魔との戦闘の後でⅠ


魔との戦闘が終わりました。思うようにならない現実がありました。それは諦めるしかないのかと思われました。そしてこの世は不幸必定かと思われたのでした。
それほど過酷な人生がありました。人生も青春も失われたかと思われました。しかし順序があったのです。解決するべき問題がありました。この世の人生を始めるために。
自分の思うところと現実とのギャップが不幸であり、それは宿命かと思われました。時が経つにつれてますます不幸の度合いは深まっていくようでした。どうしてこのようなことになったのかわからないままに。
そしてそれは忍辱でありました。どうしようもないのかと思われました。しかしそれも乗り越えるべき試練だったのでした。
魔の正体は何だったのでしょうか。妬みと恨みでした。本人は無意識の裡に魔に著されているのです。魔である限り、どうしようもありません。魔には勝てません。魔をも成仏させるしかないのです。それも宿命だったのでした。
容赦ないのです。苦しめること、邪魔すること、奪うこと、貶めることが彼らの仕事でした。彼らも辛いのです。そして餌食となるばかりでした。
実はそれを引き寄せたのは自分でした。何が引き寄せたのでしょうか。自信を失った弱さだったのです。その人が能力のあって没落していれば、なおさら妬みと恨みから来る仕返しの格好の餌食だったのです。
そうしたメカニズムがあるのでした。確かに妬まれ恨まれる子供の頃があったのです。故にすべて失ったかと思われました。この世での解決はないと思われました。
そして何時か彼は探したのでした。それは孤独な月の砂漠の旅であるかのようでした。やがて仏との邂逅がありました。始めは信じられませんでした。そして教えて貰ったのでした。少なからず行をすることで気づくことがあったのでした。
中途半端ではわからない。真剣でなければ至れない。今まで知らなかったのです。それは奇跡かと思われました。不思議な経験がありました。今となっては早く気づけということだったのでしょうか。
何もかも投げ出して何かあるのです。それが大死一番絶後に蘇るということだったのでした。或いは飛び込むに等しいのです。そして気づきます。
思い通りにならない不幸の原因は何時か習い性となった己の弱さだったのです。それにつけこまれたのでした。致し方ないのでした。やられるばかりでした。
これよりどのようにして逃れるのだったのでしょうか。よほどの過去の因縁があるのでした。知らないことを以てそれを無視していたのです。
「怒りや憎しみという感情にとどまっている以上は何の発展もありません。あなたを不快にするネガティブな出来事にとらわれ続ければ、あなたは前へ進むことは出来ないのです。あなたを幸せにしてくれる新しい恋人と出会うことはないでしょう。」(ランダムハウス講談社刊、穴口恵子、ゲーリー・クイン共著、『あなたが幸せになるという宇宙の必然』p110)
この世にはそれほど苦しまないで生きてゆける人がいます。生まれながらに幸せな人もいるのです。苦しむ人もいます。困る人がいます。何を以てこの差を説明できるのだったでしょうか。彼にはわからなかったのでした。
けだし原因がわかれば解決があります。原因は何だったのでしょうか。恨みでした。妬みでした。確かに妬まれたに違いないのです。恨まれたに違いないのです。知らずにそうした人生を歩んでいたのでした。
そして自分を語れば語るほど貶められました。不思議なほどに。しかしすべてが明らかとなりました。何時かその時が来るのです。そしてそれに対してどのように処するのだったでしょうか。やはり妬みでありましょうか。恨みでしょうか。それでは何も解決しないのです。
解決しなければ何度でもそれはやって来ます。相手も苦しいのです。悲しいのです。ある意味で自分よりも。それがわからなかったのでした。わかって欲しくてやってきていたのです。わかってあげればいいのです。全人格的に受け入れればいいのでした。
そして声をかけることでした。わかったよ。済まなかった。私が悪かった。さぞ辛かったであろう。もういいんだよ。あなたを救ってあげる。方法も授かっている。あなたも幸せになれる。必ずなれる。だから安心するが良いよ。
本気でそう思えるかどうか。自分のためにしないこと。それが条件だったろうか。そして届くだろうか。
自分の力では無理でした。それも仏さんの力を借りるしかなかったのでした。そして気づくことが大切だったのです。あるいはわかることが必要でした。わからずにしても意味はありません。それはむなしいのです。中身がないのです。
彼は掬われたのでしょうか。失っていた自信が復活するといっていました。その時、幸せを知るだろうと。これなくしては始まらないのでした。幸せはやって来るのです。宇宙はそのように出来ていたのでした。そして何を知るのだったのでしょうか。本当の愛だったでしょうか。
彼は不幸の原因は自分にあることを教えて貰いました。しかしその意味はしばらくわからないままでした。わからなくては何も解決しないのです。その意味を自分で見つけなければならなかったのでした。そのためには行を要しました。
自分で勝手しても埒は開かないのです。どうするのだったのでしょうか。仏の定めに随うしかないのかも知れません。知っていても知らなくてもそうだったのです。そして救いはあります。何処にあるのだったでしょうか。探すしかないのです。
重要なことは誰もが救われる時代となったということです。それが二十一世紀の約束でした。そして彼が自覚する時を迎えたのでした。彼が自覚しなければならなかったのでした。それは秘密に属するといいます。そのためにすべてが準備されていたかのようでした。
既に証明もあります。彼にしかわからないとしても。そして時が来たのです。彼が自覚するのは別論でした。彼は耐え抜きました。そして成就しました。それは何だったのでしょうか。もはや謎となりました。
気づいたものは掬われます。直接間接に彼を害すればどうなるのだったでしょうか。一休髑髏です。既にいくつか実例があるのです。