2008年03月31日
この生を無駄には出来ない
何を悩んでいたんだろうね。人生って何だったんだろうか。戦争もあった。中也は茶色い戦争だと書いた。戦争を知らない子供達だなんて歌っている。何がいいたいんだろうね。時代は流れた。既に21世紀となった。生命体としての進化過程がある。進化傾向がある。人類は何処を目指しているのだろう。やがて地球もなくなる。それまでに辿り着けるかどうか。既に辿り着いた方々もいた。四聖がそうだった。私たちはその過程にある。何が幸せだったのか。成功だったのか。本当は何を求めているのだろうね。単なる閥の一つに過ぎないテレビ界はそれを知らない。知っていればあの低レベルでの浮かれ方はない。お笑いのね。随分と考えてきたことだった。本も読んだ。凡そ柔な本ではなかった。試練もあった。誰彼耐えうる試練ではなかった。それも乗り越えたようだ。時が解決したのだろうね。そしてわかったような気がしている。人類は混迷の中にある。政治状況も宗教状況もそうである。政治と宗教はビジネス界では論議を呼ぶとしてタブーとなっている。逃げだよね。さて、本当の幸せとは何だったのか。黄泉の守護。誰もが不安の中にいる。何故だろうね。この世に生まれて何をするべきだったのか。この生を無駄には出来ない。それは確かである。成りたい自分に成れたらいいね。マイ・ペース。マイ・ウェイ。確立するべき自分がある。未来につなぐために。

「自分の心がわかってくるにつれ、身の回りで何が起こっていようとも、心の中で調和を保つことができるようになる。同時に一日のうちに何回となく、心を平安にし、もがこうとせず、休ませるように心がけてみるといいだろう。そのうちに、座っていても歩いていても、静かに横になっていても、外部の源から心の中に調和が流れ込んでくる気がしてくるかもしれない。それが本当なのであって、あなたの心に受け入れの準備ができているなら、それと調和することができるのだ」。[ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p344]これが悟りであり、禅においては歩々清風というところで、行住坐臥にそのほとりをはなれずとするところだね。暫く埋没していた。修復過程に入ったようである。三十有余年を要した。その間何を見てきたか。誰も知らないことを知ったのかも知れない。勝利宣言である。何に対する勝利であるか。自分自身に対する勝利である。時を要した。自分が変わることで世界が変わる。どのレベルでいっているのだろうね。大鏡。日月照らし風が吹く。人間の可能性を開いたのかも知れない。類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。良い時代となりそうである。生まれた使命は果たしたと思っている。孤独な月の砂漠の旅は終わった。善財童子が帰ってきた。浮かれた世の中を正す。内実のない暴走族的文化を廃する。テレビ界は閥の一つに過ぎない。何を破壊し愚弄したか。或いは裏切ったか。何を吹聴し、増殖したか。責任は重い。良識と知性の時代とする。本来の日本に帰る。やっと私たちの時代が巡ってきた。歴史の流れは面白い。本来の自分とは何だったのか。安易な自分が先に目覚めて蔓延った。そして世は腐敗した。真実は遅れてやって来る。何時の時代もそうである。そして新しい時代が始まる。明治維新は克服された。真実の自由と平等とは何だったか。明らかとなった。成りたい自分になることが出来る時代が開かれた。代償は何だったか。一箇の青春と人生だった。

「人間は、自分の愛する仕事に携わっているとき、または愛する人のために仕事をしているときに、最も仕事の効果を上げるものである。(中略)私たちは、大好きな仕事をしているとき、報酬以上の仕事をすることに少しの苦痛も感じない。この不思議な心理作用のために、私たちは自分が最も好む仕事を見つけようとしているのである。私の『成功哲学』は、この真理をいいたかったのである」。[同p353-354]「愛情を持ってする仕事は、他の仕事より質・量ともに優れている」。[同p355]そして最終結論として、「知識を集めるために直接の報酬を犠牲にしたのは、あなたが初めてではありません。本当のことを言えば、あなたの経験したことはソクラテス以来、すべての哲学者が経験していることです」。[同p361]

(1992/3/3 (以下、読書ノートです)

『エクトン』

「あなたにとって、一番良いアイディアを知っているのは、あなた自身です。あなたの選択について、年上の人たちがいかにあなたとは異なった感じを持とうと、あなたにできる唯一のことは、ゆるすこと。彼らには、あなたを受け入れさせることはできません。あなたが働きかけて、誰かに何かを感じさせることも、行為させることも、一切できない、それが真実なのです。

今やっていることは、やりたいことであり、一番必要なことです。どんな仕事に就こうと、人のためになっているということを知っていてください。援助する人。微笑み。

あなたが持つフィーリングで、現実に展開する未来が決まります。すべての創り出される現実、すべての創造物は、あなたのフィーリングから始まります。

本当にカウンセラーになりたいなら、それに必要なあらゆるステップをとっていきます。どのようなカウンセリングがいいか、情報収集してください。望む結果を得るために、ある種のトレーニングが必要なら、探して受けてください。あなたが、本当に望んでいれば、そのためのお金も引き付けます。

この瞬間、自分に必要な情報をすべて得ていると理解したら、この瞬間にもっと満足して生きることができます。必要な情報は、すべて与えられているのです。常に自分と自分の周りの世界に対する無条件の愛を選択します。暖かい、認める、理解する、気楽に。

あなたが、彼らの期待や欲求や、こうあってほしいという欲求に合わせて生きる必要は全然ないということです。自分に正直に生きてください。もっと得てください。愛と知性と意識の拡大。リラックス。あなたの真実はあなたのものです。

自分のその時々のムードが、周りの世界の見方にどのように影響しているか。自分のフィーリングが、周りの現実に如何に影響を与えているか、に気づきます。また、自分の欲求や希望が、ときに、魔法のように実現するのを経験し始めます。

誰も、外側に責める人などいない。

自分自身以外に、なにも信じる必要がないとしたら、あなたは、天国に入ります。あなたが、愛を感じること。自分が、自分の経験する現実の全てを創り出していることを認めることです。自分の源から分かち合って、他の人に与える。本当は、あなたは既に全てを知っていて、この瞬間に知る必要のある物事は、すべて知る能力を持っています。

あなたが経験する、毎瞬毎瞬が、過ぎ去るショーです。執着すべきものは何もありません。目の前に展開されているショーを眺めていればいいのです。

相手が自分の「鏡」であると知っている二人が出逢うと、神と女神の出逢いです。

自分の前に展開されるショーはすべて、自分の内側にある創造性の表現だと気づいたとき、あなたは、もっとパワフルになります。この世界に生まれてきた目的は、肉体をもって生を生きるということを経験し、楽しむためです。

自由は、闘って勝ち取るものではなく、自由を感じることを、自分に許すことからやってきます。何かから逃れようとするのではなく、自分の望む新しい状態に向かって移動するときに、望むことを得ることができます。

直観に基づいて選択することには、なにも間違いはありません。安心感と希望。彼らが、すでに内側でしている選択に、気づかせてあげることです。できるだけ、広がりのある、愛情に満ちた形で表現することです。信用すればするほど効果的に作用してくれます。

フィーリングにしたがって行動することが、一番良い。意識を、自分より深い欲求に合わせていく習慣をつける。思ってしまった以上、否定しない方がいい。エネルギーの高い状態になると、ある種の磁力を発生する。自分の内側で、自分を養い愛していい、という感覚、そうした意思を持つとき、それが外の世界に投影されて、お金が豊かさとなってやってきます。

豊かさは、自分自身と自分の周りの世界との関わりに於いて、でき得るかぎり、最も価値ある人生を実現しよう、という深い選択と意思に基づいてやって来ます。自分の選択した方向に向かう意思を明確に持てば、それを得るために必要なステップは、一度に全てが現れないにせよ、毎瞬毎瞬、あなたに明らかにされます。その瞬間をあなたが本当に自分でそれを望んでやっているかどうかということだけが基準です。「自分が自分の現実を創り出す」ということを、その人に話す前に、相手の人のおなかが十分に充たされていることを先ず確認してください。基本的な欲求が満たされていなければ、哲学を受け入れることは困難です。

望みの実現が、自然に、心から信じられることが、それを実現する上で、大切なポイントとなります。種を蒔いた後に、取るべき行動は、必要に応じてあなたに明かされます。自分の人生の質を向上させて、喜びと幸せに満ちた生活。罪悪感を動機にした行動からは、いかなる行動であれ、望んだ結果は得られません。意識を最もフォーカスするものが、自分の現実となります。

それを変える一番いい方法は、それを「受け入れる」ことです。・・・(あらゆる失敗は)あなたが具体的でなかったからです。あらゆる関係は永遠です。終わりはありません。今、あなたがイメージの中で見たものを、深いところから欲しいと思っているなら、あなたは何らかの形で、現実に経験する出来事を創るはずです。

あなたが、自分の創り出したその人に対して、自分を表現しよう、開こうという気持ちがあったなら、相手の人があなたを見つけないでいることは、不可能です。自分自身をそのまま受け入れることによって、磁力的になります。心地のいい目だな、と感じることもあるし、隠し事があるように見えることもあります。求める人間関係を、完全な自分が、自分へのプレゼントとして引き寄せるものを受け取ってください。理由づけが少なければ少ないほど、あなたの人生はマジカルに、エキサイティングに、生き生きとするでしょう」。


2008年03月30日
克服
「失敗や逆境の中には、すべてそれ相応かそれ以上の大きな利益の種子が含まれている。後悔や苦い思い出、悔しさがあるなら、その中から自分や人々のためになる利益を引き出すことを考えるのだ。それは必ずある!」[ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p294]「彼は身体の不自由さを長所に変えることによって、人間の心の中に潜む神秘的な力に波長を合わせて、それを聞き取る方法を体得したのである。彼はまた、自分の心の中から『無限の英知』の声が聞こえるように感じたのである。彼はその無限の英知から実際に多くのものを受け取ることができた。」[同p298]以上の内容は、何を意味しているのだろうか。まさに隻手の音である。禅のテーマである。これには驚いた。何に驚いたのか。禅は日本にしかないと思っていた。そうではない。西洋成功理論も至っていたのである。驚くと同時に嬉しくなった。何故か。真実は一つであることが証明されたからである。洋の東西を問わない。私の十九の春の悲しい出来事が意味を持ったのは、この本に出会ったからだった。どんな悲しみもそれに負けることなく、何時か必ず克服することが出来るという指摘だった。それは時を要する。出会いの時が解決の時だった。私は本当にあの十九の春を克服したのだろう。そして財産となったようだ。これほどの財産はない。それほどの悲しみだった。私は何を得ていたのだったか。そうまでしなければ救われない理由があった。そして探した。探したものは過去から伝えられていた真実真理だった。永遠の愛だった。絶対の自信だった。日本の自信回復だった。その過程は既に記録となった。実体験である。黄泉の守護はある。どうにもならない。それは禅の内容そのものである。人生も青春も失ったかに見えた。それほどの打撃だった。その間、埋没を余儀なくされた。このまま一生が終わると思っていた。そうでもなかった。取り戻したようである。取り戻した自分は何者だったか。敢えていう。宿王華だった。暫く無視愚弄破壊されていた。しかし一切種智慧は法華経に秘められていた。法華経の謎を解かねばならなかった。ヒロシマの意味も解かねばならなかった。そして得たものがある。なんと孤独な人生であったか。どれほどの難問を解いたのか。日月照らし、風が吹く。何を背負っていたのか。何故の孤独だったのか。知るところとなった。過去を未来に移す。仏の大願であった。この度は黄泉が動く。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本復活である。勝手がすぎた。刃向かわない方が良い。一休髑髏ご用心。それほどの自覚があった。未来は明るい。世界に合流である。古来日本は歴史が古い。蓄積された英知こそ宝である。今も昔も黄金の国である。貨幣制度は錬金術だった。いつのまにか一人歩きしている。ナポレオン・ヒル氏も同書で指摘している(p305)。お金で買えるものは心からしてみると1%にすぎない。心は見えない。それで99%の大切なものを見失っている。思い出そうではないか。代々伝えられている。生命体としての進化傾向は愚かではない。野蛮ではない。腐敗堕落ではない。淘汰されるよ。価値基準を見直す頃となった。真面目と努力が正当に評価される頃となる。頭を使うことがどういうことであったか。銀行は何をしてきたのか。譲渡担保と仮登記担保があった。バブルの原因も銀行の土地に対する実体のない重複貸し付けにあった。その後、クレジットによる高利貸しとなった。それが経済的に頭を使うことだった。企業も規制緩和の解釈を誤り、システムを複雑化させることによって、欺罔的に利益している。量販店のポイントがあるが、多くは無効となる。プロバイダは利用実体のない料金を請求する。携帯電話においても消費者のロスは大きい。欺罔的ではないか。そしてロバート・キヨサキ氏は、自分が銀行となれという。即ち、転売目的でアパートを買う。銀行からローンを組む。直ちに魅力のある広告を新聞に載せる。興味のある買い手が来る。一時金をもらって残りは貸し付ける。その利息は自分の銀行ローンより高い。決して損はない。これが頭を使うことだという。このレベルのことを考えるには、高等教育はいらない。そして財を成す。優秀な専門教育を得た者たちは雇えばいい。これが彼らの論理である。おかしくはないか。行政も政治も商人根性に染まっている。見直すべきものがある。かつては特別権力関係もあった。何故であったか。その精神性の優位があったからである。それは民を裏切らない精神だった。何もかも失われた。本当に大切なことが忘れ去られた。何故だろう。商行為即ち取引行為においては取引に伴う多少の欺罔は許されている。それが一人歩きした。行政も民法化した。愛宕の闇の海での自動操舵もあった。本来の職務の性質上、考えられない。

「不正直なことに限らず、過去に起こった他の好ましからざる事態はどんなものであっても、過去においてくることが出来る。ちょうど人がある場所を、何事もなく立ち去って行ってしまうのと同じ事である」。「過去に対して扉を閉じさえすれば可能だ」。[同p305]ところが、過去を振り向かなければ良いとするこの考え方は、仏法と異なる。仏法においてはこれを因縁とする。根本的解決をしない限り、何時かそれは出てくる。根本的解決とは、因縁を成仏させることである。仏となって初めて出来ることである。やはり、西洋はこれを知らない。故に世界は腐敗した。西洋成功哲学の限界である。ちなみに供養である。唯、真実の供養であることを要する。それは何処にあるのだろうか。探すしかない。私は見つけている。それは私が開発したものではない。教えてもらった。真実の仏法である。これ以上はつまびらかに出来ない。仏の秘密である。世界平和の基である。これを以て世界を救うことも出来るであろう。個々の因縁を解いて自由を得る。仏の力を借りるしかない。それを実践するのは自分である。他力本願であると同時に自力本願である。自分の問題点は自分でなければわからない。自分のことは自分で解決するしかない。その方法はある。教えてもらえば良い。真実の仏法である。本当に救われる。仏の故に。身心清浄及び正直を以て救われる。そのためには自分の過去を解決しなければならない。過去に対して扉を閉めればいいというのではない。それでは解決しないものがある。それで何時か不幸になる。精神的には東洋が西洋に勝る。歴史的事実である。物質文明は限界に至った。精神文明が見直される。世界の中で、精神文明の実践的方法を知っているのは日本である。仏典の何処を開いても、殺戮せよとは書いていない。平和主義の実践は仏法にある。しばらく忘れていた。思い出す頃となった。本来日本は神国であり、仏法を受容していた。何時の頃から失ったのだったか。ペリー来航と西洋文明開化を急いだ明治の頃からだった。それ以前にはあった。本来日本の価値である。ここ百数十年、忘れていただけである。思い出そうではないか。幸せになれる。本当の幸せとは何だったのか。本来日本はどういう国だったのか。あまりにも浮かれていたね。本来の価値を笑いものにしてきたね。黄泉の報いはあるよ。何を裏切ったのだろうね。

「その知恵とは、カーネギーから引き継いだ成功のノウハウを持ってさえいれば、人間が設定したどんな願望や目標も必ず達成できるというものである[同p303]」。「逆境の中にはすべてそれに見合うだけの利益の種子がある[同p303]」。「人は、自分自身が持つ無限の可能性を発見して、それによって多くの富を得る方法を見出す」[同p304]。「心に熱意を沸きたたせるかということについて、実際的なアドヴァイスを与える人は少ない」[同p310]。「よく言われる『あなたの内なる神』とは、自分自身と自分の行動についての信念のことなのである」[同p310]。「その無限のエンスージアズムは、あたかも磁石が鉄粉を引き寄せるように、人を引きつけるのである」[同p311]。さて、ナポレオン・ヒル氏のいう成功の法則とは何だったか。忍耐力と情熱(エンスージアズム)だった。面白いのはいわゆる磁石の法則もここに見られる。人を説得できるのは、その内容よりも、それを語る人の熱意である。その方法論は自ら自覚するしかない。それは行動を通して得ることが出来る。失敗から始まる。失敗を失敗と終わらせない。諦めないことである。どんな艱難辛苦も克服できる。人生の醍醐味はそこにある。自分自身との戦いである。これを制する。真実幸福論である。その気になれば出来ないことはない。出来ないのは言い訳をしている自分だった。十九の春の悲しい出来事も克服できるのである。失われていたのは何だったか。情熱だった。自信とは何だったのか。文字通り自分を信じることが出来ることである。どれほどの自分であるのか。その要件とは何だったのか。黄泉をも喜ばせる誠実さであった。それが失われている。何故か。知らないからである。自信と情熱を回復して人生は楽しい。それは行動することによって得られる。勇気を要する。ブログもそうである。文章は自己自身である。隠せはしない。人生は己との戦いであり、自己表現のプロセスである。日々、問題解決である。生命体として限りなく進化している。その進化傾向は何だったか。見極める必要があった。多数決はそれはそれとして正しい。しかし往々にして衆愚化する。克服するべきことがある。私は何故埋没したのか。その理由も明らかとなった。自分を偽っていたのである。素直でなければ黄泉の守護はない。導かれていた。試練だった。謎だった。解くしかない。そして何を発見し、発掘し、開発していたか。既に記した。情報とは何だったのか。情報は発信したところに集まる。価値のある情報とは何か。問題解決に寄与する情報である。それが仕事である。ビジネスである。お金儲けだけが先行していなかったか。それが欺罔的社会を形成していないか。大企業も自己利益追求がすぎた。それでどうにもならなくなっているのではないか。自己利益追求はそのまま他の人々の利益でなければならない。他者を餌食にしていなかったか。反省を要する。そして見直す。真実幸福論がある。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。これは仏さんのところで教えてもらった。独自の方法論を開発する。それがオリジナリティであり、財産となる。当然普遍性を帯びている。それが平等即差別ともいえる。或いは色即是空、空即是色である。代々伝えられていた。四聖以来、そうだった。それがどうだろう。閥に安住していないか。身分に安住していないか。それで民は苦しんでいないか。障害者が多くなった。何故であるか。その理由を考えようとしていない。それでいいのか。問題点は常にある。その解決がビジネスとなる。私は何を解決したのだったか。情熱の火をハートに点す。行動によって自信を回復する。それは本来の自分自身への回帰である。そのためには本来の持って生まれた自分自身を知る必要がある。自分のことは自分でなければわからない。それを手伝うのが教育の目的であり、能力を引き出すのである。自分が発見、発掘、開発したものは何か。それはあるか。欺罔的では価値はない。商行為が諸価値を破壊した。日本武士道精神もそうだった。その解釈を誤った。本来日本を笑いものにした。それで祖先が喜ぶだろうか。黄泉の守護はあるだろうか。神風は吹かない。しかし、本来日本は神国である。そろそろ気づくべき頃である。何に気づくのか。各々の問題である。本来の自分を知る。本来の自分となる。情熱の火を点す。自信を回復する。回復した自信は絶対である。新しい人生が始まる。誰もが孤独だと思っている。孤独から逃れたいと思う。あらゆる障害から逃れたいと思う。この世の人生の意味は何だったのか。過去を解決して未来につなぐ。考えようともしなかったね。探そうともしなかった。それとも諦めたのかな。人生はすばらしい。この世はバラ色である。何を浮かれているのだろうね。地獄の中で。未来は明るい。それが見えてきた。生命体としての人類の進化傾向がある。方向を定めるのは私たちである。黄泉の守護はある。何時あるのか。万物の霊長として、神の権限が私たちに譲られているのだよ。お笑い芸能界はこの厳粛な事実を理解しているかな。何時までも諸価値を破壊していることに気づき得ないのかな。心ある知性達よ、立ち上がれ。時は来た。ハートに火を点けよ。自信を回復して、情熱を持って臨めば、どんな夢も叶う時代となった。私たちの時代である。未来は切り開かれた。21世紀の約束は成就した。艱難辛苦こそ資産となる。


2008年03月29日
それでいいのではないか
その後、何もかもが面白いと思われてくる。山田無門老師がいっていた。夏の西日の暑さに、夕日には夕日の良さがある。そのように思われてきた。何があっても良いのではないか。お笑い芸能も良いのではないか。それぞれ頑張っている。それでいいのではないか。西洋成功理論もわかった。自分次第だったんだ。良い時代になったね。自由及び平等並びに民主主義及び平和憲法、万歳!良い時代にしようね。大和の基は健在である。原爆の火をしても根絶やしにされはしない。大和が目覚めた。申し訳ないが本当である。大和発進!


本当の幸せ
本当の幸せとは何だったか。自分が自分となることだった。最終最後最大の敵は自分だった。自分の問題は自分で解決するしかない。時を要する場合もある。大器晩成とするところである。そして本来の自分となった幸せはどこにあったのか。たとえば

ブレイク
われに心の悦びと
心のすこやかさあり
われの愛する妻ありて、われを愛す
わが身体 これすべて実なり
おのれを愛するほどに他を愛し
他をあがむるものはなく
おのれほど偉大なるものを
知ることあたわず


2008年03月28日
日々確認
●忍耐力を身につける4つのステップ
1.燃えるような熱意に支えられた明確な願望や目標を持つこと。
2.明確な計画を立て、それを着実に実行していくこと。
3.親戚、友人、周囲の人たちの否定的な、あるいは意気消沈させるような意見をきっぱり拒絶すること。
4.目標と計画に賛成し、激励してくれるような人を1人、あるいはそれ以上の人を友人にすること(マスターマインド)。[ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p283]

これらの内容の詳細については、同書を読んで頂くしかない。さて日々、この本から確認作業をしている。そして改めて、暫く埋没していた理由がわかった。己の怠惰だったことを認めざるを得ない。しかし、確かに至りついたようだ。何処へ至ったのだろう。真実幸福論である。失われたかに見えたこの三十有余年は無駄ではなかった。思えば何時も黄泉の導きがあった。私の実体験として確認したことだった。それはスタンド・バイ・ミーだった。世界はすべて意味を持っている。愚かではない。野蛮でもない。世界の中で重要な要素となりうるか。それが問題である。日々問題を解決していく。それが人生だった。失敗をする。当然である。それを一つひとつ解決する。何時か失敗するべき失敗がなくなる。その時、幸せがやってくる。本当の幸せとは何だったか。今ある幸せは化城にすぎない。身分或いは閥に安住してはいられない。火宅であることは変わらない。真実自由はどのようなものであったのか。代々伝えられている。あらゆる失敗をした。凡そ乗り越えることは出来ないであろう十九の春の試練があった。それも乗り越えた。仏法も得た。最終最後最大の敵であった自分自身を制した。黄泉の守護も知った。この世は過去からの夢の実現過程だった。『思考は現実化する』も理解しつつある。いくつ役満を数えたことになるのだろう。幸せもわかった。『何か失われた大切なこと』。高校の頃からのテーマだった。その頃、「人間関係は同レベルで触発する」と思っていた。四聖、何するものぞ。何を伝えたかったのか。知りたかった。わかったような気がしている。パスカルのメモリアルがある。偉大な数学者が偉大な神秘家を自覚したときの記録だった。『パンセ』とは、草稿だった。目的は、如何にしてわかりやすく神秘を説明するかだった。この世はすばらしい。本当にそう思う。歩んだ道のりは正しかった。


2008年03月27日
自分が変わることで世界が変わる
自分が変わることで世界が変わる。本来の自分となって、喜びを知る。生まれて良かった。この世はすばらしい。本当にそう思える時が来る。自分との対決だった。これを制して世界が祝福する。これが幸せであり、自己実現だった。あえていいたい。お金ではないよ。世界が自分のものとなる。すべてを知る時が来る。情報は発信するところに集まる。それが大鏡である。黄泉の守護である。誰もが至りうる。サインを見逃さないことだ。世界は愛とやさしさに満ちている。愛の周波数がある。自分が変わることで世界が変わる。あらゆる苦難が報われる。ベートーベンもそうだった。成功哲学は何時の世にもある。般若心経もそうだった。法華経もそうだった。『思考は現実化する』もそうだった。成りたい自分になれる。夢を諦めないことだ。必ず実現する。謎を解く。謎は自分自身だった。謎を解いて、日月照らし、風が吹く。自己変革。自己実現。この世はすばらしい。何時の世もそうだった。誰もがそうだった。腐敗堕落が人生ではない。輝かしい人生がある。知らないから不安がある。本来この世に一切不安はない。それが空だよ。或いは無だった。或いは幸せだった。この手でつかむことが出来る。三十有余年を要した。思えばすべてが懐かしい。記録は遺された。もはや過去を振り返りはしない。明るい前途が見える。希望がある。未来は明るい。明るい未来はこうしてつかむ。私の人生は無駄ではなかった。あらゆる障害を乗り越えた。先駆者だったのかも知れない。私の使命は何だったのか。悲しい十九のあの試練を克服することだった。この使命を果たしたものはいただろうか。過去を未来に移す。どういうことだったのだろう。空白の三十有余年はつながった。私は私で良かったことを確認した。すべてが意味を持った。人生に無駄はない。あらゆる苦難が資産となる。生きる勇気が湧いてくる。己を生きよ。黄泉の激励があった。信じていて良かった。何を信じていたのだったか。自分自身を信じていた。何もかもなくなった。愚か人からも馬鹿にされる。故に、自分を知った。笑顔ですべては解決する。母はいった。笑った時が恐ろしい。伝えるべきことがある。真実真理とは何だったのか。姓は後藤。名は静雄。先祖代々の務めを果たした。何を成したというか。古来本来神国日本を未来につないだ。祖先の名に於いて原点はしかとここに定めおく。後の余の事は任せたよ。私の生まれた使命は果たした。爾自身を知ることだった。確認した愛の周波数とは何だったのか。それは二つの心が調和するときに生まれる。一瞬のビルトーゾ(巨匠)の醸し出すハーモニーである。これが隻手の音であり、これを聞くことで信じることができる。二つの心の出会いは倩女離魂のテーマであったといえる。やはり愛である。調和である。開発するべきはそれだった。永遠のテーマである。あるいは無限の富である。お金を通して目指していたのはそれだった。日本には既に道元貧学道を通して至るのだった。本当の幸せとは何だったのか。物質文明の限界が見えている。真実とは何だったのか。世の転換期である。思い出すべきことがある。それは何か。本来日本純粋精神ではなかったか。誰もが浮かれていた。そして忘れている。嘘と欺罔がはびこりすぎた。それで利益をなした。それが知恵だと思った。そして閥をなした。しかし時代の流れは変わった。

2008年3月18日、現在『明日の神話』を展示している東京都現代美術館で記者発表が行なわれ、『明日の神話』の最終設置場所が東京都の渋谷に決定いたしました。


2008年03月26日
21世紀真実幸福論
明らかに時代は変わりつつある。良い傾向だと思う。やっと私たちの時代となりつつある。暫く愚かだった。その理由は既に記した。さて、ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』はp206あたりです。先ほど事務所を抜け出して、駅前ジョイフルで食事をしました。ショウガ焼き定食とドリンク・バーでした。本日午前10時、久しぶりに無線LAN設定の仕事が入っています。府中町での仕事です。さて、ゆとりと余裕を取り戻せたように思われます。暫く試練でした。そして本当に大切なことが見えて参りました。笑顔で冷静に問題解決ですね。そして孤独ではなかったと本当に思えるようになりました。これで救われたのです。眷属はもういないと思っていたのでした。いるのでした。日々サインをいただいています。ありがとうございます。黄泉の守護も知りました。これで絶対の自信となるのでした。不安からの自由です。

人間存在は悲しいね
何故だろうね
それは過去からの悲しい記憶
この世に生まれて それを解決する
そのために生まれていた
しかし さらに愚かさを重ねる
自分を裏切っていることを知らない
結果 腐敗堕落する
それが人生だと思う
そして それを吹聴増殖する
せっかく人間として生まれてきた
過去からの悲しい記憶を書き換える
故に 未来は明るい
真実の自己人生が始まる
人生とは過去からの夢の実現過程だった

本能的欲望の追求なんかではない
人間は単なる動物ではない
動物も通ってきた
万物の霊長 精神的実在である
やがて神仏へと至る途中である
何度も生まれてきている
初めて人間となったものがいる
幾度か人間に生まれて完成を目指す
それが天才だった

笑顔ですべて解決する
愛の周波数がある
動植物及び岩石も喜ぶ
世界は愛とやさしさで満ちている
先達の智慧がある
不安とは 過去からの悲しい記憶
どのようにして不安から逃れるか
知ればいい
そして 何事も楽しむ
でも 出来ないという自分がいる
知らないことを以て 言い訳している

泥棒がいました
彼には親も兄弟もいませんでした
心をうちあける友達もいませんでした
愛されたことはなく
やさしくされたこともありませんでした
ある日 祖父の家に入りました
祖父に見つかってしまいました
祖父は何もいわずに温かい食事を与えました
泥棒は黙って食べました
泥棒が帰ろうとしました
いくらかお金を持たせたのでした

過去からの悲しい記憶があるのです
それが不安の原因でした
何度も生まれ変わってきています
この世でそれを解決できるかどうか
そのために生まれていたのです

今起こっている悲しい現実はすべて
過去からの悲しい記憶です
三世を見通せば
ゆるすとか ゆるされるとか
どうでも良いのです
憐れむしかないですね
この世でさらに遺恨を遺している

愛の周波数があって
すべてはやさしさで解決するのです
何事も笑顔で
この世に生まれた意味でした

暫く見失われていたものがあって
思い出す頃となりました
故に 未来は明るいのです
良い時代となりました

険峻な山? 穏やかな海!
嵐の海? 老体山!

