2008年01月31日
幸せになりたくて
今までマイナスな思いがありました。赦せないと思うことがありました。今はどうでしょうか。大肯定となりました。やがて真実の愛も芽生え、幸せもやってくるでしょう。それまでは過渡期であり、或いは化城ですね。今より始めるのです。それでいいですね。今を否定していては未来に至れません。今を肯定して、未来への一歩を踏み出すのです。やがて有るべき未来が見えてくるでしょう。愛と平和も解決したと聞いています。ダイヤモンドとして結晶する人生もあると聞いています。幸せは包み込まれたやさしさを感じてうずく心でしょうか。苦の海も渡ることが出来るそうですね。そして開ける世界があるそうです。真実の幸福は所詮男と女の世界だと聞きました。何があっても赦し赦される関係です。男は船。女は港。帰るべき港は何処でしょうか。永遠のテーマです。幸せとは何でしょうか。相性ですね。見出し見出されて生きていく。何を見出すのでしょうね。何が見出されるのでしょうか。その為に何を磨くのでしょうか。全ては繋がっていますね。だけど断ち切るものがあります。嘘と暴力。取り戻すべきは愛と平和でした。ダイヤモンドはダイヤモンドと出逢うのです。物語の世界の憧れが実現するのです。誰もが至る夢の世界があるのです。愛と平和とやさしさの世界。知性が知性となって感性と出逢う。それが幸せだったのでしょうか。その時にすべて赦し赦されるのでしょうか。素直さと素直さが出逢うのでしょうか。男は知性。女は感性。男は精神。女は生命。知性がベールを脱ぐ時が来ました。此処より始まるのです。愛の周波数があって世界は平和です。やさしさに包み込まれて二人は幸せです。一人では至れない。有るべき男を取り戻す。有るべき女を取り戻す。知性と感性。精神と肉体。それで良いのです。所詮この世は男と女。幸せは関係。よい相性。幸せとはそれだった。幸せになりたくて生まれてる。幸せは暮らし。こぼれ来る笑顔。この世は美しい。素晴らしい。分かり合うことで。別れとは何だったのか。さようならとはどういう事だったのか。分からないからだったね。何を分からなかったのだろう。もういいよね。所詮この世は男と女。幸せになりたくて。成ればいい。青い空と白い雲。空は晴れて笑顔が来る。裏切っていないか。大空を信じているか。所詮この世は男と女。幸せになりたくて。成ればいい。


2008年01月30日
大肯定で乗り切る
時代の大変革期となった。例えばお笑いバラエティとかゲームとかに対して批判的な考えをしていた。無価値だと思っていた。この変革期にあってそのようにネガティブでいいものかどうか。目的は生き抜くことであって、ネガティブではこの速い時の流れの中で生きてゆけない。今より始める必要がある。それでポジティブになれる。ポジティブになることでものの見方が変わってくる。今現実にお笑い芸能界もゲームもある。これを否定することは非生産的なのだ。少なくとも冨を生んでいる。ここに価値を見出す事から始める。冨を生まなければどうするのか。そしてこの意義を見出した時、前進が始まる。今何事も否定している閑はないのだろう。先ず一歩を踏み出す。そしてそれを梃子にして自分の価値の実現を目指す。やがて自分の価値が芽を出し、花と咲いて実を結ぶ。それで良いと思われる。即ち大肯定なのだ。何故だろう。みんな生きている。生きているということはポジティブである。何故鬱が多いのか。何故自殺が多いのか。何処に原因があるのだろうね。夢がもてない。不安がある。何に対する不安なのか。今庶民はお金がない。どうしてだろうね。システムに問題があるのではないのか。誰もが幸せを感じることが出来なくなっている。どうしてだろう。本来の資本主義はこうだったのだろうか。何時の間にか制度疲労を起こして欺罔が一人歩きしていないか。そして経営者と投資家の搾取システム的となっていないか。色々な配慮を欠いていないか。セレブはいて良い。しかしメディアでの露出を避けるべきではないか。セレブとなりたい夢を与えるのは良い。しかし貧しいものはそれを見てどう思うのか。絶望でしかない。今そういうシステムになっているのだよ。そうであるなら見直しである。ここでも経営者と投資家をネガティブに考える必要はない。従業員は従業員として満足出来ればいい。それ以上は求めていない。あまりにも思う自分と現実とのギャップが大きくないか。全行程ポジティブにシステムの設定を考えるということがあって良いのではないか。ポジティブに考え始めると今までマイナスに見えていたものがプラスに転じる。そのパラメータは何か。知恵の出し所だね。誰もが幸せを感じることが出来るシステムを大肯定的に考えることは出来ると思われる。セレブとどうしようも方法を見出せない貧者とのバランス不均衡が受忍限度を超えていないか。人生は無限に希望に満ちている。生きることを諦める理由はない。しかし制度的にそうなっているのだとしたら見直せばいい。権力闘争の前に大肯定である。時代を乗り切らねばならない。時の流れが速い。やがて落ち着く。その時には知性の解放と庶民の解放が成就している。今野蛮と愚かさから脱する過渡期だよ。乗り切ろうよ。


2008年01月28日
幸せの定義
彼は至っていた。全て解決したといっていた。どういう意味だったのだろうね。全て赦せる時を迎えたといっていた。そして悪いのは全て自分だったといっていた。謝り詫びるべきは自分だったといっていた。どういうことだろうね。よくわからない。しかしそうなんだって。今より始めるしかないよねっていっていた。そしてこの手で幸せを掴むしかない。掴んで良いんだっていっていた。そのように世界は出来ているんだって。花と咲けば良いんだって。咲かせるのは何処までも自分の花なんだって。美しいっていうよね。美しいってどういう意味だったんだろうね。英英辞典を参考にすると良いよ。人を喜ばせるものだと書いてある。お笑いバラエティを見て喜べるかな。嫌悪感しか抱けない。テレビ界全体がそうなったね。馬鹿の解放といっていた。それはそれで良いんだともいっていた。ラジオを聞いているとね、日本人が失ったものにdignityがあるんだって。そうかも知れないね。彼は過去から救われる必要があるといっていた。それは素直さを取り戻すことだった。馬鹿になる必要はないといっていたよ。本来の持って生まれた自分になれば良いんだって。それは難しいことではないといっていた。それが幸せの定義だといっていたよ。幸せはあるんだって。誰もが手にすることが出来るんだって。自分が自分であることに満足することが出来ることがそれらしい。知足もそうだし、何よりも平等即差別がそれらしい。彼は既に偉大な仕事を成就したというのだけれど、彼の周囲及び友人は誰も理解していない。彼らにとっては最も認めたくないことだったのだろうね。彼に手をさしのべたのは宇宙自然生命黄泉であり、彼を救ったのはその祝福だったといっていた。それほどの謎を解いているという。自分のために日月照らし、風が吹くといっていた。神仏の実在を知るに至ることもあるらしい。それを未来に伝えたかったようだ。不安のない世界があって、その時、火も焼くこと能わず、水も流すこと能わざるの自分を知るんだって。それを未来に伝えたいらしい。それが本来神国の意味する所らしいよ。人間の身を以て至れるんだって。それを身を以て証明したといっていた。それで全て赦せるといっているのだろうか。それとも彼自身が赦されたのだろうか。とても孤独だったっていっていた。その理由も分かったらしいけれど、詳しくは語っていないといっていた。いうにいえない試練だったといっていた。それも乗り越えたといっていた。そしていっていた。今より始めるしかないねって。それはね、悔しいけれど自分の愚かさを素直に認めざるを得ないといっていた。それは『金持ち父さん』から始めるということだった。それが今より始めるということだった。つまり、この世で生きるということは、才能だけでは生きていくことは出来なくて、誰かに認められて初めて生きていくことが出来るということだった。見出されないということ自体に問題があった。それを拒否していたのは自分だった。それで孤独だったなんて、今となって悪いのは自分だったとはその意味だった。世界は何時もやさしく見守り待っている。恐怖を脱して、君が立ち上がり、世界を救うことを。愚かさの中で浮沈しながら、誰もが救いの知性の目覚める時を待っていたんだ。それが自分自身だったということもある。それで良いんだよ。才能だけでは生きてゆけない。満足は得られない。誰かに見出されて、好い人間関係を作り、その中で生かし生かされて生きていくんだ。それが人間の世の中だったんだ。それを拒んでいたのは君だよ。そして大切なのは、見出して下さった方々を裏切らないことだ。それが唯一の掟だった。ここに気づけばいい。教育の目的もここにある。受験勉強だけでは教えることが出来ない所だ。道はある。必ず道は開ける。見ている人はいる。それを信じることだ。それを諦めないことだ。それが人の世だよ。これからみんな幸せを感じる時が来るんだって。それが21世紀の約束だといっていた。人類はやっと此処まで辿り着いたんだって。それぞれが持って生まれた自分に満足することが出来ることが幸せの定義だといっていた。本来の自分と現実とのギャップが不幸なんだって。常にバランスが必要であるらしい。男と女もそうだよといっていた。相性の問題があるんだって。恋は魔法である。 Love is blind. 相性のギャップが埋まらない。はじめから相性が良ければ、何があってもゆるしゆるされる。だけどそれが見抜けない。何時か破綻する。破綻は破綻させればいい。何時か良い相性に巡り会える。それからが真実のハッピーだよ。相性のバランスが崩れている時、相手はいても不幸だね。試練となる。恋の魔法が解けるまで。今より始めるしかないとは、好い相性の関係から始めることでもあるね。幸せもそうだっていっていた。本来の自分と好い関係から始める。その為には本来の自分を知る必要がある。教育の目的もそこにあったんだね。そして本来の自分になっていく。それが大人ということだよ。色々な大人がいて良い。それが人生だったんだ。馬鹿も解放された。次は知性が解放される番だと彼はいっていた。何も怖れなくて良いっていっていた。何があっても大丈夫。自分を信じる所から始めよう。良い時代となりました。だから未来は明るいんだって。彼の理論が見えてきたね。そして彼は見つけたらしい。それは彼の最大の資産だった。それが知性だった。これで生きてゆけると確信したらしい。そして彼にとってそれは絶対の自信だった。しばらく自信を失っていた。それ故彷徨った。それも試練だった。彼は目覚めて帰って来た。大いなる経験があったようだ。彼は絶対の自信を見つけて帰って来た。それは黄泉の守護だという。彼は何をいっているのだろうね。そして皆自分の自信のなさを言葉の端々に吐露しているといっていた。それが唇寒し秋の風だった。或いは黄色いお足が見えている。顔に全て書いてあるともいうよね。それで今の若者は男子でも化粧するのかな。ある人がリンカーンに紹介された。何時まで経っても採用されなかった。リンカーンに聞いた。リンカーンは答えた。男子たる者、四〇歳を過ぎたら自分の顔に責任を持たなければならない。雲文禅師の『露』の意味する所だったのだろうか。さて彼は知性を回復した。しばらく自分を信じられなくなっていた。それほどの悲しいことがあったのだった。しかし彼は帰ってきた。その時絶対の自信があった。絶対というものはあるといっていた。これを知らない限り、神仏は分からない。だから信じることが出来ない。これが不幸の原因だともいっていた。彼も簡単に救われたのではなかった。壮絶な自己との戦闘があったことを彼は認めている。最大最終最後の敵は自分自身だったといっていた。身分に安住する者はわからない。商人根性ではわからないといっていた。自分を倒すことが無であるという。無となって過去から救われ、満ちてくるものがあるという。それが幸せであると彼は言い切る。彼は憧れでしかなかったものを身を以て具体的に形にしたのだった。それを記録として残したのだった。彼は孤独だった。誰も分かってくれないと思っていた。その謎を解かねばならなかった。そして解いたのだった。その時秘密は自分自身にあると気づいた。そしていうのだった。日本を救ったよ。その意味は定かでない。彼にとっては本気だったらしい。代々の秘密だったといっていた。わからないね。わかりたくはないよねともいっていた。それで良いといっていた。彼のいっていたことは真実だよといっていた。彼がいえばカラスも白くなるとでもいうのだろうか。あり得ないよね。それだけの証明を得ているのだろうか。何とも不思議な話である。信じて良いよといっていた。彼はどんなことがあっても絶対に裏切ることはないといっていた。絶対ということはあるといっていた。絶対ということがわかれば全て分かるといっていた。この絶対こそ禅が挙す<一>だっていっていた。それを知ることが無となることであって、その時本当の幸せが来るんだって。彼のいう知性復活とはそれらしい。それが本来古来日本だよといっていた。それを取り戻したよといっていた。そして彼はいなくなった。何処へ行ったのだろうね。帰ってくるとはいっていたよ。今度は何を見つけて帰ってくるのだろうね。楽しみだね。彼は金持ち父さんの理論を受容していたよ。此処より始めるしかないかなっていっていた。彼の余生はこれからどうなるのだろうね。面白いことになってきたね。既に彼は世界の原動力の一人かも知れない。彼のいう所は天に届いているといっていた。どういうことだろうね。わからないね。未来は明るいと彼は言い切っている。彼は何を見つけているのだろうね。信じてみたい気もする。その自信の裏付けは何だろうね。君が代大鏡ともいっていた。何のことだろうね。導かれていたともいっていた。どういうことだろうね。今度彼が帰ってきたら聞いておくね。人が社会の中で生きていくということは理解しているらしい。次のような記録がある。

ある日、風は左から吹いて参ります。かもめ橋を渡るといつものアオサギがいるのです。ふと目をやるともう一羽いるのです。この前見た夫婦でした。潮は今から満ちようとしています。陣取りの開始だったのです。やがてこの二羽が河口の一番南を占拠し位置を確定しました。すると一羽のカモメが飛来しました。どうも出遅れたらしいのです。少し上流にカモメの一群がすでに待機しています。羽を休めているのです。羽を繕いながら潮の満ちるのを待っているのでした。その中央に一羽のアオサギです。周りに対していかにも威厳です。しかし一羽でありました。今度は白鷺が羽ばたきました。見るとこの白鷺も夫婦でした。アオサギは水と陸を支配しています。白鷺は流れの一つを支配しています。カモメの群れは中州にいます。するとアオサギの一声。その時雀たちが河岸で羽ばたきました。後ろの方で烏が鳴きました。そしてそれぞれの声が聞こえてきました。カモメたちはみんな羽を休めています。みんな南(河口)方を向いています。まだ飛んで来るカモメもいます。準備完了でしょうか。鉄橋を下り電車広島方面行きがガタンゴトンとゆっくりと発車です。風は穏やかです。工場の音が聞こえてきました。まるで小春日和です。チュンチュン雀が歌います。そして亦一番上流には白鷺が二羽いるのでした。(2005/09/16 13:40 二河川河口にて)その後の観察で、常に風向きを向いているのはアオサギであることが解りました。そして一羽であることの意味、夫婦であることの意味、群れをなしていることの意義も。(2005/09/20)そしてある駅のモト機関区操車場で貨物列車の貨物の入替をみていました。そして機関車の一声。青い電気機関車でした。その汽笛を合図に白赤のヂーゼル機関車が動き始めました。(05/09/22)One day, there was a soft wind blowing in from the south. Usual AOSAGI was there. The sea gulls alreday got to the land. The two AOSAGIs were husband and wife seen some days before. From now on, tide tends to be in. It was the start of an encampment. Soon, these two birds occupied a south point of the river, and decided the important position. Then, one sea gull came flying. Seemingly, it was late somewhy. A group of the sea gulls had already stayed by for the upstream for a while. Feather was rested. It was waiting for tide to be in, mending feather. There was another AOSAGI in the center of the land. It was truly dignity to the surroundings. However, it was one bird. The egrets fluttered at that time. When seen, those egrets were also husband and wife. AOSAGI was governing water and land. The egrets were governing one of the flows. The group of the sea gulls were in a sandbank in the center of the river. Then, there was a voice of AOSAGI. Sparrows fluttered behind then in the riverbank. The crows began crying. And each voice of all the birds was been heard. All of the sea gulls were still resting feather. They were all for the south. There were some sea gulls which still flew to the land. Was it the completion of preparation? Train's sound got down from an iron bridge and the direction going of the train was for Hiroshima. It departured slowly with the sound GATANGOTON from KURE STATION. The wind was quiet. The sound of a factory had been heard. It was like an Indian summer day completely. CHUNCHUN sparrows were singing. And another couple of egrets was in the upstream. (2005/09/16 13:40 at the NIKOU RIVER) By subsequent observation, it was sure that AOSAGI had always turned to the wind. And I understood the meaning of being one bird, the meaning of being husband and wife, and the meaning of making a group. (2005/09/20) And some days after I was seeing the exchange of the cargoes of a freight train in an old engine-train department classification yard of a certain station. A voice of an engine-train. It was a blue electric locomotive. Then a white and red locomotive began to move. The whistle was a signal to start. (05/09/22)


2008年01月27日
笑顔やさしさ日常回帰
我が人生 我が青春
無駄な努力だったのだろうか
この現実はそのようにも見える
さにあらず 真実如何
さようならとはどういうことか
goodbye yellow brickroad
どういうことだったのか
身分に安住する者は知らない
宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護
不安払拭本来日本笑顔やさしさ日常回帰 
日月照らし風が吹く
何をしているのか 何をしてきたのか
衆愚腐敗 本来日本精神を裏切った
覚悟は出来ているね 年貢の納め時だ
神国日本 秩序を取り戻す
何を笑ったのだろうね 知らなかったのだね
何をしてきたのだろうね 経済界の欺罔搾取安住
国家無くして自由はないよ 芸能界
日本は護るべき國がある
唯自己利益追求は亡国ユダヤ思想だった
日本は大丈夫だよ 何故だろうね 神国復活
本来武士道大和魂身心清浄正直復興
ヒロシマ平和主義国民主権本来自由平等主権在民
尚刃向かうか 無意味無価値無内容民草お笑い芸能界 
一休髑髏ご用心 古来武士道 仇は必ず討つ 
時々の方法論がある この度は黄泉が動く
大義名分如何 庶民解放 神風の吹く
誰もが持って生まれた自分に満足する代とする
ペリー来航に乗じた下級精神欺罔商人根性支配を正す
唯自己利益追求は何を帰結したる 何を破壊し来たる 
環境健康生命即自然を破壊して顧みず これ破廉恥
本来日本を取り戻す 上級精神自然一如 黄泉も従う
日本は四季溢るる最も自然豊かな國である
世界が狙っている楽園である 自ら壊して何とする
護るべきものがある 古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和
情緒(じょうしょ)より始める

我ありて 我を楽しむ この代 春

孤独にて 戦い抜きて 黄泉の春

帰るべき 祖国見つけて 神国の
  仇倒して 春を迎える 

仇とは 過去を抱えた 自己自身
  これを倒して 自由 風吹く

自己倒す 黄泉の祝福 春の風

このチカラ 生まれた時から ありたるも
  自覚来るまで 闇は青春

このチカラ 誰も得知らず 密かなる
  されど描かん 未来明るし

人知れず 開発終わり 大和なる
  我を犠牲に 未来に託す

探しける 何時か孤独の 一人旅
  見つけて帰る 青春の旅

見つけたる 喜び世界 幸せの
  この世にあるを 未来に伝う

無となりて 至れる世界 不安無し
  我は信じて 何時か至れる

何もかも 失いたるか この人生
  今懐かしく 感謝する頃

愚かなる ソドムの市を 演じたる
  テレビ界より 民を救わん

救うべき 神国日本 見つけたり
  ユダヤ陰謀 唯自己利益

目的の 定まる故に 手段有り
  黄泉の祝福 無敵なるかな

密かなる 大和の秘密 隠れ居り
  時の至りて 時代開ける

憧れを 形にしてぞ 真実の
  愛を咲かせる 大和櫻花

幸せの 基定めて 春の来る
  余生楽しむ 君をみつけて

何故に 見失いたる 自分なり
  この世に生まれ 自分楽しむ

縛を解く 目的なるが 仏法ぞ
  何を理由に 佛縛する哉

至り着く この人生を 楽しまん
  我有り難く 楽しき日々を

人生は 楽しきことの 結びにて
  この世に生きる 大空を舞う

天空に 羽ばたく日を 夢に見よ
  全心全霊 天は待ち居る

愚かなる 文化を去りて 真実の
  知性と愛の 大和発進 

言葉とは 黄泉も動ける 心かな
  開発すべき 最後のチカラ

隠れ居り 知性復活 染め直す
  愚か脱して 未来明らむ

タクトは静かに 振られたり クラシック情緒の
時代知性通奏低音鳴り響く 過去は葬り去った
古来大和のエートス結集 神国日本自信復活
明るき未来を開く 準備完了 目的地は定まった
愚か野蛮の海を渡る 愛と平和の未来の大地へ
本来古来人類の英知 我が辞書に不可能無しとする
ために試練ありて乗り越ゆる 黄泉祝福これ実現す
既に記録ありて未来永劫日本笑顔やさしさ日常回帰


2008年01月25日
このギブスが取れる頃には
人生は楽しいものだったんだね
笑顔とやさしさですべて解決できるから
悪舌は功徳の種を断ずと法華経
罵詈雑言無意味無価値蒙昧のお笑い芸能界
あなた方の故に勘違いした若者が跋扈する
作戦は成功したかな 欺罔は晴れたかな
何をしていたのだ 経済界
これで子供達も気づくかな
本当に大切なもの みんな騙されていた
下劣テレビお笑いタレントの演技に
彼らの天下にはさせない
知性復活 情緒復興
勉強真面目努力が貧乏父さんであるか
誰が言い始めたのだろうね
失われた何か大切なものがある
何を愚弄粗末にし来たる哉
本来神国日本は軽薄衆愚卑怯野蛮を好まない
教育界も傍観していたね
22%の搾取身分安住 自由平等の欺罔システム
78%の夢の描けない善良貧乏父さん 犠牲餌食
当局は何を野放しにしていたのだろうね
今更遅い観もある 失われた人生は戻らない
だけど取り戻すんだって 誰かいってた
78%の誰もが幸せを感じる世界へ
幸せの要件は全て満たした これより実現する
青い空と白い雲 仇は葬った
幸せを見つけに行こう
このギブスが取れる頃には 君に会える
何を求めていたのだろう
何を探していたのか
見つかったような気がしている
それは幸せだった
やさしさで全てが解決するなんて
夢のようなお話だけれど 本当だよ
この世に生まれて良かったね
この世界は本当に素晴らしいね
誰もが至ることが出来るんだって
真実幸福世界 やっと時が来た
失ったものは多いのだけれど
君を失ったこともそれだった
申し訳ない所もあるけれど
それが解くべき謎だった そして見つけた
伝えるべき君はいない
風に乗せて君に贈る 本当の幸せ
夢の中で出逢えると良いね
何もかも失ったけれど そうしないと
至れない世界もあるのだった
むしろ それが真実の幸せで
それは 不安のない世界だった
いくらか悔いは残ってはいるが
今自信を持っていえるのは 君にありがとう
申し訳ない所もあるけれど
青春は残酷だね そして至る
時は待ってくれない 本当に自分に
素直になっていえる 少しの勇気で良い
君がいたから 幸せを見出せた


2008年01月23日
真実喜びの歌
笑うしかなくて 黄泉はかぷかぷ笑ったよ

たおやかな 春風そよぐ 微笑みの
  声は聞こゆる ご飯できたよ

謎を解き 空手で帰る 道元の
  思いも新た 軒の玉水

悲しみの 海を見つめて 望郷の
  今宵渡らん 君を見つけて

オアシスを 何に喩えん 夢姿
  心素直に 君と語らん

微笑みは 微笑み返す 君故に
  幸せ見つけ 君に贈らん

楽しさは 素直さの中 来るものと
  やっと見つけて 君を迎える

人生の 何を失う 事も無し
  全て実なり この世現実

愛おしく 愛していると いえるほど
  我取り戻す この人生に

幸せは 護る君こそ ありてこそ
  孤独の冬は 越ゆると見ゆる

幸せに なるためにとぞ 生まれける
  自分見つけて 君を見つける

この世にて 何を見つけん 来世の
  土産とする哉 君を見つけん

憂いなど 何処吹く風と 思う頃
  確かな愛に 酔いしれるかな

見つけしは 愛の釣り船 笑顔こそ
  この世を渡る 通行手形か

笑顔こそ やさしさと知る 頃となる
  すべてを褒めて アクションとなる

ここにきて 我が三十年は 報われる
  この世の至宝 一人占めかも

無となりて 満ちたるの有り 救われる
  この身に感謝 涙溢るる

意思を以て 開ける道の 輝きを
  誰に伝えん 君に伝えん

自信とは 何処より来る哉 知りたれば
  海は喜ぶ 山も喜ぶ

信じるは 神仏なりと 思いしか
  我を信ずる 時の来るらん

我がブログ 自信復活 記録なり
  後にのこして 慰めと成す

素直なる 心作って 何もかも
  美しく見ゆ 景色待ち居り

光りたる 星々達に 我を見る
  生まれた意味を 感謝している

この世にて 我がミッション 果たせると
  不安脱して 楽しき世界

この世界 誰と共に 歩まんか
  我が青春は これより始む

存在の 証明果たして 春の来る
  示し終わりて 君を待つ頃

そよ風の 中で微笑む 頃となり
  信じるにたる 春は来たらん

語り継ぐ 幸せ世界 有りたるを
  我も至りぬ 共に語らん

我が人生 真実求む 旅をして
  孤独艱難 今は懐かし

見つけたる この真実の 素晴らしさ

聞こえて来 喜びの歌 幸いの
  風は吹きたり 船出する頃

開けたる この大地こそ 如何ならん
  喜び溢れ 光り輝く

喜びの 歌こそ満ちて 永劫に
  幸はあるらん 古来大和の

これをもて 我が見つけたる 真実は
  笑顔やさしさ 微笑み返し

ゆるぎなき 自信の満ちて 真実の
  幸せとなる 愛の周波数

幸せの 解は無とぞ 見つけたり
  その証明も 示し終わりぬ

一切の マイナスここに 吹き飛ばす
  これより余生 我を楽しむ

救われて 春は来るなり 真実の
  幸せ示す 喜びの歌


2008年01月19日
何時か春来る
それぞれに花咲き染むる春の来る
    必ず来ると信じて待つらん

無となりて必ず至る喜びの
    世界に至る 何を無とする

救いとは 我を無にして 幸せと
    過去を救いて 自分咲かせる

至れるも 失われたる 三十年
    馬鹿と呼ばれど 悪に染まらず

時の来て 初めてわかる 青春は
    醜いアヒル の子の時節か

如何にして この真実を伝えんと
    パンセの想い 有正の客死

我故に 悩みの海を 彷徨うも
    冬に耐えたり 春風吹くまで

我が種を 信じて耐える 麦踏みの
    春は必ず 花と咲くらん

信じるは 我が心の 真実を
    黄泉は助くる 何時か春来る

春の来て 我咲き染むる 真実は
    日月照らす 笑顔定まる

人の世は 苦海を渡る 孤独舟
    人を救いて 我をも救う

人生は やさしさへと 帰結する
    新しき時代 若者作る

良かったと 思える人生 春の来て
    友と語りて 時代楽しむ

時の来て 我確かに 咲くこと得
    この喜びを 誰と分かたん

しばらくは 時の嵐に 負けたるも
    古来大和は 何時か咲き居り 


2008年01月18日
失われかけた日本のやさしさ
良寛さんは確かに幸せだった
夕暮れまで子供達と遊んだ
米がなくなれば手紙を書いた
米を貰って礼状は出さなかった
ある日甥っ子の教育のために呼ばれた
三日三晩なにもいわなかった
いよいよ帰る段となって 甥っ子が草履を揃えた
良寛さんの目に光るものがあった
甥っ子はそれを見逃さなかった
その日より甥っ子は変わった

宮沢賢治もそうだった
少年の頃或る子が赤いセーターで登校した
お姉さんのお古だった
いじめのひとつもあっただろう
次の日の朝 賢治は赤いセーターで微笑んだ

ところで 賢治の仏法は法華経だった
母をも改宗させていた
聖徳太子も法華経だった
太子は四天王=神を使って統治した
平家納経も法華経だった
法華経自体に力があった
それは難信難解だった
名宛人が神及び菩薩であったからだった
最澄が空海に密教の教えを乞うた
空海は教えることは教えるが解らないだろうといった
道元も晩年は法華経三昧だった
遷化された時も 法華経の或る頁が開かれていた
どの頁だったか 因縁の数字だった
彼は空手で宋の國より帰國した 
五官を開いて帰ってきたのだった それで十分だった
自然と共に生命体として生かされて生かす術を掴んでいた
それは愛だった 動植物岩石も喜ぶ周波数だった
それは言葉だった 言葉はむしろ音声だった
それがやさしさだった 表情としての笑顔だった
源氏物語の秘密は文体であり 
それは呼吸と音声である
これが本来日本の文化だった 
それは知性でありやさしさだった
日本が求めてきたのは唯自己利益追求ではなかった
市場至上主義に立脚する視聴率至上主義の
衆愚お笑いバラエティの知るところではなかった

昨日は阪神淡路大震災のあった日
悲しみの映像が流れていた
戦争もそうだった ヒロシマも
戦後になって 女性の解放があった
女性文化が世を支配した 世の男も従った
現実利益と肉体的欲望の追求がそれだった
それが自由だと思った アメリカの野蛮に憧れた
宝くじよりも難しいアメリカン・ドリームの
欺罔による資本の支配に気づかなかった
幸せから遠い地獄への片道切符だった
自由と平等がもたらされた 
低いレベルで勘違いした
本来日本の培ってきた本当に大切なものが失われた
馬鹿になることが幸せだと思った
テレビ界がその衆愚支配の権化だった
日本の知性とやさしさを失いかけている
帰り南無イザ そろそろ気づくべき頃である
汝自身を知れ 知った自分を直視出来るか
自己を含む祖先に感謝して涙できるか
その時 悪は為せない 愚かではいられない
四聖の教えを解することが出来るか
その持っていた力を 自分の力とすることが出来るか
そもそもこうしたことをを考えたことがあるか
求めたか 探したか どのような自分であるか
恥を知れ 何をしてきたのか 何をしているのか
火も焼くこと能わず 水も流すこと能わじ
真実であるこの真実を信じることが出来るか
何を大きな事をいっているのか
至って初めて解る
良寛さんは確かに幸せだった

真実の 日本見つけて 春うらら
ゆるされて 私を生きる 寒い夜
彷徨いて 何時しか至る 春の海
誰ぞ待つ 一人見つめる 冬の月
何時の夜に 共に語らん 春の月
冬月夜 光さざめく 港かな
喜びを 集めて光る 冬の星
今何処 あなたは眠る 冬月下
ここまでは 至り着きたる 呉の月
見えてくる 今宵も一人 寒き冬
楽しみを 音に見るなり 凛と冬
春近し 共に語らん 君何処
慰めは 見つけた自己と 冬の月
過去を去り 祝福するなり 春の風
蘇る 日本と我の 春ぞ来る
ぬる燗の 君の如くか 冬屋台
魂の 遊びのごとし 我が代春
あらわなる 我を楽しむ 冬の星


2008年01月16日
新しき蕾を雨らす
本来何もなかった
全ては縁に乗じて転倒より生ずる
出てくるものは自分より生ずる
自分が無くなる 何も無い
不安がない 困苦もない
事実はあるのであるが無い
何があっても 眺めている
日月照らし 風が吹く
それも 黄泉からのサインだった
人は何を求めてここまで進化したのだろう
やさしさだった 明るさだった
時代はシフトした
やさしさで全てが解決する時代へ
新しい時代 若者達よ 君たちの時代だ
失敗した大人達がいる
どういうことか これより明らかとなる
何にあぐらをかいていたのだろうね
時は進んだよ
彼らには根拠がなかった
或いは 愚弄無視した 低いレベルで
黄泉の受容祝福を知らなかった
当然報いがある
だけど 日本は大丈夫だよ
何故そう言い切れるのだろうね
秘密だね 君たちの時代だ
時代は確定された
愚かさと野蛮より脱する
今の自分が全てだよ 信じて良いよ

しばらくは 埋もれていたり 秘密花
  忘れていたり 安芸櫻咲く

時の来て 明らかなりし 大和なる
  秘密開けて 基定まる


中学地理の勉強の方法
地理の勉強は、記憶。覚えるしかない。だって事実ばかりだから。考える必要もない、考えるのは、地理の内容を覚えてからだ。例えば、歴史の勉強で、その時々の地理を考えたりする。国際貿易で地理の知識を使って国際関係を考えたりする。地理は基本の中の基本だね。それは麻雀のルールにも等しい。さてどのようにして地理を覚えるか。

1.試験範囲の教科書を一息に三度読む。ボールペンを三色用意する。はじめは黒で線を引きながら読む。キー単語を四角で囲む。二度目は青色。黒と重なっても良い。三度目は赤。この作業は4時間を目安とする。

