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仏法が伝えていたもの

2010-02-19

  • 衆生本来仏なりといわれます。本来だれもが仏だったのです。ところがいつか、自分のためにすることが幸せだとする考え方に幻惑されて、それを忘れていたのでした。
  • この世のすべてが仏だったのです。それが信じられません。それで、修行も必要でした。仏法は仏法を否定していたとしました。それも、この衆生本来仏なりということを気づかせんがためだったのです。
  • その時、永遠の自由を知るでしょう。そして笑顔がこぼれてきます。そして黄泉は喜び、天の祝福もあります。これを信じるためには、自らそれを経験するしかありません。だって、画餅は食せませんね。
  • 本来日本はそれを知っていました。そしてそれを培っていたのです。人類あるいは生命体の目指していたものは自由でした。かつて王侯貴族に限られていたものを、私たち庶民が享受できる時代を迎えたのです。それを可能にしたのが、文明文化の発達でした。
  • 自分勝手がすぎましたね。そして不幸になりました。そろそろ気づく頃となりました。そして、みんなで幸せになりましょうね。
  • ところで社会契約は、個々の自由の一部を制限して差し出しています。また、進化傾向は、野蛮および愚かさを嫌います。戦争は一部の支配者の利益のためでした。嘘と暴力はもってのほかです。
  • 人類としての諸価値を見直すべき頃です。


知足について

2010-02-20 

  • 知足ということがある。それが幸せの条件であるらしい。その意味がわからなかった。子供の頃、確かに彼は誰よりも能力があった。楽に世渡りができるだろうと誰もが思った。そうでもなかった。彼は常に孤独だった。何もかも一人でこなしてきた。やがて三十年が過ぎた。組織の中はどういうことだったのだろう。ほとんどの方々は意味のない仕事をしている。本当に仕事をしているのは、一部の方々だった。いわゆる管理者がそれだった。そして多くの方々は気づいていない。見えていない。往々にして、赤信号みんなでわたれば怖くないらしい。そうだろうか。そして何故彼は不幸だったのか。それがわからなかった。運命であると片づけるのは簡単である。それですますわけにはいかなかった。そしていつか至る。どこに至るのだったろうか。良寛はいった。自分は他人を知らない。他人は自分を知らない。知らないけれども帝則に従う。帝則とは何だったのだろう。聖書はいう。閨房にても王を呪ってはならない。小鳥がそれを運ぶから。笑うしかなかった。どうしてそれに気づけなかったのだったか。不思議な経験があった。それは何だったのか。何もかも、サインだった。彼はそれが見えなかった。そして彼こそ彼だった。この意味は誰にもわからない。経験がないからである。そして知足である。どういうことだったのだろう。自分に満足すればいい。この世で不幸であるのは何故だったのか。世渡りが下手だった。それが因縁である。いくら能力があっても、世渡りができない。何故だったのか。過去の裏返しである。懺悔するしかない。そして自足すればいい。この世に生まれたということは、生きることはできる。幸せを求めないことである。その時、幸せである。それが知足だった。だからといって幸せを求めないのではない。ここが幻想である。過去に失敗がある。同じ轍は踏まないことである。幸せはある。しかし自分の思う幸せはない。そして幸せである。どうでも良いね。あの世へ持って行けるものと持って行けないものがある。そして未来がある。今世の仕事はしただろうか。おのおのの問題である。日月照らし、風が吹く。君が代斉唱、国旗掲揚。十分である。良い仕事をしたね。自己利益追求、地獄必定、欺罔欲得商人根性の時代である。この世で犯した罪はあの世へ逝っても消えはしない。馬鹿になることが幸せではない。何がはびこったのか。何に乗じての繁栄だったのか。もはやどうにもならない。そうしたことをあまりにも知らなかった時代だった。しかし彼はいう。本来日本は滅し給わず。すでに処したる人生がある。観念するしかない。トランプに51がある。だれが51をそろえたのだったか。この世で、それが明らかになることもある。かつては四聖の頃がそうだった。すでに汚れた方々は去るが良い。苦節孤独三十有余年、彼は何と戦っていたのだったか。そして何を見つけたのだろうか。誰も知らない。知っていたとしても、その本意はわからない。安易な人生ではなかった。今となってはそれが使命だった。世の成功とはおよそ異なる世界を彷徨った。そしていう。本来日本を未来に伝えよ。彼は何を以ていうのだろう。天の祝福であるか。あなた方は知らない。むしろ認めたくない。故に不幸に赴く。本来日本はそうではなかった。明治以降、道に迷った。