若い人たちへのメッセージ 

~記念碑として~

新パラダイス開拓団。クラシック音楽が今も生きている。バックハウスはベートーベン、ハンマークラービア。

今度は、山頭火になったみたい。涙をこらえるにはつらいよね。誰と会話する、自然とだ。いつも会話していた。誰も聴いては呉れなかった。いつも私が悪者にされた。悪いのは、君たちだよ。やはり。もう、何もなくなってしまった。バカどもといっしょに死にはしない。ついてくるモノだけついてくればいい。アジサシは、南極カラ北極間を旅をする。どこかに新天地パラダイスはある。私たちだけが知っている。自分自身を研ぎ澄ます。自分自身を道具とする。人類の英知をこき集めて。いつも、最先端のパイオニア達には地図はない。大航海時代もそうだった。何を信じるのか。羅針盤は、唯一、自分自身である。

面倒だ。なにもかも。面倒は、さようなら。

ゲルマン民族の大移動。新しい王国を作る。君たちは今のまま沈むがいい。私たちは生き残る。これより新ミュージック歴代記のはじまりか。武器よバイバイ。いつも聞こえていた時代の声。スタンドバイミー。時代の通奏低音とフラッグシップはぼくたちの仕事だったんだろうか。何時の世も。Genuine goods アンティークをもとめての旅の始まりかも知れない。唯一の私の具体的理解者テッチャンとのね。お店の名前は、『アンティークブティックKURE』ってのはどうでしょう。生まれてきたことの意味は、この人生をひとつの芸術として生きることだったのかも知れない。後世のためにね。もうチカラをぬいていいんだと思う。悲しい目のままで自分の王国を建設すればいいさ。ドコにもはたらくところがない。だから、詩でもかいている。2005/09/27 ハンマークラービアを聴きながら

しかし、みんな勝ったつもりでいる。安住している。勝手にするがいいさ。上には上がある。ごめんだね。時代は変わったよ。少しははたらいてみたら。もう、君たちの所得は零だよ。バブルの穴は、国民の総預金高と同じだよ。祇園精舎の鐘の声。見苦しい、聞き苦しい。古くさい。矢でも鉄砲でも持ってこい?誰の言葉だろうね。いつでもいいよ。とか、風の声。

私の好きだった漫画の一つに『カムイ外伝』がある。世の芸術家はインスピレーションしか知らない。出。エクスパイアレーションは誰が知っているのか。そのために、何をしているのか。昔、弁護士は三百代言だった。結果責任主義。どういう意味か。責任。何に対する責任か。ちくま教授が教えてくださった。

私は、かけ算の九九を五の段から習った。小学校2年生のことだった。先生の名は、竹花先生。やはり広島高等師範卒だった。小学校の頃、絵を一生懸命描いた。いつも入選していた。特選もあった。小学校6年だったろうか。夜の川原石港を描いた。かなりの時間をかけた。しかし、時の教頭先生が、白は色ではないということで却下した。美術専科の橋本先生だったろうか、いつまでも壇上で掲げてねばってくださった。と、後で、風の音に聞いた。しかし、それで絵を描くことは止めた。橋本先生からは、版画も習った。エッチングも習った。理論は中学時に音楽も含めて習得した。その後、その教頭先生は寒い冬の朝、校舎の階段に足の親指をぶつけてヒビが入った。家庭科の先生はひわだせんせいだった。電気洗濯機の実践授業がおもしろかった。(左足首が痛い。天気予報は乾燥注意報が出ているのに。)最近、アトムの子とかいう。それはいい。私は、もっと古い。とか思った。雑感。

情緒。本来の読みはジョウショです。

私が小林秀雄を好きでない理由。中原中也に対する裏切り。私は、ランボーが嫌いである。だから、ビヨロンの音など聴きたくはない。今度は、パンセみたいになっている。P・ヴァレリィは好きである。そのカイエ編が大好きだった。今は持っていない。ある頃、古本屋へ流した。どのようにしてどのようなチカラをマスターするか。得たものの秘伝である。そして、そのチカラの運用・運転は得たものの自由である。これが自由と言うことである。勿論、自由には責任が伴う。既に出ている結果についてもそうであるはずであるのに、まだ逃げようとしている者たちがいる。自由個人主義の定義である。

風はどこから吹いているのか。見れば感じるはずであるのに。周波数は、どこに合わせるべきか。Air!

