宇宙大戦争

2010-01-15

私達は知らなかった。何を知らなかったのだろう。見えない世界を知らなかった。それはないと思っていた。

そして勝手していた。それが面白いからだった。しかし、いつか不幸になる。災害がある。困苦がある。どうしてだったのだろう。知らなかったからだった。

見える世界と見えない世界がある。最新素粒子クォーク理論によると、ビッグバンの時に、要素の半分が見えなくなった。

見える世界は何だったのか。マーヤだった。闇だった。無知だった。宇宙は見える世界だった。それは創造化だった。

創造力は神の性質の一つだった。それはむしろ反力だった。何に対する反力だったのか。神の幸せから遠ざかる反力だった。見える世界を作るのはサタンあるいは魔の仕業だった。それらも神の大天使だった。神の力が賦与されていた。それは試練としてだった。やがて、本当の幸せを知るためだった。

しかし、作られた見える世界に執着があった。人間もその一部だった。それは見える世界の喜びを喜びとした。それ以外に喜びはないと思われた。今もそう思っている。

あらゆる見える世界の喜びは、感覚器官の喜びだった。感覚意識の満足だった。それは欲望だった。故に、政治も欲望の満足と定義されていた。

しかし、本当の喜びではなかった。本当の喜びとは何だったのか。心の満足だった。それは見えない世界の満足だった。それを知らなかった。恐怖と心の隙間に魔は宿る。その時、感覚の喜びに支配される。それが執着だった。

見える世界を創造したサタンあるいは魔は、やがてその仕事を終えると、神のもとへ帰るはずだった。しかし彼らは、自分たちの創った世界に執着した。そしてその世界が存続することを願った。

人間もそれに幻惑されている。そして人間は創造の名を以て、本当の喜びから遠ざかることを知らない。それもゲームとなった。これより逃れることが出来るだろうか。そして本当の喜びと自由を知るに至るだろうか。この世の試練である。

この試練に打ち勝って、自由となる。それを知らなかった。こうした善と悪の戦いがある。見える世界は、不幸へ赴く。宇宙大戦争である。それは何処で行われるのだったか。心だった。

心は二面性を持つ。悪へ向かうのか。魔の支配となる。善へ向かうのか。愛の支配となる。どちらを選ぶのだったか。不幸の原因が明らかとなった。創造が本来、不幸の原因だった。だからといって、五欲を断ずるのではなかった。

それよりも大きな喜びがある。どのようにしてそれを選ぶのだったか。どのようにしてこの宇宙大戦争に打ち克つのだったか。最終最後最大の敵は自分だった。それは心だった。

新しい時代である。反省の頃となった。人類は何処へ赴くのか。恐竜と同じ轍を踏むのだろうか。

私達は本来魂だった。死を以て、魂の世界に帰る。その時、この世の見える世界から救われる。それを生きている私達は悲しいと思う。それも勝手な想像だった。

死は悲しむに足りない。本源のエネルギーに帰る。この世の苦しみから脱却する。そして休息となる。しかし、この世に未練があると、再びそれを満足させるために、この世に帰って来る。それが六道輪廻だった。

それはないと思っていた。あるのにないと思っていた。マーヤの闇であり、幻惑だった。こうして、サタンの計画に従っていた。

神はそうではなかった。人間に幸せになって貰いたいと思っている。

それはある。あるのに、ないと思っていた。宇宙は大戦争である。相手を知らなければ、勝てない。知ることは知性であり、理性だった。感性こそ大事だと思われた時代があった。物質世界の成功が成功だと思った。故に、お金の支配があった。金力を克服する。そして新しい未来を開く。

普遍的な愛は神のもう一つの性質だった。人類の祈りは、愛と平和だった。愛に従う。そして創造する。新しい時代の理念である。殺戮なくして、平和を勝ち取る。ここに被爆敗戦国日本の重大な使命がある。現代戦争の無価値を身を以て学んでいる。

私達は幸せになるために生まれて来た。あらゆる見える世界は、創造と存続と壊滅を繰り返す。見える世界の要素が壊滅すれば、善も悪もない。本源のエネルギーに帰る。そして再び、創造が始まる。

それは観念から始まる。それが企画だった。人類にとって新しいキャンパスが用意された。これまでの不幸に赴くクリエイティブ理念を批判する。そして本当の幸せに至る新しいクリエイティブ理念が始まる。それは愛に従う。理性で企画する。

感性は女性の本分である。理性は男性の本分である。しばらく、感性の時代だった。男性も女性化した。取り戻すべきは何か。物質的喜びよりも大きな喜びを目指す。そして物質的喜びを享受する。それは感覚器官(五官)からの自由だった。

この理念は、日本の目指していたものだった。しばらく忘れていた。ペリー来航以降、文明開化は西洋化だと思った。それまでの諸価値は悉く破壊された。そしてその文脈で無益な戦争までしてしまった。本来愛の園である大和の戦ではなかった。民のためにする戦ではなかった。

そして戦争自体が無価値となった。武器は今、刀ではない。言葉である。それは光であり、ロゴスだった。取り戻すべきは何か。即ち、国旗掲揚、君が代斉唱。日本精神骨抜き占領政策は失敗に帰した。それに乗じで繁栄した権力、武力、金力が克服される。物質の支配を克服する。精神の支配を取り戻す。

本来日本が培っていたものはそれだった。あらゆる生老病死を克服する。その道が庶民に開かれた。21世紀の約束だった。それは、預言者あるいは祖師レベルで伝えられていた。