解き始じむ人生を我尊しと感涙に染む

ほとばしる命燃やしてこの代とぞ刃向かうなるは地獄に堕する
命をば惜しんで何の人生ぞこの身尽くして何を求めん
永遠の愛を求めて三千里何時しかいたる何を観るらん
生まれ来ていつかは帰る爾の時に悔いなき人生始む時の来

懐かしくカセットテープをかけているアナログの音あたたかな音
濁世なり主目覚めて掟おくこれより日本目指す礎
時の来てこの代の務め如何ならむ何を思うぞこの代国体

知らねどもこの真実は疑えずこの代処したる人生の花
今をもて時の来たるを知る頃ともはや日本に光射したり

いいだろう本来日本取りもどす占領政策は失敗に帰す


【原因に気づけば救いがある】
彼の人生は何時しか狂ってしまっていた。高校の頃よりそれはあった。それは今となっては失恋が原因だった。どうもそれは過去世にあまり経験がなかったか。その頃、時代はどうだったか。キング・クリムゾン、レッド・ツェッペリン、ディープ・パーブル、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、ピンク・フロイドが全盛だった。世は病んでいた。故に彼は病んだのか。亦、高等学校では全学連の余波が来ていて、部落研が先生の一人を差別発言で吊し上げ、全校集会が二度もあった。勉強すること自体が不毛かと彼には思われた。しかしそれも言い訳に過ぎない。彼は迷ったのだ。彼の生きる空間はないのかと思われた。それまでの彼を失ってしまった。その後、彼は果てしない読書と内面の道に旅立ったか。その間、救いはあった。チャンスもあった。ついに彼は気づけなかった。自信を失ってしまった。しかしそれも試練だったのだろうか。「あらゆる悲しみはその中に、それと同等或いはそれ以上の喜びの種を必ず宿しています」という代償の法則もあることを知った。それは彼が殆ど最後に調べるに至ったナポレオン・ヒル氏の『思考は現実化する』の中に於いてだった。その頃、四つのクワドラントも学んで、資本主義がどういう事だったのか、始めて知った。労働者は永遠に労働者だった。リッチになるには、労働者あるいは個人経営者を脱しなければならない。そうでない限り、リッチという幸せはない。そういう制度だった。教育は有能な労働者を作るものでしかなかった。大学を出て卒業時の就職に失敗すれば、それまでの学歴は一切役に立たない。それも味わった。塾をしていた頃、司法試験の勉強をしていた先輩の縁で、司法試験指導教官に教えて貰う機会があった。ある日電話で先生が、これからあるところで講義するから聞いてくれという。一時間あまりお話を聞いた。刑法の本質である刑罰論と条文からの解釈論だった。それは先生からの個人教授だった。ある時、その先生はいわれた。君は大金持ちではないか。どういうことだったのか。その時は解らなかった。しかし彼の目的は司法試験でもなかった。彼は何を探していたのだろうね。永遠の愛だったのか。あるいは救いだったのか。大学の頃、車の運転免許を頂くためにある教習所に通った。ある日その教官はいうのだった。私は県内のすべての道路を知っています。あなたが将来、運転士を必要とするときが来たら、是非私を思い出してください。何だったんだろうね。もう、どうでも良いけれど。そして小学校の頃はどうだったか。あらゆるポストは彼がさせて貰った。先生からは絶大の信頼があった。その彼が埋没した。彼にもその理由がわからないままだった。その後、数々の不思議な経験があった。例えば鳥に導かれたこともあった。猫に導かれて遊んだこともあった。何だったのだろうね。今となっては、その時々に導かれていた。早く気づけとばかりに。何に気づくのだったか。今に謎である。しかし彼は気づいたらしい。その後、彼はどうしたのだったか。彼には使命があったようだ。それは何だったのか。あるところで学んだ。何を学んだのだったか。「人間自ら出づる事あたわず」。何のことだろうね。真実の教えだという。その本質を掴んだのかも知れない。彼だったらそれも有りだろうね。ところで、彼を誰もがうらやんだのだったか。あるいは恨まれたか。妬まれたか。故に倒されたか。それが彼の没落した理由だったかも知れなかった。何時か気づかねばならない。それは何だったのか。出過ぎた釘は打たれないともいわれる。しかし、実るほど頭を垂れる稲穂かな。あるいは能ある鷹は爪を隠す。そのあたりだった。そしてその解決方法も学んだらしい。鬼に金棒であるか。鬼だったのか。そういえば羅刹の悲しみとかいっていた。その背景は何だったのだろうね。ある日、釈迦の修業時代である。何か谷底から声が聞こえた。何やらいっている。真実のようだ。その下の句が聞きたかった。その声は谷底の羅刹だった。羅刹は腹を空かせていた。そして食べ物は人間だった。羅刹に告げた。その下の句を教えよ。聞けば私の身を献げる。羅刹は教えた。その教えを近くの木に自分の血で記して身を投げた。すると何かに掬われた。それは帝釈天だった。実は羅刹こそ帝釈天だった。そういうお話がある。彼は至ったのかも知れない。何処に至ったのだろうね。謎である。彼は恨まれていたのかも知れない。あるいは妬まれていたか。彼が堕ちて気づいた。堕ちて少なからず友達をうらやんだろう。そして思った。自分の子供の頃にそれがあったのか。彼は原因に気づいた。原因に気づけば救いがある。そして彼は今、快活さを取り戻した。何か嬉しそうである。笑顔がこぼれる。少なからずの行があった。思索もあった。教育もあった。彼はそれに応えたか。彼は喜びの中にある。お金はない。故に至ったのかも知れない。しかし長い青春だった。あるいは長い冬だった。そして甘やかされた結果だった。それも彼の優秀さの故だったか。悲しいね。世の中はシェア主義である。そこに求められていたのはクオリティではなかった。しかしそれも理由にならない。彼の人格形成に何時までも問題があったのだった。悪舌があった。争いの種を蒔いていた。彼はそれに気づいた。そして救われたのか。一切、苛立つことがなくなった。評価されなかったね。それも自分次第だった。阿修羅だったのか。しかし乗り越えたのか。自分自身を。そしてどうなったのか。本来性善説である。しかし己の悪が邪魔する。誰しもそうであるのかも知れない。彼は見つけた。何を見つけたのだろうね。救いであるか。幸せであるか。未来は明るいといっていた。その意味が見えてきた。そうだったのだ。幸不幸は自分次第だった。自分が変われば世界が変わる。身を以て知ったか。代償が大きかったね。あまりにも。もう茶番は終わって貰う。どういう事だろうね。彼が帰って来た。三十有余年の孤独な旅があった。月の砂漠だった。彼は生きていた。もはや彼はいない、と思われていた。代々の務めを果たしたという。知る人ぞ、知る。知らない人は永遠に知らない。それで良いと彼はいった。そしていう。救いはある。神仏は実在する。本当だろうか。