教育の目的

2010/06/01

  • 教育の目的は何だったんだろう。教育こそアンドリュー・カーネギー氏の遺産だった。それは偏に人格形成だった。それがビジネスの条件だった。ビジネスの目的は利益追求ではなかった。ビジネスを通して自己実現していたに過ぎない。利益は人格行為としてのビジネスの果実だった。教育が学科であると思うとき、学校教育は社会に出て役に立たない。学科の勉強を通して、自己実現のスキルを磨いていた。これが教育の目的だった。つまり、生涯学習していくために必要な基礎学力の育成と、社会を円滑に生きていくために必要な規範意識の涵養だった。遵法精神は、自由の一部を差し出して国家とした社会人としての人格表現だった。時代は今、大人たちが野蛮化していないか。狡猾と卑怯こそ知恵と思っていないか。そして自分のためにしている。殺伐な世である。さて、子どもたちに何故問題行動があるのだろうか。自尊意識の欠如だった。自尊意識は家庭で育まれる。家庭に理解と愛を要する。それがない時、マズロー氏の言う、第一段階から第三段階がない。つまり生理的ニーズ、安心感、帰属及び愛がない。子どもたちにとって、それらはむしろ親から与えられるものだった。それらを与えられていないのだからそれらを知らない。知らない彼らに、叱っても根本的に何も解決しない。むしろ学校に理解と愛を要する。その空気を必要としている。その空気に染まれば、彼らも気づく。気づけば変わる。毅然と指導するとする方法はむしろ学校の都合であり、対症療法に過ぎないのではないか。まなざしの問題が理解と愛だった。子どもたちを救う必要があるのでないだろうか。彼らも好んで問題行動に追い込まれているのではない。こちらの水が甘いことを知らないのである。時代は進化している。やさしさとおだやかさの方へ。かつて禅僧は結婚しなかった。何故だったのか。その意味もわかってきたような気がする。やがて地球も滅びる。ゴールは何だったのか。私たちの本質は何だったのか。人生とは何だったか。人生は過去からの夢の実現過程だった。それは魂の永遠回帰であった。どこへ帰るのだったか。宇宙に帰る。一切法空。見える世界と見えない世界がある。どちらが真実だったか。あなたがたは知らない。知らずに、不幸に赴いている。この世が火宅であることを知らない。子どもたちを惑わした。ペリー来航、自己利益追求市場主義の罪がある。彼は何を言っているのだろうね。何を根拠に言っているのだろうね。既に明らかにされている。祖先、DNA。彼はどのような力を開発したのだろうね。あるいは復活せしめたか。確認したのか。草薙の剣、金剛杵。この世を戦争にすることもできるという。本来武士道、本源の力。しかし、その力をもはや使うことはない。彼は選択した。平和を。彼は悩んだ。迷った。わからなかった。しかし彼が答えを出さねばならなかった。すべてはそのために準備されていた。そして、何時か時が来る。文殊、普賢にも譲り給わずとする仏法がある。黄泉が導いた。未来のために。そして成就した。どういうことだろうね。わからないね。それでも地球は回る。彼は言う。日本は大丈夫だよ。時代を掬った。あなた方は何をして来たのか。何を貶め、何を裏切ったか。明らかとなった。勝手が過ぎた。償う頃である。
男子校訓導後藤良亮授業風景
伝棟方志功同門後藤良亮の版画『ヒロシマ』