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そして始まる

2009年08月01日

長い旅が終わった。思えばそれは戦いだった。何と戦っていたのだったか。自分とだった。これに勝利しなければならなかった。それがこの世の務めだったのか。そのために生まれていたのだったか。そして己を制したのか。それはどのようにしてなされるのだったか。彼には特殊な戦いだった。生まれた時から始まっていた。この世で解決するべきモノがあった。それは何だったのか。そしてそれはどのようにして終わったのか。何度も終わったかに思えた。終わってはいなかった。終わらせなければならない。そして始まる。誰もが幸せを求めている。それはあるのだろうか。本当の幸せとは何だったか。彼は探した。彷徨った。そしてもう駄目かと思われた。それほどの試練があった。それをも乗り越えたのか。伝えるべきことがあるという。何かを見つけている。彼は語り始めるのかも知れない。誰もが知っているのかと思われた。殆どの人は知らない究極の秘密があるという。秘すべしとしたのは世阿弥だった。それさえも彼には欺瞞に思えている。それほどまでに彼は貶められた。それも試練だった。今となってはむしろ懐かしい。彼はいう。知性の復活する頃である。貶めてはならないモノがあった。あらゆる欺罔が見破られた。何を以て成功というか。世の成功論者はいう。所詮人生に答えはない。一生もがき苦しむしかない。彼には答えがある。慰めもある。求めていたモノのレベルがちがっていた。彼らはそれはないという。彼はあるという。ハッキリとさせるべき時が来たのだろうか。彼は帰ってきた。長い旅があった。三十有余年の孤独な旅だった。全てを失った。人生も青春も。故に見つけたモノがあるという。それは何だったのか。それこそ真実だった。真実とは何だったのか。彼はいう。神仏は実在する。忘れていたね。本来日本は何だったのか。卑弥呼の系譜邪馬台国大和神国である。いつの間にか見失っていた。ペリー来航以降のことだった。取り戻すべきは何か。明らかとなった。もはや低いレベルでの勝手は通らない。彼は探していた。彼は生きていた。見つけなければならないモノがあった。そして見つけた。時を要する。属性を要する。自覚を要する。力を要する。知らなかったね。意味のない浮かれた時代は終わった。そして本当の幸せを生きることが出来る時代が始まる。時代は切り開かれた。幸せはある。私達はそれを探すために生まれてきた。探すことだよ。必ず見つかる。感性をとぎすませて知性に至る。シュリーマンのように。知性を知らなかった。あるいは無視した。そうした時代がしばらくあった。低い文化レベルでの横暴があったのではないか。若者達はそれに染められ、諸価値を笑いものにした。生きていることの本当の意味をついに知ろうとしなかった。お金こそ全てだと思った。お金も400年来のことに過ぎなかった。本来永遠の価値がある。教育もそれを知らず、共に浮かれた。それも終わった。そして夢は実現し、思考は現実化する。潜在意識は主語ではなく述語が動く。新しい時代である。私達は生きている。何処を目指すのか。