生命体としての魂の遍歴
西洋思想は六道輪廻を知らない
日本も何時か染まっていた

地球も何時かなくなる
諸行無常
生命体としての進化傾向
限りなく やさしさへ向かう
愛と平和を目指す おだやかさへ

日本は野蛮及び愚かさより脱却する
21世紀知性の時代へ 大空を舞う

本来の自分とは何だったのか
やさしさを知って 喜びを知る
愛の周波数を以て 宇宙と同調する
自分が変わることで世界が変わる
世界はすばらしい
人間はすばらしい
生まれて良かったと思う
悲しい過去を解決して真実の自己となる
真実の人生が始まる
学問にて練り詰めよ
幸せがやって来る
不安も貧困も乗り越えよ
悲しい過去の記憶を正して
絶対の自由を知る
絶対の自信となる
21世紀真実幸福論

さて、失われた何か大切なものは見つかった。三十有余年を要した。そして何を確認したのだったか。自分自身だった。それは持って生まれたものだった。それを疑っていた。しかし帰るべきはそれだった。それとは何だったのか。法華経宿王華、一切種智慧だった。世間に染まろうとして染まれなかった。染まろうとすると、自分まで壊した。そして自信を失った。取り戻さなければならなかった。そして取り戻した。自分を諦めていなかった。その間、何を見つけたのだったか。既に記した。凡そ非常識である。それ故に正しい。不安もなくなった。迷いも憂いもない。恨むこともない。何もかもなくなった。そして自分自身が見えて来る。これが無ということだったのか。能力はあった。故に悲しみは深かった。もう失われた自信は取り戻せないのかと思った。しかし、日月照らし、風が吹く。大自然のサインがあった。諦めるわけにはいかなかった。何時しかこの人生が、一人歩きし始めた。探していたものは何だったのか。それ自体が導いた。百鬼丸の旅は終わった。この世に生まれた意味を見出した。それは何だったのか。三十有余年の孤独な長い冬は無駄ではなかった。三年にわたるブログに感謝する。パソコンがあって良かった。私はこれらを通して、最後の自分探しの旅を実行することが出来た。すこぶる勇気を要する内容だった。不遜かと思われた。やがてナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』に至った。ロバート・キヨサキ氏の本を経てのことだった。以前は敬遠していた種類の本だった。これらの本の中に、私の至った同種の内容を確認した。世界は一つだと思った。私の旅は正しかったと思った。日本は世界に合流する。そしていよいよ日本の時代である。やっと日本は世界に追いついた。追いついた日本は、これより、野蛮ではない。世界の中の日本となる。これまでのテレビ界は猛反省を要する。本日を以て、私の哲学の時代は終わった。現実回帰である。新しい時代である。


●ごとうじゅくからのメッセージ:
「この不安は多分に先天的なものだと思う。この性格は、親友の財貨を奪うだけでなく、その親友を打ちのめすことによって自分の行為を正当化しようとするのだ。(中略)他人から批判されるのが恐ろしい、という理由で私たちはつまらないことに神経を使って生きてきているのである。(中略)批判を受けることの不安感は人々から自発性を奪い取ってしまう。創造力を破壊し、個性をつぶし、自尊心を奪ってしまう。その他の面でもダメージは多い。親は無神経に子どもを批判することによって、子どもの心を傷つけているlことを反省しなければならない。(中略)人間は誰でも、他人を批判したがる傾向を持っている。相手が求めるかどうかに関係なく、提供したがる過剰サービスなのだ。注意しなければならないのは、身内の者に対する批判である。子どもに対する無神経な批判は、子どもに劣等感を植えつけてしまう。たとえ親であっても許されるものではない。これは、もっとも大きな罪だ。人間の本質をよく知っている経営者は、部下の脳力を引き出すために、批判するのではなく、建設的なアドヴァイスによって脳力を発揮させている。親としても、子どもに対してこのような真のリーダーシップを身につけなければならない。批判は、人間の心に不安や憎しみを植えつけるのである。決して愛情や感動は生まないのだ」。(ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p487-488)


2008年03月25日
現実回帰
今、ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』のp185辺りを読んでいる。これまで三十有余年、何故埋没していたか。その理由及び原因も明らかにした。ある意味で勇気を要した。故に、自分の現実はどのようであるか。負け犬であったことを認めざるを得ない。現在の地位では、何をいっても駄目である。誰も耳を傾けない。むしろ批判的に根拠のない単なる思いつきで意見をしてくる。こちらがどれほどの思索と経験の結果であるかを知らない。このままでは何も変わらない。いかに現実回帰するか。新たな具体的課題となっている。とりあえず、この本を慎重に読み進めることにしよう。あまりにも無計画な生活だった。当然お金にも困った。見直すべきことがある。人間は習慣が大切である。己の現実に対して、責任は己にある。言い逃れは出来ない。申し訳ないことだった。この現実を甘受し、これを改善するしかない。この三十有余年及びこの人生を無駄に終わらせるわけにいかない。今20:26、高校の先輩の会社の事務所にいる。机を一つ持ち込ませてもらった。自由に使って良いとのことである。ありがたい。私にとっては研究室である。願望が一つ叶ったようだ。始まりである。ここから何かを発信できるようになるかも知れない。その何かとは、真実幸福論、或いは、真実成功論であるのかも知れない。まだ混沌としているが、根本は捉えているつもりである。今暫く研究する。やがてまとめる時が来るだろう。かつて創造主は神であると思われた。その記録は枚挙にいとまない。それは大自然だった。万物の霊長としての人類である。神の七つの能力が与えられている人間である。どういう事だろうか。創造主の地位は人間に譲られている。21世紀はその具体的時代である。時は来たのである。ところで、創造力は善も悪もない。関数の箱のようなものである。悪をインプットすれば悪がアウトプットされる。善をインプットすれば善がアウトプットされる。これまでは人生は山あり谷ありで、ギャンブル的だった。それは大航海時代に始まって20世紀で終わった。私たちは今、創造力を機能させなければならない。それを人類として委ねられた。21世紀はそういう時代である。いよいよその時が来たのである。浮かれてはいられない。怠惰ではいられない。私はそれを確信した。その力が人間に譲られている。個々が開発するべきものである。そういう時に入った。故に世界はすばらしい。人生はすばらしい。楽しいね。大自然がかつてしてきたように。故に知性を要する。開発するべきはこの関数の箱である。それは何だったのか。神力だった。その要件を定め、それを使えるようにする。具体的には愛の周波数の開発である。人間がコントロールできる時代となった。或いはしなければならない時代となった。物質資源は限界である。開発するべきは精神的資源である。このプロセスは平和でなければならない。殺戮及びカルトなどの横行はゆるされない。豊かな時代に、真実の幸福を求める時となった。己の花を十全に開花させる。それは持って生まれた自分の花である。それぞれ違う。それぞれ咲けばいい。その時、皆幸せである。真実個人主義の時代である。この時代の幸福論がある。それは何か。さて知識は知識で終われば富を生まない。ヒントは何処にでも転がっている。チャンスもである。この世は宝の山である。見える人には。何が宝であるか。日本は今も昔も黄金の国。しばらく見失っていただけだ。世界は愛とやさしさで満たされている。これに気づけば幸せだね。日本も愚かさの中で暫く混迷した。そしてその脱却はないかと考えていた。突破口が見つかった。本来日本が失われていた。日本の基とは何だったのか。本来日本はどのような国であったのか。思い出す頃となった。神国日本復活である。神仏は実在する。人間の中に。世間一般、探そうともせずに知らないことを以て否定する。そして笑顔で全て解決するんだよ。勉強は大切だよ。自己表現のために。さてこの三十有余年、無駄に時が過ぎたのではない。勉学もした。仏法も知った。無駄な経験もあった。全て意味を持つこ頃となった。これが人生だった。理想はあるか。それを語れるか。yes.確信はあるか。その証明はあるか。yes.決意はあるか。yes.何をしたいのか。表現。現実回帰。日本は野蛮及び腐敗堕落並びに卑怯怯懦商人根性及び無知蒙昧無意味無価値文化より脱する。本来日本に帰る。蓮華の前に化生などと身分に安住して傍観しない。明るい未来を開く。

≪「明確な目標」と「完全な行動計画」があれば、アイデアを富に変えることができる。(中略)もしあなたが、勤勉さと正直だけが富を築くのだと信じ込んでいるとしたら、そのような考えは早く捨てるべきである。真面目に働いてさえすれば大金持ちになれるというのは、とんだ誤解である。莫大な富というのは、努力だけでは手に入らないのである。莫大な富というのは、強烈な願望と不変の法則の働きがなければ手に入らないのだ。偶然や、まぐれとも無縁である(ナポレオン・ヒル著『成功は現実化する』p192)≫。

問題点を指摘しておこう。勤勉さ、正直、真面目、努力を否定しているのではない。当然の前提である。テレビ界はこの解釈を誤った。教育界はそれに負けた。そして、不変の法則とは何か。願望を現実に実現する力として、決意に対する黄泉の受容祝福守護がある。世の成功者は知ると知らずにかかわらず、この力を得ている。

さて、私はこうして書いている。これは決意に基づく行動である。仏は菩薩を教化して仏となる。幸せは人を幸せにして幸せとなる。利益は人に利益を与えて利益となる。大切なのは方法論である。悩みとか不安からの自由もある。個々の問題を解決しなければならない。自分の問題は自分で解決するしかない。そのままにして大人になる。腐敗堕落する。それを人生だと思う。それを吹聴増殖する。故に社会は腐敗した。どのようにして克服するか。精神の病も克服できる。未来は明るい。私は諦めなかった。高校の時に定めたテーマがあった。『何か失われた大切なものを求めて』。三十有余年、孤独な旅だった。長い冬だった。そして見つけた。神国本来日本だった。既に確信している。これを以て世界に問う。個々の証明はこれまでに幾度となく、黄泉よりサインとしてもらっている。途中、自分をも壊した。それも時が来て癒えた。真実真理を探していた。それを発見している。一箇が自覚した。それぞれ持って生まれた自分がある。その花を咲かせる。あらゆる制度の目的はそれ以外にない。

≪やがてアイディアが力を持つようになり、大きく成長し、私自身をも支配するようになったのだ。アイディアとは、そのようなものなのだ。最初はあなた自身が生み出し、活力と方向を与えてやらなければならない。だが、いつの間にかアイディア自身が力を持つようになり、すべての障害を乗り越えるようになるものである。アイディアは、目に見えないエネルギーである。そのアイディアを生み出した頭脳よりも大きな力を持っている。またアイディアは、それを生み出した頭脳が土に戻った後でも、生き続けるのである(ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』p194)≫。


実現するべき夢
昨日、大きな決断があった。三十有余年、何故自信を喪失していたか。当然であった。それほどの打撃だった。しかし時が癒してくれたのだった。その間、少なくとも内面は誠実だった。これが幸いした。故に詐欺師に騙されもした(詐欺師は嘘に嘘を重ねる。いつかは破綻するとしても、しばらくのさばる)。そして仏法まで知ったのだった。若い頃から禅籍を渉猟した。インターネットが普及する前のパソコン通信で、のりちゃんと語っていた。そしてその後、あるところで菩薩業を教えていただき、少なからず行をさせてもらった。研究もした。行入と理入は達磨であるが、中学の頃にはテニスでそれをしていた。テニスの入門書と専門書を二冊徹底的に読んで練習した。それが強かった理由だった。戦術も研究していた。そして今、『思考は現実化する』を読んでいる。その殆どが今まで私の考えていたことと一致していることに気づく。禅でもそうである。何も知らずに坐るよりは悟って坐った方が所得するところが大きいといわれている。潜在意識に関するところは高校の頃に親友と文通で議論していたように思う。自分らしさについても語ったことだった。親友は「らしさ」を嫌っていた。しかしその後、禅に於いて「あるべきようは」があった。「らしさ」はとても大切なことである。本来の自分となって幸せとなる。本来の自分と現実とのギャップ感が不幸だった。今私の置かれている状況は客観的には不幸に属する。今まではそうだった。今はそうでもない。既に主観的には成功していると思っている。現実はこれから調ってくる。私の理論は、魂と宇宙は連動している。魂に刻み込まれた意思が本気であるなら、黄泉が動く。故に現実に現象する。これが道元の現成公案だった。ナポレオン・ヒルによると≪潜在意識は肯定的な思考と、否定的な思考を区別することができない。(中略)したがって潜在意識は、恐怖に基づく思考も、勇気や信念に基づく思考も同じように現実に変えてしまうのだ≫。まるで関数の箱である。故にプラス思考に染まる必要がある。現代成功理論である。ところで、世間巷は誰もが私のことを知らない。何を考えているか。何を研究してきたか。何を見つけているか。彼らに本気で語ったことはないからである。まだ完全な自覚に至らないとき、この真実の片鱗でも語ろうとすれば、猛反撃された。彼らにとって存在から否定される恐怖があったのだろう。また彼らは話を聞こうとしなかった。殆どの場合、私に最後まで語らせないのだった。そのような環境の中にいた。孤独であるのも当然だった。相手にしなくて良かったのにね。癒されるのに三十有余年を要した。終わりよければすべてよしである。その間、図らずも得たものがあった。自分で探し求める過程でみつけたことだった。既に書いてきた。多くのことを発見し、確認している。証明もしたつもりである。そしてそれらは既に、多くの先達の業績があった。般若心経も成功哲学である。その方法論である。五官を使って具体的体験を通して知るしかない。高校の頃より『何か失われた大切なものを求めて』がテーマだった。図らずも神国日本で成就した。そして今、夢は何か。失われた神国日本の再興である。これを失って腐敗した。これを取り戻すことで日本は救われる。それは亦、人類或いは生命体としての進化傾向であった。何時か見失った。嘘と暴力が蔓延った。明治の文明開化は日本にとって文明退化だった。そして今、日本はどうなったか。武士道精神は笑いものにされた。そして何が蔓延っているのか。愚か野蛮なお笑いとレベルの低い夢を追いかけるミュージシャンである。これでいいのかどうか。日本は本来そういう國ではなかった。日本精神は埋もれている。芽が出せない状況だった。高校の頃には全学連の余波の後、部落研が席巻していた。一人の先生が差別発言でつるし上げられ、全校集会が二回もあった。とても勉強する雰囲気ではなかった。音楽はプログレッシブロックとハードロックの時代だった。フォークよりもむしろロックの時代だった。失恋してその痛みもあった。内面への道に彷徨うこととなった。さて今、私の夢は何か。神国日本を確認した。強きが故のやさしさも知った。それが本来武士道精神だった。世の解釈は間違っている。これらを失って私の住むべき空間はなかった。世間に合わそうとした。それは自分自身を否定することだった。自分自身を裏切ることになった。やがて自分をも壊した。社会に於いて生きてゆけるわけがなかった。黙して耐えた。何度か危機があった。そうした三十有余年だった。しかし乗り越えた。これは同じ種類の悩み及び悲しみに耐えている方々にとって福音である。時が解決する。諦めないことである。笑い話となる。あの世への良い土産となる。乗り越えることで。失われた何か大切なものは見つかった。仏法もそうだった。法華経は難解である。名宛人が菩薩或いは爾としての神であるからである。神仏は実在する。それが真実真理だった。これを探していたのだったか。そして夢がある。これらの諸価値を復活せしめる。既に時代は動き始めたのであろう。そのサインを感じている。私は大きな使命を果たしたと思っている。私にしかできないことだったと思っている。違うだろうか。日々サインがある。ありがたいばかりである。この世の幸福人生の関数を解いた。故にいうべきことがある。日本は本来神国である。確認している。何を愚弄無視破壊したのか。或いは笑いものにしたのか。草鞋銭は請求される。私は目も悪かった。アイコンタクトを知らなかった。これが不幸の原因の一つだった。目を見ればわかる。犯罪者の目は犯罪者の目である。人生とは何だったか。過去からの夢の実現過程だった。具体的には日々の問題解決だった。究極は自分解決だった。自分を解決して自由を得る。それよりこの世の真実の人生が始まる。世間一般これを怠っていないか。故に腐敗した。人格形成を無視している。民主主義は衆愚化した。テレビ界はその権化である。これを正す。本来日本の姿を取り戻す。武士道精神を現代社会に呼び戻す。私の夢である。日本が救われる道であると信じる。何が跋扈しているのか。憂える知識人は立ち上がるべき時である。行動無くして変革はない。ネットワークの力がある。一人では実現できない夢を実現するパワーがある。自覚することで絶対の信念となる。絶対の自信となる。知ればいい。知れば一切の不安はない。不安からの自由は知ることである。腐敗堕落無意味無内容無価値が人生ではない。単なる閥の一つでしかないテレビ界は何をしているのか。何を吹聴助長しているのか。日本をどのようにしようとしているのか。ビジョンはあるか。このままではすまされない。

ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』 p163 に、≪逆境は、常にそれ以上の利益の種子を秘めている≫とある。今、日本も世界も経済的に逆境にある。何処かに打開策はある。真剣に考えることでそれは見つかる。私の場合も、三十有余年の逆境があった。これを利益の種子と思う。亦楽しからず哉。この三十年間の空白が埋まった。自信は絶対の自信となって帰ってきた。信念も絶対の信念を形成した。思わないようにしていた惨めな日々は去った。意識は充実している。真実幸福論はこうして貧学道を通る。身分に安住していてはこの道は見つからない。可愛い子には旅をさせよ。やがて両手に宝を携えて帰ってくる。人生とは何だったのか。本当にこの世はすばらしい。世界は愛とやさしさに満ちている。それを知れば、この世はバラ色である。不安はない。憂いもない。迷いもない。何故か。知ればわかる。経験を要する。自分で確かめたものしか自分のものにならない。何を浮かれているのか。真実を知らずして幸福はない。目は輝いているか。死んだ目をしてのお笑いは悲しい。自由とは思うとおりにして、しかも法を超えない。他人の権利を害することがなければ何をしても良い。職業選択の自由は保障されている。所詮職業に貴賤はない。偏見による差別がある。それは本来の自由を知らない精神の貧困を物語っている。自由の基本は貧困からの自由であり、不安及び恐怖からの自由だった。そしてこれらは連動している。即ち、不安及び恐怖からの解放があれば、経済の自由は手にはいる。その方法は自ずから見つかり、実践すれば良いからである。不安及び恐怖が思い切った行動をとらせない。新しいことに対しては懐疑がある。知らないことを以て否定する。往々にして偏見から非難・否定する。大きなチャンスを見逃す。見逃す習性は常に見逃す。同じ事を見てどう思うか。プラス思考はパワーがある。パワー全開とする。どのようにするのか。自分をプラス思考一色に染める。それが秘訣であった。何故迷うのか。知らないからである。そこに怠惰がある。腐敗及び堕落が人生だと思う。これは伝染する。周囲がそうであれば自分もそうであると思う。そして低いレベルで慰め合っている。常識とかいう。非常識とかいう。視聴率第一主義は何を帰結したか。衆愚だった。衆愚が常識であるか。そのような馬鹿なことはない。少数意見は尊重するべきものである。今、それさえない。どうしてこのような世の中になったのか。テレビ界の故である。本来の情緒が失われた。野蛮きわまりない。祖先が悲しんでいるよ。黄泉がゆるしはしない。究極の自由は何からの自由から得られるのだったのか。自分からの自由だった。自分にブレーキをかけているのは自分だった。それがマイナス思考だった。マイナス思考に染まっているとき、それに気づけない。言い訳ばかり探している。自分に自信が持てない。それで他のせいにする。誰が悪いのではない。自分が悪いのでもない。知らないことが災いである。知る努力を怠っていた。そして諦める。世の大人はそれが人生だと思っている。何を子供たちに遺すのか。お金ではない。生き様である。諸価値を愚弄した。既に物質的文明は限界である。あらゆるものがハードからソフトへシフトする。21世紀は知性の時代である。穏やかに発進である。真実幸福論、確かに完結である。精神の力は偉大である。人類は偉大である。日本は偉大である。取り戻すべきものがある。本来私たちはどうあるべきか。勉強する。何を勉強するのか。テレビ界は勉強自体を意味がないといっている。勉強を知らないからだ。それを常識とするのか。民を何処へ導こうとしているのか。あなた方の色にこれ以上染めさせはしない。多くのミュージシャンもそうである。歌詞にどれだけの内容があるのか。音楽に乗せて歌えば流行る。読書感想文の一つでも書いてみれば良い。無意味な時代だった。浮かれていた。それで腐敗した。勘違いした者たちが跋扈した。何を取り戻すべきか明らかである。教育である。教育界の怠慢もあった。人生とは何だったか。己の持って生まれた花を咲かせることだった。誰もが己の花を十全に咲かせることが出来ることが自由であり、平等であった。お金にならなければ咲かせることが出来ない。故に咲かない花もあった。おかしな時代であった。何故勉強するのか。何を勉強するのか。何時か己の花を咲かせるためである。そのための知識と技術を学ぶ。或いは習う。教育はこうした基本的な意識があったか。身分に安住して本来の職務を遂行していなかったのではないか。さて、己の花を咲かせるということはどういうことか。己を表現することだった。お金にならない故に、高度なレベルでの開花が阻害された。何故か。市場原理は価値の破壊を内在している。シェア主義であるからである。このあたりも考えなくてはならないであろう。資本主義の世の中である。その中でこれらの花を咲かせるためにはどうするか。表現の自由は保障されている。精神の自由は絶対である。商売根性の故にそれらを愚弄無視破壊したのではないか。拝金主義者が多すぎた。本来の富豪の精神を知らない。彼らはお金が目的ではなかった。お金を通して、自己実現及び自己確認していたにすぎない。即ち、人間としての偉大を確認していたのである。本能の解放が自由だと思っていないか。多くのミュージシャンの傾向にそれがある。それは生命体としての人類の進化傾向に反する。淘汰されるよ。何時か不幸になる。こうした観点からの文化文明を開く。腐敗から脱却する。身心清浄及び正直の価値を取り戻す。本来日本神国復活とはこれを意味する。これより実現するべき私たちの夢である。

究極の真実幸福論の秘密を開示する。それは何だったか。動植物及び岩石も喜ぶ愛の周波数だった。私は既にそれを開発している。例えば『ある日の平清盛日招き岩』。即ち日月照らし、風が吹く。黄泉の守護である。本気で念ずれば幸せの周波数を発することが出来る。これを商品とすることも出来る。どのようにしてするか。秘密である。それは何処に宿るか。学問にて練り詰められた知性の発する音声に宿る。一朝一夕で開発できるものではない。持って生まれたものである。代々の成果である。声が良いだけでは駄目である。知性の裏付けを要する。悲しいかなこのブログにはそれがない。しかし微弱ながら宿っているのかも知れない。これが縁である。何と縁を持つのか。幸せの要諦である。世の富豪もそれを伝えようとしている。セミナーへ行くが良い。この世に生まれてどうするか。人格形成責任論。


2008年03月24日
春です
今日は三月二十四日、二十四というと仏法に於いて妙音菩薩様の御因縁の日です。何年か前に、当地方で大地震もありました。その日の朝、仏所へ向かっていました。何時になく雲の動きが怪しかったのを覚えています。観音菩薩様のような形の雲がいくつも群れをなして通り過ぎてゆくかに見えました。さて、その日は私が仏縁を得てはじめて道場で祖先の供養をさせてもらった日だったのです。呉に帰って驚きました。大地震だったのでした。さて、私が仏縁を得て八年目です。三明六通八解脱。三年で理解し、六年で神力を知り、八年で解脱です。時を違えていないようです。そしてその後、経済的に最悪の状態が続いていました。そして以前は敬遠していた種類の本と出会いました。これも導きだったのでしょうか。ナポレオン・ヒル著、『思考は現実化する』でした。これには驚きました。既に成功理論は完成していたのです。そして資本主義とは何かについても、ロバート・キヨサキ氏の本から学ぶところがありました。そしてお金の大切さとその意味も知るところとなりました。これまでは、宵越しのお金は持たないのが粋かと思っていたのでした。大間違いでした。お金で消費する限り、お金に困る。資産を運用してそれより生ずるところで消費する。それが資本主義の原則だったのです。そのようなこととは知りませんでした。そして、お金が目的ではなく、お金を通しての自己実現及び自分確認こそ目的であったことにも気づかせてもらいました。その過程がそのまま幸福論だったのです。日本が戦争に負けた理由がわかったように思いました。そして富を得る秘訣にも気づきました。それは健全で素直な心構えだったのです。心の中にはプラス思考とマイナス思考がせめぎ合っています。往々にしてマイナス思考が克つのです。どうしてでしょうか。不安と恐怖の故です。これを乗り越えることが出来る時、自信となります。その時、勇気も出ます。自分変革とはプラス思考が克つことだったのです。世界はそのように出来ていたのです。人生もそうでした。これを知って実践すれば、夢は必ず実現します。これが完成された成功理論だったのです。人は知ると知らずとに関わらず、自己と闘っているのでした。最終最後最大の敵は自分自身でした。自由とは自分からの自由だったのです。それが禅に於いては無でありました。さて、自分に克って正直を知るのです。何故何もかも思い通りにならなかったのか。その理由がわかってきました。無となって得た自分が本来自分が求めていた自分です。自分の問題は自分で解決するしかないのです。その方法論は既に伝えられているのでした。それが人類の英知だったのです。そして何を得るのでしょうか。正直な自己でした。身心清浄でした。愛とやさしさでした。何故それを見失っていたのでしょうか。自分は自分でしかない自分を裏切っていたのは自分だったのです。これを解決するとはどういうことだったのでしょうか。過去の過ちを含めて自分を認めることでした。これが白隠八難透のひとつ『倩女離魂』のテーマだったのです。人生も青春も失ったかに思われました。誰もわかってくれないと思っていました。それも勘違いでした。世界は救おうとしていたのです。黄泉からのサインもありました。とても不思議な人生を歩んでいたのでした。何故だったのでしょうか。今となっては使命だったと思われるのです。自分を裏切るな。持って生まれた自分で良いんだと。善と悪がある。善一色に己を染めよ。さて、正直とは自分を裏切らないことだったのです。裏切りが不幸の元です。何を裏切ったのでしょうか。自分自身を裏切っていたのでした。どういうことでしょうね。最後の重荷を下ろす時が来たようです。これで自由は間違いありません。それは何でしょうか。十九の春に重苦の悲しい出来事がありました。その後、何をしても駄目でした。何があったのでしょうか。その時、障害者となっていたのです。そしてそれを黙したまま、三十有余年、地獄を彷徨っていたのです。それが自信を失い、経済行為も出来ない理由だったのでした。その重荷はどれほど重いものだったか。背負ったことのない人にはわかりません。その原因も記しましょう。十六の時の失恋でした。大病もしました。無一文にもなりました。どれほど自分を恨んだことでしょう。ある女友達が聞くのです。自殺なんて考えなかったの。幸いそれはありませんでした。何時か回復するつもりでいたのでしょうね。さて、私は能力がありました。誰もが羨み、憧れるほどでした。その私が埋没した理由の開示です。何故それが出来たのでしょうか。それほどの自信の回復があったからです。かつてこの大病は千人に一人でした。今、百人に一人といわれています。時が来たのです。私がこうして乗り越えたことを、乗り越えることが出来ることを世に示すべきだと決意しました。私の人生の全てが意味を持つ瞬間です。長い冬でした。どれほどの冬であったか。やっと春です。明るい未来の春です。これを以て、私のブログは世の宝となりました。私は解かねばならない秘密がありました。図らずも解いたのは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の謎でもありました。そのように運命づけられていたのでした。それだけの理由があったのでした。これで重荷を下ろします。私の人生の全てに感謝を捧げます。本来日本、自信復活。ありがとう。これで失われた人生が埋まりました。十九の春とつながりました。時は昭和五十年。祖父が逝去しました。私はある療養所の窓の向こうに雪景色を見ていました。その後、大学にも合格しました。あの病の後には希有なことらしく、主治医からのお祝いの電話がありました。しかしその後三十有余年、月の砂漠の孤独な旅でした。しかし帰ってきたのです。空手ではありません。古来大和魂純粋精神を黄泉より取り戻して帰って参りました。特命特殊潜航艇浮上天地開闢。夢の釣り舟に変身です。さて、何もかもなくなりました。地位も名誉も失いました。それどころではなかったのでした。そしてそれでよかったのです。何を得てのことでしょうか。何を経験したのでしょうか。そしていうのです。この世はすばらしい。生きていて良かった。この言葉の重さがわかりますか。本当の自由を得たようです。あの障害を乗り越えたのです。吉田健一氏は書いていました。天才は自分が天才だと知って何でもないことに気づく。本来神国日本の証明もしました。ヒロシマの意味も示しました。誰も手がつけられなかったですね。間違いなく、私の使命でした。導かれていたのです。もはや自由です。真実及び真理も確認しました。文学をしても良いですね。いくらでも書けそうです。おそらく、私にしか書けないこともあるのでしょうね。巷では誰からも馬鹿にされています。地位も名誉もないというのはこういうことだったのですね。しかし断言しておきます。一休髑髏、ご用心。畏れを知らない者たちの天下は終わりました。時代はシフトしたのです。君が代です。それは何だったのでしょうか。全ての謎は解かれた。時代の色を塗りかえる。知らないことを以て、勝手がすぎた。本来日本の諸価値を愚弄無視破壊しましたね。やはり、ゆるされはしない。何がのさばり、蔓延ったのですか。私はもはや失うものはありません。仏法も得ています。黄泉の受容祝福守護も知っています。孤独な旅で得たものです。あなた方が浮かれいた間に、私は探していたのでした。そしてこの度の決断は何故だったのでしょうか。ナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』を読んでの故でした。即ち、どんな過酷な人生も、それ故にチャンスに転化しうること及び世界がやさしさと愛に満ちていることを知ったからです。野蛮と愚かさからの脱却です。誰か歌っていましたね。その瞳で平気で嘘をつくと。このような文化を廃するのです。何を勝手なことをいっているのですか。真実真理及び神仏並びに宇宙自然生命黄泉がそれをゆるすとでも思っていたのですか。それが智慧ですか。それで流行を造るのですか。リスナーを何処へ導くのですか。何を笑いものにしているのですか。無責任及び勝手がすぎましたね。先ず、身心清浄及び正直を取り戻し、確定する。唯欲望追求大馬鹿暴走族に用はない。あらゆる教育が動き始める。