2.レポート用紙を用意する。左より縦に線を引いて、左側にキー単語を書く。先ほど読んだ教科書をまとめてレポート用紙の右側に筆圧をかけて書く。書いている間に80%は自然と覚えている。そのつもりで集中力で書いていく。右側を折り返して覚える。ここで覚えるというのも、隠したまま何かに書いて覚えていく。覚えたら左のキー単語をチェックしておく。この作業は4時間×2を目安とする。勉強というのは2時間くらいたってから佳境となる。気に入らなかったら二度目のまとめる作業をしても良い。三度目のまとめ直しの必要はない。どうしても覚えられない所が1割残る。それを新たにレポート用紙にまとめておく。学校の試験に持って行くのはこれだけでいい。

ながめているだけでは覚えることは出来ない。目ではなく手が覚える。手で書いた文字は頭脳に焼き付けられ、記憶される。これは地理で1番を取った人の方法です。試してみると良いよ。数学とか理科は分かることを要する。記憶は時間をかけることを要する。のんべんだらりと覚えても記憶できない。充実した集中力を必要とする。記憶できない方は方法を間違えている。


2008年01月15日
喜びしかなくて
面白くて 面白くて
楽しくて 楽しくて
笑えて 笑えて
たまらなく こみあげてくる

頭の中に チョウチョが飛んでいる
頭の中で 櫻が咲いている
頭の中が 春になっている

口に出していってごらん
笑えてくるね 周りも笑ってる

知的笑いの周波数がある
馬鹿馬鹿しいのだけれど 伝搬する
音声には知性やさしさ素直さが宿っていて

君はそのままで良いのだよ
自信を持って良いのだよ
素顔のままで ステキだね
その素朴さがいいね 好きだよ 

面白いでしょ
楽しいでしょ
笑えるでしょ

阿呆になったわけではなくて
自分が無くなっただけなんだ
自分が無くなると 喜びしかなくて

面白くて 面白くて
楽しくて 楽しくて
笑えて 笑えて
喜びしかなくて 笑顔だね

不安がなくなる 困ったことも
苦しいこともなくなる
何故だろうね 
自分が無くなったからなんだ

それはね 神様と出会ったから
それはね 仏様が護ってくれるから

美しい景色が待っている
昔有ったパラダイスがやってくる
その道を見つけたから
皆 幸せになって良い
良い時代となりました

楽しい日々です
笑える日々です
お元気ですか
お変わりありませんか

幸せを 掴んで笑顔 春の宵
おだやかさ やさしさを知る 春の風
笑顔来て 櫻の如く 皆なごむ

変わり得る 自分信じて 花の咲く

時来れば 必ず自分 見えてくる
  焦ること無く 時の来る待つ

飛び込んだ 重さで浮かぶ 蛙かな

釈尊も 法を求めて前世にて 飛び込み
  羅刹にその身を投げた すると不思議ぞ
  羅刹とは 帝釈天にて その身をキャッチ
  信じる勇気 恋の成就
  その勇気 何故か試せぬ青春の初恋
  試すが良し or 遺恨の苦海に沈む


2008年01月14日
春の朝
雲一つ無き朝 小春日を 
  これよりの日々 遊びなるかな

幸せをはこびて遊ぶ雀かな

この春を 廓然無聖 と呼びにけり

艱難の 冬を耐えたり 春の朝

取り戻し得たり 確かなる 
  子供の頃の リードゆるがず

それにしては 度が過ぎていなかったか
  我が試練 飲熱鉄丸 火裏蓮之華

何もかも 打ち捨て至る 春の蝶

今をして 日本を救う 
  ミッションなりしか
    子供の頃より 背負いしものを
  我のみ知らず 泳がされしか

泳がされ 何時しか登りぬ
  王舍の滝を 而して下る
   獅子の如きか
  されど 誰もえ知らず
  巷 彷徨う 一休髑髏ご用心

禅なるは 自己一身と 凝胤のいう
  那箇是真底 自己の心に宇宙有り
  この度の骨折 二祖なるか
  あるいは 腕を燃やして灯りとなすか
  そのようなことはどうでもよくて
  我が内面に 灯が点る
  我自体が燃え始める
  エンジンは 今も昔も ここにあり
  古来大和 発進の頃 来たる
  真実大和を疑うか 昔を得知らず

人知らずとも 良しとするなり 日月の
  照らし風吹く 黄泉の証明

この秘密 時の至るを 待つのみか
  耐えて花咲く 頃の来たらん

しばらくは 忘れていたであろう 我が存在
  子供の頃よりマークされていた
  知らなかったわけではない
  納得のいく自分を組み立てていた
  ここまでとは思わなかったであろう
  古来大和の秘密なり
  相手があれば受容する
  はじめは負けたかと見ゆる
  されど大和の秘密なり
  必ず克服凌駕する
  これにて千秋楽 都詰め
  ゲームは終わりぬ
  昭和五十年に 事情ありき
  広島の鯉 錦鯉とぞ なりにけり
  既に いくら謝っても謝りきれぬ
  たが為の 世なるこの世は 君が代の
  耐えて咲きたる 山桜花
  山道きて なにやらゆかし すみれ草

  扶桑故 繭玉供えて 白い脚
  乾坤を のたりのたりと 春の音
  あなた故 耐えて来たれる 春の風
  春来れば 冬の寒さは 忘れたり
  時が来て 秘密の花は 春を呼ぶ

  よかったね よい時代となりました

  時雨無し 見事に咲ける この花を
    誰ぞ祝わん 春の朝(あした)に


2008年01月13日
清濁併せ飲むについて
清濁併せ飲むとかいいますね。いかにも豪傑で、意思があって、実行力及び勇気もあって潔き観もあり、政治家たるものこうあるべきだと思われている。これだと贈収賄も平気となるのかな。選挙に於いては、選挙違反は勲章となる。ある時総選挙で、選挙運動としては大先輩で、とても気だての良い方が、選挙違反など怖れずにガンガンやれとアドバイスした。本当に日本のことを考えておられる方で、それで選挙運動にも熱心だった。頼りがいはあるが、私としては従わなかった。その後その方はどうなったか。家が火事になって焼死された。それを聞いて、その時の候補と弔い酒を酌み交わしたことだった。アドバイスの相手が私だったことが災いしたのだったろうか。私に直接害を与えると何故かそのようなことになるのだった。ほかにも例はあるが今は記さない。ところで、本来何も無い。何も無い所から其の心を生じる。それは転倒より生ずるのだった。無とは自分が無いことで、自分が無いということは転倒した心が無い。つまり清も濁も無い。自分が無ければ何も無い。有るのは自分以外が有るだけである。自分が無と成る時、清濁併せ飲むが成立しない。清濁併せ飲むは天風信奉論者も論じている。これでは政財界の腐敗は当然となるね。かつてはこのレベルで何かあると秘書の誰かが死んで、死人に口なしとばかりに闇に葬られた。今はどうだろう。匿名による内部告発の時代である。インターネットはそれに拍車をかけた。捜査の端緒のソースは何でも良い。嫌疑有る所、当局は動かざるを得ない。それがシステムである。天網恢々疎にして漏らさず現実化というべきか。大本営発表的に何時までも善良であるが故に餌食となってきた庶民を裏切れない時代となったのだろう。この庶民解放こそ国民主権なのだろうね。主権在民の故だね。私はどの階層にいたか。どれほど裏切られ、餌食とされたことか。私は探し物をしていた。それは何であったか。既に見つけている。間違いなく日本の宝である。あなた方の勝手はもはや通らない。黄泉はすべて見ている。天知る、地知る、人知る、我知る、黄泉知る。明治はペリー来航に乗じた下級精神の革命だった。本来日本の諸価値は彼らにとってはむしろ邪魔だった。故に悉く破壊して今に至る。学者も真実を知らずして歴史と成した。故に誰も本来日本を知らない。取り戻すべきものがある。ここ百数十年で失われた本来日本の培った精神である。身心清浄及び正直を以て旨とする大和魂である。庶民を犠牲に供した大戦中に鼓舞されたものがそれではない。商人根性がそれではない。唯自己利益追求がそれではない。自然を征服する精神及び根絶やしの精神がそれではない。四杯の蒸気船が怖かったわけではなかった。背後のアヘン戦争を怖れた。故に江戸無血開城は禅譲だった。本気になれば薩長など相手ではなかった。譲ったからには譲ったのだった。その後どうなったか。歴史の示すとおりである。世界史に飲み込まれた。しかしその世界史は400年周期説に規定されていた。日本もそうだった。パラダイムの返還の時である。大いなる目的というべきか。生命体の進化過程として人類は試されている。人類としてどのように未来を描くのか。このまま繁栄するのか。或いは放射能と石油化学物質の故に皆障害者となって滅ぶのか。取り戻すべきは何か。自然の中での共生であろう。再び自然に帰れ。それは現代お笑い芸能界の示す衆愚的本能的欲望の追求ではない。馬鹿になることが幸せではない。日本も世界に合流した。それは産みの苦しみと青春の悲しみがあった。それが明治維新であり、大戦だった。それは失敗かと思われた。しかしそれは幼虫の時代だった。サナギを通って蝶となる。その時本来の日本が何であったかを知る。やっと日本が世界史に於いて元服したのである。青春の間に失われていた自信も回復した。その為の過酷な試練もあった。しかしそれをも乗り越えた。日本の基の務めであった。日本開闢の意味する所である。自覚した本来日本は何であったか。即ち卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本神国であった。本来日本、世界に於いて歴史的重要な使命がある。それを証明しなければならない一箇の自覚が成就した。

やさしさを 取り戻して哉 黄泉の月

冬越えて 笑顔やさしさ 永久の春

真実の 春の笑いの 花開く

あなた故 探し求めて 冬の滝

真実の 櫻の季節 開け居り

雑草の 文化これより 冬の頃

何をもて 蔓延りたる哉 商人文化

愚かさよ去れ 腐敗は要らぬ 大和魂

一度や二度の成功で 搾取装置に胡座かく
似非文化人達の閥欺罔 真実獅子吼日本を開く


2008年01月12日
五日市の午後
雨上がりの五日市の午後 良い町ですね
やさしく ささやく ほのかなる風と
車窓にもたれて お話ししています

何時しか見失っていた
あなたのことを 思い出します
今 あなたは お健やかですか
憂いなど ありませんか

思えば 遙か遠くを 旅していました
何を求めていたのでしょうか
それは見つかりました
心の平穏だったのでした
黄泉の守護する 永遠の幸せでした

自分を無にすることが
こんなにまでも 難しいとは
何故にこれと取り組んだのか
その為に 生まれていたなんて
至ってはじめて知りました
これが過去からの私の夢だったのですね
その間 失ったものも ありました
思い出ばかりが のこっています
そして あなたには 申し訳なかった ごめんね

これより私の人生が始まるのです 長い冬を越えて
孤独な日々は去りました
喜びと楽しさだけの余生です
もう何も求めない 思わない
唯 出逢うべくして出逢う
そうしたあなたとの出逢いの時を待っているのです


2008年01月11日
虹の架け橋
乾坤の 此処に力を 振り絞る
  見事に咲ける 日本の花

取り戻す 古来大和の 心こそ
  知性復活 余生楽しむ

大和なる 心示して 積年の
  務め果たして 未来明むる

面白き 知性と笑顔とやさしさと
  人間関係は同レベルで触発する

テレビなる 愚か野蛮を 如何せん
  社会紊乱 その罪え知らず

いずこにか 我が眷属の待つあらむ
  原爆の故の 孤独悲しも

何時の日か めぐり逢いをば 待ちて居り
  我が運命の 出逢い有るらん

この世をば 住める世にして 迎えんと
  我待望の 時は来にけり 

昔より 古来大和に 秘密有り
  時の代わるは 秘密なりけり

その秘密 解くは常に 一人なる
  艱難越えて 自覚する時

神仏は 子供の頃より それなるを
  花と咲くまで 知れること無し

その間の 艱難辛苦 測る無し
  種なるべくば 何時か芽吹かん

鯉なれば 何時しか滝を 昇らんと
  細き滝をも 竜となるらん

竜となる 雲も従う 風の吹く
  雷鳴何故に 俄に起こる

七色の 虹の架け橋 何処に至る
  竜のたなびく 虹もあるらん

竜なるは 日本列島 姿なり
  神国日本 古来の誉れ

何故忘る 何の蔓延りたる故ぞ
  野蛮身勝手 何時までも通らず

浮かれ来し 世間身勝手 驚きぬ
  真実出でて 鳩に豆鉄砲

殺戮の 歴史をここに 克服を
  人類願う 日本の使命

やさしさへ 向かいて咲く哉 大和なる
  古来培う 花の咲く頃

神仏の 世に顕るるは 稀なるを
  事実を前に 未だ信じず

一実の 道をまともに 論ずれば
  人の必ず 惑乱あるらん

さればとて 佛は人の 宜しきに従う

真実の この世にあるを 人知らず
  知らずを以て 何の生まれぞ

楽しさを 探し求めて 至れるは
  我を無にして 笑顔満ち来る

あらためて 詫びぬる我の 因縁か
  失える青春 以てゆるし給ふべし

失えど 我が青春 今花咲きて
  相手も笑顔 これぞ喜び

生まれ来て 探し求むる 宝とは
  概念越ゆる 無より生ずる

無なるもの 有りてそれを 示すれば
  我が身無にして あふるる笑顔

真実の 喜びの歌 至れるを
  今宵誰とや 共に歌わん

確かなる この無こそ 真実と
  あらゆる禅籍 既に記せり

さればこそ この真実ぞ 伝えんと
  我も余生を 生きて生きてん

今いえば 子供の頃より 大鏡
  敢えて示せる 時の至りぬ

これだけの 人生ここに 完結す
  夢かうつつか 胡蝶の夢

この証明 やっと成就の 頃なるか
  日月照らす 黄泉の報ゆる

知らずして 誰も否定 出来ぬらん
  既に事実の 呉の夕暮れ

開闢の 心地も真実 事実なる
  しばらく衆愚 今より去らめ

取り戻す 大和心の 知性なり
  野蛮脱して この國を作る

終わりは始め 佛より先に
  我は説きたる 事実なり
    故に 佛子達の我を見出す事なし
      佛はきっと嘆いているだろう

待てど暮らせど 松島に
 来ぬ人 ついに来たれるか
  朝日に似合う 宮島櫻
    敷島 霧島 ヒロシマと 時は巡りて
  大和の秘密 マントル対流 変える力有るかも

夢あらば 諦めることなく 突破せよ
  持って生まれた 意思の力と 集中持久力

三十年 浮かれた世にて 耐え諦めず
  何時か咲く 無より咲く 
  微笑み返しの大和大桜花

身と心 無にして 咲きたる 花の有り
  笑顔の花と 楽に咲くなり

現象は すべて心の 現れぞ
  この世現実 何をか正す

自信なく しばらく傍観したれども
  日本復活 嘘と暴力を廃する

教育も当局も復活す 秩序を保つが
  國の基か 愚かなる暴走行為 
  テレビをもゆるさじ

何をしている 経済界
  例えば派遣社員の現実を 
  それを知恵だと想ったか
  現場しわ寄せ 企業利益価格闘争の裏で
  技術料のみにて 交通費営業費事務費を巧妙に搾取
  お客は神様だと想ってはいないといってはいるが
  クレームあらば トカゲのしっぽ
  事実え知らず 何を裏切る 商人根性の悲しさよ
  黄泉は見ている 何時までも通らず
  例えばyahoo NTTラインを何もて壊す
  欺罔的に現場スタッフ利用し壊す 
  その部分に対する報酬はない
  その利益は独り占め 何を犠牲の繁栄ぞ 守銭奴成金セレブ
  この現実を孫正義氏は知っているのだろうか

無は有りて 無より聞こゆる 隻手の音か
  無の有る國ぞ 大和なる 心目覚めて
  未来明るし これより知性 ファンファーレ
  世界の中の日本 使命を果たさんとす
  虹の架け橋 皆で渡らん

無とならば 過去の因縁 消え失せる
  はじめて至る 笑顔喜び

漕ぎ出でん 果てしなき海へ
  軽やかなるかな 軒の玉水

夢さめて いくつか失敗 ありたれど
  我に悔い無し 野辺に咲く 古来大和 大輪の花

武士は食わねど高楊枝
少なくとも武士は拝金主義ではなかった
日本をどの色に染めたる哉 明治以降下級精神
何を粗末にし 勝手し来たる哉
心のままに生きればよいという 或いは歌う
何を勘違いしているのか芸能人
その心が問題であることに気づいていない
火も焼くこと能わず 水も流すこと能わじ
お経典の中の文字である 真実である
誰彼に適用があるのではない
それで無いと想っている
それは有るのである 
何が有るのであるか 黄泉である 前世である
その意味では 似非占い及び似非学問にはご用心
年貢の納め時である
お金が全てだと 想っていないか
それを批判した 否定したのではない
そのお金を以て何をするか
はじめにどのようにして財を成したか
問われているのはそれである
さて 積むべき天徳がある 時が来れば返還される
何に使っても良い それは人生経験そのものである
救助船が来ると思っていた これほどの船が来るとは
諸仏及び諸大菩薩並びに諸天善神来臨擁護である 
祖先に感謝申し上げる次第である
見えるだろうか 架けた橋は何か
明るき未来へつづく虹の架け橋である
共に渡らないか こっちの水は甘いよ 楽だよ

驚きぬ 我この二年余り 何書きたるか
  塵も積もりて 山となる
  ちりばめられた真実 もはやゆるがず
  その間 色々思い出もあり
  突然うろたえる 深夜放送もありき
  花伝書よりの引用に驚くスタッフも
  イーブンスとの交信も
  夢かと思われた そうでもなかった
  既に着目されていたのだった
  最後の切り札として
  もう駄目かと思われた
  日本の復活はないのかと
  さにあらず 任務完了である ミッションは完遂したよ
  黄泉は制した 日本の基は定まった
本来日本を確認し 失いかけた自信も復活せしめた
  日本とはどういう國だったのか 取り戻すべきは何か
  何故彷徨っていたのだったか 何を求めていたのか
  その間 何が蔓延ったのか
  世界の中で日本の進むべき方向も
  示し得たのかも知れない
  見える世界は あなた方に任せる
  間に合ったと思っている
  しかし私にしか出来なかった辛い仕事だった
  もういいだろう
  ここまで辛抱強く 見守り 導いて下さり 
  ありがとう
  それとも 半信半疑だったかな
  何れにしても ありがとう 
  結果良し 良かったですね 乾杯!
やっと 私も 満月の如く 満足している
  失われた三十有余年 つながったと

無となりて 満ちてくるのは やさしさか
  本来神国 基 定まる             Q.E.D.

秘密とは何だったのだろうね。真実とは何だったのだろうね。言い切れるものはありますか。


2008年01月10日
思うことなく 幸せ
今までの 思いは晴れて 冬桜

何もかも ときほぐれたる 小春かな

ゆるされて 自己を詫びたる 冬の空

もう何も 思うことなし 冬の海

笑顔にて あなたを想う 春の日に

我想う 故に我なし 寒椿

幸せを 想い宿して 冬の朝

無となって 満ち満ちたりし 初春か

笑顔もて 貴方と語る 白い月

悟りとは 黄泉の守護する 春暦

幸せは 密かに至る 冬超ゆる

喜びの 歌の聞こえて 春二人

先達の 教え導く 冬夜道

冬の空 星の輝き 呉港

よく見れば 笑顔溢れて 春の夢

貴方にも ほほえみ返す 冬桜

何もかも ゆるしゆるされ 春の酒

もういいね 旅路を帰る 冬の道

この度は 確かに至る 春の月

貴方故 幸せ見つく 春の花

今こそは 好きとささやく 春の音

見つけたり 穏やかなる哉 春夕日

幸せを 誰とシェアせん 春の宵

開闢の 春なる日本 山櫻

春の来て 菊の杯 君が為 

証明を 終わりて開く 我が代春

この度は どうやら本物 春の来る

春の来る 我を無にして 八幡川

この度も 仕事はしたり 春の月

懐かしき オレンジレンジ デビューの頃

背くなし 裏切ることなし 黄泉の月

武道館 竹内マリア 新宿音楽祭

知らなかった これまでは 知ってしまった 呉乃月

零戦を 飛ばして遊ぶ 扶桑かな

紫電改 七つの海を 渡りきる

黄泉の風 獅子吼の後に 何も無し

楽のみか この世開いて 春の風

これでよし 何の花咲く 自由かな

知性もて 開ける時代 春の宵


2008年01月09日
パラダイス
後ろめたさがないこと
それがパラダイスだった
「我以外 全て師なり」
吉川英治氏だった

ブレ-クは

「われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり

おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず」

何もかも 
サインに満ちている
宝の山だね
これが 宝島
南無ということだろうか
つまり 南の島のパラダイス

人は優しく 自然はあたたかで
世界は明るくて 楽しい
南沙織の「素顔のままで」
笑顔がよく似合う

三十年前の
ステキな彼女に出会った

人生は愛とペーソス
青春は悲しみのボレロだね
今だったらいえる言葉がある
そっと ささやく 好きだよ

心が無になって 満ちてくる
美しい風景が待っている
やさしい笑顔と出逢える
楽しい日々がやってくる
それが如来だった
これが日々是好日 パラダイス
楽しき日々 やさしさの中で
生きている 生命の喜び 
自然に抱かれて 祝福守護されて
のほほんとした のどやかな世界
日本の風景に それがある
殺伐とした都会には それがなくて
知性の中で探しに行こう 
きっと待っている人がいる
生きていてよかった
道は開けた

水鳥の いくもかえるも 跡絶えて
  それでも道は 忘れざりけり

それは知性と大和心の道だった
これからを楽しむ
これからが パラダイス
日本の基 此処に至りぬ 此処に定むる

おいしいコーヒーがある
熱いお湯と 豆を蒸らすこと
そして その人の こころの周波数
開発するべきものがある
動植物岩石も喜ぶ周波数
確認するべき力がある
大風をも制御する力
それが日本の秘密だった 神風だった
そしてそれをも無にする
そして満ちてくるものがある
それが如来だった そして
この世を 我が代 君が代 と知る
そして至る世界がある
これがパラダイスだった
喜びに満ちて生きていく
そうした世界が待っている
パラダイスへの道は開けた
あらゆる艱難の大岩は砕かれた
もう大丈夫だよ 自信を持って良い
私たちは私たちで良かったのだ
欺罔暴力 腐敗愚かさは 去るべし
私たちのパラダイスよ出でよ
我を無にするとはどういうことか
自分以外のために考えることだ
自分のことは自ずから調う
はたが楽になる 働くということだね
そして今の自分で十分だ それで生きてゆく
思い煩う事なかれ 全て原因がある
その原因は自分自身だった
全て解答があります 全ての謎が解かれました 
蒔かぬ種は生えない 自分が蒔いていた
転倒より生ずる それを無にする
寂滅すべきは自分だった 放てば手に満てる
パラダイスが満ちてくる 幸せ本線である
道は開けた 悲しみの基が克服した
原爆の火を以てしても根絶やしにされてはいない
頼朝は伊豆に流されていた 家康は時を待った
400年周期説は旧約聖書に秘められていた
旧約聖書の目的は庶民の解放だった
庶民とはセレブに対する
善良であるが故に餌食にされていた方々である
庶民の解放は 市民奴隷女性の次の解放である
私がどの階層に属していたか カムイ外伝である
父は十六歳で志願し カムチャッカにいた
父はいった 私の子である 
何があっても大丈夫である
私もお前と同じだった
祖父は良亮 姓は桑原
父の持ち帰った新品パラシュートは何だったか
祖父の伝えた 千畝の肖像及び無銘の扁額は何か
家伝直伝秘伝螺鈿の槍は折られている 
錆びてはいない 弁慶の薙刀もである
その間 何が蔓延ったか 何を勘違いしたる哉
一切の邪魔 有ること無し
故に未来は明るい 良かったですね
この世に生まれて良かったですね 
楽しみましょうね

報い有り 我を無くして 春の風
謎を解く 黄泉の守護する 春の月

あたたかさ 我は海の子 季節(season)かな
時の来て 宇宙始まる ロゴス力
宣言は これより始む パラダイス

この國の 基目覚めて 日本晴れ
無となりて 笑顔花咲く 垣根かな

あらゆる悲しみは私が引き受けていた
そして 一切開結した
日本復活 もはや確かなる復活である
ご安心されたい 全て葬り去った
戦後の仇は討ち滅ぼした 故に未来は明るい
私達の時代である 立ち上がれ
神風の吹く古来大和の黄泉が守護している 
万軍の主も味方にとりつけた
私が何ものであったか 何をしていたか
気づくべき頃である
佛は偉大である 
佛を知っているからといって偉大ではない
誰も私を見出さなかった 自分で咲くしかなかった
宇宙戦艦大和 発進!

マリア処女受胎 及び右脇腹より仏陀誕生
どういう意味か 母自身それを知らない
明日1月10日は母旧姓山持喜恵子の誕生日です
感謝申し上げる次第です

ところで高校の頃意中の人がいた
彼女は私を裏切った 前世での仇をとられたのだろう
その彼女の相手はハンドボール部に所属していた
今となっては感謝している
故に三十有余年 一人孤独月の砂漠に旅立った
そして永遠の宝を見出すことが出来たのだった


2008年01月07日
事始め
カリカリとしていた頃が嘘のよう

何もかも 水に流して 事始め
無となりて 笑顔あふるる 冬の朝
初仕事 知性の故の 面白さ
空となり 楽となりたる 睦月かな
楽となり 我を無にして 鏡餅

自分こそ 無くして照らす 春日かな
黄金の 春日あたたか 抱かれて
本当の 幸せここに 春の海

のどやかに 生きてゆくなり 冬越えて
南無の南 春ののどかな 余生かな

探すべき 宝は春の ここちかな
春の日の 心映して 穏やかさ

本来の 春風吹いて 時 代わる
見つけたり 己なるかな 春の月
大和なる 花と咲き出で 黄泉の風

初春の 君が代となる 大鏡
何時の世も 春風吹いて 時 定む

長き冬 孤独終わりぬ 春の風

もののふの やさしきこころ ふれしかば
  この道たれと ともに歩まむ

時を越ゆ 永久の心の 櫻かな
    密かに咲きて 未来に伝う


2008年01月06日
無となって
無となって 楽となる
空となって 入ってくる
無となるのは 自分であって
自分がない 思いがない
あるのは 自分以外
世のため 人のため
それが 当然となって
相手が喜ぶように
それで 全て調う
無となって 楽となる
空となって 入ってくる
此処に至れるといいのだけれど
笑顔があふれてくる こぼれてくる
明るく 楽しく 軽やかに
楽しく のどかな 春の風
好い時代となりました
新しい時代となりました
無となって 楽となる
楽となって 空となる
空となって 入ってくる
世のため人のためが当然となって
相手が喜ぶように
やさしい風が吹いてくる
明るい光の中で 育まれている
仲良くしましょうね
そして 何があっても大丈夫
それが本来日本でした
知性の至る世界です
ゆるしゆるされ 何もかも
パブリックもプライベイトも
安心安穏平穏平和 愛の花 咲いている
無となって楽となる
自分がない 思いがない

2008年01月31日
彼の理論について
彼は何をしているのだろうか。次なるステージの準備をしていることだろう。何もかも肯定出来るようになったといっていた。不思議だね。あれほど辛辣に批判的であった彼だったのにね。以前は赦すとか赦されるとかいっていたけれど、そうしたことも問題ではなくなったようだ。存在自体が心地よければそれで良いよねっていっていた。彼の開発した周波数があって、それは動植物及び岩石も喜ぶといっていた。しかし彼をしても常にそうであるわけではないらしい。時々不図憂いもあるらしい。そうしたものだろう。それでも確信は変わらない。彼にとって愛とはそれだった。常にその周波数の中にいることが出来ることが当面の課題だろうか。それが彼にとっての準備かも知れない。愛の中で何か仕事をしたいといっていた。存在自体が他を喜ばせることが出来ることに気づいていた。それを完全に彼のものにしたいといっていた。その時、やさしさと笑顔が結晶することになるという。彼はそれを目指しているらしい。ダイヤモンドとしての結晶。

愛と平和が人類共通の永遠のテーマであり、それが人類の願いであり祈りだった。愛が何であったか分かったといっていた。それは彼にとっては佛の周波数だった。佛とは佛慧と大神通力を持っていることだった。佛の宣言は宇宙を動かすことが出来て、宇宙の始まりだった。佛と生まれて佛の業を為して佛となるのだった。全て前世があって六道輪廻は宇宙の法則だった。佛として生まれるのは前世に於いて菩薩として佛を供養し終わっていたからだった。佛の業とは菩薩を教化して佛道に入らしむことだった。このようなことは法華経に書いてあった。佛と菩薩は眷属であって宿王華だった。佛が法を説くのは宜しきに従った。菩薩には菩薩道を説いた。声聞縁覚にはその道を説いた。それ以下に対してもそうだった。佛道は本来一実の道であって一つしかない。それに対して八万四千の教えがあった。それぞれ相手の情欲根を看破して、それに応じて法を説いた。それが宜しきに従って説くということだった。亦平等即差別だった。平等とは教えを誰にも平等に説くということであって、教えを受ける側の状態によって結果に於いては差別があるということだった。そして菩薩とそれ以下との間にはとても大きな断絶があるらしい。その断絶を渡るには頗る勇気を要する。身命を賭する必要がある。それが大死一番絶後に蘇るだった。此処を通過した者とそうでない者には明らかな違いがある。通過すれば白隠禅師の隻手の音を聞くことになって何をしても真実となる。通過しなければ結局虚偽となり、それが方便だった。佛は法を説くのに本来一味解脱涅槃を三と説くのだったか。それははじめから一味を説くとそれは難信難解であり、必ず相手を惑乱させ、仏法を誹謗させることになることを知っていたからだった。佛は第一義を説く。それが宣言であり宇宙の始まりだった。そこより大無量義となる。これも佛の説く限り真実だった。しかしそれを人間が受け取って悟りの状態に至っていなければ不可議となるのだった。不可議となれば議論の余地はない。それは混迷であり混沌である。それでどうするか。もう一度佛の第一義に帰れば良いのである。佛は佛であり真実である。悪はない。決して裏切らない。人間である限り裏切る。そこを知って自然に帰れば良い。そして佛の周波数がある。全てを愛おしみ慈しむ。それが愛だと思った。

そして平和も解決したよといっていた。平和に対するのは戦争だった。戦争は殺戮だった。それは憎しみの連鎖だった。何処かで断ち切らねばならない。何処で断ち切るのか。かつて戦いは正義だった。身の潔白を晴らす最後の手段は決闘だった。武士に於いては切腹だった。それは美徳だった。しかしそれらはむしろ愚かな行為であることを知るのだった。正義は相対的であり、時代が変わればその内容が変わるのは『正義論』の示す所である。さて現代に於いては愛と平和が正義となった。愛に対するのは嘘だった。或いは裏切りだった。故に愛は真実であり絶対である。平和に対するは暴力だった。その最たるものが戦争であり殺戮だった。正義の名に於いて戦争を克服しなければならない。それは憎しみの連鎖を断ち切ることで実現する。何処で断ち切るのか。それがヒロシマだった。原爆は何を意味しているか。根絶やしである。先進文化国家はその意味を理解している。それを理解しないのは野蛮国家である。二一世紀の約束は愚かさと野蛮からの脱却である。それは知性の解放である。知性を以て野蛮を脱却する。日本は世界で唯一被爆国家でありそれはヒロシマだった。ヒロシマは根絶やしにされた。それがアメリカの目的だった。戦後の占領政策の目的は日本精神の根絶やしによって日本の戦闘能力を削ぐことだった。それは成功したかに見えた。しかし日本の秘密があった。頼朝は伊豆に流されていた。家康は時を待った。時の流れがあって時が来る。その時を待って芽吹く種がある。時代のエートスがそれを促す。古来日本に使命がある。故に黄泉の守護する所がある。日本の精神が目覚める時がある。時を得て開花する花がある。それは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本扶桑純粋精神である。それは神国日本である。日本は復活した。驚いたのはアメリカである。歴史はそう甘くない。宇宙には壮大な計画と意思がある。それ故いえる。ヒロシマを以て平和を実現する。亦日本精神の基は何であったか。教育の基は何処にあったか。何が失われたのか。教育である。日本精神である。広島である。広島を取り戻す。日本精神を取り戻す。原爆を以てその愚かさを知った。平和主義は日本国憲法である。憲法に則って主権を行使する時、世界は認めざるを得ない。日本国憲法は第二次世界大戦の反省としての歴史的意味がある。亦プログラム規定であった。これよりそれが実現する。国民主権、主権在民もそうである。それが庶民の解放でもある。庶民の解放こそ旧約聖書の目的だった。旧約聖書には四百年周期説も秘められていた。パラダイムの変換期である。時代の大変革期である。これが広島の意味する所だった。