●林羅山の座右の銘: 風は来る楊柳の辺(洋流の変=ペリー来航)。月は至る梧桐の上。
●天地の大順を以て提封と為す。傲然として持せず。洪荒の至化を以て爵賞と為す。(酒中十詠序)
●May Gods & Goddesses bless you, your sweet home and hometown!
●日面佛、月面佛。五帝三皇是何物。二十年來曾苦辛、爲君幾下蒼龍窟。屈。堪述。明眼衲僧莫輕忽。(碧巌録)The sun and the moon. Each of them is boohda. That has a long life. This has a short life. I've been under the hard life for thirty years. I 've been into the cave of the blue dragon for the truth several times. I found it. The man who has clear eyes cannot deny me.

そして、オンラインでライブのプレイにログオンできたなら、きっと楽しいことです。(2005/09/27 16:47)(奇跡のスーパーバンド、レジェンズをNHK-FMでミュージックプラザを聴きながら)

世界は、いつも、そして、これからも、永遠につながっていた。こころで。それを確信し、それと合流を果たすこと。これが、人生のゴール。姿形は色々とあっても、最上流を目指せば、やがて故郷にたどり着ける。途中で果たせなかった夢は後生に譲ることで、人生は、やはり生きる価値がある。これが、生きるということ。さぁ、目指せ。ゴールを目指して走るがいい。やがて本当の桃源郷に至る。それが、祖先の夢であったのだから。その時々の一里塚を見間違えないように、ね。地図はないのだけれど、地図も自分で探し、自分で編集し、作り上げていくべきモノ。自分だけの地図が頼りだよ。

あたなたの夢は何ですか。お手伝いできます。きっと。諦めないこと。安易な妥協をしないこと。この約束を守るだけ。世界はいつも諸手を挙げて、世界への挑戦者を待っているのです。今、私は、グラムロック(エリック・クラプトン)のVoiceとリズムが懐かしい。そして、世界は本来やさしいということ、いつも君たちの夢を叶えてあげたいと思っていることを、どんなに悲しいときも、忘れないでいてね。

ソクラテスは言った。「汝自身を知れ」。「私は知らない事を知っている」。これが無知の知です。それは、鈴木大拙氏の即非の論理。それは、西田幾太郎の純粋精神。ニーチェの『ツァラストラはかく語りき』もきっと獅子を自覚したその作品。しかし、少し病的であることは否めない。ただ、その獅子が山から里へ下りてくる情景は、まさに、R・シュトラウスの交響詩だね。結局、どこから入ってもいいのではないかな。例えば、獅子を自覚すればね。ニーチェの場合、『善悪の彼岸』を読んだ方がよいとは思うのだけれど。そして、サルトルの『嘔吐』を読んだり、ダリやムンクの作品を見るとき、さらに、フロイトとか読むときは要注意です。これだけを読んだりするのではなく、必ず、その対照を用意して比較的に読まないと危ういです。地図として、時代背景を地図とか歴史とかも一緒に考えないと、一人で歩めない世界です。これをするには争闘の覚悟がいるのです。

これを以て研究とは言うのですが、我々庶民はその成果を享受することでハッピーですね。道を先導してくれる先人に対する感謝を忘れずにね。その精神が法を守るということです。その人の人格はいつも見られています。あなたの人格も。これが、大切だと思います。今までは軽薄でも生きてこれました。これからは違う。「質」が問われるのです。この理由は秘密です。時代は変わる時節があります。センターの質が舞台が回るように変わるのです。例えば、父の時代から子の時代に変わるのです。次は孫の時代ですね。楽しみです。

表現の効用について。例えば、喧嘩したとしますね。喧嘩は口でするものですが、どうしても鬱憤がたまって、いてもたってもいられないって、なります。そうしたときどうするか。場合によって違います。大切なのはいつも相手を冷静に観察しながらその流れを楽しめばよいのではないですか。剣道にしても相撲にしても強いものが勝ちます。時々番狂わせもありますが。さて、剣の果たし合いでも、実は、構えたとき既に勝負は決まってる。そこで、自分が勝ってるか負けてるか見極めができるかどうかです。それが、状況判断。