呉ごとうじゅくからのメッセージ
クリシュナムルティ「英知の教育」
「注意は精神集中とは違う。集中しているときには何も見えていない。だが、注意を払っているときには実に多くのものが見えている。見ることそれ自体が変化をひき起こす。面倒を見る気持ちが愛情の始まりである。愛情、優しさ、親切心、寛大さ。愛は憎悪、羨望、野心がないときにのみ存在する。人が自分自身に無関心なとき、彼は真に自由な存在である。愛するからこそ君はものごとをする。愛はその中に優しさ、親切、思いやり、そして美がある感情である。愛には何の野心も嫉妬もない。他人に対し非常に優しく親切にし、傷つけないこと。人を見つめ、助け、寛大で思いやり深く。非常に静かな精神、おしゃべりでない精神。競争をあおる教育や競争を通じての生徒の成長がきわめて破壊的であることはまったく明白だと思われる。単に技術的に優れた人間ではなく、全体的人間であるべきだということ。全体的人間とは、内面的理解力をもち、自らの内なる在り方、内なる状態を探求し、吟味することのできる力、さらにそれらを超えていく力をもった人間だというだけでなく、また、外面的にも善き行いを示す人間を意味する。内と外はあいともなわなければならない。偉大なる社会は必ずしもよい社会ではない。よい社会は秩序を含んでいる。人間にとって秩序とは自分自身の内なる秩序を意味する。英知の本質は鋭敏な感受性である。生徒は自由でなければならない。さもなければ感受性豊かではありえない。伸び伸びと学び楽しむ、それが自由である。自由は秩序を含蓄している。自由が必要不可欠であり、かつ自由とは好き放題にすることではない。生徒は自由でかつ規律正しくなければならない。 皆さんの応じ方が意識的であろうが無意識的であろうが、その結果は心に刻まれる。生は破壊であり愛であり創造である。知識は人生の目的ではない。木々や美しいものに感動し、愛するとは何か、親切とは寛容とは何かを知ることが必要である。調和と自由と愛情。教えと学びは同じこと。感情と行動は二つの別々のものではない。彼の内部に非難や反発心を起こさないよう生徒がごくはっきりと物事を見るよう助けること、感じ取ることが急務。無理に納得させようとしたり、感化を及ぼそうとしたり、是非の判断や信念を押しつけようとしたりしては駄目である。ひたすらに事実を示すようにすることである。精神が思考を空しくしないかぎり事実を見ることはできない。動機無しに何かをすることは好きでそれをすることであり、その過程においては思考は機械的ではない。そのとき脳は不断の学びの状態にあり、かたくなでもなく、知識から知識へ移ることもしない。それは事実から事実へと動く精神である。教える者と教えられる者が共に学びかつ教える情熱を持つとき、そこに注意が起こる。教室の中にある感情、ある雰囲気を生み出す。本質的な事実はなく、あるのはたんなる事実である。どんな種類の理想も危険だ。理想は事実を見ることを妨げる。自分は自由なのだ。但し何でも好き放題にするのではなく、ただ自由なのだ。もし生徒が教師に本当に面倒を見てくれている、思いやりがある、完全に打ち解けていられる、恐がらなくてもいいのだと感じれば、彼は教師を敬い、言うことを聞く。完全な信頼。生徒が恐れずにいられるよう交流のドアを開き完全に気楽で安心していられる状態。生徒は彼の全人生が達成、成功に合わせられ、そして恐怖と競争の背景をそっくり負っている。教えというものは創造的なものである。学科に興味を持たせること。何の恐怖もないときにのみ学ぶことができる。生徒は教師を信頼すると学ぶようになる。生徒が教師を信頼するとき、生徒は教師の望むように学び始める。関係を築くこと。精神はすなわち言葉である。健やかな身体と良い精神をもち、自然を享受し、不幸や愛や悲しみの全体を見、世界の美しさを見ることができる人間として生きる。英知:単に論理的に思考するだけでなく、むしろ物事の真偽を知覚し、理解する力。見るためには、身体全体が静かでくつろいでおり、鋭敏でなければならない。思考が死ぬためにはそれは花を咲かせ実を結ばなければならない。言葉によらない意思疎通、自由と秩序の中での開花。懲罰やおだては何ものも生み出さない。観念からではなくその自由から語りかける。教師として自由で規律正しければ、言葉の上だけでなく、言外でもこの真実を伝えつつある。生徒はすぐにそれに気付く」。


軌道修正
情報とは何でしょうか。意味ある情報とは何だったのでしょうか。自分の理解できないことは信用しようとしないですね。むしろ否定する。学ぼうとしない。謙虚さがないのです。魂の階梯があります。自分より上の世界は見えない。それで無いと思う。有るのです。それで謙虚となるのです。世の中は悪くなるばかりです。どうしてでしょうね。この辺りで軌道修正です。人類の英知は既に蓄積されています。宝の山です。混迷の時代であるからこそ、それに気づくことが出来ます。災い転じて福と成す。何もしなくて転じることはありません。さて、未来は明るい。自分次第です。彼の確信はゆるぎないようです。浮かれた時代に一人孤独に何を探していたのでしょうね。日本は今も昔も黄金の国だといっていました。宝を見つけています。一緒に dig it しませんか。わかったようなことをいってみても、所詮、不安は払拭できないですね。不安の原因を知った人がいるとは思わないですね。わからないから不安なのです。わかればいいのです。わかっている人を自分と同じく不安を持っていると思っていますね。自信とは何処から来るのでしょうか。自分を解決して来るのです。それも知識であり、技術です。経験によって自分のものとなります。そのようなものは無いと思っていますね。自分を基準にして考えていますね。本当の幸せは何だったのでしょうね。自由でした。ところが今、殆どの人が、貧困、恐怖、不安に苛まれているのです。価値を無視愚弄しているのです。これが民主主義だったのでしょうか。そうではないですね。戦後六十年、目覚めるべき時です。彼の発掘開発したものがあります。既に証明も得ています。彼のいってきたことに耳を傾けてみませんか。きっと幸せになれます。お金がないのは空腹に似ています。お腹が空いていれば何を食べてもおいしいですね。お金がないことで、真実が見えてきます。勿論、お金は大切です。真実はもっと大切です。清貧の教えというものがあります。それは時代として裕福の可能性が期待できない時代でした。日本は今、誰もがその気になれば裕福にもなれるのです。しかし精神のない裕福は不幸です。此処を知って始めませんか。嘘と欺罔のシステムとなりました。この辺りで軌道修正です。本来日本の諸価値の復活です。


2008年03月23日
自由とは何だったか
貧困からの自由。恐怖からの自由。それが成功理論の要諦だった。絶対の自信を得て、富を得る。世の成功者はすべてそうだった。故に高等教育を受けるべきではなかった。優等生は悲しいね。本来の自由とは思うとおりに生きること。思うとおりにしてしかも法を超えない。既に孔子が見つけていた。この人生は何だったのだろうね。どうしてままならないのか。その理由を見つけなければならなかったのか。人生に無駄はない。この謎を解いてすべて意味を持つ。それまでは無意味である。それが白隠禅師の隻手の音だった。それは、人間の思い上がりだった。何に対する思い上がりだったのか。自然を征服するのか。できるのか。自然を壊した。気に入らなければ根絶やしにするのか。頼朝は伊豆に流されていた。何を勘違いしていたのだったか。真実真理だった。愛とか平和とかいう。どうして実現しないのか。根本の謎を解いていないからだった。根本の謎とは何だったのだろうね。日本は本来神国だった。この人生でそれを見つける必要があった。真実真理とは何だったか。神仏は実在する。これを取り戻さねばならなかった。思うとおりにならなかった。人生も青春も失ったかに見えた。しかし無駄ではなかった。机上の空論ではない。現実に、日月照らし風が吹く。人生は楽しい。自分変革を要する。サナギのように。そして夢をつかむ。運命が変わる。本来の自分となって本来の自分を知る。悲しくなんかない。何を歌ってきたのだ。笑顔で春。


【~若い人たちへのメッセージ~ 記念碑として】

新パラダイス開拓団。

クラシック音楽が今も生きている。
バックハウスはベートーベン、ハンマークラービア。

今度は、山頭火になったみたい。
涙をこらえるにはつらいよね。

誰と会話する、自然とだ。
いつも会話していた。
誰も聴いては呉れなかった。
いつも私が悪者にされた。
悪いのは、君たちだよ。やはり。
もう、何もなくなってしまった。

バカどもといっしょに死にはしない。
ついてくるモノだけついてくればいい。

アジサシは、南極カラ北極間を旅をする。
どこかに新天地パラダイスはある。
私たちだけが知っている。

自分自身を研ぎ澄ます。自分自身を道具とする。
人類の英知をこき集めて。
いつも、最先端のパイオニア達には地図はない。
大航海時代もそうだった。
何を信じるのか。
羅針盤は、唯一、自分自身である。

面倒だ。なにもかも。
面倒は、さようなら。

ゲルマン民族の大移動。
新しい王国を作る。
君たちは今のまま沈むがいい。
私たちは生き残る。

これより新ミュージック歴代記のはじまりか。
武器よバイバイ。

いつも聞こえていた時代の声。
スタンドバイミー。
時代の通奏低音とフラッグシップはぼくたちの仕事だったんだろうか。
何時の世も。

Genuine goods アンティークをもとめての旅の始まりかも知れない。
唯一の私の具体的理解者テッチャンとのね。

お店の名前は、『アンティークブティックKURE』ってのはどうでしょう。

生まれてきたことの意味は、この人生をひとつの芸術として生きることだったのかも知れない。
後世のためにね。

もうチカラをぬいていいんだと思う。
悲しい目のままで自分の王国を建設すればいいさ。

ドコにもはたらくところがない。
だから、詩でもかいている。

2005/09/27 ハンマークラービアを聴きながら

しかし、みんな勝ったつもりでいる。安住している。勝手にするがいいさ。
上には上がある。ごめんだね。時代は変わったよ。
少しははたらいてみたら。もう、君たちの所得は零だよ。
バブルの穴は、国民の総預金高と同じだよ。
祇園精舎の鐘の声。
見苦しい、聞き苦しい。古くさい。
矢でも鉄砲でも持ってこい?
誰の言葉だろうね。いつでもいいよ。
とか、風の声。

私の好きだった漫画の一つに『カムイ外伝』がある。
世の芸術家はインスピレーションしか知らない。
出。エクスパイアレーションは誰が知っているのか。
そのために、何をしているのか。

昔、弁護士は三百代言だった。
結果責任主義。どういう意味か。責任。何に対する責任か。
ちくま教授が教えてくださった。

私は、かけ算の九九を五の段から習った。小学校2年生のことだった。
先生の名は、竹花先生。やはり広島高等師範卒だった。
小学校の頃、絵を一生懸命描いた。いつも入選していた。特選もあった。
小学校6年だったろうか。夜の川原石港を描いた。かなりの時間をかけた。
しかし、時の教頭先生が、白は色ではないということで却下した。
美術専科の橋本先生だったろうか、いつまでも台上で掲げてねばってくださった。
と、後で、風の音に聞いた。しかし、それで絵を描くことは止めた。
橋本先生からは、版画も習った。エッチングも習った。理論は中学時に音楽も含めて習得した。
その後、その教頭先生は寒い冬の朝、校舎の階段に足の親指をぶつけてヒビが入った。
家庭科の先生はひわだせんせいだった。
電気洗濯機の実践授業がおもしろかった。

(左足首が痛い。天気予報は乾燥注意報が出ているのに。)

最近、アトムの子とかいう。それはいい。
私は、もっと古い。
とか思った。雑感。

情緒。本来の読みはジョウショです。

私が小林秀雄を好きでない理由。中原中也に対する裏切り。
私は、ランボーが嫌いである。だから、ビヨロンの音など聴きたくはない。

今度は、パンセみたいになっている。P・ヴァレリィは好きである。
そのカイエ編が大好きだった。今は持っていない。ある頃、古本屋へ流した。

どのようにしてどのようなチカラをマスターするか。
得たものの秘伝である。
そして、そのチカラの運用・運転は得たものの自由である。
これが自由と言うことである。
勿論、自由には責任が伴う。
既に出ている結果についてもそうであるはずであるのに、まだ逃げようとしている者たちがいる。
自由個人主義の定義である。

風はどこから吹いているのか。見れば感じるはずであるのに。
周波数は、どこに合わせるべきか。Air!

林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺。月は至る梧桐の上。

●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)

●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!

●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫(マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫(マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」の法則』p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。(ヤコブの手紙5-11)≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。

●高齢化社会の中で、インターネットを楽しみ、パソコン・ライフを実践することは、たとえば、かつて、新幹線ができたとき、新幹線に乗りたい、といった気持ちを大切にして、つまり、自分の気持ちに素直になることではないでしょうか。東京オリンピックがあったとき、カラーテレビで見たい、と思った頃の気持ちを。今、68歳の方も、まだ、あと10年は働ける社会が、始まっています。だから、パソコンとインターネットを精一杯楽しむことをしてみましょう。しかし、何事も、案内人がいると、楽で安全です。そこで、そのためのお手伝いができるなら、無上の喜びとするところです。また、図らずも、障害を持ってしまった方も、パソコンをして、インターネットをして、それぞれが、楽しく、やさしく、生きていける時代が始まりました。だから、みんなが、ほんとうの幸せを、もっと、楽しんでいい、と思われます。つまり、「周りが幸せになれば、その中にいる、自分も、必ず、幸せである」という法則が実践されると、これが、「わかちあうこと」であり、つまり、全体のレベルが上がることで、自分たちも、自然と楽な環境の中で生活してゆけるのです。一部の方だけが、利益を得る時代は、もう昨日までのことです。だから、呉市だったら呉市中央公園へ出かけると、樹木がたくさんあって、美しく、整備されていて、お散歩するには最高です。そこへ、パソコンを小脇に抱えて、あるいは、車椅子のひざの上において、出かけることも、きっと楽しいことです。木漏れ日浴びて、そよ風吹いて。そして、小鳥たちが舞い降りてきます。もう、高齢者の方も、障害をもっておられる方も、自分ごととして、インターネット社会へ、入っていける時です。その環境は整いました。しかし、情報は自分で管理する、と言っても、それは難しいことです。それは専門家に任せて、自分たちは、この安全で楽しい、そして最先端の技術であるインターネット空間を、思う存分享受し、豊かな、新しい暮らしを作り出していきましょう!インターネットは、私たち、庶民あるいは市民のものとなりました。【2004/11/20 Sat.】

そして、オンラインでライブのプレイにログオンできたなら、きっと楽しいことです。
(2005/09/27 16:47)
(奇跡のスーパーバンド、レジェンズをNHK-FMでミュージックプラザを聴きながら)
世界は、いつも、そして、これからも、永遠につながっていた。こころで。それを確信し、それと合流を果たすこと。
これが、人生のゴール。姿形は色々とあっても、最上流を目指せば、やがて故郷にたどり着ける。
途中で果たせなかった夢は後生に譲ることで、人生は、やはり生きる価値がある。
これが、生きるということ。さぁ、目指せ。ゴールを目指して走るがいい。やがて本当の桃源郷に至る。
それが、祖先の夢であったのだから。その時々の一里塚を見間違えないように、ね。
地図はないのだけれど、地図も自分で探し、自分で編集し、作り上げていくべきモノ。
自分だけの地図が頼りだよ。
あたなたの夢は何ですか。お手伝いできます。きっと。
諦めないこと。安易な妥協をしないこと。この約束を守るだけ。
世界はいつも諸手を挙げて、世界への挑戦者を待っているのです。

今、私は、グラムロック(エリック・クラプトン)のVoiceとリズムが懐かしい。

そして、世界は本来やさしいということ、いつも君たちの夢を叶えてあげたいと思っていること
を、どんなに悲しいときも、忘れないでいてね。

ソクラテスは言った。「汝自身を知れ」。「私は知らない事を知っている。」
これが無知の知です。それは、鈴木大拙氏の即非の論理。それは、西田幾太郎の純粋精神。
ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』もきっと獅子を自覚したその作品。しかし、少し病的であることは否めない。ただ、その獅子が山から里へ下りてくる情景は、まさに、R・シュトラウスの交響詩だね。結局、どこから入ってもいいのではないかな。例えば、獅子を自覚すればね。ニーチェの場合、『善悪の彼岸』を読んだ方がよいとは思うのだけれど。そして、サルトルの『嘔吐』を読んだり、ダリやムンクの作品を見るとき、さらに、フロイトとか読むときは要注意です。これだけを読んだりするのではなく、必ず、その対照を用意して比較的に読まないと危ういです。地図として、時代背景を地図とか歴史とかも一緒に考えないと、一人で歩めない世界です。これをするには争闘の覚悟がいるのです。これを以て研究とは言うのですが、我々庶民はその成果を享受することでハッピーですね。道を先導してくれる先人に対する感謝を忘れずにね。その精神が法を守るということです。その人の人格はいつも見られています。あなたの人格も。これが、大切だと思います。

今までは軽薄でも生きてこれました。これからは違う。「質」が問われるのです。この理由は秘密です。時代は変わる時節があります。センターの質が舞台が回るように変わるのです。例えば、父の時代から子の時代に変わるのです。次は孫の時代ですね。楽しみです。

表現の効用について。例えば、喧嘩したとしますね。喧嘩は口でするものですが、どうしても鬱憤がたまって、いてもたってもいられないって、なります。そうしたときどうするか。場合によって違います。大切なのはいつも相手を冷静に観察しながらその流れを楽しめばよいのではないですか。剣道にしても相撲にしても強いものが勝ちます。時々番狂わせもありますが。さて、剣の果たし合いでも、実は、構えたとき既に勝負は決まってる。そこで、自分が勝ってるか負けてるか見極めができるかどうかです。それが、状況判断。で、うまくまとめることができれば、勝っても負けても達人です。お互い同士の友情もその時に生まれます。これをもって格段の差です。ところが、実際に事を起こす方が今もいる。これが困ったこと。場合によっては指揮権発動もあります。で、何事も楽しむことができれば、吉。と思うのです。http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/wkamonotatihe.html


2008年03月22日
反省
さて、反省である。辿り着いたら雲一つない満月の夜空だった。何を反省するのだろう。例えば容赦しないとかいっていた。これは本来の自分ではなかった。相手を傷つけないように配慮してそれとなく諭すのが本当であろう。そしてこうした殺伐とした時代になって、自己顕示しなければならないと思った。そうでもない。やがてわかる。それで良いのだった。謙虚さを取り戻そうと思った。それでナポレオン・ヒルの『思考は現実化する』を購入した。暫く読んでいた。≪いつも私が困難な場面に出くわしたとき、私の後ろに立って、私を導いてくれる、あの透明人間が現れたのです(P72)≫というのは黄泉のことかと思われた。≪アメリカという国は、リスクを自ら背負い、自由を求め、自発的に仕事を行ってきたパイオニアたちが造った国です。私の使命は、この成功ノウハウを使って、パイオニア精神を忘れてしまった人たち、それは、我が国だけに限りませんが、そういった人たちにこの精神を思い出させることです(p64)≫とあったのは、本来神国日本及び古来大和魂純粋精神を思い出させて、自信を回復せしめるに等しいかと思われた。またビジネスはお金が目的ではなく、手段にすぎないとあった。そして≪昨今では、自分の仕事以上のことをするどころか、自分の義務さえ怠っている人がほとんどなのですから、アメリカの経済が停滞するのも無理はありません(p69)≫とある。そのまま、今の日本の状況だろうか。思い出すのは、スマイルズの『自助論』である。即ち、「優れた人間は他人の評価などに余り重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すればそれが彼にとっては無上の喜びとなるのだ。どんな分野であれ成功に必要なのは秀でた才能ではなく決意だ。人間の成長はひとえに困難と戦おうとする意思すなわち努力いかんにかかわっている。強い願望は我々が何かを成し遂げるための先触れとなる。人生の最高の目的は人格を強く鍛えあげ、可能なかぎり心身を発展向上させていくことである。これこそ唯一の目標であり、それ以外のものはこのための手段に過ぎない。最高の人間性を獲得し、他人に役立つ仕事に打ち込み、人間としての義務を果たしていくことこそ一番立派な生き方なのだ。 人間の美徳は自分の力で精一杯努力して学んだ時に初めて目覚める。人間の行動は完全に滅びたりはしない。喩え肉体は露のごとく消え去っても善悪の行動はそれぞれに相応の実を結び将来の世代に感化を与えていくだろう。人間が生きていくことの大きな責任と危険とはまさに重大かつ厳粛なこの事実から生じるのである。行動によって人を説き伏せられる人間。人格教育の正否は誰を模範にするかによって決まる。希望に燃えている人の心は健全で幸福そのものである。仕事こそが人間の生き甲斐であり、全能力をそこに傾注すれば人格は向上し進歩も勝ち取れる」。『何か失われた大切なもの』が高校以来のテーマだった。それは見つかったようだ。三十有余年を要した。自らの内実となったか。既にブログ等の蓄積もある。そして今、ナポレオン・ヒルが理解できる。以前は敬遠していたのだったろうか。その価値を素直に認めるところとなっている自分がいる。反省の頃となった。そして始まりである。一皮むけたようだ。あるいは脱皮である。


2008年03月21日
宗教と科学の融合
確かに成功の9ステップ は面白い本である。最も現代的なのが良いのだろう。表現上の問題点はところどころで感じる。ネイティブではないからだろうか。さて、ナポレオン・ヒルについても理解できる。禅籍も改めて読んで理解できる。至ったのだろう。要は何だったのか。何が究極の真理或いは真実だったのか。法華経は難解である。以前、訳本も含めて何度か読んだ。理解できなかった。その後、あるところで少なからず教えていただき、行もさせて貰った。そしてその後、何度か読んだ。七度目のことだった。法華経も書籍としてどれでも良いというのではない。やはり本としての極め付けがある。お墨付きがあるというべきか。そうしたものである。何冊かぼろぼろになった。線引きと書き込みだらけであるからである。そして理解した。そうしたものである。で、真実真理とは何だったか。日本は神国であり、自分が主人公となって、君が代であるということだった。わからないね。謎だね。しかしそうであるらしい。日々証明がある。日月照らし風が吹く。西洋成功理論よりも、禅の方が優れている。≪だから同じ禅でも、インド人がお悟りを開くと瞑想的、思索的な面が発達したわけじゃ。それがきわめて実践的な中国にくると生活的、行動的な面でグーンと伸びておる。やがて日本に入ると芸術的というか、「道」という面で伸びておる。これが今後欧米へ行けば、日本人が行ってやっておるうちはまだ本物は出ませんが、向こうの人が本当に理解して、いわゆる現代の科学文明というものの特徴を掴んでおるものが禅を活用するようになってくると、そこに科学をもう一つ次元の高いものに仕立ててゆくだけの素質を禅はもっておるわけじゃ≫という指摘がある。仏法東漸ということがある。やがてアメリカへ渡るのかも知れない。仏法は不傷害の教えである。仏典の何処を開いても戦争を肯定する記述はない。聖書には万軍の主という表現がある。このあたりが克服される時が何時か来るのだろう。開闢以来の生命の進化傾向である。今少し時がかかりそうだ。それで先ず日本がこれを実行する。何を実行するのだろうか。宗教と科学の融合である。出来たら良いね。その材料が整っているのは日本だよ。無宗教論では人間ではない。何故だろうね。神仏が人間の中に実在するというのが究極の真実真理だよ。自分にはわからないね。何故わからないのだろうね。知らない。探そうともしない。だからわからない。でもそうだよ。日本は本来神国だった。何時か見失われていた。明治の文明開化の故である。そして今、どうなったか。何が蔓延ったか。思い出す頃となった。その要件は既に示し得た筈である。科学が絶対でないのは、アインシュタインも何時か自分の理論は乗り越えられるといっている。それが科学者としての謙虚さである。宗教は絶対であると代々伝えられている。人間の宇宙自然生命黄泉に対する傲慢さを反省する頃となった。パラダイムはシフトする。石油化学文明の終焉である。新しい時代を開く。未来は明るい。何故か。日本の基が目覚めた。明るい未来へ日本が先陣を切る。一番槍として。日本の本懐である。或いは使命である。準備は整った。日本の知性活躍の時である。その後彼がどの階層にいて何をしてきたか、重要な要素である。父もそうだった。祖父もそうだった。日本の秘密である。彼は何を探していたか。そして何を見つけたか。浮かれた時代に孤独特殊潜行していた。そして仏法を得た。無敵である。黄泉を制したといっていた。故にいう。日本は大丈夫である。正義は相対的である。法を超えなければ何をしても良い。労働争議は本来違法である。しかし法がそれを適法とする。無意味無価値無内容の権化、お笑い芸能界の首は螺鈿の槍を以て討ち取った。愚かな時代は去った。日本の知性達よ、起ち上がれ。君達の時代である。大いに活躍されんことを。未来は代々君達のものである。 