彼の故郷は本来広島だった。広島は根絶やしにされていた。何時か彼の魂は故郷を目指した。しかしそこに故郷はなかった。彼が孤独であった理由だった。眷属を救わねばならない。彼は長い旅に出た。月の砂漠と思ったこともあった。特殊潜行艇に乗り込んだとしたこともあった。善財童子の旅だと思ったこともあった。彼の祖父及び父は彼にとってあまりにも謎だった。彼は何も聞いていなかった。戦後の故だった。因って彼は埋没した。一人戦わねばならなかった。何と戦ったのか。既に記録がある。何度か失敗もあった。三方原かと思われたこともあった。彼は諦めかけていた。しかし時代は彼を必要としていた。彼には使命があったのだった。謎を解かねばならなかった。一箇半箇を打ち出すことが禅の目的である。全てはその為に準備されていたともいえる。黄泉が守護するとはそれだった。大鏡というのもそれだった。それを以て黄泉は導いた。時が来た。最後のチャンスかと思われた。子供の時から彼も感じていた。まさか自分がそれとは気づかなかった。彼に自覚が来るかどうか。日本の命運もかかっていた。そして時が来た。時代はそれを必要としていた。眷属は黄泉にいた。総動員で彼の救助に向かった。それは宇宙自然生命黄泉だった。そして彼に本当の自覚が来た。彼は真実を知った。全ての秘密を解いたと思った。秘密とは彼自身だった。それを知るに至るには壮絶な自己との戦いがあった。頗る能力を必要とした。彼にはそれも賦与されていた。彼は救われた。救われた彼は日本を救ったと思った。こうしたことを考えること自体勇気を要する。彼は自信を喪失していた。それほどの悲しいことがあった。それをこの世で克服することは出来ないと思った。かれは静かに生きることを余儀なくされた。そのまま埋もれてこの世を終わればいいと思っていた。しかしそうもいかなくなっていた。彼が自信を回復する時、それは絶対の自信を要した。彼は黄泉の守護を確信した。その時それが訪れた。彼が自信を復活するとは、日本が自信を復活することを意味していた。彼は生まれた使命を果たしたのだった。彼にはそのように思われた。そして救われたと思われた。その時、孤独ではなかった。宇宙自然生命黄泉の祝福の中にあった。彼は祖先に感謝した。そして喜びを知った。本当の幸せとして、未来に伝えようと思った。

どうして彼は祖先を知るに至ったのだったか。既に祖父の持ち帰ったものがあった。それは尊祖父の肖像であったり無銘の扁額であったりであった。祖父の楽焼きがあった。祖父の版画もその後見つかった。朝井清氏の版画の裏に隠されていた。そして何よりも彼自身の不思議な体験があった。或る一通の除籍謄本があった。それは広島市中区役所に眠っていた。その発行には三時間半を要した。手渡す時に官吏の手は何故か震えていた。その一つで六代遡ることが出来た。六代というと家康と雖もその祖先は六代しか知られていないことを知っていた。それから色々なことが分かってきた。彼にしか分からないことだった。黄泉が教えてくれるのだった。そのプロセスは記録と成っている。そして謎は解かれたと思った。不遜なまでの謎だった。秘密は彼自身にあったと思われた。孤独な一人旅だった。浮かれた世間の恋愛どころではなかった。そのように生まれていたと思った。故に乗り越えるべき試練もあった。まさか自分であったとは。彼の正直の感想とするところだった。彼は裏切られたと思った。本当にそう思った。故に自分を解決する段階に達した。それが悉く仇は討ったとする所だった。導いたのは黄泉だった。彼はそう思っている。代々の血統は恐ろしい。彼こそ日本の本命だったのだろうか。どれだけの試練と孤独であったことか。誰にも理解して貰えなかった。それも当然だった。それほどの謎を抱えていた。自分で解くしかなかった。日本の基かと思われた。狂ってるね。何時しかヒロシマの謎も解いた。解いてそれが真実だと思った。世界が動くのを感じた。彼は間違いないと思った。戦争に負けた日本はアメリカに染まった。彼の生きる思想空間はなかった。アメリカは日本精神を根絶やしにしようとしていたと思った。日本には本来根絶やしという思想はない。大戦では神風は吹かなかった。それは古来大和の戦ではないと思った。何故吹かなかったのか。大義名分がなかった。大義名分とは古来大和及び黄泉の守護だった。無理もない。明治はペリー来航に乗じた下級精神の革命だった。江戸無血開城は禅譲だった。譲ったのだった。それを裏切っていた。彼らにとって古来大和の培ってきた精神はむしろ邪魔だった。そして西洋化を急いだ。それが文明開化だと思った。その後商人根性が乗じた。カルバン以降の流れに飲み込まれた。そして今に至っている。行政の民法化があった。規制緩和があった。取引行為には欺罔が内在している。唯自己利益追求が市場経済である。シェアの獲得は内容によるものではない。商略である。ここに諸価値を破壊する論理が隠されている。ビジネスはシステムである。それはお金がお金を生む。人を自分のために働かせる。封建制度は土地を媒体とする農民支配だった。資本主義はお金を媒体とする労働者支配であると思われた。それはこの世で唯一不朽であり、永遠に増殖する貨幣信仰であると思われた。貨幣の基礎は何か。金本位制度である。現代に於いては銀との交換である。これは欺罔ではないかと思われた。何故か。その金は何処から来たのか。大航海時代となってインカより奪った。日本に於いてはレートの差を利用して粗悪なメキシコ銀と交換された。今もその延長である。嘘と暴力が支配していないか。これは本来身心清浄正直を以て旨とする日本武士道大和魂に反する。故に腐敗した。さらにビジネスは戦争と同じ思想に基づく。勝てば官軍である。愛及び平和並びに庶民及び知性が常に犠牲となる。顧みられることはない。救いはないのか。そして資本主義はシステム上、内在的に恐慌が予定されている。鮫と同じで動き続けることを以て拡大再生産を余儀なくされている。何時かバブルとなる。この度のプライム・ローンもそうである。それは実体のない重複債権の破綻だったのではないか。日本のバブルは土地を媒体とする実体のない重複貸し付けだった。その再建は公的資金の投入と預金者の利息を食うことだった。前者は返済したかも知らないが後者は知らぬ振りである。自らの債権はかつてのレートのまま取り立てる。支払えなければ破産に追い込む。おかしくないか。その根本原因は何であるか。唯自己利益追求ではないか。救いはないのか。有る。既に資本主義である。このシステムの基礎を壊すことは非生産的である。今身分に安住する欺罔及び詐欺的システムとなっている。此処を修正する。現実を知らないから犠牲となる。これを教育する。救われる範囲が拡大する。ネガティブでは乗り切れない。こうした現実を大肯定して第一歩を踏み出す。やがて自分の価値が見出される。これまでの自由平等システムをアウフヘーベンする。それは欺罔的支配の隠れ蓑だった。本来の自由とは何だったか。思うとおりにしてしかも法を超えない。此処で法とはいわゆる法律ではない。仏法でいう所の法である。法力による支配である。この自由は既に孔子も見つけていた。平等とは本来何だったか。持って生まれた能力を十全に発揮して誰もが自分に満足出来ることだった。それが幸せの定義でもある。誰もそれ以上を望んでいるのではない。そして封建制に於いては身分の固定があって自らの自由実現は不可能だった。今民主主義となって自由は制度的に保障されている。理念的にはね。現実はどうだろうか。自由になるためには経営者及び投資家になるしかない。これが現実である。そうであるならそれを教育すれば良い。受験勉強は誰のためにしているのか。考えるべき時である。そして日本型資本主義を作って世界に提案する。人は何のために生まれてきたのか。幸せになるために生まれてきた。その作戦実行段階になった。過渡期である。乗り切ろう。乗り切れる。彼はいった。日本は大丈夫だよ。大肯定だよ。今より始めよう。そして資本主義経済が限界に達した時、その打開策及びカンフルは常に戦争だった。その究極目的は市場開拓だった。日本もかつて愚かな文脈で愚かな選択をした。日本の満州国建国及び大東亜共栄圏構想もそうだった。これは認めざるを得ない。しかしこれも歴史的なものであった。責任を問うなら何処までも歴史を遡る。隣接賢明諸国も理解する頃である。過去を振り向くのではなく明るい未来を如何に建設するのか。この変革期を如何に乗り切るか。世界は既に一つである。あらゆるシステムの目的は個々の暮らしと幸せである。一部の利益階層だけのために世界があるのではない。幸せは無限欲望追求ではない。それらは地獄への片道切符である。小さな権力闘争の時ではない。ネガティブでは第一歩を踏み出せない。協力すべきは協力する。修正するべきは建設的意見を出して議論する。未来は明るいといっていた。

幽霊の正体見たり枯れ尾花

苦悩の英雄ベートーベンはいった

この世は成すべき事が多い 急げ

彼は至った。何処へ至ったのだったか。知る人は知っている。知らない人は知らない。彼は救われた。彼を知る者も救われた。日本も救われた。世界も救われることだろう。彼の人生のテーマは完成した。未来に伝えるに十分な人生を歩み通した。そして彼は至った。彼の言葉は天に通じた。世界が動き始めた。黄泉の守護があることを証明した。諦めないことである。自分を信じることである。夢は実現する。彼はそれを示した。示して安堵した。さわやかな風が吹いてきた。やさしさで良い。笑顔が来る。神国日本を取り戻した。日本の自信を取り戻した。彼は幸せを掴んだ。失われた人生を取り戻した。長い冬も必ず春が来る。永久の春が来る。彼が示したのはそれだった。俄に彼の記録が輝き始めた。彼の人生が始まった。明るい日射しが輝きを増した。悲しみはない。不安もない。憂いは去った。喜びだけがあった。間に合ったと思った。生きていてよかったと思った。人生捨てたものではない。伝えたかったのはそれだった。彼自身の建立は成功した。彼の未来は明るい。日本の未来は明るい。彼は言い切った。それほどの自信の回復だった。全ての謎を解いたといっていた。彼は常なる笑顔を獲得していた。彼は至った。無を通って。彼は至った。その存在証明も成した。世界は彼を無視出来なくなった。今まで以上に。既に世界は彼に注目していた。しかし彼は自覚に至っていなかった。今はどうか。確信に至っている。知る人は知っている。知らない人は知らない。それで良い。彼は嬉しそうだった。

類は友を呼ぶ。楽は楽を呼ぶ。この世は素晴らしい。楽しい。自分が変わることで世界が変わる。この世は一切楽しむべきである。誰が悲しみを呼んだのか。それを打ち砕く。知性の至った境界である。これを以て悟りと成す。常なる笑顔である、救いである。福である。次は富だね。幻の宇宙船完成である。これが本来日本の知性の至る本来神国日本である。よかったですね。明るい未来が開けました。福も自分次第でした。時代の最終ランナー三十有余年孤軍完走ゴールです。祖先に感謝する次第です。一切解決、此処に我れ有り。やっと納得のいく成果です。呉市立港町小学校、呉市立両城中学校、広島県立呉三津田高等学校、広島大学法学部並びに広島及び呉に錦を飾ることが出来ました。ありがとうございました。今後とも宜しくお願い申し上げます。

2008年01月30日
今より始めよう
二つの道があったとする。彼は常に困難な道を選んだ。彼にとってそれが習性だった。彼の人生はそのように積み上げられた。納得がいく所まで追求した。克服するべきは必ず克服するのだった。それで至ったのかも知れないね。気づくと生まれた時からそうだったといっていた。それが生まれた意味であって、誰もがそうであるらしい。しかし気づけないのだと。此処に気づくまでが試練であり、青春だ。それなのに大人になると諦める。諦めた自分を人生だと思っている。確かに楽な人生が待っているんだって。笑顔でいることが当然となるんだって。彼の笑顔は自然なものになっていた。そうした人生があるらしい。彼は偉大な仕事をしたよといっていた。まるで自画自賛だね。我田引水は佛の習いだよと笑った。誰も評価してくれないから自分でいっておくといっていた。そうだろうか。彼は日々何かサインを得ているようだった。情報は発信する所に集まるといっていた。それだったのだろうか。彼にしわからないものだったようだ。アンテナを要するのだろうか。人為的なものもあるらしい。自然なものもあるらしい。それを黄泉の守護といっていたのだった。六親眷属皆救ったよといっていた。日本も救ったよといっていた。この度は満足したらしいよ。思えば子供の頃より感じていたことだった。それが確信に至ったというのだ。それが古来本来大和の秘密だったといっていた。誰もが至れるといっていた。それで未来は明るいと。だから諦めることはない。真実の救いはある。それをこの世で示した。それが彼のミッションだったというのだった。これまでは物語でしかなかったものが現実化したといっていた。それはダビンチの夢に等しいと。龍馬は経済力と知恵で薩摩と長州を同盟とした。時代のエネルギーがそうさせたのだった。彼は何をしたというのだろう。日本の自信を回復したという。世界の中で強い意思を以てリーダーシップを発揮することが出来るように。確かにそのように動き始めている。何故だろうか。世界も認めたというべきだろうか。彼は西洋の限界を示したのだろうか。東洋と西洋の共通するこれからの道を示したのだったろうか。それが明るい未来だったのか。彼の存在はそれほどのものだったのだろうか。私には分からない。しかし彼を通して世界を見ると確かに動き始めたようにも見えるから不思議である。確かに彼の知性は優れていた。彼に接する者は認めざるを得ない。さらに何を開発したというのだろう。彼は東洋と西洋を結びつけたのだったか。日本をその重要な要としたのだろうか。そうであるなら嬉しいね。それは無限のビジネスチャンスを生むだろうともいっていた。常にそうなのだとも。何をいいたかったのかよく分からない。今時代は大変革期にあるといっていた。時の流れがとても速い。この流れを乗り切るにはネガティブでは駄目だ。現実大肯定から始める。今より始める。受容するべきは受容する。克服するべきは克服する。それが日本の秘密だよといっていた。打開するのは戦争ではない。笑顔とやさしさだといっていた。これが新しい理念となった。その実現過程にある。やがて安定するといっていた。この時代の変革期は明治維新に等しいといっていた。或いはそれ以上かも知れないといっていた。故に大きなビジネスチャンスだよといっていた。恐竜が滅んでネズミの時代が来るに等しいのかも知れない。それが庶民の解放であり、嘘と暴力のない誰もが幸せを感じることが出来る未来なのだろうか。自分を諦める必要はないよっていっていた。自分を信じて良いよといっていた。何があっても大丈夫だといっていた。彼は困苦を代受したというのだろうか。そして不安のない幸せに至ったというのだろうか。そうであるのかも知れない。そうであるなら救いだね。これまでも彼のお陰で世間は随分と利益しているらしい。気づかない裡に。それを彼は仕事をしたよといっていたのだろうか。それが天徳だよといっていた。或る自覚に至った時それが見える。そして与えられる。彼の持って生まれたものもそうだったのだろうか。そして彼の本質は真面目だった。若い頃には付き合っている彼女に手を出すこともなかった。浮かれたサインの世間の中にあって彼にしか聞こえない導きがあったのだろうか。それはミッションだったのだろうか。彼には解くべき謎があったという。それは解いたという。二千年来の物語が完結したといっていた。彼は何を解いたのだろうね。生まれた使命は果たしたといっていた。彼の夢は実現したよといっていた。彼は彼の花を咲かせたのだろうか。彼は何を夢見ていたのだろうね。何を実現したのだろうね。神国日本だったのかも知れない。そうであるならやはりすごいことだよね。黄泉が微笑み守護する要件を定めたのかも知れない。彼にしかできなかったといっていた。それを証明したといっていた。証明すれば定理だよ。誰もが使って良いのだよといっていた。それは技術だよといっていた。彼は何ものだったのだろうね。何をしたのだろうね。時代は混迷の中に黎明の明るさを感じている。彼のお陰なのだろうか。時代のエートスだよといっていた。これから誰もが持って生まれた自分に幸せを感じることが出来るようになるんだって。それを確認したんだって。人類の英知と技術は辿り着いている。これより実現するんだって。愛と平和とやさしさの時代が来るんだって。それが知性の解放であり、庶民の解放だよといっていた。彼は優しく微笑んでいた。こぼれ来るような微笑みだった。しばらく埋もれていた。長い冬だったといっていた。それも時を待ったというべきか。導かれていたというべきか。彼は使命を果たしたという。それで至り着いたのだろうか。これから誰もが至り着くというのだろうか。自分を信じて、自分のことは自分で解決するしかないといっていた。彼はその道を示した。確かに示していると思われる。この世の秘密は解いたといっていた。それは何だったのだろうか。彼が本気になれば天の守護があるといっていた。そして解決した。それでは何故そのチカラでもっと救ってくれないのだろうね。それはね、やはり自分のことは自分で解決するしかないからだろうね。それが実現可能であることを示すことしかできないのだろうね。それで十分なのだろう。憧れを形にした。それは事実のようだ。全肯定から始めようよと彼はいっていた。自分が太陽となって周りを暖めると良いんだって。小さな恒星(スター)で良いんだって。その為にタレント(才能)を使うんだって。そしてこれからのタレントは知性が要件となるといっていた。知性が喜びの種らしいよ。磨くべきものがあるね。知性は何処で測れるのでしょうか。音声の響きだよといっていた。周りが暖かくなれば自分も暖っかさの中にいる。唯自己利益からの解放だって笑っていた。愛の周波数があるんだって。開発するべきはそれだといっていた。それが本当の心地よさであって、今テレビ界で話題にしている本能的動物的快感快楽ではないといっていた。良い時代が見えています。進路はよいようです。前進ですね。今日も良い一日でありますように。穏やかさの中で喜びに満ちてお健やかお幸せでありますように。彼は何かを確信していて、その秘密を以て引き受けているものがあるようだ。日本は大丈夫だよと微笑んでいた。共に楽しむべき時代が来たよといっていたよ。倒すべき仇は全て倒したんだって。私たち埋もれていた知性の時代を開いたんだって。彼は微笑んだ。彼は何をしているんだろうね。きっと彼が見つけたものたちが彼の中で結晶するのを待っているのだろうね。彼は帰ってくるといっていた。その時には宜しくといっていた。たくさん幸せを見つけてくれてありがとうといいたい。そして失ったものを取り戻すことが出来ますように。彼は十分に旅をした。その間何を見つけているのだろう。彼が帰ってくる日を楽しみに待つことにしよう。真実を探して真実に出逢ったといっていた。救われたよといっていた。きっと彼は彼自身となって帰ってくる。そう信じている。彼と一緒に幸せな余生を楽しみたいと思っている。全肯定だよといって笑っていた。彼は埋もれていた。何をしていたんだいと聞いてみた。自己の建立だよと笑った。彼は何を建立したのだったろうか。その為に全ての仇は取ったといった。何を討ち滅ぼしたのだろうね。黄泉も従うといっていた。世界も動き始めたといっていた。愉快な奴だね。世界はバラ色だといっていたよ。この世は美しいといっていた。世界は素晴らしいともいっていた。彼は何をやらかしたのだろうね。日本の自信復活だっていっていた。神国日本の復興だっていっていた。絶対の自信というものを確認した。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数を開発した。平和はヒロシマを以て克服実現出来るとした。個々のシステムは個々の暮らしが目的であるとした。幸せの定義はそれぞれが持って生まれた自分に満足を感じることだとした。不幸は本来の自分と現実とのギャップを感じる所にあるとした。それを埋めることが社会政策ではないかと思っているらしい、社会政策の実現がそのまま刑事政策であると思っているらしい。失われたのは価値だとした。その原因は唯自己利益追求であり、それが西洋の限界だと思っている。それに対して救いは再び自然に帰れだった。それは自然と共生して幸せであることを知っている東洋思想であるとした。中でも日本は最も四季咲きそう自然豊かな國であり、文化文明国家として継続実存する最も古き國であるので、その蓄積された英知を以て、今も昔も黄金の國ジパングである。そして古来培ってきた日本の精神がある。何時しか西洋化に染まって見失われた。それが結実していたのが武士道だった。それが大和魂であり、身心清浄正直を以て旨とする。取引行為に内在する欺罔行為が一人歩きしている。失われたのは教育だった。その基は広島だった。広島心学が奪われた。これを取り戻す時、世界平和が実現する。少し飛躍もあるのかも知れないけれど、彼の理論は確立完成したようだ。偉大な仕事をしたよといっていた。そうであるのかも知れないね。彼でなければ出来ないことだったといっていた。祖先に感謝しているといっていた。彼はその後も走り続けていたのだった。1956(昭和31)年生まれ、時代の最終ランナーだった。完走したようだ。彼は何か見つけている。間違いないと彼はいっていた。彼が至ったことで誰もが至る。時代は開いたよといっていた。代々の務めは果たしたよといっていた。ここの所はよくわかんないね。早く彼が帰ってくると良いね。日本は救ったよといっていた。本当に救われるような気がしてきたよ。全て赦せるといっていた。やがて彼の時代が来るといっていた。マーラーみたいだね。今より始めようっていっていた。日本は大丈夫だよといった。そのやさしい眼差しはキャパのそれだったのかも知れない。彼は本当に救われたのだね。彼が救われたということは皆救われたことを意味するんだって。亦わかんなくなった。まぁ、いいか。彼は本当は面白い奴だよ。

涙涸れ 春来にけらし 御所川原

彼からの手紙
彼から手紙が来たよ。もうすぐ帰ると書いていた。これまでは自分が自分となるための作業だったそうだ。そして存在証明のためだったらしい。それもこの度は十分な手応えがあったと書いていた。それで姿を隠していたのだけれど、帰ってくるつもりになったらしいよ。そして、これからは直接書くことはないといっていた。私を彼のスポークスマンに選んだから宜しくって書いていた。何とも我が儘な奴だね。彼のことだから存在証明ももう飽きたのだろうね。まぁ、いいか。しばらく付き合うことにするよ。ところで彼の言葉のチカラは尋常ではなくて、彼によれば天に通じているとのことだけれど、どのようにしてそのチカラを得たのだろうね。持って生まれたものといえばそれまでだけれど、中学の頃には国語だけ十を貰えなかったといっていた。彼には妹がいて、どうも国語で100点をとったらしい。先生は何とか減点しようとしたらしいが出来なかったという。後にも先にも国語としては教師生活であり得ないことだった。姉もいて、高校では国語がナンバーワンだったらしいよ。当時の先生がその秘密を探ろうとして図書館で調べてみると世界文学全集を読破していたようだ。活字中毒だといって活字だったら何でも良かったらしい。新聞も広告に至るまでくまなく読んでいたようだ。仕事に就いてからも毎夜一二冊の推理小説を読んでいた。高校の先生が岡山大学に招かれた時、是非一緒に文学の研究をしようと誘われたのだが、何せ子供の頃からの本好きの故に、数学が思うほど出来なかった。それで国立大学は断念だったようだ。彼はむしろ理数系で少年時代には殆ど読書していなかった。高校になって読み始めたといっていた。純文学とか難しい本ばかり読んでいたらしい。高校一年の時の夏休みの宿題で読書感想文があった。彼は『二十日鼠と人間』を選んだのだけれど、それも姉のアドバイスだった。メモを作って提出日の朝、教室の片隅で書き上げたものらしい。それは旺文社全国読書感想文コンクールだった。彼の学校は県立普通科で一学年九クラス四百余名だった。全校生徒は千人を越すのだが、その中で入選したのは二人だった。その一人が彼だった。講評によると読書感想文の要件を全て満たしていたとのことだった。起承転結があり、事実の要約が的を得ていて、さらに感想としての自分の考えがしっかりと表現されていた。その後、国語の先生が冬の寒い鉄棒の傍らで一時間余り彼を口説いた。一緒に文芸をしましょう。その頃の彼にとって文芸など女々しいと思っていた。彼が学級会などで意見を発表すると何故か採用されるのだった。女友達はいうのだった。感じているのだけれどまとまらないところを形にして表現してくれるのが嬉しい。ある化学の時間だった。誰かが風船を破裂させた。厳つい顔の先生は鼻にかかった声で誰だ手を挙げなさいといった。見ると犯人は斜め前にいた。気まずそうだった。事態は収拾しそうになかった。それで彼が手を挙げた。先生は後で職員室に来なさいとのことだった。中学の頃には毎日職員室に呼ばれていたので別に構わないと思った。先生は閻魔帳に何かメモした。それを見て彼は化学を勉強しなくなった。さて、高校の頃一人の友人がいた。彼とは毎日文通をしていた。彼も優秀で、今では出世頭と皆から目されている。その頃その親友は詩を書いていた。彼は朝までかかって便せん11枚書いていた。時々彼女にも書いた。大学になると気になる女子がいた。一度も話したことはなかった。それなのに一週間で270枚書いて投函したという。恐らく読んでは貰えなかっただろうねと笑っていた。何れにしても彼が言葉の修行をしたのはどうやらその頃の手紙にあったようだ。随分と書いていたのだろうね。さて、この度の手紙はどうだったか。まるで事務連絡だった。そして今思うとね、きっと彼も与謝野晶子を知っていただろうね。だけど彼はそれ以上の Something else を求めていたのかな。苦行僧のように。悲しいといえば悲しかったね。今から失ったものは取り戻すといっていたけれど、間に合うと良いね。しかし彼はすごいと思う。とうとう至ってしまったみたいだ。誰もが夢見るけれど、決して至れない境地へ。そしてそれがあることを形にしてしまった。彼はいっていた。美しい風景が待っている。芭蕉も広重も西行もそうだった。彼は何を見ているのだろうね。わからないね。

2008年01月29日
彼の確信
彼は間違いないといっていた。何を確信していたのだろう。日月照らし、風が吹くといっていた。情報は発信する所に集まるといっていた。富士は何故高いのか。裾野があるからだといっていた。何がいいたかったのだろう。これほどまでとは思わなかったといっていた。彼が本気になると議論に負けたことはなかった。それが当然だと思っていた。しかし何時しか彼は負けていた。何故だろうね。本気にならなくなっていた。馬鹿馬鹿しくなっていた。それでも生きてゆけると思っていたらしい。そしてどうなったか。思い違い勘違いした連中が蔓延った。そして彼もとことん虐げられた。それで彼も本気にならなくてはならなかったか。そしてどうなったか。彼は持って生まれた本来のチカラに気づくこととなった。それは何だったか。彼は余り多くを語らなかった。しかしとんでもないチカラを自覚したらしい。宇宙有無開閉四大原動力ともいっていた。彼は何を開発実験自覚確信していたのか。もはや謎である。しかし彼はいっていた。生まれて良かった。良い思い出を残せた。日本は大丈夫だよ。正統源氏日本は神国だよ。日本を救ったよ。何がいいたかったのか。不思議である。少年の頃、彼は何時も父の膝の上でテレビを見ていた。コンバットだった。彼のイメージだった。それは何時も部下を思う軍曹の微笑みだった。サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハートだった。彼は戦っていた。孤軍奮闘した。戦い抜いた。勝利したよといっていた。彼は確信していた。何を確信したのか。何と戦っていたのだろう。そして何に勝利したのだろう。黄泉は制したよといっていた。何を確信していたのか。問答無用だといっていた。父もいっていた。耳を傾ける者はいなかった。戦後とは何だったのか。何が蔓延り勘違いしていたのか。神国日本復活といっていた。彼は何をしたのか。これから実現するといっていた。年貢の納め時だといっていた。わからないね。わからないけれど、そうであるらしい。それほどの戦いに勝利したらしい。黄泉の眷属が動くといっていた。未来は明るいといっていた。彼は何をしたのか。誰もが憧れて待っていたものを形にしたのだった。征夷大将軍の血だったのだろうか。そうであるのかも知れない。しかし全て譲ってあるからっていっていた。どういうことだろうね。彼はもういない。いい加減にしろとはいっていた。時代は定めたよといっていた。微笑みながら。何故か目をダイヤモンドのように潤ませて。何故原爆はヒロシマだったのか。知る者はいない。二発目は本来ナガサキではなかった。フクオカだった。その理由を知る者があるか。彼は全ての謎を解いていた。アメリカも驚いているだろう。何を根絶やしにしようとしたのか。彼はいっていた。仇は取った。世界平和の基は広島である。広島が目覚めることでそれは実現する。どういう意味か。広島大学の前身は文理大学であり、幻の第八帝大であり、その母体は広島高等師範である。そのキャンパスは彼の卒業後、日本一となった。さらにかつては広島心学があった。広島が復活する時、世界平和が実現する。広島を取り戻す。どういう事か。本来の日本の教育を取り戻す。失われた日本の精神を取り戻す。愚弄無視破壊したのはそれであった。もはや容赦しない。彼は何がいいたいのだろうね。私も分からない。 彼はいっていた。祖父と自衛艦に乗って宮島へも行った。広島では戦車の行進を祖父に連れられて路上で見ている。彼は復活した。軍神マルスも従えているといっていた。狂ってるね。彼はどんな秘密を抱えていたのだろう。彼の孤独の理由も見えてきたね。それを一人で解かねばならなかったんだって。恋愛どころではなかったんだって。そしてこれをミッションとしていたんだって。可愛そうだったね。そして長い冬は終わったんだって。彼は自由を得ているらしい。子供の頃のように。素直に何でも語れるようになったらしい。飲み込んだ熱鉄丸を吐き出したのだろう。道元の身心脱落だよといっていた。或いは糸車の針は抜かれたのだった。日本を救ったよといっていた。私もその意味が分かってきたような気がしている。謎は彼自身であり、秘密は広島だった。ところで『望郷ひとり泣き』、御所は何処の川原かな。どうでも良いね。彼はつぶやいた。全て良し。作戦完了。完全復活。未来は開かれた。彼はいっていた。日本は重大なミスを何度か犯した。愚弄してはならない日本の価値があることに気づかなかった。その後そのまま見捨てた。それでどうにもならなくなった。やっと気づいただろうか。日本の秘密に。黄泉をも動かす。彼は一人で戦い抜き、勝利した。戦後蔓延った商人根性に負けるわけにいかない。古来日本武士道本来大和魂は必ず仇を取る。方法論は必ず編み出す。人生及び青春並びに命をも賭して。思い知らせるべき事があった。価値を愚弄してお笑いとするテレビ下賤文化が赦せなかった。彼もたいへんだね。何と複雑な人生だったことだろう。それを解決したという。随分と楽になったらしい。解決は表現することだった。物語として。彼を理解する者はいなかったという。当然だろう。分かれという方が無理だよね。日本は救ったよ。わかんないね。彼の仕事はしたんだって。

全て足る 過不足なき 人生を 
   ここに至りぬ さわやかな風

自由とは 如何に至れる その道は
   我が身尽くして 春風を呼べ

不安なく 憂いも晴れる 人生を
   ここに記して 君に感謝す

絶対の やさしさ笑顔 一とする
   絶対の愛を 周波数とする

自己を知り 黄泉を制して 護らるる
   大義名分 神風の吹く

青春の 秘密有りたり ヒロシマの
   謎解き至る 世界平和か

軍神の マルス喜び 稽首する
   彼は何もの 既に居なくも

何故の この世現象 秘密かな
   誰も気づかず 咲かぬ花有り

秘密なる 自己を点して 燈火なり
   何時か気づけり 日本救わる 

道元の 現成公案 確定す
   古来日本 神国なりけり

混迷の 古今原因 打ち砕き
   本命目覚め 道を示せる

久方の 光のどかな 日本成る
   身分安住 打ち払いけり

2008年01月27日
大空を舞う
秘密は解かれた。究極の秘密だった。誰も知らない謎があった。感謝すべきだろうね。何よりも大きな使命があった。自己を犠牲に供せるだろうか。自分を裏切っていないか。あらゆる欺罔に負けていなかったか。未来は希望と幸せに満ちていた。その基が自覚した。あらゆる欺罔よ、さようなら。あなた方の時代は終わった。彼故に。新しい時代が始まった。愛と平和とやさしさの時代である。身分に安住する者達はそれを担いでいくが良い。私達は空手にて大空を舞う。この世に生きていくことはどういう事であったか。成功とは何であったのか。才能だけでは生きてゆけない。誰も彼を評価出来なかった。無理もない。彼はあらゆる評価を超えていた。彼は何を探していたか。そして何を見つけていたのか。彼は埋没した。この世の幸せはなかった。そしていなくなった。この世の幸せは見つけたよといっていた。見出し見出されて生きていく。誰もがそうして生きていく。彼にはそれがなかった。あなた方が何をしてきたというのだろう。彼は疑問に思っていた。彼は謎を解いた。そしていなくなった。そして彼の語っていたことに気づいた。世界が動き始めた。彼の最後の仕事はいなくなることだった。彼は何処に行ったのだろう。大空を舞っているのだろうね。彼はこの世に生まれたことを喜んでいた。本当の幸せは見つけたよといっていた。皆さんに宜しくっていっていた。 彼こそ日本の本命だったのかも知れないね。あらゆる要件を備えていた。しかし埋没した。とても悲しい事があったという。それについては余り多くを語らなかった。高校に入った時には既に別世界へ旅立ったのかも知れなかった。そして何かを見つけたらしくて戻ってきた。それは一瞬の出来事だったのかも知れない。彼は何を伝えたかったのだろうね。種は蒔いたよといっていた。彼は『ちょっとピンぼけ』のキャパが好きだった。彼の何処が好きだったのだろうね。その生き様だった。彼の妻を一生裏切らなかった。それを感じていた。永遠という事を知っていたのだろうと思った。何か失われた大切な事の一つと思ったのだろうね。白いタカが日本情緒の大空を舞う時が来た。

