略開近顕遠

2009.08.14

  • 探していたモノは何だったのか。真実だった。それは何だったのだろう。世間では絶対ということはないという。それは絶対ということを知らなかったからだった。しかしそれは伝えられていた。変わるモノと変わらないモノがある。これまでもそうだった。これからもそうである。しかし茲に重要な問題がある。仏法を学ぶ者は仏法に権実があることを知らなければならないという。真実の仏法があるという。略開近顕遠。それは亦、略開三顕一だった。聖徳太子もこれより始めている。どういう事だろうね。本来一を三と説く。はじめから一を説いてもわからない。むしろ疑い、背く。相手の魂の状態を知って説く。それが宜しきに従うということだった。因って仏は本来法身であるところ、相手に応じて姿を現す。それが応身だった。三に声聞、縁学、菩薩とある。一は仏だった。その程度の理解だった。これをも仏の方便だったという。どういうことだろうね。つまりこうしたことにも権実がある。真実とは何だったのか。この場では秘すべしとする。いずれにしても見える世界と見えない世界がある。見えない世界に通じることが出来るだろうか。彼は出来るという。己の経験より出てきたモノは真実である。真は証明できる。偽は出来ない。どこかで破綻する。破綻してはじめてそれが虚仮であったと知る。世間はそれを繰り返している。何故だろうね。それが問題だね。知らないからである。証明していないからである。その経験がないからである。そろそろ気づくべき頃となった。同じ轍を踏めない。もう戦争はさせはしない。そのためにはどうあるべきか。愚かでは気づけない。私達は無責任に何をしてきたのだろうね。異常気象となった。明らかに。それは既に数年前から始まっていた。頭を垂れた稲穂の実る秋の田に大きなオタマジャクシを視たのは二、三年前の9月のことだった。このままではどうなるか。何もしなくて良いのか。テレビ界に問いたい。あまりにも無責任ではないか。どのようにして掬うのか。知性を要する。芸能界は何に乗じての事であるか。民を惑わした罪がある。自分中心の考えが基本にあった。それが間違いのモトだった。あまりにも愚かだった。むしろ自らの利益のために知らないことを以て否定した。探そうともしなかった。こうした問題をどこか嘲笑していた。いつか気づくべき時が来る。壊した者が償う。テレビ界及び産業界は何を以て償うのか。ダウン症の子も多い。大自然及び生命に対して償うべき事がある。壊したのは私達人間だった。智慧と思って何をしてきたのだろう。一括請求されている。ハッキリさせるべき時が来た。時代が明るい未来へシフトするために。未来に救いはあるのだろうか。彼はいう。ある。しかしこのままではない。私達が変わる必要がある。どのように変わるのか。どのようにして変わることが出来るのか。考える必要がある。探す必要がある。人類進化はあるレベルに達した。これまでの方法論では生き残れない。私達生命は常に時代を克服してきた。私達は硫化水素の海より生まれた。生命体としての進化傾向がある。やがて至る。何処へ至るのか。真実へ。真実とは何だったのか。かつてコルト・レーンというジャズマンがいた。彼は『ジャパン』というアルバムを遺している。その演奏は壮絶である。むしろ悲鳴だった。彼はいった。「神になりたい」。日本は本来どういう國だったのか。ある日あるお寺で小僧が座禅していた。お師匠が問う。何をしているのか。座禅している。座禅してどうするのか。仏になる。師匠は突然、瓦礫の瓦の破片を磨きはじめた。小僧は問う。何をしているのですか。これを磨いて鏡にする。亦ある禅僧がある日、忙しそうに駆け回っていた。何をしているのですかと問う者が居た。禅僧は答えた。馬鹿を雇って雪で井戸を埋めている。仏になれるだろうか。神になれるだろうか。彼はいう。私達はかつて神仏だった。帰ろうではないか。本来私達の世界へ。いつまで愚かなことをしているのだろうね。方法はある。償うのは壊した私達である。さらに本当の方法は何処にあるのだろうね。探すしかない。先ず、認めることからである。何を認めるのだろうね。