2008年03月20日
【最終結論】夢は実現する(三度目のエピローグ)
幸せとは何だったのだろうね。自分が自分となることだった。禅宗『無門関』第35則「倩女離魂」というのがある。いわば魂と身体が離脱している。二人は駆け落ちする。娘の父親は許していない。娘の身体は昏睡状態となって家で寝ている。ところが二人は誰も知らないところで生活している。何年か経って二人は父に詫びるために故郷に帰る。その時、娘の魂が寝ていた娘の中へ帰った。こういうお話である。不幸は現実と本来の自分とのギャップといえる。それは誰が悪いのでもない。本来の自分となれば良い。そのための努力が必要である。本来の自分は過去の自分を含む。過去を解決して本来の自分となる。過去には罪もある。それを解決しなければならない。過去を知る必要がある。その時、本来の自分を知る。この世に生まれたのは過去からの夢の実現過程だった。過去を正して現在の本当の人生が始まる。過去をトレースする必要がある。発生を見れば受精卵の分割から始まって、生命進化を辿り、そして人間となる。生命の不思議である。限りなく進化する。精神を有する人間は何を目指していたか。神の似姿であるともいわれる。神を目指していたのだろうか。そうであるなら、人生は浮かれた腐敗堕落ではなかったはずである。本来の自分は何を求めていたのだろう。賢聖には誰もが憧れる。賢くなりたいと思っている。さて自信がない。何故だろうね。本来の自分とひた一枚になっていないからだね。それで迷う。不安がある。自分の悪を払拭する。そして得る自己がある。人格の精錬だね。しかし往々にして、人生の何処かで堕落する。それが人生だと思う。今のテレビ界がそうだね。本来文化国家としてそれで良かったのかどうか。教育界も諸リーダーも動物性が人間性だと思っている。本能の解放が自由だと思っている。フロイト理論を間違って解釈している。何を快楽とするか。人間だよね。動物ではない。手が使える。文字を扱える。しかし今、精神は動物となった。何故だろうね。そうしたものである。自己が本来の自分となりたがっているのに、現実は本能に負けている。分裂している。自信なんか出てこない。自信がなければ勇気はない。学習は何時か行動するためにする。学習のためだけの学習は意味がない。行動しなければ人生は変わらない。自己変革がなければ夢は掴めない。本来の自分になるということがわかるだろうか。過去を解決していく。その時、自信が来る。絶対の自信といって良い。不安はない。怖れもない。何があっても大丈夫である。それが自己実現だった。そして自己実現が幸せだった。そのプロセスを楽しむ。こうした観点からの教育はなかった。こうした観点からの教育があって良い。行動ははじめからうまくいきはしない。失敗する。失敗して良い。学ぶことが出来る。これまでの教育は失敗を怖れる。何故だろう。目的が自己実現としての個々の幸せのためではなかった。良き労働者となるためのものだった。失敗に対して罰を以て臨んだ。故に自分を諦める。この世に生まれて自己変革を達成し、本当の幸せへの道を閉ざす。不幸の原因だった。本来の自分を見つけて幸せな日々となる。憂いはない。心配もない。何とかなると思える。お金なんかではなかった。お金しか頼れない方々がいる。確かにお金があれば物欲は満たされる。しかし精神或いは魂は満たされない。400年来の西洋思想の限界である。日本もそれをしばらく追いかけた。しかし古来日本は西洋以前である。此処を認める必要がある。そして失われた本来日本を思い出す。取り戻す。人間には神の七つの力が賦与されている。開発するべきものがある。開発は自覚を要する。何を自覚するのだったか。本来の自分である。そして日々チャレンジする。自己実現である。それは自己変革を通る。本来の自分を見つけてそれと一つとなる。その時、自己確認であり、自己実現となる。人間である限り、動物であり、本能がある。それをも受容して楽しむことが出来るようになる。素直になる。楽しいよ。真実幸福論である。ビジネスの目的は本来お金ではない。お金を通しての自己実現だった。高いレベルで、何だって出来る自分の確認だった。幸福追求だった。良い時代である。誰もがこれを達成できる。自分を諦めていないか。夢は実現する。自分のことは自分で解決するしかない。何を解決するのだったか。自分自身である。それは過去を含む。成りたい自分はあるか。それはどのような自分であるか。教育は此処より始める。そして子供たちの夢実現の人生を手助けする。それぞれ夢は異なる。画一的な教育の不毛は明らかである。知る者は知っている。知らない者は知らない。世間一般、知らないことを以て否定する。これで良いのかどうか。幸せになりたいね。幸せはある。バラバラになった自己がある。欲望追求する自己とそうではない精神を求める自己がある。西洋と東洋の永遠の闘争である。本来はどうだったか。両者が一致していた。それが父母未生以前の本来の面目だった。目指すべきものがある。それは何か。本来の自己実現である。身体と魂の一致である。悪い自己を捨て去ることを要する。自己が本来の自己と一致する時、自信となる。勇気も湧く。集中力を以て学習することが出来る。故に夢は実現する。しないわけがない。決断も容易に出来る。決断は決断である。決定である。一度決めたら迷わない。躊躇わない。強い意思がある。本来の自分となってそれはある。知ればいい。知らないから不安がある。本来日本にはそれがあった。精神の優位である。武士は食わねど高楊枝とはこれだった。何を愚弄したのか。本来日本の価値を以て世界を救う。平和であるが故にこれと取り組むことが出来る時間が十分にある。幸せとは何だったか。本来日本はどういう國だったか。時間をかけて考える。やがてわかる。思い出す。そして本当の幸せを知る。究極の幸せは何だったか。自信は何処より来るのか。人生とは何だったのか。日々の問題解決だった。ビジネスもその例外ではない。そして何時か自己実現したいと思っている。それは本来の自分の発見だった。どんな問題でも円満解決できる準備が調う。そうした自分となりたい。不安のない人生を見てみたい。そう思わないか。それは出来る。どのようにしてであるか。絶対の自信を得ることで実現する。絶対の自信はあるのか。あると彼はいっていた。自由を得たいと思う。経済的自由が基本である。実現するしかないね。目的がシフトした。自己からの自由は得たのだから。此処に来て、彼の追求していた真実幸福論は完成したようだ。情報は発信したところに集まる。世界が動き始める日々の証明を得て間違いないといっていた。もう穏やかに生きて良いと思っているようだ。戦いは終わった。何と戦っていたのだろうね。自己自身とだった。そして勝利したらしい。ゆるすとかゆるされるとかということもどうでも良いといっていた。所詮自分次第だ。橋本凝胤老師はいっていた。禅は自己一身の問題である。ところで最近、国土交通省の道路特定財源の使い道が問題となっているようだね。ある程度の裁量権はあるのだろうけれど、国民を納得させるだけの理由はないようだ。本来の公務といえるのかどうか。さて、公務員の使用者は誰かというと、次のような規定がある。≪【国家公務員法】(法令及び上司の命令に従う義務並びに争議行為等の禁止)第98条 職員は、その職務を遂行するについて、法令に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。2 職員は、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をなし、又は政府の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。3 職員で同盟罷業その他前項の規定に違反する行為をした者は、その行為の開始とともに、国に対し、法令に基いて保有する任命又は雇用上の権利をもつて、対抗することができない。【地方公務員法】(争議行為等の禁止)第37条 職員は、地方公共団体の機関が代表する使用者としての住民に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為をし、又は地方公共団体の機関の活動能率を低下させる怠業的行為をしてはならない。又、何人も、このような違法な行為を企て、又はその遂行を共謀し、そそのかし、若しくはあおってはならない≫。条文適用の場面は違うが、法律が公務員の使用者は誰と考えているかは明らかだね。勘違いしていたね。どうするんだろうね。それに対して慎ましやかで厳格な経理処理を日常としている民間巷は笑顔があふれている。どうしてだろう。笑顔と優しさで全ては解決する時代です。正直と誠実さより来る笑顔ですね。ありがとう。さてサラリーマンとしてお金を稼ぐ。誰のために働いているのだろうね。自分と家族のためだね。ところが先ず税金を引かれる。そして資本家(請求書及びローン)への支払いがある。その残りはどれほどのものか。そして消費を煽られている。資本主義の原則は稼いだお金で消費するのではない。資産が生むお金で消費する。そのような教育はなされていない。それで何時もお金に困っている。お金には税金がかかる。資産は税的に優遇されている。つまり資本主義である。欺罔はなかったか。それを知って庶民を餌食にしていたのだろうか。人間愛に欠けるね。トンネルがあるとする。入り口までは二車線だが、トンネル内は一車線である。右側の道路はやがて左側の道路に合流する。ある高級官僚はいった。右側をいけばいい。割り込める。道路はそのように造られている。そういうことだったのか。どうでもいいけれど。そして色々と書いてきたけれど、やっと何も気にならなくなってきた。とても気楽となってきた。これが色即是空だろうか。そして空即是色。何も気にならないところから日々の務めを為すということだったんだね。愛と平和の実現はこうして自己一身の解決だったのだろうか。笑顔と優しさで全てが解決する。何の不安も憂いもない。これが描いていた夢だったんだね。高い木は根が深い。あれほどの孤独も無駄ではなかった。最後に笑う者が一番よく笑う。笑えるようになったのかも知れない。この世に生まれて良かった。春だね。長い冬だったね。三年がかりの一連のブログは日本の宝となったね。それは悟りへ至るライブだった。そのプロセスは誰も手の出せない問題の謎を解き記録した。世界は今、大混迷であり、大変革期にある。未来が見通せない。何を信じたら良いのか。しかし日本は大丈夫だよ。日本の基が目覚めた。既に未来へ穏やかに発進した。廓然無聖、日月照らし風が吹く。古来日本卑弥呼の系譜邪馬台国大和正当日本の秘密が開示された。即ち、本来日本は神国であったことが、試練を通って、一箇の自覚とそれを導いた黄泉によって証明された。最終結論に至ったようだね。三度目のエピローグだね。後の余の事は任せたよ。


2008年03月19日
自己変革
彼の理論は確立したらしい。良かったね。何を確立したのだろうね。既に縷々と書いてきた。はじめは確信はなかった。時々のサインに驚いていた。そのような馬鹿なことがあるものかと思っていた。しかしサインはサインであった。日本がどういう國であったか。図らずも知るところとなった。それにしては彼は孤独だった。感じるところと現実が分裂していた。どちらが正しかったのか。それを確認する必要があったようだ。何を確認したのだろう。日本はどういう國だったのか。宿王華神国だった。彼はその真実を知らなかった。誰も教えてくれなかった。故に孤独だった。千尋の谷に突き落とされていた。それを這い上がるしかなかった。最終ランナーである。眷属たちはさぞ驚いていることだろう。彼はいたのか。生きていたのか。孤独な旅があった。月の砂漠だった。彼は耐えたのだった。羅針盤は何だったのか。何に導かれていたか。彼は何を見つけたのか。日本に何を思い出させたのか。永遠に世間の知ることはないであろう。それが代々の掟だったのか。父は何だったのか。祖父は何だったのか。そして彼は何者だったのか。黄泉の守護とかいっていた。君が代復活だといっていた。本来日本だといっていた。何がいいたかったのだろうね。それらも過程だった。目的は彼が現実を取り戻すことだった。何をしても駄目だった。彼には使命があった。それは何だったのか。既に謎に冥した。それで良いといっていた。そして彼は次に何をしようとしているのだろう。自己変革である。この世で生き抜くために。彼は馬宿に見捨てられていたのだったか。孤独だった。彼を理解するものはいなかった。そして彼は彼自身の問題を解かねばならなかった。解いた謎は何だったか。もうどうでも良いといっていた。それは本当であるらしい。不安、悩み、迷い、悲しみの時代は去った。それらは無知より来ていた。彼も知らなかった。その努力を怠っていた。しかし時である。そのままでは生きられなくなった。チャンスは何度もあった。しかし悉く失敗に帰した。何故だったのか。彼には解かねばならない謎があったからだった。誰も手のつけることが出来ない謎だった。誰かが解かねばならなかった。そのために生まれていたのは誰だったのか。彼もその人を待っていた。まさか自分とは思わなかった。彼は何者だったのか。彼は生まれた使命を果たした。見事究極の謎を解いた。日々その証明がある。彼は満足している。怖いものなどなくなった。当然であった。彼は謎を解いたのだった。しかし現実はどうなっていたか。まるで浦島太郎である。本来の日本の属性は悉く破壊されていた。古来大和純粋精神は死んだかに見えた。しかしその種は遺されていた。原爆を以てしても根絶やしにされてはいなかった。今となっては、もっとも安堵しているのはアメリカに違いないといっていた。『山椒魚』の末尾は削られている。どういう文言であったか。もう恨んでいない。その理由を見つけなければならなかった。何故埋没したのか。導かれていた。それで全て説明がつく。彼は何を見てきたのだろう。その孤独は想像を絶する。それを証明しなければならなかった。その証明はあった。何だったのか。生まれながらに大鏡だった。何時も慰めてくれるのは黄泉だった。それを信じていた。しかし現実はあまりにも悲しかった。どうしてこのようなことになったのか。その理由が欲しかった。そして見つけた。戦後の故だった。或いは明治の故だった。彼にはそう思われた。しかし今更その流れを否定しようとは思わない。今より始めるしかない。過去は解決するしかない。そして解決したのだった。人生も青春も失ったかと思われた。彼にはそうした幸せはなかった。高校の頃より三十有余年、彼は彷徨った。彼の人生は何だったのか。無意味に思われた。そうでもなかった。人生に無駄はない。ある日突然意味を持つ。世界が輝いて見えて来る。何が変わったのか。彼が変わったのである。何故変わったのか。知ったからである。わからないから不安である。迷う。わかれば不安はない。迷いはしない。彼は凡そ究極の幸福論を手に入れたのだった。それは何だったか。黄泉の受容祝福守護だった。それは何故であったか。祖先だった。しかし現実は法則通りである。働かざる者食うべからず。彼は通常の経済行為が出来なかった。欺罔に思えた。それも克服しなければならない。故に自己変革である。所詮職業に貴賤はない。生きるためには食わねばならぬ。浮かれた時代があった。今もそうである。彼にはゆるせないものがあった。それもどうでも良くなったといっていた。何があっても構いはしない。彼は彼自身を取り戻す必要があった。そして取り戻したのだった。生きている限り青春だね。それで良いよね。彼の人生がこれから始まる。同級生は既に役員レベルに至っている。


長い冬は終わった
人生とは何だったのか。日本とはどういう國だったのか。思い出す頃となった。本来大和日本純粋精神が明らかとなった。既に証明もある。もはやどうにもならない。学校教育は何を教えてきたのか。そして何が蔓延ったか。自由を履き違えている。世界は冷笑している。テレビ界及び諸オピニオンリーダーは何を根拠に何をして来たのか。日本を壊した責任は取って頂く。年貢の納め時である。本来日本が目覚めた。試練は通った。浮かれた世間を正す。道元貧学道、無手にて帰る。空海密教日本の秘密。一休髑髏ご用心。科学は正しい。しかし全てを知っているわけではない。世界はどのように出来ていたか。個々の成功は何を目指していたか。持って生まれた本来自己実現である。そのプロセスが幸せであり、そのサポートが教育の目的だった。無知蒙昧、勝手が過ぎた。生命及び環境も破壊して顧みない唯自己利益追求があった。文化諸価値を破壊して利益と成した。それがセレブかと思われた。反省の頃である。同じ轍は踏めない。子供達に何を遺すのか。未来は明るい。万物の霊長として。明るい未来建設の時である。本来日本に重要な使命がある。世界も待っていた。故に本来日本を思い出す。自覚する。本来日本は神国である。それを確認した。否定できるか。何を以て否定するか。生命体としての進化傾向がある。それに反していた。それだけのことである。嘘及び暴力を廃する。戦争は文化ではない。夢も知識であり技術である。学問も知識であり技術である。それらは行動に移すためにある。行動しなければ人生は何も変わらない。自己変革を要する。明治維新もそうだった。フランス革命もそうだった。一部のリーダーの故ではない。時代のエートスがある。本来日本復活、知性の時代である。愚かな閥の支配は終わって頂く。テレビ界は責任が重い。影響力が甚大すぎる。何を犠牲にし、餌食にしたか。主権在民、国民主権。消費者及び庶民を愚弄していなかったか。精神が問われている。本来大和日本純粋精神、身心清浄及び正直を以て旨とする。嘘及び欺罔を好まない。何が蔓延ったか。黄泉の鉄槌を下す。既に処したる人生がある。各々草鞋銭は請求される。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本純粋精神開花。希有なる時である。甘受するしかない。蔓延った悪を一掃する。そして新しい時代を開く。彼はいっていた。大きな仕事をしたんだって。彼の人生は無駄ではなかった。新年度が来るね。準備は調った。彼もやっと重荷を下ろしたようだ。長い冬だったね。孤独の理由もわかった。それ故に成就したものがある。それは何だったか。もう良いといっていた。時代は動き始めた。彼は生まれた使命を果たした。彼はほっと安堵している。日本の真実が復活する。日本の春が帰ってきた。本来神国日本、素晴らしい。この世は生きるに価する。

SF作家のアーサー・C・クラーク氏が死去 2008年03月19日10時38分 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200803190065.html


2008年03月18日
何時か必ず知性の花が咲く日本の春が来る
成功の9ステップ は面白いね。その中で、決断ということが大切だってことがわかる。決断することで行動に移れる。その時、無駄な時間は流れない。失敗しても良い。修正すればいい。何もしなければ何も起こらない。成功も敗北も味わうことなく終わる。それが本当の失敗だという。そうだね。そして何故行動に移せないのかというと、決断が正しいかどうか前もって知ることが出来るといった妄想があるからだという。間違っても良いんだね。間違わないとわからない。間違うことで次の決断が出来る。決断の連鎖だね。何時か成功する。成功するまで諦めるなというのは松下政経塾でも教えている。成功の法則だね。良い時代だ。人生はゲームだよ。最初から勝てはしない。焦点ということも大切であるらしい。一点集中だね。レーザー光線にたとえられていた。すべてのエネルギーが一点に集中する。鋼鉄をも切り裂く。人間の精神もエネルギーだよ。何だって出来る。使いこなせればね。勉強もスポーツも芸術も同じエネルギーだよ。開発するべきはこれだね。集中力はあるかな。学校で鍛えてくれているのはこれだ。学科科目の知識なんかじゃぁない。この世に生まれて千載一遇のチャンスです。自己実現こそ生まれた意味ですね。やるしかない。やりたいことを。失敗しても良い。何時か成功する。前向きで良い。やりたいことと自分がひた一枚になる。必ず実現する。棚ぼたではない。当然の努力をしている。自分は何に成りたいのだろうね。この世で悔いを残すまい。それが成仏だよ。明るく楽しく人生を歩む。不安なんてない。どうしてかな。自信だね。『主体性の理論』がある。団藤重光教授だよ。禅では主人公を問題にする。例えば、鈴木大拙「信仰の確立」では、≪存在の理由に徹して信仰を確立した人は、自分がいつもこの世界の中心となり主人公となる。(中略)自分の存在はいつも宇宙の中心となっていることを自覚したからである。事実は事実としても、自覚がないと、その事実が死んだ事実となってしまう。これが妙である。自覚にそんな力があるとも思えぬが、あるから妙ではないか。こうなってくると、天地開闢以前の神の心地が自分の心地になると言うても、さして誇張の言葉とも思えぬ≫。良い時代が来たね。日本は良い國だね。世界はすばらしいね。この世はバラ色だね。考え方次第だね。未来は明るいね。どうしてだろう。自覚だね。何を自覚するのかな。諦めないことだよ。自分と咲くまで。日本は知性となりにけり。愚かな時代は終わった。何故だろう。黄泉の決定なんだって。おかしなことをいってるね。勝負だよ。何と勝負するのかな。世の浮かれた腐敗と勝負する。このまま見逃すわけにはいかないんだって。閻魔さんがいっていた。しかし何時か時は来るものだね。それは自覚の時だよ。世界がどのように出来ているか。見えて来る。歴史がどのように動くか聞こえて来る。真実って何だったのだろうね。代々伝えられていた。それは確かである。世間は知らないのに否定している。真実が見えない。聞こえない。この世に生まれて良かった。感謝申し上げる次第です。何に感謝するのだろう。宇宙自然生命黄泉だね。周囲巷は誰もわからないらしい。それが孤独だった。故に至れたのかも知れない。ナポレオン・ヒルはいっていた。高等教育は受けないこと。大病を患うこと。貧困を通ること。成功の条件である。そして見えて来るものがある。これからだね。秘密がある。秘密は秘密である。とても面白くなってきたね。人生は楽しいね。無意味な時代は終わった。無価値な時代は終わった。これまで根拠なくむしろ嘘及び暴力にて閥を成し勝手に蔓延り来たる者たちは早々に立ち去るが良い。知性及び良識ある日本を取り戻さんとす。これを以て君が代とす。何を根拠に勝手し来たる哉。何を愚弄無視破壊し来たる哉。何を裏切りたる哉。真実を知らずしてのことではあった。過失というか。都美は罪。何を積み来たる哉。自然と生命を破壊して顧みない思い上がりはないか。その支配の淵源は何だったか。嘘と暴力だった。即ち野蛮だった。本来日本及び生命体の目指していた方向に反する。その時代は終わってもらう。何を以ていうか。化石燃料文化の限界である。故に自覚の時が来た。パラダイムはシフトする。新しい時代である。基準が変わった。新しいスタンダードは何か。誰か。何処にあるのか。探すべし。今も昔も黄金の國日本。浮かれた世にあっても深く思索の海に沈潜した自覚がある。象牙の塔で身分に眠る者にわかりはしない。日本は真実を得た。或いは自覚した。日本は日本である。古来愚か野蛮な國ではない。強かである。準備は整っている。辻邦生氏はやさしさに向かって咲く花のようだと書いていた。強きが故のやさしさがある。それが本来武士道大和魂日本純粋精神である。解釈を誤ったね。知らなかったね。愚弄無視したね。本来日本に帰る。日本の基が目覚めた。長い冬だった。しかし何時か必ず春は来て勝負である。古来大和は負ける戦はしない。黄泉の受容祝福守護を取り付けてする。大義名分となる。神風も吹く。古来大和は神国である。これを見出して征夷大将軍である。或いは朕は国家となる。世を腐敗に導くだけの商人根性の天下支配は終わってもらう。闇雲な時代は終わった。何をしても思うようにならないね。どうしてだろうね。意味のある時代となった。価値の時代となった。諸価値が復活する。それは勉学及び学問を通る。即ち知性の時代である。馬鹿が偉いか。何を壊したのか。知性の基が目覚めた。それは神秘と見える。神秘ではない。知らないから神秘である。知れば事実である。現実である。知ればいい。知るには時を要する。知れば不安はない。迷いもない。憂いもない。さて、どうするのだろうね。都詰めである。今日は花粉が非常に多く、黄砂も飛ぶという。学問にて練り詰めると善も悪もない。あの世もこの世もない。ひた一枚である。即ち真実である。白隠禅師の隻手の音がある。聞けば何をしても良い。聞かぬ裡は何をしても駄目だ。人生をなめていたね。腐敗堕落が人生であるか。所詮持って生まれた己の花しか咲きはしない。それを自覚すると自信は絶対となる。命さえ惜しくない。この世の問題は解決したからである。さらに一休髑髏ご用心。どういうことか。既に何処かに記した。古来大和の秘密のひとつである。日本純粋精神の春開花。

泥に咲く蓮華の前に化生かな
知らずして否定するなり世間かな
これよりは真実時代花開く
何をもて根拠にしたるテレビ界
真実の日本は秘密謎めけり

保臣 『何傷録』
「人と生まれては高きも賎しきもせねばならぬものは学問なり。学問せねば吾身に生まれつきたる善あることもえ知らず、まして他の人の徳あるも、なきも、弁へず、また昔を盛んなりとも、今を衰えたりとも知らず、いたずらに五穀を食ひて、前むきて歩むばかりのわざにて、犬猫といはんも同じことなり」。

何時か必ず知性の花が咲く本来神国日本の春が来る。その種は遺されていた。原爆の火を以てしても根絶やしにされてはいない。暫く芽が出せなかった。戦後の故である。その間蔓延りたるものがあった。魑魅魍魎が跋扈した。これを廃する。本来身心清浄及び正直を以て旨とする本来日本を取り戻す。仏も味方する。本来日本である。自覚を要する。そして世界を救う。世界も待っていた。本来日本重要な使命がある。現存文明文化諸国家に於いてもっとも歴史古き所以である。祖先の前に一億総懺悔である。同じ徹は踏まない。新しい時代を開く。牽引する。年貢の納め時である。

大切なことは誰もが可能性を持っているということである。征夷大将軍とは過去のそれではない。今世紀最終最後最大の敵は自分自身である。開発するべきは自分自身に対するコントロールである。それが一切衆生悉有仏性だった。誰もがそれを手にすることが出来る。そのように生まれている。それがこの世に生まれた意味だった。この世に生まれて何をするか。問われている時代である。既に物質的資源は限界に来ている。これからは精神的資源が大切である。開発するべきはそれである。それはどのようなものであるか。例えば大鏡である。これを把捉するのは困難を極める。瓢箪の底で鯰を獲るようなものである。黄泉を味方にするのである。どのようにするか。学習はすべて行動するためにある。行動することで人生が変わる。スキナー氏の指摘するところである。世の成功者の行動哲学である。やってみなければわからない。失敗は当然する。わからないのだから。何時かわかる。そこまで諦めない。必ずわかる時が来る。それが成功である。大切なのはそのプロセスである。同じことをして違う結果を期待すればそれは精神異常である。この世は厳然と客観的であり、科学法則が支配している。見えない世界があるというのと、客観世界が行動を必要とすることは別論である。何か勘違いしている。そして今のこのままの傾向が何処へ至るのか。分析するまでもない。明らかに腐敗である。この辺りで考えるべきことがある。学習は未知と既知を関連づけることだとスキナー氏はいう。未知と未知を関連づけようとすると混乱があるだけである。混迷の時代である。何が真実で、何を信じたらいいのかわからない。その隙間で蔓延っているのがテレビ界及びお笑い芸能界ではないか。何がそんなの関係ないであるか。何処が面白いのか。不愉快きわまりない。彼らに未来はあるか。ありはしない。地獄があるだけである。この辺りで見直そう。何を見直すのか。教育である。根本的に自由を履き違えている。むしろ本来の自由を破壊している。戦う民主主義という概念がある。基本的人権を否定破壊するものに対しては、その部分に於いて基本的人権はない。それを無条件にあると思っていなかったか。教育の怠慢は教育者としてサボるのに都合の良かった人間に対するこの解釈にある。自分の悪性を担保するために教育者としての立場を忘れていた。教育の不毛は各教師の甘えが原因である。毅然と社会人として大切なことを教育することを忘れた。そして何が蔓延ったか。考えるべき時である。社会的に矯め直すべきは矯め直す。ある夜、県警交通課長が暴走族取締の陣頭指揮をしていた。彼は近くで見物していた市民にいった。彼らのことも理解してやってくれ。何を理解しろというのだったろう。疑問である。スキナー氏は成功の9ステップ 125頁で、専門家になるということは、より細かい区別をつけていくことであると指摘している。しかし、すべての区別は平等ではないという。ある区別を知ることは、ほかの区別を知ることよりも、私たちの成功を加速させることになる。すべての区別は平等ではない。平等概念を誤っていた。結果の平等ではない。機会の平等である。それを学校教育はどう思っていたか。不勉強だったね。従来の自由と平等は両立しない。平等とはむしろ誰もが自分の持って生まれた力を十全に発揮して生きてゆけることだった。この考えだと自由と両立する。間違えた平等概念で誰が不幸になったか。知的価値を破壊した。同じ論理で生命及び環境を破壊した。無知は恐ろしい。知らないことを以て否定する。唯自己利益追求の故に古来諸価値を破壊する。今更、取り返しはつかない。そしてそれ故に何が蔓延ったのか。わかるだろうか。これでもわからないというのだろうか。知性を無視愚弄して何をして来たのか。何をしているのだ。これまではそれも通った。これからは通りはしない。日本の基が目覚めた。通りゃんせである。どうでも良いことに属するけれど、先日、友人の経営する卓球喫茶でテレビを見ていた。女子マラソンで、高橋尚子がどんどん遅れていく。何故だろう。青白い顔をしていた。走っている姿(足の運びと腕の振りで明らかに右足をかばっていた)に、思わず友達にいった。右足を故障しているね。右足を手術していた事実はまだ発表されていなかった。さて、日のもとに新しきことなしという。聖書である。どういうことだったのか。もし私が物事をより鮮明に見ることが出来るとすれば、それは巨人の肩の上に乗っているからであるといったのはニュートンだった。同じことである。ゼロから発見するのではない。既に先達の成果がある。学ぶべきはそれである。そして応用する。学校の成績評価で十は2パーセントだったろうか。それは理解と応用能力としてのスキルの差である。その差がそう簡単に埋まるべくもない。学校教育の平等概念に染められなければね。しかし何時か時が来る。本来の自分とは何だったのか。四聖及び達磨以下六祖等、理解するものあるか。究極は黄泉の守護であった。それをも開発できる。もしこれを知ることが出来れば、凡そ不安はない。自縛も仏縛もない。本当の自由である。これを孔子は思う通りにして而も法を超えずとした。時に習う。亦楽しからず哉。さらに西洋成功思想よりも東洋成功思想の方が優位であることを知るに至る。どういうことか。仏は佛慧と大威神力を属性とする。法華経に示す通りである。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和は神国だった。どういうことか。大鏡である。これは日本独自のものであろう。他の神とは次元を異にする。本来日本とはそういう國だった。今暫く忘れていた。思い出す頃である。