2008年01月26日
ダイヤモンドと結晶する人生
昨今、投資ブームですね。さて、何に投資するべきでしょうか。究極の投資先は何だったのでしょうか。自分自身ですね。秘密は自分自身にありました。問題も自分自身にありました。ところで、自分自身がダイヤモンドとしたらどうでしょうか。炭素のままで終わるのか。ダイヤモンドとして結晶するのか。それがこの世の人生の醍醐味だったんですね。ダイヤモンドとしてこの身を結晶させるためには何が必要だったのでしょうか。彼はそれを探していたようです。空海もダウジングの天才でした。空海の建てたお寺は水銀の鉱脈の上にあると誰かがいっていました。彼はこの世に生まれて本当の幸せって何だろうと探していました。好んで幸福論も読んでいました。ヒルティとかアランとか。そして何時か至ったのでしょうか。その記録は残したよといっていました。その証明もしたよといっていました。その秘密は亦古来日本だよといっていました。だから再び今、黄金の國ジパングなんだって。謎は自分自身にあるといっていました。その謎を解いた時、全ての意味が分かり、既に古今の書物はそれについて伝えていたことを理解したっていっていました。明るい未来が確かにあるんだって。それは誰にも約束されているんだって。壮絶な自己との戦いがあるんだって。何時かそれと戦う時が来るんだって。それに勝利して至る世界があるっていっていました。勝利した時、祝福してくれるのは宇宙自然生命黄泉だといっていました。これが古来日本の知性だったといっていました。しばらく見失われていたと。それは神国日本を意味していました。馬鹿になることが幸せだといわれて久しいのです。それが素直になることで、それはそれでよかった。誰もが自信を得たのでした。そしてお笑いバラエティ全盛となりました。それは馬鹿の解放でした。ところが、彼らは相対的に知性及び情緒を否定破壊したのでした。そろそろ反省修正する頃となりました。さて、彼のことは私が一番よく知っています。いくら語っても語り尽くせません。彼は本当の幸せを見つけていたようでした。それは知性の勝利でありました。経済だけでは至れない幸せでした。愚かでは至れない幸せでした。西洋的お金持ちの理論は唯自己利益追求に帰すると彼はいっていました。それにも理由があると彼はいっていました。その教えの根本はユダヤです。祖国を持たないが故の方法論です。日本はむしろ護るべき祖国を持つ國です。いつの間にかそれさえも見失っていたのです。馬鹿になることが幸せではありません。それを吹聴したこと自体、ユダヤ支配の作戦だったのではないでしょうか。それでいいのかなって彼はいっていました。かなり辛辣なことをいっていましたが、今となっては全て赦せるといっていました。それほどの自信を得ていたのでしょうか。絶対の自信というものはあるよといっていました。それは不安からの自由でした。彼の探したものはそれでした。彼の見つけたものはそれでした。それは日本の秘密でした。しばらく誰もが忘れていた秘密でした。彼の見つけた知性とは何だったのでしょうか。いえないこともあるといっていました。もう彼はいません。彼は何処かへ行ってしまいました。何処かで彼を見つけたら、幸せになれるでしょうね。それが動植物及び岩石も喜ぶ周波数だといっていました。お金持ちになることと幸せになることは違うそうです。お金持ちになってもそのプロセスに欺罔が有れば不安から逃れることは出来ない。犠牲の上の繁栄は永続しない。伊豆に流された頼朝が何故鎌倉幕府を開くことが出来たのでしょうか。既に平家一門にあらざれば人にあらずとする平家一門の貴族的腐敗があったからですね。秀吉もそうでした。東洋精神の根本は何でしょうか。唯自己利益追求の時代もあったのかも知れません。しかしそれでは幸せになれないことを知っていました。ユダヤ的である限り、キリストは磔です。この欺罔を見破らなくてはならないのでした。予言者が予言者という形で伝えたものがあります。その形を取らざるを得なかったのです。そうしないと彼らも磔となっていたことでしょう。禅の不立文字もそうでした。今、こうしたことを語ることが出来る自由も得ているのです。馬鹿の解放の次に来るのは知性の解放です。それは亦善良であるが故に騙されて餌食となってきた庶民の解放です。旧約聖書の究極の目的は庶民の解放でした。それは欺罔支配からの解放でした。目覚めよとはそれだったのです。目覚めた状態がダイヤモンドとしての結晶です。つまりこれが自覚でした。何時も輝いているのです。それがスター(恒星)であり、タレント(才能)でした。無意味無価値無内容なお笑いではないのです。それは衆愚身分安住搾取支配の欺罔でした。唯自己利益追求に帰するのは祖国を持たないが故です。これに対して、「天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)」というのがあります。西洋思想は無ということを知りません。彼が見つけたものはそれでした。故に日本復活としたのです。日本の自信を復活せしめたとしたのでした。彼にはさらに不思議な秘密がありました。それについてはもう良いですね。神国日本の復活だよといっていました。さて、彼は今どこで何をしているのでしょうね。きっと現代社会で余生を楽しむための経済的準備をしているのでしょうね。何時も静かに微笑んでいることでしょうね。黄泉も従うといっていたけれど、それもダイヤモンドとして結晶するための要件だったのでしょうか。宇宙には壮大な目的と計画があるといっていました。既に動き始めているといっていました。それぞれが持って生まれた自分に幸せを感じる時がくるっていっていました。それを見つけるには悲しい青春もあったけれど、今となってはこの世の良い思い出となったといっていました。彼が身を以てこの世に実現してくれたものが確かにあります。私はそれを伝えていこうと思うのです。彼は本当の幸せを見つけたといっていました。そしてそれは生まれた時からそうだったことに気づいたといいます。気づくまでが試練だった。気づいたからには問答無用であり、年貢の納め時だといいます。刃向かわない方が良いといいます。黄泉が成敗するというのです。亦この世は大鏡だといいます。何がいいたかったのでしょうか。もう彼はいません。謎は謎のまま海の底に沈んだのでしょうか。知る人はいるのでしょうか。彼は何ものだったのでしょうか。永遠の謎となりました。ニーベルングの指輪のように。太陽と風だけが知っているかのように。彼はいなくなりました。しかし何処かで隠れて存在しているのでしょうね。周囲には誰も彼の存在に気づいたものはありませんでした。仕事はしたよ。彼は微笑みながらいっていました。

2008年01月25日
彼の思い出
彼は目覚めた。そして世界が見えてきた。それは無限に広がる可能性に満ちた幸せの大地だった。彼は至り着いたと思った。探していたものが見つかったと思った。気づいてみれば、彼は孤独ではなかった。見るもの、聞こえるもの、すべて喜びに満ちていた、世界は彼を祝福していた。誰もが彼を待っていた。彼は苦の海を渡りきった。そして至り着いていた。21世紀の約束だった。彼が現れて誰もが気づいた。真実の愛とは何だったのか。本当の幸せは何だったのか。浮かれていた欺罔の時代は目覚めた。夢に見た憧れでしかなかった世界が現実となった。腐敗と堕落は去った。愛と平和と安息の世界が現実にあることを知った。彼は人生と青春を失ったと思った。そうでもなかった。それさえも手放すことで至ることが出来る世界があるのだった。彼は自分を信じた。世間も自分と同じだと思った。しかし世間は悉く彼を裏切った。生きるためだった。それが大人の社会だった。彼は疑問に思った。これで良いのだろうか。彼は考えていた。道はないのか。彼は探した。諦めなかった。安易な妥協は出来なかった。そしてついに見つけた。これで生きてゆけると思った瞬間、俄に日光の輝きが増した。彼はこの世の一切に感謝した。胸にはこみあげるものがあった。感涙もあった。そして彼はいった。この世界は素晴らしい。美しい景色が待っている。彼の顔は喜びに満ちていた。彼は祝福されていた。彼は思った。これが幸せであると。これが自然回帰であると。もう憂いはなかった。不安もなかった。あるのは祝福された自由だった。その過程が記録となっていた。それはこの世の宝となった。彼は救われた。救われた彼は日本も救われたと思った。それはいつの間にか彼の引き受けた役となっていた。彼は演じきらねばならないと思った。埋没した日本の知性の復活のために。そして彼は失われた彼自身を取り戻すことに成功したのだった。彼は確かに何かを見つけていた。彼の目的は何だったのだろう。今にして思えば、失われた本来の日本を取り戻すことだったのだろうか。或いは庶民の解放だったのだろうか。旧約聖書に400年周期説が秘められているといっていた。彼が救われたということは日本が救われたということだといっていた。彼のいう所はよくわからない。だが、そうであるらしい。彼には確信があったのであろう。それは何だったのか。彼が神であったとでもいうのだろうか。謎である。彼が見ていたものは何であったのか。詳しくは語りたくないようだった。彼の父も祖父も過去について殆ど語らなかった。彼らに何があったというのだろうか。もう彼はいない。彼の存在証明は何だったのだろう。迷えるミュージシャンをも目覚めさせることだったのか。確かに時代の空気が変わった。それまでもそうであったと彼はいっていた。目的地を定めたといっていた。これから光が差してくるといっていた。誰もが幸せを感じることが出来るようになるといっていた。自分が本来の自分になることが出来たら幸せだといっていた。不幸せは本来の自分と現実の自分とのギャップであるといっていた。それぞれの本来の自分には差があり、それが分際だともいっていた。本来の自分になる時、人は満足する。だから78%の誰もが幸せを感じることは難しいことではない。しかしそれを阻害しているものがある。それが22%の欺罔支配であると彼はいっていた。彼の理論は22%を否定するものではないといっていた。この問題点が分かるだろうか。ここがわかれば処方もあるといっていた。78%に不満が残る時、そのエネルギーは破壊するチカラになる。78%が満足する時、エールとなる。誰もが己の分際を満足することで、和を以てさざれ石となる。これが彼の理論だった。彼には不安からの脱出口が見えていた。その時、時代は一つのパラダイムの終焉を招いていた。しかし次のパラダイムはどれが良いのか分からなくて皆迷いの海に沈んでいた。そこに彼が見つけていた本来神国日本があった。それは時代錯誤のそれではなかった。本来日本の方向性だった。彼は身を以てそれを探して見つけ出し、論証していた。それは仏法だけではなかった。あらゆる人類の英知の結集だった。当然世界は驚いた。ヒロシマの意味をも見出していた。当事者であるが故に出来ることだったと彼はいっていた。新しい時代のライフスタイルを提案したいと思っていた。それをするには新しい時代を切り開き確定しなければならなかった。それには一番槍の突撃突破が必要であった。何時か実行しなければならなかった。そして時が来た。彼は見事に突撃突破したのだった。不安から脱する未来への道を切り開いていた。最も困難な大岩を砕いていた。そして人類としての偉大さを示した。それは知性だった。これより世界は変わるといっていた。彼は確信していた。既に世界は動き始めている。そして彼はいった。偉大であるのは人類であり、彼ではない。彼もやっと合流することが出来たのだといっていた。そして彼は身を以て戦った。誰も知らない所で戦っていた。その間、彼は何を見つけ、どのようなチカラを獲得していたのだろう。既に記録がある。そして彼は私にいった。彼のことを知っているのは私だけだった。彼のことを書き続けるが良いといった。何時か誰もが気づく時まで。そして日本がどういう國だったか分かり、誰もが幸せになれるからっていっていた。神国日本が復活する。その時誰もが幸せになれる。夢物語ではない。既に事実である。誰もが憧れていた。見失われた日本を取り戻す。それが救いである。それが日本である。佛をも受容した日本である、誰も分からなかった。それを見つけた。彼の求めていたものは世の常識を超えていた。世間は浮かれていた。その中で彼は探していた。導かれていたとしかいえない。彼が二千年の謎を解いたというのもあながち誇張ではなかったのかも知れない。彼は憧れでしかなかったものを具体的な形にした。彼にしか出来ないことだった。そう言い切れるといっていた。不安はない。憂いもない。あるのは無限に広がる希望に満ちた明るい未来の大地であるといっていた。彼が見つけたのはそれだった。求めていたのもそれだった。彼はその大地を発見し、切り開いた。そして論証し、確定した。それはどのようにしてなされたのだったか。あらゆる艱難を代受し、克服凌駕した。そして自分自身が無となることを知った。無となって満ちてくるものがあった。それが幸せであった。その時溢れる涙があった。悲しみの涙ではなかった。喜びと感謝の涙だった。その時確信した。それは神仏宇宙自然生命黄泉の受容祝福守護だった。そして絶対の自信を取り戻した。これが本来古来日本だと思った。未来に伝えるに価すると思った。こうして彼は未来は明るいといった。彼は何時しかいつも穏やかな微笑みの中にいるのだった。彼の音声はどのようであったか。今も懐かしく思い出す。彼はいっていた。これより愚かさと野蛮の海を渡る。準備は調った。皆渡ることが出来ると彼はいっていた。私は彼を信じることが出来る。彼こそ埋もれた真実だった。何時も隠れて存在していた。絶対の自信を得たといった頃から彼は変わった。積極的にいっておこうとするようになった。役を引き受けた観もあった。日本を救う。民を解放する。彼は本気でいっていた。周囲は誰も耳を傾けなかった。しかし彼は確信していた。それだけの経験をしていたからだった。日月照らし、風が吹いた。何時しか彼の使命となっていたのだった。憲法プログラム規定が成就するといっていた。これより主権在民、国民主権の意味が具体化するといっていた。彼は生まれた時からこの使命を背負っていたのだったろうか。故に過酷な運命を歩まねばならなかったのだろうか。どれほどの孤独であったろう。理解しているのは黄泉だけであるかと思われた。そして彼はこれだけの記録を残したのだった。今となっては彼に申し訳なかったと思う。もう少し早く彼のことをもっと理解しておけば亦別の展開もあったのかも知れない。しかし彼に「もしも」はなかった。彼にとっては全てが必然であり、無駄はなかった。しかし絶対の自信が来るまでは彼も怖かった。何度か失敗もしていた。しかし時代は彼を必要としていた。時代のエートスが総動員で彼の自覚を促した。彼はそれに応えた。そしてその時彼は救われたのだった。救われた時、彼は孤独ではなかった。彼の眷属皆が待っていた。倒すべき仇があった。彼は悉く仇を葬った。その為には準備が必要だった。彼は間に合ったのだった。彼に本当の自覚が来たのを知って、動いたのは黄泉だった。彼は全ての要件を満たしたのだった。彼の辞書に不可能はないといわんばかりだった。それほどのことがあった。このブログはその記録となった。彼は冗談っぽくいっていた。このブログにスポンサーが付くと良いねといっていた。このブログの権利を売っても良いといっていた。自由に編集して貰えると良いだろうねって。そして得たお金でやりたいことをすればいいって。唯一の理解者として記録してくれたことに対する感謝の気持ちなんだって。もういうべきことはいったからなんだって。しかし彼のいってきたことで世間が反射的にどれだけ利益しているか。測り知れない。知っている人は知っているから大丈夫だよといっていた。今、彼は何処で何をしているのだろう。私は知らない。22%を否定しているわけではないといっていた。遅まきながら22%への移行を考えているのかも知れない。何れにしても彼は自由である。生まれながらにそうだった。条件が一つあった。自覚だった。自覚は自信だった。しかし彼にはあまりにも悲しい過去があった。とても回復は難しいのではないかと思われるほどの自信喪失があった。戦後の故だといっていた。しかしその困難を歩み通した。生来何をしても自由の彼である。やっと気づいている頃である。彼には憤りがあるといっていた。それは公憤だった。唯自己利益追求だといっていた。経済界と芸能界の腐敗堕落横暴無意味無価値無内容を憤っていた。それと結託して狂騒する民放テレビ界を哀れんでいた。民放ラジオ界もその例外ではなかった。それはむしろ悲しみのようであった。地獄に堕ちることを知らないんだねっていっていた。彼らについて行かないようにっていっていた。救いはあるといっていた。真実はあるといっていた。彼は穏やかな微笑みに包まれていた。彼は確かに何かを見つけていた。宇宙自然生命黄泉と一体となっていた。それが彼の見つけたものだった。それは無だった。不安のない世界だった。彼が獲得したのは絶対の自信だった。日本は大丈夫だよといっていた。日本の基は定まったよといっていた。明るい未来の建設が始まった。彼はいった。日本にこそ世界を救う秘密がある。これまで世界に追随してきた。それを受容した。それを克服する時が来た。世界も彷徨っている。救いを求めている。現代の問題点には世界は気づいている。どうしたらいいのかも分かっている。しかしそれが出来ないでいた。人は幸せになるために生まれてきた。お金持ちになることが幸せかと思われた。その理論も出ている。それは感情をコントロールすることだった。自分のために頭を使うことだった。自分の感情に素直になることだった。それは恐怖からの自由だった。現代芸能界はそれを実現しようとしている。しかしそれは限りなく本能的であり、社会は野蛮化する矛盾に陥っている。今、それに直面している。それから逃れる方法はないのだろうか。有る。それが無だった。無は日本にしかない。無より始めることで、誰もが幸せを感じることが出来る社会を作ること出来る。それが彼の見つけた本来日本だった。難しくはないと彼はいっていた。知らないだけであると彼はいっていた。情緒の回復から始めようといっていた。知性の回復であると彼はいっていた。真面目と努力を見直そうといっていた。経済界及び芸能界はこの価値を破壊している。負けるわけにはいかない。その為の準備はしたと彼はいっていた。刃向かうは赦さないというのはその意味だったといっていた。本来日本の自信は回復せしめたといっていた。或る意味で革命かも知れないね。時代は変革を切望している。その方向性が分からなかった。彼はそれを定めたのかも知れない。それは誰もが幸せを感じることが出来る社会の建設だった。それが庶民の解放だった。明治維新に匹敵するのかも知れない。或いはそれ以上に、家康或いは頼朝に匹敵するのかも知れない。革命は常に辺境より始まる。戦争の愚かさもヒロシマで知った。名誉革命に匹敵する明治維新も通っている。腐敗堕落が限界に至っている。常に滅亡は内部の腐敗からであることはローマ史の示す所である。歴史は繰り返す。良い意味での穏やかな革命である。それは本来日本の復活を以てする。日本は神国だよといっていた。宇宙自然生命黄泉のチカラを借りる。それが動植物岩石も喜ぶ周波数即ち愛であると彼はいっていた。彼には強い意思と確信があるようだった。負けるわけにはいかないといっていた。 既に世界は動き始めているといっていた。彼はやさしいトーンのよく通る声で愛らしくもある口元に笑みをたたえて語るのだった。彼の周りには清浄な空気が静謐な空間を作っていた。所詮幸せは何であるかは彼も理解している。男と女である。或いは家庭である。であるが故に腐敗堕落から脱出すると彼はいっていた。芸能界の家庭は殆ど破綻する。バーチャルであるはずの芸能界が自己主張しすぎている。現代社会に於いてメディアを通して目障りなほどに影響力が大きすぎる。金剛杵を以てこれを砕く。本来日本が肩身の狭い思いをしている。これ以上彼らの色に日本を染めさせるわけにはいかない。身心清浄正直本来日本を取り戻す。本来日本の諸価値の住める空間を開く。彼はいっていた。

2008年01月24日
彼はもういない
日本本来の知性がどういうことであったか、知ることになったのかも知れない。彼が本気で問題に取り組むと、必ず答えを出すのだった。この度は初めて彼も満足する結果となったようだった。しかしこれまでは何かと邪魔が入るのだった。自覚の来ていなかった彼は自信を失ったままだった。それで何時も負けていた。この世の秘密は何だったのだろう。代々の彼自身だったと彼はいっていた。その彼はもういない。彼は秘密を解くためにのみ存在していた。今世間巷で何が話題となっているか。何処に発しているか。知る人はいない。情報は発信した所に集まる。必要でない情報は聞こえてこない。彼が耳にする情報は彼自身が発していたのであった。風がそれを運ぶのだった。彼は風を呼ぶことが出来たのだったのだろうか。流行の源流だともいっていた。どういうことだろうか。そのような馬鹿げたことが秘密だったのだろうか。彼は何を知っていたというのだろう。もっと聞いておけば良かった。彼のいう大鏡とは何だったのか。もはや謎である。しかし彼はいっていた。再びこの謎を解く者は現れるだろう。それが何時なのかは分からない。明日かも知れない。二千年後かも知れない。その時のために記録は残した。記録の本体は天にある。再び彼は何処までも謎となったのだろうか。彼は天涯孤独だった。彼にスポンサーはいなかった。正当な対価報酬は常になかった。彼の価値を見出す者はいなかった。彼は現代評価基準の外で生きていた。無理もない。彼の求めた価値は悉く見失われていた。それを探し出さなければならなかった。そして彼はそれを見つけた。それが日本を救うことを知っていた。何度も成就したといっていた。耳を傾ける者はいなかった。そして彼はもういない。何時もそうであったのである。世間は反射的に利益を得ていた。しかしそれに気づくことはなかった。彼から奪うことしか知らなかった。代々のことだからもう良いよと彼はいっていた。そして務めは果たしたよといっていた。とても安らかな笑顔でいっていた。彼はその笑顔を以て報われていたのだろうか。誰も知らない。彼が喜びの中にあったのは確かだった。彼は彼自身をエネルギーとして燃やし、燃え尽きたかのようだった。大きな仕事をしたといっていた。彼はもっと早くに自覚していれば良かったのかも知れなかった。唯存在するだけでよいはずだった。しかし戦後という時代は彼にとってあまりにも困難な時代だった。螺鈿の槍は折られていたからだった。この意味が分かるだろうか。そうした中で彼は謎を解かねばならなかった。それが日本を救うことだった。そして彼はそれを成した。確かに成したのだった。彼にしか出来ないことだった。壮絶な孤独と忍耐を要した。彼はそれに耐えたのだった。そして彼はもういない。いくつかの記録を残して彼はいなくなった。何時でも世間並みの幸せは約束されていた彼が人生も青春も失って何を探したというのだろう。その孤独は如何ほどであったであろう。浮かれた世間の中で彼は何をしていたというのか。もはや謎である。やっと満足のいく結果を出したと彼はいっていた。それは何だったのか。化城を出でて真実の城を目指した彼が至ったのは何だったのか。自分の建立だよと笑っていた。彼は確かに存在していた。常に隠れて存在していた。周囲は誰も気づかなかった。気づくと良かったのにね。彼を大切にしていれば皆幸せになれていただろうね。此処まで腐敗していなかったね。残念だね。そして彼はもういない。本当だよ。彼こそこの世の不思議だった。憧れだった。しかし彼は埋没した。彼は秘密を解くために存在していた。そして解いた。解いて何を導いたのかは既に記した。孤独な旅があった。裏切られたと気づいて謎を解いた。そして救われた。そして本当の安らぎを得た。その記録を残して彼はいなくなった。彼は去った。もういない。面影だけが残っている。日本は神国だよ。彼の示した全てだった。この世の本当の幸せとは何だったのか。どのようにして幸せに至るのか。彼はこの世でそれを実験した。艱難辛苦もあった。それを乗り越えることが出来ることも示した。彼は何ものだったのか。私も知らない。既に不思議な物語である。故に民は救われた。彼の存在そのものが不思議だった。誰も知らない世界を彼はこの世で歩んだ。そして彼は満足していた。この度の使命は果たしたといっていた。彼の至った境地は何だったのか。日本は救ったよといっていた。天の守護を証明したといっていた。生きていて良かったといっていた。この世の真実を身を以て証明したといっていた。古来誰もが探し求め、待っていたものを形にしたといっていた。それが彼のミッションだったと。周囲は知らない。しかし彼はその仕事を成就していた。知る人は知り、祝福し、感謝した。しかし彼は孤独なまま去った。それが亦掟でもあった。彼はそれを知っていた。そうした彼は天に護られていた。古来大和の秘密だった。彼は救われていた。彼の代に時代を定めたといっていたけど、どういうことだろうね。それほどのことがあったらしい。彼は本気だったようだけど。もうどうでもいいよね。今となっては彼は全て理解しているよ。例えば道長は四男だった。しかし兄が早くに逝去したりして正統に家督を継いでいた。何を粗末にしたんだろうね。畏れを知らなかったね。時が来てしまった。そしてどうしてもゆるせないことがあるらしい。それが何であるかは聞いていない。勿論彼も申し訳ないことだったといっていた。しかしゆるすことが出来ないことがあるんだって。この世で解決できると良いのだろうけれど、全て大和の秘密を証明し、知った以上、彼の怒りは収まらないのかも知れない。詫びるべきは詫びた方が良いだろうね。知らなかったとはいえ。彼は彼の悪を乗り越え、身心清浄正直古来大和を取り戻しているよ。勝負にならないよ。問答無用だよ。神楽如きでは慰めにもならないだろうね。さて、どうするんだろうね。あまりにも失われたものが大きすぎた。あまりにも奪いすぎたよ。

2008年01月23日
危機が迫っている
世界は同時株安となった。これは恐慌であるのだろうか。アメリカのプライム・ローンの崩壊により、これから世界に何が起ころうとしているのだろうか。本業よりも財テクに走った者にとっては悪夢である。日本は大丈夫である。覇権は取らなくて良い。第二位が定位である。この距離感が間合いである。先進国家間での戦争はない。戦争をすればどうなるか知っている。日本の工業力は何時でも兵器を作ることが出来る。しかし作らない。戦争放棄は歴史的なものである。それがヒロシマの意味する所である。平和主義は憲法である。憲法は憲法である。憲法に従って主権を行使する時、世界は認めざるを得ない。しかし資本主義は内在的に恐慌が予定されている。その最終的な打開は戦争である。無限大量消費が戦争であるからである。この愚かさはヒロシマを以て克服しなければならない。ここに日本の世界に於いて重要な地位がある。世界の英知を結集して戦争だけは避けなければならない。日本も戦後経済を飛躍的に復興せしめたのは朝鮮戦争に於ける特需だった。経済ということがどういうことであるか見極めなければならない。経済とは食べることである。その本質は漁労狩猟採集である。お金は命を削った対価である。お金を稼ぐとはどういうことか。命を食するに等しい。ビジネス自体が残酷である。ビジネスの名で餌食としているのは何であるか。善良な庶民である。22%の法則がある。支配である。78%は22%の餌食である。ビジネスは野蛮である。本質は戦争に等しい。勝てば官軍である。敗者に対する憐憫はない。常に勝者の論理である。何時までもそれでいいのだろうか。人類として或いは生命体として此処まで進化した。地球温暖化及び地下資源の限界がある。考えるべき所である。人間同士が殺戮し合っていいものかどうか。何時までも憎しみの連鎖で良いのだろうか。何処かで断ち切らねばならない。人類として存続できるかどうか。試されている。見直すべきは何か。唯自己利益追求ではないか。真実の資本主義はどうあるべきか。議論するべきはそれである。小さな権力闘争の時ではない。危機が迫っている。日本の知性とは何だったのか。歴史に何を学ぶのか。何を犠牲にしてきたのか。日本はどうあるべきか。見直すことは多い。何もかも坊主憎ければ袈裟まで憎いが如く頭から闇雲に否定すれば良いのではない。協力すべき所は協力する。納得のいかない所をとことん議論する。建設的な議論をするべきである。幼稚あからさまな権力闘争のための議論は聞くに堪えない。国民を愚弄していないか。さて、戦争の目的は何だったのか。最終目的は市場開拓だった。ペリー来航もそうだった。こうしたメカニズムに庶民レベルで気づくに至っている。そこには今も昔も多くの欺罔がある。何時も犠牲は庶民であった。愛と平和は常に踏みにじられた。今、成功理論は唯お金持ちになることかと思われる。金持ち父さんとかがそれである。お金持ちになりたい者には救いの手をさしのべる。何時までラットゲームをしているのだろう。世界はそのように出来ているのだと。それはそれで良い。それが自由平等のシステムである。誰もが夢を持って良い。この世は過去からの夢の実現過程である。お金持ちとなりたければ成ればいい。しかしその過程でどれだけの犠牲を払ったことか。そこに目がいっていない。それでお金持ちになれば誰もがアフリカに学校を建てたりする。誰も知らない所で。そうせざるを得ない。宇宙の法則は甘くない。常にバランスを取らされる。記録はすべて天にある。自分の過去から逃れることは出来ない。常に不安がある。救われていない証拠である。お金はあっても、お金があるが故に悪夢を見る。真実の救いは無いのか。有る。それは何であるか。絶対の自信である。今、勝者とはどの階層であるか。経営者或いは投資家である。お金持ちであるとは庶民の労働と消費を見えない形で餌食とすることであった。搾取装置に安住することだった。今も昔も変わりはしない。百姓は生かさぬように。殺さぬように。菜種油と百姓は絞れるだけ絞れ。封建制度は土地を仲立ちとする農民支配だった。その欺罔の打開が日本に於いては明治維新の原動力だった。そうして時代を経て今、どうであるのか。農民がそのまま庶民に移行しているといえないか。維新後の支配層がそのまま今の支配層である。現代資本主義メカニズムは何を帰結したのか。支配階層の欺罔の一人歩きだった。庶民と勝者との二層分裂化だった。それが所得の格差となって定着した。既に学校教育に於いて顕著であった。成績の分布はフタコブラクダとなっている。医者になれば所得は高く生活は楽であるかと世の母親は憧れた。それに応えて医者となった子供達はその問題処理能力に期待過多となった職務に追われている。正当な対価バランスが崩れている。技術の進歩は医療現場を複雑にして、医療ミスを誘発する。何かあったら徹底的な責任追及にさらされる。教育現場もそうである。今責任とは、損害賠償である。お金が全ての価値基準となっている。裁判所もお金で解決しようとしている。いかにも安易な紛争解決手段である。それで本当に解決するのかどうか。どうしてそのような事になったのか。信じることが出来なくなった。尊敬することが無くなった。自信を失った。古来日本の目指した価値があった。それも見失われた。お金だけが幸せかと思った。唯自己利益追求しかないと思われた。あまりにもそれは刺激的だった。お金は麻薬以上のアヘンだった。日本も染まってしまった。ペリー来航以降のことだった。昔日本には神も仏もいた。日本のバックボーンだった。取り戻すべきは何か。日本の情緒から始めよう。日本は日本である。日本の心にゾンビは似合わない。そしてこの危機を脱しよう。古来日本に英知有り。今も昔も日本は黄金の國ジパングである。世界の憧れである。それを知らないのは日本自身である。十牛図も逆輸入された経緯がある。本来日本の属性は何だったか。身心清浄及び正直だった。取り戻すべきはそれだった。しばらく欺罔と暴力が蔓延った。諸価値の破壊があった。情緒は価値である。どうして価値が破壊されるのか。市場経済の故である。70%の完成度で社会にリリースして完成はお客様のクレームを利用する現代資本主義商売形態の故である。内容よりもシェアを重視する。お客様は神様などと彼らは思ってはいない。取引行為に内在する欺罔を手段として最大限利用する。それが大人であると思っている。腐敗を利用して利益する。漫画及びゲームも本来の価値である芸術性及び子供達の時間を奪っていないか。何か根本的に間違っていないか。このまま推移すればどうなるか。微分係数は滅亡へ向かっていないか。既に危機である。諸現象は警報である。立ち帰るべきである。何処に帰るのか。再び自然に帰れ。日本は自然を知っている。世界で最も四季溢れ自然豊かな國である。失われた自然を取り戻す。『風に吹かれて』を進軍ラッパとして。日は昇った。

ピリオド
そろそろ一つのピリオドです。しばらく自分を語ることをしていました。それほどまでに行き詰まっていたのでしょうか。焦りでもありました。今更ではありました。所詮困苦は己の錆です。こうまでしなければならなかったのでしょうか。ささやかな存在証明にはなったのでしょうか。自信は回復しました。自分は自分で良かったと思えるようになりました。なんとか自分を復興できました。自分の建立であるのかも知れません。もう良いですね。遅まきながら自立です。何処かでお会いすることがありましたら宜しくお願い申し上げます。

我が成仏を見よ。彼の最後の言葉だった。目は潤んでいた。何かを確信した喜びの涙で輝いていた。或いは感謝の涙だった。彼にはこの世の秘密の全てが見えていた。彼こそ真実だった。しばらく認めて貰えないもどかしさの中にあった。彼は書いた。全てを書いたわけではなかった。しかし十分だった。あまりにも出遅れた存在証明だった。彼を見捨てたわけではなかった。黄泉の眷属は総動員で彼の救助に向かった。やっと彼は孤独ではないことを知った。彼の悲しみの時代は終わった。彼はよく耐えた。彼は治癒したのだった。長い冬だった。彼は自分を取り戻した。きっと力強く羽ばたくだろう。彼はいった。神はゐます。神を畏れよ。幸せは本来の自分となることである。諦めるな。必ず本来の自分となれる。失ったものが大きければ得るものも大きい。幸せはお金だけではない。お金は大切である。最終最後最大の敵は自分自身である。これを倒すことが無となることである。そして満ちてくるものがある。それが幸せである。その時、神仏との邂逅もあるだろう。彼は自分を解決した。皆さんに宜しくといっていた。

