本当の幸せとは何だったのか

2010/06/15

  • 本当の幸せとは何だったのだろうか。権力ではなかった。武力ではなかった。金力でもなかった。何だったのだろうね。あなたは成りたい自分に成っている。あるいは、思考は現実化する。それはどういうことだったのだろうね。知る人は知っている。知らない人は知らない。夢は現実化する。インド哲学では、現実はすべてマーヤの幻想だった。創造力は神の属性の一つであり、それはもう一つの神の属性としての普遍の愛に対して反力として機能する。故に、物質文明は限りなく永遠の愛から遠ざかる。私たちは幸せに成ろうとして頑張れば頑張るほど、幸せから遠ざかっていた。本当の幸せとは何だったのか。長谷川四郎という作家がいた。シベリア抑留経験があり、陸軍中野学校出身である。シベリア抑留は、25年シベリア強制労働だった。東京に出てくるように何度も誘われ続けたが、ついに故郷での半農生活から出ることはなかった。『知恵の悲しみ』という本がある。その中の小説に素朴な家族のお話がある。ひとつの幸せを表現している。シベリア抑留経験のある詩人として、石原吉郎がいる。『満月をしも』という詩集がある。それよりも興味を引くのは、『海と望郷』というエッセイ集だった。その中に、壮絶な記述がある。すなわち、シベリアへ歩いて赴くのであったが、途中で歩けなくなった者は、足を怪我した馬と同じだった。撃ち殺された。世のセレブよ、あるいは芸能界並びにテレビ界よ、戦後、何を浮かれているのか。あなた方の繁栄の背景に何があったか。少しは考えるが良い。調べはついたと彼は言う。これより勝手は通らない。公儀の隠密剣士は今もいる。すべて見聞したという。そして理解した。彼は子どものころから免許皆伝だった。彼の人生経験事実である。誰も知らなかった。しばらく埋没した。しかし、いつか時が来る。その時、すべて明らかとなる。そしてあなた方は何をいい加減にしていたのだったか。チャンスは常にある。しかし、実力がないのに、資格を以って勘違いしていなかったか。手当ての意味を知らない医学もである。あまりにも自分のために貪った。それはペリー来航以降の罪と決した。さて、本当の幸せとは何だったのか。見えない世界に通じる。その受容と守護を得る。その時、何をしても良い。それを彼に教えたのは誰だったか。父だった。祖父だった。誰も知らない。即ちそれが家伝直伝秘伝螺鈿の槍である。知らないことを以って否定した。あるいは貶めた。裏切った。知らずに勝手した。そしてどうにもならなくなった。解決はあるのだろうか。彼はあると言う。それは何だったのだろうね。知れば迷い、知らねば迷う、法の道、何が仏の実なるらん。至道無難禅師の道歌である。それは伝えられていた。それが本来日本だった。しばらく見失われていた。そして、本来日本、滅し給わず。これより復活する。あるいは復興する。詩は詩人を以って呈すべし。その時が来た。私たちは生きている。人生はすばらしい。一切種智慧。花咲く頃となった。もはや勝手は通らない。通さない。経済界財界、言語道断。マザーテレサは言った。最も恐ろしい人間行為は無関心である。目の前に今、見捨てられた人がいる。その人を一人にしてはならない。人間にとって最も恐ろしいことは何だったか。孤立と孤独だった。彼はそれに耐えたのだろうか。彼を理解する者はついにいなかった。高橋和巳の著作に『孤立無援の思想』というのがある。李陵の『山月記』もそうだった。さて、本当の幸せとは何だったのでしょうか。見えない世界に受容祝福守護されることでした。