2008年03月17日
主体的明るい未来を作る
多かれ少なかれ、誰もが状況は厳しい。不安にさいなまれている。どうしてこのようなことになったのか。浮かれていた者たちは狼狽えている。本来の人生とは何だったのか。探そうともしなかった。時は来たのである。しかし地に埋もれつつも、冷静にこの時が来るのを待っていた精神がある。本来古来大和純粋精神である。不安はない。何故であるか。秘密である。各々の問題である。探すしかない。自分のことは自分でなければわからない。自分の問題は自分でなければ解決できない。方法はある。何処にあるのか。これも探すしかない。唯物論の限界である。西洋思想は19世紀に既に没落していた。日本もそれを追いかけた。そしてどうなったか。茶色い戦争があった。古来大和の戦ではなかった。黄泉自然の受容祝福する大義名分がなかった。故に神風は吹かなかった。市民を犠牲に供する愚を犯した。下級精神支配の故だった。古来大和純粋精神を知らなかった。むしろ愚弄無視した。彼らにとってはむしろ邪魔だった。戦後も同じ精神の支配だった。そして戦争は放棄した。歴史的決定である。武力は克服された。軍神マルスを従えての決定である。黄泉自然も認めている。そして東洋精神が復活する。唯心論の時代となる。全ては心の持ち様によって決まる。あらゆる出来事も心から生まれる。これまでは出来事に感情が支配されていた。故に自分ではコントロール出来ないと思われると被害者意識となっていた。禅は主人公は誰かを問題にする。或いは二十四時をこき使う。どちらが真実であるか知るところとなった。嘘欺罔で成り上がった者たちは淘汰される。持って生まれたものがある。人生とは過去からの夢の実現過程である。平等とは何だったか。それぞれがそれぞれの能力を十全に開花発揮して生きてゆけることである。能力の搾取の時代は終わった。真の個人主義の時代の始まりである。自由とは何だったか。思うとおりにして法を超えない。既に孔子の見つけていたことだった。決断はあるか。全てはそれで決まる。状態とは何か。自分の感情はコントロールできているか。真実幸福論の始まりとなった。堅固な精神を得た者は偶然に己を支配させはしない。全て自分次第である。この意味で必然となる。しばらく忘れていた本来日本を思い出す頃となった。その種は遺されていた。原爆の火を以てしても根絶やしにされてはいない。思考は現実化する。その思考とは何だったか。エネルギーと情報だった。開発するべきエネルギーがある。持って生まれたものである。オーラなどと軽々しくいえるようなものではない。周波数である。ロゴスである。動植物及び岩石も喜ぶレベルがある。何をしてきたのだ。何を破壊したのか。何を裏切ったのか。テレビ界及びお笑い芸能界は何をしているのか。1985年、アフリカで大飢饉があった。ケン・クラーゲンはライオネル・リッチーに電話した。彼はマイケル・ジャクソン以下四十数名のアーティストを集めた。そして We are The World を歌った。何百万ドルもの資金が集まった。世界は感動した。タレント及びスターの本来あるべき姿である。テレビ界は要猛反省の頃である。世界に向けて発信するべきものがある。世界は日本に何を求めているか。今も昔も黄金の國ジパングである。苦しい時代を生き抜く智慧がある。唯自己利益に浮かれた愚かな時代は去った。世界は気づいている。世界は待っている。日本はジャペインではない。本来の自分とは何か。それを見つけて真実幸福論である。自分が自分と成る。迷いはない。不安もない。何故か。黄泉の守護を取りつける。どのようにしてであるか。修行を要する。黄泉に好かれるかどうか。どのようにすればいいのか。浮かれた精神の知るところではない。己を得て己を表現する。精神の自由は絶対であり、保障されている。人権である。それはヒトラーをも生む。マザー・テレサとも成る。どちらを選択するのか。各々の問題である。選択の自由こそ人間としての尊厳である。何を考えてきたのか。考えているのか。勝手が過ぎた。日本は腐敗を好まない。脱却する。明るい未来へ。


2008年03月16日
不安からの自由
今思うだけの結果が出ていないとする。であるなら、これから先も同じ論理で結果は出ない。何時か結果を出したいと思う。どうすればいいのだろう。今を変えるしかない。今の何を変えるのか。意識を変える。思考は現実化する。夢は叶う。唯、思考すればいいのだろうか。唯、夢を見ればいいのか。そんなに甘くない。真剣勝負で思考する。真剣勝負で夢を願う。そして叶う。そのように世界は出来ている。しかしその気になれない。何故なれないのだろう。諦める。何を諦めるのか。自分を諦める。あの人だから出来たと思う。自分には出来ないと思う。そうした世の中である。それが常識となる。何時しか常識に負けていた。本来の自分を諦めていた。自分も常識的に生きたいと何処かで思っていた。それで十分に生きてゆけると思った。そうではなかった。悉くやられた。何故やられたのだろう。そういう世界にいたからである。ところが既に成功されている方もいる。お金持ちの社長さんなどがそうである。そして彼らは頑張る人が好きである。自分もそうだったからだ。始めから成功している者などいない。必ず苦難を通って成功する。世の中は良くできている。だから諦めてはいけない。諦めると終わりである。諦めた方々は腐敗する。何が腐敗するのか。精神である。お笑い芸能界は何を流布したか。ゆるされはしない。何を笑いものにして成り上がったか。制裁の時が来た。冗談ではない。その過程があまりにも身勝手だった。処したる人生を公言できるか。それを成功とはいわせない。そして今も、何を笑いものにしているのか。ツケは払って頂く。テレビ界の横暴は目に余る。日本を壊した元凶である。一億総はくち或いは野蛮な精神に染めてしまった。本来の人間の進化傾向に反する。そしてそれらを無視して、自分を大切にしたものだけが成功する世の中となった。気づかない人は永遠に地獄の中に浮沈することに決定された。子供世界のふたこぶらくだ傾向がそれである。自由競争とはこういうことだったのか。そういうこととは知らなかった。埋没した所以だった。それならそれで良い。自分のやり方がある。成功者と雖も本当の自由を得ていない。不安はあるだろう。不安からの自由はどのようにしてするか。知る人はあるか。どれだけ悔し涙を流したか。その結果がお笑いであるか。身分に安住するものに解りはしない。何時か解決しなければならない自分との対決がある。覚悟は出来ているか。生命進化の不思議である。その為に生まれている。ところで、誰が書いていたのだったろうか。開高健だったろうか。或いは誰か禅僧だったろうか。それは奈良公園だったのだろうか。子鹿が近寄ってきた。その人は子鹿を追い払った。連れの者がどうして乱暴をするのかと難詰した。その人はどうして子鹿を打ったのか。子鹿のためだった。人間というのは恐ろしいということを教えておきたかった。それも愛だった。さて夢が実現しないね。何故だろうね。それは自分が本当に求めているものが夢なんだ。それは何だろうね。それを先ず見つける。何故生まれているのか。人生とは何だったのか。過去からの夢の実現過程だった。それぞれ生まれた意味がある。自分のことは自分でなければわからない。自分の過去だってそうだ。誰かに教えて貰うのではない。自分で探し求めて見つけるしかない。それまでが試練であり、青春といえる。ところが往々にして見つからない。探そうともしない。或いは諦める。本来の自己の夢がある。それが実現する。皆同じではない。それぞれ違う。その違う夢に貴賤はない。自分がその夢と一体になる。それが真剣勝負だよ。その夢は実現する。そういうことだった。彼は三十年探した。始まりは高校の時だった。テーマは「失われた何か大切なものを求めて」だった。テーマが大きすぎたね。しかし彼の設定したテーマだった。それは四聖の思いを尋ねる内面の旅だった。大きなものを手に入れるためにはそれだけの投資がいるね。彼は何を投資したのだろうね。謎である。自分をも壊した。人生も青春も失ったかと見えた。しかし彼は見つけたらしい。それが何だったか。既に記した。精査されたい。過去を未来につなぐ。仏の大願だった。日本を救ったよといっていた。本来神国日本を見つけたという。何のことだろうね。だけど、日本に生まれて良かったね。それをしばらく裏切っていたんだって。それを知る要件は何だろうね。日本の秘密があるらしい。知る人には真実であり、知らない人には神秘だという。知らないから疑うと。インターネットが普及する前にパソコン通信があった。彼はグルメ天国というサイトにいて、のりちゃんという方と禅について語っていた。その後、ある方と出逢って仏法について議論した。九分九厘勝っているのだがとどめが刺せなかった。それは違うという一言で彼は負けた。その方は本当の仏さんを知っていたからだった。随分と禅籍を読んでいたらしいが、実際の行をしているわけではなかった。それで彼もその門を叩くことになった。平成十二年十一月十九日より始めて八年目になる。祖先供養を教えて貰って祖先を知った。それは広島市中区役所に眠っていた。一本の除籍謄本で六代遡ることが出来た。少なからず気づくところがあったらしい。廓然無聖もわかったといっていた。聖諦第一義はわかってもこれはわからないと山田無文老師はいっていた。これを知って不安からの自由であるらしい。大鏡も経験しているらしい。気づけば子供の頃よりそうであったという。自覚するまでわからなかったという。日本とはそういう國であったらしい。何がいいたいのだろうね。わからない。故郷は古鏡だといっていた。秘密がある。古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の秘密であるという。彼は何を自覚しているのだろうね。既に仕事はしたといっていた。生まれた使命を果たしたといっていた。日本は大丈夫だといっていた。今世の夢の花は無事開花成就したといっていた。彼には失ったものがあった。それは既に取り戻したという。この世は宝の山だといっていた。彼は仕事を見つけたのだろうか。語り綴る一級資格が天より賦与されたのかも知れない。さて、ビジネス界のタブーがある。宗教と政治である。何故これがタブーなのか疑問である。わからないから語れない。語れないから感情的になる。感情的になれば喧嘩になる。喧嘩になれば人間関係が壊れる。ビジネスは人間関係である。無知よりくるタブーである。しかしそれで宗教及び政治を避ける。永遠に知り得ない。お笑い芸能界はその隙間ではびこった。そんなの関係ないが常識となる。それで良いのだろうか。経済と雖も国家なくして存在し得ない。経済行為の目的は幸福の追求だった。精神の自由はどのようにして得られるか。何時までも看過できない。西洋に於いては無神論者は人間扱いされない。即ち、信用されない。日本ではそれを語らない方が信用される。日本に宗教はなかったのか。むしろ神国日本であった。仏法も受容した。倫理だけでは解決しないものがある。過去からの因縁は解けない。宗教的であって良い。政治的であって良い。むしろそれを回避することで日本はどうなったか。真実とは何だったのか。何がはびこったか。考えるべき時が来た。日本の基は本来どうであったのか。本流復活である。この時を世界は待っていた。未来は明るい。今日は朝からテレビがおもしろいね。彼も満足している。幸せは活発な問題解決のためのプロセスにあるというのは、ビジネスに於いてお金だけが目的ではなかったことの確認である。結果はどちらでも良い。重要なのはどれだけ真剣にプロセスを生きたかである。そこに嘘欺罔及び野蛮のないことである。個々の問題点は今後もあるであろう。今を解決することで、次も解決できる。未来は明るいとはそうした能力の故である。議論を尽くすことが前提である。数の論理でいくとどうなるか。衆愚となる。テレビ視聴率主義のように価値を破壊するお笑いがはびこって顧みない。本来日本はそういう國ではない。真剣勝負の時代開始だね。


2008年03月15日
愛及び平和並びに自由の夢実現プロジェクト発進
世界がどのようにできているか。それが見えてくるとマザー・テレサが理解できる。ガンジーもである。何が偉大だったか。人類としての進化傾向がある。それに反するは淘汰される。それが歴史より学ぶところである。ドン・キホーテをお笑いだと思っていないか。やはり、お笑いテレビ界は何をしているのだろうね。何もかも破壊したね。日本を滅ぼす気かな。愛とは何だったのか。動植物及び岩石も喜ぶ周波数だった。平和とは戦争の克服であり、その基はヒロシマだった。市民を犠牲に供する愚かさを知った。自由とは思うとおりにして法を超えない。既に孔子が見つけていた。夢が実現する時代となった。思考が現実化する時代となった。それは本来の自分となることで成就する。人生は過去からの夢の実現過程だった。幸福追求は永遠の課題である。究極は何だったか。黄泉の受容祝福守護だった。その時、日月照らし、風が吹く。絶対の自信はある。自覚を要する。最終最後最大の敵は自分だった。自分に克つことでどうなるか。如来が御手で頭を撫でて呉れる。不安がある。どのようにして払拭するか。知ればいい。お金ではない。お金をも克服する。400年来の産業の時代は終わった。情報の時代である。情報は発信するところに集まる。21世紀は知性の時代である。無意味な時代は去った。失われた諸価値が復活する。目的のある目的的時代である。或いは芸術的時代である。西洋の物質文明から東洋の精神文明へ移行する。魂を扱う文学の時代でもある。西洋と東洋を含む世界である。本来神国日本、重要な使命がある。

成功の9ステップ の69頁には、≪もしあなたがパワーフルで自信満々の気持ちになっていれば、仕事を失うことは、より充実感が得られる仕事を見つける機会、あるいは新しい事業を興す機械だと捉えることだろう。また、二度とつまらない仕事に頼らなくても済むように、完全な経済的自立と自由を手に入れることを決断するかもしれない!≫とある。この決断ができるかどうか。人生は自分次第である。また次のようにもいう。今のままでは、今の結果しか得られない。よりよい結果を出そうと思えば、今を変えなければならない。そして、行動すればいいとわかっていても、それに伴う不安に負ける。その意味では限界に至らねば行動に移れないのだろう。その意味で大病を患うこと及び貧困を味わうことは意味がある。その時、本来の自分に目覚め勝負に出るのだろう。その気になれないのはまだまだ余裕があるといえるね。しかしどうしてもその気になれない方もいる。路上生活者とかニートとか。何に快楽を感じ、何を苦痛と思っているか。フロイト理論は正しいのかもしれない。さて、その気になれば出来ないことはない。今も昔も変わりはしない。あらゆる成功者は苦難を乗り越えようとしただけだった。何が夢だったのだろう。少なくとも価値を破壊してのお笑いとか本能的浮かれた人生ではなかった。人類としての偉大さを信じたかった。それも見えてくる。諦めないことである。何事も。究極には神仏との邂逅もあるし、成仏もある。世界はすばらしい。

ところで、彼の手首骨折に伴う治療は終わった。先生が卒業だねといってくださった。看護師さんが卒業証書だよといって書類をくださった。明るく大きな声で、お世話になりました。ありがとうございましたと伝えた。その間、仕事がなかった。当然逼迫した。任意保険も解約していた。ボランティアであったが、本部からのねぎらいは一言もなかった。自分次第だねと思った。しばらく忘れていた自信がふつふつと湧いてくる。本来自己自身復活である。愛及び平和並びに自由の夢実現プロジェクト発進である。それらの根拠及び理由は得た。証明もある。リーダーとは自分の考えに人を染めることらしいね。彼はいった。日本は大丈夫だよ。何故大丈夫なんだろうか。日本の基が目覚め、自覚したからだという。それは代々のことで無事成就したからだというのであるが、何がいいたいのであるか、さっぱりわからないね。さてこの度、高校の先輩が彼に自由に使っていいと事務所空間の一部を与えてくれたらしい。ゼロ或いはマイナスからの出発としては十分だね。彼の頭脳は簡単明瞭となりつつある。複雑さからの解放である。真実とは何だったのか。気づいたのかも知れないね。仏さんの故かも知れないね。仏さんには感謝しているといっていた。そして彼には確信があって譲れないものがあるらしい。やっとそれを自分として生きていく気になった。日本は腐敗より脱する。何故彼はそれをいえるのだろうね。祖父を知っているからだね。法華経宿王華乃種健在。


成功の9ステップ の320頁に興味深い記述があった。即ち≪必要な時間を確保するために、どの仕事を無視するなり、手放しにするだろうか≫。ピーター・ドラッカーも≪つまりどの仕事に取り組まないかを決めて、その意思決定を守ることである≫。マイケル・デルも同じことをいっている。本当の問題は後先事項だった。≪ビジネス上のもっとも難しい決断とは、どの顧客のどのニーズを無視するかである≫。マーケット戦略のターゲットとはこれだった。


2008年03月13日
彼の真実
彼は今、ジェームス・スキナー著『成功の9ステップ』というのを読んでいる。そして少なからず驚いている。かつて仏典を読んでいた頃、どれだけの言葉を集めて花輪とするかということがあった。自分の心の琴線に響く言葉を集める。学ぶということだった。今はどのような読み方をしているのだろうか。確認である。彼には真実は一つであるように思われてきた。それを人類は代々発見してきたのだった。四聖もメンターだった。真実は今も昔も変わりはしない。それがクラシカルということだったか。そしてそれぞれが表現する。自分の言葉で。彼の人生は何だったのだろう。何を発見確認しているのだろう。日々高度なサインを頂いている。有り難いことである。しかし彼は今少し地獄の底で研究をしたいらしい。彼の真実は殆ど完成している。もう少しで本当の完成なのだろう。彼の克服した試練は尋常ではない。それは福音かも知れないといっていた。いうにいえないことではあるらしいけれど。そしてスキナーを読んでいて気付いた。それは永遠のテーマだった。つまり人間愛だった。これを思い出した。しばらく忘れていたのだったろうか。それほど状況は困難だったのだろうか。彼は何か仕事が出来ると思えてきたようだ。随分と彷徨ったね。


世界はどのように出来ていたか
彼はこれまで世界がどのように出来ていたのか知らなかったといっていた。ということはそれを知ったということだろうか。それを知ることは彼の使命であったという。生まれた意味だったというのである。彼が自覚するということは何か意味があったのだろうか。代々のことだといっていたがどういうことなのか。よくわからない。そのまま埋没していて良いと思っていたという。その理由もあったらしい。しかしそれも出来なくなったという。そしてこれでやっと世界が日本を本当の意味で認めることになるだろうとまでいっていた。ペリー来航以降の流れの中で真実の合流となるとまでいっていた。何をいっているのだろうね。しかし彼は世に知られていない。何の資格もない。不思議な話である。謎である。日本の秘密だといっていた。彼は狂っているのだろうか。そうであるのかも知れない。一休禅師は『狂雲集』を書いた。彼も狂っていたのだろうか。社会から見捨てられていたのは事実である。絶望は強い意思を与える。絶望に打ち克ったものにはね。さて、自由と平等は対立概念である。歴史は限りなく自由を求めて進化した。市民革命もそうだった。奴隷解放も女性解放もそうだった。これから庶民の解放といえるだろうか。世界の指導理念は自由である。制度は資本主義である。世界はそのように出来ている。日本はどうであるのだろうか。全体主義的なものが残っていないか。それは国家社会主義的なものではないか。ところが規制緩和があった。これは世界に対して自由国家としての宣言であった。しかし世界はどのように見ているだろうか。この度の日銀総裁人事案否決の世界に対するメッセージ性は何か。考えなくてはならない。こうした観点について政治も教育も行政もジャーナリズムもあまりにも無知ではないか。それが世界第二位の経済大国でありながら、東京市場が落ち込んだ理由ではないか。世界は日本をどのように見ているのだろう。真に世界に合流しているといえるだろうか。世界は冷ややかに見ているのではないか。安心して経済活動が出来ないと思っているのではないか。自由を求める資本主義社会とはどのようなものであるか。ロバート・キヨサキ氏著『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』が大いにヒントとなる。≪右側の最大の関心事は公平や安定ではなく、自由とこのゲームを愛する心だ。あなたが右側でプレーしたいと思っているなら、そこで既にプレーしている人たちは喜んで迎えてくれる。あなたがゲームに参加して勝ったとする。それは大いに結構。ほかのプレーヤーは前にも増してあなたを歓迎してくれる。そしてあなたに、勝つ秘訣は何なのか?と聞いてくるだろう。あなたが負けたときは、ほかの人たちは大喜びであなたのお金を根こそぎ取っていく。でもそれに文句をいったり、自分の失敗を誰か他人のせいにしようとしてはいけない。キャッシュフロー・クワドラントの右側でのゲームはそういうことは出来ない。このゲームは誰に対しても公平になっているわけではない。それどころか、公平でないことがこのゲームの肝心な所なのだ≫。どういうことかわかるだろうか。世界はこのように出来ている。この世界に合流しようとしているのだろうか。この考えに立脚した経済基盤を作ろうとしているか。既に産業の時代は終わった。情報の時代となった。情報を扱う國として整備されているだろうか。或いはその方向を向いているだろうか。アルビン・トフラー氏が『第三の波』を著したのは三十年前だった。その後パソコンは劇的に普及した。既にIT社会である。今の現状を改善するのに収入さえ増えればそれで良いのだろうか。同じ論理で問題はますます大きくなる。傷口が広がる。大切なのは考え方を変えることである。何もかもが変わったと思わないか。変えなくてはならないものがあると思わないか。それは何だったのか。大きな変革の時には富の移転がある。大チャンスである。急いで整備するべきインフラがあるのではないか。それは意識である。自由と資本主義の世界で生きていこうとしているのではないか。何を目指しているのだろうか。そのビジョンが見えない。そもそも本当の世界及び時代の潮流が見えているのかどうか疑問である。子供達は魂レベルで気付いている。それを無視する教育界の怠慢がある。ところで『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』に面白い記述がある。それは≪夫婦、ビジネスパートナー、心の友として、私と妻に課されたほんとうの仕事は自分自身に対する疑いや能力の不足、欠点などを克服するだけの力を持っていると、お互いに確かめ合うことだった。そうする過程で、私たちは自分自身に対する信頼を深めることを学んだ。私たちの最終ゴールは単に金持ちになることではなかった。私たちはお金をあてにすることが出来るようになると同時に、自分たちのこともあてにする、つまり信頼できるようになりたいと思っていた(p309)≫≪自分に対する考え方を決めるのはほかの誰でもない。あなただ。この旅路を終えた時に、あなたに与えられる見返りは、お金と交換に得られる自由だけではない。自分に対する信頼も得ることが出来る。何故ならこの二つは実際には同じものだから≫。≪私たちはこの旅路を始める前から、立ち向かうべき敵はただひとつ、自分自身に対する疑いや批判の気持ち、自分の欠点だということを十分承知していた≫。ここに自由を求めて人生がどうあるべきだったかが秘められている。本来の目的は何だったのか。この世に生まれてどう生きるべきだったか。レベルの低いお笑いが目的だったのか。そうだというなら仕方ない。教育界にいいたい。自由と幸福の定義はあるか。人生の目的はあるか。このあたりから見直さないか。子供達の未来のために何を教えることが出来るのだったろうか。情報社会の中でそして資本主義世界の中でどう生きていくか。優秀な労働者になるための教育の時代は終わった。内実のない人生に幸せも成功もない。テレビ界及びお笑い芸能界は衆愚幻想である。


2008年03月12日
国民の利益
参議院で日銀総裁人事案が否決された。それはそれで良いとして、問題はその理由である。金融と財政の癒着が主たる理由だったら疑問だね。何故だろうね。学問的に正しい概念理解なのかどうか。与党が説明出来なかったのだろうか。そして権力闘争の故に基本的なルールの定まらないこのような國を世界はどう見るか。事実として日本を裏切っていないか。世界第二位の経済大国として、その市場性は大きい。それに見合った海外投資が来ているかどうか。その為に規制緩和したのではなかったか。どうして来ないのか。そもそも日銀は制度上どうあるべきか。その総裁人事を政争の具とするべきなのだろうか。世界は中央銀行をどう見ているのか。その目的は何か。海外投資家が安心して投資出来る状態だろうか。市場の安全性が問われているのではないか。議論するべきはむしろそちらではないか。何が国民の利益であるか。日本をどのようにしたいのか。どのように安心安全な経済基盤を作るのか。勉強するべきところがあるのではないか。政権交代だけが政治の目的ではない。一部の利益階層の利益が目的ではない。議員としての身分の安定を求めての政治は政治でない。そもそもその地位の淵源は何か。選挙だね。主権在民、国民主権。生来の権力者はいない。根本的に何か勘違いしていないだろうか。ジャーナリズムからのこうした観点からの指摘もない。無責任にスキャンダルばかり追いかけている。どうかしているね。これでは三流国家だね。社会保険庁の5,000万人の未登録情報があった。公約では期限はこの三月末だったね。これについても指摘がないのはおかしいね。何を議論しているんだろうね。未来に対するビジョンが見えないね。政治及び行政は本来の職務を遂行しているといえるだろうか。情報の時代だよ。それは知性の時代だよ。産業の時代は終わったよ。日本はどうするのだろうね。どのように運転するつもりなのだろうか。先ず研究勉強するべきことがあるのではないだろうか。未来が見えない。未来が見えて初めて楽観出来る。企業も安心して経済活動が出来る。このままだと不安だよ。逃げていくよ。国民は期待しているよ。


もう春だね
彼は大反省しているようだ。どういうことだろう。自分が自分になることが幸せだといっていた。それは泥の中で蓮華として咲くことだったのかも知れない。世の腐敗を憤っていた。何時の世もそうだった。公憤だなんていっていたけれど、それも必要でないことに気付いたのかも知れない。咲けば良いのだった。この世は素晴らしいといっていた。咲くまでのうめきだったのだろうか。子葉の養分は使い果たしたといっていた。それにしても随分と長い冬だったのだね。やっと楽になれたのだね。もう春だね。ところで今、ロバート・キヨサキ氏の『金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント』を読んでいる。彼もこれで資本主義が何だったのかを知ったという。その中に面白い指摘があった。≪負けることを恐れている人は投資だけでなく、個人的生活においても同じことをする。次のような人はあなたのまわりにもきっと一人や二人いるはずだ。 1.もう二人のあいだに愛がないのに結婚生活を続けている人 2.先の見込みのまったくない仕事にしがみついている人 3.もうこれから先、ぜったい使わないような服やガラクタを捨てられないでいる人 4.将来に希望を持てない場所に住み続けている人 5.自分の足を引っ張るような人と友人関係を続けている人(p206)≫彼は自覚したという。何を自覚したのだろうね。もう大丈夫だといっていた。ロバート・キヨサキ氏は書いていた。成功者は成功するまでに一度や二度は無一文を経験しているんだって。そして大切なことに気付く。学校教育の間違いは失敗に対する罰則制度だった。世の勤勉な親の失敗もそこにあった。失敗して良い。失敗より学べば良い。そうした失敗には裁判所も寛大である。罪を憎んで人を憎まず。刑法もとても人間的なんだ。筑間先生に教えて貰った。安心して失敗するが良いよ。今はそうした時代だ。しばらく浮かれていたからね。本当の幸せは近い。彼は日銭を稼ぐために家庭教師を始めたらしい。パソコンサポートの仕事は彼には儲からないといっていた。案内文を書いたという。うまくいくといいね。≪夢を実現出来る時代です。思考も現実化します。本来の自分となることが幸せではないでしょうか。その為には本来の自分とは何か。どのような自分になりたいのか。それを見極めることをサポートするのが教育の目的だったのではないでしょうか。夢も知識であり技術です。勉強も知識であり技術です。それには方法があります。何処までも自分自身の問題です。誰もが幸せになりたいと思っています。教育は最大の投資です。故に考えるべき事があります。真実の教育とは何だったのでしょうか。知識の詰め込みではありません。知識は当然必要です。しかし本当に大切なのは知識を応用することですね。それは自分を表現することだったのです。自分に正直に素直になることでそれは出来ます。それが智慧です。欺罔的な演出或いは演技ではありません。真実の自分の内実の完成とその表出です。これにも方法があります。それは一対一で周波数として伝播するべきものです。即ち勉強の意味及び価値を伝えることでした。そしてやる気が出るのです。迷いはなくなります。意欲となります。子供は勉強したいと思っています。家庭教師にも色々とあります。信念を持っているかどうか。勉強することで知ることが出来ます。知れば不安も恐怖もありません。知らないから迷うのです。教育とは何だったのでしょうか。学問とは何だったのでしょうか。受験勉強とは何だったのでしょうか。それを通して自己実現するのです。自分を確かめるのです。やれば出来ます。一切の不安は知ることで払拭出来ます。そして自信となります。要は自信でした。どのようにしてそれを獲得するのでしょうか。それには方法があります。学習塾とはどうあるべきだったのでしょうか。本人の能力を最大限に引き出すコーチでした。本来のチカラを見極めるためのサポートをすることでした。努力は継続であり、頑張る姿です。その時の自分が幸せでした。或いは喜びです。弱点は克服するべきものです。本来の自分となって目的は成就します。それ以外にないと思われます。こうした真実の教育理念を二十四年、実践して参りました。やれば必ず結果は出ると思われます。それがこれからの人生で何があっても大丈夫という自信となるのです。そして自ら切り開く未来は明るいのです。そうしたチカラを勉強を通して自分のものとして頂きたいと存じます。21世紀になって、20世紀の方法論は悉く通用しなくなりました。そして何よりも顕著になりつつあるのは、無意味なもの或いは無価値なものは淘汰されるということです。目的を定めて生きていかなくてはならないのです。自分はどうなりたいのか。その為にどうするのか。その方法は何か。学ばなければならないのです。知る人は知っています。もはや身分に安住することが出来ません。内実のない浮かれた時代は去ったのです。嘘と暴力は通用しないということです。あらゆる価値が見直され、何が大切なのかが明らかとなります。これに早く気付いたものが勝ちます。『第三の波』が確実に押し寄せてきたのです。新しい時代です。知る者は未来が明るいのです。知性の時代です。真実の個人主義の時代を、個人責任の名に於いて、これから生きていかなくてはならないお子様のために、家庭教師をお考えの方はご相談下さい。≫