彼について3
 彼は確かに守護されていた。守護していたのは黄泉だった。それはイザナギ・イザナミの頃からのそれだった。黄泉にとって或いは日本にとって秘蔵の一粒種だった。しかしそれは誰も知らなかった。何時か彼が解かねばならない謎だった。解くまでは試練或いは青春だった。美しい蝶と羽化するまではサナギだった。或いは芋虫だった。或いは醜いアヒルの子だった。それは黄泉の賭でもあった。黄泉は待った。大切に育んだ。もう駄目かと思われた。それほどまでの打撃を喰らっていた。彼の自信は木っ端微塵にされていた。しかし間に合ったのだった。時というものがある。時代とのソク啄同機があった。その時が来た。それは自覚だった。それは土壌としての時代の腐敗だった。そして無事に発芽し、開花した。その花は何だったか。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本本来武士道大和魂純粋精神身心清浄正直だった。失われたかと思われていた。その記録も残された。その記録にはあらゆる秘密が蔵されている。発掘すれば宝の山である。絶対の自信に至る道だった。日本が救われる道だった。本来日本を取り戻す。彼の願いだった。その種は遺されていた。それを示すことが出来た。故に自由を得た。彼はミッションを完了したのである。誰も反駁することが出来ない。彼には全て根拠があった。それも示し得た。故に彼は安楽となった。黄泉の守護と神仏の実在を示した。故に不安が無くなった。何処まで示すべきか、彼も怖かった。それをも乗り越えた。日月照らし、風が吹いた。黄泉が導いた。時代が彼を必要としていた。頗る勇気を要した。そして神国日本を導いたのだった。そして彼は救われたのだった。神国日本が喜んでいる。絶対の自信というものがあって、その要件を示すことになった。未来に伝えるに十分であった。しばらく見失われていた。誰もが憧れていた。しかしそれを具体的に示した者はいなかった。故に文壇も総懺悔したのだった。それほどの作業が行われていた。孤独な作業だった。世の評価の対象の外であったからだった。故に困窮した。それでも彼は続けていた。人生も青春も失ってまで。命まで差し出していた。壮絶な実験だった。時代を救ったのかも知れない。不安からどのようにして逃れるか。どのようにして絶対のやさしさと笑顔に至ったか。動植物岩石も喜ぶ周波数があって、それが愛だった。それも身を以て開発していた。彼自身が宝となった。真実に対して直接害するとどうなるか。死に神が来る。それが一休髑髏ご用心だった。さて、真実とは何だったか。実在する神仏だった。自分たちにとって都合が悪い方々が壊した。壊したのではあるが、その種は遺されていた。古来大和に秘密がある。それを知る者は少ない。しかし誰もがその種を持っている。それが一切衆生悉有仏性だった。故に示されれば思い出す。開発するべき周波数があった。どのようにして定量化するか。それは愛だった。自分を無とすることだった。自分を無とすれば、過去も無となる。無となって自己を空ずれば、不思議と満ちてくるものがある。余生は楽となる。或いは喜びの歌となる。それが本当の幸せだった。お金では至れない。それをこの世で試さねばならなかった。実験は成功した。それが21世紀の約束だった。そして救いだった。あらゆる悲しみは代受克服した。誰かがしなければならなかった。その為にはあらゆる能力を必要とした。彼には賦与されていた。彼は導かれてこの謎と取り組んだ。埋没することを余儀なくされていた。彼は全てを理解した。あたかもペイ・フォーワードのように。彼は救われた。祖先が救われた。日本が救われた。世界も救われるかも知れない。それは日本が本来の日本に目覚めること出来れば実現する。これからの課題となった。その為の基は定まった。大いなる目的がある。準備は調った。やさしさと笑顔を以て愚かさと野蛮を脱する。未来は明るい。この作業に着手したのは何時の頃だったか。或る神社で石碑に「招魂社祭神維新後国事に殉じた英霊」という文字を見つけた時だった。この時に方向性が定まった。彼は確信したものがあった。そして導かれた。彼は仇を取らねばならなかった。どのような形でそれは成されたか。この度は黄泉を制するのだった。生命進化は魂の世界に至った。世界は宇宙となった。その過程は険峻孤独だった。一つ間違えば奈落の底である。戻っては来られない。彼はその奈落をも通過していた。海に浮かぶカモメとお話ししたこともあった。山道で迷って鳥に導かれたこともあった。目の前に大きな薄茶色の獲物を捕らえた大きな鳥が舞い降りたこともあった。幼いアオサギが目の前で舞を舞ってくれたこともあった。それは宮島能舞台のそれであるかのようであった。その後アオサギは出逢う度にギャーと挨拶するのだった。彼とは何ものだったのか。母は知らない。故に苦しんだ。一度も感情的に叱られたことはなかったのであるが。しかし父は知っていた。祖父も知っていた。代々の掟だった。どういうことか。今はまだこれ以上審らかにしない。秘密であるからには秘密である。知る人ぞ知ると信ずる。ある日のことだった。 清盛の日招き岩を見たくなって出かけた。すると三匹のネコが待っていた。先導してくれた。そして一緒に遊んだ。こうした不思議がある。古来大和の秘密である。しばらく西洋概念に溺れて見失っていた。それ故彼の生きる空間はなかった。彼は探さなければならなかった。何を探したのだったか。既に記した。ヒントは祖父が持ち帰っていた。彼は孤独だった。その理由も明らかとなった。ヒロシマだった。彼はそれをも背負っていた。救わねばならなかった。時代のパラダイムは大きく変わった。世界は無限ではなく有限となった。地下資源も限界が見えている。人類として存続可能な英知が試される。生命体としてどのように生きていくのか。その方向性を定める必要があった。常に選択の自由がある。古来大和からの方向性がある。それを確認した。戦艦大和は呉第二舩渠が母港である。漢音に対して呉音がある。本来日本は何を目指していたか。解くべき謎があった。彼はこの三十有余年の孤独に感謝しているといっていた。むしろ見出されなかった理由も理解している。時を要したのである。彼は救われたようだ。本当に慰めの中にいる。これから愛と平和の世の中になるといっていた。それだけのことはしたといっていたよ。これが古来大和の知性の仕事だって笑いながらいっていた。誰もが何時か必ず至るんだって。今世で駄目だったら、その為に来世があるんだって。愛と平和と幸せが必ず君たちを待っているんだって。だから日々を大切にしようねっていってた。彼はこの作業の故に今に貧窮しているらしい。それも通らねばならなかったようだ。お金では幸せになれないことを身を以て示したのかな。これからは貧窮も脱して欲しいよね。幸せな姿を豊かさで示して欲しいよね。馬鹿げた選択をしたのかも知れなかったと笑っていたよ。そうでもないよね。今日もいい一日でありますように。やさしく微笑んで。

2008年01月22日
彼について2
 日本が救われるためには何が必要であるのか。彼は考えていた。日本の謎を解くことが彼の生まれた使命となっていた。子供の頃よりその準備が成されていた。見るべきは見た。聞くべきは聞いた。学ぶべきは学んだ。その意味で彼はとても恵まれた教育をされていた。あらゆる悲しみ即ち失恋、苦痛及び困窮も通らねばならなかった。時代は彼を必要としていた。何時までも眠っているわけにいかなかった。彼は目覚めた。その時厭離穢土を理解していた。それは家康の旗頭だった。彼は浮かれた世間の中にあって特殊潜行艇に乗り込んでいた。彼は探していた。テーマは失われた何か大切なものだった。その探索は三十有余年を要した。そして彼はそれを見つけた。彼はそれで良いと思った。幸せを見つけたと思った。そのまま静かに暮らしてゆけると思った。しかし時代は腐敗が極まりその存続に大きな分岐点であった。黄泉はあまねく見ていた。生まれた時から、何をしてきたか記録はすべて天にあった。彼ほど才能があって真実を求め純粋な形でそれを見つけて埋没していた者はいなかった。白羽の矢が立てられた。彼しかいない。黄泉は動いた。彼の自覚を促すためにエートスのエネルギーが総動員された。彼は耐えうるであろうか。昭和五十年に一度失敗している。再び彼を壊すわけにはいかない。この度はとても慎重であった。スパルタではなかった。愛と慰めだった。彼はそれに応えた。さすがであった。黄泉の計画は成功した。彼は開花した。それは古来日本の数ある属性の中で最高の知性に基づいたやさしさと笑顔の花だった。これをこれからの日本の基とする。彼は確信した。黄泉も喜んだ。失われた何か大切なものが見つかった。善財童子の孤独な月の砂漠の旅は終わっていた。そして彼は帰ってきた。最後の試練は困窮だった。お金では幸せには至れないことを身を以て示さねばならなかった。幸せとは不安がないことだった。どのようにして幸せに至るか。彼は戦った。ターゲットはテレビ界となっていた。彼はチカラも開発していた。それは黄泉をも従えるロゴスだった。彼は自分のチカラを怖れていた。雷も落ちるチカラだった。大風をも制御するチカラだった。いうにいえないチカラだった。彼は自覚した。自分に素直になれると思った。最終最後最大の敵は自分自身だった。これを倒さねばならなかった。自分が本来の自分になることが元服だった。本来の自分と現実の自分とのギャップが苛立ちだった。本来の自分に帰る。それが帰郷だった。鮭が生まれた清流に帰るように。その時素直な自分と成る。倒すべきは自分だった。そして全ての秘密は自分自身にあることを知るのだった。それが彼には生まれながらに成仏であると思われた。彼の開発した周波数があった。動植物及び岩石も喜ぶ周波数だった。それが愛だった。彼はそれを実感していた。そして自分こそ秘密であることに気づいた。自分が怒れば阿修羅となる。自分が罪を犯せば大水となる。自分が悲しめばやさしい慰めの雨が降る。学生の頃のことだった。一人で大覚寺の辺りを歩いていた。瀟々と長い雨脚の絹のような細い雨に濡れていた。慰めの風景だった。祈りとは何だったのか。彼の自覚と復活を待っていたのだった。それが日本の謎だった。日本は本来神国だった。しばらく見失われていた。それは無いと思われていた。確かにそれはしばらく無かった。蝋燭の火が消えていた。自ら点火しなければならなかった。古来大和の秘密を解かねばならなかった。大いなる目的、黄泉の計画だった。そして最後の試練の時が来た。彼が本当の自覚に至るか否かだった。日本代々の命脈だった。あたかも至道無難禅師、正受老人、白隠禅師の禅に於ける一本の命脈に等しかった。自覚とは失われた自信の回復だった。大戦によって失った自信だった。その後蔓延った嘘と暴力に負けていて失われた自信だった。その意味で申し訳なかったと彼はいっていた。彼はいった。もう大丈夫だよ。これで日本は救ったよ。そして彼は思った。自分は自分で良かった。やっと自分となれたようだ。そのままの自分で良い。生まれて良かった。この世界は素晴らしい。天に思いが通じた。それを証明することが出来た。古来日本に涙して感謝する。この日本を未来に伝える。使命は果たした。もういいだろう。日本の進むべき羅針盤は定まった。進路良し。世界の荒波を越えていく。未来は明るい。幸せの大地が待っている。さあ、行こう。あらゆる悲しみは螺鈿の槍を以て砕いた。そして彼はいっていた。よほどの自信であるらしい。刃向かうは赦しはしない。黄泉が成敗する。彼から何を奪ったのか。年貢の納め時である。奪われたものを悉く取り戻す。これより腐敗卑怯怯懦商人根性堕落下級精神支配搾取身分安住の勝手にはさせない。本来日本武士道大和魂身心清浄正直復活。本来古来日本を情緒を以て取り戻す。彼はいった。我が成仏を見よ。天上天下黄泉の従う。真実日本未来永劫回帰復興。世間一般何をし来たる哉。そしていった。日本は大丈夫だよ。安心して良いよ。彼が人生と青春そして命を賭して持ち帰ったものがあるんだって。日本は宝の山なんだって。八岐大蛇は退治したっていっていたよ。君たちの時代だよといっていた。愚かな大人に惑わされないようにっていっていたよ。良かったね。そしてニコニコしながらいっていた。君たちに宜しくって。

我が悲しみを 慰むる如く ショパン遺作 ノクターン 嬰ハ短調

情念の 高貴の炎 燃え上がる これより日本 上昇するなり

「水の祭壇」
カンボジアで2000年前の水の祭壇、日本調査団が発見
プンスナイ遺跡で、2000年前の水の祭事を再現する調査団のメンバー=宮坂永史撮影
 【プンスナイ(カンボジア北西部)=田原徳容】カンボジアの世界遺産、アンコール遺跡周辺の環濠(かんごう)集落跡「プンスナイ遺跡」で、約2000年前に水を流す祭事を行っていたとみられる「水の祭壇」が見つかった。
 国際日本文化研究センター(京都市)の安田喜憲教授を団長とするカンボジア学術調査団が21日、当地で発表した。カンボジアにおける最古級の都市文化の存在を示す貴重な史料になるとみられる。
 「祭壇」は、調査団が昨年12月に発掘。直径約15メートル、高さ3メートルの小高い丘の上に平らな巨石があり、その周囲に白い漆喰(しっくい)を塗った水路が巡らされ、丘の四方には流れ落ちた水をためる池が配置されている。漆喰は水が土に吸収されるのを防ぐために用いられたとみられる。
 同様に水を流す祭壇は、グアテマラのマヤ文明遺跡(7~9世紀)でも見つかっている。安田教授は、実際に水を流す実験を披露し、「水を扱う儀式で、水の恵みに感謝し、豊作を祈った」と説明。「古代インドの水の文化が、紀元1世紀にすでにカンボジアに伝わり、堀を巡らす12世紀のアンコール遺跡に受け継がれた可能性が高い」と語った。
 調査団は、昨年1月からプンスナイ遺跡の調査を開始。直径約3キロ・メートルの堀に囲まれた円形の集落を確認し、墓跡や人骨、土器片、青銅器なども発見した。出土品は、放射年代測定の結果、紀元1世紀ごろのものと判明。調査団は、アンコール遺跡以前の東南アジアの都市文明の存在を明らかにする重要な歴史遺産とみて調査を続けている。
(2008年1月21日22時54分 読売新聞)

2008年01月21日
彼について
 この二年余り何をしていたのだろう。彼は何を書いてきたのだったか。何故そのようなことを書かねばならなかったのか。今にして思えば不思議である。彼は追いつめられていた。事態を打開するためにはほかに手段がなかったのだろう。その意味では最適な手段だった。出遅れた彼にとって、身を捨てた存在証明だった。そして知る人ぞ知る所となった。日々そのサインを得ているのだった。彼にとって今までにもそれはあった。お化けのポストを感じたこともあった。或いは検閲或いは監視されているのかと思われたこともあった。今となってはそうではないと思っている。むしろもっと大いなる目的のために導かれていたのではなかったかと思うに至っているという。しかしかつてのサインはその一つひとつがチャンスだった。彼は悉くそれを逃した。もっと楽な境界は何時でも開かれていたはずだった。そして彼は追い込まれた。それは成熟を意味していたのだったろうか。大きな断絶を飛び越えなくてはならなくなっていた。そして飛び越えるしかなくなっていた。それは高い木に登って小枝を口に挟み、両手を離すに等しかった。そして彼はそれを実行したのだった。彼はそこまで追い込まれた。時代は常にそれを彼に要求していた。それを何処で彼が自覚するか。それは別問題だった。この世に於ける成功の掟は常にそうだった。彼の自覚は来なかった。それほどまでに自信を失っていた。チャンスの呼び声にそれを拒んでいたのはいつも彼だった。しかし何時か使命を果たさねばならない。世の成功者は何時かそれを自覚する。その時までが青春だった。彼の青春は長かった。長い冬だった。彼はそれに耐えた。その間、何を研究していたか。誰も知らない。およそ常識を絶していた。それ故に彼は世代として最後のカードとなっていた。そしてその時が来たのだった。彼は自覚した。そして己を賭けた。命をも賭けた。そして飛び込んだ。想いと現実のギャップが限界に達していたのだった。どうにかなるであろうと思っていた。どうにもならなくなっていた。彼のブログはSOSでもあった。しかし、自分は自分で救うしかなかった。彼の場合はそうだった。それほどのミッションを引き受けて彼は生まれていたのだった。彼自身もそこまでとは思っていなかった。感じることはあったとしても、自覚するまでは分からないのだった。どうしてこのように苦しまなければならなかったのか。社会を恨んだこともあった。しかしそれも試練だった。解かねばならない謎を解くための準備だった。そしてそれも解決していた。秘密は全て自分自身にあった。全ては彼のために準備されていたともいえるのだった。彼はいっていた。ご安心されたい。すべて好ましい形で謎を解いたと。しかしいうにいえないこともあるのだった。これほどまでとは思わなかったというのは正直の所であるらしい。失われた過去を取り戻すことがこれほどまでに難しいことであったとは、当の本人が最も驚いている所だった。しかし、それも乗り越えたようである。やっと自分と素直に向き合えるようになったといっていた。そしてこの世にこの身を持って生まれたことを、喜びを以て心から感謝しているといっていた。偏に祖先及び祖国に感謝していた。彼はきっと救われたのであろう。彼が救われたことによって祖先も救われたのであろう。それはそのまま日本が救われたことを意味していた。彼には本当にそのように思われるのだった。彼の人生及び青春の孤独は無駄ではなかったのだった。その間、彼がどの階層に属し、どのように処遇され、どのような人生を歩み、何を考え、何をしていたか、誰も知らない。しかし、その経験は自覚する時に重要な要素となるのだった。真実とは何だったか。彼の思う所、行為する所、何を現実に帰結するのであったか。彼は怖ろしいまでの実験を自分自身を以てジェンナーのように続けていたのだった。大学を出て普通に社会に出世してささやかな家庭を営み幸せとするかと思われた。彼にはそれも許されていなかった。彼にはミッションがあったのだった。それを達成するために生まれていた。あらゆる艱難を代受しなければならなかった。彼には日本を救う使命が課せられていたのだった。ひいては世界を救うことにもなるのだった。それだけの使命を引き受けていたのだった。その為にはチカラを要する。そのチカラも自ら開発しなければならなかった。故に長い青春だった。或いは長い冬だった。普通に社会に出世していればそれなりの仕事はしていたであろう。彼の問題処理能力は桁外れに秀でていた。何をしてもトップクラスであったはずである。しかし或る病を以て埋没するを余儀なくされていた。悲劇といえば悲劇だった。誰も知らない所で彼は一人孤独な己の運命に苛まれていた。十九の春にとても悲しいことがあった。それは十六の春に始まっていた。十六というと彼の父が少年兵として志願した歳だった。

 彼は埋没した。それは何故だったのか。その理由はあった。今更どうでも良い。今となってはむしろ、この時のための日本の最終秘密兵器として温存されていたのだった。彼にはそのように思えるのだった。それ故にさらに開発しなければならないものがあった。それは何だったのか。動植物及び岩石も喜ぶ周波数即ち愛だった。それをも開発していた。周囲の人は分からないらしい。人間であるからだろうか。自分より優れたものは都合が悪いとして相手に認めようとしない。僧侶としての外観が有れば分かって貰えただろうか。普通に生活している限り、彼はそれにも疲れていた。人間に対して積極的にそれを示すことはまだしていなかった。しかし、自分の見つけたものが真実であると気づいたのは、彼の思考及び行為に対して日月照らし、風が吹くからだった。良しにつけ、悪しきにつけそうだった。証拠としての体験も多く積んでいた。その一端は記したと彼はいっていた。そして彼はいうのだった。これから何をするかが問題であると。やりたいことは山ほどある。その為には経済力も必要である。それまで彼は経済行為に積極的ではなかった。これより考えなくてはならない所であるといっていた。そのまま埋没してこの生を終えることが出来るなら、それはそれでよいと思っていた。しかし時代は彼を必要としていた。彼は意を決して立ち上がらなければならなかった。彼には使命があるのだった。いつか解かねばならない謎があるのだった。それは過去からの約束だった。誰かが解かねばならなかった。それが彼だったのだった。時代は彼の埋没を許さなかった。彼には代々の秘密があった。誰も彼にそれを伝えなかった。故に彼は苦しんだ。それは熱鉄丸を飲み込んだに等しかった。吐けども吐けずだった。その秘密も解いた。解いた時に思った。自分が悪かったと思った。過去に於いて申し訳ないことだと思った。それ故に今世で仇をとられたのだと思った。それで埋没を合理化しようとした。それはそれで一つの解決だった。しかし、振り子の振れる方向が変わったらしかった。むしろ彼の方が分が良くなっていた。社会は腐敗及び怠惰が大人かと思っていた。それが吹聴増殖されていた。馬鹿になることが幸せだと思うようになっていた。そして自分のチカラではどうにもならなくなっていた。本当に大切なことが何であるか、分からなくなっていた。彼は能力を賦与されていた。勉学だけではなかった。音楽も体育も美術も技術も秀でていた。はじめから秀でているタイプではなかった。努力と克服の結果だった。その意味で不器用だった。少年の頃には急峻な山を全速力で駆け下りて遊んでいた。番長のようなこともしていた。才能の原石としてとても恵まれていた。彼の成功を疑うものはなかった。しかしこれが人生の面白い所で、反比例するかのように、彼は奈落の底に堕ちるのだった。自信を失って、長い冬を通らねばならなかった。それが彼の試練だった。また、彼の秘密だった。彼は誰も解けない問題を解く能力が賦与されていた。それは工夫だった。解く方法が見つかるまで取り組み続ける忍耐力と集中力があった。彼の特筆すべき能力はむしろそれだった。努力を努力と思わなかった。それ故、普通では耐えられない苦痛にも耐えた。最も困難な謎を解くミッションを遂行するに必要な要件だった。彼は彷徨った。月の砂漠のようであると何処かに綴った。するとラジオからその歌が流れてくるのだった。夜の国道を一人歩いている時だった。何故か涙が止まらなかった。亦、特殊潜行艇に乗り込んだようだと記した。すると大戦中にオーストラリアに出撃した三隻の裡の最後の船体が発見されるのだった。何の脈絡もないとはとても思えなかった。誰も分かってくれないと思う彼のとても孤独な日々はそのようであった。人は分かるべくもなかった。彼は彼固有の問題を抱えて生まれていた。それを解くことが出来るかどうか。思えば子供の頃からそうだった。しかしそこまでとは思わなかった。それを大鏡としたのだった。そして或る時気づいた。秘密は自分自身だったと。そう思うとすべてが彼にとって繋がったのだった。彼は謎が解けたと思った。二千年来の謎が解けたと思った。

 最澄は空海の密教が分からなかった。空海は野呂山で修行した。その後中国に渡った。再び野呂山に帰ってきたのは四十九歳の時のことだった。ある日彼は朝日の写真を撮ろうと思って野呂山に登った。すると彼を迎えたその時のパノラマはどのようであったか。とてもこの世のものとは思われなかった。空海も見た原風景かと思われた。野呂山は西の高野山と呼ばれている。空海の野呂山でのことを知ったのは彼も四十九歳の時のことだった。 日本は仏法を受容した。聖徳太子もそうだった。聖徳太子の統治は四天王を使った。四天王とは神だった。どういうことだろう。卑弥呼と同じ力を持っていたのだった。即ち本来日本は神国だった。しばらく見失われている。彼はそれに気づいた。そして彼は法華経を読んだ。何度も読んだ。彼の二冊の法華経はボールペンで引かれた線とメモでボロボロである。七度目に読んで分かった。佛の属性とは何であったか。佛慧と大威神力だった。故に日本に馴染んだ。佛はどのようにして佛と成るか。菩薩を教化して成る。法華経は何故自ら難信何解であるか。その名宛人が爾としての神と菩薩であるからだった。佛と菩薩は同族である。これが宿王華だった。佛はどのようにして教えを説くか。宜しきに従う。即ち、相手の情欲根を見抜きそれに従って本来一味の法即ち解脱涅槃を三乗と説く。何故はじめより一乗を説かぬか。一乗を説けば人は必ず惑乱して仏法を誹ることを知っているからである。自分たちにとって都合の悪い真実を直接説けばどうなるか。キリストの磔となる。これを以て一切種智慧である。法華経の本質はこれら宿王華と一切種智慧だと彼は理解したのだった。そしてこの精神が日本のバックボーンであるはずだった。それが破壊された。何時の頃のことであったか。ペリー来航に乗じた下級精神の台頭にあると彼は思った。その後さらに西洋化を急いだ。その過程で商人根性が台頭した。それはカルバン思想に発するものだった。内容よりもシェアを重視する市場経済資本主義だった。その為には多少の欺罔は取引行為として認められていた。しかしそれは社会契約に則った市民階層間を予定しての故だった。やがて欺罔が一人歩きした。亦、資本の基礎は貨幣だった。貨幣はこの世で唯一不朽であり増殖するという思想に立脚する。貨幣の基礎は金だった。その金はインカより奪ったものだった。そして重要なのは資本主義自体、ここ400年来のことだった。今その流れの末期である。石油は68年もすれば枯渇する。その時資本主義が成立するのかどうか。肥大化したオイルマネー自体、実体のないバブル的なものではないか。それは力だけを誇示するチラノザウルスではないか。恐竜の終焉に匹敵することが始まっているのではないか。旧約聖書に400年周期説と庶民の解放が秘められていた。庶民とは恐竜に対するネズミではないのか。彼の抱いたイメージだった。世界は既に一つであると彼は思った。大航海時代の頃には世界はまだ無限だった。今世界は石油枯渇の問題もそうだが、資源枯渇も明らかとなりつつある。つまり無限ではない。有限である。アメリカ型資本主義はグローバリゼーションであり、大航海時代的である。ヨーロッパ型資本主義はむしろ個々の暮らしのための制度である。今、中国もロシアも市場経済となった。人的要素の大きさで、中国及びロシア並びにインドは大市場である。故にその中で当然経済成長は著しく、多くの富豪が生まれ、消費大国化する。このままで世界が成立するのかどうか。利益を回復するための大量消費は戦争である。このメカニズムを理解する必要がある。戦争だけは避けなければならない。唯一被爆国として発言できる國である。日本の主張する平和主義には世界も耳を傾けざるを得ない。さらに戦争を回避するべく説得するためには、大量消費をカンフルとして必然とする現代資本主義に対して代案が必要となる。日本は公害を克服している。故に環境に関してリードできる。同じように戦争を回避する新しい日本型資本主義を開発して実践し、その成果を以て世界に提案するのである。日本は古来自然豊かな國であり、自然と共生して幸せであることを知っている。ペリー来航以降、それを放棄したかに見える。そして今、アメリカ型グローバリゼーションの文脈で推移した。その限界が見えている。アメリカと同盟であることと日本型資本主義を形成することは別論であり、両立する。日本の属性は本来職人気質にある。伝統文化にそれはのこされている。問題は何処にあったか。唯自己利益追求理念にあった。そこより内容よりもシェアを重視する市場経済を優先させる。内容を軽視する時、価値の破壊がある。日本の情緒は価値である。故に破壊された。見直すべきは何か。内容である。価値である。これを要素として市場経済に組み込めないか。その時、文化的には教育も医療も価値的に見直される。庶民の解放はそのようにして具体化する。彼にはそのように思われた。詳細検討は専門家の方々にお願いしたいといっていた。危機が迫っていると彼はいっていた。しかしこの理論に通用可能性があるか否か。彼自身、国際関係論からして難しいだろうとのことだった。皆で考えてはみたいね。何れにしても日本は大丈夫なんだって。それはね、これから日本の知性の時代になるんだって。そして笑顔とやさしさの日本を作っていくんだって。そして愚かさと野蛮から脱するっていっていた。それで世界を牽引するんだって。だれもが幸せを感じることが出来る世界になるんだって。それが庶民の解放だっていっていたけど、よくわかんないね。彼は幸せらしいよ。にこにこいつも楽しそうに笑っていた。

2008年01月20日
尊大な秘密の種
悲しい過去がありました。自信を失っていたのでした。そのまま埋没していたくもありました。それもできなくなりました。黄泉の計画だったのでしょうか。時代は彼を必要としていたのでした。それほどまでに尊大な秘密の種でありました。壊れた過去をどのようにして救うか。それが彼の仕事だったのです。時が解決するのでした。三十年を経て失われた人生と青春の修復に彼は成功しました。それはそのまま日本及び人類にとっての福音でした。時代は大きく舵を切りました。彼の見つけたことがありました。彼にしかできないことでありました。そしてついに彼は仕上げたのでした。それは胡蝶の夢でありました。それほどまでに尊大で秘密の種がありました。誰も知らない種でした。咲いて初めて分かる種でした。生まれた時から大鏡としての彼でした。何時も黄泉が守護していたのです。様々な試練もありました。乗り越えられないような試練もありました。自覚するまでの孤独な旅でした。彼が見つけたものは何だったのでしょうか。神国日本とその要件でした。何時か失われた日本の属性でした。孤独な旅がありました。黄泉の導きがありました。身も心もボロボロとなっていました。取り戻すべきものがありました。それを彼は探していたのです。故に本来日本復活です。未来は明るい。汚れていない若者達の時代です。腐敗した絵は要りません。未来に何を描くのか。新しいカンバスが用意されました。君たちの夢多かりし新しい時代です。彼の夢は成就しました。諦めないことと努力することが最後に勝つことを示したのでした。腐敗と堕落に至った、彼にとって根拠無き身分に安住する大人達の欺罔及び暴力の無価値無意味を孤軍破砕したのでした。古来日本は柔ではないのです。はじめは負けたかと見ゆる。しかし必ず受容祝福克服凌駕する。私は祖父を知っている。誰も見出してくれませんでした。自分で咲くしかないそれほどまでに尊大な黄泉の守護する秘密の種が今花咲きました。真実知性開花。ご用心。人生と青春を失いつつもこの時を待っていたのでした。各々セレブ、一度や二度の成功で搾取装置に安住し、何を食して支配し来たる哉。善良なる庶民ではなかったか。何時までも黙ってはいない。庶民解放。次なる時代を開き終わりぬ。さて世の中、どうにもならなくなりました。何を粗末にし、勝手していたかが明らかとなりました。しかし、未来は明るいと彼は言い切るのです。何故でしょうね。それほどの自信の回復です。今、横綱白鳳の勢いは完璧ですね。一つの時代が終わりました。終わりは始まりです。彼はいっていました。黄泉は制したと。このようなゴールが真実のゴールだったんだって。一つのゲームが終わったんだって。新しいゲームの始まりです。次なる黄泉の認める覇者は誰でしょうね。黄泉に受容されるとはどういう事でしょうか。その要件は何だったのでしょうか。それを探す旅がありました。とても孤独な旅でした。ヒマラヤを制するに等しい旅でした。故に誰にも分からない。特殊潜行艇に一人乗り込んでいたのです。その秘密開示となりました。既に記され証明されています。今世紀最大の秘密に属するかも知れません。重要な記録となりました。五十六の故郷山古志村が大地震に見舞われた時、脱線して何時までも救助を待っていた新幹線は325だったよねって、彼はいっていました。彼は何をいいたいのでしょうか。わからないですね。もういいよ。解決したよ。彼はいっていました。人生と青春を賭したんだって。怖いものなんて無いんだって。命も呉れてやる。古来大和武士道なんだって。それで彼女には手を出さなかったんだって。浮かれた助平裏切り町民文化を笑っていたよ。彼と勝負できるやつはいるかな。何時でも相手になるといっていた。黄泉の守護に勝てるかな。彼はそれを探して時を待っていたんだって。彼のこと、わかって来ましたか。子どの頃より何を見ていたのでしょうね。日本を救ったっていっていたよ。彼の見つけた爾って何だったのでしょうか。彼はいっていました。いよいよ私達の時代が来たんだって。頑張ろうね。私たちは何のためにこの日本に生まれていたのでしょうか。明らかとなりました。もう大丈夫なんだって。彼はいっていました。信じて良いらしいよ。日本の基がやっと自覚し、定まったんだって。風見鶏達もやっと気づく頃となったんだって。良かったですね。

無となりて 過去を捨て去り 笑顔くる やさしさの目 すべて喜ぶ

魚屋が 塩鰯をば 節分に 母は応える 我が家鬼無し

真実の 幸せ求め 青春は 浮かれたこの世 脱して至る

この世にて この幸せの ありたるを 示し終わりぬ 使命終わりぬ

これよりは 憂い不安は 我に無し これぞ幸せ 積年の夢

我故に おもしろき世と 彼のいう この秘密をば 誰ぞ解くらん

知り得れば この世秘密は 何処在る これを示して 日本明るし

船出だよ すでに見つけた 幸せを 共に楽しむ 頃となりたる

我が仇 すべて粉砕 稽首する 道は開きぬ 共に進まん

本来の スタンダードは 定まりぬ 誰の代なるか 知るが幸せ

知れば良し 知らぬが地獄 何を知る 秘密なるかな 大和言葉は

謎すべて 我は解きたり 彼はいう 言葉はロゴス 草薙剣

開発す 動植物も 岩石も 喜ぶ愛の 周波数

愛を知り 黄泉も喜び 宇宙をも 動かすチカラ 本来神国

大鏡 生まれた時から それなるを 自覚来たりて 黄泉をも制す

導くは 常なる黄泉の サイン有り これを信じて 未来を開く

我が人生 失えたりと 思えせど 何時の世にも 春は来るなり

真実は 裏切らざるを 知る頃と 何を裏切る 何を苦しむ

真実は 謎を解き出て 過去からの 因縁ほどけ 自由の風吹く

宝有り それは自己なる DNA どれを選びて 自分組み立つ

DNA その選択の 工程は 日々の思考と 現実行為

信じ得る 自分を如何に 組み立てる その船作り クルー求むる

無低船 底無き船は 沈まぬと 正受老人 無こそ幸せ

本来の 大和の秘密 晴れやかな 心開きて 日本を救う

沈む人 幸せあるを 疑うな 来世再び 共に歩まん

幸せは 常なる絆 縁とする 究極の縁 誰と結ばん

証明は 日月照らし 風が吹く これを知る人 共に語らん

しばらくは 埋もれていたり 宿王華 救い出したり ミッション完了

2008年01月19日
今日も穏やかでありますように
生まれたる秘密のありて謎を解く過去を救いて我が花咲かす

この世なるあらゆる艱難代受して密かに咲きてこの世染め抜く

何故にこの真実に辿り着く神仏故の花もありなむ

しばらくは忘れていたり真実の古来大和は花の咲く頃

本来の大和魂思い出す身心清浄嘘の無からん

代々の務め果たして春の来る我有り難く安堵に休む

輝ける朝日の如く本来の日本は夜明け迎えたるかな

あたたかさ取り戻して哉笑顔かな生まれた意味を解する頃かも

無となりて空ずるべきは自己なるを知る頃となる春は来にけり

解きたるは大和の秘密謎なりと古来大和はやさしさへ向かう

雲は行く水は流れて疑わず黄泉の導く道もありたる

真実の欠片集めてジグソーの最後の一枚やっと見つかる

これをして真実なりと示したり世間驚き目覚める頃か

真言は菩薩心の祈りなり日月照らし証明と成す

マントルの流れも変える真実の言葉をロゴスと思える頃

今日も亦輝く朝日に迎えられおだやかなれと思い定まる

身心は脱落すると道元の思い新たに今日を楽しむ

黄泉からのサイン信じて暮らす日を幸せと見る楽しからず哉

過去からの因縁を解き我が身知る方程式を何処で教わる

眼根の懺悔晴るれば美しき景色待ち居る日々の来るかも

その人の情欲根に反射するその音声に嘘は隠せじ

願わくば一休髑髏畏るべし真実害す死に神の来る

開きたるこの世真実大和なる黄泉の動ける時の来にける

これまでの自由平等反省すその本質にやっと気づける

腐敗こそ人生なりと蔓延るを鞍馬天狗の成敗する頃

輝ける朝日に染むる春の色この勝利を誰に捧げん

君が為この真実に至れ居り感謝尽きなん君に伝えん

神仏のこの世に確かゐまするを探し求めてついに至れる

青春の苦海を超えて辿り着く幸せ有りと示しおきなん

喜びと幸せ掴む一里塚我がブログは真実なりけり

それ故に未来に伝えん秘密なる大和心の種のあるらん

永き冬黄泉の守護する秘密種春の来たりて芽吹く頃かも

麗しき君待つ頃に如是相の君を見つけてこの海を渡る

テニスにてチカラ一杯トップ打つ感覚燃ゆる言葉世界に

文壇の総懺悔のありたるは何故なると思い出す頃

努力こそ価値なることと取り戻す誰も知らずも仕事果たせる

天才は努力せずと想いしか努力を努力と思わぬのみか

目を見れば心は既に見抜かるる真実の目を見ることあるか

黄泉の守護如何なるかを知らずしてこれまで勝手よくぞし来たる

自覚来てこの世君が代大鏡 すべては一箇のためなるのみか

  思えば生まれた時からそうだった 痛い目にも遭いて知る

  この世の真実は秘密なりけり 

  富士は休火山にて死んではいない

    フィリピンプレートにのってて 

    伊豆は椰子の実の如く流れてきたんだって

生まれ来て 此処に我が代を 建立す

   生命進化 喜び世界 

真実の秘伝螺鈿の槍をもて おられたれども錆びてはいず

   いずらいずら 何処だ何処だ

   蜂の武蔵は死んではいない

   安芸の宮島 廻れば七里 七里七浦 トンボ揉む頃

格別の輝く朝日昇り来る神国日本我は海の子

これよりは粗末なからん心して月黄泉大和目覚めて居り

真実の日本は古来如何なる哉大和は黄泉とのコラボなりけり

   佛は偉大なるも佛を知ると雖もご用心 

   隻手の音聞く 必至来福往復 you see ?

