酒都西条賀茂鶴見学(父の思い出)

今日はよく晴れています。西条の賀茂鶴は、土日に解放されていて、見学できます。新酒でしょうか。試飲も出来ます。青い杉玉があちらこちらにありました。白壁の美しい酒蔵が建ち並び、レンガの煙突が聳えています。青空に。とても、すがすがしくありました。とても美しい風景でした。JRで往復しました。呉線から山陽本線を通って。呉線といえば、日本で最後まで蒸気機関車が走っていました。その頃、蒸気機関車が走っていたのは、日本で三線だけでした。小学校の頃には、すぐそばを広島発呉線経由東京行きA寝台列車急行安芸が走っていました。牽引していたのは、C62-02スワローエンゼルでした。中学の頃、電化されました。その頃、蒸気機関車とEF58が二重連で走っていました。一番好きな蒸気機関車は、C59でした。

C59は日本に三つだけ残されていました。すべて呉線を走っていました。呉線最後のディーゼル列車が呉駅に入線するのを出迎えたのは、私たち呉市立港町小学校鼓笛隊でした。父の名は昭亮(あきのり)、昭和2年3月7日に生れ、平成元年5月22日に没しました。昭和とは何だったのでしょうね。ここに秘密がありました。父こそ昭和そのものだったのです。桜の御紋を背負っていました。刑事もしたらしい。予科練の教官もしたと言っていました。何を背負っていたのでしょうね。さぞ、辛い人生だったことでしょう。国鉄時代には、父こそドクター・イエローでした。蒸気機関車の点検はハンマー一本あれば足ります。ある日、父は言いました。私はお前と同じだった。お前は大丈夫だ。私の子だ。あまりにも知らなかった真実があります。本来日本の秘密です。頼朝は伊豆に流されていました。原爆の火を以ってしても本来日本は滅し給わず。それを探さなければならなかったのでした。そしていつか見つけるのでした。いくら感謝してもし足りないのです。わかりますか。これが本来日本の命脈だったのです。戦後は殊に困難を極めました。随分と裏切られ、貶められました。それも宿命でした。しかし今、真実が明らかとなりました。秘密開示、一休髑髏、ご用心。本来日本を裏切るべきではありませんでした。貶めるべきでもなかった。そして彼こそ彼でした。どうしようもない事実です。知らずとも、直接間接、彼を悲しませあるいは害した者はご用心。何時か、黄泉が成敗します。政財界及び官界、例外はありません。これが真実でした。

車窓から眺める風景は父がブルートレインを牽引していたところです。電気機関車がすれ違うと何故か涙しました。西条では美しい若者も沢山いました。いい日です。ある日、父が言いました。「私もお前と同じだった。お前は大丈夫だ。私の子である」。これがどれほどの意味を持っていたか、当時は知る由もありませんでした。そしていつか時が熟するのでした。それが測り知れない約束であることに気づいたのは、随分と後のことでした。雷と風の秘密をそれとなく教えてくれたのも父でした。そして父は言いました。「私が共産党が勝つと言えば勝つ」。そしてまたある日のことでした。聞こえるか聞こえないかの声で言いました。「御名御璽」。ある日、古い地図帳を持ち出して言うのでした。「私はここにいた」。指差したその地はカムチャッカでした。寒かったでしょうね。志願したのは16歳、二等兵でした。三陸沖で、鯨を見たと言っていました。復員したのは網走でした。刑事でもしていたのでしょうか。愛する人もいたようです。しかし、呉に呼び戻されたのでした。そして家には、新品のパラシュートがありました(ジュリーは『Tokio』をパラシュートを背負って歌っていた。それもサインだった。しかしまだ、気づけなかった。その後も試練が続いた。そしていつか気づく。その時、桃源郷あるいはパラダイスを知る。それが観音菩薩の無畏施だったことを。そして一切の不安から逃れ、自信を回復するのだった(自信の回復はバガバッドギーターのテーマでもあった)。これがあらゆる物語の根本テーマだった。そして心が素直で美しい女性との出会いもあるのだった。美しい風景が待っている。好ましい人間関係が訪れる。仏との出会いもある。これが貪・瞋・癡から自由となった仏と仏との約束だった。この時、衆生劫尽きて大火焼かるると見る時も我が此の土は安穏であり[法華経如来壽量品第十六]、唯獨自ら明了にして 餘人の見ざる所ならん[法華経法師功徳品第十九])。それは、ケンパスと絹の紐で出来ていました。予科練の教官もしたと言っていました。私しか知らないいくつかの父の思い出です。面影はなぜか高倉健にありました。

さて、電車内で読んでいたのは、法華経です。「諸天等の宮殿 乃ち有頂に至る・・・皆身中に於て現ぜん・・・諸佛及び聲聞 佛子・菩薩等の 若しは獨若しは衆にあって ・・・未だ無漏法性の 妙身を得ずと雖も 淸浄の常の體を以て 一切中に於て現ぜん」(宮殿は現実の家ではなくて、自然と言っていいですね。それは有る。その頂きへ至ってみると、自分と宇宙がリンクしている世界に気づく。神仏も、夢を大切にしている人もいることに気づく。この世界を知る者として、孤高に大衆の世間にいて、まだまだ、心の方は完全ではないのではあるが、身の清浄を得て、真実の中にいる)「是の人の所在の方面には、諸佛皆其の處に向かって法を説きたまわん」(これが宇宙とリンクしているという実体ですね。いつも守護して、導いてくださってる。)[法師功徳品]

「諸佛救世者 大神通に住して 衆生を悦ばしめんが為の故に 無量の神力を現じたもう 舌相梵天に至り ・・・ 地皆六種に動ず ・・・ 諸佛皆歡喜して 無量の神力を現じたもう ・・・ 諸佛道場に坐して 得たまえる所の秘要の法 ・・・ 諸法の義 名字及び言辭に於て 樂説窮盡なきこと 風の空中に於て 一切障礙なきが如くならん 如来の滅後に於て ・・・ 因縁及び次第を知って 義に随つて實の如く説かん 日月の光明の 能く 諸の幽冥を除くが如く ・・・ 是の人佛道にに於て 決定して 疑あることなけん」(迷っている状態が晴れると、昼の明るさを疑って石のようになっていた自分の心が開かれて、神仏の世界が確かにあり、それは、今も昔も、みんなを喜びの世界へといざなってくださっていた)[如来神力品]

「香を聞(か)いで悉く能く知らん 香を聞ぐ力を以ての故に 男女の所念 染欲癡恚の心を知り 亦善を修する者を知らん ・・・ 香を聞いで貴賤出處及び所在を知らん ・・・」(よい子を授かろうと思うなら、清き心でする。疑いがあっては、悪因縁の子が出来る。貴賤は、親が原因ではない。親からはいいものと悪いものと両方貰っている。時々の自分の心の選択で決まっていく(しかしどの胎から生れるかはとても重要な要素である。子どもは母の属性が決定的である)。悪いものを精錬して、よいものを自分の属性とし、自分がプリンス・プリンセスでいたいのかどうか。親としてよい子を授かりたいのかどうか。選択の自由ですね。堕ちていくのも人生。それはそれでいい。しかし、だからといって、まだ墜ちていない人を墜とすのは罪ですね。墜ちていくだけが人生ではない。大人ではない。この生でさらに向上する人格・人生もある)[法師功徳品](2005/11/12 14:52 NHK-FM サタディ・ホット・リクエストを聞きながら)

2005年11月12日