呉市海岸 後藤静雄

Ⅳ. 仏法について

  • 「是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。是の諸の菩薩、皆是れ法身の大士ならざることなし。戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就せる所なり。其の心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺泊に無為無欲なり。顛倒乱想、復入ることを得ず。静寂清澄に志玄虚漠なり。之を守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。大智慧を得て諸法を通達し、性相の真実を暁了し分別するに、有無・長短、明現顕白なり。」(無量義経徳行品第一)
  • それは何だったのでしょうか 汝自身を知れ それはそのまま禅のテーマでした 時を要する 属性を要する 自覚を要する そして自分とは何者だったのでしょうか これまでもそうでした これからもそうです ネット以前のことだったのです 
  • 知る人は知る 知らない人は知らない 知らないことを以って否定する それで良いのです しかしこの世は如何なる代だったのでしょうか すべてはメッセージでした いつか彼が目覚めるために 彼は言います 日本は大丈夫だよ 本来卑弥呼の系譜邪馬台国大和正統日本の命脈 法華経宿王華 一切種智慧 それは保たれていました(2011.08.19) 
  • 真実の仏法が顕説されている。真実であるからには証明がある。証明があれば定理となる。だれもがそれを援用してよい。それは宗教を超えている。大宇宙の法則だった。故に真理である。何処にあるのだろうね。仏とは何だったのか。仏が宣言すればどうなるのだったか。仏は実在する。今も昔も是からも。因って時代は画された。人類として恐竜の頃に失敗した本当の幸せを実現できる時節となった。本当の幸せとは何だったのだろうね。是より明らかとなる。