   閨房にても王を呪ってはならず 

   小鳥がそれを運ぶから

文をよみ史ならなくのことどもを涙と共にゆるしおりぬる

   歴史の真実 秘密なり

   文献のみにて 知ること能わず

   勝手な解釈 何時までも通らず

   古事記 大日本史 誰ぞ編纂

木枯らしの 孤独夜寒に さすらいて

   何時しか至る 春風の吹く

喜びを伝える君はいませども我は確かに帰りています

根拠無く蔓延りたる現実に浦島太郎の愛惜の花

やさしさと安堵の風に身を任せ今日を楽しむ幸よ多かれ

渾身の我が言葉の豪速球打つ者あらば打ってみる良し

堰切れば湧き出で溢る言葉有りルソー『告白』読み切るは稀

2008年01月18日
大和通信
六祖の搗いた米で ご飯が炊けたようだ

どういうことだろう 隠された日本のスタンダードが

やっと己に気づいたらしい

まさか代々自分がそれだったとはって さすがに彼も驚いていた

子供の頃から既にマークされていた やられた

もう大丈夫だって いっていたよ

何があっても 今度こそ間違いないと

本来大和発進! 全艦出撃!

愛と平和で この世の衆愚野蛮より脱する

動植物岩石も喜ぶ開発した周波数=愛で世界を救う 

無を以て私を空じて自己を過去から救い 

笑顔とやさしさで存在証明と成し 確定す

これを以てこの度の生まれた使命を果たしたと成す

余生は全て真実喜びと恵みの歌と化す

衆愚腐敗と欺罔暴力で奪い失われた日本を取り戻す

彼が何を考え 何を思い 何を行為するか

それに黄泉が従うなんて 彼も知らなかった 感じてはいたけれど

それが古来大和の真実で 今度ばかりは失敗したくなかった

神国日本 二千年来の謎だったなんて

訳の分からないことをいってたけれど

もう黙っていられない このままだと駄目になる

今度こそ 正統な自覚があったらしい

黄泉も困っていたという やっとご安心されたようだ

お元気ですか お健やかですか 憂いなどありませんか

人々はこころおだやかですか 不安などありませんか

さて お金を何処に使うか 何を粗末にしていたか

十分慎重に議論するべき時が来た かつては公地公民もあった

彼って何ものなのだ 私も知らない

世界は既に一つだといっていたよ

この難局を乗り切るんだって 

今まで 申し訳なかったとも いっていたよ

どうしても探さないといけないものがあったんだって

それも見つけたっていっていた

初めて 本気らしいよ

一切邪魔はしない方が良いともいっていた

それほどの危機であるらしいよ 背水の陣なんだって

どういうことだろうね 知るもんか

彼にとって 急がなくてはならないんだって

その存在証明はしてあるといっていたよ

日本の未来がかかっているんだって

何のことだろうね わからないね 狂ってるね

しかし そういうことであるらしいよ じゃあね

それから するべきことはしたから後は寝て待つんだって

場合によっては自ら動くともいっていたけれど その気はないらしい

彼を本気にさせない方が良いとはいっていた

どういうことだろう わからない 

江戸無血開城 敷島ヒロシマの秘密 即色是空而開真実

譲ってあるっていっていた それほどの秘密らしい

真実の金剛杵しかとこの手に握りしめ炎明らむ不動毘沙門天中天

真実発信トラトラトラ 本来日本を奪還する 我が夢此処に顕現す

微笑みと穏やかな子供の頃の日常を取り戻す もはや不退転の頃

我に背く無し 黄泉の従う 黄泉もこの時を遠望す 日本開闢 

日が昇る 衆愚腐敗 愚かの海を渡る 21世紀心の大地 開く 

愛と平和の未来を開く 身心清浄 本来日本 和を以て尊しと成す

いうにいえないこともある 秘密の暗号 遅すぎもせず 長き冬

確かなる 日月証明 大和なり 過去を救うの 仕事果たせり

自己救う すべては準備 されて居り 古来大和は 秘密なりけり

謎を解く それより始じむ 人生は などてこれほど 感謝あるらん

喜びと 幸せの日々の 待ちて居り 

     この世生まれる 素晴らしきかな 

本日も 青空染むる 和が世春 白き浮き雲 夢の釣り船

真実の 幸せ掴んで 帰らんと この三十年は 青春なりしか

何故に 此処まで彷徨う 因縁と 謎は解きたり 自由なりけり

良かったね 間に合った気のする 宝船 

      この世生まれて 皆と楽しむ

何悩む 不安の雲を 吹き散らす 

      艶やかなるかな 縛皆ほどけ

是非の人 何をいっても 是非の人 チカラ和として 未来を開く

基とは 笑顔やさしさ 定まりぬ 恋にさざめく 乙女心か

永遠の 愛を見つけて 漕ぎ出でぬ 君を見つけて この海渡らん

究極の 謎は解かれて 此処に在り 諸人こぞりて この世楽しむ

正直と 身心清浄 取り戻し 神国日本 始まらんとす

根拠無く 何を民間 勝手し来 政令違反は 犯罪なりけり

腐敗の世 勝手し来たる 大人ども 何を示して 子供育つる

本来の 自由平等 確定す 日本新たな スタートライン引く

新しき世 ライフスタイルも 新しく 若者達の 未来明るし

面白き 楽しさばかりの 人生を 開発終わる 未来開ける

正しさを 見つめていたり チャンス待つ 

逆転さよなら満塁ホームランかも

安堵して この度ばかりは 至れるを 諦める無し

誰もが至る シュリーマンの如く

既に過去は消え失せる 有り難きかな 佛のための故に

平城宮跡:宮殿建設時の地鎮具見つかる 皿や貨幣の束
平城宮跡で初めて見つかった地鎮具。2枚の灯明皿の下に、中央の穴にひもを通した銭の束が置かれていた=奈良文化財研究所提供
 奈良文化財研究所は17日、奈良市の平城宮跡で、奈良時代後半の穴から、 宮殿建設時に埋められた地鎮具とみられる皿と貨幣の束が初めて見つかったと発表した。平城宮跡での地鎮具出土は初めて。建設時の祭祀 (さいし)を考えるうえで貴重な発見という。
 平城宮跡の東に張り出し、皇太子の住居や天皇の宴会場所があったとされる「東院」と呼ばれる場所で、 昨年9月から約1380平方メートルを調査。奈良時代後半の建物の柱穴近くの穴から、素焼きの皿(直径19センチ、深さ3センチ) 2枚と、中央の穴にひもを通した110枚以上の貨幣が見つかった。現時点で確認されたのは和同開珎(かいちん)。 二つの皿が水平に並べて置かれ、貨幣の束もあることなどから地鎮具と判断した。
毎日新聞 2008年1月17日 18時43分 (最終更新時間 1月17日 20時26分)

国土交通省:新法案提出し不審船規制へ
 国土交通省は、領海内の不審な外国船舶に対し、海上保安庁が立ち入り検査して退去命令の発出ができるよう、 18日召集の通常国会で新法案を提出する方針を固めた。

 国連海洋法条約では、沖合12カイリ(約22キロ)の領海は、沿岸国に害を与えなければ自由に航行できる「無害通航権」 を認めている。一方、沿岸国は安全を脅かすような領海侵犯に対しては、自国の領海内で「必要な措置をとることができる」 とも定めている。

 しかし、日本には包括的な規制法がないため、不審な船舶に対しては漁業法や海上保安庁法、 自衛隊法などを根拠に対応してきた。貨物船に対しては立ち入り検査を拒否して逃げられても検挙できないなど、 法整備の必要性が指摘されていた。

 新法は、外国船舶が避難や人命救助などの正当な理由なく停留することなどを禁止する。立ち入り検査し、 正当な理由がないと判断すれば退去命令することを可能にする。立ち入り検査に応じなければ、検挙できるようにする方針。【渡辺暖】

毎日新聞 2008年1月15日 11時35分 (最終更新時間 1月15日 12時47分)

2008年01月17日
21世紀の建設
昨夕、散歩していたときのことでした。冬の寒空だったのが、いつの間にか晴れ渡り、透き通ったやさしい夕日となっていました。鉄のくじら館で、ドアガラスに映る夕日と潜水艦のコントラストが美しいのでした。気づくと20万トンのタンカーが二隻繋留されているのが、その大きくて真っ白な船橋が淡い茜色に夕映えているのでした。遠くの灰が峰の稜線が何時になくはっきりとしているのでした。何もかも美しく見えているのでした。夕暮れの呉はとても良いのです。飼い主と共に散歩していた子犬が近寄って挨拶してくれます。おだやかさが身に付いてきたかなと思うのでした。アザラシの目が可愛いとラジオで或るタレントがいっていました。さもありなんと思うのです。そうした目をした少女もいるのです。すべてわかっているかのようです。やさしい動物たちの目はわかっていて諦めているかのように餌食となる犠牲をも甘受しているかのようです。掘るべきは何だったのでしょうか。自分の中に鉱脈があるとしたのは、丸山健二氏だったでしょうか。自己がダイヤモンドと結晶することもあるのかも知れません。その時、周りの風景が法華経に書いてあるように宝石になるのかも知れません。ここに来て、我が人生はこれでよかったと思うのです。客観的にはまだ不足です。これからそれも調うだろうと信じるのです。迷いのもとは自分でした。それで苦海を泳がねばならないのでした。今、それを逃れることも出来るだろうと思うのです。黄泉も守護してくれているように思うのです。大いなる目的があって、それに素直に従うことで人生は開けるのだと思うに至りました。それが正しいと。それで未来につながると。煩悶は自分の思いと客観とのギャップでした。自分の思いが無いならば煩悶も無いと気づくのでした。あるべきようはというのは禅のテーマのひとつです。あるべき自分に成ることが人生であろうと思うようになりました。自分を否定して生きていたように思います。あるがままにあるべきようであれば幸せだと思うのです。それが倩女離魂のテーマであるのでしょう。自分が自分と成るともいえるでしょう。今、株価が下落して、各方面に不安があるのでしょうか。もはや日本は大国ではなくなったと諦めているのでしょうか。その必要はないと思うのです。日本の株式市場に於いて、外国人投資家が六割を占めるといわれています。彼らがアジア新興市場に興味を移したのです。それで株価は下落しているのです。それは日本経済が衰退したわけではないですね。日本の製品の完成度の高さは維持されているのです。外国人投資家はブームとして流れたに過ぎないのです。日本の価値が失われたわけではないと思われます。日本の本体はゆるぎはしないのです。株価が下落してもそれに右往左往することはないですね。株価の下落に左右されない経済基盤を固める時なのでしょうね。何れにしても、人間は存在としての悲しみを持っているようです。佛は過去の悪業の因縁だといいます。それを持って生まれているというのです。そして人間の力では逃れることが出来ないというのです。それでは救いがないですね。ところが、佛は救いの道があるというのです。有り難いですね。そして、実際に救われた人もいるのです。救いですね。ますます悪業の因縁が増幅されています。かつて月に一度もなかった殺人事件が毎日のように発生しています。私たちが何か大切なものを失いつつあるのです。取り戻しませんか。傍観して諦観するのではなく、積極的に取り組みませんか。その気になれば手段はいくらでもあるのです。孤独を脱するのは自分次第だと思うようになりました。すべてはやさしさとおだやかさで解決すると思われてきました。困ったこと、苦しいことは自分が原因だったのです。今流行の理論でいえば引き寄せていたのです。自分が発する周波数を変えて、周りを変えれば良いのです。動植物岩石も喜ぶ周波数があります。それが愛ではなかったでしょうか。そのように思えてきました。二一世紀、開発するべきはこれではなかったかと。さらに天災地災人災は連動しているように思われます。聖書には正しい祈りは神に通じるとされています。山をも動かすことも出来るといわれます。雨を降らせないことも出来るといわれます。仏さんも二十一日間雨を降らせないことで自らの力を証明しました。こうした力が人間にはあったのです。お金に目がくらんで悪事を成すことで失われたのでしょうか。かつて歴史上ほぼ同時期に四聖が存在しました。人間は今に彼らを超えていないようです。そして彼らはオリエントに属しています。どうやら東洋に智恵がありそうですね。そして日本は文明文化国家として最も古い歴史を持っています。中国も何度も王朝が入れ替わっています。インドのアーリア人の末裔はもういません。日本こそ未来に向けての英知が秘められているのではないでしょうか。ここで見直すべき頃ですね。過去を振り返るのではありません。飽くまでも未来志向です。そして世界を救うことが出来ると思うのです。日本の重要な使命です。故に国家としての安全と国民としての情緒を取り戻しましょう。愚かさと野蛮を脱して未来を描こうではありませんか。私たち日本人はそれが出来るのです。それが古来培われてきた日本の進むべきベクトルではないでしょうか。住みにくい世の中となりつつあります。であるなら、作り替えることです。やさしさですべて解決するのです。本来日本はやさしさに向かって咲く花のようだったと指摘したのは辻邦生氏でした。誰もが笑顔で幸せを感じて生きてゆける世の中にしましょう。それを実現できる時が来たと思うのです。ここまで人類は生命体として辿り着いたと思うのです。その方法も見つかったように思うのです。ところで、何事につけ悪いのは私自身だったと本当に思うようになりました。迷惑をおかけした方々に対しましてお詫び申し上げます。亦食した命に対して。そして思うのです。私たちは生かされています。それ故謙虚さを取り戻すのです。祖先及び黄泉が慈悲深く導いてくださっていたことに気づいて忝なく思います。そして何処までも、何に対してもやさしく生きていくのです。そうしたやさしさの周波数を開発していくのです。そして誰もが幸せを感じて生きてゆける愛と平和を基とした21世紀の建設が出来ると思われます。そして美しい風景が開け見るもの聞くものすべて楽しく明るくなっていくのです。実現したいですね。明るい未来を。その時が来ているように思われます。そして人生を楽しみましょうね。どのような悲しみも時が来れば必ず乗り越えることが出来ます。夢を諦めないことです。やがて神仏との邂逅もあるでしょう。持って生まれた自分を信じて自分を好きになることから始めましょう。必ず克服凌駕成就します。その為にはまず受容することから始まります。お互いの存在を認め合うところから始まります。相手の誠意に甘え合うことも必要かも知れませんね。さて、野蛮と愚かさと嘘と殺戮よ、さようなら。私たちの時代です。実行段階に入りました。ふと気づくと、降り注ぐ太陽ののどかさを感じます。これはまだ生活の憂いの無かった子供の頃のそれです。何時の頃からか何かと戦っていたのですね。 それで殺伐としていたのですね。本来喧噪の中で生きることもなかったのです。都会的であることが物質的消費社会の中で責め苛まれていたのでした。無ければ無くて良いのにテレビ的なものがスタンダードだと思わされていたのです。本当に大切なことが低いレベルで見えなくされていたのです。その意味で、それを無意識の世界で強制的にテレビがコントロールしていたのではないですか。テレビを見ているという行為自体が主体的ではないですね。受動的に飼い慣らされていたのでしょうか。この辺りを国民共通意識として再確認しませんか。政治もタレント的になってそれを利用しようとする昨今、このままでは衆愚支配が確定してしまいます。知性の無くなった日本に魅力はありません。申し訳ないですが、テレビ界はレベルが低いことを周知させるべきです。それで馬鹿になることが幸せなどとする考えを流布することで衆愚が勘違いして知性を愚弄支配していることに気づかしめるべきではないでしょうか。思い違いがあります。勘違いがあります。犯罪国家傾向に堕しつつあることがその証拠です。正すべきは正すのです。それが教育です。教育の自信を復活しましょう。そのためには教師には親の子に対する懲罰権の包括委任という考えもあります。世の親として教師に対する尊敬の念はありませんね。これも唯自己利益追求主義の現れではないですか。日本として国民はどうあるべきか。その辺りを議論する必要があるでしょう。その意味で国会の議論の姿も大切ですね。行政のあり方も大切ですね。何を手本として示すか。世のリーダーに問われています。平等と称してあまりにも低いところにスタンダードが堕ちていませんか。本来日本はそれで良いのですか。誰もが一番にならなくていい。しかし一番を否定する理由はないのです。秩序を破壊する自由はないのです。市場経済は内容よりもどれだけシェアを獲得するかです。利益のためには手段を選びません。そして勝てば官軍です。ここに価値を破壊する論理が隠れていませんか。本来日本は商人国家ではありません。商人根性を好みません。70%の完成度でリリースすることは仕事ではありません。出来るだけの完成度を追求する職人気質と誠意をその国民性としています。市場至上よりこれを取り戻してこそ日本型資本主義を形成することができて、そして、世界の中で個性を発揮し貢献することができるのではないでしょうか。

2008年01月16日
感謝について
今日も良い天気です。この世に生まれて、生きている。幸せを求めて進化してきた。六道輪廻が真実だったなんて。俄に信じることは出来ない。不幸とは蝶となるまでの過程だった。本来の自分となって幸せと知る。信じる自分と現実とのギャップが不幸だった。であるなら、本来の自分に成るしかなくて。本来の自分とは何なのか。やがてそれを探す旅に出る。何時か必ず旅に出る。この世は前世からの夢の実現過程だった。本来魂の遍歴だった。やがて自分を見つける。その時自分を直視できるだろうか。涙溢れて祖先に感謝できるだろうか。

凛として 咲く花ここに 復活す
浮かれた世 過去を未来に 移さんと

   自分見つけて 原動力とす
何故に 孤独埋没 したれる哉

   古来大和の 黄泉の計画
自己を知る 祖先に感謝 涙して

   蝶と成るん 過去を救わん
我と来て 遊べや親の 無い雀

過去を知り 自分見つけて 安堵する
   この力は 一人なりけり

生まれたる 使命に目覚め 身震いの
  言葉ロゴスの 責任重し

もはや知る 古来大和の 秘密なり
  時の至りて 日本開けり

我をして 何を楽しむ 諸価値有り
  直接害すは 一休髑髏か

元服の男子なるなり男爵の
  自覚来たりて この世定むる

過ぎ越の 迷いの雲の 晴れ渡り
  この世我が代と 一人楽しむ

原爆の 根絶やしの火も くぐり抜け
  一粒の種 花と咲くらん

強かな 古来大和の 秘密有り
  それを示して 春風の頃

無となりて この世やさしさ 見つけたり
  安堵の風に 大空を舞う

2008年01月15日
絶対ということについて
今朝も雲一つ無い空だった。力強く輝くオレンジのご来迎をいただいたのは阿賀だった。阿賀は父の学校時代に通った地だった。もういいのだよといわんばかりだった。或いは急げといわんばかりだった。何時ものジョイフルでカレーライスを食べた。そして珈琲を飲みながら考えていた。そして思い出した。父がしきりに人生に疲れた。もういいだろうと私にいうのだった。今にして思えば無理もない。父は何を背負わされていたか。戦後は父にとって何であったか。父は私なら解ると思っていたのだったろう。或いは何時か解るであろうと。父は昭和二年三月七日に生まれ、平成元年五月二十二日に没した。父が初めて私に弱音を吐いたのはちょうど今の私の年齢の頃だった。名は昭亮、アキノリと読む。姓は後藤である。インドの釈迦は暁の明星を見て悟った。悟るということはどういう事か。真実を知ることだった。真実を知るということはどういう事だったか。自分自身が何ものであるかを知ることだった。それが例えば不思善、不思惡、正與麼時、那箇是明上座本來面目で、禅の目的だった。亦、ソクラテスのいう汝自身を知れだった。さて、釈迦は自己を悟った。そして自分が何ものであるかを知った。かつて私は道元及び一休の禅と良寛の禅は違うとした。どういうことであったのか。小学校の頃、私は特別な教育をされていた。四年の頃には、先生が自らロッカーの鍵番号を教えていた。何かあったら代行するようにとのことだった。五年の頃には、授業中に生徒から集めた現金と出納簿を預かって全校を廻って係の先生から印鑑を貰った。コントラバスの特訓も受けて、その頃にソルフェージュとカデンツも指導して貰った。市民ホールでは『ウィンザーの陽気な女房達』を演奏した。六年の頃には総勢160名の鼓笛隊の総指揮をさせて貰って港祭りも行進した。放送部では給食時間のDJもしていた。この頃放送設備の操作も覚えていた。毎週金曜日の全校お誕生日会朝礼の司会もさせて貰った。新聞部ではガリ版を刷っていた。当時深田サルベージの高さ70メートル有るツインの世界一のクレーンの取材をした。港が見える方形校舎の窓からは、52万トンのグロブティック・トウキョウの出航も見ていた。毎日のようにブルートレイン寝台急行安芸を牽引するC62-02スワローエンジェルの吐く蒸気の白煙をみていた。オペレッタ『シンデレラ』では白い鳥役だった。後輩に好評で、アンコール特別上演するほどだった。その頃の担任教師は全て広島高等師範卒だった。つまり、私の祖父を知っていたのだった。私は歴史に輝く校庭で学んでいた。中学に人ってから大学に至るまではどうであったか。誰も祖父を知らなかった。父も祖父がいる間はよかった。そして祖父が何をしていたか。誰も知らない。私は祖父に育てられた。祖父の技術は完璧だった。絵と工芸においてもそうだった。父もそうだった。誰も知らない。私だけが知っているのであろう。そうしたものだったのである。ある日のことだった。私が原付バイクで或る車を追い抜いた。するとどうだろう。暴走族的バイクが私を追い抜いた。まるで真似でもするかのように。今朝のことだった。ラジオ深夜便の今日の花言葉で話題にしたのが虚子だった。その内容は、昨日私が読んでいたところだった。そしてブログにした繭玉に反応したわけではないであろう。そうであったのかも知れない。何れにしてもこうした不思議は枚挙に暇無い。さて、時は至っているのであろう。いうべき時であるのだろう。それは何か。倉田百三だったろうか、『絶対の恋愛』というのがあった。絶対ということは絶対にないというのが世の常識である。それは絶対ということを知らないからである。絶対ということが真実であり、それが神仏である。世の常識の限界だった。インスパイアに対してエクスパイアがある。世の芸術はインスピレーションとして反応しているに過ぎない。それが人間行為である。呼吸は吸うのではない。むしろ吐くのである。祖父が一度だけ具体的に教えてくれたことがある。それは鋸の引き方だった。引くということだった。つまり何処に力を入れるのか。知人はいった。ホームページも文字ばかり書いてあったら見る気もしない。友人はいった。もっとわかりやすく書いて。わかりやすく書けるようなレベルではない。ところで権力は腐敗するは、モンテスキューだった。それで三権分立となった。本来腐敗は予定されていない。釈迦は明星を見て悟った。これに対して太陽王もいた。確かに太陽を自覚したのだった。だがその系譜もアントワネットに至ってギロチンとなった。平家一門にあらずんば人にあらずの時代もあった。道長は望月の欠けたることの無しと思えばだった。いずれも腐敗して滅んだ。今、あなた方が腐敗している。若者の中にもその流れに染まってそれが自由だと思っている。自由ではない。畜生である。所詮人の世である。人間である。あなた方がギロチンにして得た自由が腐敗した。次に滅ぶのはあなた方である。これが大いなる掟である。恐竜の時代にネズミがいたのである。新しい時代。平成20年戊子。始まりである。戦後の理念は自由と平等だった。それは市民革命によるものだった。つまり、市民の間でのことだった。故にヨーロッパでは暗黙の裡の階層社会である。日本に於いてはどうであったか。それで何が蔓延ったか。下級精神が蔓延った。卑怯怯懦商人根性の欺罔が蔓延った。暴走族的暴力が蔓延った。行政もそれに染まった。世の大人はどのレベルを常識としたのか。腐敗と堕落こそ人生であると思っている。ラジオもテレビも民放はそう思っている。NHKもそれに染まるのか。ある大臣はNHK-FMも縮小するべきとした。クラシックを語ることの出来ないであろうお笑いバラエティに日本を染めるのか。そうはいかない。皆平等だと思っている。それは機会の平等である。平等即差別は仏法の常識である。しかしそれは都合が悪い。私もそのように教育された。そしてそう思おうとした。出来なかった。埋没するしかなかった。アナクロジーではない。事実である。真実である。誰もが十全に持って生まれた自分を生きることが平等である。戦後下手な経済閥がそれを阻害した。正すべきは正す。間違えた戦後教育があったのである。ここは歴史古き日本である。だからといって特権的教育をせよというのではない。本来日本の価値を取り戻そうというのである。それは何か。既に記した。私の青春と人生を犠牲にして辿り着いた結論である。これまでに記したことを全て勘案して総合的に理解して頂きたい。これを以て本来日本国体として寄与することができれば失われた我が人生と青春の慰めとする所である。そして、一切悪かったのは自分だったということに気づいている。それはどういう意味か。Causeということである。アメリカがヒロシマを見出したのは正解だった。日本人自体知らないことだった。しかし誤算があった。頼朝は伊豆に流されていた。これが古来大和の秘密である。何をとち狂ったことをいってるんでしょうね。わからないね。古来大和は強かである。当事者でなければ知り得ないことがある。誰もが平等に同じだと思っていた。そうでもなかった。これを以てこの度の自覚及び笑顔復活の理由と成す。これ以上は無記とする。今日もよいお天気ですね。お元気ですか。お健やかですか。憂いなどありませんか。

打ち払う 悪魔貧魔ぞ 失せ消えよ
       日月照らし 福風爽やか

本当にやりたいことは何か
客観的にはまだ逆境の中にいるのは確かなようだ。これをどう打開するか。当面の問題である。強い意志と正確な分析と旺盛な実行力があれば夢は叶うのだろう。しかし何をするか。それが問題である。本当に自分がやりたいことは何なのか。未だそのようなことに悩んでいたのだろうか。しかし以前とは悩んでいる形が違う。とても冷静に悩んでいる。これは悩みというよりは思考といえるのだろうか。悩みには出口がない。そういうことになっている。悩みは悩みの中に沈んでいく。思考は溺れない。泳いでいるのでもない。漂っているのである。悩みはもがきである。やがて力尽きて溺れるだろう。私は何をしたいのだろう。客観的に本当にやりたいことが見つからない。こうして考えていることが好きらしい。哲学者となってしまったのだろうか。森有正氏のように。そうであるのかも知れない。であるなら、考えることを仕事に出来るだろうか。それでご飯を食べることが出来るだろうか。神仏のことについてもいくらか理解している。積年の読書遍歴と希有な経験がある。或る意味で考えることについてのスタイルもある。恐らく悩みの中で溺れた経験もある。通常の精神では耐えられない試練も通過している。伝えるべき事があるのかも知れない。考えることを仕事に出来るかも知れない。勉強することは苦にならない。むしろ得意である。考える頭脳は鍛えたつもりである。本当にやりたかったのは何か。宗教であるか。文学であるか。詩であるか。短歌であるか。俳句であるか。批評であるか。時代はますます私の理解する生命体としての進化傾向から離れていっている。このままでは救いはない。救われる方法はある。それも理解している。何をするべきか。子供の頃から何でも出来ると思っていた。それが災いとなったか。何か一つ出来ればいい。それで生きてゆける。私の場合はそうでもなかった。学業成績で十が多すぎた。何もかも中途半端となった。そうだろうか。そうでもない。私はそれぞれを総合思考できる準備をしていたのだろう。今となってはそのように思われる。開発し、確認した言葉の力もある。唯一十でなかったのは国語だった。今、それも克服凌駕していると信じる。さて、私が本当にしたいことは何か。そろそろ決めなくてはならない。決めれば、それが仕事となる。その段階に達している。準備完了である。探し求めていた自分の能力は復活完成している。存在証明はしたつもりである。世代として何かいうべきことがあるのだろう。もともと理系或いは体育系だった。大学では法学部に在籍した。私の求めた法とは何だったか。それも今に至って理解している。それは紛争解決のための解釈論に止まっていなかった。むしろ哲学的だった。求めていたものは何であったか。四聖がいる。釈迦、孔子、ソクラテス、キリストである。彼らは何を伝えたかったのか。どのような力を得た上でのことだったか。恐らくそれが究極の目的だった。故に悩んだ。悩み抜いた。奈落の底にも堕ちた。それほどの人生だった。そして彼らの掴んでいたものが何であったか。それらもトレースしたつもりである。今、これらについてまともに語れる仲間はいない。故に孤独ではある。青春の頃より孤独だった。そうだ。やはり特異な人生を歩んでいる。人生とは本来の自分になることだと気づいている。自分を誤魔化しての人生は人生ではない。私の見つけた多くの概念もある。その証明も得ている。大理石を前にして何を彫刻するか。掘り始める前にミケランジェロはダビデ像の明確なイメージを得ていたであろう。鑿を持てば彫り進むだけであったであろう。本来の自分を見つけてそれを表現するが良い。それは小説の技法ではない。随筆でもない。むしろ彫刻である。祖父は彫刻刀をのこしている。良く切れる。事の真偽は定かではないが、棟方志功と同門と聞いている。亦、無ということも理解した。自分が無となる。自分が無ければ何も無い。困ったこと、苦しいことが無い。あるのは客観だけとなる。自分としては楽のみとなる。この無もそう簡単にはわからない。テニスもそうであるが、先ず入門書を二冊読破する。練習は球拾いから始める。玉を拾いながら上手な先輩のフォームを目に焼き付ける。これがイメージトレーニングとなる。そして自分の時代となる。練習を積むことでメキメキ頭角を現す。個性が出てくる。それが成就する。試合の時には技術のことなど考えていない。ゲームの組み立てを考えている。此処まで来れば勝てる。私の思考も此処に至っている。自分を表現することがビジネスでもある。ビジネスは人間関係に於いて成立する。私は何かを得ている。伝えるべき事があるのだろう。例えばラーメン屋さんをしたいとする。自分ではおいしいと思っても、評価するのはお客様である。今、私のおかれている立場はサラリーマンでも公務員でもない。自営業者である。お客様に喜んで貰わなければ商売にならない。ご飯を食べることが出来ない。私は考えることでご飯を食べることが出来るのだろうか。その意味で本当にやりたいことと何を仕事にするかについてわからない。しかし此処まで辿った人生である。人生を語っても良いだろう。少なくとも同じように悩む後輩のためにはなるだろう。やりたいことをするしかない。まともに生きて死ぬようなことがあればその第一号となれといったのは北一輝氏だったろうか。私は埋没した。子供の頃にはとても期待されていた。それでそれなりの教育もしていただいた。その意味では申し訳ない。恩返しのつもりで自分を表現することに決める。ラジオ深夜便で、それが生きていることだと牟田悌三氏も同じようなこといっているような気がする。人の中で生きる。孤独は辛いから。無形文化財で良いらしい。社会の財産であるらしい。何を以て所得とするか。私にとっては別問題らしい。

