Enter 

仏とは

  • 【2009年07月30日】仏とは何だったのでしょうか。法華経には、「我仏を得て」という表現があります。それは知性でした。どういう知性でしょうね。三世、つまり現在過去未来を見通すことが出来て、あらゆる原因と結果を知り、こうしたらいいんだよと教えてくれる知性です。仏慧といわれるものです。そして大威神力をもっておられるのです。それは宇宙を動かすことも出来る力です。宇宙はエネルギーとその波動です。その中には見えるモノと見えないモノがあります。情報理論が0と1ですべての事象を表現できるというのは正しかったようです。さらに見えない世界を問題とする時代となるのでしょうか。それは人間に於いては心すなわち魂でした。それは有るのです。そして魂と宇宙は連動しています。思考は現実化するといわれています。潜在意識を上手に使うことが現代成功哲学の要諦となっています。こうした理論の究極が仏の大威神力といえます。仏が我々人間とちがうのは、仏はそれをあらゆるモノの福祉のために使うということです。我々人間は人間である限り、やがて悪に染まります。それで困ったことになるというのです。それより自ら逃れることは出来ないと法華経にも書いてあります。そして悪の上に悪を重ねてきて、これから恐ろしい時代となるというのです。その時に仏は真実の教えを説くと伝えられていたというのです。そして掬われる時となったのでした。しかし仏が自ら掬うわけではありません。その方法を教えてくれるのです。それを汝とって服すべしとします。すべてのものが幸せになるために。此処が自らの利益のために他の利益を犠牲にしてまでも生き延びようとする傾向と異なります。自分のためにすることが悪であり、あるいは魔の仕業であれば、仏が勝利しなければなりません。生命の進化傾向は茲にあるのでした。生命は本来魂です。魂は不滅です。それを悟ることが仏法の目的だったのでしょうか。その時、生死を超えるのです。そして魂を唯、磨けばいいというのではありません。それでは足りないのです。魂の力をつける必要があるのです。力とは何かを変えることが出来るモノです。そして魔と戦闘するのでした。それが仏法だったのでしょうか。こうしたことが必要な時代となっているようです。そしてそれは有るのです。そして仏の守護を得て、仏の故に思いが宇宙に通るのでした。まさに現代に於ける潜在意識理論はそれと合致していたのです。しかし問題は、その理論で何を求めているのかということです。何処までも個々の幸せではないでしょうか。これが小乗だったのです。もっと大きなことを考えなければならない時代となりました。まさに大乗です。あらゆる存在の幸せと福祉を考える時代です。それほどの危機が迫っています。もはや一国の利益あるいは限られた支配階層の利益のための戦争とか殺戮とかの時代ではありません。人類は万物の霊長として考えるべき時が来ています。思いがやがて染み出して現実化します。何を思う時でしょうね。世界です。人類です。大航海時代が始まった時には世界は無限と思われました。既に今、世界は地球となり有限です。そして宇宙を考える時代となりました。私達は海から生まれたと思ってきました。海は地球から生まれました。地球は宇宙から生まれました。宇宙に帰る頃です。魂について考察する頃です。現代成功哲学の限界があります。それが現世的幸せしか考えていないことです。前世があります。来世があります。この世は過去からの夢の実現過程でした。神仏は実在します。彼はいいました。日月照らし、風が吹く。どのレベルでの体験だったのでしょうか。彼に不思議な人生がありました。学問がありました。教育がありました。それにしては貶められ、粗末にされたようです。