2008年03月11日
仏とは力だった
力とは何か。何かを変えることができる。仏とは何だったのか。力だった。何を変えることが出来るか。何を動かすことが出来るのか。仏の目的は何だったか。何故教えを説いたのか。仏となる道を教えたかったのである。自分もそのようにして仏の力を得たのだと。それ以外に目的はない。それを知れば良い。そして自分もその道を歩めば良い。仏は常にいる。神も常にいる。知らないからいないと思う。それも知れば良い。それを知って無学である。無学ではあるけれどもそれで学問が終わるのではない。新たな始まりである。人類は偉大である。その中に仏も神も隠れている。キリストは磔となった。故に同じ轍は踏めない。預言者もある意味で神の属性を持っていたのだったろうか。禅に於ける不立文字もそうだった。竹林の七賢もそうであったのであろう。万物の霊長たる所以である。知ってわかる。何がわかるのだったか。この世の不安も迷いも本来なかった。それが本来無一物であったか。あるは妄念による。知らないことの故である。知らないのに知ったようなことをいう。浅はかである。しかし知らないことを知らない。ソクラテスの知らないことを知っているとはその意味だったか。原文を見ていないので何ともいえないとしても。さて、仏とは何だったか。力だった。それは知力だった。どの程度知ってのことか。全知である。群盲象を撫でる。一部を知ったのでは仏の力とはいえない。何も変わらない。何を変えるのか。宇宙を変える。そうした力である。しかし、信念とは嘘より危険な真実であるといったのはニーチェだった。どういうことか。開発を間違えると自分をも壊す。それが危険である。正しく開発しないと佛慧とならない。大威神力である。諸刃の剣である。夢は実現する。努力とは夢を諦めないことだ。そのプロセスが亦幸せな時間である。この世は素晴らしい。今、資本主義である。人生はゲームである。ゲームにはルールがある。ポーカーを二十分もしていて誰がカモかわからないとしたなら、自分がカモであるという。彼はカモられていた。それを知らなかった。それが誠実かと思った。彼から奪うばかりだった。彼は一文無しになった。そして知った。カモられていたと。居場所を変えなければならなくなったようだ。彼は優等生だった。優等生として振舞ってカモられた。それが社会のルールだった。しかしそれ故に彼は知った。何を知ったのだったか。彼が黄泉に導かれていたことを知った。そして神国日本の秘密を解いた。それは何だったか。黄泉の受容祝福する要件だった。誠実でよかった。身心清浄及び正直こそ要件だった。黄泉の守護を知って不安はない。絶対の自信となる。彼はそれを確認したのだった。そして社会のルールを見直した。それは偽妄でしかなかった。世間の方法は演出だった。内実の完成とその表出ではなかった。それで成功したかに見えた。しかし根本に問題がある。本当の幸せはやって来ない。彼はそう思った。真実が問題とされる時代となった。それが第三の波の意味するところであった。これより嘘偽妄は通らない。故に現在成功者も不安から逃れ得ない。世界は既に一つである。それはシステムである。資本主義である。ロバート・キヨサキ氏に学ぶところが大きい。意見と事実との違いを見極める必要がある。資本が利益を生む。考えてみれば銀行が何故利益を生むのか不条理である。銀行は何をしているのか。しかしそれが現実社会の事実である。その中で生きてゆかねばならない。それはゲームだった。ゲームにはルールがある。彼は知らなかった。気づかなかった。しかしそのように出来ている。馬鹿馬鹿しくなった。しかし彼は思った。日月照らし、風が吹く。事実である。誰もが人の意見で生きている。自分の考えで生きているものは少ない。それが勝ち組であり、セレブである。或いは現代社会の王族である。労働者である限り、生かさぬように殺さぬように。或いは知らさぬように。巧妙だったね。封建制は土地を媒体とする農民支配だった。今はどうか。お金を媒体とする消費者支配である。テレビ界はその使者だった。それならそれで良い。しかし時代は推移する。進化する。宇宙自然生命黄泉の意思及び進化傾向がある。それに反していないか。もしそうならば淘汰される。歴史の定めである。何が真実だったのか。知るべき時が来たのだろう。魂を扱う時代となった。芸術がそれである。それが亦蓄積された人類の英知でもある。どう生きるのか。人生とは夢の実現過程である。どのような自分になりたいのか。そのためにどうするのか。何を開発するのか。永遠の幸せはあるか。彼はあるという。それは何か。各々の問題である。これまでの資本主義は反省せざるを得ない頃となった。それは産業時代の産物である。既に第三の波が確実に押し寄せた。考えるべき事がある。旧約聖書の目的は庶民の解放だったと彼はいっていた。亦、旧約聖書の中に、400年周期説が秘められていたといっていた。仏の意思がある。神の意思がある。宇宙自然生命黄泉も従うという。未来は明るい。人類は偉大である。仏とは何だったか。チカラだった。彼はそのようにいっていた。本来の自分と成る。自己実現だった。それが自己変革であった。そして始まる人生がある。努力とは夢を諦めない事だった。彼は自覚しているという。何を自覚しているのだろうね。恋は鯉だといっていた。彼の人生は大鏡だといっていた。わからないね。あるところで涅槃仏を見た。その姿はある日彼の父が布団をかけてくれた時の彼の姿そっくりだといっていた。またその足の長さも自分かと思ったという。馬鹿げているね。ところで現代戦争に於いては制空権を握った方が勝つ。航空爆撃機が現れたのは第一次世界大戦からだった。それはローマ重装歩兵以上の戦略上の革命だった。当時は爆弾を紐でつるし、上空でそれを切って投下した。誰がターゲットか。犠牲となるのは市民だった。それが戦争となった。それまでは軍隊同士の戦いだった。おかしな話である。市民が戦争を始めたのか。その市民を殺すのか。理不尽である。戦争を始めるのは常に一部の指導者である。市民は誰もが平和を願っている。さて制空権の究極は原爆だった。唯自己利益追求のためには手段を選ばない野蛮な根絶やしの思想の結論だった。戦争法は事実としてなくなった。勝てば官軍である。そして今、制空権は制宇宙権となった。宇宙防衛ミサイル構想がそれである。原爆の抑止力と同じ考えに立脚する。自国を護るための手段である。しかし局地戦はなくならない。これでいいのかどうか。問題である。しかし現実である。この中で生きていくしかない。世界は地球から宇宙が視野に入ってきた。真実の制宇宙とはどういうことだろう。宇宙とは何だったのか。地球は丸い。しかしそれを日常生活で肌で感じることはない。しかし丸い。宇宙とは黄泉を含む。黄泉とは魂及び祖先の世界である。それに庶民レベルで気づき始めた。スピリットとか占いが流行する理由である。究極のチカラは何か。成功の基は何か。皆それを探している。今はお金かと思われる。命さえもお金で換算される。しかしお金を通して求めていたものがある。それは何か。自己実現だった。本来の夢とはそれだった。この世の人生は過去からの夢の実現過程だった。この世で実現したいものがある。それは過去世からの延長である。持って生まれたものがある。そうでなければモーツアルトは説明できない。そしてこの世の成功が幸せであるとして、それを実現する原動力は何だったか。黄泉を制することだった。21世紀の意味は此処にある。それは制するというよりは受容祝福されることだった。生まれた時から黄泉は導く。或いは育む。その意味ではチャンスは平等である。それが一切衆生悉有仏性だった。条件がある。目覚めなければならない。自覚を要する。人生は過去からの夢の実現過程である。どのようにして自覚へ至るのか。発生より始めて自分の過去をトレースする。過去には失敗もある。それを克服する。それが試練である。そして自己を完成する。それより本来の自己となる。自分の夢の実現過程としての人生が始まる。そのように出来ている。この世は素晴らしい。しかし往々にして途中で諦めるのも人間である。真実の成功に至れない。真実の成功は真実の幸せともいえる。何が幸せであったのか。何を求めていたのだったか。限りなく自由を求めてきた。市民革命から今日に至るまでの歴史の示すところである。何から自由になるのだったか。国家からの自由があった。今求めている自由は何か。魂の自由ではないか。不安からの自由ではないか。それが究極の幸せではないか。その為に日々努力しているのではないか。人生は腐敗堕落ではない。他を犠牲にして顧みず、価値を破壊して已まない唯自己利益追求ではない。未来に不幸の種を蒔くだけである。来世は辛いことになるだろうね。これを払拭するには。この世で身心清浄及び正直な自分と成れるか。それが黄泉に受容祝福される要件だった。古来大和の秘密だった。その時、大義名分となり、神風も吹く。そのようなことはないと思っていたね。ある。真実の人生の目的が明らかになった。それが真実のゲームだった。既にこのゲームに勝利した方々がいた。四聖だった。故に人類は偉大である。未来は明るい。庶民レベルでこの夢を追求できる時代となった。21世紀である。産業時代の基盤は失われつつある。平等から公平へ理念は推移した。それは格差社会を帰結する。そうであるなら、この流れに如何に乗るか。その方法は何か。彼はそれを実践したのだろう。人類は万物の霊長である。その意味も明らかとなった。戦争殺戮の時代は去った。誰もが幸せになって良い。かつて王侯貴族にしか許されなかった自由を誰もが享受する。望月のかけたることのなしと思えばである。太陽王の自覚であっても良い。幸福はある。それをどのようにしてこの世で実現するか。諦めないことである。人生は馬鹿になることが幸せではない。むしろ最後に笑うのは知性である。彼のいう知性復活及び庶民開放の意味がわかってきただろうか。命を賭して探すべきものもある。証明されれば定理である。誰もが使えば良い。それはスキルとなる。夢も知識であり技術である。夢は実現する。思考は現実化する。どのレベルの思考であるか。思考が自己人格と一致する。強い確信である。或いは決意である。何故実現するのか。実現するのは誰か。黄泉である。黄泉をも動かす力である。そのようなものがあるのだろうか。彼はあるという。ナポレオン・ヒルの成功の条件がある。高等教育を受けないこと。教育は往々にして一定の価値観に染めてしまう。誰に都合の良い価値観であるか。本来の目的は自分が自分に成ることである。それを阻害する。本来の自分は何だったか。それを見極めることをサポートするのが本来教育の目的である。次に大病を患うこと。これによって人間の悲しさとやさしさを知る。仏陀も生老病死を目の当たりにしてそれから逃れる道を探した。そして貧困を味わうこと。これによって世界の仕組みを知る。そして本来の自分に成るために何が必要であるかを知る。自己実現の強い意思が形成される。未来は明るい。幸福は近い。無意味な人生を歩んでいないか。総懺悔の時である。日本の基が元気を取り戻した。目的地が定まった。本来日本健在。明るい未来が見えている。信じて前進である。今日、土井宇宙飛行士を乗せたエンデバーが打ち上げられる。かつてはアポロ11号があった。そのメッセージ性は何だったのか。彼もテレビに釘付けだった。そして彼がどのような人生を歩み、今どのようなことになっているか。どうしてそのようなことになったのか。思い知らされるのか。それともどうでも良いことだと思っているか。畏れを知らないね。苦難を無事解決出来るかどうか。彼を信じるしかない。強固な意思を作るしかない。資本主義の世の中である。資本の支配である。それをこの時まで彼は知らなかった。何故だったか。彼は学校優等生だったからである。資本主義とは商人根性支配である。見事な欺罔社会である。商人がお金を媒体として王侯貴族である。それならそれで良い。さて、イロハ歌を作ったのは空海だった。その始まりは色だった。色即是空であるか。或いは花の色はであるか。今は五十音である。始まりは愛であるか。五十音にカ行変格活用とサ行変格活用がある。チカラである。行為即ち実行である。教えは何処にでもある。古文に於いてはナ行変格活用もあった。ナスであるか。変化こそチカラの業である。サナギを通って蝶となる。サナギは青春であるか。自己変革を要する。そして実人生となる。欺罔及び演出が実人生ではない。一切の欺罔を廃する。未来のために。嘘欺罔及びいい加減が蔓延りすぎた。世は腐敗した。責任は取って頂く。閻魔大王が目覚めた。かなりご立腹のご様子である。処したる人生、勝手が過ぎた。言い逃れはない。さて、このようなことを何時までいってんだろうね。大切なことではあるのだろう。だけど通用性があるのかな。世界を変えるのではなく、自分を変える必要があるよね。彼もまだ迷っているのかな。それほど状況が厳しいのだろうか。彼は理解していると思うよ。そして感謝もしているはずだ。もう少しで解決するのだろうね。長い冬だったことは確かだ。誰もが通る道なのだろう。彼に必要なのは合流だよ。既にその抜け道は知っているのだろう。飛び込むしかないね。ワンダーランドへ。居場所は大切だよ。ロード・オブ・ザ・リングのエンディングのように、旅立ちだね。その世界を知ったのだったら。彼も幸せになると良いね。未来は明るいといっていた。彼にはビジョンがあるのだね。木鶏は孤独だよ。何れにしても彼としては満足するところとなったらしい。失われた何か大切なものとは何だったのか確かめることが出来たという。彼にとって謎は解けた。それ以上求めるべき事もないといっていた。時代は腐敗した。これが敗戦だったのかも知れない。それはそれで仕方ない。この世を生きていくしかない。これでやっと生きてゆけるといっていた。何を確認したのだろうね。でも良かったね。今となってはこの世の全てに感謝しているといっていた。黄泉も待っていた自覚が無事成就したんだって。何のことだろうね。わかんないね。笑顔と優しさで気楽に余生を楽しむんだって。誰とでも笑顔で話せるようにやっとなれたんだって。自分を取り戻すとか絶対の自信とかいってたけれどそういうことであるようだ。ボケたのかな。ボケるのは少し早いよね。もう良いよね。本当に良いよね。救ったよね。救われたよね。彼は生きていたんだね。これで良いよね。何をいってんだろうね。


●富を得る秘訣
≪そこでイエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。≫(マルコによる福音書11-23/24/25)

≪イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」≫(マルコによる福音書10-21)

≪イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」≫(マルコによる福音書10-27)

そして、≪まだ想像の段階でしか所有していないものに対して、こころから神に感謝できる人には確信があるのです。その人は、求めるものがなんであっても創り出し、豊かになっていくはずです。≫(フォレスト出版刊『富を手にする「ただひとつ」の法則』p78)

だが、≪それらよりもなお、わが子よ、心せよ。
    書物はいくら記してもきりがない。
    学びすぎれば体が疲れる。
    すべてに耳を傾けて得た結論。
    「神を畏れ、その戒めを守れ。」
    これこそ、人間のすべて。
    神は、善をも悪をも
    一切の業を、隠れたこともすべて
    裁きの座に引き出されるであろう。≫(コヘレトの言葉12-12/13/14)

さらに、≪忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。(ヤコブの手紙5-11)≪だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。≫(ヤコブの手紙5-16/17/18/19/20)すなわち、ヨブは悔い改めることにより、祈る力を得た。そしてその力で主の怒りに触れている友人のために祈った。そして主はその祈りを受け入れ、祝福した。ヨブは裕福になり恵まれた晩年を迎えた。これが富を得る秘訣である。 http://www.pc-kure.net/GSWL/doc/tomiwoeruhiketsu.html


2008年03月10日
光の子
春の海 遊んでいるよ 光の子


2008年03月09日
自己実現して次に来る強い意思
彼は諦めていなかった。何を諦めていなかったのか。それも無意識のうちに諦めていなかった。導かれていた。そして見事成就した。何を成就したのか。子供の頃彼は鼓笛隊の総指揮をしていた。どういうことだったのか。どうでも良い。何を愚弄無視粗末破壊したのか。或いは裏切ったか。彼の思いはそこにある。やはり容赦しないつもりだろうか。目覚めるのが遅すぎたのだろうか。そうでもない。時間通りである。彼は何を自覚しているのだろうね。裏切りをゆるすわけにいかないといっていた。何を思い違いしたのか。何を根拠に勝手し来たる哉。彼は何がいいたいのだろう。わからないね。でも、そういうことらしい。彼を本気にさせない方が良いといっていた。本気になればいいのにね。なれないんだって。どういうことだろうね。すべて奪われたといっていた。本来武士道大和魂日本純粋精神を取り戻すといっていた。日本には護るべき國がある。重要な使命がある。戦後それを裏切った。いわれのない身分に安住した嘘欺罔唯自己利益追求商人根性を廃する。学校教員もその例外ではない。内実を重視する。彼が本気になると恐ろしいよ。黄泉が動く。実現する。代々の秘伝である。

水鳥の行くも帰るも跡絶えて それでも道は忘れざりけり

ところでMLMについて少なからず調べたらしい。どうして世間で受容されないのかその理由がわかったといっていた。それは演出という欺罔性にあるといっていた。MLMは業界としてこれを克服する必要がある。日本人は嘘を好まない。内実がない連中が多すぎるね。野蛮が跋扈した。お笑いもそうだね。正直で良い。素直で良い。自分自身に。この世に生まれて開発するべきは何だったのか。この世に生まれた意味は何だったのか。それを考える必要があった。人生とは過去からの夢の実現過程だった。時代は推移した。そして進化した。人類はどの方向を目指していたのか。日本は何を求めていたか。腐敗堕落ではなかった。馬鹿になることではなかった。それが今、どうであるか。何が蔓延ったか。本来日本はどうあるべきか。人間はどうあるべきだったのか。過去からの英知の蓄積がある。唯自己利益追求ではなかったのである。野蛮でも愚かでもなかった。学校教育は何をしているのか。大企業は何を考えているのか。何に毒されたか。この世に生まれて幸せになるのではなかったか。我慢であるか。忍耐であるか。それで何が待っているというのか。何が国民の利益であるか。真面目と努力を笑いものにしてどうするのか。未来は明るい。幸福はある。何故それを探そうとしないのか。誰もが不安にさいなまれている。地獄に浮沈している。どのようにしてそこから逃れるのだったか。彼には疑問に思われた。そして彼は探した。それを見つけた。見つけた時、絶対の自信となった。それは何だったか。法華経の目的は何だったのか。次に来る如来のための地図だった。如来は如来でなければわかりはしない。それは宿王華だった。家族とは華族だった。これを破壊した。彼はこれを取り戻すといっていた。何をいってんだろうね。さて、何を破壊したのか。健康及び環境即ち生命及び自然である。何をしているのか。考えるべき時が来た。ゆるしはしない。或いはゆるされはしない。何を思い上がったか。どのようにして財を成したか。偽妄ではなかったか。俗にいうセレブは罪が重い。何を根拠に勝手し来たる哉。草鞋銭は請求される。彼は何を見つけているのだろうね。何を以て財と成したか。始めに偽妄はなかったか。戦後海軍工廠から鉄くずを集めて始めていないか。或いは所有者のいない焼け跡に勝手に綱を張って土地を奪って始めていないか。縁起が悪すぎる。それが自己利益追及者である。それでセレブというか。身心清浄及び正直こそ日本の基ではなかったか。真実真理がある。それは何だったか。神仏は実在する。それを見つけることが彼のこの世の使命だった。そして未来に伝える。道元も空海もそれ以上ではない。日本古来の秘密である。既にその思索の記録がある。彼自ら探し求め見つけたものである。命も賭してである。古来日本純粋精神である。人生も青春も失った。影をなくしたペーターのように。そしてそれは既に黄泉に受容されている。この世の秘密である。尚彼を裏切るのか。何が真実真理であるか思い知ることになる。一休髑髏ご用心。そろそろ気づく頃である。未来は明るい。何故であるか。この世は素晴らしい。何故であるか。廓然無聖。それは何か。天地乾坤自然の証明である。さてどうするのか。個々の因縁は自分で解くしかない。幸せはある。問われている。今日も笑顔で暮らせるか。どのようにしてそれは来るのか。悲しい目をしたお笑いが笑いではない。最後に笑うものが一番よく笑う。最後の笑いとは何か。般若心経の呪ではなかったか。或いはベートーベンの『喜びの歌』ではなかったか。世間一般何をしているのか。宇宙自然生命黄泉をあまりにも愚弄していないか。真面目及び努力を尚笑うか。さてこの世は素晴らしい。幸せはある。何を以て幸せとするか。黄泉の守護がある。日月照らし、風が吹く。美しい風景が待っている。芭蕉及び広重のように。悲しみよ、さようなら。不安もさようなら。知ることで。知性の時代となった。この世は喜びに満ちている。生きているだけで十分に祝福されている。何をあくせくしているのだろう。この世を楽しもう。楽しんで良い。時代は推移した。そして進化した。二十一世紀である。地球は限界となった。しかし宇宙を得た。それは魂の自由だった。人生は素晴らしい。この世は薔薇色である。すべてに感謝する時が来た。精神は自由を得た。日本は元気を取り戻した。何故か。宿王華中の宿王華ガ咲いた。それは自覚だった。日本の基の開花だった。これを未来に伝える。日本は素晴らしい。日本は日本である。知るべき時が来た。未来は明るい。黄金の宝船が帰ってきた。見えない世界からの日本の富を伝えた。今も昔も黄金の国である。日本復活。未来につなぐ。日本は護るべきものがある。大切にするべきものがあった。それは何だったのか。思い出す頃となった。既に彼の思索の記録がある。宝の山である。彼は日本を取り戻した。安堵している。努力とは何だったのか。夢を諦めないことだった。迷いはある。不安もある。知ることで解決する。時を待つ。自分を信じることが出来るか。強固な自己実現の意思はあるか。夢は涸れていないか。持って生まれた自分とは何か。持って生まれた自分を花と咲く。自己実現である。それが幸せである。やりたいことをするとはそれだった。この世は過去からの夢の実現過程。それが人生。咲いて示すしかないよね。誰も知らない自分の花を。咲かせるしかないね。日本本来の知性の花はどのような花であったのか。埋もれていた。それが今となっては財産となった。孤独な旅で何を見つけたのか。人生に無駄はない。ある日気づく時が来る。その時、一切が意味を持つ。人生は素晴らしい。この世は素晴らしい。生きていて良かった。生まれて良かった。世界に感謝する。日本に感謝する。祖先に感謝する。この喜びを未来に伝える。心の底からありがとう。自分を確かめる。それが人生だった。真実とは何だったか。明らかとなった。自己実現とは何だったか。それも明らかとなりつつある。本来の自分に帰るとはどういう事だったのか。自分自身を取り戻す時、取り戻した自分は何だったのか。意思とか菩提心という。それはどういう事だったか。悟れば宇宙とひた一枚となるといっていたのは苧坂光龍老師だった。それはどういう事だったのか。彼は人格の形成を問題としていた。ミケランジェロはダビデ像を彫った。彼は目の前の大理石の中にその姿が見えていたであろう。モーツアルトが楽曲を書く時、一度着想を得れば、雑談しながらも書いた。その時作用していたものが意思だった。それを支えていたものは自信だった。自信とは自己実現する意思だった。自己実現とは何だったのか。人生の目的とは何だったか。狙ったターゲットを逃さない。石器時代からの狩りの本能であったのかも知れない。そのような意思がなくても生きてゆける時代かと思われた。そうでもないらしい。餌食とされるのか。餌食とするのか。強くなくては生存出来ないようだ。すべてを語る必要はない。しかし何がのさばったのか。何を裏切ったのか。日本とは何だったのか。彼には根本的な疑問である。あまりにも安易な時代だったのだろう。それ故、彼は生きる空間がなかったのであろう。自由と平等は両立しない概念である。ふざけた平等の時代だった。本来のチカラが正当に評価されなかった。努力が笑いものにされた。いい加減な人間が幅を効かせすぎた。それも反省される頃となった。本来の価値が正当な評価を得る時代となった。彼の求めていた時代が来たのかも知れない。彼にはそのように思えているようだ。努力が正当に評価される公平な時代が来た。身分に眠る者達は負け犬となる。内実のない芸能人及びミュージックもその例外ではない。実力なくして閥を成した方々こそその基盤を失った。唯癒しとか甘えた文化は終わった。厳しい真実実力主義の時代に入った。富の再分配請求である。意思の強さが人格まで至った者達の時代となった。内容のない世界に皆辟易している。内容のないマスコミ閥は特にご用心である。見捨てられるであろう。知的低いレベルで慰め合っているが良い。宇宙自然生命黄泉の意思及び進化傾向を愚弄した鉄槌が下るであろう。時は待ってくれない。時代は進化した。時代を染め直す。彼の意思であるらしい。本来日本の知性を知らしめる。面白い時代となった。何を以て面白いというか。お笑いではない。不安のない絶対の自信はあるか。それを以て面白い。何をしても良い。準備は調った。さあ、始まりである。各々方、覚悟は出来ているか。


2008年03月08日
自信回復
夢は実現する。思考は現実化する。自分を諦めないことである。絶対の自信はある。それは無となって満ちてくる。最終最後最大の敵は自分だった。それを倒す。それが無となることだった。禅の教えもそれ以上ではない。黄泉を従えることも出来る。黄泉は待っている。導き、大切に育む。時々のサインがある。霊界に聞くとはそれである。それを拒んでいるのは常に自分だった。この自分を倒す。熾烈孤独な戦いである。そして勝利する。如来が御手で頭を撫でて呉れる。即ち日月照らし、風が吹く。人生は大鏡であったと知る。誰もがその可能性がある。それが一切衆生悉有仏性。秘密の交信が始まる。情報はは発信したところに集まる。真実真理である。神仏は実在する。知らないから否定する。知る者には事実である。この世はそのように出来ている。これを知って実践する。真実幸福論となる。多くの成功者はそれをインスパイアしてのことである。黄泉の守護がある。彼らが自覚しているか否かは定かでない。それに対してエクスパイァもある。それが神仏といって良い。或いは宇宙人である。開発された魂と宇宙は連動している。佛とは何だったか。佛慧と大威神力を属性とする。佛の宣言はビッグバンに等しい。即ち宇宙がそれよりその方向へ動き始める。不安がある。恐怖がある。知らないからである。知れば不安も恐怖もない。江戸の学問はそれを知っていた。久しく失われている。文明開化を急いだ明治の下級精神の故だった。彼らにはそれも邪魔だった。今もその精神の支配である。さらに時代は混迷を深めた。お笑い芸能が跋扈している。本来古来神国日本に護るべきものがある。即ち知性である。黄泉も認める。大義名分となる。神風も吹く。自信回復である。

【地震情報】
平成20年03月08日02時09分 気象庁地震火山部 発表
08日01時55分頃地震がありました。震源地は茨城県沖 ( 北緯36.5°、東経140.7°)で震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
平成20年03月08日04時04分 気象庁地震火山部 発表
08日03時52分頃地震がありました。震源地は安芸灘 ( 北緯34.0°、東経132.7°)で震源の深さは約50km、地震の規模(マグニチュード)は4.5と推定されます。


