穏やかに take off



時は894年、遣唐使の廃止を建白したのは菅原道真でした。彼は右大臣であり、左大臣は藤原時平でした。彼には権門としての閥はありませんでした。孤立無援だったでしょうね。道真は遣唐使として派遣されようとしていました。しかし既に唐には学ぶべきものはなく、國は滅びつつありました。彼はそれを知っていたのです。その後、彼は太宰府に赴任します。京都を離れる悲しみは歌にのこされています。

  東風吹かば匂ひをこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ

そして彼を偲んで彼の愛した梅の木が太宰府まで飛んできたといわれています。それが「飛び梅」でした。彼は何かを怨んだのでしょうか。彼が没した頃、京都では連日の嵐となり、雷が落ちました。それで道真は天神として天満宮に祀られたのでした。その後、日本に国風文化の花が咲くのでした。

第二次世界大戦は後進新興諸国家からする列強帝国主義に対する植民地再分割請求とする観点もあるかもしれません。しかしあまりにも悲しい結果が待っていました。航空機が爆撃機として登場したのは第一次世界大戦でした。その時、各国はもう戦争をしてはならないと国際連盟を作りました。しかし提唱者であったのはウィルソン大統領でありながら、議会の反対でアメリカ合衆国の参加は見送られました。もともとモンロー主義の國です。他国には口を出さないから、自分の國にも口を出さないでくれということでした。それが彼らの幸せのための自由の掟だったのです。亦、国際連盟は物理的強制力としての軍隊を持っていませんでした。それで具体的に機能しなかったのでしょうか。日本もリットン調査団の勧告で脱退し、あまりにも悲しい歴史を刻むことになりました。

それは原爆で終わりました。原爆開発と投下の過程には様々な証言があります。アメリカが先に開発しなければ、ナチスがしていたかも知れないとか、原爆の使用を急いだのは対ソ連対策だったとか。投下ターゲットリストには京都もありました。

何れにしても原爆の開発とその使用により、現代戦争の無価値を人類として学ぶことになりました。もはやそれは戦争ではないのです。戦争には戦争法があり、主権行使の正当な一部でした。しかし現代戦争は市民を盾とするあまりにも残酷であり、それは殺戮です。従来戦争には決闘一騎打ちに準ずる名誉と大義名分がありました。現代戦争にはその痕跡はありません。本来の戦争概念を逸脱し、あまりにも野蛮に堕しました。

先進諸国間においてはもはや核の選択肢はありません。何処までも抑止力です。使用すれば核の連鎖がどうなるか、知っているからです。

日本はかの大戦を通して平和を学びました。それはそのまま人類の祈りでした。同時に民主主義、自由、平等、基本的人権並びに女性の解放を獲ました。しばらくよちよち歩きからはじめて、青春の嵐もありました。そしてそれらの本当の意味を知る頃となりました。

市民革命に始まる世界への合流の頃となりました。限りなく自由を求めている世界へ。本当の幸せを求めている世界へ。そして世界も待っていました。日本が何を学び、何を選択し、何を提供してくれるのか。既に世界は知っていました。本来日本の価値を。知らなかったのはしばらく浮かれていた方々でした。『スター・ウォーズ』のテーマもありました。それはそのままモーツァルトの『魔笛』だったのかもしれません。

時は来ました。はじまりです。いつの世もこうして新しい時代が開かれます。明治維新もそうでした。この度は穏やかに take off ですね。アメリカの祈りも理解して。

資本主義で良いんです。少しの修正をして、皆の幸せな暮らしのために、愛と平和をテーマとする、新しい時代を切り開く頃です。今まで見えていなかった何かが見えてきました。

華やかな成功論を説くのは良い。その陰で鬱に悲しんでいる子達がいるのです。すべて原因があります。それを解決すればいいのです。もともとは善も悪もないのです。ないのにあると思っている自分がある。それは何故でしょうね。

そうしたことも明らかとなっています。かつて詩人に耳を傾ける政治家はいませんでした。科学は今、かつての魂のレベルを語りはじめています。こころの大地こそ、二十一世紀の無限の喜びの大地です。それは切り開かれました。人生も青春もすべてを失い、それでも諦めることなく探し続けた彼の使命です。

失ったものがあるとします。必ず取り戻せます。諦めないでね。そして通らねばならない道があります。それを探すことからはじめましょう。代償の法則があります。どんな悲しみも、それと同等かあるいはそれ以上の喜びの種を宿しています。この世のことはこの世で解決します。解決して自由です。本当の人生が始まります。本当の幸せが訪れます。それまでが試練です。あるいは青春です。だれもがそうして幸せに辿り着きます。

途中には敵もいます。敵を敵と見抜くことも技術です。どちらの世界を優先するのでしょうね。同じ水槽にタガメとメダカを入れて平等ですか。此処に自由と平等を履き違えたあるいは知らない学校教育の欺瞞あるいは怠惰がありました。道元曰く、花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。罪を憎んで人を憎まずは別論です。何を蔓延らせたのでしょうね。

明らかに一つの時代が終わろうとしています。それは大航海時代の終わりであり、400年重商主義パラダイムの終焉です。終わりは終わりではなく、亦始まりです。恐竜はチラノザウルスが現れる頃に滅びました。そしてその頃、既にネズミがいたのです。生命は硫化水素の海から生まれ、酸素を必要とする世界に進化しました。酸素は猛毒であり、体内には尚、活性酸素があります。それが白血球の食菌作用として機能していますが、時に用法を誤ってガンの原因となります。そのようにして生命は進化しています。

まだまだ夢の途中ですね。この世は魂の過去からの遍歴でした。幸せになりましょうね。人類はこれを目指していたのです。目的を再認識して歩み直すのです。日本の男はこれでいいですね。

さて、情報は発信したところに集まります。それがブログの楽しみですね。亦、コロンブスの卵があります。鶏が先か。卵が先か。どちらでもいいのです。インターネットが普及して個人レベルでの情報発信が可能となりました。第三の波です。各企業も一個人のレベルで模索する時代となったのでしょうか。故に可能性は無限となりました。これまで埋もれていた各知性のコラボレーションが可能となったのです。

目的は明確ですか。目的に対して手段があります。目的が明確に定まれば手段はいくらでもありますね。実現させたいですね。愛と平和の園、日本。見えてきましたね。夢は実現します。思考は現実化します。その理由も明らかとなりました。宇宙にとって精神も物質も同じでした。潜在意識にとって主語がない。述語が本音として動きます。だから他の幸せを祝福しましょうね。そして感謝です。祝福と感謝の連鎖あるいはキャッチボールです。それが幸せ世界でした。はじまりです。はじまりました。誰もが待ち望み、憧れ求めていた新しい需要を喚起できたらいいですね。それは諸価値の破壊ではなく、実現です。