ある日を境に意味を持つ

2010-04-03

  • これまでの人生は無駄かと思われた。何もかも失敗の連続だった。そうでもなかった。ある日を境に意味を持つ。そして本当の人生が始まる。どうして失敗したのだったかはもう問わない。その必要はない。原因がわかれば解決がある。それまでが試練だった。神は乗り越えることが出来ない試練は与えられない。そこを通るしかない。そのように出来ている。試練はそれぞれ違う。いずれにしても本来の自分を知ることになる。そして始まる。その時、幸せだったと思えるかどうか。導いているのは見えない世界である。すべては見えない世界で決する。厳然としてそれはある。誤魔化せはしない。しかし人間はそれを直視できない。あるいはしたくない。素直になって、己の悪を見極め、認めるしかない。そして反省し、変わっていく。この世はそのように出来ている。浮かれた人生はどうなるのだったか。人を貶めてどうなるのだったか。自分のしたことはすべて自分に帰ってくる。この世の終わりが来世の始まりである。この世の失敗は前世からのことだった。いくら能力があっても、それが発揮できない。何故だったのか。すべて原因は己の中にある。何もかも、自分の中にある。関係ないなどといえない。自分に都合が悪いとそのように思う。そしてそれを正当化する。それに群がる。迎合する。そしてどうなるのだったか。人生はそうした己の悪との戦いだった。最終最後最大の敵は自分である。仮想敵国などではない。己を倒してどうなるか。如来を得る。知らない者たちが勝手する。そしてだんだん悪くなる。振り子が振りきれる。その時が変わり目となる。勝手は何時までも通らない。自覚を要する。そしてその時、この人生は意味を持つ。それは自分が自分に目覚めた時だった。自分は何者だったのか。それが禅の目的だった。前世からの続きである。善いことも悪いこともある。悪を知る。善を知る。悪を払拭して、善が輝き始める。しかし往々にして悪に染まる。それが人間だった。そして気づく。その時、あらゆる経験が無駄ではなかった。渋柿も甘くなる。そして知る。何を知るのだろうね。それぞれの事である。前世がある。来世がある。そしてこの世を如何に生きるのだったのかがわかる。それを知らなかった。知らずに勝手した。あるいは貶めた。何時か知る日が来る。その時、すべてが明らかとなる。白隠禅師はいった。隻手の音を聞く前は何をしても駄目である。聞けば何をしても善い。それが意味があるかないかだった。生きていて良かったと思える瞬間がある。それは誰にもある。私達は何をしてきたのだったか。私達はどう生きるべきだったのか。これが学問だった。そして答えを得る。その時、すべてが解決されているかどうか。一大事畢了であるかどうか。多くを学ぶ必要はない。一大事を学べばいい。それは何だったのか。世間はそれをむしろ愚という。それで善いのだった。何を以て人生の勝利というか。最後に笑う者が一番善く笑う。その意味では学科成績ではなかった。幸せに生きてゆこうね。それはある。それは少なくともお笑いではなかった。私達は何故生まれてきたのだったか。過去からの夢の実現過程である。長い魂の遍歴である。これを以て、百代の過客といっていい。生きている限り、遅すぎるということはない。気づいた時が始まりである。殺戮の世は去った。私達は限りなく未来を目指す。それは殺戮なくして平和を勝ち取ることである。命をも奪い合う悲しい時代は終わった。愚かなお笑いの時代も終わった。真実の笑いがある。それは何だったのか。これより明らかとなる。既に間違ったお笑いは去るが良い。他を貶めてする野蛮なお笑いは生きることを以て理由にならない。青少年に対する影響力が甚大すぎる。さて、彼はいっていた。時を要する。属性を要する。触れてはならない逆鱗がある。知らずに触れたね。そして時とは、自覚の時だった。その時、すべてが明らかとなる。属性のない者にわかりはしない。そしてその時、黄泉にスイッチが入る。黄泉が動き始める。黄泉は待っていた。その時を。そして導いていた。彼に数多の不思議な経験がある。誰も知らなかった。それが秘密だった。故にいう。彼こそ彼だった。彼に使命があった。試練があった。時は熟した。彼は成就したという。