2008年03月07日
自分を解決してから出来ること
もう云うべき事はないのかも知れない。誰もが幸せを求めている。それはどのようにして成立するのか。それを考えるべきだ。その為に自分の問題を解決しなければならない。それが自分磨きであり、自分仕上げである。自分のことが解決すれば、この世は素晴らしい。愛に満ちている。祝福されている。世界が見えてくる。世界はそのように出来ている。相手が何を望んでいるか。それを考えることが出来る。それが需要だね。それに対するサービスを考える。自分を解決して出来ることだった。やさしさで良い。今求められているものはそれだね。時代はとても殺伐としている。だからかそ求められているものが癒しだったりする。言葉は大切だよ。言葉で人も動く。或いは敵対する。何が大切なのか。わかってくる。この世は素晴らしい。皆で生きている。それが原点だった。当たり前のことが当たり前とわかかるには、時を要するね。もう大丈夫だね。春はそこまで来ている。この世に生まれて良かったね。楽しもうね。日本は良い國だね。類は友を呼ぶ。失われた何か大切なものがある。それを知る者達が群れを成す頃となったね。この國の本質を未来に伝えようね。何が大切だったのか。発掘する頃となった。愛とやさしさですべては解決する。唯自己利益追求では価値が破壊される。勝てば官軍は野蛮だった。愛と平和立国日本の実現です。國の基が定まりました。嘘と暴力を何時までも傍観出来ない。日本情緒の復興です。未来は明るい。本来日本、全速力前進!色を染め直す。ところで、彼はいっていた。彼がぶれるわけにいかないと。どういうことだろうね。王の目、王の耳ということがある。どういうことだったのか。ホーキング氏の宇宙理論がある。いくつかの宇宙があってそれぞれシナプスのようなものでつながれていく。自覚がそれだった。黄泉はあって祖先の世界である。祖先の世界はこの世との通信を求めている。或るレベルに達すると、その交信が出来る。何ともいえない交信である。日月照らし風が吹く。或いは大鏡である。祖先も子孫を選ぶ。誰と交信するか。忍耐強く待つ。或いは育む。それが黄泉の賭だった。何を待つのか。自覚だった。その時絶対の自信となる。何故か。黄泉の守護するところである。さて、祖先は子孫が可愛い。幸せになって欲しいと思う。何が幸せだったのか。祖先も失敗している。そして黄泉に帰って分かる。それを伝えたいと思う。それで誰と秘密の交信するか。それを見つけたのが道元だった。空海もそうであったろう。一休も。王の目と王の耳がある。黄泉はそれを通して見る。或いは聞く。そして子孫の願いを知る。或いは導く。本気と分かれば動く。そして時代は進化してきた。かつては権力かと思われた。或いは武力かと。そして今、金力と思われている。それらも化城にすぎない。真実の城は何だったか。人類の願いと祈りは無駄ではなかった。犠牲となった嘆きも。そして今、愛と平和こそ幸福の理念とわかった。宗教は出発点に過ぎない。目的ではない。目的は何だったか。人類の幸せだった。何故水滴は円いのか。地球もそうである。太陽も寿命がある。生命体として何を目指していたのか。時は流れた。時代は推移した。そして進化した。何時か終わりがある。終わりは終わりではなくて亦始まりである。この世で何を見つけておくのか。それで次が始まる。お笑いで終わって良いのか。愛と平和は日本にて開花する。今も昔も黄金の國ジパングの所以である。或いはスティービー・ワンダーの歌う『愛の園』である。これがビジョンである。明るい未来への地図である。何時までも愚かではいられない。戦後六十年、身分に安住した者達の腐敗がある。これを一掃する。そして新しい時代を開く。現政権の務めである。古来日本、素晴らしいものがある。江戸の頃には学問はすべてを知っていた。今はどうか。幼稚である。知性の立ち上がるべき時が来た。学問は偉大である。神仏をも超える。未来は明るい。やさしさへ向けて進化している。誰もがそれを求めている。やさしさとは唯やさしいのではない。強きが故のやさしさがある。古来大和魂である。商人根性が蔓延った。負けるわけにはいかない。本来日本、重要な使命がある。何がいいたいのだろうね。わかるだろうか。既に縷々と書いてきた。全体の趣旨から勘案してご理解願いたいといっていた。混迷の時代を脱する。不安と恐怖を克服する。それはどのようにしてであるか。日本の英知である。学問である。知れば不安も恐怖もない。何を知るのだったか。自分自身を知る。即ち、汝自身を知れ。さて、夢は実現する。思考は現実化する。良い時代です。夢を諦めずに、夢を追いかける。その為に自分を形成していく。その姿が努力であって、そのプロセスは成長で、それが幸せ。この世に生きて意味のない人生を送るのか。お笑いに興じて。そうではないですね。ロウソクの炎の如く燃え尽きる。悔いを残さない。この世の命を使い切ることが、成仏だったのです。その過程が喜びです。色々なことがあります。憂いも不安もある。それを乗り越える。その過程を楽しむことが出来たらいいですね。未来を信じて。自分を信じて。必ず救いはあります。そのように出来ています。それを拒んでいるのも自分でした。社会が悪いのではない。人が悪いのでもない。運命が悪いのでもない。それを試練と思う。或いはゲームと思えばいい。何時か勝つことが出来る。必ず出来る。それには方法がある。運命も知識です。或いはスキルです。学べばいい。馬鹿になることが幸せではありません。それは諦めであり、人生放棄或いは戦線離脱です。知ればいいのです。知れば不安も憂いもないのです。それが幸せだった。知性の復活です。暫く自信を失っていたのです。それを取り戻したのです。彼のお陰かも知れませんね。強くなければ生きてゆけない。やさしくなければ生きている価値はない。価値の復活です。失われた自信は取り戻されました。起ち上がりましょう。出発です。本当の幸せの國を目指して。愚かさと野蛮からの脱出の時です。敗者復活戦です。生きている限り青春です。身分に安住していては無意味に老いるだけです。先ず自分解決をすることだった。それは本来の自分になることだった。本来の自分とは何なのか。この世で成りたかった自分はどのようであったのか。それを先ず見極める。その間試練であり、修行だった。それをせずしてこの世で何が出来るというのだろう。この世は過去からの夢の実現過程だった。それを見極めることをサポートするのが教育の目的ではないか。その意味で現在教育システムは機能していない。どれだけの不幸を生んでいるかわからない。それはそれで良い。まだ時代が気付いていなかった。これからは違う。真実幸福論が見えてきた。個々の能力を発揮して生きてゆけることが平等と思えてきた。それを阻害するものがある。低いレベルで好き勝手している閥である。これを取り払う。真実の自由が見えてきた。誰もそれ以上望んではいない。本来の自分と現実の自分とのギャップが不幸だった。努力することで克服出来る。それも示されている。その基盤の整備を急がなくてはならない。暴力と嘘で財を成す方々が今もいる。多くの方々は欺罔で財を成している。何時までも維持出来はしない。宇宙はそんなに甘くない。身心清浄と正直こそ宇宙の認めた成功論である。智慧の使いどころを間違っていた。取り戻すべきものがある。人生は絶え間ない戦いである。最終最後最大の敵は何だったか。自分自身だった。これを倒すことで不安はない。怖れもない。迷いも憂いもない。惑わされることもない。こうして得た自信は絶対である。古来日本の学問がそれだった。黄泉も守護するところとなる。試してみないか。痛快だよ。彼はいっていた。それが無となるということだった。禅の目的もそれ以外ではない。それより始まるものがある。それは何か。何をしても良い。それが自由だった。ユダヤもお金を通して得たいと思っていたのはそれだったという。その具体的方法は日本にある。世界は気付いている。日本は素晴らしい。人生は素晴らしい。この世界は素晴らしい。


謙虚さについて
取り戻すべきもう一つのことは謙虚さだね。確かにそれは正しい。ラジオで謙虚さについていっていた。自分が何でも知っていると思って相手のいうことを聞かないのは良くないと。ところで、自分の求める世界は自分が作っていく。人間関係がそれである。幸せとは好い人間関係だった。その時、明らかに敵対的な人もいる。その人に対して卑屈になることが謙虚さではない。それをも謙虚というのだろうか。学ぶべき相手とそうでない相手とがあるのではないか。学ぶべきであれば子供からも学ぶ。しかし盲目的な謙虚さは必要だろうか。謙虚さをいう時、考えるべき点があるのではないだろうか。謙虚だったら何でも良いのだろうか。仏法では白髪の老人のすべてを評価しているわけではない。やはり悟っているかどうか。十把一絡げに謙虚をいうのはどうだろう。謙虚であればいいのか。知的観点からすれば、疑問であるね。思慮が足りない。謙虚であれということがむしろ惑わせる。相手によっては不合理な犠牲を甘受することを強いて、不幸に導かれる場合もある。いわれのない我慢を強いる労働者教育的観点からいっているといえる。謙虚についても相手を見極めることを先ず教えるべきではないだろうか。謙虚であればいいというものではない。謙虚さについても色々な側面がある。自分のセンサーを高めることが必要である。既に個人責任の時代だ。個人として生きていく術がある。象牙の塔の中での一般論では生きてゆけない厳しい個人の時代となった。故に強い自分となる。自信となるまで勉強する。世の中に出て自由に生きるための条件となった。知性の時代である。まやかしは通らない。いじめ或いは暴走族的お笑い芸能界の論理は終わって貰う。何を笑いものにして笑っているのか。国民は意味のないお笑いに辟易している。笑いが百薬の長である時代は終わった。笑えばいいというものではない。その後の空しさはむしろ健康を害する。笑いの効用を勘違いしていないか。真実の情緒の効用を見直すべきではないか。あまりにも価値的なものが無視されていないか。愚かさと野蛮が跋扈していないか。知性を笑いものにしていないか。政治は自らの権力闘争のためにそれをも利用しようとしていないか。真実の政治とは何か。本当の国民の利益とは何か。どのような國にするのか。愚か野蛮な社会の形成維持ではない。本来知性はあまりにも住みにくい世の中である。テレビ放送関係者は身分に安住してセンサーが狂っているのではないか。視聴率第一主義は何だったのか。何処にターゲットがあったのか。衆愚ではないか。故に彼らが勘違いしている。馬鹿になることが偉いと思っている。或いは幸せだと思っている。世の中を壊したね。知的国民を愚弄していたね。さて、本当の謙虚さで生きて良い。要は人間関係である。どのような人間関係を欲しているのか。愚かではない。無意味ではない。この人生を如何に生きるか。あまりにも空気が腐敗している。低いレベルに堕ちてしまった。故に離婚も絶えない。今の社会の空気では当然といえる。犯罪も多くなった。その原因を見極めなければならない。誰に対しても謙虚であれといえなくなった。殺伐とした社会である。謙虚であることが餌食にされることもある。彼の経験したことでもある。詐欺師がいる。彼らは嘘の上に嘘を重ねる。何時かは淘汰されるとしても、のさばっている。そのような社会になっている。故に自分を高める。自由となる。自信も絶対となるまで。その時まで勉強する。知はチカラとなる。自信となる。そしてこの世は楽しい。素晴らしい。十分に生きてゆける。教育はどうあるべきか。未来の子供達が嘘と暴力の餌食犠牲とならないように生きていくために切実に教えるべき事がある。何時までも傍観していられない。躊躇うことなく世の良識達の立ち上がるべき時である。


相手にしなくて良い
彼はやっと自由を得たようだ。長い冬だったといっていた。孤独な旅だったんだって。やっと自分自身を取り戻したらしい。しかし何と過酷な運命だったのだろうね。あれほど考えなくてはならなかったなんて。仕方ないね。それも運命だった。しかし一つの結論にいたってその後それほど思っていないらしい。思うように生きるっていっていた。好きなことをして生きていくんだって。勝手にするが良いね。皆、勝手しているんだもんね。その為に法律もある。それで良いよね。いいたい人にはいわせておけばいい。今までまともに受けていたらしいよ。それだけで馬鹿だったね。相手にしなくて良かったのにね。やっとそういう風に思えてきたらしいよ。自信を得たのかな。どんな自信なのかな。もう彼は大丈夫だよ。今彼は何をしているのだろうね。彼のパソコン環境を整えているようだ。何をする気なのだろうね。何か自覚したといっていた。誰も分からない自覚だといっていた。大鏡なんだって。もう構っていられない。良い時代になったといっていた。やっと息が出来るといっていた。彼の時代が来たんだって。よくわかんないね。日本は大丈夫なんだって。当たり前だよね。彼の知性は完全復活したらしいよ。どうでも良いね。三十有余年ぶりの春なんだって。知るもんか。人生はゲームだといっていた。この世に生まれたのは千載一遇の大チャンスらしいよ。その為にはルールを知らないといけないね。それが勉強だ。今、資本主義だね。その中でどのように生きていくか。彼はルールを無視していたといっていた。申し訳なかったといっていた。やっとそのルールもわかったらしいよ。ロバート・キヨサキ氏の本に感謝していたよ。彼はテニスも強かったよ。世界は既に彼を無視出来ないといっていた。それほどのことを書いたらしい。彼の経験はそれ以上らしい。どうでも良いね。相手にしなくて良い。もう彼は大丈夫だよ。世界はどのように出来ているか、やっとわかったらしい。常々サインはあったのだけれど、自覚するまでは分からない。不安はないといっていた。知らないから不安なんだって。知れば一切不安はないんだといっていた。佛さんのお陰かな。佛さんをも超えたといっていた。何をいっているんだろうね。それほどの自信なのかな。どうしてそこまでいえるのかな。大鏡なんだって。やはり彼のいうことはよく分からない。彼もいっていた。彼が何かいおうとすると誰も彼にしゃべらせてくれないんだって。誰も理解しないんだって。当たり前だよね。わからない。それも気にならなくなったらしい。何故だろうね。彼は父を知っている。祖父を知っている。誰も知らないといっていた。代々のことがあるらしいよ。何だろうね。家伝直伝秘伝螺鈿の槍だといっていた。ますますわからない。愉快な奴だよ。彼は笑っていた。達観したのかな。獅子は獅子だといっていた。ご用心って。彼はもう大丈夫だよ。古来大和の秘密があるらしい。それを見つけたといっていた。それは経験から気付いたようだ。何だろうね。絶対の自信らしい。黄泉の守護であるらしい。どのようにしてそれを手に入れるのだろう。本来武士道であるらしい。持って生まれたものでもある。開発するべきはそれだった。即ち身心清浄及び正直であるらしい。唯自己利益追求を信奉する商人根性には辛いテーゼだね。学問するべきは何だったか。現代教育システムの知らないところだった。或いは無視していた。古来大和の英知であるらしいよ。馬鹿馬鹿しいね。アナクロニズムだね。道元貧学道は素晴らしいといっていた。空手にて帰ると。祖先及び黄泉を味方につけるとそのチカラは絶大だといっていた。大義名分、神風も吹くといっていたよ。経験したのかな。もしそれが本当だったら、さぞ痛快だったろうね。ちょっと悔しいね。すべては笑顔とやさしさで解決するといっていた。彼が取り戻したのはそれらしい。母のお陰かな。その根底にあるのがやはり愛だ。愛とは何だったんだろうね。動植物及び岩石も喜ぶ周波数だといっていた。それは音声に宿っているんだって。苛立たせるものは何だろうね。心だね。目が怒っていないか。瞋恚だね。誰もがやさしさを求めている。それで良いといっていた。愚かでは分からないところだといっていた。愚かが何も知らずに大きな顔をすると苛立たせるといっていた。或いは馬鹿笑いするスノッブも苛立たせるといっていた。彼らは何か失われたものを奪った。或いは破壊した。日本を裏切った。そんな風にいっていた。しかしそれも気にならなくなったらしい。相手にしなくて良いと気付いたらしい。居場所がある。退散すればいいといっていた。しかし公の電波でそれをするのは如何なものか。日本には護るべき文体があるといっていた。それは国体でもあるらしい。それにしては流行作家の文体は出鱈目だね。食せないね。文章は精神の食事だよ。会話も。テレビもそうだけれど、何が蔓延ったのだろうね。国民の精神が荒むのは無理もないね。暴力と嘘があまりにも跋扈した。真面目と努力を笑いものにしたね。芸能界はそれでセレブだと思ったね。草鞋銭は請求されるよ。


2008年03月06日
雑魚寝
昨夜一つの結論を書いた。それは短歌の如く魂から絞り出されたものだった。今時誰も話題にするような内容ではなかった。或る意味で時代錯誤かと思われる。しかし彼の魂の遍歴として歩んできた内実だった。孤独な旅で見つけたものだった。それを書くことは勇気を要する。バッシングも予定される。事実これまで彼の周囲巷はこの種のことを彼が言い出そうとすると総攻撃するのだった。彼らの魂にとってよほど都合が悪かったらしい。しかし彼の真実は変わらなかった。ついに表現するに至った。気づいて驚いた。時代は代わりつつあるのかも知れない。彼はその原動力だった。生まれたときからそうだった。どういうことか。謎である。朝方六時まで書いた。その後、今日一日はだらだらと過ごした。よく眠った。とろとろと雑魚寝である。一つの結論に至った。これで善いと思った。彼は楽になった。大きな仕事をしたようだ。お金にはならないけれど。獅子は千尋の谷を這い上がる。彼は艱難辛苦を這い上がったのかも知れない。そして自由を得たのだろうか。不安はない。迷いはない。憂いもない。無を通って至る。それは自分自身を倒すことだった。そして満ちてくる。幸福の条件だった。ユダヤもお金を通して手に入れたいと願った究極の宝である。絶対の自信である。それが日本にあった。古来武士道だった。武士道は死ぬことと見つけたり。誰もその意味を知らなかった。或いは探そうともしなかった。彼はそれを証明したのだろうか。彼は埋没した。それにも理由があった。やっと彼の十九の春とつながったようだ。しかし今にして思えばそれも黄泉の計画だったのかも知れない。どういうことだろうか。今にわかる。時代とは或いは歴史とはどういう事だったか。主権在民である。その意味が明らかとなった。誰も知らない。彼の自覚である。憲法はプログラム規定である。それにしても世間一般勝手が過ぎたと彼はいっていた。何をしても良い。良い時代である。身分に安住する者達は知り得ない。既に汚れた者達はそのまま自らの看板を担いで行くが良い。まだ世間に汚れていない若者達の時代である。白いカンバスが用意された。未来は明るい。明るい未来を描くが良い。彼は自覚した。何を自覚したのだろうか。彼は彼自身で良かった。護るべきものがある。人生は戦いである。何を護るのか。自分自身を護る。彼は世間に負けていたのか。そうではない。待っていたのだ。何を待っていたのか。自覚が来る時を待っていた。それは何だったのか。すべてを知ることだった。敵を知り、己を知れば百戦危うからず。古来大和は負ける戦はしない。待つが良い。何を待つのか。絶対の自身が来るまで。どのようにして絶対の自信に至るのか。既に書いた。精査されたい。日本復活である。彼の自覚は成就した。日本開闢。既に世界は彼を無視出来ない。証明は得ている。未来は明るい。使命は果たした。長い冬だった。春は近い。彼の生まれた意味だった。


ひとつの結論
【法華経】
法華経はインド南部の海洋都市で成立した。それ故、その他の経典とはその性質を異にしている。多くの比喩を用いて真実を語る。全体として物語のようである。法華経の本質は何だったか。一切種智慧と宿王華だった。何故難解であるか。名宛人が菩薩或いは爾としての神だった。

【佛】
佛とは何だったか。佛慧と大威神力をその属性とする。佛の宣言はビッグバンに等しい。即ちそれより宇宙が始まる。それがロゴスであった。即ち黄泉も従う。そうした力を持っている。そうした力を持ちながら、何故この世界は尚不条理であるか。佛の力でもっと良い世の中にならないのであるか。仏といえども個々の因縁を解決することは出来ない。その方法は教えてくれる。個々の因縁は個々人が解くしかない。そのように出来ている。佛は何を以て佛となるか。菩薩を教化するによって佛となる。佛の教化方法は何か。宜しきに従う。即ち、菩薩には菩薩の身を以てし、縁覚には縁覚の身を以てし、声聞には声聞の身を以てする。それは相手の情欲根を見抜いて行われる。亦仏法は本来一味であるが、それを何故三と説くか。始めより一を説けば相手は必ず惑乱し、仏法を誹る。それで一を三と説く。ところで菩薩とそれ以下との間には断絶がある。これを超えるは至難の業である。何故か。持って生まれたものがある。

【愛とは何か】
愛とは動植物及び岩石も喜ぶ周波数だった。これを以て佛の周波数といってよい。愛を以てやさしさとする。それは声のトーンに人格として現れる。やさしさで全て解決する。21世紀の約束である。誰もが愛を開発可能となった。時代は推移した。そして進化した。庶民の願いと祈りは無駄ではなかった。愛と平和を実現する国家として日本が起ち上がる。既に日本はその方向を目指していた。無視したのはどの階層であったか。唯自己利益追求主義者達だった。周りが幸せであるとき、その中の自分も必ず幸せである。それで良い。コートを脱がすのは温かい陽射しであって北風ではない。

【平和について】
平和の価値を知る頃となった。それは武力からの自由或いは克服である。市民を犠牲に供する現代戦争の愚かさを知った。それがヒロシマの意味だった。何故広島だったのか。明治の頃には大本営もあった。原爆の目的は日本精神を根絶やしにすることだった。此処に現代西洋的戦争の野蛮がある。根絶やしを目的として広島を見つけたのは正しかった。その理由は割愛する。しかし頼朝は伊豆に流されていた。戦争は常にリーダーの決断で始まる。シビリアンコントロールは可能であるか。平和の基は広島にある。平和主義は憲法の理念である。憲法は歴史的なものである。それは彼の大戦の反省としてであった。反省とは同じ轍を踏まない。亦日本国憲法はプログラム規定である。何時か成就する。その成就の時が来た。日本は戦争を放棄したのである。それは現代戦争の愚かさを知ったからである。歴史的決定である。憲法に従って主権を行使するとき、世界も認めざるをえない。本来日本が目覚め、軍神マルスを従えての黄泉の決定並びに宣言である。誰も手をつけられなかったヒロシマの謎がある。当事者でなければわからないものがある。

【不安について】
何故不安があるのか。知らないからである。知れば不安はない。批判はない。言い訳もない。知ればいい。知識は武器となる。知識が人を動かすのではない。知識を得て不安のない自信が人を動かす。神仏も知ればいい。知らないから否定する。知れば神仏の受容祝福守護もある。どのようにして知るのか。探すしかない。自分次第である。全て意味がある。その意味を知るまで勉強するしかない。それをせずに勝手なことをする。間違える。不幸になる。幸せとはどのようにして手に入れるのか。全ての意味を知って手に入れる。一番にならなくて良いなどと何を根拠にいうか。むしろ不思議である。知らずにいっているのではないか。そうであるなら人を不幸に導いた罪は重い。不安がある。夢が描けない。自信がない。何故か。周りにその例がない。あまりにも無視愚弄したものがある。それで自分も出来ないと思う。諦める。安易な文化を吹聴したテレビ界の罪がある。

日本人として人生とは何だったか
人生とは過去からの夢の実現過程だった。それは本来の自分に帰ることから始まる。本来の自分となって新たにこの世の人生を歩む。本来の自分と現実の自分とのギャップがある。これを埋めなくてはならない。それは過去の自分をトレースして行われる。本来の自分から始める。その人生は幸福といえる。それまでが試練である。本来の自分を見出し、それに帰る時、生まれた意味を知る。生まれて善かったと思う。しかし往々にして、大人となる過程に於いて多くはそれを諦める。生活に追われるからである。そして誘惑に負けて腐敗堕落し、それを人生と思う。これを以て哀れといえる。人生とは何だったか。過去からの夢の実現過程だった。そして今、時代は夢が叶う時代となった。夢も知識であり、技術だった。思考は現実化する。日々の行為と思考によって自分を組み立てる。DNAが書き換えられていく。未来に何を伝えるのか。この世に於ける人生の厳粛であるとする意味である。腐敗堕落が人生ではない。お笑い芸能界は勘違いしている。何を公の電波で流布しているのか。本来の自分となるためには自分に勝たねばならない。それが無でもあった。無より満ちてくるものがある。それが幸せだった。禅は今日本にしかない。國を持たざるユダヤの陰謀がある。お金しか信用できない。しかし彼らもお金を通して自己実現を図っているに過ぎない。そしてお金だけでは不安を払拭できないことに気づいている。日本は本来護るべき國がある。国家無くして自由はない。日本の工業力の秘密は何処にあったか。町工場の熟練だった。グローバリズムを理由にそれを空洞化して自らの利益を図った大企業は日本を裏切った。しかし日本は大丈夫である。技術立国日本の基が目覚めた。市場原理は価値を破壊して顧みない。シェアを獲得して勝てば官軍である。新しい資本主義の時代となった。人生は自信を以て不安はない。恐怖はない。それは知ることである。全てに意味がある。全てを知って自信は絶対となる。命を賭けて知るべき事もある。時代は目的的時代となった。或いは芸術的時代である。価値の復活ルネッサンスである。無意味な時代は終わった。

【自由及び平等とは何か】
自由とは思うとおりにして、しかも法を超えない。既に孔子の見つけたところだった。制度が後からついてくるレベルもある。平等とは何だったか。それぞれ本来の自分の能力を十全に発揮して生きていくことだった。それを阻害するものがある。一度や二度の成功で閥を成し、身分に安住する者たちである。彼らによって戦後六十年、制度は一部腐敗している。打ち砕かねばならぬ。それが時代のエートスとなる。フランス革命もそうだった。明治維新もそうだった。この度は穏やかにテイクオフする。

本来日本
本来日本はどういう國であったか。何を目指していたのか。見失って久しい。ペリー来航以降のことだった。江戸無血開城は禅譲だった。譲ったのである。それを無視して文明開化を急いだ。第二次世界大戦はその文脈での戦争であったともいえる。故に神風は吹かなかった。古来大和の大義名分がなかったからである。大義名分とは何だったか。黄泉及び生命自然の受容及び祝福並びに守護ではなかったか。愚かな戦争をしたものである。日本を裏切った。古来大和は負ける戦はしない。本来日本はそういう國だった。それは古来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本武士道純粋精神だった。即ち身心清浄及び正直を旨とする大和魂だった。何故見失われたのか。商人根性台頭の故だった。そして日本はどうなったか。世界に飲み込まれた。そして腐敗した。本来日本はどういう國だったか。世界で最も自然に恵まれ、現存文明文化諸国家に於いて最も歴史古き神国である。今も昔も黄金の國ジパングである。古来蓄積された英知の國である。思い出す頃となった。日本は日本である。何を裏切ったのか。何が蔓延ったのか。何を根拠に好き勝手し来たる哉。日本古来本来道元貧学道を以て日本復活。空手にて帰る。問う。政財界及び官界並びに諸オピニオンリーダーは何を根拠に日本を運転し来たる哉。名誉であるか。地位であるか。お金であるか。知性であるか。強欲であるか。野蛮であるか。http://www.pc-kure.net/pg37.html


