旧友を訪ねて

久しぶりに東京に来た。初めて宇都宮にも来た。そしてかつての友達と会った。自分を確認するためだった。そして、まだまだこれからだと思うのだった。そして、現段階の自分を知るのだった。歩んできた道のりは正しかった。このまま進むしかないこともわかった。修復するべきは修復しながら。あるべき自分探しが、この人生の目的かも知れない。やがて、ゴールに至るのだろう。そして、今世でやり残したことは、来世の宿題となるのだろう。この世で多くの課題を解いた。理入は果たした。これより、行入である。どのような自分の形成となるか。楽しみとなってきた。この人生が、これからどう開けるか。すべては歩んだ道のりである。すべて知らしめんが為だった。それで良いのだった。今ある自分を信じることが出来るかどうか。これまで歩んだ道のりを大肯定出来るかどうか。この世を如何に終わるか。終わりは始まりである。人生は容易い。しかし、難しい。自分次第である。自分が自分を好きになれるかどうか。自分が自分をゆるせるかどうか。ゆるした時、ゆるされている。自分の縛を解くのは自分である。代々、教えられていた。善人であることに躊躇することはない。善に生きられないなら、生きるに価しない。そのように思われてきた。この度の小旅行で得たものは大きい。自分のこれからの方向性を得た。思い煩うことはない。自分が自分に成れば良い。危うきところには近づかなくて良い。この人生、生きるに価する。だれもが助けてくれる。アドバイスしてくれる。そのような自分となりつつある。後は、自分次第である。有り難い境界が開けてきた。これで好かったと思う。救われつつあるのだと思う。この人生何であったのか。自分が鐘となって鳴ることではなかったか。その鐘の音はラパンカネラのように美しいだろうか。およそ、世間のことは馴染めない。自分を表現する頃かも知れぬ。それだけの価値を見出したのかも知れない。私の世界の形成の頃だろうか。頭脳の明晰が戻りつつある。長い旅だった。しかし、生きてきた道は正しかったようだ。およそ解けない謎も解いてしまった。言うべき事がある。 久しぶりに東京に来た。初めて宇都宮に来た。そして、失いかけていた自分を見出した。旅はするものである。旧友を訪ねて。開発するべき周波数がある。限りなくやさしさへ向けて。私が成功できなかった理由もわかった。私には解くべき課題があった。それなくしては、私の思う人生は開けないのだった。あまりにも怠惰であったようだ。これより、自分を生きる。そうすることに決めた。皆さんに感謝申し上げる。私の方向性は定まった。何の計らいも要らない。何も思い煩うことはない。遠慮することはない。思うとおりにして良いのである。あるいは、好かったのである。堕ちこぼれと笑うこと勿れ。私は十分に生きてきた。もう、恨む必要はない。この人生、無駄ではなかった。来世に向けて歩むべき道が定まった。今となっては、怠惰だった自分を申し訳なく思う。このまま素直に生きることにしよう。ムイシュキンでいいではないか。私は謎を解いたようである。イワンの馬鹿となってきた。何もかもすべてを心から愛せる自分でありたい。善も悪も受容して。それが悪人正機説であったのかも知れぬ。これが解脱であるのかも知れぬ。動植物が微笑んでいる。天地が祝福してくれている。おだやかな天地が開けてきた。やさしさで全ては解決する。何も怖れることはない。唯、神仏を畏れる。身心清浄への旅、改めて出発である。化城を出でて。

今、東北新幹線の中にいる。横浜へ行こうと思う。絶対の自信が蘇っている。夢が描かれている。失った自分の回復である。優等生だった。ワルでもあった。そのジレンマに悩んだ。長い青春だった。そして時は流れた。復活している。何もかも失われていた。自信がなかったからであった。究極の自信とは何であったか。すなわち、我が為に、日月照らし風が吹く。情報は発信するものである。発進するところに帰ってくる。どのようにして帰ってくるのか。風が伝える。