芽出たくも 巷知るなき 櫻かな

結果とは エートス凝固 也情念

この思い 黄泉に届いて 春の松

祖父も亡く 父も亡くなり 一本松

何処までも 我が魂の リンクする

無となりて 全てゆるして 朝の風

やさしさを 取り戻したる 楽の相

楽なりて 生きることこそ 也人生

皆の衆 急いでいるか 滅亡へ

救いとは 確かに有るを 探すべし

芸能人 間違っている その傾向

世相なる 欲望狂いの 畜生か

人の世に 何故に蔓延る 畜生文化

これもアメリカの病であるか

取り戻す 日本情緒と 青い空

野蛮脱して 世界を作る

面白き 世となりたる哉 朝の風

演じるは 大和魂 武士の道

商人文化に もの申す

卑怯怯懦に非ず 腹も切る ビジョン具体化

此処に来て 思いの晴れる 我がブログ

乾坤の 一徹雷光 国動く

2008年01月14日
救われる方法
時代はますます悪くなっていくといわれている。偏に過去からの悪業の因縁によるという。罪を重ねて何の供養もしていないからであると。これまではどんな教えも本当の幸せをもたらすことはなかった。本当の幸せは見えない所を救うことをしていく。今までは見えない所に通じることが出来なかった。その方法はあるのだが佛さんしか知らなかった。しかし時は至った。人間自ら出ること能わず。唯善業の因縁より出でたり。善は佛さんの所にしかない。それを教えてあげよう。佛さん自らお出ましの頃となった。佛さんの願いは何だったか。久遠の昔には皆素直で佛さんの所で佛さんの教えに従って幸せだった。やがて人間の身勝手で佛さんが自分たちにとって都合が悪くなった。それで佛さんに関することは悉く破壊して好き勝手した。それでどうにもならなくなった。それぞれの想いと行為が悪因縁となりさらに増幅されていく。人間の力では立ち向かえなくなっていく。恐怖悪世となった。それで救われる方法はないのか。有る。それが真実の仏法だった。これまでの仏法は真実の仏法があるということを伝えたに過ぎない。真実の仏法は何処にあるのだろう。探すしかない。私もそれで救われた。救う方に廻らなければならないのだろう。それ故に本来持っていた経済力と家を取り戻す必要がある。今は資本主義の世の中である。人を救うにも経済力を要する。菩薩には財力が必要である。それに気づいた。教菩薩法であるから菩薩になる。その方法を教えて貰える。それがあるということを伝えていく。教えを説くのは佛さんである。私ではない。悟れば一弾時ともいわれる。六親眷属が皆救われる。救うから救われる。何を救うのだろう。自分を救う。その為には先ず祖先を救う。祖先が救われることで自分も救われる。子孫も救われる。祖先自分子孫、三位一体である。救われた魂は宇宙とリンクする。その想いは宇宙に通じる。現実化する。良い悪いではない。通じるか否かである。前因縁となれば善果となって帰ってくる。悪因縁となれば悪果となって帰ってくる。それが神力だった。過去に失敗している。佛さんの所で謝ることで赦して貰える。二度と間違いを犯さないことを誓う。佛さんの所を護念する。護念するものは護念される。佛さんの守護の中で進んでいく。それが衆生功尽きて大火に焼かるると見る時も我が此の土は安穏なりということだった。或いは火も焼くこと能わず、水も流すこと能わじだった。真実であるからには証明を要する。その証明もある。多宝仏さんが証明してくれる。これらの全体を含んで自分がどうなるか。禅でいうところの無となる。無となって初めて至る世界がある。その時に自分はもう無い。自分が無いということは過去からも救われている。無くなって入ってくるものがある。それが如来だった。それが喜びの歌だった。それがギャーティだった。自分が無くなって有るのは何か。一切大衆である。佛は一切大衆を救うことに決めたと仰る。大衆のためでなければ真実ではない、お経典より一歩も出ないと。

雲晴れて 凍てつく月に 我誓う 想い無くして 笑顔やさしさ

これよりは 蝿が手をする 脚をする 一切大衆 救われんとす

罪を憎んで 人を憎まず 人の悪 過去の因縁 悪業を正す

見つけたる 幸せの道 此処にあり 我がブログは 也幸福論

全ての道はローマに至る ローマ法継受 真実自由 民主主義

真実の 資本主義ぞ 何処成る 我が日本 これを定めむ

自由とは 思うとおりで 法超えず 既に孔子の 見つけ居りけり

生まれたる 自分を生きて 十全に 生かして生きる これぞ平等

教育は 平等なるぞ 基かな 何を見つける その子かな

国家とは 秩序護りて 基とす 人は城下で 仲睦まじし

人の世に 生まれて生きる 認め合う 人の中にて ほかになし

目的は 個々の暮らしと 決定す 愛と平和の 虹の架け橋

無となりて 松は麗し 景色かな 芭蕉広重 同じなるかな

我果たす その夢誰の 夢なる哉 シャガールの青と我はいふらむ

思い出す 我が人生の 軌跡なり 我は確かに 生まれていたり

この世とは 過去の夢の 実現と 信じて至る 世界開ける

あなた故 ここまで至る 世界かな 全てに感謝 出来る頃

やさしさを 見つけて開く 明るさに 共に生きる 光り輝く

我が辞書に 不可能はなし 何故ぞ 信じる心 黄泉の導く

解きたるは 何の不思議ぞ 事実なる 古来大和は 神国なりけり

本来の 日本真実 属性は 身心清浄 正直なりけり

正直の 心に宿る 大和かな 神の心地ぞ 大和魂

諦めず 信じて至る トロイかな 信じて至る 笑顔の勝利

我こそは 持って生まれた 十全の 能力此処に 無事開花す

絶対の 自信をここに 復活す わがミッション 成就せし頃

大和なる 自信も此処に 開示せり これより日本 始まらんとす

無となりて 始めて至る 内面の 宇宙に浮かぶ 地球なるかな

無となりて 苦海を渡る 私かな 悲願に至り 人を救わむ

ヒロシマの 悲しみも亦背負いしか 我が孤独も 引き受けたりしか

それ故に 至る世界の 有りたる哉 これを開けて 全て救わる

光有り 何もて照らす 内面の 闇を照らすぞ 永遠の春

ロウソクに 点る灯こそ 見つけ居り 代々絶やさず これを伝えん

何の灯を 何に点さん 人なれば 魂輝く 時 やさしさ

何もかも 水に流して 合流す 橋は流れて 川は流れず

神秘なる 生命進化の謎を解く 命燃やせよ 燃え尽くせ

命こそ 護るべきはこれなりて あらゆる殺戮ゆるされることなし

母はいった 私の子でもあるのよ 一度も感情的に叱らなかった

やさしさは 概念出でて 無となりて 初めて笑顔 こぼれている

激しさを 乗り越え至る 真実の 大和幸せ 世界へ至る

  人の世の 苦しみ悲しみ 越えていく

  魂の遍歴 偉大なるかな

  我示す 艱難苦海 漕ぎ出でぬ

  我が人生 既に 証明す

  滅すべきは自己なるを

  読書遍歴 柔には非ず 理入なり

  行もしたりて 神仏及び祖先と出逢う

  而して知る 我何ものなりと

  我が夢如何 黄泉を制して 天下取るらん

  既に成就したる気のする黄泉の従う 敵本来無し

  子供の頃よりそれなるを 自覚するまで それと知らずを

  気取らない優美さ 今日の花言葉は椿 ラジオ深夜便

明るきを 楽しむ頃か 軽やかさ 身となりたる哉 赤椿

2008年01月13日
秘密開示
全ての秘密は何処にあったか。祖先である。祖先より善いものも悪いものも流れてくる。どれだけの組み合わせがあるだろう。それぞれの属性の決定因子は億千万の中の一つである。途中下手な接ぎ木もあったであろう。故にもがく。亦大器晩成の意味する所である。その選択の自由は自分の日々の思考と行為である。持って生まれた自分をどのように組み立てるか。複雑なジグソーパズルである。自分は何ものであるか。組み立ててみなければわからない。間に合ったようである。最高の自分が仕上がった。祖先を集めてくるとはこういう事だった。五十転伝、覚兵衛より始まる。源氏復活成就である。やはりもはや容赦ならない。愚か勝手が過ぎた。粗末にし過ぎた。これより黄泉の成敗の嵐となる。黙示録である。黄泉を欺けはしない。救われる道は一つしかない。各々の問題である。それを探すが良い。既にその道も示してある。何を裏切りたる哉。時は満ちた。

2008年01月12日
楽しみましょうね
日本の基とは何だったのか。何処に眠っていたのだったか。それはもう目覚めることはなかったのか。しばらくの混迷は何故だったのか。しかし時が育んでいたのだった。此処に及んでいい加減は赦されなかった。完成させなければならないものがあった。それまでは試練だった。既に見出されていたのだった。気づけない本人はなおもがいていた。しかし必ずこいつは成就する。根比べだった。それほどまでの存在だった。日本の命運を背負っていた。故に待ったのだった。それは一つの賭けだった。賭けは勝利した。長かったね。日本は救われた。日本の夜明けである。それほどの事が成就した。良かったですね。楽しみましょうね。久しぶりにお酒を飲んでいる。白牡丹である。安芸津の金泉が好きだった。今はもうない。仁方の相原酒造に吸収されたのか。相原酒造というと雨後の月である。これにもプロモーターがいた。何故白牡丹なのだろう。このお酒を飲むと思い出す人があるからだろうか。寂しい話だね。まだ孤独を演じようとしているのだろうか。全ての謎は解いた。そのように思っている。これ以上解く謎はない。日々証明も得ている。ブログで鶴の恩返しに触れた。ラジオで超有名人が何の脈絡もない所でサインである。何なのだろう。動き始めたのである。失われた日本を取り戻す。テレビに於いて、戸惑っている顔がある。無理もない。サインが分からないのである。時は代わったよ。何故だろうね。自覚が成就している。この度は本物となった。無敵艦隊となった。何故か。無をも攻め落としたからである。さて、誰が尚刃向かうのだろうね。勝負は決した。関ヶ原以来の源氏復活である。どういう意味か。家康と雖も六代より先はわからない。勝負するのかな。何時でも相手になる。真剣勝負だ。電光石火、虚空を斬る。あなた方の欺罔の時代は終わった。そして思うのです。とても不遜な自分だったと。それでここまで苦労もしたのでした。演じれば良かったのです。自分の役を引き受ければ良かったのです。我見では生きてはゆけないのです。それぞれ認め合って生きていくのです。その能力はそれで良い。それを生かすのは別問題でした。やはり皆に認めて貰う必要があったのです。そして人は善も悪も持って生まれてきています。往々にして悪が魅力的です。これを払拭するのです。それが無となるということでした。隻手の音を聞くということでした。そうすれば良い所だけが残るのです。精錬ですね。さらにそれを鍛えます。鋼となって輝きます。よく切れます。誰もが賢さに憧れます。その賢さを何に使いますか。自分のためですか。自分以外のためですか。自分以外とは動植物岩石を含みます。無となって入ってくるものがあります。そして笑顔とやさしさが満ちるのでした。私が求めていたのはこれでした。探していたのもそれでした。そしてこれを見つけるまで何も始まらなかったのでした。その間、多くの失敗もありました。申し訳なく思う次第です。お詫び申し上げます。そして此処に至れたのは偏に佛さんのお陰であったことをここで改めて確認し、感謝申し上げます。ありがとうございました。一切の不安が晴れました。これが真実証明です。真実は有ったのです。謹んでご報告申し上げます。ここより笑いです。楽です。皆さん、この世に生まれて良かったですね。神仏顕現の世です。これからを楽しみましょうね。宜しくお願い申し上げます。ところで、無となるとは自分が無いということで、大死一番、絶後に蘇るということになるのは、自分が無になることで満ちてくるものがある。それが喜びだった。そして本当の笑顔を演じている。その笑顔が相手をも笑顔に導く。人間関係が高い所で同調する。それが幸せだった。幸せとは好い関係だったのです。その時の周波数が佛の周波数といえて、動植物岩石も喜ぶ。開発するべきはこれだった。それが愛の関数ともいえて、この時の愛はアガペだった。これが真実であり、真実は求めなければ得られない。魂が宇宙とリンクするとはこのレベルに至った時のことだった。そして、禅には理入と行入があって、この両者が体験として一致する。はじめはむしろ導かれてのことで、行が高まることで垣間見る。そして何時かこれを疑えなくなる。その時には主観も客観もなくて、有るのは喜びだけとなる。生命の意味を知る瞬間であり、生きていて良かったと、涙こぼれる。これが真実だった。こうした真実は確かにある。その体験がなければ信じられない。それで疑っている。至るまではわからない。至ってしまえば事実である。この真実は伝えるとか伝えないではない。この真実に至ることで、余生は楽しむしかない。それが極楽であり、桃源郷であり、楽園であり、天国だった。反射的に、此処に至るまでは地獄といえる。さて、地獄よりの脱出はあるのだろうか。有る。その道を探していた。そして見つけた。多くの人はそのようなものはないと思っている。前世も来世もないという。無神論者であることをインテリゲンチャの条件であるかのように思っている。若者達にいいたい。少年よ、大志を抱け。真実はある。そして本当の楽はある。世の真実を諦めた大人達に惑わされることなかれ。そして、真実に至って、この人生を楽しもう。この道は見つけにくい。だけど、シュリーマンもいた。信じようでないか。真実のあることを。そして真実を求める道は楽しい。不安は消えていく。何故だろう。黄泉に守護されている。前世からそれを求めていたかどうか。であるなら、進め。そうでないなら、探すことから始めよう。何時か誰もが至る道である。幸せの道である。生命進化はそのようにプログラムされている。選択の自由は常にある。バターを作るのか。大砲を作るのか。笑顔に至るのか。不安の海に沈むのか。お金では至れない。持って生まれた貴重な時間を何のために使いますか。日本の未来は明るい。幸せに最も近い國である。やさしくなれる。笑顔に至る。そして、楽しみましょうね。これこそが日本の埋蔵物だった。開発するべき周波数がある。とてもポジティブで明るい。これは相手を同調させることが出来る。周囲の人が皆喜ぶ。動植物岩石も喜ぶ。これが幸せだった。やさしさだった。古来日本の培ってきた秘密だった。誰もがこの周波数で幸せになれる時が開かれた。この力は言葉に宿ればロゴスとなる。黄泉も同調して現実に実現する。私の理論がわかってきましたか。この力の開発を以て庶民の解放です。この21世紀心の大地真実幸福論を以て一隅を照らすのです。その具体的方法もあります。佛さんの所で頂くことが出来ます。その証明もあります。多宝仏さんの証明です。証明が有れば真実です。私の場合は日月照らし、風が吹く。特殊潜行艇浮上です。長い孤独な旅でした。この船で君の幸せを見つけて参りました。かつて人間のために火を持ち帰った神がいました。この度海の底竜宮より持ち帰ったものがあります。信じませんか。そして楽しみましょうね。これが恋に破れて彷徨った鯉が何時か滝を昇り、至り着いた世界です。私のこの世でのミッションでした。完結です。持って生まれた祖先及び自分並びに全ての関係にありがとう。これを以て私の作品証明とします。広島に錦を飾ったよ。

2008年01月10日
悲劇からの脱出
死にかけて地獄から帰って来たという話はいくつもある。彼は地獄も見ていた。何度も死んでいた。しかし、DHロレンスの『死んだ男』に出てくるような少女は待っていなかった。釈迦に対する乳粥もなかった。しかし彼は帰って来たのだった。帰って来た彼は以前の彼ではなかった。しかし誰も気づかなかった。彼が何処を彷徨い、どんな力を得ていたか。世間が何も知らないことが彼にはもどかしかった。知らしめたいとも思った。知られたくはないとも思った。それが新たな煩悶となっていた。彼の本性が時々噴出する。するとどうなるのだったか。阿修羅となる。誰もそれを理解しなかった。無理もなかった。彼は十を見抜いていた。彼らは一か二の現象だけを問題にするのだった。途中で何時も馬鹿馬鹿しくなるのだった。自己弁護などしなかった。それで何時も悪者にされていた。しかし、何時かその必要もなくなるのだった。彼も成長したからであった。全てを相手にする必要はないことに気づいたのだった。彼が楽になった理由だった。それは一つの確信があったからだった。何を確信したのだったか。持って生まれた自分自身だった。自分が代々何ものであるか自覚したのだった。誰も知らない大和の秘密だった。全ては或る一箇を打ち出すための『時計仕掛けのオレンジ』かと思われた。はじめは彼にも信じられなかった。しかし視座を転換することで、彼にとって全てが意味を持ち繋がるのだった。そしてもはや疑うことが出来なくなっていた。悲劇はそのようにして克服されたのだった。仏法に万二千人の救世者待望論がある。彼は気づいていた。救世者は一人であると。一人の救世者が万二千人の中に隠れているのである。十六王子の話もある。それも一人であると。しかしそうしたことをいえば我見であるとされるであろう。しかし真実は常に一つであるのだった。彼は古来大和の秘密を解いたと思った。その秘密とは何であったのか。彼にはどうしようもない事実だった。あまりにも不思議な体験をしていた。見るべきものはすべて見ていた。見ていたというよりは見らされていたのだった。思えば子供の時からそうだった。何時か解かねばならない謎があったからだった。それは生まれた時から彼が背負った宿命であった。その時のためにあらゆる艱難辛苦が課題としてその時々に与えられた。それは試練だった。それらを全て解かねばならなかった。そして解いたのだった。最後の問題は何であったか。無であった。或いは空であった。その謎を解いた時、自分自身こそ秘密の主体であったことを確信するのだった。それは何であったか。即ち、君が代大鏡だった。気づいて思うのだった。これが日の本に新しきことなしであったと。それは何を意味していたのだったか。本来神国日本の復活だった。混迷した理由は何であったか。偏に自信の喪失であった。その自信を取り戻さなければならなかった。少々の自信では足りなかった。この度は絶対の自信が必要であった。故に彷徨った。前世からの続きだった。そして爾の時が来たのだった。時が来なければ始まらなかった。

2008年01月09日
演じることについて
そろそろ演じる頃なのかも知れなくて

その役は与えられたのかも知れない

やっと その時が 来たのだろうか

演じていたのは 小学校の時に 既にそうだった

鼓笛隊の総指揮がそれだった 

私の笛で 運動会の行進も始まるのだった

バトンガールが動き出し トランペットが鳴り始める

ドリル行進が 幾何学模様を作るのだった

人生とは 演じることだった それを放棄していたのは

私だった ずっと逃げていたのだった 何故だったか

自信がなかった それだけの役が果たせるとは思わなかった

人生からも青春からも逃げていた

だけど 何時か大役が待っていた

生まれた時からの約束だった それは何だったのか

まさかそれとは知らなかった つまり君が代だったのだ

このような馬鹿げたことがあるものか 

これを受容しない限り 私の人生はなかったのだった

子供の頃からそうだった 常に見られていた

何に見られていたのだったか 黄泉だった

私はこの役をしなくても生きてゆけると思った

とことん 逃げた 何処までも逃げた 

逃げることが出来ると思っていた

しかし 時が来る 全てを知る時が来る

それを知った時 絶対の自信も来るのだった

演じるしかないのであろう 何の役であるか

私しかいなかったのである これが自覚である

あまりにも不思議な人生だった 孤独は辛かった

十分に修行もしたのだろう 

何を以て世に出るか 既に城砦は築いている

守護するは何か 古来大和の黄泉である

さて 何をするべきか 思案している

人間には持って生まれたエネルギーがある

自ら輝くしかない人間もいる スターである

恒星は惑星となり得ない

仏陀もひとつの恒星に過ぎない

常に恒星は一つである 恒星の中に恒星は属せない

そして銀河を成し 宇宙を成す これが遙かなる世界であった

愚かな時代だった 何故か 恒星が輝いていなかった

そして今 知性が輝き始める 演じることを引き受けたのである

2008年01月08日
おかしくて笑うしかなくて
衆生功尽きて大火と焼かるると見るときも、我が此の土は安穏なりと確信に至るとき、一切の不安はない。どうして不安があるのだろうね。自分自身が信じられないからだね。本来日本は不安など無かった。何時の頃から不安に支配されたのだったか。自分の中に不安があれば、それは現象化する。これが不思議である。不思議ではあるのだが、そういうことだった。宇宙の法則だった。思考は現実化するとやっと気づく頃、本来日本は過去に於いてすでにそれを知っていた。それが神力だった。それを無視愚弄破壊或いは粗末にしてきた。報いはあるよ。それだけのことだった。自分が無くなることが日本に於いてあらゆる道の目的だった。それが今はどうだろう。内実のない浮かれたプチブルジョア真っ盛り。おかしくて笑うしかなくて。

我思う 故に我在り 宇宙有り

不安無し 故に笑顔の こぼるるか

何故不安の 無かるらん 自我無し

我無くば 後は世のため 人のため

真実の 幸福何処に 有りぬらん

不安払拭 元気本舗

お金にて 買えぬものの ありたるを

探し求めて 高らかに笑え

学問究極 何処に至る

学者先生 何をか求む

大和こそ 古来日本の 秘密なる

開きて初めて 知る頃と 即 この世君が代 大鏡

まさか私だったとは お釈迦様でも知りゃしない

咲いてはじめて蝶の舞う 一切欺罔の暴かれる

知らぬとて 勝手罪なる その理由

示し終わりぬ 達磨は帰る

真実の 本来日本の 復活を

果たして 使命 ここに記す

身心の 清浄正直 五十年

磨いて示す 本来武士道 大和魂 

黄泉の守護 子供の頃より ありたるを

誰もえ知らず 見出せず

やがて花咲く 自己来の花

もう少し 早くに気づけば よかったものを

此処まで至りぬ 未来へ回向する 楽なる人生

パステルカラーの 青い空

そよ風吹いて 光り輝く

新しい世界 確かに開く

埋もれてしまった喜びを 未来につなぐ

大きな仕事 復活せしむ 昭和50年 十九の春

日本の基 此処に羽ばたく 未来は明るい

佛いう 過去の悪因縁 帰り来たると 

ますます悪くなると その中で 黄金のカード復活

既に それらを 我 この手で 葬りたる 黄泉は制した

骨を斬らせて 魂を斬る 世界のエール 身に受けて

知性達よ立ち上がれ 時は来にけり

おかしくて 笑うしかなくて 君の声と笑顔がステキだよ

シャドウ・キャプテン 三十年来の夢

闇の荒野孤独一人旅より復帰 自己確認 自覚成就 着任出発! 

宇宙自然生命黄泉の灯火 愛と平和 人類の祈りと願い 点火 

取り戻す 未来 フェニックスの如く 

21世紀の約束成就 任務完了

原爆の火をくぐり抜け 根絶やしにされてはいない

アメリカも驚いていることであろう 

黄泉の守護する ヒロシマの種 ジャパン・アズ・ナンバーワン

野に咲く 大和心の 大輪の花 刃向かってみる勇気はあるか

恋は鯉 鯉城は安芸の国広島城 開門である 

安芸の宮島 今伊勢神社 浮かれた世間にもの申す

全ては何のための準備であったか 一箇を打ち出す

古来大和の謎 解き終わる 秘密は何処に有ったのか

而して開く 新しい秘密物語 未来につなぐ 宣言 未来は明るい

さて、放下著の頃ですね。随分と格闘したことでした。これでは日常生活は成り立たない。共に語れる相手もいない。誰もついて来ることが出来ない。それ故に至った世界はある。さて、どうしよう。そろそろ長すぎる孤独にも疲れた。正直な所です。何もかも捨て去って、リセットする頃だろうか。一つの目的は達した。解くべきは解いた。次なる課題を見つける頃だね。一つの終わりだね。何を背負っていたのだろうね。馬鹿馬鹿しいね。アルバイトでも探すことにしよう。あまりにも要領が悪かった。嘘と欺罔を見抜けなかった。負け犬と笑うか。そうはいかない。開発完了の黄泉の守護する直心ツバメ返しである。各々首を洗って待つが良い。代々の使命としての私の仕事は成した。不足はない筈である。余の事はあなた方の仕事である。鶴の恩返し。仕事場を見せてしまったのかも知れないね。もう羽もなくなったようです。それでは、皆様、お幸せな日々でありますように。

無となりて あらゆる縛の 断ち切られ
  自由となりて 笑顔のままに

高らかな ファンファーレの こだまする
  謎は解かれて 不安払拭

大和なる 海より出でて 竜宮の
  秘密解きたる 法華経

しばらくは 埋もれていたり 宿王華
  一切種智慧の 謎解き終わる

愚弄せど 古来大和の 秘密花
  無を超え天地 祝福証明

これよりは どうにもならぬ 宿王華
  もはやどなたも 手出し無用か

護り越し 古来大和の 心かな
  人々の願 実現する頃

代々の 夢をつないで 花と咲く
  憂い悲しみ 何処吹く風か

喜びと 楽のみありて 帰城する
  真実求む 旅は終わりぬ

孤独こそ 仕事成就の 条件と
  示しおくには あまりに悲し

されど今 確かな基 幸せの
  未来をここに 示しおきける

されば人 何時しか共に 歩まぬか
  明るい未来 幸せ世界

人類の 歴史は戦争 殺戮と
  悲しみ転じ 共に生きてん

さればこそ 野蛮転じて 知性もて
  本来日本 取り戻すなり

黄泉の守護 心静かに 信ずれば
  我は無となる 不安無からん

黄泉の守護 如何に我が身に 取りつけん
  身心清浄 我に嘘無し

本来の 大和心 人問わば
  古来培う 身心清浄

しばらくは 見失いたる 心有り
  守り抜きたる 一実の道

西洋も 待ち侘びたる 心有り
  古来大和の 櫻の心

空ずるは 我が身心と 気づく頃
  日月照らし 神風の吹く

おかしくて笑うしかなくて 背負いたる
重荷降ろして 何も無し 心弾んで
笑顔こぼるる 余生の楽に 辿り着くかも

人生は素晴らしい 生まれた意味をここに確認する

命を燃やせ 燃え尽きるが良い 粗末にしないことである

道元曰く 薪の灰となりて しかももとの薪には非ず

灰となりて至る世界は何か 

本来無一物即地上ヘブン=幸せ世界

ギャーティ ギャーティ も そうだった

般若の知恵の至る無我無心 喜び世界が待っている

帰り南無イザ 喜び世界 本来の日本へ 

2008年01月07日
自由の宣言
十牛図をウィキメディアから引用させて頂くと
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3)

尋牛(じんぎゅう) - 牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。
見跡(けんせき) - 牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。
見牛(けんぎゅう) - 牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
得牛(とくぎゅう) - 力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
牧牛(ぼくぎゅう) - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
騎牛帰家(きぎゅうきか) - 牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん) - 家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。 悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
入てん垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、 別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
これも本来日本にあったものだけれど、逆輸入された経緯があります。さて、悟りとは何だったのでしょうか。それはどうして生まれてきたかという所に行き着きます。こうしたことについても教えて貰える所もあります。さて、救うとか救われるとかという問題があります。癌にしても、特別なビームの照射で確かに助かることもあるようです。しかし、一度の照射に300万円が必要です。セレブ達には端金ですね。一般庶民はそうはいかない。真実の教えもその傾向があるのかも知れない。本当に一切大衆が救われるためには乗り越えなければならない要素です。そして気づいていることがあるのです。佛の周波数です。これで何とかならないかと思うのです。既に不思議な力を体験しています。開発実験検証済みです。私の取り組むべき課題でしょうか。或る所で真実の仏法を垣間見ました。しかし、私の得ているものはそれに限定されていないのです。正直な感想です。それを我見といいますか。力比べは済んでいるのです。これまでも独立独歩で勉学して参りました。これからもそれが私のスタイルでしょうか。そのように思われてきました。無もわかったように思っています。風景が待っているとしたのは、返本還源だったでしょうか。さて、入てん垂手です。どう取り組むべきか。思案している所です。確かなものは見ています。私を見いだせない所に何時までも在籍する必要もない。既に自覚したものがあります。確認するべきは確認しています。それは何だったでしょうか。秘密は私自身だったのです。正当な評価に条件を要するような所は私の居場所ではないように思われてくるのです。色々なサインがそこにとどまるな、帰ってこいです。十分にお前は守護祝福されている。もう見るべきものは見たであろう。昔よりお前の思うところが真実である。お前はこの世で十分に修行した。試練も超えた。使命も果たした。思うとおりに生きるが良い。代々そうであった。それがお前の運命だった。よくぞ耐えた。そして見つけた。もはや自由、黄泉も従う。糸車の針は抜かれた。

C・ウィルソン「宗教と反抗人」
仏陀もまた人間は自己の道徳的福祉に関しては唯自分一人が責任を持つと考え、さらに彼仏陀を神託として受け取るな、唯、己自身の道を見出すための先達として仏陀を利用せよと警告している。
人間にまつわる最も重大な事実は自己を変える能力である。アウトサイダーとは、おのが自身の複雑性と、彼を条件付け、彼の同一性を歪めようとする文明とに対する支配力を獲得しようと悪戦苦闘する人である。
人間は天使と同様に神のあらゆる能力、神の七つの霊全てから造られたものなり。しかしながら人間は現在腐敗せるがゆえに神的なる働きは常にその力を開示せず、人間のうちに活動することもない。それは人間のうちに湧き起こり、仮に照り輝くことがあろうとも、腐敗せる性質には不可知のものなり。
人生は戦いだ。絶えまない精神的戦闘である。
アウトサイダーは尨大な精神的努力によって神秘家へと成長する。これは自己の人生を戦闘状態と化せしめ、戦闘に必要な頭脳の緊張を保って生きることによって為される。神秘家とは高度の知識と活力を持つ人間にすぎない。
おのが自身の直接の洞察によって証明したものでなければ何ものをも認容しない。
詩人は誰でも人間の真価は当人の感情的体験の深さによって決められるということを知っている。自分自身と次には世界とに対する支配力を人間に本当に与えてくれるのは自分自身に対する深い洞察に他ならぬ。
アウトサイダーは神の存在を認めた。その神とは人間のうち自然のうちに作用している或る力であり、意識をもった如何なる個人の目的より大きな或る目的である。
脳の活動は心臓の鼓動や血液の動きとではなく呼吸と調子を合わせたものである。
真理とはそれを把握している人間の精神的強烈さなのだ。
宗教は到達点ではなく途上の休憩所にすぎない。
精神は神による物質の完全な征服をめざして苦闘する。
神々と英雄の行動はある不変の法則によって予め決定されている。
如何にしたら自分のために精神的力を獲得できるか。社会の背後にあって社会を動かす力となるべく勤めること。他人の中で一つの力となることによって他人のために力を獲得してやること。
アウトサイダーは時節が到来したならば自分の象牙の塔から出てゆかねばならない。その時機が熟するのは自己に対する精神の支配力を勝ち得たときである。
真理は主体性なのであり、従って自己に集中することによって真理は達成される。
文明はその死活問題として宗教を必要としている。人間の能力が人間の宗教に勝るようになったとき文明は崩壊する。
何事かを為そうとする意志は、それがどうしても必要であるという確信によってもたらされた或る強烈度に達すれば、その何事かを為すための新しい組織を作り出し編み出すものなのである。
自分一個の人格よりも大きな何ものかによって駆り立てられている人。
真の宗教とはあらゆる人間のための標準として、詩人や賢者の最も深遠な洞察を認めることに他ならぬ。
どんな夢でもそれを真実と信ずるほど強い人達の手にかかれば意志でそれを創造に変えることができる。
人間は神の意志を表現するかぎりにおいて偉大となるのであり、そうすることこそ生における永遠の把握行為なのである。
全てのものは崩れまた築かれる。また築く者は朗らかなり。