2008年03月05日
日本は日本
この世に生まれて何をするか。千載一遇のチャンスである。何をしても良い。自由とは何だったか。思うとおりにして法を超えない。既に孔子の見つけていたところだった。自己実現こそ人生である。何をしても良い。所詮職業に貴賤はない。この世に悔いを残さないことである。それが成仏だ。すべてを燃え尽くせ。それで良い。蝋燭の炎がある。燃えることである。エネルギーとして。人間もその例外ではない。それを未来に伝えよ。空海の教えもそれ以上ではない。時代は推移した。そして進化した。夢が叶う時代となった。何をしても良い。本来の自分となる。それは何か。それを見極める。それが教育の目的だ。自分が自分となる。それが平等だよ。平和の中でそれが見えてきた。平和は大切だね。制度の目的は何か。個々の夢実現をサポートすることだった。一部の利益階層の時代は終わった。良い意味での個人主義が成熟したんだ。当然自己責任である。それで良い。卓球をしたければそれで良い。テニスがしたければそれで良い。勉強したければそれで良い。したいことをする。それが自由だ。自由と平等の意味も明らかとなった。低いレベルで何が支配していたのか。その欺罔も明らかとなって、既に大企業の時代ではない。個々の能力を最大限に発揮して生きていく。そういう時代だよ。それを拒むものは何か。お笑いもその例外ではない。資本主義とは何だったか。資本の支配だった。それは何処に発していたか。カルバンより始まる貨幣信仰だった。背後にユダヤの陰謀があったのか。彼らもお金を通して自己実現しているに過ぎない。成功者は惜しみなく援助する。頑張る者に対して。怖れることはない。何故怖れるのだったか。知らないからだった。夢も知識だよ。或いはスキルだよ。それも明らかとなってきた。学ぶことは大切だね。何を学ぶのか。智慧を学ぶ。知識ではなかった。しかし知識は武器となる。知らない者に対して。知る者に不安はない。神仏さえも味方に出来る。黄泉さえも。不思議な時代である。一度や二度の成功で閥を成し、何をしてきたのか。何時までもそれは通らない。真実真理はある。それに反して繁栄はない。かつて貴族化した平家がそうだった。秀吉もそうだった。この世に生まれて何をするのか。聖徳太子もキリストも馬宿の王子だった。彼らの特筆すべきは何だったのか。その神秘性だろうか。神秘も知識だね。或いはスキルだよ。知らないから否定する。知れば事実である。この世に英知がある。それを探せ。何時かそれも身につく。最終最後最大の敵は何だったか。自分自身だった。これを倒すのは容易ではない。これを倒すことが無となることだったのだ。己を倒すとどうなるか。如来が御手で頭を撫でて呉れるよ。亦それが禅だった。禅は今、日本にしかない。禅の目的は何か。一箇半箇を打ち出す。そして人生を歩み始める。自由である。何も怖れることはない。何故か。黄泉が守護する。日本の秘密だった。それが神国日本の本懐であり、属性だった。何故不安なのか。知らないからである。幽霊の正体見たり枯れ尾花。愚かだったね。しばらく見失われていたね。或いは無視愚弄した。しかし日本は日本だよ。本来日本、美しい。商人根性及び芸能人根性の知るところではない。それに乗じてそれを利用した財界は何だったのか。売れればいいのか。視聴率第一主義でどうなったか。衆愚化した。日本を壊したね。何を笑いものにしたか。何時までも黙っていない。日本の知性の復活である。しばらく自信を失っていた。何故だったか。明治の故だった。或いは戦後の故だった。完全復活したよ。回復した自信は絶対となった。そうでなければ埋没だった。埋没もした。地獄も見た。そして復活である。不死鳥である。日本は素晴らしい。人生は素晴らしい。喜びの歌はある。日月照らし風が吹く。廓然無聖とは何だったか。自分と宇宙が連動している。これほど痛快なことがあるか。それをも笑いものにするか。山田無文老師はいっていた。聖諦第一義はわかってもこの廓然無聖はわからぬと。何を以ていうか。情報は発信したところに集まる。或いはトラトラトラである。山本五十六は御前会議で上申した。我が大日本帝国連合艦隊は六ヶ月であると。彼はニューヨークを見ていた。アメリカを知っていた。それでハワイ奇襲しかないと思った。六ヶ月のシナリオとして。愚かな戦争をしたものである。何が竹槍であるか。ヒロシマは何だったのか。請求の頃である。その後も同じ支配だった。そして何をしているのか。腐敗の限りである。それが日本の精神であるか。恥を知るべし。テレビ界は何をしているのか。あまりにも下級精神ではないか。或いは下劣ではないか。何時までも黙っていない。日本の知性である。或いは日本の本懐である。各々覚悟するしかない。日本は日本である。本来神国である。忘れていたね。何故忘れていたのか。その種を持っていなかった。彼は貧困に窮した。何故だろうね。孔子は考える事が好きで寝食を忘れた。彼もそうだったのか。経済活動が出来なかった。象牙の塔に入ることを拒んだ。だからこそ彼の理論は迫力がある。彼は満足しているらしい。秘密は解いたらしい。この世に生まれて良かったよっていっていた。今となっては随分と楽しいらしい。何もかも。日本が目覚めた。目覚めた日本は野蛮ではない。愚かではなかった。しかし今のまま推移するとどうなるか。これでいいのか。これでいいという方もいる。テレビCMで欽ちゃんがそうである。そうだろうか。彼は戦いを挑んでいるのだろうか。そうではない。皆が思い出せば良いと思っている。本来日本である。何故か見失われている。日本は日本である。世界でもっとも自然豊かな国である。自然と共に生きて幸せであることを知っている。その精神を忘れていた。それだけのことだ。それほどまでに西洋物質文明は魅力的だった。彼は存在するだけでよかった。その周波数を発する。一隅を照らす。動植物及び岩石も喜ぶ周波数がある。声のトーンもそうである。それがやさしさであり、愛だった。思い出そうではないか。本来日本を。すばらしい国である。そうではないだろうか。何を以ってすばらしいのか。その精神的傾向だった。お金では手に入らないものがある。それは何か。精神的なものだね。或いは好い人間関係だよ。そして人間的成長もそうだね。取り戻すべきものがあるね。彼のいいたかったことがわかってきただろうか。古来大和の秘密がある。初めは負けたかと見ゆる。しかし必ず受容克服凌駕する。西洋思想は19世紀に既に没落していた。彼らも待っている。『スターウォーズ』のテーマでもあった。歴代の英知がある。それは『巨人』である。その肩の上に乗る。遠くがよく見える。時代は行き詰った。新しい道を探している。混迷の時代である。何が正しくて何を信じたらいいのかわからない。或いは漂流している。彼は道を示したのかも知れない。或いは自信を復活せしめたか。既に記録がある。彼の思索の累積がある。精査されたいといっていた。真実とは何だったか。何処を切っても金太郎飴である。知る人は知っている。知らない人は知らない。根拠のないうわさに翻弄されている。そして彼を批判する。わからないからだね。わからないから不安だよ。わかれば不安はない。さて、今日も穏やかなよい日となりそうです。皆様、お幸せに。今、NHK-AMではダ・カーポ。学生の頃、横浜英国館でミニ・コンサートを聞いた。偶然だった。目の前に彼らはいた。懐かしく思い出す。本来日本船出です。人間というものがどういうものだったのか。彼はつぶさに知るところとなった。どのようにして財を成したか。偽妄或いは略奪だった。奪ったのである。政界も欲望の海でどのような選挙運営をしていたか。彼は知っている。衆議院議員選挙事務局長も経験している。もうその世界も通り過ぎた。彼は自分自身に戻ろうとした。かつての彼でよかった。ねずみの嫁入りであるか。或いは青い鳥。彼は何が真実かも知っている。仏さんのところで少なからず人知れず行をした。仏さんの思いもわかった。それは何だったか。宿王華だった。今、何が蔓延ったのか。そして何を取り戻そうとしているのか。彼にしかわからない感性もあるらしい。彼は時代に染まることが出来なかった。それを甘えというか。ひ弱というか。彼と勝負できるのか。彼は命も捨てて孤独な旅をした。人生も青春も失った。自分自身さえも壊した。そして地獄の底より帰ってきた。彼を本気にさせない方がいいといっていた。この意味がわかるだろうか。わからないね。どういうことだろうね。トラトラトラだろうか。いうにいえない日本の秘密がある。彼は既にそれを自覚している。証明も得ている。容赦しない。彼が描いているのは『地獄の黙示録』ではない。『ヨハネの黙示録』でもない。古来日本4月の黙示録である。フロイトの所産であるゾンビに用はない。青い空に白い雲。菜の花畑に蝶が舞う。


2008年03月04日
彼のこれから
彼はいっていた。成功論も理解したと。この世はそのように出来ていたのだった。そして彼の見つけている幸福論はさらに深いといっていた。どういうことだろうね。もう無駄な口論はしないよっていっていた。もういいんだって。長い冬だった。彼にとっては三十有余年ぶりの春らしい。「出来ない」といわない。出来る人と出来ない人との違いは、あの人だから出来た、自分は出来ないと思うかどうか。出来ない仕事は来ていない。出来る仕事だから来ている。そうしたものである。それが運命といって良い。出来ないのではない。やろうとしていないだけである。何故やろうとしないのか。自信がもてないから。出来ない理由ばかり見つけている。言い訳ばかり考えている。こうしたらいいよという。やってみる。やればわかる。どうしてやらないのか。意味を知らないからである。すべて意味がある。それを知らない。そんなの関係ないと思っている。知らないことを面白がっている。慰めあっている。それをも利益とする方々もいる。知らないから不安がある。知れば不安はない。勉強するしかない。知るしかない。自信となるまで。言い訳を考える前にやってみる。飛び込んだ重さで浮かぶ蛙かな。何度か失敗する。失敗するから成長する。失敗することでどうするのか。諦めたら終わりである。何時までも自分は変わらない。そのまま地獄に浮沈する。失敗をし尽くす。失敗することがなくなる。それが無である。無となって満ちてくるものがある。それが成功であり、幸せだった。地獄から逃れたくはないか。今のままでは地獄である。自分が変わらない限り。自由になりたい。豊かになりたい。その方法はある。見つけるしかない。探すしかない。聞くしかない。教えてもらうしかない。いつも成功者は手を差し伸べてくれている。拒んでいるのは何時も自分である。その方法はある。教えてもらえば良い。教えてくれる。それが成功者。見えるほうと見えないほうがある。どちらも豊かになって初めて豊かである。それはある。あるのであるなら、それを知る人が示すしかない。自由はある。豊かさはある。絵に描いた餅は食べられない。代々人生とはそうしたものである。歴史もそうである。生命体として此処まで進化した。愛を見つけた先達がいる。彼らは愛を惜しみはしない。惜しむなら彼らも幸せになっていなかった。彼らも学んだのだ。教えてもらったのだ。自ら探した。そして見つけた。代々のことである。何処に立ちすくんでいるのか。未来は明るい。自分の周りが出来ない。だから自分も出来ないと思う。そこにいる限り。そこより出でよ。出来る環境へ行け。自分も出来る。思ったものしか手に入らない。夢は必ず実現する。思えば神仏さえ実在する。思うことである。信じることである。何を信じるのか。自分自身を信じる。知らないから神仏もいないと思う。知れば良い。知る人は知っている。知らない人が否定する。それが言い訳。自分を否定してどうするのか。自分を諦めていないか。自分を諦めてどうするのか。お笑いの餌食となるだけである。人間は何故生まれているのか。人生とは何か。人生とは過去からの夢の実現過程だった。過去の夢は本来の自分。本来の自分に帰る。なりたい自分が見えてくる。汝自身を知れとはそれだった。そのためにはどうするのか。どのように考えるのか。負けるな一茶これにあり。夢を描こう。未来のビジョンを。夢を実現しよう。自信はあるか。自分を信じられるか。何を学ぶのか。火も焼くこと能わず、水も流すこと能わじ。これを信じられるか。夢多き時代となった。夢は実現する。思考は現実化する。良い時代である。少年よ、大志を抱け。不安より自由となれ。何故不安なのか。知らないからである。知れば不安はない。勉強することだよ。不安及び疑いが晴れて自分自身を信じることが出来るところまで。それが努力だ。フロイト或いはユングでは不安を煽るだけだ。何の解決もない。自信はどのようにして得るか。勉強するしかない。行動するしかない。労働者である限り生かさぬように殺さぬように。知性の開放である。お笑い芸能界はこうした真面目を笑いものにして蔓延った。罪は重い。それに乗じた財界も言語道断である。故に世の中はどうなったか。行政も民法化してどうなったか。名古屋市は裏金を作ったという。下級精神及び唯自己利益追求商人根性は恐ろしい。自分が自分となれば良い。自分が自分となれる仕事がある。自己実現が出来る仕事がある。何が幸せであるか。頑張っている自分が幸せではないか。自分発見も出来る。自己実現も出来る。それが人生だ。人生とは過去からの夢の実現過程だった。人間として生まれては本来の自分となることが夢だった。お金持ちもお金持ちとなることで実は自己実現だった。何をしても良いそれは何か。究極は自由になることだった。自由とは何か。お金からの自由。時間からの自由。そして何でも思うとおりにすることが出来る。それを拒んでいるのは何か。自由になるためにはお金が必要である。お金がなければ奴隷である。それも経験する必要がある。学校教育でこうした内容は習わない。何故習わなかったのか。親にもこうした意識はない。何故ないのか。知らないからである。教育レベル自体、身分に安住していたからである。教師にその意識及び自覚はなかった。少なくとも自分達はサラリーマンとして満足していた。何が人生だったのか。何が夢だったのか。語れる時が来た。言論の自由の保障するところである。精神的自由は絶対とするところである。幸福追求権は基本的人権として永遠普遍である。日本国憲法プログラム規定成就の頃となった。時代は推移し、進化した。制度は何の為にあるのか。こうしたレベルの高い個々の夢の実現をサポートする為にある。政治の定義が欲望の実現であるとしても、族議員と一部の利益階層の為にあるのではない。これがアメリカの祈りでもあった。故に人類は偉大である。ナポレオン・ヒルはいっている。成功する為の条件がある。①貧困を経験すること。②大病をすること。③高等教育は受けないこと。これらの意味も明らかとなった。いよいよ日本の船出である。人生を知る。世界の仕組みを知る。世界がどう出来ているかを知る。敵を知り、己を知って百戦危うからず。負ける戦はしない。古来大和の戦である。そして始まる。何が始まるのか。この世での自己実現としての人生である。夢はあるか。日々思考しているか。信じることが出来る自分はあるか。その為に何をするのか。期限を定めて目標は設定してあるか。その為に必要なものは何か。何を探すのか。どういう人間関係が欲しいのか。その為に自分はどうあるべきか。何をするべきか。明明白である。知性をお笑いとしていないか。知性に罰せられる。彼は埋もれていた。その間彼は何を探していたか。何を確かめていたか。何を見つけていたか。彼の本質は何であったか。どのような力を開発していたか。既に謎である。或いは秘密である。彼こそ秘密であったという。どういうことか。何を愚弄無視したのか。或いは破壊したのか。或いは裏切ったのか。各々ご用心である。黄泉の受容祝福守護はあるか。どのようにしてそれを獲るのか。持って生まれたものは何か。情報は発信するところに集まるか。彼を直接害するとどうなるか。死神が来る。日本の国体は何であったか。知るべき時が来たのかも知れない。何を浮かれていたのか。戦争は何だったのか。ヒロシマは何だったのか。戦後何が蔓延ったのか。彼はいっていた。本来神国日本古来大和復活である。彼はいっていた。すべてやさしさで解決する。それをみつける為の孤独な旅があった。すべてに感謝していると。彼のこれからが楽しみだね。この世で何を実現するのだろうね。或いは何をしようとしているのだろうね。彼は何を見つけているのだろうか。生まれた使命は果たしたといっていたけれど。どうでもいいといえばどうでもいいのだけれど、気にはなるね。そのような重荷は背負う必要はなかっただろうにね。早く楽になるといいね。時代は変わったのかな。変わるのかな。この世に生まれて面白いといっていた。どういう意味だろうね。誰もわからないね。今日は何を勉強するのかな。それとも何もしないのかな。今更だよね。何もかも。間に合うかな。間に合うといいね。何のことだろう。彼にはとんでもない秘密があるらしい。この世での開示があるだろうか。いう必要はないと思っているらしい。知る人は知っているという。それは何だろうね。


2008年03月03日
あの世への土産
この世に何故生まれていたのか。この世とは何だったのか。過去からの夢の実現過程だった。本来の自分に帰る。その為に何が必要だったのか。過去をトレースして、あらゆる失敗をし尽くす。そして本来の自分を知る。すべての失敗が尽くされた時、現れた本来の自分とは何だったのか。佛の方に、すべて投げ入れるともいう。その時、蓮華の前に化生しているか。すべてはやさしさで解決する。この世で見つけたものだった。そうであるなら、これより実践するしかない。あの世へのこの世からの土産として。何もかも失って満ちてくるものがある。そして彼はいっていた。申し訳ないことだったって。やはり甘えていたのは彼自身だったと。


このままでいいのか
ブログは成長の記録となる。それが日記の目的だった。見える方と見えない方の両方で実相であるという。見えない世界はある。それがどのようなものであるか。分からない人が多い。そして分からないままに、それはないと思っている。それが無神論者達で、しばらく日本のインテリゲンチャを自認するリーダー達もそうだった。しかし本来日本はどういう國だったか。忘れていた。彼はそれを探した。そして見つけた。身を以て体験した。それを未来に伝えた。功績大とするところだね。本来精神的国家であった日本もあまりにも物質文明に毒された。その権化がテレビだった。馬鹿になることが幸せであると思っている。裸になることが自由だと思っている。いつからそのようなことになったのか。戦後の故だった。それが自由と思った。低い精神レベルの故だった。それが西洋文化だと思った。本来の西洋文化も失笑している。それを恥とも思わない。愚かな文化となった。衆愚の世となったからである。牽引したのは、立場を報道の自由と混同したテレビだった。それが多数決原理だったのか。そして世界は文化及び精神的に崩壊しつつある。生命進化の方向に反する。何が蔓延ったのか。それをも利用して自らの生存を計る者達が閥を成した。唯自己利益追求が幸せの条件であるはずがない。全体として幸せであることがその中の自分も幸せであることの条件である。自然及び環境を破壊して人間が生存することが出来ると思うか。あり得ない。自然を征服することが出来ると思うか。思い上がりであり、野蛮である。しかしそうした世の中となっている。テレビ界は答えるが良い。何を考えての故か。はっきりとさせるが良い。この世はどうなっているのか。宇宙の中に浮かぶ地球上の生命体としての人類である。財界も政界もその例外ではない。哲学はあるか。ビジョンあってのことか。地球温暖化は何か。石油化学物質は何か。そろそろ解答する頃である。彼も何も知らなかったといっていた。そういう教育は受けていない。そういうこととは思わなかったという。彼も世間並みに生きていこうとした。それが出来なかった。それはもうどうでもいい。これからを考えなくてはならない。馬鹿になるとはどういうことだったのか。それがナポレオン・ヒルのいう高等教育は受けないことという意味だった。あなた方のいう馬鹿になることではない。高等教育の欺罔を見抜くことだった。愚かな閥に迎合することのないようにということだった。それは亦青年は荒野を目指すということだった。それが自由であった。そして裸になるということはどういうことだったか。持って生まれた本来の自分を知ることだった。裸になった本来の自分は愚かであるか。それならそれで仕方ない。テレビは何を広めたのか。反省の頃となった。成功のために失敗は当然ある。第二次世界大戦も失敗だった。失敗しない成功はない。故に積極的失敗には寛大であるのは裁判所もその例外ではない。問題はそこより学べるか否かである。考えるべき時である。未来へ向けて。このままでは終わりである。あまりにも腐敗してしまった。社会形成に於いてあまりにも影響力の大きいテレビ界は解答しなければならない。日本をどのようにしようと思っているのか。


2008年03月02日
チャイコフスキーとエルトン・ジョン
しばらくチャイコフスキーが聴けなかった。何故だろう。あまりにも情念的だったからだろうか。それともあまりにバイロン的だったからだろうか。ブラームスにもそれがあった。シューマンとの関係に於いて。小林秀雄の中也に対するそれもあった。そうしたことが何故かゆるせなかった。シャガールもその犠牲者だったのだろうか。しかし人間が仕事をするのは情念である。情念の深さが仕事の大きさを決定する。良くも悪くもそうだった。そうした情念は自分をも傷つける。何と不条理であることか。何と悲劇的であることか。それより立ち直れない場合もある。しかしやがて時が解決する。それをも乗り越える。その時回復された自信は絶対である。獅子は千尋の谷を這い上がる。そして始まる。何が始まるのか。この世の人生が始まる。黄泉の守護を取りつけている。怖れることなど何もない。白隠禅師の隻手の音を聞く。過去の自分をトレースし、悪を払拭する。それよりこの世の人生だった。浮かれた世間の知るところではない。彼らはそれを放棄し、腐敗堕落を人生と思っている。この世に生まれた意味は何だったのか。知りもしない。探そうともしなかった。この世の草鞋銭は請求される。お笑い芸能界はその額が大きい。庶民を暗愚に導いた罪は重い。それに乗じたテレビ界及び財界も同罪である。結果、何を壊したか。環境と健康だった。即ち自然及び生命を裏切って利益と成し、貪った。むしろ尚、それを暴走族的に吹聴増殖して顧みない。その償いはしていない。安易な時代である。とぼけた時代である。本来の使命を逸脱して「あたご」も事故を起こす。闇夜の海でイージス艦に自動操舵はない。誰もが身分に安住している。一度や二度の成功でそれが本来の成功と思っている。勝手に閥を成して蔓延っているに過ぎない。時代の流れがある。大波が来ればひとたまりもない。戦争がないと思っているか。戦争はどのようにして起きるのか。2.26事件の原因は何だったか。地方農村の疲弊だった。青年将校の妹たちは身売りを余儀なくされていた。悪いのは政治だと思った。或いは財界の横暴だと思った。今はそれがないと思っているのだろうか。何時でもあり得る。それに気づいていない。テレビ界がターゲットとなりうる可能性もある。何を根拠に勝手しているのか。本当のことをいえばテレビ界では生きてゆけないであろう。笑っているその目が悲しいのは何故か。さて今、ムラビンスキーでチャイコフスキーの交響曲を聴いている。同じ理由で聞けなくなっていたエルトン・ジョンも聴けるかも知れない。グッドバイ・イエロー・ブリックロードのアルバムが好きだった。


今日は暖かです
その後 いい話を聞いた
或る税理士の先生が某銀行の方に尋ねた
どうしたら幸せになれますか
いい人に会うことだよ
どうしたらいい人に会えますか
悪い人を断つことだよ
「ノーと言える日本」ということがあった
これだったのかと思った
整理の原点は捨て去ること
何を捨て去るのか 悪を捨て去る

賓主歴然 何時かボロが出る
隠すに隠せない 笑った顔が証明している
議論の中で 何を熱くなっているのだろう
冷静で良いのだよ 
思うようにならないね 何故だろうね
ギブ・アンド・テイクかと思われた
あるいは ゴー・ダッチ
そうでもないね 
水は高いところから低いところへ流れる
何を期待していたのだろうね 無い袖は振れぬ
それが赦せないと思った自分があった
それが愚かだった
やがて淘汰される 自然の摂理がある
何事も笑顔で良い 誰もが喜ぶ
世界はそのように出来ている
信じて良い 愛と平和を
焦ったことはない 日月照らし風が吹く
やっと本来の自分に戻る 穏やかな日々
喫茶去 笑顔がいいですね 目は穏やかですか
心は穏やかですか 
言葉は優しさのトーンで満たされていますか
今日は暖かです

愛と平和は春の日の
暖かさの中の幸せと
笑顔と笑顔で目を合わせ
言葉にならない幸せな時を
語り合えると良いですね
今日はとても暖かです

【今日のニュース】両陛下が東宮御所訪問 皇太子さまに招かれ梅観賞


2008年3月2日 21時12分
あたご
イージス艦「あたご」が事故を起こした
何を意味しているのか
「あたご」は盲目国家権力である 権力に安住していた
自らの使命を怠った 見張りもない闇夜の自動操舵
イージス艦本来の使命逸脱である
それが庶民の生活及び命を奪う 或いは切り裂く
何のための国家であるか 腐敗堕落
意味及び根拠のない権力闘争
今の衆愚日本を象徴する事故だった
本来日本は漂流している 取り戻すべきものがある
護るべき日本の知性がある お笑い芸能界がのさばっている
いつの間にか閥を成し 勝手なことをしている
それが古来大和の精神に反していることを知らない
しばらく眠っていた古来大和は野蛮ではない 愚かではない
時代を染め直す時が来たようである


2008年03月01日
川のあるところへ
彼は気付いた
今まで知らないことだった
そして これで良いと思った
陽水は歌っている
川のあるところへ行きたいと思っていたんだ

ナポレオン・ヒルはいっていた
成功のための条件に
高等教育は受けないこと
その意味は何だったか
彼は優等生だった 何時までも
啄木は歌った
働けど働けど我がくらし楽にならず

彼は思った
それならそれで良い
何もかもが馬鹿馬鹿しくなった
誰も彼の話を聞かない
彼が既に考えた結論さえも
彼が語る前に 彼に語らせない
そしていう お前は何ほどのものか
彼は耐えるしかなかった
彼には何の資格もない

彼は真実を知っていた
誰も真実を知らない 
根拠がない 噂に過ぎない
知らずに勝手なことをいっている
彼はそれは妄想だと見抜いた
彼は三十有余年日々考え続けてきた
思索の記録もある 
彼は黄泉の認めるロゴスを知っている
佛の宣言がビッグバンであることも
彼の頭脳はかつて十を並べた
だが 皆 彼に語らせない
彼が語り終わる前に 話を奪い
勝手なことを言い始める
皆自分の方が正しいと思っている
相手にするだけ馬鹿馬鹿しい
もう惑わされたくはなかった
彼が惑わされてはならなかった
彼は既にそれを自覚していた
彼には使命があった 
護らねばならないものがあった
それは古来神国日本純粋精神だった
何をいっても無駄だと思った
そして 生きてゆけると思った

彼にもあらゆる誘惑があった
彼もそれに染まったこともあった
しかし 何かおかしいと思った
そして彼は探した
何もかも気に入らなかった
その理由も分かった 嘘だったのだ
彼は優等生だった
それ故 わからなかった
そして 人生も青春も失った

彼は見つけた
真実真理だった
この世の謎だった
秘密とは 自分自身だった
そのまま古来大和だった

気付いて思った
自分自身で良かったのだった
時代は何だったのか
彼は何を見ていたのか
何を聞いていたのだったか
誰もが気付いているかと思われた
誰も知らないのだった
彼と黄泉との秘密の交信があった
そのような馬鹿なことがあるものか
裏切られたのかと思った
そうでもなかった
導かれていたのである
何もかもがサインだった
彼は苦しんだ 意味が分からなかった
そして分かった
分かった時 祖先は見ていた
或いは 試されていた
彼は耐え得るか 成就するか
黄泉の賭だった
彼は埋没した 或いは見失われた
花は何処へ行ったのか
誰もが諦めた もう駄目かと思われた
古来大和は死んだのか 根絶やしにされたのか
彼は気付いた 何に気付いたのか
世間の妄想だった 真実の君だった
そして 黄泉が動いた
彼の大救助作戦が始まった
間に合うだろうか
彼は救われた 間一髪だった

古来大和の花がある
櫻は櫻
藤は藤
菊は菊
彼は咲いた 人知れず野辺に
咲いて大輪の花だった
知るべき人は喜んだ
日本の過去が未来に移された
失われた何か大切なもの
彼のテーマが成就した
長い冬だった
彼の夢は実現した
世間は知らない 認めない
もう咲かないのかと思われた
花は歳を重ねて花となる

彼は生まれた意味を知った
彼は喜んだ
日月照らし風が吹く
廓然無聖の心が晴れた
これほど簡単明瞭があるものか
今更口惜しい
本来大和本流日本源氏復活
あらゆる事象がサインだった
呉港がかつて第二溝渠だったことも
早く気付けば良かった
それだけで良かった
存在するだけで良かった

彼は時々に於いて感じてはいた
しかし不遜に思われた
故に 気付けなかった
それほどまでの戦後の腐敗があった
そして 裏切られたと思った
彼は探した 或いは戦った
孤軍奮闘だった 或いは特殊潜行艇だった
彼の人生は何だったのか 大鏡だった
彼の慰めは何だったのか 浄瑠璃 長唄
そして 仇は取った 何もかも
彼は救われた そしてやっと自由を得た
或いは 糸車の針は抜かれた 誰も知らない
しかし 黄泉は知っていた 知る人は知っていた
知る人は喜んだ 混迷の日本が救われた
日本は漂流していたのである その疑いが晴れた

歴代の魂の遍歴がある
もはや彼はどうにもならない
飄々と生きていけると思った
のらりくらりと生きてゆこうと思った
何も思い煩うことはない
秘密は解いた 彼自身が秘密だった
彼の自覚とはそれだった

生まれた時から守護されていた
思えばそうだった 試練もあった
すべては 彼のために準備されていた
古来大和の一箇 自覚が待たれた
その時が来た
気付いてみれば 父もそうだった 祖父もそうだった
古来本来家伝直伝秘伝螺鈿の槍だった
ヒロシマの意味も明らかにされた
誰も手をつけることが出来ない彼にしかできない仕事だった
憲法は変遷する歴史的なものである
何を以て変遷するか その秘密開示となった
気付いているだろうか 軍神マルスも従う
日本に戦争はさせない 愛と平和を実現する
平和の基が定まった それがヒロシマの意味だった
武力は克服された
アメリカはさぞ驚いているだろう
近隣賢明諸国家はさぞご安心されたことだろう
この度は十分に教育され 自ら学んでいた
いうにいえない試練も耐えた それが亦福音だった
未来は明るい

父は彼に雷を見せた
地震雷火事親父 それは何だったのか
知る人は少ない 知る人は知っている
それで良いのだった 彼は孤独だった

彼を敵に回せばどうなるか
敵にするのか味方にするのか
考えるべき時が来た 
黄泉の守護 得たくはないか

嘘と暴力が蔓延った
彼は自信を失っていた
誰も知り得ない理由があった
彼はそれを取り戻さなければならなかった
そして取り戻した
取り戻した自信は絶対だった
何故か 佛の故だった

世間一般勝手が過ぎた
愚弄無視破壊したものがある
各々年貢の納め時となった

天下を取る
彼の夢だった
その方法を探した
それは何だったか
黄泉を従えることだった

歴史はこのように流れる
黄泉を制して神風が吹く
誰も知らない しかし知らない事を以て否定出来ない
真実真理がある

古来大和純粋精神大和魂
身心清浄及び正直を以て旨とする
原爆の火を以てしても根絶やしにされない
頼朝は伊豆に流されていた

商人根性が蔓延った 故に腐敗した
陽水は歌っていた
川のあるところへ行きたいと