12:11pm 横浜関内にいる。オープンカフェstarbucks。のんびりとした昼下がりである。この界隈をしばらく散策した。横浜も何年ぶりだろう。時はおだやかに流れ始めた。ビジネスの種は宇都宮で貰ってきた。これから、その種まきである。このスタンスで好いように思う。16:32 今、帰りののぞみ39号の中である。昨日帰る予定だったチケットは無効だった。没取するには、金額が大き過ぎはしないか。しかし、そのようなこともどうでも良い。この度の旅は大漁だった。宇都宮ではとても仲の良い夫婦関係を見せつけられた。二十年も社長をしている友人の一つの結論だった。そして、今日は横浜を訪ねた。訪ねた先はドルソリーナだった。そして、言われた。目は異様なほどに輝いていた。いつもの目だった。甘えていただけでしょ。禅は今日成すべき事を為す。結果は後から着いてくる。あなたは勝手にすればいい。私の知ったことではない。日の高い裡に帰ると良いよ。私は帰途に着いた。たくさんごちそうしてくれた。感謝申し上げる。そして、帰りの新幹線の中にいる。富士が見えなかった。そして思った。私は解放されたのだと。富士からも。この度の旅で私は私を取り戻した。私は私で良いと思った。私のことは誰も知らない。日月照らし風が吹くことを知らない。しかし、開発し終えている。動植物もなびく。天地自然もなびく。誰も知らない。富士は見えなかった。どういうことか。私は解放された。神秘を示すこともない。その必要もない。現実に戻る。私は幸せの切符を手にした。確信している。幸せになって良いのだと。力は開発し終わっている。実験実証検証済みである。この世は目覚めたジュピターのさじ加減である。どういう意味か。誰も知らない。知らないが真実である。この世は我が代である。これより勝手は通さない。黄泉の意思である。黄泉も待っていた。時が至るのを。時は至った。ご用心。知性の勝負である。誰も及びはしない。覚悟するが良い。開発するべきは開発した。今しばらく是を超えることはない。何故か。大和の秘密である。家伝直伝秘伝である。容赦しない。天下が随順する。祖父の境界である。直伝である。私は解放された。解放されたからにはゆるしはしない。王の耳、王の目。知られたときが終わりである。各々知らないことを以て勝手が過ぎた。その勝手は是より通らない。通さない。ゆるしはしない。黄泉からの宣告である。泣いて馬謖を斬る。観念するべし。目覚めるべきが目覚めた。大和の主権である。反論あらばすれば良い。いつでも議論に応ずる。何を愚弄無視したのか。何を裏切ったのか。誰を粗末にしたのか。明らかとなった。明らかとなったからには処断ある。古来大和、夢幻ではない。各々、首を洗って待つべし。法華経窮子、帰城である。この世で歩んだ人生が違う。前世からの魂の遍歴が違う。どこまで勝手し来たるか。どこまで思い上がったか。真実を前に懺悔するが良い。容赦ない。しかと良い置く。これより時代は代わる。あるいは代える。古来秘密顕現。あなた方の勝手な時代は終わった。禅をきわめるとどうなるか。生殺与奪自在である。誰が悟れば良いというのではない。良寛の禅と一休及び道元の禅は違う。誰も知りはしない。知らずに勝手する。それが、世間一般である。しかし、何時か時が満ちる。どういうことか。各々、すねに傷があろう。その傷に尋ねるが良い。この世の真実、時が来て明らかとなる。愚弄無視、破壊したるは何か。即ち、古来大和純粋精神。己に恥じることなきを以て腹も切れる武士道精神。これが日本の精神であった。欺罔行為を以て取引行為とする商人根性の与り知るところではない。全ては知らしめんが為である。何を知らしめんとするか。すでにその証明は終わっている。気づかぬ事を以て恨むべし。誰と縁があるか。何を大切にするか。幸不幸の分水嶺である。まだ、わからぬか。誰が為に日月照らすか。至り着いての故である。そろそろ認めてはいかがか。まだ逆らうのか。知らしめられたいのだろうか。堪忍袋の緒が切れるとどうなるか。ヨハネの黙示録が来る。