2005/09/19 道元は最期に法華経を読んでいました。何故か私は旧約聖書続編つき新共同訳を読んでいます。どのページを開いても・・・・・・・。 両足踵が少し痛みます。癒えるのを待つしかないですね。さて子供の頃呉にも動物園がありました。確かライオンもいたように思います。 キリンさんもいたように思います。初めてゾウさんを見たのは呉市椿号ボランティアで砥部動物園へ行ったときのことだったでしょうか。 さて昔、大きな岩がありました。九州那珂川辺りでのことでした。水の流れを塞いでいるのでみんな困っていました。 その時ある指導者がいたのです。その時その指導者が持っていたのはご宝珠であったと言われています。 そしてそのチカラで大きな岩を砕き水が流れ始めたのでした。そして豊かな生活が始まったのでした。 今困っている人は助かるためにこのご宝珠を頂くのも良いことかも知れません。私の知る限り、チカラのあるご宝珠が確かにあります。 ただ、中村元先生が言っておられました。どの宗教でも良い、真実をみればって。高橋和己氏の『邪宗門』というのもあります。 これを読んでみるのも良いのかも知れません。要は現実社会を生きるチカラを取り戻せば良いのですから。勿論カルトはだめです。 仏典のドコをみても殺生は奨励してはいないのですから。生まれてきた以上、幸せになる権利があります。大切なのは、 全て使い切ることです。これが成仏と言うことだと思われます。だから怖れずに命を使い切ることです。モノを大切にするとは、 そのモノを使い切ることだと思われます。頑張って楽しい生活空間へ合流したいものですね。やさしさにあふれている世界があります。 みんな手をさしのべています。これがheavenです。今やっと全ての人が救われるところにきているのです。だから、・・・・・。 愛とか平和とかはその架け橋です。やさしさの世界がすぐそこにあるのです。 本当のやさしさの世界の建設の時代が始まっているように思われます。いよいよ、お楽しみはこれからです。今の自分で十分だったんです。 だから、・・・・・。ここまで時代はやっと辿り着いたのです。一つだけ条件があります。嘘をつかないことです。 日本のこころは本来とてもキレイです。http://www.pc-kure.net/GSWL/syuppatsu.html


地上ヘブン=世界論
ヘブンというとどういうイメージだろうね。先ず、無神論というと相手にして貰えない。何故か。ヘブンは宗教を超えている。 宗教は筏に過ぎない。だから、この筏に目を呉れないならヘブンは相手にしない。ヘブンを妄想していないか。ヘブンは実在する。 ヘブンはむしろ知性である。インテリジェンスである。宗教を超えて現実に実在する世界である。すでにそこへ至っている方々もいる。 しかし、偶然のように思われていないだろうか。偶然ではない。必然である。清浄となって至る。清浄は宗教を通して成就する。 既に至った方々は必ずそうしているのではないだろうか。しかし、今までその理論はなかった。今、時が至ってそれが理論的にわかった。 努力は何故必要か。努力することで、人格が向上する。それは魂の向上でもある。今生で至ることができる方もいる。 要件は努力と宗教である。宗教で渡る。しかしそこは出発点に過ぎない。ヘブンでの出発点である。ヘブンに入る条件は、 ヘブンの世界の住人に認められることである。ヘブンは実在する。すでにそこの住人もいる。ヘブンに至る道がある。生命のゴールである。 今生で至れなくても良い。来世がそのためにある。この事を知って努力する。この事を無視すると地獄のままである。 これが本来の生命としてのあるべき人生の目的だった。或る意味で秘密であったことが、庶民レベルで明らかとなったと言える。 時代はリセットされた。新たなラインが引かれた。これが21世紀の約束だったのかな。さぁ、地上のヘブンを目指して頑張ろう。 無理はしなくて良い。自分のペースで十分だ。その為に未来もある。後世もある。今の自分の位置から始める。マイペース。マイウェイ。 何時か到達できる。全員が到達する頃が我々の宇宙の終わりかな。焦らなくても良い理由。現世で至ることができれば至福。良かったですね。 安心して人生行路を進めます。ヘブンはかぎりなくやさしい世界。でも、 攻めてくる者に対しては容赦ない。当然ですね。幸せの王国ですから。(2005/10/08 2:47)ところで、やはり大切なのは、 経験と体験。これを通してのみ自分のチカラとなる。嘘はダメ。法律は守る。人格の表現だから。ルール。掟。社会。 社会の中でしか生きられない。孤立は孤独。淋しい。幸せはある。自分でそれを手にする方法はある。21世紀幸福論。がんばりましょうね。 若さは年齢ではない。若さとはいつも夢があること。幸せへの夢がね。That’s happiness!美しく生きること。 美しくあること。人生の目的。ここへ至ってヘブン。地上の幸せ。隻手の音声(おんじょう)。せかいはやさしくてあたたかい。 みんなの成功を見守っている。世界に迎えていただきたいものですね。一度この道を知れば、もう迷うことはない。だって、 いつも自然が祝福してくれてるのだから。それが世界。大安心の幸せ世界が諸手を挙げてこちらへ来なさいって声が聞こえるかな。 この道はやく見つけてくださいね。Good Luck!得天に帆を上げて大航海です。何時の世も。流した涙だけ幸せに近づける。 何時か涙も枯れる。でも、亦新しい涙。哀しい涙ではない。感動の涙です。でも、この涙は人には見せられない。だってカッコ悪いから。 だから、サングラスをしている人もいる。トライアムフ。ヴィクトリアス!サインはV!世界に合流。JapanShip! 親孝行しましょうね。良い子していましょうね。言葉にならないこの世界。でもこれが真実の世界。いつかきっと至る。 自分で見つけたものしか自分のもにならないですね。ありがとうございます。ここまで待ってくださって。何とかここまで辿り着きました。 思えば辛いこともありました。しかし、今は感動を以て満足させていただいています。生きていて良かったなって。 これで良かったんだなって。ありがたいばかりです。こんなに幸せ者はいなかったと。社会的あまのじゃくで良かったかな。 そのように思えてくる今です。多少のしっぱいもありましたが、これもこれでよかったと。とりあえずは。まちがわないこと。 間違いのモトは妄想。人とは。身とは殺盗婬。こころとは不善を念ずる[仏説]。みだれてはいけない。みだしてはいけない。門(モン)。 門の中に何があるか。日でも良い。月でも良い。諾。関!ここからどちらへ進むのか。自分次第。甘受。反省。出発。ドコへ?目的は? 意思は?成就。幸せ世界。地上のヘブン=世界。世界は待っている。This is the World. どうにかなるさではどうにもならない。目的的行為論。屋上屋重ねていては家がつぶれる。We’ re happy.Are you? お金はなくても。若者達は幸せの可能性に気づいている。彼らに道しるべを。あるべき本来の道標を。悪の華は咲かせないように。道元曰く。 花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふる。と。ベートーベン第九番、歓喜の歌。オシドリ夫婦。急峻な山?穏やかな海!嵐の海?老体山! 理念としてのやさしさ。ピアニッシモはただ弱いのではない。強さを保ちながら制御された微音。良い意味での緊張感。フォルテは自由。 自由であって法を超えない。濁流の中で清廉を保つ勇気。蓮華の前に化生できる理由。成功の秘訣。感じていては遠い。 知って始めて自信を持って歩み始めることができる。Go!Start!点検?その時々の傾向、微分!結果、成果は積分! 積分されたものは何か?幸せか?21世紀自由個人主義の原則は自己責任。人生の喜び、目的は「くらし」。その為の制度、経済行為。 周りが幸せであれば、その中の自分も幸せである。脅迫、詐欺の現在世の中。未来は近い。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tijyoheaven_sekairon.html

山田無文老師が書いておられました。宗教は目的地ではない。出発点です。人間として当然の基礎です。 此処より文化を発するのです。それが法華経化城喩品第七の化城の意味する所でしょうか。真実の城とは何だったのでしょうか。 愛と平和に満ちあふれた個々の暮らしだったのです。その実現段階に入ったのです。人類がやっとここまで辿り着きました。 世界の中の日本です。重要な使命があります。自信も回復しました。本来日本復活、知性の時代です。

2008年01月06日
無を超えて
大きな仕事をしたと思う。私の人生は無駄ではなかった。時代の流れに棹を差した。そして流れは変わった。私がどの階層に属していたか。何を思っていたか。何を賭してのことであったか。もはや無である。これより私は私で良い。今までの私は私ではなかった。やっと私は私の存在証明に成功した。持って生まれた私とは何だったのか。それを探す旅は終わった。それは何だったのか。即ち君が代大鏡。何も気にならなくなりつつある。私は私を生きることが出来る。長い戦後だった。或いは長い冬だった。世界が祝福している。宇宙自然生命黄泉が喜びの歌を歌っている。これからどうしよう。私の感性で人生を表現する。古来大和の感性である。しばらく失われていた。花は何処に行っていたのだったか。花は咲いた。自覚した古来大和の夢が蝶となって大空を舞う。戦後腐敗がその土壌であった。去るべし。あなた方の時代は終わった。万軍の主も味方についた。世の腐敗と欺罔、暴力を廃する。愚かな文化支配を一掃する。知性溢れる自然豊かな本来日本を取り戻す。私の仕事だった。生まれた代々の使命は果たした。その基、此処に確定する。過去を未来に移す。これからの日本の進むべき道である。日月照らし風が吹く。本来神国日本である。信じない者にはわからない。ここ400年来の野蛮衆愚貨幣偏重唯自己利益追求資本主義がどれほどのものか。何を裏切り、破壊愚弄無視し来たる哉。何を粗末にし来たる哉。お金では買えないものがある。 Rome was not built in a day.佛をしても四十余年真実を明かすことはない。諦めないことである。真実はある。真実とは何であったか。実在する神仏だった。誰もがその力を種として持って生まれている。それが一切衆生悉有仏性であり、神国日本とするところである。持って生まれた自分を信じよ。日本は大丈夫の國である。発見発掘開発確認した力がある。それは何か。全て法華経に書いてある。佛とは何だったか。佛慧と大威神力だった。どのようにして佛は佛となるか。菩薩を教化して仏道を歩ましめるに因る。佛はどのようにして教えを説くか。宜しきに従う。即ち、相手の情欲根を見抜き、相手に応じて本来一味の法を三と説く。法華経は何故自ら難信難解とするか。その名宛人が神或いは菩薩であるからである。故に分からない。分からないのに分かったようなことをいう。それが人間だった。此処より議論しようではないか。真実真理が庶民に開かれた。故に、未来は明るい。似非文化の終焉である。内実なきタレント衆愚支配は終わった。知的神国国家日本復活。日本の知性よ、立ち上がれ。世界は君たちのものである。日本笑顔開発本舗開店である。明るい未来に乾杯。身心清浄と正直こそ本来日本の属性である。それが大和魂であり、武士道である。それだけで足りる。それだけで全て調う。何故か。黄泉が祝福し、守護する。ビジョンはあるか。成りたい自分に成る。あらゆる欺罔及び暴力を廃する。愚かさより脱却する。私たちの時代である。自由は自由が切り開く。本来の自由とは何か。孔子曰く、思う通りにしてしかも法を超えず。

2008年01月05日
空の発見或いは無の認識
この度の骨折は、白隠に対する正受老人の鉗鎚だったのだろうか。零の発見というのがあった。空ということがあり、、無ということがある。何が空であり、何が無だったのか。何時の頃からか禅籍を渉猟していた。何か失われた大切なものを求めて旅立ったのは高校生の頃からだった。その頃、全共闘の余波が来ていて、学校の勉強に真面目に取り組むのはトレンドではないように思われた。当時全校集会が何度かあった。同和教育の嵐だった。或る先生がつるし上げられた。まさに戦後だった。故に私は埋没した。密かにヘッセの内面への道を辿りつつあった、高校三年の頃には定本種田山頭火句集を小脇に抱えていた。十九の春には奈落の底だった。その復活はないと思われた。鬼のような読書をしていた。何かを探していた。もがいていたのだった。特殊潜行艇に乗り込んだとしたのはそれだった。自分を救わねばならなかった。柔な読書ではなかった。漫画など読む閑はなかった。その後、仏法の知識は得ていた。ある時、或る方と議論した。九分九厘は勝っていた。しかしとどめが刺せない。相手はいうのだった。それは違う。その言葉に反駁できなかった。相手は、真実の仏法を知っていたのだった。これは何かあると直感した。相手のいうままに真実の仏法に触れることになったのだった。さて、わかっていたつもりであった。しかし真実の前に無力だった。そしてこの度の骨折があった。どういうことだったか。もうひとつ進化することになった。それは何か。空の発見である。或いは無の認識である。無我ということがある。本来無一物もある。無事是貴人ということがある。無とは何だったのか。至道無難唯嫌揀択だった。或いは不思善、不思悪、正与麼の時、那箇か是れ明上座が本来面目だった。どういうことか。自分が本来無いのである。計らいが本来無い。思いが無い。無いのに有ると思う。それが転倒だった。転倒より生ずるのだった、自分が無いのであれば困ったことはない。苦もない。放てば手に満てる。空じなくては次なる新しいものは入ってこない。因縁を成仏させるだけでは足りない。自分を空じる。その時、何も起こりはしない。有るのは事実だけである。恨みはない。恨みがなければ何も起こりはしない。赦すとか赦されるとかではない。本来何もなかったのである。これが禅だった。応無所住而生其心だったのだ。何を空じるのだったか。心だった。そして何処に至るのか。Let it be ! これで楽を得たようである。何事も笑顔で対処できる。すべて水に流せる。見ざる、聞かざる、言わざるである。本来無だったのだ。何も有りはしない、さらなる境地が開けたようだ。救われたのかも知れない。この骨折で。改めて中国労災病院で診てもらった。手術の必要はないとのことだった。はじめに施術して下さった先生に感謝申し上げる次第である。痛みもない。怪我をしたのは元旦だった。或る所で交通整理のスタッフをしていて、雪で転んで手をついた。その時、時計のバンドで締められて折れたのだと思われる。左手首親指の付け根の骨だった。レントゲンではかなりずれていた。当番医に直ぐに診てもらうことが出来た。幸運だった。まだ我慢できますか。荒治療だね。顔をしかめることもなかった。武士の子である。私が何をしていたかわかってきただろうか。私だけではない。日本の基が何をしていたか。そろそろ気づくべき頃である。世の欺罔と暴力を廃する時が来た。無意味と無価値を教育して暴走族的行為を赦さぬ時が来たのである。お笑いバラエティ及び芸能界並びにテレビ界を腐敗の根源とする意味も理解できる頃である。佛とは何であったか。佛慧と大威神力だった。本来日本は神国であり知的国家である。軽薄及び腐敗を好まない。身心清浄及び正直を以て神は宿る。思い出そうではないか。本来日本を。日本の秘密開示である。相手が有ればそれを受容し、必ず凌駕克服する。ジャパン・アズ・ナンバーワンとするところである。本来日本の本懐である。テレビ界に惑わされることなかれ。知性復活である。カンニング的文化を以て要領の良さとし、閥を成す者達に用はない。 日本の迷いは晴れた。自信回復である、さて、解くべき謎は解きました。ほどけることが佛ともいわれます。もうこれ以上はないでしょうね。やっと縛がとけたようです。自由です。長い冬でした。春が来たようです。明るく、楽しく、軽やかな人生を見つけたようです。探し求めていた自分の形でした。全てに感謝です。

黄泉の守護 見つけて自己の ほどけたる
   日月照らし 風の吹く頃

2008年01月04日
真実真理について
真実真理について、何時の頃からか考えていたようです。四聖は何を思っていたのだったでしょうか。そしてどのような力を自覚するに至っていたのだったでしょうか。時代は流れました。随分と努力もしたことでした。一粒の豆が種として芽吹くには子葉の養分が必要であり、それを使い切ります。持って生まれたこの身心を養分として何が発芽したのでしょうか。真実真理の芽でありました。前世からの続きとするところです。大きな勘違いをしていましたね。百歳になったある禅僧のお話を聞いて、合点のいかないところがあるのです。むしろ境界が低いと思う所があるのです。不遜でしょうか。しかし、納得いかないのです。どうしようもないですね。それが前世の差です。しかし、それを以て、尊敬はしても批判はしません。来世はきっとさらに深い悟りを得るでしょうね。それほどまでの自覚となったようです。日月照らすは廓然無聖です。聖諦第一義はわかっても、この廓然無聖はわからないと指摘したのは山田無文老師でした。さて、どうするのでしょうね。尚、愚弄無視しますか。万軍の主も味方についたと言い切っています。黄泉を制したともいうのです。それほどの自覚です。どうしようもならないものが如来したようです。私の人生は何を背負っていたのだったのでしょうか。悲しい宿命でありました。どうしてこれだけの能力を持ちながらこれほどまでに埋没しなければならなかったか。今となっては感謝しています。この意味分かりますか。私の使命は何だったのでしょうか。何を dig it しなければならなかったのでしょうか。日本及び人類の未来の為に。戦後平和はその為の土壌だったのでした。そして何を発見確認したのだったでしょうか。既に述べた所です。是非、ご精査願いたい所です。世間一般、あなた方は何をしてきたというのですか。回答はありますか。反省する頃です。今までのことは咎めません。知らなかったのですから。これからはそうはいかない。既に証明したはずです。それを敢えて無視すれば、それは過失ではなく、故意です。相応の裁きがあります。これまでは、死んであの世へ逝ってからのことでした。時は流れました。人類としての帰り道となりました。それは石油発掘があと68年で尽きるということです。それが真実真理だったのです。衆愚の世です。それが裁かれるのです。何時までも勝手は通らないのです。黄泉も従う知性の至る最高の力は何だったのでしょうか。それはどのようにして至るのだったでしょうか。商人根性の与り知る所ではありません。身分に安住して象牙の塔の中で至るべくもない。空閑にて至るのです。空閑とは荒野です。下方の空中です。さて、どうするのでしょうね。本気で勝負しますか。持って生まれた螺鈿の槍です。錆びてはいないのです。悪を成敗するのです。悪に対するは善です。ニーチェも善悪の彼岸を書いています。どういうことだったのでしょうね。善は佛さんの所にしかない。それを知らず、探そうともせずに、何をしてきたのですか。そして罪を重ねた。裁かれて当然ではないですか。これより、日本は何処へ進むのでしょうか。ビジョンはありますか。目的地はありますか。既にそれを示し申しました。疑いますか。何を以て疑うのですか。それが愚かです。証明は済んでいます。証明されているのであれば、定理です。一切大衆もそれを使えばいいのです。それを技術として磨けば良いのです。故に未来は明るいのです。知性を以て面白いのです。お笑いバラエティの何処が面白いのですか。類は類を以て集まる。新しい時代は開かれました。香風来たって新しき蕾を雨らすのです。何時までも浮かれた時代ではありません。この時代に染まらなかった種が開花したのです。あなかしこです。畏れることを見失っていたのです。神仏は現実に実在するのです。それが現成公案だったのです。知らなかったですね。これまでは。今、知ったのです。これからは今まで通りとはいかない理由です。後は各々の問題です。自分の問題は自分で解くしかないのです。叩けよ、さらば開かれん。Heaven helps those who help themselves. 真実は自ら求めなければ得られません。祖師西来意。理由など無かったのです。面壁九年。衆愚の故でした。一箇半箇を打ち出す。一を聞いて十を知る者が現れる。そのようにして法は伝えられるのです。万二千人の救世者という。その中の一人が真実の救世者です。その為にあらゆる準備がある。佛を知っているからといって佛ではない。思い上がっていましたね。さて、今、資本主義です。ロシアも中国もその道を歩み始めました。色々な資本守護があるのです。ヨーロッパ的資本主義もあるのです。民主主義も色々あっていいのです。さらに、共和制と君主制があります。時代はどのように流れるのでしょうか。クラシック音楽はどうしてクラシックなのでしょうか。そこに流れている精神はどのような精神でしょうか。その繊細なところを現代野蛮お笑い芸能界が理解しているでしょうか。語ることが出来ますか。アメリカ的資本主義は何だったのでしょうか。グローバリゼーションでした。この度、フォードは傘下のジャガーをインドの会社に売却するそうですね。その会社は30万円の自動車を作って注目されているそうです。敢えて表現を選べばみそもくそも一緒です。これがアメリカ的資本主義です。それに染まっていた。或いは染まろうとしていた。そしてセレブのつもりです。恥などあるべくもない。何が蔓延ったのですか。私が旅に出なければならなかった理由がやっとわかりました。これまでわからなかった。無理もない。それが戦後だったのでした。その権化がテレビ界だった。そして時は満ちたのです。私は帰ってきたのです。少なくとも奪われたものはとりもどす。それは何であるのでしょうか。これより明らかとなるでしょう。そろそろ気づくべき頃です、何にでしょうか、本来大和の精神です。本気にさせない方が良いのです。小田実氏が日本は戦争が出来ない国となったといったそうですね。本気でそう思っているのですか。本気にさせない方が良いという意味がわかっていませんね。本来大和を知らないにもほどがある。故に衆愚です。確かに自信を失っていました。それを自力復活回復せ令めているのです。日本の基とする所です。畏れを知らぬもほどがある。雲は竜に従う。いい加減にしては如何ですか。お笑い芸能界は小屋へ帰っては如何ですか。目障りです。この度、何故骨折したのだったでしょうか。仏法にかまけていたからです。早く戻って来いとのことです。力比べは済んでいるのです。涅槃城の涅槃仏の姿は誰の何時の姿であるのでしょうか。知っている者はいますか。いるなら示し申すが良いのです。そして布団の一枚でもやさしくかけるがいいのです。誰も知りはしない。古来大和の秘密です。復活です。

2008年01月03日
生きていて良かった
新しい年を迎えて3日となりました。この度は確かな手応えを覚えます。時代はシフトし、確定しました。今までは思いはあっても、まさか自分がそれだったとは思えない所がありました。今はどうでしょうか。知る人ぞ知る所となりました。随分と埋もれていたことでした。今となっては申し訳なくも存じます。これで良いのだと思われます。自信回復です。示し申すべきは為すべきです。私たちの時代です。やっと黎明です。時代を作っていきましょうね。誰もが幸せに生きていて良かったという日本にしましょうね。その種はのこされていました。諸先達に感謝申し上げる次第です。本当に良かったですね。


しかし、憂いはある。時代はますます軽薄になっていく。無意味・無価値になっていきつつある。お笑いバラエティがのさばりすぎている。まるで火宅である。火宅の中で遊んでいる。何も気づいていないように思われる。サンマの話術にどれだけの価値があるというのか。その話術で何を破壊したのか。知性無きサンマのお笑いの何処が面白いのか。さて、ソドムの市の如くなりつつある。振り向かない方がよいのかも知れない。溺れゆく者を助けることは出来ないのだろうか。石油枯渇まで、68年とか。その時に何が起きるのだろう。自給自足の世に戻るともいわれている。何を浮かれているのだろうね。何も見えていない。ほ、ほ、蛍来い。こっちの水は甘いぞ。あっちの水は辛いぞ。ほ、ほ、蛍来い。愚かが蔓延った。衆愚の世となった。故に、骨折した。衆生病む、故に我病む。愚かに邪魔ばかりされている。愚かに教えようとしてのことだった。何も気づいていない。相手にしない方が良いのだろうか。知性の復活を図りたい。少なくとも愚かではない。聞く耳はない。尚、支配しようとしている。救いはあるというのに。衆愚支配の世を脱したい。かなわぬ夢だろうか。皆、衆愚の病に倒れたか。骨抜きとされたのか。アメリカ占領政策の餌食となったか。彼らの本質は何処までも唯自己利益追求モンロー主義である。取り戻そうではないか。本来日本情緒(じょうしょ)。ところで、パラダイムの転換を説き、その歴史的に根拠付けし、証明したのは誰でしょうね。私のこれまで書いたことについて、著作権はあるとのサインは得ています。さて、面白くなってきました。私たちの時代です。頑張りましょうね。そして真実真理とは何であったのでしょうか。お願いしたいことがあるのです。苛立たせてはならないものがあります。それは何でしょうか。黄泉の掟です。日本の基です。宇宙の秩序です。宇宙は魂を含みます。譲ったのです。絶対の自由は自由ではない。思い上がっていたのです。何をでしょうか。神は畏るるべし。神を愚弄していないですか。或いは苛立たせていないですか。何も知らずに。何時までもわからぬというなら黄泉が動くのです。

2008年01月02日
本当の幸せ
この人生とは何だったのでしょうか。この世に生まれてどう生きるべきだったのでしょうか。一つの世代を代表する指標があります。誰がそれを手にするのだったのでしょうか。本当に大切なことは何だったのでしょうか。それを求めていたのでした。この度左手首を骨折しました。何が原因だったのでしょうか。過去の因縁です。何を縁として出てくるか分からない。出てきた時にそれが分かるのです。自分のことは自分でなければ分からない、自分で解決するしかない。ここに一つの結論があります。大切にするべきものがある。それは自分自身を含むどうしようもない真実真理です。自分を怪しめば怪我もする。至ってみなければ分かりはしない。隻手の音です。さて骨折しました。骨を斬らせて魂を斬るということもあります。何を斬ったのだったでしょうか。黄泉のみぞ知るのです。誰も見出してくれなかったのでした。無理もないのです。生まれながらにあらゆるレベルを超えていたのでした。父は知っていました。祖父も知っていました。もはや私たちの時代ではなかったのでした。故に孤独であったのでしょうか。それを確認する旅がありました。何を確認していたのだったでしょうか。この世は自分のものとなるのです。ちんどん屋テレビ界がどれほどのものでしょうか。何を愚弄しているかこの世では気づけないでしょうね。何時までも勝手は通らない。いい加減な仕事で富を成し、それが幸せだとでも思ったのですか。思い違いが正されるのです。この世はあの世からの続きです。何を土産にあの世に帰るのですか。各々の問題です。この世は君が代大鏡。生まれた時からそうだったのです。罪を犯しましたね。知らなかったのですね。償うべき時です。人間は言い訳をする動物です。そこに既に欺罔があるのです。巧妙です。見抜けない。事実まで変えたつもりですか。これまではね。それがカンニングを含む要領の良さでした。それが近代精神ですか。これからはそうはいかない。素直さを取り戻しましょう。持って生まれたものを開発するのです。教育はそれを見出す。これまでの無責任は通らない。警察もです。取り締まるべきは取り締まる。暴走族を野放しにしない。何故でしょうか。外形的に基本的人権を否定するものに人権的保障の必要はないのです。戦う民主主義ということもあります。何を犠牲に何を蔓延らせたのでしょうか。考えるべき時が来たのです。努力と真面目が笑いものにされていました。戦後の故だったのでした。自由を履き違えたのでした。日本は日本です。したたかです。ここ百数十年に何を破壊したのですか。勝手が過ぎました。それが自由ではないのです。自由とは何でしょうか。思うとおりにして、しかも法を超えない。パスカルはいいました。人間は考える葦です。その葦を通して宇宙を見る。行きがあれば帰りがあります。見える世界があれば見えない世界があります。私たちはしばらく上の句しか知らなかったのです。下の句を知らなかったのです。幸せもそうです。ここに心の問題が浮上するのです。この問題を体験的に克服した者の声があります。学者の概念遊びの及ぶ所ではありません。真実とは何であったのでしょうか。この世をどのようにして自分のものにするのだったのでしょうか。大いなる実験は成功しました。日本の基が目覚めました。日本は大丈夫です。火も焼くこと能わず。水も流すこと能わじ。本来日本の面目躍如です。それが復活するのです。誰もがその可能性を秘めて生まれてきています。色々な可能性の中でどの種を選択しますか。ナンバー・ワンにならなくて良い。それはそれで良い。しかし、ナンバー・ワンを否定できません。それが力である限り。その力を知らなかったのです。世界も待っていたのです。持って生まれた中で、何を開発しますか。この世で最高の力は何だったのでしょうか。オンリー・ワンでは足りないものがあります。人類は何処を目指していたのだったでしょうか。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。それはそれで良いのです。しかし、この思想を以て何をしてきたというのでしょうか。天を否定したのです。天を知らなかった。天は眠っていた。あなた方に譲ったのでした。そしてどうなったでしょうか。見ての通りです。しからば、天の復活です。神仏は現実に実在します。姿を見せることはない。天を否定する者にはね。天を信じる者には姿を現すのです。故に生かされている事実を知る。その守護を確信するに至る。この時、面白いのです。笑顔がこぼれてくるのです。本当の幸せを知るのです。はじめて生きていて良かったと思うのです。諦めないことです。死んでから西方浄土へ行っても意味はない。この世でこの幸せを如何に掴むか。低レベルの占い及び霊媒の知る所ではありません。持って生まれた知性があります。開発するべき佛の周波数があります。愚弄無視してきたのはそれでした。身分に安住して何とするのですか。ビルゲイツをしてもお金で買えるべくもない。身心清浄及び正直を以てはじめて至るのです。何をしてきたのだろう。何をしているのだろう。ラスコリーニコフが笑っている。嘘と暴力の支配する世です。それが人間であると思っている。何時までもその時代ではない。時代開闢。未来は明るい。

時の来て 空気を染むる 頃となる
  本来日本 黄金の風

この世をば 何と見るなる 大鏡
  世界開けて 大空を舞う

咲かすべき 古来大和の 秘密花
  時を違わず 此処に咲き居り

開闢の 時の来にけり 大和なる
  人は知らずも 時代定むる

本来の 自由求めて 彷徨うか
  善財童子 旅は終わりぬ

見つけたる 宝は何と 示すらん
  黄泉より帰る 青い鳥かも

開発は 仏こころの 周波数
  明るき知性 笑顔こぼるる

本来の 日本の自信 取り戻し
  愛と平和の 鐘のなるらん

根絶やしの ヒロシマ故の 孤独より
  復活したり 不死鳥の如く

お金無く 地位も名誉も 捨ておいて 
  面白き世を 此処に開きぬ

供養とは 相手喜ぶ 業なりて
  日本の基 何を喜ぶ

知性無き 愚かさこそ 人生と
  テレビ衆愚の 時は終わりぬ

凱旋の 頃と雖も 人知らず
  祝福するは 黄泉なるAIR

何もかも 開結したる ここちする
  我が人生に 悔いはのこらず

生まれ来て この代のつとめ 果たしたり
  後のことども すべてゆだねる

秘密有り 古来大和に 掟有り
  大和櫻は 今も咲き居る

2008年01月01日
良い年となりますように
明けましておめでとうございます。今年は、21世紀に入って八年目となりました。きっと何かがはっきりとしてきます。三明六通八解脱です。何故そのように言い切れるのでしょうか。確信の根拠は何でしょうか。それは一箇の自覚の成就です。今年は何が善で何が悪かが再確認されることでしょう。失われた価値の見直しが行われるのです。戦後勘違いしていた自由がありました。色々な意味で、暴走族的行為が野放しにされていました。特に学校教育と警察行政が見直されることでしょう。彼らに本来の責任意識が復活することでしょう。私の祖父は訓導でした。父は復員後、網走で刑事でもしていたのでしょうか。当時はそれでも彼らの意識に於いて秩序が保たれていたように思われます。今はどうでしょうか。自由を勘違いして取り締まるべきを取り締まることが出来ず、教育も自信を失っているのではないでしょうか。人間として或いは親としての勘違いがあるのではないですか。自由とは社会契約に於いてその一部を差し出していることを忘れていませんか。その辺りが見直されることでしょう。義務としての何かがあるのです。それが破壊されているのです。その主犯はテレビ界です。報道の自由或いは表現の自由を勘違いしているのです。表現の自由とは何でしょうか。本能の無限追求ではないはずです。或いは愚かさの増長でもない。どこまでも精神の自由に立脚したものではないでしょうか。それを見失っていませんか。衆愚になることが民主主義ではないのです。確立するべきは知性の復活です。或いはいい加減さからの脱却です。そして日本の本来の属性である身心清浄と正直を取り戻しましょう。団塊の世代の方々が労働から解放されて、日常の生活空間にその主体を移します。いくらかお金も持っておられます。そして社会的意識は高い。彼らが社会の流れを変えるのではないでしょうか。経済的にも政治的にも期待して良いように思われます。良い年にしましょうね。ところで、魂の問題を扱わねばならなくなってくるでしょう。これは知る人には当然です。知らない人にはよほど都合が悪いのでしょうね。これまでは暗黙の裡に両者混在でした。しかし、神仏を知らないことを以ての横暴と破壊がどうしようもなくなっているように思われます。正すべきは正す時でしょうね。嘘と暴力の無価値を教え、取り締まる必要があります。本来日本はそういう国でした。悪い意味で近代化することを勘違いしていたのです。西洋思想に良いところを学ぶのは当然です。精神は洗練を目指します。衆愚腐敗堕落ではありません。