で、うまくまとめることができれば、勝っても負けても達人です。お互い同士の友情もその時に生まれます。これをもって格段の差です。ところが、実際に事を起こす方が今もいる。これが困ったこと。場合によっては指揮権発動もあります。で、何事も楽しむことができれば、吉。と思うのです。みんな幸せになりましょうね。好い時代となりました。

思念の海を渡ります。それもしなければならないことでした。そして生きていることを知るのです。それは何だったのでしょうね。人生を炎として燃え尽きることでした。

何があっても良いのです。すべてゆるせる時が来ます。その時、幸せな日々となるでしょう。

ないのにあると思っています。あるのにないと思っています。それが人間でした。そしていつか気づきます。それから明るく、楽しく、生き始めるのです。

幸せであると思う時、幸せでした。そして確かに天はあなたを祝福していたのです。あなた次第でした。何もかも。

幸せになれます。それはやって来ます。自分を取り戻す時に。故に、この世界は素晴らしい。

何時か知るのです。必ず知るのです。あなたは祝福されていました。故に生まれていました。自分を取り戻して、素直にまっすぐ生きれば良いのです。それが生きることでした。

世の中は今、デフレと不況の嵐です。その中で幸せに生きることを考えるのです。今がチャンスです。これまでの考え方が間違っていたと知ることです。

新しい時代となりました。誰もが幸せになれる時代を迎えました。その要件が確定されました。それは何だったのでしょうね。身心清浄と正直だったのです。それが本来日本の本懐でした。それを取り戻すべき時が来ました。

これよりバイオレンスと欺罔は滅びます。時代は確定されました。オバマ氏は核兵器のない世界実現への道の模索を開始しました。

日本の秘密がありました。彼にしか解けない謎がありました。何故でしょうね。彼自身が秘密そのものだったのでしょうか。彼が幸せになると良いですね。彼が豊かになると良いですね。彼がどの階層に属し何を考えていたか、重要な要素であるといっていました。世界も驚いているそうです。

「あなたの遺伝子の中には、すでにあなたの生きがいとなる興味の対象が組み込まれているのだ。(中略)そこに必ず素晴らしい潜在能力が眠っているからである。遺伝子の中に、生来あなたの才能とぴったり合致した興味の対象を見つけ出すことができれば、あなたは他の人々に最大の奉仕ができ、しかも心から楽しい仕事をして充実した生活を送ることができるようになるのだ。(中略)一貫した趣味の対象を見つけ出すこと。それがあなたの使命なのかも知れないのだ。」(きこ書房刊、アール・ナイチンゲール著、『人間は自分が考えているような人間になる!!』p88)

「素晴らしき成功へ通じる道にはドアがある。それを通り抜けることができるのは、ほとんどの人が立ち止まり踵(きびす)を返してしまうような場所を乗り越え、さらに辛抱していこうと考えている人間だけなのだ。大願を成就するにはどれくらいの時間がかかるのか、始めたころにわかる人間はまずいない。実際、途方もない時間がかかるときもある。準備をし、何度でも挑戦していく。こうして私たちは例のドアを通り抜け、その向こう側にある楽園へたどり着くのだ。私たちは認められたのであり、何度傷つけられてもそれに耐えてきたのである。こうして私たちは、成功者の仲間入りを果たすのである。(中略)だからこそ粘り強く問題に取り組み、数々の困難を乗り越える習慣を身につけるということに大きな意味があるのだ。道の彼方には自分をひと回り大きくしてくれるものがあるだろう。」(同p192)

「新しい人間になろうとするとき、より高い目標に到達しようとするとき、私たちは心から外面にふさわしい人間になろうとしなければならないのである。繰り返し失敗をしてもめげずに自分の計画を粘り強く続けることによって、心のあり方も次第に成熟していき、顔つきも変わっていくものだ。(中略)忍耐力…それにまさるものはない。だれもが辛抱するべきことがある。私たちがすること一つひとつの中に大きな成功が潜んでいる。」(p187)

「心構えひとつであなたの価値が決まるのである。」(同p170)