まだわからぬか。何を勝手しているのか。時は代わっている。須く禅譲されている。すべては譲られている。この世の謎は解き終わっている。年貢の納め時である。お金を持つものと持たないものとの勝負は勝負にならない。何を以て自由平等というか。その基礎が崩れている。亦、利益あるところに損失有りが資本主義の前提である。今はどうか。利益あるところに損失有り。損失あるところに損失有り。どうなっているのだ。資本主義の基礎である貨幣はどのように機能しているのか。この世で、唯一腐敗せず、増殖する。その力を偏にどの階級が支配しているのか。大資本及び大企業、あなた方に大義名分があるか。何を犠牲に利益と為すか。そもそも貨幣の基礎である金は何処より奪い来たるか。神は高きを低くし、低きを高くするために来る。旧約聖書の約束であった。それはその謎が解かれたときに来る。何を勝手し来たるか。何を犠牲にし来たるか。各々勝手及び罪、明らかである。思い上がりが過ぎた。この度の旅の意味は何か。己の歩んだ道の正しさを証明するためだった。その証明は成された。私の歩んだ道は正しかった。誰も否定できない。日月の証明するところである。財を成して、晩年及び老後を楽することが人生の目的となっている。アメリカ的である。お金で買えないものはないといったのはホリエモンだった。しかし、お金で買えないものがある。自然は買えない。お金で黄泉は動きはしない。良い旅だった。失われた自己を取り戻すことが出来た。修復完了である。下手を撃ったものだった。可愛い子には旅させよ。人生棄てたものではない。

21:50 呉駅前の喫茶レストにいる。ところで、ハーメルンの笛吹男の話がある。どういうことか。奥様方が議論している。熱く自由について語っている。今まで、自分の能力を発揮していなかった。あるいは発揮できない環境があったと。これには久しぶりに驚いた。以前もそのようなことはあった。ファッションとは何であったか。大鏡である。あるいは、ハーメルンの笛吹男である。あるいはエクスパイアである。これが情報発信ということか。台風の目である。世間が大鏡である。これが、閻魔大王の浄頗梨の鏡であるか。それは死んで生前のことを映されるのではない。生きながらにしてそうしたことがあったとする。不思議だね。しかし、世間は火が点いたようだ。失われていた何か大切なことに気づき始めた。埋もれていた知性の復活が始まった。目の前でそうした議論がある。不思議だね。誰が火を点けたのだろう。誰も知らない。しかし、知性は復活した。愚かさは退場である。こうした仕事もある。直接、お金にはならないけれど。いつもそうだけれど。これまでは自覚がなかった。今はある。どういう自覚か。誰も知らない。これで良いと思えるようになった。楽に構えることが出来るようになった。距離を置いて、眺めることが出来るようになった。おだやかな世界が開けてきた。失われた自己の回復である。やっと夢がかなった。これが求めていた幸せだった。自信が復活である。絶対の自信である。お金では買えない。衆生功尽きて、大火に焼かるると見るときも、我が此の土は安穏である。お金では実現しないことがある。むしろ貧学道を通る必要がある。真実の人生の勝利とは何であったか。お金をあの世へ持って行けるか。この安楽の境界は持って行ける。閻魔大王の認めるところである。ギャーティ、ギャーティである。ベートーベンの喜びの歌である。人生の目的は成就した。一番乗りである。勝利宣言である。ダルマさん、ダルマさん、にらめっこしましょ。笑ろうたら負けよ。あっぷっぷ。見つめられたら終わりである。にらめっこしてみる勇気はあるか。開発するべき真実を射抜く目がある。生き馬の目を抜く目ではない。次元が異なる。知る人は知る。知らない人は知らない。知らないのに知ったようなことを言っている。恥とするべきはそこである。さて、時代の大将棋である。詰んでいる。都詰めである。ナポレオンで言えば、残っているカードは切り札ばかりである。あるいは51で、ストップである。